2022.01.20 ここまで来たかジャーナリズム界の劣化
 読売・大阪府包括連携協定とNHK報道

岩垂 弘 (ジャーナリスト)
 
 ジャーナリズム界の劣化も極まれり――暮れから新年にかけて、我が目をうたがうようなニュースがあった。読売新聞大阪本社と大阪府が結んだ包括連携協定と、NHKがBS1で放送したドキュメンタリーに事実と異なる内容があったというNHKの発表である。どちらも、ジャーナリズムの「原則」から逸脱した行為ではないか、と思えてならない。

 読売新聞大阪本社と大阪府が結んだ包括連携協定は、昨年の12月28日付の読売新聞朝刊で発表された。第3社会面の下部、それもベタ(一段)扱いの記事だったが、それを読んだ私は目を見張った。それは、大要、次のような内容だった。

 読売新聞大阪本社は12月27日、地域の活性化や府民サービスの向上を目的とした包括連携協定を大阪府と結んだ。「教育・人材育成」「安全・安心」など8つの分野で連携し、活字文化の推進や災害対応での協力を進める。具体的には▽府内の小中学校でのSDGs(持続可能な開発目標)学習に記者経験者を派遣▽「読む・書く・話す」力を伸ばす府主催のセミナーに協力▽読者サービスで配布している情報紙に府のイベント情報などを掲載、などを進める。

 その記事はまた、協定の締結式で、読売新聞大阪本社の柴田岳社長が「地域への貢献は読者に支えられている新聞社にとって大切な取り組みの一つ。連携協定を機に一層貢献したい」と述べ、吉村洋文大阪府知事が「これまでも読売新聞販売店に地域の見守り活動などをしていただいている。さらに多くの分野で連携していく」と話した、と伝えていた。

 これまでにも、新聞社や放送会社が文化関係やスポーツ関係の催しを開催するにあたって政府の各省庁や自治体の後援や協力を求めることはあった。が、読売新聞大阪本社と大阪府が結んだ包括連携協定はこの域をはるかに超える大規模なものだ。それだけに、読売新聞という全国紙と、西日本最大の自治体である大阪府との「包括連携提携」は、これまでジャーナリズムの世界で踏襲されてきた、ジャーナリズムと権力の関係をめぐる常識を根本的に変えるものではないか、と私には思えた。

 私は1958年から1995年まで朝日新聞社で記者をしたが、会社から毎年年末に記者に新年用の「社員手帳」が配布された。その最初のページに、「朝日新聞綱領」が載っていた。それは4項目からなっていたが、最初の項目に「不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す」とあった。私はたまに、この項目に目をやっては心の中で反すうした。

 こんな経験もあった。新人記者としての最初の赴任先は岩手県の盛岡支局で、そこで、支局長や先輩記者から「新聞記者のいろは」を学んだ。その1つが、「新聞記者のあり方」だった。それは、一言で言えば「報道に携わる者は、社会を支配する人間の側に立つよりも、支配される側の人間の視点に立て」ということだったように思う。私はこれを「新聞記者たるものは、絶えず権力を監視せよ、ということなんだな」と受け止めた。

 後年、私は、全国の主要な新聞社が加盟する日本新聞協会の新聞倫理綱領に目を通す機会があったが、そこには、こうあった。「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される」「新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない」

 これを読んで、私は、盛岡支局で学んだことと、新聞協会が目指していることが、基本的には通底するのではないかと理解した。
 つまり、ジャーナリズムは絶えず権力を監視するために存在するんだという自分の考えを一層強めたわけである。もっとも、新聞倫理綱領は「権力を監視せよ」とまでは言っていない。「あらゆる権力からの独立」を目指すとしている。だとしたら、「ジャーナリズムはあらゆる権力に距離を置く存在」と言い換えてもいいかも知れないな、と思ったりした。

 いずれにせよ、近年、市民の間では、ジャーナリズムへの不信が強まる一方である。「マスゴミ」とか、「新聞社の幹部が定期的に首相と会食するというのは納得できない」「マスメディアは行政の広報紙か」といった声さえ聞かれる。それだけに、今度の読売新聞社と大阪府の包括連携協定を機にこうした不信が一層強まるのでは、と私は恐れる。それを意識したのか、読売新聞の記事は「協定が読売新聞の取材活動や報道に影響を及ぼすことは一切なく、協定書にもその旨を明記している」と述べているのだが……

 ところで、報道によれば、この包括連携協定の消去を求める「ジャーナリスト有志の会」の抗議声明には1月7日現在、5万を超える人から賛同が寄せられているという。この人たちを突き動かしているのは、ジャーナリズムで劣化が進んでいることへの深刻な危機感、と言っていいだろう。

 一方、NHKのドキメンタリー番組に事実と異なる内容があったという問題は、各紙の報道によれば、以下のような経緯である。
昨年の12月26日、NHK・BS1でスペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」が放送された。製作は大阪放送局。その中で、番組に登場した男性について、報酬をもらって五輪反対デモに参加していると字幕で説明。だが、放送後、視聴者からの問い合わせがあり、放送局で再び男性に取材したところ、男性は撮影時には「過去に(五輪以外の)複数のデモに参加したことがあり、金銭を受け取ったことがある」「今後、五輪反対デモに参加しようと考えている」といった趣旨の発言をしていたことが判明、字幕の内容と異なっていたことが分かった。このため、1月9日、大阪放送局は「(字幕の間違いはNHKの担当者の)思い込みによるもので、関係者、視聴者の皆さまにおわびします」と謝罪した。

 このニュースに接した時、私は「NHKともあろうものがこんな初歩的なミスを犯すなんて」とあきれてしまった。私が初任地の盛岡支局で先輩記者からまずたたき込まれたのは、「裏をとれ」だった。情報をキャッチしたら、それが本当のことであるか、つまりそれが事実であるかどうかを必ず確認せよ、ということだった。逆に言えば、伝聞や推測で記事を書いてはいけない、という教えだった。
  「裏」とは、おそらく「裏付け」の「裏」なのだろう、と当時、思ったものだ。こうした経験からも分かるように、「確認、確認、また確認」が、報道関係者の「いろは」なのである。

 「河瀬直美が見つめた東京五輪」では、そうした「確認」がおろそかになっていた。取材現場のNHKの諸君には、いま一度、「取材のいろは」を噛みしめていただきたい。

2022.01.19 国連事務総長、米国にアフガン政府資金の凍結解除を要求
パジュワク通信社が伝える現状(10)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 ▼カブール発:グテレス国連事務総長は13日、ニューヨークで各国記者団に対し、アフガニスタンは、いま、在外国家資産をできるだけ早く、多く、できるだけ柔軟にすることを必要としており、「これら資産が、この緊急な事態の中で、人々の生命と経済を救うために使用されるように、資産活用を妨げている条例や条件が停止されなければならない」と強調した。
 米国政府のもとには、アフガニスタン政府の預託した外貨準備資金が70億ドル程度(95億ドルとする報道もある)あり、米政府はその全額を凍結し、アフガニスタン政府による引き出しをできなくしている。
 中国政府は、タリバンによるアフガニスタン暫定政権樹立(昨年8月)1か月後の9月、暫定政権に代わって米政府に対し、アフガニスタン政府の在米準備資産95億ドルの返還を要求したが、米政府は凍結したままだった。
 今回のグテレス事務総長の発言について、タリバン暫定政権のシャヒーン国連派遣代表は、「アフガニスタン資産の凍結解除を求めたグテレス事務総長の言明に感謝する。この厳冬の困難の中のアフガン国民の注意を集めている」「危機的情勢の中で、この資金を人々の生命と経済を救うために役立てるのだ」と語った。

 ▼カブール発:USAID(米国国際開発局)はアフガニスタンへの人道支援3億8百万ドルを実施すると発表した。
 USAID声明によると、バイデン大統領は12日、アフガニスタン国民への直接的援助として実施する。この援助によって、米国の人道的援助と難民支援は、2020年10月以来、計7億8千2百万ドルとなる。このうち新しい分野での援助では、女性と少数民族、身体障害者援助がある。
 また、食料と栄養支援、健康維持施設、移動健康支援チーム、防寒対策支援、緊急資金援助、防寒器具、毛布、建設・移動支援などが含まれ、女性たちに安全に届くように実施できる。
 米国はタリバン政権に対し、援助が人道的配慮の下で、安全に、自律的に実施できるよう、再三求めている。

▼カブール発:国連・世界食糧計画(WFP)のマクグロアーティ・アフガニスタン担当局長は、AP通信とのインタビューで、資金不足のためアフガニスタンが「飢餓の津波」に襲われることを警告した。
 このインタビューで同局長は、国際社会が人道的に必要なことを政治的議論の上に置き、タリバンが指導するこの国に数十億ドルの援助を届けて、破滅を防がねばならない、と強調した。
 国連の人道支援団体によると、飢餓に近い870万人を含む2,280万人のアフガニスタン国民が、深刻な食糧不足に直面している。
 「2022年にアフガニスタンのすべての人道支援組織は、今後12カ月に44億ドル、最低でも26億ドル必要です。」と彼女は述べた。
 マクグロアーティは、最近アフガニスタン北東部のバダフシャン州で会った高齢の農民たちの話をしたー「彼らは数十年にもわたる紛争のなかで、19回も違った政府の下で暮らしたが、互いに争うことはなかった、と話した。彼らにとって、初めての現在の飢餓は50年以上も繰り返されてきた紛争よりも悪い」と語ったといった。
 マクグロアーティは、援助資金はタリバン政権から独立してアフガニスタンに送金できるとして、国際社会に送金を続けるよう要請した。
 さらに彼女は、WFPは冬の数か月に、アフガニスタン北東部と中央高地全体の主要な場所で、食料を配布できたと語った。しかし彼女は、積雪で主要道路一部が閉鎖されはじめ、援助を緊急にしている、と話した。
 「幼い子供たちに食べ物を与えられないことを想像できますか?それらの幼い子供たちを、暖かく保つことができないことを想像できますか」とマクグロアーティはいった。「想像を絶する苦しみであり、その一部だけでも避けるために、今日の支援が必要なのです」と彼女はいった。
 マクグロアーティは、アフガニスタン人は今、飢えているか、彼らの国を離れるかの選択に直面している、と言った。「それは、破滅から一歩離れることなのです」
(了)

           
2022.01.18 2021年はデルタで暮れ、2022年はオミクロンで明けた、されど野党共闘は「霧の中」

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
              
 毎日がまるで物理学の教科書を読んでいるような感じで時間が過ぎていく。「デルタ」だの「オミクロン」だの、ギリシャ語のアルファベットが世上に溢れているからだ。こんな言葉を毎日聞かされると、日本中が新型コロナウイルスのパンデミックに翻弄されているような気がする。新規感染者数が級数的に増えていくような状況の下では、人びとの不安が募るのも無理がない。しかし、全てが「霧の中」では、我々の生活は立ち行かない。運を天に任せるわけにはいかないからだ。

 こんな時には「安心」を求めるのが人びとの心情というものだろう。たとえ確固たる方針が示されなくても、権力の座にある者が「丁寧な説明」をすれば何となく安心したような気になる。人びとの「気持ちに寄り添う」という言葉がやたらに流行るのはそのためだ。菅政権が岸田政権に代わってからの世論の変化が、このことをあらわしている。

 直近の時事通信社の世論調査(全国18歳以上男女2000人対象、個別面接方式、2022年1月7~10日実施、有効回収率64.6%)によれば、岸田内閣の支持率は昨年10月の発足以降、初めて5割を超えた。内閣支持率は前月比6.8ポイント増の51.7%、不支持率は5.3ポイント減の18.7%だった。時事通信社は「調査期間は新型コロナウイルスの変異株『オミクロン株』の感染者が全国で急増し始めた時期と重なるが、水際対策などコロナ対応や、安倍・菅両政権と比べ『丁寧な説明』に努める姿勢が一定の評価を得たとみられる」と解説している。

 一方、政党支持率の方はどうか。与党は自民党25.6%、公明党3.0%と相対的多数を占めるが3割には届かない。野党の方は日本維新の会4.3%、立憲民主党4.0%、共産党1.6%、れいわ新選組0.8%、国民民主党0.7%、社民党0.4%と相変わらず低迷していて、維新を除く野党は全部足しても1割に満たない。ダントツは、言うまでもなく「支持政党なし」57.4%で最大多数を占める。こんな数字を見ると、日本の政党政治の基盤が大きく揺らいでいることは間違いない。圧倒的多数が「無党派層」で占められている現状は、深刻な政治不信・政党不信を反映していると考えるべきで、この現実に向き合わずに野党がいくら「政権交代」を叫んでも国民の支持は得られない。

 ところで、衆院選前は鳴り物入りで騒がれていた「野党共闘」はその後どうなったのだろうか。最近「野党共闘」について精力的に記事を書いている産経新聞の論調を見よう。産経の力点は、立憲民主党が連合の縛りで動くに動けず、野党共闘がズルズルと後退していく状況をクローズアップすることに力点が置かれている。政局がその方向に動いているので、記事にも力がこもっているというわけだ。

 「立憲民主党の泉健太代表が今夏の参院選に向けた対応に苦しんでいる。泉氏は『与党の改選過半数阻止』を目標に掲げ、勝敗のカギを握る32の改選1人区で共産党を含めた野党候補の一本化を目指しているが、立民最大の支援団体である連合は共産との決別を求め、調整は容易でない。『与党一強状態を打ち破り、二大政党体制のもとで与野党が切磋琢磨する緊張感のある政治にしなければならない』。東京都内で5日開かれた連合の新年交換会では、芳野友子会長が泉氏や国民民主党の玉木雄一郎代表らを前にこうハッパをかけた。立民が勢力を後退させた昨年の衆院選について、党内には枝野幸男前代表が共産との『限定的な閣外からの協力』で合意したことが足を引っ張ったとの見方がある。芳野氏は昨年12月の産経新聞のインタビューで、立民に『決別してほしい』ときっぱり語った」(産経2022年1月6日)
 「立憲民主党や共産党などの野党は32の1人区で候補者を一本化し、与党の議席を減らしたい考えだが、共闘をめぐり同床異夢の状況にあり、調整は難航しそうだ。(略)立民最大の支援団体の連合は共産との共闘を否定し、国民民主党との連携強化を求めている。泉氏も番組で国民民主との協議に意欲を示し、共産については皇室や安全保障などの見解の違いを理由に『立民が政権を構成する政党ということにおいては現在、想定にはない』と断言した。ただ、立民と共闘した昨年の衆院選で議席を減らしたにもかかわらず、野党連立政権樹立を掲げる共産の志位和夫委員長は引き続き立民との連携を深化させたい考えだ。立民としても1人区で自民党候補のほかに共産候補と争えば野党勢力の後退になりかねない」(同1月10日)

 連合の動きも活発をきわめている。芳野会長は就任以来、誰の指示によるのか知らないがとにかく精力的に動き回っている。連合は立憲民主党を牽制する一方、自民党への急接近が目に付く。昨年暮れの12月8日、芳野会長は連合トップとしては「7~8年ぶり」に自民党本部を訪問し、茂木幹事長や麻生副総裁と面会して会長就任のあいさつをした。その際、茂木氏から「連合初の女性会長として頑張ってほしい」などとエールを送られたという(読売2021年12月31日)。

 また、今年1月5日には岸田首相が自民党の首相として「9年ぶり」に連合の新年交歓会に出席し、「政治の安定という観点から与党にも理解と協力を心からお願いする」と呼びかけた。芳野氏は、首相の看板政策「新しい資本主義実現会議」のメンバーとしても起用されている。芳野会長は5日の記者会見で自民党との接近を問われ、「共産党を除く各党に政策要請している」と答えた(日経1月6日)。首相はまた1月14日、新年交歓会のお礼をかねて官邸を訪れた芳野会長に面会し、「連合に期待しているので頑張ってほしい」と激励した(同1月15日)。連合は共産党を除く各政党と連携し、「二大政党体制」の構築を目指しているのだろう。

 こうした政局を朝日新聞は「野党共闘へ、難しい調整」との見出しで次のように解説している。
 「野党側の焦点は、1人区で候補者を一本化できるかどうかだが、調整は難航が予想される。(略)昨年10月の衆院選で敗北した立憲は、『野党共闘』の検証を進めている。共産党と『限定的な閣外からの協力』とする政権枠組み合意を結んで挑んだが、安全保障をめぐる溝を与党や支援団体の連合会長からも批判されて失速したからだ。泉氏は9日のNHK番組で『立憲の政権を構成する政党に共産は想定にない』と明確にし、『候補者調整や国民の命と暮らしを守る政治に変えて行く部分では共通するところがある』と連携を続ける考えを示した」(朝日1月13日)

 要するに、泉代表の思惑は共産との「限定的な閣外協力」の公約を解消し、部分的な政策連携で候補者の一本化を図りたいというものだ。問題は共産がこれに応じるかどうかだが、志位委員長は「限定的な閣外協力」は公党間の約束なので、立憲の代表が変わったからと言って解消できるものではないと反論している。衆院選では「歴史的な政権公約」だとして選挙戦を戦ってきた経緯があり、この「政権公約」を破棄することは「野党共闘」の崩壊につながる恐れがあるからだろう。

 一方、国民民主党は、小池東京都知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」との連携を推進している。玉木雄一郎代表は9日のNHK番組で、参院選に関し「外交、安全保障、エネルギーなど、基本的な政策の一致なくして選挙協力はない。逆に政策で一致できる政党とは選挙協力していきたい」と述べ、「都民ファーストの会」との連携については、「政策的な一致の先に選挙協力ができるのであれば、それは排除するものではない」と強調した。また岸田首相が「敵基地攻撃能力」の推進に意欲を燃やしているのに関しては、「敵基地攻撃能力という言葉はどうかと思うが、相手領域内で抑止する力は必要だ」と主張して賛意を示した(産経1月10日)。

 こうなると、「敵基地攻撃能力」について反対している立憲とは安全保障面で政策が一致しなくなり、連合の推進する「立憲民主党と国民民主党の共闘」は難しくなる。と言って、立憲が国民と政策的に妥協すれば、今度は立憲支持層が離反する恐れもある。泉代表は「ジレンマ」ならぬ「トリレンマ」に直面しており、政治経験が浅く確たる政治思想を持たないような人物が、この難局を乗り切れるとはとても思われない。野党共闘は深い「霧の中」にある。霧の晴れた時にいったいどのような光景が現れるのだろうか。それは泉代表の辞任かそれとも立憲の分裂か、オミクロンで明けた2022年の政局の行方は目が離せない。(つづく)

2022.01.17 五輪を踏み石にゴールの党大会へ?それともコロナが・・・?
―習近平政権の2022年(1)           

田畑光永 (ジャーナリスト)

 年頭恒例の各メディアのさまざまな新年の展望や予測の中で、今年の欠かせないテーマは米の中間選挙と中国の共産党大会、そしてそれが絡み合う米中関係の行方であった。世界における両国の「大きさ」からそれは当然であるが、同時に、そのいずれもが茫漠たる霞にさえぎられて、視界は極めて限られている。
 とくに中国についてはあの国の言論、報道の状況から、今に始まったことではないにしても、社会の根底でなにがどう動いているかがきわめて分かりにくい。表層を手探りするだけのようなもどかしさとスピーカーががなり立てる大音量の合間にふと耳に入る小さな話し声に耳をそばだてるような頼りなさの中で、なんとか「中国の今」を組み立てるしかない。
 そういう限界を承知の上で今年もまたこの場に手探り、立ち聞きの結果を報告するつもりである。忍耐強くお付き合い願えれば幸いである。
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 今年の中国がとりわけ注目されるのは、すでに広く知られているように、憲法で2期10年までと決められた任期で、2013年に就任した習近平国家主席が、2018年にこれといった理由の説明もないままに憲法を改正して、国家主席の任期を撤廃してしまい、本来なら彼が辞任して、新主席が誕生するべき来年春の全国人民代表大会を素通りしようとしているからである。
 そのためには今年秋の中国共産党第20回党大会においても党のトップである総書記の座に留任しなければならない。憲法で国家主席は中国共産党の推薦を受けた人間が候補者になると決められているからである。共産党総書記にはもともと任期の制限はないが、党大会2回つまり2期10年で交代というのが1990年代以来、内規とされてきた。1989年の天安門事件の後、趙紫陽に途中交代で総書記に就任した江沢民は2002年まで13年間在任したが、その後の胡錦涛は2012年に習近平と交代した。
 共産党の内部で総書記がどのように選ばれるかは公開されていないが、よく言われるように太子党グループ(旧幹部の子弟たち)とか共青団グループ(党の青年組織出身者)とかのさまざまな勢力間の談合、妥協の結果であろう。
 つまり習近平が国のトップ、国家主席を「前例を破って10年以上続ける」ためには、まず今秋の党大会で「総書記交代」という言葉がどこからも出て来ないようにしておかなければならない。私の見るところ昨年以来の彼の行動はすべてそのためであるし、それは途中で邪魔が入って挫折しなければ、来年3月の全国人民代表大会(全人代)が「国家主席選任」という議題なしで終わるまで続くはずである。

 ではどういう状態をつくれば、習近平の望む形が実現できるか。それには、今は中国にとって大変な時期であり、この時代を乗り切れるリーダーは習近平しかいない、というふうに多くの国民に思わせることが必要である。
 「農村に最後まで残っていた最貧困層1億人を貧困から脱出させた、これは世界史的な偉業である」とか、「コロナ禍で欧米では多くの死者を出したが、中国の死者は人口比では非常に少ない、これは中国の社会制度が優れているからである」とか、「中国はどこの国よりも多く、何億人分ものコロナ・ワクチンを他国に提供した」とか、「宇宙開発で大きな成果を上げた」とか、自国をほめそやす報道がこれほど多い国はほかにない。すべて「習近平新時代」のたまものと国民に刷り込むためである。

 そして正念場の今年、来年が間近に迫ってきた昨年あたりからは、「現在は百年来なかったほどの大変化の時代(「大変局」)である」という言い方が目立ってきた。生半可な指導者では乗り切れない難しい時代だ、と思わせるためである。
 同時に習近平をトップにいただく政府は国民が首を傾げるようなことや、困っていることには素早く手を打って、社会を健全なものとするのに力を尽くすというアピールにも余念がない。昨年は、このブログでも取り上げたヘェー!と目を引くような出来事が続いた。
 大儲けしているアリババのような企業に独占禁止法違反や脱税などを理由に巨額の罰金を課したり、芸能人のファンクラブが募金の多寡で人気を競うのをやめさせたり、男性タレントの女性まがいの服装、態度をもてはやすのを禁じたり、かと思えば、激しい受験競争の産物である学習塾や予備校を取り締まったり、閉校させたり、学校での試験のやりかたに注文をつけたり、それなら子供はもっと遊ばせろというのかと思えば、家庭でオンライン・ゲームで遊ぶのを認める時間を週日は何時間、習末は何時間と細かく制限したり、とまあ口うるさいこと大変なものがあった。

 特に驚かされたのは、日本でもよく見かけるいわゆるテレビ・ショッピング番組で人気の商品プレゼンターの黄薇さん(芸名「薇娅」)というタレントに昨年末、浙江省杭州市の税務当局が脱税でなんと13.41億元(日本円でざっと240億円)という巨額の追徴金やら罰金やらを課したニュースだった。
 どんな事情があったのか分からないが、そんなに多額の追徴金やら罰金やらを課すところまで、いったい税務当局は何をぼんやりしていたのかという疑問がわく。なにかからくりが潜んでいるのではないかと勘繰ってしまう。
 というのは、ご存知の方も多いだろうが、習近平は昨年8月、これからの新しい時代のスローガンとして、「共同富裕」なる言葉を持ち出した。これはべつに新しいスローガンと言うわけではなく、鄧正平が前世紀の70年代、改革開放政策に乗り出すにあたって、まず豊かになれるものが豊かになり、遅れたものを引き上げる形で皆が豊かになるのを目指すという筋道を示した時にこの「共同富裕」という言葉を使ったのであった。

 今、習近平がこの言葉を持ち出したのは、現在の中国で貧富の格差が広がりつつあることに国民の不満が集中するのを前もってなだめようという狙いがあるのは明らかだ。アリババなど大企業が罰金などをとられた後に、なおさまざまな社会事業や低賃金労働者の待遇改善などにかなりの金額を拠出しているのは、時期を失してより多額の負担を強いられるのを防ぐための予防措置であろう。
 気の毒なのは、ファンクラブを通じてお金を集めたり、高額の出演料を手にしていた芸能人やテレビ・タレントが税金や罰金などの形で搾り取られていることだが、これも社会の不満が膨らむのを抑えるためのガス抜き作業と言えるだろう。
 一方では、政権の意向を忖度して庶民の不都合をないがしろにする事例は相変わらずである。最近ではこんな話が伝えられている。

 昨年12月22日の『人民日報』によれば、あの万里の長城の東端の街として有名な河北省秦皇島市山海関区の古城区域内(昔からの城壁内)では、去る2019年から石炭を燃やすことが禁じられているが、それが昨年からは薪を燃やすことも禁じられたという。
 報道によれば、冬には正午でも気温は7度以下、朝はせいぜい4~5度というところだが、薪が燃せない。その代わりに暖気を各戸に供給することになっているのだが、栓をひねっても「温かくない」。やむなく薪を燃やせばすぐに見張りの一隊がやってきて、竈に蓋をする。
 ところが、山海関区政府は正式には薪を燃やして暖を取ってはいけないと通告したことはなく、あくまで「唱導」(そのように勧めること)なのだそうである。そしてそれは環境基準を達成するため、である。
 記事は「現地の管理者は真面目に反省し、具体的な方法を提示して、民衆の現実の困難を解決すべきである」と言うが、この話、いつか聞いたことがあると思われた方も多いだろう。

 すでに2017年の秋から冬にかけて、北京で結構な騒ぎになった話の再来である。この年の春、北京のトップ、共産党北京市委員会書記の座についた蔡奇という人物が北京の空をきれいにしようと「煤改気」という改革の音頭をとったのが始まりだ。この人物は浙江省時代から習近平の下僚で北京に呼ばれ、中央委員でもない平党員で北京市のトップに落下傘降下したのであった。
 「煤」とは中国語で石炭、「気」とは天然ガスのことで、石炭暖房をやめて天然ガスに切り替えよ、という命令を下した。悪名高い北京の空をきれいにして習近平の期待に応えようとしたのであろう。しかし、石炭ストーブをやめることは簡単だが、天然ガスへの切り替えは簡単には進まない。結局、学校などの工事が遅れ、子供たちが体を温めるために休み時間に校庭を走り回り、その姿が国外のニュースで取り上げられたりして、結構、話題になった。
 蔡奇はそれに懲りるどころか、さらに北京の街のビルの看板が見苦しいと看板の撤去命令を出し、今度は看板を急に取り外した跡が見苦しい、看板が亡くなって道が分からなくなった、などと、苦情が殺到し、慌てて命令を取り消す騒ぎを起こした。
 さらには、市内の大興区という出稼ぎ労働者が多く住み着いている一帯で違法建築の建物から火事が出て、死者が出ると、今度はそのあたり数平方キロ(正式発表がないので面積は分からない)もの広い範囲から住民を有無を言わせず強制立ち退きさせるという、暴挙と言っていい行動に出た。
 蔡奇の例は子飼いの子分の独裁者へのおもねりであったが、ここまで列挙してきた昨年来のさまざまな権力からの指示、命令は党大会を控えてなんとか威信を高めたい習近平に自分の働きを認めてもらおうという役人たちのあがきと言える。
 これから3週間後に北京では冬季オリンピックが始まり、3月初めには全国人民代表大会を迎える。そこにコロナのオミクロン株の波が迫る。視界不良のなかでさまざまな動きが錯綜するだろう。手探りを続けながら耳をすませていよう。
2022.01.15 劣化進むNHKの「日曜討論」
―大本営発表をしかと認識しよう―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《日曜討論の更なる学芸会化を見る》
 22年1月9日、久し振りにNHKテレビで「日曜討論 党首に問う」(9:00~10:38)という番組を見た。
 形式内容とも益々劣化している。画面背景にSunday-DEBATEという言葉が見えるが、ディベートが皆無なのである。その理由は二つあると思うので以下に例を挙げる。

 一つは、司会者(男女2名)と各党代表との間に質疑応答がないのである。
 「コロナ禍の拡大には、米軍基地内外の出入国管理、基地勤務の邦人米国人の感染防止策に欠陥があるのではないか」、「管制は実質〈「ザル法」的〉なものではないのか」、「米軍との情報共有や防止策連携が作動していないのではないのか」。
 そういう当然の質問を二人の司会者は、岸田首相(自民党党首)には決して詰問的に問わない。発言主体が誰だか不明な「客観的な」質問なのである。

 すると岸田は「米軍へ遺憾の意を示し米国側の対策実施を求めた」と答える。
 内容の乏しい丁寧でない回答である。ならば質問者は、直ちに「対米確認が遅いのではないか」、「どんな回答があったのか」「日米基地協定の改定交渉をする意向はないのか」と質問をたたみかけるべきである。しかし司会者からそういう再質問は出ることなく、直ちに次のテーマに移るのである。総花的で平板である。
 この問答は「宗主国と植民地」、「主権国家と傀儡国家」間と同質の会話だといえるだろう。

《「NHKの学芸会式討論会」は他党に応答しない》
 二つは、これら内容のない問答に対して、他党代表から疑問や質問が発せられないのである。そういう進行ルールなのであろう。

 私は、このルーティンを以前から「NHKの学芸会式討論会」と呼んできた。学芸会にはディベートが存在しない。しかも更に悪いことには、定時のNHKニュースがこの「無内容な問答を「そのまま切り取って」ニュースとして使っているのである。これは「管制報道」、「大本営発表」だ。メディアは自分の言葉で報道してもらいたい。
 例えば、説得力の乏しい理由で「答えを差し控えさせていただきます」といった回答があったら、「○○は、理由を言わず回答を拒絶した」と書くべきだろうと思う。

 一事が万事である。私自身は大いに腹を立てている。読者も自ら「意識的に注意深く」NHK報道の知的凋落をみとどけて欲しい。闘いがその先に待っている。(2202/01/10)

2022.01.14 大使館の前で
韓国通信NO687

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 元従軍慰安婦たちの水曜デモが1月5日、30周年を迎えた。世界に類のない要求を掲げた運動が市民に支えられて1525回目。  
韓国通信687

 写真は当日の参加者たちの記念撮影(大プラカードには「水曜デモ30」/ハンギョレ新聞デジタル版より)。
 元従軍慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちのデモを見学しにでかけたのは20年以上も前になる。
 地図を頼りに探し当てた日本大使館は景福宮近く、韓国日報本社の横道を入ったところにあった。古色蒼然としたわが日本大使館は集会を避けるように警察車両と警察官に守られ固く門を閉ざしていた。建物の窓のブラインドはすべて降ろされ、日本側の「無視」の意思表示が伝わってきた。
韓国通信687②

 参加者は50人くらいらだったと記憶する。韓国の友人が、「みっともない所を見せて申し訳ない」と余計な心配をした。
 以来、ソウルに出かけ、水曜日にぶつかると大使館前でスピーチに耳を傾けた。観光目的の友人たちを案内したこともある。最後に訪れた5年前、辺りは若者たちで溢れ、平和の少女像が埋め尽くされるほどの賑わいだった(写真/2016/12/21大使館前/筆者撮影)。
 ハルモニたちの「若い人たちに伝えたい」という思いが実を結び、若者たちの参加が増えていた。

 運動のリーダーとして活躍した尹美香さんの金銭トラブルが取りざたされ、新たに発足した正義記憶連帯(略称「正義連」)との確執が刑事事件に発展したことは日本でも大きく報じられた。
 私に事件を語る資格はないが、事件をきっかけに運動と水曜デモが一時困難に陥ったことに心を痛めてきた。

<市民が支えた水曜デモ>
 1991年に元慰安婦として名乗り出た金学順さんに続き、名乗りをあげた元従軍慰安婦たちによって翌年から始まった水曜デモ。ハルモニたちの存在は私個人にとって、過去の歴史と現在を結ぶ現実であり続けた。
 1000回目の集会とシンポジウムに参加、天安にある金学順さんの墓地を訪れたこともある。外務省を「人間の鎖」で包囲したことが昨日のように思い出される。日本を始め世界に共感の輪が広がっていった。こんなに歳月がかかるとは誰も予想しなかった。ハルモニたちの訃報が相次いだ。
 1993年に河野談話があり、村山内閣時代の1995年にはアジア女性基金が設立された。紆余曲折をへて2015年の安倍内閣の10億円「日韓合意」に至るが、誠意のない金銭による解決は当事者たちと韓国社会から受け入れられなかった。特に安倍首相の歪んだ歴史認識と傲慢な態度が明らかになると、徴用工問題をめぐる日韓関係の悪化とも重なり、解決の糸口さえ見えないまま今日に至る。
 局面打開に韓国の新大統領に期待する向きがあるが、河野談話を取り消そうとする日本の動きがある中では誰が大統領になっても解決は到底ありえない。
 「勇気を出して日本軍慰安婦問題を世に知らせ、また第1525回水曜集会に至るまで、長い間行動を共にしてくださった皆様は本当にご苦労された」。当日発表された文在寅大統領のねぎらいのメッセージである。
 国連で「ダーバン宣言」が採択されてから21年。世界は列強による植民地支配に対する反省と賠償を求めている。地球規模の貧困格差と人種差別の是正を求める国際世論である。
 日本だけが悪いのではないという言い訳は通じない。

<異変 占拠された抗議集会場>
 これまで開かれてきた大使館前での集会ができない異常事態が続いている。尹美香事件が報じられると、「自由連帯」「オンマ(母親)部隊」らの右翼団体が、「水曜デモはさせない」と公然と会場を占拠するようになった。「慰安婦たちはウソつき、騙されるな」「日韓条約を守れ」「日本は何回も謝った」というのが彼らの主張。極右団体は親日派、反北朝鮮派、朴槿恵前大統領を支持する反文在寅大統領派である。
 日本政府とまったく同じ主張を掲げ、日本政府が求める少女像の撤去まで求めている。ついに日の丸を掲げて集会になぐり込みをかける人間まで現れた。『反日種族主義』の著書のひとり李宇衍氏(イ・ウヨン)氏<写真「ハンギョレ」デジタル版>である。日本の極右勢力がニンマリする光景かも知れないが、普通の日本人にはこの「親日」は薄気味悪い。
韓国通信687③

<日本の平和を求める水曜デモ>
 日本では水曜デモについては謝罪と賠償に焦点をあてた反日ステレオタイプな報道が氾濫している。徴用工問題にせよ慰安婦問題にせよ主要メディアは政府見解を丸のみするばかりで、政府見解に対する検証もない。
 ハルモニたちが戦争志向の日本に危機感を募らせ、平和を強く求めていることはあまり知られていない。原爆の被爆者たちが核兵器廃絶を強く訴えるように、彼女たちは日本の平和を求める資格のある貴重な生存者ということを忘れてはならない。軍の性奴隷にさせられたハルモニたちの世界平和への訴えは全世界に感動を与えているが、日本には届かない。「すべて解決済み」とする
 本国政府に歩調を合わせて大使館の中に閉じこもり、30年間何も学ばなかった大使と館員たちの怠慢も見逃せない。 
2022.01.13 コロナ対策の目標は何か
 -目標なき場当たり主義が社会経済活動を萎縮させるー
 
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 テニスのジョコヴィッチ選手のオーストラリア入国問題をめぐって、欧州とアジア・オセアニアのコロナ対応の違いが浮き彫りになった。
 スキージャンプの小林陵侑選手は11月27日にフィンランド・ルカで開催されたW杯で優勝した後、PCR検査で陽性の判定を受けた。小林選手自身は2度のワクチン接種を終えており無症状だったので再検査を要求したが叶わず、フィンランドのホテルで自動的に10日間の自主隔離に入った。デルタかオミクロンかの判定も、濃厚接触者の隔離などは一切なく、10日を経て自動的に試合復帰が認められた。インフルエンザ並みの対応である。
 当初、嫌がらせではないかと思われたが、とにかく自主隔離に入った。隔離期間中のトレーニング不足が懸念されたにもかかわらず、隔離明けも好調を維持し、欧州ジャンプ週間で2度目の総合優勝を飾った。個人戦で他の選手より2試合少ない参戦ながら、ジャンプ週間の3連勝で、W杯得点首位に躍り出た。災い転じて福となすである。早々と自主隔離を済ませた小林選手は、コロナ陽性による隔離リスクから解放され安心して五輪に臨むことができるというのが、欧州スキー関係者の解説である。
 この事例からも分かるように、欧州ではデルタであろうがオミクロンであろうが、無症状あるいは軽症者は自主隔離10日で社会復帰できる。日本やオーストラリアなどのアジア・オセアニア国々では、このように簡単には済まない。なにせ、日本へ入国する場合は何回ワクチン接種していようが、PCR検査が何度陰性だろうが、一律に14日間の「自主」隔離が強制される。オミクロン濃厚接触者と認定されれば強制隔離され、到着地から遠く離れたホテルへ移動させられる。外国人の入国は禁止である。これでは、強毒性ウィルスへの対応と変わらない。
 小林選手はまだ欧州でのW杯に参戦しているが、北京五輪の準備のために事前に日本へ戻ることはできない。日本で最終調整を行い、時差をなくして五輪に参加できるという利点を活かす機会を絶たれ、日本を経由することなく欧州から直接に中国へ入国せざるをえない。無用な自主隔離でトレーニングが中断されるからである。
 かくように、一律主義で硬直的なコロナ対応は社会経済活動の活性化を妨げている。日本的な官僚的硬直性が如実に現れている。中国に見られるようなアジア的で国家主義的対応である。
 欧米とアジア・オセアニアのコロナ対応の違いは、基本的目標の違いに由来している。欧米では早くからゼロコロナを目標とすることを断念した。そもそもバクテリアやウィルスを地上から抹殺することはできない。もちろん、致死率5割のエボラ出血熱のような強毒性のあるウィルスにたいしては完全防御のロックダウンが必要だが、感染力は高いが弱毒性のコロナウィルスを抹殺することはできない。にもかかわらず、日本やアジア諸国は強毒性のウィルスと同様な対応を取ろうとするために、無用な社会的摩擦を引き起こし、それが社会経済活動を阻害し、人権侵害まで惹き起こす。
 日本政府のコロナ対策には明確な目標がないようだ。世論の動向を見て,水際対策や厳しい制限を要求する声が大きいと判断して、硬直的な対応を維持しているようだ。世論に耳を傾けなかったから菅政権の人気が凋落したと考えているのだろう。だから、その逆を張れば、政権の人気が出ると踏んでいる。浅はかな考えだ。風見鶏・朝令暮改内閣である。岸田首相の性格が如実に出ている。もっとも、与党と同じく世論を忖度している野党もさして変わらないが。
 現時点で鎖国性格をとっている先進国は日本ぐらいのものだ。鎖国政策によって、観光業や航空会社が大打撃を受けている。観光客だけでなく、外国ビジネスマンや外国人留学生を排除しているために、必要不可欠な人材確保やビジネス交渉が妨げられている。無用で硬直的な対応が、日本社会の活力を削いでいる。岸田政権にとって、社会の活力低下より、政権の人気を落とさない方が重要なのだろう。感染拡大の危機を煽って、厳しい措置を導入することによって、政権が安定するという奇妙な状況が生まれている。
 これまで人類が経験してきたバクテリアやウィルスとの闘い歴史の中で、毒性と感染の相関関係が分かっている。強毒性のウィルスやバクテリアは宿主を殺してしまうので伝染力は弱く、弱毒性のウィルスやバクテリアは宿主を変えて生きながらえる。したがって、大雑把に見れば、毒性(致死率)と感染度(再生産数)には、直角双曲線的な反比例関係がみられる。コロナもその例に漏れない。
 また、感染率は社会状況によって変化するので幅があり、再生産数は1.5~3.5と推定されている。インフルエンザよりやや高く、ノロウィルスより低いと判定されている。
 これからの研究を待たなければならないが、オミクロン株の変異はコロナウィルスの弱毒化による延命化だと考えられる。明らかに感染力は高まっているが、致死率は大幅に下がっている。とすれば、コロナ対策も新しい段階に向かわなければならない。ところが、日本はその逆を行っている。明らかに政策目標が間違っているからだ。
コロナ対策転換の必要性
 日本は弱毒化したコロナウィルスの蔓延によって、コロナ規制を厳しくした。これでは、新たな変異株が出現するごとに、より厳しい制限措置を維持しなければならなくなる。まさに「コロナの罠」である。永遠にコロナ禍から脱却することができない。「コロナの罠」から脱却する道は、弱毒化に対応して、柔軟な政策措置を取ることである。
 したがって、これから目指すべきは、「ゼロコロナ」ではなく、「重症化リスク回避」を目標にした対応措置である。

 (1) 無差別に一律に国民を隔離するのではなく、重症化リスクのある人々を中心に隔離する方向へ転換すべきである。健康な人も病人も一緒くたに隔離するのではなく、高齢者、既往症のある人々、免疫不全者のような重症化リスクのある人を中心に隔離の方法を考え、その他の人々の社会生活を漸次的に自由化すべきである。

 (2) したがって、ブースターショットはこれらの重症化リスクのある人々から優先すべきである。

 (3) 陽性者を探しだすような一般的なPCR検査は不要である(感染者数の増大ばかりを強調すると、無用な検査が広がる)。これにたいして、重症化リスクのある人々の抗体検査、PCR検査を重点的定期的に行い、抗体生成が充分でない人々の行動抑制の指針を決める。

 (4) デルタであれオミクロンであれ、無症状者、軽症者の入院は不要である。10日の自主隔離の後に、社会復帰できるというルールを明確にすべきである。何時までも、ずるずると2週間も拘束する必要はない。

 (5) 鎖国政策を止め、事前のPCR検査陰性証明とワクチン接種証明を保持している場合、到着時のPCR検査が陰性であれば、日本人と外国人とにかかわらず、自主隔離免除とすべきである。一律2週間の自主隔離という硬直的愚策は撤廃すべきである。

 (6) 感染経路が分からないのに、濃厚接触者を探し出すような無駄な仕事は止めるべきである。濃厚接触者でも、ワクチン接種証明とPCR検査陰性が確定すれば、行動を拘束すべきでない。

 (7) 他国に比べて日本では重症者が少ないにもかかわらず、特定の医療機関に診療負荷がかかるのは、コロナの所為というより、医療システムの問題である。重症者の治療について、国は感染症治療病院を指定し、必要な予算をつけて対応すべきである。
 政策目標を誤ると、人々は無駄な社会的行動を余儀なくされ、社会的コストが増加する。空港でも保健所でも、意味のない仕事を長時間にわたって行う社会的損失は大きい。人々の力をもっと有用で効果的な仕事に振り向けるべきである。そのためには、政治家が明確な指針を示さなければならない。さもなければ、官僚組織は自己組織保持のためだけに動いてしまい、「屋上屋を架す」措置の維持に固執する。それによって、社会的生産性が著しく損なわれる。
 はたして、岸田首相はこのような声に耳を傾ける知力と胆力があるかどうか。

2022.01.12 モンゴル人の悲劇、それはどうやって生まれたか

――八ヶ岳山麓から(357)――
                      
阿部治平 (もと高校教師)

 日本では、モンゴル人といえば大相撲の力士である。日本軍がかつて中国東北、モンゴル人地域で我物顔にふるまった歴史を思う人はごくまれである。
 むかし、チンギスハンの大帝国を作り上げたモンゴル民族は、現在おおざっぱにはロシア連邦シベリアのブリアート、モンゴル国(外モンゴル)のハルハ、内モンゴルの諸部族に分かれている。外モンゴルは1922年ソ連赤軍の支持を得て中国からの「独立」を遂げた。だが、現在でもいずれの土地のモンゴル人にも統一国家への潜在的な希望がある。これを中国では「三蒙統一」といい、ロシアなどでは「パンモンゴリズム」といって弾圧の対象としてきた。
 1920年代から内モンゴルでは外モンゴルの独立に刺激され、外モンゴルとの統一、あるいは高度の自治を求める民族主義運動が起こった。
 ここでは、これに対して1930年代から日本人が何をどうしたかということ、それをモンゴル人の立場から見るとどうなるか、モンゴル人にどのような累を及ぼしたかということを書いた本を紹介したい。

まず簡単に歴史を振り返ってみよう。
 日本が第二次世界大戦に敗れるまで13年間、中国東北には日本関東軍が支配する「満洲帝国」という国家があった。1931年9月日本関東軍は瀋陽郊外の柳条湖で満州鉄道を爆破して一気に中国東北を占領し、32年3月清朝の廃帝愛新覚羅溥儀を担ぎ出して、傀儡国家「満洲帝国(以下満洲国)」をでっち上げた。

 当然のことながら満洲国は日本関東軍に操られていたが、外モンゴルも当時はソ連・コミンテルンに完全に抑えられていた。関東軍は対ソ連戦略のために、諜報・宣撫工作・対反乱作戦・秘密作戦などを行う特殊軍事機関を設置して、その本部をハルビンにおき、満洲国の領土外にもその出先機関を侵出させた。フルンボイル盟の西隣シリンゴル盟(盟は省の下の行政区)、貝子廟(ベイズミャオ、現シリンゴル市、貝子廟は本来仏教寺院)に置かれたアバガ特務機関はその一例である。
 シリンゴル盟はソ連の極東部隊が進駐している外モンゴルと国境が接している。内モンゴル人の「対日協力者」は、この特務機関によってゴビの向こうの外モンゴル情勢を探る先兵として使われた。
 余計な話だが、わたしは1997年モンゴル馬と日本在来の木曽馬の比較研究をしている獣医らとともに、アバガ特務機関の置かれた草原の町シリンゴルに行ったことがある。このとき貝子廟はかなり破壊されていて、その修復中であった。責任者らしい人が「ほかに資料がないから長尾雅人先生の『蒙古喇嘛廟記(もうこらまびょうき)』によって修復している」と長尾氏の本を私に見せてくれた。長尾氏は仏教学者としてモンゴル人地域の仏教調査をし、貝子廟の遺構を詳細に記録したのであるが、著書のなかで日本軍人の立ち居振る舞いを嫌悪感をもって記している。
 シリンゴルの特務機関については、すでに岡村秀太郎・内蒙古アパカ会共編『特務機関』(国書刊行会 1990)が出版されている。特務機関で働いた日本軍人の回想録である。

 ミンガド・ボラグ著『草はらに葬られた記憶』(関西学院大学出版会 2019)は、上記の著書『特務機関』への事実上の反論として、シリンゴル盟に置かれた特務機関と、それにかかわったモンゴル人の過去と今日を、今に生きるモンゴル人に語らせたものである。
 この本には「日本特務―日本人による『内モンゴル工作』とモンゴル人による『対日協力』の光と影」という副題がついている。しかもその「帯」にこうある。「「日本人よ、宗主国の国民らしく、モンゴル史に直面せよ」と。
 さらに「二度と戦争をしてはいけない」「多くの同志たちを異国の土に失った」「平和ほど大切なことはない」という我々日本人の言葉を引用して、「戦後74年の歳月が過ぎても、毎年のように繰り返される常套句!そこには現地の人々への感謝の言葉は一つもない。日本の植民地だった内モンゴル人が戦中と戦後にたどった過酷な歴史がここにあり」という。

著者ミンガド・ボラグ氏は自著についてこう説明している
 「本書はそれらの機関に直接または間接的にかかわったモンゴル人の回想を、史実に照らし合わせて解説を加えたドキュメンタリーである。誤解をおそれない言い方をすれば、本書は日本が内モンゴル草原に残した負の遺産を背負って生きてきたモンゴル人の人生ドラマである。
 というのは、のちの文化大革命時、彼ら全員が日本のスパイを意味する『日本特務』や、売国奴を意味する『日本帝国主義の走狗』として吊るし上げられ、その負の連鎖は今なおつづいている。よって本書における『日本特務』には二つの意味がある。ひとつは日本と満洲国に直接的にかかわることによって生まれた『日本特務』であり、もうひとつは文化大革命中、中国人によって着せられた濡れ衣の『日本特務』である」
 
 二つのうち、前の「日本特務」は日本敗戦ののち国民党政権、ソ連軍、その後の共産党政権によって「対日協力者」として断罪されたモンゴル人のことである。あとの「濡れ衣」は、主として文化大革命期に起きた捏造事件「内モンゴル人民革命党(内人党)事件」の犠牲者を指している。内モンゴルのモンゴル人約135万(1964年)のうち、「公式」には1万6222人が虐殺され、34万6000人余が迫害されたという。中国からの独立を企てたとしてこの人々に加えられた弾圧・拷問は、鋸による股裂きなど陰惨、酸鼻極まるものであった。

 本書の第一章では、著者の一族が「日本特務」となった経緯が語られる。第二章はソ連情報収集の前線であったウジムチン草原のラマ・イン・クレー寺の特務機関の「仕事」と、それとかかわりのあったアヨシという人物の回想録である。第三章は同じくボンソグの回想によって「日本協力者」の悲惨な運命を描く。第四章はアバガ特務機関の西ウジムチン分機(分所)の使用人の娘シルとその夫の回想録である。第五章は、著者の故郷である貝子廟の特務機関の活動や、1945年対日参戦をしたソ連軍の悪行を述べたものである。第六章は日本軍車輛の運転手の回想である。

 本書に登場する人物はこういっている
 「私からすれば、日本人はある日、突然家に入ってきていろいろ指示をし、まるで家族の一員のように振る舞っていたが、いつの間にかいなくなっていたという印象しか持っていない。あの時の日本人がいれば是非聞きたい。あなたたちはいったい何をしにこの草原に来たのか」と。

 先に1939年の「ノモンハン事件」に関する鎌倉英也氏の著書を紹介したが、そこでも明らかなように、わが日本人はモンゴル人の土地でほしいままに振舞い、「大東亜戦争」の敗戦とともに「対日協力者」を顧みることなく、「あとは野となれ山となれ」とばかりに引揚げた。
 今日ニュースによると、アフガニスタンでタリバン勢力が首都に迫ると、日本の外交官らは日本関係の仕事をしていたアフガン人を見捨てて脱出したという。わたしは、わが民族のこのみっともなく罪深いやりかたがまた繰返されたかと残念でならなかった。(2022・01・05)

2022.01.11 戦うアフガニスタンのろう者女性たち

パジュワク通信社が伝える現状(9)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 11月8日から、8回、アフガニスタンのパジュワク通信社の報道する、現タリバン暫定政権発足(8月15日樹立)以来の現状を紹介してきた。9回目のここでは、1月3日に同通信社が報道した“Deafness cannot stop me from progress”の全文(英語)を紹介します。

 フィロズコウ発:特別な学校で教育を受けているゴール州の多くのろう者たちは、障害にもかかわらず、進歩のために戦い続けているが、標準的なクラスがないことに抗議している。
 ゴール州では、26人のろう者を教育するハイスクールが、州都のフィロズコウのグローバル・パートナー・フォア・エジュケーションによって設立された。同スクールでは現在、身体障害者と同州のための殉教者施設内の数教室だけで開かれている。
 16歳のマータブは難聴で、それにも関わらず絵画や他の芸術で才能を発揮している。彼女はフィロズコウに住み、現在高校9年生、トップ・クラスの優等生の一人。彼女は最新の絵画の一つでゴリ王朝を描き、「障害者は不能者じゃない」と語った。なぜゴリ王朝を描いたのかと尋ねると、マータブは「彼らが働き者だから。彼らは王位に達するまで一生懸命勉強しました、なかでもスルタン・ラジアはゴリ王朝の指導者で、最も成功した女性の一人。「私は彼女のことを、すべてのクラスメートや、他の同じ志を持つ人々に伝えたい」と語った。
 マータブは昨年、学校の近くで、自動車爆弾の爆発で目に負傷したが、教育を受け続けた。「私たちはクラスにいました。恐ろしい爆発が起こったのは午前10時ごろ。クラスメート18人が負傷し、とても恐ろしかったです。私も目に負傷しました。でも、学校をやめず、教育を受け続けました。」と語った。

 ろう者のための学校は専用の建物はないし、聴覚障害者の学生は、いくつかの部屋で学んでいる。学生たちは、学校の科目を学ぶだけでなく、英語とコンピューターも学んでいる。
 マータブは、先生たちから専門的なすべての科目を学び、プロジェクターの助けを借りて、コンピューター教育を受けたといっている。
 マータブの兄のザボールは、「マータブは学習と絵画の芸術に大きな才能を持っており、限られた資源にアクセスできただけなのに、貴重な芸術を作ることができた」と語った。
 ザボールはさらに「彼女は勉強と絵画に非常の興味があり、彼女の作品を見ることができます。彼女の障害は決して弱点ではなかったし、常に偉大な芸術を描きます」と重ねた。
 聴覚障害者の学生は、教育のためのグローバル・パートナーに感謝し、彼らがより良い環境で教育を受けられるように、独立した校舎だけでなく、必要な施設を提供してくれるよう、アフガニスタン政府と国際機関によびかけた。
 聴覚障害者学校の二人の教師、ノール・アハマドとハリルは、彼らが持っている資源は限られているが、生徒たちに質の高い教育を提供するために、多くのことを試みていると語った。
 一方、殉教者と障害者の部門の責任者である、アブドル・ハキム・サミールは聴覚障害者のスキルと才能について知っていると述べ、政府や国際機関に、必要な施設を学生に提供するよう要請した。
 「聴覚障害者な能力を持ち、良い人たちです。我々は彼らを助けています。現在、私たちは殉教者と障害者の二つの部屋を彼らと共有しています」と彼は語った。
 フィロズコウ市の高校には、9人の女生徒を含む26人の聴覚障害者がいる。(了)



2022.01.08  二十世紀文学の名作に触れる(20)

『万延元年のフットボール』の大江健三郎――体制批判を貫く良心的な社会派作家
 
横田 喬 (作家)

 大江健三郎さんは、誰もが知るノーベル文学賞受賞の現存する大作家だ。若くして文壇にデビューし、芥川賞受賞の学生作家として名を上げる。「ヒロシマ」「オキナワ」など重いテーマに関心が深い社会派として知られ、護憲運動のリーダーとしても活発に活動した。私は彼とは大学で同窓(東大仏文科)であり、主任教授の故・渡辺一夫先生から共に指導を受けた縁がある。

 渡辺先生は大江さんがゆかり夫人と結婚する折に仲人を依頼され、作品の中にも度々「恩師のW教授」として登場する。ラブレーなど仏ルネサンス文学の実証的研究を確立し、フランスの文学賞や読売文学賞・朝日賞などを受けた碩学だ。不肖私も先生には随分可愛がって頂き、仏文科の懇親会などで盃を交わし合う親密な仲にもなり、望外な幸せだった。本郷の蕎麦屋の酒席だったか、大江さんが少し遅れて参加。「NHKで貰ったんだけど」と謝礼入りの封筒を幹事にそっくり渡す場面に偶々居合わせ、気前の良さに感心した覚えがある。

 学生作家の大江さんは1957(昭和三二)年に文壇的デビュー作の『死者の驕り』を、翌年には芥川賞受賞作『飼育』や長編の『芽むしり仔撃ち』などを立て続けに文芸雑誌に発表する。私はそれらを読むたびに心底強いショックを受けた。文体や言語表現に天性的なみずみずしさが光り、監禁~拘束状態に置かれる人間の閉塞感という共通するテーマにも強い共感を覚えたからだ。持って生まれた才能の違いは恐ろしい、とつくづく羨ましかった。

 彼は35年1月、愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)の商家に生まれた。姉と兄が二人ずつ、妹と弟が一人ずつの七人きょうだいの三男。家は祖父の代までは伊予大洲藩の下級武士だった。旧大瀬村は県庁所在地・松山市から三〇余㌔南方の山村で、四囲を険しい山岳や丘陵に囲まれる人口三百人弱の谷間の小集落だ。

 子供のころ、家の使用人の老女が明治初めに「谷間の村」で突発した一揆話をもごもご語って聞かす。変革をめざす決起は官憲が介入~鎮圧され、あえなく挫折する。健三郎少年は老女の語り口を真似て、遊び友達などを前に生き生きとより巧妙に一揆話を披露し始める。『万延元年のフットボール』など後年の作品に頻出する「谷間の村の一揆譚」の芽生えだ。

 国民学校(今の小学校)五年の45年8月に敗戦。一か月後、彼は急に不登校に陥り、大きな植物図鑑を携え、来る日も来る日も独り森の中で過ごす。戦中の皇国教育は一八〇度転回し、急造の「民主主義教育」へ衣替えする。教室で学ぶ意欲が失せた彼の胸中は、一学年下の私にもよく判る。私の場合、教師~大人不信はこの醜怪な「衣替え」に発している。

 秋の半ば、強い雨で土砂崩れが起き、森に取り残された彼は発熱~行き倒れに。翌々日、村の消防団員が発見~手当てを受け、命を取り留める。彼の諸作品に「森」が神秘的~畏怖すべき存在として登場するのは、この原体験ゆえか。翌々年、誕生したばかりの新制中学へ進んだ直後に新憲法施行。感性の瑞々しい時期に「反戦」「平和」「民主」の理念を感受する。

 彼は60(昭和三五)年に高校時代の親友・伊丹十三(俳優・映画監督)の妹ゆかりと結婚。三年後、長男・光が誕生するが、不幸にも重い頭蓋骨異常を抱え、知的障害を抱えての出産だった。親としての懊悩はいかばかりだったか、想像に余りある。
 光の誕生から間もない同年夏、彼は原爆被災地・広島を初めて訪問する。翌年も広島を歴訪し、月刊誌『世界』にルポ風のエッセイ「ヒロシマ・ノート」を連載し始める。原爆投下によるヒロシマの受難は「アウシュヴィッツを超えるほどの悲惨さでありながら、国際政治のマキアべリズム故にか、決して十分に知られているというわけにいかない」と彼は記した。

 65年に初めて米軍施政下の沖縄を訪ねて以来度々彼の地へ渡り、70年にそのレポート『沖縄レポート』(岩波新書)を著す。沖縄の人々が取り組む苦渋に満ちた反戦の闘いを熱い共感をもって受け止め、「本土とは何か」「日本人とは何か」と根源的に問いつめ、独特の晦渋な口調でこう記す。「今日の日本の実体は、沖縄の陰に隠れて秘かに沖縄に属することに依ってのみ、今かくの如く偽の自立を示し得ているのだ、と透視されるであろう、と」。

 知的障碍児の長男・光誕生の翌64年に著した小説『個人的体験』(新潮社)は疑似私小説ともいうべき構成をとる。障害児を持つ父親「鳥(バード)」が様々な精神的遍歴の末、想像力の助けによって現実と向き直るに至る経過を描き、新潮社文学賞を受ける。以後、障害児との共生を主題とする作品が増えてくる。

 73年に発表した長編『洪水はわが魂に及び』(新潮社)は、「障害児」と「森」と「核状況」を重要なファクターとして設定。東京郊外の森の麓の「核シェルター」に「白痴の息子」と自閉する主人公は首都崩壊を予知。脱出を夢見るが、曲折の末に反社会的集団と手を結び、機動隊を前に自壊していく。私は70年前後の東大安田講堂事件や連合赤軍の浅間山荘籠城事件を連想。感性が鋭敏過ぎ既成秩序と折り合えぬ「未熟児」たちへの挽歌、と解した。

 閉鎖的状況での革命的反抗を描く手法は、前編で紹介した『万延元年のフットボール』も同じ。当時最年少で谷崎潤一郎賞を受け、強い社会的反響を呼んだ。ただ書き出しの辺りの文章が回りくどく難解で読み進むのに閉口し、悪文の典型ではと私は感じた。だが、この彼独特の表現手法が後年のノーベル文学賞受賞の折に、「近代の標準的な日本語の東京方言に対抗し得る「(散文)詩的な言語」として評価されるから面白いものだ。
 周知の通り94(平成六)年、彼は川端康成以来二六年ぶりの日本人二人目としてノーベル文学賞を受ける。受賞理由は「詩的な力によって想像的な世界を創り出した。その世界では生命と神話が凝縮され、現代の人間の窮状を映す摩訶不思議な情景が描かれている」。

 ストックホルムでの晩餐会基調講演で、彼は前回・川端の講演「美しい日本の私」をもじり、「あいまいな日本の私」と題して、
 ――(川端の言う)「美しい」という概念はvague(曖昧)で実体不明な神秘主義に過ぎない。私は日本をambiguous(両義に取れる、曖昧)な国として捉える。
 と述べ、「前近代・日本と近代・西洋ふうに引き裂かれた国」としての日本を語った。

 「社会参加」を信条とする彼は2004(平成一六)年、憲法九条の「戦争放棄」の理念を守ることを目的として加藤周一・鶴見俊輔両氏らと共に「九条の会」を結成し、全国各地で講演会を開催。15年にはジャーナリスト鎌田慧氏と連名で記者会見し、原発再稼働反対を表明する。「今、日本は戦後最大の危機を迎えている」と説き、強権的な「アベ政治」の在り方に強い抗議の念を表した。
  爾後の「森友」「加計」「桜」等々の一連の疑惑をめぐる安倍・菅政権の悪質な欺瞞~居直りに対し、彼はさぞかし怒り心頭の思いだろうと推察する。

 私も欺瞞がまかり通る時代風潮に我慢がならず、せめて一矢をと一昨年秋、『反骨のDNA――時代を映す人物記』(同時代社)という書物を上梓した。登場人物(三六人)のトップ・バッターが大江さんで、内容に誤りがあってはと懸念し、事前にご自宅へ原稿を送付した。折り返し返信があり、「御配慮を頂きましたが、訂正を願いたいところはありません」と丁重な文面。お人柄が偲ばれ、はなはだ恐縮した。ペンの文字は一字一字が大きく躍動的で、いささかやんちゃな気配さえ漂う。この大作家の個性を考える上で、真に参考になった。