2017.08.16 似非毛沢東への道
――八ヶ岳山麓から(231)――

阿部治平(もと高校教師)

この秋の中国共産党19回大会の最大の見どころは、党規約が改定され、毛沢東以来の党主席制が復活して習近平がその座にすわれるかどうかである。
毛沢東の専制政治がいくたびもの悲劇を生んだ反省として、1982年の12回党大会では党主席制を廃止し、政治局常務委員会を最高指導部とした。重要な権限は各常務委員が分担し、政策は多数決によることとし、総書記はその議長とされてきた。現在常務委員は7人。68歳引退の慣習があるから19回党大会で残るのは、習近平と李克強だけである。

習近平は総書記就任以来、反腐敗闘争を名目に目障りな人物を葬り、李克強総理をはじめ他の常務委員の権限をかたっぱしから削って権力を自分に集中した。さらに自身を他の常務委員とは別格の「核心」と位置付けさせ、メディアに忠誠を求め、言論の圧殺を続けている。
最近では、次期総理候補の一人といわれた前重慶市書記の孫政才政治局員の首を切り、代りに側近の陳敏爾をすえた。北京市党委書記となった蔡奇、上海市長の応勇などは習近平のかつての部下である。さらに側近の栗戦書・党中央弁公庁主任の親族の不正蓄財疑惑が香港紙で報じられたが、翌日には撤回されるという不可解な事件があったし、「打虎隊長(腐敗取締)」の王岐山中央紀律検査委員会書記は68歳勇退年限を無視して、次期指導部に留任するのではないかという観測もある。

以下は朝日新聞の報道記事。
「中国共産党の高官が相次いで、習近平総書記(国家主席)の『重要講話精神』を『思想』と踏み込む発言をしている。秋の党大会では、習氏の『思想』が『毛沢東思想』や『鄧小平理論』などと並ぶ党の指導思想として党規約に盛り込まれるかどうかが焦点となっており、注目される。
中国の公式メディアは最近、『習総書記の重要講話精神と治国理政の新理念、新思想、新戦略』といった表現を多用し始めた。国務院新聞弁公室主任(閣僚級)で党中央宣伝部副部長の蔣建国氏は3日、朝日新聞など一部メディアに対し、こうした表現について『すでに完全な思想体系となった』と説明した」(2017・08・08)。

この報道は事実だが、やや遅きに失した感がある。遅くとも去年には「習近平の新理念新思想新戦略」という文言が頻繁に使われていた。たとえば日本の科学研究費助成金(科研費)にあたる「国家社会科学基金」の2017年募集要項をみると、「習近平総書記の一連の重要講話の精神と治国理政の新理念新思想新戦略を深く貫徹し……」とあり、また「とくに習近平総書記の重要講話と18回大会第6回中央委員会総会の精神、とりわけ哲学社会科学工作座談会での(習近平の)講話の精神をめぐって研究テーマを選択するように」といった文言がある。
社会科学基金の支給対象には23の分野があって、それぞれ数十から百数十のテーマが並んでいる。「マルクス主義・科学的社会主義」分野では132項目のうち21項目に、「党史・党建設」分野では108項目中9項目に、「哲学」では95項目中4項目に習近平の名前がある。
「党の18回大会」とか「一帯一路」、「新常態」など習近平の治政と直接かかわる語彙の入ったものを数えると、膨大な研究テーマが習近平関連のものとなる。
たとえば「マルクス主義・科学的社会主義」分野だと、「18回大会以来の習近平同志を核心とする党中央治国理政の新理念新思想戦略研究」とか、「習近平総書記治国理政思想と中華の優秀な伝統文化との関係の研究」といったたぐいである。
この文書は昨年の半ばには稟議されただろうから、イデオロギー分野の習近平への権威づけは、これ以前から人事分野の闘争とともに進んだことがわかる。

もし中共19回大会で毛沢東時代の「主席制」を復活させようとするなら、党規約を改訂する必要がある。現形勢ではそれは可能である。
同規約前文には指導思想としてマルクス・レーニン主義と並んで「毛沢東思想」「鄧小平理論」「三つの代表」「科学的発展観」が列挙されている。「毛沢東思想」「鄧小平理論」には毛沢東・鄧小平の名がある。だが、「三つの代表」は江沢民、「科学的発展観」は胡錦涛のものであるのに二人の名前がない。そこにもし「習近平思想」が入れば、習近平は江沢民や胡錦濤を跳び越えて、毛沢東・鄧小平に並ぶ地位に躍進することになる。

ところで、習近平が傾倒する毛沢東の治政は(1949年の革命勝利まではともかく)、中国経済を破壊し大量の人民の犠牲を生んだ。彼が執着したのは階級闘争をかなめとし、ブルジョア的権利を批判し制限することであった。また商品経済を制限し、分配においては平均主義、人民所有の経営形態を「一に大(大規模の意味)、二に公有制」とした。それはスターリンのおかしな社会主義論の毛沢東による焼き直しだった。
彼は晩年には、革命とは生産力を発展させ貧困を変革して人民が富裕になることとしながら、富裕になれば修正主義=資本主義になるという自己撞着に陥っていた。
しかし中国では、習近平が毛沢東に傾倒しているものだから、かつて党の決議で毛沢東の過ちとした1958年からの大躍進、66年からの文化大革命を、今は「実事求是」の記述をすることはできない。世界中が知っている事実、たとえば大躍進による餓死者を3000万とか4000万としたり、文革によって中国経済が崩壊の危機に直面したと書くことは、「歴史ニヒリズム」とされて非難の対象となっている。

だが、毛沢東をマルクス主義者ではなく、中国史上の専制君主あるいは皇帝としてみたとき、彼はやはり偉大な存在である。下層民から出て天下を取った人物は、毛沢東のほか、漢の劉邦や明の朱元璋などがある。彼らは巧みな戦略と権謀術数、高い部下操縦能力、残虐性をいとわない決断力をもっていた。しかも等しく政権樹立の功臣を難癖をつけて殺した。
だが毛沢東が劉邦や朱元璋といちじるしく異なるのは、なんといっても中国伝統の高い教養をもった人物だったことだ。史書を読み明史に詳しく、その「詩」や「詞」は一流のもので、しかも独特の筆法の書をよくした。鄧小平も江沢民も胡錦濤もこの種の教養がないから、毛沢東に比べればいかにも軽く見える。

というわけだから、中共19回大会で「習主席」が実現しても、ただちに「毛主席」に次ぐ権威を獲得できるとは思えない。「習近平の新理念新思想新戦略」なるものは、いまのところまるでからっぽだ。「一帯一路」や「新常態」は政策や現状説明であって、理念とか思想には到底なりえない。党中央宣伝部副部長の蔣建国が習近平の片言隻句を「すでに完全な思想体系となった」などというのは、ただのおべんちゃらにすぎない。
「習主席」に中国伝統の教養がなかったとしても、いまさらそれを問うても仕方がない。では習近平はどうやったら毛沢東に近づくことができるか。
習近平が毛沢東に傾倒しつつ、いわゆる中国の特色のある社会主義(市場経済という土台の上に立つ一党独裁)の現体制を肯定するなら、それを合理化する理論を打ち立てなければならない。

毛沢東思想と市場経済の、この股裂き状態を統一する理論がうまれるなら、それこそ独創的な「新思想新理論」と世界が認めるだろう。それができなければ、「習主席」は「毛主席」流の専制支配をやるだけの権力亡者、歴史上は下手な喜劇役者として終るであろう。「中国共産党主席」もなかなか一筋縄では参らないのである。

2017.08.15 世界各地では原発廃炉盛ん
脱原発の潮流 逆行する日本の原発再稼働

隅井孝雄 (ジャーナリスト)

 BSのワールド・ニュースを見ていたら、F2(フランスのテレビチャンネル)で、「(フランスは)2015年までに原発17基を閉鎖することを検討している」とのニュース(7/11)に接した。これまで私は、フランスは原発大国だという認識しかなかったが、それが覆された。
 私はそこで、改めて日本の原発再稼働や、フランスを含む世界の原発の状況を調べてみた。以下そのレポートである。

 日本、再稼働続々、高浜原発3号、4号が運転開始
日本では九州電力の川内原発1号機、2号機が2015年8月と9月に再稼働して以来、四国電力伊方原発3号機が2016年8月に再稼働して、原発の再稼働運転がジワリと進み始めた。
大津地裁の仮処分で止まり、大阪高裁で承認をえた関西電力高浜原発3号機が2017年6月7日、4号機が6月16日、相次いで営業運転を開始した。これで営業運転は、川内1,2号機、伊方3号機と合わせ、5基となる。さらに2017年7月現在、関西電力5基、九州電力2基に再稼働許可が出ており、審査中の原発は14基もある。日本は再び原発大国への道を歩むことになる。高浜は私の住む京都府の至近原発であり、事故があれば琵琶湖を含む京都府内の広範囲な放射能汚染の可能性も否定できない。

関電、安全対策に巨額の費用
関西電力は今回の高浜3号機、4号機の稼働で、料金を引き下げるといっているが、実は未稼働原発の維持や、再稼働のために巨額な費用が必要だ。関電全11基の安全対策分析委託費、廃棄物処理費などどの維持費は2015年度だけで2996億円だったという。高浜3,4号機の安全対策費には2300億円かけた。この費用は電気料金に含まれているため、世帯当たり年間7000円負担したことになる(朝日新聞6/17の試算)。
朝日新聞の報道によると、今秋には大飯3,4号機の運転が計画され、以降も5基を動かすことが想定されている。これら安全対策にかかる費用は8300億円と見込まれているがこれに加えて、飛行機突入などの「特定重大事故対策施設費」(特重費)が必要とされるため、加えれば1兆円を超えると試算されている。

韓国、脱原発政権誕生
韓国には現在25基が稼働中、5基が工事中、4基が建設準備中だ。ところが脱検発を公約したムン・ジェイン(文在寅)大統領が誕生、大きく状況が変わった。すでに「韓国水力原子力社」が建設準備中の2基の設計を中止、6月18日には最古の古里原発1号機が運転中止した。さらに建設から30年経過した月城1号機の稼働停止を求めた住民訴訟に対し、ソウル行政裁判所は稼働延長を取り消す決定を下している(2/8)。現在ソウル高裁で審理中だが、まもなく決定が出るとみられる。ソウル発の共同通信によれば、6月19日、停止した古里原発を訪れた大統領は「新規の原発計画は全面的に白紙にする」と脱原発宣言した。

台湾国会で脱原発可決、ベトナムは日本原発発注を中止
台湾では3か所6基の原発(その内2基が停止中、1基が点検中)があるが、蔡英文政権が提案した脱原発の電気事業改正法が今年1月11日に立法院で可決成立、2025年までに原発の運転をすべて中止、再生エネルギーを普及拡大することが決まった。
ベトナムでは、ロシアと日本にそれぞれ2基の原発を発注していたが、財政事情の悪化と市民の環境意識の高まりから、2016年11月、日本およびロシアへの発注を両方とも取りやめることを決めた。
日本の安倍政権はベトナムで成功すれば、アジアにおける原発輸出のモデルと勢い込んでいたが、思惑倒れに終わった。

スリーマイル原発廃炉決まる、原発閉鎖次々、採算見込めず
アメリカではコスト面から原発閉鎖の方向が見えてきた。5月30日、米電力大手、エクセロン社が、スリーマイル島原子力発電所(ペンシルバニア州)を2019年に閉鎖すると発表した。1979年に2号機が炉心溶融事故を起こした、あの原発である。2034年までの運転認可を持ち、事故後も1号機が稼働していたが、シェールガス、石油などの価格の下落で競争力を失った。採算に合わないとして閉鎖が決まった。
アメリカでは2013年から16年にかけて、6基が閉鎖した。稼働中の原発は57事業所99基あるが、2021年にはニューヨーク市近郊のインデアンポイント原発が閉鎖することが決まっている。スリーマイル原発を含め今後5年間で5基が廃炉となる。

ベルギーで老朽原発閉鎖求め、5万人の人間の鎖
ドイツで2011年7月、福島原発事故の直後、当時17基稼働していた原発原子力発電を2022年末までに全廃することを決めたことはよく知られている。そのドイツと接するベルギーでティアンジュ、ドール2基の老朽原発の停止を求めて6月25日、ヨーロッパ各地からの5万人が参加する「人間の鎖」行動が行われた。
ロイターの報道によれば、ティアンジュ原発のある、ベルギー東部のユイからリエージュを経由、オランダのマーストリヒト、ドイツのアーヘンを結んで90キロにわたった。
両原発は2015年に廃炉となるはずだった老朽原発だが、ベルギー政府が25年まで延長を認可したことで、周辺国のオランダ、ドイツでも不安が広がっていた。

 フランス、原発17基閉鎖か?
 原発の全廃を決めたドイツの隣国のフランスは、原発大国として知られる。しかしエマニュエル・マクロン内閣の閣僚となった、二コラ・ユロ、エコロジー相が7月10日、「2005年までに原発17基を閉鎖するつもりだ」と発言したことが、衝撃を呼んでいる。フランスには現在58基の原発があり、電力の77%を供給している。
 エネルギー相の発言は、2025年までに原発依存を50%にするためには17基~20基の原発を廃止する必要がある、との会計検査院の勧告を受けたものだと「フランス2テレビ」は伝えている。フランスは前オランド大統領の政権下で、原子力依存度の削減を打ちだしていたが、マクロン新大統領の政権は、それを一歩前へ進めるのかもしれない。
 フランスの原発依存度は全エネルギーの77%に達しているが、政府は50%まで引き下げることを当面の目標としており、再生エネルギーを大幅に増やすことを計画している。
フランス新政権の原発削減の方針に、フランス原子力公社は反発しているため直ちに17基削減は実現しないという見方もある。

(本稿は2016年6月12日に京都コミュニティーラジオFM79.7の放送原稿に、その後8月初旬にかけて加筆、修正を行った)

2017.08.14 「習近平思想」ってなんだ?―正念場の習近平 3
新・管見中国(28)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 この秋の中国共産党全国大会(第19全大会)で自身を毛沢東、鄧小平に直接連なる、つまり江沢民、胡錦涛というつなぎの指導者の3人目ではない、終身的な指導者に位置づけようとする習近平の動きを、これまでイメージ作戦と軍事演習閲兵にまつわる動きの2回に分けて見てきたが、今回はもう1つ「習近平思想」なるものが形成されそうなので、それを取り上げたい。
 中国共産党は革命政党として発足し、政権奪取後も共産主義社会を建設するという明確なイデオロギー的目標を抱えている(あるいは「いた」?)から、思想的バックボーンなしというわけにはいかない。
現行の党規約(2007年改正)では第三条の「党員は次の義務を履行しなければならない」の後の(一)には次ぎのように書かれている。
「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と『三つの代表』という重要な思想を真剣に学習し、科学的発展観を学習し、党の路線、方針、政策と決議を学習し、党の基本知識を学習し、科学、文化、法律および業務の知識を学習し、人民に奉仕する能力を高めること」
マルクス・レーニンは「主義」で、毛沢東は「思想」で、鄧小平は「理論」と、言葉が使い分けられているが、これはおそらくマルクス・レーニンの唯物史観は全世界に普遍的に当てはまるから「主義」、毛沢東は中国という一国の革命の「思想」、鄧小平はその中国の改革開放の「理論」というわけで、適用範囲の広さの順位で区別されているものと思われる。
次の「三つの代表」というのは江沢民が唱えたものだが、前三者と並べられてはいるものの格は落ちるということで名前抜き、次の「科学的発展観」は当時の現職の総書記、胡錦涛の考え方だが、前四者とは切り離して、単独でかつ名前抜き、かつ「学習」の前の「真剣に」という副詞を削って、重要さに違い(?)を付けていると思われる。
面倒な話にお付き合い願ったが、これを前提にしないと、今日のテーマはご理解いただけないと思われるので、ご勘弁願いたい。
つまり、今、中国のあちこち、つまり各レベルの指導者の発言や新聞雑誌の文章に「習近平思想」という言葉がちょくちょく出てくるのは、この秋の党大会で規約を改正して、前期の文章にそれを書き込もうというプロパガンダなのである。そしてその狙いは習近平という名前の後に「思想」の2文字を付けている点にある。
現行規約では江沢民、胡錦涛の2人は唱えた考え方は書き込まれたが、名前はない。「習近平思想」となれば前任2人とははっきり差がつく。おそらくこれを画策している人間たち(習自身を含めて)の意図は、差をつけるだけでなく、前任2者の「三つの代表」と「科学的発展観」はこの際、削除して、「マルクス・レーニン主義」「毛沢東思想」「鄧小平理論」「習近平思想」という並びにしようということなのである。
 なんのためにそれが必要か。習近平は江沢民、胡錦涛と違って、2期10年間総書記を務めたあと、「はいお次と交代」となって引退するような指導者ではなく、まあ大げさに言えば、「終身最高指導者であるべき人間だ」ということを広く国民に浸透させるためだ。
 確かに習近平は1953年6月の生まれだから、今年秋の第19回党大会の5年後、2022年の第20回党大会でもまだ69歳。前任の胡錦涛が引退した時の70歳、江沢民の76歳に比べれば若い。しかし、辞めたくない理由はそれだけではないはずだ。
 習近平は周知のごとく、最高指導者に上り詰めてから、党内の腐敗不正の摘発を大規模に進めてきた。王岐山を中央紀律検査委員会の書記(トップ)に据えて、「トラもハエも」、つまり大物も小物も区別なしにやり玉に挙げた。一番の大虎として前期の中央政治局常務委員、つまりトップ9人の1人だった周永康に始まって、次いで政治局員(トップ25人)の1人だった薄熙来、また前総書記の側近中の側近だった令計画と続き、さらに軍のトップである中央軍事委員会副主席(主席は習近平)の徐才厚、郭伯雄の2人と、「刑不上大夫」(刑罰は高官に達せず)という中国の伝統を打ち破る綱紀粛清ぶりを見せた。
 しかし、中国の党・政府官僚の腐敗ぶりは、俗に「不反腐亡党、反腐亡国」(腐敗を取り締まらなければ党が滅ぶ、取り締まれば国が亡ぶ)と言われるほどに蔓延している。槍玉にあげられた人々の腐敗は事実だろうが、ほかの人々がすべて潔白とはとても言えない。摘発が公正だったとは考えられない。摘発されたものと逃れたもの、そこには政治権力をめぐる争いが反映していたはずだ。
 だから習近平は辞められないのだ。彼の腐敗摘発が前例のない広範なものであっただけに、つまり高位に上り詰めたもの同士の「互いにみて見ぬふりをする」という暗黙の了解を無視しただけに、自身が辞めた後の反動を考えれば、彼が終身、権力を手放したくないと考えるのは極めて自然だ。
 昨年秋の党中央委員会総会(六中全会)で、自らを党中央の「核心」の地位に置くことを決議させたのもそのためであったはずだが、そんな中途半端な形では退任後の身の安全は保障されない。
 そこで毛沢東、鄧小平という、したことは正反対ながら確固とした指導者像を民衆の中に残している2人を継承する人間として、現在の地位に留まるためのいわば勲章が「習近平思想」なのである。毛沢東が「思想」、鄧小平が「理論」とすれば、習近平「思想」は鄧小平より上位の毛沢東とならぶ地位を示すとさえ受け取れる。
 それでは習近平の「思想」とはいかなるものか。毛沢東思想は「毛沢東選集」全5巻、文革中の「毛沢東最高指示」にまとめられており、『矛盾論』『実践論』『中国革命の戦略問題』など、それこそ思想の名にふさわしい質と量を備えている。
 鄧小平の『理論』は「鄧小平文選」もあるが、毛沢東の死後、国全体が茫然自失に陥っていた時に、「金もうけは大いにやれ」「外資を恐れるな、国を思い切って開放しろ」「資本主義だ、社会主義だ、とうるさいことを言うな」などなど、あたかも天の啓示のごとくに民衆を奮い立たせた言葉として、人々の記憶のなかにある。
 今、中国のマスメディア、特に新華社、人民日報、中央電視台といった党中央と一体となったメディアはほぼ毎日、トップ・ニュースは習近平の動静であったり、発言であったり、である。それは文革中の毛沢東の扱いを思わせる。
 しかし、その内容は驚くほどに無内容である。もっとも習近平だけを批判するのは公正を欠くので、前任者の江沢民、胡錦涛のそれをまず一瞥しておこう。
 まず江沢民の「3つの代表の重要思想」とはこういうものである。
 「中国共産党は終始一貫、中国の先進生産力の発展が要求するもの、中国の先進文化が前進する方向、中国の最も広汎な人民の根本利益を代表し、それらはわが党の立党の本、執政の基、力の源である」
 一読しただけでは何を言っているのか分からない。要するに中国のなんでも優れたもの、重要なものは共産党のものだ、というのである。具体例として当時言われたのは、成功して金持ちになった民営企業家は先進生産力の発展が要求するものとして、中国共産党への入党を認める、ということであった。優れた芸術作品も共産党があればこそ、国民が喜ぶことは全部共産党のおかげ、というわけだ。
 次に胡錦涛の「科学的発展観」。
 「人間が本(もと)、を堅持し、全面的、協調的、持続可能な発展観を樹立し、経済社会と人との全面的発展を促進する」。そして「都市と田舎、地域間の発展、経済社会の発展、人と自然の調和のとれた発展、国内の発展と対外開放の要求、これらを総合的に進める」
 要するにバランスを考える、の一言である。胡錦涛の時代は21世紀のほぼ最初の10年、北京五輪や上海万博など発展の一方で格差、腐敗など矛盾も拡大した。そこでバランスを考えようというのだった。胡錦涛はまた「和諧社会」、調和のとれた社会、を提唱し、これは「和諧」号という特急列車の愛称として今も残っている。
 さてそこでいよいよ「習近平思想」である。といっても、まだその内容を示すフレーズは明らかにされていない。ただ「四個全面の戦略配置」「五位一体」という2つのスローガンが中心となるだろうと言われている。
 その「四個全面の戦略配置」とは「全面的に小康社会を完成させ、全面的に改革を深め、全面的に法による治国を推進し、全面的に厳しく党を治める」であり、「五位一体」とは「経済建設、政治建設、文化建設、社会建設、生態文明建設」である。
 要するに「あれもこれも」というだけで、「思想」と呼べるほどのものではない。わずかに「四個」の最後に「厳しく党を治める」というのが、彼の独裁願望を映しだしている。
 まあ、これから彼の側近の祐筆たちがこれに尾ひれをつけて「思想」に仕上げるのだろうが、元がこれではどんなものができるか。もっとも逆にこんな安っぽいスローガンからどんな「思想」が生み出されるか、その技量が見られるとすれば得難い機会ではある。
(17・8・8)
2017.08.13 「本日休載」
 
今日 8月 13日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会


2017.08.12 安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(9)
―「受け皿」論は序の口である―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《まだ「高い」と言っているのか》
 「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の続きはどうした。読者にそう言われた。
最近の調査で安倍晋三内閣の支持率は暴落しているではないか。
たしかに、2017年8月3日の内閣改造後、支持率は平均して一桁の回復を示したがそれでも不支持率が上回っているし、安倍首相が信用できないという意見は増加している。決定打は加計問題だ。首相の説明に納得できない人の比率は80%に達している。閉会中審査を恥とも思わず、稲田や加計や虚言官僚の出席さえ拒んでいる。

意地を張る気はないが、どう見ても安倍内閣の命運は「詰んで」いて、本来なら総辞職して当然である。それなのに、30~40%もの「高い支持率」を保っている。だから私は「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の看板を下ろす積もりはない。

メディアは商売―視聴率や読者数―を考えて、安倍批判の言説をマブしているが、報道のベクトルは安倍政局の日程問題に横滑りして、真の対立軸や政治理念の問題に触れる様子はない。

《保守二大政党論と受け皿》
 私は2009年に起こった民主党の政権奪取は、結局は二大保守独裁体制の開始だと考えてきた。それには敗北主義であり冷笑主義だという批判もあった。勿論、民主党リベラルが、いくらかの改革を実現したことを評価しないわけではない。

鳩山由紀夫内閣成立後、約100日間の新聞一面には、新政権への期待感が大きな活字で踊っている。暇のある読者は当時の縮刷版でも一覧されるがよい。しかし沖縄普天間基地の「最低でも県外へ」論すら、外務官僚に騙された鳩山首相が、対米交渉のテーブルに置くことはなかった。政治は結果がすべてである。だから私は鳩山政権の失態を弁護するつもりはないが、あの政権の一部・一時期に燃えていた「対米自立」や「社民的政策」の志にいたるまで、蔑視して盥から流すのは、公平でないと思っている。

民主党政権の首相だった野田佳彦も、「都民ファースト」の小池百合子も「保守政治家」を自称している。しかし野田・蓮舫は「受け皿」たり得ず、小池百合子は受け皿たりえた。「受け皿」とい言葉の意味を吟味して使わねばならない。
我々も馴らされているメディアのいう「受け皿」とは、自民党別働隊の謂いである。公明党・日本維新・民進党の大半が受け皿の現役および予備軍である。今後、自民が割れての政界再編まで見通すのが「受け皿」論議の本質である。

二大政党の対峙、二大政党による政策競争、二大政党間の政権交代。冷戦終結を機に、我々が自覚も乏しく信じてきた「二大政党」の実態は、日本においては「一党独裁プラス優しげな補完勢力」部隊であった。日本だけではない。米・英・仏という先進民主主義国でも、二大政党は崩壊し、混濁と流動と分断の世界が示現している。

《リアリズムの戦いが始まる》
 戦後72年の今になってそんな迷いごとをいうのか。
そうである。仕方がないのだ。我々は課題への対決を延ばしに延ばしてきたのだから。

「大日本帝国憲法」の復活=対米隷従の国家主義。あるいは「日本国憲法」に拠る戦後民主主義の新生。我々は、今後数年のうちに、国際社会のリアリズムのなかに、このいずれかを、命の危険まで考えに入れて、選びとらねばならぬことになるだろう。無論、昔と同じ帝国でも戦後と同じ民主制でもない。

30年にわたるゼロ成長、国際比較での諸指標の地盤沈下、高齢者が半分になろうとする人口動態、各階層にわたる貧困者の急増。原発問題の行き詰まり。こういう環境が、選択の前提となるのである。幕末維新や大東亜戦争敗戦に匹敵する困難に我々は直面しているのである。(2017/08/07)

2017.08.11 次から次へと出てくる森友・加計疑惑の新事実
安倍内閣改造は政権浮揚につながらない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 安倍内閣改造直後の数日間、マスメディア各社による世論調査が一斉に行われた。調査実施日は、毎日、読売、日経、共同通信が8月3、4日、朝日が8月5、6日だ。内閣改造後の内閣支持率の動向は、各社によって相当の違いがあるとはいえ、いずれの結果も支持率が若干回復し、その分だけ不支持率が減るという傾向を示した。安倍政権は、これでひとまず内閣支持率が下げ止まり、「V字型」とまではいかないが、今後は着実に回復できると期待しているようだ。

 だが、いずれの調査においても不支持率が支持率を上回っていること、及び支持する理由が「これまでよりもまし」「ほかに適当な人がいない」といった相対的理由であるのに対して、支持しない理由が「首相が信頼できない」という絶対的理由である点が注目される。いわば、安倍内閣の支持基盤が不安定で流動的であるのに比べて、不支持を表明している世論の方がより確かな社会基盤を形成していると言っていいだろう。

 加えて、内閣改造後から次々と森友・加計疑惑に関する新事実が出てきていることも注目される。8月4日には森友学園(前理事長)の籠池夫妻が昨年6月、近畿財務局との国有地売買契約をめぐる交渉で、地中からごみが新たに出てきたと難癖をつけ、損害賠償請求をちらつかせて「0円で買いたい」(タダでよこせ)と要求していたことが発覚した(毎日新聞、8月4日)。

このやりとりをめぐる生々しい録音は、フジテレビでも流れた。妻の諄子容疑者が担当者に対して「鬼!」と怒鳴り散らすなど激しい剣幕で迫り、財務局側が土壌改良費としてすでに1億3200万円がかかっているので、それ以下では売れないとひたすら言い訳していたのが印象的だった。また、籠池容疑者が近畿財務局担当者に「ぐーんと下げていかなあかんよ」と求めたのに対して、担当者側は「理事長がおっしゃる0円に近い金額まで、私ができるだけ努力する作業を今やっています」などと応じている(朝日新聞、8月5日)。要するに籠池夫妻容疑者は、昭恵首相夫人の存在を「葵の御紋」にして近畿財務局を恫喝し、最終的には土壌改良費に僅か200万円を上積みしただけのタダ同然の価格で国有地を手に入れたのである。

既にそれ以前においてもNHKのスクープによって、近畿財務局が森友学園に対して「いくらなら出せるか」として事前交渉していた事実も発覚している。財務省の佐川理財局長(現国税庁長官)は今年3月、衆院財務金融委員会で「財務省が価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と答弁しているが、それが「真っ赤なウソ」であることが動かぬ証拠で明らかになったのである(朝日新聞、8月5日)。佐川氏は先月5日に国税庁長官に就任しているが、恒例の就任記者会見をいまだ開けないまでに追い詰められている。

次いで8月6日には、政府の国家戦略特区ワーキンググループ(八田達夫座長)が2015年6月、獣医学部新設提案について愛媛県と今治市からヒアリングした際、加計学園関係者が出席して質疑にも答えていたにもかかわらず、内閣府が公表した議事要旨には加計学園関係者の名前も発言内容も一切消されていたことが発覚した(朝日新聞、8月6日)。8日には、愛媛県がヒアリングの内容を非公開にすることを希望したとの部分が削られ、議事要旨が改ざんされていたことも明らかになった(同、8月8日)。ワーキンググループは7日、今後公表する予定の詳細な議事録においても、加計学園側の発言は「公式発言ではない」として掲載しない方針であり、ヒアリングの速記録についても「用済みになったので、今は存在しない」(破棄した)としている(同)。

 八田座長は今年7月、衆院予算委員会でワーキンググループは、「議事を公開している。一般の政策決定よりはるかに透明度の高いプロセス」であり、「一点の曇りもない」と言明した。安倍首相も今月3日、内閣改造後に出演したテレビ番組で「国家戦略特区ワーキンググループの議論はすべてオープンになっている」と口裏を合わせた(朝日新聞、8月6日)。しかし疑惑の渦中にある加計学園関係者の発言はおろか出席自体も議事録から抹殺しようとする動きは、まさに国民には「臭いものに蓋をする」行為だと眼に映る。「李下に冠を正さず」どころか、「盗んだ李を隠す」ような行為だと思われても仕方がない。

 今回の各紙世論調査の中で、私が注目したのは朝日新聞の結果だ。内閣支持率は、前回7月調査の33%から35%へ、不支持率が47%から45%へとほぼ横ばいで変わらなかった。これは他の各社の調査実施日が改造直後の8月3、4日だったのに対して、朝日はその2日後に調査をずらしたことの影響だろう。改造直後はニュースが溢れているので何だか内閣が変わったような印象を受けるが、3日目、4日目となると事態の構造が冷静に見えるようになる。その結果、内閣支持率があまり動かなかったのだ。

 加えて、加計学園に関する質問の中で、「加計疑惑が晴れた」6%に対して、「疑惑は晴れていない」が83%に達したことも注目に値する。「今回の内閣改造は、安倍政権の信頼回復につながるか」との質問に対しては、「つながる」26%、「つながらない」55%だったことも同様だ。つまり、加計疑惑(森友疑惑も含めて)を100%解明しない限り、安倍首相に対する信頼は戻らないのである。

 安倍首相が改造後の記者会見でお詫びの言葉を神妙に並べるのもよい。10秒近く頭を下げるパフォーマンスもいいだろう。でも、国民はもう騙されないと思った方がいい。世論調査の結果を素直に読めば、「論より証拠を示せ」とみんなが思っているのである。その目の前で凝りもせずに百日一日の如く「森友隠し」「加計隠し」を続ければどんな結果が待っているか、誰もがわかっているはずだ。「わかっちゃいるけど止められない」のであれば、国民に引きずり下ろされるだけの話なのである。

2017.08.10 中国人の批判精神は健全である
――八ヶ岳山麓から(230)――

阿部治平(もと高校教師)

中国では、近頃次期国務院総理候補だった重慶市の中国共産党書記・孫政才氏が罷免されました。代って重慶市党委書記となった陳敏爾氏、すでにその職に就いた蔡奇・北京市党委書記、応勇・上海市長らはみな習氏の腹心です。
「腐敗問題を解決しなければ党が滅び国が滅ぶ」という名目の権力闘争、習近平総書記への権力集中がまた一歩進んだといえそうです。とりわけ習氏の思想言論統制は厳しく、いささかの批判、異議申立ても許さない。
中国では六月初め、「ネット安全法」を施行してインターネットの規制を強めました。ネット運営者に利用者の個人情報などの提供を義務づけ、当局にはネット上の情報を削除する権限が与えられ、企業秘密などのデータが当局につつぬけとなる恐れもでてきました。それどころではありません。国民にスパイ行為の通報を奨励する「密告制度」も始まりました。
こうしたことは、8月2日の本ブログ田畑光永氏のお説のとおり、習近平氏の不安、緊張、焦燥を表わすものかもしれません。
8月3日のニュースだと、中国のインターネット・騰訊社提供の人工知能(AI)が、ユーザーとの対話で「共産党は無能」「中国の夢は米国への移住」と共産党批判をやって、騰訊社があわててAIのサービスを停止する騒ぎがありました。AIも旺盛な批判精神を学んだものと思われます。
当局の厳重な規制の隙間から、ゲリラ戦もどきにメッセンジャーアプリの「微信」WeChatなどに批判、いやみ、くすぐりが登場します。もちろんあっという間に葬られますが、じつにたまですが、「佳作」がちまたに流れて生き残ることがあります。
以下、そのひとつを要約紹介します。作者不明で、この一文にも「急いでほかの人に送って!」という叫びと「サーバーは法違反の内容に注意」という当局の文言がついていました。( )内は阿部。

「土下座と宦官の復活を強烈に要求する」
作者不明

この頃ある人がネット上で、「人民が役人に出会ったら土下座する」制度の復活を要求した(以下「土下座制度」という)。私個人としては、非常に優れた提案だと思う。
土下座は奴隷根性そのものじゃないかと非難したり、中国の歴史や古典を忘れて、奴隷根性という言葉にケチをつけたがる奴がいるが、どうかしているといわざるを得ない。
昔はもちろん形だけだったかもしれないが「土下座制度」があった。現在だって民衆は、役人をみると自分から頭を下げて身を避ける。そのうえ役人の言葉をことごとく「指示」とか「領導」とかと受止める。つまり現在でも、人は内心では役人にひざまずき頭を地につけているのである。奴隷根性!
だから「土下座制度」が実施されると、ひざまずくという外形と心理的内容とが高度に統一され、天下晴れて土下座ができるのである。そのうえひざまずくのはいささか面目ないと思っている者は、自分への言いわけが得られる。
この制度を受入れられず、自分は公民だとか国の主人公だとかほざくトウヘンボクがいる。こいつらには頭を下げてひざまずくか、さもなくば頭を落されるか、どっちか選べと教育すべきである。

わが中華民族(正確には漢民族)は竜の子孫だ。竜とはそもそも何であるか?それは皇帝であり天子である。もし脳みそのどこかに反骨とか反皇帝とか反天子の考えをもつ奴ががあるとすれば、皇帝は非常にお怒りになる。したがって奴隷根性のない奴は大国賊だ。ひとたび皇帝のお怒りに触れればどうなるかは、いまや全国民が知るところとなっている。これをこいつらにしっかりわからせるべきではなかろうか。
これとは逆に、もし君に奴隷根性があると判断されれば、これはもう表彰ものだ。君はものがわかった人として出世の可能性がある。たとえ出世できなくても、少なくとも御身は安全である。

もうひとつ。中国の男女問題を論じて、どうして宦官制度を復活させないんだと、皮肉っぽくいう人がいた。なるほど!名案だ!
しかし、私は皮肉ではなくまじめに、ただちに宦官制度を復活させるよう強く要求したい。理由は以下のとおり。
第一、竜の子孫ということから申し上げる。竜には人がお仕えする必要がある。だって竜が一人で飯を食ったり、便器を洗ったりはできないんだから(むかし人々は部屋でおまるを使った)。誰が竜にお仕えするか。これには宦官が最適だ。
人は表向きとは違い、いやしい下心というものをもっている。しかし宦官は男でもなければ女でもない、ご主人様あるのみだ。ところがご主人様にはあまたの妻妾がある。美しきこといずれアヤメかカキツバタだから、宦官でなかったら安心できない。たとえご主人様が安心したとしても、私ごときものでも、何かやらかすのではないかと自分が心配になる。だが去勢された人を見よ。実に清潔、安心ではないか。

第二、宦官は我国の国粋的存在である。民族はその才あって初めて世界的存在になり得る。世界各国の歴史を調べても、宦官制度があるのはわが民族だけだ。よその国でも、たまたま人を去勢することはある。だが、制度にはなっていない。
乱臣賊子どもが騒ぎ立てて大清帝国が滅亡に至ったとき、かくも優れた宦官制度も葬り去られた。これぞまさしく中華民族の一大損失といわざるを得ない。
いまや機は熟した!我々がやらねばならぬのはこの国粋的存在を復活させることだ。それだけでなく、声を大にしてこれを世界に提唱し広めることだ。宦官制度を中華料理や漢方医薬同様、国家を代表するものとすることである。

第三、宦官は権力への忠孝両全の代名詞である。テレビに登場する宦官をご覧あれ。ご主人様に対しては従順で、必ず「奴才(ヌーツァイ、やつがれ)」と自称し、なにかといえばひざまずくではないか。諸兄姉よ、子供が父母にこのようにするのを見たことがあるか?
宦官には魏忠賢(明末、国家の実権を握り恐怖政治を敷いた悪辣宦官)のようなワルもいるが、それはごく少数だ。冷静に見れば宦官の主流はやはり善良だし、信頼のおけるものだ。我々が忠孝の精神を追い求める以上は、宦官制度を回復すべきである。

第四、宦官制度は当面する我国男女の性のアンバランスを正常化するに最も適した制度だということである。詳述できない理由で、公式数値では我国男女の性比率は現在大いにバランスを失うに至った。なにしろ結婚適齢男性は女性よりも何千万も多いのだから。
このように多くの男が女房をもてないとなると、これは重大な社会問題だ。売買春がいたるところに生れたのは必然である。女郎買なくして男の楽しみがどこにあろうか。もっとも出世成功した人は数名の女性をひとりじめしているが……。

くりかえすが、現在この問題の一挙両得の解決方法は宦官制度だ。かりに全中国何千万の男が自ら去勢して主体的に宦官になれば、この問題は自ずから解決する。政府が断固この政策を展開すれば、わが宦官制度の優越性を世界に示すことができる。

最後に宦官になろうとする人々にお勧めする。お急ぎあれ。わが国は人が多い。何をやるにも競争が激しい。早ければ早いほどよい。いまや宦官になるための医学上の条件は良好である。手術は簡単で痛くはない。手術してさっぱりしたら女を買う必要がなくなる。万が一うまくいかなくたって、少なくとも去勢の方法を知ることはできるというものだ。(2017・8・3)

2017.08.09 核兵器禁止条約に不参加の日本政府を糾弾
被爆72年の「8・6広島」を歩く

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 8月6日は、米軍機が広島市に原爆を投下してから72年。この日を中心に、今年も広島では原爆の犠牲となった人々を悼む慰霊の行事や、核廃絶を求める集会が繰り広げられた。酷暑の炎天下、全国から多くの人々がこれらの行事や集会に集まったが、核兵器を全面的に禁止する核兵器禁止条約が国連で採択された直後とあって、行事や集会では、この条約をめぐる議論が熱を帯び、条約採択を歓迎する一方、条約の交渉会議に参加しなかった日本政府を批判する声が相次いだ。
2017広島 037
8月6日朝の原爆ドーム

 昨年の「8・6広島」は、オバマ米大統領の広島訪問直後とあって、各種の行事、集会での焦点は「オバマ大統領の広島訪問をどうみるか」一色だった。今年は、一転して核兵器禁止条約をめぐる論議が盛んだった。広島は、その時々の国際情勢に敏感に反応し、議論を通じてつむぎ出した「広島の訴え」を世界に発信してきたわけである。

 核兵器禁止条約は、7月7日、ニューヨークで開かれた国連の会議で122カ国(国連加盟国の6割)の賛成により採択された。その内容は「条約締結国は、いかなる場合も、核兵器の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵のほか、核兵器やその管理の移譲、核兵器の使用、使用するとの威嚇、核兵器を自国内に配置、設置、配備することを行わない」とするもので、核兵器を全面的かつ厳密に禁止する画期的、歴史的な条約とされている。今年9月20日から国連加盟国による署名が始まり、署名国が50を超すと発行する。
 条約交渉会議を主導したのは非核保有国や非同盟諸国で、米、露、中、英、仏のほか、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮などの核保有国と、米国の「核の傘」に自国の安全保障を委ねる日本やNATO(北大西洋条約機構)加盟国は交渉会議に参加しなかった。

 6日に平和記念公園で開かれた広島市主催の平和記念式典。紺碧の空から強烈な夏の日差しが照りつける中、被爆者、国連と80カ国の代表、各都道府県別の遺族代表、一般市民ら約5万人(広島市発表)が参列した。参列者数は前年と同じだが、参列者は今年も式典会場からあふれ、平和公園を埋め尽くした。親子連れ、小・中・高校生の参加が目立ち、ヒロシマが若い世代に受け継がれつつあることを強く印象づけた。
 松井一実・広島市長は「平和宣言」の中で核兵器禁止条約に言及し、「国連では、核保有国や核の傘の下にある国々をのぞく122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は『核兵器のない世界』に向けた取組を更に前進させなければなりません」と訴え、さらに、「特に、日本政府には、『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う』と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求めた。
2017広島 029
広島市主催の平和記念式典の会場を埋めた人たち

 日本原水爆禁止協議会(原水協)の原水爆禁止2017年世界大会・国際会議は8月5日、国際会議宣言を採択したが、そこでは、核兵器禁止条約を「被爆者と世界の人々が長年にわたり熱望してきた核兵器廃絶につながる画期的なものである」と高く評価しつつ、「被爆国である日本政府が、核兵器禁止条約への参加を拒んでいることに、被爆者をはじめ失望と憤りが広がっている。我々は日本政府が、アメリカの『核の傘』から脱却し、すみやかに条約に調印することを訴える」と書き込んだ。
 
 4日開かれた原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の「被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会」開会総会で、あいさつに立った川野浩一議長は、冒頭で核兵器禁止条約問題に触れ、「あろうことか、唯一の戦争被爆国である日本が、米国の要請で条約交渉会議に参加しなかった。安倍首相は、いったいどこの国の首相なのか。日本政府がとった行為を見て、70年余にわたる我々の核廃絶の訴えは何だったのかと悲しくなった。今こそ、日本国民は怒りをもって米国の『核の傘』から脱却しよう」と述べた。

 核問題に詳しい秋葉忠利・元広島市長は「被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の分科会で講演したが、その中で「これまで核兵器の使用は、道徳(モラル)の面から論議されることが多かったが、核兵器禁止条約が国連で採択されたことにより、これからは、核兵器の使用は国際人道法の原則に反する法律違反行為とみなされることになる。核兵器禁止条約の意義はここにあり、核保有国と『核の傘』依存国を追い詰める有効な手段になりうる」「核兵器廃絶はいまや射程距離に入った。ここまで来れたのは世論の力だ」と話し、「日本がこの条約に参加するには政府が署名し、国会が批准することが必要だ。だから、これからは国会議員が問題のカギをにぎる。国会議員に条約の批准を働きかけよう」と訴えた。

 同じ分科会で講演した湯浅一郎・ピースデポ副代表は、核兵器禁止条約締結後の核兵器廃絶運動の具体的課題、とりわけ米国の「核の傘」から脱却するための運動課題として「東北アジア非核地帯化」を挙げた。日本、韓国、北朝鮮、それに米国、中国、ロシアを加えた「東北アジア非核地帯構想」は決して夢のような話ではなく、実現可能だと力説した。

 6日に開かれた、核兵器廃絶をめざすヒロシマの会など共催の「8・6ヒロシマ国際対話集会――反核の夕べ2017」では、核兵器禁止条約交渉会議に参加した川崎哲・ピースボート共同代表が条約をめぐる経過と条約の概要を報告し、「条約は、核は悪であると明確に規定している。これは、条約に背を向けた核保有国に政治的・経済的圧力となるだろう。なぜなら、核兵器開発が国際人道法に違反するということになると、銀行はそれに金を貸すだろうかと思うからだ」と述べた。
 
 5日に市民グループが開いた「8・6ヒロシマ平和のつどい 2017」は「市民による平和宣言」を採択した。その中で「私たちは安倍首相の退陣を強く要求します」としているが、その理由の一つに集団的自衛権容認の閣議決定、強権的な沖縄米軍辺野古新基地建設、第5空母航空団の厚木から岩国への移転、がむしゃらの原発再稼働、「共謀罪法」の制定などとともに「核兵器禁止条約への敵対」を挙げている。
2017広島 025
広島の市民グループが開いた集会に参加した長崎の高校生たち

 そのほか、私が会った広島市民の中には、「日本は被爆国なのに、日本政府は国際社会の流れに背を向けて、核兵器禁止条約に参加しない。被爆国の国民として世界の人々に対しなんとも恥ずかしい。そうした政府を支持している日本国民が少なくないことを思うとやりきれない」と語る人もいた。

 こうした動き対して安倍首相はどう対応したか。
 首相は広島市主催の平和記念式典であいさつしたが、その中では「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」と述べるにとどまり、核兵器禁止条約には言及しなかった。そして、式典後の記者会見で「核兵器禁止条約は、核兵器国と非核兵器国の立場の隔たりを深め、核兵器のない世界の実現をかえって遠ざける。わが国のアプローチと異なる」として、「条約に署名、批准はしない」と明言した。
 
 日本の核兵器廃絶運動は、果たして日本政府の核政策を変えることができるだろうか。そう思いながら、広島を後にした。

2017.08.08 「美しい国」造りにはモラルが必要なのです

宮里政充(もと高校教師)

1 総裁選で安倍総理が訴えておられたのが「戦後レジームからの脱却」と「美しい国」でした。「戦後レジームからの脱却」とは、日本が敗戦後六年八カ月もの間、連合軍に占領されていた時代にできた憲法を含む体制から脱却して、名実ともに日本が主権国家に生まれ変わるということです。

2 安倍政権下で「美しい国」を旗印としたとき、正直いってそれほどピンと来ませんでした。しかし、自民党が下野して民主党政権による不道徳極まりない政治を見せつけられると、いま一度「美しい国」という旗を立てるべきではないか、そして道徳的政治とは何か、有道、有徳の国のかたちを具体的に国民に示すべきではないかと思っています。

 上記の1・2の文章は稲田朋美著『私は日本を守りたい』(PHP研究所・2010・7・7刊)からの引用である。続いて、かなり長くなるが、櫻井よしこ著『気高く、強く、美しくあれ』(小学館・2006・8・20刊)から著者個人による日本国憲法改正案の一部、「憲法前文」を引用する。

 日本国は緑深い山々と豊かな海に抱かれた美しい国土に、国民統合の象徴である天皇を戴き幾十世紀もの悠久の歴史を積み重ねてきた。
 自然を畏敬し、命あるもの全てを慈しみ、穏やかな精神文明を育んできた日本民族は、ひとりひとりの国民を大切にし、人の和を尊んできた。上も下も睦びて人の和を以て国柄の基本となしてきた。
 遍く行きわたる教育によって国民は自らを律する倫理観を身につけ、秀れた文化を生み出し、産業を興し、比類なく豊かな社会を築いてきた。現在の日本国は、幾百世代もの昔からこの祖国を築き守ってきた先人たちの心の結実であり、日本国民は、日本を日本たらしめてきた日本文明を、未来世代にたしかに伝えていくものである。
 また日本国と日本国民はこの独立を自らの手で守るものである。正義と平和を実現し、それらを支える勇気と責任の醸成を以て、責任ある国家及び国民の使命と位置づける。日本国と日本国民は、自然を尊び人の和を基調とする日本文明を以て、二十一世紀の国際社会と人類のために貢献するものである。
 日本国民の至高の意志により、日本国の未来への決意を、ここに新しい憲法をもって宣言する。

 いまこの二人の文章を読んでみると、いわゆる右派の論陣を張る人たちが標榜する「美しい国」のイメージがある程度想像できる。そしておそらくそのイメージは稲田氏や安倍総理大臣をはじめとする「日本会議」のメンバーが共有している国家像なのであろう。ただ、櫻井氏の文章には戦争という悲惨な事実がすっぽり抜けているので、歴史のリアリティー感が薄い。特に沖縄で戦火をかいくぐって生き延びてきた私としては「それってどこの国の歴史なの?」と問いたくなる。そもそも「美しい国」造りを目指すにはその国造りの担い手(為政者)がまず美しく凛としていなければなるまい。さもなければ自分の倫理的な低さを棚にあげて上から目線で高圧的に強要してくる、つまり人間として最も恥ずかしく、「美しくない」姿を国民の前に露呈させることになるからだ。そうなれば主権者である国民はそういう為政者には政権の座から降りてもらうという行動に出る。当然のことだ。

 それにしても日本を「美しくしたい」人たちの美しくない言動には辟易する。教育勅語を暗唱し「安倍総理大臣がんばれ」と声をそろえる子供たちに感動の涙を流し、系列学園の名誉校長にまでなった昭恵夫人は自分の身に批判の目が向けられるようになってからずっと沈黙を守り続けている。櫻井よしこ氏はじめ、学園の講師に招かれた右派の論客たち(百田尚樹氏、青山繁晴氏、田母神俊雄氏、曽野綾子氏、渡部昇一氏、八木秀次氏ら)の誰一人として籠池氏夫妻を弁護しない。もちろん、詐欺罪で逮捕された籠池氏夫妻をかばうのはリスクが大きすぎるかもしれない。しかし、たとえ夫妻が罪を犯しているとしても、森友学園の建学の精神に賭けて何らかのコメントを発することはできないものなのだろうか。森友学園は今後経営困難に陥り廃校に追いやられるかもしれない。「そんなこと私には関係ない」という対応は果たして美しいのか? 稲田朋美氏は弁護士なのだから籠池夫妻の弁護を引き受けてはどうだろう。そうすれば彼女を凛とした美しさを備えた人間として認めよう。

 東京都議選の結果が出る前までの安倍総理の言動には目に余るものがあった。傲慢で、強権的で、野党のみならず国民を見下し欺く。その姿は美しい国のリーダーとしては最もふさわしくない、むしろ美しさとは真逆なものであった。私はテレビの画面でその姿を見るにつけ、ストレスがたまり、何か決定的な鉄槌を下す者はいないかと期待し続けていたものだ。その思いは私だけではなかったことが間もなく証明された。国民・都民はバカではないのである。

 日本が美しい国であることを望まない国民は一人もいない。櫻井よしこ氏の「憲法前文試案」を私は全否定するつもりはない。だが、氏が提唱する「美しい日本」を実現するにはその実現を担おうとする人たちに、人間的な力、倫理、モラルが恐ろしく欠けており、そういう人たちに将来の国づくりを任せるわけにはいかないと思う。あるいはそう思う私のほうこそ愛国者なのかもしれないではないか。(2017.8.2記す)

2017.08.07 異例づくめの閲兵から読み取れるもの―正念場の習近平 2
新・管見中国(27)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 8月1日は中国軍の、より正確には中国共産党軍の建軍記念日である。1927年のこの日の夜、江西省南昌で共産党員による最初の武力蜂起が起こった。それ以来、今年で90年である。その記念日を前に7月30日、習近平は中央軍事委員会主席として12000人の兵員が繰り広げた訓練とデモンストレーションを閲兵した。
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中国の閲兵といえば一昨年の9月3日、抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利70周年を祝う大がかりな軍事パレードが北京で行われたことが記憶に新しい。外国首脳の参加という面では、この時はロシアのプーチン、韓国の朴槿恵、両大統領が目立ったくらいで、やや寂しかったが、中国軍ご自慢の最新鋭兵器をそろえたり、抗日戦争を戦った老兵たちが参加したりと、盛沢山のプログラムで、初めて車上から閲兵した習近平も大いに威信を高めた(はずである)。
あれからまだ2年足らずなのにまた閲兵とは異例である。このほかにも今年の閲兵にはいろいろ異例があった。今回はそれに立ち入ってみたい。
中国というと閲兵大好きな国と思われるかもしれないが、じつはそんなにしょっちゅう軍事パレードをやっているわけではない。これまでで16回だそうである。それも建国何周年といった節目の年に行われるのが通例である。一昨年は第二次大戦終結50周年、これも節目といえば節目であった。
今年の閲兵は前回から2年しか経っていない上に、そういう名分がない。従って、まずこれが異例の第1。そして場所。恒例の北京・天安門広場ではなく内蒙古自治区の「朱日和訓練基地」という砂漠のように乾ききった平原の訓練場である。地図で見ると、北京の北西方向、直線距離で400キロほどのところである。広さはアジア最大の演習場ともいわれる。これが異例の第2、である。
次が規模と内容である。場所が場所だから、ということもあろうが、参加兵員12000という規模は、通常の華やかな大パレードに比べると、10分の1くらいである。その内容もお決まりの軍楽隊や儀仗兵の姿はなく、基地で訓練中の部隊を中心にもっぱら質実剛健、中でも初参加の陸軍ヘリコプター強襲部隊が編隊飛行から現場に着陸、降り立った隊員が地上に展開するところまで実演したのが目を引いたという。
また規模は小さくとも登場した兵器の40%は初登場ということで、テレビの中継画面には何度もモザイクがかかったそうである。こうした規模と内容が異例の第3。
ところで中国共産党の最高指導部は中央政治局常務委員会を構成する7人である。トップは総書記の習近平、以下、首相の李克強ほか各方面をつかさどる6人が順位に従って続く。この7人は個別に地方視察や外国に出ているような場合は別として、公の場に出る際には全員そろって登場するのが通例である。
ところが今度の閲兵には習近平が1人だけで参加した。一昨年9月の場合は、閲兵とメインスピーチは習近平だったが、全体の司会進行係は首相の李克強が担当と、役割を分けていた。今回は習近平だけで、ほかの首脳の姿はなかった。習の単独参加を異例の第4、としておこう。
もう1点、細かいことを付け加えれば、閲兵に臨んだ習近平が参加した兵員と同じ軍装、迷彩服を着ていたことである。中国では軍は党(共産党)の指揮に従うのが鉄則とされている。西側諸国の「文官統制」の中国版とでも言うべきか。したがって閲兵する方まで軍装では軍と党との関係がはっきりしなくなってしまう。2年前の北京の閲兵では習近平も詰襟の中山服(中国の正装)で閲兵した。迷彩服で閲兵を今回の異例の第5、としておこう。
さてこれらの「異例」をどう読み解くか。と言ったところで、中国のことだから掌を指すようなわけにはいかない。誤りと判明すれば、頭を下げることにして、以下に私の解釈を申し述べる。
まず時期と場所。今年の7月30日には万人が納得する理由はない。とすれば、これは習近平の都合に違いない。どんな都合か。前回も述べたように、習近平はこの秋(日取りは未定)の中国共産党第19回全国大会で、総書記に再選されて、あと5年の任期に入るといった、予定通りでは満足せず、昨年の「核心」に続いて、特別な地位、ベストは任期無制限の「主席」の地位を目指していると見られる。それがうまくいくかどうかは、今後2,3か月の党内暗闘にかかっているが、そのために今回の閲兵が必要であったのだ。
じつは前例がある。1981年9月、「人民解放軍華北大演習」というのが行われた。14日に始まり、最終日の19日に閲兵式が行われた。閲兵したのは鄧小平、場所は今回と同じ「朱日和訓練基地」(当時はこの名前は公表されず、「華北某地」と報道された)である。
当時の事情を詳しく述べることは控えるが、毛沢東の死、「四人組」の逮捕を受けて、復権した鄧小平は「改革・開放」路線を推し進めると同時に、自らは党主席にも首相にもならず、政府では副首相にとどまりながら、党と国家の中央軍事委員会主席の座について軍を掌握した。その鄧小平が自らの権力を固めたのが、「華北大閲兵」であったのだ。この閲兵には華国鋒、胡耀邦、趙紫陽、李先念ら当時の最高指導部が同行し、その前で鄧小平はカーキ色の軍服に身をつつんで閲兵した。このころから鄧小平は「中国の最高実力者」という、非公式ながら、誰もが知る称号で世界中から呼ばれるようになるのである。
習近平はこの鄧小平の行動を手本としていると見れば、今度の閲兵はまことに分かりやすい。ただ、異例の3,4,5は鄧小平とはやや違う、というか、そこには習近平独自の事情が反映されている。
習近平の独自色を出した異例の3は規模と内容である。とくに新型兵器を繰り出したことには特別の意味がある。習近平は2年前の前回の閲兵では軍の人員を30万人削減するという目標を打ち出して、驚かせたが、この年の11月から本格的に軍の改革にのりだした。その目的は、徐才厚、郭伯雄時代の積弊を清算して、習自身の言葉によれば「呼べばすぐ来る、来ればすぐ戦う、戦えば勝つ」軍隊に作り替えることであるが、一言で言えば、古い人民解放軍の陸軍中心の組織から近代的な軍隊への脱皮であった。
具体的には陸・海・空3軍を並立させ、その上に統合参謀部が置かれ、また以前は「第二砲兵部隊」といういかにも臨時組織のような名称だったミサイル部隊が「ロケット軍司令部」として3軍とならび、さらにサイバー部隊を示すと思われる「戦略支援部隊司令部」が新設された。
また全国を7つに分けていた旧「軍区」を5つの「戦区」に統廃合し、それぞれに3軍とロケット部隊を配属して(内陸戦区には当然海軍はない)、組織的に縦横を有機的に結び付けることにした。
こういう改革を進めると同時に30万人のリストラを進めたわけだから、それなりの抵抗もあったはずだが、それへの代償が今回披露された新兵器の開発、配備であったろう。それは頼りになる軍のトップというイメージの確立に役立ったはずだ。
こう考えてくれば、異例の第4、つまり習近平が1人で現れた意味も分かりやすい。軍を司どるのは中央政治局ではなく、軍事委主席たる習近平なのだということを形に表したものだ。この閲兵によって、軍との関係では習近平とその他の6人とは大きな差ができた。
習近平が迷彩服を着たのも兵員との一体感を強調するためであったろうし、閲兵の際、型どおりに習が兵員に「同志諸君、ご苦労!」と呼びかけ、それに対する兵員の答えが型どおりの「首長、好!」(「首長」は階級、職名でなく、指導者を示す普通名詞)でなく、「主席、好!」(「主席、ようこそ!」)であったのは、くどすぎる演出であった。
以上が7月30日に行われた習近平の閲兵が持つ意味についての私の見方である。中国のことは、内実がはっきりしないことが多いのだが、これは比較的単純なので、そう的外れではないと自分では思っている。
中国共産党第19回大会までなお3か月近くある。物語はまだまだ続く。(170802)