2018.08.22 今年の8月も頑張ったNHKの戦史報道の数々

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

昨年も書いたが、今年の8月もNHKの戦史報道の数々に感動し、知らなかった事実を教えられた。報道された番組は見落としもあるとは思うがNHKスぺシャル(Nスぺ)「祖父が見た戦場」(11日)、「悪魔の兵器 原爆なぜ誕生 科学者の闇」(12日)、Nスぺ「戦争孤児の戦い」(12日)、Nスぺ「ノモンハン 責任なき戦い」(15日)、ETV特集「自由はこうして奪われた」(18日)、Nスぺ「届かなかった手紙」(19日)・・・いずれも番組制作に携わったNHKスタッフと参加、協力した人々に心から慰労したい。少しでも多くの太平洋戦争を経験してない人々、とくに若い人々には、これらの番組で伝えられた戦争の歴史、戦争がどれほど非人間的な、残酷な国家の行為であったことを、改めて知ってほしいと思う。
これらの報道をたぶん私以上に視ていた、文化・メディア界に詳しい友人の藤野雅之さんが、司馬遼太郎さん、半藤一利さんとのかかわりも含めて、今年のNHK戦史報道について書いてくれたので、以下に転載します。

NHKスぺシャル「ノモンハン 責任なき戦い」
―司馬遼太郎も「書きたい」が「書けない」と言い残す
藤野雅之(元共同通信記者)

 NHKスペシアルの「ノモンハン 責任なき戦い」を見ました。よくできた番組だと思いました。
 NHKは安倍寄りの姿勢が目立って、批判も多いですが、そういう姿勢は報道局で目立っています。いまの名前がどうなっているのか知りませんが、番組制作局にまでは会長の目は届いていないようで、昔からのNHKらしい、ジャーナリズム精神がまだ生きていると思います。
 朝日などに対してもそうですが、NHKとか朝日とかの全社が政権寄りになっているような批判が世間で目立ちますが、きちんとしたジャーナリズム精神を維持しようと頑張っている人たちがいることも当然です。そういう批判は安倍シンパのネトウヨたちの主張の裏返しで、敵の手中にハマってしまうことにもなり、危険です。
  批判するなら、どの記事が問題だ、と具体的に挙げて批判すべきで、良いところは具体的に挙げて褒めるべきです。その意味で、NHKの番制局はよく頑張っていると思います。

 ところで、ノモンハンについては、NHKスぺシャル「ノモンハン 責任なき戦い」でも触れていましたが、司馬遼太郎さんが「書きたい」と言いながら「書けない」と言い残して、亡くなりました。私も直接付き合いがあって、聞いたことがありましたが、よく言っていたのは「統帥権」問題です。要するに、軍部や関東軍内で天皇の「統帥権」についての認識がどうだったのかがよくわからない、という面もあったのではないでしょうか。
 この問題も含めて、私が最近読んで感銘を受けたのは半藤一利著『ノモンハンの夏』(文春文庫)です。軍部や関東軍の内部の動きを詳しく追究しています。ご一読をお勧めします。

 ところで、半藤さんは私の好きな人で、今年が「明治維新150年」に当たり、長州人の末裔の安倍が大々的に礼賛しようとしていたのですが、半藤氏らの明治維新批判が影響力を持ち始めたのか、薩摩や長州に対する批判的な見方が一方で静かに広がっているように思います。
 半藤さんは東京生まれですが、祖母は長岡の出身で「明治維新に際して、官軍は長岡藩の財産を奪った泥棒集団だった」と薩長を批判し続けるのを子供時代によく聞いた、と言っています。それが彼の薩長を批判する史観の元になっているようです。
 私も薩長は大嫌いで、吉田松陰は、琉球、朝鮮、中国、シベリア、千島、太平洋諸島、東南アジアを侵略すべきだと「留魂録」に書いています。この思想を受けて日清、日露の戦争をしたのが、山縣有朋や伊藤博文たちです。伊藤はテロリストだったし、山縣は長州人であることを武器にのし上がった軍人です。また明治になって最初に政府が議論したのが「征韓論」です。
 明治は開国という面では近代化を進めましたが、帝国主義的な侵略国家の道を歩みだしたのは、松蔭の教えを受けた長州人たちのゆえで、半藤さんはこの点で厳しく薩長を批判しています。
 薩長が日本の近代を歪めたのですが、その間違いをいまも正すことが出来ていないのです。安倍は吉田松陰を尊敬すると公言し、その思想をいまも踏襲しているのではないでしょうか。ノモンハンの無責任は、いまの安倍政治の無責任に生き続けていると思います。
 それから、司馬遼太郎さんはどうも長州好きだったようですね。長岡藩の河井継之助も描いたが、長州人を主人公にした小説も多いです。最近、司馬さんに対して批判的に見るようになりました。ただ、高名な人たちは誰も司馬遼太郎を批判しませんね。(了)
2018.08.22 ■短信■

「反戦二部作」の短編映画を上映

 「反戦二部作」と銘打った短編映画が、東京・渋谷の映画館で上映されることになりました。映像作家・中川究矢さん(39)が昨年つくった『カマキリの夜』(23分、反戦二部作東京編)と『アメリカ』(22分、反戦二部作沖縄編)の2本です。中川さんは、この2編の監督・脚本を務めました。
 『カマキリの夜』は、ファンタスティックホラー映画で、祖父を戦争で亡くした右翼の男性が、戦争へ導くものに対し怒りを爆発させるという物語です。今年3月、北海道夕張市で開かれた「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018」で上映されました。
『アメリカ』は、人生の再出発の瞬間を描いたスピリチュアルな映画で、久しぶりに会った沖縄出身の若者2人の会話を通して沖縄がこれまで直面してきたさまざまな問題、例えば米軍基地、無縁仏、戦後復興などの問題を浮き彫りにしています。

 とき:8月25日(土)は18時15分から、8月26日(土)~31日(金)は21時から

 会場:アップリンク渋谷
東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル  電話03-6825-5503

 料金:当日・web予約共に一律1400円
                                   (岩)
2018.08.21 暑くて~死にそうだ
韓国通信NO567

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

二週間ほど原因不明の高熱に苦しんだ。何もしたくない、何も考えたくない。まるで生きる屍みたいにブラブラと暑い日を過ごした。血液検査で白血球の異常な数値が確認されたが、病院が夏休みに入り、そのまま体温計と「ニラメッコ」する毎日を過ごした。幸い二日前から平熱に戻ったが、これも原因不明のままだ。
熱が上がりそうなニュースばかりでイライラが続いた。オウム事件の死刑囚13人全員の死刑執行を聞いて全身から力が抜けていくような虚脱感にとらわれた。犯罪は許しがたいが、国による報復、死刑執行に対する息苦しさと恐怖。死刑執行前夜の首相や法務大臣たちの酒宴は悪魔たちの「祝杯」だった。大逆事件(1911年 幸徳秋水ら12名が処刑された冤罪事件)が思いだされる。わが国は再び「恐怖政治」に突入したのか。死刑執行の政治性、非情な国家の残虐性に身震いした。

<世界の大勢は死刑廃止>
 世界の趨勢は死刑制度廃止に向かっている。死刑について私たちは他人事(ひとごと)、情緒的に考えてきたようだ。わが国は国連から再三にわたって「死刑執行の停止と廃止」を求められてきたが、政府は「世論」を理由に死刑制度を存続させてきた。国民の「せい」にする政府も情けないが、政府の死刑制度存続を支えてきたのは私たちだという一面は否めない。
世界198ヵ国のうち全面廃止国106ヵ国。事実上廃止をしている国 (韓国は死刑制度があるが執行をしていない) を含めると142ヵ国が事実上死刑を廃止している。さらに先進国OECD加盟国36ヵ国では日本とアメリカを除く34か国が死刑を廃止している(但しアメリカの19州が廃止、4州が執行停止)。わが国の「独自性」は、人権問題で非難の対象としてきた中国・北朝鮮「並み」ということになる。今回の死刑によって事件を闇に封じ込めたという指摘も多いが、死刑制度そのものについてもはや本質的な議論が避けられなくなっている。

<首相にふさわしい人>
安倍の総裁三選が、既定の事実のように連日報じられた。熱がいっこうに下がらないはずだ。自民党内の「安倍人気」と国民の意識のズレは、低い内閣支持率を見ても明らかだ。自民党の「おごり」と人材不足もここまできたのか。私たちと無関係に進められる総裁選びを見ていると、心底「民主主義って何だ!」「これが日本の民主主義なのか!」と叫びたくもなる。
指をくわえて見ている「あほらしさ」。この際、自民党内の総裁選びとは別に、一国のリーダーにどのような人物がふさわしいのか、国民的な議論を巻き起こす必要がある。「安倍か石破か」という議論よりよっぽど日本の将来のためになる議論のはずだ。それをマスコミに期待したいところだが、まず市民たちで議論を始めるしかない。
こんな人が首相になればいいなと夢想したひとたちがいる。残念ながら立憲民主党の枝野代表も日本共産党の志位委員長も浮かばなかった。
その中のひとりは沖縄県の翁長知事だった。本当に残念なことに急逝してしまった。沖縄県自民党幹事長だった翁長氏の知事就任後の活躍と発言は私に感動を与え続けた。これまで政治家に感じたことがない発言の重さと行動力に心から敬意を抱き続けてきた。
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県民の願いを実現しようと奮闘し、沖縄に対する差別に異議を唱え、中央政府と鋭く対峙した。注目すべきは、辺野古新基地反対という地域問題から始まり、国民(県民)を無視した上から目線の民主主義と、平和を脅かす政府の安全保障政策に警鐘を鳴らし続けてきたことだ。終生、親米姿勢に変りはなかったが、対米従属姿勢を続ける売国的な安倍政権とは違う「愛国者」であり続けた。アメリカ政府の「良心」に期待をつなぎながらも県民の辺野古基地反対運動の先頭に立ち続けた。物流、観光、文化を中心とする脱基地沖縄の未来図(青写真)を提示し、反基地運動を越えてアジアの中で注目された平和主義者でもあった。米朝首脳会談後も「制裁」を主張し迷走を続ける安倍首相と比較しながら、世界のマスコミは早すぎた突然の死を惜しんだ。

非核・平和を訴えた田上長崎市長も光った。診察を終えて待合室のテレビが目に入った。浮かない顔の安倍首相に続き平和宣言をする田上市長に釘付けになった。
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アメリカの核抑止力に依存して、世界の核廃絶に躊躇する日本政府に対する厳しい抗議。静かな口調のうちに心を込めて非核化の努力を政府に求め、不戦を誓った平和憲法の精神を引き継ぐことを訴えた。核兵器禁止条約に参加しない釈明に終始した安倍首相とは対照的に、市長は長崎市民の核廃絶への思いと活動を紹介して、次の世代に「平和の文化を残そう」と結んだ。
ここでも明らかだろう。欺瞞に満ち溢れた安倍首相にもはや日本の未来を託せない。翁長氏と田上氏に共通する平和への強い意志と人間に対する信頼と愛はみじんも感じられない。
元日本遺族会会長、自民党の幹事長を務めた古賀誠氏が自分の戦争体験から憲法9条は宝だ、それを投げ捨てようとする自民党議員たちの「劣化」を語ったのも印象に深い。自民党の「ドン」といわれ、私には得体の知れない人物だった古賀氏の発言にも感動した。
「真夏の夜の夢」のような取りとめのない話になってしまった。悪夢を見ているような安倍政権がこれからも続くと聞かされては本当にたまったものではない。

<これは必見。NHKガンバル>
千葉県館山にある「かにた婦人の村」を作家の小林エリカさんが訪れ、天羽道子さん(91)にインタビューした。婦人施設の入居者に従軍慰安婦だった日本人女性がいたことがきっかけで「従軍慰安婦鎮魂碑」があることで知られる。女性であるが故に蹂躙された被害に日本人も韓国人も変りはないが、加害国である日本が事実を認めなければ悲劇は繰り返されると天羽さんが積年の胸の内を語った。10億円を出してすべて「解決済み」と思いがちな私たちに真の反省とは何かをあらためて感じさせる。
8月22日(水)NHK Eテレ「ハートネットテレビ」13時5分から再放送される。安倍首相周辺や右翼による妨害が予想される。NHKの良心と抵抗を感じさせるドキュメンタリーだ。

2018.08.20 なんとお久しぶり「世論による監督」が復活
報道統制緩和? それにしても、なぜ今ごろ?
新・管見中国(41)


田畑光永 (ジャーナリスト)

 注目を集めている「米中貿易戦争」は7月6日から双方が相手の輸出品目340億ドル分に追加関税25%の徴収を始めたのに続いて、8月1日、トランプ大統領が第2弾として新たに160億ドル分に同じく25%の追加関税を23日から徴収することを発表し、中國側も直ちに同様の措置を取ることを明らかにした。その23日が迫る中で16日、両国政府は22日と23日の両日、ワシントンで両国間の交渉を再開することを決めた。
しかし、今回は双方の主席代表ではなく次席級による交渉なので、大きな進展は望むべくもなく、むしろ、双方は11月にでも国際会議の場をとらえてトランプ・習近平の首脳会談を模索すると伝えられているので、そのための下交渉になるのではないかと見られている。
となると、米はさらに攻勢の第3弾として2000億ドル分の中国からの輸入品に25%の追加関税をかけることを明らかにしており、対抗して中国も米からの600億ドル分の輸入品への5~25%の追加関税を徴収する構えなので、首脳会談の実施のめどと並んでその第3弾が実施されるかどうかが当面の注目点である。
 この大国どうしの応酬はそれぞれの国内に相応のインパクトを与えているはずであるが、前回も述べたように現代の貿易構造は複雑だから、こういう影響が現れたと一言で表現することはまだできない。今のところ目につくのは中国側で株安が続き、上海総合指数は先週末にかけて2年7か月振りの安値をつけ、人民元もまた下落の一途をたどっていることと、対照的に米経済は好調でNYダウも上げ潮に乗っていることであるが、いずれも複数の要因の集積されたものであるから、一概の貿易戦争の影響とは言い切れない。
 ただ、中國国内で、あるいは米との貿易「戦争」と関係があるのではないかと見られる動きがいくつか目につくので、今回はそれを紹介したい。
 ご存知の方も多いと思うが、中國では7月の下旬から8月中旬にかけて、党・政府の現役幹部と引退した長老たちが河北省の北戴河という海浜の保養地に集まる習慣がある。そこでは勿論、公式の会議などは開かれないが、現・元幹部たちが顔を合わせるわけだから、さまざまな問題についての意見交換が行われ、時には人事など機微に触れる問題での根回しなども行われると言われている。
 さて、今年は?というと、この北戴河の季節の直前にちょっとした異変があった。それは共産党の最高幹部、7人の政治局常務委員中の序列第5位、王滬寧の活動が伝えられなくなり、同時にそれまでは毎日、判で押したように新華社も『人民日報』もトップ・ニュースは習近平モノであったのが、そうでない日も散見されるようになったのだ。
 王滬寧という人は1955年10月生まれの62歳。上海の名門、復旦大学の国際政治学部教授から法学院長へと学者の道を歩んでいたところを、当時の江沢民主席に見出されて1995年に共産党の中央政策研究室政治組組長となり、党の中枢で理論面を担当するようになった。そして、江沢民引退後も後継の胡錦濤、習近平に重用されて、昨年の党大会で現在の高位に就いた。
現在の職務は中央書記処書記、中央政策研究室主任、中央全面深化改革指導小組事務室主任を兼務しており、共産党の頭脳と言っていい。今年春の全人代で憲法を改正し、国家主席の任期(2年)を廃止して、習近平に長期政権への道を開いたのも彼が主導したものと見られている。
 その王滬寧が一時的にせよ表に出なくなったということは、このところの習近平政治に批判の声が上がり、その矢面に彼が立たされているという状況が想像される。さて、それにはどんな筋道が考えられるか。
 じつはいずれも報道だけで未確認情報なのだが、6月12日に公安当局(警察)から「習近平同志の写真やポスターをすべて撤去せよ」という通知が出され、すぐにそれが取り消されたとか、7月初めには江沢民、胡錦濤、朱鎔基、温家宝といった長老たちが連名で「経済・外交政策の見直し」を求める書簡を党中央に出したとか、の話が流れた。
 それから党の中枢部とのつながりはなさそうだが、6月4日には上海の女性が「独裁専制政治反対」と叫んで、習近平のポスターに墨をかけ、それを自ら撮影して、ユーチューブに投稿した事件があり、また6月末には陝西省の社会科学院が、文化大革命時代に同省の梁家河という村に習近平が下放して働いていた当時のことを研究して、新しい伝説を作ろうと「梁家河大学問」というプロジェクトを計画し、それが上層部から中止させられたという出来事もあった。
 そうした中で注目されるのは、8月16日、本ブログに阿部治平氏が紹介された清華大学法学院の許章潤教授による「当面の怖れと期待」と題する堂々たる習近平批判の一文である。この文章が許教授のまったく個人的なものか、あるいはなにがしか政治的背景があるものなのか、まだ分からないが、いずれにしろこの一文を含めて様々な動きが出てきたということは、習近平だけを傑出した存在として際立たせる王滬寧の政治宣伝手法が当面の恰好の標的となったのではあるまいか。
 それを裏付けるような動きとして、北戴河の集まりの前後から、各地の地方幹部が「世論による監督」という言葉を使うようになったのが目につく。
いずれも香港のメディアが伝えたものだが―
7月23日、山東省の党委員会の会議で書記(省のトップ)の劉家義が省内のニュース・メディアに対して「世論による監督」に力を入れるようにと発言した。
8月8日、浙江省党委の機関紙『浙江日報』一面下段の「一線調査」という世論による監督のコラムで初めてある地区の違法事象を取り上げたところ、それが直ちに是正された。
8月11日、海南省の沈暁明省長が省内の各メディアとの座談会で「世論による監督と成果を正面から宣伝することはコインの表裏の関係にあり、どちらも重要だ」と述べ、海南省政府に「世論監督促進小組」を設置し、メディアが監督しやすい雰囲気をつくり、メディアが真に政府の耳目となって、キツツキの役目を果たせるようにしたいという考えを表明した。
 「世論による監督」という言葉をなぜそれほどまでに大げさに・・・といぶかる向きもあろうかと思うが、じつはこれは「党の喉舌」とならんで、中國のマスメディアにとっては極めて重要なキーワードなのである。
 「党の喉舌」とは読んで字のごとく、メディアは党の喉であり、舌であって、党の意思を伝えることを最大の任務とするという意味である。それに対して「世論による監督」とは党の施策がきちんと実行されているかどうかなどを民衆の立場に立って監視するのも、メディアの任務であることを示す言葉である。
 中國においては、権力の中央への集中が強調される時期には、メディアには「党の喉舌」としての任務が強調され、党の統制が緩んで、ある程度自由な言論が飛び交う時期には「世論による監督」が前面に出るという関係にあった。
習近平体制下では2016年2月に習自身が新華社や人民日報社を視察に訪れて以来、もっぱら「喉舌」が強調され、メディアは党中央と同一の立場に立って、その代弁を務めることが求められてきた。
したがって、ここへきて各地で思い出したように「世論による監督」が指導幹部から持ち出されるのは、なんらかの北京における風向きの変化を反映するものと見てよいのではないか、というのが、この一文の趣旨である。
前述したように、米との貿易「戦争」の行方はまだ不明だが、1970年代末に鄧小平が改革・開放政策に踏み切って以来、中國は米と協調関係を保つことを国策の優先課題としてきた。それは台湾との関係や南シナ海の問題での外国の態度、行動に対する中国政府の対応が米とその他の諸国では基準がまるで違うところに如実に現れている。他国がすれば目くじらを立てることでも、米なら見て見ぬふりをするか、形ばかりの抗議ですますことは傍目にも明らかであった。
したがって、米との関係が現在のように緊張したことは、そのよって来る所以はともかく、やはり「習近平の失点」と見る流れが表面化してきたのではないか。これまで「習一強体制」への流れの強さに、首を傾げながらも声を上げられなかった人たちが「禁!習批判」の呪縛から解放されたのではないか。そしてその矛先は、「一強」の雰囲気づくりに邁進した宣伝部門、そのトップである王滬寧への風圧となったのではないか。
いずれも、「・・・ではないか」の推測ばかりで、自分でも書きながら気が引けるが、これからの中米交渉、また秋には恒例の共産党中央委員会総会が開かれるはずだから、それらを見る上での下準備として、頭の片隅にとどめていただければ幸いと思う次第。
2018.08.19 「本日休載」

今日 8月 19日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会


2018.08.18 広島の演劇集団が群像劇『河』の京都公演へ
被爆直後の峠三吉らの苦闘を描く

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

「ちちをかえせ/ははをかえせ……」の詩で知られる広島の被爆詩人・峠三吉(1917~1953年)と、その仲間たちの敗戦直後の活動を描いた群像劇『河』が、広島の演劇集団の手で9月の8、9両日、京都市北区で上演される。演劇集団はこれを昨年12月の23、24両日、広島市内で上演したが、京都の人たちから「京都でも上演して」と声がかかり、これに応えることにした。「峠たちが原爆反対と民主主義の実現を求めて懸命に生きていた時代と、60余年後の今の日本の状況が実によく似ている。そのことを訴えたい」という。

 『河』は、広島在住の劇作家であった土屋清(故人) の創作劇。1963年に広島で初演された。1948年から53年までの広島が舞台で、この間、50年には朝鮮戦争が勃発している。登場するのは、峠三吉や、峠らが結成した文学サークル「われらの詩の会」のメンバーだ。彼らは「反戦平和」を掲げて活動を始めるが、さまざまな困難に直面する。
 それは、当時、日本が連合国軍総司令部(GHQ)、実質的には米軍の占領下にあったからである(それは、1952年4月28日に対日講和条約が発効し、日本が独立するまで続く) 。日本を占領したGHQは直ちに言論統制に乗り出し、「プレス・コード」を発令したが、それは、日本の新聞に占領政策への批判を禁じた規則だった。当然、原爆被害に関する報道も禁じられた。これは、一般人にも適用されたから、広島市民が、原爆について書いた文書を発表したり、配ったりすることはできなかった。小説など文学作品にもGHQによる検閲があった。

 そんな環境の中でも、峠たちは反戦平和のための活動を続けるが、50年6月25日に朝鮮戦争が突発し、朝鮮半島で原爆が使用されるのでないか、という危機感が広島の市民の間で高まる。峠は「もし朝鮮人の上に原爆が落とされるようなことがあったら、ぼくら広島の人間の責任じゃ。急がんと」と焦る。
 その年の「原爆の日」8月6日は広島市主催の平和記念式典も中止となり、広島では、集会・デモも禁止となる。そうした中で、峠らは、「戦争反対」「原子兵器禁止」「外国帝国主義は朝鮮から手をひけ」などと書いたビラをデパートの屋上からまいたり、ゲリラ的に集会を開く。
 『河』はこうした峠らの活動を劇化したもので、4幕からなり、上演時間は2時間45分。 
 この劇が昨年12月の23、24両日、広島市西区の横川シネマで29年ぶりに上演されたわけだが、この公演を企画したのは、広島文学資料保全の会(代表・土屋時子さん、事務局長・池田正彦さん)の人たちだった。土屋時子さんは『河』の作者・土屋清の妻である。
 同会は広島ゆかりの文学者の遺作を保存する活動を進めてきたが、ここ数年は、峠三吉をはじめ、やはり被爆詩人の栗原貞子、被爆小説家の原民喜の計3人の作品をユネスコの世界記憶遺産に登録させる運動に力を注いできた。広島市も共同推薦者に名を連ねる。
 
 昨年は峠三吉生誕100年にあたったほか、土屋清の没後30年にあたった。そこで、同会内で「いろいろな意味で2017年は記念の年にあたるので、ぜひ『河』を再演しよう」という声が上がった。加えて、内外の情勢が、同会関係者を再演に踏み切らせた。
 まず、この年、世界的には核とミサイルの問題をめぐる米国と北朝鮮の対立が激化し、両国間で核戦争が起こるのではないかと憂慮する声も上がって、世界は緊張の度を高めつつあった。国内では、安倍政権が「北朝鮮の脅威」を口実に総選挙に打って出たほか、北朝鮮による核攻撃に備えるとの触れ込みで避難訓練まで行われた。その上、安倍政権は「外国からの攻撃に備える」として、政権発足以来、特定秘密保護法、安保関連法、共謀罪法などを次々と成立させてきたから、これらが言論統制につながるのではと懸念する声が国民の間で聞かれるようになっていた。「いまの日本の状況は、峠らが生きていた終戦直後の日本のそれとそっくりではないか」。そんな危機感が、広島文学資料保全の会の人たちを、かつて上演された芝居の「再演」に向けて突き動かした。

 制作は池田正彦、斉藤正恵、広田まり子の3氏。演出と峠の妻・春子役は土屋さんと決まった。キャスト(役者)は会社員や公務員、自営業者らで、プロの役者は1人もいない。いわば、臨時に集まって結成された演劇集団で、皆、仕事の合間をぬって稽古を重ねた。
 
 思わぬ参加者もあった。登場人物の1人の「市河睦子」は実在した、「われらの詩の会」のメンバーだった林幸子(1929~2011年)がモデルだが、その役を林の孫の中山涼子さん(時事通信広島支社記者)が演じた。地元紙の報道によれば、広島文学資料保全の会を取材する中で土屋さんから『河』への出演を打診され、土屋さんらの意図に共感して出演をOKしたという。第3幕で、祖母の詩を朗読した。
 「ああ お母ちゃんの骨だ ああ ぎゅっとにぎりしめると 白い粉が 風に舞う お母ちゃんの骨は 口に入れると さみしい味がする」
 林の代表作とされる詩だが、地元紙によれば、会場からはすすり泣きも聞こえたという。
 
 広島では4公演に約500人が観に来てくれた。予想以上の入りで立ち見が出るほどだった。次は京都公演だが、ここでは1964年にこの劇が上演されており、京都公演は実に54年ぶり。
 
 京都公演の会場は紫明会館3Fホール(北区小山南大野町1番地 電話075-411-4970)。9月8日午後5時、9日午前11時、午後3時の3回公演。入場料は一般2500円、大学生1500円、高校生以下1000円(当日は500円増し)。前売りチケットの申し込みは、広島文学資料保全の会(℡・FAX 082-291-7615)または京都上演委員会・<株>三人社(℡075-762-0368 FAX075-762-0369)へ。

2018.08.17 国際的協定を次々ぶち壊すトランプ
イラン制裁復活の悪影響は重大。すり寄るのは日本だけ

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

米、英、仏、独、ロシア、中国の6か国は、イランの核開発中止を求めた安保理決議に基づいて06年から対イラン経済制裁を実施。2年間にわたるイランとの交渉の末、2015年4月に厳しく平和利用に制限する協定―合同包括的行動計画(JCPOA)を取りきめた。同10月から安保理決議に基づいて制裁を解除。その後、JCPOAの実施を国際原子力機関(IAEA)が監視、現在までに10回の現地査察も行い、ごく小さな違反数件以外、協定が実行されていることを確認していた。制裁解除後、イランは石油輸出を大幅に増やし、国民生活を改善、欧州諸国からの投資による開発プロジェクトも始まっていた。

ところがトランプ米大統領は5月、JCPOAから米国が一方的に脱退することを公式に発表。他の5か国それぞれから強く批判されながら、対イラン制裁を新項目を含め復活、拡大しはじめた。トランプ自身が明らかにした8月7日から実施された禁止項目はー
1. イラン政府による米国銀行券の調達
2. 金およびその他の貴金属の貿易
3. グラファイト、アルミニウム、鋼鉄、石炭、産業用ソフトウエアの貿易
4. イランの通貨リアル関連の取引
5. イランの公的債券発行に関連する行動
6. イランでの自動車関連事業

これと同時に、11月5日からは、さらにイランにとって重い以下の禁止事項を実施するとトランプは明らかにした。
1. イランによる港湾作業、エネルギー、海上運航、造船
2. イランによる石油関連取引
3. 外国の金融機関によるイラン中央銀行との取引

トランプ政権のイラン制裁再開に対し、米国以外のJCPOA参加5か国は強く反発、厳しい批判声明を発表するとともに、米国に同調して制裁を復活する意思はないことを表明した。しかし、一部企業は、イランで新しく着手した事業を中断することを発表した。また、イランの通貨リアルが暴落し、一時は対ドルレートが半分近くになる事態もあったが、その後回復し、現在は80-85%程度でほぼ安定している。
リアルの暴落で、輸入品の価格が暴騰、イラン国内ではリアルを金に替える騒ぎが発生したが、それも収まったようだ。

トランプは、イランの原油輸出をホルムズ海峡で阻止する可能性も示唆。イランはホルムズ海峡で軍事演習、サウジアラビアはじめ湾岸諸国からの原油輸出全体を止める可能性を示唆したが、小規模にとどめた。
しかし、米国がトランプの発言通り11月からのより包括的なイラン制裁を実施すれば、事態は急変する可能性がある。JCPOA参加5か国の努力に期待がかかる。

トランプ政権下の米国は、1年半の間にユネスコ(国連教育科学文化機構)、TPP(環太平洋連携協定)、パリ協定(地球温暖化対策)、そしてイラン核開発制限合意(JCPOA)などの国際機関、国際協定から一方的に脱退、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)
への拠出金(年額1億2500万ドル)のうち半額の6,500万ドルの支払いを凍結した。この金額はUNRWAの年間予算の約6分の1.米国がこれだけの拠出金を支払ってきた理由は、米国が主導した1947年の国連パレスチナ分割決議、イスラエル建国とその後の4回の戦争で発生したパレスチナ難民を支援するため。これまで、米国はその責任としてUNRWA経費の約3割を負担し続けてきたが、トランプはいわばその責任の半分を放棄したのだ。
わたしが6月に滞在したパレスチナでは、UNRWAが運営する学校の先生給与が減額され、男の先生たちは、一家の生活のため、タクシーの運転手などのアルバイトをしなければならなくなっていた。
 戦後の歴代米政権では、トランプ政権ほど米国の利益をむき出しにして、自国が参加している国際的な協定や合意をつぎつぎと破り捨てる政権はなかった。世界の主要国はトランプ政権を厳しく批判して、同調しないが、日本の安倍政権だけが、トランプを非難どころか批判もできず、すりよるばかり。情けない限りだ。

2018.08.16 「生死はときの運、興亡は天にゆだねよう」――習近平批判
――八ヶ岳山麓から(264)――

阿部治平(もと高校教師)

7月24日習近平独裁体制と政治路線を真正面から批判する論文が現れた(https://www.boxun.com/news/gb/pubvp/2018/07/201807260816.shtml)。
論文は中国清華大学教授許章潤先生のもので、中国国内の民間ネット上に発表されたが、当局によっていち早く抹消された。だが日本でも産経(7月26日)や時事(8月3日)が同論文の内容を伝えているくらいだから、中国国内では拡散しているに違いない。内容はちかごろ散発的にあらわれた習近平政権に対する批判の集大成というにひとしい(以下( )内は阿部)。

結論からいうと許先生は、(習近平主席)個人崇拝の停止、国家主席の最大10年の任期制度の回復、「六四(1989年の天安門事件)」の再評価、官僚の財産公表、退職幹部の特権廃止、過大な対外経済援助の中止などを要求し、文化大革命的行政とイデオロギー支配に警鐘を鳴らし、米中貿易戦争激化責任の所在を問うなど、習近平政権に対する鋭角、全面の批判を行なった。

まず前文では「いま中国国民は、官僚集団も含めて国家の発展方向と自分の身の安全についてかなり心配している。それは近年の中国政治が改革開放30年来の政治上の基本原則に逆行しているからだ」という。
許先生のいう基本原則とは、習近平以前の「改革開放」の30年間に形成され、中国社会全体が受入れてきたものである。
第一は基本的な生活の安全。
「(文化大革命時代の階級闘争)運動」と「毛沢東のやりたい放題(原語:和尚打傘無髪無天)」が終ると、かわって「改革開放」が登場し、これによって庶民はようやく毎日の生活の安全がはかれるようになった。そして全国民がこの「改革開放」を擁護したことによって、(中国共産党の一党支配という)現有政治体制は基本的合法性を得ることができた。
文革時代苦難の歴史を歩んだ庶民にしてみれば、支配者は誰でもよい、世の中が安定し毎日を無事すごせればそれでよい、という気持になったのは当然である。

第二は、たとえわずかであろうと国民の財産私有権が認められ、豊かさの追求が許されること。
これによって国家経済は空前の成長を見た。これで科学教育文化衛生と軍事費、とりわけ党と政府の膨大な経費がまかなえたし、一般国民の生活水準もある程度向上したのである。既存の政治制度は経済の急速な発展によって担保された。

第三は、わずかながらも市民生活の自由が認められること。
数十年来、中国の市民社会は発展しなかったし、庶民は少しでも頭をあげると叩かれた。国民の政治の知識と、(権利意識を持った)公民としての人格の発展は阻止され、中国人の政治的成熟はいまも困難を極めている。だが市場経済が比較的発展した地方では、私的生活の自由はとりあえず形成されたのである。

第四は、政治指導者の任期制度が実施されること。
憲法には国家主席と国務院総理の任期制が規定され、最長2期10年が「憲法上の慣例」になり、任期が終わると党内で平和的に権力の禅譲がおこなわれるようになった。とはいえ、「改革開放」の30年余社会の多元化と政治的容認の程度は明らかに増大した。だが政治体制全体はいまだいかなる進歩も見いだせない。実質は昔ながらの陳腐で残忍な敵味方の闘争と独裁政治理念のままで、それに「天下を争う」醜態が加わっているのだ。

習近平政権によって政治上の基本的原則がないがしろにされた結果、そこに生まれた憂うべき問題として、許先生は次の8項目を挙げている。
第一は財産権侵害についての恐れ。
数十年来ため込んだ財産は多少にかかわらず持ち続けられるのか。今までの生活の仕方は安定を保てるか。財産権は法定どおりの保障が得られるのか。社会の実力者(村党委員会主任などもふくめて)が失脚した時、その関連企業が破産したり、一家離散して肉親を失うようなことはないのか(重慶党書記時代の薄熙来は金持ちを陥れて財産を没収し、一家離散に追込んだ)。

第二は政治主導が突出して経済建設中心の基本政策を放棄すること。
この数年来、イデオロギー上の火薬の臭気がだんだん濃くなって、公権力が権力づくで人々の発言権を圧迫するため、知識界はひとしく恐惶をきたしている。子供が親を摘発し、学生が教授の言動を密告する文革的状況が生れるおそれがある。

第三はふたたび階級闘争をやること。
数年前メディアのイデオロギー主管の官僚が何度も階級闘争を提起し、みんなをパニックに陥らせた。この数年の行政傾向は、スターリン=毛沢東流の階級闘争を疑わせるものだ。反腐敗闘争の展開が進むに従い、新設の国家監察委員会がその権力を無限に拡大したとき、KGB式の取締や残酷な党内闘争がおこる可能性を思わずにはいられない。

第四は、ふたたび鎖国状態におちいり、中国がアメリカをはじめ西側世界と疎遠になり、北朝鮮のような悪政国家とくっつくこと。
中国の経済成長と社会進歩は中国文化の独自発展であり、また現代世界体系が中国に根を生やしたのち成長したものだが、具体的な局面を見ると改革開放は西側世界との関係を改善したのち、グローバル経済の特急列車に乗って実現したものだ。鎖国しては進歩は疑わしい。

第五は対外援助が大きすぎること。
国内には前近代的な状態の地方が多くあり、国民は生活費節約を強いられているというのに、中国はすでに世界最大の援助国となり、毎年数十億数百億元を費やしている。見栄を張って実利、実力をともなわない外交はすべきでない(「一帯一路」政策への批判)。

第六は知識分子を思想改造するために、左傾のイデオロギー政策を実行すること。
むかしから知識分子は労働人民の一部であるといわれてきたが、わずかでも異変があると彼らは枠外に弾き飛ばされ、敵にされてしまう。国家政治の潜在的動向はまず知識人政策に明瞭に表れる(近年の民主人権派人士への弾圧)。

第七、軍備増強競争と戦争の爆発、新冷戦となること。
この10年という短期間に東アジアはすでに軍拡競争に入っている。戦争の可能性はまだ低いが、問題はこれによって中国の正常な発展が中断せざるをえなくなることだ(台湾海峡の緊張、南シナ海紛争などを指している)。

第八の問題は、改革開放が終り強権政治に全面的に回帰すること。
改革は空転し、後退し始めている。これはこの数年のことではなく、習近平政権第一期から続いている。「開放が改革を迫る」ことがなかったら、今日の中国の経済も社会と文化もあり得なかったのに。

さらに許先生は、陝西省梁家河村は40戸だか50戸、110人くらいの村だが、意外にも上海に連絡所と農副産物展示館を建てたことなどをあげ、村人ではなく権力にへつらう官僚らがやったことして、口を極めて罵倒している。梁家村は習近平主席が文革中下放された村である。
また、彼が住んだボロ窑洞は300万元を使って改修されて立派な建物となり、ゆくゆくは記念館になる予定である(矢板明夫著『習近平』文春文庫)。

この論文は、「これでは許先生の身が危ない!」と思わせる内容だ。いやすでに身柄を拘束されているかもしれない。彼自身も論文の末尾で「生死はときの運、興亡は天にゆだねよう」と覚悟のほどを示している。権力者にとってはまことに扱いにくい、伝統的な骨のある中国知識人の面目躍如たるものがある。
しかしうがった見方をすれば、この論文は注意深く中共一党支配の是非をとりあげていないうえに、8月の北戴河会議を控えて発表されたものだ。北戴河会議は毎年開かれる現旧中共最高級幹部合同の人事や政策の検討会である。許先生の背後には守護神すなわち最高級有力者の支持があるか、あるいはそうした人物の示唆によってこの論文が書かれた可能性がある。
そうだとすれば、北戴河会議の次第では、この秋、個人崇拝の停止、独裁体制の修正など何らかの政治的変化が現れるかもしれない。習近平がやり過ぎているのは、中国人の誰でも感じるところだから。(2018・08・08記)

2018.08.15 猛暑続きでも秋風は着実に吹いてくる
安倍政権による酷暑(異常気象)は台風一過でやがて消滅するだろう

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 京都は灼熱の地だ。一名、「釜地獄」ともいわれる。私が京都に来たのは1950年代の後半、いまから60年も前のことだ。だが、今年の夏ほど「暑い=熱い」と思った年はない。とにかく「死ぬほど暑い」と言いたいぐらいの連日の猛暑なのだ。どこかへ逃げ出して何とか難を逃れたいと思うものの、そんな条件がないので蟄居せざるを得ない。こんなじりじりした気持ちを抱えながらこの1カ月を過ごしてきた。

 安倍政権に対しても同様だ。だが、こちらの方はもっと長期に亘る「酷暑=異常気象」なので我慢がならない。もはや我慢の限界を超えているというべきだ。2012年暮れの第2次安倍内閣の発足以来、国民に対しては踏んだり蹴ったりの政治を続けながら、それでいて安倍1強体制に胡坐をかいて権力の座に居座っているのだから、心ある国民が怒り心頭状態にあることは間違いないのである。

 そんな最中、この9月には自民党総裁選挙が行われる。安倍首相に対決する政治路線を何一つ掲げられない有力者たち(腑抜けども)が次々と脱落し、文字通りの「安倍1強選挙」になった総裁選に対してはいまさら何の興味も湧かない。しかし、その背後で進行している国民の政治意識の変化には注目すべきものがある―と思う。その一端を垣間見てみよう。

 私が注目したのは、8月6日の毎日新聞の紙面だ、平成最悪の土砂災害と浸水被害をもたらした西日本豪雨は、最初の大雨当別警報が発表されてから8月6日で1カ月を迎えた。この日の毎日新聞の1面トップは、「1カ月 消えぬ爪痕、西日本豪雨 3600人避難続く」というもの。死者221人、行方不明者11人に達し、3600人が避難所生活を続ける一方、11府県でいまだ2万3000人に対して避難指示が続いているという。それでいていっこうに復旧復興が進まず、多くの被災者が明日が見えない不安に怯えている。同様のニュースがテレビでも連日報道されているところをみると、言いようのない不安感と閉塞感が国民の間に広がっていることがわかる。

 偶然かどうか知らないが、この日は月曜日とあって山田孝男氏(特別編集委員)のコラム『風知草』が2面に掲載されていた。タイトルは「誰と映りたい?」というもので、ポスト自民党総裁選の空気を分析したものだ。「竹下派が石破茂支持へ傾いて話題――とはいえ、安倍晋三自民党総裁3選の大勢は変わらない。だが、来夏の参院選の自民党候補は別の風景を見ているようだ。永田町では盤石の安倍首相だが、ちまたの反発は根強い」とある。

山田氏と言えば、同コラムで日本記者クラブ賞を受けた著名なジャーナリストだが、安倍首相の酒席にも招待される「安倍トモ」としてもよく知られている。事実、これまでの同氏のコラムには「安倍批判を批判する」内容が多く、とかく評価の分かれる人物なのである。日本記者クラブがどういう理由で賞を贈ったのか知らないが、そんな人物が自民党総裁選後の政治風景の変わり模様を描いたのだから、多少興味を引かれた―というわけだ。

コラムの主たる内容は、参院選を控えた自民党候補が安倍首相とのツーショット写真を撮りたくないというものである。インタビューに応じた自民党参院選候補の語る理由がまた面白い。「(地元では)安倍さんがいいっていう人は少数派。市議や町議から『安倍さん(支持)のままで行ったら、あんた、自分の選挙に負けるぞ』って言われる(笑い)」「やはり森友、加計。どうみてもウソの答弁。やり過ぎじゃないかっていう人が多い。外交への評価はあるんですけどね」。

山田氏はこの状況の背後を次のように分析する。
「内閣支持率は30~40%台で底堅い反面、多くの調査でそれを上回る不支持がある。この傾向は、今年3月、財務官僚による公文書改ざん問題が暴かれて以来,変わっていない」
「森友、加計をめぐる折々の首相答弁について『納得できぬ』『信用できぬ』と答えた人は、多くの調査で7割を超える」
「森友、加計は汚職でない。首相も役人もカネはもらっていない。だが、だから小事とは言えない。1年半にもわたって政治問題であり続けること自体が政治史上の事件に違いない。不満の底流が表出するか、なおくすぶるか」

「森友、加計問題はカネをもらっていないので汚職ではない」という部分は、政治責任を回避する首相答弁のそのままの引き写しだが、それでもモリカケ問題が「1年半にもわたって政治問題であり続けること自体が政治史上の事件に違いない」との山田氏の指摘は重要だろう。そこには、安倍トモですら指摘せざるを得ない安倍政権の本質(弱点)が暴露されているからだ。

「信なくば立たず」という言葉は、安倍首相がしばしば引用する座右の銘だ。安倍首相ならずとも政治家であれば、誰もがこの言葉の重みを知っている。モリカケ問題がまさにこの言葉の試金石であるからこそ、世論は真実を追求し、真相の解明を求めてきたのである。だが、森友問題に関しては肝心かなめの財務官僚は訴追されず、真相の解明は迷宮入りとなっている。加えて、加計問題については「あったことがなかった」「言ったことがウソだった」との当事者の出まかせ発言がまかり通る始末だ。これでは「信なくば立たず」どころの話ではない。まさに「無理が通れば道理が引っ込む」状況が大手を振って歩いているのである。

モリカケ問題に関しては、大方の国民は納得していないし、いつまで経っても忘れることはない。モリカケ問題は、安倍政権の喉元深く突き刺さった骨なのであり、この問題の真相が解明されない限り、永遠に安倍政権の宿痾(しゅくあ)としてあり続ける政治問題なのだ。そして、そのときどきの政権の不始末や不祥事がこの宿痾(モリカケ問題)と結びついて政権批判として浮上し、安倍政権の岩盤を掘り崩していくという政治情勢がこれから繰り返しあらわれることになるのである。

すでにいっこうに目途が立たない西日本豪雨対策への不満は、安倍政権そのものへの明確な批判として浮上している。それは「赤坂自民亭」といった些末な事態に端を発しているのではない。「信なくば立たず」という、安倍政権の本質にかかわる深刻な事態と結合して浮上しているのである。それは、被災地へのその時々の慰問など、安倍首相の小手先のパフォーマンスでごまかせるような問題ではないのである。

また、杉田議員の性的マイノリティ侮辱発言は、今後、若者世代が安倍政権への見方を変える大きな引き金となるだろう。麻生財務相は「新聞を読まない若者は(みんな)自民党支持だ」などと訳のわからないことを言ったが、私から言えば、この発言は若者全体に対する愚民発言そのものだ。しかし、今度の杉田発言に対する批判がインターネットを通して広まったことを思えば、新聞を読まない若者でも人格を傷つける発言に対しては敏感に反応することがわかる。事実、自民党本部に抗議するために集まった集団はほとんど若者たちだった。

5年余にわたる安倍政権支配は余りにも長い。安倍政権による国民生活への影響がこの間の「異常気象」ともいうべき酷暑となり、猛暑となって国民を苦しめてきた。その深刻な後遺症が次から次へと顕在化しているいま、国民世論は恐ろしい勢いで変化しつつあるのではないか。安倍政権への〝飽き〟と〝疲れ〟が国民世論の中に色濃く漂い始め、「アベチャンの顔を見たくない」人たちが急速に増えているのである。自民党が総裁選などコップの中の嵐にうつつを抜かしている暇があるのであれば、その背後に広がる国民世論の動向にもう少し怖れを抱くべきなのだ。

2018.08.14 朝鮮半島非核化と日本の責任、ジャーナリズムの責任
―原水禁大会分科会での講演から

隅井孝雄 (日本ジャーナリスト会議共同代表)

2018年原水爆禁止世界大会 2018年8月5日~6日
8月6日は広島に原爆が投下されて73年目の記念日、慰霊式典が開かれた。その前日の8月5日、広島で非核、反核をテーマにした様々な世界大会分科会が開催された。私も「核兵器のない世界へ、ジャーナリストと草の根運動の役割」という会合で講演、参加者との質疑応答をした。以下はその草稿1。

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講演中の隅井

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工事中の原爆資料館

 ▼朝鮮半島と、東アジア全域の非核化―北朝鮮、核禁条約に共感
 核兵器禁止国際条約、2016年10月、国連第一委員会(軍縮)核武装撤廃条約の多国間交渉を決めるという提案に対し賛成123、反対38、棄権16で採択された。私が注目したのは北朝鮮だ。この直前5月の党大会で金委員長は「世界の非核化を実現するため努力する」と述べている。その言葉通り北朝鮮は多国間交渉に賛成票を投じた。しかし多国間交渉には参加しなかった。なぜか?
そしてその1年後2017年7月正式に核兵器禁止条約は、賛成122で正式に採択された。オランダが反対、シンガポールは棄権した。北朝鮮は他の核保有国と足並みをそろえる形で反対したのだ。
 北朝鮮の反対の理由は保有国とは異なっていたことはあまり注目されなかった。国連総会第一委員会(軍縮、国際安全)の場で北朝鮮の国連駐在代表による次のような発言があった(17年10月6日)。
 「核兵器禁止条約について我が国は共感する。だが米国が条約を拒否する状況下ではこの条約に参加することはできない」
 ▼北朝鮮の真意を探り得なかった失態
 この時期、2017年8月から11月にかけてミサイルを数回発射、また核実験も2018年9月に行った。しかし北朝鮮がこの条約の多国間交渉に賛成投票し、禁止条約に共感を表明したことはその後南北会談、米朝会談で朝鮮半島非核化を表明するに至った前触れであったとみられる。
もし、一連の北朝鮮の発言を真剣に受け止め真意を探り出す調査報道が行われていれば、米朝会談、朝鮮非核化を予見できたかもしれないと思う。
 私は10年前に板門店を北から訪れたことがある。その時私たちを案内してくれた陸軍中尉は「もし戦争になったらアメリカは核を使うかもしれない、われわれはそれに対して備えなければならない。われわれの真意はアメリカとの直接交渉で朝鮮戦争を終結させることだ」。10年後北朝鮮の狙いは、米朝会談によって達成されたかに見える。
 ▼日本は依然蚊帳の外、拉致進展なし
 問題は核兵器禁止条約に反対した日本政府だ。安倍首相は拉致問題で交渉すると言っているが、話し合いの糸口はない。朝鮮半島の非核化には積極的関与を見せず、制裁を強化するという一点張りだ。6月15日平壌放送(国営ラジオ)「日本は解決済みの拉致問題を持ち出し、国際社会が一致している朝鮮半島の平和の気流を阻もうと稚拙な醜態を示している」
▼東アジア全域の平和、非核化目指すべきだが、米の核に依存する日本
 かつて「東アジア共同体」を推進しようとして挫折した鳩山由紀夫元総理は「東アジアの非核化」という方向に進むため、日本はこの機会に、積極的に行動する必要がある。現政権の態度は非常に残念だと語っている(JCJインタビュー、6/25)。
私は今年5月沖縄を訪れ、嘉手納基地にある古い核兵器格納庫を遠くから見た。中の核弾頭は沖縄返還時に撤去されたといわれているが、2009年の日米協議で新たな核兵器貯蔵庫を沖縄に建設する可能性について問われた日本の秋葉剛男公使(現外務事務次官)が賛同したことが最近報道された(赤旗3/5)。当時の首相は現在の副総理麻生太郎氏である。
これは米議会での核兵器諮問機関が行った議事概要の日本側参考人であった秋葉メモの発言だ。巡行ミサイルトマホークの引退のあと代替え核兵器の配備を要請、核近代化に賛同もしている(7/18,26赤旗JCJ賞関連記事、該当記事3/4,3/5)。本来被爆国日本の政府は米核軍縮、非核化を要望すべきだ。
自民党は一貫して非核3原則を無視してきたことを物語る報道だ。
▼無用のイージスアショアに5000億円
米朝会談後、北朝鮮の非核化の費用はどうするかと,と問われたトランプ大統領は、こともなげに「日本と韓国が負担するだろう」と答えた。
報道ステーションの試算(6/13)試算によると査察費1000億円、解体費1000億円以上、解体後の補償2000億円合計4000億円以上といわれている。
トランプの意向を受けてか河野外相が北朝鮮の核廃棄費用を負担する用意があるという発言したことに対し北朝鮮は「やるべきことをやらない無分別なふるまい、笑止千万の醜態だ」と非難している(7/19)。
朝鮮半島の非核化に日本は真剣に向き合い、推進力として行動すべきだ。
 それなのに2680億円(維持、運用費などを含めると5000億円を超える7/30ロイター)をかけて、今や無用の長物となったイージスアショアをアメリカから2基購入する。日本は一刻も早く核兵器禁止条約に加盟し、アメリカに対し、核兵器近代化を取りやめ核軍縮に向かうように働きかけ、日本、沖縄への核再配備も行わないとの確約も取り付けるべきではないか。そのうえで、植民地支配に対する、謝罪賠償、日本も責任をまぬかれない朝鮮戦争の終結、北朝鮮への復興支援(制裁ではなく)の提言を行うべきではないか。
 米朝会談を繰り返し報道されるが、日本がどう関与すべきか、日本が担うべき責任は何かという課題を、メディアが積極的に取り上げ、3000万署名と連動することを望みたい。