2017.01.17 経済学の貧困と「経済学者」の劣化(1)
-政府の債務ゼロを主張するアベノヨイショの御仁たち

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

三文「評論家」の三百代言
 テレビや雑誌にちょくちょく顔を出す「経済評論家」のなかで、最近になって、三百代言的詭弁を弄する論者が増えてきた。その代表的な詭弁が、「国民1人当たり800万円の借金を抱えているという言い方は、増税を狙う財務省のあくどい宣伝だ。国民は政府に対する債権を保有しているのであって借金を背負っているのではない。だから、国民が巨額の借金を背負っているという言い方は間違いだ」、「政府債務が国内消化されている限り、財政破綻はありえない」、「日本の財政は世界一健全」という財政赤字を積極的に擁護する議論である。その最たるものが、「日本の財政は実質借金ゼロ」(「マネーポスト」2017年新春号、森永卓郎)という三百代言だ。
 政府部門の累積債務(1000兆円)から資産価額(およそ560兆円)を差し引くと、純債務が440兆円になる。他方で、日銀が保有している国債が400兆円あり、これは政府部門にたいする債権だから、それを相殺すると、政府部門の債務は40兆円程度になり、ほとんどゼロに近く、日本に政府の累積債務問題は存在しない。これが森永氏の議論である。
 「国の徴税権を資産と考え、1年25兆円の徴税権を30年分資産に計上」すれば、実質債務は消滅すると主張する高橋洋一氏の議論も、これと似たり寄ったりのアベノヨイショ論である。
 これが本当ならこれほど目出度いことはない。こういう手品ができるなら、もっと政府が国債を発行して、日銀に買ってもらえば、年金を減らす必要はないし、健保の自己負担ゼロも実現可能だ。毎年、財政不足分など気にせず、国債をばんばん発行して、日銀に買ってもらえば、政府債務がなくなるどころが、純資産すら生まれることになり、日本経済は万々歳だ。日銀引受けの国債はヘリコプターマネーというより、まさに打ち出の小槌だ。
 こういう三文「評論家」が全国各地で、商工会やら企業やらの講演を行っている。講演料は1時間当たり100万円を下らない。こんな三百代言の評論家に、とても少額とは言えない謝礼を払うのは溝(どぶ)にお金を捨てるようなものだ。アベノミクスなどという経済政策イデオロギーが幅を効かせるようになってから、この種の三文「評論家」が多くなった。一昔前なら、恥ずかしくて言えなかった無知を、臆面もなく披露するのだから恐れ入る。それもこれも、「アベノミクス」というイカサマの経済政策イデオロギーが蔓延しているからだ。
経済評論家を自称する三文評論家を講演に呼んで、多額の講演料を支払うのは詐欺師に金を取られるようなものだ。年寄りがどうして振り込め詐欺に引っかかるのだろうと不思議に思う暇があったら、経済講談師に騙されないように気を付けた方がよい。

政府の債務は帳消しになる?
 政府セクター内の一般政府と中央銀行との国債売買の貸借関係は、政府の負債を中央銀行に移したことを反映しているだけだ。この貸借関係が解消されるのは、政府が国債を完全償還した場合のみで、それができない限り、一般政府と日銀の貸借関係が相殺されることはない。もちろん、徳政令で国債の元本不払いを実行すれば、家計・企業を含めた国債保有主体との貸借関係は相殺される。
森永某氏は独立した経済主体の貸借関係と、国民経済計算上の貸借関係の区別が分かっていないようだ。政府は家計や企業から税を取得し、それを再分配する機能を果たしている。政府は所得再分配に不足する資金を短期・長期の国債で調達するが、その不足分はいずれ将来の税収で埋められなければならない。つまり、赤字支出分は将来の税収の前倒し消費である。政府セクター内で政府の赤字分がどのように記帳されようとも、政府の財政赤字が家計と企業からの税収の前借りであるという事実が消えることはない。累積赤字が大きくなれば、それだけ将来世代の各種の再分配給付が減るだけだ。だから、目先の利益だけを考えた財政赤字の垂れ流しは許されないのだ。
日銀は最終的な貸し手であるが、付加価値を生み出す事業主体ではなく、金融機能を担う経済主体である。日銀は国債を購入することで実質的に政府債務の管理を行うが、日銀が富(価値)を創造して、政府の借金を穴埋めしているわけではない。日銀が国債を購入することによって、政府の債務が日銀の債権という形で、日銀バランスに記帳されただけである。この債務-債権は帳簿管理の仕分けに過ぎず、相互に相殺される性格のものではない。本社の債務を子会社に移し、子会社の債権と本社の債務を相殺して、本社の債務をチャラにするなどできないと同じである。
国債を保有している家計(個人)は政府の債務に対する債権を保有しているが、国債償還が難しい事態に陥れば、国債は紙くずになる。もっとも、現在行われている量的金融緩和政策で、政府が発行する国債のほとんどを日銀が購入しているから、家計(個人)が巨額の政府債権を持っているわけではないが、日銀が溜め込んだ国債を市場に売却せざるを得ない事態が生じれば、国債は暴落し、日銀=政府は巨額の損失を抱えることになろう。だから、金融緩和策を止めた後の出口戦略が非常に難しくなっている。政府債務の問題が顕在化するのは、まさに金融緩和策から引き締め策に移行する後である。
政府資産をどのように膨らませても、国債という政府累積債務が家計と企業からの税収の前借りであり、それが1000兆円存在するという事実に何の変りもない。政府のバランスシートの資産側をいろいろ工夫して、資産を大きく見せかけようとしても、1000兆円という負債が消えるわけではない。消えると思うのは、森永氏や高橋氏の頭の中だけである。
政府債務問題が何時顕在化しようと、赤字国債が将来の税収の前取りである限り、誰が国債を保有していようが、最終的に納税者がその付けを払うことに変わりはない。しかも、益を受けるのは現在の納税者、負担するのは将来の納税者だから、負担の世代間不公平が存在する。累積赤字が増えれば増えるほど、その不公平が大きくなる。だから、ヘリコプターからお金をばら撒くように、日銀が政府の国債をばんばん買い取り、政府の財政赤字を埋めることは許されないのだ。
 国債による財政赤字の資金繰りが難しくなれば、国債暴落とインフレ高騰によって貨幣が減価し、政府債務は事実上帳消しになる結末が待っている。政府内の帳簿上の貸借関係を相殺すれば政府債務がなくなるという森永某氏は、まさに脳天気状態にある。

2017.01.16 かくも長き不況
―30年のゼロ成長を認識しよう―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 中国には抜かれたが、日本は今も世界第三位の経済大国であり、「アベノミクス」は道半ばだが、まだ期待は持てる。これが2017年々初の「大本営」の認識であり、それに概ね追随する大手メディアの論調である。世論調査によれば、内閣支持率は依然として50%を上回っている。大衆の意識も似たようなものであろう。

《戦後72年目にみる「経済大国」の成長》
 この認識は正しいのか。考察と分析はゴマンとある。以下の私見―正確にはある調査の「引用」―もその一つに過ぎないが、誤認を正したいと思い書く。

戦後の高度成長の起点はいつか。
「経済白書」が「もはや戦後ではない」と書いた1956年とするか、「所得倍増計画」発表の1960年とするか。判定は難しい。前者は「55年体制」に対応し、後者は「経済の季節」への国家理念の明示に対応する。

戦後の高度成長の終点はいつか。
73年のオイルショックで、翌年のGDPは戦後初めてマイナスを記録した。これを終点とすると、オイルショックの克服とそれに続くバブル好況の座りが悪い。日経平均は、89年の大納会に史上最高値をつけたあと翌年から暴落に転じた。不動産バブル崩壊はゆっくりと進んだが、ここでは90年を終点とする。

56年から90年まで、34年間ある。60年起点なら30年間である。
90年に始まった「失われた10年」は、すでに27年目に入っている。安倍政権は、2020年頃でのGDP600兆円を目標にしてる。だが、本気で信ずる日本人は皆無だろう。今の500兆円強の横ばいが精々だ。それが大方の見方である。

自分で、色んな統計数字を、あれこれ調べ組み合わせてみた。
その途中、で私の直感にフィットするデータを発見した。本川裕氏(ほんかわ・ゆたか)の「社会実情データ図録」という優れた経済統計のサイトにおいてである。

《バブル崩壊以後の30年はゼロ成長》
 同サイトのデータに、3つの期間についてGDPの実質経済成長率の「平均」を示したものがある。「平均」は、対前年のGDP成長率数値を合計し、対応年数で割っている。単純であるがわかりやすい。数字は次の通りである。

(1)1956~73年 高度成長期前半 9.1% 18年間
       *60~73年の14年間は  9.3%
(2)1974~90年 高度成長期後半  4.2% 16年間
(3)91~2015年 失われた10年  0.9% 24年間


この数字から、私(半澤)の責任で誇張した表現をすれば次の通りとなる。
・高度成長期前半の平均成長率は「10%」。
・高度成長期後半の平均成長率は「5%」。
・バブル崩壊後の平均成長率は「0%」、後述する公債発行を考慮すればマイナスか。

《「失われた10年」の異様な長さ》
 戦後72年というが、「もはや戦後ではない」1956年からは60年間、その後ろ半分は、ゼロ成長である。それが「経済大国」の実態であり、大半を担った自民党政権の成果である。日本近代150年でこんなに長い不況はない。
1990年度末の公債発行残高は、166兆円。2017年度末にはそれが、838兆円であり、672兆円増加した。残高の80%はこの間に増加したのである。(財務省HP)

この26年間、首相は次のように変わった。
海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕(日本新党)、羽田孜(新生党)、村山富市(日本社会党)、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三(第一次)、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫(民主党)、菅直人(同)、野田佳彦(同)、安倍晋三(間隔をおいての第二次)。
自民党以外の首相任期を合計すると約5年半である。

以上、客観的事実を書いてきたつもりである。この「事実」が読者諸賢の知見に資すれば幸いである。知ってか知らずか、安倍晋三首相が新年早々、諸外国にカネをバラまく旅を続けている。(2017/01/11)

2017.01.15 「本日休載」

今日 1月 15日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会


2017.01.14 知覚動詞(perception verb) その 1
知覚における動作と状態の違いは「意志」の有無で判断する

松野町夫 (翻訳家)

人間は目や耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器官を通して対象を知覚し脳で認識する。知覚とは、感覚器官を通して対象を把握すること。西周(1829-1897)が Joseph Haven の著 “Mental Philosophy” 邦訳『心理学』 を翻訳した際に perception の訳語として「知覚」という語を案出した。知覚 = perception。ちなみに perception は元来、「完全に(per)つかむ(cept)」を意味するラテン語。

知覚には五感で感知する身体的知覚(see, hear, smell, taste, feel)と脳で認識する精神的知覚(notice, understand, think, believe, know, remember)があるが、実際には両者は複雑にからみあって一体となって機能する。知覚動詞は「見える」「聞こえる」のように、五感で感知する身体的知覚を表す。感覚動詞(sensory verb)ともいう。以下の 8つの動詞はすべて知覚動詞:

視覚 → see,look at, watch
聴覚 → hear,listen to
触覚 → feel
嗅覚 → smell
総合 → notice(目や耳、鼻、舌、皮膚、その他の感覚を通して対象を知覚する)

知覚に関連する動詞は日本語にもある。「見る」「聞く」「感じる」「においがする」「気づく」など。これらの動詞は日本語では動作を表し、特に変わったところもなく、取り立てて言うほどのこともない。

しかし興味深いことに英米人の感覚では、知覚には動作を表すものもあれば、状態を表すものもあるという。知覚動詞における動作と状態の違いは、「意志」の有無で判断する。知覚動詞のうち、see(見える), hear(聞こえる), feel(感じる), smell(においがする), notice(気づく)は瞬時に感知する非意志的行為、すなわち状態動詞であるのに対して、look at, watch,listen to は意志にもとづく動作を表す動作動詞となる。

■状態動詞 (stative verbs) → 通例進行形にしない
see, hear, smell, feel, notice (非意志的行為)

■動作動詞 (dynamic verbs) → 進行形にできる
look at, watch,listen to (意志にもとづく動作)

いったい英米人は知覚に関する動作と状態をどのように区別しているのだろうか?
そこで、知覚動詞の代表格である see を通して、知覚における動作と状態の違いを具体的にみることにする。メリアム・ウェブスター英英辞典では see の原意を次のように定義している。

see = to notice or become aware of (someone or something) by using your eyes
筆者訳: see は「目で(人やものに)気づく」こと。

see の定義で使用されている動詞、notice や、動詞句 become aware of は両方とも「気づく」という動作を表す。状態ではない。「気づいている」という状態には、be aware of を使うのが普通だ。 become は動作動詞、beは状態動詞。 see は状態動詞なのに状態ではなく動作を表している!? 日本人の感覚では一見すると矛盾するような気がする。しかし「気づく」という動作は、よく考えてみると、外面的な動きではない。それは内面的な心の動き、いわば静的な動きであり、その実態は動作というよりも、限りなく状態に近い。英語ではこうした心の動きを表す動詞、たとえば、notice, understand, think, believe, know などは、すべて状態動詞とみなす。

see にはさまざまな意味がある。OALD7英英辞典は see の意味を18項目、メリアム・ウェブスター英英辞典は17項目、MED2英英辞典は11項目、LAAD2英英辞典はなんと50項目にそれぞれ分類している。ここでは、コンパクトなMED2英英辞典の11項目を紹介し、筆者の参考訳と状態か動作かを追記する。

1. notice with eyes 気づく、見る → 状態
 a. able to use your eyes (目が)見える → 状態
 b. watch something(映画・芝居・公演などを)見る、見物する → 状態
 c. look at something(確認するために)見る → 状態
2. meet or visit someone 会う、訪問する → 動作または状態
 a. meet by chance(偶然に)出会う → 状態(無意志)
 b. meet by arrangement(約束して)会う → 動作(進行形にできる)
 c. spend time with a friend 逢う、交際する → 動作(進行形にできる)
3. look up information 参照せよ → 動作(命令形のみ) 例: see above(上記参照)
4. understand something 理解する → 状態
5. consider particular way (ある見方で)みる → 状態
6. imagine someone/something 想像する → 状態
7. find something out (様子を)みる、考えてみる → 状態
8. experience something 経験する → 状態
9. happen somewhere ある時代・場所が事件・事態を目撃する → 状態
10. go with someone somewhere (面倒を)みる、付き添う → 状態
11. bet same amount 同額を賭ける → 状態

日本語の「見る」にもさまざまな意味がある。たとえば、みる(見る 視る 観る 診る 看る)。日本語大辞典は「見る」の意味を11項目、広辞苑は 5項目、岩波国語辞典は 6項目、旺文社全訳古語辞典は8項目に分類している。ちなみに、日本語大辞典の「見る」の意味を以下に列挙する。

みる【見る】 《語幹と語尾に分けられない》
1. 目で知覚する。see; look at; <用例>~と聞くとは大違い。
2. 観察する。observe; watch; <用例>~人が見たら。
3. 事態・情況を判断する。regard...as; judge; <用例>法律からみれば。
4. 読む。目を通して調べる。read; look over; <用例>新聞を~。
5. 見物する。鑑賞する。visit; see; <用例>映画を~。
6. 占う。read; <用例>運勢を~。
7. 仕事や人の世話など責任をもってする。care for; <用例>めんどうを~。
8. 見つもる。estimate; <用例>1日5マイルとみて。
9. 経験する。see; <用例>痛い目を~。
10. 物の質、人の意志や気持ちなどをためす。try; <用例>切れ味を~。
11. 物事がある状態になる。 <用例>夢の実現を~。

「見る」と seeについて、意味は共通する点が多い。しかし用法はかなり異なる。
日本語では、万物(映画・芝居・公演・パレード・テレビ番組・試合・新聞・雑誌・鳥・動物・草・木・花・物品・天・空・星・山・海・川など)を「見る」ことができる。日本語の「見る」は基本的に動作を表すので、たとえば、「今、映画を見ているところです」と、すべて「見る」という一語で一律に進行形で表現できる。

英語でも万物を “see” できる。You can see everything. 実際 see は動くもの、動かないもの、何にでも使える。ここまでは日本語の「見る」とほぼ同じ。しかし英語の see は基本的に状態を表すので通例進行形にできない。進行形にする場合は、動作動詞の look at, watch, read などを使う必要がある。たとえば、「今、映画を見ているところです」のつもりで、*I am seeing a movie now. はダメ。 I am watching a movie now. ならOK。

動かないものを見るときは look at、動くものをある程度の時間見るときは watch、新聞や雑誌を見る(読む)ときは read を使って、I am looking at flowers.; I am watching TV.; I am reading a newspaper. というように表現する。また、動くものであっても短い時間見るときには look at を使う。
He is looking at his watch. 彼は時計を見ています。*He is watching his watch. はダメ。

2017.01.13 文化大革命とはなんだったか――歴史修正主義とたたかう側の論理
――八ヶ岳山麓から(209)――

阿部治平(もと高校教師)

日本では学問研究の成果を無視して都合のよい事象だけをとりあげ、侵略戦争などの都合の悪い過去を抹消しようとする歴史修正主義が勃興して久しい。だが歴史の「修正」は日本だけの現象ではない。
私の知っているのは中国しかないが、中国現代史をめぐっては隠蔽と歪曲がはなはだしい。こう考えるのは、私がそこで長年教えた日本語科学生たちの、自国の現代史に関する知識が貧しく間違いだらけだったからである。

もちろん中国にも真実の革命史、民衆の生活史を語らねばならぬと考えた人々がいて、貴重な証言や資料を収集し、中国共産党によって抹消された真実を復元しようとしている。
ここに紹介する楊継縄もその一人である。元新華社高級記者である彼は、このほど香港で、『天地翻覆――中国文化大革命史』を出版した。前著の『墓碑』同様、中国国内で出版するのは困難だったからである。『墓碑』は1960年前後に中国本土において3600万の餓死者があったことを実証した名著である(邦訳は『毛沢東秘録』文藝春秋2012・3)。
彼は新華社を退職してから、月刊誌「炎黄春秋」の編集に当たった。この雑誌は体制に批判的なメディアが次々つぶされるなか、民主人権派の最後の砦だった。だが楊継縄も悪戦苦闘の末、2015年編集者の地位を去らざるをえなかった。雑誌「炎黄春秋」はいまもあるが、元の姿とは似ても似つかぬものとなった。

以下に掲げるのは、上掲書『天地翻覆――中国文化大革命史』の中の「序言」の私なりの要約である。序言とはいえここに、他に類を見ない文化大革命についての見解を見ることができる(多維新聞ネット2016-12-26 )。

文化大革命について
楊継縄


文化大革命の真相探求と再認識という行為は、後世の人にこの痛ましい歴史を知らせるだけでなく、鄧小平および鄧以後の時代にあらわれた社会的不公平・政治的腐敗の原因を明らかにするためのものである。なぜなら鄧小平以降の時代の官僚制度は、文化大革命以前の官僚制度の延長だからである。
1981年6月、中共第11期6回中央委員会は「建国以来のいくつかの歴史問題に関する決議(「歴史決議」)」を通過させた。「歴史決議」は1981年当時の政治的必要にもとづいて建国以来の歴史を叙述し評価したものだが、それは折衷と妥協の産物であった。当時は改革開放を達成するために、この種の妥協が必要であった。

だが、歴史研究者が文革の真相を復原しようとするときには、政治家のように、折衷したり妥協したりするわけにはいかない。
「歴史決議」は、「毛沢東同志が発動した『文化大革命』における『左』の誤った論点は、マルクス・レーニン主義の普遍原理と中国の具体的実践を結合した毛沢東思想の路線から明らかに逸脱したものであって、それは毛沢東思想とは完全に区別しなければならないものである」としている。
だが1956年以後の毛沢東の思想を「毛沢東思想」から切り離したのは、「毛沢東思想」を保全するためであり、「信仰の危機」から党を救い出すためであった。こうすることによってのみ、専制制度の霊魂を保全し、官僚集団の利益を保全することができたからである。
この官製文革史はまた、文革は「指導者によってあやまって発動され、反革命集団がこれを利用し、党と国家、各族人民に重大な災害をもたらした内乱である」という。
ここでもまた「林彪・江青の二つの反革命集団」を中共から切離しているが、この切り離しも、「毛沢東思想」の保全同様、文化大革命の責任を「林彪・江青両反革命集団」に押し付け、中共とそれへの「信任の危機」を救おうとしたものである。
かりに文革がこの二つの集団のやったことだとしても、彼らもまた中共の一部分である以上党内から生まれ党内で消え去ったものであって、彼らを中共から切離すことなどできるはずもない。
かくして官製文革史は毛沢東思想を保全し、中共を保全し、官僚集団全体を保全したのであり、さらには官僚集団が引きつづき執政することの合法性と、彼らすべての利益を保全したのである。
官許の文革書のなかには、劉少奇を毛沢東に手なづけられた羊、腰巾着と決めつけ、最後は毛沢東によって袋小路に追い詰められた者、と書いたものがある。
だが実際には劉少奇は老革命家として、また戦争と多年の党内闘争の試練を経た者として、文革の初期から毛沢東を制止しようとしたのであって、(文革を学術問題に限定しようとする)「二月提綱」をもって姚文元の(呉含の歴史劇「海瑞官をやめる」批判の)文章に対抗したのである。
そして(中共北京市委員会を打倒した)「5・16通知」が出てからは、工作組を派遣して対抗した。劉少奇が打倒されてのちの(譚震林・陳毅・葉剣英ら老革命家も加わった文革反対の)「二月逆流」は、鄧小平を代表とする人々の抵抗だったのだ。そしてその間には、軍事官僚集団のもっと強硬な反抗があったのである。

しかし毛沢東に対する一連の抵抗は、正義と不正義の闘争だったのではない。利益にからんだ抵抗であった。この闘争のなかで一般大衆は大きな犠牲を払わされた。
劉少奇を飼いならされた羊としたのは、官僚集団が文革の責任を負わないようにするためであり、軍・政の官僚たちが文革中に大衆を踏みにじった悪事を隠すためだった。また周恩来を美化して、周恩来が毛沢東の尻にくっついて文革をやった事実を覆い隠すという目的もあった。
官製文革史は、文革の弊害は「反革命集団によって利用されて」生まれたものだという。これは毛沢東保全のための言い逃れであり、歴史の歪曲である。
事実は、1973年8月(中共第10期全国大会で江青らが最高指導部に入って)初めて「四人組」が生まれたのであって、それ以前には「四人組」は存在しなかった。
もし、「林彪集団」があったとするなら、この集団も1969年4月に(林彪が中共第9期全国大会で政治報告をした後に)形成されたことになるが、1971年9月に彼は、(ソ連に亡命しようとしてモンゴルで墜死して)消滅している。
この前後、かりに林彪・江青二つの集団があったとしても、そもそも彼らは毛沢東の文革を支持し推進した勢力なのである。江青と林彪は毛沢東に利用されたのであって、彼らが毛沢東を利用したのではない。いわゆる二つの「反革命集団」の「反革命行為」のほとんどは、毛沢東の指導のもとで文革を推進した行為そのものだったのである。

1976年10月(四人組逮捕)の政変以来、文革を否定することが「政治的に正確だ」ということになった。したがって官許の出版物では、高級幹部はみな自分がいかに文革に抵抗したか、いかに堅忍不抜であったかを標榜し、毛沢東に追随して文革をやった事実、民衆を抑えつけ幹部の迫害に加わった事実を隠した。官僚のなかには迫害された官僚を見て喜び、その災難に付け込んでなお打撃を加えたものがいたのだが、みなその事実を隠蔽した。
官許の文革史は幹部が迫害された状況をたくさん書いている。だが実際には、文革で迫害されたのは一般大衆である。幹部に比べれば数百倍も多い。紅衛兵が実力行使に出た(1966年の)恐怖の「赤い8月」の一連の事件、地方の集団虐殺、血なまぐさい鎮圧などを、官許の文革史は当たり障りのないように書いた、というよりは事実を極力歪曲した。

文革はきわめて複雑な歴史の過程である。多様な勢力と配役が10年の長きにわたり広大な空間で争い何回もその立場を変えた。いろんな思想集団や利益集団の間で、くりかえし闘争があった。あるときの勝利者は別な時には敗者であり、あるとき人をやっつけたものはのちにはやっつけられた。
従来歴史は勝利者が書くものであった。文革最後の勝利者は官僚集団であるから、官製の歴史が民衆の苦境を無視するのは至極当然のことであった。
だがこれを乗越えようとしても、肯定か否定かという単純な思考では、この複雑な歴史過程を記述し評論することは不可能である。どんな歴史事件を書いても、必ず批判が待っている。文革の当事者のほとんどが健在で、その人々が文革中に演じた役割は多様で、異なった境遇にあり、異なった観点を持ち、異なった体験をしているからである。
当事者からの批判は尊いものだし、研究者をして絶えず歴史の真実に迫らせるものである。だが貴重な資料を得ることができるとはいえ、現代史を現代人が書くのは難しかった。
文革研究の先行者に比べれば私は後学である。後学は先行する優れた仕事を出発点にできる。本書を書くにあたり私は大量の先行研究と回想録を読んだ。そこには重要なテーマがあり、また地域文革史や文化大革命理論の深い探索があった。学者によっては、他の研究者の踏み石となることに甘んじ、黙々と資料の収集と整理の仕事をする人もいた。
私はこれら先行者に対する深甚の敬意を抱いて『天地翻覆――中国文化大革命史』を書いたのである。(終)

2017.01.12 危険な世界を歴史の中に見直す年賀状

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

今年も年賀状を友人たちからいただいた。メールで、戦後最悪というべきかもしれない世界と日本について、詳しく心情を書いてくれた年賀状も増えた。
A紙の敏腕記者だったSさんの年賀状には、「ベイルートから度々出かけたシリアの惨状に胸が痛みます。トランプ、プーチン、習近平3悪人時代の世界と日本はいかに。」と添え書きがあった。わたしなら、トランプにゴマすりの抜け駆けをして世界に恥をさらし、プーチンを自分の故郷に迎え、領土問題で点数稼ぎをしようとして惨めな失敗をした、安倍首相も加えたいところだ。
「リベラル21」にも寄稿してもらった金子敦郎さんの年賀状は、ぎっしりトランプ政権の危険性について分析し、“「暴走」の結果、弾劾に追い込まれるなどして任期途中で辞任するという米国の有力ジャーナリストや学者の見方もあります。こちらに賭けます”とあった。わたしは、ウオーターゲート事件で弾劾必至となり、不名誉な辞任をしたニクソン大統領を思い出した。
なかでも、この現在を欧州の歴史のなかで考えた藤野雅之さんの年賀メールに、なぜか、ほっとした。藤野さんは、共同通信で共に働いた元同僚で、文化部長、出版局長も務めた、文化畑の記者だった。長年にわたり沖縄の与那国島で、サトウキビ農家を支援してきた与那国島援農隊の中心的な活動家だった人でもある。ご本人の了承をえて、彼の年賀メールを紹介したい。

▽ジャーナリスト・藤野雅之さんの2017年賀メール

新年おめでとうございます。
 昨年は夏にドイツを3週間旅し、バイロイト、ライプツィヒ、ドレスデン、ハンブルクを訪ね、そのどこもが、先の大戦とその後の70年に関わる時代に向き合ってきたことを感じることができました。
 ナチスの文化的なシンボルとなったバイロイトでは、ナチスに迫害を受けた芸術家に思いをいたすパネルが祝祭劇場周辺にフェスティヴァル史上初めて展示され、リヒャルトの曽孫らが自分たちの歴史に真摯に対している姿を垣間見ることができました。
 ライプツィヒでは聖ニコライ教会で続けられた東ドイツの民主化を求める集会が街頭に出たことが機縁となって、1989年11月のベルリンの壁崩壊につながったのですが、この教会を訪ねて深い感銘を受けました。
 ドレスデンでは、大空襲によって完全に破壊された聖フラウエン教会が、ほんの10年ほど前に元と全く同じ姿に再建されたのを見て、ドレスデン市民の自分たちの文化への篤くたくましい意思を実感しました。
 ハンブルクでは、30年来在住する姪の知人の案内でベルゲンベルゼンの元強制収用所跡を訪ねました。ここはアンネ・フランク姉妹が解放寸前の1945年3月に餓死したところです。
 ドイツは戦争体験を真摯に受け止めて戦後を築き、そこからEUを実現しましたが、今それが厳しい状況に追い込まれているのも事実です。
 またシリアなどからの難民を100万人も受け入れてきたのですが、旧東ドイツ地域で難民受け入れへの反発が強まっています。私が出発する直前にバイエルン州を中心にテロ事件が数件あり、フェスティヴァル事務局から注意を喚起するメールが来たりしたのですが、滞在中はどの都市でも穏やかでした。
特に難民受け入れに積極的だったハンブルクでは朝早く散歩していると、難民らしいアラブの男性たちが連れ立って地下鉄から出て来て、仕事に出かけるのに毎朝出会いました。東洋人の私を見て陽気に挨拶の声をかけて来たりしました。
 それなのに、年末に至ってベルリンで多くの犠牲者を出すテロ事件が起きたのは残念です。
 昨年の英国のEU離脱、米国でのトランプ大統領当選、フランスなどでのテロ続発、今年は欧州各国で予定される国政選挙、中国の南シナ海進出、TPPの破綻、そして身近では沖縄での辺野古基地・高江ヘリパッド強行建設問題など、さらに世界的な貧富の格差拡大と人々を2分する不穏当な動きが一層激しくなりそうです。
 こういう時代の動きに対するこちらの精神及び体力を養うことにもつながるのでは、と1昨年に続けて去年も地域の第九コンサートの合唱に参加しました。新日フィル、プロのソリストを迎えてのパフォーマンスは稽古も大変でしたが、充実感もありました。今年も参加したいと思います。
 与那国島援農隊が終わって2年が過ぎ、今年は2年ぶりに島を訪ねたいとも願っています。
 ところで、坂井さんはクルドに関心が深いようですが、私もクルドには親近感があります。前に話したかもしれませんが、クルド人の美的な感性には独特のものがあり、それに共感するからです。
このメールを以って年賀の挨拶に替えさせていただきます。
藤野雅之

2017.01.11 沖縄報道にNHKの変化が見えた

隅井孝雄 (ジャーナリスト 京都在住)

12月22日、沖縄の米軍北部訓練所の半分が返還され、式典が行われた。日本政府からは菅官房長官、稲田防衛大臣らが出席、またキャロライン・アメリカ大使も出席して、祝意を述べた。しかしそこに翁長知事の姿はなかった、同じ日、同じ時間に開かれた「オスプレイ墜落事故抗議県民集会」に知事は出席したのだ。
この日NHKは政府主催式典を1分53秒間型どおり報道した後、18分間にわたって県民の抗議大会を中心に、オスプレイ事故に焦点をあてた。現地にとんだ河野憲治キャスターは、オスプレイ事故の状況、わずか6日後に飛行再開となったことに抗議する沖縄県民をインタビュー取材した。また基地返還の条件となったのは6か所のオスプレイ発着ヘリポートだったこと、高江の住民たちが強い不安にかられていることも紹介された。
沖縄に関してはこれまでのNHKの報道は、琉球放送、沖縄テレビ、琉球朝日などに比べて大きく遅れているだけではなく、本土の民放ドキュメンタリーのような積極性も欠いており、高江の問題をほとんど取り上げない、政府の立場を忖度する報道が多いという強い批判を浴びていた。
2015年6月23日の慰霊の日式典で参列者から安倍首相が「帰れ」など激しい罵声を浴びた場面で、NHKは中継放送のヤジ音声を消して放送したことが問題となったことがあった。海外メディアの多くは、ヤジがあったことをニュースとして報じ、音声を消したNHKを批判した。
 NHKは政治課題での市民のデモや抗議集会には、これまで冷淡な対応を見せるのが常であった。例えば2015年8月30日に、安保法案反対、立憲主義を守れと、国会周辺に12万人(主催者発表)が集まって、抗議行動が行われた。この日は日曜日であったため報道ステーションは翌日月曜日に12分間にわたって、市民の行動を特集報道した。これに対してNHKニュース7は当日2分間、翌日のニュースウォッチ9で30秒伝えたにとどまった。
 このような状況が続いていたことから見ると、今回の沖縄報道は大きな変化ということができるだろう。
 政府の見解を伝えると公言していた籾井会長が辞任したあとである。NHKが公正なジャーナリズム精神に立ち返り、市民の抗議活動、集会、デモ行進もきっちりと伝えてくれることを強く望みたい。
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「NHKTVの映像から」

2017.01.10 今こそ大衆運動の再構築を
改憲に抗う人たちを結集するために

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 新しい年がスタートしたが、安倍政権と自民党は早々と今後の政治方針を打ち出した。明文改憲と「共謀罪」の制定である。「安倍一強」「一強多弱」といわれる政治状況の中で、改憲や「共謀罪」に反対する陣営はどう立ち向かったらいいのか。国会内の与野党の議席数に圧倒的な差がある以上、当面は圧倒的な大衆運動で改憲や「共謀罪」に反対する世論を盛り上げ、安倍政権と自民党を包囲する以外にない。

 安倍首相は1月5日、自民党本部で行われた仕事始めであいさつし、その中で「新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か。今年はいよいよ議論を深め、私たちが形作っていく年にしていきたい」と述べた(1月6日付読売新聞)。この発言について、同紙は「(首相が)衆参両院の憲法審議会での改憲論議の加速化に意欲を示した」ものと書いた。
 共産党機関紙「しんぶん赤旗」は、この首相発言に強い関心を示し、1月6日付の紙面で「首相、明文改憲に執念」と報じた。
 これを追いかけるように、1月6日には自民党の二階幹事長がBSフジの番組で「憲法問題もいよいよ総理が年頭に口火を切った。これからこれ(改憲論議)を詰めていくことを、自民党は今年中の最大の課題の一つとして考えなければならない」と述べた(1月7日付朝日新聞)。
 
 安倍首相(自民党総裁)は、総裁任期中(自民党総裁の任期は連続2期6年なので安倍氏の任期は2018年9月までだが、3月の自民党大会で連続3期9年に延長されるため、2021年9月まで総裁の座に居続けることが可能となる)に改憲を成し遂げることを悲願としているとされる。
 年頭の首相発言、それを受けた二階幹事長発言で、安倍政権と自民党による改憲作業がいよいよ具体化するということだろう。

 「共謀罪」の制定も首相の強い意欲を反映したものと見ていいようだ。1月6日付の毎日新聞は「首相は5日の自民党役員会で、『共謀罪』の成立要件を絞り込んだ『テロ等組織犯罪準備罪』を新設する組織犯罪処罰法改正に関し、20日召集の通常国会での提出・成立を目指す意欲を示した」と報じている。
 1月6日付の日刊ゲンダイDIGITALが「実際に犯罪を犯していなくても相談しただけで罰せられてしまう。極論すれば、サラリーマンが居酒屋談議で『うるさい上司を殺してやろう』と話しただけで、しょっぴかれる可能性がある。権力側が市民の監視や思想の取り締まりに都合よく運用する恐れもあり、03、04、05年に関連法案が国会に提出されたものの、3度とも廃案に追い込まれた」と書く、曰く付きの法案である。
 これを、なんとしても成立させたいというのだ。

 今の安倍政権にとっては、やりたいことは何でも可能だ。つまり、万能である。なぜなら、政府与党と政府与党に協力的な政党で衆参両院とも3分の2の議席を占めているからだ。昨年の臨時国会では、国民の半数以上が反対する法案を次々と成立させてしまった。TPP(環太平洋経済連携協定)承認案とその関連法案、年金制度改革法案、「カジノ解禁法案」などだ。
 そればかりでない。安倍政権は昨年11月、南スーダンのPKOに派遣する陸上自衛隊に安保関連法に基づく「駆けつけ警護」の新任務を付与することを閣議決定した。国民の半数以上が反対していたにもかかわらず、である。
 そのうえ、安倍政権は原発の再稼働に熱心で、2015年に川内原発1・2号機(鹿児島県)を再稼働させたのに続き、昨年は伊方原発3号機(愛媛県)を再稼働させた。原発の再稼働には国民の約6割が反対しているにもかかわらず、である。

 こうした強行ぶりに、国民の間から「暴走だ」との声も上がったが、安倍政権と政府与党の高姿勢ぶりには変化がみられない。安倍政権への支持率が依然高いことが、こうした高姿勢を支えているのだろう。

 となると、安倍首相と自民党は、明文改憲と「共謀罪」の制定に一気に走り出すことが予想されるというものだ。としたら、改憲や「共謀罪」に反対する陣営としては、今後、どんな戦略戦術でこうした政治的局面に立ち向かうのか。頼みとする野党が国会内で少数派とあっては、自ら大衆運動を盛り上げて世論で国会を包囲する以外にない、と思われる。これまで脱原発運動と安保関連法廃止運動の先頭に立ってきた人の1人、鎌田慧氏(ルポライター)は「大衆運動をいかに盛り上げていくか。それに尽きる」と語る。

 大衆運動とは、集会やデモを指す。世間には、「集会やデモなんかやっても世の中変わらない」と冷ややかに見る人が少なくない。しかし、大衆運動をバカにしてはいけない。直接民主主義の一形態であり、戦後の日本では、大規模な大衆運動が展開された時期がいくつもあり、政治と社会にインパクトを与え、少なからぬ影響を与えてきたからだ。

 例えば、1950年代から60年代にかけての原水爆禁止運動。これは、文字通り国民的な広がりをもつ運動となり、その影響は今日にまで及んでいる。まず、日本がこれまで核武装をしないでこられたのも原水爆禁止運動があったからだとの見方が強い。この運動が日本人の間に「原爆許すまじ」の意識を植え付け、これが日本の核武装を阻止してきたというのだ。確かに、政府関係者さえも「わが国は非核三原則を堅持する」と言わざるを得ない時期があった。被爆者援護を目的とする原爆医療法と原爆特別措置法の制定もこの運動の成果の一つと言える。

 1859年から60年にかけては、日米安保条約改定阻止運動が日本社会を震撼させた。「戦後最大」とまで言われた運動は結局、条約改定阻止は果たせなかったが、条約改定推進の岸信介・自民党内閣が招請したアイゼンハワー米大統領の来日を阻止し、岸内閣を退陣に追い込んだ。

 1967年から70年にかけては、3つの課題が一体となった運動が展開された。3つの課題とは「ベトナム反戦」「沖縄の即時無条件全面返還」「日米安保条約破棄」。結局、運動総体としては「ベトナム反戦」では成果を上げたものの、「沖縄」と「安保」では“敗北”に終わった。
 また、70年代は全国各地で公害が続発し、自然環境と住民の健康破壊が社会問題化した。これに対し公害反対運動が起こり、公害規制と 被災住民の救済に大きな役割を果たした。

 1970年代後半から80年代にかけては、3回にわたる国連軍縮特別総会に「核兵器完全禁止」と「軍縮」を要請する運動が全国で高揚する。中でも、82年の第2回国連軍縮特別総会に向けた反核署名は総計で8000万筆に達し、国際的にも注目を集めた。特別総会そのものは、米ソの対立から成果を上げることができなかったが、3回にわたる国連の会議は、世界のNGOが核軍縮に積極的に取り組むきっかけとなった。その潮流はその後、勢いを増し、国際司法裁判所をして「核兵器の使用・威嚇は一般的には国際法、人道法の原則に反する」とする国連への勧告的意見を出させるまでになった。

 その後、日本の大衆運動は4半世紀の長きにわたる沈滞期が続くが、2011年によみがえる。きっかけは東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発の事故である。これを機に脱原発運動が高揚する。この運動は、2013年9月から2年間にわたって全ての原発を停止させたほか、大津地裁に高浜原発(福井県)の運転差し止めの仮処分決定を出させたり、新潟県で原発再稼働に慎重な知事を誕生させるなどの成果を上げてきた。

 改憲を目指す安倍政権が2014年に集団的自衛権行使容認の閣議決定をし、これを具体化するために安保関連法の制定を図ると、これに反対する大衆運動が起こった。国会で成立した安保関連法が2016年3月に施行さると、運動はその廃止を求める運動に変わった。

 ところで、これまでの安保関連法反対の運動は、別な言い方をするなら、即護憲運動であった。「安保関連法は憲法9条に反する」というのが運動団体の主張であり、集会・デモでも「9条を守れ」のコールが叫ばれてきた。
 安倍政権と自民党が明文改憲と「共謀罪」制定を打ち出してきたことは、安倍政権と自民党が最終目標に向けて新たな攻勢に出たことを意味する。それだけに、安保関連法反対運動を続けてきた陣営側としても新たな対応を迫られよう。

 安保関連法反対運動で中心的な役割をはたしてきたのは「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」だ。これは、自治労や日教組など旧総評系労組が参加している「戦争をさせない1000人委員会」、全労連などでつくる「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」、市民団体の「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」の3団体で構成されている。実行委が、安倍政権と自民党による新たな攻勢にどんな動きをみせるか注目したい。

2017.01.08 「本日休載」

今日 1月 8日(日)と明日1月 9日(月)は休載します。

リベラル21編集委員会


2017.01.07 朝日赤報隊のwam「爆破予告」と日本社会

歴史認識の否定が深めるアジアでの孤立

■日時:2017年1月26日(木)18時30分~20時50分
■受付時間:18時15分~
■会場:明治大学研究棟・第1会議室/★要予約(定員50名)
(東京都千代田区神田駿河台1-1/JR「御茶ノ水」西口下車/地下鉄千代田線「新
御茶ノ水」/都営三田線・半蔵門線「神保町」下車)
■主催:アジア記者クラブ(APC)
■資料代:1500円/明治大学生・教職員無料(要予約)
■ゲスト:池田恵理子さん(アクティブ・ミュージアム
「女たちの戦争と平和資料館(wam)館長・元NHKディレクター)

「女たちの戦争と平和資料館」(略称wam)に「朝日赤報隊」を名乗る者から戦争展
示物の撤去を要求する「爆破予告」葉書が届いてから3カ月が経過しようとしています
。1987年に赤報隊を名乗る何者かによって、朝日新聞阪神支局で小尻知博記者が殺害さ
れてから30年になります。wamへの嫌がらせや中傷は2005年の開館時から続いています
が、今回は、ユネスコの世界記憶遺産に「日本軍『慰安婦』の声」を被害国とともにwa
mが日本の支援団体をとりまとめて登録申請して以降、wamへの産経新聞やネット上での
誹謗中傷キャンペーンが波状的に続く中で起こった事件でした。
1月定例会は、wam館長の池田恵理子さんをゲストにお招きします。

今回の事件でも既存メディアの動きが鈍いのは事実。「慰安婦」「南京大虐殺」「天皇
の戦争責任」を取り上げると、会社や自宅に押し寄せる右翼の抗議行動やヘイトスピー
チは間違いなくメディアを委縮させています。そしてこの20年間、「普通に戦争ができ
る国に」「憲法改正の実現」を目論んできた政治家たちのメディア操作や圧力がその背
景にある、と言っても過言ではありません。社会がwamを孤立させるのではなく、こう
した暴力にどのように抗するのか、この事件を取り巻く社会状況を点検したいと考えて
います。

★予約⇒お名前、所属、会員の有無、Eメール、電話番号を記載の上、配布資料の準備
の関係上、必ず2日前までにEメール(apc@cup.com 宛)でお申込み下さい。返信メー
ルでの承認がなければ参加できませんので注意願います。