2023.03.30
映画「妖怪の孫」を見る
安倍政権とはなんだったかのか
小川 洋 (教育研究者)
映画「妖怪の孫」は、安倍晋三元首相の実体に迫った内山雄人監督の作品である。映画「新聞記者」などを企画した河村光庸が完成を待たずに急逝したため、企画プロデューサーとして元通産官僚の古賀茂明が加わって完成し、3月17日より全国各地で上映されている。古賀は作品中、インタビューアーとして出演もしている。題名の妖怪は、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介を指す。
安倍晋三には当然、二人の祖父がいた。父親の晋太郎は、岸信介の長女である洋子と結婚したが、自身の父親である安倍寛の息子であることにプライドを持ち、「岸の女婿」と言われることは不本意だったといわれる。しかし映画では、安倍晋三は、あくまで岸信介の孫なのである。映画はその理由をその生い立ちから説明していく。
生育事情からみた安倍晋三
安倍晋三は、両親からの愛情を受ける機会が極めて少なかった。国会議員の父親はもちろん母親も、ほとんど自宅に落ち着くことがなかった。すでに書籍などでも紹介されている話だが、中学生になっても、晋三が夜、養育係であったウメさんの布団の中に入ってきたという逸話が紹介される。また「宿題は片づけた」という晋三に対して、白紙のノートを見たウメさんが宿題を完成させることもよくあったという。
それでも、安倍晋三にとって父親よりも母親の存在が大きかったようで、映画では、岸信介が達成できなかった憲法改正を実現することで母親に認めてもらいたかったのだと指摘する。そのため、元首相のアイデンティに安倍寛の孫である側面はなく、岸信介の孫であることにあったという。安倍晋三は、国家の基本法としての憲法の性格を理解しているのか首を傾げざるをえないような改憲論を繰り返したが、どのような形であれ、現行憲法を変更すること自体が彼の目指したことだったとすれば納得できる。
映画が紹介する彼の生い立ちから理解できることは多い。両親の愛情に満たされた家庭生活を経験できなかった故に、自我の成長が弱いものになったことは想像に難くない。一般に弱い自我の持ち主は、傷つくことを恐れ、防御線をなるべく遠くに置く。過度に防衛的であり攻撃的傾向が強くなる。元首相が、自分を批判する政治家やマスメディア関係者には反射的に敵対的に反応した。安倍政権時代に蔓延するようになった不寛容の気分は、多分に、この安倍の余裕のなさの裏返しだったと理解できる。
映画で紹介されている内容の多くの部分は、すでにテレビ報道などで紹介された映像であり、ところどころで挿入されるアニメーションである。また彼の生い立ちについては評伝などの関連本で紹介されていることがほとんどであった。独自に取材した部分は多くない。
インタビューから
映画による独自取材による箇所で、筆者の印象に残ったのは以下の三か所である。第一に、政界や企業のスキャンダルを積極的に取り上げているジャーナリストの山岡俊介氏のものである。氏は地元の安倍事務所と暴力団とのかかわりを追い続けていた。安倍事務所が工藤会系の暴力団員に襲われた事件についての裁判で、安倍事務所が暴力団を利用して選挙妨害行為をしていたことが認定されている。当然、安倍晋三にしてみれば触れてもらいたくない問題であり、大手メディアはこの問題をあまり報道しなかった。だが氏の証言はじつに生々しいものである。しかも彼は取材していた時期に、ビルの地下階段で何者かに突き落とされて大怪我をしている。関係者の関与が疑われているのである。
第二に、覆面での出演ではあったが、霞が関の二人の高級官僚が安倍政権時代の官僚たちの萎縮ぶりを具体的に証言していたことである。憲法解釈さえも易々と変更する官邸により不本意な仕事を命じられる。自他ともに認める優秀な人物であると自負して国家の官僚になった彼らが、人事権を盾に横車を押してくる官邸のやり様から感じていた屈辱感はいかほどのものだったか想像に難くない。
第三に、憲法学者の小林節氏へのインタビューである。氏は長期にわたって自民党の憲法検討部会の相談役として付き合ってきたが、第二次安倍政権以降は、「付き合いきれない」という気持ちになったという。筆者が想像していた以上に、自民党の世襲議員たちの多くが、国家の基本法としての憲法の意味も理解せず、明治憲法への郷愁に生きているのだという。安倍晋三も好んで使っていた「法の支配、民主主義、人権といった価値を共有する自由世界の一員」という科白は、外向け(外国向け)だけのものだった。
監督の内山氏が映画作成を終えて、自らの印象として安倍晋三の姿に「およそ成熟した大人の言動とは思えない」と述懐しているが、この評は、『安倍三代』(朝日文庫)でジャーナリストの青木理が述べている安倍晋三=「空虚な器」という評に重なるものである。
安倍晋三と不寛容な空気
青木理は、安倍晋三の学生時代、社会人時代を通じて、政治的な発言をしたのを誰一人として聞いていないこと、勤務先の会社では上司から「子犬のように可愛がられた」などのエピソードを指摘している。そのうえで青木は、「空虚な器にジャンクな右派思想を注ぎ込まれた」政治家(「日刊ゲンダイ」臨時特別号、2022年9月15日)と評している。
父親の死によって突然、38歳で国会議員になった安倍晋三は、周囲から「お前は子犬ではなく、偉大なお爺さんである岸信介の血を引いた高貴な狼だ」と持ち上げられたのだろう。読書や人との議論などを通じて深く思索したり、思想形成をしたりしたこともなければ、特定の思想家や作家などから強い人格的影響を受けた様子もない。空っぽの器には安っぽい「思想」が入り込む。
彼の脆弱なアイデンティティの核に祖父の岸信介がいたから、日中戦争・太平洋戦争における日本の加害を指摘する研究や報道などに拒絶反応をしたのも自然なことだった。それは社会に不寛容な空気を醸成することになった。リベラルな言論人たちを攻撃する人物、とくに旧日本軍の加害責任を否定する人物を重用した。百田尚樹、小川榮太郎、櫻井よしこ、さらに三浦瑠璃ら、それまで無名であったり、際物扱いされていたりした面々が、安倍政権時代には、テレビなどに頻繁に登場するようになった。稲田朋美や高市早苗、杉田水脈ら政治的業績の乏しい女性議員でも、安倍晋三が喜びそうな言動をとれば、党内で重用されたのである。
国民の戸惑い
筆者が鑑賞した新宿のシネマコンプレックスでは、封切直後の土曜の午後とはいえ、客席はほぼ満席であった。客の平均年齢は多少高めだったようだが、若い客も少なくなかった。多くの国民が、安倍政権とその時代とはいったい何だったのか、夢から醒めたように疑問を抱きつつあるようにも思える。旧統一協会問題やオリンピック汚職に始まり、安倍政権時代の疑惑の数々が司直の手によって、あるいはジャーナリストたちによって明るみに出るようになっている。多くの人に見てもらい、安倍政権の時代とは何だったのか、反省の議論の材料としてもらいたい。
2023.03.29
「善意」に満ちた共産党批判
――八ヶ岳山麓から(420)――
阿部治平 (もと高校教師)
大塚茂樹著『「日本左翼史」に挑む――私の日本共産党論』(かもがわ出版)を読んだ。
まず本書にあるエピソードを紹介しましょう。かつての共産党指導者宮本顕治氏の業績を論じたなかでの話である。
1951年評論家で翻訳家の高杉一郎氏は、自分の体験に基づいて『極光のかげに;シベリヤ俘虜記』を執筆出版した。これを見た宮本氏は、「あの本は偉大な政治家スターリンを汚すものだ」「こんどだけはみのがしてやるが」と高杉氏を面罵したという。その場には百合子夫人もいたそうである。
宮本氏は百合子夫人急逝後、高杉夫人の妹で百合子氏の秘書であった大森寿恵子氏と再婚する。その長男が北欧社会福祉の研究者宮本太郎氏である。
上記エピソードのように本書では、論じる主題ごとに著者の体験と記憶、関連する文献と人物評価がどっと出てきてとまどう。著者の博識、人脈の豊富なことは並みの人ではないと感じる。さらにその内容は、マルクス主義の現状から学生運動、労働運動、平和運動、革命論争まで範囲に及ぶ。
本書は佐藤優・池上彰『日本左翼史』3部作に挑戦したものだが、私はそれを読んだことがない。というわけで、ここでは、共産党の指導者論について感じたことだけを書いておくことにした。
大塚氏の宮本氏への評価は高い。
武装闘争方針による共産党の分裂を克服し、「1961年綱領」によってその後の共産党の歩みを確立したからである。大塚氏は、宮本氏の主導した「61年綱領」の「(日本は)高度に発達した資本主義でありながらアメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国となっている」との規定こそ核心部分であろうという。その通りである。
1960年代は、宮本路線の批判者である構造改革派も新左翼各派も「日本は自立した帝国主義国家だ」としていたが、現在に至るも日本の対米従属状態には変りがない。
ところが1991年末ソ連崩壊がおきると、宮本氏はこの事態に、「巨悪の崩壊をもろ手を挙げて歓迎する」との声明を発表した。上記エピソードによっておわかりのように、宮本氏もかつてはスターリンを崇拝しソ連をたたえていた。だからこの声明にはわたしもたまげたが、共産党シンパだった村の友人は「スターリン崇拝は間違っていましたくらい言え」と怒った。
まだある。わたしの記憶では、宮本氏はルーマニアの独裁者チャウセスクを支持していたが、かれが民衆反乱で殺された後も、宮本氏の自己批判はなかった。共産党の指導者に反省の弁がないという例は、委員長が不破哲三氏、志位和夫氏に代わってからも続いている。
大塚氏は、不破氏を批判しつつも党の理論的指導者として評価している。
不破氏は宮本路線を手直しした2004年綱領の作成を主導した人である。そこでは「民族民主統一戦線政府」は消え、「統一戦線の政府・民主連合政府」が強調され、国会で安定した多数を得て社会主義政府をつくるとなった。社会主義と共産主義の区別は無くなり、社会主義の定義も「生産手段の社会化」に言及しただけで、「計画経済」も「プロレタリア独裁」もなくなった。これをめぐって不破氏は大量の著作を発表した。
ソ連については、すでにスターリンの酷政がレーニンの路線から生まれたことが明らかになっていたにもかかわらず、不破氏はレーニンの死後、ソ連は社会主義から逸脱したゆえに崩壊に至ったとした。大塚氏は、(レーニンからの逸脱である)大国主義・覇権主義批判という視点だけではソ連崩壊の原因を求めるのは不十分だという。氏は、20世紀社会主義の破産は党の「民主集中制」によって専制と抑圧を社会に強いていた事実、それも崩壊の一因だと指摘している。
これとは別に、2004年綱領では中国・ベトナム・キューバについて「社会主義を目指す新しい探求を行っている国々」と規定した。ところが16年後の28回大会では、この規定は中国が大国主義・覇権主義になったからという理由で削除された。
中国共産党は20世紀末から「大国崛起」をスローガンに、軍事・経済大国を目指すという路線を変えることなく今日まできたのだから、先の規定ははなから間違いであった。規定を変えるにあたっては、不破氏は2004年綱領の作成時の中心だったのだから当然自己批判をすべきだった。ところが、志位和夫氏は党大会で、たいした根拠もなく「当時は、これが正しかった」と不破氏をかばう発言をした。
このときわたしは共産党の理論上の退廃があらわになったと感じた。
志位和夫氏について、大塚氏は「宮本氏の壮絶な体験や不破氏の超人的な著作活動という強烈な個性とは持ち味が異なっている」と同情的だ。だが、「党委員長として、22年という在任期間が長すぎるのは事実だ」といい、「志位氏が存分に力を発揮したのは何年間あるのか」と問うている。
さらに氏は、共産党の組織原則の「民主集中制」について、「党指導部が主人公の組織から、党員自身が主人公になれる組織へと脱皮していく民主主義を組織原則としていくことは急務であると判断する」と、党の組織原則から中央集権制を破棄するよう忠告している。
本の帯にある中北浩爾氏の推薦文に大いに惹かれて本書を読んだ。そこには「左翼に再生の道筋はあるのか。その絶望の淵で、元岩波書店の敏腕編集者が豊富な知識と自らの体験に基づいて思索する。読み進めると徐々に引き込まれていく。『小説 岩波書店取材日記』で話題を呼んだ著者による体験的左翼論」とあった。
これを見て飛びついたものの、各ページに展開された豊富な知識と議論の複雑さに頭が混乱した。「参った」というのが老人のため息である。
(2023・03・23)
2023.03.28
苦戦するロシアのウクライナ侵略戦争
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)
大規模な兵力・火力を注ぎ込んでいるロシアのウクライナ侵略戦争。昨年2月24日に、第2次侵略(第1次侵略は14年3月にクリミア半島占領)を両国国境(ウクライナ北東部から南東部)で開始、最大150kmほどの国境沿いを占領した。しかし、ウクライナ軍の厳しい抵抗で占領地拡大が行き詰まり、現在は国境地帯の中都市バクムートの攻防が一つの焦点になっているが、ここでもロシア軍は苦戦しているようだ。3月25日のBBCウクライナ現地報道を紹介しよう。
ロシアが数カ月かけて攻略を試みたウクライナの都市バクムートの戦いは「安定しつつある」と、ウクライナの司令官が述べた。
今月初め、西側当局者は、昨年の夏以降、バクムートで2万人から3万人のロシア軍が死傷したと推定した。
軍事アナリストのザルジーニ中将は、ウクライナ軍の「多大な努力」がロシアを抑えている、と述べた。 モスクワは、最近大きな利益を得ることができなかったため、勝利を熱望している。
にもかかわらず、同中将は、バクムートには戦略的価値はほとんどなく、街の重要性はもはや象徴的なものだと考えている。
同中将はFacebookで、ウクライナの前線の状況は「バクムート方面が最も厳しいが、ウクライナ防衛軍の多大な努力により、何とか状況を安定させることができる」と述べた。
同中将は、英国の国防参謀長であるトニー・ラダキン提督とウクライナの状況について話した後に投稿した。
彼のコメントは、バクムートの長い戦いに関するウクライナ当局からの最新の肯定的な信号である。
23日、ウクライナの地上軍司令官アレクサンドロ・シルスキー氏は、ロシア軍がバクムート付近で「疲弊」していると述べた。
シルスキー氏は、ロシアは「人員と装備の損失にもかかわらず、何としてもバクムートを奪取する望みを捨てていない。彼らは著しく力を失っている」と付け加えた。
シルスキー氏は、「キエフ、ハリコフ、バラクリヤ、クピアンスクで行ったように、まもなくこの機会を利用するだろう」と述べ、昨年のウクライナの反攻作戦の成功に言及した。
そして今週初め、ウクライナのゼレンスキー大統領は、12月に最後に訪れたバクムート近郊の前線を、改めて訪問した。
大統領府が公開した映像には、古い倉庫で「英雄」と呼ばれる兵士たちに勲章を授与するゼレンスキー大統領の姿が映っていた。
大統領府は水曜日、バクムートの西側でウクライナ軍の反撃があり、バクムートへの補給路の圧力が緩和されそうだとし、ロシアのバクムートへの攻撃は「限られた勢い」を失いつつある可能性があると述べた。
しかし、同声明は「ウクライナの防衛は依然として北と南からの包囲のリスクにさらされている」と付け加えた。
バクムートには侵攻前に約7万人が住んでいたが、現在は数千人しか残っていない。
同市を占領すれば、昨年9月にロシアが不法に併合したウクライナ東部・南部の4地域のうちの1つであるドネツク州全域の支配に、ロシアがわずかに近づけることになる。
(了)
2023.03.27
大がかりな中ロ首脳会談
―習近平が踏み出した一歩の先は?
田畑光永 (ジャーナリスト)
先日(3月20~22日)、モスクワで行われた中ロ首脳会談。ロシアのウクライナ侵攻作戦の現状から見て、習近平とプーチンが話し合えば、なにか事態打開の方向性が見えてくるのでは、と注目されたが、結果は見事に裏切られた。
裏切られただけでなく、見せられたのは、21世紀も4分の1が過ぎようとしている現代の出来事とも思えない、何世紀も前の皇帝外交と見まがうようなばかばかしい光景だった。
モスクワのクレムリンで行われる外交行事は、プーチンの好みなのであろう、概して時代がかっているが、中でも今回はとびぬけていた。21日の正式会談の始まりは、バカでかい、そして天井がバカ高い、壮麗なホールの両側の入り口を結んで長い絨毯の通路が敷かれ、その両端から2人が同時に歩き始め、何十歩か進んで、中心地点で握手。背景には人の背丈の数倍もあろうかという両国の国旗、という設えであった。おそらく2人は何世紀も前のナントカ大帝、カントカ皇帝の気分に浸ることができたであろう。
この会談から打開の方向性が見えてくるのでは、と期待したと書いたが、その期待の元は中国外交部が2月24日に発表した「ウクライナ危機の政治解決に関する中国の立場」と題する文書について、プーチンも「一部評価する」という態度を公けにしていたことである。
***中国の「立場」***
話の順序として、この中国の「立場」をざっと見ておこう。
全体で12の項目があり、1・各国の主権の尊重、2・冷戦思考の放棄、3・戦闘の停止、4・和平交渉の開始、と始まる。そして冒頭、1・の前半部分はこう書かれているー
「国連憲章の主旨と原則を含む公認の国際法は厳格に順守され、全ての国の主権、独立および領土保全は確実に保障されるべきである。国の大小、強弱、貧富などを問わず、すべての国は平等であり、各当事者は国際関係を支配する基本的な規範を共同で保護し、国際的な公平と正義を守らなければならない。(以下略)」
この部分では武力紛争についての国連の基本的な立場が遵守されるべき規範として掲げられている。これを見る限り、中国としてはロシアのしていることは国連憲章違反、国際法違反と見る立場と受け取れる。しかし果たしてそうか、は先に進まないと分からない。
さらに3・においては、「紛争と戦争に勝者はない」とまで言って、双方に停戦と和平交渉を呼びかける。
ついで、5・人道的危機の解決、6・民間人と捕虜の保護、と当事国間の人道問題の解決が呼びかけられ、その後、7・原子力発電所の安全確保、8・戦略的リスク(核兵器の使用)の軽減、9・穀物輸出の保障、11・産業チェーンとサプライチェーンの安定確保、12・戦後復興の推進、と国際的な懸念事項の解消から戦後復興までの対策が掲げられている。見る限り、一般的な紛争処理、戦後処理の手順とその内容としては順当なところと言えるだろう。
ただお気づきのように、じつは第10項目の紹介を飛ばしている。これが問題項目なのである。項目のタイトルは「一方的な制裁の停止」。その内容は「一方的な制裁と最大限の圧力は、問題を解決できない。のみならず新たな問題を生み出す。国連安全保障理事会によって承認されていない一方的な制裁に反対する。(以下略)」とある。
ここにこの中国の「立場」のからくりがある。1・を見る限り、国連憲章の主旨と国際法を破ってウクライナの主権、領土保全を破ったのは誰かに目が行く。しかし、10・では「安全保障理事会によって承認されていない制裁には反対する」、つまり「ロシアは制裁にあたらない」=「ロシアは悪くない」ということになる。
そしてさらに言えば、安保理がロシアの行為を不当とできなければ、だれが見てもロシア側からの一方的な武力攻撃ではじまった「ウクライナ侵略」もどちらが悪いかの判定抜きの一般の紛争となってしまう。
ロシアは安保理の常任理事国であるから、ロシアが反対すれば(拒否権を行使すれば)安保理は何も決定できない。こんな分かり切ったことを持ち出して、中國はロシアの立場に助け舟を出しているのである。
勿論、国連には総会があり、そこではロシア非難決議などが何度も決議されている。しかし、それは賛成何票、反対何票という相対的な数字である。ロシアもさすがに国連加盟国の多数の支持が得られるとは期待せず、国連に限らず、いずれの国際会議でも反ロシアに反対する票がいくらかでも入ればいい、言い換えれば「賛否両論あり」の形になればいい、という態度だから、安保理の結論は「ロシアは制裁に値せず」である、という中国の屁理屈はおおいにありがたいのである。
私が今度のプーチン・習会談に「期待」したのは、この恩義と交換に、うまくすれば習近平はプーチンからロシア軍の一部撤退など、なんらかの譲歩を引き出すことが出来るのではないかと思ったのである。
***鉄面皮なコミュニケ***
それでは会談はどうなったか。
今回のモスクワでの首脳会談は20、21の2日間で合わせて6時間余に及んだということである。その故か、発表された共同コミュニケは非常に長い。私はロシア語が読めないから、中国語で読んだのだが、私のPCのカウンターではコミュニケ全文は9276字と出た。一般に中国語の文章を日本語に訳すと、すくなくとも2倍以上になるから、まあ少なく見積もっても日本語では2万字以上である。
これは報道発表文として異例と言っていいくらいの、ちょっとした論文なみの長さだが、それはひとまず措いて第9項目のウクライナに関する部分を見よう。
「双方は、国連憲章の主旨と原則は遵守されねばならず、国際法は尊重されねばならないと考える。ロシア側は、中國がウクライナ問題で客観的、公正な立場にあることを積極的に評価する。双方はいかなる国家、あるいは国家群も、軍事的、政治的およびその他における優勢を求めて他国の合理的、安全な利益を害することに反対する。ロシア側は可能な限り早期に平和交渉を再開するべく努力することを表明し、中國側はこれを称賛した。
ロシア側は中國側が政治的外交的方途を通じてウクライナ危機を解決するために積極的な役割を果たそうとしていることを歓迎し、『ウクライナ危機の政治解決に関する中国の立場』の文件に述べられた建設的な主張を歓迎する。
双方は、ウクライナ危機を解決するには各国の理にかなった安全への関心が尊重され、陣営間の対立の形成、火に油を注ぐことを防がなければならないと指摘した。
双方は責任ある対話こそ問題の着実な解決に最適な道であることを強調する。そのために国際社会はそれに関連する努力を支持すべきである。
双方は各方面に局面を緊張させ、戦争を長引かせるすべての行動を停止し、危機がさらに深まり、制御不能に陥るのを避けるよう呼びかける。
双方は国連安全保障理事会の議を経ない、いかなる一方的な制裁にも反対する」
引用が長くなってしまったが、以上がコミュニケのウクライナ戦争そのものについての内容のすべてである。それにしても、よくもまあこれほど事実を無視した奇妙な論理を恥ずかしげもなく人前に出せるものだと思わない人はいないだろう。
中国の「立場」の冒頭、両国の「コミュニケ」でも冒頭に置かれている「国連憲章、国際法の尊重」とロシア軍の一方的なウクライナ攻撃はどうつながるのか、そこを素通りして知らん顔は世界に向けての両国の態度表明にしては無責任に過ぎる。
さらに「ロシア側は可能な限り早期に平和交渉を再開するべく努力することを表明し、中國側はこれを称賛した。」というくだりなど、一体どこの戦争の話かと頭が変になりそうである。ロシアが兵をウクライナから引けば、それで「停戦」は実現し、その後、平和交渉を開くならいつでも開けるのに、「平和交渉を再開するべく努力」などと、ロシアはまるで無意味なことを言い、中國側が「これを称賛した」とは、よく恥ずかしくないものだ、とその鉄面皮に感心してしまうほどである。
***中ロ友好、それでいいの?***
今度の中ロ首脳会談はかなり注目を集めた。直前にロシアが中国に武器援助を頼んだというニュースが流れ、もしそれが実現するようなことになると、ロシアのウクライナ併合企図というローカル紛争が中ロ両大国対西側陣営というグローバル対決へと拡大するからである。
しかし、どうやらそうはならなかったことはご同慶のいたりである。しかし、中國がロシアにドローンを何十機か提供するといった話はくすぶっているし、もしそうなれば苦しいロシアを中国が幾分なりとも助けることになるが、大規模な対決へと進むことだけは何としても国際世論の力で阻止しなければならない。
それにしても、この段階で習近平がモスクワへ赴いて、はっきりロシアの肩を持ったことは、中國国内へどういう影響を及ぼすか、ここが注目点と私は見ている。
しかし、その前提として、習近平が憲法を改正してまで、長期政権、それも周りを側近で固めた宮廷政治の形でスタートしたことは、決して中国の政治を安定させることにはならないと私は思っている。「孤樹不成林」(樹は1本では林にならない)という言葉は、習近平の前の胡錦涛時代(2002~2012)のナンバー2、温家宝が首相になった時にご母堂が周囲との協調を諭して書き送った手紙にあった言葉だそうである。取り巻きだけで作った政権はいざとなると弱いのである。
さて、昨年2月、北京での冬季五輪開会式に訪中したプーチンを迎えた習近平は、長期政権の確立という同じ目標を持つもの同士として、肝胆相照らす会談の中で、プーチンからウクライナ併合の野望を明かされ、それを自らの台湾解放の夢と重ね合わせて、協力を約束したと私は推測している。
そして、2月24日、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まり、国連その他でロシア非難の声が上がるたびに、中國はそれに加わらずに、ロシアの肩をもってきた。しかし、ウクライナの善戦と西側の応援によって、1年経ってもプーチンの野望は実現するどころか、逆にその進退は窮まりつつあり、3月17日にはICC(国際刑事裁判所)から「ウクライナの子供誘拐容疑」でプーチンに逮捕状が出されている。
そこで、プーチンとしては武器援助という形で中国をはっきり味方陣営に引きこむか、あるいはせめて派手な会談でも演出して、四面楚歌のジリ貧状況にカツを入れようとしたというのが、今回の会談であったと私は見る。習近平にしてもなにかとうるさいバイデンよりもプーチンの方が話しやすいだろう。
それが冒頭に紹介した時代がかった会談演出であり、論文と見まがうほどの長大な共同声明となったのであろう。それによってプーチンにどれほどのプラスがあるか、否、そもそもプラスがあるか否かさえ不明であるが、習近平にとってははっきり大きなマイナスになると私は見る。
確かに今、中米関係はよくない。トランプ、バイデンとここ2代の米大統領は「反中」姿勢を表に掲げている。それにはいろいろ原因があるが、最大のものは習近平が権威主義的支配を強めていることである。香港やウイグル地区や、国内の統制ぶりが嫌われていることは確かで、「内政に干渉するな」と言ったところで、相手が嫌うことをしているのだから、好かれないことに文句を言ってもはじまらない。自業自得である。
しかし、中国の民衆の立場に立って考えると、政府と米との関係が良い時と、悪い時を歴史的に見れば、よい時のほうが悪い時よりはるかに幸せであったことは間違いない。「アメリカ帝国主義は世界人類共通の敵」と唱えていた時代の中国国民は人民服を着て自転車に乗っていた。「改革・開放」時代となり、米国が身近になって、暮らしは格段によくなり、自動車にも手が届き、子弟は続々と太平洋を渡って、米の大学で勉強している。
そしてロシア(ソ連)はと言えば、中国が米と対立した時代の同志であり、友人であった。今、側近に囲まれた習近平はプーチンとの王様ごっこに得意満面である。成り行き注目である。(230325)
2023.03.25
3.21 さようなら原発全国集会に参加して
韓国通信NO718
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)
東京・代々木公園で開かれた反原発の集会に全国から4千7百人が集まった。原宿駅前は祝日とあって大変な人で賑わっていた。だが、明治神宮前から会場へ向かうと人の列は激減。決して少なくはない4千7百人の集会がみすぼらしく感じられた。
開会冒頭、主催者を代表して鎌田慧さんが亡くなった大江健三郎さんへ感謝の気持ちを述べ、全員で黙とうを捧げた。澤地久枝さんも骨折をおして参加。「原発回帰」という異常事態に登壇者たちは口々に大江さんの遺志を継いで新たな運動のスタートを誓い合った。
≪ステージ登壇者たち≫
福島からの報告―「これ以上海を汚すな!市民会議」、「避難の協同センター」「甲状腺がん子ども支援ネットワーク」。新潟からは 「柏崎刈羽原発再稼働おことわりグループ」。脱原発首長会議から元湖西市長の三上元さん、原子力資料 情報室の松久保さんからの報告が終わると原宿と渋谷の二コースに分かれてデモ行進が行われた。
かつてこの会場に十万人近い人が集まった頃の活気を思い出す。首相官邸と国会議事堂前には毎週金曜日にシュプレヒコールがこだました。古い原発を再稼働させ、新しい原発まで作ろうという驚愕の政府方針に5千人足らずしか集まらなかったのは残念だ。
NHKは代々木公園の中にあると言ってよい。市民たちの運動を伝えることを使命としている韓国のメディアに比べNHKを筆頭とする日本のメディアの惰眠ぶりは異常だ。WBCでの優勝、首相のウクライナ電撃訪問で忙しかったとは言わせない。NHKは、汚染水を処理水と言いかえてまで政府の広報役をつとめ、眼下に見える集会を12年間無視し続けて来た。集会とデモ行進の画像を流すのは「公平」「中立」でないとでも思っているようだ。
≪当日のビラから≫
会場でもらったチラシを紹介する。
「南西諸島の戦場化を許さない3.27集会」「神宮外苑アクション!銀杏並木の聖地神宮外苑を守ろう」「とめよう東海第二原発・首都圏連絡会」「G7広島戦争サミット許すな」「現役自衛官セクハラ支援の会」「沖縄を再び戦場にするな」「落合栄一郎バンクーバー便りー放射線は何故危険なのか4.2講演会」
渋谷駅周辺は肩が触れ合うほどの賑わいだった。通行人の彼らには「フクシマを忘れるな」「汚染水を流すな」は発見だったかも知れない。集会を報道しないNHKよりデモ隊を見送る通行人たちのほうがよっぽど健康に見えた。日本にもデモをする人がいるのかと驚く外国人には、想像もしたことのない「日本発見」だったかもしれない。
≪3.21代々木公園の映像≫

会場風景

ステージ報告

デモ隊と通行人の出会い(渋谷スクランブル交差点)
≪着実に広がる独自の運動≫
12年間、私たちは大集会とは別に着実に独自の運動を広げてきた。
毎週金曜日の首相官邸前の集会に代わりに毎月第三金曜日に『首相官邸前抗議』が行われている。
青森でも宮城でも、佐賀でも毎月11日に「福島を忘れない」「原発イラナイ」の行動が行われている。
地域で声を上げている人たち。柏駅頭の反原発の街頭宣伝は3月4日に500回を迎えた(スゴイ!)。
毎月3日の「スタンディング」デーは全国各地で行われている。我孫子駅頭では2016年から。小出裕章さんたちは松本駅で。高槻の友人も。東久留米でも。
地元の「さようなら原発あびこ」からは元気な写真が送られてくる。ネットで調べると全国で無数の人たちが街角に立っている。
代々木公園に集まった人が5千人足らずと嘆くようでは地域で頑張っている人たちに申し訳ない。
反原発と安保法制反対の運動からわが国の市民運動がめまぐるしい飛躍を遂げたのを実感する。
代々木公園の会場には若者たちの姿もちらほら。うれしかった。
2023.03.24
二十世紀世界文学の名作に触れる(60)
『ジャングル・ブック』のキプリング――植民地時代が生んだ動物文学
横田 喬 (作家)
十九世紀半ば~第二次大戦直後にかけて、植民地帝国イギリスはインドに広大な領土を持っていた。インド生まれのノーベル賞作家キプリングの出現は、いわばその植民地帝国の申し子とも映る。彼は「東は東、西は西」という言葉を残したことでも知られるが、その真意は東を西より貶めることにあったわけではなく、むしろその逆だったと言われる。
ラドヤード・キプリングは1865年、英領インドのボンベイ(現ムンバイ)で父ジョン・ロックウッド、母アリスの間に生まれた。母はビクトリア朝時代の有名な「マクドナルド四姉妹」の一人で、「同席すると、決して退屈しない」女性だった、という。父は彫刻と陶器のデザイナーで、当時ボンベイに設立されたばかりの私立芸術産業学校の建築彫刻科主任教授を務めた。母方は名門に属し、最も年長の従兄弟スタンリー・ボールドウィンは1920~30年代に保守党の首相に三度、就いている。
キプリングは幼時を回想して、こう記している。
――昼寝をする前に、(現地人の)家僕が地元で伝えられている物語やインドの童謡を聞かせてくれ、正装してダイニングで過ごす前になると、「パパとママには英語で話すのよ」と注意されるのだった。つまり、片や現地語で考え、夢を見て、片やそこから翻訳しながら、英語で話すのだった。
ボンベイでの「強い光と闇」の日々は五歳で終わる。英領インド育ちの子供として、彼と三歳の妹アリスはイングランドに送られ、ポーツマスに到着。ホロウェイ夫妻の貸し別荘で六年間を過ごす。自伝でキプリングはこの時期を「恐怖」と呼び、ホロウェイ夫人による虐待と無視が「彼の文学人生の始まりを早めたかも」との皮肉について、こう述べている。
――七つか八つの子供は(特に寝入りばなには)満足げに矛盾したことを言うでしょう。それらの矛盾を嘘だとし、朝食の時に言い募られたら、人生は楽ではない。私は苛めについてもある程度は知っていたが、これは宗教的であり、かつ科学的である計算された拷問だった。だが、私が話をする時に必要だと悟った嘘は、文学活動の基礎になった、と推測できる。
この頃には、父から送られた少年向けの物語を読むことに逃げ込んでいた。兄妹の許にはイングランドの親戚も訪問した。クリスマスの一カ月間は母方の叔母ジョージアナと夫の画家エドワードの家で過ごし、そのロンドン・フルハムの農場をキプリングは「私を救ってくれたと信じられる天国」と呼んだ。
1877年春、母アリスがインドから戻り、兄妹を貸し別荘から連れ出す。翌年、キプリン
グは軍人の子供のために設立されて早々のカレッジに入学。最初はなじめなかったが、後には級友らと固い友情で結ばれ、ずっと後に出版される『ストーキーと仲間たち』の材料を提供した。在学中に英・仏・露の文学作品を愛読し、幾つかの詩を学友会雑誌に発表している。
両親はキプリングをオックスフォード大学に進学させたかったが、学費を調達できず、また学力の判定もいまいちとあって、断念する。父のコネがあるパキスタンの都市ラホールで、彼のための仕事を探し出す。キプリングは小さな地方紙『シビル&ミリタリー・ガゼット』の編集助手として働き始める。後年、彼は当時を回顧し、こう言っている。
――私の英国での日々はとうに消え失せ、帰って来たのだ、という強い気持ちが湧いた。
彼は社交クラブのメンバーとなり、様々な分野の在インドの英国人や現地のインド人と交流した。記事と並行して詩を書いて連載。86年、最初の詩集を刊行。新聞の編集者から短編小説の寄稿を求められる。87年までに39の小説を同紙に連載。その殆どは翌年出版された最初の短編集『高原平話集』に収められている。
88年に英領インドのより大きな姉妹紙に転勤となり、その後もハイ・ペースで執筆は続けられ、毎週新聞に短編を掲載。41作を収めた6冊の短編集を出版。加えて、所属紙の特派員として多くの手記を執筆する。当時を回顧し、彼は「全て純粋な悦び、黄金の時間だった」と述べている。
彼は文筆家としての将来を考え、新聞社の勤めを辞めてロンドンへ行き、大学で文学を学ぶことにする。89年3月、インドを離れ、東南アジアの各地や日本などを経て、サンフランシスコに到着し、米国各地やカナダを歴訪。ニューヨーク州では『トム・ソーヤーの冒険』で知られる作家マーク・トウェインと面会し、「強い畏敬の念」に打たれる。
大西洋を渡り、同年10月に英国に到着し、すぐロンドンの文学界でデビュー。90年、雑誌に『兵舎のバラード』を連載し始め、たちまち有名になる。インドを舞台にした短編も好評で、新聞は「現代文壇の英雄」と呼び、作家スチーブンソンは書簡の中で「私以来の最も嘱望される若手」と評した。91年、再び航海に出て、南ア~豪州~ニュージーランドを経てインドに立ち寄った後、ロンドンに戻る。92年1月、26歳のキプリングは3つ年上のキャロラインと結婚する。夫妻は米国北東部バーモント州内の農場に小さな別荘を借りる。
この「幸福の小屋」で四年間を過ごし、長女・次女・長男が誕生。有名な代表作『ジャングル・ブック』は、ここで書かれた。キップリングはこう記している。
――12月から4月までは、窓枠の高さまで雪が積もっている。そこで、狼に育てられた少年の棲むインドの森について、書いたのだった。中心的アイデアが頭の中で絞り出されると、後はペンが勝手にモウグリや動物たちに関するストーリーを書き始めるのを見ていた。
当地での四年の暮らしの間に、彼は『ジャングル・ブック』の他に、短編集『その日の仕事』長編『勇ましい船長』詩集『七つの海』を出版した。当地への訪問者には、退隠後の彼の父親やイギリスの有名な作家コナン・ドイルの姿があった。
二十世紀初頭、キプリングの人気は最高に達する。1907年、英国人として初めてノーベル文学賞を受ける。授賞理由は「この世界的に有名な作家の創作を特徴づける、観察力、想像力の独創性、発想の意欲と、叙情の非凡な才能に対して」。
36年、キプリングは十二指腸潰瘍が基で七十歳で亡くなる。彼の有名な言葉「東は東、西は西」は東洋蔑視の象徴として受け取られがちだが、真意はその逆だった。(インドを深く愛した)彼の願いは、いつかは東と西とが融合することにあった、と言われる。
2023.03.23
STOP! 放射能汚染水を海に捨てるな
韓国通信NO717
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)
汚染水は単なるトリチウム水ではない。ALPSが除去できないストロンチウム90など、多くの有害放射性核種が含まれている。汚染水の保管場所がないというのは真っ赤なウソ、放流するための口実に過ぎない。放流は福島の漁民たちの生業を奪うだけではない、海に生きる世界のすべての漁民にとって脅威だ。福島の漁民への補償ですむ話ではない。
海が放射能汚染されれば生態系に深刻な影響を与える。だから放射性廃棄物の海洋投棄は国際条約で禁止されている。隣国の韓国や中国ばかりではない。世界中の漁業団体、環境団体が反対していることはあまり知らされていない。
濃度を薄めれば安全かのように盛んに宣伝されている。おかしな話ではないか。これまで溜まった汚染水と将来数十年にわたり発生する汚染水の放射性核種は、薄めても総量は変わらないはずだ。
事故を起こした張本人が実害はないなどと主張する資格はない。事故処理が進んでいるかのように見せかける事故隠し、原発を稼働するための口実に使われる。風評被害だけが問題ではない。日本のエゴが世界規模の食の安全を脅かし自然環境を破壊する。
海洋放棄をしない方法を主張する多くの専門家の意見を聞くべきだ。放棄は絶対に許されない。
鄭周河(チョン・ジュハ)さんから届いたお便り

原発事故直後から福島を撮り続けてきた韓国の写真家鄭周河さん(写真)から月刊誌『文化ジャーナル』に寄稿した記事が届いた。
写真展「奪われた野にも春は来るのか」が全国各地で開かれ話題を集めたのでご存じの方も多いはず。
彼はいわゆる報道写真家ではない。作品をとおして人間が生みだした科学技術と人間と自然をテーマにして原発事故を見つめ続けてきた。
百済芸術大学の教授という肩書に新たに「完州自然環境を守る連帯会議代表」の肩書が加えられていた。コロナのため毎年訪れてきた福島行きが実質不可能となった3年間に地元の環境保護運動に専念してきた姿がうかがわれる。
最期の写真展以降、久しぶりに届いたメッセージである。記憶する力と記憶させない力の相克。記憶に賭けてきた鄭周河さんの文章から汚染水放流への危機感が伝わる。
避けることのできない放射能問題―私たちはどう立ち向かうべきか
鄭周河 (チョン・ジュハ)
日本政府は今春4月から福島沖へ12年間水槽に貯めておいた核汚染水を放出するという。 正確な日付はまだ決まっていないようだが、4月頃というから、春が来てすっかり暖かくなる頃に始まるようだ。
全世界の人々がともに経験した•東京電力福島第1原発の1、2、3、4号機が爆発したのは2011年3月12日。 その前日に震度9の地震があり、その余波が津波となって日本の東側の海岸に押し寄せた。
始まりは津波だったが、私たち世界の人々に迫った苦痛の中心は核/放射能によるものだった。 津波による苦しみと被害は見落とすことはできないが、それは自然災害であり地球で生きていく人間の宿命といえる。日本だけでなく地球のあちこちで起きていることであり、災害に備えることは大変難しいので宿命と受け入れるのだ。
しかし、原発の爆発とともに起きた事態は全く違う。 すでによく知られているように、発電所周辺の防波堤の高さの設計ミス、低い地面に設置された非常発電機問題は人間の傲慢さに関連した科学的、人的ミスだ。 第二次世界大戦後、韓国戦争(朝鮮戦争)とベトナム戦争を経て成長した日本の経済は、まさにこの科学技術に基づいている。 アジアの盟主、あるいは脱亜を唱えるほど成長したといわれる日本は、その科学技術を土台に「安全神話」という傲慢な自信を国内外に標榜するに至った。
現在、福島原発周辺に保存されている汚染水は180万トンを超すと言われている。しかしこの数字は意味がない。すでに12年間に地中に沁み込んだ汚染水量の計測は不可能であり、放射能汚染濃度の計測・推測さえ不可能だ。
この間、日本政府は汚染水を遮断するために爆発した発電所周辺に凍土遮水壁を設置して汚染水流出を止めようとしたが、それは「手のひらで空を覆う」に等しいものだった。爆発当時の原子炉内の温度は1200度にも達し、これによって溶け落ちた核物質は液体状態で敷地地面深く入り込み、これを冷却するために注水した海水は直ちに核物質と混ざり地中に沁み込んだ。正確な計量は難しいが、現在でも爆発した原子炉から放出される汚染水は相当な量にのぼるはずだ。雨と雪、さらに風がこの地域を特定することなく流れ広がる放射能物質は人間の過誤から形成された刑罰の重要な断面を示していると言える。
間近にやってくる今年の4月に予定されている放射能放出問題はすでに数年前から計画されていた。日本政府は公然とアルプス(ALPS Advanced Liquid Processing System)の活用を公言していた。しかし汚染水から放射能核種を除去するにはこの装置は不完全なことが既に判明しており複数の情報機関、研究機関からも明らかにされてきた。特に三重水素で知られるトリチウム(Tritium)は除去できず一般水素より三倍も重い質量の核種は水素爆弾の材料に使用されるものだ。さらに最近ではアルプスが除去できる62核種の半分を超す核種に対する処理を撤回したという。どのような理由からだろうか?時間と経費を節約しようということか。
改めて、福島原発爆発事故を原点から考えてみると、なぜ福島に原発を建て、発電された電気をすべて東京に送電したのか。さらに東京周辺の海岸でなぜ原発を建設しないのかという疑問が湧く。 他の産業財とは異なり、エネルギー問題は生産の代価がはるかに一般的だ。 すべての国民は恩恵とそれに伴う代価を払って暮らしている。小さな家庭であれ大きな産業体であれ使用するエネルギー量の差はあるが、皆が消費しており、その代価も比例して支出することになっている。 だが、そのエネルギー生産による被害と処理の代価は公平ではない。東京で消費する電気エネルギーの生産を福島で支え、それに伴う被害は福島の住民が抱えるという構造の根幹にある生産と消費の地域的不均衡問題は非常に深刻な人権蹂躙ではないかと思う。日本で、そして世界の人々が福島を「エネルギー植民地」と呼ぶのは無理からぬことである。このような指摘が妥当なら、日本政府と東京電力が隠蔽しようとする核汚染水放流の理由と言い訳は、単に処理費用を減らそうとする姑息さだけでなく、最初からこれを薄めて皆の食卓に乗せて無かったことにしようとしているようで恐ろしい気がする。
#風景 1
東京電力第1原発から北西に14キロほど離れた浪江に「希望牧場」がある。 ここにはまだ約200頭の牛が住んでいる。 原発爆発当時、政府による「殺処分」命令に抵抗し、牧場主の吉沢正巳さんが12年間世話をしている。 数年前に吉沢氏に会い、なぜこのように難しい仕事を続けているのかと尋ねると、彼は「この牛たちは人間の欲望が作り出したあのとんでもない事件の証言者なので殺すことはできない」と答えた。
#風景2
現在私たちが放流を憂慮している汚染水貯蔵タンクは、福島県の霊山山脈の渓谷の所々に散在する汚染土の山と非常によく似ている。 この汚染土は黒い1トンバックに入れられ、まるでピラミッドのように、または堤防を築いたように置かれている。緑色のビニールで覆われていたり、時にはそのまま放置されていたりする。 そこを巡回していると、住民たちが設置した「汚染土再利用反対」という切なく揺れる旗に出会うことがある。
#風景3
多くのメディアが東京電力福島第1原発敷地周辺にある汚染水貯蔵タンクの映像を伝えている。そのタンクの数を知られたくない理由は、その汚染水の合計が120万トンであれ180万トンであれ、それが全てではなく、ひいてはそれで済む問題ではないからだ。 すでに放流された汚染物質と今後放流される汚染物質は、時間をかけて私たちを攻撃する隊列を整えているだけだ。 しかし、空中から撮った水槽タンクの整然とした整列は合理的思考の残忍な姿だ。一見格好よく見える軍隊の閲兵に似ている。(下写真/希望の牧場/よしざわ/「牛は証言する」)

この3つの風景が今の福島だ。 希望牧場の吉沢氏が小声で主張していたように、ここ福島には証言者が必要だ。 証言と記憶はいずれも「春」を「記憶/経験」しながら成立する。 その形成された風景を跡形もなく消そうとするのが、殺処分であり、汚染除去であり、汚染水の放流である。 そして時間が経てばかつて「あった」風景は「起源」(柄谷行人)を含んだまま時間の中に放流され、私たちの記憶と証言は錆ついて消えていくだろう。 だから、この3つの風景は消えることなく、その場に存在し続けなければならない。 理由は、私たちの記憶が未来に向けた証言につながらなければならないためだ。 汚染土を再利用してその跡を消し、汚染水を海に放流して皆に分配することで、苦痛が始まった起源の理由を曇らせ、被爆した牛を殺害して起源以前に戻そうとする試みはすべて「証言不能」へと続く。日本政府は今回の汚染水の放流を撤回する意思はなさそうだ。
中国と韓国を含む周辺国の安易な対処に支えられ、経済的代価を少なく払うという意志も見える。 このような意志に代案的提案が何の意味があるだろうかという、放流「汚染水」を「処理水」に変えて呼び、ひいては飲むこともできると唱える彼らの意見(麻生太郎副総理)を「受け入れ」ようとする提案がある。 1400万人が住む東京の中心部に湖を作り、よく処理されて飲める水を貯めて素敵な公園にして住民が自由に散歩、水泳ができるようにするなら、どれほど経済的で美しいことか。 この提案は日本政府だけでなく、核を基盤にエネルギーを得ようとするすべての国に捧げたい。<訳 小原 紘>
<「百姓JAPAN」のオススメ>
WBCで「サムライJAPAN」の快進撃が止まらない。テレビでプロ野球は滅多に見ないが、今回は特別だ。試合を見ながら繰り返されるアナウンサーの「サムライ」という言葉が耳障りになった。
「あいつはサムライだね」などと刀を持たない現代人にも日常的に使われる。悪い言葉ではない。硬骨漢へのほめ言葉だが、女性には使わない。
サムライの起源である武士は武器を持ってあるじのために命をかけて戦う人間だ。江戸時代に入ると士農工商という身分制度の最上位に置かれ、世襲によって体制を維持する階級集団になった。
江戸時代の医師で思想家の安藤昌益は、堕落した僧侶、儒者たちに加えて武士は不要な存在と断じ、土を耕す農民を人間の理想の姿と考えた。農中心の平等な人間中心の社会、平和な社会を理想とした。日本が世界に誇る「いのち」の思想である。日本代表は侍ではなく栄えある百姓として胸を張って戦ってほしい。百姓が言いにくいなら少しおしゃれにFarmer Japanでもいい。日本発、平和の使徒が世界に存在をアピールする意味は絶大だ。武より農。平和憲法を世界にアピールして欲しい。頑張れ百姓 Farmer JAPAN!
<尹錫悦大統領の来日>
12年ぶりの韓国大統領の訪日。わが国は日韓関係の「正常化」の期待一色。韓国では日本の主張を丸呑みにした前代未聞の大統領の独走に騒然。第二の「日韓併合」と危惧する声まで上がっている。日韓の動きに目が離せなくなった。韓半島と台湾の動きがあわただしい。有事を想定して石垣島では避難訓練が実施された。
2023.03.22
岸田政権の原発回帰を許さず
東京の「さようなら原発全国集会」に4700人
世界を震撼させた東京電力福島第一原子力発電所の事故から12年を経た3月21日(祝日)、東京の代々木公園で、「さようなら原発全国集会」が開かれた。集会を主催したのは、「さようなら原発」一千万署名市民の会。岸田政権が昨年の参院選直後に「原発再稼働」を打ち出したことから、会場には「岸田政権の原発回帰反対」のプラカードやシュプレヒコールがあふれた。

会場に集まってきた各地の労組員
「さようなら原発」一千万署名市民の会は、福島第一原発の事故直後に、作家の大江健三郎、落合恵子、澤地久枝、ルポライターの鎌田慧、音楽家の坂本龍一の各氏らの呼びかけで結成された市民団体。福島第一原発の事故直後から毎年3月に、東京で「さようなら原発全国集会」開いてきたが、コロナ禍のため2020年は集会を中止、2021年と2022年は参加人数を制限した首都圏規模の集会を開いてきた。今年はコロナ禍が下火となったため、4年ぶりの全国集会となった。サクラが開花した会場には、東日本の各地から旧総評系の労組員、生協組合員、平和団体関係者、一般市民ら4700人(主催者発表)が集まった。
集会が掲げたスローガンは「岸田政権の原発回帰反対!」「老朽原発の再稼働やめろ!」「放射能汚染水を海に捨てるな!」「フクシマを忘れない!」の4本。3本目のスローガンにある「放射能汚染水」とは、事故を起こした福島第一原発に貯蔵されている、トリチウムを含む汚染水のことで、政府は、これをこの春から夏にかけて海に放流すると公言している。

福島からやって来た女性2人

座り込んで原発汚染水の海洋放出反対を訴える人も
「さようなら原発」から「くたばれ原発」へ
集会は午後1時30分に開会。まず鎌田慧氏が主催者あいさつをしたが、その中で同氏は「原発被災地の福島県にかつて『原子力 明るい未来のエネルギー』という標語が掲げられていた。国はこの標語を使って原発を推進した。その結果はどうだったか。分かったことは、原発は未来をつぶすエネルギーであるということだった。この間、政府はうそをつき続け、膨大な国家予算を原発につぎ込んだ。その結果、原発は人間を破壊し続け、その一方で、日立や東芝や三菱重工業などが大もうけをした。こうしたことが分かったのに、岸田政権はとにかく原発を動かすんだと言っている。まさに恥知らずで、無知、無謀だ」と述べた。
さらに、同氏は「これまでは『さようなら原発』と言って運動をやってきたが、これからは、一人ひとりが『くたばれ原発』というスローガンを掲げて運動してゆこうではないか」と呼びかけた。
次いで登壇した澤地久枝さんは「岸田政権がやることは何もかも悪い。こんな悪い政府は安倍政権以来だ。おかげで、この国は悪い方に向かっており、日本はアメリカよりも右の方にいる」「沖縄の与那国島にミサイル基地をつくるという。台湾有事に備えるためだそうだが、もし有事という事態になれば、島の人たちの命はどうなるのか。原発でも同じことが言える。つまり、日本の中で、一部の人たちが切り捨てられつつある。こうしたことに『反対』の声を挙げましょう。反対の声を挙げなければ、政府は国民は賛成しているんだと受け取りますから」「『反対』を言うのに、勇気はいらない。これからは、頑張って『反対』の声を挙げてゆきましょう」と訴えた。
福島から参加した佐藤和良氏(これ以上海を汚すな!市民会議共同代表)は「新聞社の世論調査によれば、福島第一原発の汚染水の海洋放出に国民の5割以上が賛成だというが、福島県民の7割が海洋放出に反対している。政府はなぜ、この県民の声を聞かないのか。汚染水は薄めて流すと政府はいうが、いくら薄めても放射能の核種の量は変わらない」として、海洋放出計画の撤回を求めた。
集会は、最後に参加者全員で4本のスローガンを何回もコールし、デモ行進に移った
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
世界を震撼させた東京電力福島第一原子力発電所の事故から12年を経た3月21日(祝日)、東京の代々木公園で、「さようなら原発全国集会」が開かれた。集会を主催したのは、「さようなら原発」一千万署名市民の会。岸田政権が昨年の参院選直後に「原発再稼働」を打ち出したことから、会場には「岸田政権の原発回帰反対」のプラカードやシュプレヒコールがあふれた。

会場に集まってきた各地の労組員
「さようなら原発」一千万署名市民の会は、福島第一原発の事故直後に、作家の大江健三郎、落合恵子、澤地久枝、ルポライターの鎌田慧、音楽家の坂本龍一の各氏らの呼びかけで結成された市民団体。福島第一原発の事故直後から毎年3月に、東京で「さようなら原発全国集会」開いてきたが、コロナ禍のため2020年は集会を中止、2021年と2022年は参加人数を制限した首都圏規模の集会を開いてきた。今年はコロナ禍が下火となったため、4年ぶりの全国集会となった。サクラが開花した会場には、東日本の各地から旧総評系の労組員、生協組合員、平和団体関係者、一般市民ら4700人(主催者発表)が集まった。
集会が掲げたスローガンは「岸田政権の原発回帰反対!」「老朽原発の再稼働やめろ!」「放射能汚染水を海に捨てるな!」「フクシマを忘れない!」の4本。3本目のスローガンにある「放射能汚染水」とは、事故を起こした福島第一原発に貯蔵されている、トリチウムを含む汚染水のことで、政府は、これをこの春から夏にかけて海に放流すると公言している。

福島からやって来た女性2人

座り込んで原発汚染水の海洋放出反対を訴える人も
「さようなら原発」から「くたばれ原発」へ
集会は午後1時30分に開会。まず鎌田慧氏が主催者あいさつをしたが、その中で同氏は「原発被災地の福島県にかつて『原子力 明るい未来のエネルギー』という標語が掲げられていた。国はこの標語を使って原発を推進した。その結果はどうだったか。分かったことは、原発は未来をつぶすエネルギーであるということだった。この間、政府はうそをつき続け、膨大な国家予算を原発につぎ込んだ。その結果、原発は人間を破壊し続け、その一方で、日立や東芝や三菱重工業などが大もうけをした。こうしたことが分かったのに、岸田政権はとにかく原発を動かすんだと言っている。まさに恥知らずで、無知、無謀だ」と述べた。
さらに、同氏は「これまでは『さようなら原発』と言って運動をやってきたが、これからは、一人ひとりが『くたばれ原発』というスローガンを掲げて運動してゆこうではないか」と呼びかけた。
次いで登壇した澤地久枝さんは「岸田政権がやることは何もかも悪い。こんな悪い政府は安倍政権以来だ。おかげで、この国は悪い方に向かっており、日本はアメリカよりも右の方にいる」「沖縄の与那国島にミサイル基地をつくるという。台湾有事に備えるためだそうだが、もし有事という事態になれば、島の人たちの命はどうなるのか。原発でも同じことが言える。つまり、日本の中で、一部の人たちが切り捨てられつつある。こうしたことに『反対』の声を挙げましょう。反対の声を挙げなければ、政府は国民は賛成しているんだと受け取りますから」「『反対』を言うのに、勇気はいらない。これからは、頑張って『反対』の声を挙げてゆきましょう」と訴えた。
福島から参加した佐藤和良氏(これ以上海を汚すな!市民会議共同代表)は「新聞社の世論調査によれば、福島第一原発の汚染水の海洋放出に国民の5割以上が賛成だというが、福島県民の7割が海洋放出に反対している。政府はなぜ、この県民の声を聞かないのか。汚染水は薄めて流すと政府はいうが、いくら薄めても放射能の核種の量は変わらない」として、海洋放出計画の撤回を求めた。
集会は、最後に参加者全員で4本のスローガンを何回もコールし、デモ行進に移った
2023.03.20
国際刑事裁判所(ICC)、プーチン大統領の逮捕状を発行―BBC報道
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)
BBC17日の報道によると、国際刑事裁判所(ICC)はこのほど、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の戦争犯罪に対し逮捕状を発行した。
ICCは、大量虐殺、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略を犯した個人を国際法に基づき訴迫、処罰するための常設の国際機関。1998年7月17日、ローマで160カ国が参加して開かれた国連外交会議で120カ国が賛成し、設立条約を採択。2002年7月1日に発効。日本も2007年に加盟している。
同裁判所は、プーチン大統領に戦争犯罪の責任があると主張し、ウクライナからロシアへの子どもたちの強制連行を厳しく追及、子供たちの送還を集中的に要求している。
ロシアが本格的な侵攻を開始した2022年2月24日以来ウクライナで戦争犯罪が行われたとしている。
モスクワはこの疑惑を否定し、令状は「言語道断」だとレッテルを貼っている。
ICCには容疑者を逮捕する権限はなく、加盟国内でしか裁判権を行使できない。さらにロシアはその加盟国ではないため、ICCの動きが大きな意味を持つ可能性は極めて低い。
しかし、国際的な旅行ができなくなるなど、大統領に別の形で影響を与える可能性はある。
ICCは声明で、プーチン氏が直接、あるいは他者と協力して犯罪行為を行ったと信じるに足る合理的な根拠があると述べている。また、プーチン氏が大統領権限を行使して子どもたちの強制送還を止めなかったことを非難している。
ICCの動きについて問われたジョー・バイデン米大統領は、「正当化されると思う」と答えた。同大統領は、米国がICCに加盟していないことを指摘した上で、「ICCは、非常に強い主張をしていると思う」と述べ、プーチン氏は「明らかに戦争犯罪を犯した」と述べた。
ロシアの子どもの権利担当委員であるマリア・ルボヴァ=ベロヴァ氏は、同じ罪でICCに指名手配されている。
彼女は過去に、ロシアに連行されたウクライナの子どもたちを洗脳する取り組みについて、公然と語っている。
同女史は昨年9月、ウクライナのマリウポリ市から連れ去られた一部の子どもたちが「(ロシア大統領の)悪口を言い、ウクライナ国歌を歌った」とロシアで訴えた。
彼女はまた、マリウポリから15歳の少年を養子にしたと主張している。
ICCは、当初は逮捕状を秘密にすることを検討したが、さらなる犯罪を阻止するために公開することを決めたと述べた。
ICC検事のカリム・カーンはBBCにこう語っている。「子どもたちを戦争の戦利品として扱うことは許されませんし、国外追放することもできません」
「こどもたち対するこの種の犯罪は、弁護士でなくとも、人間であれば、それがいかにひどい犯罪であるかを知ることができます」と述べた。
▼クレムリンは即座に否定
(分析) プーチンが戦争犯罪裁判を受けることはあるのだろうか?
逮捕令状に対する反応は発表から数分以内に起こり、クレムリン当局者は即座にこれを否定した。
プーチン大統領のドミトリー・ペスコフ報道官は、裁判所のいかなる決定も「無効である」と述べ、令状をトイレットペーパーに例えた。
「この紙を使うべきWHEREを説明する必要はない 」と、トイレットペーパーの絵文字を添えてツイッターに書き込んだ。
しかし、ロシアの野党指導者たちは、この発表を歓迎した。獄中の野党指導者アレクセイ・ナヴァルニーの側近であるイワン・ジュダノフは、「象徴的な一歩」だが重要な一歩だとツイートしている。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、「国家悪」に対する告発を決定したカーン氏とICCに感謝すると述べた。
ウクライナの検事総長は、この決定は「ウクライナにとって歴史的」であると述べ、同国のアンドリー・コスティン大統領首席補佐官は、この決定を「始まりにすぎない」と賞賛した。
▼ウラジーミル・プーチンは実際に逮捕されるのか?
しかし、ロシアはICCの署名メンバーではないため、ウラジーミル・プーチンやマリア・ルボヴァ=ベロヴァがハーグの法廷に出廷する可能性は極めて低い。
キングス・カレッジ・ロンドンの国際政治学講師であるジョナサン・リーダー・メイナード氏はBBCに、「ICCは逮捕するために各国政府の協力に頼っており、ロシアは明らかに協力するつもりはない」と述べた。
しかし、カーン氏は、クロアチア、ボスニア、コソボでの戦争犯罪で裁判にかけられたセルビアの指導者、スロボダン・ミロシェビッチ 氏がハーグで終わるとは誰も思わなかったと指摘した。
「昼間に犯罪をおかしても夜にはぐっすり眠れると思っている人は、歴史を振り返る必要があるかもしれません」と彼は言う。
法的には、プーチン氏には問題がある
プーチン氏はG20の首脳であり、中国の習近平氏と歴史的な会談を行おうとしているが、同時に指名手配犯でもあり、必然的に訪問できる国に制約が生じている。
一方、ロシアの戦争犯罪疑惑を否定してきたクレムリンにとっては、ICCのような影響力のある汎国家的な機関が、その否定を信じないというのは、恥ずべきことなのだ。(了)
2023.03.18
「強国」?「安定」? 亀裂を引きずった中国・全人代
―大国の土台に“軋(きし)み”はないのか
田畑光永 (ジャーナリスト)
中国政治の春の大行事、全国人民代表大会が5日から13 日まで開かれた。見慣れた行事ではあるが、今年はどうも例年よりさらに作り物に見えて、見物にも力が入らなかった。
というのはほかでもない、昨秋10月の中国共産党第20回党大会の最終日、覚えておられるだろう。議場の演壇、最前列中央の習近平総書記に向かって右隣りに座っていた胡錦涛前総書記が、議事の始まる直前に何者か不明の2人の男性に肘を抱えられて退場させられるという一幕があった。
すでに傍聴席には中国だけでなく各国の記者団も入っていたから、その一部始終は多くの目とカメラに記憶、記録され、世界中に伝えられた。中國当局が事後に新華社の英文記事でのみ伝えたのは、同氏は「体調を崩して退席した」という説明であったが、現場の光景は明らかにそれとは違い、胡錦涛は議案と見られるファイルを指さして、なにごとかさかんに説明しようとしたが、外から来た男性2人に力づくで議場外に連れ去られたのであった。
その後、胡錦涛の真意がどこにあり、なぜ議場外に出されたかの説明は、すくなくとも外部世界にはなにも聞こえてこなかった。しかし、あの数十秒は中国共産党という組織内部の深い亀裂の存在と、いざというときの処理の仕方、作風とでもいうべきものをはっきりと外部世界に知らしめたのであった。
それを意識したのか、今回の全人代では初日に(胡錦涛直系の)李克強首相が最後の政府活動報告を終えた後、まず習近平国家主席とついで李強次期首相と握手する場面があり、会場の拍手を浴びたが、これがまた演出じみて、なにかうそ寒いものが背筋に走るのを感じないわけにはいかなかった。
共産党大会に話を戻せば、9600万人にもおよぶ党員の中から5年に1度の大会に出席できるのは約3000人の代表である。大会前には各地、各分野で代表の選出がどのように行われたかがよく新聞記事になるほど大事な行事である。であれば、その代表1人1人の発言権は尊重されてしかるべきであり、まして大会に出席する権利はよほどのことがない限り守られなければならないはずだ。
しかし、あの時、なぜ胡錦涛が退場させられるのかを問う声は会場のどこからも上がらず、李克強、汪洋、胡春華といった同氏直系の要人たちは、出口へ向かう胡錦涛が背後を通っても振り向くことさえしなかった。おそらくあの場で胡錦涛に同調したり、同情したりといった行動に出れば、その後の自分の立場がどうなるかに自動的に頭が回転するように出来ているのであろう。
くどくどと昨秋の出来事にこだわってしまったが、あれ以来、なにを見てもあの事件を背景に置いて考える習慣が出来てしまったので、お許しを願いたい。
そこで、今度の全人代である。共産党大会があった翌年の全人代、とくに「10年で共産党の総書記交代」の慣例が生きていた時代のそれは、新総書記のもとでの組閣という意味で新鮮味があったのだが、今回はトップの習近平だけが変わらず、その他がほとんど交代という変則的な、それも要人のほぼ全員を習直系が占めるという「王政復古」と見まがう形となった。
それで中國は何処へ向かうか。その答えが出るにはもうすこし時間がかかりそうだが、それを考える手掛かりになりそうな兆候はすでに表れているようなので、今回はそれをお知らせしておく。
今年の全人代では、政権の考え方を窺わせる発言が3人から行われた。まず今回の大会を最後に引退する李克強首相による政府活動報告、国家主席に三選された習近平の演説、それと李強新首相の記者会見である。このうち一問一答の記者会見が一番中身がありそうなのだが、日本を含む西側の外国人記者の質問が認められず、つまり鋭い質問がなく、あまり参考にならないので取り上げない。
したがって、取り上げるのは李克強、習近平の演説である。といっても、演説原稿はスタッフがあちこち考えながら複数でつくるのだろうから、それほど個人的色彩が色濃く現れるわけではない。しかし、それでも個人差は出るはずなので、それを見ることにする。
まず李克強の政府活動報告。これはあくまで報告が先でその後に今年の目標がくるのだが、経済関係の目標数字を挙げてみると、GDP成長率は5%前後、新規就業者1200万人前後、都市失業率5.5%前後、消費者物価上昇率3%前後、国民収入の増加率は経済成長率と同程度、国際収支は基本的に平衡、穀物生産量は6.5億トン以上、というところである。
全体として、コロナの影響から回復しつつある経済をそのまま延長するといった目標で、退任する首相としては特別にどこに力を入れるとか、なにかを切り替えるとかいった発言は控えている印象を受ける。
この李克強報告については3月6日付の『日本経済新聞』が面白い分析をしているので、それを紹介しておく。
同紙が過去11年分の政府活動報告のキーワードを調べたところ、今年の報告は「安定」を意味する中国語の「穏定」という単語が33回も登場しており、前年22年のそれより38%も増えているという。「穏定」の意味を含めて「穏」一字だけが使われた場合を加えると、全部で90回も登場したそうである。退任する首相としては、なにごとも「安定第一で」というのが置き土産ということであろうか。
この記事に触発されて、習近平の演説を読んでみると、こちらは「強国建設」という言葉が目に付く。「強国を建設する」とか「強国戦略」とかを加えて数えると、12回あった。「穏定」に比べると少ないが、演説時間も半分ほどだし、「穏定」(「安定」)という一般的な形容詞に比べれば、「強国建設」は極めて具体的、かつ政治目標としてはいささか刺激的である。さほど長くない演説で同じ目標を12回も繰り返すのは、そこに力点があると考えてよいだろう。
ということは、これからの習近平中國は李克強の「穏定」でなく、「強国」を目指すのか。では「強国」とは何だ。
「強」を形容詞とする言葉を思い出してみよう。強者、強豪、強敵、強情・・・、どれもあまり親しみやすくはない。できれば敬遠したい相手だ。国でも同じだろう。習近平は中國をそういう国にしたいというのか。これまでの中国の表向きのスローガンとは違う路線だ。
古い話で恐縮だが、私が北京に駐在していた1970年代の後半は毛沢東、周恩来が世を去り、鄧小平が実権を握って、「4つ(農業、工業、国防、科学技術)の近代化」に取り組み始めた時代であった。その頃、中國はしきりにアジア・アフリカに生まれた社会主義政権の国々の元首を招いていたのだが、到着した元首の歓迎宴で中国側の首脳が述べる挨拶に必ず含まれたのは「国に大小なく、革命に先後なし」という一句であった。大国だからえらいわけではない、早く革命を成し遂げたからえらいわけではない、という意味だ。
言うまでもなく、世界で最初にボリシェビキ革命をなし遂げた故をもって、社会主義の盟主と自任していたソ連を皮肉り、自国を謙譲の美徳の持ち主と印象づけるための殺し文句であった。今、習近平はそれをみずから捨てて、「強国」として、世界に君臨しようというのである。
これは大きな変化だ。掛け値なしに自ら強国としてふるまうとはどういうことか。これまで中国が「大国」として一目置いていたのは米一国だ。台湾との関係でも、他国にはきびしく、しかし米にはいろいろ例外を認めてきた。米から台湾への武器の売却を認めているのはその最たるものだ。自ら「強国」を目指すとなれば、他国は黙ってオレに道を譲れ、逆らうな、と言っているようである。そうなのか。
昨年2月、北京での習・プーチン会談の後、「中ロ友好関係に上限はない」(当時の楽玉成外務次官)という言葉がこぼれ出てきた親密な関係は本物であったか、と思わせる習の「強国」への執着である。中國共産党は習の独走を許すのか。そこに軋みはないのか。
報道によれば、習のロシア訪問も近いという。「ロシアへの武器援助」などという物騒な話が「瓢箪から独楽」ともなりかねない。3期目の習近平政権の正体に眼をこらさねば・・・