2017.09.27  「満洲事変」を忘れるな
 ――八ヶ岳山麓から(236)――

阿部治平(もと高校教師)

また9月18日がやってきた。この日を迎えるたび、何かをいわずにはいられない気持ちでいっぱいになる。

「国民政府軍と中国共産党=紅軍との対決が激烈になりつつあった1931年9月18日夜半、瀋陽城北の南満洲鉄道(通称、満鉄)柳条溝付近の線路を爆破したのをきっかけに、関東軍はいっせいに北大営その他の東北辺防軍(通称、東北軍)への攻撃を開始した(姫田ほか『中国近現代史』東京大学出版会1982年)」

若い人で日本近代史を学ばなかったら、上記に現れる満洲が中国東北部の黒竜江・吉林・遼寧の3省を指すことや、これが「満洲事変」と呼ばれる宣戦布告なき日中15年戦争の始まりであり、関東軍とは日露戦争後に満鉄と「関東州」防衛のために中国に駐屯した日本軍であり、東北辺防軍とは中華民国の軍隊を指すとはわからないかもしれない。また爆破事件の発生地点は、いまでは「柳条溝」ではなく「柳条湖」が正確だとされている。
第二次世界大戦敗戦に至るまで、日本では満鉄爆破は東北軍の犯行だと信じられていたが、事実は関東軍の謀略によるものであった。事件首謀者は関東軍高級参謀の板垣征四郎大佐、作戦主任参謀の石原莞爾中佐である。
爆破と同時に関東軍は攻勢に出た。中国側は撤退した。翌32年1月には関東軍は錦州を落し、わずか5か月で満洲全土を占領した。

当時、「東三省(と中国では呼ぶ)」すなわち満洲防衛の任にあったのは東北辺防軍司令長官の張学良だった。彼は関東軍の動きをある程度は知っていたが、抵抗しなかった。蒋介石率いる国民政府の無抵抗方針に従ったからである。
のちに張学良はこれを後悔して、「日本には武士道というものがあるのだから、あのように残酷な行為をくりかえすとは思わなかった」と語っている。
関東軍はこうして満洲を確保したが、列強の手前、満洲を独立国にする必要があった。そこで1932年3月、清朝ラスト・エンペラー愛新覚羅溥儀を担ぎ出して満洲国執政とし、翌年には彼を皇帝とする「満洲帝国」をつくりあげた。だがその国務総理は日本人の総務庁長官に実権を握られていた。安倍晋三総理の祖父岸信介はその次長であった。

関東軍は満洲を支配するにあたって、日本人の農業移民を計画した。36年の「二・二六事件」後、軍部は日本の政治決定権をほぼ完全に掌握し、これによって37年からは本格的に農民を大量に満洲へ送り出した。満蒙農業開拓団である。
1937年7月7日、北京(当時、北平)近郊の盧溝橋で発砲事件が発生すると、日本陸軍は約10万の兵を北京など華北に派遣すると決定した。
大量の兵員が大陸へ動員されるようになると、満洲への農業移民を確保できなくなった。このため近衛内閣は、1937年11月末「満蒙開拓青少年義勇軍」を派遣することにした。小学校卒で、数え年16歳から19歳までの身体強健な男子で、父母の承諾を得さえすればば誰でもよいとされた(「満洲青年移民実施要項」)。自由応募がたてまえだったが、実際には道府県に割当てがあり、道府県は各学校へ割当てた。青少年義勇軍は1938年から1945年の敗戦までに8万6000人に達し、満蒙開拓民全体の30%を占めた。
開拓団も青少年義勇軍も長野県が全国最多だった。その数年前長野県では教師が共産思想に染まっているという「教員赤化事件」があった。捏造事件であるが、県指導者と「信濃教育会」は、「天皇陛下に対して申し訳ない」と農業移民と義勇軍の動員をかけたのである。

私の従兄2人ハジメ、マスオ、のちに従姉の夫になったマサトもこれに参加した。
開拓団や青少年義勇軍が敗戦によって壊滅した悲劇は、同情をもって語られる。だが実態はきれいごとではすまなかった。内部ではいじめもあり暴力沙汰もあった。墾屯病と呼ばれた鬱症状になるものもあった。私の従兄は一時帰国の時、義勇軍同士のけんかを語り、「おらぁこれで度胸がついた」と血染めのシャツを見せた。彼らの労働も食生活も苦しかったようだ。その分現地の漢人への迫害もあった。殺人もあったし強姦事件もあった。
生きて帰った者がこんな話をした。
「満洲へ行けば農地20町歩をもらえるという学校の先生の話におとっさまがつられた。おれが二男だったから」
「内原訓練所から満洲へ送られた。向こうでは天地権現造りという名の掘立小屋に住んだ。地面を掘り下げて床に枯草をしき、そのうえに地面からヤンソー(羊草)で葺いた屋根をおいただけ」
「たしかに土地は広かった。ひとうね端から端まで除草するのに半日はかかった」
「開拓団といったって、全部が全部開墾をしたわけじゃない。満人(漢人をこう呼んだ)の畑や家を無理やり二束三文で買取って自分らの土地にしたところもある。土地をとられた満人が開拓団の小作になったところもある」

1945年ソ連が対日戦に参戦し、まもなく日本は降伏した。敗戦が知れ渡ると、まず「満洲帝国軍」が反乱を起した。もともと指揮官は日本人、兵士は中国人という日本の傀儡軍であった。満人は開拓集落を襲撃した。土地と家を取り返すために、抵抗する開拓民を殺し、長年の恨みを晴らした。老婆までが鎌をもって襲ってきたところもある。
従兄らは行方不明になった。敗戦の翌年、祖父の葬儀のとき、父など親戚が従兄らの写真の上でボタンに糸をつけてたらし、「ボタンが回りだせば生きているはずだ」と占いをした。
ハジメは義勇軍宿舎に来た反乱兵に射殺された。それがわかったのは、生き残りの仲間がわざわざ従兄の家まで来て話してくれたからである。マスオは中華民国軍に抑留され2年後に帰国したが、すでに肺結核に侵されていた。彼は数年の闘病生活をしいられ、貧窮の中で死んだ。
マサトは「満洲に赤紙が来て(兵隊にとられて)、本土決戦のために千葉で塹壕掘りをしているうちに無条件降伏になった」
彼は「考えてみれば、よその国へ出かけて人の土地を開墾して無事でいられると思うのがおかしい」と語った。

私が1988~89年に派遣教師として中国で生活していたとき、竹下内閣のある閣僚が、「日中戦争は侵略戦争ではない」と発言して辞任に追い込まれたことがあった。このとき若い副校長が「日本も1億の人口があるから、バカがいてもおかしくはありません。しかしそれが大臣とは……」といった。彼は80年代半ば日本に留学したことのある「日本通」であった。
9月18日がくると学校では、柳条湖事件を記念する「九一八を忘れるな」という講話があった。私の日本語学生は「先生、今日はジューイーパー(「九一八」の漢語読み)ですよ。日本でも何かあるでしょう?」といって私をからかった。彼らは日本人が侵略の歴史を消したがっていることをよく知っていたのである。
金さんという友人がいた。私より10歳ほど上で元満人であった。「満洲帝国には身分制度がありまして、一番上等が日本人、次いで朝鮮人、蒙古人、一番下が満人だったですよ」と、漢人の進学が差別によって妨げられた話をした。彼は私に対して親しみをもって接しているようだったが、中国人同士の話のときは私を「那個鬼子(あの畜生)」と呼んでいた。

「未来志向」ということばがある。常識的には未来に目標を定めてこれに向かって努力するということだ。だが安倍政権が東南アジアや中国や韓国との関係で「未来志向」を口にするとき、侵略と植民地化の過去を無視しようとする意図がありありとしている。
そして、わが民族の負の歴史を語るのを「自虐史観」だという。私の高校教師時代、すでに教室で侵略の事実を語るのは勇気がいるようになっていた。だが、韓国の慰安婦問題、徴用工問題を見ればわかるように、やられた方は決して忘れることはない。

我々は侵略の歴史を忘れてはならない。忘れることは日本民族の恥である。(2017・09・21記)
2017.09.26  大多数がクルド国家独立に賛成
  初めて独立の可否を問う住民投票を実施

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

2千年以上におよぶクルド人の歴史上初めての国家独立の可否を問う住民投票が、25日、イラクのクルド人自治区と隣接のキルクーク県で行われた。すでにドイツをはじめ在外クルド人のインターネットを利用した電子投票は実施されている。選挙管理委員会26日未明の公式発表によると、投票率は72.16%。登録有権者総数4,581,255人、有効投票3,305,925。投票率72・16%。賛否の公式発表はまだだが、独立賛成が多数を占めることは確実と思われる。
 賛成票多数を得たクルド人自治区の最高指導者バルザーニ議長は、投票前日の国際記者会見で、大多数の“イエス”を期待し、住民投票による国家独立の決定を“キャンセル”することはあり得ず、いかなる条件の提案も「アルビルをイラクに留めることはできない」と明言した。そして、独立実施へのイラク政府との交渉を直ちに開始したいと表明、交渉は2年間以内までの期間を予想しながらも「もっと早く決まることも、もちろんある」と述べている。交渉が全く進展しなければ、クルド側が一方的に独立を宣言することもあり得る。
 前回紹介したように、国連と英、仏、米の共同代表団は自治区を訪問し、クルド人の自決権を認める一方で、現情勢下の独立投票を延期するよう強く求め(トランプ政権はその後、延期ではなく中止を要求)ている。まさに中東の現情勢とクルド自治政府の難民支援、クルド武装勢力ペシュメルガの対イスラム国(IS)作戦での大きな貢献は国連も欧米・周辺国も認める現実であり、当事国イラクも周辺国そして日本を含む国際社会も、平和的にイラク・クルド人の独立を受け入れ、支援すべきだ。
 しかし、イラク政府の立場は、イラクからクルド独立国家が分離することを憲法違反として、真っ向から反対しており、政府が交渉には応じても難航することは必至だ。
クルド側が実効支配している政府との帰属係争地域、世界的な産油地域のキルクークでも投票が実施され、78.77%の高い投票率となった。これに対して、イラク政府のアバディ首相は、キルクークの支配を回復するため、政府軍を派遣すると表明した。
国内のクルド人の民族意識の高まりを恐れるトルコ、イランも独立投票そのものをつぶそうとした。とくに国民人口の少なくとも10%以上1千万人程度のクルド人がいるトルコ政府は厳しく動き、クルド人多数地域のイラクとの国境閉鎖、イラクとの合同軍事演習、現クルド人自治区の財政収入の大部分を占める原油輸出の出口トルコのジェイハン港の使用禁止まで脅した。
クルド人の自決権を国際社会は否定できない。歴史的な独立投票の成立が新たな国際紛争を発生させないよう、いま、国際社会の責任は大きい。
20170926坂井クルド画像
2017.09.26  執筆10年を振り返る
  ―私の関心はどう変化したか

半澤健市 (元金融機関勤務)

《神奈川大学の研究会が発端》
 「リベラル21」に書く機会を与えられ、10年が経過した。「十年一昔」という。私的な感想を書くことを許して頂きたい。私にとっては大きな転機であったからである。
きっかけは神奈川大学(神大)大学院である。2006年3月まで田畑光永氏は同大学院教授であり私は院生であった。2007年夏に、学内の研究会で私は「財界人の戦争認識―村田省蔵の大東亜戦争」を発表した。接触がほとんどなかった二人がここで知り合って数日後、田畑さんから「経済・金融」を主にして、同年3月にスタートした「リベラル21」へ書かないかと打診があった。

《銀行員の仕事で書くことは多くない》
 半世紀以上前の学部卒業論文で何枚書いたか記憶がない(一枚とは400字詰め原稿用紙一枚のこと)。私は、1958年から40年間、大小二つの証券会社と中堅信託銀行の三つの企業に勤めた。仕事で、原稿用紙10枚以上の文章を書いたことはない。一度『信託』という業界誌に業界語に満ちた50枚書いたのが最高である。
世間では、銀行員は書く仕事が多いと思っているらしいが、普通の銀行員は長い文章を書かない。融資の稟議書、産業・企業調査、プロジェクト企画書、一部の業務日誌、役所への報告など長いものはある。しかし書式は定型化していて、オリジナルな文章が入り込む余地は殆どない。
勿論、金融機関でも業態により異なる。政府系金融機関やかつての興銀・長銀などプロジェクト金融を主とする金融法人では、おそらく「疑似アカデミズム」や「霞ヶ関文学」のような文字が書かれたであろう。私のいた企業では、「戦略」は大蔵省(現財務省)がつくり、「戦術」は戦略を遵守する経営者が示達し、「戦闘」は下っ端の兵士が白兵戦を展開した。

《証券取引では文書は後回し》
 証券取引についていうと、私が在籍した時期は証券・信託とも電話の交信によっていた。一回の電話で、数千万円から数十億円の取引が成立した。「そういう商売だと覚悟」すれば、何とかなることを私は学んだ。人間だから間違いもときには起こる。それに対処する生活の知恵も生まれた。今は電子化が進み取引額も大きいだろう。それもで咄嗟の判断で端末キーをクリックするのは電話会話と本質は同じである。もっとも引受業務のような取引、とくに国際間の仕事では文書が命となる。私自身は経験がないが、証券引受契約書は馬に食わせる程の分量がある。「ドキュメンテイション」と呼んでいた。
話が横道に逸れたが、田畑さんからの打診への諾否を私は真剣に考えた。1998年から2004年にかけて当時参院議員だった〝木枯らし紋次郎〟こと中村敦夫氏が発行する月刊新聞に外祇の記事紹介を書いた経験はあった。一回7枚、72回である。2004年から06年までの大学院博士課程で書いた論文の枚数は600枚であった。客観的には私は、すでに「書かない」銀行員ではなかった。しかし不特定多数の読者に書くのは初めてである。不安があった。しかし神大での田畑さんとの縁である。元TBSニュースキャスター、自民党ハト派宇都宮徳馬が発行した『軍縮問題資料』の元編集長からの提案に応じない手はないと結論した。

《「十年一昔」の気持の変化》
 この10年に私の気持ちや思考がどう変わったかを述べたい。
「経済・金融」関連記事を最初のころ随分書いた。2007年秋は、「リーマン恐慌」の前兆が出ていた時期である。私は1980年代の日本バブルの狂気と崩壊に立ち会った。専らその経験に基づいて論じた。その中には、私のバブル経験が生かされたものがあったかも知れない。
しかしこのジャンルには、時期はズレるが、早房長治氏、岡田幹治氏という朝日新聞のベテラン経済記者、在ハンガリーの経済学者盛田常夫教授という専門家がいた。
内外の経済を俯瞰したときに行き詰まりは明らかであり、しかも、出口が見えない。これはこの5年ほどを見ての私の強い印象である。世界の誰もが適切な回答をもっていない。世界経済は、新自由主義のあらゆる現場への浸透と失敗が同居している。そして的確な手が打たれないまま宙づりの状態にある。それどころか極端なポピュリズムが世界に蔓延している。
水野和夫氏のいうように市場は商品で埋め尽くされ、金利はマイナスになり、資本主義は死んだのか。あるいはシュンペータリアンのいうように創造的破壊で世界経済は蘇るのか。二者択一とは思わぬが、私のベクトルは前者に親近感をもっている。
世間では、高度成長に生きた高齢者は成功体験を忘れられず、バブル崩壊後にビジネスに入った青年たちは、ゼロ成長の中の格差拡大を自明と考えている。最近、経済に関する私の記事がないのは、私がいろいろ考えても出口なしという結論しか出ないからである。同じことしか書けないからだ。

《経済がダメなら他に何があるのか》
 選挙になると安倍政権は、経済第一だという。そしてアベノミクスが道半ばと訴える。しかし国会が始まると、防衛省を発足させ(07年)、東日本大震災(11年)後にも脱原発をうたわず、靖国に参拝し(13年)、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した上、特定秘密保護法を施行し(14年)、集団的自衛権行使を可能にする安保関連法を成立させ(15年)、オバマ米大統領の広島・安倍首相の真珠湾の相互訪問により、米国の謝罪なしで「日米の歴史的和解」(=原爆投下容認)を行った(16年)、四面楚歌のトランプ米大統領に対しては安倍晋三首相のみが揺るぎない対米信頼を強化している(16~17年)。
安倍政権は「右傾化している」という認識は甘すぎる。それは決定的な誤認であ。私は、安倍政権は「ファシズム」政権だと考えるようになった。この見方は、同世代の友人や企業時代の同僚のなかでは、少数意見である。お前もついに気がふれたかという友人もいる。

《安倍政権はファシズム政権である》
 世論調査によれば、北朝鮮のミサイル発射に対する安倍政権の圧力強化策は、人々に支持されている。「Jアラート」の発令に関連して、桐生悠々の「関東防空大演習を嗤ふ」(1933年『信濃毎日新聞』)が話題になった。『東京新聞』などは大きく取り上げた。しかし世論は「Jアラート」に戸惑ってはいるが、「嗤って」はいない。桐生の「嗤う」は、信濃毎日の不買運動から彼の退社に帰結したのだった。
「Jアラートを嗤う」言説が「反日・国賊・非国民」だと批判されるのは近い将来だと私は予測している。年内総選挙で安倍はそう売り込むだろう。国が決めたことへの異論申し立てを排除する。資本主義か社会主義かの体制を問わず、これがファシズムの重要な特徴である。

《最初は反語のつもりではなかった》
 私の関心は、最近数回の「ファシズムは死語になったのか」に示されている。始めは「ファシズムは死語になってはいない」、という反語のつもりではなかった。どちらともいえないから調べてみようという問題提起のつもりだった。しかし少し書いているうちに反語として書く気になった。「ファシズムは死語ではない。むしろほとんど実態である」という意味である。ファシズムは―いや民主政治も、多くの思想と行動の殆どは―「思想としての」「運動としての」、「制度(法律)としての」、「実態としての」の四段階を経て完成するものだと私は考えている。読者は、2017年の今、わが祖国は上記のどの段階にあると考えるか。それともこういう問いがナンセンスと考えるか。
戦後の、何が、誰が、どんな誤りを犯して、こんな状況を生んだのか。私の暫定的な回答は、こういう問題の立て方自体がこういう事態を生んだのだ、というものである。ファシズムは、我々の外から来るものでもあるが、我々の内部からも生まれるのである。

《安倍政権の崩壊を見るまでは》
 大層な話に発展してしまった。次の10年を生きられると思わないが、安倍政権の崩壊を見るまでは書き続けたいと思う。末尾になったが、この10年間、拙く硬い文章を読んでいただいた読者に、感謝申し上げる。「護憲・平和・共生」のために、厳しい批判と暖かい激励を引き続きお願いする。(2017/09/17)
2017.09.25  ありがとう 金正恩様
  韓国通信NO535

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

北朝鮮の核実験と相つぐミサイル発射で安倍内閣の支持率が「回復」した。国民を不安にさせ、落ち目の人気が回復するなんて安倍晋三は運のいい人だと思う。こんな感想は不謹慎かと思っていたら、9月11日付ハンギョレ新聞の見出し「아베 ‘아리가토 김정은’…‘북풍’에 지지율 살아나」(安倍「ありがとう金正恩」…「北風」に支持率が上がって)の記事に驚いた。私の感想がズバリ、記事になっていた。「金正恩のおかげで支持率回復」を指摘したわが国のマスコミ報道はあっただろうか。
「敵」のおかげで今や首相には「こわいもの」がなくなったように見える。
わが国を守ってくれるアメリカと一緒に戦争をするのは当然だ。平和憲法はいらない。原発再稼働や辺野古基地問題、まして「森友学園」「加計学園」の問題などは取るに足らない小さな問題と言わんばかり。

 責任は「あなた」にある
2002年の平壌宣言以降、「拉致問題」を奇貨として北朝鮮を嫌悪し続け、首相の地位まで登りつめた安倍首相に北朝鮮を非難する資格はない。「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」し、「核問題の解決と国交正常化」を約束した平壌宣言が実行されていれば、今日のような事態はなかったはず。2002年以降、「拉致」に対する怒りで国が一色に染まった。すさまじい反北朝鮮キャンペーンに乗った国民にも責任の一端はあるとしても、やはり「あなた」の責任はあまりにも大きい。

共謀罪の廃止を求める大集会(9/15)
戦前の治安維持法の復活、共謀罪法が施行されてから2カ月たった。安倍政権は「秘密保護法」「戦争法」「共謀罪」と立て続けに憲法をないがしろにする悪法を次々に成立させた。最終ゴールは「憲法改悪」。この流れを断ち切り、悪法の廃止をめざす市民たちが集会を開いた。成立すれば「諦める」はずと政府はタカをくくっている。
実は私も低調な集会を予想してでかけたが、主催者も参加者もビックリするほどの人が集まった。日比谷野外音楽堂は3千人を超す市民たちの熱気で溢れた。
主催はアムネスティ・インターナショナル日本の他、わが国を代表する人権団体が名を連ねた。最近、アトラクションばかり目立つ集会が多いが、この日は違っていた。政党代表と各団体の挨拶だけでたっぷり2時間、参加者たちは熱心に耳を傾けていた。落ち目とはいえ、息を吹き返した安倍政権を追い詰める絶好の時期に民進党の元気がないのが不安材料だが、ここで市民が踏ん張らなければという思いが会場から伝わってきた。
共謀罪との関係は不明だが、抗議行動、集会への警察の介入が多発しているという報告があって共謀罪に負けない運動の大切さが確認された。
そういえば集会所周辺には公安関係らしい目つきの悪い集団が目についた。入り口で<保存・携帯用>「警察対応について」と書かれた小パンフが配布された。職務質問を受けた時の対応の仕方から弁護士への連絡方法までが詳しく説明されていた。治安維持法のあった戦前にタイムスリップしたような気分だ。公安は集会やデモ参加者の写真をとりまくっては威嚇する。参加したら顔写真くらいは覚悟しなければならなくなった。スノーデンのいう監視社会が確実に広がっている。写真から運転免許証、パスポートの写真と照合すれば住所と氏名くらいは割り出しが可能なはずだ。皆で「安倍政権打倒!」と声をあげれば、共謀者と見なされかねない。私からメールを受け取っても「共謀」になるかも。集会の模様をテレビや新聞でジャンジャン取り上げてくれると運動も盛り上がる気もするが、頼りにならないものをいつまでも頼りにしてはだめだ。

この集会があったこと、ご存知でしたか? 新聞が報じない当日の宣言を紹介する。
―――集会宣言――
 今年6月15日、共謀罪法が国会で強行採決され、異例の早さで7月11日に施行されました。国会提出から3カ月足らず、実際に議論が始まってから僅か2カ月たらず、審議すればするほど多くの疑問が湧く中、国会法の趣旨を踏みにじる乱暴な手続きでの成立でした。
 政府は、共謀罪を「テロ等準備罪」と言いつのりましたが、テロ集団の定義もありませんでした。刑罰法規の明確性の原則に照らして問題あり、とする国連特別報告者の指摘にも耳を貸しませんでした。共謀罪法なしでも「国際組織犯罪防止条約」を締結できる、とする専門家の意見も無視されました。
 近年、特定秘密保護法により知る権利が狭められ、通信傍受法の大幅「改正」で通信の秘密も危うくなっています。さらに共謀罪法の施行により、言論・表現の自由に対する規制が急速に進んでいます。
このままでは、民主主義のプロセス自体が破壊されてしまいます。
こうした認識を共有する私たちは、本日ここ日比谷野音に集まり、共謀罪廃止に向けた第一歩を踏み出しました。私たちの共謀罪廃止の闘いは、その実現まで決して終わることはありません。
以上、宣言します。  共謀罪は廃止できる! 9.15大集会参加者一同
身近にあった朝鮮人虐殺
 「あったことをなかったことにする」のが、美しい日本を取り戻す人たちによる歴史改ざんの手口だが、小池都知事が関東大震災朝鮮人虐殺事件にソッポを向いて無視を決め込んだ。
わが町我孫子市では震災直後の9月4日、三人の朝鮮人が撲殺された。最近、『我孫子市史』を図書館で読んで知った。市史は「政府は、偏見と誤情報がもたらした大混乱と恐怖の要因を問うこともなく、9月20日頃から、朝鮮人殺害にかかわった自警団関係者等の検挙をはじめた」と記し、最後に「我孫子の暗い闇として、人々の記憶に濃いよどみを残したまま、時の忘却にまかされていく」としめくくっている。知らなかった地元の恥部悲劇を『市史』によって知りえたこと、また自警団を殺人に駆り立てた政府の責任を問う市の姿勢に救われた思いがした。
2017.09.24  「本日休載」
 今日、9月24日(日) は 休載します。

   リベラル21編集委員会

2017.09.23 韓国公営放送2局でストライキ、北朝鮮核実験特集も放送できず
隅井孝雄(ジャーナリスト)
 
韓国の二つの公営放送KBSとMBCで労働組合が9月4日から、ストライキに入った
9月19日現在、ストライキは継続している。長期化する様相だ。
KBS(韓国放送公社)は日本でいえばNHKと同じ公共放送、そしてMBC(韓国文化放送)も政府系の放送文化振興財団が筆頭株主の公共放送である。
 ストライキに入ったのは全国言論労組傘下のKBS本部労組(1900人)とMBC本部労組(1800人)。両労組とも社長ら経営幹部の退任と、報道の自主性、信頼回復を求めている。また企業内のKBS(旧)労組(2000人)も4月7日からストライキに入り、言論労組と足並みをそろえた。二大公営放送の全面的なストライキは2012年来5年ぶりだとハンギョレ新聞が伝えている。
  20170920隅井写真KBS3814
     ストライキを前にした集会に臨むKBS本部労組、組合員(8/28/17)

 折から9月3日の北朝鮮核実験に直面、KBS、MBC経営陣は労組に取材、報道への復帰を求めたが、労組は、経営の健全化が先決として、ストライキ態勢を続けている。そのため、KBS、MBCは特集番組を編成できず、ニュースも時間短縮を余儀なくされている。また娯楽番組も一部映画に切り替えられたものもある。
 韓国では2008年イ・ミョンパク(李明博)大統領、2013年パク・クネ(朴槿恵)大統領と保守系大統領が9年続いた間、KBSもMBCも保守系の社長が送り込まれてきた。言論労組によると、「政府批判の報道が規制され、報道記者の配置転換、解雇が続いた」、という。
 「中央日報」(9/1)、「ハンギョレ新聞」(9/3)などが9年間にわたる労組と公営放送の確執の一部を次のように報じている。
 MBSでは2008年にBSE(牛の海綿状脳症)問題があるにもかかわらず、アメリカからの牛肉解禁に踏み切ったイ政権に対して大規模な国民的な反対運動が起きた。その火付け役となったMBCの報道番組「PD手帳」の担当プロデューサーなどを解雇するとともに、イ、パク両政権はメディアへの規制を強め続けた。KBS、MBCを含む言論労組は長期ストライキに入り、両社の経営陣は、ストライキを指導した組合幹部を解雇し、以来労使対立が続いてきた。
その後KBSでは2014年4月のセォウル号沈没事故で、政府からの報道差し止めの介入があったこと、MBCでは「反抗的な記者」のブラックリストが最近になって明らかになるなどの問題が起きていた。
一方、韓国のニュース専門局YTNでは2008年に解雇された3人の報道記者(いずれも当時労組幹部)は、今年8月28日の労使交渉で9年ぶりの復職が決まった。
 2017年、野党候補のムン・ジェイン(文在寅)大統領が誕生したが、現在でもKBS、MBCの経営陣による番組規制、労組弾圧が続いていることから、両社の社長らの退陣を求めてストライキとなったものである。
 ムン政権で新たに放送通信委員長(政府の放送監督機関)に就任したイ・ヒョソン(李孝成)氏は「国と権力の不正を告発すべき公共放送がその社会的責任を果たしていない」と発言、公共放送の改革する意向を示した(8/1)。しかしムン大統領は前の二人の大統領の轍を踏まないようにしているのか、この問題への直接介入は行っていない。労使の自主的解決を願っているものと思われる。

  20170920隅井写真KBS3816
   4年前、日本の集会(神戸市)に招かれて、報告する韓国言論労組代表、(11/4/13)
2017.09.22  科学的常識から権力犯罪を疑う
  青山透子『日航123便 墜落の新事実』(河出書房新社、1,600+税)を読む

小川 洋(大学非常勤教師)

 世界各地でテロ事件が続いている。その多くは社会不安を煽り、政治的不安定を引き起こすことを目的とするテロ組織によるものだろう。しかし、事件の中には科学的常識からして不審な点があって、権力犯罪の可能性を考えざるをえないケースもある。

全世界に衝撃を与えた2001年のアメリカ同時多発テロでも、ビルの不可解な倒壊過程など多くの不審点が指摘され続けている。分かりやすい一例をあげれば、乗っ取られたフライト93便の中では、携帯電話で家庭と連絡をとって事情を知った乗客の一部が犯人たちと格闘したとされている。しかし今でも富士山で携帯電話の通話が可能なのは7,8月のみである(DOCOMOを除く)。つまり電話会社にすれば、顧客(通話者)のいるはずのないところ(上空など)に電波を飛ばすのは無駄なだけで、基本的に航空機内からの携帯電話による通話は不可能である。

また2015年1月に発生したパリのシャリルー・エブド事件でも、アラブ系フランス人によるテロ事件とする公式見解に異議を申し立てた書籍が事件後間もなく出版された(『シャルリ・エブド事件を読み解く - 世界の自由思想家たちがフランス版9・11を問う』)。そこには様々な疑問点が列挙され、複数の寄稿者がイスラエルの秘密組織モサドの事件への関与の可能性を示唆している。日本語版も出版されており、5月に本サイトでも取り上げられている。
一例をあげれば、この事件では犯人に射殺されたはずの警察官の姿が、近くのビルから撮影していた市民の動画に残っている。しかし犯人の発射したマシンガンは空砲だったのか、当の警察官の頭部から1メートル近く離れた個所で白い煙のようなものを発生させている。現在でもユーチューブで確認可能である。至近距離からマシンガンの弾を頭部に受けていれば、頭部は粉砕され大量の流血があるはずであるが、まったくその様子はない。

 さて日本において、科学的常識からしてありえない公式見解が出され、公的な検証が終わっている事件としては、1985年8月に発生した日航123便の墜落事故がある。その事故報告書が科学的な検証に耐えうるものだと考えるものはほとんどいない。

事故報告書では、事故機はボーイング社による修理を受けていたが、その修理にミスがあったのが原因だったとする。羽田から大阪に向かうべく上昇していた事故機の後部隔壁に亀裂が入り、加圧されていた客室から垂直尾翼に向けて激しい空気の流出があり、垂直尾翼を破壊し、油圧系統もすべて使えなくなった結果、操縦不能となり墜落に至った、というものである。我々は高層ビルでエレベーターに乗れば、耳の異常を感じる。高度一万メートルで、突然、機内から大量の空気が流出すれば、激しい耳の痛みを生ずるだけでなく、酸素不足から直ちに意識を失うはずである。しかし、生存者の証言や機長らの交信記録から、そのような状況が発生しなかったことは明らかだ。

この7月、元日本航空の乗務員だった青山透子氏による『日航123便 墜落の新事実』が出版された。副題は「目撃証言から真相に迫る」である。青山氏は2010年に『天空の星たちへ 日航123便 あの日の記憶』(マガジンランド)を上梓し、亡くなられた元同僚への鎮魂の文と、ジャーナリストなどによって指摘されてきた事故の疑問点を取り上げている。今回の著書は、前著の出版後に連絡をしてきた遺族や、事故現場に近い小中学校に残されていた子どもたちの、事故当時の思い出を綴った文集など、その後に得た新たな情報をもとにしている。

新たな情報の一つは遺族の吉備素子さんから得た情報である。事故後の遺体などの処理について日航の態度に不満を抱いた吉備さんは、当時の日航の高木社長との直談判に臨んだ。「現在の作業を中止するよう、一緒に首相官邸に行って中曽根首相に直訴しましょう」と言ったところ、高木社長がブルブル震え出して「そうしたら私は殺される」と激しく怯えたなどの証言は興味深いものがある。彼女の証言の中には、警察関係者との話のなかで「事故の原因追及をするとアメリカと戦争になる」という話があったことも出てくる。

事故当時運輸大臣だった山下徳夫氏からも接触があって会食している。山下元運輸相が何を考えて青山氏との面談機会を自ら設定したかはわからない。その後14年に亡くなられているが、感触としては青山氏の事故原因追及の姿勢を、暗黙の裡に支持する意図があったのではないかと思われる。

その他、彼女のもとには当日の日航機の目撃証言が多く寄せられている。その地点を繋いでいくと、事故報告書の示した飛行ルートとは相当に異なっている。通常見ることのない場所で、異常に低空を飛ぶジャンボ機について、見間違えとか記憶違いということは考えにくいから、この一点だけでも事故報告書の信頼性は大きく揺らぐのである。

さらに彼女は上野村の小学校と中学校の文集を閲覧する機会を得る。事故前後の子どもたちの記憶が書き残されていたのである。その中には、墜落前の日航機の側を2基のジェット戦闘機が並走していたという証言がある。事故報告書や政府は否定しているが、多数の目撃証言が記録されている。また子どもたちの保護者には、営林署関係者なども含めて地元の地形を知り尽くしている人たちが多い。彼らが事故直後にほぼ正確に墜落地点(後に御巣鷹山と呼称される)の見当をつけていたにも関わらず、ラジオやテレビが、長野県など不自然に異なる方向を伝えていたことに多くの人たちが不審感を抱いたことも記録されている。

その他にも、当時の記憶を呼びおこした地元の人たちの証言が加わる。もっとも衝撃的なのは、早い段階で現場に入った地元消防隊員たちの、ガソリンとタールの異臭が立ちこめていたという証言である。消防隊員たちが燃焼物を間違えることは考えにくい。ガソリンが燃やされた可能性については、検視に当たった医師たちの、異様に炭化の進んだ遺体が多くあったとの証言とも一致する。ジェット燃料は一般家庭で暖房用に使われる灯油に近い成分であり、遺体が激しく損傷するはずはない。ガソリンとタールの混合物が使われたとすれば、武器である火炎放射器しかない。想像するにもおぞましいことだが、墜落後から翌朝までの間に、現場一帯で証拠隠滅のために火炎放射器が使用されたと考えるのが妥当である。

またジャーナリストや遺族には、公表されたボイスレコーダーの記録をもとに様々な分析を試みている人がいるが、じつはボイスレコーダーは「プライバシー保護のため」として、いまだに全面的に公開されているわけではないという。航空機事故において事故原因の調査に優先するプライバシーはありえないというのが国際常識だろう。

この事故(事件)をめぐる疑わしさは、当時の中曽根康弘首相の事故後の言動にも窺える。彼は軽井沢の別荘に滞在中であったが、事故発生時は帰京のため予定通り、旧国鉄(民営化は87年4月)の特急列車の車中であった。軽井沢駅を17時11分に発車し上野駅19時15分着であった。事故機は、18時24分異常事態発生、同56分墜落という経過をたどった。NTTの携帯電話サービスはまだなかったので、直接の連絡はなかったであろう。しかし、国鉄は内部連絡用に線路にそって電話線を引いている。首相には途中駅で事故の情報が入ったはずである。事実、彼は回想録(『中曽根康弘が語る』2012年、新潮社)の中では、「車内で報告を得た」と書いている。
しかし、官邸に戻った中曽根氏は記者の問いかけに対して、「ほう、そうなの?」と初めて知ったような反応をしている。また回想録では「防衛庁と米軍の間でやりとりがあったのではないか」と、他人事のような記述をしている。民間航空機の墜落事故にもかかわらず、「米軍と防衛庁が」と記述すること自体が、この事件がミサイル誤射などの軍事訓練による事故だったことを理解していたことを示している。

オスプレイの飛行ひとつとっても、日本政府はいまだ領空に関する主権を放棄したままである。日航機事故の犠牲者に対して、我々はまだ責務を果たしていない。事件の真相を明らかにし、責任を追及する努力を引き継いでいく必要がある。日本の真の主権回復は、このような作業をひとつずつ確実に積み上げていくことによるほかない。
2017.09.21  クルド人国家独立への住民投票迫る(4)
  イラク首相、投票中止を公式に要求

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

イラク・クルド人の国家独立を目指す住民投票が、25日に迫っている。しかし、アバディ・イラク首相は18日、住民投票の中止を公式に要求。住民投票計画を推進してきたバルザーニ・クルド自治区議長(大統領)の決断にすべてがかかる緊迫した最終局面になった。
クルド人自治区とキルクーク県および電子投票に登録済みのドイツなど海外在住のクルド人たちの熱気は、ますます高まっている。一方、米国のトランプ政権は15日声明を発表、これまでの延期要請を強化して、“独立投票は特に挑発的であり、この紛争地域をさらに不安定にするものだ”と非難、中止を要求した。その数時間前に、クルド自治区議会は住民投票の実施を最終的に支持する議決をしている。
 バルザーニ議長は連日、首都と地方都市を回り、赤、白、緑三色の地に金色の星が輝くクルド旗で埋まり場外に市民たちがあふれる会場で、25日の投票実施を宣言している。
 自治区の第3の都市ザホで14日に開かれた集会での同議長の演説によると、同日、議長は国連事務総長の代理と米国・英国の駐イラク大使ら4か国代表による共同代表団と会談した。会談で共同代表団は、クルド人の自決権を尊重する一方で、イスラム国(IS)との戦いはまだ続き、イラク第2の都市モスルを解放したばかりで、甚大な破壊を受けた同市の再建は難事業であり、膨大な難民がクルド自治区に避難している、こうした事態が山積する現時点でのクルド国家独立投票は延期するよう、同議長に要請した。
 これに対し同議長は、クルディスタンのクルド人に対して国家独立の権利を保障することなしに、独立の可否を問う投票の延期だけを求める要請を受け入れることはできない、と、応えたという。
 9月25日の投票について、実施計画を崩さない自治政府に対して、イラク政府は、クルド自治区の独立の可否は憲法の規定により、連邦議会(国会)の決定事項であり、それなしの住民投票の結果は全く無意味であるという立場を堅持してきた。本欄でも紹介した通り、8月中旬、首都バグダッドで、政府・与党と自治区代表団が交渉、9月に自治区の首都アルビルで再交渉することになったが、再開していない。このままでは、自治政府はクルド自治区全域と実効支配している世界的な油田地帯のキルクーク、そしてドイツなど海外在住クルド人の独立可否投票を実施し、おそらく大多数の賛成で成立。一方、イラク政府はその結果を憲法違反で無効とすることになる。
 イラクでのクルド人国家独立投票については、自国民に相当数のクルド人がいる隣接国のトルコとイラン政府は、自国内のクルド人たちの民族主義運動がさらに高まるのを強く警戒してイラクでの投票そのものに強く反対している。国連、歴史的にイラクと関係が深い米、英、フランスは、クルド人の自決権を認めながらも、独立については住民投票の延期を求めている。
 クルド人の国家独立投票を強く支持してエールを送っているのは、スペインからの独立可否の住民投票を1週間後の10月1日に予定している、カタルーニア自治州政府と議会だ。しかし、スペイン政府も住民投票の結果を絶対に受け入れないことを表明している。

 20160916坂井定雄18054クルド独立投票集会写真
25日のクルド独立を問う投票を前に、自治区首都アルビルで15日夕、初めて開かれた若者たちのカラー・フェスティバル。会場を埋めた数千人の参加者の中にはクルド国旗の3色で彩った若い女性たちも。
クルド系通信社Rudauが全世界向けに報道した。

2017.09.20  臨時国会での冒頭解散が前原民進党を直撃する、野党共闘か野党再編か、民進党の立ち位置が問われる
        
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 この9月28日、野党各派が要求してきた臨時国会が漸く召集されることになった。憲法53条で規定された国会開催手続きを無視して3カ月余も引き延ばした挙句、安倍政権がここにきて急きょ臨時国会を招集するのはなぜか。国会は言うまでもなく重要案件の審議のためにある。野党各派が森友疑惑や加計疑惑の解明のために速やかな国会開催を求めてきたのはそのためだ。

 ところが、安倍首相は国民に丁寧に説明すると言いながらいっこうに審議に応じようとしない。応じようとしない(できない)のは、両疑惑についての新たな事実がその後次から次へと暴露され、これまでの政府答弁がもはや成り立たなくなっているからだ。安倍政権は、首相が説明すればするほど国政私物化の疑惑が深まり、国民の信頼がますます失われるという四面楚歌の状態に陥っているのである。

 この窮地を脱するには森友・加計疑惑から国民の目を逸らし、時間稼ぎをして記憶が薄れるのを待つほかはない。それも単なる時間稼ぎではなく、国民の関心を大きく逸らすような(出来るだけ)大掛かりなものでなければならない。それには一挙に衆院解散に打って出て、北朝鮮の核開発やミサイルの脅威を最大の争点にして総選挙に勝利し、ガラガラポンと禊(みそぎ)をするのが一番だ...。多分こんな戦略が練られたのだろう。

もちろん選挙は相手があることだから、野党の選挙態勢が整っているかどうかも解散時期を判断する重要条件になる。この点で、最大野党の前原民進党が発足直後から迷走を続けていることの影響が大きい。10月22日の衆院3補選が目の前に迫っているというのに、前原氏はいっこうに野党共闘の話し合いに応じようとせず、「地域のことは地域の事情に任せる」と逃げを打っているからだ。

加えて9月17日、共産党を除く3野党党首会談が予定され、臨時国会に向けた統一会派結成が議論される予定になっていた(毎日、9月18日)。これは明らかに、これまで積み上げてきた野党4党首会談の申し合わせ事項を破棄し、野党共闘の枠組みを変えるための動きに他ならない。衆院解散に機先を制されて中止の破目に追い込まれたものの、これで前原民進党の基本路線が明らかになったと言ってよい。「共産抜きの野党共闘=部分的野党共闘」が前原氏の目指す基本方向であることがはっきりしたのである。これなら「民共共闘」に反対する党内保守派の離党も引き留められる、党内の結束も保てると踏んだのであろう。

だが、統一会派構想が総選挙直前になってご破算になったように、共産抜きの野党共闘路線で果たして選挙戦を戦えるのか、前原氏に確信があるわけではない。まして目前に迫った衆院3補選はもとより、同時に行われるかもしれない総選挙情勢からしても、民進党主導の部分的野党共闘に勝算があるわけではない。また共産党の側からしても、政党間での本格的な申し合わせが成立しない限り野党候補の一本化に協力することは難しいし、仮に野党候補の一本化が実現したとしても「名ばかり野党共闘」となって有権者の信頼は得られないだろう。そんなことをすれば政党の体面に傷がつき、総選挙での惨敗が待っているだけだ。

この他、安倍政権が冒頭解散に打って出るもう一つの理由に、小池新党がそう簡単にはまとまらないという野党間事情も関係している。たしかに「都民ファーストの会」は都議選で圧勝したが、それが全国版として通用すると考えるのは浅はかすぎる。目下、小池氏側近の若狭衆院議員が盛んに動いているが、こんな政治経験の浅い人物が新党結成の核になるなどとは誰も思っていない。だいいち「政治のしがらみを断つ」といったレベルの政策で、自民党とも民進党とも異なる保守政党を立ち上げられると思っていること自体が荒唐無稽そのものだし、若狭氏自身も大衆を引き付けるだけの魅力やカリスマ性に欠けている。この程度の人間しか小池氏の側近にいないとしたら、もうそれだけで小池新党の行く末は見えている(この点で大阪維新を立ち上げた橋下氏のキャラは際立っていた)。

安倍政権が野党共闘の乱れや小池新党の準備不足に乗じて冒頭解散に踏み切り、たとえ勝利しても、安倍政権の喉元に刺さった森友疑惑と加計疑惑の骨が決して抜けるものではない。私は、安倍首相が加計学園獣医学部の新設をチャラにしてでも総選挙に打って出るのではないかと予想していたが、これは外れた。「腹心の友」を切るだけの勇気が安倍首相にはなかったのだ。それとも首相と加計氏との関係がすでに「刎頚之友」レベルにまで達していて、加計氏の頸を斬れば自らの頸にも撥ね返ることを恐れたからであろうか。要するに、安倍首相には「肉を切らせて骨を断つ」だけの決断力がなかったのである。

 しかし安倍首相の決定的な誤算は、籠池夫妻という類まれなカップルを昭恵夫人が不用意に近付けたことだった。この夫妻は(関西では)知る人ぞ知る人物で、一度食いついたら死んでも離さない種類の(蝮のような)人間として知られている。「安倍晋三記念小学校」設立に賭ける彼らの執念は凄まじく、それは安倍首相や昭恵夫人の思惑を遥かに超えるものだった。しかしこのことを見誤ったのは、安倍首相夫妻だけではない。安倍首相の意向を忖度して動いた財務省や国土交通省の役人たちも同様に、籠池夫妻の執念を見誤っていたのである。

 このところ各紙(大阪本社版)では、森友疑惑が大きくクローズアップしてきている。大阪地検特捜部は9月11日、籠池夫妻が大阪府・大阪市の補助金を詐取したとして追起訴した。すでに起訴した国の補助金詐取や未遂分を含めた立件総額は2億150万円に上り、これで補助金不正操作は一応終了した。だが、これで捜査が一段落したわけではない。財務省近畿財務局の役人たちが国土交通省近畿地方整備局と結託して国有地をタダ同然で森友学園に売却した背任容疑や、学園との交渉記録を廃棄した証拠隠滅容疑の捜査はこれから本格化するのである(毎日、9月12日)。

籠池夫妻の人並み外れた執念は、財務省や国土交通省との交渉経過をすべて音声データとして記録していたことにもあらわれている。籠池夫妻はこの音声データを昵懇のジャーナリストに託し、捜査が進展するにつれて少しずつマスメディアにリークするように指示していたのだからタダ者ではないのである。音声データはまずテレビ局のトークショーで流され、次に各紙が入手してその裏を取り、最終的には大阪地検特捜部も入手して捜査資料に加えているとされる。

おそらく交渉に当たった近畿財務局や近畿地方整備局の役人たちは、籠池夫妻がこれほどの周到な準備をして交渉に臨んでいたなどとは夢にも思わなかったことだろう。役人たちの前で籠池夫妻が恫喝まがいの大声で喚きたてたのは、夫妻の品性もさることながら、録音を隠蔽するために準備された巧妙なパフォーマンスだったことが推察される。目の前で大声で喚かれれば役人たちはそのことに気を取られ、それ以外のことは目に入らなくなるからである。まさに絵に描いたような田舎芝居ではないか。

 安倍政権は、前原民進党の迷走や小池新党の停滞に乗じて冒頭解散に踏み切るだろう。国会での疑惑追及が行われないこともあって、内閣支持率はこのところ少し回復してきている。だが、国民を甘く見てはいけない。たとえ総選挙で勝利しようとも、森友疑惑と加計疑惑の骨は抜けない。この骨を抜き取るには、安倍政権が退場する以外に道がないことを安倍首相は早晩思い知るだろう。
2017.09.19  安倍政権は火事場ドロボウ
  森友・加計疑惑からの逃走と原発再稼働許さず

岩垂 弘(ジャーナリスト)

 台風一過で日本列島が快晴となった9月18日、東京・代々木公園B地区で「ともに生きる未来を!さようなら原発さようなら戦争全国集会」が開かれた。脱原発を掲げる「『さようなら原発』一千万署名市民の会」の主催で、旧総評系の労組員、平和団体関係者、生協関係者ら約9500人(主催者発表)が集まったが、安倍首相が9月28日開会の臨時国会の冒頭での解散を考えていると報じられた直後の集会となっただけに、会場では「臨時国会冒頭での解散は、森友・加計学園疑惑と相次ぐ原発再稼働に対する野党からの追及を逃れようとするこそくな手段であり、われわれとしては、野党共闘を発展させて安倍政権の再来を阻止しなくては」との発言が相次いだ。

 首都圏は18日未明まで台風18号による暴風雨に襲われ、集会の開会が危ぶまれたが、朝からは快晴に恵まれ、会場には、開会前から団体旗やのぼりをもった参加者がつめかけた。労組の旗やのぼりからみて、すでに台風が通過した四国、中国、近畿からの参加者はあったが、台風が通過中の北陸、東北、北海道からの参加者は見られなかった。
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       「会場を埋めた労働組合旗」
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                「長野県上田市から参加した人が 掲げていたのぼり」
 
 集会第2部は、午後1時30分に野外ステージで開会。
 開会あいさつに立った作家の落合恵子さんは「安倍首相は臨時国会の冒頭に衆院を解散し、10月22日に総選挙を行うという。このところ、内閣支持率がアップしているので、選挙をやれば勝つかもしれないと、考えたのだろう。その狙いは、私たちに森友・加計学園問題を忘れさせることにある。ならば、私たちとしては、決して忘れない、という答えを出そうではありませんか」と述べた。そして、こう続けた。
 「これまで、これほどやりたい放題のことをした内閣はあったでしょうか。これほど傲慢な内閣はあったでしょうか。福島原発事故では、汚染水問題が未解決なのに、汚染水はアンダーコントロールされていると言ってオリンピックを招致した。森友・加計学園問題では、『記憶にありません』を連発して民意をあざむいた。そのうえ、北朝鮮のミサイル発射問題を機に、その脅威をあおりにあおって防衛費を過去最大にするなど、戦争をするための準備を進めている。そろそろ、こうしたことを終わりにさせなくてはいけない。あんな人たちに勝たせないよう、みんなに呼びかけましょう」

 福島県から参加した福島原発刑事訴訟支援団団長の佐藤和良さんは「東京電力の福島第1原発の事故が甚大な被害をもたらし、今なお多くの人が避難生活を強いられているのに、今なお事故の責任をとった人が1人もいない。こんなことが法治国家として許されるだろうか。私たちは東電幹部の刑事責任を求めて裁判で闘っているので、支援をいただきたい」と述べた。
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       「野外ステージから原発の被害を訴える福島代表団」
 
 閉会あいさつで、ルポライターの鎌田慧さんは、こう訴えた。
 「安倍政権は、北朝鮮のミサイル発射問題で恐怖をあおり、居直ろうとしている。うそで固めた謀略政治を進め、防衛費を増やそうとしている。まるで、火事に乗じて焼け太る火事場ドロボウだ。それに、憲法9条に自衛隊の存在を明記すると言っている。9条の規定は、武力を持たない、交戦権も持たないということだ。そこに自衛隊を追加するなんて、ペテンもいいとこで、まさにペテン政権だ。こうした安倍政権を許してきた一因は、われわれの弱さにある。次の選挙では、われわれが野党共闘をつくりださねば。あきらめてはいけない。戦争を阻止し、原発をなくす闘いは長期にわたる持久戦となるだろう」

 集会後、参加者は原宿コース、原宿コースに分かれてデモ行進した。