2017.03.31 中国共産党第19回全国代表大会はどんなものになるだろうか
   ――八ヶ岳山麓から(216)――
       
阿部治平 (もと高校教師)

中国では毎年開かれる全国人民代表大会(全人代)が終わった。秋には中国共産党第19回全国大会が開かれ、最高幹部が大幅に改選される。全人代での報告と討論をみて、党大会はどのようなものになるか考えたい。

権力の集中について
19党大会の最重要事は党規約が改定され、主席制が復活して習近平がその座にすわれるかどうかである。
毛沢東の専制政治がいくたびもの悲劇を生んだ反省として、82年12回党大会では党主席制を廃止し最高指導部を政治局常務委員会とした。総書記はその議長であり、重要な権限は各常務委員が分担し、政策は多数決によってきた。
現在常務委員は7人。68歳引退の慣習があるから19回党大会で残るのは、習近平と李克強だけである。
習氏は総書記就任以来、反腐敗闘争の名のもと反対派閥を追い落とし、李総理をはじめ他の常務委員の権限を削って権力を自分に集中してきた。自身を別格の「核心」と位置付けさせ、メディアに忠誠を求め、言論の圧殺を続けている。
さきの全人代では発言者のほとんどは習氏を礼賛したが、習氏のねらいが容易に党長老らの同意をえられるかは疑問である。いずれ長老と最高幹部があつまる夏の北戴河会議で方向が決まる。決まらなかったら、習氏は対抗派閥に勝てなかったことを意味する。
党主席制が成立すると、習氏も毛主席のように生涯その座に居座ることが可能である。そうなると21世紀における皇帝支配の復活である。

経済圏の形成について
全人代では、李克強総理は今年のGDP成長目標を6.5%前後とし、前年より低い数値を報告した。そもそも中国のGDP数値はあまりあてにならない。かつて李氏が言ったように「鉄道貨物輸送量・銀行融資額・電力消費量」でやるべきだ。
これについて、環球時報は3月6日付社説で、構造調整が行われているとき、この成長率を維持できるのは貴重だと自賛した。だが、問題は中国経済のソフトランディングができるか、いつ下げ止まるかである。昨年財務相を退職した楼継偉は率直に「中国は五分五分の割合で『中所得のわな』に陥る」といったが、不景気が深刻化したら若者の失業が増加し、社会不安はたかまる。
一方、TPPが崩壊したことと、その後のASEAN諸国の動向からすれば、安倍政権の対中包囲網構想は完全に破綻したといえる。次に来るものはアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の建設と、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の交渉である。習氏はさきのダボス会議で保護主義を批判し、グローバリズムによって中国も他国も利益を得ることができると自信を示した。
中国経済研究者の関志雄氏は「今後、アジアにおける地域統合は、中国が主導するRCEPを中心に進められる可能性が高い」として、こういう。
「中国は、地域統合にとどまらず、新設されたアジアインフラ投資銀行(AIIB)とBRICS5ヵ国が運営する新開発銀行(NDB)に加え、IMFや世界銀行といった既存の国際機関においても、出資比率の引き上げなどを通じて、存在感を増していくだろう(http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/index.html)」
その通りであろう。中国経済が大きく失速しない限り、TPPのあとに来るものは人民元主導のアジア経済圏である。19回党大会はこれを誇示するだろう。

また頭越し外交か
習氏は3月19日、ティラーソン米国務長官と会談した。中国側の発表では、習氏は「中米両国の共通の利益は意見の相違よりはるかに大きい。協力こそが両国の唯一の正しい選択だ」と強調し、ティラーソン氏もこれに応じて「(習氏の言の)衝突せず、対抗せず、相互に尊重し、協力してウィンウィンを達成する」をくりかえし、「トランプ大統領は習主席との意思疎通に非常に大きな価値を置いている」と述べ、早期の首脳会談開催を重視する姿勢を示した。
トランプ氏は大統領就任にあたって中国にまず一撃を加えたが、それを事実上撤回したのである。
こうした動きの先に、アメリカの「頭越し外交」が透けて見える。1971年8月、ニクソン米大統領は突然中国訪問を発表した。自民党佐藤政権にとっては寝耳に水で、それまでの中国敵視政策を急転換しなければならなくなった。
秋の19回党大会までには、米中外交戦の中味がかなり明らかになるだろうが、日本政府がアメリカの対中強硬策だけを頼りにするなら、とんだ煮え湯を飲ませられるだろう。
どんなにつきあいにくい隣人でも、その気になれば共存共栄の道はあるものだが、残念なことに日本を支配する政財界と官僚群には、自主外交を展開するだけの度胸がない。この5月自衛艦「いずも」を南シナ海に派遣するなどは、現実離れした判断になるにちがいない。

思想弾圧と腐敗取締について
全人代では、最高人民検察院の曹検察長は、まず民主活動家や弁護士を国家政権転覆罪で摘発した事案を報告し、汚職の取締を後回しにした。名指しされたのは活動家の胡石根氏や人権派弁護士の周世鋒氏らである。
党中央紀律検査委員会はすでに改革派の学者が多い北京大の調査に入った。関係者は「主眼は腐敗問題ではなく、講義や研究内容が党中央の要求に合致しているかどうかだ」と明かしたという。曹検察長は今後も「敵対勢力による転覆、破壊活動を厳しく処罰する」と強調した。19回党大会以後も苛烈な思想弾圧がつづくだろう。
検察長報告では、2016年に汚職事件で捕まった公務員は対前年比12.1%減の4万7650人だった。閣僚級以上の高官は21人で前年の半分である。だが以前本欄に書いたとおり、政治局常務委員が大量に交替する19回党大会までには、大物摘発の可能性が残っている。
反腐敗闘争は今後も強調されるだろう。だが根本的改革は不可能だ。なぜなら官とは党であり、官僚から腐敗の根源である特権を奪うことは党の力量を削ぐことになるからだ。

老百姓の生活について
中国へ行くたびに感じるのは、リーマンショック後の内需拡大政策以来、高速鉄道、舗装道路、地下鉄網の拡大、自動車の普及がいちじるしいことだ。都市住宅は極端に高価だが、消費生活のヨーロッパ化が急速にすすんでいる。全人代では貧困層救済に成功したと報告している。
だが貧困だけが問題ではない。一歩村に入れば、両親の出稼ぎと子供のしつけ、小学校の統廃合、農地問題、医療、水と土壌汚染など課題が山積している。
情報統制と監視は今後確実に厳しくなる。いまでも、GOOGLE系のインターネットにはアクセスできないし、メールやWeChat(無料のメッセージと通話のアプリ=「微信」)なども監視されている。携帯電話の購入や旅館ホテルの利用はもちろん、高速鉄道乗車の際も実名登録をしなければならない。
公務員の採用は「官二代(親のコネ)」が目立つ。やがて「官三代」も出るだろう。無権の民(老百姓)の子供は「根本無門(手も足も出ない)」状態だ。そして19回党大会は、民生の向上と機会の平等をうたうかもしれないが、どのくらい本気かはわからない。

裏返しの現状批判
日本ではともかく、欧米には中国経済の市場化の未完成を理由に「中国は統制経済であって市場経済に非ず」という議論がある。中国当局はこれにネット上で反論している。その「反論」に対する「誰か」の書込みをここに紹介して拙論を終る。

「西側敵対勢力は、中国が市場経済であることを認めないという。なんたる無知!我々のところでは、官界はすでに市場化し、官職の売買はもとより、解放軍将軍の地位だって買える。おまえらにはここまでやれるか!
教育、医療、裁判、工事の入札、出生・結婚・離婚の証明書、卒業証書、修士・博士の学位、勤続年数・年齢・各種職掌、さらには「地溝油」だって、サッカリンだって、「蘇丹紅」だって、「国際友人」だって、「紅十字会」だって、みんな買えるんだ。
それにネット上の世論だって「5毛ずつ」買って来たものなんだ(注)。
……こんなに立派に市場化しているじゃないか。これでもおまえらは我々が市場経済じゃないというのか!バカめ!」

注)「地溝油」とは食品工場の廃油をすくってもう一度あげものなどに使う油。「蘇丹紅」とは発癌性染色剤。鶏卵に用いられて問題になった。「国際友人」とは、この場合は北京オリンピック招致時のIOC会長サマランチを指す。
「紅十字会」は赤十字社、スキャンダルが多い。「5毛ずつ」とは、ネット上で反体制的書き込みを消し中共支持の書き込みをする仕事が1件5毛(0.8円)だから。「5毛党」という。

2017.03.30 入植地拡大を支援する日・イ投資協定―
研究者、ジャーナリスト、NGO関係者らが国会承認に反対

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)


 日本政府とイスラエル政府は2月1日、「日本・イスラエル投資協定」に調印、安倍政権は今国会での承認・発効をしようとしている。それに対し、中東にかかわる研究者、ジャーナリスト、NGO関係者たちが強く反対し、衆参両院議長に問題点を指摘し、承認を議決しないよう求めた署名簿を来週中にも提出する。関係者に限らず、多くの人が署名に加わるよう、中東研究者の役重善洋さんらが、呼びかけている。
  
署名の送り先は:ysige1971@gmail.com
名前、よみがな、肩書(任意)、ご意見(任意)を添えて

 この協定は、昨年12月、国連安全保障理事会が、イスラエルによるパレスチナ占領地での入植地建設を国際法違反とし、入植活動の即時・完全中止を明確に求めた決議に反している。この決議には、日本も賛成し、アメリカも拒否権行使をしなかった。
 この投資協定は、イスラエル国と占領地の区別を全くしていない。占領地への日本からの投資、占領地で生産した農業、工業製品を日本が輸入することが、事実上、自由に拡大できる。すでに、果物などイスラエル産品が日本市場にまで出回っているが、占領下エルサレムやヨルダン川西岸地区での産品が含まれているらしい。その実態が、新協定によって改めて黙認され、拡大する可能性がある。
 一方EUは2013年、イスラエル入植地にかかわる機関、事業に対する助成等の利益供与を禁じたガイドライン、2015年にはイスラエル入植地産品の原産地表示を「イスラエル国」としてはならないと禁じたガイドラインを公表している。

2017.03.29 今こそ知ってほしいアラゴンの詩
4月から教員や学生となる方へ

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 4月は門出の季節だ。中には、4月から初めて教壇に立つ人や、初めて大学の門をくぐる人もいるだろう。私は、その人たちの新しい門出を祝って、フランスの詩人、ルイ・アラゴン(1897―1982年)の詩の一節を贈りたいと思う。この1年、この国の教育現場は荒廃しているのではと思わせる出来事や不祥事があまりにも多かったからである。

 ルイ・アラゴンは詩人であるとともに小説家でもあった。
 1914年に勃発した第1次世界大戦に従軍後、シュールレアリスム運動に加わり、その主要メンバーとなる。1927年にフランス共産党に入党。ソ連の詩人・マヤコフスキーの義妹エルザ・トリオレとの出会いを機に社会主義リアリズムに基づく小説を発表するようになる。1939年に始まった第2次世界大戦中は対独レジスタンス運動に身を投じ、レジスタンスを主題とする詩を発表し、フランス国民に広く愛しょうされた。大戦後はフランス共産党中央委員として活動するとともに多くの詩や小説を執筆した。
 
 私がこの詩人の存在を知ったのは、今から約60年前の1950年代のことだ。早稲田大学に入って出会った先輩から「フランスにこんな詩人がいるぞ」と教えられたのが、ルイ・アラゴンであった。
 当時、同大学では学生運動が盛んで、その先輩も学生運動に熱心だった。私は、その先輩との付き合いを通じて、そのころ、同大学の学生運動活動家の間でアラゴンの詩が熱烈に読まれていたことを知った。詩そのものに感動しての愛しょうだったのか、それとも、アラゴンが困難な状況の中で知識人として対独レジスタンス運動に加わったことへの敬意を込めた愛しょうであったのか、私には分からなかった。今では、おそらく、その両面からの傾倒だったのだろうと思う。

 先輩たちが、最も愛しょうしていたアラゴンの詩は、彼の代表作の一つとされる「ストラスブール大学の歌」の一節だった。
 この詩は、1945年に刊行された彼の詩集『フランスの起床ラッパ』に収められていた詩で、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍によって教授や学生たちが銃殺されたストラスブール大学の悲劇をうたった詩だ。先輩たちが愛しょうしていたその中の一節とは、次のようなものだった。
 「教えるとは 希望を語ること/学ぶとは 誠実を胸にきざむこと」(大島博光訳)
 
 この一節に初めて接したときの深い感動は、いまでも鮮やかに覚えている。その時、私の心をゆさぶった感慨は「この一節ほど教育・学問の真の意味を言い当てた字句はないのではないか」というものだった。そして、こう思ったものだ。「よし、大学に在学中は誠実を胸に刻もう。そして、将来、教壇に立つようなことがあったら、希望を語るよう努力しよう」と。それからは、「ルイ・アラゴン」という名前を耳にしたり、活字に出合ったりするたびに、思わずこの一節を口ずさんだものだ。 

 しかし、大学卒業後、私は新聞記者の道を選んだため、「アラゴン」は次第に遠いものとなっていった。思い出すこともなくなった。ところが、昨年、ひょんなことから「アラゴン」が私に甦ってきたのである。

 昨年11月18日夜、東京の日比谷コンベンションホールでドキュメンタリー映画『まなぶ 通信制中学 60年の空白を越えて』の有料試写会があった。映像ディレクターの太田直子さんが、さまざまな事情で中学を卒業できなかった高齢者が東京都千代田区立神田一橋中学校の通信教育課程で学ぶ姿を、5年かけて記録した映画だった。
 試写会後、会場でシンポジウムがあり、舞台に座っていた講師の1人の見城慶和さん(元夜間中学校教師・山田洋次監督の映画『学校』の主人公のモデル)が発言した。見城さんは「通信制の中学校があるということは知っていたが、そこで、どのような人たちが、どのように学んでいるかというようなことは全く知らなかった。この映画との出合いは感動の一言につきる」と語り、さらに、「学ぶことの意義」に言及して、こう述べたのである。「フランスの詩人、ルイ・アラゴンは言った。『教えるとは希望を語ること 学ぶとは誠実を胸にきざむこと』だ、と」

 その瞬間、観客席にいた私の胸に、大学時代に口ずさんだアラゴンの「ストラスブール大学の歌」の一節が甦ってきたのである。私は、60余年前にこの一節に出合った時の興奮を思い起こしながら帰途についた。
 
 教育活動の経験豊かな見城さんの発言を聴いて、私は、アラゴンの詩の一節ほど教育・学問の真の意味を言い当てた字句はないという自分の思いに自信を深めた。加えて、その後、まことに偶然なのだが、そうした自信をいっそう深めることになる。というのは、私が加わっている読書会の今年2月の例会のテキストが、堀尾輝久著『教育入門』(岩波新書、1989年刊)で、同書の末尾が、なんと次のような文章で結ばれていたからである。
 「フランスの詩人ルイ・アラゴンの詩に『教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸にきざむこと』という一節があります。私たちの望む教育は、こうありたいものだと願うのです」

 こうしたことがあって、私は、自分の思いを教育関係の人たちに伝えたくなった。なぜなら、昨年来、教育現場で教員や学生の不祥事が多発していたからである。

 新聞を見ていると、教員の不祥事には、飲酒運転、わいせつ行為、体罰、暴言、情報漏えいなどといったものが多かった。
 そればかりでない。「教育現場でこんなことが」と驚いてしまうニュースに出合うことも少なくなかった。例えば、昨年11月には、東電福島第1原発の事故で福島県から横浜市に自主避難した小学生が、同級生から名前に「菌」をつけて呼ばれたり、「賠償金があるだろう」と金銭を要求されるなどのいじめを受け、不登校になったにもかかわらず、担任教師や校長がこうした事態を放置していたと報じられた。また、昨年暮れには、やはり原発事故で福島県から新潟市へ避難している小学生が、同級生や担任の教諭から名前に「菌」をつけて呼ばれ、学校を休んでいる、との報道があった。
 
 もちろん、大部分の先生は日々、身を粉にして真摯に教育に取り組んでおり、不祥事を起こす先生はごく一部に違いない。が、こうした報道に接するたびに「それにしても多すぎはしないか。なぜだろう」と考え込んでしまった。

 学生諸君についても、びっくりさせられたことがあった。その一つが、有名大学の学生による不祥事である。
 昨年5月には、東大生5人が、女子大生への強制わいせつ容疑で逮捕された。同年9月には、慶応大学が広告学研究会の学生4人を無期停学、または譴責(けんせき)処分とした。処分の理由は、研究会が借用していた合宿所で、未成年飲酒や性行為など「気品を損ねる行為をした」というものだった。さらに、同年11月には、千葉大学医学部5年生3人が、集団強姦致傷の容疑で逮捕された。
 こうした事件が連続的に報道されると、「学園はどうなっているんだろう」と思わずにはいられなかった。

 4月から教壇で子どもたちと向き合う人や、学園で勉強を始める人に伝えたい。「教えるとは 希望を語ること/学ぶとは 誠実を胸にきざむこと」とうたった詩人がいたことをぜひ知ってほしい、と。  

2017.03.28 「平和の灯」が消されるまで
 ―愛子さんの「怒りと悲しみと希望」―
 
半澤健市 (元金融機関勤務)

 愛子内親王は 2017年3月22日に学習院女子中等科の卒業式に出席した。
400人の卒業生が一人ひとり名前を読み上げられ、愛子さんは「敬宮愛子(としのみや・あいこ)」と呼ばれて起立したという。
彼女が書いた卒業記念作文「世界の平和を願って」が同日宮内庁から発表された。
それは、2016年5月の修学旅行で広島を訪れたときの感想を、書いたものである。

《原爆への「怒りと悲しみ」》
 卒業前の青空を見上げて彼女は平和に生きている自分が幸せだと思った。
その感情が湧いたのは、広島で大きな意識変化があったからである。
原爆ドームの前で突然、足が動かなくなった。平和記念資料館の展示に驚いた。現地をみて、原爆投下の「空間と時間」へ没入したのである。彼女はこう書いている。(■から■が原文の引用)

■原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。
これが実際に起きたことなのか、と私は眼を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。
最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった■

《平和への実践・思いやりと発信》
 オバマ米大統領のものを含む世界中からの折鶴を見た。慰霊碑に燃えつづけている「平和の灯」を見た。こういう平和のシンボルを見て、平和は世界中の願いであることを意識する。しかしそれはなかなか達成されない目標である。彼女は、平和は当たり前の日常だと思ってはいけないと考える。平和は人々は他人への感謝と他人への思いやりという行動から始まるのだと考える。そしてこう書いている。

■唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」が消されることを心から願っている■

《15歳少女の作文が与える衝撃》
 特異な環境下で人生を歩んでいる15歳の少女の文章は、私に衝撃を与えた。
それは次の三点の感覚に要約できると思う。
一つ 現場を見て過去の時空に没入できる感性と知性
二つ 「悲しみ」だけでなく「怒り」を表現していること
三つ 行動によって〈「平和の灯」を消そう〉という想像力
三つに共通するものは、自分の目で見、自分の頭で考え、自分の言葉で表現する、すなわち自立した精神である。

 後期高齢者の私は、旅行をして何を見ても「テレビで見た通り」という感想に落ち着くようになった。旅行の感想はメディア映像の再生産以上のものでなくなった。
 それに比べて愛子さんのタイムスリップ能力はどこから来るのだろうか。それは彼女の鋭い感受性からであり、歴史的に事柄を見ようとする知性によるものだと思う。

 私はかねてから日本人の戦争論には、「悲しみ」と「悼み」だけがあって「怒り」や「抗議」がない、と言ってきた。愛子さんは「原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた」と書いている。「怒り」が誰から誰へ向けてのものか。この文章ではわからない。しかし、原爆投下を決定し実行した当事者、不作為によってその実行を容認した当事者は、米大統領や彼女の祖父を含んでいて、しかもその数は多くない。彼女自身の意識はどうあれ、これが文章から導かれる論理である。

 バラク・オバマのプラハ演説はノーベル平和賞の理由となったが、そこでも核廃絶には長い時間がかかると言っている。それに対して、愛子さんは「そう遠くない将来に」と言っている。そして、その時には広島の「平和の灯」は消えるのだと考えている。「灯が消える」というイマジネーションに私はうたれた。

《国民の総意 VS 天皇制・時の政権》
 現在の天皇家の、歴史観・戦争観には戦後民主主義の「理想主義」の部分が、生き残っていると私は思っている。一方、実態としての戦後民主主義は、「戦争観なき平和論」、「自立意識なき防衛論」、「リアリズムなき護憲論」という「現実主義」によって批判され、気息奄々の状態だと私は感じている。
天皇制が「国民の総意に基づく」ように、日本政治の総体は国民の総意に基づくべきものである。戦後76年余り、国民の総意が理想的に政治に反映されたことはない。それが政治の現実というものであろう。

 しかし2017年の今ほど、その関係が「現実離れ」し、「乖離」している時もない。
我々は、敬宮愛子さんに学ぶところにいるのではないだろうか。(2017/03/25)

2017.03.27 安倍政権を揺るがす「アッキード事件」
―ぜひ松井大阪府知事の証人喚問を!

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

籠池国会証人喚問は国民の注目を集め、国際ニュースとなって世界を駆け巡った、森友学園疑惑はいまや安倍政権を揺るがす疑獄事件へと発展している、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(17)

 この2、3日はテレビの国会中継に釘付けだった。言わずと知れた森友学園疑惑がそのお目当てだ。なかでも3月23日の森友学園籠池理事長の証人喚問は圧巻だった。参院では例によって西田自民党議員(京都選出)が質問に立ったが、籠池証人を嘘つき呼ばわりして脅かすだけで、事態の究明につながる質問は何一つしなかった。その一方、財務官僚とのやりとりでは、西田議員が「こういう事実があるか」と聞くと理財局長が「ございません」とオウム返しする。一連の応答の後、「国有地売却で政治家の関与はなく手続きにも問題はなかった」と勝手に決めつけて終わり...。まあこんな具合なのだ。

 その一方、証人席の籠池理事長は余裕綽々だった。署名に手を震わせることもなければ、臆した様子もない。むしろ、ここ一番の大勝負に臨む勝負師の気迫さえ感じられる。籠池理事長は大阪では「天性の詐欺師」と言われているだけあって、度胸も据わっている。だから、自分だけを悪者にして逃げようとする政治家たちの名前を次から次へと挙げ、安倍首相夫人とのメールや電話での生々しいやりとりも容赦なく暴露した。極め付きは、首相夫人付きの女性官僚からファックスで送られてきた森友学園要望事項に関する一連の経過と結果を知らせた返答文書だろう。

 これで、籠池理事長夫妻から安倍首相夫人への要望 → 首相夫人付き官僚の財務省・国交省など関係省庁への照会 → 関係省庁からの回答 → 首相夫人付き官僚からの籠池理事長へ返答という一連の「口利き」ルートが判明した。何しろこのルートは首相夫人につながる「ホットライン」なのだ。籠池理事長夫妻が「命綱」と考えても不思議ではない。「命綱を断ち切られれば死ぬほかはない...」。籠池夫人が安倍首相夫人に訴えた気持ちがよくわかるというものだ。

 籠池証人喚問の国会中継の視聴率は、関東では16%、関西では18%にもなったらしい。この種の番組としては異例の高視聴率だ。お陰で裏番組が軒並み吹っ飛んだという。全国の世帯数はおよそ5500万世帯だから、1000万近い世帯がこの国会中継を観ていたことになる。それだけではない。最近は録画しておいて時間のある時に観る人が急激に増えているので、これらを合わせると国民の4分の1ぐらいは観ていたことになるのではないか。事実、当日大阪であった研究会の後で立ち寄った居酒屋のお兄ちゃんは、国会中継を録画しているので家に帰ってから観ると言っていた。そこの女将さんも「下手なドラマよりもなんぼか面白いでっせ」と大評判なのだ。森友学園疑惑はいまや国民的関心事なのである。

 森友学園疑惑をロッキード事件とのアナロジーで「アッキード事件」と呼んでいるジャーナリストも多い。ロッキード事件とは、端的にいえば「総理大臣の犯罪」である。森友学園疑惑を早くから「アッキード事件」とネーミングした鋭い嗅覚には驚くが、それが急速にリアル感を増している事態の展開の速さにも驚く。当初は「森友学園と関係があるなら国会議員も総理大臣も辞める」と啖呵を切っていた安倍首相も、事態を軽く見ていたからこそ大見得を切ったのであって、これほどのことになるとは予想だにしていなかったに違いない。自業自得とはいえ、安倍首相は今頃恐らく大失言だったと後悔していることだろう。「アベ友」で名高い田崎某テレビコメンテイターも、「言わなければよかった」と首相の気持ちを代弁して一緒に後悔している。彼らがグルになって国民を甘く見ていたツケが(ようやく)回ってきたのである。

 自公与党および維新の会はいまや身に降りかかる火の粉を振り払い、事態の幕引きを図るのに必死だ。籠池理事長から「梯子を外した」として集中砲火を浴びている松井大阪府知事などは逆に居直り、「証人喚問に出てもいい」との攻勢に出ている。「攻撃は最大の防御」という若い時から喧嘩に負けたことがない経験を活かしての発言だろう。ならば、松井知事国会証人喚問はぜひ実現してほしい。おそらく関西での国会中継視聴率は20%以上に跳ね上がり、居酒屋での酒飲み話にも一段と弾みがつくに違いない。

 安倍首相にとってもう一つの難題は、森友学園疑惑が国際的に拡がることだ。「地球儀外交」を掲げ、内閣支持率が下がるとみるや不要不急の外交日程を組んで世界を飛び回り(国民の税金で)、帰国後には御付きのNHK政治部記者を従えてニュース番組で得々と語るというこれまでの定番手法が難しくなってきたのである。外国首脳とにこやかに握手を交わすには、それなりの国際的評判を背景にしていなければならない。しかし、安倍首相はトランプ大統領との親密関係を誇示することで世界の物笑いになり、今度は「ウルトラ・ナショナリスト」(極右、国粋主義者)絡みのスキャンダルともなれば、地球儀外交の影も薄くならざるを得ないだろう。

 3月23日の国会証人喚問後に開かれた日本外国人特派員協会での籠池理事長記者会見は、国内外の約70社の記者が集まり質問の集中砲火が続いた。その会見模様は各社電子版として即世界中に広がり、英紙ガーディアンは「安倍晋三夫妻、ウルトラ・ナショナリスト(国粋主義)学校に寄付の疑い」とも見出しで一連の事態を報じ、米CNNは、日の丸を背景に籠池氏と安倍夫妻、稲田朋美防衛相を組み合わせた写真を使い「名誉校長」「防衛相との関わり」などの項目を立てて詳報した。「外国メディアにとって最大で唯一の関心は、安倍首相が生き残るかどうかだ」、「首相の退陣につながるとすると重要な国際ニュースになる。それだけ国会での証人喚問は劇的だった」というのが記者たちの感想である(朝日新聞2017年3月24日)。

 今後、政局はどう動くか予想もつかない。安倍政権があくまでも白を切り、自公与党と維新の会が結託して幕引きを図るというシナリオはもはや崩れて使えない。とすれば、残るカードは安倍首相の辞任か、それとも総選挙か、あまり多くのカードは残されていない。少ないカードで「一か八か」の大勝負に出るかどうか、全ては安倍首相の胸先三寸に懸かっている。(つづく)
2017.03.26  「本日休載」
今日03月26日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2017.03.25  世界をくるくるくるりと宙返り
出町 千鶴子 (画家)

          絶好の春だ!
     
          くるくるくるりと宙返り
     
           明日 てんきになあれ

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2017.03.24  米予算案概要発表で、トランプの支持率さらに低下
          ―支持37%、不支持58%は最悪記録―

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 国際的に最も信頼されているギャラップの世論調査(3月18日)によると、トランプ米大統領が16日に初の予算案概要を発表後、就任以来、下落傾向だったトランプ政権の支持率は、さらに大きく下落、支持37%、不支持は58%になった。就任後2か月の大統領としては、おそらく史上最低の支持率だ。
米予算案概要発表で、トランプの支持率さらに低下

        上昇している線が不支持率         下降している線が支持率

 この予算案概要を、トランプ政権は「米国第一予算」と呼び、各省予算は対前年度比で国防総省10.0%増、国土安全保障省6.8%増、退役軍人省5.9%増。その一方で、貧困対策、環境保護、対外援助などを大幅カットし、環境保護局31.4%減、国務省など28.7%減、労働省20.7%減、保健福祉省16.2%減、エネルギー省5.6%減、航空宇宙局(NASA)0.8%減とする方針だ。
 米国の進歩的なニュース通信社Common Dreamsは3月20日、次のように伝えているー
ドナルド・トランプ、アメリカは本当にあなたが好きでないことを、世論調査が示しています(Poll Shows America Really Does Not Like You, Donald Trump )

米予算案概要発表で、トランプの支持率さらに低下

 ニカ ナイト記者
 “残酷”予算の発表後、トランプ・ケア、根拠のない盗聴疑惑などで低下した大統領の支持率は、かってない低率へと落下した。ギャラップが発表した最新のトランプ大統領支持率は、大統領にとって、さらによくない数字だった。
回答者の37%しか就任以来の大統領の行動を承認しなかった。58%が不承認だった。先月の世論調査では支持率42%で、その時点でも記録的な低支持率だったが、今回はさらに低下した。(注:トランプ・ケアとは、オバマ前政権が実施した社会保障制度の加入者の保証が、トランプ政権下に失われる恐れがあること)
 急激なトランプ支持率の低下は、多くの分野でトランプへ非難が浴びせられている中で、明らかになった。トランプに投票した有権者を含め、多くの国民は、貧しい人々への食事や乗り物代補助など公共サービスの大幅カットの一方で、軍事予算を6百億ドルも増額する“道徳的に低劣な”予算案に、落胆し、反対している。ホワイトハウスには、オバマケアの変更案に対する各方面からの非難が集中している。
 また、イスラム教徒の入国禁止を目的とした、大統領の2回目の試みは、一カ所ではなく2カ所の裁判所で敗北している。さらにトランプは、オバマ前大統領が彼の電話を盗聴したと非難しながら、その証拠を全く示すことができないでいる。
(後略)


2017.03.23 こんなことばはいやだ
――八ヶ岳山麓から(215)――
            
阿部治平 (もと高校教師)
 
テレビと新聞・雑誌の中の気になることばについて書きたい。
中国に長いこと生活していて帰郷したものの、ひと気のないカラマツ林の中で一人暮らしをしている。先週は誰とも話をしなかった。こういうことがときどきある。自然、今風のものいいにうとくなる。多分私の言語に対する感覚は20年近く前のもので、とうぜん皆さんの感覚とはずれている。しかしそうはいっても気になることばがある。前にも同じようなことを書いた記憶があるが、ここらで愚痴をもう一回くりかえしたいという気持を抑えきれない。

「癒される」
これは1990年代からあったけれども、昔も温泉に入って癒されるということはあったかもしれない。今どきの人は景色を見て癒される、音楽や絵を味わったあとにも癒されるなどという。気持がなごむ、ほっとするといった意味だろうが、東日本大震災のあと多く使われるようになったように感じる。テレビなどでは意味が拡大して、犬や猫の子を見ても癒されるという。そんなにいつも心も体も病んでいるのか。いや疲れているのか。
同類に「元気をもらう」という言い方もある。スポーツ選手が試合で頑張ったのを見た人が元気をもらったという。元気や勇気は出すもので、ほかからもらうものではない。

「感動させたい」
わかいスポーツ選手(この頃はアスリートというらしい)が将来の抱負を聞かれて、「(人々を)感動させたい」「(人々に)感動を与えたい」などと言っている。「させる」は使役であって、目上の者から目下の者に力を及ぼす意を含むことが多い。「与える」も同様である。若者が一般社会の人に向けて使うことばではない。指導者たちはどうして正してやらないのか。いや、今日のスポーツ界には、これがおかしいと感じる指導者がいないのかもしれない。

「楽しんできます」
スポーツ選手が、それも個人競技の選手がよく使っている。世界大会などに出かける前に心境を問われて、「めいっぱい楽しんできます」などという。「ほんとうか?」とつい思ってしまう。苦しく長い練習もさりながらカネもかかっている。その成果を限られた時間で発揮するのだから「楽しむ」と言われては拍子抜けする。
ひと昔前なら「頑張ります」「ベストをつくします」などと言ったところだ。選手たちの気風が変わったのか。頑張るなどというのは恰好がわるいと思っているのか。いちいち本心を吐露してもらわなくてもいいが、判で押したようなのが気になる。

「やわらかーい、あまーい」
昨今のテレビは料理番組が異常に多い。多分政治や経済や生活を語るより無難だからだろう。タレントが登場して、できあがった料理を食うまえに、たいてい「おいしそー」という。口の中に入れて、しばらくして「うんうん」とうなづくしぐさをし、「やわらかーい」とか「あまーい」という。むかし女のアナウンサーがそばを食って「やわらかい」といっているのを見たことがある。いま肉料理でも「あまーい」という。「やわらかい」「あまい」がうまい味覚のひとつだと思い込んでいるのか。
日本人の顎は退化しつつあるといわれて久しい。このまま「やわらかーい、あまーい」ではますます退化し虫歯だらけになる。友人で年配のモンゴル人が見事な歯並びをみせて「おれはこの年になっても全部親からもらった自分の歯だ。小さいときから羊の硬い筋なんか食っているからな」と自慢した。私は中国人からもオーストラリア人からも日本人の歯並びが悪いのはどうしてかと聞かれたことがある。テレビのせいだと答えた。

「してもらってもいいですか」
一般には「してもらってもいいですか」は敬語表現として使っているようだが、そうはならない。敬語を使うなら「していただけませんか」「していただきたいと存じます」ではなかろうか。もっとへりくだりたかったら、「恐れ入りますが」をつければいい。
これに関連して「頂戴する」がある。「お名前を頂戴してよろしいでしょうか」と言われてわからなかった話は、以前本欄で書いたことがあるが、友人は、テレビのドラマのなかで写真を撮るとき、「目線を頂戴します」と言ったのを聞いて驚いたという。そこまでへりくだるか、と思ったらしい。私は「目線」がいやだ。そのうえ「目線を頂戴する」ということばは、不快感以前に、日本語としてわからない。気味が悪い。

「よろしかったでしょうか」
食堂などで注文のラーメンを持ってきた人に、「〇〇ラーメンでよろしかったでしょうか」などといわれると、「注文したんだからよろしいもクソもない」と言いたくなるし、伸びきったラーメンのようでいやだ。もともと「よろしい」は許可である。
ただし友人は、これは注文の受け違いがなかったかを注文主に確認するために言っているのだから、そんなに変ではないという。ミスを糾弾しがちな昨今の世相が生んだ、いかにも今風のことばであるそうだ。――なるほど。

「させていただく」
これは誰もがいうようになった。だがこれが敬語表現といえるだろうか。言っている本人は謙譲の意をこめているようだが、必ずしもそうは受取れない。この言いかたは1960年代前半には東京にはなかった。私は農協の中央組織に勤めていたことがあるが、ある時関西方面からの電話を受けた同僚が不愉快な顔をしたことがある。
なんでも「では資料を送らせていただきます」と相手方がいったという。彼は「こちらが要求したわけではないのに『させていただく』も何もないもんだ」といった。

「関係性」
「関係」に「性」がついて悪いことはない。関係のありようを特に云々したいときはそれが自然である。しかし、この頃のように、猫も杓子も、なんでもかでも「関係性」を持ち出すようになると気味が悪い。「内容性」とかいうのもあった。

「対立軸」
対立点といって少しもさしつかえがないときでも「軸」を使うようになったのは、1990年代からだと思う。どうしてだろう?「軸」といったほうが、いろんな内容を込められるからかしらん。スマートだと思っているのかもしれない。

「のたまった」
「週刊金曜日」(2017・03・10)に、「赤ワイン片手に『(自衛隊の降下訓練を)天皇陛下バンザーイって言ってやろうかな』とのたまった稲田朋美防衛大臣」という見出しの記事があった。1月18日に予定されていた習志野演習場での自衛隊降下訓練に参加できないことを残念がって見せる稲田氏に、ある記者が「降下は怖くないのか」と問うたときの答とのことである。
ちょっと見たとき意味がわからなくてとまどったが、しばらくして「のたまった」は「のたまふ」の過去形のつもりだと気がついた。「の(宣)る」に敬意を表す「たまふ」がついて「のりたまふ」となり、「のたまふ」になった。元来は上の者が下の者に何かを言うのを表現するときの敬語である。
だが「のたまふ」を「のたまった」というだろうか。思うに、「……たまふ」は現代かなづかいでは、「……たもう」であろう。「のたまひたり」という過去形は、「のたもうた」となるはずで、「のたまった」にはならない。辞書見出語に「のたまう」(ノタモーと読む)と出ていたのをみて、それから「のたまった」になったのではないかと思う。
「のたまふ」は現代口語では敬語表現がどこかに飛んで、会話の現場にいない人をからかったり批判したりするとき使う。敬語表現を意図的に過剰にして、嘲笑の程度を上げる効果を狙ったものだ。
「のたまった」と書いたのは編集者である。編集にかかわりのある友人たちに電話で、「せっかく神憑り的右翼の稲田朋美氏の言動を批判したのに、この見出しではまずいのではないか」と確かめてみたら、複数の者が「べつに違和感はない」とか、「口語では『のたもうた』とはあまり言わないのじゃないか」などとのたもうた。

少なくなってよかったと思うことばもある。「わたし的には……」と「わたしってこういう人なのよ」である。自信過剰気味の女性に多いことばづかいであった。
ことばは変化するものとは承知している。わかっていながら今日もまたテレビを見ながら、イライラ、ムズムズするのである。
2017.03.22 口封じのためか、事実解明につながるかー森友学園「疑惑」は「疑獄事件」へと発展しつつある

広原盛明(関西在住、都市計画・まちづくり研究者)


森友学園「疑惑」はいまや森友学園「疑獄事件」へと発展しつつある、籠池理事長の証人喚問は「口封じ」のためか、それとも事態解明につながるのか、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(16)

 3月16日の参院予算委員会の森友学園現地調査で、「なにか面白いことが起るかもしれないよ」と大阪の友人が教えてくれた。その意味が分からない私に対して、友人は「何が起こるか分からないところが面白いのじゃないか」と回答をはぐらかしたが、まさか、それが「安倍首相が100万円を寄付した」という籠池理事長の爆弾発言になるとは思わなかった。

 籠池発言の真偽は別として、首相を名指ししての発言は安倍政権にも衝撃を与えたらしく、菅官房長官は即刻記者会見を開き、首相も夫人も第三者を通じても寄付した事実はないと否定した。しかし、それだけでは収まらなかったのか、これまで参考人招致でさえ拒否してきた自公与党の国対委員長が、3月23日に急転直下「証人喚問」に踏み切ることが判明した。驚くべき事態の急変ではないか。

 世間相場では、参考人招致の方が証人喚問よりも通常「ゆるい」と思われている。参考人招致だと出席を断ることもできるし(現に籠池理事長は大阪府議会の参考人招致を断った)、参考人が事実と異なることを言っても罰せられることはない。籠池理事長のような鉄面皮の人物には、参考人招致など痛くも痒くもないのである。しかし、証人喚問の方は正当な理由なくして出席を断ることはできないし、事実と違うことを言えば偽証罪で訴えられる。これまで国会で証人喚問がなかなか実現しなかったのは、事実の解明を恐れる政治勢力がそれを阻んできたからである。

 ところが摩訶不思議なことに、自公与党がかねてから警戒してきた「何を言い出すかわからない」籠池理事長のような人物を一転して証人喚問することに踏み切った。竹下自民党衆院国対委員長は「首相が侮辱されたことを看過することはできない」などと言っているが、本当のところは籠池理事長にこれ以上の発言をさせないための「口封じ」に出たのではないかと私は思っている。偽証罪を口実にして籠池理事長に発言を委縮させる、あるいは些細な発言ミスを引き出して起訴に持ち込み、本人を拘留して物理的に発言を封じる。そうすれば、一連の騒動に終止符を打てるとでも踏んでいるのだろう。

 だが、こんな考え方は甘いのではないか。安倍夫妻や稲田防衛相と籠池理事長やその妻との関係は、日本会議などの右翼人脈を通して想像以上に密接なものがあったのであり、いまやその関係はテレビ番組や週刊誌などのメディアによって広く国民全体に知れわたっている。また、森友学園幼稚園にみられるような戦前教育への回帰が、安倍首相の「お薦め」「お好み」であり、昭恵夫人が認可予定の小学校の名誉校長に就任したのもその教育理念に「共鳴」したからであることも、国民はよく知っている。だから、多少の「口封じ」を講じたところで、今度は籠池夫人がそれを上回る(大)スピーカーとなって大阪中あるいは日本中に触れ回ることになれば、事態がもっと拡散していくことに違いない。

 いま国民が何よりも知りたいのは、なぜ国有地がかくも法外な安値と異常なスピードで森友学園に払い下げられたのか、なぜ財務省にその経過を記した記録がないのかという、通常は「あり得ない」事態の解明である。この深刻な疑惑が解明されない限り、安倍政権がどのように関係者の「口封じ」をしても、またどのように「疑惑の蓋」をしても国民の疑いは晴れず、安倍内閣の支持率は遅かれ早かれ低下していくことは避けられない。また思わぬところから真実が暴露されて、それが安倍政権と財務省を貫く「疑獄事件」であることが判明すれば、安倍内閣はもとより自公与党体制そのものが崩壊する恐れすらある。

 加えて、森友学園疑惑には松井知事をはじめ「維新の会」が相当絡んでいることも疑惑を二重三重に深めている。松井知事はもっぱら国(財務省)が率先してこの話を持ち掛けてきたと目下「火の粉」を振り払うのに懸命であるが、このほど大阪府が近畿財務局と協議した記録を「残していない」ことが府の内部資料からも判明した(毎日新聞、2017年3月16日)。これは、財務省理財局が交渉記録を一切残していない(破棄した)ことと同じ構図であり、事態を隠蔽するものだと疑われても仕方がない。関係記録を隠蔽するこのような構図は、それが残しては困るような胡散臭い協議(交渉)記録であったことを示す以外の何物でもなく、「どこかからか出てくる」ようなことでもない限り国民の疑惑は永久に解消しないのである。

 安倍政権は、もはやこれだけの国民的関心事になった疑惑を自分たちの思惑で幕引きできるなどと思わないことだ。事態は、もはや隠せば隠すほど国民の疑惑は大きくなるという「負のスパイラル」状況に入っているのであり、どこかでそれを断ち切らない限り、政治生命を維持することができないところまで来ている。だが「安倍1強体制」はそんな自覚もなければ、「身を切る覚悟」も示すことができない。「行き着くところまで行くほかはない」のが、安倍政権の運命なのだろう。(つづく)