2018.12.19 「敵進めば、われ退く」―中国、技術発展計画で対米譲歩を決意か?
新・管見中国(42)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 「米中新冷戦」は1日のアルゼンチン・ブエノスアイレスでのトランプ・習近平首脳会談と時を同じくして起こったカナダ・バンクーバーでの中国「華為技術(ファーウエイ)」副会長逮捕によって、戦線は米中間の貿易インバランスの是正のみならず、次世代通信技術(5G)での主導権争いという新領域の火も燃え広がっていることが明らかになった。
 確かに今より百倍以上も高速になると予想される通信技術の新世代の主導権の行方は、そのまま世界政治の主導権の行方をも左右するだろうから、現在の覇者、米にすれば、猛追してくる中国を蹴落としたい衝動に駆られていることは誰の目にも明らかである。
 とはいえ、正々堂々と追いつき追い越されるなら、米と言えども文句のつけようはないはずだが、現状では中国のしていることに米はあれこれ腹を立てているために、国際紛争の様相を呈しているわけである。
 米はなにに腹を立てているのか。一言で言えば「やり方が汚い」ということだろう。米の言い分を簡潔に言えば、中国は技術を「盗むな、ゆするな、過保護はやめろ」ということになる。
 「盗むな」はハッキングから技術者の買収までふくめて、外国企業の技術を盗み取ることであり、「ゆするな」は外国企業が中国の巨大市場をめあてに進出してくる場合や外国企業が中国と大型商談をまとめる際に、条件として技術を中国側に公開するよう求めること。「過保護はやめろ」は中国が2015年に決めた「中国製造2025」という中国の技術水準を急速に引き上げる計画で、その重点分野とされた業界や企業に政府が多額の補助金など優遇措置を講じていることを指す。
 このうち2番目の「ゆするな」は大げさに言えば、中国が改革・解放政策に踏み切って以来なかば公然と行われてきたことだが、「盗むな」はことの性質からか、米も声高に非難するわりには、個別例を具体的に明らかにしないし、中国も否定するばかりで具体的な反論をしないので、外部からはその真偽を判断しようがない。ただ、米中のやり取りを見ていれば、まるきり火のないところに煙が立っているわけではなさそうだ、とはな思える。
 問題は3番目の「過保護はやめろ」である。自国の遅れた分野を政府が保護、助成するのはどこの国でもやっていることであって、それを他国がとやかく言うのは筋が通らない。だから中国側は「中国は自らが発展する権利を犠牲にはできない」(10月1日『人民日報』)と反論する。その限りでは正論であろう。習近平も11月17日、ポートモレスビーでのAPECの場で「すべての国は平等に発展する権利がある」と米ペンス副大統領の前でその立場を強調した。
 それでは米は何故、この「中国製造2025」を目の仇にするのか。表向きはこの計画による補助金や外資規制が「市場の公平性をゆがめている」というものだ。確かに「華為」のように短期間で世界シェアを大きく伸ばした中国企業は民営とはいえ、政府の強力な後押しがあったであろうが、それを不公平とか、公正な競争が行われていないと非難したところで、所詮は他国のことである。
 それでも米がこの「中国製造2025」を毛嫌いするのは、これが今後数十年に及ぶ中国の発展目標を掲げているからではないかと考えられる。米にとっては想像したくないことをわざわざ目の前に突きつけられている感じがするのではないか。
 例えば計画によれば、中国は2025年から10年間で世界の製造強国の仲間入りをし、2035年には製造業の現代化を全面的に実現する。そして建国100年の2049年には世界でも先進的な技術体系と産業体系をつくり上げるというのである。
 なんでその程度のことで、という気もするが、なにしろ中国は14億人を擁する巨大マーケットである。巨大マーケットの持つ強みをこれまで十分味わいつくしてきた米としては、米の数倍の巨大マーケットが先進技術を身に着けることは想像するだにおぞましいのではなかろうか。
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 さて、ここからがこの一文の本題である。先進技術に関する米の対中非難のうちの「過保護はやめろ」は中国としてとても呑める要求ではないので、「新冷戦」はますます過熱かと思われている矢先に、中国がここはあえて譲歩するのではないか、という雲行きになってきたようなのである。
 発端はさる12日の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)の報道である。それは中国政府が米中貿易戦争の収束に向けて「中国製造2025」の見直しを検討していて、来年の初めには産業育成策の新しい計画を公表する、というのである。
 ただこの報道ではニュースソースが明らかにされていないので、これだけではただの観測でしかないが、この報道を受ける形で中国の新聞がそれを否定するのでなく、逆に肯定するような論評を掲げたので、それを紹介しておきたい。
 その新聞とは『環球時報』という人民日報系の国際問題専門紙である。最近では昔と違って国際的な動きに素早く反応するので、中国の動きについての重要な情報源となっている。そして問題の論評は同紙14日に載った「社評」(日本でいえば社説)で、タイトルは「どうすれば有利か、中国の産業政策はどうあるべきか」。その要点は―
 「米側が『中国製造2025』に反対したのは中国人には意外であった。われわれは米の態度を全く理解せず、自分たちだけでこれを決定した。しかし、中国は深くグローバル化の中に溶け込んでおり、中国の利益と米など西側の利益とを協調させる現実的な必要はますます大きくなっている。・・・これは中国にとって1つの重要な思考の角度である」
「今年になってからの中国を取り巻く環境の重大な変化を回避せず、主導的に応対すべきである。・・・今日、中国が外界に対応して動くことは、国の利益をよりよく実現するためであり、主権を圧迫されての屈辱的な譲歩ではない。強硬と対決は永遠に妥協より歓迎され、さらには『政治的に正しい』とされる。しかし、これは21世紀の中国のイデオロギーではない」
 「中国は世界と利益を共有(共赢)する。これはわれわれの平和発展の生命線であって、1つのスローガンではない。・・・なにが利益の共有か。1つの主張をのべて、それで終わりというわけにはいかない。外部世界の受け取り方もその中に取り入れなければならないし、それは各方面の態度と認識の最大公約数でなければならない」
 要するに自分のことは自分で決めるから、他国は口を出すなという態度はもう通用しない。自分のことでも世界の理解をえなければならない、というのである。へー、ずいぶん物わかりがよくなったものだと驚くし、具体的には「中国製造2025」を外国の批判を受けて縮小したり、改訂したりするのも、共通の利益のためならやむを得ない、ということになる。
 もし、この論調が中国を代表するのなら、米との協議の上での最大の難関は取り除かれたことになる。しかし、ことはそう簡単ではないような気がする。というのはこの新聞の今の編集長はなかなかに開明的な人物で、これまでも時に署名入りでその所論を紙面に載せてきた。したがって、こういう論説が出たからと言って、即それが中国政府の交渉態度に出るとは限らない。われわれは次の場面を待つしかない。
 とはいえ、考えてみれば、今度の「米中新冷戦」なるものは、すくなくとも中国側にしてみればかねて十分に予期していたとはいえないはずだ。今春以降、トランプの急襲に会って、一応、関税には関税で、と対抗はしているが、その間に国内経済は明らかに下降線をたどっていて、強がりだけで先の見通しは立っていないのが現状ではないか。
 そこで局面転換の契機を探り始めたことは十分考えられる。中国共産党は大きな危機に見舞われたときは、思い切った戦術転換に出た歴史を1度ならず持つ。記憶に新しいところでは1970年代、ソ連の攻勢に追い込まれた際には、それまで「米帝国主義は世界人類共通の敵」と言っていたのに、突如、キッシンジャーの隠密外交を受け入れ、対米関係を改善した。日中国交回復もその流れの続きであった。
 それより以前には抗日統一戦線を組むために宿敵、国民党の蒋介石とも手を結んだ。いずれも党内の混乱を恐れず、生き残りのための政策転換であった。この段階での米との対決には勝ち目なしと読み切れば、「妥協をいとわず」は中国共産党の伝統でもある。来年の米中関係はどう展開するか。予断をもつことはできない。
 毛沢東の遊撃戦「16字戦術」と伝えられるものがある。その第1句は「敵進我退」(敵進めば、われ退く)である。第2句以降は「敵駐我擾」(敵留まれば、われ攪乱す)、「敵疲我打」(敵疲れれば、われ打つ)、第4句「敵退我進」(敵退けば、われ進む)と続く。
2018.12.18 沖縄県民の意思を無視する政府を許さない
世界平和アピール七人委が訴え

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設をめぐり、政府が埋め立て用土砂を強行投入した問題で、世界平和アピール七人委員会は12月17日、「沖縄県民の意思を無視し、対話を拒否する政府を許容してはいけない」と題するアピールを発表した
七人委は同日、アピールを首相官邸と防衛省に送った。
 世界平和アピール七人委は、1955年、物理学者・湯川秀樹らにより、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は武力で解決してはならないを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和実現などについて内外に向けアピールを発表してきた。今回のアピールは131回目。
 現在の委員は、武者小路公秀(国際政治学者)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学、慶應義塾大学名誉教授)、池内了(宇宙論・宇宙物理学、総合研究大学院大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家)、髙村薫(作家)、島薗進(宗教学、上智大学教授)の7氏。

アピールの全文は次の通り。

沖縄県民の意思を無視し、対話を拒否する政府を
許容してはいけない


 政府は、沖縄県民の意思を無視して、玉城デニー知事の度重なる対話要請に真摯に向き合わず、対話を拒否し、辺野古の恒久基地化をめざし、埋め立て計画区域への土砂投入強行を始めました。
 安倍政権の度重なる暴力的行動は、日本国憲法に書かれている「国政は、国民の厳粛な信託による」とする人類普遍の原理に違反し、平和のうちに生存する権利を否定するものです。政治には倫理とヒューマニティが必要です。
 世界平和アピール七人委員会は、19世紀に琉球王国を滅亡させ、20世紀に沖縄戦において県民に多大な犠牲を強いたことに続く、21世紀の琉球処分を認めるわけにいきません。私たちは 沖縄県民の側に立ちます。
 国民一人一人が他人事と思うことなく、現状を直視し、発言されることを求めます。

2018.12.17 日韓両国の友好的協議での解決めざせ!
国際司法裁判所へ提訴しても日本は勝てないかも
韓国最高裁の元徴用工や挺身隊への賠償命令確定


坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

 韓国大法院(最高裁判所)は、10月30日、第2次世界大戦中に、日本本土の工場に動員された韓国人の元徴用工4人が、新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、同社に一人当たり1億ウォン(約1千万円)支払いを命じる判決を下した。さらに大法院は11月29日、広島と名古屋の三菱重工業の軍事工場で働かされた韓国人の徴用工や女子挺身隊らが、同社に損害賠償を求めた2件の訴訟の上告審で、原告10人(うち5人は死亡)にそれぞれ8千万~1億5千万ウォン(約800万~1500万円)支払いの賠償を命じる判決を下した。いずれも判決は最終確定した。
 日韓両国政府は1965年、日韓請求権協定に合意調印した。同協定の作成交渉では、元徴用工らに対する日本側の補償措置の算定額が対立したまま、秘密交渉で有償・無償計5億ドルの経済協力で合意、実行された。
 同協定の第2条では「両国は両国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益、並びに両国及び両国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたことを確認する」(協定文の一部簡略化)としている。
 この重要な条項について、韓国大法院も政府も、国家としての請求権は消滅したが、被害者個人の請求権は生きているという立場を確立している。一方、日本政府側は政府間の請求権は消滅しているが、個人の請求権が消滅したとは断定していない。その点について12月15日の朝日新聞は見出し「文氏、日本と協議の意向」の記事の中で「日本政府も個人請求権は消滅していないとの考えだが、元徴用工や元女子勤労挺身隊員らに対する補償問題は協定で『解決済み』との立場を取る」と書いている。
 しかし、今回の3件の最高裁判決に日本政府は激しく反発した。河野外相は11月29日「国交正常化以来築いてきた日韓の友好的協力関係の法的基盤を根底から覆すもので、極めて遺憾であり、断じて受け入れることはできない」「ただちに国際法違反の状態を是正することを含め、適切な措置を講ずることを重ねて強く求める」「国際裁判や対抗措置も含めあらゆる選択肢を視野に入れ、きぜんとした対応を講ずる考えだ」との談話を発表した。
 これに対して韓国側は、大法院判決を振りかざして日本政府に実行を迫るのではなく、文在寅大統領は12月14日、「1065年(日韓請求権)協定は有効だが、個人請求権は消滅していない」と述べ、両国で協議していきたいとの考えを示した。
 日本政府側の主張はあくまで1965年の日韓請求権協定で、元徴用工らに対する補償問題は解決済みの立場だ。しかし、今回の判決の後にも、個人の請求権に基づく賠償要求の裁判が他にも控えている。14日には下級審の光州地裁が、戦時中に女子勤労挺身隊員として名古屋の飛行機工場に動員された女性、金さん(80)と別の女性の遺族が三菱重工を相手取って損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、同社の控訴を棄却し金さんに1億2千万ウオン(約1200万円)の支払いを命じた。この件も日本側から大法院に上告され、同様な判決が下されるだろう。
 日本側は当初から、菅官房長官も河野外相も、これらの問題は日韓請求権協定第2条で「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」としているとして、「国際裁判や対抗措置も含め、毅然とした対応を講ずる」と怒りの発言を繰り返した。しかし、しばらくして「国際裁判」は口にしなくなった。
 そのわけは、今回のような2国間の請求権問題について、国家間の請求権が条約で消滅しても、被害者個人の請求権が失われることはない、という国際法上の判断が次第に有力になっていることを国際法の専門家が忠告したのではないだろうか。韓国大法院が「国家間の請求権が条約によって消滅しても、被害者個人の請求権は消滅しない」との立場は揺るがなくなったのだ。
 もし、この問題を提訴するとすれば、まず国際司法裁判所だが、同裁判所で審議すれば、被害者個人の請求権は1965年の協定では消滅していないという判断が下される可能性が強いのではないか。
 さらに審議の過程では、協定の韓国側当事者である朴正熙政権が61年のクーデターで政権を奪って発足したことと、63年の大統領選挙で“みそぎ”を経て、国民の支持をやっと得たことも審議される可能性もある。国際司法裁判所では、軍事紛争やクーデターで政権を握った政府と他国の条約が、のちに民主的な選挙で成立した政府によって否定されるようなケースも審議されている。国際法の判例集は膨大な冊子だが、条約の正当性を審議した記録が、どれも長く、多い。日韓請求権協定についても、国際司法裁判所に提訴するには、その辺まで覚悟する必要があるだろう。
 さいわい、文韓国大統領は、最高裁判決を実施するための強制的措置を取る姿勢は一切見せず、日本側との協議で事態を解決するよう提案している。日本政府も65年協定を盾にして国民の反韓感情を煽るのではなく、韓国との協議で解決をしなければならない。
 ともかく、日本と韓国は最も近い隣国なのだ。(了)
2018.12.16 「本日休載」

今日 12月 16日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会


2018.12.15 「通信費を節約し、貯蓄で将来に備えたい」
生協組合員の意識調査まとまる

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 第2次安倍内閣が発足してから、今月26日で満6年を迎える。その安倍内閣は発足以来、「アベノミクスでデフレからの脱却を図る」と声高に叫び、首相自身も「5年前に日本を覆っていた重く暗い空気はアベノミクスによって完全に一掃することができた」(今年8月12日の山口県下関市での講演)と、アベノミクスの成果を強調するが、果たして実態はどうなのか。このほど、日本生活協同組合連合会から発表された「2018年度全国生協組合員意識調査」を見ると、アベノミクス下の国民の生活実態は首相のお見立てとはかなりかけ離れたもののようだ。

 日本生協連によれば、現在、地域購買生協の組合員は2187万人で世帯加入率は37%。加入率の高さからみて、生協組合員の生活意識は国民のそれを示していると見ていいだろう。
 
 日本生協連の「全国生協組合員意識調査」は、組合員の、暮らしや購買に関する意識・行動などの実情を明らかにする目的で、1994年から3年おきに実施している。今回の2018年度調査は9回目。
 今回の調査は、日本生協連加盟の地域購買生協のうち組合員数上位30位までの生協の組合員が対象。組合員6000人に調査票を郵送したが、回答を寄せた組合員は3653人で、回収率は61.4%。

 調査項目は多岐にわたるが、その中で、昨年と比べて、商品・サービスの購入に積極的になったかどうかを聞いた。それに対する回答は――
 「どちらかといえば積極的になったと思う」が8・1 %。「ほとんど変化はないと思う」が56・1 %。「どちらかといえば消極的になったと思う」が22・8%。
 消極的になった人にその理由を聞いた。すると、消費増税後の2015年調査では「物価が上がったから」が第1位だったのに対し、今回は「収入が増えない(減った)から」の53・6%が最も多かった。

 調査では、組合員に対し、今後節約したいこと、お金をかけたいことを聞いた。その結果は――「節約したいもの」「やや節約したいもの」の第1位は通信費(51・9%)、第2位は葬儀(36・3%)。
 「お金をかけたいもの」「ややお金をかけたいもの」の第1位は「貯蓄など将来への備え」50・3(%)だった。

 これらの調査結果から浮かび上がってくるのは、異次元の金融緩和政策を軸とするアベノミクスの恩恵を受ける富裕層とは対照的に、アベノミクスにより生活費を節約せざるを得ない上に不安が募る将来に向けて貯蓄に走らざるを得ない一般市民の姿ではなかろうか。

2018.12.14 「は」と「が」
「は」は 対比、限度、留保付き肯定、部分否定を示し、「が」は 排他を示す

松野町夫 (翻訳家)

英語は主語で始まるが、日本語は「~は」や「~が」で始まる場合が多い。「~は」は主題を示し、「~が」は主格を示す。たとえば、日本昔話『桃太郎』は次のように始まる。

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさん住んでいました。
おじいさん山へ芝かりに、おばあさん川へ洗濯に行きました。
おばあさん川で洗濯をしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃流れてきました。
おばあさん大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。

こうした「が」や「は」を主語とする見方もあるが、この小論は、日本語に主語はなく、代わりに、主題と主格があるという立場で書いたもの。たとえば、「あのスーパーは水曜日が休みです」の場合、主語がふたつあるのではなく、「あのスーパーは」を主題、「水曜日が」を主格とする見方である。

■主題を示す「は」:

「~は」は「ワ」 [wa] と発音するが、「は」と書くのがルール。1946年の内閣訓令で、(2) 助詞〈は〉は、ワと発音するが〈は〉と書くことを本則とする、と決められた。

日本語文法では、「は」を係助詞(または副助詞)に分類する。係助詞「は」は種々の語に付き、その語が主題(題目)であることを示す。

「は」の働き
1. 格助詞を代行して主題を示す。
2. 対比、限度、留保付き肯定、部分否定、否定の焦点を示す。

「~は」は 主題を示す
「は」は、格助詞「が・の・を・に …」を代行または付随して、その直前の語を主題として提示する。

地球が丸い。 → 「が」を代行 → 地球は丸い。
象の鼻が長い。 → 「の」を代行 → 象は鼻が長い。
大阪に明日行きます。 → 「に」を代行 → 大阪は明日行きます。
その映画をもう見ました。 → 「を」を代行 → その映画はもう見ました。
(以下同様)

主題の種類: 「は」が代行する格助詞の型をベースに分類した。

主格「が」型: 地球は丸い。彼は学生です。花は美しい。 → 「主格型」=主語
属格「の」型: 象は鼻が長い。山田さんは、奥さんが入院中です。
対格「を」型: その映画はもう見ました。朝食はもう食べました。 → 「対格型」=目的語
位格「に」型: 大阪は明日行きます。富士山(に)は登らなかった。
与格「へ」型: 母へは手紙を書くつもりです。高台へはロープウエーを利用します。
奪格「から」型: ここからは富士山がよく見えます。四時からはあいています。
具格「で」型: あなたの時計ではいま何時ですか。顕微鏡なしでは観察できません。
共格「と」型: 母とはよく買物に行きます。父とは外出したことがあまりありません。
時の格型: 日曜日は昼まで寝ています。きょうは会社に行きます。

このように「は」は、格助詞「が、の、に、を …」を代行しながら、主題を示すことができる。「は」は、一人二役どころか、一人十役ほどの働きぶりである。これが「は」の長所であり、同時に、短所でもある。たとえば、ほんの一例ではあるが、「彼は知っています」という表現は、「(それについては)彼が知っています」と、「(私は)彼を知っています」という二つの解釈が可能となり、混乱が生ずる場合がある。

「は」は 対比、限度、留保付き肯定、部分否定、否定の焦点を示す
母とはよく買物に行きますが、父とは外出したことがありません。 → 対比
イベントは午後3時には開始する予定です。 「午後3時には」 → 限度
買ってはみた。(が、ほとんど使い物にならなかった)。「買っては」 → 留保付き肯定
仕事はやりがいはある。(が、残業が多すぎる) 「やりがいは」 → 留保付き肯定
両方はいらない。(片方だけほしい) → 部分否定
全員は来なかった。(一部の人が来なかった) → 部分否定
全員が来なかった。(誰も来なかった) → 全体否定
車は急には止まれない。(止まるが、時間がかかる) 「急には」 → 否定の焦点

■主格を示す「が」:

「~が」は、鼻濁音なので「ンガ」 [ŋ] と発音するが「が」と書く。ただし西日本では、鼻濁音を使用する習慣がなく、「が」 [ga] と濁音で発音する人が多い。

日本語文法では、「が」を格助詞に分類する。格助詞には「が、の、に、を …」などがある。格助詞「が」は主として名詞に付き、その名詞が主格(≒主語)であることを示す。「が」は述語に係る場合と、名詞に係る(名詞と名詞をつなぐ)場合がある。

「が」の働き

1. 「が」は主格を示し、述語に係り、そのまま文を終結させる(現象文)。
 鳥が空を飛ぶ。雪が降り始めた。風が吹く。水が冷たい。 → 述語に係る

 
2. 「が」は 名詞と名詞をつなぐ。つないだ時点で役目を終える。
 天気がいい日には散歩する。 「が」は「天気」と「日」までをつなぐ → 名詞に係る
 娘が作ってくれた弁当を食べた。 「娘」と「弁当」までをつなぐ → 名詞に係る

3. 「が」は 排他を示す
 田中さんが学生です。(他の人は学生ではありません。) → 排他的

「~が」は主格を示す。主格は英語の主語に相当する。しかし相当はするが、完全に同一ではない。主格「が」には、少なくとも 4 種類の用法があり、このうち能動主格は英語の主語に相当するが、残りの主格は主語に相当しないか、または相当しない場合もありうる。

主格の種類
能動主格: 彼がペンをくれた。雨が降る。人が通る。空が青い。桜が満開だ。
対象主格: 水が飲みたい。寿司が好きだ。彼女は数学ができる。漢文が読める。
所動主格: 私に良い考えがある。机の上に本がある。音楽がわかる。姿が消えた。
部分主格: 象は鼻が長い。太郎は色が黒い。京都は秋がいい。兄は背が高い。

2018.12.13 来年2月が最初の正念場? 貿易、華為、米中新冷戦の2戦線
新・管見中国(41)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 さる1日、南半球のブエノスアイレスで米中首脳会談が開かれたその日に、北半球のバンクーバーでは中国の通信機器トップメーカー「華為技術(ファーウェイ)」の創業者の長女で、同社の副会長兼最高財務責任者(CFO)を務める孟晩秋女史が、米の要請を受けたカナダ警察の手によって逮捕された。
 あまりの符節の合いように驚くばかりだが、この逮捕劇を米側のボルトン補佐官(安全保障担当)は知っていたことをメディアに公言し、トランプ大統領については「大統領はなんでも知っているとは限らない」と知らなかったことをほのめかした。
 首脳会談については、7日の本欄で検討したので、今回はこの孟晩秋事件について考えることにする。
 前回も紹介したように華為は中国政府がもっとも力を入れている技術革新(イノベーション)の分野でのリーディング・カンパニーである。1987年創立だから、社歴は古いとは言えないが、創業者の任正非氏は軍出身で、当然のことながら党政府の要路との関係は深い。現在、170か国と取引があり、中国の民営企業売上ランキングの1位を占めている。
通信基地局の世界シェアでも同社は27.9%を占めて1位。2位がスウェーデンのエリクソン(26.6%)、3位フィンランドのノキア(23.3%)、4位には今年、イラン制裁違反で米司法省から手痛い処分を受けてひん死の状態に陥った中国の「中興通訊(ZTE)」の13%と続く。
スマホの世界シェアでは韓国のサムスンに次ぐ世界2位、米アップルを3位に従えている。というわけで華為は目前に迫ったITの5G世代に向けて世界の覇者の座をねらう位置にある。
それだけに中国を今や最大の対立相手と見る米にとっては、なんとかその鼻柱をへし折ってやりたい相手である。しかも華為にしろ、中興にしろ、製品の基幹部品の半導体などはクアルコムなど米企業の供給を受けている。華為が米企業から購入する部品は年間18憶ドルにも達すると言われている。米の技術にたよりながら、巨大な国内市場と低コストを武器に世界の至るところへ触手を伸ばしてゆく華為は、米にとってはなんとも小癪な存在であるはずだ。
米が貿易赤字縮減に名を借りて、来年2月いっぱいまでの90日間に協議をまとめる5項目の中の1,2に掲げた「米企業への技術移転の強要」禁止、「知的財産権の保護」はまさに華為、中興などを念頭に置いている。
とはいえ、その華為の最高幹部を第3国で逮捕するとはずいぶん乱暴な話である。もっとも米はだいぶ前から華為の財務責任者を、米が制裁対象としているイランと取引をしながら米金融機関に虚偽の説明をしていたとして、詐欺罪で逮捕する構えでいたといわれる。しかし、華為側がそれを察知して、孟女史も米に入国しなかったため、カナダに逮捕を要請したのだそうだが、事前の聴取も捜査もなしに、いきなり中国社会のセレブの星を手錠、足かせで逮捕というのは、米の憤懣のはけ口と同時に中国にもそれを目に見える形で突きつける政治的効果を狙ったのではないかとさえ思える。
当然、中国政府は怒った。米、カナダ両国の大使に強硬な抗議を突きつけると同時に孟女史の釈放を要求したばかりでなく、北京に在勤したことのあるカナダの元外交官を逮捕する挙にでた。容疑内容が明らかにされていないので、事情が分からないのだが、孟女史の保釈の後、すぐに釈放されるようだと報復逮捕の疑いが持ちがる。
その孟女史はバンクーバーの裁判所での3回の聴聞を経て、11日、逮捕から11日ぶりに保釈が認められた。保釈金は1000万カナダドル(約8億5000万円)、同女史がバンクーバーに持つ自宅で暮らせるが、夜間は外出禁止、パスポートは押収、本人にはGPSを使った追跡装置を付けるという条件とのこと。
しかし、まだまだ一件落着とは程遠く、この後はカナダ・米両国の当局間で、本人を米に引き渡すかどうかの話し合いが行われ、結論が出るのは来年の2月頃との由、そしてその頃は米中の貿易協議も大詰めを迎えているはずだ。
しかも、米CNNの報道によれば、孟女史の保釈決定を受けて11日、この件に介入する気があるかどうかを問われた米トランプ大統領は「国家にとって有利なら、それもする」と答えたそうである。
珍しい答えである。こういう場合、司法の問題だから政府が介入することはないと(嘘でも)答えるのが、政治家の常識だが、ご本人はそういう常識とは無関係のようで、つい本音が出たのであろう。そうなると、貿易と先端技術と2つの戦線がないまぜとなって大会戦が展開されることになる。
しかも3月は中国では全国人民代表大会が開かれる政治の季節である。それを前に習近平政権も国民に弱い姿は見せられない。来年の2月、3月、太平洋をはさんで、どんな春がくることやら。
2018.12.12 主語と主題
主題は、主語よりはるかに意味が広い

松野町夫 (翻訳家)

主語とは何か。主語は元来、英語など印欧語の文法用語である。主語は基本的に名詞で、述語動詞の示す動作や状態の主体を表す。動作主。作用主。たとえば、” She’s nice. I like her.” における ”She” や “I” が主語となる。

英文は主語と述語からなる。主語を決めないかぎり英文は書けない。基本 8 文型でも主語は常に文頭に登場する。以下の文型では、主語(S)、述語動詞(V)、補語(C)、目的語(O)、副詞相当語句(A)とする。ちなみに日本では、従来、基本 5 文型が主流であったが、現在は基本 8 文型が世界標準。英文の下線部は主語を表す。

第1文型 SV (Flowers bloom.) 花が咲く。
第2文型 SVC (Kate is nice.)  ケイトはすてきだ。
第3文型 SVO (I like her.) 僕は彼女が好きだ。
第4文型 SVOO (John gave me a pen.) ジョンが僕にペンをくれた。
第5文型 SVOC (We call him Johnny.) 私たちは彼をジョニーと呼ぶ。
第6文型 SVA (Mary is in the kitchen.) メアリーが台所にいる。
第7文型 SVCA (She is afraid of cockroaches.) 彼女はゴキブリが怖い。
第8文型 SVOA (He put a book on the shelf.) 彼は本を棚に置いた。

英語には主語が絶対に必要だ。では、日本語に「主語」はあるのだろうか。

結論から言うと、この問題には統一した見解がない。学校では、今でも「が」や「は」などの助詞を伴った文節を主語と教える。この学校文法の定義に従えば、上述の基本文型の訳文の「花が」「ケイトは」「僕は」「ジョンが」「私たちは」…は、いずれも主語となる。

しかし、名著『象は鼻が長い』で有名な言語学者、三上章(1903-1971)は、日本語には「主語」はなく、主題があると考え、主語廃止論を一貫して唱えた。

日本語の主語については、辞書や事典でも見解が異なる。たとえば、日本語大辞典は肯定的な立場であるが、ブリタニカ国際大百科事典は否定的である。

主語 → 日本語大辞典
文の成分の一種。「風が吹く」「色が白い」「ぼくが山田です」などの「風が」「色が」「ぼくが」のように、「何が」「だれが」に当たる文節。「何も」「何は」などとなることもある。また、日本語には主語が省略された、述語だけの文もある。subject <対義>述語。

主語 → ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2011
日本語では「~が」の形が主語とされるが,完全な文を形成するために必ずしも必要ではない点,文法的規定に欠ける点などで,インド=ヨーロッパ語族などにおける主語とは性格を異にするので,「~を」「~に」などと対等の連用修飾語であるとする説さえある。

日本語の主語について、統一した見解がないということは、日本語文法は未完成ということを意味する。そこでここでは、国文法に深入りするのをできるだけ避け、問題を主題と主格に限定し、これを英語の基本文型、とくに主語(S)と比較することで、それぞれの違いを明確にしたいと思う。

主題と主格:
日本語は「~は」や「~が」で始まる文が多い。
例: 春はあけぼの。|桜が咲いた。この場合、「春は」は主題を表し、「桜が」は主格を表す。
「象は鼻が長い」の場合、「象は」は主題を表し、「鼻が」は主格を表す。

主題を示す「~は」のある文を有題文、ないのを無題文という。有題文は、昔から存在する伝統的な文型で、文学や名言・ことわざなどにも愛用され、現代でも使用頻度が最も高い。

主格を示す「~が」のある文は、「桜が咲いた」とか、「雪が降ってきた」とかいうように、現象を写生することが多いので現象文という。現象文は江戸時代以後に登場した比較的新しい文型だという。

主題、主格、主語:
英語は主語で始まるが、日本語は主題/主格で始まる。主題「~は」や、主格「~が」、主語(S)は、主語を表せるという点は共通だが、意味の広さ(適用範囲)からいうと、主題>主格>主語となる。

主題「~は」= 主語や目的語、副詞相当語句を表す。 → 「は」は種々の語に付く。
主格「~が」= 主語や目的語を表す。 → 「が」は体言に付く。
主語(S) = 主語のみを表す。

主題は英語でトピック(topic)という。主題(T)。主題は主語よりはるかに意味が広い。主題を示す「~は」は、「~について言えば」という意味。助詞「は」は、英語の群前置詞 “as for” に相当する。つまり日本語の主題は、英語の基本文型でいうと、主語(S)ではなく、副詞相当語句(A)に相当する。

有題文を英訳すると、英文では主題「~は」が主語(S)になる場合が一番多いが、目的語(O)や副詞相当語句(A)になることもある。たとえば、

春はあけぼの。 = Spring is best at dawn. → 主題=主語

ただし、「春はあけぼの」は、「春は、あけぼのがいい」の意。これを英語に直訳すると、
春はあけぼのがいい。 = As for spring, dawn is nice. → 主題=副詞相当語句(A)

その映画はもう見ました。= I already saw the movie. → 主題=目的語(O)
= As for the movie, I already saw it. → 主題=副詞相当語句(A)

詳細は、後で決めよう。 = Let’s decide about details later. → 主題=目的語(O)
= For details, let's decide about them later. → 主題=副詞相当語句(A)

主格と主語:
「~が」は主格を示す。主格は英語の主語(S)に相当する。しかし相当はするが、完全に同一ではない。主格「が」には、少なくとも四通り(能動、対象、所動、部分)の用法があり、こうした和文を英訳すると、能動主格は英語の主語に等しいが、残りの主格は主語に相当しないこともある。とくに対象主格は目的語に相当する場合が多い。つまり、日本語の主格は、英語の主語より意味が広いということ。

1. 能動主格(=動作主、作用主) → 主格=主語
 彼が私にペンをくれた。 = He gave me a pen. 主格は「彼が」、主語は “He”

2. 対象主格(対象を示す「が」) → 主格≠主語
 水が飲みたい。 = I want to drink water. 主格は「水が」、主語は “I”

3. 所動主格(受身にできない動詞にかかる主格) → 主格≠主語
 私に良い考えがある。 = I have a good idea. 主格は「考えが」、主語は “I”

4. 部分主格(主題の一部を表す主格)→ 主格≠主語
 象は鼻が長い。 = Elephants have a long nose. 主格は「鼻が」、主語は “Elephants”
 *この英文は、配分単数(主語が複数で、目的語が単数)である。

2018.12.11 キューバの新憲法発布は来年4月19日
自国を「法治社会主義国家」と規定か

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 キューバ(人口約1124万人)が国を挙げて憲法改正に取り組んでいるが、今後の改憲スケジュールが明らかになった。12月2日、東京で開かれた駐日キューバ大使館主催の「第5回全国キューバ友好の集い」で、カルロス・ペレイラ駐日キューバ大使が明らかにしたもので、それによると、改正憲法、すなわち新憲法は2019年4月19日に発布される予定という。

 キューバの国会に当たる人民権力全国議会は今年7月22日に改憲草案(新憲法草案)を採択した。その後、この新憲法草案が国民の討議にかけられた。
 新憲法草案は全部で224条。うち137条は旧憲法の条文、新たに付け加えられたのは87条(38%)。政府としては、国民からの提案と意見はすべてくみ上げ、考慮する方針で、ペレイラ大使によると、11月15日現在、国内外の700万人以上のキューバ人が討議に参加し、多数の意見が寄せられたという。
 
 今後のプロセスルだが、ペレイラ大使によると、幅広い国民的討議が終わったので、今月16日から始まる人民権力全国議会で新憲法草案が再び審議される。そこで、国民の提案、意見を取り入れた草案が提案され、それが承認されれば、2019年2月24日、国民投票に付される。そこで承認されれば、4月19日発布の運びになるという。

 キューバの憲法は1976年に制定された。当時は米ソ二大超大国が対決する冷戦下で、キューバはソ連を総本山とする社会主義陣営の一国だったため、その憲法は理念においても内容においてもソ連憲法の影響を強く受けていた。
 そのころに比べ国際社会は大きく、劇的に変わった。キューバ自体も、革命を主導したフィデル、ラウルのカストロ兄弟が相次いでトップの座、国家評議会議長(元首)を退き、今年の4月から、革命を知らない世代のミゲル・デイアスカネル氏がそのポストに就いた。

 新憲法草案はそうした内外の変化に対応するために起草されたもので、ペレイラ大使によれば、今回のプロセスは「憲法の全面的改正」だという。そして、同大使は、憲法改正の基本的目標として3点をあげた。①国民の団結強化②法体系における憲法の優位性の明確化と憲法遵守義務の強調③近年導入した、あるいは進行中の社会・経済改革を憲法に反映させること、である。
 
新憲法草案の内容はどんなものだろうか。同大使が挙げたものの中からいくつかを拾うと――
 ▽生産手段の全国民による社会主義的所有と計画経済を再確認する。ただし、市場の役割と個人的所有を認める。それから、経済発展を加速するために外国投資を導入する必要性を認める。
 ▽市民への保障体制と国家の義務を強化する。いかなる動機であろうと、すべての種類の差別への拒絶。
 ▽医療とその基本的サービスへの無料のアクセス、大学卒業までの教育への無料のアクセスを再確認する。
 ▽国家、社会、家族は高齢者と障害者を保護し援助する義務があることを規定する。
▽大統領と首相のポストを設け、それぞれ5年の任期を継続2期までに限定する。大統領は第1期選出時に60歳未満とする。

 要するに、キューバとしては、国家の基本的な重要産業の国有・国営は維持・継続するが、その一方で、市場経済や財産の私的所有、外国資本の財産権を憲法で認めようということだろう。それは、この国がこれまで堅持してきた社会主義を放棄することにならないか。
 こうした疑問に対し、ペレイラ大使はこう語った。「われわれは、これまで守ってきた原則を放棄しない。われわれが目指すのは法治社会主義国家である」
 法治社会主義国家とは、すべての物事が法に、そして憲法の優位性に従う国家、国家機関とその幹部に国民を尊重し配慮することを義務づけられた国家のことだという。

2018.12.10 わが集落の70周年記念集会で話したこと
――八ヶ岳山麓から(271)――

阿部治平(もと高校教師)

私の住む集落は、先日入植70周年の記念式典と宴会を開いた。
私がいるのは長野県の八ヶ岳西麓の山間集落であるが、歴史は短い。敗戦直後の1948(昭和23)年、古くからの集落すなわち親部落の次三男や満蒙開拓団の引揚組18軒ほどが、海抜1200mの共同入会地オオバタケに入植したのが始まりである。

当時のオオバタケはバラの仲間とススキに覆われた石だらけの土地で、高木といえばズミくらいしかなく、ところどころに松の幼木が入り込む荒地であった。ここは親部落にとってはまぐさ場であり、炭焼場であり、カヤ場でもあった。
敗戦後国は植林を進めたから私たち子供も動員され、中学2年生のときにはオオバタケにカラマツを植えに行った。65年後の今日、カラマツは20メートル余りに延び、24号台風ではばたばた倒れて電線を切断し、80数時間の停電を引き起こした。
当時は農業といえば稲作を意味したが、開拓農家には水田がなかったから、食料米は親部落の親兄弟に頼らざるを得なかった。現金収入の道は種ジャガイモやキャベツなどの栽培と酪農であったが、たいして金にならなかった。農閑期にはたいてい出稼ぎをしていた。その後は高原野菜のセロリー・ブロッコリー、それに花卉に特化した農業を行うようになっている。

時代を戻すと、1960年代末には別荘地建設が始まった。三井だのなんだのという開発会社が親集落の土地を買ったり借りたりして開発に励んだ。別荘を建てた人々のかなりの人が退職するとここに居着いてここをついの棲家とした。私も80年代に親部落から分家してオオバタケの住人になった。
バブル経済に入るころにはペンション団地なるものができた。「脱サラ」の人々がこれにとびついたが、バブルの崩壊と運命を共にした。いまも営業しているペンションはあるけれども、これを続けようとする人は少ない。
21世紀に入ると、にわかに県外からの非農家移住者が増えた。2018年のいま、住民登録をしている人は130世帯300人あまりである。だが農家は10軒余りで、集落(行政的には区)に正式加入しているのは70軒のみ。ほかは集落にかかわろうとしない人たちである。
以上が簡単なわが集落の歴史である。


さて70周年式典だが、この日は新旧世代をあわせ100人ほどが集まった。笑い声があちこちで起き、和気あいあいの雰囲気だった。まず93歳の最長老が電気を引いたときの苦労話をし、両親が移住組の中学生がオオバタケを故里とほめたたえ、最近移住した女性が野菜栽培の失敗談をした。
式典の数日前、私にも主催者から「何か面白い話をしてくれ」という依頼があった。私はひそかに喜んだ。というのは、いつか話したいと考えていたことがあったからである。
もともと親部落のものは、共同入会地オオバタケで自由にキノコや薬草を取っていた。お盆が近づくと子供たちは「盆花」を取りにでかけた。この習慣のため、いまでもキノコを採りながら別荘地へ入り込んだり、クロスズメバチを追って他人の玄関先を走り抜けたりするのである。
ところが新築の家が建つたびに、レンゲツツジ、キキョウ、ユリなどはなくなった。サクラソウやザゼンソウの群生地もほとんど消えた。かわってカラマツ林のなかのしゃれた家の周りに「私有地につき立入禁止」「野草やキノコの採取禁止」の看板が立つようになった。なかには川で魚を釣るこどもを「勝手に庭先に入った」と怒る人もいる。
私はこうしたことが不満だったので、これを話そうと思った。だが直接話しては座がしらける。そこで開墾以前のオオバタケの「先住民」センジュウの話をした。

蛇取りセンジュウさは、村に家がなく嫁もおらず、村人からは少し頭が弱いと思われていた。ススキで屋根を葺いた縄文式住居のような小屋に住んでいて、誰かにもらった着物を着てふんごみ(もんぺ)をはき、風呂に入らないから顔は黒くて、着物のえりはあかでぴかぴかしていた。腕にはマムシに噛まれたとき、毒を吸い出した切傷がいくつかあった。
彼はおもにマムシやシマヘビを取ったり、キキョウ・リンドウなどの薬草の根を掘ったりして村人に売り、それで生計を立てていた。子供からは敬称で呼ばれ、「センジュウさの足音を聞くとヘビが逃げる」と信じられていた。センジュウさは頼まれると繭袋に蛇を入れて村に下りてきて注文に応じた。といっても現金とは限らず、シマヘビ1匹米1升といった物々交換が主であった。だが、村人がしょっちゅう蛇を食うわけではなかったから、子供心にもセンジュウさが蛇取りだけでどうやって食っているのか不思議だった。

私たちはマムシは生きたまま焼酎に漬けて、風邪などひいたときの飲薬とし、切傷や打身には塗薬にした。彼はシマヘビの頭を口にくわえ、上手に皮をむいた。村人は、シマヘビは田植や収穫などの疲れたとき薬として食った。皮をむきS字状にして串にさし、これを焼くか、自在鉤の上に刺して燻製にした。八ヶ岳山麓には昆虫食の伝統があったから、私たちはヘビを食うことに抵抗はなかった。私も食べたことがあるが、硬くてそううまいものではない。
子供にとってオオバタケは家から遠いために、親部落から行くのはちょっとした冒険だったから、たいていは集団で出かけた。敗戦直後とはいえ、軍国少年のガキ大将は、年少のものに「ルーズベルトのベルトが切れて、チャーチルチルチール空回り空回り」と歌わせたり、「腹減った兵隊さんがペコペコ跳んでくー」と進軍ラッパを怒鳴らせたりした。

私たちが行くとセンジュウさは喜んで、貴重なクロスズメバチの巣や、アナグマの巣穴の場所を教えてくれた。お盆の花取りに行くとキキョウやオミナエシ、ユリなどのあるところを教えてくれた。私はサルナシやアケビ、マタタビなどのありかもセンジュウさから教わった。
私たちと話すとき、彼は東京のことばを使ったので子供心にも不思議に思った。彼は冬になるとオオバタケからいなくなった。当時はマイナス20℃になる日も普通にあったから掘立小屋ではしのぎ切れず、避寒のために甲州や東京など暖かい地方に行ったのかもしれない。そうだとすれば、そのとき東京言葉をおぼえたに違いない。
中学生のころ、彼の姿がなくなった。だれも彼がいつ死んだか知らない。戸籍がわが村にあったのかも知らない。
私は、「先住民」センジュウの話をここで終りにした。

本当はもう一言いいたかった
蛇取りセンジュウのいた当時はみんな貧しく、やたらに働き、けちけち暮らしていた。どろぼうもいた。しかし、村人は誰が盗んだかわかっても、あからさまには咎めなかった。だからセンジュウのような人でもオオバタケで生きてゆけたのだ。
だから新来の方々も「私有地につき立入禁止」といった看板など立てないでほしい、誰かが自分の家の庭先でキノコを採っていても、おっかない顔で見ないでいただきたいといいたかった。
しかし「先住民」センジュウの話では、私の言いたいことが分かった人はいなかっただろう。これがこの70年間の世の中の移り変わりというものかもしれない。だが、私には悲しい変化である。