2016.09.30  献身無私のオルガナイザー
    平和運動家・進藤狂介さんを悼む

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 戦後71年。この間、ひたすら平和運動に携わってきた人の訃報が相次ぐ。先日も平和運動家・進藤狂介さんが病没したのを知り、「これでまた1人、平和運動を裏方として支えてきた活動家がいなくなったか」と、惜別の情を覚えた。5月29日に死去、82歳だった。

 進藤さんに出会ったのは1966年である。私は当時、全国紙の社会部記者で、この年から「民主団体担当」になった。「民主団体」なんて今では死語だが、当時は革新系の大衆団体のことをそういった。「革新系」というのも今や死語と言っていいが、当時は社会党(社民党の前身)、共産党、総評(労働組合の全国組織。すでに解散)などをひっくるめて「革新陣営」あるいは「革新勢力」と呼んだ。そして、その影響下にある大衆団体を「民主団体」と呼んだのだった。

 私が取材で足を運ぶことになった民主団体は、具体的には平和運動団体、労働団体、学生団体、女性団体、国際友好団体などだったが、その中に、原水爆禁止関係団体があった。それは、3つあった。原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)、原水爆禁止日本国民会議(原水禁、社会党・総評系)、核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議、民社・同盟系=どちらもすでに解散)だ。

 このうち、東京・港区御成門にあった原水協にいたのが進藤さんだった。当時、進藤さんはそこの専従事務局員で組織部に属していた。原水協の取材でお世話になった人の1人が進藤さんだったわけだが、ここで進藤さんと一緒に仕事をしていた同僚によると、進藤さんは山口県出身で、ここに来るまで山口県原水協の事務局員だった。抜群の事務能力を買われて原水協本部にスカウトされたのだという。 

 組織部での仕事は、原水協が主催する原水爆禁止世界大会の準備とか、核兵器問題や軍縮問題の資料集づくりとか、会議の議事録づくりとかいうものだったようだ。進藤さんと一緒だった元事務局員の1人は「原水協時代の彼の功績は、何といっても被爆問題国際シンポジウムの成功に寄与したことだろう」と語る。

 被爆問題国際シンポジウムとは、正式の名称を「被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポジウム」といい、国際準備委員会と日本準備委員会の共催で1977年7月21日から8月9日まで、東京、広島、長崎を結んで行われた。これには、海外から22カ国69人の専門家が参加し、日本側からも学者・研究者らが多数参加した。シンポジウムは、広島・長崎の被爆者を対象に調査を行い、その結果を医学的、社会的、文化的な見地から検討し、原爆が人間と社会もたらした影響を明らかにした。被爆の実相と被爆者の実情が総合的な見地から国際的に明らかにされたのは初めてだった。
 いわば、日本にとっても世界にとっても画期的なイベントとなったわけだが、このシンポには、当時、対立・抗争していた原水協・原水禁の両組織も全面的に協力し、両組織に距離を置いていた市民団体も協力した。このことが1つの契機となって、この年、原水協、原水禁、市民団体が統一して世界大会を開くなど、3つのブロックの共闘が実現する。

 このシンポで、進藤さんは日本準備委員会の事務局員を務めた。シンポの後に刊行された報告書の中で、日本準備委員会事務局長を務めた川﨑昭一郎氏(当時、千葉大学教授。現公益財団法人第五福竜丸平和協会代表理事)は「日本準備委員会の事務局を支えてくださった多くの方がたのなかで、とくに進藤狂介・・・の各氏にたいし、心から謝意を表したい」と述べている。  

 そんな進藤さんにとって、1984年、思いがけない転機が訪れる。この年、共産党が、原水禁、市民団体との共闘を推進してきた原水協執行部に「原水禁・総評と共闘してはならない」との方針を示し、これに従わなかった吉田嘉清・代表理事を、共産党の意向を体した原水協の全国理事会が解任したからである。原水協事務局の何人かは「共産党のやり方は納得できない」として吉田氏と行動を共にした。進藤さんも原水協を離れた。
 吉田氏らが、新たな活動の場として「平和事務所」を立ち上げると、進藤さんもこれに加わった。平和事務所が開催した「草の根平和のつどい」で、よく進藤さんを見かけた。
 また、吉田氏らが、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で被ばくしたバルト3国の国民を支援するための「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」を創設すると、そのメンバーになった。バルト3国の被ばく者代表が来日すると、彼らを長崎に案内したりした。
 
 そのころの進藤さんの活動でとくに印象に残っているのは、神奈川県の生活クラブ生協の組合員グループを“引率して”8月6日を中心に「広島行動」をやっていたことだ。進藤さんとともに広島を訪れた女性組合員たちが、原爆関係の遺跡を見学したり、平和集会に参加して討議に熱心に耳を傾けていた光景を思い出す。1990年前後のことである。組合員たちが広島へ行く前には事前学習会があった。それをアレンジしたのは、もちろん進藤さんである。

 15年ぐらい前だったろうか。進藤さんは郷里の山口市へ帰った。がんを患ったため、その治療のためだったようだ。しかしながら、私はその後もほとんど毎年夏に、広島か長崎で進藤さんに出会ったものである。彼が8月6日には広島の、8月9日には長崎の反核平和集会に姿をみせていたからだ。その時の進藤さんは元気で、とても病身とは思えなかった。そのころは、「軍縮問題研究者」とか「被爆問題研究者」と名乗っていた。
 ただ、昨年、歩行中に倒れ、以来、外出もままならない日々だったようだ。

 「勉強家だった」「軍事問題や軍縮問題にくわしかった。文章も書けた」「いつも裏方に徹していた」「人と人を結びつけるのが得意で、根回しに長けていた」「とくに若い人を組織するのがうまかった」「献身無私の人」「けんかをすることもあったが、心がきれいな人だった」・・・進藤さんと一緒に仕事をした人たち、進藤さんと付き合いがあった人たちの進藤評である。
 平和運動家のほとんどがそうであったように、進藤さんもまた、その生活を支えたのは奥さんだった。進藤さんの奥さんが言った。「脇目も振らず平和運動一筋に生きた一生でした」。
 なんでそんなに平和運動に熱心だったのか。その理由を聞く機会はついになかったが、幼いころ、戦争を体験したのだろうか。残念ながら、今となっては分からない。遺体は、遺言により山口大学医学部に献体された。死してもなお世のため他人のために役立ちたい。いかにも進藤さんらしい最期と思った。
2016.09.29  日本共産党、習近平政権と戦う?
         ――八ヶ岳山麓から(199)――

阿部治平(もと高校教師)

日本共産党(日共)の赤旗日曜版(2016・09・11)を見て驚いた。
「アジア政党会議総会宣言、核兵器禁止条約を削除」「日本共産党が抗議、部分的保留表明」という大見出しが躍っている。1面と4~6面にわたる中国共産党(中共)非難である。
先日までマレーシアで開かれていたアジア政党国際会議(ICAPP)第9回大会について、中共代表団のとった態度を詳しく伝えている。このICAPPの最終宣言には、当初、「核兵器禁止条約のすみやかな交渉開始を呼びかける」という文言があった。中共代表団が宣言採決の直前になってこの部分の削除を強硬に求めた。このため「クアラルンプール宣言」にはこの文言が入らず、日共代表団は「部分的留保」を表明したというのである

おそらく中国外交当局が次の国連総会では核兵器禁止条約が議論されることを予想して、これに反対するために中共代表団に「核禁止・廃絶」の文言を宣言に入れないよう指示したものと思われる。案の定、9月23日国連安全保障理事会の核実験自制決議は、中国を含む核保有5大国の意向を反映して内容が後退し、核兵器禁止条約への道は暗澹たるものになった。
同会議での領土紛争問題でも、日共は領土紛争の解決にあたっては、(1)「力による現状変更」などを厳に慎むこと、(2)「国連憲章と国際法の普遍的に承認された原則」に従うことを提起した。
もちろん中国は例の仲裁裁判所の判決を紙くずだとしているから、「国際法を基礎」として解決することを宣言に書き込むことには強く反対した。これに対して日共が修正案を出すなど、多くの諸党がこれを明記するよう求め、最終的には「国際法を基礎として平和的に解決する」ことが宣言に明記されたという。

志位和夫委員長は中共代表団の態度によほど腹を立てたと見えて、9月20日に開かれた日共第6回中央委員会総会の幹部会報告でも「クアラルンプール宣言」をめぐる中国代表団の言動について激しい非難を浴びせている。
第1は、中国はある時期までは、核兵器禁止の国際条約を求めてきたが、この数年は国連総会でも、核兵器禁止・廃絶の作業部会設置に核保有五大国(P5)の一員として頑強に反対するようになった。「少なくとも核兵器問題については、中国はもはや平和・進歩勢力の側にあるとはいえない」と断言した。
第2は、中共代表団は自分たちの主張を押し付けるために、会議の民主的運営を乱暴に踏みにじった。これは「覇権主義的なふるまいそのもの」であるという。
第3は、今回の総会での中共代表団のふるまいは、32年にわたる中共の日共への無法な干渉の反省の上にたち、日中両党双方が合意文書(1998年6月)で確認してきた両党関係の原則と相いれない態度であるという。
志位氏は「中国に対して、東シナ海、南シナ海における力による現状変更の動きを中止すること、南シナ海問題での仲裁裁判所の裁定を受け入れることを強く求める」と発言している。

中共代表団の一連の言動に関連して、志位氏は“社会主義をめざす国ぐに”――「社会主義をめざす新しい探究が開始」(綱領)された国ぐにについての日本共産党第26回党大会決定に照らして、「今回の中共代表団の行動は重視しなければならない」と発言した。
わかりにくい表現だが、日共はソ連・東欧崩壊後、中国・ベトナム・キューバなどを「社会主義に到達した国ぐに」ではなく「社会主義を目指す国ぐに」と定義している。その内容として「覇権を許さない世界秩序のために真剣に取り組んでいること、核兵器の廃絶、地球温暖化などの人類的課題の解決に積極的役割を果たしていること」としている。志位氏の発言は、中国はこれからはみだしたという判断である。

日共は中共批判を長い間やらなかった。尖閣問題と参院選中の「日曜版」の中国・北朝鮮批判を除けば、昨年くらいまで「赤旗」に載る中国関係のニュ-スはごくごく短いものだった。解説記事はあったが、たいていは現状を肯定するものであった(たとえば拙論「八ヶ岳山麓から(144)」の井手教授批判)。これでは何のために北京特派員が置かれているかわからない。
核兵器廃絶問題で中国が消極的になったのはかなり前だから、もっと早くからやりあってもおかしくはない。また尖閣諸島問題では20年以上前に中共との意見の相違を表明したのだから、領海侵犯があった時点から徹底的に批判し続けるべきだった。
これに関しては、不破哲三氏の存在を外すことはできないと思う。不破氏は、今は党首ではないが、実際には日共中央に大きな影響力を持っているらしい。この人物が2006年5月に日共の社会科学研究所所長の肩書で北京の中国社会科学院において「マルクス主義と二十一世紀の世界」と題する「学術講演」をおこなったことがある。
私は中国でその内容を読んだが、締めくくりのことばは「あなたがたが、壮大な未来をもった国づくりで、社会主義をめざす国ならではの優位性を発揮して、大きな成功をおさめ、そのことが二十一世紀の世界的な発展の力となることを願って……」というものであった。あのときはあきれた。

さらに不破氏は、文化大革命期と違い、現在の中共指導者は真のマルクス主義者だといったこともある。中共指導者もさぞかし面はゆいことだろう。
不破氏のこうした見解が10年たっても変らないとすれば、いまも中国を「壮大な未来を持った国づくり」に励んでいると見ているのであろう。
私はこのような観念にこり固まった人物が影響力を持つ限り、日共は事実をありのままに見られず、赤旗にしかるべき中国批判がないのも無理はないと思ってきた。さらに日共は大会などで重大な決議をすると、そのつど中国に説明していたという話を聞いたことがある。私のような日共びいきのものから見ても、これは問題の行動である。

このところの赤旗ネットと日曜版の一連の記事からすれば、日共中央は不破哲三氏の影響力を絶ったようだ。そうでなければ不破氏がその宗旨を変えたのだ。
そうだとすれば、私は日共は次期党大会の前に、できるだけ早く中国やベトナム、キューバを「社会主義をめざす国ぐに」とか「社会主義をめざす新しい探究が開始された国」と定義するのをやめたほうがよいと思う。
我々普通の人間からすれば、こんな定義はまるで浮世離れしている。中国はただの独裁国家である。わざわざ中国に行かなくても、北京・上海発のニュースを見ていれば、政府系と民間の独占資本が存在し、それと結ぶ官僚がうまい汁を吸っており、金持はとてつもなく裕福で、民百姓は無権利で貧乏で、言論弾圧と少数民族の抑圧が日常的なのもわかる。中国がそれから脱却するような「新しい探求が開始されている国」とは到底思えない。この延長上に社会主義があると考えるならば、社会主義はなんと魅力のないものだろう。

これに関連して注目すべきは、志位氏が「覇権主義的なふるまいそのもの」と中国を非難したことだ。日共の定義では、覇権主義とはもともと帝国主義の対外政策である覇権、侵略の政策のことであり、社会主義を名乗る国がこれをおこなうことは、社会帝国主義への堕落にほかならないという。
社会帝国主義というのもわかりにくいが、「社会」をとって帝国主義だけにすればすっきりする。要するに日共は中国を帝国主義とみなしたらしい。それがいちばんだ。
「社会主義を目指す国」と決別すれば、赤旗も率直な中国批判ができるだろう。その方が赤旗読者も支持者も増えるし、中国の将来のためにも好いのだ。(2016・09・25)
2016.09.28  戦争法廃止へ

■短信■ 

 シンポジウム「戦争法廃止!憲法をいかそう!――さらなる広がりを求めて」

 戦争法の強行採決、あの歴史的暴挙から一年。安倍政権の暴走は加速度を増し、私たちは今。戦後最大の“平和と民主主義の危機”に直面しています。総かがり行動実行委員会は、憲法改悪と戦争法の発動に反対し、暮らしや人権、平和を守るために、共同の力でたたかい続ける決意です。

日時:10月6日(木)18:30~21:00
会場:北とぴあ・さくらホール(JR京浜東北線王子駅徒歩2分、東京メトロ南北線王子駅5番出口直結)
参加費:無料(先着1300人)
シンポジウム:高野孟(「インサイダー」編集長/「ザ・ジャーナル」主幹)、中野晃一(上智大学教授)、渡辺治(一橋大学名誉教授)、大沢真理(東京大学教授)。“寿”ミニライブもあり
主催:戦争させない・9条を壊すな!総がかり行動実行委員会(戦争をさせない1000人委員会=03-3526-2920、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会=03-3221-4668、戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター=03-5842-5611)
 (岩)
2016.09.27  「人民が熱愛する総書記を攻撃するものは誰か」――毛沢東崇拝と習近平礼賛
   ――八ヶ岳山麓から(198)――

阿部治平(もと高校教師)

9月9日、毛沢東の40年目の命日に中国のメッセンジャーアプリ「微信」に「今日、我々はなぜ毛沢東を敬愛するか」と題する「詩」が現れた。
前半、毛沢東への敬慕の情を歌うが詩情はない。その後半で中国の軍備・技術・生産の成果を称え、さらには杭州G20 で会議の「ゲームのルール」を決めたのは中国だと誇る。
「必ずやアメリカの世界貿易の主導権とドル支配を終らせるぞ!」
「おお、かくも盛んな国力は毛主席の願いだった……。40年前毛沢東はお亡くなりになったが、毛沢東精神は生きている。中国人民がひとたび立上れば、もはやだれも屈服させることはできないのだ!」
「毛沢東精神永垂不朽、中国共産党万歳!」

南シナ海や東シナ海で国威を発揚し、G20 の議長を務めたのは習近平中国共産党総書記である。毛沢東礼賛の先には習近平が存在している。そういえば、スターリンはレーニンを礼賛することによってボリシェヴィキの主導権をにぎったのでした。
このやり方の上を行くのは毛沢東賛歌の「東方紅」の替歌で、もろに習近平を礼賛するものだ。それが恥ずかしげもなくテレビで堂々うたわれる。かつてプロコフィエフの「スターリン・カンタータ」というのもありました。
中国のメディアに頻繁に登場する習近平礼賛の文言は、「自分らを幸福にしてくれる人」とか、「人民は領袖を愛し、領袖は人民を愛する」という、文化大革命時代を思わせるものである。
だが礼賛者は毛沢東を天まで持上げるが、だれも毛沢東が敵視したはずの中国の特徴のある社会主義=市場経済体制を否定しない。

このような指導者礼賛にはまずは強い敵の存在がつきものだ。そこで「社会主義中国をめちゃめちゃにしようとする者はまず党・指導者と人民大衆の団結を破壊し内乱を起す」「その内なる敵と結んで中国をゆさぶるものは西側勢力である」とこれも文化大革命時代の文言が登場する。
大漢民族主義(=中華民族主義)も同居する。強国アメリカ、さらに仇敵「小日本」と対峙する指導者は「偉大」である。大漢民族主義は少数民族の漢民族への強制的同化となってあらわれる。あからさまな華夷思想の表明にも遠慮がなくなった。人民日報系の新聞「環球時報」の座談会では、将官が韓国の「THAAD」の設置をめぐって、韓国を懲罰し「中国なりの国際ルール」に従わせるべしと発言している。

中国の国家安全法には「ネット空間の国家主権擁護」が規定されているが、遺憾なことに習近平批判がときどき現れる。先日も習近平がG20関連の会議で原稿を読み間違えて、「寛農」と読むべきところ「寛衣」とやったものだから、ネット上に批判やからかいが殺到した。これを当局の手のものが必死になって削除した。
そこで「人民が熱愛する習近平総書記を包囲攻撃するものは誰か」というおっとり刀の人も出てくるわけで、「悪党どもが『微信』を制圧した状態をこれ以上放置しておくわけにはゆかない! 習総書記を熱愛し、党中央を熱愛し、党を熱愛し、祖国を熱愛するすべての友よ、今や大胆に立ち上がり、意気高く自己の立場と感情を主張せよ」と叫ぶ。あげくの果てに「政府の関係機関は義務をしっかり果たすべきである」と権力の出動を求める
(以上http://mp.weixin.qq.com/s? 2016・09・09)。

さらに指導者の礼賛に並行して異議申し立て派の排除がすすむ。
習近平の邪魔者とみなされた政・軍の高級幹部の粛清は、それが正当であるか否かはべつとして、いまも続けられている。ネット空間のオピニオン・リーダーや公民権運動の活動家らの逮捕も相次ぐ。これぞというものを中央テレビ(CCTV)に引っ張り出し、「私は悪事を働きました」とさらしものにして恐怖心をあおる。

21世紀の今日、中国では指導者礼賛がこのように盛大にやれるのは、皇帝崇拝の社会的土壌があるからではなかろうか。歴代王朝は皇帝とその官僚群、儒教思想というトライアングルによって、民衆を「臣民」として支配してきた。旧時代は中央官僚の威力は県レベルまでだが、その下の郷村は官僚の意を体した地主らに支配された。
中国史の上で、唯一の例外は辛亥革命(1911年)後の一時期である。このときは専制支配の廃絶と、「臣民」をブルジョア社会の「国民」の地位にまで高めようとする「三民主義」の努力があった。陳独秀や魯迅の言論が存在でき、曲がりなりにも代議制の萌芽があった。しかし最終的に日本の侵略と蒋介石の支配がこれを破壊した。
1949年に国民党に勝利した中共は、辛亥革命を継承するとしながらも、代議政治も普通選挙も実施しようとはしなかった。毛沢東が事実上の皇帝となり、党組織はたちまち官僚組織に変り、郷村に至るまで直接支配したのは必然である。毛沢東なき今日では中共中央常務委員会の集団帝政がこれを継承している。
国是の哲学はマルクス・レーニン主義と毛沢東思想だが、実体はスターリン主義が接木された専制主義と大漢民族主義である。これにいまや新型の儒教道徳も加わった。皇帝崇拝も「官尊民卑」の伝統も維持された。「官」の位階制による権威づけが広く行われ、「副省長級」の市長とか、「局級」の研究員とか、「県長級」の課長とか、習近平夫人のような「将軍級」の歌手とかとなる。

では、中国の無権の民、すなわち老百姓レベルの人々が、国民の権利と責任を自明の理として政治に参与しようとする意志を持てるだろうか。
……持てない。第一その制度がないのだから、動機がはじめから奪われている。かりに勇気あるものが異議申し立てをすれば、支配者にとって「危険人物」たらざるをえない。現に政権の不条理を訴えた民主人権派人士、農村指導者のおかれた境遇がこれをものがたる。
無権の民衆は情報を制限されているからウワサを信じるしかない。たいてい権力者の宣伝もしくは指示命令に容易に従わざるをえない。文化大革命の始まりと終りを見ればこれは明らかである。我々に身近なところでは、2005年・2010年に激しい反日デモがあった。いずれも自発的なものではない。暴力と破壊を伴っているのに警察による制止がなかったところからすれば、民衆を動員した官製デモである。

習近平礼賛も同じことである。民衆はいま「習近平万歳」を叫ぶ。ところが中共中央に別な指導者が現れて習近平の治政を否定すれば、人々は「打倒習近平」を叫ぶだろう。私の中国生活の経験からすれば、民衆が自らの要求をあからさまにしたのは、天安門事件を頂点とする学生・市民の運動だけである。
このような政治体制の下で生活が追いつめられたとき、無権の民衆に自らを救済する方法はあるだろうか、……ある。三つある。
第一は自殺による抗議である。もうひとつは自分を窮地におとしめたはずの政府機関に「清官(清潔な官僚)」の正しいお裁きを求めて陳情(上訪)することである。さらにもう一つは先の見通しがないまま郷村や地域全体をあげて一揆的行動、暴動を起こすことである。
焼身自殺はチベット人だけではない。北京への「上訪人」はひきもきらず、暴動とみなされるものは年間10数万から20万という。

鄧小平は後継者らに個人崇拝を戒め、毛沢東の轍を踏まないよう忠告した。だから江沢民も胡錦濤もそれはやらなかった。習近平はあえてやる。彼は江沢民や胡錦濤のように、無冠の帝王鄧小平の一声で選ばれたものではない。中共総書記に予定されるまでは中共中央政治局のメンバーの一人に過ぎなかった。彼の背後には上海閥も共青団派もおらず、ただ派閥の力関係によって選ばれた、現代史上初めての、きわめて弱い基盤しかない総書記である。脆弱であるがゆえに、批判には過敏に反応し、民衆を抑圧し、対外政策は強硬となる。
さらに中共常務委員会メンバーの権限を強引にけずりとってわが身に集中し、毛沢東を擬してむりやり高い梯子かけた。だがあの崇拝の高みには登れまい。墜落の危険は常に存在している。                          (2016・09・15)
2016.09.26  ファシズムは死語になったのか
  ―60年前に丸山真男が書いたこと

半澤健市 (元金融機関勤務)

《「ファシズム」の出てこない日本通史》
 「ファシズム」という言葉はなくなったのか。「現政権はファシズム政権」と書く新聞は一紙もない。テレビ局も一つもない。それは現政権がファシズム政権でないから当然なのか。それとも、大東亜戦争下のように、あるものをないとしか書けないマスメディアの現状が、ファシズムの現実を示しているのか。

「岩波講座」の日本通史で、私が閲覧可能なものは、1970年代、1990年代、2010年代の、三回分である。各回とも、二十数巻を擁する。「ファシズム」が、タイトルに含まれる論文は、70年代に四つあった。90年代には論文タイトルには含まれず、全25巻の索引に「ファシズム」「日本ファシズム」と単語が各一回だけ出てきた。10年代講座にはタイトルになく、索引がないので文中の出現の有無は調べられなかった。すなわちリベラル派の日本歴史でも「ファシズム」は、賞味期限が切れた単語なのである。
私の手許にある丸山真男著『超国家主義の論理と心理』(岩波文庫、2015年刊)には、9本の政治論文が載っている。うち3本のタイトルに「ファシズム」が含まれている。
流通しない言葉が「古典」となるのか。我々にファシズムを忘れさせないために古典があるのか。

《丸山による二つのファシズム論》
 下記に一部を紹介する「ファシズムの現代的状況」と題する文章は、1953年4月に『福音と世界』という雑誌に発表された。政治学者丸山真男が、同年2月に日本基督教会信濃町教会で行った講演を補訂したものである。上記文庫中では短いものである。

丸山はファシズムの定義は難しいが大別して二つがあるという。
狭義では、スペインや東欧・中南米などの後進国と、近代化の遅れた高度資本主義国(独・伊・日)とに見られる現象という。一党独裁、非議会主義、全体主義、自国至上主義、排外主義を主張する。アングロ・サクソン系国家でこの解釈が支配的である。自分たちはそういう国家だと思っていない。独・伊・日のファシズムが倒れた今、ファシズムの再現はありえないし、民主主義の旗手米国がファシズムに陥ることなど到底考えられない。これが自由主義陣営の自己認識である。
広義では、概ねマルクス主義的解釈による「現段階における独占資本の支配体制」とする見方となる。ここでは「ブルジョア民主主義・社会民主主義・ファシズム」の差は小さくみられる。丸山は、前者の復活を警戒すべきは当然としても、米国にも歴然としたファシズムの兆候は現れているとみてこの文を記したのであった。
「ファシズムという現象が、決して近代社会の外部から、その花園を荒らしに来た化け物ではなくて、むしろ近代社会、もっと広くいって近代文明の真只中から、内在的に、そのギリギリの矛盾の顕現として出て来た」というのである。
丸山は、ファシズムの特徴として「社会の強制的同質化」、「強制的セメント化」を挙げる。それは非合法的暴力、合法的立法、教育・宣伝など多様な手段で達成される。反対勢力を弾圧するのは、古今東西に共通の手法だが、ナチスの場合は次の二点に特色がある。
一つは、抑圧が「止むをえぬ害悪」としてでなく反対勢力の圧伏自体が目的化し絶対化するニヒリズムであること。二つは、市民の組織を、バラバラな「マス」に再組織(=同質化)すること。あらゆる組織や階層を混ぜ合わせて、無性格・無規定な「マス」に変えるのである。次にこの「マス」を、セメントのように固める。これを「革命」とか「新体制」と呼ぶのである。しかし資本主義的生産方式には一指も触れずにこの同質化は実行される。

《マッカーシー旋風への批判》
 第二次大戦後のファシズムは、ナチスのように手荒ではない。公然とファシズムの看板は掲げられない。そこで民主主義とか自由とかの標語を掲げざるをえなくなった。「民主的自由や基本的人権の制限や蹂躙がまさに自由とデモクラシーを守るという名の下に大っぴらに行われようとしているのが現在の事態です」と丸山は述べている。
1950年に、米国ではジョゼフ・マッカーシーの赤狩りが始まり、数年間荒れ狂った。日本国内では、朝鮮戦争勃発を機に、政治は「逆コース」に入った。民間、公務員のレッド・パージが始まった。日本共産党は、GHQによって非合法化された。丸山の論はこのときに書かれたのである。彼は米国における「反対者に許される発言の自由」と、ナチスにみられた「同種の発言だけを許す自由(同義反復)」に触れたあとこう続ける。
「こういう基準に照して今日のアメリカを見ますと、この〈自由世界〉の元締の国での社会的雰囲気は/(一部略を示す)前者の意味での「自由」観から、後者の意味での「自由」観に驚くほどの勢で移行しているのを認めないわけには行きません。/あらゆる分野での〈忠誠審査〉はまさに大審院判決のいう信条告白の強制であり、F・B・I(連邦捜査局)や非米活動委員会での「赤」や「同調者」の摘発は、アメリカ国内に未だ嘗て見られなかったほどの規模での思想的恐怖をまきおこしているように見えます」、「何も好んでアメリカの暗黒面を並べたてるというつもりではなく/自由を守るためには自由を制限するという考え方は、現在の客観情勢の下ではズルズルとファシズム的な同質化の論理に転化する危険があるととするならば、わが日本のような、自由の伝統どころか、人権や自由の抑圧の伝統をもっている国においては、右のようなもっともらしい考えの危険性がどれほど大きいかは言わずとも明らかであろうと思います」。

《天皇夫妻とジャーナリストの会話》
 このあと丸山は、ファシズムが強制する種類の国民のマス化は、現代資本主義の下では、産業界でも、政治の世界でも、あらゆる組織化とともに不可避的に進行しているというのである。その上、「マス・コミュニケーション」(今なら「マスメディア」)の発達が、この傾向を加速する。丸山の結論は、ファシズムのもつ強制的同質化作用は、近代社会、近代文明の条件や傾向に内在して、根が深いというものである。
それに抵抗するにはどうすべきか。
「国民の政治的社会的自発性を不断に喚起するような仕組と方法がどうしても必要で、そのために国民ができるだけ自主的なグループを作って公共の問題を討議する機会を少しでも多く持つことが大事と思われます」。この策は真っ当で平凡である。

『文藝春秋』(2016年9月号)に半藤一利・保阪正康両氏の対談が載った。本年6月14日に明仁天皇夫妻と両氏が数時間の会話したときの内容報告である。天皇夫妻が、日本近代史に詳しいこと、両氏に鋭い質問をしていること、四人の問答の水準も高いものであること、がよくわかる。両氏は学者でなくジャーナリストだが、近現代史の世界ではアカデミズムとジャーナリズムに垣根がないのが実態である。天皇夫妻が、二人を呼んだ目的はわからない。ただ、二人のジャーナリストは、インタビューに長じ実証に強い人たちである。さらに近年、この二人は「反戦・平和」を訴える発言が多い。現政権が限りなく「ファシズム」に近くて危険だというラジカルな発言もある。
私は、丸山がキリスト教の教会で発した言葉が、なぜか気になってこの一文を書いた。ファシズムは本当に死語になったのか。言葉は目に見えない。しかし世の中、見えないから存在しないといえないこともあるのだ。(2016/09/23)
2016.09.25 「本日休載」

 今日、9月25日 (日) は休載します。

  リベラル21編集委員会

2016.09.24  セミパラチンスク写真展
短信■ 
          旧ソ連・セミパラチンスク核実験場写真展

 「旧ソ連・セミパラチンスク核実験場写真展」が、駐日カザフスタン共和国大使館の協力で、10月30日まで東京都立第五福竜丸展示館で開かれている。
 中央アジアからヨーロッパにまたがるカザフスタン共和国(人口1600万)のセミパラチンスクでは、旧ソ連時代の1940年代から60年代にかけて450回を超える核実験が行われた。実験場の規模は世界最大とされ、核実験による被害者は150万人にのぼるといわれている。
 ソ連崩壊により、核実験場は1991年8月29日に閉鎖されたが、2009年の第64回国連総会は8月29日を「核実験に反対する国際デー」とする決議を全会一致で採択した。決議は、核爆発による被害に関する認知の拡大と教育の拡充、そして、核実験の禁止を求めている。
 こんどの写真展はセミパラチンスク核実験場閉鎖25周年を記念するもので、駐日カザフスタン大使館提供の写真約20点が展示されている。入場無料。
 
 東京都立第五福竜丸展示館は江東区夢の島の夢の島公園内にあり、東京メトロ有楽町線、JR京葉線、りんかい線の「新木場駅」で下車、徒歩13分。

                                  (岩)
2016.09.23  「『もんじゅ』廃炉は脱原発運動の勝利だ」
    豪雨の中、東京で「さようなら原発」集会

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「さようなら原発 さようなら戦争大集会」と銘打った集会が、9月22日、東京・代々木公園で開かれた。秋雨前線による豪雨が降りしきる中、全国各地から約9500人が集まり、「高速増殖炉『もんじゅ』の廃炉が決まったが、これは、私たちが長い間求め続けたきたことであって、脱原発運動にとって画期的な成果」「政府の原子力政策は明らかに曲がり角を迎えた。さらに運動を強化して原発のない日本、核武装とは無縁の日本を実現しよう」と気勢をあげた。

 東京で「脱原発」を掲げる大規模な集会が開かれたのは、今年3月26日にやはり代々木公園で開かれた「原発のない未来へ!つながろう福島!守ろういのち!3・26全国大集会」以来。主催は、作家の大江健三郎、落合恵子、作曲家の坂本龍一さんらが呼びかけ人となって生まれた「『さようなら原発』一千万署名市民の会」。

 開会は正午からだったが、その前から、JR山手線原宿駅から、レインコートに身を包んだり、傘をさして雨の中を会場の代々木公園にへ向かう人の列が続いた。
 会場に着くと、公園の野外ステージの前の広場には脱原発団体をはじめ労組、生協、市民団体などの旗やのぼりが林立し、色とりどりの無数の傘が広場を埋めていた。
 労組では、自治労、日教組、国労、JR総連、私鉄総連、全港湾など旧総評系の組合旗が目立ち、参加組合は北海道から九州にまで及んでいた。生協ののぼりは、パルシステム生協や生活クラブ生協など。もちろん、個人や仲間と連れだってやってきた思われる一般市民の姿もあった。
    雨の中の脱原発集会010600
             代々木公園の野外ステージ前広場を埋めた集会参加者

 第1部では、東京電力福島第1原発事故で被害を受けた福島県飯舘村の村民が、被災地の現状と課題を報告した。村民は「事故から5年半。メディアは東京の豊洲市場問題一色で、福島のことはほとんど報道されない。たまに報道されると、福島では復興が進んでいる、除染も進んでいるという話ばかり。しかし、まだ多くの県民が避難生活を余儀なくされており、行き場のない、除染廃棄物を入れたフレコンバッグが山積みになるばかり。原発事故による汚染水の処理問題も未解決で、そればかりか台風の影響で汚染水が増えている。これでは、復興が進んでいるとは言えない」と訴えた。
    雨の中の脱原発集会 003600
          野外ステージから原発事故被災地福島の現状を訴える飯舘村の人

 第2部では、「市民の会」呼びかけ人で作家の澤地久枝さんが主催者あいさつをしたが、その中で澤地さんは、まず「きょうの新聞の一面で、高速増殖炉『もんじゅ』を廃止することになったと報じられている。これまで多くの人がやめるよう訴えてきただけに、これは歴史的なことだ」と「もんじゅ」の廃炉を歓迎。言葉を継いで「でも、安倍政権は原発再稼働を推進するばかりか、事故を起こした福島第1原発の廃炉費用を消費者の電気代に上乗せしようとしている。廃炉費用は東京電力が負担すべきであって、消費者にしょわせるなんてとんでもないことだ」と政府と東電を批判、「原発をなくすために、これからも力を合わせましょう」と呼びかけた。

 次いで、福島から参加した武藤類子さん(ひだんれん共同代表)や、詩人のアーサー・ビナードさん、俳優の木内みどりさんらが発言。
 ビナードさんは「広島を訪れたオバマ米大統領は、帰国後、核の先制不使用を言いだした。広島で話したことを具体化しようとしたのだろう。すると、安倍首相がこれに異議を唱えた。安倍さんは被爆国の首相ではないか。こんなこと許されることではない」と述べた。木内さんは「大雨の中、こんなに多くの人たちが集まった。天はなぜよりもよってきょう雨を降らせたのでしょうか。君たち、ほんとうにやる気があるのか、と私たちに問いかけたのではないか」と話した。

 最後に登壇したのは「市民の会」呼びかけ人でルポライターの鎌田慧さん。
 「安倍政権はようやく『もんじゅ』の廃炉を決めた。実に遅すぎた決定だが、それが持つ意味は重大で、日本の原子力政策がターニング・ポイントを迎えていると言いてよい」
 「ただ、政府が『もんじゅ』を廃炉にしても、高速炉の研究を維持すると言っていることに注目しなくてはいけない。それは、イコール核燃料サイクルをやめないということだからだ。そのことは、青森県六カ所にある、原発の使用済み核燃料の再処理工場の稼働を続けると言っていることで明白だ。この再処理工場はこれまで30年間にわたり22回も試運転を繰り返したのにいずれも中止に追い込まれたのに、まだやろうとしている」
 「なぜ、政府は核燃料サイクルをやめないのか。それは再処理工場でプルトニウムを取り出すためだ。プルトニウは原爆の材料になる。つまり、日本の核武装を目指しているからなのだ」
 「日本の原子力政策は破たんしつつある。脱原発を求める国民の声に耳を傾けない安倍独裁政権を打倒しよう」
 
 集会の後に予定されていたデモ行進は雨のため中止となった。
            雨の中の脱原発集会 007600
                のぼりを持って集会に参加した大学生

2016.09.22  キューバ友好の集い
■短信■

         第4回全国キューバ友好の集い
         アリシア・コレデーラICAP副総裁を迎えて


駐日キューバ共和国大使館主催の「第4回全国キューバ友好の集い」が以下のような要領で開かれます。どなたでも参加できます。入場無料。

日時:2016年9月25日(日)13:00-17:00
場所:エデュスカ東京(全国教育文化会館)7階会議室
東京都千代田区二番町12-1(最寄り駅:東京メトロ有楽町線麹町駅他)
Tel: 03-5210-3511
主催:駐日キューバ共和国大使館

◇プログラム◇
13:00 全体集会
      マルコス・ロドリゲス駐日キューバ大使あいさつ
      アリシア・コレデーラICAP(キューバ諸国民友好協会)副総裁あいさつ
      日本の友好団体の活動報告(ビデオ上映)
14:00 分科会
      分科会のテーマは「経済封鎖」「キューバ訪問・ブリガーダ参加」の二つ
15:30 休憩 
15:40 閉会会議
      キューバから来日する伝説のルンバグループ、ムニェキートスデマタンサスの 生演奏
17:00 終了

                            (岩)
2016.09.21  やはり反習近平の策謀としか・・・ 8月の尖閣海域さわぎを検証する(2)
    新・管見中国(17)

田畑光永 (ジャーナリスト)

――王毅外相「すでに正常」発言――
 この衝突事件がきっかけとなったのかどうかは不明だが、その後、さしもの大軍団も姿を消して、13日、17日、21日に中国の公船4隻が数時間、領海に入って、出てゆくという通常パターンに現地はほぼ復帰した。
 そして24日には日韓中三国外相会談が東京で開かれることになった。王毅外相は北京第二外国語学院の日本語科卒業という日本専門家だが、というか、だからこそなのか、いずれにしろ日中関係が緊張している時期に外相に就任したために、かつて長年在勤した日本に就任以来、1度も来なかった。したがって今回は外相としての初来日なのだが、本人は「訪日」ではなくて、東京でたまたま三国外相会談が開かれるから出席するまでと強調していた。とにかく事件以来、最高位の人物として東京に現れるわけで、何を言うか、何と言うかに大きな注目が集まった。
 岸田外務大臣との会談は三国外相会談が終わった後、24日の午後に行われた。その模様は『毎日新聞』(8月25日朝刊)によると―
 「岸田外相は24日、来日している中国の王毅外相と外務省で会談した。沖縄県・尖閣諸島周辺で今月上旬に相次いだ中国公船による領海侵入で両国間の緊張が高まったことを受け、岸田氏が抗議したのに対し、王氏は尖閣を自国の領土とする見解を示したうえで、不測の事態を回避するために意思疎通を図る意向を表明した」
 『朝日新聞』(同)―
「岸田氏によると、王氏は東シナ海をめぐる中国側の見解を改めて主張。東シナ海をめぐる情勢の認識は平行線に終わった。ただ、王氏は『情勢の悪化を防ぎ、不測の事態を回避することが重要』と言及。両者は、偶発的な衝突を避けるため『海空連絡メカニズム』の運用開始が重要との認識では一致した」
どうも外相会談の記事では王氏が事態をどう考えているかがはっきりしない。じつは私はたまたま外相会談を終えて出てきた同氏が記者団に取り囲まれて、二言三言受け答えをするのをテレビのニュースで耳にした。
そこでは王氏は「みなさんが関心の東(シナ)海問題、相当話したよ。騒ぎすぎ、でももう・・正常に」(你们関心的東海問題,談了不少。炒作・・現在・・・正常)と言った言葉が聞き取れた。
これで会談では尖閣問題が大きな部分を占めたこと、王氏は報道が騒ぎすぎていると考え、事態はすでに正常にもどったと認識していることが推測できる。ここでのキーワードは「正常」だ。
つまり王氏は「3・3・2方式」で日中両国の政府公船が時折並走しながら、お互いに自国領だとマイクで言い合う状態を「正常」と考えているということだ。多数の中国公船が実力行使の形で「実効支配」を拡大しようとしたかに見える、8月初旬の騒ぎを中国政府は「異常」事態ととらえていることになる。つまり彼らの予期したことではなかったし、本意でもなかったということだ。
問題は王氏がその認識を外相会談でも明らかにしたかどうかだが、『毎日』の「会談要旨」に1行、「王外相 東シナ海情勢は基本的に正常な状態に戻った」とあった。つまりあの騒ぎは想定外であったと王毅外相は伝えたのだが、それがその通りに日本政府に伝わったかどうか、今のところ判然としない。
――習近平「複雑な要素」とは?――
 さて「南シナ海の恥を杭州で雪ぐ」チャンスとなったG⒛。中国当局は杭州市民をなるべく旅行に出したり、商店を閉めたり、工場を停めて空をきれいにしたりと、習近平の晴れ舞台を整えた。このイベントにもまたさまざまな話題があったが、なんとか実現した安倍・習近平会談でも、尖閣海域での事件を考える上ではなはだ興味深い発言が習近平の口から出たので、それを検討してみたい。
 会談はG20の日程がすべて終了した後の9月5日夜に設定された。報道によれば中国側が当初、会談時間を⒛分にしたいと言ってきたのを、日本側が45分は必要と押し返し、それでは時間節約のため逐語通訳でなく、同時通訳を使って30分となったそうである。このやり取りを見ても、この2人はお互い相手を好もしく思っていないことが感じられるが、果たせるかな終わってみると、中国側が公表した各国首脳との会談写真のうち、日・中、中・タイの写真だけに両国の国旗が映っていないという妙なことになっていた。
 たかが写真ではあるが、奇妙は奇妙であり、中国外交部はこういう形式的なプロトコールにそつはないはずだから、この両国に中国は含むところがあるのをそんな形で示したのかもしれない。
 そうして始まった会談であるが、取り上げられた議題を見ると、東シナ海問題、南シナ海問題、防衛当局間の緊急連絡メカニズム、北朝鮮のミサイル、戦略的互恵関係と盛りだくさんである。挨拶、握手を含めて会談時間は32分(2分オーバー)だったから、話し合いというより、課題の確認で終わったであろう。
 ところが、である。短時間の会談にも拘らず、習近平の発言に意味深長な一節があった。新華社電によると―
 「習近平は、次のように述べた。中日両国は互いに重要な隣国であり、両国関係が長期的に健康で安定して発展することは両国人民の利益に合致し、地域の平和と安定に有利である。現在、中日関係は相かわらず時として複雑な要素の妨害を受ける。双方は妨害を排除して、中日関係を一日も早く正常な発展の軌道に戻さなければならない。・・・」
 現地からの記者の報告では、習近平は慎重にメモに目を落としながら発言したという。
 何が意味深長か。これまで中国側が「中日関係を妨害するもの」という時は、まず押しなべて日本側の反共主義者だったり、右翼分子だったり、歴史修正主義者だったり、を指していた。それに対して中国側は政府も人民もともに日本との友好を望んでいるというのが、お決まりの陣立てであった。
 しかし、この習発言に登場した両国関係を妨害する「複雑な要素」には国籍がない。そしてそれは「双方が排除」しなければならないという。要素だから、人間に限ったわけではないかもしれない。たとえば、世界経済の停滞といったことも両国関係を妨害すると言えなくもないが、それを「排除」しようと言うだろうか、「克服」ならわかるが。
 私はごく常識的に考えて、このくだりは「さまざまな思惑から両国関係を妨害しようとする人間はどちらにもいる。お互いそういう連中を排除して関係を正常な軌道に戻そう」と受け取るべきだと思う。
 習近平の立場に立てば、会談では安倍は必ず尖閣の問題を持ち出すだろうが、中国だってすべてが中央で決めた方針で上から下まで一枚岩ではないのだということを言っておこう、と考えたのではないか。それは安倍に言うのと同時に、国内に向けての警告でもあったはずだ。
――誰が、何のために――
 ここからが結論である。ここまでくどくどと書いてきたのは―
8月初めに多数の中国公船と大量の中国漁船が尖閣海域に押し寄せたのは、たんに休漁期間明けで漁船がいっせいに漁に出たからではなくて、漁船の地元の公的機関が金銭的誘導で漁船を動員し、それを監督する名目で多数の公船が出てきたものであった。
 次に中国外交部報道官の発言やメディアの報道ぶりから見て、それは中央政府の方針ではない「予期せぬ出来事」であった。事態が一段落した後に、王毅外相が岸田外相や日本のメディアに「正常な状態に戻った」と言ったことにもそれはうかがわれる。
 では、誰がどういう意図であの騒ぎを仕組んだのか。それを示唆するのが習近平の「複雑な要素」発言である
――ということである。
 それでは、あの騒ぎは誰が何のために仕組んだのか。ここから先は推測である。
 中国国内には現在の習近平主導の政治に不満を持つ勢力がいるだろうことは容易に想像がつく。激しい反腐敗キャンペーンで摘発された人々やグループはもとより、自分も標的にされそうな人々も習近平を恨んでいるであろう。各方面の改革、とりわけ軍の大機構改革で不利な立場に立たされた人たちもいるはずだ。「供給側改革」でリストラの対象になった分野にも習近平をやめさせたい人々は大勢いるだろう。
 具体的には見当のつけようもないのだが、ともかくそういう反習近平に駆られた勢力が習近平を苦境に立たせる方策はないかと考えたとしても不思議はない。そこで目をつけたのが、南シナ海問題での中国の外交的失敗だったのではないか。
 その勢力が目論んだ筋書は――習近平は9月のG20 を盾にその失敗を覆い隠して、国際的にも国内的にも杭州の成功で名誉挽回を図ろうとしているから、それを妨害する手立てとして、日本の安倍首相が南シナ海についての国際仲裁裁判所の判決をいたるところで振りかざしているのを利用しよう。そのためには尖閣でことを起こすに限る。習近平自身も安倍の行動には腹を立てて、「当事者でない者は黙れ」とメディアに言わせているのだから、「釣魚島は中国のものだ」を旗印にした行動をやめさせることはできまいし、まして弾圧するわけにはいくまい。「海で暴れる中国」を世界が忘れることはない――というものではなかったか。
 尖閣水域が一段落した後、G20首脳会議開会前日の9月3日、まさに仲裁判決のもととなった南シナ海のフィリピン沿岸にある黄岩礁(スカボロー礁)に海警など中国の公船10隻が出現した。さすがに中国本土から遠く離れた場所だけに漁船群は伴わなかったが、フィリピン国防省によれば海警船4隻のほかに海洋調査船とみられる船や大型漁船や浚渫船のような船も見られたという。この件は7日にフィリピン政府が10隻の写真を公開して以降、報道がないのでその後どうなったかは分からない。それにしても公船だけが10隻も一緒に現れるというのはいかにも奇妙で、尖閣作戦の続きではないかと想像させる。
 さて習近平が言った「複雑な要素」という言葉は中国国内に向けての警告でもあったはず、と書いたが、その意味は私の推測が正しければ、習近平は尖閣で騒ぎを起こした勢力に向かって、国策に忠実を装って、じつは反習近平運動をしているからくりは分かっているぞ、ということを「複雑な要素」に込めたのである。この言葉は日本向けというより、むしろ国内に響かせる目的のほうが重要だったかもしれない。
――蛇足――
 尖閣に大量の中国漁船―というニュースを聞いた時、すぐに思い出したのは1978年4月末に起こったそっくりの事件である。今度のことでよく引き合いに出されたからご存じかもしれないが、当時は日中平和友好条約交渉がたけなわの時期で、私は北京に駐在していた。事件が起こった時は、たまたまそれまで外国人が立ち入れなかった四川省が「開放」されることになり、その第一陣としてわれわれ日本人を含めて北京駐在の外国人記者団の大多数が外交部新聞局のアレンジで四川省を旅行していた。
 北は遼寧省船籍の船を含めて各地から100隻余りの漁船が尖閣諸島に押し掛けたのだが、北京にはほとんど外国人記者がいなかったし、今と違ってインターネットどころか電話すら不自由な時代だったから、旅行中のわれわれにはそれを知るすべもなかった。おかげで当時、特に日本人記者団は週刊誌などでいろいろ揶揄されたが、結局、この事件はうやむやのまま現在に至っている。
 しかし、わずかな手がかりがないでもない。事件の4か月後、同年8月に当時の園田直外相が北京にやってきて、副総理だった鄧小平と会談した。
園田はこう回想している――
 「私は意を決して、尖閣諸島についての日本政府の立場を説明し、この間のような事件(漁船事件)がないようにしてもらいたいと申し入れた。それに対し、鄧小平副総理は、あの事件は偶発的なものであり、中国政府がこの問題で問題を起こすようなことはないと信じて欲しいと述べた。これで私は(条約交渉の)最後の関門をくぐり抜けた」
 園田直の回想録『世界 日本 愛』(第三政経研究会・1981年)の一節(この引用は『記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約交渉』岩波書店・2003年・180頁からの孫引き)である。
 ここでのキーワードは事件が「偶発的」であり、「中国政府がこの問題で問題を起こすようなことはない」という鄧小平の言葉である。特に後者は事件が中国政府の意図したものでない(つまり中央政府以外の誰かがやった)ことを認めている点で重要である。
 中国のような独裁国家の場合、なにかことが起こるとついなんでも政府がやっているように受け取りがちだが、必ずしもそうとは限らない。むしろ日常的に反対意見が制限されているからこそ、あたかも政府がやっているように見せかけて別人が陰謀をたくらむことがある。政権にとっては許しがたいことではあるが、表向き、あれは政府以外のものの仕業だとはいえないから、とりあえずうやむやにする、ということをあの事件で知った。
 だから今度の事件は最初からそういう目で見ていた。その結果がこの小文である。推測が正しいかどうかは勿論分からないし、78年の時と同様、ずっと分からないかもしれない。
 ただ今回の騒ぎのさなか、香港に行った知人が教えてくれたのだが、同地の中国政府系新聞社の人に会った時、事件を話題にしようとしたら、その人は「上のほうからその話には触れるな、というお達しが来ているから、なにも分からない」と言ったという。なにやらきな臭い感じもしないではない。焦らずに、耳だけはすませていよう。