2017.07.23  「本日休載」
今日07月23日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会
2017.07.22 ■短信■

この船をつくろう~船大工 匠の技

第五福竜丸建造70年記念特別展

 

 東京・夢の島の都立第五福竜丸展示館に展示されているマグロ漁船「第五福竜丸」は、1954年3月1日に太平洋のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で放射性降下物の「死の灰」を浴びた木造船です。この木造船が和歌山県串本町古座で進水したのは1947年3月で、今年はそれから70年になります。

 そこで、都立第五福竜丸展示館を管理している第五福竜丸平和協会が、それを記念して特別展「この船をつくろう~船大工 匠の技」を行っています。特別展では、福竜丸が造られる過程を記録写真とイラストでたどり、設計図や船大工の道具、模型などで解説しています。

 

 とき10月9日(月・祝日)まで

月曜休館(ただし9月18日は開館、翌日休館)

午前9時半~午後4時

 

 場所:都立第五福竜丸展示館(東京・夢の島公園内)

    東京メトロ有楽町線、JR京葉線、
        りんかい線の「新木場駅」下車、徒歩
13

 

 特別イベント:「船大工・匠の技を視る」

7月23日(日)午後2時~

展示館内の第五福竜丸船首下特別ステージで、第五福竜丸を「はやぶさ丸」に改修した、三重県伊勢市の強力造船所(当時)関係者によるワークショップ

 

 入館料:無料

 

  問い合わせ:公益財団法人第五福竜丸平和協会(電話03-3521-8494

                                                          

                                                        (岩)

2017.07.21 稲田防衛相のPKО日報に関する国会虚偽答弁の発覚で、安倍政権の内閣改造作戦は台無しに
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 京都では祇園祭の季節を迎えて連日猛暑が続いている。昨年の祇園祭は「くじ改め」(山鉾巡行の順番を確かめる儀式)の前で観覧する機会に恵まれたが、今年はさすがの暑さに閉口してパスし、家の中に引きこもっていた。なのに、政界では安倍政権の失態が次から次へと暴露されて火が噴き、熱気はますます高まる一方だ。

 7月19日の各紙朝刊は、防衛省が南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報を「廃棄」したとしながら陸上自衛隊が保管していた問題で、稲田防衛相が日報保管の事実を知りながら、防衛省・自衛隊幹部が事実を非公表にするとの方針を了承していたと伝えている。

 稲田氏はその後の国会で、日報が陸上自衛隊で保管されていた一連の経緯については「報告を受けていない」と説明し、「改めるべき隠蔽体質があれば私の責任で改善していきたい」とまで踏み込んで答弁していた。答弁は真っ赤なウソで、事実は、防衛省・自衛隊の最高幹部が集まった今年2月の緊急会議で、「廃棄」されていたとする日報が保管されていたことを公表するかしないかの討議が行われ、稲田防衛相が組織全体で公表しない(隠蔽する)ことに同意していたのである。

 稲田氏は、これまでもしばしば虚偽答弁の疑いで国会の追及を受けてきた。森友学園の顧問弁護士に就任していた事実も当初は「ない」と言い張り、法廷に出廷していた事実を突きつけられて漸く答弁を撤回し、自分の記憶に基づいて答弁したのであってウソをつくつもりはなかったなどの詭弁で、その場を切り抜けてきたのである(安倍首相が任命責任の追及を恐れて罷免しなかった)。

  今回も稲田氏は7月18日、このニュースを流した共同通信社の取材に対し、2月の緊急会議で非公表の方針を了承したかどうかの事実関係については、「ご指摘のような事実はありません」と書面で回答している。また19日午前には、防衛省で記者団に対し、日報を陸上自衛隊が保管していた問題について「隠蔽(いんぺい)を了承したとか、非公表を了承したとかいう事実はまったくない」と真っ向から否定した。菅官房長官も記者会見で、稲田氏から18日夜、電話で隠蔽を否定する報告を受けたことを明らかにし、「しっかり調査し、今後とも誠実に職務にあたってほしい」と激励したと言う。ウソの上塗りを平気で重ねる稲田氏や菅氏の態度は、ナチスのゲッペルス宣伝相も「真っ青」というところではないか。

 事柄の真偽は、今月24日に予定されている閉会中の予算委員会審議の場で明らかにされるであろうが、その前に稲田氏が辞任して雲隠れすることも予想される。新たな防衛相の任命はまずないだろうから、安倍首相あたりが防衛相を兼任することになるかもしれない。しかし、その場合においても安倍首相は説明責任および任命責任を厳しく問われることになる。国民の疑惑には丁寧かつ真摯に説明すると言っただけに、この際、これまでの国会審議のような居直りやすり替えは一切通用しない。針のむしろに座るほかないのである。

 安倍首相自身は「悪い時には悪いことが重なる」と思っているだろうが、このことは決して偶然に起こったことではない。これまでお友達内閣の度重なる弊害には目をつぶり、国政私物化の事実や責任を一切取ろうとしない積年の弊害が、ここにきて一挙に表面化しただけのことだ。来るべき時が来たのであり、自民党が安倍首相に追求が及ばないようにどれだけ野党の質問時間を削っても、国民は見るべきところを見ている。国民の信頼を失った首相はもはや「水に落ちた犬」同然なのであり、溺れるほかはないのである。

 とはいえ、予算委員会審議を何とか乗り切って水辺に這い上がったとしよう。そこで待っているのは、内閣改造という次の難関だ。安倍政権は支持率が落ちるたびに内閣改造を繰り返し、表面だけを変えて国民の目をごまかしてきた。でも、そんな姑息な方法はもう通用しない。死に体になった安倍政権と心中するような馬鹿な政治家はいないだろうし、いたとすれば、それは「閣僚不適格」の人材が集まるだけの話だ。すでに改造前の世論調査においてさえ、内閣改造に「期待しない」が過半数に達している。改造後の世論調査ではさらに決定的な民意が示されるだろう。

 思えば、長い道のりだった。だが、「権力は腐敗する」「絶対権力は絶対に腐敗する」との格言通り、安倍政権はいま音を立てて瓦解しつつある。各社の世論調査では支持率が30%台に急落し、不支持率が50%台に急上昇している。中には支持率が20%台に落ち込んだ結果もあらわれてきており、支持率回復の目途は全く立たない状態だ。「信なくば立たず」の世論の恐ろしさを初めて味わった安倍首相に対して、残された道は総辞職しかないだろう。有終の美を飾るといった表現には似つかわしくない人物であるが、「野垂れ死にだけはするな」との最期の言葉を送りたい。

2017.07.20 単複同形(invariable)
単複同形は植物にもあるの?

松野町夫 (翻訳家)

英語の可算名詞には単数形と複数形がある。単数形の語尾に -s をつけると、たいてい複数形になる。たとえば、「ペン」や「本」の場合、pen(単数形)、pens(複数形); book(単数形)、books(複数形) というように。このように単数形に s (またはes) をつけた複数形を規則複数と呼ぶ。

しかし、可算名詞には単数と複数が同じ形のものもある。これを単複同形(invariable)という。単複同形は、群れをなして生活する生物(魚類・獣類・鳥類)に多い。たとえば、sheep(ヒツジ)、deer(シカ)、fish(魚)は単複同形である。

A sheep is a farm animal. ヒツジは家畜である。 → sheep(単数形)
He has six hundred sheep. 彼は600頭のヒツジを持っている。 → sheep(複数形)

A deer is a large wild animal. シカは大型の野生動物だ。→ deer(単数形)
The local people hunt deer. 地元の人々は鹿狩りをする。 → deer(複数形)

I found a small fish there. 私はそこに 1匹の小魚を見つけた。 → fish(単数形)
I caught two big fish yesterday. 昨日、私は大魚を 2匹釣った。 → fish(複数形)

sheep は常に単複同形で、複数形が sheeps になることはない。夜、眠れなくてヒツジを数えるときは、one sheep, two sheep (two sheeps はダメ) と数える。つまり、sheep は規則複数(s 複数形)を認めない。しかし、sheep 以外の生物、たとえば、以下の生物は単複同形だが、規則複数(s 複数形)も容認する。

fish(魚) catfish(ナマズ) carp(コイ) trout(マス)
cod(タラ) herring(ニシン) salmon(サケ)
bluefish(ブルーフィッシュ) shrimp(小エビ) mackerel(サバ) tuna(マグロ)
squid(体の細長いヤリイカなど) cuttlefish(甲イカ) jellyfish(クラゲ)
bison(バイソン) deer(シカ) reindeer(トナカイ) boar(イノシシ)
duck(カモ) grouse(ライチョウ) snipe(シギ) pheasant(キジ)

このように、単複同形は漁労・狩猟の対象となる生物(魚類・獣類・鳥類)に多い。一般に狩猟家は tiger,lion,elephant なども単複同形で扱う傾向があるという。この場合、狩猟家はこうした哺乳動物を個々の動物として見るのではなく、集合的に「種」として認識しているのかもしれない。

数詞は単複同形が多い。たとえば、hundred(百),thousand(千), million(百万), billion(10億), trillion(兆)が「数値」を示すときは単複同形となる。

one hundred = 100; two hundred = 200 (two hundreds はダメ)
Two hundred (people) are expected to attend. 200人が出席するはずです。
one thousand = 1,000; two thousand = 2,000 (two thousands はダメ)
There are about fourteen thousand airports all over the world.
世界には約14,000 の空港があります。

ただし、数詞が漠然と「多数」を意味するときは規則複数となる。
hundreds of people(数百人) thousands of people(数千人)
tens of thousands of people(数万人) millions of cars(数百万台の自動車)

同様に、数量の単位である dozen(ダース)も数値「12」を示すときは単複同形となり、漠然と「多数」を意味するときは規則複数(dozens)となる。

She bought two dozen eggs. 彼女は卵を 2 ダース買った。
She bought two dozen of the eggs. 彼女はその卵を 2 ダース買った。
I went there dozens of times. そこへは何十回も行った。 dozens of people(何十人)

ドル(dollar)やユーロ(euro)などの欧米の通貨単位は、one dollar, two dollars; one euro, two euros のように規則複数となるが、東アジアの通貨単位、yen(日本の円) yuan(中国の元) won(韓国・北朝鮮のウォン)は単複同形なので、one yen, two yen; one yuan, two yuan; one won, two won となる。

単複同形は、-s(e)で終わり発音上、規則複数と区別のつけにくい名詞に多い。たとえば、means(手段) series(シリーズ) species(種) corps(軍団) Japanese(日本人)Chinese(中国人)Taiwanese(台湾人)Vietnamese(ベトナム人)

語末がcraft(船舶)で終わる単語も単複同形だ。
craft(船舶) aircraft(飛行機) spacecraft(宇宙船) hovercraft(ホバークラフト)

単複同形は、群れをなして生活する生物(魚類・獣類・鳥類)に多い。
ところで、単複同形は植物にもあるのだろうか。ちょっと気になったので、草花や樹木、作物、穀物、野菜、フルーツ類などを手当たり次第、チェックしてみた。しかし残念ながら、植物の大半は可算名詞 [C] ではあるが、そのほとんどは規則複数で、単複同形の可算名詞を見つけることはできなかった。ただし、盆栽とフルーツを除く。bonsai(盆栽)は、日本語から借用された英語で複数形も bonsai.

bonsai [bɑnsái] : noun (pl. bonsai)
[C] a small tree that is grown in a pot and prevented from reaching its normal size.
[U] the Japanese art of growing bonsai.

17841_単複同形

上記の盆栽の定義と図はOALD7英英辞典から引用した。

フルーツ(果物)はふつう不可算名詞(U)として単数形で集合的に用いる。しかし、フルーツの種類をいうときは、可算名詞(C)として単数形や複数形で用いることもできる。fruit の複数形は fruit or fruits。イギリス英語では果物の意味の fruit は単複同形。

Do you like fruit? フルーツは好きですか?
Apples and oranges are fruit. リンゴとオレンジは果物だ。(イギリス英語)
Apples and oranges are fruits. リンゴとオレンジは果物だ。(アメリカ英語)
2017.07.19 稀代の弁護士・池田眞規さんを悼む
              核兵器廃絶と被爆者救援に献身

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 国連の会議で核兵器禁止条約が採択されたというニュースに接したとき、私の脳裏に浮かんできたのは、昨年11月13日に88歳で亡くなった池田眞規・弁護士のことだった。池田さんこそ、全身全霊を込めて平和憲法擁護と核兵器廃絶、被爆者救援に奔走した稀代の弁護士だったからである。「池田さんも、あの世で核兵器禁止条約の採択を喜んでいるに違いない」。そんな思いに私はしばし浸った。

 核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会(略称・日本反核法律家協会、JALANA)の機関誌『反核法律家』の最新号である第91号(2017年 春号)に、特別企画「池田眞規前会長を偲んで」が掲載されている。同号58ページのうち21ページがこの特別企画。大特集と言ってよい。これをベースに池田さんの生涯を紹介したい。

 池田さんは1928年(昭和3年)に韓国・大邱で生まれ、釜山で育った。敗戦後、日本に引き揚げ、1953年に九州大学法学部を卒業。風早八十二弁護士事務所の事務員となり、1966年に弁護士登録。

 弁護士登録とともに、池田さんは百里基地訴訟の弁護団に加わり、やがて、その事務局長になるが、これは、航空自衛隊基地建設をめぐる憲法訴訟だった。1950年代半ば、政府は茨城県小川町(現小美玉市)にあった旧海軍航空隊の跡地を買収し、航空自衛隊の基地を建設しようとした。これに対し、地元の反対派農民が、自衛隊を憲法9条違反として土地買収の無効を主張し、土地所有権をめぐる裁判となった。結局、1989年に最高裁が憲法判断を回避して国の所有権を認める判決を下し、農民側の敗訴となった。

 池田さんはそのかたわら、長沼ナイキ基地訴訟の弁護団にも加わる。これも自衛隊の合憲性が問われた訴訟だった。北海道長沼町に航空自衛隊のナイキ地対空ミサイル基地を建設するため政府が1969年に国有保安林の指定を解除、これに対し地元の住民が、「自衛隊は違憲、したがって保安林指定解除は違法」として、処分の取り消しを求めて起こした訴訟だ。一審の札幌地裁は初の違憲判決で処分を取り消したが、二審の札幌高裁は一審判決を破棄。住民側は上告したが、最高裁は1982年、憲法には触れず、原告適格がないとしてこれを棄却した。
 
 百里基地訴訟、長沼ナイキ基地訴訟は、北海道の恵庭事件と並んで自衛隊の憲法違反を問うた裁判であった。池田さんは、憲法第9条がうたう「戦争放棄」「戦力不保持」を実現するためひたすら奔走したわけである。
 その延長だろう。1991年に湾岸戦争が勃発し、海部政権が多国籍軍に91億ドルを支出すると、市民有志が「湾岸戦争国費支出違憲訴訟」を起こしたが、この時、池田さんは弁護団の団長格としてこれを支えた。

 1970年代後半からは、原爆被爆者との交流が始まる。百里基地訴訟の控訴審がきっかけだった。池田さんは、医療関係団体の機関紙上で語っている。「私が被爆者と出会ったのは1977年の百里基地訴訟一審判決がきっかけでした。その判決は『自衛のために防衛措置をとることを憲法は禁止していない』という最悪のものでした。『これは裁判官が“政府の行為によって再び戦争の惨禍をくりかえさない”という憲法の立場で9条を解釈していないからだ』と私たちは考えました。そこで 控訴審では『戦争の惨禍』を裁判官の頭に叩き込もう、と法廷での証人を被爆者にお願いしたのです。人類初の核兵器に苦しむ、戦争の最大の犠牲者ですから」。その時、証言台に立ったのは、この3月に亡くなった被爆医師・肥田舜太郎さんだった。

 被爆者たちは、1970年代初めから、国家補償に基づく被爆者援護法の制定を政府に求め続けた。これに対し、厚生大臣(今の厚生労働大臣)の諮問機関の原爆被爆者対策基本問題懇談会が、1980年に「原爆も戦争被害であるから受忍すべきだ」とする援護法制定の必要性を否定する報告書をまとめた。怒った日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)と市民団体が「核兵器の非人道性を告発する国民法廷」を全国で展開すると、池田さんは他の弁護士と共にこれを全面的に支援した。

 その後、池田さんの活動は国際的な団体との連帯を深めてゆく。なかでも、池田さんが大きな役割を果たしたのは「世界法廷運動」だ。
 1992年のことだ。国際平和ビューロー(IPB)、核戦争防止国際医師の会(IPPNW)、反核国際法律家協会(IALANA)、世界保健機関(WHO)といった国連専門機関が、世界法廷運動を提唱する。国際司法裁判所(IJC、オランダ・ハーグ)に「核兵器の使用は国際法違反」との決定を出させようという運動だった。
 日本にその情報をもたらしたのは池田さんだった。なぜなら、池田さんは1989年にハーグで開かれたIALANAの設立総会に参加していたからである。

 この提唱に日本の原水爆禁止関係団体は積極的な反応を示さなかったが、池田さんの呼びかけに応えた日本被団協や日本生活協同組合連合会を中心とする市民団体が、IJCへの要請署名に取り組み、集めた310万筆の署名をIJCに提出した。
 1996年7月、IJCは「核兵器の使用・威嚇は一般的には国際法、人道法の原則に反する」とした国連への勧告的意見を発表、核軍縮史上の画期的な出来事として世界的な反響を呼び起こす。今回の国連会議における核兵器禁止条約の採択も、この世界法廷運動の延長線上にあると言ってよい。条約には「ヒバクシャおよび核実験の被害者にもたらされた容認しがたい苦難と損害に留意し」と書き込まれた。

 この運動を進める中で、池田さんは日本反核法律家協会(JALANA)の創設に主導的役割を果たし、1994年の協会設立時には事務局長に就任。2004年から2010年まで会長を務めた。

 晩年における最大の功績は、原爆症認定集団訴訟の弁護団長を務めたことだろう。
 被爆者は、原爆による放射線が原因の病気やけがについて全額国の負担で医療の給付が受けられるが、そのためには、病気やけがが原爆の障害作用によるもので、現に治療を要するという厚労相の認定を受けなければならない。しかし、国は2003年当時、被爆者27万人のうち約2200人(0.81%)しか原爆症と認定せず、多くの認定申請を却下してきた。このため、2003年から全国各地で原爆症認定集団訴訟が起こされ、裁判は17の地方裁判所に及んだ。各裁判所は国の認定行政を批判し、原告・被爆者側の「連戦連勝」に終わった。2009年には、麻生太郎首相・自民党総裁と日本被団協との間で「一審判決を尊重する」などとする、集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書が調印された。

 2011年に被爆者の体験記、証言集、被爆者運動の資料などを収集して後世に残そうという「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」が発足すると、池田さんは副会長を引き受けた。

 「眞規さんは被爆者にしっかり寄り添っての生涯を全うされた。感謝の気持ちで一杯だ」。前日本被団協事務局長の田中熙巳さんは、『反核法律家』の特別企画「池田眞規前会長を偲んで」に寄せた追悼文でそう書いている。  
 池田さんは、被爆者との交流を深める中で、原爆被害の悲惨さを知り、被爆者の声に耳を傾けなければならない、何としても核兵器はなくさなければならない、との思いを強めていったのではないか。晩年には、よく「被爆者は神様だ」と話していたという。おそらく、それは「被爆者こそ、人類が核時代を生きるための道標を示す預言者のような存在」という意味だったろうと私は思う。

 私の記憶の中の池田さんは、いつも万年青年と思える黒々した髪をしていて、声は弾み、大きな目をしていた。人なつっこく、しかも他人に対し面倒見がよかった。
 ただ、その長話、長電話に悩まされた人もいたようで、特別企画でも、2人が長話、長電話をめぐるエピソードを語っている。私が池田さんを取材したのは「世界法廷運動」が始まったころのことだが、その時も、深夜、よく自宅に電話がかかってきた。それは、とうとうと自説を述べ、それへの賛同を求める長電話だった。

 特別企画は、池田さんと親交があった反核国際法律家協会関係者からのお悔やみメッセージ」で締められている。冒頭にあるのは、C・G・ウィーラマントリー判事(スリランカの最高裁判事を務めた後、1991年から2000年まで国際司法裁判所の裁判官を務め、副所長も歴任。2017年1月、死去)からのものだ。
 そこには「池田先生は、核兵器が全類にとっての脅威となって増大していることを、世界の民衆に知らしめる偉大な役割を果たしました」とある。
 池田さんは世界的に注目されていた人物だったのだ。
2017.07.18  これは灯火が消える前の一瞬の輝きか
          ――八ヶ岳山麓から(227)――

阿部治平 (もと高校教師)

7月1日、経済学者張維迎氏は、北京大学国家発展研究院の卒業式で、教授陣を代表して「自由とは責任にほかならない」という表題の講演をおこなった。彼は自由を推進することの歴史的意義を強調して、これは祖国の命運に関心をもつ「北京大学人」の責任であり使命であると語った。
張氏は1959年生。中国経済の徹底した市場化、国営資本の民営化を提唱して新自由主義経済学者の旗手といわれた。だが、企業家精神を擁護するあまり、その不当行為を容認するような議論に及んだため、資本家の代弁者といった批判を受けた人物でもある。
講演は政府筋を恐慌に陥れたらしく、北京大学国家発展研究院の公式サイトから速やかに削除された。苛烈な思想弾圧がつづく今日、彼が当局からどんな扱いを受けるか懸念される。以下はこの講演の私なりの要約である。

「自由とは責任にほかならない」
                                                     張維迎
1500年以降中国人は何も創造しなかった
イギリスの科学博物館の研究者Jack Challonerの統計によると、旧石器時代(250万年前)から2008年のあいだに世界を変えるような重要な発明は1001件あった。そのうち中国は30件で3%を占めるという。この30件はすべて1500年以前にうまれ、1500年以前の時代の全世界163件の重大発明の18.4%を占めるという。
最後の一件は1493年発明の歯ブラシである。これは明代たったひとつの重大発明である。1500年以後500年余り全世界の838件の重要発明中、中国がものしたものは一件もない。

技術開発と急速な拡大
1500年以後世界は一体化した。技術の発明が速いばかりか、その拡散速度はさらに早くなった。新技術がある地方に現れると、たちまちほかの地方が引入れるから、人類全体の進歩には重大な影響を及ぼすこととなった。経済成長のみなもとは、新製品・新技術・新産業の絶えざる創出である。
自動車を例に取ろう。自動車産業は1880年中期にドイツ人のKarl BenzやGottlieb Daimler、それにWilhelm Maybachなどが作り出したものである。ドイツ人が自動車を発明するや、15年後にはフランスが世界第一の自動車生産国になり、さらにその15年後にはフランスに代わってアメリカが第一となり、1930年アメリカの自動車普及率は60%に達した。
自動車産業の技術史をみると、有名な発明者は千をもって数えることがわかる。中国はいま第一の自動車大国だが、技術革新はドイツ・フランス・イギリス・イタリア・ベルギー・スウェーデン・スイス・日本などで行われ、中国人はだれ一人いないのだ!

人口規模と独創の関係
理論上は、ある国家の人口規模が大きいほど創造は多く、技術進歩も早いといえる。しかし創造と人口の比は指数関係であり、単純な等比関係ではない。
10数年前、アメリカの物理学者Geoffrey Westらは、都市生活中、人類の発明創造と人口の関係には「4分の5乗」の法則があることを発見した。もしある都市の人口が他の都市の10倍であるとすれば、発明創造の総量は後者の10を「4分の5乗」して得られる数値すなわち17.8倍となるという。
これからすると中国の世界発明創造に対する貢献は、中国の人口規模とはまったく比例しないことになる。中国人口はアメリカの4倍、日本の10倍、イギリスの20倍、スイスの165倍である。知識創造の指数累乗法則に従えば、中国の発明発見はアメリカの5.6倍、日本の17・8倍、イギリスの42.3倍、スイスに至っては591倍となるはずである。
そのスイス人は、手術用の鉗子、電子補聴器・安全ベルト・整形技術・液晶パネルなどを発明した。中国人民銀行発行の人民元紙幣に使われているニセ札防止インキはスイスの技術であり、国産の小麦粉の60~70%はスイス・ブロン社製の機械で製粉したものである。

中国にもかつて自由な時代があった
中国人の遺伝子に問題があるわけではあるまい。我々は古代中国の輝かしいものと理解される方法を、現代というこの時期に失っているのだ。明らかに我々の体制と制度に問題があることがわかる。独創力は自由にささえられたものである!思想と行動の自由だ。中国体制の基本的特徴は人の自由を制限し、個人の独創性と企業家精神を扼殺するものである。
中国人がもっとも創造力を発揮したのは、春秋戦国と宋代である。これは偶然ではない。この二つの時代は中国人が最も自由な時代だった。1500年以前、ヨーロッパもアジアも昏迷の中にあった。1500年以後、ヨーロッパに宗教改革とルネッサンスがおこり、だんだんに自由と法治に向かって歩み出した。いま我々はその逆を行っている。
私は強調したい。自由は不可分の総体である。心の不自由なとき、行動の自由はありえない。言論が不自由なとき、思想は自由ではありえない。自由があってこそ創造があるのだ。例をあげる。

手洗いと活字印刷、顕微鏡の関係
今日、食事の前とトイレのあと手を洗うのは習慣となった。だがハンガリーの内科医Ignaz Semmelweisが、医者と看護師は産婦に接触する前に手を洗う必要があるといいだしたのは、1847年のことである。これは当時の習慣と異なっていたから、彼は同僚のご機嫌をそこね、仕事を失い、精神病院で死んだ。享年47。
では人類の衛生習慣はどのように変化したのか。
これは印刷機の発明と関係がある。1440年代、ドイツの企業家Johannes Gutenbergが活字印刷を発明した。印刷機によって書籍と読書が普及した。そこで眼鏡の必要が生れ爆発的に増加した。印刷機の発明から100年後、ヨーロッパには数千のメガネ屋が生まれた。これが光学技術の革命を引きおこした。
1590年、オランダの眼鏡製造商Janssen父子は、いくつかのレンズを円筒の中に重ねておくと、ガラスを通してみたものが大きくなるのに気がついた。これが顕微鏡の発明につながった。イギリスの科学者Robert Hookは顕微鏡をつかって細胞を発見し、科学と医学の革命を引き起こした。初期の顕微鏡は解像度がたいへんに低く、1870年代に至ってドイツのレンズ製造商Carl Zeissが新しい顕微鏡を生産したが、それは精密な数学公式を基礎とした構造であった。
ドイツの医者Robert Kochなどは、まさにこの顕微鏡を使って微生物・細菌を発見し、かのIgnaz Semmelweisの見方が正しかったことを証明した。これによって微生物理論と細菌学が創設され、これによって人類の衛生習慣が改善され、人類の余命が大幅に延長されることになったのである。

発明・独創は自由あってこそ
過去30余年、中国経済はまれにみる発展を遂げた。この成果は西側世界300年の発明と創造が蓄積した技術を基礎として実現したものである。ところが中国経済の高度成長を支えた重要な技術と製品はすべて他人の発明したもので、自分の発明はひとつもない。我々はただの利ざや稼ぎをやったのであって、独創者ではない。我々は他人が作った大建築の上に小さな楼閣をつくったにすぎない。我々には自らを誇る理由がないのだ!
これから50年、100年と世界の発明発見は歴史を重ねるだろうが、中国は過去500年の歴史上の空白を変えることができるだろうか?答えは中国人が享有する自由を持続し向上させることができるか否かにかかっている。なぜなら自由があって、はじめて中国人はその企業家精神と独創力を十分に発揮でき、中国を新しい形の国家に変えることができるからである。
ここにおいて自由を推進し、またそれを擁護することは、中国の命運に関心をもつ一人一人の責任である。さらにいえば、これは「北京大学人」の使命である! 自由を守らずして「北京大学人」を自称するなかれ!
(2017・7・12記)
2017.07.17  花岡事件遺族6人が益子の朝露館を訪問
          韓国通信NO529

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 7月2日、花岡事件(花岡鉱山事件)<注1> の遺族たちが栃木県益子の朝露館陶芸美術館 <注2>へやってきた。一行は72年目を迎えた花岡事件の追悼慰霊祭に参加のため6月28日来日、30日の行事を終えて、日程をやりくりして東京からバスで益子に向かう強行軍だった。

 遺族6名を含む訪問団19名は正午近く到着。昼食もとらず早速館内を見て回った。館長の関谷興仁さんの説明で、一階展示室で済州島4.3事件、福島の原発事故のコーナーを興味深げに見学、二階展示室に移動すると、彼らは目の前に広がる、花岡事件など「中国人強制連行」の記録 <注3>に釘付けとなった。

 秋田県大館市花岡町の瀬野公園墓地で開かれた追悼慰霊祭には市長をはじめ180名が参加し、419名が殺された花岡事件の悲劇を「二度と繰り返すな」と誓った(毎日新聞6/30付秋田地方版)。
公式行事の感想は聞きそびれたが、関谷さんが彫り続けてきた「悼」の作品群を見て遺族たちの心は強く揺さぶられたようで、私も想像もしていなかった感動的な光景に衝撃をうけた。

 連行された中国人の悲鳴と苦しみが聞こえそうな膨大な作品群。作者の怒りと追悼の思いが伝わってくる。陶板に「不明」と彫られた夥しい数の「名札」が、事件の異常さをあらためて気づかせ、無名の死者への作者の深い思いが彼らに伝わったようだ。
 彼らから言葉が出ない。質問をうながす声に、「この作品を作るのに何年かかったか」という質問がせいぜいで、しばらく沈黙が続いた。その沈黙を破るように突然、中年の男性がややうわずった声で話しだした。その場にいた人たちは皆、耳をそばだてた。
「名札に私の祖父の名前を見つけて驚いた。亡くなった祖父に再会したようで、とても嬉しい。感動した」。中年の男性は涙声になり、関谷さんの手を固く握りしめた。
 「花岡では父親の名前は見つからなかったが、ここで父の名前を発見した」と、名前が書かれた陶板を指さした別の男性は、関谷さんに抱きつき、ひざまずいて男泣きした。

 彼らには、小さな陶板が「墓標」のように感じられようで、虫けらのように酷使され殺された家族への思いを新たにしたようだった。とおり一遍の「謝罪」や「補償」では得られない、陶芸作家の悼む「心」に触れた。彼らは、日本の蛮行を今でも許せないと思っている。なぜなら、南京虐殺事件さえも忘れ去ろうとする日本人のことを彼らはよく知っているから。忘れてはならない記憶を陶板作品に残した日本の老陶芸作家と出会い、祖父や父親たちの人間としての尊厳が少しでも取り戻せたように思い、感動のあまり涙を流したのではないか。

 朝露館に生けてあったあじさい紫陽花を小さな花束にして贈った。花言葉は「家族への愛」。「地球村」の家族への愛を紫陽花に託した。一行は足尾銅山中国人慰霊碑を訪れ、7月4日に帰国した。



<注1>花岡事件/戦争末期、国内の労働力不足を補うため政府は「華人(中国人)労務者内地移入に関する件」を閣議決定し、日本国内に連行された約4万人の労務者たちが各地の事業所で強制労働させられた。秋田県花岡町(現大館市)では花見川の改修工事を請け負った鹿島組(現鹿島建設)によって986人の中国人が従事したが137人が死亡するいう過酷な労働を強いられた。敗戦間際の1945年6月30日に約800人が脱走をくわだて蜂起、補導員4人を殺害し逃亡を図ったが捕えられ419人が殺された。戦後、BC級軍事裁判で鹿島関係者と警察関係者に死刑を含む判決が言い渡された。その後、本人および遺家族が鹿島に対する謝罪と賠償を求めて提訴。2000年11月、鹿島が責任を認め東京高裁で和解した。1985年以降、毎年蜂起の日の6月30日に大館市によって追悼慰霊祭が行われている。

<注2>朝露館陶芸美術館/正式名称は朝露館関谷興仁陶板彫刻美術館。陶芸作家関谷興仁氏の全作品が収蔵されている。大半の作品は陶板作品で、関谷氏の心に刻まれた言葉が展示されている。済州島4.3事件の詩、ヒロシマ・ナガサキ、アウシユヴィッツを描いた「ショアー」、平和を祈る詩人の言葉、福島原発事故の惨状を刻んだ作品、さらに花岡事件をテーマ化した作品などがならぶ。非公開だったが2015年から春秋、週末限定ながら一般公開を始めた。作品に共鳴した人たちが館を支えている。ホーム・ページhttp://chorogan.org/

<注3>「中国人強制連行」の記録/一連の作品は花岡事件から始まり、満州の他、中国の占領地区における強制労働に注目して作品化されている。病気やケガで労働力にならない労務者を生き埋めにされたという「万人坑」もテーマとなっている。
2017.07.16  「本日休載」

今日07月16日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2017.07.15 チャージとケンブリッジを考える
              小山の教育通信 [2017.7月-2]         
 
小山和智 (グローバル化社会の教育研究会事務局長)

日本の学校は、夏休みに入っていきます。社会人にとっても、夏休みは大事な“充電 (charge)”の機会ですね。「charge」の語源はラテン語の「carrus (荷馬車)」で、“荷物を積む (load), 込める (fill)”のイメージが基礎にあります。電子工学の“負荷をかける”という訳語も、同じ発想から生まれました。

他方、「charge」は、相手に対価や貢献を要求したり 襲ったりする意思の表現でもあり、軍隊なら“突撃”です。「Charge bayonets!」(着剣!=歩兵銃に銃剣を装着) も実質的な“突撃用意”。山岳部の用語でも、リーダーが言う「用意しとけよ!」は出発の号令……それがわかるまで、新参者は出遅れ慌てることになります。また、サッカーでチャージは、身体で敵を押しのけて攻め込んだり守ったりすることです。

英語圏への留学・研修などを考える時、「Cambridge」がついた用語の多いことに驚かれるでしょう。
ギリシア神話の「アマゾン族 (Amazones)」は、黒海沿岸に住む女の狩猟部族(huntresses) です。古代ローマ建国に活躍した女傑カミーラもアマゾン族で、ローマ人がブリテン島のグランタ川を占領した際、彼女にちなんで「カム (Cam)」と名づけました。カム川が瘤<こぶ>のように蛇行する高台に 砦(+橋) を設けた場所は、「Cam-bridge」と呼ばれます。13世紀初め、オクスフォードの地元住民と学生との紛争があり、そこから逃れた学者たちがここに住み着き、研究・教育活動を始めたことが、ケンブリッジ大学の起源です。

アメリカでは1638年に、清教徒派のJ・ハーバード牧師が、マサチューセッツ州ボストン郊外の「新町 (Newtowne)」にあった広大な土地と膨大な蔵書を遺贈し、大学が設立されました。ハーバードも初代校長も、当時の在ボストン総督も皆、英国のケンブリッジ大学OBでしたので、町の名前は「ケンブリッジ」に改名されました。現在では、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)をはじめとする60以上の大学が集まり、全米一の研究学園都市となっています。
ちなみに、ケンブリッジを中国語で「剣橋 」と書くのは、オクスフォード(牛津)と同様、日本語からの借用です。

それでは、例によって他のニュースも。
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ASIA-NET 第5回クロス・ナレッジセミナー

日 時  7月20日(木) 午後7時~8時半
場 所  南部労政会館 (東京都品川区大崎1-11-1 ゲートシティ大崎)
テーマ  『主張のテクニック・反論のテクニック』 講師:吉村 章 ((株)クロスコスモス代表)
※ 議論の主導権をとるテクニック、ビジネス折衝のシナリオの作り方など“現場力”を鍛えます。
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日本能率協会 第一回 教育施設リニューアル展

日 時  7月19日(水)~21日(金) 午前10時~午後5時
場 所  東京ビッグサイト(東京都江東区有明3-11-1)
※ アクティブラーニング推進による教育プログラムの質向上と学習者の能力開発の支援により、新たな地域空間を。
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サッカーではルール上、チャージの際に肘を上げてはいけません。しかし、脇を締めるどころか、相手のユニフォームをつかんで引っ張ることが、国際試合で横行しています。紳士のスポーツ という気はないのでしょう。

アメリカ独立戦争当時(18世紀)の米ケンブリッジは、浅瀬を歩いて上陸しなければならなかったため、英国軍の士気は下がったそうです。アヘン戦争当時の上海の黄浦江も同じでしたが、直ぐに「外灘 (The Bund)」(築堤・埠頭) が整備されます。

今回、九州北部を襲った集中豪雨では、大きな被害が出ています。被災者の皆様には 心よりお見舞い申し上げます。海面温度の上昇が 異常気象の原因とされますが、さらに上昇中…… 私たちは今、何ができるかを考えましょう。

七夕の7日、核兵器禁止条約が国連で採択されました。核兵器の非保有国 122ヶ国の賛成ですが、日本政府は反対表明。被爆国として核廃絶の先頭に立っていたはずですけど、どうなっているのでしょう?

海外研修や留学だけでなく、国内の林間学校やキャンプなどに出かける人も多いでしょう。準備の最終点検を…… とくに海外では 「THC」(大麻) の表示に注意するよう 再確認を怠りなく。
どこにも出かけない人も、熱中症にはご用心を。ごきげんよう。

小山 和智 ( OYAMA, Kazutomo)

 http://www.toshima.ne.jp/~kyoiku/
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(過去のニュースは 下記をご覧ください。)
 http://www.toshima.ne.jp/~kyoiku/shijo-news.htm
2017.07.14 モスル解放を祝う!住民復帰と再建は歴史的大事業
ISはバグダディの生死にかかわらず衰退していく

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 イラク第2の都市モスルが、偏狭・残虐なイスラム過激派「イスラム国(IS)」の支配からついに解放された。着の身着のままの女性たち、子供たち、ひげぼうぼうで、中には銃を掲げている市民たちが歓喜する姿を映像で見ながら、「よく生きていたね」「大変だね」と心から思った。
 本欄でも、2014年6月のISによるモスル占領以来、同市の過酷な支配と、シリア国境に近い町シンジャルでの、少数宗教ヤジディ教徒の虐殺、女性の性奴隷化と人身売買について、何回も書いてきた。約200万人の市民が住んでいた、この歴史と文化豊かなイラク第2の都市のIS支配下で、数千人の市民が殺され、約92万人(国連機関統計)が脱出して難民生活を送っている。そして、最後の攻防戦で、市の大半とくにISが多数の住民を人質にしてたてこもった市西部の旧市街は、激しい戦闘と米軍の爆撃でひどく破壊され、がれきの山になった。
 2014年6月、ISの指導者バグダディがモスルの歴史あるモスクで宣言した「イスラム・カリフ(首長)国」は、イラクではモスルを失い、支配地域は中北部の石油都市キルクークに近い一部地域とシリア国境に近い町数か所とその周辺だけ。シリアではISの“首都”だったラッカ市はクルド人主体の反IS・反政府のシリア民主軍に包囲され、支配下にあるのは北部・東部の小都市数カ所を含む砂漠地帯。最後の戦場はイラク・シリア国境地域になりそうだが、イラクでも、シリアでもISからの脱走が増えている。脱走するIS兵士たちのうち、チュニジア人らアラブ人は難民の中に潜り込むこともできるが、欧州諸国出身者らは移民出身であってもすぐ見分けられるという。
 イラク、シリアでのIS壊滅は遠くないとしても、ISはそれで消滅するのではない。ISは、イスラム教徒が多数を占める国―アフガニスタンやシナイ半島(エジプト)、内戦が続くリビア、イエメンなどで、さらにはフィリピンのイスラム教徒にまで手を伸ばし、「イスラム・カリフ国」の拡大に努めてきた。しかし、現地のイスラム過激派との協調や合体はどこでもあまり進んでいない。イラク、シリアとは事情がさまざまに違うのだ。
 イラク、シリアはイスラム教のカリフ制国家の長い歴史を経験してきた。第1次大戦でドイツとともに敗北したカリフ制オスマン・トルコは消滅。その後の英仏支配から両国は独立、やがてどちらも民族主義のバース党が権力を握った。イラクでは少数宗派スンニ派のフセインによる独裁支配がつづいたが、2003年、ブッシュ政権下の米国による「大量破壊兵器」疑惑を掲げたイラク戦争で壊滅。2005年の主権回復に伴う選挙で多数宗派のシーア派主導の政権となり、米軍の治安支援の下、シーア派優遇の政治が始まった。
 これに対し、地下に潜行した旧フセイン政権の軍と支配政党バース党の残存勢力が強力な反米武装闘争を継続。一方で故ビンラディンが組織したアルカイダとつながるイラクの反米イスラム過激派組織も武装闘争を継続。米軍の鎮圧作戦の拡大の中で06年、反米イスラム過激派組織が軍・バース党の残党勢力の一部を吸収して、最高指導者バグダディが現ISの前身組織「イラク・イスラム国」を宣言。2011年の「アラブの春」へのアサド政権の弾圧で内戦状態になったシリアに翌12年、侵攻、組織名を「イスラム国」に改称。反政府勢力の弾圧に全力を注ぐアサド政権軍が手薄となった北東部の油田地帯、イラク国境地域を占領した。14年6月にはイラクに逆侵攻してモスルを占領、バグダディをカリフ(首長)とする政教一致の「イスラム・カリフ国」の樹立を宣言したのだ。
 このようにイラクとシリアで、ISは生まれ、成長し、支配地域を拡げ、「イスラム・カリフ国」を宣言するまでになったのであり、他の国、地域とはイスラム教徒の人口が多くても、条件が異なっている。ISの定着、拡大は容易ではない。イラク、シリアでの縮小で、ISの本拠地からの支援も縮小している。他の国でも同じ道を歩むだろう。
 バグダディがすでに死亡しているとの、情報が多くなった。モスルを占領した直後、同市を象徴するモスクで「カリフ国」設立を世界に向かって宣言したバグダディが、その後、「カリフ」なら当然現れるべき機会にも全く姿を現さず、モスル攻防戦の最後には、ついにISにとって最も重要なはずの歴史的モスクまで、自ら爆破してしまった。いつ死亡したのかは不明だが、後継カリフを名乗れるような宗教的権威を持つ指導者が全くいなくなったことだけは確かだ。ISは衰退していくに違いない。