2017.04.26 BANK
韓国通信NO522

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

<銀行の政治献金再開>
バブルの崩壊によって、ほとんどの銀行が山のように積み上げられた不良債権の処理に追われ悪戦苦闘した。大手都市銀行も公的資金の導入によって救済された。拓銀のように破綻し消滅した銀行もあれば、長銀、日債銀、足利銀行のように国有化された銀行もある。銀行の救済のために投じられた国費は数十兆円にのぼり、多くの銀行が合併によって姿を消した。
私企業とはいえ軒並み税金で救済された以上、銀行経営には目先の利益を追わず社会的公正さが強く求められるのは当然だ。政治と行政との悪しき癒着関係も厳しく断罪された。国民の負託は大きく重い。
その期待を裏切るかのように、銀行のトップ、三大メガバンク三菱UFJ、みずほ、三井住友が、一昨年から自民党に政治献金を再開した。雌伏十年。反省どころか権力者の顔色をうかがい政治に利益を期待する本性がちらつく。
18年ぶりに再開した政治献金について、毎日新聞は社説で「銀行の献金復活 数々の疑問がつきない」として「メガバンク三グループがそれぞれ約2000万円を自民党の政治資金団体『国民政治協会』に提供した。『企業の社会貢献の一環』と説明しているが、特定政党への寄付が社会全体に役立つという考えは理解しがたい」と批判した(2016/1/26)。
金利実質ゼロ政策のなかでメガバンクは莫大な経常利益(2016年)をあげた。
1位 三菱UFJフィナンシャル・グループ・5兆7144億円
2位 三井住友フィナンシャル・グループ・4兆7721億円
3位 みずほフィナンシャル・グループ・3兆2152億円
中小零細企業に対する「貸し渋り」の解消。高い振り込み手数料やATM利用手数料の引き下げなど真っ先にやるべきことがたくさんある。
政治献金(賄賂)の再開は「再生」した銀行にもとるものだ。銀行ほど多数の派遣社員を採用している職場はない。リストラ・出向は思いのまま。長時間労働と残業代の不払い。有給休暇もロクに取れない。これ程の利益を上げながら銀行は「職場の劣等生」であることは今も昔と変わらない。各銀行が掲げる「社会貢献」「コンプライアンス(法令順守)」が泣く。「お飾り」に過ぎないのか。

かつて所属していた銀行の労働組合は、1970年代に政治献金の廃止を求めて労使交渉を行なうとともに他の金融組合とともに全銀協へ申し入れをした。故市川房枝さんとともに有楽町駅頭で「廃止」のビラまきをしたこともある。「賄賂政治」は許さないという彼女の主張に共感したからだ。政治献金が1998年から中止されたのは当然だが(公的資金をもらって政治献金するのは「まずい」と考えたようだ)、またもや銀行の「賄賂」が復活した。「気は確かか」「恥ずかしくないのか」。
 

 <怒り・悲しみ・疑問に思うことが多すぎる>
韓国語の慣用句に눈코 뜰 새 없단 というのがある。「目と鼻をあける暇がない」。日本語の「目がグルグル回るほど忙しい」に相当する。目だけでなく鼻まで入っているのが面白い。
シリア、アフガニスタンの戦争に加え緊迫する朝鮮半島の情勢。節操もなく米国トランプ政権に追随する日本政府の危うさにくわえ、「共謀罪」の成立を急ぐ政府与党。原発再稼働を認める裁判所の「忖度」判決。高濃度の放射能の地へ帰郷を促す政府。帰らないのは「自己責任」と言い放つ復興大臣。甲状腺ガン患者が何人発見されても因果関係はわからないと云い張る行政。沖縄県民の意思を踏みつける中央政府。国有財産の払い下げをめぐる疑惑。政府に都合の悪い資料隠し。教育勅語を教えろという閣議決定。呆れ果てて「目も鼻も」開ける暇がない。血圧の高い人でなくても血圧があがりそうだ。一気呵成に憲法「改正」に突き進む勢いを見せても国民の支持は相変わらず高い。体がいくつあっても足らないもどかしさ。
問題山積の時期に銀行の話題は少し「のんき」すぎるかも知れない。銀行に勤めていたせいか、政治献金再開から見える最近の巨大銀行の動きは見逃せない。
銀行が脱原発に反対しているのは有名な話だ。だから自民党に政治献金と疑われても仕方がないない。電力会社が原発施設を廃棄すれば不良債権化する。倒産したのも同然の東京電力を潰すことにも銀行は反対している。

<国境を越えるメガバンク>
国際的ニュース配信会社「新月通信社」(社長マイケル・ペン)がわが国の三大メガバンクが融資するアメリカ、ノースダコダ州のパイプライン建設事業について報じている(HPと『週刊金曜日』3/10号)。原住民スー族に認められた土地を無断で使用する石油パイプライン建設に反対運動がわき起こり全米で注目されている。原住民の権利侵害と環境保全が争点である。融資に日本の銀行が深くかかわり、トランプ大統領も出資者であることが知られている。大統領に就任後、警察は抗議行動を鎮圧した。
スー族の代表が来日、日本のアイヌ人権擁護団体の活動家たちとともに融資各行に融資の取りやめを要請した(2/17)。各行とも署名と要請書は受け取ったが、今のところ要請に応じる意思は無いようだ。抗議者たちは各銀行が内部規定に「人権保護」をポリシーとして掲げていることに期待し、融資規定に反する融資の中止を求めている。
日本ではメガバンクの融資が現地の人権侵害を引き起こしていることはほとんど知られていない。銀行は「法律」「国際人権規約」を遵守すべきだ。ただ儲かればいいというバブル期に教訓を得た反社会的な融資は止めるべきだ。法律順守も社会貢献も、人権保護も単なる「お飾り」であってはならない。

<共謀罪反対>
警察が、「何か企んでいるだろう」と疑うだけで捜査ができる「共謀罪」。無関係と思っている人にもやがて累が及ぶ悪法だ。民主主義を窒息させないために廃案にすべきだ。以下、陶芸美術館「朝露館」からの訴えを紹介します。

テロ対策とオリンピック対策を隠れ蓑に、「共謀罪」(テロ等準備罪)法案が、閣議決定され、国会に上程されました。そして、法律学者や弁護士会はじめ多くの人びとから明確な反対の声が上がっているにも関わらず、なんとゴ―ルデンウイーク前に成立させたいと自公政権は公言しています。
そもそも、社会に有害な結果を生じさせた行為がなければ処罰されることはないのが、フランス人権宣言以来の近代刑法です。「共謀罪」は、行為以前、準備だけで、死刑をもふくむ罪にされます。テロ等準備とある<等>も、曲者です。国家権力の恣意的判断によって、<等>に該当する、と決めつけやすいからです。
すでに政府自身、「正当な活動を行っていた団体についても、目的が犯罪を実行することに一変したと認められる場合は、組織的犯罪集団にあたる」と統一見解を出しています。
国会前のデモをテロと言ってのけ、教育勅語を<道徳>で取り扱ってもよいなど、戦前回帰の自公政権。都合の悪いことは、「他国への侵略」を「積極的平和主義」、あるいは「武器の輸出」を「防衛装備の移動」と言い変えたりもして。
現憲法が記している前文が、憲法第九条・戦争の放棄が、思想・良心の自由が、邪魔で邪魔で仕方がないのでしょう。
かつて治安維持法によって、どれだけ罪のない人びとが、捕らわれ、いたぶられ、殺されもし、そしてその親族までが深い傷を負ったことか。まだ、その復権もなされていない現在ではありませんか。
政権側が考えていることは、明明白白です。人びとを互いに疑心暗鬼にさせ、委縮させ、自分たちにだけ、親分の米軍産複合体にだけ、都合のよい政治をしよう、憲法改悪をしようとの魂胆でありましょう。
そんなことを許すなよ、騙されるなよ、かつての侵略戦争による彼我の犠牲者の声が聞こえてくる気がいたします。
「共謀罪」に反対します。
2017年  4月 16 日
朝露館館主    関谷興仁
       朝露館につどう会 代表 石川逸子
       東京琉球館    島袋マカト陽子
朝露館につどう会 吉川 光  水戸洋子  青山晴江  山田やす子  大道万里子
和田悌二  星野栄子  小原 紘  吉岡志朗  川見一仁 鈴木文子  根津公子  廣瀬克美小島久之  田澤義誠 薄田和子  磯部 浩  若林直樹  二村淑子  宍倉良江

2017.04.25 5月7日の仏大統領選決選投票で39歳のマクロン氏当選へ
第1回投票で中道マクロン氏が極右ルペン氏をしのぐ

伊藤力司 (ジャーナリスト)

4月23日に行われたフランス大統領選挙第1回投票では50%以上の得票率を得た候補者はおらず、その結果得票率1位の中道派エマニュエル・マクロン氏(39)と2位の極右「国民戦線」の女性党首マリーヌ・ルペン氏(48)が5月7日の第2回投票(決選投票)で、雌雄を決することとなった。仏世論の動向からマクロン氏の当選の公算が高く、フランス共和国史上最も若い国家元首が誕生することになろう。

昨年6月の英国のEU(欧州共同体)離脱を問う国民投票で離脱派が僅差で勝利したこと、同11月のアメリカ大統領選挙で事前の世論調査では劣勢だったドナルド・トランプ氏が当選したことは、マスメディアが読み切れないポピュリズム(大衆迎合主義)の流れが現代を動かす風潮として注目を集めた。イスラム過激派のテロが頻発するフランスでも、反イスラムのポピュリズムの流れの中でイスラム移民に厳しい目を向ける「国民戦線」への同調ムードが高まっていると言われてきた。

また近年のグローバル化、ネオリベラリズム(新自由主義)の流れの中で、フランスでも従来型個人経営主体の農業、商業、工業が揺さぶられてきた。その結果世界的な傾向に準じて、フランスでも中産階級の貧困化が進んでいる。ヨーロッパの場合はグローバル化、合理化を進める中枢がブリュッセルのEU本部である。「国民戦線」はこうした大衆の反EU感情を搔き立てて、フランスのEU脱退を主張するに至った。ルペン氏は選挙公約もEU脱退を前面に掲げ、欧州統合の前進を主張するマクロン氏と全面対決した。

今回の大統領選には全部で11人が立候補したが、有力なのはマクロン氏(得票率23・75%)、ルペン氏(同21・53%)のほか中道右派のフランソワ・フィヨン元首相(63)(同19・91%)、急進左派のジャンリュック・メランション氏(65)(同19・64%)の4人であった。この中でEUに批判的なのがルペン氏とメランション氏。EUを盛り上げて欧州統合をさらに進めるべきだという立場を執ったのが、マクロン氏とフィヨン氏である。

決選投票でフィヨン氏の支持者がルペン氏に投票することは考えられず、マクロン氏に投票するのが自然の成り行きだ。メランション氏の支持者はEUに批判的だが思想的には左翼の人々であって、極右のルペン氏に投票することはあり得ない。このように分析すると、決選投票でマクロン氏がルペン氏に敗れることは考えられない。ただし投票率は第1回投票の78・27%より下回るかもしれない。

問題は決選投票でルペン氏がどの程度得票するかである。2002年の大統領選挙で、当時の「国民戦線」党首ジャンマリ・ルペン氏(マリーヌ・ルペン氏の実父)が、第1回投票で社会党候補を押さえて決戦投票に臨んだが、得票率13%台でジャック・シラク氏に惨敗した。以来15年を経てマリーヌ氏の率いる「国民戦線」はファシズム色を薄め、反ユダヤ右翼排外主義から「フランス第一」を叫ぶ国民政党に脱皮しようとしている。フランス国民はルペン氏の異議申し立てにどの程度反応するだろうか。

さてすい星のごとく登場したマクロン氏とはいかなる人物か。パリのリセ(高校)在学中にバカロレア(大学入試資格試験)で優秀な成績を収め、パリ第10大学で哲学を専攻。次いでエリート養成校として知られるパリ政治学院で修士号取得、さらに超エリートコースの国立行政学院に学んだ。2004年から国立会計検査院の検査官として勤務したが2008年にスカウトされてロスチャイルド系の銀行に転職、企業買収ビジネスで業績を挙げたという。

2006年からフランス社会党の党員になったが党の日常活動はほとんどせず、2007年の大統領選挙で社会党候補のセゴレーヌ・ロワイヤル氏(フランソワ・オランド現大統領の元夫人)の選挙運動に参画。2012年にオランド大統領が就任すると大統領府副事務総長に抜擢され、エリゼ宮(仏大統領府)で腕を振るった。2014年経済・工業・デジタル相に就任、年間5回に制限されていた百貨店の日曜営業を年間12回に緩和する通称「マクロン法」を成立させた。

彼は、16年4月「En Marche!(前進!)という政治運動団体を旗揚げ、これを基盤に17年大統領選出馬を表明した。この団体は社会党とは関係なく政党でもないとされる。しかし目指すところは左翼でも保守でもなく中道だとされる。未知数の多い大統領が登場することになりそうだが、欧州統合という合理主義を貫こうとする方向だけは確かなようだ。デカルトやパスカルを生んだフランスの合理主義がポピュリズムに勝ったと言えよう。

このマクロン氏は29歳の時、3児を抱えた24歳年上の女性、つまり自分の母親と同じほどの年齢の元高校時代の恩師をかき口説いて結婚したという情熱の人でもあるという。

2017.04.25 「共謀罪」新設法案に反対する
世界平和アピール七人委が訴え

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 世界平和アピール七人委員会は4月24日、「テロ等準備罪に反対する」と題するアピールを発表した。
  世界平和アピール七人委は、1955年、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長の下中弥三郎の提唱により、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は武力で解決してはならないを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和実現などについて内外に向けアピールを発表してきた。今回のアピールは124回目。
 現在の委員は、武者小路公秀(国際政治学者)、土山秀夫(元長崎大学学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(慶應義塾大学名誉教授)、池内了(名古屋大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家)、髙村薫(作家)の7氏。

 国会で審議中の政府提出の組織犯罪処罰法改正案は、テロ等準備罪を新設するとしている。この点に関して、安倍首相は「テロ等準備罪を新たに設けないと、テロ対策で各国が連携する国際組織犯罪防止条約を批准できず、2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催できない」と発言している。
 これに対し、アピールは、安倍発言を「大きな事実誤認、もしくは嘘である」とした上で、テロ等準備罪を、これまで3度、国会で廃案になった「共謀罪」が名称を変えて上程されたものと断じ、「政府の真の目的がテロ対策ではなく、国民生活のすみずみまで国家権力による監視網を広げることにあるのは明らかである。一般市民を例外なく監視し、憲法が保障している国民の内心の自由を決定的に侵害するテロ等準備罪の新設に、私たちは断固反対する」と述べている。
 アピールの全文は次の通り。

テロ等準備罪に反対する

世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晉一郎 髙村薫

 今年、私たちは日本国憲法施行から70年を迎える。その憲法19条が保障している国民の精神的自由権を大きく損なう「共謀罪」新設法案が、国会で審議入りした。犯罪の実行行為ではなく、犯罪を合意したこと自体を処罰する共謀罪は、既遂処罰を大原則とする日本の法体系を根本から変えるものであり、2003年に国会に初めて上程されて以降、たびたびの修正と継続審議を経て3度廃案となった。それがこのたび、「テロ等準備罪」と名称を変えて4度目の上程となったものである。

 2000年に国連で採択され、2003年に発効した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約)」を批准するに当たって、同条約の第5条に定められた「組織的犯罪集団の二人以上が犯罪行為への参加を合意したことを犯罪とするための立法措置」を満たす共謀罪の新設が必要、というのが政府の説明である。
 安倍首相は、共謀罪を新設させなければ、テロ対策で各国が連携する国際組織犯罪防止条約を批准できず、2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催できないと発言してきたが、これは大きな事実誤認、もしくは嘘である。
 第1に、国際組織犯罪防止条約は、第34条で各国に国内法の基本原則に則った措置をとることを求めており、共謀罪の新設が強制されているわけではない。また過去には、日本は必要な立法措置をとらずに人種差別撤廃条約を批准していることを見ても、共謀罪を新設させなければ批准出来ないというのは、事実ではない。
 第2に、国際組織犯罪防止条約の批准に新たな立法措置は不要となれば、同条約の批准をテロ等準備罪新設の根拠とすることは出来ない。
 第3に、同条約も、テロ等準備罪も、どちらも本来はテロ対策を目的としたものではない。現に、テロ等準備罪がなければ対処できないようなテロの差し迫った危険性の存在を、政府は証明していない。同様に、すでに未遂罪や予備罪もある現行法で対処できない事例についての明示もない。
 第4に、今回、世論の反発を受けて条文に「テロ」の文言が急遽追加されたが、277の対象犯罪の6割がテロとは関係なく、法案の提出理由にも「テロ」の文言はない。

 以上のことから、テロ等準備罪が新設できなければオリンピックが開催できない等々は明らかな嘘であるが、このように国民を欺いてまで政府が成立を急ぐテロ等準備罪の真の狙いについて、私たちは大きな危機感を抱かざるをえない。
 第1に、テロ対策と言いつつ対象犯罪をテロに限定しないのは、「4年以上の懲役・禁固の刑を定める重大犯罪」に幅広く網をかけるためであろう。
 第2に、組織的犯罪集団ではない一般の市民団体であっても、犯罪団体へと性格が一変したときには捜査対象になるとされる以上、いつ性格が一変したかを判断するために、市民団体なども捜査当局の日常的な監視を受けるということである。
 第3に、同罪の成立には何らかの準備行為が必要とされているが、何をもって準備行為とするかの詳細な規定はなく、さらに政府答弁では、その行為は犯罪の実行に直結する危険性の有無とも関係ないとされる。とすれば、捜査当局の判断一つで何でも準備行為になるということであり、構成要件としての意味をなさない。
 第4に、政府答弁では、捜査当局が犯罪の嫌疑ありと判断すれば、準備行為が行われる前であっても任意捜査はできる、とされている。

 これらが意味するのは、すべての国民に対する捜査当局の広範かつ日常的な監視の合法化であり、客観的な証拠に基づかない捜査の着手の合法化である。犯罪の行為ではなく、犯罪の合意や計画そのものが処罰対象である以上、合意があったと捜査当局が判断すれば、私たちはそのまま任意同行を求められるのである。
 テロリストも犯罪集団も一般市民の顔をしている以上、犯罪の共謀を発見するためには、そもそも私たち一般市民のすべてを監視対象としなければ意味がない。そのために、盗聴やGPS捜査の適用範囲が際限なく拡大されるのも必至である。
 政府の真の目的がテロ対策ではなく、国民生活のすみずみまで国家権力による監視網を広げることにあるのは明らかである。一般市民を例外なく監視し、憲法が保障している国民の内心の自由を決定的に侵害するテロ等準備罪の新設に、私たちは断固反対する。

2017.04.25 日米で取材制限進む
日本、経産省施錠、記者出て行け、ホワイトハウス、10社を会見除外

隅井孝雄 (ジャーナリスト 京都在住)

▼経済産業省、記者入室シャットアウト
2月27日から、経済産業省は全執務室に鍵をかけ、新聞記者など外部の人間が入室できない措置を取った。同省はこの日から、取材の場所や対応する職員を限定するなどのルールを定め、全職員に通知した。取材に対応するのは管理職以上、メモを取る職員を同席させ、取材のやり取りを広報室に報告するように求めている。また幹部が自宅周辺で取材に応じることも原則禁止、やむをえず応対した場合は、広報室に報告するように求めている。
 この事態に対し、元共同通信記者、同志社大学社会学部の小倉純教授は「省庁が持つ情報は国民の財産であり、官僚が独占し、密室で扱ってよいというものではない。役所の都合のいいことだけ報じればいいというのは、情報公開に逆行する」(2/26毎日新聞)と語った。
 これに先立つ2月10日、日米会談に関する経産省作成の資料の一部がメディアで報道され、「情報漏れ」が経産省内で問題となったため、急きょ新ルールがきめられたようだ。

 ▼質問する記者に「うるさい、出ていけ」、今村復興相
 この報道がまだ冷めやらぬ4月4日、今度は今村復興大臣が記者会見の質問に激高し、「うるさい、出ていけ」と怒鳴る事件が起きた。
 質問した記者は、「避難解除にあたって、約26,000人の自主避難者は家賃補助も打ち切られている。補償金の対象にもなっていないため、国はそれらの人々にどのような責任をとるのか」と問いかけた。それに対して復興相は「帰るか帰らないは本人の責任と判断だ」と返答、さらに国の責任を問う記者に対し、「撤回しろ、出ていけ、二度と来るな」など激高して会見室から出て行ってしまった。
 質問した記者はこれまで一貫して原発被害を取材している中西誠一郎氏(フリーランス)。中西記者によると、復興省の今回の会見は質問のないまま終わりそうになったので、手を挙げたのだという。被災地が避難解除となっても、多くの被災者は地元に帰らない人が多い。特に補償もないまま住宅補助が打ち切られ、帰るという選択もできない、自主避難者は放置されたままだ。避難地域解除にあたっての、政府の手厚い対応が必要とされるのに、「本人の責任と判断だ」と突き放す復興省の態度は、追及されて当然だろう。
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 ▼CNNをインチキニュース呼ばわり、就任式の参加者数、史上最大?
 アメリカの場合は主要メディアとトランプ政権が鋭く対立としていると伝えられている。就任直前の記者会見で発言を求めたCNNの記者に対して、トランプ大統領は「CNNはインチキニュースを流す、質問させない」と拒み通した。ロシアがトランプ大統領の弱みをにぎってアメリカ政治に介入してきた可能性があるとの報道が原因だった。
1月20日の就任式をめぐっては、メディアが「議事堂前に集まった市民の数は25~30万人、8年前オバマ前大統領の時の参加者180万人に比べるとかなり少ない」と報じたことに対し、トランプ陣営は、参加者数は最大だったと言い張り、ケリーアン・コンウエイ補佐官は、メディアが空撮映像を示して誤りをただしたのに対し、「われわれが主張するのは、もう一つの真実だ」と答えた。こうした態度が一連の「フェイクニュース」の元凶だといえる。
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 ▼批判的報道10社を締め出し
 制裁問題についてロシアの駐米大使と話し合ったことが明るみに出たマイケル・フリン補佐官が辞任した際も、大統領は一連のメディア報道を「フェイク(偽)」だと記者会見で述べた。メディアの側が「この情報は政権内部から漏れたものだ」と事実であることを主張したのに対し、大統領自身は「リークは事実だがニュースはフェイクだ」(2/16の大統領会見)と主張した。
 就任以来メディアとの確執は続いているが、ショーン・スパイサー報道官は10社をホワイトハウス会見から締め出した(2/24)。排除された社は、ニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズ、ニューヨーク・デイリーメール、英国デイリーメール、CNN、英国BBCニュース、ポリティコ、ザ・ヒル、バズフィード、ハフィントンポスト、いずれもトランプ政権に批判的メディアである。AP通信とタイム誌は抗議の意味を込めて出席を断った。
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 ▼「信頼できる」ニュース、NYタイムズ購読者急増
 1月8日、ゴールデングローブ賞授賞式でトランプ氏の言動を「差別的だ」として批判した女優メリル・ストリープは発言の最後を次のように締めくくった。
 「抗議の怒りがあるとき、信念を持ち、声を上げる報道機関が必要です。前に進むためには報道が必要だし、真実を守るために我々が必要なのです」。
 一部、トランプ大統領に迎合するメディアもあるが、CNNはもとより、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズ、CBSニュース、ABCニュースなど基幹メディアは、トランプ政権に鋭い批判の矢を放し続けている。
 そして市民はこの呼びかけに反応している。ニューヨーク・タイムズの購読者は選挙後1週間で4万部増、その前後3か月でウエブ有料購読が27万件増えた。ニューヨーク・タイムズは「信頼できるニュースを読者が求めている」と語っている。

 ▼ワシントン・ポスト、トランプ調査報道にピュリツァー賞
4月10日発表された今年のピュリツァー賞には、国内報道部門ではワシントン・ポスト紙のデービッド・ファレンソルド記者が受賞した。選挙期間中、一貫して共和党候補、トランプ氏への調査報道を徹底したことが評価された。ファレンソルド記者がとりわけ力を注いだのは、「トランプ財団」への献金が個人的に流用された事実を追跡することで、ツイッターで取材経過を公開しながら、幅広く情報提供を募るという手法も評価された。
 解説報道部門の受賞は「パナマ文書」の実態を明らかにした「国際調査報道ジャーナリスト連合ICIJ」に与えられた。
 調査報道を貫く姿勢によって、アメリカの基幹メディアが、読者、視聴者の信頼回復を成し遂げていることに注目したい。

2017.04.24 習近平はトランプの下請けに甘んじるのか ―正体が見えた「新しい大国関係」
新・管見中国(24)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 北朝鮮の太陽節(故金日成主席の生誕記念日・4月15日)に始まる1週間が無事に過ぎた。この間、世界はひょっとすると米がシリアに続いて、朝鮮半島でも武力を用いて北朝鮮の金正恩政権の打倒に踏み切るのではないか、と半ば真面目に心配し、緊張した日々を過ごした。
 15日当日は北朝鮮お得意の、というか、おなじみの軍事パレードが、特に招いたおよそ200人の外国メディア陣の前で繰り広げられ、新型の大陸間弾道弾(か、多分その模型)がお披露目された。
 そしてちょっと緊張したのが翌16日の早朝、北朝鮮が東部の新浦から弾道ミサイルを発射したという一報が流れた時であったが、これは発射直後に爆発してしまったために大騒ぎとはならずにすんだ。
 そしてこの日からアジア諸国歴訪を始めた米のペンス副大統領がまず韓国で、ついで日本で「北朝鮮の脅威」を強調し、米本国ではトランプ大統領が「戦略的忍耐は終わった」、「中国がやらなければ、米がやる」、「すべての選択肢はテーブルの上にある」・・・と、武力行使も辞せずの構えを繰り返して、緊張をあおった。
 一方の北朝鮮も相変わらず威勢よく、「どんな戦争でも、しかけられれば核戦争でも受けて立つ」、「これからも最高指導者の命令があれば、ミサイルも発射するし、核実験もする」と一歩も引かない姿勢をとり続けた。
 しかし、結局こともなく日は明け日は暮れて、今日に至っている。それはそうだろう。いくら北朝鮮のやれミサイルだ、やれ核実験だ、という騒ぎが目障りだとしても、そしてそれがだんだん本物の脅威に近づいてきたとしても、これまで直接、他国に損害を与えたわけではない。人1人殺したわけではない。相手がやってくれば反撃するというだけである。先にこちらから武力を使うわけにはいかない。
北朝鮮が騒ぐのはなんとかして米に自分を核保有国として認めさせ、それ相応の立場で米と国家関係を結びたいからである。だから自分の核を取り上げることを目的とする6か国協議などは真っ平ご免となる。この北朝鮮の言い分もまた天下周知のことである。経済力で韓国に大きく水をあけられた北朝鮮としては、なんとか韓国の頭越しに米との関係を構築して一矢報いたいという思いに凝り固まっているだろうことは、あの気位の高さから見れば容易に想像がつく。
とすれば、今回の「北の脅威」騒ぎもこれまでと同じパターンの繰り返しに終わるのだろうか。いやそうではない。私は新しい要素が加わったと考えている。そして、それはこれまでのパターンを変えることになるはずだ。
新しい要素とはなにか。それはほかでもない、中國が米の下請け業者になったことだ。今月6日と7日にフロリダで行われた米中首脳会談は事前に予測されたのとは随分違った形になったように見えた。事前には米の巨額の対中貿易赤字の解消策やら、南シナ海での中国の埋め立てによる基地建設とそれをけん制する米の「航行の自由作戦」などをめぐって、厄介な話し合いが行われると見られていた。トランプにとっても習近平にとっても、今度の首脳会談は容易ならぬものになるはずと私も考え、本欄にそれを書いた。
ところが実際には2日間で延べ7時間以上に及んだ首脳会談、しかもそのうち半分以上は両首脳のみによる会談であったというのに、中身となると双方の発表は何だかさっぱり要領をえないものだった。現にトランプは「なにも中身はなかった」とまで言った。確かに通商問題では「100日計画」を立てて、話し合いを始めることになったとはいうものの、何をどう話すかについては、双方の言い方はかみ合っていない。
そこで私は会談後、本欄で見通しの誤りをお詫びしたのだったが、結局、今回の会談の眼目は、「当面、北朝鮮は中国に任せる。米はそれを見守る。その間、両国間の懸案はひとまず休戦」という合意が成立したことだったのだ。4月20日の伊首相との会談後の会見でトランプは「中国は北朝鮮問題に懸命に取り組んでいる(trying very very hard)と確信している」と述べた。
米中会談前、トランプは「中国がやらない(北朝鮮を抑えない)なら米がやる」と繰り返していたから、習近平としては米に朝鮮半島で武力を使われては困る(難民の大量発生や戦後は半島全体が米の支配下に置かれる、など)ので、「自分がやる」と引き受けたものであろう。
それも多少なりとも北朝鮮の立場に配慮しての解決策を求めるというのではなく、米の言いなりになって「核を捨てろ」と北朝鮮に迫る立場に立つのである。中国による対朝制裁の強化(石炭輸入の全面停止など)にそれは現れているが、同時に北朝鮮に対する新聞の論調もここへ来てきわめて厳しいというより、上から指図するといったものになっている。
『人民日報』傘下の『環球時報』という新聞はかなり率直に中国の立場を打ち出す国際問題専門紙だが、4月18日には「朝鮮半島における中米協力の限界はどこか、重点はなにか?」という社説を掲げた。
この社説は、まず北朝鮮の核をめぐる状況は変化しつつあると指摘し、その最大のものは「中米の協力面が拡大しつつある」ことであり、中國は北朝鮮に対する制裁を強めることもためらわない、と言い切っている。変化の2つ目は米が「戦略的忍耐」を放棄したことであり、米の武力行使は口先の脅しではなさそうだとの中国の見方を述べて、北朝鮮の取る道は徹底抗戦か核放棄か、2つに1つだと迫っている。
さすがに、そうは言っても中国は米がピョンヤンの政権を倒すことまで支持するわけではないと付け加えているが、北朝鮮の核保有に反対することは中米両国の共通の利益であり、今はこの共通利益が突出しているのだとのべ、北朝鮮の核ミサイル保有計画がかつて朝鮮半島で戦った中米両国をパートナーに変えたのだと論じている。
最後に社説は、中国の制裁がいかに厳しくても「政治的悪意はない」(政権を倒そうというのではない)ところに、「北朝鮮の幸運と希望がある」はずだと諭して、だまって核を捨てろと迫っている。
この社説には、北朝鮮を独立国と認めるならば、当然払われるべき配慮がまったく見られない。支配者が従属者の誤りを叱責し、行いを改めさせようとする命令の口調である。そしてその口調は北朝鮮にだけ向けられたわけではない。翌19日の「半島情勢の緊張には韓国にも責任あり」と題する社説は、韓国に対しても、努力もせずに「北朝鮮の政権が倒れれば、韓国が半島を統一できる」、「中米は韓国による統一に協力すべきだ」などと考えるべきではないと、上から目線で釘を刺している。
つまり私の印象では、トランプ・習会談で「北朝鮮に核を捨てさせよう」、「中国がまず圧力を加える」と合意した結果、おかしなことだが中国はこの中米統一戦線の結成に大きな喜びを感じているとしか思えない。
中国はGDPの総量で米に次ぐ世界2位に上って以来、米に対して「新しい大国関係」を結んで、縄張りを決めようと繰り返し持ち掛けてきたが、オバマ政権には相手にされなかった。ところがトランプになったとたんに、北朝鮮つぶしでの協力を米に持ち掛けられ、舞い上がってしまったのではなかろうか。「新しい大国関係」とはこの程度のものであったのか、呆気にとられてしまう。
これに対して北朝鮮がどう出るかはまだ分からない。よもややぶれかぶれなどということはなかろうと思うが、こちらはこちらで何をするか安心できない相手だ。小さな朝鮮半島の上でトランプと習近平がダンスを踊る足元で何が起こるか、これからは今までとは違った新しい状況が始まるはずだが、その中身はまだ見えてこない。

2017.04.23 「本日休載」

今日 4月 23日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会


2017.04.22 飼育動物による人身事故
信州ツキノワグマ通信
Newsletter of Shinshu’s Black Bear, No.72, 2017.3.23

林 秀剛 (信州ツキノワグマ研究会)

 偶数年は大量出没? などとうわさされた昨年(2016)、旧牛舎に出没した最後のクマ。8月末日のことです。秋田の重大な人身事故などもあり、監視を続けたのですが、さほど頻繁には現れませんでした。出没情報は、住民の方にも逐次お知らせし、無事に一年を過ごすことができました。(撮影・文 : 林 秀剛)

 昨年夏ごろから、飼育動物による人身事故が多発している。<2016年8月16日>群馬県富岡市の群馬サファリで、巡回中の職員がクマに襲われ死亡、<10月15日>長野県安曇野市豊科で、男性が飼育しているクマにかまれ死亡。クマを檻に戻そうとした男性も軽傷を負う。そして、年を越し<2017年1月23日>千葉県成田市の動物プロダクションで、ライオンの身体を洗う作業中に襲われて、男女2人が重傷、<2月26日>長野県小諸市動物園では、檻の中でライオンに噛まれた飼育員が重傷。<3月13日>和歌山県白浜町のレジャー施設でゾウにより飼育員が死亡。被害者の多くは、ベテランの飼育員や飼育者。なぜ?と思う。慣れ過ぎての過失だろうか?それとも??

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 安曇野市の事故については、県の飼育許可はとっており、檻の安全性には問題ないと報じられた。クマ研にも問い合わせがあり、濱口さんが対応。クマの健康面の問題点などについてのコメントが放映に使われていたが、「きちんと検証しなくては・・・」という重要なセリフは無視。「マスコミ対応は難しいですね」が彼女の感想。
 飼育グマについては、「通信」No.24(2004年4月27日)にクマ研スタート時の経験についての記事を掲載した。その中の事例として挙げたクマを思い出した。 2004年12月、四賀村(現在は、松本市)のMさんの飼育許可申請に関連して、現場に立ち会った。前年(2003年)春、子グマを拾い、飼育を始めたが、大きくなり山に返そうと試みたが、懐きすぎて離れてくれない! ということで、県林務課に相談があり、飼育許可申請となった次第。檻の設置などを条件として、許可が出た。 

 今回の、人身事故多発で、13年振りに、四賀のクマ・ぺぺに会いに行ってきた。だいぶん道に迷ったが、何とかたどり着いた。飼い主のMさんにはお会いできなかったが、ぺぺには会えた。穏やかな顔をみて、可愛がられていると感じ一安心。体重は100㎏ほどありそうだが、肥満ではなく、健康そう。なにより、毛並みはよく、きれい。檻に近づいても、臭気は感じられず、非常に清潔。Mさんが一生懸命面倒を見ていることが感じられた。

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冬眠明けごろの子グマ(ペペではありません)。
たまらなく愛らしい!

 松本保健所にも寄り、最近の状況をうかがったところ、管内の飼育グマは、現在、ペペと安曇野市で人身事故を起こした2頭だけとのこと。担当者はこまめに巡回して、状況を把握している。詳細な資料で説明してくださった。人身事故の原因については現時点ではよくわからないとのこと。また、飼育に関する条例などについてもうかがったが、基本的にはペペの許可申請の時と変わっておらず、環境省告示の「特定飼養施設の構造及び規模に関する基準の細目」に従い、第一に危険防止、加えて、動物の福祉にも配慮することが必要とのこと。
 クマの場合、飼育のきっかけは、主に狩猟の際の母グマの捕殺と推定される。子グマは本当に愛らしいので、連れて帰ってしまうのだろうか。狩猟の重要性は重々評価しなくてはならないと思うが、母のいない子グマをつくりださない技術の完成を切望する。

2017.04.21 蛮族勇士著「特権階級の権力変化と権貴経済」を読む(下)
――八ヶ岳山麓から(219)――

阿部治平(もと高校教師)

第四世代の指導者
第四世代は胡錦涛と温家宝である。彼らは国家指導者としては極めて性能の劣るコンビであったが、権力相互牽制の原則は維持した。
胡錦濤は(徳目宣伝の)「八つの栄誉、八つの恥」と先進的教育をやった。これは「三つの代表」の政治的高さと比較すべくもなかった。だが、胡錦濤は経済方面にむやみに口を出さなかったし、中国を文革時代に戻そうともしなかった。
だが(鄧陳時代に中共総書記だった胡耀邦の)弁公室出身であった温家宝は、直面する財政・経済の複雑な局面にまったく対応できなかった。朱鎔基の改革によって中央政府は税収の70%を召し上げた。当時の貧困財政からはこうするのほかなかった。だが、これは臨時的措置であった。長期にわたって続けるわけにはいかなかった。続けるとしたらそれなりの配慮が必要だった。
たとえば地方政府に教育をやれの、医療保険をやれのといったが、地方はふところに一銭もないのだからどうすることもできなかった。カネのかかる教育と医療という仕事は、二つながら別のどこかがやるべきだった。
温総理は朱鎔基財政をやめるか、完全なものとするかという状況に直面していたが、これが理解できないものだから、いま思っても不可解な選択をした。なんにもしないことにしたのだ。
だが、歴史の法則は動き、「治乱循環」のスイッチは押された。高層に「力量を集中する」という臨時的性格をもった朱鎔基財政の措置は(以後も続けられたことによって)反作用をおこし、高層権貴の資源分配・争奪戦(すなわち国営資本の私物化)を引きおこした。
胡温時代の10年間を通して利益の区画が基本的に確定し、ほとんどすべての(国営の)産業分野があれこれ名のある高層権貴に分け与えられた。
ここで現在の高層派閥勢力を簡単に数えてみようか。
電力系・石油系・上海淅江系・民主同盟系・統一戦線系・共青団系・北京派・山西派・四川派・潮州汕頭派・客家派・五大軍系(陸・海・空・ロケット・戦略支援軍の5種?)等々。
利益は紛々錯綜し複雑であるが、それぞれの勢力はみな中共政治局常務委員クラスに同盟者をもっていて、それによってさらに巧妙に資源争奪をやった。2008年から胡温の第2任期がはじまると、権貴資本は猛烈に膨張しはじめ、民営企業の活力はじょじょに弱体化し(いわゆる「国進民退」)、この国は崖っぷちに向かって歩き始めた。

習近平の登場とその悪果
2013年、現代政治史上最大の事件が起きた。新型の支配者が登場したのだ。
当初、彼は大衆・知識人の希望であった。私のような懐疑派ですらこの人に期待を寄せたのだったが、しかしご存知の通り現実は容赦なく望みを裏切った。
国家の痼疾は何なのか、どこにそれはあるのか?
国民は基本的に無知である。自分の生活がだんだん苦しくなるのはわかっているから、誰もが改革をというのだが、どこをどう改革すればよいのかわからないのである。
鄧陳の改革は統制をやめることだった。鄧小平の超高度の政治的頭脳のもとで、また当時の高層長老たちの相互牽制の下で、それをやり遂げるのは難しくはなかった。
江朱の改革は当時の中小の権貴どもを抑えつけ、民間資本に生存空間を与えることだったが、同時に資源が高層へ過度に集中し、高層権貴資本の発育空間をもたらし、これが禍根を将来に残した。だから胡温のやるべき改革は、高層権貴から骨を奪って老百姓に与えることだったのに、何もやらなかったのだ!
とはいえ、こうした種類の改革は、はたして成功するものだろうか?中国の歴史上似た例としては王莽の改革がある。王莽は貴族から田地を奪い農民に与えようとしたが、失敗して汚名を着せられてしまった。ほかに高層権貴のチーズに手を触れるのに成功した例はまったくない。

ある個人の意図を探ろうとすれば、ことばではなくやったことを見ればよい。習政権は2013年の1年を通して何をやったか。財税(徴税)系統を強化した。これはほかでもなく国家資本強化の道である。
これと同時に世論に対する統制を未曽有の程度に高めた。ネット上の大V(高名な発言者)は、なんと反政府の代名詞となり、ときには身の危険を感じるようになった。これはさらに権力の集中を強化するものであった。
だが、最も危険な表れは改革領導小組と国家安全委員会という機構を二つ新設したことである。しかも習総書記が二つながらその頭を兼任するというのである。これは改革開放以来、前例を見ないふるまいだった。
鄧陳がつくった高層の相互牽制原則を一夜にしてぶち壊した。権力はすべて総書記一人の手に集中した。総理は名前だけ、いようがいまいがかまわない存在になった。
いま、国家の資源が加速的に高層権貴の手に集中し、民営資本が難行苦行する一方で、高層権貴は相互牽制のゲームの規則を捨て、赤裸々な権力争いを始めた。これが我々が直面している現実である。
1980年代、中小権貴が資源争いをやったが、高層にはゲームの規則を遵守するという最低ラインがあった。このため、若者たちが熱血を激発し世界を驚かせた(天安門事件を起した)にもかかわらず、最終的には危機を回避できたのである。だが、このたびは高層権貴らが直接資源の奪いあいをやり、規則の最低ラインをも放棄しているのである。いったい何ごとが生れるのか?

2013年、高層の(反腐敗名目の)権力闘争は激越となり、それ以前の30数年をはるかに越えるものとなった。西南系(いわゆる上海閥)は根こそぎにされ、石油系(周永康)は影も形もなくなり、前の軍機大臣(軍制服組最高位だった郭伯雄・徐才厚)は失脚し、ウワサではさきの「中堂大人(もと総理温家宝?)」は密かに逃亡をはかったという。
知識分子は文字の獄(言論弾圧)の脅しのもと、小さくなって押し黙り、高層人士もいまだ枕を高くして眠れない。だれも相手の出方がわからない。さあここで唯一打てるパイはなにか?――国際矛盾を挑発し国民の注意を国内問題からそらすことである。そこで東シナ海と南シナ海などで領海紛争をやり、天地がひっくり返る騒ぎを起した。
中学の歴史教科書しか勉強したことのない中国の若者は隣国をあざけって、今日はベトナムで血で血を洗う騒ぎをやれ、明日はフィリピンを爆破しろ、あさっては東京大虐殺をやれという。まるで現代中国が歴史以来、未曽有の最盛期にあり、天下に覇を唱え四夷来朝をあたりまえとするかのごとくである。
明日が見えない状況で権貴たちのゆきすぎた資源略奪によって、脆弱な実体経済は持ちこたえられなくなっている。なにしろ中国は通貨発行量世界最大の国家なのに、意外にも流動性危機が生じ、市場全体からカネがなくなったのだ。「銭荒」である。
権貴どもが略奪した資源は、山分けした分を除き過剰生産能力と地方債に投入せざるをえない。この領域には資金がたまるばかりで、利潤の創造が不可能だ。
匪賊が収入全部でダイヤモンドを買い、楽しんだのちにこれを売ろうにも、売ることができない。老百姓はカネを全部匪賊に取られているものだから買うに買えないのである。ダイヤを抱え込んでいては餓死するだけだが、匪賊には食いものを買うべきカネがないのだ。
とりもなおさずこれが我々が直面している「銭荒」の本質である。権貴が生きる方法はただ一つ、カネを奪いつづけることであり、これに対応して国家はカネを印刷しつづけるのである。
おかしなことに、この国家のカネの番人は、いてもいなくてもけっこうという地位にある総理大臣(李克強)である。彼はカネの増刷を拒絶すると公式に発言している。権力闘争がここまで来れば、生きるか死ぬかだ。となれば、国家が持ちこたえられるかどうかなどかまっていられない。

以上が私の政治観である。私はマクロ角度から改革開放以来の政治制度の変遷を書いてきた。この国家の原資は高度の政治的知恵のある高層権力の相互牽制メカニズムだったが、それは現今の権力によって徹底的に破壊された。ゲームの規則を破壊したのだから、その悪果は引受けなければならない。しかも結果はまもなく現れる。すくなくともこの2年以内に。
私の望みは天佑のみ。このような危機に直面して、わが愚昧の国民、自分がどこにいるのかわからない国民が一縷の望みを探すことができるか。かりにこの希望があるとしても、かすかすぎて私自身ですら信じられないのだ。(了)

2017.04.20 蛮族勇士著「特権階級の権力変化と権貴経済」を読む(上)
――八ヶ岳山麓から(218)――

阿部治平(もと高校教師)

中国のインターネット上に「蛮族勇士」を名乗り、習近平政権を鋭く批判する論評が現れて久しい。とりわけ2016年9月指導部の経済運営を痛烈に批判する投稿は反響を呼んだ。景気減速の深刻な実態を暴露し、中国は「不況の道」を歩んでいると主張する内容だった(産経2016・10・06西見記者)。
このほど私もネット上で、3月27日付の新しい論文、「特権階級の権力変化と権貴経済」」を見ることができた。おおまかには、鄧小平以後の歴代政権の特徴描写と、反腐敗に名を借りた権力闘争の原因と、それにたいする批判である。
中国共産党の綱領や決議の内容を中国現代史の「正史」とするならば、これは「野史」である。
論文には、歴代統治者への遠慮のない評価、議会制民主主義への一定の共鳴、にもかかわらず国民を文字通りバカ扱いする支配者としての視点があり、しかも国有資本の民営化、社会格差、農村と農業などに言及しない等々の特徴がある。これからして「蛮族勇士」は中国政府のシンクタンクあるいは政策立案の中枢にいる人物、いわば支配階級のなかの獅子身中の虫であろうと思う。
以下は、その私なりの要約である。
<文中の「権貴」とは「権力を持った高級官僚」、それに対する「老百姓」は「無権の庶民」のこと。( )内は補注、中見出しとともに阿部>

本文
はじめに

中国の経済は近年速やかに下降して、15%の成長率から10%を大きく割ってしまった。経済学博士(李克強)が総理になったが、鉄道貨物運搬量や電力消費量は見るに忍びない数値となり、国民にマクロ経済の深刻な実情を告げざるを得ないありさまだ。今や中国の経済は通貨を印刷して投資に回すほかなくなった。
この国家に希望はあるか。習近平は「中国の夢」を提唱するが、実現の見込みはあるのか。

革命領導第二世代
改革開放が1979年から始まったとき、その政治体制は多くの人が思っているのとは異なり一種の民主体制だった。当時どの勢力も国家権力の核心を掌握してはいなかった。鄧小平は(毛沢東、劉少奇らを革命第一世代とし)みずからを革命領導第二世代の「核心」と称した。だが、彼だって政策決定に参与できるだけで、執行権をまるごと持っていたわけではない。
当時は「八老治国」といわれたが、この「八」という数字はいいかげんで、国策制定の権力のある者は、実際には13人いた。あの当時、彼らははげしい論争をやったが、結局のところ、ある程度の放任政策をとるほか方法がなかった。白猫黒猫(という鄧小平のことばどおり)で、なにごともとことんまでは問わず、(評価は)猫すなわち市場に任せようということになったのだ。
当時、有象無象と国営副食品公司が公開競争をやった結果は、みごとに計画経済の秩序維持派に衝撃を与え、大騒ぎになった。調査処分とか、秩序維持とかが互いに牽制しあい、ことのけりはつかなかった。
改革開放初期は上層の多方面の力が互いに牽制しあった。それゆえ上層では、民主的投票によって政策を決める体制がとられた。まさにこうした高層の人々の相互牽制の基礎の上に、中国の民営経済は驚くべき活力を発揮し出した。圧倒的な勢力がないなか、それまでの統制を解放するのは非常に容易だった。(保守派にも)国有企業による計画経済をやるだけの力はなく、ただ老百姓がやりたい放題やることを見ているほかなかった。

人類社会には「治乱循環」という歴史法則がある。王朝の初期はだいたいにおいて各派閥の勢力は均衡し牽制しあい悪いことをやる力はない。この時期老百姓の生存空間は大きい。だから短い時間ではあるが泰平の時期がおとずれ、経済と文化が発展するのである。
だが時間の推移とともに権貴らは絶えず社会資源を略奪して勢力を強化し、しまいに邪悪な能力を獲得して老百姓を死地に追い込む。王朝の末期には社会は退歩し流民はあちこちに起り、王朝はくつがえされる。
中国でも世界でも歴史はみな「治乱循環」の法則を記述している。だが、西洋人は最終的に民主制度を発明した。権貴を籠の中に閉じ込めてすでに300年、この期間は問題が多く、また戦争も多かった。世界大戦を2回やり、60年近く経って、やっとのことでいま方向を探り当てた。権力牽制・政策決定制・財税制・貨幣発行制度、みなこの60年間に完全なものとなったのである。
いまも民主制度はあれこれ問題を抱えており、実際効率は低いし危機への対応はたいてい役立たずだ。だがさすがに天下大乱、死屍累々の王朝滅亡の惨状は絶対的に存在しなくなった。
中国はどうかといえば、我々はこの政権ができる前の30年間(すなわち文化大革命の終了まで)は、実にばかなことをやった。あの30年のことは多くを語る気持にはなれない。人間を人間扱いせず畜生として扱った。畜生がいくら死んだところでたいしたことはないとしていた。
30年後、8人の元老が政変をやって政権の座にのぼり、王朝をあらため「治乱循環」の道を開いた。この新王朝のはじめ、元老らは互いに相手方の肉体を(文革当時のように)めちゃめちゃに踏み潰して消滅させるわけにはゆかないので、バランスを取りあうほか、道はなかったのである。
当時の二大巨頭は鄧小平と陳雲だった。
鄧小平は強力な政治上の知恵を発揮した。計画経済の担い手である(保守派の)陳雲もこれに楯突くことはできなかった。彼らの間には、幾多の摩擦矛盾が生じたが、鄧小平は政治をやり、陳雲は経済をやるという暗黙の了解がうまれた。
改革開放の初期、二人とも何も経験がないものだから、社会資源は小権貴どもに恥ずべき手段で奪い去られた。いわゆる(公定価格と市場価格の)「価格双軌制」と「官倒爺」である(「倒爺」は悪質ブローカーのこと。ここでは官僚が公共の物資を公定価格で買い市場価格で売って利ザヤを稼いだことを指す)。
これが民衆の激しい怒りを呼んで1980年代末期には全国的動乱(いわゆる天安門事件)となった。傷口からはいまも血が流れている。
(これから左右両派の論争が起きたが)鄧小平は、二回も南方を巡って大衆を発動して世論の支持をかちとり、最終的に保守派勢力を制圧した。
鄧陳のご両所は、結局のところ90年代中期の平和をもたらした。同時に総書記が政治を決め、総理が経済を執行するという両者の相互牽制原理を確立した。
この原理の問題点は、一旦均衡が破られれば一勢力の絶対優勢がうまれ、社会資源の絶対的分配権をもつことである。これら資源を絶対的に支配する連中が十分な善意を持つことはありえないから、彼らが悪を選択したときは、必ず人民を食いものにするのである。

第三世代の指導者
(天安門事件後)江沢民と朱鎔基のコンビが登場した。この二人は完全に鄧陳政権の意志を継承した。江沢民は(はじめから貫禄がなかったので鄧小平によってわざわざ「核心」と呼ばれたが)ほとんど経済運営に関しては発言せず、「三つの代表」をやることに専念した(中国共産党という党は先進的生産力・先進的文化・人民の根本的利益の三つを 代表する、としたことを指す)。
「三つの代表」の核心は何か?それは階級闘争はもうやらない、先進生産力を代表する私企業主は入党でき、国家の指導者にもなれる、ということだ。これは今日見ても、破天荒な政治的観点であった。
朱総理は税制と国有企業の改革に大ナタをふるった。この時期の決断はむろん多くの問題を残したが、中国経済発展の黄金の10年間でもあった。朱総理は全力を尽くしてあの動乱(いわゆる天安門事件)後の苦境をくぐり抜けた。当時中国は国際的制裁を受けて対外貿易はほとんど断絶し、にっちもさっちもいかない状況だった。
その中で「分税制」をやって国税と地方税を分離し、税収の70%を中央に集中し、有限な資源を厳格に中央政府の手で統制するようにした。同時に金融を厳格にコントロールし、大量の国有企業を売却した。こうして金融事業と国有企業を食いものにして、利益をかすめ取る手段を小権貴らから奪ったのである。中国はかくしてみずからの力で経済の軟着陸を実現したと誇り高く宣言し、危機を脱出して21世紀に入ったのであった。
(続く)
2017.04.19 経済学の貧困と経済学者の劣化(5)
-混迷する公的累積債務の理解

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 『週刊現代』(4月8日号)は、ノーベル経済学賞受賞者スティグリッツの講演(経済財政諮問委員会)に言及し、「国の借金1000兆円はウソ」という記事を掲載している。この記事は無署名だが、ほぼ同文の記事が4月6日付け「ダイヤモンドオンライン」で、高橋洋一署名「報道されなかったスティグリッツ教授『日本への提言』の中身」として流されているから、『週刊現代』の記事は高橋氏が記したものか、『週刊現代』の編集者がまとめたものだろう。
 政府と同様に、日本の経済学界もアメリカに従属する属国主義の様相を呈しており、何事も、「アメリカの権威」のご意見を拝聴するのが常になっている。つい先般も、浜田内閣参与自らが「目から鱗」と絶賛する、ノーベル経済学賞受賞者シムズをアメリカから呼び、「赤字に拘泥することなく、大胆に財政拡大を進め、インフレ率を上げて累積債務を割引すべき」と主張させたばかりである。累積債務の存在を否定する「三文エコノミスト・評論家」たちとは違い、浜田参与もシムズも、巨額債務問題を認識して、債務の軽減策を提唱したのだが、わざわざアメリカからお金をかけて呼ぶほどのこともなく、昔から巨額な国家債務を劇的に処理する方法は、インフレの高進による実質削減か、徳政令による借金棒引きの二つの方法しかない。何もファーストクラスの航空券を用意し、高い講演料や滞在費を払って拝聴するほどの知見ではない。
 今回のスティグリッツ招聘は、トランプ政権の経済政策を聞くことが目的だったようだが、資料として配布された21ページにわたるスライド資料は、先進国が抱える一般的な問題を指摘し、彼が考える経済政策の大雑把な指針を示した箇条書きの文章で、招聘目的のテーマにまったく切り込んでいない。この招聘にどれだけ経費がかかったのか知る由もないが、小さくない公費を使って講演を依頼するなら、事前にもっと内容を詰める作業があってしかるべきではないか。そうでなければ、日本政府の招聘は、人気経済学者の観光旅行を兼ねた気楽で美味しい副業になってしまう。

スティグリッツの文言は見当違い
 ビジネスの世界では、スライドの文言はできるだけ短く、端的にアイディアを紹介するのが良いプレゼンとされる。しかし、学者のプレゼンをこんな形で済ませる訳にはいかない。提言の正当性を主張できる論理を明確に示さなければ説得力はなく、たんに無責任なアイディアの列挙に終わってしまう。
 スティグリッツの講演スライドの15ページ目は、「債務と税のジレンマの解消」と題されており、添付のような数行のアイディアが羅列されているだけだ(経済財政諮問委員会事務局の日本語訳)。『週刊現代』の記事は、「政府(日銀)が保有する政府債務を無効にする。粗政府債務は瞬時に減少」という部分に注目し、これを「政府と日銀の貸借勘定を統合すれば、政府債務が消える」と拡大解釈し、1000兆円の国の借金が雲散霧消するかのように主張している。この解釈は、「マネーポストWEB」(小学館)で、森永卓郎があたかも「大発見」であるかのように提唱したのと同じである。

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わずか2行の文言だけで、スティグリッツの「提言」を論評するのは不可能だ。「将軍様」の片々隻語、一挙手一投足に反応するかのように、「深く忖度する」必要がどこにあるのだろうか。逆に、この2行を指して、「報道されなかった提言」と大騒ぎする意図の方が興味深い。
スライド全体のスタイルや文言を見ても、スティグリッツがこのプレゼンの準備に力を注いだとは思えない。かなり雑駁なプレゼンである。一つ一つのアイディアをきちんと説明しておらず、日本の累積債務問題をどれほど理解しているのか怪しい。あまり深く考えることなく、単純に政府セクターと日銀の貸借が相殺されると考えたのだとしたら、それは軽率で誤った理解である。森永卓郎の「発見」がスティグリッツのレベルに匹敵するノーベル賞級の「発見」なのではなく、実物経済、金融経済、政府セクターの関係を十分に考慮することなく発した、不用意な初歩的誤解にすぎないだけのことだ。
スティグリッツは永久国債についても言及しており、政府債務の塩漬けを提唱しているから、「政府債務無効化」をどれほど突き詰めて検討したのかきわめて怪しい。政府セクターと中央銀行の勘定を統合すれば、日銀保有分の政府債務が消えるのではないかと「瞬時に」思いついただけなら、ノーベル賞受賞経済学者としてお粗末と言わざるを得ない。もっとも、科学とは言えない経済学の世界ではこの種の見当違いはよくあることだが。
 この点にかんする限り、浜田内閣参与は、経済学の古典の理解にもとづき、「公的債務は国民の債権のように見えるが、究極的に国民の債務である」と認識しているのは、真っ当である。シムズも、国民経済計算の帳簿操作で国の債務が消滅するなどとは考えていない。民主的な言動で知られるスティグリッツだが、森永卓郎や高橋洋一と同程度の理解で債務問題を考えているとしたら、何とも残念なことだ。

政府セクターと日銀の勘定統合で債務は消滅するか
 政府セクターと日銀の勘定を統合すると簡単に言うが、日銀保有の国債は市場を経由して購入しているのだから、現実問題として、償還による債務の返済でない限り、日銀は債務超過に陥る。高橋洋一の頭脳の中で統合されるだけなら実害はないが、実際に「統合」なるものを実行しようとすれば、危機的な状況が生まれる。なぜなら、「政府の債務だけが消滅する統合」の意味するところは、徳政令による日銀保有国債の無価値化だからである。政府が「日銀保有分の国債をチャラにします」と宣言すれば、政府の債務が帳消しになる。その代わりに、日銀は資産を失い債務超過になる。国債購入に際して、日銀の負債(債務)である通貨を市場に供給しているからである。
頭の中で政府と日銀の貸借勘定を統合するのは簡単だが、それが意味するところは、日銀保有国債の償還放棄=徳政令の実行にほかならない。こうなれば、日銀は中央銀行としての信用を失い、国債市場が崩壊して政府の資金調達は不可能になり、円は暴落の一途を辿る。政府債務の一部の帳消しであっても、日銀は中央銀行としての信用を失い、他方で政府は財政ファイナンスができなくなり、財政崩壊の危機に直面するだろう。こういう結末をもたらす無責任な政策を得意げに語る「エコノミスト」が各種マスメディアに登場し、為政者もそれを信じようとしている状況は異常である。
 ちょっと考えてみただけも簡単にわかることだ。二つの会社(機関)の統合によって、一方の当事者の債務を消滅させても、その分だけ他方の当事者の資産が減ずるだけで、債務だけが空気の中に消えてなくなることはない。「資産を保全し、債務だけを消滅させる」手品ができるのなら、東芝だって苦労しない。主力銀行とグループを形成して貸借勘定を連結すれば、東芝の債務を消すことはできるが、主力銀行は債務に匹敵する資産額を減らすだけのことである。「統合すれば、資産はすべて保全され、債務だけが風のように消え去ってしまう」ことなどありえない。
 政府の累積債務1000兆円は、「税の前借りとして、すでに国と国民が1000兆円を費消してしまった」ことを意味している。だから、これは政府がきちんと帳簿に書き込み、だれがどのようにこの債務を負担していくのかを明確にしなければならない。帳簿をいじって、「なかったことにする」ことも、「減額する」こともできない。いかに帳簿をいじくり回そうが、「すでに消費してしまった」ものを、「消費しなかった」かのように取り繕うことはできない。それができると考えるのは自由だが、それを実行に移せば日本経済にとてつもない破滅をもたらす破壊行為になるだけだ。北朝鮮のミサイル発射レベルと大差ない幼児的発想である。
「政府と日銀は親会社と子会社の関係だから、貸借勘定を連結すれば、債務はなくなるよね」なとど馬鹿なことを言う宰相も、ロケットの火遊びをする「将軍様」も、知性のレベルに大差ない。