2019.02.21  ■短信■
3・1ビキニ記念のつどい2019
関連ドキュメンタリー映画の特別上映会 

3月1日はビキニデー。1954年3月1日に太平洋のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で静岡県焼津港所属のマグロ漁船・第五福竜丸の乗組員と周辺の島々の住民が被ばくしたビキニ被災事件を忘れないために設けられた記念日です。第五福竜丸を展示している都立展示館(東京・夢の島)を管理している公益財団法人第五福竜丸平和協会は毎年、この日の前後に記念のつどいを行ってきましたが、今年はビキニ被災事件から65年に当たるため、事件に関連するドキュメンタリー映画の特別上映会を開きます。

日時:3月2日(土)10時~20時

会場:シネマハウス大塚(東京都豊島区巣鴨4―7―4―101。都立文教高校正門前。JR山手線大塚駅北口から徒歩7分)
 
上映スケジュール(入れ替え制):10時30分「西から昇った太陽」(キース・レイミンク監督 2018 日本初公開) 13時30分「死の灰/荒海に生きる」 15時30分「わたしの、終わらない旅」(坂田雅子監督 2014) 18時「西から昇った太陽」
 
料金:1回1000円(当日1500円)、大学生以下500円(当日700円)、通し券2500円

主催/チケット予約:公益財団法人第五福竜丸平和協会
         (電話:03-3521-8494、FAX03-3521-2900) 
  (岩)
2019.02.20  3.1独立運動に寄せて

          韓国通信NO590

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 3.1独立運動が今年100周年を迎える。
 韓国では祝日のこの日、政府主催の式典をはじめ、各地で多彩な催しが開かれる。国を挙げて苦難の歴史を振り返り、独立の尊さを確認する。町中には太極旗(国旗)がはためくだろう。
 作家の小田実さんが新聞のコラムで、「3.1ビキニデー(1954年〈(昭和29〉第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験による死の灰を浴びた日を記念して設けられた原水爆禁止運動の日)」は知っていても、朝鮮の独立運動3.1を知る日本人は少ない」と嘆いたことを思いだす。歴史を知らなすぎる日本人に対する苦言だった。
 侵略の歴史を学ぶことを「自虐的」と斥け、歴史に向かい合おうとする韓国の人たちを、「過去にこだわり過ぎ」と一笑に付す最近のわが国を小田さんはどう思うだろうか。日本全体が、過去も未来もなく、ただ浮遊している感じがする。日本は一体何処に行くのか。

<3.1運動から学ぶ>
 韓国では子どもたちに3.1運動の精神を受け継がせるプログラムが展開中だという(李在禎京畿道教育監インタビュー朝日新聞2/11デジタル版)。若者に歴史を教える韓国と軽視する日本。

 日本の苛酷な統治に抗して、1919年3月1日、ソウルのパゴダ公園(現タプコル公園)で独立宣言が発表されると、民衆は町に繰り出し「独立万歳」を叫び、またたく間に朝鮮全土に運動が広がった。官憲と軍隊の弾圧は苛烈を極め、全国217カ所で200万人が参加、7,509人が殺され、多数の負傷者と逮捕者は46,303人にのぼった(それ以上だったという説もある)。
3.1独立運動に寄せて
<写真/パゴダ公園の銅板をもとに作成された3.1運動 100周年ポスター>
 発生当時、日本の新聞は一斉に「暴動」、「擾乱」と報じ、ほとんどの国民もそれに同調した。植民地の「反乱」としか考えなかった。
 しかし独立運動に同情、支持する声がなかったわけではない。
 「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」と詠み、日韓併合を批判した石川啄木は、すでにこの世の人ではなかった。柳宗悦が「日本の恥辱」、「悲しくもまだ今の日本は、自ら正義の日本であると言い切れない」(「朝鮮の友に送る書」1920)と運動を擁護したのをはじめ、吉野作造、宮崎滔天らも独立運動を支持したが少数だった。
 100年経った現在も、私たちは独立運動を「暴動」とみなした気分を引きずっているような気がする。そうでなければ、日本政府の要人たちが軽々しく北朝鮮、韓国に向かって、「信頼できない」「嘘つき」などという言葉を投げかけるのか理解できない。
前号に続き、今回は尹東柱 (ユン・ドンジュ)を紹介する。
 韓国でも、そして日本でも尹東柱ほどよく知られる詩人はいない。韓国人は詩が好きな民族だ。理由はよくわからないが、詩をよく読み、詩を書く人も実に多い。自分の詩集をプレゼントされたことも再三だ。映画やドラマでも有名な詩の一節が使われることが多い。彼らは「言葉の力」を信じ、詩の世界に生きているように見えることがある。詩と詩人を3.1民族独立運動の中心にして、民族のアイデンティティーを確認しようとする動きはとても韓国らしい。

 尹東柱についてソウル市教育庁のホームページは次のように紹介している。
3.1独立運動に寄せて
 <紹介>尹東柱は植民地の陰鬱な現実のなかで、民族への愛と独立への渇望を切実に歌った詩人だ。日本の統治下に生れ、日本に留学中に創氏改名を行い、勉学を続けている自分を恥じていた。「たやすく書かれた詩」と「星を数える夜」という詩を読めば彼の気持ちがよく理解できる。
 東柱は日本留学中に抗日運動に参加したという理由で逮捕され、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死した。 主要作品 『序詩』

 尹東柱が在学した立教大学と同志社大学では追悼行事が行われている。治安維持法違反により懲役二年の判決。刑務所で亡くなった死因について拷問死、他殺説もある。(筆者追記)

     序詞    尹東柱  伊吹郷 訳
 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱(はじ)なきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ。
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。

 今宵も星が風に吹き晒される。

 詩人の茨木のり子さんは、この詩の魅力について次のように述べている。
 「二十代でなければ絶対に書けないその清冽な詩風は、若者を捉えるに十分な内容を持っている。長生きするほど恥多き人生となり、こんな風には書けなくなってくる。詩人には夭逝の特権というべきものがあって、若さや純潔をそのまま凍結してしまったような清らかさは、後世の読者をも惹きつけずにはおかないし、ひらけば常に水仙のようないい匂いが香り立つ」。
 しかし夭折ではなかった。獄中で得体のしれない注射を連日打たれ、亡くなる間際、母国語で何事かを大きく叫んで息絶えた。最後まで母国語で詩を書き続けたとも記している。
 尹東柱は、類まれな抒情詩人であるともに、民族詩人、抵抗の詩人だった。日本の敗戦直前、27才で短い生涯を終えた。この詩をそらんじる韓国人は多い。
2019.02.19   カラマツ林の陰の小さなトタン葺きの小屋にいて
          ――八ヶ岳山麓から(276)――

阿部治平 (もと高校教師)

私は、人との付き合いが少ない暮らしだが、ノウサギとキツネとシカとリスとは顔なじみだ。野生の動物を見かけると「よう」と声をかけることにしている。
とりわけ冬が来て雪が降ると、彼らの活動の様子がわかる。すべては足跡である。ただし、リスは木の上の巣にいて、たまに木から降りてくるだけだが、これがどういうわけか道路をしばしば横切る。寒い朝の散歩の途中、飼犬がこれを見つけると理性を失って暴れまわる。
キツネとはこの冬まだ1回しか対面していない。餌が少ないのか、痩せてしっぽばかりが長い。やつは「コノヤロー」といった感じで斜に構えて私の方をじっと見ている。上品な感じもある。30mほどに近づくとさっと藪に隠れる。ノウサギとシカは足跡ばかりで、この冬はまだお目にかかっていない。

犬の散歩の帰りに思いついて、けもの穴を見に行った。6、7年前キノコを採っているとき見つけたのだが、小高い尾根にアナグマのものとおぼしき穴がまとまって4ヶ所ある。
私の集落には八ヶ岳の雪や雨の伏流水がにじみ出ているところがある。この湿地を「アーラ」という。不動産屋がそれといわないから「アーラ」に別荘を建ててしまい、あとであわてる人も多い。野生動物とはいえアナグマもキツネも「アーラ」を避けて穴を掘る。実にたいしたものである。
今回行ってみると、発見した当時に比べたら掘りだした土がびっくりするほど大きな盛土になっている。このぶんだともう何代も住んでいるらしい。盛土の上にうっすら雪が積っている。雪の上にキツネ特有の直線に並んだ足跡がある。もしアナグマの巣ならば、彼ら一家は穴の深いところで冬眠中である。ところが足跡がキツネだから、キツネは様子を見にお立ち寄りになったのか。あるいは家主のアナグマは引越しをして、キツネが間借りしているのかもしれない。いずれ春が来ればアナグマにお目にかかることになろう。

毎朝3時か4時に起きる。ストーブをつける。4時半にはかすかな車の音がする。信濃毎日新聞である。耳が遠くなって久しいが、これだけは気が付く。新聞をもってトイレに行く。
去年汲取り式トイレに「尻洗い装置」をつけた。
来客の何人かが、「治平小屋は景色も水も空気もきれいだが、トイレが問題だ」と苦情をいったためである。私はそれまで尻を拭いた後、なお風呂場で洗っていた。これはインド・ヒマラヤ遠征のとき、山岳ガイドから学んだ習慣である。だから「尻洗い装置」はもっぱら客のためだったが、使ってみるとはなはだいい気持である。そのたびこれを工夫発明した人は偉大だと感じる。
ところで私は、自分はもちろん男の客にはおしっこはカラマツ林でやるよう求めている。それでも2000ℓの容量がある便槽に1年に1800ℓほどたまり、1回2万円ほどの汲取り料が必要だった。装置を設置してからは、実に半年に1回業者に頼まなくてはならない。お客は節水に努めてもらいたい。

集落の新年会では、私が「尻洗い装置」をつけたといったのがきっかけで、いっときトイレ談議で盛り上がった。今だれもがトイレットペーパーを使うが、それ以前は何で拭いたかという話になった。年配の人がすぐ新聞紙や雑誌だったといったが、中年以下の人はこんなことも知らないらしかった。
「それ以前は……?」
「わら縄だ」という人がいた。私が、「この村では縄はもったいないから使わなかった。手ごろな長さに切った稲わらで尻を弾いたものだ。野グソはフキの葉っぱだった」と話したら、どういうわけかみなどっと笑った。


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2019.02.18  3.1独立運動から100年
          韓国通信NO589

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 祖国を取り戻すために生涯を捧げた抵抗詩人たちを紹介する。
 詩人の名前は李相和(1901~1943)、李陸史(1904~1944)、尹東柱(1917~1945)、韓龍雲(1879~1944)。
 植民地にされた経験のない日本人は、自分たちの戦中・戦後の苦労を語ることがあっても、植民地支配で苦しんだ隣国の人たちについてあまり知らない。
3.1独立運動から100年
 韓国では独立運動100年を契機に、歴史から学ぼうとする機運が高まっている。以下はソウル市教育庁のホームページで紹介されている詩人たちの群像である。私たちは詩という視点から3.1独立運動を知ることができる。今回は李相和(イ・サンファ)を紹介する。
               ◇
 ソウル市教育庁のホームページには、こう書かれている。

 1919年3月1日
 この日は日本帝国の統治からの独立を求めて韓民族が立ち上がった日です。3.1運動は私たちの独立への思いを世界中に伝えることになりました。この歴史的な日が今年100年を迎えることになったのを記念して、日本の植民地支配と敢然と闘った抵抗詩人の詩を読み、当時の精神を学んでください。

李相和(イ・サンファ)
<紹介>李相和は植民地時代、悲嘆にくれた民族の心を詩の言葉で紡ぎ、韓国現代詩の里程標を確立したと評価される民族詩人である。李相和は18才の時、故郷の大邱で3.1運動学生蜂起を企てたが失敗。その後も独立運動にかかわり、逃亡、逮捕を繰り返しながら詩作を続けた。彼の作品は個人の尊厳、社会改革、日本に対する抵抗に向けられ、多くの文学作品を残した。<奪われた野にも春は来るのか>(1926)は日本に対する抵抗と祖国愛を切実かつ素朴な感情で歌いあげた代表的な抵抗詩である。
                  ◇
 原発事故直後から福島県南相馬を撮影し続けた写真家鄭周河さんの写真展のタイトルは<奪われた野にも春は来るのか>にちなんだものだ。国を奪われた朝鮮人の悲しみが福島の人たちの悲しみと同じだと気づかせてくれた。一昨年、大邱を訪れ保存されている居宅を見学。李相和が韓国で最も尊敬されている詩人のひとりであることを知った。
 今回、初めて訳詩に挑戦した。意味を理解することと、詩のリズムをどう表現するかに苦労した。

詩 奪われた野にも春は来るのか (李相和)   訳 小原 紘

今は 他人の土地 奪われた 野にも 春は 来るのか
俺は 全身に 日射しを 浴びて
青い空 緑の野が 交わる 所へと
あぜ道にそって 夢の中を 行くように ひたすら 歩く

何も語らない 空よ 野よ
俺は ひとりで 来たような 気がしないのだが!
お前が 連れて来たのか 誰が 呼び寄せたのか もどかしい 答えてくれないか

風が 俺の耳元で 囁き
土地に 足跡など残すなと  俺の袖を引き
ひばりが 垣根の向こうで 乙女のように 雲に 隠れて 鳴く

よくぞ 育ってくれた 麦たちよ
昨晩遅く 降った 慈雨で
お前は 麻束のような 穂頭(ほがしら)を 洗ったのだね 俺の頭も すっきりだ

ひとりでも 身も軽く 歩いて行こう
乾いた農地をめぐる やさしい 水路よ
乳飲み子をあやす歌を 歌い 俺ひとり 肩を揺らせて 踊って行く

蝶よ ツバメよ 急(せ)かさないで おくれ
ケイトウやヒルガオに 挨拶を せにゃならぬ
ヒマシ油を 髪につけた 乙女たちが 丹精込めて 草取りをした 田畑も 全部見たい

俺の手に 草取り鎌を 握らせてくれ
ふくよかな 乳房のような 柔らかい この土を
足首が痛くなるほど  踏んでみたい 気持ちのいい汗も 流してみたい
川岸に遊ぶ 子供のように
息つく間もなく 限りなく 駆け巡る 俺の 魂よ
何を 求め 何処に行くのか  笑わせるよ 教えてほしい

俺は 体中を 草の匂いをさせて
緑の笑いと 緑の悲しみが 一塊となった中を
足を ひきずり ひねもす歩く  たぶん 春の神が取り憑(つ)いたようだ

しかし 今は 野は奪われ 春さえも 奪われそうだ
2019.02.17 「本日休載」
 
今日2月17日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2019.02.16  ■短信■
ピースデポ講演会
変わる朝鮮半島!日本の平和運動を問う

朝鮮半島の非核化と平和構築に向けて歴史的変化が起きている。この千載一遇の機会を活かすためには、日米韓の市民社会が果たす役割が重要である。こうした問題意識の下で、気鋭のジャーナリストの講演を軸に、今日の情勢における日本の平和運動のあり方について考える。

日時:2月17日(日)14時~16時(開場 13時30分)

会場:川崎市平和館屋内広場(川崎市中原区木月住吉町33-1。東急東横線・JR南武線、JR横須賀線の武蔵小杉駅から徒歩10分)

講師:太田昌克氏(ジャーナリスト、共同通信社編集委員〈論説委員兼務〉、早稲田大学客員教授、長崎大学客員教授。ボーン・上田記念国際記者賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞)

資料代:500円(事前申し込み不要。どなたでも参加できます)

主催:NPO法人ピースデポ(平和資料協同組合)
℡:045-563-5101 E-mail:office@peacedepot.org
                            (岩)
2019.02.15  タリバンで最も尊敬されているムラー・バラダールが対米和平交渉の首席に
          ラシッド記者が内戦解決への期待を込めて米紙に寄稿

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 反政府武装勢力タリバンと、政府軍・米軍(現在約1万4千人)の戦闘が続くアフガニスタン内戦が、和平に進展する見込みが大きくなってきた。国際的な責任、条約、協定を一方的に破棄して、目先の自国利益を主張し続ける米トランプ政権は、現在アフガニスタンに駐留し、アフガン国土の4割以上を事実上支配しているタリバンと戦い続ける全米軍の早期撤退を表明しており、カタールの首都ドーハで、タリバンと交渉を開始している。1月29日には、米特使のカリルザード交渉代表の中間報告をアフガニスタンの米大使館が発表、全米軍の撤退、タリバン側はアフガニスタンにIS(イスラム国)や旧アルカイダ系のテロ組織の存在を許さない、などで合意したことを明らかにした。
 しかし、米軍撤退と停戦実施の時期やガニ大統領、アフガニスタン政府との協議の進め方はじめ、アフガニスタンの和平を確かに実現するためには、タリバンと米国が取り決めなければならないことは多い。その今、タリバンが、和平交渉に積極的で、タリバン内部で最も尊敬されているムラー・バラダール(ムラーはイスラム教の指導者の敬称)をカタールでの対米和平交渉の首席として派遣することを発表した。タリバンの交渉への熱意を示している。
 一方の米国の交渉団代表は、アフガン内戦には当初から関わっている、アフガニスタン生まれのカリルザード元国連大使で、この上ないアフガン通。バラダールの参加で、カタールでの米・タリバン交渉は、双方とも、最適な顔ぶれになり、交渉の実質的な進展の体制が整うといえるだろう。
 本欄で何回も紹介したが、アフガン紛争の国際的報道を、1994年のタリバン登場以来、現地と隣接のパキスタンから続けてきたジャーナリスト、アハメド・ラシッド。最近では、ニューヨーク・タイムズ(2019 JAN 28)にムラー・バラダール登場への期待を詳しく書いている。ご本人が、同紙への寄稿全文を転送してくれたので、以下邦訳して紹介しよう――

(ニューヨーク・タイムズ 2019.1.29)
タリバンの間で最も尊敬されている人物。彼はアフガン戦争を終らせられるか
ムラー・バラダールが米国との和平交渉に加わる

アハメド・ラシッド(ラホール・パキスタン)
 タリバンは1月31日、ムラー・アブドル・ガニ・バラダールを、カタールで行われている米国との和平交渉の首席に任命した。彼は、1993年、ムラー・モハンマド・オマルとともにタリバン運動を創始した人。
 バラダールは、タリバンの最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダに次ぐナンバー2の指導者。ドーハでの米国の和平交渉代表ザルマイ・ハリルザード元国連大使らとの和平交渉に参加するため、間もなくドーハに向かうとみられる。
 バダラールはタリバン・メンバーたちから、カリスマ的な軍事指導者として、またイスラム信仰の深い人物として敬われてきた。さらには1990年代半ばのアフガンの内戦と軍閥支配を終らせたタリバン運動の起源を、今なお堅持する指導者として、尊敬されている。
 彼はまた、戦争の無益さと浪費を経験した最初のタリバン運動幹部で、2009年にアフガン政府のハミッド・カルザイ大統領、間接的には米軍やNATO軍と秘密会談を行った。しかし、当時はタリバンの支援者だったパキスタンが2010年2月、カラチでバラダールを逮捕し、09年以来の交渉を終らせ、交渉者を暴露した。彼の逮捕によって、パキスタン政府はタリバンとアフガニスタン政府に対して、パキスタンのアフガン政策に反する政治的行動を行わないよう、無慈悲なメッセージを送ったのである。バラダールの逮捕はカブールとイスラマバードの間に激しい敵意を生み、バラダールを創設者の一人として敬うタリバンのパキスタンに対する憎しみが深まった。

 米国とカタールからの圧力を受け、パキスタンは、8年半にわたる拘束後の昨年10月、バラダールを釈放した。彼は医療のため、パキスタンにとどまり続けた。以後、バラダールはタリバンのパキスタンとの交渉役の主役となったが、それはパキスタンの和平交渉への姿勢、和平を求めるタリバン指導部へのパキスタン軍部の反感が明らかに変化したことを示している、との希望を生んだ。
 パキスタンはこの地域で孤立していた。アフガン戦争を終らせることを望んでいなかったからだ。さらに、パキスタンの聖戦主義グループが野合しているパキスタン・タリバン(訳注:アフガニスタンのタリバンとは別組織)が、パキスタン内で目標をテロ攻撃し、アフガニスタン領内に逃げ込む行動が、イスラマバード(注:パキスタンの首都)の政策を変化させた。現在進行中の米国とタリバンの交渉では、タリバンはアフガニスタン領内に国外からテロ・グループが逃げ込む安全な場所を、決して許さないことが、明確に合意されている。
 イスラマバードの西側外交筋は、パキスタン軍が米国のカリルザード交渉代表を妨げるどころか支援していると評価している。和平交渉へのパキスタンの支持が、この地域にどのような戦略的な変化をもたらすものかどうかは、即断できないが、パキスタン軍部はカシミールをめぐる領土紛争の解決に向け、協議を再開することを、インド軍部、民間指導者たちと合意している。
 カリルザード代表への支持とは別に、タリバン内でのバラダールへの支持が、平和へのチャンスを強めている。私は1990年代の遅く、タリバンがカブールを支配したのちにバラダールと会う機会があった。彼はアフガニスタン・ヘラート州の知事で、タリバン政権が崩壊した2001年には国防省次官だった。
 バラダールは社会的問題には穏健で、西側諸国と近隣諸国との友好関係維持を主張した。しかし、タリバン内でオサマ・ビンラディンの影響が強いタカ派が、西側の援助機関に退去を強要した。アフガニスタンが厳しい飢饉と経済危機になったとき、バラダールはアフガニスタンが孤立し、すべての援助が打ち切られることに反対した。彼は自分の国が西側からの財政的援助に依存していることを認識していた。
 彼は1996年、最高指導者ムラー・オマルがビンラディンに聖域を与えることに反対したが、カブールのタリバン政権崩壊後、カンダハルに拠点を構えたオマルの側近であり続けた。
 タリバンのすべてに忠誠だった彼の歴史によって、バラダールが平和へのステップを進めるときには、タリバン指導部の誰も反対できないだろう。
2019.02.14  ■短信■
「日本近・現代秀作短編劇一〇〇本シリーズ」上演の完結迫る

演出家の川和孝(かわわ・たかし)氏が、1994年に始めた「日本近・現代秀作短編劇一〇〇本シリーズ」(「名作劇場」)の上演が、残り4作となった。この3月にあと2回目を迎える。100本シリーズは明治以来の短編新劇を、ベテラン・若手の演技者が年2回計4作づつ上演してきたもので、全作を川和氏が演出している。

既往の96作は、近代日本を代表する劇作家、小説家の作品群であり、新たに発掘された知られざる作品も含めて、各作品が時代を反映しており観客に様々な感慨をもたらす。

今回の上演概要は次の通りである。
    ■日 時 2019年3月12日(火)~16日(土)
    ■会 場 東京・両国シアターX(カイ)
    ■作 品 N0.97 作間謙二郎『犬を食ってはならない』
           N0.98 山田 時子『良縁』
    ■チケットなどの問い合わせは「オフィス樹 Tel&Fax0276-75-6878」へ。
    ■シアターX(カイ)のサイトに「日本近・現代秀作短編劇一〇〇本シリーズ」の詳細
      が掲出されている。http://www.theaterx.jp/19/190312-190316t.php        (半)
2019.02.13  日本でも社会的連帯経済の実践を
          破たんした新自由主義に対抗して

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 日曜日の2月3日、東京の明治大学駿河台キャンパスの教室の席を埋めた50 人ほどの集会があった。昨年10月1日から3日までスペインのビルバオ市で開かれた、GSEF(グローバル社会的連帯経済フォーラム)主催のビルバオ大会に日本から参加した人たちによる報告会だった。大会は「社会的連帯経済」を世界的に推進しようという狙いで開かれたものだが、「社会的連帯経済」という言葉は日本ではまだなじみが薄い。関係者によれば、それには、今や世界的に行き詰まった資本主義経済を変革しようという壮大な狙いが込められているという。

 報告会を主催したのは、社会的連帯経済の意義を広く伝えようと活動している「ソウル宣言の会」。その代表の若森資朗氏(元パルシステム生活協同組合連合会理事長)は同会が編集した冊子『「社会的経済」って何?』(社会評論社)の中で、こう述べている。
 「1991年ソ連の崩壊により米ソ2大国を盟主とする東西冷戦が終焉し、その結果世界の警察権力を自認するに至った米国の経済力と軍事力を背景とした力の政治による他国をまきこんだ、暴力をも厭わない地域紛争への介入が常態化しています。そしてそのことと一体化した新自由主義を標榜するグローバル企業が、なりふり構わず利潤追求に血眼になり、倫理感を欠いた振る舞いで世界を闊歩していることに、現状批判の原因を求めることができます。その結果、世界中の至る所で貧富の差が拡大し、一握りの富裕層が富を独占し、貧困層が増加し、中間層にあってはいつ下層に転落するがわからない不安にかられ、そのことが排外主義や差別(ヘイトスピーチやレイシズム)の増加につながっているともいえます」
 「一方、資本のグルーバル化に対抗する、市民側からのグローバルな連携・連帯の実践も動き出しました。2013年ソウル市において、世界から8つの地方自治体、10の団体、そして個人の参加による『グローバル社会的連帯経済フォーラム』が開催されました。そこにおいて社会的連帯経済の定着と発展に取り組む『ソウル宣言』が採択されました。それは市民の参画と決定による、利潤追求を目的としない生活者ニーズを満たす財やサービスの提供、それはコミュニティーを大切にし、金銭価値に置き換えられない価値を大切にする提案です」

 社会的連帯経済の定着と発展を目指す運動が起こってきたことは理解できる。が、社会的連帯経済とは何なのか、具体的なイメージがわき上がってこない。そう感じて、さらに冊子を読み進むと、ソウル宣言の会事務局員の牧梶郎氏の記述に出合った。そこには、こうあった。
 「営利を目的とせずに、相互扶助や協働をベースとし、人間の関係性や自然との共生を大事にして行われる経済活動一般です。各種の協同組合や共済組合および信用組合、社会的企業、障がい者やその他少数弱者の支援事業を行うNPO/NGOなどがこれら活動の担い手ですが、フェアトレード、リサイクル・ショップ、食品の安全や地産地消などの活動も含まれます」

 2013年に韓国のソウル市で創設された「グローバル社会的連帯経済フォーラム」は、いわば国際会議体だ。それ以降、2014年にソウル市、2016年にカナダのモントリオールでそれぞれ大会を開いてきた。ビルバオ大会は第4回にあたる。ソウル宣言の会の丸山茂樹氏によれば、次回は2020年にメキシコシティで開かれるという。

 ソウル宣言の会が事前に発表した「報告会のご案内」によると、ビルバオ大会には84カ国から1700人が参加した。世界のGSEF会員の他、ILO(国際労働機関)や国連社会的経済研究所(ジュネーブ)などの国連機関、RIPESS(社会的連帯経済促進のための大陸間ネットワーク)などの国際NGO、ソウル市、ニーヨーク市など自治体からの参加があったという。日本からは44人。生協、ワーカーズコープ(労働者協同組合)、労組の関係者、学者・研究者らだった。「ご案内」は、同大会について「(社会的連帯経済が)世界では着実に広がり、関心が寄せられていることを実感しました」としている。

 報告会では、ビルバオ大会日本実行委員会団長を務めた柳澤敏勝・明治大学商学部教授が基調報告をしたが、そのなかで、「ビルバオ大会の特徴は、GSEFがSDGSとの連携を始めたということだ」と述べたことが印象に残った。
 SDGSとは、2015年の国連総会で採択された「私たちの世界を変える持続可能な開発のための2030アジェンダ」と題する決議である。それによれば、国連として、2030年までに「貧困の撲滅」「食料の安全保障」「健康的な生活の確保」「ジェンダー平等」「持続可能な近代的エネルギー」「持続可能な経済成長・人間らしい労働」「不平等の是正」「持続可能な生産消費」「気候変動対策」「平和で包摂的な社会の促進」など17の目標を達成しようという決議である。
 柳沢教授によれば、このSDGSが目指す目標とGSEFが目指すものには重なるものが多いという。したがって、SDGSの活動とGSEFの運動が連動する可能性があるという。

 基調報告の後、ビルバオ大会に参加した青竹豊・日本協同組合連携機構〈JCA〉常務理事、木村庸子・生活クラブ生活協同組合(千葉)理事長、相良孝雄・協同総合研究所事務局長、鈴木岳・生協総合研究所研究員の4氏によるパネルディスカッションがあった。
 日本の社会的連帯経済運動の課題と方向性や、日本の運動で足りない点などが話し合われたが、まず、日本では、社会的連帯経済に対する認知度が低い点が指摘された。どうすればその意義を一般に広めてゆくことができるか。パネリストからは「まず、社会的連帯経済の実践例を示すことだ」との発言があったほか、青竹氏からは「昨年4月に発足したJCAには、我が国のほとんどの協同組合連合会が加盟しているので、これらの組織を通じて社会的連帯経済の意義を広め、関心を高めたい」との発言があった。

 日本で足りない点として指摘されたことの一つは、社会的連帯経済運動に自治体からの参加が極めて乏しいこと。ビルバオ大会でも、日本の自治体からの参加はなかった。
 モントリオール大会で採択された宣言も「人類が直面している課題は、一国のみで解決できるものではない。都市、町および地域自治体の寄与もまた欠かすことができないと」、社会的連帯経済運動と自治体との連携の必要性を強調している。それだけに、若森氏も報告会で配布された資料の中で「(ビルバオ大会に日本の自治体から参加がなかったことは)今後の取り組みに大きな課題を残した」と述べている。自治体にどう働きかけてゆくかが問われそうだ。
 
2019.02.12  「私はだまされない」
          韓国通信NO588

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 NHK首都圏ニュースの振り込め詐欺キャンぺーン「私はだまされない」。NHKから「騙されるな」と言われるのは片腹痛い。
 公共放送NHKは身近にあるメディアとして強大な影響力を持つ。「不偏不党、真実及び自律を保障することによって表現の自由を確保」、さらに「健全な民主主義の発達のために公平さと中立性」を放送法は求めるが、NHKはそれとは程遠い存在になってはいないか。不偏不党、公平、中立を損ねた事例は枚挙にいとまがない。「一事が万事」という言うつもりはないが、教育テレビの番組改変事件、籾井会長発言、最近の「森友」スクープ記者の左遷問題の三つを象徴的な事件を指摘すれば十分だろう。
 「韓国通信」はこれまで、たびたび韓国の放送労働者の闘いを紹介してきた。韓国の二つの公共放送、MBC(文化放送)とKBS(韓国放送)が直面した政治権力と報道の自由の問題は、NHKと共通するものが多い。政府権力がいったん公共放送を手中にしたら、それを奪い返すことがどれほど困難なことか。韓国の二つのテレビ局の労働者たちは、奪われた放送の自由を「国民に返せ」と血みどろの闘いを繰り広げた。

<ドキュメンタリー映画『共犯者たち』>
 韓国のドキュメンリー映画『共犯者たち』を見て、腰が抜けるほど感動した。2008年、李明博17代大統領就任直後から始まったMBCとKBSに対する政府による干渉の実態と、5年にわたった両労組の闘いの記録である。
 監督はチェ・スンホ。登場人物は放送局を解雇されたジャーナリストたち、解雇した主犯の大統領の「共犯」役を務めた社長、役員たちだ。監督自らが社長、役員、さらには警護の間隙をぬって李明博元大統領にまでインタビューを試みる。
 「夜討ち朝駆け」という言葉がピッタリの突撃インタビューによって、社長たちの口から、政府が放送局を自家薬籠中のものとした事実、「解雇は止む得なかった」という発言が飛び出す。開き直り、逃げまどう経営者たち。インタビューでは最高権力者(大統領)をバックに出世した傀儡たちの驕りと無責任ぶりが白日の下にさらされる。
一方、解雇されたジャーナリストたちの口からは、怒りと無念さが噴出するが、決して絶望はない。
「私はだまされない」
 MBC労組は6人の解雇者、100人を超す停職・懲戒処分に対して、前代未聞の170日間のストライキで闘った。チェ・スンホ監督(写真上)も解雇者のひとりだ。二つの組合の要求はそろって「報道の自由」と「天下り社長」の退陣要求だ。

 <彼らは何と闘ったのか>
 1987年の「民主化宣言」以降、韓国社会は軍事独裁から民主国家として急速な発展をとげた。
 特に金大中政権発足後の自由と活気に溢れた空気を私も知っている。映画もドラマも音楽、新聞やテレビも自由な雰囲気の中で民主化を謳歌した。IMF外貨危機の最中だったが、学生運動、労働運動に続いて市民運動が成長をとげ、MBCもKBSも競うように社会問題をとりあげていたのが眩しかった。中でもMBCの「PD手帖」という報道番組は社会問題について調査、掘り下げる番組として評判だった。その「PD手帖」の制作担当者が今回の映画監督チェ・スンホ氏だった。
 2008年、李明博大統領の就任直後、わが国でも問題になった「狂牛病問題」が表面化。韓国政府がアメリカ産牛肉の輸入を認めたため、韓国社会は大いに揺れた。デモには子どもや主婦が参加、大統領退陣要求に発展したが、政府の実力行使によってデモは鎮圧された。デモを大きく報じ、「狂牛病」に警鐘を鳴らしたメディアに対する報復が始まった。大統領は両放送局へ新社長を送りこみ、抗議する組合員を解雇して露骨な組合潰しと報道への干渉を始めた。
 二つのテレビ局では抗議と処分が繰り返されたが、社員たちは粘り強く闘い続けた。

<暗闇の中で真実を照らす>
 注目されるのは今回の映画を製作した映像報道組織「ニユース打破」が設立されたことだろう。解雇者たちが集まり、徹底した調査にもとづく自由な言論空間を作り、御用機関となった公共放送が伝えない事実を次々と明らかにして脚光を浴びた。セウォル号事件、崔順実ゲートに対する執拗な追及は社会変革の原動力となった。
 2014年の「セウォル号事件」でMBC、KBSは政府の意向を受けて「全員救助」の誤報を伝え、信頼を失って「沈没」した。2016年10月、朴大統領の国政私物化に対する国民の怒りが爆発、翌年3月に大統領は罷免された。両労組の「放送正常化」運動がピークを向かえるなかで映画『共犯者たち』は一般公開。MBC、KBSの闘いは、真実を求め、権力者の不正を許さない1600万人の「ローソク」とともに闘われた。
 このドキュメンタリーは単なる闘争の記録ではない。また正義と不正義を勧善懲悪的な視点からのみ取り上げることはしていない。解雇者たちの病気、生活不安、苦悩が率直に語られる一方で、「傀儡」「かかし」になった経営者たちに語らせることによって、権力者の強がりの中に人間としての弱さと醜さがあぶり出され、ヒューマンドラマにも似た感動を与える。韓国での一般公開は多くの市民に感銘を強く与え、ドキュメンタリー映画としては異例の26万人が見、感動を呼んだ。
 『共犯者たち』の公開の後、2017年5月文在寅大統領就任以降も、MBC、KBSの闘いは続いた。両労組は広範な市民団体の支援を受け「放送の正常化」を目指し、さらに142日間のストライキを行い、前政権が送りこんだ社長の退陣、解雇者の職場復帰、経営の民主化の合意を勝ち取っている。そして何よりも驚くのはMBCを解雇され、この映画を作成したチェ・スンホ氏がMBCの社長に就任したことだ。解雇者から社長へという変身は、政府の侍女から国民の放送へと変わった劇的な変化を物語っている。

<やはりNHKが心配だ>
 このドキュメンタリーをNHKの職員に見て欲しいと思った。頭のいいNHKの諸君は、NHKの経営者は政権の「まわしもの」などでは決してない、NHKは公平、中立だ。韓国は民主化が遅れている。報道をめぐる解雇者や配転などはないと言い募るかも知れない。映画では、「共犯者たち」は天下り経営者たちを指すが、NHKに勤めていながらNHKが見えないなら、あなたも共犯者だ。