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<title>リベラル２１</title>
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<description>私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてインターネット上に市民のメディア、リベラル２１を創った。</description>
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<title>安政地震後、治安を保った南北両町奉行所の与力・同心の活躍描く</title>
<description> 〔書評〕真保裕一著『猫背の虎　動乱始末』（集英社、￥１６８０）　　雨宮由希夫　（書評家）安政２年(１８５５)１０月２日夜半に起きたマグニチュード６．９の直下型地震は振動が急激で短く、すさまじく、江戸市中が阿鼻叫喚の巷となった。数千もの死者を出したのである。２年前に黒船が品川沖に現れたこともあり、安らかな日々を願って世は「安政」と改元された。が、その願いもむなしかった。開府以来の災禍であることに疑いな
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<![CDATA[ <strong>〔書評〕真保裕一著『猫背の虎　動乱始末』（集英社、￥１６８０</strong>）<br />　　<br /><div class="main_polilong">雨宮由希夫　<span class="katagaki">（書評家）</span></div><br /><br />安政２年(１８５５)１０月２日夜半に起きたマグニチュード６．９の直下型地震は振動が急激で短く、すさまじく、江戸市中が阿鼻叫喚の巷となった。数千もの死者を出したのである。２年前に黒船が品川沖に現れたこともあり、安らかな日々を願って世は「安政」と改元された。が、その願いもむなしかった。開府以来の災禍であることに疑いなかった。安政地震といわれるこの地震で、江戸は事実上の無防備都市となってしまったのである。<br /><br />安政地震の意味は、単に自然災害によって江戸の町そのものが壊滅の瀬戸際に立たされたばかりでなく、当時の政権担当であった幕府をとりわけ財政的に圧迫し、追い詰め、崩壊にみちびくものとなった。しかし、従来、安政地震は、いわゆる<幕末維新史>の文脈の中で軽く位置づけられてきたと言って言い過ぎではない。<br />安政地震の２年前のペリー来航が、太平の眠りを覚ますものとしてとらえられるに対し、太平の日常を瞬時に破壊しつくした安政地震は、あたかも無かったかの如くぞんざいに扱われ、<幕末維新史>が語られる例は頻繁に見ることができる。それは、安政江戸地震が、深刻な社会不安はおろか大規模な打ちこわしも発生しなかったこともひとつの要因となっているかとも思えるが。<br /><br />作家・真保裕一にとって歴史時代小説の第三弾である本書は、安政地震そのものを史材としたものである。前二作の『覇王の番人』、『天満ゆく空』が、それぞれ明智光秀や細川政元といった実在の武将を描いているに対し、今回は南町奉行所の同心を主人公にしている。その名は太田虎之助。２４歳、身の丈６尺近い偉丈夫で、黒羽織に着流し姿がよく似合う若き同心である。<br /><br />運命のその日、１０月２日。虎之助は「そろそろ寝るか」と読みかけの本を閉じようとした時、地震に襲われた。作家による地震の描写が真に迫っている。「身震いする襖が廊下に倒れてきた。書斎に積んだ本が畳ごと飛び跳ねる。この屋敷はいつから波間の笹船になったのか。しがみつこうとした柱が、人を寄せつけまいと身震いする。壷の中で振られる賽子となった。屋根瓦が次々と庭に叩き付けられる」。<br /><br />母と出戻りの姉二人、家族全員の安否を確認するや、奉行所へ馳せ参じる。混乱する町中を走り、救助に手を貸し、市中を這いずり廻る。<br />虎之助は大地震のおかげで本所深川方臨時の市中見廻り役を申し付けられる。大地震がおさまるや、いち早く奉行所に馳せ参じ、向柳原の籾（もみ）蔵を守るために町会所へも出向き、炊き出しの支度を呼びかけて回り、暴動がおこることを阻止し、町衆を安んじた功が認められたのである。<br /> ]]>
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<dc:subject>書評</dc:subject>
<dc:date>2012-05-17T00:00:01+09:00</dc:date>
<dc:creator>tiger21</dc:creator>
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<title>during, for</title>
<description> 時を表す前置詞 (2)松野町夫 （翻訳家）ものごと（動作や状態）は時の流れの中で生ずる。前置詞の during は動作や状態があった「時期」（when）を示し、これに対して前置詞の forは、動作や状態が続いた「期間」（how long）を示す。I&#039;m going to take my vacation for two weeks during August.私は8 月中に 2 週間休暇をとるつもりです。（「8 月中に」は時期、「2 週間」は期間）A: When are you going to take your vacation?
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<![CDATA[ <strong>時を表す前置詞 (2)</strong><br /><br /><div class="main_cullong">松野町夫 <span class="katagaki">（翻訳家）</span></div><br /><br />ものごと（動作や状態）は時の流れの中で生ずる。前置詞の during は動作や状態があった「時期」（when）を示し、これに対して前置詞の forは、動作や状態が続いた「期間」（how long）を示す。<br /><br />I'm going to take my vacation for two weeks during August.<br />私は8 月中に 2 週間休暇をとるつもりです。（「8 月中に」は時期、「2 週間」は期間）<br />A: When are you going to take your vacation? いつ休暇をとるつもりですか。<br />B: During August. 8 月中に（とるつもりです）。→ during は when に対して答えたもの<br />A: How long are you going to take your vacation? どのくらいの期間とるつもりですか。<br />B: Two weeks. 2 週間（とるつもりです）。→ for two weeks は how long に答えたもの<br /><br />■ <strong>during は時期を示す</strong> (Telling when something happens)<br /><br />前置詞 during は時期を示すのに特化しているので単純でわかりやすい。期間全体をさす場合と一部をさす場合がある。いずれにしろ特定の時期を示すので、形は during + the + 名詞 となる（during the morning）。ただし during August, during 2012 のように無冠詞の場合があるが、これとて文脈上特定できるものだ。during の後には、「期間名詞」 (during the night) ばかりでなく、「行事名詞」 (during the movie) も付けることができる。 during = 「の間に」「～中に」。（「に」が付く）。<br /><br />during the morning（午前中に）, during the daytime（昼間に）, during the afternoon（午後に）, during the night（夜中に）, during the year（その年に）, during August（8 月中に）, during the summer（夏に）, during the movie（その映画を鑑賞中に）, during the vacation（休暇中に）, during the ceremony（式の最中に）, during the interview（面接中に）, during my absence（私の留守中に）, during the war（戦時中に）, during one's stay（滞在中に）<br /><br />午前中に電話します。I'll call you sometime during the morning.<br />午後に電話してください。Call me sometime during the afternoon.<br />この動物は昼間は活動的だ。These animals are active during the daytime.<br />夜中に泥棒が入った。Thieves broke in during the night.<br />夏の間は彼女は毎日水泳する。She swims every day during the summer.<br />映画を見ているうちに眠ってしまった。I fell asleep during the movie.<br />休暇中にとてもいい人たちに会った。We met some really nice people during our vacation.<br />面接で前の仕事について質問された。During the interview, they asked about my previous jobs.<br />式の最中に火災警報が鳴った。The fire alarm went off during the ceremony.<br />彼は私の留守中にやってきた。He came during my absence.<br />戦時中、米は配給制だった。Rice was rationed during the war.<br />元の建物は戦争中に破壊された。The original buildings were destroyed during wartime.<br />ニューヨーク滞在中に、彼女はブロンクス動物園を訪れた。<br />During her stay in New York, she visited the Bronx Zoo.<br /><br />■ <strong>for は期間を示す</strong> (Telling how long something goes on)<br /><br />前置詞 forは、動作や状態が続いた「期間」（how long）を示す。不特定の期間を示す場合が多く、そのときの形は for + 不定冠詞（a）+ 期間名詞 となる（for a week）。ただし特定の期間を示すときの形は for + 定冠詞（the）+ 期間名詞 となる（for the last ten years）。期間を示す前置詞 forの後に、「行事名詞」 (movie) が来ることはない。for = 「の間」（「に」が付かない）。<br /><br />for a few minutes（2、3分の間）, for half an hour（30分間）, for one hour（1時間）, for a while（しばらくの間）, for a long time（長い間）, for ages（長い間）, for ever（永久に）, for 24 hours（24時間）, for three weeks（3週間）, for many years（長年の間）, for the last ten years（この10 年間）, for the present（今のところ）, for the time being（当分の間）, for some time（ここ当分）<br /><br />私は30分間眠っていた。I was asleep for half an hour.<br />彼は午前2時から3時までの1時間眠った。He slept for the hour between 2 and 3 a.m.<br />私が部屋を空けたのはほんの2、3分です。I was only out of the room for a few minutes.<br />昨夜、私は 1 時間ドライブした。I drove my car for one hour last night.<br />彼はしばらく何も言わなかった。He did not say anything for a while.<br />長い間、彼は彼女を愛した。He loved her for a long time.<br />キムさんとは昔からの知り合いです。I've known Kim for a long time.<br />私たちはそこに3週間滞在した。We stayed there for three weeks.<br />この3か月間彼と口を利いていない。I haven't spoken to him for three months.<br />どこへ行っていたの？ずいぶん待ったよ。Where have you been? I've been waiting for ages.<br />いつまでもここに住めるといいんだがなあ。I wish I could live here for ever.<br />私たちはここに長年住んでいる。We've lived here for years (= for quite a long time).<br />彼女はこの10年間ロンドンに住んでいる。She has lived in London for the last ten years.<br />彼らは結婚して30年にる。They have been married for 30 years.<br />ここ当分、雨はあるまい。It will not rain for some time.<br />この事はしばらく忘れることにしよう。Let's forget about it for the time being.<br /><br /><strong>時点や時期を表す前置詞（at, on, in, during）と異なり、期間を表す前置詞（for, since）には、日本人が陥りやすい落とし穴が随所にある。危険がいっぱい。とくに現在時制の中で for, since, how long を使うときは「現在完了形」にする必要がある。ただし未来や過去時制は問題ない（上の例を参照）。</strong><br /><br />A: Do you know her? 彼女を知っていますか？<br />B: Yes, I know her very well. はい、とてもよく知っています。→ OK<br />B: *Yes, I know her for a long time.はまちがい。（過去形の I knew her for a long time.はOK）<br />期間の for がつくと、現在単純形の know はもはや使用できなくなる。<br />以下のように、現在完了形（have + 過去分詞）にしなければならない。<br />B: Yes, I’ve known her for a long time.<br />はい、昔からの知り合いです（直訳： 長い間知っています）。<br /><br />Are you married? 結婚していますか。 → OK<br />How long have you been married? (*How long are you married? はダメ)<br />結婚して何年ですか？ <br />We've been married for 20 years. (*We are married for 20 years. はダメ)<br />結婚して20年になります。<br /><br />How long have you been working here? (*How long do you work here? はダメ)<br />ここにどのくらいの期間お勤めですか？<br />I have been working here for 12 years. (*I work here for 12 years. はダメ)<br />12年間勤めています。<br />I have been working here since 2000. (*I work here since 2000. はダメ)<br />2000年から勤めています。<br /> ]]>
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<dc:subject>ことば・言語</dc:subject>
<dc:date>2012-05-16T00:00:01+09:00</dc:date>
<dc:creator>tiger21</dc:creator>
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<title>　中国で社会主義批判はなぜできるか</title>
<description> 　　　　――八ヶ岳山麓から（31）――阿部治平　（もと高校教師）謝韜（シエ・タオ、1921～2010年）という、中国共産党からすればとんでもないマルクス主義者がいた。四川自貢の人、本名は道炉。1944年金陵大学（現南京大学）を卒業して革命前の46年に共産党に入党。中共系新聞「新華日報」の記者になり延安で編集長をやり、やがて華北人民大学の先生になってマルクス主義を教えた。1949年の革命成功後は華北人民大学の後身、中国人民
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<![CDATA[ 　　　　<strong>――八ヶ岳山麓から（31）――</strong><br /><br /><div class="main_polilong">阿部治平　<span class="katagaki">（もと高校教師）</span></div><br /><br />謝韜（シエ・タオ、1921～2010年）という、中国共産党からすればとんでもないマルクス主義者がいた。<br />四川自貢の人、本名は道炉。1944年金陵大学（現南京大学）を卒業して革命前の46年に共産党に入党。中共系新聞「新華日報」の記者になり延安で編集長をやり、やがて華北人民大学の先生になってマルクス主義を教えた。1949年の革命成功後は華北人民大学の後身、中国人民大学のマルクス・レーニン主義教研室の主任教授であったが、1955年「胡風反革命集団」の「中核分子」とされて身柄を拘束され、60年に北京秦城監獄に放りこまれた。<br />1965年に一時出獄してからも故郷の自貢に閉じ込められ、1966年の文化大革命が始まってからは「右派分子」中の右派として迫害された。文革が終ってようやく20年間の牢獄と迫害の生活から解放され、雑誌「社会科学」の編集だの中国人民大学教授だのといったまともな仕事につくことができた。最後は人民大学副学長で2010年に死んだ。<br /><br />謝韜は2006年2月、85歳のときに論文「民主社会主義モデルと中国の前途」を書き、雑誌「炎黄春秋」（2007年第２期）に発表した。内容はそれまでにない根本的体制批判で、「右派分子」の面目躍如たるものであった。ちょうど中共17回大会を控えた時期だったこともあって、新聞雑誌に載った批判・罵倒は大量で、ネット上でも批判をまとめて読者に提供するほどの量であった。<br /><br />この老人はまったく大胆にも、「中国は（西欧型）民主社会主義をモデルにすべきだ。それは民主的な憲政・（生産手段の）公私混合制・市場経済・社会保障制度である」と主張したのである。ここで彼が「民主社会主義」といっているものは「社会民主主義」と同じものとしていいと思う。<br />21世紀に入ってから中国の西欧社民主義研究は質・量ともに高まり、論文がネット上にも出るようになった。なかにはスウェーデン社民党史やその政策を批判的に紹介する形をとった論文もあったが、それも含めて執筆者たちは中国が高度福祉社会に進むのを期待していた（と私は受取った）。<br /><br />論文「民主社会主義モデルと中国の前途」は、マルクス主義の公式的常識をくつがえす。ロシア革命指導者レーニンをマルクスやエンゲルスの後継者ではないとし、ソ連を暴力社会主義と断定した。<br />「レーニンは、社会主義は先進資本主義国家において同時に勝利するという、マルクス主義の思想に違背して、遅れた東方の一国家で社会主義を建設するという理論を提起した。レーニン主義はマルクスが批判したブランキ主義（の暴力革命）を継承したものである（ブランキ（1805～1881）は19世紀フランスの暴力革命を目指す秘密結社の首領でパリコミューンの軍事指揮者である）」<br />歴史を顧みればその通りで、ロシアで1917年の２月革命によって成立した臨時政府は民主化を目指したが、成果をあげないうちに、10月にレーニン率いるボリシェビキ（ロシア共産党）の軍事クーデタによって倒された。２月革命がロシア帝国を否定したとするなら10月クーデタは民主革命を否定したものである。否定の否定として帝政――ロシア共産党独裁国家が現れた。<br />「『十月革命の砲声』が（中国へ）送り届けてきたものは、レーニン主義であってマルクス主義ではなかった。彼ら（毛沢東を先頭とする中共幹部）は新民主主義革命を標榜して政権を奪取したが……建国以後新民主主義すなわち資本主義発展の道を放棄して、中国の国情をかえりみず共産主義をかたくなにやろうとした。我々はここにブランキ主義＝レーニン主義の影響を見てとることができる。だから我々（中国共産主義者）がかつて暴力社会主義の道を歩んだのは偶然ではない」と。<br /> ]]>
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<dc:subject>国際</dc:subject>
<dc:date>2012-05-15T00:00:01+09:00</dc:date>
<dc:creator>tiger21</dc:creator>
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<title>　野田首相の「日米同盟深化」に大きな疑問</title>
<description> 党内論議なしの譲歩は鳩山外交と大差なし早房長治　（地球市民ジャーナリスト工房代表）野田佳彦首相は4月30日、米国ワシントンでオバマ大統領と首脳会談を行ったが、会談終了後の記者会見で、野田首相は「日米同盟は新たな高みに達した」と、高揚感を漂わせながら語った。アジア・太平洋地域において米軍と自衛隊の一体化の促進に合意したことを指しているようである。しかし、米国との軍事的一体化についての議論は国会の中はも
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<![CDATA[ <strong>党内論議なしの譲歩は鳩山外交と大差なし</strong><br /><br /><div class="main_polilong">早房長治　<span class="katagaki">（地球市民ジャーナリスト工房代表）</span></div><br /><br />野田佳彦首相は4月30日、米国ワシントンでオバマ大統領と首脳会談を行ったが、会談終了後の記者会見で、野田首相は「日米同盟は新たな高みに達した」と、高揚感を漂わせながら語った。アジア・太平洋地域において米軍と自衛隊の一体化の促進に合意したことを指しているようである。しかし、米国との軍事的一体化についての議論は国会の中はもちろん、民主党内でもほとんど行われていず、関係者の間で大きな疑問が生じている。<br /><br />軍事的一体化の目玉は、米領であるグアムと北マリアナ諸島に日米両国が費用を出し合って訓練場をつくり、共同訓練を頻繁に行うという点にある。このことは自民党などが強く主張している日米の集団安全保障とは性格を異にするが、自衛隊と米軍の実質的な共同作戦に道を開く可能性がある。<br /><br />軍事的一体化を補うのは、日本の開発途上国援助（ＯＤＡ）を使ってフィリピンなどに巡視艇を供与する措置である。巡視艇は「武器」に分類されるが、平和貢献・国際協力目的で例外扱いするという。昨年の武器三原則の緩和で事務手続きだけで輸出できるようになった。この措置が米国の軍事協力予算の節約に役立つことはいうまでもない。<br /><br />日米は同盟関係にあるが、米軍と自衛隊は性格も役割もまったく異なる。米軍は第2次大戦後、「世界の警官」として、世界で資本主義国家群の利害に反する紛争があれば出動し、強大な戦力を生かして問題を解決してきた。オバマ政権の下で、財政難に対応して作戦規模を縮小しているが、米軍の性格が「世界の警官」であることは変わりない。<br /><br />一方、自衛隊には憲法上、「専守防衛」の枠がはめられている。最近、中国や北朝鮮の軍事的な動きに対抗するため、米軍と協力する必要性が増していることは確かだが、現憲法が存在する限り、「専守防衛」の枠組みは厳重に守らなくてはならない。とはいえ、米軍との関係が密接になるほど、作戦上、どこで一線を画するか、判断が難しくなる。<br /><br />政府や防衛省は「共同訓練はあくまでも訓練であって、共同作戦ではない」と弁明するかもしれない。しかし、共同訓練は共同作戦に備えて行うものである。共同作戦と無関係の共同訓練は自己矛盾であって、ありえない。<br /><br />武器三原則は自公政権当時から数次にわたって緩和されてきた。これまでは防衛関係技術の解禁が主であったが、今後は武器類の供与や輸出が一般化する可能性がある。06年、インドネシアに巡視艇を供与した際は、マラッカ海峡の海賊対策という名分があったが、今回は軍事目的以外、何の名分も存在しない。これは明らかに軍事目的を避けるというＯＤＡ大綱に背くものである。<br /><br />現憲法と武器三原則が平和国家としての日本の背骨であることはいうまでもない。「第2次大戦をアジアで起こしたことを反省し、平和国家に徹して生きる」という意志を国民が持つ限り、憲法と武器三原則は順守されなくてはならない。将来、これらの国家運営の基軸を変更することもありうるが、それは徹底した国民的論議が前提となる。<br /><br />今回の首脳会談で野田首相が安全保障分野で米側に大幅に譲歩したのは、鳩山由紀夫内閣以来ぎくしゃくしていた民主党政権とオバマ政権との関係を安定的なものに変えたいという願望からであった。だからといって、国家の存立にかかわる憲法や武器三原則に関係する原則を国民的論議を経ずに、なし崩し的に変更することが許されるわけではない。<br /><br />鳩山首相は「より平等な日米関係の実現」を熱望するあまり、沖縄の基地問題などで「独走」し、米国の不信を買った。鳩山首相が国内的論議を経た上で、慎重な対米外交を展開していれば、日米関係の不幸な混乱は避けられたに違いない。<br /><br />野田首相は日米協調を図ろうとしている点において鳩山首相と正反対なのだが、重要案件についての国民的論議を省略し、「独走」的手法で対米外交を展開している点では鳩山首相と大差ない。今回のような「独走」が続けば、野田首相も遠からず対米外交でつまずくであろう。<br /><br />民主党は遅まきにでも外交についての党内論議を行い、意見集約を図るべきである。また、野党各党も野田内閣の「なし崩し外交」に強い疑問を提起し、徹底した国会論議を求めるべきである。野田首相は日米同盟関係の深化を自画自賛している時ではない。<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（5月8日記す）<br /> ]]>
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<dc:subject>政治</dc:subject>
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<dc:creator>tiger21</dc:creator>
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<title>日本語、こんな言い方・書き方ってあるのかな？</title>
<description> ―日ごろ見聞するあれこれから（２６）―丹藤佳紀　（ジャーナリスト）≪２割の富裕層が国富の約４割を独占≫原文：「韓国では人口比で２割の富裕層が国富の約４割を独占する」（『読売新聞』、４月５日）説明：「独占」を「ひとりじめ」と読み下せば、引用した原文にある独占の用法でも良さそうだが、考えるとやはりおかしい。経済記事でよく見かける企業の市場支配率（シェア）に置き換えてみよう。「２割の上位企業でシェアの４割を
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<![CDATA[ <strong>―日ごろ見聞するあれこれから（２６）―</strong><br /><br /><div class="main_polilong">丹藤佳紀　<span class="katagaki">（ジャーナリスト）</span></div><br /><br />≪２割の富裕層が国富の約４割を<strong>独占</strong>≫<br /><strong>原文：</strong>「韓国では人口比で２割の富裕層が国富の約４割を独占する」（『読売新聞』、４月５日）<br /><strong>説明：</strong>「独占」を「ひとりじめ」と読み下せば、引用した原文にある独占の用法でも良さそうだが、考えるとやはりおかしい。経済記事でよく見かける企業の市場支配率（シェア）に置き換えてみよう。「２割の上位企業でシェアの４割を独占する」と言うだろうか。原文に即していえば、２割の人々が４割を得ているのだから、残り８割の人々は６割になる。しかし、これは「独占」ではない。それが８～９割の高率だったら初めて言えることではないか。“２割で４割”は、これも経済用語の「寡占」で表される状況に近いところだろう。<br /><br />≪その話題も<strong>尻つぼみに</strong>終わることが増えてから≫<br /><strong>原文：</strong>「農村改革だの、親民宰相だのと話題を振りまいて大人気だった温家宝という『人物』が、だんだんその話題も尻つぼみに終わることが増えてから」（『ニューズウィーク』(ネット版)、４月１０日）<br /><strong>説明：</strong>これは、「尻すぼみ」とすべきところだが、筆者は「すぼみ」を音と語感の近い「つぼみ」と記憶していたのか、誤記してしまった事例だ。動詞の「すぼめる」は「傘をすぼめる」などに使われるが、その形から「つぼみ」を連想したのだろうか。<br /><br />≪韓国側が持つ、人の力による北朝鮮関連の情報<strong>（ヒューミント）</strong>≫<br /><strong>原文：</strong>「日本側にとっては特に、韓国側が持つ、人の力による北朝鮮関連の情報（ヒューミント）が共有されるメリットがある」（『読売新聞』、４月２２日）<br /><strong>説明：</strong>前回、姿勢制御装置（ＤＡＣＳ）という専門用語の英語略称について取り上げたが、今回はカタカナではなく英略語を使った方がいいという逆の提案だ。それは、「人の力による（北朝鮮関連の）情報」が（ヒューミント）とカタカナ書きされ、英略語HUMINTを“肩代わり”しているからである。HUMINTは、HUMan+INTelligence。電子機器類を駆使して収集した情報なら「エリント」El INT（Electronic+ INTelligence）になる。<br /><br /><br />≪地面の広さを思い浮かべるときも、「町・反・<strong>畝（うね）</strong>・坪」≫<br /><strong>原文：</strong>「米や酒は『升・合』で、肉や野菜なら『匁（もんめ）』（中略）、地面の広さを思い浮かべるときも、『町・反・畝（うね）・坪』になじんでいた」（『朝日新聞』ｂｅ、４月２１日）<br /><strong>説明：</strong>ルビを振ったのは親切でいいのだが、残念ながら「畝（うね）」は場違いで、ここは「畝（せ）」とすべきものだ。「畝」は、古代中国から耕地の面積を表す単位として使われてきた文字。現代中国でも意味はそうだが、字体は旁（つくり）の「久」が省略された簡体字になっている。<br />当然、漢和辞典では①中国の面積の単位②畑の条の順で説明され、「国字」として「せ」の音で面積の単位であることが示されている。逆に、『新潮日本語漢字辞典』では、「せ・うね」の順序で読ませ、第一に尺貫法の土地の面積の単位であることが示される。「うね」は二番目、如上の中国の用法は三番目に説明されている。<br />『朝日新聞』では、土日は読者からの問い合わせ窓口が休みだから、週明けにこの件について尋ねた。編集局からの通知がすでに係に回っていたようだ。すぐ「あ、それは『せ』とすべきものでした」との答えが返ってきたし、２８日の紙面に訂正が載った。このルビの誤りで、尺貫法は遠くなりにけり～と感じさせられた。<br /> ]]>
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<dc:subject>ことば・言語</dc:subject>
<dc:date>2012-05-13T00:00:01+09:00</dc:date>
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<title>演劇は政治を変えられるか</title>
<description> ―新国立劇場で『負傷者１６人』を観る―　　　　　　　　　　　半澤健市　（元金融機関勤務）《パレスチナの闘士とホロコーストのユダヤ人》　新国立劇場小劇場で２０１２年５月３日に『負傷者１６人SIXTEEN WOUNDED』という芝居を観た。舞台はオランダのアムステルダム。時代は「オスロ合意」前後の１９９０年代中頃。仲間との喧嘩で傷ついた若者を老いたパン屋が救う。頑なな若者とパン屋の心が通い合う過程で二人の正体が見えて
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<![CDATA[ <strong>―新国立劇場で『負傷者１６人』を観る―</strong><br />　　　　　　　　　　　<br /><div class="main_polilong">半澤健市　<span class="katagaki">（元金融機関勤務）</span></div><br /><br /><strong>《パレスチナの闘士とホロコーストのユダヤ人》</strong><br />　新国立劇場小劇場で２０１２年５月３日に『負傷者１６人SIXTEEN WOUNDED』という芝居を観た。<br />舞台はオランダのアムステルダム。時代は「オスロ合意」前後の１９９０年代中頃。仲間との喧嘩で傷ついた若者を老いたパン屋が救う。頑なな若者とパン屋の心が通い合う過程で二人の正体が見えてくる。若者は闘争のパレスチナから来たムスリム（イスラム教徒）であり、独身のパン屋はホロコーストを体験したユダヤ人であった。<br /><br />憎悪と不信が、話し合いのなかで次第に溶解していく。若者はパン屋の弟子になり美しい恋人も得た。人生経験と思想を異にする二人は理解し合い、父と子のような生活に入れるかにみえた。私生活が、政治と宗教を乗り越えたかにみえた。パン屋の愛人は娼婦だが彼は本気で求婚する。そこへ若者の兄が登場する。彼は弟に再び闘争への復帰を促す。<br />それを知ったパン屋は思いとどまるよう若者を懸命に説得する。ここの激論がハイライトである。しかしその夜、若者は身ごもった恋人を残して出て行く。<br />ヨーロッパの諸都市で同時多発テロが起こった。「アムステルダムでは最も被害が多く爆破犯のほか死者１０人、負傷者１６人」というテレビニュースのナレーション。屋外に聞こえる救急サイレンの音の中に幕が降りる。<br /><br />原作者はエリアム・クライエムEliam Kraiem、父親がイスラエル人、母親がユダヤ系アメリカ人。翻訳は常田景子、演出は新国立劇場の芸術監督でもある宮田慶子。キャストは若者マフムード（井上芳雄）、その恋人ノラ（東風万智子）、パン屋ハンス（益岡徹）、その愛人ソーニャ（あめくみちこ）、若者の兄アシュラフ（粟野史浩）。<br /><br /><strong>《三つの感想》</strong><br />　三つのことを考えた。<br /><strong>①政治の現実に個人の善意と友情は立ち向かえるのか</strong><br />この劇では立ち向かえなかった。若者とパン屋は引き裂かれる。しかし作家はイスラエルに肩をもってはいない。イデオロギーの勝負に持ち込まない。イスラム研究者の内藤正典（同志社大教授）はこう書いている。<br />「ヨーロッパ社会は、ムスリムと彼らの信仰であるイスラムが暴力の源泉だと、ますます頑なに信じこんでしまった。しかし、これだけは言っておかなければならない。暴力の源泉は宗教ではない。たとえばパレスチナでの暴力を、ユダヤ教とイスラムという宗教間の衝突だというのなら、それは根本的な誤りである。イスラム帝国として６００年以上にわたって中東に君臨したオスマン帝国（１２９９～１９２２）は、ユダヤ教徒もキリスト教徒も、根絶やしになどしていない。帝国は、今日のイスラエルにあたる地域も支配し、ユダヤ教徒との共存を実現していた。暴力による支配を厭わなかったのが近代ヨーロッパであることに、疑問の余地はないのである」。（本公演パンフレット、以下引用は同じ）<br /><br />なるほどそうかも知れない。ならば歴史は進歩していないのか。退歩しているのか。歴史の中で、かけがえのない人生が奪われているのである。<br /><strong>②演劇に何ができるのか</strong><br />作者のクライエムはこう言っている。<br />「日本、ヨーロッパ、南北アメリカでは、世界を認識する見方が根本的に異なります。ですが、本作で私は根本的な共通性に訴えようとしています。『負傷者１６人』では、逃走中のパレスチナの若者と、第二次世界大戦が終わって４５年を経てなお身を潜めているユダヤ人を取り上げ、その文化の違いを可能な限り掘り下げてみました。ですが、やはり私の真の関心は２人の間の相違ではなく、あくまで類似性があるはずだという信念が本作を支えています」。<br />演出の宮田慶子は言う。<br />「現代戯曲の面白さは、何といっても、作家も舞台の作り手である私たちも、そして観てくださる観客の皆様も、皆がまさに同じ時代に生き、共通の情報をもち、その上で個人としての考え方知識や経験まで、すべてを巻きこみ、取り込みながら、舞台が進行することです」。<br /><br />作者も演出家も演劇は無力ではないと主張している。文学にできることがあるといっている。言葉の力は物理的ではない。しかし確かに人の心を動かすことができると私は思った。それは細い一本の糸となって実世界に影響を与えるだろうと私も思った。<br /><strong>③惨劇が商品となり消費される</strong><br />本作品の米国ブロードウェイ初演は、９／１１から２年７ヶ月後の０４年４月だった。それを観た青鹿宏二という演劇専門家は、「よいタイミングでなかったが、作者のヒューマニズムを強く感じた」と述べている。それから８年、日本語になった作品を快適な座席で東京の小市民が観ている。ホロコーストと中東の悲劇が消費財になっている。演劇の牙が丸くなってテレビのニュースショーのように受け止められている。<br /><br />この構図は何なのか。同じ感覚を私は、井上ひさしの東京裁判三部作を観たときにも感じた。観客の会話、巨大な劇場、豪華な舞台、それと演劇の深刻さの対比がうまく納得できない。この意識は偽善的または自虐的であろうか。澱のような気分から私は離れられない。<br /><br /><strong>■『負傷者１６人』は新国立劇場小劇場で２０１２年５月２０日（日）まで上演中。<br />詳細は新国立劇場（電話03-5352-9999）へ。</strong> ]]>
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<dc:subject>映画･演劇</dc:subject>
<dc:date>2012-05-12T00:00:01+09:00</dc:date>
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<title>at, on, in</title>
<description> 時を表す前置詞 (1)松野町夫 （翻訳家）英語の前置詞は名詞の前に置く。前に置くので前置詞。日本語の助詞に相当する。日本語の助詞は名詞の後に置くので後置詞（こうちし）と呼ぶこともできる。前置詞＝助詞（＝後置詞）。英語の基本的な前置詞は at, on, in である。この3つの前置詞はいずれも、動作や状態があった場所・時を示すのに使う。日本語では「に」の一語で表現できるところを、英語では面倒なことに、時刻は at、日付･
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<![CDATA[ <strong>時を表す前置詞 (1)</strong><br /><br /><div class="main_cullong">松野町夫 <span class="katagaki">（翻訳家）</span></div><br /><br />英語の前置詞は名詞の前に置く。前に置くので前置詞。日本語の助詞に相当する。日本語の助詞は名詞の後に置くので後置詞（こうちし）と呼ぶこともできる。前置詞＝助詞（＝後置詞）。英語の基本的な前置詞は at, on, in である。この3つの前置詞はいずれも、動作や状態があった場所・時を示すのに使う。日本語では「に」の一語で表現できるところを、英語では面倒なことに、時刻は at、日付･曜日は on、月・年は in というように使い分ける必要がある。しかし、日本語・英語いずれも場所・時を示すという点は同じである。「に」＝ at, on, in。ここでは時を表す前置詞について検討する。at, on, in は基本的に時点（＝時期）を示す。<br /><br />彼らはいつ到着しましたか。When did they arrive?<br />10時<strong>に</strong>着きました。They arrived <strong>at</strong> 10:00.<br />日曜日<strong>に</strong>着きました。They arrived <strong>on</strong> Sunday.<br />6月<strong>に</strong>着きました。They arrived <strong>in </strong>June.<br /><br /><strong>時刻は at で示す</strong><br />at six o'clock（6時に）, at dawn（夜明けに）, at sunrise（日の出に）, at sunset（日没時に）, at this time（この時間）, at the moment（今）, at present（現在）, at that time（あの時）, at the same time（同時に）, at noon（正午に）, at breakfast（朝食時に）, at lunchtime（昼食時に）, at dinner time（夕食時に）, at night（夜に）, at midnight（真夜中に）, at Christmas（クリスマスの時に）, at Easter（復活祭の時に）, at 30（30 歳の時に）<br /><br />彼は6時に帰宅した。He came home at six o'clock.<br />彼らはいつも明け方に仕事を始める。They always start work at dawn.<br />昨夜、私は日没時に帰宅した。I got home at sunset last night.<br />彼はいま忙しい。He's busy now. = He's busy at this time. (at the moment, at present)<br />電話と玄関チャイムが同時に鳴った。The phone and the door chime rang at the same time.<br />会議は土曜日の正午に始まった。The conference began at noon on Saturday.<br />ランチタイムにジョギングするつもりです。I'm going jogging at lunchtime.<br />夜に出かけるのは好きではない。I don't like going out at night.<br />でも真夜中に出発するはめになった。But I had to leave at midnight.<br />クリスマスには、私はたいてい短い休暇をとる。I usually take a short vacation at Christmas.<br />彼女は30歳の時に結婚した。She got married at 30.<br /><br /><strong>日付･曜日は on で示す</strong><br />on Monday（月曜日に）, on May 15（5 月 15 日に）, on June 25 at 10 a.m.（6月25日午前10時に）, on July 21, 1969（1969年7月21日に）, on the weekend（週末に）, on weekdays（平日に）, on my birthday（誕生日に）, on our wedding anniversary（結婚記念日に）, on Christmas Day（クリスマスの日に）, on Easter Day（復活祭日に）, on Halloween（ハロウィーンの日に）, on New Year’s Eve（大晦日に）, on New Year's Day（元日に）, on Valentine's Day（バレンタインデーに）<br /><br />彼は月曜日に帰宅した。He came home on Monday.<br />彼らは5月15日に結婚した。They got married on May 15.<br />会議は6月25日午前10時に始った。The meeting began on June 25 at 10 a.m.<br />ニール・アームストロングは1969年7月21日に月面を歩いた。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と彼は言った。Neil Armstrong walked on the moon on July 21,1969. “That's one small step for a man, one giant leap for mankind,” he said.<br />あの店は週末は5時に閉店する。They close at 5:00 on weekends.<br />図書館は平日 9時から5時まで開館する。The library is open on weekdays from 9:00 to 5:00.<br />私の誕生日に夫は何もしてくれなかった。My husband did nothing for me on my birthday.<br />私たちは結婚記念日に夕食に出かけた。We went out for dinner on our wedding anniversary.<br />ハロウィーンの日、私はジャック・オー・ランタンを作った。I made Jack-o’-lanterns on Halloween.<br />大晦日はたいていパーティが多い。There are usually a lot of parties on New Year's Eve.<br />今日の日本では、多くの女性がバレンタインデーに職場の男性にチョコレートをプレゼントする。<br />Many Japanese women today give chocolates to their male co-workers on Valentine's Day.<br /><br /><strong>朝昼夕、週、月、年、春夏秋冬、年代、世紀、時代は in で示す</strong><br />in the morning（午前中に）, in the daytime（昼間に）, in the afternoon（午後に）, in the evening（夕方に）, in the night（夜中に）, in the week of May 13（5月13日の週に）, in June（6月に）, in 2020（2020年に）, in the summer（夏に）, in the 1920s（1920年代に）, in the 21st century（21世紀に）, in the past（過去に）, in the future（未来に）, in all ages（いつの時代にも）, in the Stone Age（石器時代に）, in the Bronze Age（青銅器時代に）, in the Iron Age（鉄器時代に）, in the Golden Age（黄金時代に）, in the Middle Ages（中世に）, in the space age（宇宙時代に）, in the Edo Period（江戸時代に）, in the Warring States Period（戦国時代に）<br /><br />彼は朝早くに帰宅した。He came home early in the morning.<br />彼は昼間は決して外出しない。He never goes out in the daytime.<br />午後、彼らは買物に行った。In the afternoon they went shopping.<br />夜中に雨が降ったにちがいない。It must have rained in the night.<br />仏教は 538年に日本に伝来した。Buddhism came to Japan in 538.<br />ジャズは1920年代に米国で流行した。Jazz became popular in the USA in the 1920s.<br />きみは過去にひたるのはやめるべきだ。You have to stop living in the past.<br />とにかく、それはもうすべて過去のことだ。Anyway, it's all in the past now.<br />きみは将来、何をしていると思いますか。What do you think you will be doing in the future?<br />この宇宙時代にそんなばかげた迷信を信じる人は誰もいない。<br />Nobody believes that silly superstition in this space age.<br />石器時代には人々は石で作った道具や武器を使用した。<br />In the Stone Age people used tools and weapons made of stone.<br />浮世絵は江戸時代に大流行した。The ukiyo-e became very popular in the Edo Period.<br />映画「七人の侍」は、7人の侍が山賊と戦って農村を襲撃から守るという戦国時代の物語である。<br />The movie “Seven Samurai” is a story in the Warring States Period about seven masterless samurai who combat bandits to protect a village of farmers from their attacks.<br /><br /><strong>in the morning などに曜日や日付がつくと、前置詞は in から on に変わる。</strong><br />in the morning → on Monday morning (or on the morning of May 14)<br />in the afternoon → on Friday afternoon<br />in the evening → on Sunday evening<br />日曜日の夕方に私は彼女に会った。I saw her on Sunday evening.<br /><br /><strong>口語体では曜日や日付の on はしばしば省略される。</strong><br />日曜日に会いましょう。I'll see you on Sunday. or I'll see you Sunday.<br />彼らは5月15日に結婚した。They got married on May 15. or They got married May 15.<br /><br /><strong>last, next, this, every がつくと、at, on, in は使用しない。</strong><br />last night, next Monday, this May, every Sunday, last week, this week, next week, etc.<br />ふたりは来月結婚します。They are getting married next month.<br /> ]]>
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<dc:subject>ことば・言語</dc:subject>
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<title>新協定で周辺国への無人機攻撃をやめるのか</title>
<description> ―末期症状のアメリカのアフガン戦争（１７）坂井定雄（龍谷大学名誉教授）　カルザイ・アフガニスタン大統領とオバマ米大統領が３日未明調印した、両国の「戦略的パートナーシップ協定」。さっそく友人が全文を送ってくれたので、しっかり読んだ。英文でびっしり１０ページ。正確に数えてはいないが、日米安保条約の８倍から１０倍ほどの字数。交渉に２０カ月かかったのは当然だと思わせる内容だ。協定で米国側は、主要戦闘任務を
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<![CDATA[ <strong>―末期症状のアメリカのアフガン戦争（１７）</strong><br /><br /><div class="main_polilong">坂井定雄<span class="katagaki">（龍谷大学名誉教授）</span></div><br /><br />　カルザイ・アフガニスタン大統領とオバマ米大統領が３日未明調印した、両国の「戦略的パートナーシップ協定」。さっそく友人が全文を送ってくれたので、しっかり読んだ。英文でびっしり１０ページ。正確に数えてはいないが、日米安保条約の８倍から１０倍ほどの字数。交渉に２０カ月かかったのは当然だと思わせる内容だ。<br />協定で米国側は、主要戦闘任務をアフガン国軍に移管する予定の２０１４年以後も、協定期限の２０２４年末まで、米軍駐留と米軍基地使用をほとんど自由に行う権利を確保した。アフガン側は、米国が軍事、経済支援を続けるという約束と、米軍特殊部隊の作戦への発言権とバグラム米軍基地内の拘置所の移管を得た。協定は、２０２５年以降、双方の合意で延長できる。日米安保条約と同じ方式だ。<br />全文を通じて、アフガン国民の反米感情、民族主義に配慮するカルザイ政権の強い願望が反映され、アフガニスタンの「主権」の文言がいたるところに散りばめられている、わざわざ「米国は恒久的軍事施設を求めないことを再確認する」（第３章６項ａ）とも書いている。日米安保条約でも「恒久的」などとは書いてない。また、「米国はアフガニスタンを『主要な非ＮＡＴＯ同盟国（Major Non-NATO Ally 』と呼称する」と持ち上げている。<br />上に「米軍基地使用をほとんど自由に」と書いた理由は、第３章第６項ｂで「米国はアフガン領土と施設を他国に対する攻撃のlaunching point として使用しないことを約束する」と書いているからだ。launch は飛行機が飛び立つ発進でもあるし、ミサイルや砲弾を発射するのもlaunch だ。全部やめるのか。前回も書いたように、米軍とＣＩＡは、アフガンのカンダハル、ジャララバード基地から無人偵察・攻撃機（ドローン）を発進させて、パキスタン領内への攻撃を続けている。また西部シンダンド基地からイランへの新鋭無人機を発進させ、偵察・情報収集を続けている。双方の国内手続きが終わりしだい新協定が発効したら、米国はパキスタン、イランに対する無人機作戦を中止するのか。しないだろう。これまでのところ、無人偵察・攻撃機がミサイルやレーザー誘導爆弾を発射するのはパキスタン上空から、イランへの作戦は偵察・情報収集だけで、機上にはミサイルや爆弾を積んでいないと言い張るのだろうか。<br />このような、言い逃れの余地があるlaunching point という言葉を使ったのには、アフガン側が無人機発進に強く抵抗したことともに、米国側がどうしてもその権利を放棄しなかったこと示唆している。<br />もう一つ、注目点を挙げておくと、第４章第３項で「両国は、中央アジア、南アジア、中東を結ぶ橋としてのアフガニスタンの歴史的役割を回復するために、さらなる協力をする」としていることだ。そのためにー<br />ａ．（車両や物資の）通過と貿易協定を含む地域的制度づくりと実施<br />ｂ．アフガニスタンと隣国との国境協力と管理の強化<br />ｃ．アフガニスタン全体での、プロジェクト、インフラ建設によって、地域的輸送、通過ルートを結びつ 　　け、エネルギー・ネットワークを拡張<br />ｄ．アフガニスタンと地域諸国の統合を進める投資への、国際的支援の発動<br />―を列挙している。<br />前々回に書いたように、反米・反政府武装勢力タリバンは、４月２２日にこの協定が仮調印されたわずか数分後、声明を出し、その最初の方で「米国の目的は、中央アジアとカスピ海油田へのルートの確保だ」と非難した。たしかに９０年代のクリントン米政権下、米国の石油メジャー「ユノカル」がアフガニスタンを支配していたタリバン政権と、アフガン縦断石油・天然ガス・パイプラインを建設するプロジェクトを秘密裡に交渉していた。仮調印に対するタリバンの非難は素早かったが、まだ秘密だった協定内容を入手し、検討していたに違いない。前回、米国がアフガニスタンを中枢として、パキスタン、イランだけでなく中央ユーラシアでの軍事的覇権を確保しようとしていると書いたが、エネルギー戦略への視点が欠けていた。協定全文を読んで、エネルギー・ネットワークについてしっかり書かれていることに、驚いた。（了）<br /> ]]>
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<dc:subject>国際</dc:subject>
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<title>中国共産党統治の根源を衝く“異議申し立て”</title>
<description> 　―薄熙来事件の招来した女性教授の勇気ある公開状―　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　丹藤佳紀　（ジャーナリスト）今秋の中国共産党大会で最高指導部入りという下馬評の高かった薄熙来重慶市委書記が失脚した。この中国の“異変”は内外で引き続き強い関心を集めている。薄熙来前書記は現在、中国共産党の“お目付”機関である中央規律検査委員会に身柄を拘束され、取り調べを受けているものとみられる。それに
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<![CDATA[ 　<strong>―薄熙来事件の招来した女性教授の勇気ある公開状―</strong>　　　　　　　　　　　　　　<br />　　　　　　　　　　　　　<br /><br /><div class="main_polilong">丹藤佳紀　<span class="katagaki">（ジャーナリスト）</span></div><br /><br />今秋の中国共産党大会で最高指導部入りという下馬評の高かった薄熙来重慶市委書記が失脚した。この中国の“異変”は内外で引き続き強い関心を集めている。薄熙来前書記は現在、中国共産党の“お目付”機関である中央規律検査委員会に身柄を拘束され、取り調べを受けているものとみられる。<br /><br />それについて、北京の女性大学副教授が「一政党の機関による身柄拘束は違法である」と訴えた公開状をインターネットで発表した。中国の“一党独裁”に関わる問題も提起しており、ネットで論議を呼んでいる。この公開状は、北京経済管理幹部学院の副教授、王錚女史が４月中旬から相次いで発表した。最新のものは４月２８日付けで、薄熙来前書記も重慶市からの代表の一人である全国人民代表大会（全人代＝国会）の呉邦国常務委員長に宛てられている。<br /><br />薄熙来問題だけでなく、中国共産党が党中央軍事委員会でもって国家の武装力を指揮していることを取り上げた。まだ中国の「国防軍」ではなく、「人民解放軍」とされている問題だ。それを「党が国家に成り代わっている」と批判したことなどはかつてない大胆な問題提起である。<br /><br />今年２月、次月からの“政治の季節”を予告するかのように、薄熙来書記の腹心である王立軍・副市長兼公安局長が重慶に隣接する成都の米国総領事館に飛び込んだ。この“駆け込み訴え”から英ビジネスマンの殺人事件が明るみに出て薄熙来書記失脚につながった。<br />ここまでの経過や内容については、本ブログの<a href="http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1926.html" title="拙稿">拙稿</a>（http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1926.html）でまず伝え、<a href="http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1965.html" title="阿部報告">阿部報告</a>（http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1965.html）で詳細を取り上げたので、参照してほしい。<br /><br />　3月北京で全国人民代表大会（全人代＝国会）が開かれ、重慶市人民代表の一人である薄熙来書記も出席した。全人代は14日閉会し、それを待っていたかのように翌日、薄熙来書記は中共重慶市委書記のポストから解任されたのである。そして4月10日には中央政治局委員・中央委員の資格停止も発表された。この発表により、薄熙来前書記が党規約と規律検査委条例によって「双規」と略称される強制捜査の対象とされたことが明らかになった。ここまでは中国共産党の党内処分である。<br /><br /> ]]>
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<title>ミャンマー民主化に向かって苦渋の選択</title>
<description> 　　アウン・サン・スー・チー議員らが初登院伊藤力司　（ジャーナリスト）ミャンマーの民主化運動のリーダーで、先の補欠選挙で下院議員に初当選したアウン・サン・スー・チー氏は5月2日、自らが率いる国民民主連盟（NLD）の当選者37人とともに下院に初登院、正式に議員に就任した。これより先4月23日の議会開会に当たり、スー・チー氏は議員就任宣誓の「憲法を守り」という言葉を「憲法を尊重し」に改めるよう要求したが容れられ
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<![CDATA[ 　　<strong>アウン・サン・スー・チー議員らが初登院</strong><br /><br /><div class="main_polilong">伊藤力司　<span class="katagaki">（ジャーナリスト）</span></div><br /><br />ミャンマーの民主化運動のリーダーで、先の補欠選挙で下院議員に初当選したアウン・サン・スー・チー氏は5月2日、自らが率いる国民民主連盟（NLD）の当選者37人とともに下院に初登院、正式に議員に就任した。これより先4月23日の議会開会に当たり、スー・チー氏は議員就任宣誓の「憲法を守り」という言葉を「憲法を尊重し」に改めるよう要求したが容れられず、この日は同僚とともに登院を拒否した。しかしその9日後には「憲法を守り」の宣誓をするという、苦渋の選択をせざるを得なかった。<br /><br />軍事政権時代に制定されたミャンマー憲法は、国会議員定数の4分の1を選挙なしで軍人に割り当てるなど、民意より国軍の発言権を優先している。このためスー・チー氏は憲法の改正を主張し、4月1日投票の補欠選挙でもNLDは改憲をスローガンに掲げて闘った。その結果は、補選の対象となった上院6議席（定数224）、下院37議席（同440）、地方議会2議席の計45議席中43議席をNLDが獲得するという圧勝だった。だからこそ<br />現「憲法を守り」という宣誓の言葉をそのまま呑むわけにはいかなかった。<br /><br />スー・チー氏は「憲法を守り（safeguard）」でなく「憲法を尊重し（respect）」とする妥協案を提示したが、テイン・セイン大統領が率いる政府はこれを拒否した。テイン・セイン大統領と言えば、昨年3月30日ミャンマーが軍政から民政に移管して以来のトップ指導者だ。元々は長年にわたって権力を独占してきた「国家平和発展評議会（SPDC）」という（名は体を表さない）軍事政権のナンバー4だった陸軍大将である。ところがこのテイン・セイン大統領、軍服を背広に着替えた途端に軍政が通算15年間も自由を奪ったスー・チー氏との対話で、自分はミャンマー民主化に尽くすと売り込んだという。現地から伝えられるところでは、スー・チー氏もテイン・セイン氏と「意気投合」したとか。<br /><br />「意気投合」説にもかかわらず、ミャンマー政府は議員就任宣誓の文言変更の妥協案を拒否した。そこでスー・チー氏さらに妥協した。「私たちの支持者や投票してくれた人々は、NLDの議会活動に期待し民主主義を実現して欲しいと願っている以上、私たちは議会に参加し議会で憲法を改める努力を続けることにした」というのである。補欠選挙で圧勝したとはいえ、NLDの国会議員の数は定員の10％にも満たない。圧倒的多数は、国軍の翼賛政党である連邦団結発展党（USDP）と任命議員の軍人が握っているという現実がある。<br /><br />民政移管のための総選挙は2010年11月に行われた。NLDはこの当時の選挙法で事実上非合法政党とされ、選挙をボイコットせざるを得なかった。テイン・セイン政権発足後に改正された選挙法でNLDは政党登録できるようになり、今回の補欠選挙に参加できたし、今後の総選挙にも参加できる道が開けた。確かに2011年3月31日に、軍事政権最後の首相だったテイン・セイン将軍が間接選挙で大統領に選ばれて民政移管が実現して以来、ミャンマーの「民主化」と「開放」は急速に進んだ。<br /><br />少数民族に対する残酷な人権侵害や、NLDが大勝した1990年の総選挙結果を無視して独裁を続けてきたミャンマー軍政に対する欧米の制裁措置は、2011年3月以降テイン・セイン流の民主化措置を受けて段階的に解除されつつある。最も厳しい制裁を加えていたアメリカのクリントン国務長官が昨年末にミャンマーを公式訪問、長官とスー・チー氏の2ショットの笑顔写真は「ミャンマー民主化」を世界に訴える効果があった。これをきっかけに欧州、米国、日本、韓国などの「開発処女地」ミャンマーへの投資競争が始まった。<br /><br />とはいえこの国にはなお見過ごすことのできない問題がある。それはまず1962年軍事クーデターで権力を握ったネ・ウィン将軍の独裁に反抗して、1988年7月に学生と民衆が決起して26年ぶりに軍政を打倒したことだ。しかしこの国の軍部は、その2カ月後に新たなクーデターを起こして再び権力を握った。新たな軍政は、1990年の総選挙で民意にかなう政党に権力を移譲すると約束しながら、約束を破って総選挙で圧勝したNLDに政権を渡さなかった。それどころか当選したNLD議員を投獄し、議会すら開かせなかったのである。<br /><br />こういう負のプロセスを経て権力を握ったのが、ネ・ウィンを継承した将軍たちである。その代表が1988年クーデター当時陸軍参謀長だったソー・マウン大将だが、1992年にはタン・シュエ上級大将がその地位に就いた。このタン・シュエ大将（79）こそ、以後19年間にわたってミャンマーに君臨し、独裁権力を振るった人物である。テイン・セイン氏も、軍事政権トップのタン・シュエ将軍の指名で民政移管後の初代大統領になれたのだ。<br /><br />さて問題は、民主化にひた走るテイン・セイン大統領と昨年まで彼の上司だったタン・シュエ将軍の関係である。タン・シュエ将軍はテイン・セイン氏にすべてを任せミャンマーの改革がさらに進むことを是認しているのか。それともテイン・セイン氏とアウン・サン・スー・チー氏の“蜜月”をいつまでも放置できないと思って監視しているのか。表向きは完全引退したとされるタン・シュエ将軍だが、憲法に規定のない「軍評議会」なるものを秘かに組織して、テイン・セイン政権の政治決定に影響力を行使しているとの報道（2011年6月19日付東京新聞）もある。<br />さらにリチャード・ルーガー元米上院外交委員長（共和党）もこの「軍評議会」の存在を指摘している。それによると「軍評議会」はタン・シュエ将軍を筆頭にテイン・セイン大統領らごく少数の軍人で構成され、政務や政策について報告を受けたタン・シュエ将軍が大統領に指示を出すという仕掛けだという。その一方で、「院政を敷くに違いない」と言われたタン・シュエ将軍は予想を裏切って完全に引退、イラワジ・デルタの貧しい家庭に生まれ、学費無料の士官学校に学ぶしかなかったテイン・セイン氏は、今や大統領として「清廉」と「改革」の初心を貫いているのだと評価する、現地識者の観測も伝えられている。<br />非民主的な憲法の下で民主主義を貫こうとするアウン・サン・スー・チー氏には、曲がりくねった棘（いばら）の道が待ち構えている。15年もの軟禁生活に耐え抜いた精神力と愛国心こそ、彼女を真にノーベル平和賞にふさわしい受賞者にした。だからこそミャンマーの人々は、今回の補欠選挙でNLDを圧勝させた。しかしこの国に「新しいページを開く」という言葉を連発するテイン・セイン大統領は、2015年に予定される次の総選挙までにNLDとスー・チー氏に完全に自由な選挙活動を許し、民主的憲法への改正への道筋をつけさせられるだろうか。「イエス」と言いたいが、まだ言い切れないのがミャンマーの現状であろう。<br /> ]]>
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<dc:date>2012-05-08T00:00:01+09:00</dc:date>
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