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2020.03.18 韓国通信NO631
        
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

『運命』文在寅自伝―から日本を考えた
 廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が自殺してから11年の年月が流れた。若者たちの熱狂的な支持をうけ彗星のように現れ、若干57才で第16代大統領に就任。当時の韓国社会の熱気は日本にまで伝わってきた。「人が暮らせる世の中へ!」。誰もが人間らしく生きられる民主的な福祉社会の実現をめざし、がむしゃらに突き進み、そして挫折した。
 亡くなってから2年後に発表された本書、文在寅の自伝には弁護士廬武鉉との出会い、側近として仕えた廬武鉉大統領の奮闘ぶりが生き生きと、敬意と愛情をもって語られていて大変興味深い。
 ローソク革命から生まれた文在寅大統領の政治信念は廬武鉉との「運命」的な出会いから生まれた。弱者と人権に対する強い思い入れと、過去と未来に対する歴史観は廬武鉉譲りで揺るぎない。
 廬武鉉政権は失敗したと言われる。政権末期の政権内の混乱、側近の金銭問題、支持者たちからの批判。国民の誤解も多かった。亡くなってからその偉大さが改めて評価され、歴代の大統領の中でもっとも尊敬される大統領になった。本書は文在寅の自伝だが、その大半が「兄貴」であり、「親友」だった廬武鉉について語られているのも本書の特徴となっている。
韓国通信631写真
 読後感を以下に記しておきたい。
 廬武鉉政権が崩壊した翌年、日本では民主党政権が誕生した。選挙の圧勝にもかかわらず、三人の首相が交代し、あっけなく政権交代を余儀なくされた。以降、在職最長の安倍政権が今日まで続く。
 民主党政権短命の理由は何だったのか。「決められない政治」「自民党に似た古い体質」という批判は決して間違いではない。しかし冷静に思い起こすなら、財界、官僚など既成勢力の巻き返しは激しく、検察も、マスコミも、足腰が弱く、脇の甘い民主党政権に遠慮会釈なく集中砲火を浴びせたことも事実だ。
 そっくり同じことが韓国の廬武鉉政権時代に起きていた。わが国では民主党政権に対する蔑視と冷笑だけが残り、「他に適当な人がいない」という根拠のない安倍政権支持の基盤となった。
 廬武鉉政権と日本の民主党政権を単純に比較はできないが、強いて言うなら、古い政治体制に挑戦した新政権が、既得権勢力と「世論」という厚い壁に遮られたという共通点がある。「自伝」は韓国を知る上で、また日本の政治を考えるうえで他山の石となる。
 そこから読み取れること。
 自公政権に代わる新しい政治は、単なる政党の数合わせからは生まれない。市民に真摯に寄り添う政治勢力の結集が求められている。それを可能にするのは、待つことではなく、一人ひとりが自分のローソクを掲げて積極的に声をあげ、政治に参加することがいかに大切か。文在寅から教えられたことだ。  岩波書店 2018年刊定価2700円税
                                         
常磐線3.11物語
 新型コロナウィルス騒ぎで心が落ち着かない。何処も「中止」「中止」の話ばかり。スポーツクラブも休みとなり、少し運動不足気味だ。今月20日に予定されていた「さようなら原発」の集会も中止になった。
 ウィルスは不安だが、社会はバラバラに、そして排他的雰囲気が漂い始めた不気味さがある。「緊急事態宣言」は恐怖を煽るだけの安易な無策に感じられる。国際的にも国内的にも孤立して生きる不安。大恐慌の前兆が広がる。このままではオリンピック開催はありえない。
 東日本大震災、福島原発事故から9年。コロナウィルス騒動は福島原発事故のおぞましさを思い出させる。オリンピック成功の後に予定される憲法を変えるという安倍政権のシナリオに変更はない。いのちと生活は二の次。非科学性(見通しの甘さ)と独善性(政府の都合)が浮き彫りになった。

<アンダーコントロール>
 2020年のオリンピック誘致に成功した安倍首相が、フクシマについて「状況は統御されている」、アンダーコントロールと全世界に胸を張った。
 福島の状況はいまだに4万人を超す避難民。避難解除されても帰れない放射能汚染地区。行きどころのない放射能汚染水と除染物の山。廃炉作業も全く進まない。事故9年目を迎えて、事故の後始末は始まったばかりの状況だ。
 福島をたびたび訪れる首相や天皇には福島に住むことをすすめたい。加えて国会議事堂、官庁、裁判所、皇居が福島に移転すれば、復興は本格化するはずだ。まず「隗より始めよ」だ。地産地消、彼らに福島のコメと野菜と魚も存分に食べて欲しい。
 形だけの復興五輪は明らかな「棄民」政策だ。

<常磐線全線開通の欺瞞>
 避難地域を次々に解除して、復興と見せかける欺瞞。その欺瞞は3月14日に全線開通した常磐線の例を挙げれば十分だろう。沿線に住む人間としては、8年以上も不通だった常磐線の開通を聞かされると、今頃「フザケルナ」と叫びたくなる。
 改札近くにある電光掲示板は近郊のJR、地下鉄、私鉄のたった5分の遅延でも時々刻々と知らせる。しかし常磐線の「不通」を知らせたことは一度もない。「原発事故による」不通を知らせなかったのは明らかな事故隠しだ。駅員に抗議したこともある。<写真上/スーパーひたち/下/線路が流された機関車>
 その常磐線が開通する。正確に言うと、品川(上野)と仙台を特急列車が3往復、普通列車が11往復である。早速、安倍首相は7日に福島を訪れ得意げに常磐線全線開通を祝った。
韓国通信631写真(2) 
韓国通信631写真(3)

<常磐線に乗ろう>
 子どもの頃、わが家は夏休みと冬休みに、父の実家のある仙台へでかけた。東北本線はトンネルが多く、蒸気機関車の煤煙に泣かされた。常磐線は海が見える。時間は両方とも各駅停車で8時間くらいだった。各駅停車を楽しむ汽車の旅だった。
 東北新幹線ができてから常磐線は利用しなくなった。我孫子に住むようになって一度だけ特急列車に乗ったことがある。津波と原発事故の直前だったので記憶は鮮明だ。
 9年ぶりの全線開通。常磐線で仙台へ行くつもりだ。しかし、晴れがましい復興記念乗車にはならない。復旧したあたりが危険地域であることに変わりはない。電車は密室なので放射能が車内まで侵入することはなさそうだが、放射線測定器の針が振り切れるほどの高濃度の中を走る。福島第一原発から2.5キロ、避難区域に沿って走るので当然だ。車窓からは茨城県の東海原発、福島原発が見学できる。
 常磐線に乗ってほしい。放射能の中を疾走する「スーパーひたち」に乗って、9年前の事故を思い出してほしい。かつての蒸気機関車の煤煙に代わる見えない放射能を想像して欲しい。避難区域の風景を見て原発事故が終わっていないことを感じて欲しい。
 常磐鉄道は常磐炭鉱の石炭を輸送するために1896年に開通した富国強兵の国策鉄道だった。

<韓国から鉄道労働者がやってきた> 
 東日本震災の年、韓国の若者たちが集めた義援金を手に被災地宮城県にやってきて復旧作業を手伝った。引率したリーダー趙貴済さんの活動報告が残された。
 彼らの活躍ぶりに感動して、私は韓国通信に3回に分けてレポートした。
 あれから9年。日本の社会は変わった。原発事故の責任が民主党政権にあるような言説まで飛び出す状況も生まれた。自分の責任を転嫁して自己を正当化する風潮―嘘、改ざん、口裏合わせーが政治の世界を中心に蔓延している。
 北朝鮮の脅威を煽った挙句、ネットウヨなみの感情的な反韓・嫌韓の言動が政府から飛び出すようになった。「美しい日本」は醜悪の真っ只中にある。コロナ脅威のなか、日本人は品格と優しさを取り戻すことができるだろうか。3.11に対する見舞いが全世界から寄せられたことを忘れない。台湾から多額の募金が寄せられ、被災者たちを感激させたことも。
 苦しい時こそ助け合う。
 大震災直後、北朝鮮の金正日委員長から義援金が届いた。それを知る日本人はあまりいない。彼の葬儀(2011.12)に日本政府は弔意はもちろん、一円の香典も送らなかった。日本の将来が心配だ。憎悪の応酬からは何も生まれない。拉致問題の解決は遠のくばかりだ。
2020.03.15  「本日休載」
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2020.03.08  「本日休載」
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2020.03.04 私が会った忘れ得ぬ人々(18)
岡本太郎さん――真の芸術には嫌ったらしさが要る
              
横田 喬 (作家)

 私は月に一度は渋谷経由で都心に出るが、気が向くと渋谷のJR駅~井の頭線駅の連絡通路に寄る。かの前衛美術家・故岡本太郎氏が制作した壁画『明日の神話』と対面し、その精気に触れたいからだ。高さ五・五㍍、幅三十㍍(制作時は三十二㍍)の巨大な画面。独特の鮮烈な色彩と幻覚的なタッチが利き、核時代の日常的な脅威に簡単に負けてたまるかという闘志がほのめく。この大作は彼の代表作・七〇年大阪万博の「太陽の塔」と制作時期がほぼ重なる。

 今から三十五年前の一九八五(昭和六〇)年、私は東京・青山の自宅を訪ね、差しで一時間余り彼とやりとりしている。当時の『朝日新聞』紙面(要旨)を引くと、
 ――森がまだ多かったころの青山に生まれた岡本は、漫画家の父・一平と作家の母・かの子との間の一人っ子。

 芸術家同士の両親にほったかされて育ち、「一日中はだしで森の中を野生動物のように駆け回った」。感受性が鋭く、近所の小学校に入ると、担任の教師の態度に「どうしても許せない不純なもの」を感じ、一年生の間に転校四度。慶応幼稚舎に入って、ようやく「厳しいけれど純粋な人柄の先生」と出会い、学校拒否がおさまる。

 自己主張の強い挑戦的な生き方は、その後も一貫する。あまりにも岡本太郎的、と一部に反発を買った大阪万国博シンボル・タワー「太陽の塔」の型破りな制作。自分を高く評価してくれる欧州などで暮らさず、日本で生きるのは「あらゆる問題をぶつけることができ、憎まれっ子になれるから」。カメラの方をにらみ返す形相は一代の利かん坊そのままだ。
 
 当時の取材ノートを改めると、太郎氏は含蓄のある発言を色々している。例えば、
 ――メキシコでは人が裸足で歩いてたり、昼間から日向ぼっこしていて、いいなと思う。
(『明日の神話』は)シケイロスの向こうを張り、「拒絶と生成」をテーマに世界最大の壁画を造る気で取り組んだ。「メキシコでは二千年来、僕の真似ばかりしてる」とジョークを言いながら。

 ――日本は全てにシステム化されて人間性を失い、べらぼうさを無くしてしまった。「太陽の塔」の顔は、余りにも個性的だったので悪口を言われた。石器時代を想定し、「なんだ、これは」という団子っ鼻に。恐ろしい相と平和な相、相反する相を複合させた。猛烈な虚無と、その底に渦巻く怒り。世界の不条理に対する心底からの怒りだな。

 岡本太郎(敬称略)は一九一一(明治四四)年に生まれた。父・一平は東京美術学校(現東京芸大)を出て『東京朝日新聞』に入社。一コマ漫画・漫文で漱石に認められ、一世を風靡する。母・かの子は与謝野晶子に師事し「明星」派歌人として出発。後に小説修行を積み、『鶴は病みき』『金魚繚乱』『老妓抄』などを著し、名声を博す。

 お嬢さん育ちのかの子は童女型の資質で、幼子の太郎がむずがって泣き止まないと途方に暮れ、一緒に泣いたりした。八方破れの素行をつかれ表でひどい意地悪に遭うと、泣き叫びながら玄関に駆け込み阿鼻叫喚といった場面も再三。反面、人の純情に触れれば、すぐ涙をこぼして感動した。「小学校一年の時に転校四度」という太郎の学校拒否が示す尋常ならざる感受性過敏は、その血筋かも。

 太郎は慶応義塾普通部(現慶応高校)を経て二九(昭和四)年に父と同じく東京美校に入学するが、半年で中退。父母と一緒にパリへ赴き、独り居残り、画業研鑽を志す。パリ遊学は父・一平の若き日の叶わぬ夢でもあった。そして、相似る繊細な魂同士の母子が一緒に居れば、とかく葛藤が生じ互いの成長を阻みかねぬ、という父の配慮も働いた。

 太郎はパリ郊外のリセ(日本の旧制中学相当)に学び、言葉に不自由しなくなる。ある日、画商の店でピカソの百号大の抽象ふうな静物画と対面。感動の余り、涙する。ピカソは三七年のパリ万博に大壁画『ゲルニカ』を出品した。この年、スペイン内戦に介入したナチス空軍が非武装の地方都市ゲルニカを盲爆~千人近い非戦闘員の老若男女が惨死。激怒したピカソが阿鼻叫喚の地獄図を彼独特のタッチで糾弾した大作だ。

 太郎は言う。「ゴッホは美しいけれど、決して綺麗ではない。ピカソも美しいが、綺麗ではない。醜いものの美しさというのがあり、真の芸術にはある種の嫌ったらしさが必要なのだ」。自身は三七年、シュールアンデパンダン展に半ば具象の作品『傷ましき腕』を発表。横長の油彩画で、国際シュールレアリスト・パリ展招待作品となった。

 シュールレアリスムの文学者アンドレ・ブルトンや画家・彫刻家マルクス・エルンストらとの親交が始まる。三九年、パリ大ソルボンヌ校で心理学・社会学・民族学を学び始め、研究対象を広げる。哲学者・思想家ジョルジュ・バタイユらとも交りを持ち、当時の蓄積が後年の飛躍の土台を築いたのは確かだろう。翌年、ヒトラー指揮下のナチ独逸軍がベルギー経由で侵攻。太郎はパリ陥落を目前に帰国する。

 彼は五一(昭和二六)年、東京国立博物館で縄文火焔型土器に接して強い衝撃を受け、こう語る。「荒々しい不協和音が唸りを立てるような形態と紋様。その異様なまでの神秘性に民族の生命力を感じ、人間に対する根源的な感動と信頼感を覚える」。縄文土器と出合い、彼には官製の伝統論と大きく異なる、今一つの「伝統」が見え始める。

 日本の各地を行脚し、壮大なそのフィールド・ワークの一端が『忘れられた日本/沖縄文化論』(六二年、毎日出版文化賞)に結実する。沖縄の村々に神が降る聖所・御嶽。多くは森の中に所在し、石やクバ、ガジュマルの木などが近くにあり、人々が寄せる無垢な信仰に彼は強く感動する。

 五九年、丹下健三設計の旧東京都庁舎に新奇な造形と極彩色がウリの陶板壁画七作品十一面を制作。彼は「これからの芸術は、映画やテレビなど広く一般の身近に触れるものこそ価値がある」と普遍性を重視した。日本橋・高島屋通路に『創生』、築地・松竹セントラル劇場に『青春』、銀座・数寄屋橋公園に『若い時計台』など都内各所を始め、全国各地に独特のパブリック・アートを百四十余も制作した。

 六七年にはメキシコを訪問し、かのシケイロスと交流する。太郎はメキシコの歴史風土と国民性を愛した。「世界中が均質化する中で、メキシコだけはひどく独自。民衆は陽気で、歌と踊りが大好き。貧しい国ながら、アメリカよりは文化的には高い、と誇りを持つ」と称えた。彼は古代マヤ・アステカ文化の高貴な神秘感に強い郷愁をかき立てられ、縄文文化・スキタイ文化などとの一体感を直覚する。

 メキシコの実業家に依頼され、首都の大ホテルのロビーに高さ五・五㍍、幅三十二㍍の大壁画を制作する。この作品こそが、幾多の転変をたどり、現今は渋谷駅通路に存在する、冒頭に記した『明日の神話』そのものだ。ひいき目を含め、私は岡本太郎こそ日本人離れしたスケールとバイタリティを備えた芸術作家だった、と感じている。
2020.03.01  「本日休載」

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2020.02.23  「本日休載」
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