2018.11.11 「本日休載」
 
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リベラル21編集委員会

2018.11.08 「下院喪失」トランプ氏に大ブレーキ
民主党は「どん底」から脱出
「決戦」は2年後、大統領選


金子敦郎(国際ジャーナリスト、元共同通信ワシントン支局長)


 トランプ大統領に対する米国民の最初の審判とされた米中間選挙は、民主党の下院多数派奪回という、予想通りの結果に終わった。これでトランプ氏の「暴走」にブレーキがかかるが、トランプ氏はさっそく「不正投票」があったなどと相変わらず。民主党はトランプ・ショックのどん底からは抜け出て、反撃に取り掛かるだろう。米国に深い分断をもたらした両党の妥協なき対立は、トランプ再選がかかる2年後の「総選挙」(大統領、両院議会の同時選挙)へ向けてさらに激化するに違いない。
 選挙結果を分析する詳しいデータはまだ明らかにされていないが、投票率が50%に迫り、中間選挙では記録的な高率になりそうなこと、その中で候補者でも投票者でも、女性の数がこれも記録的に増え、さらに若者の投票が目立ったという。トランプ大統領の登場に屈辱を味わい、危機感を高めた民主党の「草の根運動」の高まりがこの結果をもたらしたといえるだろう。
 共和党では選挙戦の追い込みで、中南米から米国を目指す難民・移民の大キャラバンをとらえて「脅威」をかき立て、「分断」をさらに深めさせる、といういつものトランプ戦術が支持層を奮い立たせ、敗北を最小限にとどめたと思われる。トランプ氏の世論動員力とこれに応える支持勢力にも衰えは見られない。両者の力関係は揺らぐには至っていない。  

ビジネス疑惑
 米議会の上下両院の権限は、最高裁および高裁判事や行政府高官の人事承認権を上院がもつ以外は変わらない。下院を民主党が握ったことによって、両院の判断にねじれが生じる。下院の各委員会の委員長は民主党が握る。トランプ大統領がなんでもできるという状況にストップがかかることは間違いない。両党の争いに大きな変化を生むことになるだろうが、トランプの「分断」を批判してきた民主党は、これをうまく使う知恵が必要だ。
 民主党が下院多数派を占めることで、大統領弾劾裁判の発議権を得た。弾劾は制度上、大統領を辞めさせる唯一の方法。下院は大統領を上院弾劾裁判所に訴追することができる。トランプ大統領には弾劾につなげ得る疑惑が数多くある。
 2016年大統領選挙でロシアの情報機関がトランプ選対幹部に頻繁に接触し、SNSを使って対立候補クリントン氏に不利な情報を大量に流したとするロシア疑惑は、FBI特別捜査が進展している。ここからいつ何が飛び出すかは分からないが、トランプ氏のビジネスがらみの疑惑は公然の秘密だ。米国では政府高官はその役職をビジネスに利用するこを禁じる法律がある(利益の相反)。就任に際してその資産を公開し、株券や証券類は全て売却を求められ、資産は第三者が運営する基金(blind fund)に預託することが義務づけられている。
 大統領はこうした法律の対象には書き込まれていないが、自主的に対応するという趣旨だとされる。大統領は納税証明書を開示することも慣行になってきた。トランプ氏はこのいずれにも応じていない。巨額の資産を形成してきた不動産業の実務は2人の息子にゆだねたとしているが、ビジネスを統括するトランプ・オーガニゼーション最高責任者のポストは握ったままである。
 ホワイトハウスのすぐそばに持っているホテルは、トランプ政権にかかわりのある米国内外の要人たちでにぎわっている。新聞によく出るのがフロリダにある豪華リゾート「マララーゴ」。安倍首相や習近平中国主席ら外国の首脳を招いて首脳会談の場に使われた。米国憲法は大統領が外国から金品を受け取ってはならないと定められている。民主党系の弁護士たちが、これらは大統領の地位を利用したビジネスにあたり、外国から利益を上げているのではないか-と調査を進めていて、一部はすでに提訴されている。
 民主党下院が弾劾に持ち込むまでには時間がかかる。上院の弾劾裁判所の決定は3分の2の多数に拠るので、共和党が多数を維持している限り、有罪判決は期待できない。しかし、弾劾への動きを進めることによって、トランプ氏が強い制約を受けることは間違いない。

アメリカン・ドリーム
 出口調査では、投票に際して強い関心を抱いたのは移民問題と保健問題だったという。移民受け入れ条件を厳格化し、すでに米国に入っている不法移民は追放するというのがトランプ政策。あの大キャラバンのように「アメリカン・ドリーム」を求めてくる移民によって繁栄してきた米国の在り方を変えることになる。ハイテク時代をリードするGAFAは移民の町、シリコンバレーから生まれたことを知らないとは思えないのだが。
 オバマ大統領が誕生した時、世界は米国民主主義を称賛した。しかし、共和党首脳部は「オバマを再選させないために全力を挙げる」と宣言、オバマ政権の主要な政策を全て阻止することに全力を傾けた。FOXニュースなどの保守系メディアもこれと一体となった。「オバマ氏は米国生まれではない」(大統領にはなれない)、「隠れモスレム」といった「フェイク情報」が執拗に流され、各種の世論調査によれば、共和党員の半数が信じた。このキャンペーンの先頭に立っていたのが、テレビの人気番組を持っていたトランプ氏だった。
 黒人大統領の登場は南北戦争の後も社会の底辺に潜んでいた「人種差別」を引き出すことにもなった。民主党との対決は先鋭化への道を走り出した。共和党では穏健派勢力が締め出され、低学歴が多い白人中心の党へ、民主党は高学歴の少数派白人と非白人(アフリカ系黒人、中南米系、アジア系)の連合体の党へと、それぞれ変形していった。
 PEWリサーチの調査によると、両党の関係は対立から敵対へと進んだ。ある著名な米ジャーナリストは、米国は「内戦(南北戦争)の第Ⅱ幕」に入ったと評している。

生き延びたオバマレガシー
 オバマ大統領が最優先に取り組んだのが国民皆保険制度つくりだった。「小さな政府」を旨とする共和党が絶対反対。何本も骨を抜かれたがなんとか成立はした。それでも「バマケア」と呼ばれて、党派を超えて低所得層に歓迎された。トランプ氏このオバマ・レガシー潰しに取り掛かったが、上院で与党から2人の離反者が出て失敗。共和党は中間選挙で残る数本の骨を抜き取った健保制度への乗り換えを図ったが支持層の支持は得られず、下院を奪われて「オバマケア」は生き残ることになった。
 トランプ氏をホワイトハウスに送り込んだのは、南部の低学歴・低所得の白人とグローバリズムの繁栄からとり残された斜陽産業地帯(ラストベルト)の白人労働者だったとされている。オバマケアで最も恩恵を受ける人たちでもあった。
 選挙戦の最大の焦点は民主党が下院の多数を獲得するか否かにあった。米国では大統領の与党が上下両院の多数を支配することも、逆に野党が両院を抑えることも、決して珍しいことではなかった。それでも米国の議会政治は機能してきた。この3者の間の「チェック・アンド・バランス」が保たれていたからだ。しかし、異常な大統領のもとで上下両院の多数を握る与党が大統領に追随するだけでチェック機能を失った。議会政治の危機である。中間選挙はこの危機を救った。

2020年への2年
 トランプ大統領の次の2年はいかにして再選を確実にするかにすべてをかけることになる。中間選挙の票狙いでは、花火を打ち上げるだけでその結果が後でどうなるかは気にしないで済ませた。北朝鮮の非核化問題はそれだ。20年あまり何の進展も選られなかった問題で、トランプ氏が力ずくの威嚇戦術から一転、「対話」に転進、新しい展望を開く「歴史的大成功」(トランプ)を収めた。選挙の票につながったかは分からないが、真の非核化を実現して朝鮮半島に安定と平和をもたらす道をつけるのはこれからの難問題だ。中国を主敵にした貿易戦争はどこまで突っ込むのか。支持者は喝采を叫んだが、農業や鉄鋼・アルミなど関連業界およびその裾野で物価値上がりが始まっている。いちばん苦しむのはトランプ支持の低所得層である。
 下院を失い予想されるこうした状態の中で、トランプ氏がなにがなんでも再選を狙うとなれば、苦しまぎれの「暴走」に出る可能性が高い。「内戦の第Ⅲ幕」は回避しなければならない。

                (完)
2018.11.04 「本日休載」
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2018.10.31  私が会った忘れ得ぬ人びと(2)
    三木睦子さん――政界・言論界で隠れもない女丈夫 

横田 喬(作家)

 怖いものなしで、思ったことは何でもズバズバ口にする政界・言論界の「肝っ玉母さん」だった。六年前までは健在で、まだまだ長生きしてほしかった。もう三十四年も前、一九八三(昭和五十八)年の『朝日新聞』の企画物の記事に、私が記したこんな文章がある。

 ――千葉女の威勢のよさそのまま、勝浦市生まれの元宰相夫人三木睦子(六六)の女丈夫ぶりは政界に隠れもない。徳島県人の夫三木武夫(七六)をよくもり立て、三木政権時代は「女総理」の異名さえとった。アンチ三木の閣僚や自民党幹部を夫に代わってやり込めたり、夫人の会などを督励して自派の結束を支えたり、勇ましい逸話は数々ある。

 生家は千葉政財界の名門・森コンツェルン。代議士でもあった亡父・森矗昶の薫陶を受け政治家稼業の表裏を学び、夫を支え「クリーン三木」の看板を守り通す。夫の宿敵・田中角栄への敵がい心を隠しておけず、「田中さんの強みは約束を忘れてしまえること。三木なら、財産を公開すると誓えば、バカ正直に必ず守るんだけど。まじめに勉強を勧める三木みたいのは煙たがられ、遊びに誘う悪友の方に人気が集まる。田中派ばかり増える情けない自民党なんて、もうやめちゃえばって三木にも言ってるのよ」。

 この発言を翌日の『朝日』夕刊一面のコラム「素粒子」が取り上げ、こうフォローした。<婦唱夫随となれば、大受け間違いなし。自民党なんかやめちゃったら、と三木元首相夫人。>

 「金権田中」対「クリーン三木」の衝突は宿命的で、必然の帰結だった。‘七四年、金脈問題で世論の指弾を浴び田中内閣が退陣し、緊急避難~棚ぼた式に三木政権が成立する。翌々年、突如ロッキード事件が発覚。三木はフォード大統領あてに親書を送って協力を求め、日本の最高検に米側の関連資料が届き、前首相・田中逮捕という非常事態に立ち至る。
が、刑事被告人・田中は郷里・新潟で圧倒的人気を誇って衆院の議席を維持し、自民党最大派閥の長として福田~大平~中曽根の歴代政権に睨みを利かす。利権や金力による利益誘導選挙、ずばり言えば土地ころがしによる土建政治――そういう角栄的なものが自民党では、力を発揮する。民主政治は結局のところ数合わせで、多数派が勝ちを収める。「水清ければ魚棲まず」、正論を吐くクリーン三木は煙たがられ、金回りのいい田中派に多くがなびく。気概に富む睦子さんがいかに歯噛みしても、冷厳な現実は覆らない。

 睦子さんは、私にこうも言った。
 ――財界人出身の代議士だった父には、政治家の妻の心得として「他人様から受け取ってもいいお金(寄付金)と絶対ダメなお金(賄賂)をしっかり見分けるように」と、篤と言い聞かされた。それが根本であり一切だ、と思っています。

 睦子さんには、‘七二年にも差しでインタビューしている。佐藤内閣の末期のころで、「三角大福」すなわち三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫ら自民党の実力者四人による後継争いが白熱化する折のこと。私は「お茶の間の『三角大福』」という企画を思いついた。夫人ないし娘さんに家庭人としての素顔をざっくばらんに語ってもらう趣向だ。

 睦子さんによる夫の紹介は、あからさま過ぎて少々びっくりした。
 ――まあ、ちょっと居ないくらい不器用な人ね。自分では着物の帯もちゃんと結べず、帯の先っぽをずるずる引きずって家の中をまごまごする。ご飯を食べるにも、お箸で上手に口元へ運べず、ぼろぼろこぼしてしまう。とにかく、困った人よ。
 が、ほほ笑みが浮かび、どこか不出来な子を思いやる母親のようで、好感が持てた。そんな不器用さが精神面にも通ずるのか、生来曲がったことが大嫌い。万事に融通が利かず、多数派工作なんかでも損してしまう、といった注釈もあったと記憶する。

 「三角大福」の争いは事実上「角福決戦」だったのだが、中間派の中曽根陣営が田中支持を打ち出して大勢が決し、私の企画はおじゃんになる。当時は福田派の若手議員だった森喜朗(元首相)から「田中派は札束ぎゅう詰めの鞄を議員会館に持ち込み、中間派を一本釣りしてるよ」と耳打ちされたのも忘れられない。

 角福決戦の前年、三木は参院改革をめざす企てに手を貸している。それまで参院議長を三期九年も務めた重宗雄三が「重宗王国」と言われる独裁体制を築き、その体制を長野出身の長老議員・木内四郎に譲ろうと図る。が、三木派の鍋島直紹をはじめ三木の檄を受けた自民党の反重宗派議員が「桜会」を結成して反重宗で結束し、参院改革に名乗りを上げた河野謙三を対抗馬に担ぐ。共産党を含む全野党が「桜会」と手を結んで反重宗でまとまり、投票の結果は百二十八票対百十八票となり、改革派の河野新議長が誕生する。

 当夜、平河町の小料理屋へ当時親しくしていた自民党参院議員の秘書氏と酒を飲みに行った。たまたま重宗前議長の年配の秘書氏もやはり飲みに来ていた。秘書同士で昵懇の仲らしく、酒の酔いも手伝って、重宗の秘書氏は聞き捨てならぬこんな放言をする。
 ――オヤジ(重宗を指す)は木内から三億もらう約束やった。俺はオヤジの仕事の十分の一はこなしとるから、三千万はもらう気でおった。それが、みんなパーや。

 佐藤内閣当時、参院自民党は大臣を順送りで三人出せる決まりで、重宗議長に三千万円ずつ包む習わしと噂された。参院出身の大臣は内閣改造ごとにころころ変わるから、三億円の出資位すぐ取り返せるのかも。自民党政治の闇は深い、と当時つくづく感じたものだ。

 本題の三木睦子さんに戻る。二〇〇〇年、村山富市元首相を会長とする「日朝国交促進国民協議会」が発足すると、副会長に就く。日本の社会が「北朝鮮叩き」一色に染まっても右ならいせず、ぶれず、怯まず、信念を貫き通す。‘〇四年、護憲派の作家や学者ら九人から成る「九条の会」呼びかけ人へ名を連ねる。加藤周一・鶴見俊輔・大江健三郎らの面々の中で、自民党政権の元首相夫人という彼女の存在は一際異彩を放った。

 夫・武夫は先の大戦に際し対米戦争反対を唱え、翼賛非推薦で衆院当選を果たす。心を許し合う非推薦の盟友に山口県選出の安倍寛がいた。晩年の彼女は、講演会でこう話した。
――安倍さんは、特高の目をかいくぐり、深夜に我が家を訪れたことがあります。おにぎりを結んでもてなした覚えは忘れられない。晋三さんも母方の祖父(岸信介)にばかり私淑せず、父方の方も少しは見習ったらと思います。
 全く同感。彼女は‘一二年に九十五歳で亡くなったが、物怖じしない「肝っ玉母さん」にはまだまだ長生きしてもらい、もっと直言を重ねてほしかった。
         
2018.10.28  本日休載
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     リベラル21編集委員会
2018.10.21  本日休載
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2018.10.18 偉大な歴史学者、先駆的な左翼だった農民・伊藤富雄の生涯
    ――八ヶ岳山麓から(268)――

阿部治平(もと高校教師)

長野県の諏訪神社は全国に1万社余りあるという諏訪社の本祠である。諏訪湖をへだてて南北に上社・下社があり、古来の特異な神事が残されていることでも知られている。

宮地直一氏(1886~1949)は戦前内務官僚として神社行政に携わる一方、国学院大学教授、東京帝国大学教授を歴任した神道学者である。彼は大正10(1921)年『諏訪史』編集のため諏訪郡中洲村(現諏訪市)の諏訪神社上社に滞在し、神官の長で神長官と呼ばれる守矢真幸家に所蔵されている室町時代の古文書「守矢家文書」解読にとりくんだ。ところがこれが難解この上なく、非常な苦闘を強いられた。

宮地氏からこのときの様子を直接話を聞いた考古学者藤森栄一氏(諏訪出身)によると、宮地氏が『年内神事次第日記』の難解部分に困惑していたとき、背後に近づいた人物があって、その難文をすらすらと読んだ。宮地氏は神の声かと思ったというが、見ると容貌魁偉(ようぼうかいい)、大入道のようで着流しにだらりと兵児帯をたらした百姓のおやじだった。こんなに驚いたことはなかったという。
宮地教授を驚かせた百姓おやじは、中洲村の農民・伊藤富雄(1891~1969)である。1937年『諏訪史第二巻』の後編が刊行されたが、氏はその後記のなかで「後編につき絶えず指導を受けたのは、本郡中州村下金子の篤学者伊藤富雄氏である」と書いている。

伊藤富雄氏は農業のかたわら、25,6歳のころから諏訪神社神長官守矢家に残された鎌倉時代から室町時代にかけての古文書解読を志した。もともと上諏訪町(現諏訪市)にあった旧制諏訪中学(現諏訪清陵高校)に1番で入学した秀才である。ところが「1番でなければ退学」という父親の方針があって、3年1学期のとき母親の出産で田植に追われて2番に下がったらすぐに退学させられた。
だが秀才だからといって、鎌倉・室町時代に神官らが自己流で書いた古文書をすらすら読めるわけではない。彼も「神社の神官に訊ねて見ても、大学の先生たちに質問しても誰も之を読解し得る人がありません。わたしは、祖先の残した記録でも五、六百年経てば、もう子孫には、わからなくなてしまうのかと、つくづく情けなく思い、同時に私の糞意地がこれを読み翻さないでおくものかと、発奮したのであります」といっている。
ノートに文書を書き写し、難読文字を〇にしておき、読み進んだところで前後から判読するといった努力がつづいた。このため、「研究資料入手の見込みのある所は、暇さえあれば、狼の飢えて食を求むる如く、猟りあるいた」といい、田の草取りから昼飯に帰り、資料を寝ころんだまま読みふけり、妻の一喝を食らって気がつけば日はすでに斜めであったとか、「家人の干渉を防御するため、真昼間に土蔵に入り中から心張棒を卸し」て資料を読んだという。

数え年22歳のとき父が亡くなった。彼には長男として弟妹5人を一人前にする責任があった。自作地60アールのほか、田畑2ヘクタールの地主で年50俵の年貢米があった。そのうえ父親の遺産7000円があったから(当時米麦が自給できれば月生活費は30円という)、弟二人を東京帝大、ひとりを陸軍士官学校、他の弟妹も中学、女学校を卒業させた。村の役職もひきうけ、昭和16(1941)年から中州村産業組合(現農協)の組合長をやり、1945年敗戦直前には村長を兼務した。

敗戦は彼に大きな衝撃を与えた。政治嫌いの民族主義者は「政治開眼」した。彼は日本再建のためには勤労大衆のエネルギーのほかないと、日本社会党に入党して農地改革を先導した。昭和22(1947)年第1回地方選挙には当時の衆議院議員林虎雄を擁立して民選知事として当選させ、自身も中州村村長に当選した。同年5月社会党県連委員長となり、6月副知事に任命され、供出米不足のため各地の農家にコメの供出を懇願して歩いた。
ところが23年夏、地方労働委員選任問題に絡み、絶大な権力をもつアメリカ占領軍軍政部長野県施政官と衝突し、11月には副知事を辞任して帰郷した。このとき県知事林虎雄の占領軍への対応の仕方を批判し、「虎サは弱い」と発言して、一時は地方の話題をさらったことを幼かったわたしも記憶している。

下野した伊藤氏を周りが放っておくはずはなく、とりわけ共産党は伊藤家に泊まり込みで入党工作をやり、伊藤氏はその勧誘に陥落した。とはいえ、彼はマルクス主義・社会主義への知識がないまま共産党に入党したのではない。自身、27,8歳のころから社会主義に関心を持ち始め、『共産党宣言』などを愛読したと述懐している。ロシア革命、大正デモクラシーの風潮は山国信州にも及んでいたのである。
彼は1949年から国政選挙に2回共産党から立候補して落選したが、それは共産党書記長徳田球一の側近伊藤律氏の説得によるものである。伊藤律氏は一時尾崎・ゾルゲ事件のスパイとされた人物である。50年には共産党中央が分裂、一部は武装闘争方針を掲げたから、それへの対応も伊藤氏の苦労のたねだったと思う。その後彼は、共産党の弁護士林百郎のために尽力して、64年にはみごと林氏を国政に返咲かせた。林氏は敗戦直後2度衆議院議員に当選したがその後は落選続きだった人物である。
伊藤氏の晩年は文筆活動が主になった。

伊藤富雄は一概に郷土史家といわれるが、研究領域は諏訪地方にとどまらず、時代も古代・中世にとどまらない。また行事・神事などの民俗に限定されることなく、政治社会経済にわたり、実証的な記述を基礎に、今に過去の人民の生活をいきいきとよみがえらせるものである。
神社の神事・行事はがんらい保守的、尚古的なものである。それを記録した中世の古文書には古代の政治的、社会的状況が色濃く反映している。彼はこう考えて古代史を考察した。たとえば古代諏訪・伊那地方には独立した小国家があり、それが大和朝廷の力に屈服してゆく過程を明らかにしたのである。

わたしが感銘を受けたのは「諏訪史第三巻批判草稿」である。これは、当時著名な日本史学者渡辺世祐教授が担当した『諏訪史第三巻(諏訪の中世史)』(1954年刊行)がもつ誤謬、欠落などをいちいち指摘、批判したものである。この類のものはほかにも数あり、中央の学者の権威に遠慮することなく、精密に史料を駆使して真偽をただし自説を展開している。かくして諏訪から伊那にかけての市町村史(誌)の古代・中世史部分はたいてい彼が執筆したものとなった。
1969年1月、この碩学は世を去った。78歳であった。

膨大な著作は、1970年代に至って子息麟太郎氏によって編集され、『伊藤富雄著作集』(全6巻)として刊行された。すでに諏訪地方でも伊藤富雄の名は忘れ去られつつある。年配者が「あれは偉い人だった」という程度で、じつに残念といわざるを得ない。
以上は『伊藤富雄著作集』(永井出版企画、1987年)、『藤森栄一著作集』(学生社、1986年)によった。(2018・10・10記)

2018.10.14  「本日休載」
今日10月14日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2018.10.10  24年にわたる再建への闘いを達成
          KBS京都放送労組3冊目の闘争記録出版

隅井孝雄 (ジャーナリスト、京都在住)

 9月21日、KBS労組は、達成した再建闘争の三冊目の記録、「市民が支えたKBS京都の再建」の出版記念の集会を開催した。24年にわたる再建闘争を中心になってけん引してきたKBS労組古住副委員長はあいさつの中で、この出版をもって再建闘争の終止符としたいと表明した。
24年にわたる再建への闘いを達成 
挨拶するKBS労組小泉委員長
集会には闘争を共にしてした、弁護士、学者、文化人、一般市民、闘争の過程で社員化された組合員、そして今は役員となった元組合員などおよそ50人が一堂に会して、長い年月をかけて一歩も引かず展開され、成果を上げた闘争の経過をこもごも語り合った。

 ▼名だたるフィクサー、経営中枢に入り込む
 KBS京都放送はラジオ局として1951年発足、1969年テレビ免許を取得した。経営の主体は長年の京都新聞オーナー白石家であったが、1883年に三代目社長である白石英司社長が急逝して以降、経営は悪化の一路をたどった。そして1989年、それまで10億円だった資本金を倍額増資したのをきっかけに、経営の中枢に当時フィクサーとした名高かった、山段芳治氏(キョート・ファイナンス)とイトマン事件の許英中氏が入り込み、それまでの経営陣は一掃された。

 ▼KBS社屋、放送設備、機材が担保に
KBS京都放送労働組合が「京都御所の西側に立つ放送局が丸ごと担保に入っている」ことを知ったのは89年の12月。経営の実態調査のため法務局の資料の謄本を閲覧していた担当執行委員が,146億円の根抵当権が設定され、土地、社屋、放送機材の一切が担保に入れられていることを発見した。
 1992年6月、債務の返済期限がきた。会社には返済の能力がない。このままでは社屋も放送設備、機材丸ごと競売され、放送局が消滅する。

▼労組が会社更生法申請、再建は曲折たどる
KBS京都の再建と、経営の正常化を目指し、労働組合自らが会社更生法を申請した。武器は従業員未払いボーナス7億円という債権者としての権利、労働組合としてまれにみる経営分析力、民放労連の全国的連帯、そして京都市民の圧倒的支援だった。「放送局の火を消さないで」という市民の署名は40万人に達した。
 会社更生法の適用により、更生管財人弁護士古屋野(こやの)康也氏の下で放送免許が継続され、2007年には更生手続きが終結、社員持ち株会を含む新たな経営体制が発足。そして、2015年10月会社再建は完全達成された。総額51億円に上る弁済金を完済したのである。その間さまざまな紆余曲折を組合員は経験した。
 更生法に入った後、京セラの稲森和夫会長が社屋売却の圧力を加えてきたが、労働組合がはねつけた(1999年)。稲盛氏は2003年の地上波デジタル化を促進する資金捻出に社屋売却は必要であるとの主張だったが、再建の主導権を握り、放送局を手中に入れたいという思惑も見えた。労働組合は、40億円とも言われたデジタル投資を13億円にまで圧縮する独自の提案を行うことで乗り越え、社屋を守った。

 ▼膨らむ負債を労組が防ぐ
 労働組合が負債の増加を防いだこともある。2004年、外部のプロデユーサーを名乗るM氏が大きなスポンサー収入と、視聴率が期待できるとして持ち込んだメキシコの連続ドラマを放送した、実際にはスポンサーからの入金がなく、視聴者からの反応もゼロ、2億円の利益が見込めるとした契約内容が虚偽であることを労働組合が暴いた。放送を早期に中止させることにより負債の上乗せを食い止めた。
 2010年、有力スポンサーであるJRA(中央競馬会)が年間8億円の出稿料の50%削減を提案してきたことも、再建の障害となる可能性があった。労働組合は新しい番組編成案を提案するとともに、JRAの削減を20%以内にとどめる必要のあることを会社側に提案して、危機を回避する事に成功した

 ▼非正規雇用解消への稀有な闘い
その後、債権完済に向かって進むなか、構内で働く派遣労働者社員の身分安定を図る取り組みを進めたことも特筆される。2012年1月には構内労働者100人の雇止めを撤回させるという、他に見られない成果を上げた。直用化、社員化の闘争も進んでいる。今回(9月21日)の集会でも、社員化されたばかりの二人の女子社員が、参加者の前でお礼の言葉を述べた。非正規雇用が拡大する日本の状況の中では、KBS労組の、非正規社員の組合加入、雇止めの撤回、雇用延長、そして社員化の取り組みは全国的に注目されている。

 ▼市民の放送を守り抜く
KBS労組は社会問題、政治問題にも敏感に反応してきた。2004年イラク戦争反対の立て看板を社屋前に建て、独自にデモ行進した。会社は立て看板の撤去を京都地裁に訴え、仮処分で一度は撤去されたものの、本訴で会社の撤去申し立ては却下された。2015年には秘密保護法と戦争法に反対するデモを敢行、言論、表現の自由をメインテーマに、市民との連帯の意思を表明して注目された。
 再建闘争の重要なスローガンの一つは「市民の放送を守る」だった。労組の呼びかけにこたえて結成された「アクセスクラブ」は市民の募金をえて、ラジオ番組「早川一光のばんざい人間」の1枠で20年にわたって市民の企画と制作費拠出による番組を放送し続けている。この企画に全面的協力を続けてきた早川一光さんが2018年6月死去された。そのため市民のアクセス番組の在りかたについて検討が行われている。テレビで市民が直接その声を届ける枠を持つに至っていないのは残念だが、ラジオアクセス番組は知名度が高く、見習いたいとの声が全国から寄せられている。
 "波乱万丈、前代未聞、破天荒な再建闘争に勝利”をうたい文句にした「市民が支えたKBS京都の再建、京都放送労組の闘い」は9月21日の集会に合わせて発刊された(頒価1000円)。
24年にわたる再建への闘いを達成
新たに出版されたKBS労組再建闘争の歩み

2018.10.08  男と女、実はくっきりとは分けられない?
          ―平成おうなつれづれ草(10)―

鎌倉矩子 (元大学教員)

この夏の終わりは雨が多く、気分の晴れない日が続いた。ふとおもいついて、映画『おくりびと』のDVDを観た。その中にちょっと、不意打ちを喰らうシーンがあった。
おくりびと本木雅弘が若い女性の遺体の最後の清めを行うシーン。全身を覆う布の下を滑らせていた本木の手が、いぶかしげに止まる。彼は目配せでかたわらの師匠、山崎努に交替を乞う。同じ所作を試みた山﨑は、静かにほとけの両親に近づいて言う。「ご遺体の化粧には女化粧と男化粧がありますが、どちらにしますか。」
映画はここで、亡くなった人と両親の間に長い葛藤があったことを明らかにする。儀式の後に母親はある種の平穏を得るのだが、そのくだりはここでは省略しよう。

2週間後、こんどは『新潮45』騒動である。
同誌10月号が9月18日に発売されると、特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」をめぐって社の内外から非難・批判が殺到。21日には新潮社社長の「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があったとの見解発表があり(朝日デジタル、2018/9/21)、続く25日夜には、同社取締り役会が『新潮45』の休刊を決定するに到った(同、9/27)。
念のためにいうと、「杉田水脈論文」とは、衆議院議員杉田水脈氏が『新潮45』8月号に寄稿した論文のことで、表題は『「LGBT」支援の度が過ぎる』、である。中に「同性カップルは“生産性”がないのだから、そこに税金を投入してよいかは是非がある」との表現があり、この点に特に、多方面からの非難・批判が集中していた。10月号はこれらの非難・批判に反撃を加える意図で編集されたのだが、結果は火に油を注いいだ。

こんなぐあいに、性的少数者の問題は不意に、私の日常に紛れ込んでくる。それが目立つようになったのはこの2,30年のことだろうか。
職場などで「あの人はホモだって」などと囁かれることは昔からあったが、それはどうということはなかった。そういう人がいるんだと思えば済む話であった。テレビに異形の化粧をしたタレントが現れるのを見てヤダナと思うこともあったが、それも見なければ済む話であった。
おや?と思うようになったのは、「当事者は苦しんでいる」という声が聞こえてくるようになってからである。女子の制服を着るか、男子の制服を着るかで苦しむ高校生がいるという話、自分の同性愛指向をカミングアウトするかしないかで苦しむ若者がいるという話、そんな話を新聞などで見かけるようになった。
私は長い間大学教員をしていたので、「となりの学科に“女の子として扱われたがっている男の子”が入学してくるそうだ!」という“ビッグニュース”を聞いたこともある。医療系の学部であるから生体観察の授業もある。実習時のグループ分けなどどうするのだろう。そんな事件がいつか私の学科にも起こるのではないか。他人事ではないという思いが、ひたひたと押し寄せた。

こんなとき一番困るのは、自分の中にモヤモヤが立ち込め、羅針盤を失った気分になってしまうことだ。
ありていに言えば、「男(女)の体を持ちながら自分を男(女)と思えない」とか、「男(女)に生まれながら、異性でなく同性を愛したいと思う」とか、そういうことを思う人間が存在するということが、“腑に落ちない”のである。
それはおそらく、「人間には男と女だけがいる」、「私も父(男)と母(女)から生まれた」という意識が、動かしがたく私の心の中にあるからだと思う。この自然の摂理に逆らう人々は、単に“趣味”の違いから生まれるのか? ならば当事者の中に“苦しい”と訴える人たちがいるのはなぜか?

あるとき、ある事実に気がついて、私の中の“もやもや”は消えた。

私が「分類」ということに興味をもち、それを手がけたのは職業上の動機からである。
私の専攻は「作業療法」であったが、若かりしある日、「ひとは生活の中で、5本の指をどのようにつかうのか」を解明したいと思い立った。それには日常における5本の指の動きとかたちをパターンとしてとらえ、分類してみるのが一番だと考えた。
攻略が容易な「静止のかたち」、それも物を持つ「把握のかたち」から着手した。おおよそ100種の実験物品を定め、7人の被験者にひとつずつ持ってもらい、多方向から写真を撮り、1被験者・1物品ごとの写真セットを作った。そしてこのセットを順次見比べた。手のかたちが似ているものを集めて“山”をつくり、この手続きをくりかえして「よし」と思ったところで止めると、全部で14の“山”ができあがった。個々の“山”に名を与え、特徴を整理すると、14の把握の類型が出揃った。
私はうれしかった。これらの類型は把握という現象のほぼ全域をカバーしており、それを使えば、目の前に現れた手のかたち(把握)をひとことで言い表すことが可能になったからである。
だが気懸かりが残った。それは、最後に少数の、どうしても“山”に入らないものが残ったことである。結局これらは、各類型の中間型(A/B)または合成型(A+B)とみなすことで解決したのだが、分類しきれないものがあったという事実は、決して忘れてはならないこととして心に残った。
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