2022.01.06 回顧と追悼
韓国通信NO686

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

 「多くの人間にとって本当に必要なものはそう多くはない。少なくとも私は『金さえあれば何でもできて幸せになる』という迷信、『武力さえあれば身が守られる』という妄信から自由である。  
 何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。」
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 2019年アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の言葉である。口先だけの軽薄な人間が次々と首相になるわが国で、彼は全世界に人の命と平和の大切さ人間の生き方を実践して見せてくれた。<写真/NHKETV特集から>

<コロナに明け暮れた2021年>
 忘れられない人たちが旅立った年でもあった。
 歴史を歪めた教科書の危険について警告し闘い続けた「子どもと教科書全国ネット21の俵義文さん(享年80)は、「生きることは手をつなぐこと。生きることは闘うこと。生きることは仲間を増やすこと。花には太陽を。子どもたちには平和を。」というメッセージを遺して逝った。
 評論家の内橋克人さん(享年89)。不公平な社会に心を痛めながら物静かで優しい語り口で、ともに生きる社会を訴え続けた。辛口の社会批判でありながら自分に言い聞かせる姿は宗教者のような深い感動があった。
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 歴史学者の色川大吉(享年96)さんは歴史の中の民衆に光をあて私たちに勇気と可能性を与えた。秩父困民党事件の講演を依頼したが日程の都合で実現しなかったのが悔やまれる。当時、若手新進気鋭の学者。あれから50年もたった。
 99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんの朴烈事件の小説化『余白の春―金子文子』、大杉栄と伊藤野枝を描いた『美は乱調にあり』はともに男女の愛をテーマにしながら社会性を持つ作品だった。明るく前向きな思考が多くの人から慕われた。90才を過ぎて反原発、安保法制反対集会でマイクを握り若者を励まし続けた。

 詩人金芝河の詩と生き方に触発され、韓国の民主化運動、なかでも光州市事件に衝撃をうけた富山妙子さんは絵画表現とともに日本の朝鮮半島侵略の歴史と責任を問い続けた。瀬戸内さんと同じ年齢で逝かれた。大先輩と同じテーマを追い続け、同時代を生きた同志である富山さんへ親しみと尊敬の念は断ちがたい。
 2006年に亡くなった詩人茨木のり子さんが生きていれば95才。ハングル学習の先輩として親しみを抱き一方的に雑文を送り付けた関係。亡くなってから15年たった今も、晩年の作品のひとこと「自分の感性くらい 自分で守れ ばかものよ」に励まされている。
私には程遠い存在だった人たちが私の中に生き続ける。記憶と彼らが遺したもの。私の生き方が問われているという緊張感がある。
 「私にやり残したものがあるとするなら…」と茨木のり子風に呟いてみるのだが、残された人生を「生きている限り」という思いは消えない。
 
 閑話休題
 ベストセラーとなった半藤一利(享年90)さんの『昭和史』は内容として目新しいものは無かった。むしろ今頃になって昭和史が注目されることに衝撃を受けた。戦前回帰の潮流のなかで、戦中派として伝えたかった反戦の意思を彼から受け継ぎたい。
 白戸三平(享年89)の『カムイ伝』から抵抗の止むことのない民衆の声を聞いた。高橋和巳の一連の作品をむさぼり読んだ時期に読んだ忘れられない作品として。
 テレビドラマ『若者たち』、『北の国から』の俳優田中邦衛(享年90)さんの熱演。傍らにいる友人のように、ともに怒り、悲しみ、笑って過ごした。
 歌手横井久美子さん(76)は「ボーチェ・アンジェリカ」のメンバー、後にフォークシンガーとして平和運動で活躍。労働組合の新年旗開きに招いたことがある。曲名は覚えていないが彼女とデュエットをした。組合の委員長をしていた余得。証拠写真も残っている。年下の人がなくなるのは辛い。
 森山真弓さん(93)。結婚式の来賓として新婦へ花向けの言葉「自立のために仕事を持ちなさい」が新鮮だった。官僚として労働省婦人少年局長を最後に政界入り(世襲議員と同様に嫌いなパターンだが)。自民党政権の官房長官、文部大臣、法務大臣を歴任した。「女性初」が付いて回る女性のトップランナーだった。自民党議員の中にあって女性の権利向上のために貢献したという評価は高い。大相撲で総理大臣杯を渡すことが「女人禁制」という相撲界の掟に阻まれた。女性初の官房長官が女性差別に苦汁を呑まされた。

<戦争は起こさせない>
 オミクロン株の感染拡大が不気味さを加えている中、台湾をめぐって米中対立が戦争に発展する気配がある。台湾有事に備えて日米共同作戦が具体化される。2016年に施行された安保法制によってわが国も米軍と一緒に戦闘に入るというシナリオだ。沖縄はもちろん全土が戦場になる。不戦の誓いを立てた平和国家である。「武力さえあれば身が守られるという妄信から自由でなければならない」(中村哲)。

Do you hear the people sing?  民衆の歌が聞こえるか?
Singing a song of angry men?   怒れる者たちの歌が
It is the music of a people     それは民衆の歌う歌
Who would not make war again! 二度と戦争をしない者たちの歌 
 若者たちの声にまじり死者たちの声が聞こえないだろうか。

2022.01.01 今こそ「護憲・軍縮・共生」に向けて力を合わせよう
2022年の年頭にあたって

岩垂 弘 (リベラル21運営委員会)

 私たち、マスメディアの動向に関心を持つ者有志がブログ「リベラル21」を立ち上げたのは2007年3月でした。それ以来、今年で15回目の新年を迎えることができました。硬派のブログがこんなにも長く、それも1日も休まず(ただし日曜日は休載)続いてきた例は珍しく、これも、この間、私どもや寄稿者の原稿をずっと読み続けてくださった読者の皆様の支持があったからだと考えています。改めて皆様に御礼を申し上げます。

 私たちがブログを開始するにあたって掲げたのは「護憲・軍縮・共生」でした。「護憲」「軍縮」については今さら説明の必要がありませんが、「共生」という文字に私たちが込めた思いは「人間同士の協同・連帯を強めよう」と、「自然との共生を図ろう」というものでした。
 ともあれ、私たちが求める社会は「護憲・軍縮・共生」をキーワードとするリベラルな社会なのだから、そうした社会の実現を目指して、幅広い人たちによるさまざまな意見や主張、情報をブログで発してゆこう――と考えたわけです。それから15年。世界と日本は果たして「護憲・軍縮・共生」の実現に向けて前進したでしょうか。私には、むしろ15年前より後退しているように思えてなりません。
 
  まず、「護憲」ですが、2012年以降の自民党・安倍晋三政権は憲法9条の改定に意欲を燃やしたものの、国民の抵抗にあって明文改憲を達成できず、やむなく憲法9条の解釈を変えて集団的自衛権の行使に道を開く安保関連法案を反対を押し切って成立させました。これにより、自衛隊が米軍とともに戦うことが可能になりました。
 自民党はその後、明文改憲のための改憲案を決定。改憲項目として「自衛隊の明記」「緊急事態条項の新設」「参議院の合区解消」「教育環境の充実」の4つを盛り込みました。改憲の主眼が自衛隊の明記、つまり9条改定にあるのは言うまでもありません。 

  昨年秋の総選挙で議席を増やした自民党、日本維新の会、国民民主党は俄然、改憲に意欲を見せ、今年7月に予定されている参院選で改憲勢力が3分の2以上を占めれば、いよいよ国会で改憲を発議し、国民投票にかけたい、としています。とりわけ自民党は、これまでの「憲法改正推進本部」を「憲法改正実現本部」に改称、各都道府県にも実現本部を設置するという熱の入れようです。岸田文雄首相は12月21日に開かれた実現本部の総会に出席し、改憲への意欲を示しましたが、首相が党の憲法組織に出席するのは異例、との報道がありました。

 どうやら、護憲派にとって今年が護憲運動の正念場となりそうです。 国民1人ひとりが「護憲か、改憲か」の選択を迫られる重大な年になるかもしれません。

 次いで「軍縮」問題はどうなっているでしょうか。ストックホルム国際平和研究所によれば、世界の軍事費は1990年代から毎年、上昇を続けており、2019年には総額1兆9170億米ドル(約199兆円)にのぼります。その38%が米国、14%が中国で、この2国で52%を占めます。つまり、世界は依然として軍拡の時代なのです。
 日本も防衛費が10年連続で増えています。政府の2022年度当初予算案では5兆4005億円で過去最大を更新。が、暮れの臨時国会で成立した21年度補正予算7738億円と合わせると6兆1744億円になり、初めて6兆円の大台に乗りました。対国内総生産(GDP) 比で1・09%になりますが、自民党は「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」(総選挙での公約)としています。まさに大軍拡への宣言です。

 「核軍縮」の面でも事態は好転するどころか悪化しています。核軍縮が進むどころか、核軍拡が進んでいるからです。
 1987年に米ソ首脳が中距離核ミサイル(INF)全廃条約に調印した時は世界の人びとに希望を与えました。これを機に軍縮が進展するだろうと思われたからです。しかし、米ロ間の核軍縮交渉は遅々として進まず、2018 年にトランプ米大統領がこの条約の破棄を発表、世界に衝撃を与えました。そればかりではありません。2020年には、米国防総省が「潜水艦に低出力の核弾頭を実戦配備した」と発表したことが、多くの人びとを恐怖に陥れました。「低出力の核弾頭」とは小型核爆弾 のことです。核兵器が実際に使用される危険性が一段と高まった、と受け取られたのです。一方、中国は中距離核ミサイルの増強に力を入れている、とされています。
 
  核戦争が勃発するのでは、と恐れた非同盟諸国や世界の非政府組織(NGO)の奔走で、2017年に核兵器禁止条約が国連で採択され、昨年発効、今年3月には第1回条約締結国会議が開かれます。しかし、核兵器保有国と米国の「核の傘」に依存している日本政府などは、これにそっぽを向いています。世界で唯一の戦争被爆国の国民が日本政府の態度を変えることができるかどうか、世界が注目しています。

 そして「共生」の面でも、私たちは今、極めて深刻な後退を余儀なくされています。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行) が、その決定的要因です。
 2年間にわたるパンデミックで、世界でも日本でも人間社会が分断され、人びとは孤立化させられつつあります。なにしろ、「新型コロナウイルスの感染拡大を防止するには3密を避けるのが一番」というわけですから、人が集まること自体が“悪”とされる世の中になってしまった。これでは、労働現場や地域における人と人との関係は疎遠、希薄になるばかりです。

 一番その影響を受けているのは社会運動です。社会運動とは、特定の目的なり要求なりを実現するために、同じ目的、要求をもった人たちが共同して展開する行動を言います。多くの場合、その行動は集会、デモ行進、署名活動といった形をとり、その規模が大きければ大きいほど世論形成の上で効果が期待できるとされています。 大勢の人が集まれば集まるほど、社会運動にとっては好ましいというわけです。

 ところが、人は密集してはいけないというわけですから、この2年間、日本では、人びとが一堂に会する大規模な社会運動は影を潜めました。その代わり、社会運動団体はオンラインで集会、講演会、シンポジウムなどに挑戦しています。
 しかし、このやり方にはどうしても限界があり、大勢の市民を集めることはできない。このまま推移すると、日本の社会運動は衰退してしまうのでは、と私の懸念は増すばかりです。

 「人間同士の協同・連帯」を取り戻すために、従来の集会・デモ、それにオンラインに代わる方策は他にないものか。人間の絆を強めるような手段は他にないものか。社会運動関係者をはじめ「リベラル21」の読者の皆さんに今こそ知恵をしぼっていただきたい。それが 新年を迎えた私の願いです。

 併せて読者の皆様が今年も引き続き「リベラル21」をご愛読くださいますようお願いします。

2021.12.27 三度「世界記憶遺産」への登録を目指す
原爆文学の保全を願う広島の市民団体

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 広島の市民団体「広島文学資料保全の会」(土屋時子代表)と広島市は、被爆作家3人の日記や手帳などを、「広島の被爆作家による原爆文学資料」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録するよう文部科学省へ共同申請していたが、国内審査で選に漏れたことが分かった。同保全の会と広島市は2015年にも同様の申請をし、やはり国内審査で落選しており、再度の落選に関係者の落胆も大きい。でも、同保全の会は「次回の国内審査が2023年度にあるので、そこでの登録を目指す」と意気軒髙だ。

 「世界の記憶」とは、ユネスコが1992年から始めた事業で、世界的に重要な記録物件への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的としている。この事業を代表するものが、人類史上特に重要な記録物件を国際的に登録する制度で、1995年から行われている。登録を決定するのはユネスコ執行委員会だが、審査は2年に1回、1カ国からの申請は2件以内とされている。ユネスコに申請をするのは文科省内にある日本ユネスコ国内委員会である。

 保全の会と広島市が共同申請したのは5点。2015年に申請した∇原爆詩人・峠三吉(1917~53年)の「ちちをかえせ ははをかえせ」で知られる「原爆詩集」の草稿∇詩人・栗原貞子(1913~2005年)が代表作「生ましめんかな」を書いた創作ノート∇小説「夏の花」の作者として知られる作家・原民喜(1905~51)が被爆直後の状況を記録した手帳、の3点に、峠が原爆投下前後の広島の状況を克明に書きつづった日記とメモを追加した。いずれも、遺族や関係団体から寄贈、寄託され、現在、原爆資料館が保管している。

 これまでに日本から世界記憶遺産に登録された物件は、「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」、「舞鶴への生還―1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録―」など7件。今回は、文科省管轄の日本ユネスコ国内委員会が11月中に2件の国際登録候補を選ぶのではと言われていた。

 保全の会によると、今回の審査には11件の申請があり、次の2件が国際登録候補に選ばれたという。

① 浄土宗大本山増上寺三大蔵(申請者:浄土宗、大本山増上寺)国指定重要文化財
② 智証大師円珍関係文書典籍(申請者:円城寺、東京国立博物館)全て国宝


 この結果について、保全の会の土屋代表は「世界の記憶遺産の審査基準は、資料の ①真正性②世界的な価値ですが、私どもは、原爆文学資料こそ被爆から76年を経て、体験の継承が難しくなっていく中で、 国や時代を超えて伝えていくべき貴重な資料であり、世界の記憶遺産に相応しいと確信していた。今回の結果は、申請者のみならず、広島市民にとっても、国内外の多くの賛同人の方々にとっても遺憾と言わざるを得ません」と語る。
 さらに、土屋代表は、これまでは公表されていた申請件数、申請内容、申請者、申請結果の委員長所見などが、今回から全て非公開になったことを問題視し、「国内選定においても、審査プロセスの透明性、公平化は世界記憶遺産制度をさらに発展させる上で必要不可欠な課題です」と話す。

 保全の会としては、次回の申請にあたっては、峠三吉、栗原貞子、原民喜の作品に広島市出身の被爆作家・大田洋子の作品も加えたい、としている。

2021.12.02 トロイメライ
韓国通信NO683

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

 セロ弾きのゴーシュは町の活動館のセロ弾きだ。遅くまで練習しているゴーシュに三毛猫がシューマンのトロイメライを弾いてくれと頼む。
 宮沢賢治はチェロやオルガンに親しみ、西洋音楽にも造詣が深かったようで、童話にトロイメライを登場させた。この曲は彼にとって特別なものだったような気がする。
 「子供の情景」作品15-7トロイメライは、夢、あるいは白昼夢と訳されるが、単なる子供のお昼寝のイメージではない。単純なメロディの繰り返しからシューマンの心象風景がほとばしり、引き込まれていく不思議な魅力にあふれた曲だ。
 シューマンの数ある作品の中で最高傑作と言う人もいる。ピアニストたちがアンコール曲として弾くことも多い。私の親友が生前、聞くに堪えるトロイメライを弾けるようになったらピアニストも一人前だと言っていたのを思い出す。

<憧れのトロイメライ>
 わが家にピアノを習いに来る子供に触発されて発表会で憧れのトロイメライを弾くことになった。初めは冗談のつもりだったが、9月から毎日1時間の練習を続けていくうちに、後に引けなくなった。
 目はかすみ、複雑に入り組んだ音符が読めないうえに指が動かない。人前で弾くのは無理と気づいたのは練習を始めてから1か月もたった頃だった。寝付かれず悶々とする日が続いた。精神と肉体ともに絶不調のなかで心は揺れた。体調を理由に辞退するのは簡単に思えた。
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 いつでも教えてくれる先生がいるのは恵まれているようで負担でもあった。
 短い曲なのに暗譜ができない。楽譜を見ても突然指が動かなくなる。緊張のため指は震え、ペダルが踏めない不安。「ピアノの先生のご主人?」。想像しただけで心は揺れに揺れた。
 発表会まで2週間を切った。
 気持ちに変化が起きた。上手に弾きたい、恥をかきたくないという愚かさに気づいた。なにも子供たちと張り合う必要はない。ただピアノを弾くだけでいい。子どもたちの世界に飛び込んで来た変なオジサンの奮闘ぶりを見てもらおう。かっこうをつけることはない。開き直った途端、気が楽になった。

 会場は柏市民文化会館、11月23日の午前の部。演奏直前までマスクの着用が求められ、観客席はソーシャルディスタンスがとられていた。あがり症の私には60人の観客は多すぎるほどだった。会場のピアノの白鍵がやけにまぶしい。私の前に弾いた小学6年生の舞ちゃんが堂々と弾き終えて引きあげてきた。4番、私の名前が場内マイクで告げられた。
 私の出現に小さなどよめきが伝わってきた。
 指をおろした瞬間、その日初めて触れるピアノに違和感はなかった。震えもない。自分の音が心地よく聞こえる。クレッシェンド、そしてリタルダンド。僕のトロイメライは「どうだい」。そんなゆとりさえ生まれた。一週間前から練習は3時間になっていた。弾き間違いも気にならない。そして最後のフェルマータのついた和音が自分の心と耳に残った。弾き終わった後の拍手もよく聞こえた。一世一代の事業は終わった。自己満足だけが残った。
 毎年、写真の担当をしてきた私が舞台に上がったので写真はない。老眼鏡をかけ、めっきり薄くなった頭に、やや猫背のトックリセーター姿。伝えられるのはそれだけ。演奏が終わって教師と二人の生徒の記念写真だけが残った。
 帰途、運転する私に「落ち着いていた」と妻が教師顔で言った。
 私は彼女に数日前に起きた心境の変化を話した。子どもたちと音楽をとおして繋がれればそれでいい。他に望むことは何もなくなったと。
 瓢箪から駒のようなピアノ発表会への挑戦だったが、その時期、実にくだらない選挙と隣り合わせだった。約9年に及んだ安倍・菅政権の国政の私物化、嘘で固めた民主政治の破壊。オリンピックの強行開催と後手に回ったコロナ対策。極に達した政治不信。自公政権の崩壊は目前に見えた。突然の首相更迭に続く総裁選騒ぎで争点はかき消され、何の実績もない新首相に国民から「信任を得た」と言わせてしまった。自民党の老獪さと立憲民社党の不甲斐なさが際立った。自分の頭で考えない大人たちの約半数が棄権、マスコミの誘導にまんまと引っかかった。

<高校生との出会い>
 平和も民主主義も生活も破局へ進むことが明らかになったさなかのピアノとの格闘。それでも本番で気持ちよくピアノが弾けたのは選挙に絡むある出来事があったからだ。
 「投票で政治を変えよう」とプラカードをかかげて駅前に立っていた私に話しかけてきた男子高校生がいた。彼は「風の又三郎」だったのかも知れない。
 「自民党はだめですか」、「人間を大切にしないからね」、「僕もそう思います」。見ず知らずの若者と政治について話をした。大人に話しかけるのは相当勇気が必要だったはず。「最近の若者は」と一刀両断にしながら若者に期待する大人の身勝手さに気づいた瞬間だった。若者たちは大人を見ている。彼の真剣な眼差しが、発表会参加に逡巡していた私に勇気を与えた。
 一瞬の演奏にかけた子供たちと共有した空間と時間。ともに努力し苦労したことから生まれた共感。「オジサン頑張ったね」というかわいい声が聞こえた。愚かな大人たちによる愚かな選挙に比べて音楽を通じた共感、子どもたちとの交流のなかから光が、トロイメライ<夢>が見えてきた。

2021.11.29  アフガニスタン、暫定政権発足から3か月半
        パンジュワク通信社が伝える現状(5)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 Pajhwok Afghan News(11月24-26日)

(カブール)アフガン政府当局者は24日、女子クリケット・チームは禁止されず、これまで通りプレーを続けるだろう、と語った。アフガニスタン・クリケット委員会(ACB)のミルワイス・アシュラル会長が、公式声明で明らかにした。同会長は、ACBは公式声明で、国際クリケット評議会(ICC)のアフガニスタンに対する主要な要求の一つである、と述べている。

(カブール)赤十字国際委員会は、アフガニスタンの飢えを避けるため、同国に対する制裁として凍結している同国の金融資産を使うべきだ、と声明した。(坂井注:米国などが凍結しているアフガニスタンの金融資産は数10億ドル)

(カブール)国連の報告によると、今年9月末までに、アフガニスタンでは内戦と生活不安のために、50万人近くの人々が難民化した。

(カブール)暫定政権当局は25日、すべての女学校、大学は新学期からイスラム法に基づいて再開される、と発表した。

(カンダハル市)南カンダハル州当局は25日、金属類の外国との貿易を禁止すると語った。

(カブール)治安当局によると、全国で逮捕された犯罪容疑者の91%は、カブールで逮捕された。

(フロズコ)現地住民によると、西ゴール州のシャハラク前犯罪局長が殺害された。

(ヘラート市)西ヘラート州住民によると、地元医師がタリバンによって射殺された。タリバンは事件について発言を拒否している。

(カブール)赤十字国際委員会(ICRC)は、アフガニスタンでの飢餓を防ぐために、現金が必要だと強調。
ICRCのドミニック・ステイ―ルハート部長は、アフガニスタンに対する経済制裁は、広範囲な疾病と飢えをもたらしている、それを防ぐため、赤十字基金国はアフガニスタンに基金を送る方法を見出ださなければならない、と強調した。
ドミニック氏はアフガニスタンのカビール副首相とカブールで会談。この訪問中に、厳しい飢えに襲われている子供たちと会ったと語った、
同氏は、ICRCの計画に基づき、資金と技術支援を18の重要病院に行うこと、この計画は、6カ月以内に約5千人の医師、看護師はじめ関係者への給与を含め支払う、と語った。

(カブール)アフガニスタン薬品労働連合(APSU)は、銀行からの資金規制によって、薬品の輸入がゼロになったと述べた。

(フィロズコ)西ゴール州の多くの住民は、医薬品と病院のベッド不足を訴えている。

(ガルデス)パクチア州の厚生衛生当局者は、最近の3か月間に保健体制が改善された、と語った。

(ガズニ市)ガズニ市当局者によると、総額3千2百万アフガニの投資が、同市とガズニ州南部の2地方で実施された。

(ティリンコット)ウルズガン州チナルト地方の1千家族以上の貧しい、内戦犠牲者が23日、食料支援を受け取った。

(カブール)難民・再会省はカブールにいる5千以上の難民家族が再会・家族復活した、と発表した。しかしなお、約1万の家族がカブールに避難したままだ。
カブール市のラヒムザイ難民局長は、冬期間中残された難民家族に衣料と食料を支給する努力が始まっていると語った。
2021.11.24 寂聴さんに、らいてうの家の庭で青空説法をしていただきたかった

米田佐代子(女性史研究者)


 出先で、思いがけない訃報を聞きました。11月になってから身辺多忙でブログを書くヒマもなく、あっというまに時間が経って行く最中でした。でも今日は書こう。瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなったという知らせを聞いてしまったのです。わが「平塚らいてうの会」(前身は「平塚らいてうを記念する会」)を熱心に応援してくださった方でもありました。謹んで哀悼の意を表します。
 平塚らいてうの会は、おカネもないのに茅ヶ崎にらいてうの記念碑を建て、記録映画作家羽田澄子さんを口説いてらいてうの記録映画『平塚らいてうの生涯』をつくり、さらに信州あずまや高原に「らいてうの家」を建設してしまうという無鉄砲ぶりを発揮してきたのですが、瀬戸内さんは、記念碑が完成したときは茅ヶ崎まで出向いてくださり、映画を作る途中で資金難に陥ったときは「有料」の講演会を開いて1600人も集まったその入場料を寄附するという離れ業で助けてくださいました。今は亡き小林登美枝さんが会長のとき「らいてうの家」建設運動が始まりますが、瀬戸内さんは呼びかけ人にもなってくださいました。
 その瀬戸内さんのことでわたしの忘れがたい思い出は、記録映画ができた時のエッセイです。羽田澄子さんは映画製作を頼まれたとき、「わたしは自分の考えでらいてうの映画を作ります」と宣言、一同どんな映画になるかと固唾をのんで完成を待ったのですが、完成後試写会を見た寂聴さんが週刊誌に書いたエッセイがわたしの心に残っています(週刊新潮2002年1月31日付)。
 瀬戸内さんは、試写会の席上で「恥かしいほど涙があふれて困ってしまった」と書いておられます。「私は実に大きな誤りをしていた。これまで私はらいてうの真骨頂は、青春時代、『青鞜』から身を引くまでで、若い燕の語源となった年下の奥村博史と結婚以後は、本来のオーラがなくなったと思い、戦後の平和運動はらいてう以外の人も出来ると思っていた」というのです。
 じつは、今でも少なくない人が似たような印象を持っているのではないか。らいてう没後に完成した『自伝』が、編集した小林登美枝さんの細心の配慮にもかかわらず、というより配慮がありすぎて、かえってらいてうの真髄を生きいき伝えるのに「物足りなさ」を感じさせたのではないかとわたしは感じています。というのは、最近らいてうの手書きの日記が発見され、それらが自伝に引用されたこともわかってきたからです。引用されなかった部分も含めると、そこから見えるらいてう像は、決して「既成の政治勢力に追随した」などというものではありません。らいてうの戦後の平和運動をそう見る論者もいるなかで、瀬戸内さんが2002年の時点で「そういう見方は間違っていた」と言ってくださったことにわたしは感動しました。瀬戸内さんはつづけて「羽田さんの、何のてらいもない、あるがままのらいてうのドキュメント映画を見せてもらい、後半生に至って涙が込み上げてきたのだった。らいてうの長い平和運動に至るまでの、長い人生の正直一途、純粋無垢な生き方こそ、ウーマンリブの元祖となるべきエネルギーの根源であり、そのパワーが結実した成果としての必然的な平和運動なのだと、肝に銘じてはじめて納得した」と書かれました。このコピーをわたしは20年近く大事に持ち続けています。
 わたしは、瀬戸内さんのこの言葉がらいてうに対してだけでなく、ご自身の晩年に向かう時代の生きかたを語っていると思う。この1年余り後に、火のようなこころざしをもってイラク戦争に反対、東日本大震災の時は寝込んでおられたのに原発事故を許せないとベッドから「ショック立ち」して被災地を訪ね、2015年「戦争法反対」の国会前での座り込み、2020年「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」の共同よびかけ人にも名を連ねたことなどを見れば一目瞭然です。わたしは2006年らいてうの家をオープンして以来らいてうが残した日記等を含む肉筆資料の保全と同時に資料を公開してらいてう研究を深め、「女たちはなぜ平和をめざすのか」を解き明かす仕事をしたいと思いつづけてきました。その仕事は遅々として進まず、瀬戸内さんにお目にかけられなかったことを愧じるほかありませんが、この11月20日の「らいてう没後50年」記念のつどいでは、こうした思いを込めて基調報告をしました。おそらくそれはわたしにとって「らいてうの会」会長としての最後の仕事になるでしょう。 さまざまな感想が寄せられ、らいてうがおよそ「運動家」としては不向きだったのに、「女が思うことを言わなければ」と思い定めて行動したことに共感した方が多いことにわたしも感動しています。
 一つだけ残念なのは、信州あずまや高原のカラマツと熊笹に覆われた雑木林を切りひらいて建てたらいてうの家の庭に瀬戸内さんをお招きして「青空説法」をしていただきかった願いが果たせなかったことです。何回もラブレターを出しましたが、京都から東京駅発の新幹線と北陸新幹線を乗り継ぎ、上田駅からの山道を40分も上ってきていただくのはもうできないと諦めました。いまでも夢に見るほどです。アカゲラがドラミングし、アサギマダラが渡り、夏は野生のカモシカも闊歩、クマも出没する高原のちいさな庭にお招きしたかった。でも、いいのです。らいてうだって日記に「ちいさな家でも建てたい」と書きながら「毎日平和平和といそがしく」訪ねることもなかったこの地に平和の種がまかれ、「らいてうのこころざしを受けつごう」というひとびとの「平和・協同・自然のひろば」が生きていることを、瀬戸内さん、空の上から見ていてくださいね。合掌。
          (「米田佐代子の森のやまんば日記」2021年11月12日付に補筆)
2021.11.05 タリバン政権下の現状報道を回復(2)

        アフガニスタンのパンジュワク通信社

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

PANJUWOK AFUGHAN NEWS(10月31日~11月1日、)

(カブ―ル)ローマで開催された主要20か国・地域首脳会議(G20)宣言にあたり、英国首相はアフガニスタンへの6千800万ドル以上の援助供与を約束した。
 米国は1億4千400万ドルの援助を供与する、と表明した。

(カブール)当社の調査によると、カブールとロガール、ワルダック州で、肉の値段が平均32%下落した。他州では肉の価格はほとんど変化がない。
 ワルダック州都のマイダンの肉売買業者アブドル・ラティフがパンジュワク通信社に語ったことによると、前政権崩壊後、牛肉1キロの価格は380アフガニから250アフガニに下落し、仔牛肉と仔羊肉は1キロ480アフガニから280アフガニに下落した。(21年8月18日現在、1ドル=86アフガニ)
 ロガール州アガ地方の住民シャムスル・ハクは、一部の住民は食肉が1キロ450~50アフガニになると期待して仔牛を買ったが、現在の売値は250~270アフガニにしかならない。シャムス・ハクは「肉の大部分が軍と治安警察によって消費されていた。カブールの食肉処理場では毎日、数百頭が処理され、渡されていたが、今では、どちらもいない」と語った。タリバンの勝利の前の2021年当時、政府軍と国家警察隊が30万人以上いた。

(カブール)バイデン米大統領とエルドアン・トルコ大統領はローマで会談し、アフガニスタンでの政治情勢について話し合った。
 ホワイトハウス当局によると、バイデンはトルコが20年近くにわたり、アフガニスタンでのNATO軍の役割に貢献したしたことに言及し、NATOの一員としての重要性に言及した。
 しかしバイデン大統領は、トルコがロシア製S-400を保有していることに懸念を示し、民主主義制度、人権尊重、法の支配の前進を要望した。
 両大統領は6月、アフガニスタンのカブールの国際空港をトルコが安全管理する可能性について協議したが、米軍撤退の混乱のなかでタリバンがカブールを支配したため、実現しなかった。

(ガルデス)南西部のパクチア州では、工場の80%が、原材料の欠如と経済的理由で閉鎖、2000人が失職した。

(カンダハル市)カンダハル州南部では、養鶏場の閉鎖によって鶏肉はじめ他の商品が値上がりしている。

(了)
2021.10.28 眞子さんに贈る祝福の言葉―「行き着くところまで行ってみよう」(平塚らいてう) 

米田佐代子(女性史研究者)

 
 この問題については、話題にすること自体がひとりの女性の選択に口を出すような気がして、「本人にまかせればいい」と考えてきました。今もそう思っているのですが、いよいよ名実ともに結婚される日が近づいてきたので、一言だけ祝福の言葉を贈ります。「眞子さん、ご自分の選択を貫かれたことを心からお祝いします」と。そして、わたしが研究の対象にしてきた平塚らいてうが100年以上も昔、当時の日本を支配してきた「家制度」のもとで、親の許しを得ることもせず、相手の家の「嫁」にはならないと決心して法律婚もせず、ただ自分の愛だけを信じて奥村博史と「事実婚」を実行したときの言葉をあなたに贈ろうと思います。
 らいてうは、「元始女性は太陽であった」で知られる女性です。「女性解放運動家」と紹介され、「ウーマンリブの元祖」ともてはやされ、女性の立場から平和運動の先頭に立った「平和思想家」でもあります。そういうと、らいてうはいかにも「勇ましい」女権論者の活動家であったように思われますが、そうではありません。迷い、動揺しながら自分の人生を生きた人です。
 有名な森田草平との「心中未遂事件」とさわがれたできごと(1908年、らいてう22歳)で、「教養ある男女が下賤な心中未遂」とマスコミのスキャンダル報道にさらされ、明治政府の役人であった父親は「進退伺」を提出するという状況に追い込まれたときは、禅の修行で「悟りを開いた」はずだったのに心が揺らぎ、「羽衣を奪われた天女のように」地べたにたたき落された思いを抱いて信州に逃れます。このときらいてうの両親にも葛藤はあったと思いますが、娘の行動について一言も責めたり「こうしなさい」と命令したりしなかったことも明治の人間としては稀有だった。そして、らいてうは信州の山々と向き合い、自然と対話するなかで「自分の主人は、他の誰でもない自分自身である」ことに気が付き、そこから自己を立て直していくのです。
 1911年『青鞜』発刊のときも、一方で「女性だけの手で作った雑誌」として全国の女性たちから熱狂的な支持を受けた半面、「新しい女」は「性的に放縦」「酒を飲んだり、吉原の遊女を訪ねたり、男まがいのことをする」などとバッシングされました。らいてうの著書も「家制度」批判の文章があったため発売禁止(推定―当時の警視庁は理由を明示しなかった)されます。非難を浴びて退社を余儀なくされる社員も出る中で、らいてうは「頼るものは、自分ひとりの力と信念、ただそれだけ」を支えにたたかい続けたのです。「後ろを顧みると「死」が大きな手を開いている/私は直往邁進せねばならぬ」と書いた文章が残っています。「思うことをまっすぐに実行する」精神は、らいてうの生涯をつらぬく信条になりました。
 そして1914年、らいてうは「結婚しない」と思い続けてきた自分が無名の画家奥村博史と出会って「恋に落ち」たことを自覚します。当時の常識であった「男は立身出世」「一家の大黒柱」にそぐわず収入もなく、自分の好きなことにしか興味を持たない年下の青年を愛した彼女は、初めに書いたようにじぶんの意志で共同生活を始めます。そのときらいてうが書いた「独立するについて両親に」という文章は『青鞜』誌上に公開されました。そこでらいてうは率直に「この愛がどこへ向かうかはわからない」けれど「今後どんな未知世界が私の前に開展し、私の思想なり、生活なりがどんなに変化していくものか一つ行き着く処まで行ってみよう」と書いています。「愛よ永遠に」などと言わないところがすごいと思う。そしてらいてうはそれから間もなく、これまたこれまで否定的であった「子を産む」選択をし、そこから「他者への愛」(altruism)にめざめ「世界平和」の提唱者になっていくのです。
 この言葉を、今新たな人生へと旅立つ眞子さんに贈りたい。あなたが選んだ道が世間並みの「幸福」に満ちているかどうかは問わなくていいと思う。どうかその道をまっすぐに歩いて行ってください。「予定調和的な」世界に安住しなくていいのだから。あのノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんも「日本に帰りたくない一つの理由」として「なぜなら、私は他の人と調和的に生活することができないからです」(「AERA」ドット・コム21年10月8日付)と答えています。アメリカは矛盾に満ちた国ですが、少なくともそこであなたは自由に生きる権利がある。それは独善的な自己主張ではなく、世界に人びとへの愛を紡ぐ「平和主義」の思想につながると思うから。どうぞお元気で。
(ブログ「米田佐代子の森のやまんば日記」から転載)

2021.10.26 原爆文学を今度こそ「世界記憶遺産」に
      広島の文学保全団体と広島市が共同申請 
 
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 広島文学資料保全の会(土屋時子代表)と広島市は10月15日、原爆詩人・峠三吉(1917~53年)ら被爆作家3人の日記や手帳などを、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録するよう文部科学省へ共同申請した。同会と同市は2015年にも申請したが、国内審査で落選しており、今回は2度目の申請。関係者は「広島出身の総理大臣が誕生したのだから、今度こそなんとしても実現を」と意気込んでいる。

 「世界の記憶」とは、ユネスコが1992年から始めた事業で、世界的に重要な記録物件への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的としている。この事業を代表するものが、人類史上特に重要な記録物件を国際的に登録する制度で、1995年から行われている。登録を決定するのはユネスコ執行委員会だが、審査は2年に1回、1カ国からの申請は2件以内とされている。ユネスコに申請をするのは文部省内にある日本ユネスコ国内委員会である。

 広島文学資料保全の会と広島市が共同申請したのは5点。2015年に申請した∇峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ」で知られる「原爆詩集」の最終草稿∇詩人・栗原貞子(1913~2005年)が代表作「生ましめんかな」を書いた創作ノート∇短編小説「夏の花」の作者として知られる作家・原民喜(1905~51)が被爆直後の状況を記録した手帳、の3点に、峠が原爆投下前後の広島の状況を克明に書きつづった日記とメモを追加した。いずれも、遺族や関係団体から寄贈、寄託され、現在、原爆資料館が保管している。

 共同申請にあたって記者会見した広島文学資料保全の会の土屋代表は「峠三吉ら3人の作品は25カ国語で翻訳されている。人類が忘れ去ってはならない資料だ。若い世代が3人の言葉の力を継承し、被爆の記憶をより深く知ってほしい」と語った。

 同会は、今回の世界記憶遺産登録申請にあたり、これへの賛同を呼びかけているが、すでに内外の260人を超す人が賛同人となることを承諾したという。その中には「被爆からすでに76年。被爆者の老齢化が進み、これからは、被爆の実相を証言する人が激減する。それだけに、被爆の惨状を伝える文学作品や被爆建造物はかけがえのない貴重な遺産だ。峠ら3人の作品は国際的な遺産として保存されるべきだと思う」とのメッセージを寄せた人もいる。
 
これまでに日本から世界記憶遺産に登録された物件は、「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」、「舞鶴への生還―1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録―」など7件である。今回は、日本ユネスコ国内委員会が11月中に2件の国内候補を選ぶとみられている。
2021.10.15  政治家も官僚ももっと本気で
        ―「ばらまき」が失礼などと言ってる場合か

田畑光永 (ジャーナリスト)

 11日の本ブログで岸田新首相の所信表明演説を論評した際に、岸田氏が「危機に対する財政支出はちゅうちょなく行い、万全を期します。経済あっての財政であり、順番を間違えてはなりません」という言葉を批判した。その際に、財務省事務次官の矢野康治氏が『文芸春秋』11月号に寄稿した文章を援用した。矢野氏の所論が現在の日本の財政状況を簡明に説明していたからである。
 ところがこの矢野氏に対して、自民党の高市政調会長が批判の声を上げた。その批判は主にテレビ番組での発言であるためにきちんとした文章にはなっていないのだが、趣旨は、矢野氏が「最近のばらまき合戦のような政策論を聞いていて、黙っているわけにはいかない」と書いているのに対して、「政治家は選挙によって選ばれた国民の代表である。その政治家のすることに官僚が『ばらまき合戦』などというのは失礼である」ということのようだ。
 この発言にも驚いた。この人は国民の代表である国会議員は「一段偉い人間である」と思っているようだ。だから国民の召使たる官僚如きが議員のすることに軽々しく「ばらまき」などと言うのは「控えおろう!」ということになるのだろう。
 とんでもない錯覚だ。衆議院議員のことを代議士とも呼ぶが、その名の通り、忙しい国民に「代わって」物事を考えるのが議員の仕事であって、別に人間が偉くなったわけではない。生活費(歳費・月額129萬4000円)のほかに「文書通信交通滞在費」(月額100万円)まで支給され、おまけに公費で秘書までついているのだから、しっかり人の話を聞いて勉強するのが政治家の仕事である。
 高市氏がここまで思い上がったのには、先の自民党総裁選挙で安倍元首相の応援のおかげらしいが、とにかく予想以上の国会議員票を集めたことが大いに影響しているのであろう。政治の世界ではこういう人間の小ささ、愚かしさが時に露骨に表れて、なんとも憮然たる思いにとらわれる。

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 さて、以上はじつは、これから書くことの前置きである。というのは、この高市発言は軽薄な思い上がりにすぎないにしても、じつはその裏には野党各党に対する政府与党の新政調会長としての顔つなぎのご挨拶の意味があったのではないか、というのが、本題である。まあ、私の勘ぐりかもしれないが・・・。
 どういうことか。コロナ禍をこれ幸いと財政出動の理由にするのはなにも自民党だけではない。今度の総選挙の公約ではいくつもの政党がさまざまな名目で現金を配ることを掲げている。まさに「ばらまき合戦」である。昨年は国政選挙がなかったから、1人10万円給付から始まって、ゴーツー何とかやら、飲食店への救済金やらはみんな政府与党のお手柄となってしまった。
 今度の選挙でやっと野党にもチャンスが回ってきたわけで、それぞれが思い思いに現金配布を打ち出している。そこで、「ばらまき合戦」を「失礼な言い方だ。基礎的財政収支(の黒字化)にこだわり、本当に困っている人を助けない。こんなバカげた話はない」という高市発言はバカげた理屈だが、そこには「ばらまき合戦」と言われて野党各党が感じる後ろめたさを幾分和らげる効果がありそうだからである。
 高市氏が言うように「本当に困っている人」だけに現金を配ることが出来るなら、規模もそれほど大きくならないし、立派な緊急対策と言えるだろう。しかし、そんなうまい方法はない。「本当に困っている人」を誰がどうやって判定するのか。きちんと判定しようと思えば、相当な人手と時間と経費がかかるだろう。場合によっては配布する金額よりもはるかに多額が必要となるかもしれない。
 したがって昨年の一律10万円もまさにそうだったが、配るとなれば大づかみにならざるを得ない。だから一日4万円とか6万円とかの飲食店の休業補償が一部で「コロナ景気」、「コロナ・ブーム」などと喜ばれたりもする。
 そんなことは自明なのに各党が公約に現金配布を掲げるのは、むしろその無駄こそが狙いと見られても仕方があるまい。べつに今日、明日の暮らしに困っていなくても、現金をもらってうれしくない人はいない。「配っても預金を増やすだけ」という矢野次官の所説は正しいが、選挙で票を合法的に金で買うためと考えれば、目的合理的な公約である。
 しかし、だからと言って、各党が似たような公約を掲げるのは無意味である。多くの党が現金配布を約束すれば、その効果は減衰するし、選挙後にはどんな形にせよ、なにがしかは配布しなければなるまい。財政に対する後遺症も確実に残る。
 災厄、災害となれば、国会は一も二もなく政府に緊急財政出動を迫るのがお決まりであるが、その迫り方はむしろ野党の方が積極的である。そしてその分をほかの支出を削って埋め合わせるということはまずない。財務省の抵抗を押しきることが政治の力という錯覚は高市氏ばかりでない。むしろ野党の方に強いかもしれない。
 おそらくそれは、役所は与党の味方であり、与党の言うことばかりに耳を傾けるのだから、役所の言い分を押し返すことが野党の本分と考えているからであろう。私はそれが財政健全化のためには大きなマイナスの働きをしていると考えている。
 今度の矢野発言問題で経済同友会の桜田謙悟代表幹事が12日の記者会見で、「書いてあることは事実だ。100%賛成する」と述べたという記事(10月13日・『日本経済新聞』朝刊)が印象に残った。正直に言えばイヤな感じである。
 矢野氏の文章は、言っていることに間違いはないにしても、財政を救うためには十分に利益を上げている企業に幾分たりとも負担を求めるという姿勢がないのが、私にはなんとも物足りない。一方、それを敏感に感じ取った財界が「100%賛成」と歓迎するのは見たくもない構図である。イヤな感じの元である。
 11日の拙文でも書いたが、2019年度の企業の内部留保(利益剰余金)は475兆円にも達している。国家的緊急課題である財政再建になんらかの形でそれを動員しない手はないと思うのだ。前文では「政治家、官僚の頭の使いどころ」と書いたが、素人の私でもいくつかやりようがあると感じるのだから、専門家にはさまざまな知恵があるはずなのだ。
 そこに政治家も官僚も目を向けないのがなんとももどかしい。それは「経済界は敵にしたくない」という思惑が、政府、与党ばかりか、野党にもしみわたっているという状況が反映しているのではないかと思えてくる。
 「タイタニックが氷山に衝突する」という警告は大事だが、それを言えばすむという問題ではない。財政破綻という惨事を避けるための非常手段をテーブルに載せるのが官僚の責務であるし、それを真剣に討議するのが政治家の仕事のはずだ。失礼だの無礼だのと呑気なことを言ってる段階ではもはやない、と思うのだが。