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2017.10.12  地理学者駒井正一先生を記念する
         ――八ヶ岳山麓から(237)―― 

阿部治平(もと高校教師)
  
このほど思いがけなく、東京大学出版会の元編集者渡邊勲さんから「自著を語る」という原稿を求められた。渡邊さんが面倒を見て出版した本の著者たちに、自著を語らせてそれを本にするというのである。わたしは『中国の自然地理』(1986年)について書くよう求められた。
たしかに、任美鍔・楊紉章・包浩生編著『中国自然地理綱要 修訂版』(商務印書館 1982年)を翻訳し、『中国の自然地理』として東京大学出版会から刊行したことがある。
しかし、この本のおもな訳者は駒井正一という地理学者である。
「自著を語る」べきは駒井先生である。だが、先生は2001 年1 月24日に他界した。享年57 歳。学者としては働き盛りというとき、文字通り急逝したのである。
誠実で学識の高かった学者を少しでも世間の人に知ってほしい。わたしは書かなければならないと思った。駒井先生は 京都大学文学部を卒業し、1971 年3月同大学院博士課程を修了したのち、信州大学で教鞭をとられ、1983 年に金沢大学に移られた。わたしと知り合ったのは信州大学時代である。

中国の地理書を駒井先生とともに翻訳するについてはこんないきさつがあった。友人の姫田光義氏が『中国近現代史』(1982年初版 東京大学出版会)への共同執筆を誘ってくれた。学者でもないものが大丈夫かという不安があったが、わたしは短い囲み記事をいくつか書いた。その時使用した資料に上記『中国自然地理綱要 修訂版』があった。
1965年から1999年まで、わたしは高校でおもに地理を教えた。60年代70年代には中国地理の概説書はなく、あっても文化大革命の影響で教材としてはあてにならない内容だった。わたしは編集者の渡邊さんに『中国自然地理綱要 修訂版』の翻訳出版を提案した。いや乞い願ったといったほうがよい。
渡邊さんはわたしの学力に不安を感じたものと思う。ほかに共同翻訳者がいないかと聞いた。わたしは駒井正一の名を挙げた。

高校地理の教科書には、必ず北アメリカ・ヨーロッパ・中国の3つの農業地域区分図がある。そのうちの中国の農業地域区分図は、1930年代の金陵大学農学院教授L.バック(『大地』の作者パール・バックの夫)の原図をもとに、若干の手を加えたものである。核心は、南の水稲地帯と北の小麦地帯の境界を秦嶺山脈と淮河を結ぶ線(800~850㎜の等降水量線/年)とするところである。
すでに1960年代半ばには、関西大学教授河野通博先生が『現代農業学習の構想』のなかで、中国農業の変化はL.バック図を過去のものにしたと指摘した。1970年代にも、文化大革命に心酔した人が中国に農業区分はないといった議論を発表していた。
もし作物分布に変化があるとすれば、教科書通りの地域区分を生徒に教えるわけにはいかない。それでわたしは手に入るだけの文献をあさった。東京神田の内山書店を通して「人民日報」をとり、農業や気象の記事の切抜きをつくった。
そのようにして得た結論は、自分でも意外だったが、当時の通説とは異なり、「やはりL.バック図は生きている」というものであった。これを論文「中国の農業地域区分について」として、古今書院の雑誌「地理」に投稿した。高校教師風情が権威ある地理学者を真っ向から批判した内容だったから、掲載するか否か「地理」編集部はかなり迷ったようである。だが結局掲載された(「地理」1977・10)。
すると河野先生は、自説を再検討し撤回するという意向を示された。その自己批判の中に駒井先生とわたしの名前があった。これによってわたしは初めて駒井正一の名を知ったのである。
わたしはさらに切抜きで得た知識をまとめて「四川盆地における冬季湛水田について」と題する文章を書いた。書いてみるとこれを発表したくなって、にわかに「経済地理学会」に入り、学会誌に原稿を送った。これが掲載に足るか否かを検討したのが駒井先生であった。
結果として先生は、論文の一部の訂正をもとめて掲載を許可したのだが、思いもかけず、その評価の中でわたしが以前書いた「中国の農業地域区分について」をプラスに評価してくださっていることがわかった。
以上のようなわけで、渡邊さんが「もう一人翻訳者はいないか」と聞いたとき、駒井正一の名を思い出したのだった。

当然のことながら東大出版会の編集部は、駒井先生とわたしが東大出身者でないうえに、原著が東大出版会の名に値するものか疑問に思ったのであろう。第二次大戦前からの中国乾燥地帯研究の権威保柳睦美氏に原著の検討を依頼した。保柳先生は原著に対して否定的だった。だが、わたしは地理教育の立場から最新の中国地理概説書が必要だと感じていたので、渡邊さんに強引に頼み込んで出版をきめてもらった。
翻訳は駒井先生が自然区画の原則部分と東北・華北・華中・華南・西南の各地区を、わたしが内モンゴル・西北・青蔵(チベット高原)の各地区と結びを担当した。
わたしにとっての大問題は動植物の同定であった。エングラー(H.G.A.Engler)の植物分類など知る由もなく、分類学入門書を初歩から学ばざるを得なかった。しかも学名を調べる「工具書」が手元になかった。やっとのことで『中国高等植物図鑑』(科学出版社)全5巻だの『中国植被』(同)だのを手にいれて、漢語から学名を確認したのち、日本の植物図鑑で和名を捜すという作業ができるようになった。動物・鉱物・土壌分野はまた別な辞書が必要で、それらの入手も容易ではなかった。
わたしが悪戦苦闘の末、ようやく担当範囲内の動植物名の和名を3分の1ほど調べおわったころ、駒井先生からそれら全部の和名リストが送られてきた。事情を察した先生が、大学内の人的、物的資源を駆使して調べあげてくださったのである。
わたしはこのときばかりは非常に申しわけないと思い、恥ずかしくも思った。自分の能力のなさを嘆いた。同時にしかるべき図書館にも遠く、属・種同定の質問をする相手もない環境を呪った。
さらに、駒井先生担当の「訳者あとがき」は訳書の価値を高めるものであった。ここには原書が中国地理学会の主流の地域区分法を批判して生まれたこと、斯界における原書に対する批判の内容、自然総合体といった地域区分上の概念、ロシア・ソ連地理学の影響、中国自然地理学の動向などが述べてある。
こういったいきさつがあって、わたしは訳者として自分の名前を入れるのを辞退した。いま『中国の自然地理』にわたしの名前があるのは、駒井先生と渡邊さんのわたしに対する「おなさけ」である。

わたしは、2000年以後11年余、中国に定住し大学で日本語を教えた。チベット高原の東北部青海省では5年間暮した。そして一時帰国したおり、渡邊さんから駒井先生が急逝されたことを知らされた。青天の霹靂というのはこのことだった。わたしは「せめてもの……」という思いに駆られて駒井夫人にお悔やみをおくった。夫人からは丁重な返事をいただいた。

わたしは自分が翻訳を担当した内モンゴルにたびたび出かけた。チベット人地域には5年ほど定住した。標高3000mを越える高原でもメーデーが終わり春が来ると、発情期のナキウサギOchotonaが追いかけっこをした。草原では雨の中にヒマラヤマーモットMarmota himalayanaがぼーっと立っていた。たまにはクロハゲワシAegypius monachusが悠々と大空をを飛んでいるのを見た。
6月以後の短い夏には花をたくさん見ることができた。ときどきキノコや赤紫のノビルの花と球根を取っている人を見かけた。羊やヤクの過剰放牧の草原にはキンロバイpotentillaが進出していた。
チベット高原でこうした生きものを見ているとき、わたしは学問途上で逝った駒井正一先生の残念さを思い、私に与えられたご厚情を思い、不意にいいしれぬ悲しみににとらわれることがあった。

2017.10.09  本日休載

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