2023.03.20
国際刑事裁判所(ICC)、プーチン大統領の逮捕状を発行―BBC報道
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)
BBC17日の報道によると、国際刑事裁判所(ICC)はこのほど、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の戦争犯罪に対し逮捕状を発行した。
ICCは、大量虐殺、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略を犯した個人を国際法に基づき訴迫、処罰するための常設の国際機関。1998年7月17日、ローマで160カ国が参加して開かれた国連外交会議で120カ国が賛成し、設立条約を採択。2002年7月1日に発効。日本も2007年に加盟している。
同裁判所は、プーチン大統領に戦争犯罪の責任があると主張し、ウクライナからロシアへの子どもたちの強制連行を厳しく追及、子供たちの送還を集中的に要求している。
ロシアが本格的な侵攻を開始した2022年2月24日以来ウクライナで戦争犯罪が行われたとしている。
モスクワはこの疑惑を否定し、令状は「言語道断」だとレッテルを貼っている。
ICCには容疑者を逮捕する権限はなく、加盟国内でしか裁判権を行使できない。さらにロシアはその加盟国ではないため、ICCの動きが大きな意味を持つ可能性は極めて低い。
しかし、国際的な旅行ができなくなるなど、大統領に別の形で影響を与える可能性はある。
ICCは声明で、プーチン氏が直接、あるいは他者と協力して犯罪行為を行ったと信じるに足る合理的な根拠があると述べている。また、プーチン氏が大統領権限を行使して子どもたちの強制送還を止めなかったことを非難している。
ICCの動きについて問われたジョー・バイデン米大統領は、「正当化されると思う」と答えた。同大統領は、米国がICCに加盟していないことを指摘した上で、「ICCは、非常に強い主張をしていると思う」と述べ、プーチン氏は「明らかに戦争犯罪を犯した」と述べた。
ロシアの子どもの権利担当委員であるマリア・ルボヴァ=ベロヴァ氏は、同じ罪でICCに指名手配されている。
彼女は過去に、ロシアに連行されたウクライナの子どもたちを洗脳する取り組みについて、公然と語っている。
同女史は昨年9月、ウクライナのマリウポリ市から連れ去られた一部の子どもたちが「(ロシア大統領の)悪口を言い、ウクライナ国歌を歌った」とロシアで訴えた。
彼女はまた、マリウポリから15歳の少年を養子にしたと主張している。
ICCは、当初は逮捕状を秘密にすることを検討したが、さらなる犯罪を阻止するために公開することを決めたと述べた。
ICC検事のカリム・カーンはBBCにこう語っている。「子どもたちを戦争の戦利品として扱うことは許されませんし、国外追放することもできません」
「こどもたち対するこの種の犯罪は、弁護士でなくとも、人間であれば、それがいかにひどい犯罪であるかを知ることができます」と述べた。
▼クレムリンは即座に否定
(分析) プーチンが戦争犯罪裁判を受けることはあるのだろうか?
逮捕令状に対する反応は発表から数分以内に起こり、クレムリン当局者は即座にこれを否定した。
プーチン大統領のドミトリー・ペスコフ報道官は、裁判所のいかなる決定も「無効である」と述べ、令状をトイレットペーパーに例えた。
「この紙を使うべきWHEREを説明する必要はない 」と、トイレットペーパーの絵文字を添えてツイッターに書き込んだ。
しかし、ロシアの野党指導者たちは、この発表を歓迎した。獄中の野党指導者アレクセイ・ナヴァルニーの側近であるイワン・ジュダノフは、「象徴的な一歩」だが重要な一歩だとツイートしている。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、「国家悪」に対する告発を決定したカーン氏とICCに感謝すると述べた。
ウクライナの検事総長は、この決定は「ウクライナにとって歴史的」であると述べ、同国のアンドリー・コスティン大統領首席補佐官は、この決定を「始まりにすぎない」と賞賛した。
▼ウラジーミル・プーチンは実際に逮捕されるのか?
しかし、ロシアはICCの署名メンバーではないため、ウラジーミル・プーチンやマリア・ルボヴァ=ベロヴァがハーグの法廷に出廷する可能性は極めて低い。
キングス・カレッジ・ロンドンの国際政治学講師であるジョナサン・リーダー・メイナード氏はBBCに、「ICCは逮捕するために各国政府の協力に頼っており、ロシアは明らかに協力するつもりはない」と述べた。
しかし、カーン氏は、クロアチア、ボスニア、コソボでの戦争犯罪で裁判にかけられたセルビアの指導者、スロボダン・ミロシェビッチ 氏がハーグで終わるとは誰も思わなかったと指摘した。
「昼間に犯罪をおかしても夜にはぐっすり眠れると思っている人は、歴史を振り返る必要があるかもしれません」と彼は言う。
法的には、プーチン氏には問題がある
プーチン氏はG20の首脳であり、中国の習近平氏と歴史的な会談を行おうとしているが、同時に指名手配犯でもあり、必然的に訪問できる国に制約が生じている。
一方、ロシアの戦争犯罪疑惑を否定してきたクレムリンにとっては、ICCのような影響力のある汎国家的な機関が、その否定を信じないというのは、恥ずべきことなのだ。(了)
2023.03.01
ロシアへの忖度と国際協調に揺れるハンガリー
盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)
ロシアのウクライナ侵攻から1年を迎える先週から今週にかけて、バイデン大統領のウクライナ訪問に前後し、ハンガリーでは中国共産党の王毅外交国務員がハンガリーを訪問し、その後にロシアへ向かい、プーチン大統領と会談した。

スイーヤルトー-ラブロフ会談(モスクワ、2022年7月)
ハンガリーの首脳は、ロシアの侵攻以後、一度もウクライナを訪問していないが、ハンガリー対外経済外務大臣スィーヤルトーは昨年2度、ロシアを訪問してラブロフ外相やガスプロム幹部と会談している。9月にはロシアとの二国間協議は行わないようにという欧州委員会の要請にもかかわらず、国連総会でラブロフ外相と二国間協議を行った。さらに今年に入って、スィーヤルトー外相は2月13日にはベラルーシを訪問した。これらの訪問はEU内でもとくに近隣諸国から批判されたが、これ見よがしのロシアやベラルーシ訪問は、現政権の瀬戸際外交の一環である。
スィーヤルトー外相が王毅政治局員と会談するのは、過去6年間で11度目だと言われている。それほどまでに現ハンガリー政府首脳は中国に入れ込んでいる。その結果が、ブダペスト-ベオグラード鉄道路線近代化への中国資金導入、復旦大学キャンパスの誘致、デブレツェン市への中国バッテリー工場の誘致である。
現在、デブレツェンに誘致される中国のバッテリー工場をめぐって、工場で1日に使用される水の量がデブレツェン市民の1日に使用する水量に匹敵することや、汚染水の処理をめぐって住民の反対運動を惹き起こしており、政府は抗議行動を鎮めるのに躍起になっている。住民請求による住民投票申請が選挙管理委員会で却下され、反対派の怒りが増している。政府は住民投票になじまないとして住民投票の選択肢を排除しており、住民と市・政府との対立が深まっている。
ヨーロッパへの足掛かりを得たい中国と、中国カードでEU内の立場を強めたいハンガリーの思惑は一致しているが、中国共産党の要人を迎えたハンガリー政府は、住民の抗議活動が高揚しても、後戻りできない状況にある。

王毅政治局員のハンガリー訪問(ブダペスト、2023年2月)
ハンガリー政府はこのような瀬戸際外交を展開しながら、他方でキィーウ訪問の後にワルシャワで開かれたバイデン大統領と「ブカレスト9(NATOに加盟している9つの中欧・東欧諸国)」首脳との会議には、トランプ支持・反バイデンを公言しているオルバン首相ではなく、ノヴァク大統領を派遣して、国際的な場での役割分担を行っている。ノヴァク大統領はハンガリー政権の中で唯一、ロシア侵略反対を公言する役割を求められており、対外的な対立を緩和する役割を果たしている。
このようにハンガリー政府は対内的な顔(主張)と対外的な顔(主張)を区別し、役割分担を行っている。
オルバン首相の年次教書
オルバン首相は2月18日、年次教書演説をおこなった。そのなかで、従来からの対ウクライナ戦争への姿勢を繰り返し強調した。オルバン首相のロシアの対ウクライナ戦争の評価で注目すべきは、次の点である。
1. ウクライナでの戦争は二つのスラブ民族の戦いであり、我々には無関係のものだ。そのような戦争にハンガリーがかかわる必要はなく、戦争の外に居続けることが重要だ。
2. 即時停戦が望ましい。戦争が長引けば、ウクライナの少数民族であるハンガリー系住民の生命と生存が脅かされるだけであり、即時に戦闘を停止すべきである。
3. ハンガリーは戦争を長期化させるすべての試みに反対する。したがって、今後もハンガリー領内の(NATOの)武器輸送を認めない。
このオルバン首相の論理にしたがえば、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟は戦争を激化させるから好ましくないということになるが、この二つの国の加盟は容認するしかないというのが、オルバン首相の政治判断である。しかし、トルコとハンガリーを除いて、すべてのNATO加盟国がすでに二国の加盟を批准しているのにたいし、ハンガリーはもったいぶって、いまだに二国の加盟を批准していない。さすがにこれはまずいと思ってか、オルバン首相は今国会で批准するようにFidesz(キリスト教民主国民党=政府与党)、国会議員団に指示している。ただ、議員団の中には、オルバン首相の論理に従って、加盟を認めるべきではないと主張する議員もいるようだが、国際協調の政治的判断から、オルバン首相は批准にゴーサインを出している。実際の批准は3月にずれ込みそうだ。
こうやって、最後の最後まで批准を引き延ばすことで、プーチン大統領とロシアに忖度サインを送っている。
2023.02.17
苦戦を強行するロシア、米欧はウクライナ支援強化
ロシアの侵略開始から満1年を直前にした、BBCの報道
プーチン政権下のロシア軍が、ウクライナ侵略戦争を開始(2022年2月24日)から1年。この間にロシア軍は、ウクライナ東部、南部の国境地帯を150-200キロ
占領。(同国は東西1,100キロ強、人口4,300万強。ロシア軍との厳しい闘いを続けている)。BBC放送は開戦1年を前に以下のような報道をしたー
BBCニュース
ウクライナのデータによると、ロシア兵は今月、侵攻の最初の週以来、いつにも増してウクライナで死亡している。
ウクライナのデータでは、2月に1日当たり824人のロシア兵が死亡している。
この数字は、英国国防省が取り上げたものだ。この数字は検証できないが、英国はこの傾向は「正確であろう」と述べている。
この増加は、ウクライナ当局が、ロシアが「大攻勢」をかけてきたと述べている戦闘による。
しかし、ウクライナ国家安全保障・防衛評議会(NSDC)のオレクシー・ダニロフ書記は、ロシアがこの作戦で「大きな問題」を起こしているとも述べている。
ダニロフ氏は、「我が軍は(攻撃を)非常に強力に撃退している」と述べた。「彼らが計画した攻勢は、すでに徐々に行われているが、彼らが想像した攻勢とは違う」と述べた。
先週、ウクライナのオレクシー・レズニコフ国防相は、本格的な侵攻の記念日である2月24日前後に新たなロシアの攻勢が予想されると述べた。
最も激しい戦闘は、ウクライナ東部のバフムート周辺で起きている。
日曜日に、ロシアのワグネル傭兵部隊のトップは、グループが荒廃した都市の近くの集落を押さえたと述べた。
エフゲニー・プリゴジンはテレグラムで次のように述べた。「今日、クラスナ・ホラの集落がワグナー徴兵部隊の攻撃分遣隊によって占拠された。」
ロシアのワグネル傭兵団とは?
プリゴジン氏はまた、バフムートへの攻撃について、ロシア軍の役割を軽視し、自分のグループを称賛した。「半径50km以内には、ワグネル徴兵団の戦闘員しかいない」と彼は書いている。
この発言は、ロシア軍とワグネルの間に長年にわたる緊張関係があることを示唆している。
今月、ソレダルの町が占領されたとき、プリゴジン氏は自分の戦闘機が完全にコントロールされていたと主張し、自分の部隊だけが参加したと自慢したが、ロシア国防省はこの主張に疑問を呈した。
バフムートの戦略的重要性は疑問視されているが、戦闘の長期化によって象徴的な賞品と化している。
英国が発表したウクライナのデータによると、1日に824人のロシア兵が死亡しており、これは6月と7月に1日に約172人のロシア兵が死亡した時の4倍以上である。
ウクライナ軍は、本格的な侵攻が始まって以来、ロシア軍の死者は13万7780人に上ると主張している。
英国国防総省は、最近の増加は「前線全体における訓練された人員、調整、資源の不足など、さまざまな要因」による可能性があると指摘した。
また、ウクライナは「高い消耗率に苦しみ続けている」と英国は述べている。
ロシア軍は昨年11月に南部の主要都市ケルソンから撤退して以来、ウクライナではほとんど進展がない。
先月は激しい戦闘の末、バフムートの北にあるソレダルの町を占領した。バフムートを占領すれば、ロシア軍は大都市クラマトルスクやスロビャンスクに向かって前進することが可能になる。
ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、予想されるロシアの攻撃を撃退するために、ウクライナに重火器を送ることを急ぐよう西側諸国に訴えた。
米国は先週、ウクライナの攻撃範囲を2倍にできる長距離ミサイルの送付に合意した。
しかしゼレンスキー大統領は、西側諸国が戦闘機を送ることを望んでいる。今週、英国議会を訪問した際、「強力な英国の飛行機を前もって皆さんに感謝しています」と述べた。(了)
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)
プーチン政権下のロシア軍が、ウクライナ侵略戦争を開始(2022年2月24日)から1年。この間にロシア軍は、ウクライナ東部、南部の国境地帯を150-200キロ
占領。(同国は東西1,100キロ強、人口4,300万強。ロシア軍との厳しい闘いを続けている)。BBC放送は開戦1年を前に以下のような報道をしたー
BBCニュース
ウクライナのデータによると、ロシア兵は今月、侵攻の最初の週以来、いつにも増してウクライナで死亡している。
ウクライナのデータでは、2月に1日当たり824人のロシア兵が死亡している。
この数字は、英国国防省が取り上げたものだ。この数字は検証できないが、英国はこの傾向は「正確であろう」と述べている。
この増加は、ウクライナ当局が、ロシアが「大攻勢」をかけてきたと述べている戦闘による。
しかし、ウクライナ国家安全保障・防衛評議会(NSDC)のオレクシー・ダニロフ書記は、ロシアがこの作戦で「大きな問題」を起こしているとも述べている。
ダニロフ氏は、「我が軍は(攻撃を)非常に強力に撃退している」と述べた。「彼らが計画した攻勢は、すでに徐々に行われているが、彼らが想像した攻勢とは違う」と述べた。
先週、ウクライナのオレクシー・レズニコフ国防相は、本格的な侵攻の記念日である2月24日前後に新たなロシアの攻勢が予想されると述べた。
最も激しい戦闘は、ウクライナ東部のバフムート周辺で起きている。
日曜日に、ロシアのワグネル傭兵部隊のトップは、グループが荒廃した都市の近くの集落を押さえたと述べた。
エフゲニー・プリゴジンはテレグラムで次のように述べた。「今日、クラスナ・ホラの集落がワグナー徴兵部隊の攻撃分遣隊によって占拠された。」
ロシアのワグネル傭兵団とは?
プリゴジン氏はまた、バフムートへの攻撃について、ロシア軍の役割を軽視し、自分のグループを称賛した。「半径50km以内には、ワグネル徴兵団の戦闘員しかいない」と彼は書いている。
この発言は、ロシア軍とワグネルの間に長年にわたる緊張関係があることを示唆している。
今月、ソレダルの町が占領されたとき、プリゴジン氏は自分の戦闘機が完全にコントロールされていたと主張し、自分の部隊だけが参加したと自慢したが、ロシア国防省はこの主張に疑問を呈した。
バフムートの戦略的重要性は疑問視されているが、戦闘の長期化によって象徴的な賞品と化している。
英国が発表したウクライナのデータによると、1日に824人のロシア兵が死亡しており、これは6月と7月に1日に約172人のロシア兵が死亡した時の4倍以上である。
ウクライナ軍は、本格的な侵攻が始まって以来、ロシア軍の死者は13万7780人に上ると主張している。
英国国防総省は、最近の増加は「前線全体における訓練された人員、調整、資源の不足など、さまざまな要因」による可能性があると指摘した。
また、ウクライナは「高い消耗率に苦しみ続けている」と英国は述べている。
ロシア軍は昨年11月に南部の主要都市ケルソンから撤退して以来、ウクライナではほとんど進展がない。
先月は激しい戦闘の末、バフムートの北にあるソレダルの町を占領した。バフムートを占領すれば、ロシア軍は大都市クラマトルスクやスロビャンスクに向かって前進することが可能になる。
ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、予想されるロシアの攻撃を撃退するために、ウクライナに重火器を送ることを急ぐよう西側諸国に訴えた。
米国は先週、ウクライナの攻撃範囲を2倍にできる長距離ミサイルの送付に合意した。
しかしゼレンスキー大統領は、西側諸国が戦闘機を送ることを望んでいる。今週、英国議会を訪問した際、「強力な英国の飛行機を前もって皆さんに感謝しています」と述べた。(了)
2023.02.16
天上の戦いの時代が始まるのだろうか
―中国は撃墜された気球の正体を明かすべきだ
人間が弓矢を使い始めたのはいつごろか。私にはまるで見当がつかないが、初めて矢に当たった人はどれほど驚いたことだろう。それまでも闘いはたくさんあったはずだが、そこで使われた武器は棒や刃物や、あるいは砕いた岩石なども「飛び道具」として使われたにしても、相手はまあ目に見えるところ、手の届くところにいたはずだ。
弓矢となると話が違ってくる。狙われていることに気が付かなければ、相手を見ることもなしに怪我をしたり、命を落としたりすることになった。戦いは大きく変わったはずだ。
それに匹敵する変化が今また進行中、ということになるのだろう。昨年2月からのウクライナ侵攻戦ではロシア軍がイラン製の無人機を大量に使っていると聞く。第二次大戦で爆撃を受けた経験のあるわれわれ世代にとって、上空高く悠々と飛びながら焼夷弾を情け容赦なくまき散らすB29 がどれほど憎かったことか。ところが、今後は爆弾を落とす飛行機には人間さえ乗っていないということになりそうだ。
そんな飛行機がやみくも(とも言えなくなりそうだが)に落とす爆弾で命を落とすことになったら、その瞬間、どんな気持ちがするのだろう。憎しみの対象さえ与えられずにこの世に別れを告げねばならないとは。ところが次は、さらにとしか言いようがないが、飛行機さえもいらなくなりそうな雲行きだ。
こんな縁起でもないことをいやでも考えさせられるこのところの気球騒ぎである。真っ白い大きな気球がゆっくり浮いているのをテレビで見せられたのは先月末だった。それが北米大陸上空を西北から東南へ横断して大西洋へ出たところで、米軍の戦闘機に「撃墜」された。今月の4日だった。
しかもそれで一件落着ではなく、数日おいて10日にアラスカで、翌11日はカナダで、12日にも米の五大湖地方で、と立て続けに3個の「飛行物体」が撃墜された。最初は気球で2個目からは飛行物体と呼び方が変わったのは、2個目からは最初のほどの大きさはなく、構造も簡単らしいからのようだが、どれも気球は気球のようである。
「空にゃ今日もアドバルン」という歌詞が昭和の初めの流行歌にあったが、それはおそらく当時の新しい風景を象徴していたのであろう。それが爆弾を積んで最新兵器として復活したとすれば、やはりこれも技術の進歩の範疇にはいるものなのだろうか。
最初の気球が上空からの偵察用なのか、あるいは爆弾を落とせる爆撃用なのか。もし後者だとすれば、今のところほかに気球爆弾を保有する国が現れたという話は聞かないから、この分野で中国は念願の世界のトップに立ったわけである。「習近平新時代の中国の特色をもった社会主義の偉大な勝利」ということになる。
しかし、それにしては中国の態度がいま一つはっきりしない。当初、米の「中国の爆弾か」という推測に対して、「気象状況を調べる民間会社の気球の進路がくるって迷い込んだ」と言っていた。しかし、それが何という会社で何を調べていたのかと追及されると、黙ってしまい、米から国防相同士の電話会談を持ち掛けられても応じなかった。
この経緯は、民間会社説そのものが急場を取り繕うための嘘であったことを自ら告白したようなものだ。そこで次は「中国の上空にも米の気球が侵入した」という逆襲に出た。中国外務省の王文斌副報道局長が13日の記者会見で「昨年1年間に米の気球が10回あまり中国に侵入した」と主張し、「米国がまずやるべきは反省することだ」と述べたそうである。そして「米国の気球が今後も中国の領空に飛んできた場合、必要な手段をとる権利を留保する」とも。
この外務省の新しい台詞の前触れのように、山東省青島市の海洋発展局という部署が前日の12日、山東半島沖で「正体不明の飛行物体が発見され、撃墜の準備をしている」と発表した。しかし市当局は「飛行物体がどんなものかまだ知らされていない」と説明しているという。(14日『日経』朝刊)
揚げ足をとるようで気が引けるが、発見して撃墜の準備をしている当事者が「どんなものかまだ知らされていない」というのも奇妙な話である。しかも、その飛行物体が確認されたのは山東半島の南沖約60㎞の海域だという。領海というのは沿岸から12カイリ(22.2㎞)以内だから山東半島沖60㎞は領海外の公海である。撃墜するなら、領海の上空を含む中国の「領空」を飛行していたことを合理的に説明しなければならない。中國側の主張の正体は「どんなものかまだ知らされていない」という青島市当局の言葉が明らかにしているのではないか。
勿論、最初に米が撃墜した気球の正体もまだ明らかになっていない。軽はずみにきめつけることは慎まなければならない。しかし、この問題で肝心なことは、気球爆弾などという危険千万なものが、今でさえなければいい兵器がいやというほど積み上げられているこの地球上にさらに上積みされるのを防ぐことだ。
日々、ウクライナから送られてくるニュース映像は、武器と生身の人間がぶつかった時の悲惨を今さらながら思い知らせる。気球が地上からの操作でどの程度に制御が効くのか分からないが、どうしたって風任せの部分は残るだろう。そんなものがふらふら飛び回る世界になるとは想像もしたくない。
それにしてもこの一件における中国政府の対応はなんともしまりがない。まずことが明るみに出たのは米のブリンケン国務長官が訪中する直前であった。同長官といえば、2年前の3月、米アンカレッジで中国の当時の楊潔篪国務委員、王毅外相と記者団の前で怒鳴り合いを演じた1人である(もう1人は米サリバン大統領補佐官)。したがって両国政府とも今度の同長官の訪中を関係修復のきっかけにしようとしていたことは間違いないだろう。
その直前にこんな事件が起こったとは、どういうことか。結果は同長官の訪中は中止され、両国関係はいっそうギクシャクしたものとなった。中國政府がそれを望んだのか、あるいは別の勢力が望んだのか、それともまったく別の思惑でのことか、いずれもないとは言えないし、どれと決めつける材料もない。
しかし、昨年10月の第20回共産党大会で総書記3選を勝ち取った習近平政権ではあるが、「1人勝ち」の表看板の内側のタガは相当に緩んでいることをうかがわせる1件であることは間違いない。(230214)
田畑光永 (ジャーナリスト)
人間が弓矢を使い始めたのはいつごろか。私にはまるで見当がつかないが、初めて矢に当たった人はどれほど驚いたことだろう。それまでも闘いはたくさんあったはずだが、そこで使われた武器は棒や刃物や、あるいは砕いた岩石なども「飛び道具」として使われたにしても、相手はまあ目に見えるところ、手の届くところにいたはずだ。
弓矢となると話が違ってくる。狙われていることに気が付かなければ、相手を見ることもなしに怪我をしたり、命を落としたりすることになった。戦いは大きく変わったはずだ。
それに匹敵する変化が今また進行中、ということになるのだろう。昨年2月からのウクライナ侵攻戦ではロシア軍がイラン製の無人機を大量に使っていると聞く。第二次大戦で爆撃を受けた経験のあるわれわれ世代にとって、上空高く悠々と飛びながら焼夷弾を情け容赦なくまき散らすB29 がどれほど憎かったことか。ところが、今後は爆弾を落とす飛行機には人間さえ乗っていないということになりそうだ。
そんな飛行機がやみくも(とも言えなくなりそうだが)に落とす爆弾で命を落とすことになったら、その瞬間、どんな気持ちがするのだろう。憎しみの対象さえ与えられずにこの世に別れを告げねばならないとは。ところが次は、さらにとしか言いようがないが、飛行機さえもいらなくなりそうな雲行きだ。
こんな縁起でもないことをいやでも考えさせられるこのところの気球騒ぎである。真っ白い大きな気球がゆっくり浮いているのをテレビで見せられたのは先月末だった。それが北米大陸上空を西北から東南へ横断して大西洋へ出たところで、米軍の戦闘機に「撃墜」された。今月の4日だった。
しかもそれで一件落着ではなく、数日おいて10日にアラスカで、翌11日はカナダで、12日にも米の五大湖地方で、と立て続けに3個の「飛行物体」が撃墜された。最初は気球で2個目からは飛行物体と呼び方が変わったのは、2個目からは最初のほどの大きさはなく、構造も簡単らしいからのようだが、どれも気球は気球のようである。
「空にゃ今日もアドバルン」という歌詞が昭和の初めの流行歌にあったが、それはおそらく当時の新しい風景を象徴していたのであろう。それが爆弾を積んで最新兵器として復活したとすれば、やはりこれも技術の進歩の範疇にはいるものなのだろうか。
最初の気球が上空からの偵察用なのか、あるいは爆弾を落とせる爆撃用なのか。もし後者だとすれば、今のところほかに気球爆弾を保有する国が現れたという話は聞かないから、この分野で中国は念願の世界のトップに立ったわけである。「習近平新時代の中国の特色をもった社会主義の偉大な勝利」ということになる。
しかし、それにしては中国の態度がいま一つはっきりしない。当初、米の「中国の爆弾か」という推測に対して、「気象状況を調べる民間会社の気球の進路がくるって迷い込んだ」と言っていた。しかし、それが何という会社で何を調べていたのかと追及されると、黙ってしまい、米から国防相同士の電話会談を持ち掛けられても応じなかった。
この経緯は、民間会社説そのものが急場を取り繕うための嘘であったことを自ら告白したようなものだ。そこで次は「中国の上空にも米の気球が侵入した」という逆襲に出た。中国外務省の王文斌副報道局長が13日の記者会見で「昨年1年間に米の気球が10回あまり中国に侵入した」と主張し、「米国がまずやるべきは反省することだ」と述べたそうである。そして「米国の気球が今後も中国の領空に飛んできた場合、必要な手段をとる権利を留保する」とも。
この外務省の新しい台詞の前触れのように、山東省青島市の海洋発展局という部署が前日の12日、山東半島沖で「正体不明の飛行物体が発見され、撃墜の準備をしている」と発表した。しかし市当局は「飛行物体がどんなものかまだ知らされていない」と説明しているという。(14日『日経』朝刊)
揚げ足をとるようで気が引けるが、発見して撃墜の準備をしている当事者が「どんなものかまだ知らされていない」というのも奇妙な話である。しかも、その飛行物体が確認されたのは山東半島の南沖約60㎞の海域だという。領海というのは沿岸から12カイリ(22.2㎞)以内だから山東半島沖60㎞は領海外の公海である。撃墜するなら、領海の上空を含む中国の「領空」を飛行していたことを合理的に説明しなければならない。中國側の主張の正体は「どんなものかまだ知らされていない」という青島市当局の言葉が明らかにしているのではないか。
勿論、最初に米が撃墜した気球の正体もまだ明らかになっていない。軽はずみにきめつけることは慎まなければならない。しかし、この問題で肝心なことは、気球爆弾などという危険千万なものが、今でさえなければいい兵器がいやというほど積み上げられているこの地球上にさらに上積みされるのを防ぐことだ。
日々、ウクライナから送られてくるニュース映像は、武器と生身の人間がぶつかった時の悲惨を今さらながら思い知らせる。気球が地上からの操作でどの程度に制御が効くのか分からないが、どうしたって風任せの部分は残るだろう。そんなものがふらふら飛び回る世界になるとは想像もしたくない。
それにしてもこの一件における中国政府の対応はなんともしまりがない。まずことが明るみに出たのは米のブリンケン国務長官が訪中する直前であった。同長官といえば、2年前の3月、米アンカレッジで中国の当時の楊潔篪国務委員、王毅外相と記者団の前で怒鳴り合いを演じた1人である(もう1人は米サリバン大統領補佐官)。したがって両国政府とも今度の同長官の訪中を関係修復のきっかけにしようとしていたことは間違いないだろう。
その直前にこんな事件が起こったとは、どういうことか。結果は同長官の訪中は中止され、両国関係はいっそうギクシャクしたものとなった。中國政府がそれを望んだのか、あるいは別の勢力が望んだのか、それともまったく別の思惑でのことか、いずれもないとは言えないし、どれと決めつける材料もない。
しかし、昨年10月の第20回共産党大会で総書記3選を勝ち取った習近平政権ではあるが、「1人勝ち」の表看板の内側のタガは相当に緩んでいることをうかがわせる1件であることは間違いない。(230214)
2023.01.20
政権与党の一つの金蔓―ハンガリーの場合
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)
ここ数日、ハンガリーでは、公益財団形態で運営されている大学について、EUの教育助成システムである「エラスムス・プラス」と科学研究イニシアティヴ「ホライズン・ヨーロッパ」の新規契約が停止されるという欧州委員会の決定をめぐって、大騒ぎになっています。これはEU補助金支給をめぐる17項目の是正勧告のうちの一つで、「大臣や次官など政府の要人は大学評議会に加わってはならない」という条件充足に違反するので、昨年12月15日以降の新規募集契約を停止するという措置です。
ハンガリーでは大学の運営形態を国家所有から公益財団所有に変えて、大学運営のトップに評議会を設置するという改革が行われています。現在、この形態で運営されている大学は21校あり、その評議会に政府の要人(大臣と高級官僚)が14名も参加しています。これは大学運営に政権政党が影響を与える可能性があり、腐敗の温床になるという観点から、欧州委員会が是正を求めている問題です。ヴァルガ法務大臣はミシュコルツ大学評議会委員長(報酬額月額140万Ft[フォリント・1Ft=0.35円])、スィーヤルトー対外経済外務大臣はジュール大学評議会委員(報酬額月額150万Ft)、ナヴラチッチ無任所大臣(EU補助金担当)がパンノン大学評議会委員長に就任しているほか、政権政党の政治家や政務次官が評議会メンバーになっていると報道されています。
これまで政権政党のFidesz[フィデス=ハンガリー市民同盟]は一つの戦略として、種々の公益財団を設立して一定の公的資金や国家資産を流し、その運営に政権幹部の息のかかった人物を据え、ほとぼりが冷めたころに財団を清算し、政権に近い事業者に売却するという手口を使ってきました。大学の場合は、評議会を通して大学に影響を与え、政権に忖度させる手法をとっています。これによって、大学内部の人事に影響を与えることができます。
オルバン首相は今日のラジオ番組で、例のごとく、「EUはハンガリーの政権交代を狙って攻撃しており、われわれはそれに屈することはない。EUが奨学金を出さないなら、ハンガリーの国家予算で奨学金を出すので、学生は心配いらない」と述べています。ここでも、EUの攻撃からハンガリーを守ることを強調する愛国者を演じています。
しかし、ハンガリーの政権与党の腐敗については次第に国民が知る状況になっています。改装が進むゲレルトホテルは、オルバン首相の女婿ティボルツ所有の会社に買収されることになりました。政権交代が起きた場合の腐敗捜査を免れるために、ティボルツ一家は昨年の総選挙前にスペイン・マルベーリャに移住し、そこでホテル経営を行うということでしたが、Fidesz勝利の後にハンガリーに戻り、再び活発に事業を拡大しています。「財産をもたないオルバン首相ほどのピューリタンはいない」とおべんちゃらを使うFidesz政治家もいますが、家族を含め、周辺には国家資金と国家資産の優先的配分で焼け太りした政治家や実業家で囲まれています。本人が直接手を下すことをしないだけですから、これはやくざの親分の手口と同じです。
2023.01.14
ハンガリーの対ロシア政策
―国民は本当に支持しているのだろうか
欧州首脳の中で、唯一、オルバン首相だけがプーチン大統領の新年の祝電を受け取った。
ハンガリーのトランプと称されるオルバン首相。オルバン首相自身、権威主義的な政治家を好んでいる。プーチン大統領に媚びを売り、トランプ大統領の再選を願い、エルドアン大統領(トルコ)との親密さを誇示し、習近平主席へエールを送っている。ハンガリー国民がオルバン首相の統治を容認していることは事実だが、いったいどれほどFidesz政権(フィデス=ハンガリー市民同盟・政府与党)の外交政策を支持しているのだろうか。
Fidesz政権による統治の軸になっているのは、ハンガリー・ファーストを掲げる民族主義政策と国内の地方住民・年金生活者を標的にしたポピュリスト政策である。この社会層を抑えるだけで、総選挙では絶対多数を獲得できるからである。事実、2022年の総選挙で野党は首都ブダペストで政権政党を圧倒したが、地方ではほぼ全滅した。ブダペスト市以外の選挙区では2、3の都市部を除いて、議席をまったく獲得できなかった。
Fidesz政権はハンガリー・ファースト政策とポピュリスト政策を実行するために、主要なメディアを掌中に収める徹底したメディア取込み策を実行している。公共放送を通してEUや「左翼」を徹底批判し、「ハンガリーの苦難」はすべて国内外の左翼自由主義勢力の攻撃から派生しているという陰謀史観を展開する。自らの政策的誤りを認めず、「国内外の左翼勢力がハンガリーの敵」であるという政治的主張で、すべて問題の原因を他者に求める。全国の500近い各種メディアを手中に収め、地方メディアへ全国一律のニュースを配信する。
それを支えるのが広報宣伝費である。ハンガリーのほとんどのメディアは政府広報による公的資金で支えられている。
さらにFidesz政府による重要な政治手段が、「国民コンサルテーション」と称されるアンケート調査である。これは有権者すべてを対象にした「意見聴取」の体裁をとった政治キャンペーンで、国会決議を経ることなく、政府がいつでも実行でき、質問事項も政府が作成するという手前味噌の「コンサルテーション」である。総選挙は4年一度だが、選挙間の緊張弛緩期に、Fidesz支持層を活性化させる政治的戦術である。もちろん、この実施費用は国家予算で賄われる。
「EU制裁反対」の国民コンサルテーション
ハンガリーはウクライナ支援のためにNATOが武器輸送にハンガリー領土を使うことを拒否している。枕詞として、「我々は平和を求める。ウクライナの領土の一体化を支持する」と言いながら、「ロシアの侵略」、「プーチンの戦争」という表現は一切使用しない。ただただ、「ハンガリーが戦争に巻き込まれてはいけない。ハンガリーは戦争の外にいることが重要」と言い続けるのみで、ウクライナにたいする連帯や感情的な寄り添いを見せることはない。
ハンガリー政府はEU首脳会議で対ロシア制裁に賛成しているが、国内向けには「制裁が国民を苦しめている」という制裁反対の立場を徹底している。各種メディアにも制裁反対キャンペーンの政府広告をだしている。ロシアの侵略戦争を批判することなく、「制裁がハンガリー国民」を苦しめていると主張することで、「ハンガリー国民を守るFidesz政府」を演じている。
政府の主張の正しさを証明するために、「EU制裁の是非を問う」と称する「国民コンサルテーション」(2022年10月14日開始)が実行された。このキャンペーンで設定された質問事項は以下の通りである。
1.「ブリュッセル(EU)は石油に対する制裁措置を決定した。貴方はこれに賛成か否か」
2.「制裁は天然ガスの輸送に広げられた。貴方はこれに賛成か否か」
3.「ブリュッセルの制裁は原材料にも及んでいる。貴方はこれに賛成か否か」
4.「EU加盟国の中には、核燃料にも制裁を科すべきだという意見がある。貴方はこれに賛成か否か」
5.「パクシ原発は低価格の電力を保証している。この拡張はロシア企業との共同で実行されている。欧州議会やいくつかの野党 はロシア企業との共同事業にも制裁を科すべきだとしている。拡張工事の停止は電力価格を引き上げ、電力供給を阻害する。貴方はこのようなパクシ原発投資への制裁に賛成か否か」
6.「制裁はヨーロッパの旅行業に打撃を与えている。ロシアからの旅行客が減少している。ハンガリーで数十万の人々に労働機会を与えている旅行業への制裁に貴方は賛成か否か」
7.「制裁は食料品価格を上昇させ、再び移民の流入の波を高めることになる。このような制裁措置に貴方は賛成か否か」

「国民コンサルテーション」キャンペーンの巨大ポスター
(標語は「ブリュッセルの制裁がわれわれを破壊する」)
事あるごとに「国民コンサルテーション」を連発する政府に多くの有権者は食傷気味で、とくに若い層や都市住民の間でその傾向がみられる。Fidesz政権を支持する層でも、ロシアの侵略批判を回避して、制裁反対だけを叫ぶのはあまりに不道徳で恥ずかしいと考える人が多いと思われる。事実、質問用紙と返送用封筒が送られてから1か月経た時点での回答数=「投票数」は35万人弱であった。これまでの「国民コンサルテーション」の一般傾向(野党は回答を拒否あるいは無視)では、回答数の95%が政府支持で、5%が不支持である。したがって、2022年総選挙でFideszに投票した有権者数306万人と比べると、1か月以内に積極的に政府支持のためにアンケート用紙を返送した人は、支持者の10%強に過ぎない。EUによる制裁反対の国内支持基盤を示したいFidesz政権の意気込みに比べて、有権者の反応は冷めていた。
このままでは終われない政府はFidesz活動家を動員して、アンケート回答数を増やそうとした。その結果、11月17日から1週間で回答数は70万通へと一挙に倍増し、さらにそれから1週間で総回答数が100万通に達した。

「国民コンサルテーション」回答数の推移 (出所:telex.hu Dec. 19)
さらに返送数を増やしたい政府は、政府のデジタル通知システムを使い、12月10日に有権者にE-mailを送信し、締切期限を12月15日まで延長すること、インターネットでアンケート用紙に答えることができることを通知し、追い込みを図った。その結果、最終の返送数は136万通に達した。政策の不支持者を除くと、ほぼ130万人がFidesz政府支持の意向を表明したことになる。この130万人がFidesz支持層の強固な核である。しかし、総選挙で政権政党Fideszに投票した残りの180万人弱は、政府支持を表明するアンケートに回答しなかった。ちなみに、ハンガリーの有権者総数は822万人である。
700万人近い有権者が政府のアンケートキャンペーンに参加していないのだから、この結果は政府が主張する「制裁がハンガリー国民を苦しめている」を支持するものだとは言い難い。最初からFidesz政府の政治的キャンペーンであることが見透かされている。ハンガリー国民はオルバン政権に代わる政治勢力を見出していないが、国民コンサルテーションに参加しないことで、政府の姿勢に無言の道徳観を示していると考えられる。
色あせる「国民コンサルテーション」
「国民コンサルテーション」による政治的キャンペーンが始められたのは、難民・移民問題が深刻になった2015年以降である。とくに2017年の「ソロス(ハンガリー出身の富豪)計画に反対する国民コンサルテーション」では、「欧州委員会の決定に影響力を行使しているソロスが問題の元凶」とする陰謀史観的な「疑似国民投票」だった。当時、ハンガリー政府から欧州委員(大臣)に送り出されていたナヴラチッチは、「EU委員会にソロス計画など存在しない」と発言したためにオルバン首相の怒りを買い、翌年の欧州議会選挙で当選不能なリスト順位に落とされ、政治家として干された経緯がある。しかし、当時は政府のキャンペーンが勝り、235万人もの有権者がコンサルテーションに回答した。
しかし、以後の「国民コンサルテーション」キャンペーンでは、回答する有権者の数が次第に減り、性的少数者擁護の教育や出版等を禁止する「家族を守る国民コンサルテーション」(2018年)は政府の予想に比べて低調に終わり(回答数138万)、国民世論をバックに欧州委員会へ対抗する目論見が外れた。

歴代の「国民コンサルテーション」参加数
(橙色は最初の1か月の数、赤茶色はその以後から締切までの数。単位千人)
出所:telex.hu Dec. 19
今次のEU制裁に反対する「国民コンサルテーション」は、あらゆる媒体を使った「制裁批判」展開にもかかわらず、過去最低の回答数だった2018年の国民コンサルテーションの回答数を下回る結果となった。これでは欧州委員会でオルバン首相が制裁反対を貫くことはできない。自ら墓穴を掘った形になった。
2019年、Fideszは総選挙準備のためにユンケル欧州委員会委員長とジョージ・ソロスを並べた巨大ポスターを全国に設置し、「彼らのたくらみを知る必要がある」というキャンペーンを張った。欧州議会の人民党会派出身のユンケル委員長への侮辱は、人民党会派から厳しい批判を受け、これがきっかけでFideszは事実上、人民党会派から除名された。こうした経緯も、オルバン首相をプーチンや習近平へと走らせた。自らのレーゾンデートルを求めて、欧州外の権威主義者に自らを擬えて、カリスマ性を誇示しようとしたのである。その仕上げがトランプ大統領への接近だった。
しかし、世界は変化している。オルバン首相の目論見は崩れつつある。少なくともトランプ大統領の再選やプーチン大統領の延命は限りなく難しい。ポスト・トランプ/ポスト・プーチン時代にオルバン首相が進むべき道はあるのだろうか。ハンガリー国民はEU離脱の選択を容認しないし、Fidesz支持者が望むところでもない。しかし、二兎を追う危うい外交戦略は、人民党会派からの除名(脱会)と類似の問題を惹き起こすだろう。
(盛田常夫「ブダペスト通信」2023年1月10日より)
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)
欧州首脳の中で、唯一、オルバン首相だけがプーチン大統領の新年の祝電を受け取った。
ハンガリーのトランプと称されるオルバン首相。オルバン首相自身、権威主義的な政治家を好んでいる。プーチン大統領に媚びを売り、トランプ大統領の再選を願い、エルドアン大統領(トルコ)との親密さを誇示し、習近平主席へエールを送っている。ハンガリー国民がオルバン首相の統治を容認していることは事実だが、いったいどれほどFidesz政権(フィデス=ハンガリー市民同盟・政府与党)の外交政策を支持しているのだろうか。
Fidesz政権による統治の軸になっているのは、ハンガリー・ファーストを掲げる民族主義政策と国内の地方住民・年金生活者を標的にしたポピュリスト政策である。この社会層を抑えるだけで、総選挙では絶対多数を獲得できるからである。事実、2022年の総選挙で野党は首都ブダペストで政権政党を圧倒したが、地方ではほぼ全滅した。ブダペスト市以外の選挙区では2、3の都市部を除いて、議席をまったく獲得できなかった。
Fidesz政権はハンガリー・ファースト政策とポピュリスト政策を実行するために、主要なメディアを掌中に収める徹底したメディア取込み策を実行している。公共放送を通してEUや「左翼」を徹底批判し、「ハンガリーの苦難」はすべて国内外の左翼自由主義勢力の攻撃から派生しているという陰謀史観を展開する。自らの政策的誤りを認めず、「国内外の左翼勢力がハンガリーの敵」であるという政治的主張で、すべて問題の原因を他者に求める。全国の500近い各種メディアを手中に収め、地方メディアへ全国一律のニュースを配信する。
それを支えるのが広報宣伝費である。ハンガリーのほとんどのメディアは政府広報による公的資金で支えられている。
さらにFidesz政府による重要な政治手段が、「国民コンサルテーション」と称されるアンケート調査である。これは有権者すべてを対象にした「意見聴取」の体裁をとった政治キャンペーンで、国会決議を経ることなく、政府がいつでも実行でき、質問事項も政府が作成するという手前味噌の「コンサルテーション」である。総選挙は4年一度だが、選挙間の緊張弛緩期に、Fidesz支持層を活性化させる政治的戦術である。もちろん、この実施費用は国家予算で賄われる。
「EU制裁反対」の国民コンサルテーション
ハンガリーはウクライナ支援のためにNATOが武器輸送にハンガリー領土を使うことを拒否している。枕詞として、「我々は平和を求める。ウクライナの領土の一体化を支持する」と言いながら、「ロシアの侵略」、「プーチンの戦争」という表現は一切使用しない。ただただ、「ハンガリーが戦争に巻き込まれてはいけない。ハンガリーは戦争の外にいることが重要」と言い続けるのみで、ウクライナにたいする連帯や感情的な寄り添いを見せることはない。
ハンガリー政府はEU首脳会議で対ロシア制裁に賛成しているが、国内向けには「制裁が国民を苦しめている」という制裁反対の立場を徹底している。各種メディアにも制裁反対キャンペーンの政府広告をだしている。ロシアの侵略戦争を批判することなく、「制裁がハンガリー国民」を苦しめていると主張することで、「ハンガリー国民を守るFidesz政府」を演じている。
政府の主張の正しさを証明するために、「EU制裁の是非を問う」と称する「国民コンサルテーション」(2022年10月14日開始)が実行された。このキャンペーンで設定された質問事項は以下の通りである。
1.「ブリュッセル(EU)は石油に対する制裁措置を決定した。貴方はこれに賛成か否か」
2.「制裁は天然ガスの輸送に広げられた。貴方はこれに賛成か否か」
3.「ブリュッセルの制裁は原材料にも及んでいる。貴方はこれに賛成か否か」
4.「EU加盟国の中には、核燃料にも制裁を科すべきだという意見がある。貴方はこれに賛成か否か」
5.「パクシ原発は低価格の電力を保証している。この拡張はロシア企業との共同で実行されている。欧州議会やいくつかの野党 はロシア企業との共同事業にも制裁を科すべきだとしている。拡張工事の停止は電力価格を引き上げ、電力供給を阻害する。貴方はこのようなパクシ原発投資への制裁に賛成か否か」
6.「制裁はヨーロッパの旅行業に打撃を与えている。ロシアからの旅行客が減少している。ハンガリーで数十万の人々に労働機会を与えている旅行業への制裁に貴方は賛成か否か」
7.「制裁は食料品価格を上昇させ、再び移民の流入の波を高めることになる。このような制裁措置に貴方は賛成か否か」

「国民コンサルテーション」キャンペーンの巨大ポスター
(標語は「ブリュッセルの制裁がわれわれを破壊する」)
事あるごとに「国民コンサルテーション」を連発する政府に多くの有権者は食傷気味で、とくに若い層や都市住民の間でその傾向がみられる。Fidesz政権を支持する層でも、ロシアの侵略批判を回避して、制裁反対だけを叫ぶのはあまりに不道徳で恥ずかしいと考える人が多いと思われる。事実、質問用紙と返送用封筒が送られてから1か月経た時点での回答数=「投票数」は35万人弱であった。これまでの「国民コンサルテーション」の一般傾向(野党は回答を拒否あるいは無視)では、回答数の95%が政府支持で、5%が不支持である。したがって、2022年総選挙でFideszに投票した有権者数306万人と比べると、1か月以内に積極的に政府支持のためにアンケート用紙を返送した人は、支持者の10%強に過ぎない。EUによる制裁反対の国内支持基盤を示したいFidesz政権の意気込みに比べて、有権者の反応は冷めていた。
このままでは終われない政府はFidesz活動家を動員して、アンケート回答数を増やそうとした。その結果、11月17日から1週間で回答数は70万通へと一挙に倍増し、さらにそれから1週間で総回答数が100万通に達した。

「国民コンサルテーション」回答数の推移 (出所:telex.hu Dec. 19)
さらに返送数を増やしたい政府は、政府のデジタル通知システムを使い、12月10日に有権者にE-mailを送信し、締切期限を12月15日まで延長すること、インターネットでアンケート用紙に答えることができることを通知し、追い込みを図った。その結果、最終の返送数は136万通に達した。政策の不支持者を除くと、ほぼ130万人がFidesz政府支持の意向を表明したことになる。この130万人がFidesz支持層の強固な核である。しかし、総選挙で政権政党Fideszに投票した残りの180万人弱は、政府支持を表明するアンケートに回答しなかった。ちなみに、ハンガリーの有権者総数は822万人である。
700万人近い有権者が政府のアンケートキャンペーンに参加していないのだから、この結果は政府が主張する「制裁がハンガリー国民を苦しめている」を支持するものだとは言い難い。最初からFidesz政府の政治的キャンペーンであることが見透かされている。ハンガリー国民はオルバン政権に代わる政治勢力を見出していないが、国民コンサルテーションに参加しないことで、政府の姿勢に無言の道徳観を示していると考えられる。
色あせる「国民コンサルテーション」
「国民コンサルテーション」による政治的キャンペーンが始められたのは、難民・移民問題が深刻になった2015年以降である。とくに2017年の「ソロス(ハンガリー出身の富豪)計画に反対する国民コンサルテーション」では、「欧州委員会の決定に影響力を行使しているソロスが問題の元凶」とする陰謀史観的な「疑似国民投票」だった。当時、ハンガリー政府から欧州委員(大臣)に送り出されていたナヴラチッチは、「EU委員会にソロス計画など存在しない」と発言したためにオルバン首相の怒りを買い、翌年の欧州議会選挙で当選不能なリスト順位に落とされ、政治家として干された経緯がある。しかし、当時は政府のキャンペーンが勝り、235万人もの有権者がコンサルテーションに回答した。
しかし、以後の「国民コンサルテーション」キャンペーンでは、回答する有権者の数が次第に減り、性的少数者擁護の教育や出版等を禁止する「家族を守る国民コンサルテーション」(2018年)は政府の予想に比べて低調に終わり(回答数138万)、国民世論をバックに欧州委員会へ対抗する目論見が外れた。

歴代の「国民コンサルテーション」参加数
(橙色は最初の1か月の数、赤茶色はその以後から締切までの数。単位千人)
出所:telex.hu Dec. 19
今次のEU制裁に反対する「国民コンサルテーション」は、あらゆる媒体を使った「制裁批判」展開にもかかわらず、過去最低の回答数だった2018年の国民コンサルテーションの回答数を下回る結果となった。これでは欧州委員会でオルバン首相が制裁反対を貫くことはできない。自ら墓穴を掘った形になった。
2019年、Fideszは総選挙準備のためにユンケル欧州委員会委員長とジョージ・ソロスを並べた巨大ポスターを全国に設置し、「彼らのたくらみを知る必要がある」というキャンペーンを張った。欧州議会の人民党会派出身のユンケル委員長への侮辱は、人民党会派から厳しい批判を受け、これがきっかけでFideszは事実上、人民党会派から除名された。こうした経緯も、オルバン首相をプーチンや習近平へと走らせた。自らのレーゾンデートルを求めて、欧州外の権威主義者に自らを擬えて、カリスマ性を誇示しようとしたのである。その仕上げがトランプ大統領への接近だった。
しかし、世界は変化している。オルバン首相の目論見は崩れつつある。少なくともトランプ大統領の再選やプーチン大統領の延命は限りなく難しい。ポスト・トランプ/ポスト・プーチン時代にオルバン首相が進むべき道はあるのだろうか。ハンガリー国民はEU離脱の選択を容認しないし、Fidesz支持者が望むところでもない。しかし、二兎を追う危うい外交戦略は、人民党会派からの除名(脱会)と類似の問題を惹き起こすだろう。
(盛田常夫「ブダペスト通信」2023年1月10日より)
2023.01.01
2023年元旦にあたって
プーチンの戦争は「プーチンの戦争」で終わらせよう
「リベラル21」編集委員会 田畑光永 (ジャーナリスト)
われわれがこのブログ、「リベラル21」をスタートしたのは2007年3月であった。今年で16回目の新年を迎えたのだが、今年ほど重苦しい気分でこの日を迎えた記憶はない。
言うまでもなく、ウクライナにおける戦火の故である。この世界から戦火が完全に消えた日がこれまでにあったのかどうか、不勉強の私には分からないが、これほど理不尽な戦争もまた珍しいのではないかと思う。
すくなくとも第二次世界大戦が終わって以降、戦火は極力なくすべきもの、平和は守るべきもの、という原則が広く受け入れられてから、これほどあからさまに一国の指導者の個人的野望のために国家の武力(兵士も含めて)が正々堂々と消費され、それが外国の国民と国土に巨大な被害をもたらす様を、鮮明に、日常的に、長期間にわたって見続けた記憶はない。
いつまでウクライナの国民はこんな状況を耐えなければならないのか。人間は強いものが弱いものを征服し、支配し、生きるに必要なものを弱いものから奪うのを当然とする枠組から所詮抜けきれないものと諦めなければならないのか。人類は昔からそうであった、そして、これからもそうであろう、と。
しかし、今度の戦争を通じて、そうとも言い切れない事象も生まれた。西側諸国からのウクライナに対する武器援助である。武器援助そのものは別に珍しいことではないが、多くは予想される衝突にあらかじめ約束されていた援助(武器に止まらず兵士までも)が実施されたという例が多い。
今回は事態が発生してから、期せずして多くの国から援助が提供されたように見えた。「そんなことはない、今度の戦争で世界の武器メーカーや商人がどれほど儲けたか」、という陰謀論めいた反論があることは承知しているが、私には国によって差はあれ、「プーチンの暴虐は許せない、ウクライナを助けるべきだ」という人間の自然な感情が期せずして形になったのが今回の特徴で、これがあらかじめ想定されていたこととは思えない。
とすれば、これは世界史的に見て新しい事象ではないか。戦闘を部外者の目で見て、他国の民衆が一方を許せないと思い、その感情がいわゆる反戦運動の枠に止まらず、自国政府を動かして、あるいは政府がそれを背に受けて、被害国を助けるために武器を送るとなったことは画期的ではなかろうか。
これは軍事同盟とは違う。軍事同盟は諸国間の矛盾対立の絡み合いと、当事国間の「意思と能力」のありようを事前に計算した上で行動が予定されるのであるが、今回のウクライナ支援は違う。起きた事態に衝撃を受けた各国の国民感情に発した支援実現であったと思う。プーチンがうまくいくはずと読んだ設計図が大きく外れたのはまさにその故である。
私はこの経験をこれからの安全保障に生かすべきだと考える。従来の軍事同盟はおおむね仮想敵は決まっていて、接点で衝突が起こればほぼ自動的に発動される構造となっている。起こるべき多くの事態はあらかじめ想定されている。一方が事を起こそうと思えば、相手の反応も相当程度予想できるだろう。
しかし、今回の武器援助のようなことが普通のこととして定着すれば、開戦を決意する側は自らの戦争目的が無関係な国の民衆の支持が得られるか否かを考えなければならなくなる。これは大きなブレーキとなるはずだ。
私はウクライナ戦争に触発された日本の国防論議には大きな違和感を禁じえない。いつもそうなのだが防衛論議といえば、まず予算増額、防衛力増強、新兵器調達と話の行方は決まっている。この論理で行けば、武器が多ければ多いほど世界は平和になるということにならざるを得ない。軍縮は戦争を誘発する危険な仕業となる。おかしくないか。
今回のことで、私はこういう平和の仕組はどうだろうかと考えた。平和を望む国々で「武器相互支援同盟」を結ぶ。そして国力に応じて資金を拠出して武器を一定量確保する。必要な場合には同盟としてさらに調達する。
そして同盟加盟国が攻撃を受けた場合は勿論、同盟国以外でも理不尽な攻撃を受けた国から要請を受けた場合には武器を無償で必要なだけ支援する。
その場合、大事なことは最初に発砲した国には(たとえ同盟加盟国であろうと)武器は絶対に供与しないとまず決めておくことだ。武器の先制不使用を誓えない国はこの同盟に参加できないこととするのだ。
次に大事なのは、ある国から武器の供与を求められた場合、それに応ずるか否かはまず参加国がそれぞれ、国民投票もしくは議会での投票で決めることとする。戦争とか軍事力とかとなると、ともすれば専門家の前で素人は口がきけなくなる。しかし、戦争の性質を見抜く力は一般国民が持っていることをこの同盟は前提とする。加盟国の判断が分かれた場合は加盟国間で協議の上、対応を決める。
なぜこのような取り決めが必要かと言えば、戦争を起こす国は民主主義が機能していない場合が多いからだ。国の統一と安全のために独裁が必要だなどといった詭弁を弄する政権には、守ってくれる友邦はないことを明らかにする必要がある。
大きな問題は「国」という概念をどう扱うかである。分裂国家や政権が複数ある国家をどう扱うかは難問である。しかし、同時にそういう国こそ紛争発生の危険がある。慎重に粘り強く解決策を見つけるしかないが、そこではあくまで「武器先制不使用」を共通の拠り所として世界をつないでいくことはできないものであろうか。
「プーチンの戦争」を不名誉の代名詞と世界が公認し、こういう戦争を2度と起こさせないために知恵を絞らなければならない。
(1月2日、3日は休載とします。次回は1月4日となります)
2022.10.26
中央委員の選挙はどのように?
―中国共産党大会を考える 7
中國共産党の第20回大会は22日に閉会した。最終日のメイン・イベントは第20期の中央委員とその候補委員、それに中央規律検査委員会の委員の選挙であった。
そして前者では205人の中央委員と171人の候補委員が選出され、後者では133人の規律検査委員が選ばれた。これらの委員は任期の5年間、つまり2027年の次期大会までその地位を保つ。
中央委員とその候補委員は9600万人の党員の代表であるが、日本の国会議員のようにそれ自体が職業ではなくて、それぞれが本職ともいうべき仕事を持つ。といっても、この人たちは各地の党委員会の書記(この地位はその単位のトップを意味する)とか、行政機関のトップとか、大学や研究機関の学長や所長といった重要な仕事を担う。
規律検査委員というのは、もっぱら汚職に目を光らせる人たちである。汚職取り締まりには国の機関として国家監察委員会というのがあるが、この2つは一冊の本の表裏の表紙のタイトルのような関係で、規律検査委は共産党の委員会という看板だが、その実体は国の検察機関といった関係である。
さて、中国共産党で中央委員会の上にある機関は中央政治局(24人)と、そのまた中枢の中央政治局常務委員会(7人)の2つの機関だけである。そのメンバーは中央委員会が選挙で決定する。つまり中央委員会というのは、自分たちは全党員の代表から選ばれ、自分たちは最高機関のメンバーを直接選出するというきわめて重要な集団である。
と、ここまでの説明で、ちょっと待てよ、という疑問が生じないだろうか。大会代表には2300人近い人数がいて、それが中央委員とその候補委員、合わせて400人近い人を選出するのだ。落選者もいるはずだから、投票する候補者は400人より多いはずだ。
つまり2300人が約400人の候補者から自分の意中の人を選ぶわけである。しかし、2300人も400人も全国から集まっているわけだから、お互いに知っている人間はほとんどいないだろう。それで選挙になるのだろうか。
地域別に選挙すればいいではないか、という議論もありうるが、中央委員と候補は得票数が意味を持ち、中央委員候補は中央委員に欠員が生じた場合、選挙の際の得票の多かった順に候補から正規の委員に繰り上げ当選することになっているから、地域別に投票したのでは順番がつけられなくなってしまう。
中国を長年、見てきても、じつはこういう簡単なことで分からない、知らないことが多い。勿論、そんなこと知ってるさ、という人も多いだろうが、恥ずかしながら、私は今まで知らなかった。
ところが今大会の最終日、22日の新華社電が「新中央委員会および中央規律検査委員会誕生記」という記事を配信した。それによって疑問の一部は解消したので、今回はそれを紹介したい。というのは、選挙といっても、中國ではこんなことをするのか、と驚いたからである。
記事によると、今次党大会の約2年前、2020年の年末、習近平総書記と党中央は早くも今次大会の2つの委員会の人事上の全体的準備に入った、という。そして翌21年、つまり昨年の3月、習総書記と共産党中央は「20回党大会幹部考察指導小組」というのを立ち上げ、習総書記自らがその組長に就任した。
そして6月には党中央政治局常務委、同政治局の会議で「第20期(つまり今回の大会で決定する)『両委員会』(中央委と規律検査委)の人事工作に関する意見」が採択された。
7月には「第20期『両委』人選考察総体法案」なるものによって、その具体案が決まった。ところで、ここまでに「考察」という単語が出てきて、なんのことかと首を傾げた方も多いと思うが、ここでは日本語の「選抜」という意味に近い。つまり「両委人選考察」というのは中央委、規律検査委の委員にする資格のある人間を選ぶことなのである。
党大会における人事の選挙とは党員の中から出てきた役職候補者を党員の代表が選ぶもの、というのがわれわれの理解だが、中国の場合、その候補者を党のほうでまず選抜するのである。そこがこの選挙のミソである。具体的にどう進められたか。
2021年7月末、党中央は45の「考察組」(選抜班)を3グループに分けて、31の省、区、市、124の党と国家の機関、中央金融企業、在北京中央企業に派遣し、また中央軍事委員会は8つの「考察組」を全軍25の軍事委員会と大きな機関に派遣して選抜にあたった、という。
選抜の基準といえば、当然のことながら、習近平総書記の党中央の核心、全党の核心としての地位を断固として守り、党中央の権威と集中的統一指導を断固として守り・・・・・と、党員として優等生であるか否かである。
選抜の基準が「忠実な党員」であることには驚きはないが、驚いたのはその選抜の対象となった人数である。一般的な地方の省、区、市に赴いた「考察組」は毎組1400人余り、中央や国家機関では1万人近い数の人間と面談したという。
そして最終的な決定は「20回大会選抜指導小組」で5回の会議を重ね、党の最上級機関である中央政治局常務委員会も7回、報告を聞いたそうである。
こうした作業の結果、今年9月7日に中央政治局常務委員会が総合的な判断として「第20期『両委』人選提案」をまとめ、同29日、中央政治局会議が「第20期『両委』候補者予備人選提案名簿」を決定、という運びとなった。
興味深いのは、こうして選ばれた候補者たちが、本番の党大会では1割弱くらいが、落選することだ。
中央委員選挙では候補者222人、当選205人、落選17人(8.3%)、中央委員候補では候補者188人、当選171人、落選17人(9.9%)、中央規律検査委員では候補者144人、当選133人、落選11人(8.3%)というのが最終結果である。
はじめに書いたように、私はこの選挙の方法が分からなかったのだが、要するに候補者を決めるのは党本部で大会出席者はその信任投票に1票を投じるだけである。
民主は国によってそれぞれ違うのだ、というのが、民主についての最近の中国の決まった言い方であるから、これについても、「なるほど、こういう選挙ですか」としか言いようがない。
それにしても、一昨日の(6)で取り上げた、最終日、採決前に強引に退席させられた胡錦涛前総書記は、議席にいたら習近平の威信強化がもりこまれているという党規約改正案(のはず)にどういう態度を示したか(採決は投票でなく、挙手だった)知りたいものだ。
田畑光永 (ジャーナリスト)
中國共産党の第20回大会は22日に閉会した。最終日のメイン・イベントは第20期の中央委員とその候補委員、それに中央規律検査委員会の委員の選挙であった。
そして前者では205人の中央委員と171人の候補委員が選出され、後者では133人の規律検査委員が選ばれた。これらの委員は任期の5年間、つまり2027年の次期大会までその地位を保つ。
中央委員とその候補委員は9600万人の党員の代表であるが、日本の国会議員のようにそれ自体が職業ではなくて、それぞれが本職ともいうべき仕事を持つ。といっても、この人たちは各地の党委員会の書記(この地位はその単位のトップを意味する)とか、行政機関のトップとか、大学や研究機関の学長や所長といった重要な仕事を担う。
規律検査委員というのは、もっぱら汚職に目を光らせる人たちである。汚職取り締まりには国の機関として国家監察委員会というのがあるが、この2つは一冊の本の表裏の表紙のタイトルのような関係で、規律検査委は共産党の委員会という看板だが、その実体は国の検察機関といった関係である。
さて、中国共産党で中央委員会の上にある機関は中央政治局(24人)と、そのまた中枢の中央政治局常務委員会(7人)の2つの機関だけである。そのメンバーは中央委員会が選挙で決定する。つまり中央委員会というのは、自分たちは全党員の代表から選ばれ、自分たちは最高機関のメンバーを直接選出するというきわめて重要な集団である。
と、ここまでの説明で、ちょっと待てよ、という疑問が生じないだろうか。大会代表には2300人近い人数がいて、それが中央委員とその候補委員、合わせて400人近い人を選出するのだ。落選者もいるはずだから、投票する候補者は400人より多いはずだ。
つまり2300人が約400人の候補者から自分の意中の人を選ぶわけである。しかし、2300人も400人も全国から集まっているわけだから、お互いに知っている人間はほとんどいないだろう。それで選挙になるのだろうか。
地域別に選挙すればいいではないか、という議論もありうるが、中央委員と候補は得票数が意味を持ち、中央委員候補は中央委員に欠員が生じた場合、選挙の際の得票の多かった順に候補から正規の委員に繰り上げ当選することになっているから、地域別に投票したのでは順番がつけられなくなってしまう。
中国を長年、見てきても、じつはこういう簡単なことで分からない、知らないことが多い。勿論、そんなこと知ってるさ、という人も多いだろうが、恥ずかしながら、私は今まで知らなかった。
ところが今大会の最終日、22日の新華社電が「新中央委員会および中央規律検査委員会誕生記」という記事を配信した。それによって疑問の一部は解消したので、今回はそれを紹介したい。というのは、選挙といっても、中國ではこんなことをするのか、と驚いたからである。
記事によると、今次党大会の約2年前、2020年の年末、習近平総書記と党中央は早くも今次大会の2つの委員会の人事上の全体的準備に入った、という。そして翌21年、つまり昨年の3月、習総書記と共産党中央は「20回党大会幹部考察指導小組」というのを立ち上げ、習総書記自らがその組長に就任した。
そして6月には党中央政治局常務委、同政治局の会議で「第20期(つまり今回の大会で決定する)『両委員会』(中央委と規律検査委)の人事工作に関する意見」が採択された。
7月には「第20期『両委』人選考察総体法案」なるものによって、その具体案が決まった。ところで、ここまでに「考察」という単語が出てきて、なんのことかと首を傾げた方も多いと思うが、ここでは日本語の「選抜」という意味に近い。つまり「両委人選考察」というのは中央委、規律検査委の委員にする資格のある人間を選ぶことなのである。
党大会における人事の選挙とは党員の中から出てきた役職候補者を党員の代表が選ぶもの、というのがわれわれの理解だが、中国の場合、その候補者を党のほうでまず選抜するのである。そこがこの選挙のミソである。具体的にどう進められたか。
2021年7月末、党中央は45の「考察組」(選抜班)を3グループに分けて、31の省、区、市、124の党と国家の機関、中央金融企業、在北京中央企業に派遣し、また中央軍事委員会は8つの「考察組」を全軍25の軍事委員会と大きな機関に派遣して選抜にあたった、という。
選抜の基準といえば、当然のことながら、習近平総書記の党中央の核心、全党の核心としての地位を断固として守り、党中央の権威と集中的統一指導を断固として守り・・・・・と、党員として優等生であるか否かである。
選抜の基準が「忠実な党員」であることには驚きはないが、驚いたのはその選抜の対象となった人数である。一般的な地方の省、区、市に赴いた「考察組」は毎組1400人余り、中央や国家機関では1万人近い数の人間と面談したという。
そして最終的な決定は「20回大会選抜指導小組」で5回の会議を重ね、党の最上級機関である中央政治局常務委員会も7回、報告を聞いたそうである。
こうした作業の結果、今年9月7日に中央政治局常務委員会が総合的な判断として「第20期『両委』人選提案」をまとめ、同29日、中央政治局会議が「第20期『両委』候補者予備人選提案名簿」を決定、という運びとなった。
興味深いのは、こうして選ばれた候補者たちが、本番の党大会では1割弱くらいが、落選することだ。
中央委員選挙では候補者222人、当選205人、落選17人(8.3%)、中央委員候補では候補者188人、当選171人、落選17人(9.9%)、中央規律検査委員では候補者144人、当選133人、落選11人(8.3%)というのが最終結果である。
はじめに書いたように、私はこの選挙の方法が分からなかったのだが、要するに候補者を決めるのは党本部で大会出席者はその信任投票に1票を投じるだけである。
民主は国によってそれぞれ違うのだ、というのが、民主についての最近の中国の決まった言い方であるから、これについても、「なるほど、こういう選挙ですか」としか言いようがない。
それにしても、一昨日の(6)で取り上げた、最終日、採決前に強引に退席させられた胡錦涛前総書記は、議席にいたら習近平の威信強化がもりこまれているという党規約改正案(のはず)にどういう態度を示したか(採決は投票でなく、挙手だった)知りたいものだ。
2022.09.22
バイデン米大統領、プーチン・ロシア大統領に戦術核兵器を使用しないよう警告
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)
侵攻ロシア軍との戦争で、ウクライナ軍がロシア軍を押し返し、占領地を奪還し始めた。
ロシアは、その戦況下、ウクライナで核兵器を使用する可能性を否定していない。英BBCは17日、バイデン大統領にロシア軍の核兵器使用の可能性と米国の対応についてただした米CBSニュースの報道を、克明に伝えた。BBCの国際電子版から以下に紹介します(坂井)。
バイデン米大統領は日本時間17日、米CBS放送のインタビューで、ロシアに対しウクライナでの戦争で化学兵器や戦術核兵器を使用しないよう警告した。
このインタビューでバイデン大統領は、そのような行動は「第二次世界大戦以降とは違って、戦争の様相を変えるだろう」と述べた。
大統領は、ロシアの核兵器使用に対して、米国がどのような対応をとるかは明言しなかった。
ロシアのプーチン大統領は、2月のウクライナ侵攻後、同国の核戦力を「特別」警戒態勢に置いた。同大統領は、西側諸国による「攻撃的な発言」のためだと国防相らに語った。
核兵器は約80年前から存在し、現在、いくつかの国が自国の安全を保証し続ける抑止力としてとらえている。
米国科学者連盟によると、ロシアは約5,977個の核弾頭を保有していると推定されている。
ロシアがこのような核兵器を使用する可能性はまだ低い。しかし、戦術核は比較的近距離で使用できる核兵器で、長距離発射 が可能で全面的な核戦争が懸念される「戦略核」とは対照的だ。
▼核武装した9カ国が保有する核弾頭の推定数の比較(米国科学者連盟の想定)
ロシア 5,977
NATO 5、943(米国5,428、フランス290、英国225)
中国 350
パキスタン 165
インド 160
北朝鮮 20
ホワイトハウスで行われたCBSの番組「60分間」の特派員スコット・ペリーとのインタビューで、バイデン大統領は、プーチン大統領がウクライナで大量破壊兵器の使用を検討している場合、どのように言うかと問われ、次のように答えている。
"Don't, don't, don't "というのがバイデン大統領の答えだった。バイデン氏大統領は次に、そのような一線を越えた場合、プーチン氏にはどのような結果がもたらされるかと尋ねられた。
その質問に対して、バイデン大統領は、「もし、それがどういう結果になるかを知っていたら、私があなたに話すと思うか?もちろん、言うつもりはない。なるようになるだろう」と答えた。
「彼らはこれまで以上に世界の除け者になってしまうだろう。そして、彼らが何をするのかによって、どのような反応が起きるかが決まるだろう"」と答えた。
ウクライナでの戦争は、クレムリンが期待したほどにはうまくいっていない。ウクライナ当局は、ここ数日前から、北東部ハリコフ地方の8000平方キロメートル(3088平方マイル)以上の領土を奪還したと発表している。
明らかに後退しているにもかかわらず、プーチン大統領は、ウクライナの反撃が成功しても、ロシアが同国東部での作戦を継続する計画を止めることはないと主張している。(了)
2022.07.21
アベノミクスの亡霊に支配される日本
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)
政治的暗殺か、それとも怨恨殺人か
安倍晋三元首相の殺害は政治的暗殺ではなく、怨恨殺人である。しかし、「民主主義 への挑戦」とか「余人をもって代えがたい政治家の抹殺」というような、あたかも「政 治的テロ」であるかのような論調が目立つ。日本では死屍にむち打つことは社会的規範 に外れているとされ、故人を称えるのがふつうだが、政治家であればその主張や政策が 及ぼした功績や弊害を整理して評価するべきではないか。
近年の日本で怨恨殺人が頻発している。京都アニメーション放火事件や大阪北区のク リニック放火事件では、犯人とは縁もゆかりもない多くの人々の命が失われた。自分勝手に恨みを募らせた、きわめて理不尽な殺人事件である。この事件に遭遇した本人やその家族の無念は量り知れない。こういう怨恨殺人事件が起きる日本社会の病理をしっかりと分析し、可能な対策を講じる必要がある。
他方、今次の安倍元首相殺人には何か吹っ切れないものを感じるのは私だけだろうか。 安倍首相誕生は多くの右翼・極右翼勢力の活性化を促した。日本の右派勢力に充満していた閉塞感の打破が現実のものになったからである。事実、単細胞思考の政治家安倍晋三は猪突猛進で、日本の右派勢力が達成しきれなかった日米集団自衛権行使に舵を切り 憲法改正への期待を膨らませた。
いつの時代にも、単純なスローガンを掲げ、一方的な 主張を強引に押す政治家は、デッドロックを打破するために必要とされる。そういうチ ャンスはめったにないが、忸怩たる思いを抱いてきた日本の右派勢力にとって、思慮に欠けるが無謀なほどに自己主張を通してくれる政治家の出現は千載一遇のチャンスであった。安倍晋三自身もまた、積極的に多くの右派組織との連携を図り、自らの勢力拡大 を目指した。旧統一教会へのリップサーヴィスもこうした動きの一環である。
橋下徹氏は、「統一教会は安倍首相が関わっていた数多くある組織の一つにすぎない」と言っているが、政治家・安倍晋三は自らの思想に近いと考える団体や個人を積極的に取り込んできた。近寄ってくる組織や個人には、その素性にかかわらず、積極的に便宜を図り、影響力の拡大に最大限利用した。森友学園もその一つである。
忘れてならないことは、安倍官邸が便宜を図ったために、人ひとりの命が失われている。この種の問題が指摘される度に、安倍首相は「自らが直接かかわったことはない」と主張して、責任回避に終始するのが常で、政治家としての潔(いさぎよ)さはみじんもなかった。
他方、政治家に言い寄り、献金する組織や個人にはそれなりの打算や魂胆がある。とりわけ、反共を掲げて、悪徳商法を展開するようなブラック組織にとって、政治家のバックアップを得ることは、司直の介入を避けるために重要なことだ。ブラック組織が政治家のタニマチになり、政治家はブラック組織から政治献金を得るという「持ちつ持たれつ」の関係が出来上がっている。
ただ、この関係は常に離反と恨みを買う関係に転化 する。ブラック組織が社会問題化すると、政治家はすぐに身の潔白を主張し、勝手に名前が利用されたと弁明するのが常である。こうした政治家の言動は怨恨と復讐を惹き起こす原因になる。今次の事件でも、旧統一教会との関係を取り沙汰されている政治家は、 皆、逃げの一手である。自らの不明を恥じることがない。まことに潔くない。
アベノミクスという経済犯罪
もう一つ違和感がある論調は、経済政策イデオロギーに過ぎないリフレ政策=アベノ ミクスの無条件賛美である。 大幅な金融緩和と円安誘導で日本経済は復活しただろうか。長期にわたった金融緩和によって、日銀の国債保有残高は GDP1年分に匹敵するほど膨れ上がった。先進経済国の中で、これほど政府債務を引き受けている中央銀行はない。他方で、政府累積債務はGDPの2.5 倍に達している。事実上、日銀は財政金融を行っている。
このことが今後の日本経済に重大で危機的な影響を及ぼす可能性は首都圏直下型地震と同じほど蓋然 性が高い。最終的な危機を迎えるまでもなく、世界経済の危機が生じるごとに、その脆弱性を露呈することになる。今次の全般的物価上昇はその現象の一つである。
すでに日銀は金融政策手段を失っている。他の先進諸国は政策金利の引き上げによって物価上昇に対処しているが、日銀は金融緩和政策を転換することができない。政策金利の引上げは国家財政の国債金利負担を高めるだけでなく、日銀の財務バランスの悪化を惹き起こし、場合によっては債務超過をもたらす。
さらに、金融緩和政策の転換は金融市場に流れ込んでいる資金の引揚げを帰結し、株式市場の崩壊を帰結する。10年もの長期間にわたって続けられた緩和政策によって、金融機関だけでなく、製造業や商社でも余剰資金や借入資金を金融投資で運用している。緩和資金の多くは実物経済の拡大ではなく、金融投資に回っている。金融緩和政策は実物経済を活性化するより、金融投資を活性化させている。金融投資できる余裕を持つ大企業や富裕な投資家が アベノミクスの最大の受益者である。
もしここで金融引き締め政策に転換すれば、金融投資に深入りした企業の業績が悪化する。さらに、もっぱら輸入に頼る企業は輸入物価の高騰で苦しむが、海外子会社の収益を連結決済できる大企業には、持続的な円安が濡れ手に粟の為替差益をもたらしている。だから、金融引き締めで円高誘導ができない。 景気の腰折れを惹き起こすからというのが、岸田内閣の言い訳である。
他方、このまま金融緩和政策を続け、さらに国債発行による財政出動に支えられた景気浮揚政策を実行すればどうなるのだろうか。日本経済はますます「債務の罠」から抜け出すことができなくなり、いずれ超円安とハイパーインフレによって、日本経済は沈没していくだろう。
要するに、現在の日本は金融緩和政策を続けても、緊縮政策に転換しても、大きな打 撃なしに切り抜けることができなくなっている。「進むも地獄、退くも地獄」が待ち受 けている。こういう状況をもたらしたのが、いわゆるアベノミクスと呼ばれる思慮なき経済政策が、10 年もの長期にわたって続けられてきたからである。
この段になっても、現在の日本では、いまだにアベノミクスを唱え、赤字国債発行による財政出動で景気回復を主張する政治勢力が多数を占めている。無策の野党もまた、与党の主張に同調するか、「れいわ新選組」のように与党以上の思慮なき政策を主張するのみである。
プーチンのウクライナ侵略が戦争犯罪だとしたら、アベノミクスは日本経済に重大な禍根を残す経済犯罪である。にもかかわらず、当該社会の多数は、それぞれの政治指導者を礼賛するだけだ。これをファシズムと言わずして、なんと言おうか。
ロシアと日本は、戦時と平時の違いはあっても、社会の多数がもろ手を挙げて、誤った政策を展開する政治指導者を賛美する点で同質である。ロシア社会を批判する前に、自 らの社会の異常さに気づくべきだ。
経済学という似非科学
それにしても、浜田宏一イェール大学名誉教授の言には驚かされた。経済学を勉強し たこともない「安倍首相から学んだことが多かった」(「朝日デジタル」7 月 22 日) という。この言動ほど、現代経済学の無力さを教えてくれるものはない。経済学を勉強してもしなくても経済政策を語ることができるのなら、経済学にどんな存在価値があるのだろうか。
もともと、浜田氏のように、きわめて限定された抽象的問題を数理モデルで議論している「経済学者」には、自らの議論がどれほど現実世界を捉えているかという問題意識 はない。抽象思考の結論が現実世界の理解に資するという錯倒した観念論に捉われている。これは抽象的な数字や論理だけで議論している「現代経済学」に共通している致命的な欠陥である。これではいくらノーベル賞学者が輩出されても、現実世界の解明に役 立つことはない。
もっとも、会社を経営したこともなく、もっぱら研究室で思索している学者だけがこのような錯覚に陥るのではない。自分の財布で航空券を買ったことがなく、ホテル代を払ったこともない黒田日銀総裁のような高級官僚や政治家も、円安や消費者物価上昇を実感 することはない。しかし、現実を知らなくても、2%の物価上昇目標や円安誘導政策を 唱えることができる。これが現代経済学と経済政策の実態である。
物価が下がり続けているというデフレ認識も奇妙だ。物価が上がりはしなかったが、 「下がり続けている」という事実はない。ここ10 年、明らかに下がり続けているのは円為替である。日常の買い物をしたことがなく、航空券もホテル代も所属組織に払ってもらえば、現実の消費経済を知ることができない。そういう人々が国の経済政策を決めている。これが正常な国家的意思決定だろうか。
また、GDP に占める消費が7割を占めるから、消費を拡大させることが景気回復の 道だと、物知り顔に主張する御仁や政治家もいる。この主張は生産概念である GDPを支出構成という現象(結果)から見たものだが、これは現象のみを見て本質を判断する 間違いである。7割という数字だけを取り出して、この部分を増やせば GDPが増えると考えるのは単純なトートロジーで、間違った算術計算である。
GDP はたんなる算術計算ではない。GDPの大きさを決めるのは労働力の質と量である。成熟した経済では 新規の労働力が増えず、逆に労働力は減少に転じている。技術革新による生産性の向上も限られる。人口が減少し、労働力が減少していく経済では、GDP そのものが長期的に縮小していく。それでもなお、社会的に安定した持続的可能な経済社会を構築していくことが、これからの日本社会の目標であるはずだ。
GDP という抽象的で無機質な数値を延ばすことが社会の目標であるはずがない。日本の高度経済成長時代はとっくに終わっている。その認識を前提に、社会経済政策を組み立てる必要がある。経済学の議論が無機質の数字や数理にもとづくモデルに劣化していることが、経済学の議論の質を低下させている。
だから、首相を引退した故安倍晋三氏が、「日銀は政府の子会社だから、紙幣をどんどん刷れば良いのです」と主張しても、「経済学者」からはまっとうな批判がない。浜田宏一氏はこの荒唐無稽の主張を判断する能力もないのだろうか。まことに奇妙な社会現象だと言わざるを得ない。
政府は「政府と日銀は親会社と子会社の関係にない」と答弁しているが、アベノヨイショの三文学者以外の経済学者はどのように考えているのだろうか。いわゆるマクロ経済学者から明確な批判がなされていない。批判がないことは、容認していると思われても仕方がない。それほどまでに、現代経済学は無力なのだろうか。
GDP の 2 倍以上に膨れ上がった政府の累積債務はおよそ 25 年分の税収に匹敵する。 問題は簡単である。この累積債務は返済する必要がなくいずれ「チャラ」にできるのだろうか、それとも日本の将来世代が長期にわたって背負っていかなければならない負債 なのだろうか。
「親会社と子会社の債権-債務は相殺されるから、日本の債務問題はない」と考えるのが、アベノヨイショとそれに乗っかる故安倍晋三氏である。このデマゴ ギーを流布し、公的債務の積上げを誘導するのは霊感商法と同じ経済詐欺で、明らかな 国家的経済犯罪である。
「政府と日銀は親会社と子会社だから、債務は消えてなくなる」と主張するのは、頭の中の架空問答だ。頭の中では消えても、現実には政府債務と日銀債権は相殺できない。 実際に日銀が相殺を公言すれば、日銀は一挙に膨大な債務超過に陥り、日本の国家信用は崩壊し、円の大暴落が生じる。頭の中で相殺している限りは信用崩壊が起きないというだけのことである。
こういう自明の理も、数理モデルを展開している経済学の大家とされる先生方には理 解し難しいようだ。それとも、政府財政や日銀政策は経済学者が考える問題ではなく、 政府や日銀の官僚が考える問題だと考えているのだろうか。「なぜ浜田氏がアベノミクスのお目付け役に」と疑問に思った学者関係者は多いが、経済政策に無縁の「大家」が 安倍元首相に媚び売り、学歴コンプレックスのある政治家安倍晋三が「イェール大学教授で経済学の大家が賛同」という箔付けを得る「持ちつ持たれつ」の関係ができただけ のことだ。学者の晩年を汚すのではと心配した人もいたが、政治の表舞台で脚光を浴びる機会がなかった学者が、晩年になって世俗的な名誉に目が眩む事例は少なくない。それにしても、現代経済学の無力さを実感するのみである
安倍元首相にはアベノミクスの行く末を見届けてもらいたかった。アベノミクス 10 年で積み上がった公的債務が、どのように日本の経済と社会に災禍をもたらしたかを。 もっとも、原発は 100%安全と謳ってきた自民党は原発事故の責任を一切とっていない。 東電もしかりである。潔くない政治家安晋三が生きていたとしても、将来の災禍がアベ ノミクスによってもたらされたとはけっして認めないだろう。所詮、政治家とはその程 度のものだ。むなしさだけが残る怨恨殺人である