2019.06.18  「住んでよし、訪れてよしの国づくり」とは?
     観光客の姿から垣間見える日本の姿

杜 海樹 (フリーライター)

 2018年、訪日外国人観光客数が年間3000万人を突破し過去最高の記録、そして、東京オリンピックに向けて4000万人の来日を望む等々の報道がされている。実際、日本各地の観光名所は海外からの観光客であふれており、東京都心でも日本人より海外からの旅行客の方が多いのでは?と思う日もあるくらいの状況となっている。自然発生的に日本に心から行ってみたい・・・という形での来日であれば、こんな嬉しい話はないのかも知れない。しかし、必ずしもそうではない?としたらどうであろうか。

 近年、インバウンド(訪日外国人旅行者)という言葉が使われるようになってきたが、海外からの旅行客が急増した理由が自然発生的でないことだけは確かなことと言える。
 時は小泉政権時代の2003年に遡る。国際交流を促進し経済を活性化させるためにと観光立国懇談会が設置され、最終的に副題を「住んでよし、訪れてよしの国づくり」という報告書がとりまとめられ「外国の人々が『訪れたい』、『学びたい』、『働きたい』、そして『住みたい』日本となることこそ、21世紀に日本が追求すべき国の価値である」といった提言がなされている。
 そして、観光立国関係閣僚会議が設置され、観光立国行動計画に基づくビジットジャパン事業として空港や港湾が再整備され、和食・城・寺社仏閣・温泉等々がPRされ、旅行客が急増する結果となっている。つまり、今日増え続けている旅行客の多くは国のプロジェクトに沿って来日して見ました・・・といったところなのだ。

 もちろん観光産業は平和憲法下の日本にあって、重工業や家電にとってかわる主力産業の一つとして、軍需産業とは異なる平和産業としての可能性を秘めており、そういう意味では大歓迎ではあるのだが、相変わらずの箱物、トップダウン方式という面は否めず、かつての全国総合開発計画時の教訓がどのくらい活かされているのかと疑問に思わざるを得ない面もある。観光客を受け入れる現場からは混乱と戸惑いの声も聞こえてくる。

 観光地だけでなく、東京都心の飲み屋街なども海外の観光ガイドマップに掲載されるようになり、既存の地元の常連客は次第に店から追い出される結果となり、飲み屋街は海外からの団体様で溢れかえりつつある。その様子は丁度高度経済成長期の日本人団体観光客の姿と重なって見える。そして、現場では歓迎の声よりも迷惑との声が聞かれるようになり、この先が思いやられる点もでてきている。

 一般に日本人の観光客に対するおもてなしの評価は極めて高いと言われているが、一度に大勢の観光客ともなるとやはり限度というものがあろう。海外からのお客の場合は、言語や生活習慣が全く異なり、特に宗教上の違いについては考えなければならないことが多々ある。そうしたソフト面の課題点を一定整理した上でないと良かれと思って行ったことがとんでもない問題を引き起こしてしまう危険性も考えられ、十分な検討をする必要があるのではないだろうか。

 また、過去の教訓という点では、高度経済成長期に日光が、バブル期には鬼怒川温泉がもてはやされ多くの観光客で賑わったわけだが、その後日光は「日光結構、もう結構」と揶揄され、鬼怒川温泉は大規模ホテルが倒産し続けた点にどう向き合うか?という問題も残っているであろう。日光は世界遺産に登録され都心からの直通列車も整備されているわけだが、観光客数は依然として伸び悩みを続けているのは何故なのか?といったところに問題の本質が隠れているようにも思える。

 さらに新しい問題として、海外からの旅行客は増加しても国内の旅行客は減少しているという点をどう考えるかということがあろう。海外からの旅行客の増大で宿泊代は高騰し予約も困難性を増す中、おもてなしをする側の日本人の実質賃金は減少を続けている。社会保障費の負担増、税金の負担増という問題もある。かつては気軽に行けた国内旅行もあきらめざるを得ない、じっと家の中に引き籠もらざるを得ないという現実にどう向き合うのであろうか。
 先日、都内の天麩羅屋さんに顔を出したところ、天麩羅を揚げていたのは2年前に来日したというインド出身の方、お客の多くは欧米からの観光客で地元の人の姿は見られなかった。そして、日本に来てまだ日の浅い職人さん?から「天麩羅は日本の味です」と言われ天麩羅を提供された訳だが、こうした姿が観光立国行動計画が指し示すところの日本のあるべき姿なのか?日本政府に是非お伺いしたいところだ。

2019.06.07  チバリヨー沖縄 !(下)
          韓国通信NO602

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

<基地さえなければ>
 沖縄の観光客が増え続けている。昨年2018年の年間観光客は1千万人に迫り、外国人観光客も300万人を超えた。基地だらけの沖縄にこれほどの観光客。基地がなければ、パリ、ニューヨーク、ハワイなんか目じゃない。五年前に訪れた宜野湾北谷 (ちゃたん)町は、返還されたバンビ飛行場の跡地を利用してアメリカンスタイルの商店、遊戯施設を作り、活気ある町に変身を遂げた。レジャーランド化して若者や観光客で大賑わいだった。北谷は脱基地のお手本とも言われる。

<読谷村 (よみたんそん)をたずねた>
 今回の旅で印象に残った読谷村。
 「鉄の暴風」というイメージは、沖縄戦最初の米軍上陸地となった読谷村と重なるが、読谷村は不死鳥のように生き返った。
 「平和共存・文化継承・環境保全・健康増進・共生持続」、「ゆたさ(・・・)ある風水、優る肝心、咲き誇る文化や、健康の村」を村づくりの目標に掲げる。全村が壊滅した挙句、95%が米軍に接収された村が掲げるこの言葉は重い。役場正面には「政府は日米地位協定を抜本的に見直せ」と大書した横断幕が掲げられていた。

<憲法第九条に込められた不戦の誓い>
 読谷村の小橋川清弘(谷村史編集/元読谷村立歴史民俗資料館館長)さんからお話を伺った。
チバリヨー沖縄 !(下) 役場の入り口にある憲法第九条のレリーフから読谷村の平和への覚悟が伝わり感動した。村の形がオオトリ(鳳)に似ているのでオオトリが村のシンボルになった。「風水」※によって村役場を基地のド真ん中にしたという奇想天外な話。「風水」を根拠に、村役場など主だった公共施設を基地の中に作り、それが現在の村の中心になった。1997年に現町役場が完成。当時の山内徳信村長の「三代目 読谷村役場」という言葉が残されているので紹介する。<上写真/三代目読谷村役場> 村民あげての運動が実った喜びと決意が伝わる。※中国伝統の自然観のひとつ。都市、住宅、墓を地勢や方位、地脈、陰陽で決める。朝鮮・日本にも伝わり活用された。「鬼門」という言葉もその名残。



 嗚呼! 遂に村民の夢が実現した 読谷村の自治の殿堂として米軍基地・読谷飛行場の真ん中に誇らしく自信を持って建っているお前は 三代目読谷村役場なのだ 由緒ある座喜味城を腰当に、風水よく鳳凰の島として建っているのだ アメリカ軍にも大和政府にも読谷村の読谷村民だ、と訴え続け、戦い続けた村民の勝利だ  読谷村の自治・分権・参加民主主義・平和の殿堂として村民とともに輝き未来に向かって雄々しくはばたけ 1997年4月1日  読谷村長 山内徳信


<かがやく村>;
 小橋川さんは読谷村場の名前が刻まれた石碑の前で、「すべての地域に住む人のための役場。一人ひとりが読谷の主人」と役場の使命を説明した。「主権者は国民」と謳った日本国憲法を地域で生かそうとする「読谷村精神」に感銘した。<左下写真/読谷精神を語る小橋川氏>

チバリヨー沖縄 !(下) 読谷村は日本一人口の多い村。4万人を超えた。読谷村の次に人口の多い村は東海原発のある茨城県の東海村だ。基地と原発を抱えた二つの村。
 東海村の元村長村上達也さんに「東海村はいまだに何故、村なのか」と不躾な質問をしたことがある。「村こそ共同体の基本だ」」と彼は胸を張った。小橋川さんの話から、東海村の村上さんを思いだしていた。市町村合併が続き、道州制が浮上しているが、これは住民を効率よく管理するための主客転倒の発想だ。この時ほど「村民」になることに魅力を感じたことはない。

<悲劇を乗り越えて>
 1945年4月1日、雲霞のごとく押し寄せた米軍16,000名によって村はたちたまち占領され、村民は逃げまどった。読谷村の95%が米軍によって接収され、人権も生きる権利も奪われるなかで基地返還の運動が進められ、1997年には役場庁舎が、1999年には文化センターが基地内に建った。さらに2006年7月には飛行場の敷地190ヘクタールのうち140ヘクタールを返還させた。
町役場の展望室から、小橋川さんは運動広場、野球場、文化センターなどを説明しながら将来構想を語ってくれた。現在でも村の36%が米軍の通信施設、弾薬庫として使用されているという。が。
 本土の捨て石とされ、日本から切り離され、復帰後は基地を押し付けられてきた沖縄の縮図といわれる読谷村から、厳しさの中にも前途に明るい可能性が見える。本土復帰後、知事となった屋良朝苗は読谷村出身である。山内元村長の、日本国憲法を村政の基本精神とした村政の実績が、花開こうとしている。住民福祉を第一に、文化、観光都市を目指している。

<チビチリガマを前に小橋川さんが語った90分>
 小橋川さんから読谷村波平にあるチビチリガマの悲劇を聞いた。米軍に追われ避難した村民約140人が米軍の投降の呼びかけに対して、竹やりで抵抗したあげく、壕の中で火をつけ、毒薬注射で自殺、包丁や鎌で首を切るという集団自決が発生し85人が死んだ。凄惨な死の実態は有志の実態調査によってやっと83年になって明らかになった。
 悲劇は続く。洞窟から遺骨が収集され、入り口に慰霊のために「平和の像」が建てられたが右翼の集団によって87年に破壊された。海邦国体(1987年)で起きた「日の丸焼き捨て事件」に対する報復だった。私たち一行6人は再建された平和の像の前で集団自決とその後のいまわしい事件の説明に耳をそばだてた。傍を流れる小川、鬱蒼とした樹々に囲まれたガマ(壕)の中は暗く、74年前の悲劇をそれぞれに思い浮かべながら90分を過ごした。
 「集団自決」は米軍上陸後、沖縄各地で起きた。子どもや仲間を殺した忌まわしい事件を知られたくない人が多く、未だに全容は明らかにされていない。
 同じ読谷村にあるシムクガマでは逃げ込んだ約千人の村民が全員投降したため全員が生き延びたという説明に耳を疑った。シムクガマにいたハワイ帰りの村民が、米軍と交渉したためだ。
 前者は日本軍の方針に殉じ、後者は交渉によって生きる道を選んだ。この違いはどこから生まれたのか。「やはり教育の問題でしょうね」、戦争の悲惨さといのちの尊さを教えない最近の教育を小橋川さんは心配していた。

<旅の終わりに>
 旅の最終日、私たちは読谷村座喜味 (ざきみ)にある「やちむん(やきもの)の里」をたずねた。陶芸美術館朝露館の関谷興仁さんを中心とした、今度の私たちの旅には欠かせない訪問先だった。やちむんの里の起りは17世紀に遡るといわれるが、その後衰退した。首里城下に集められた陶芸家による「壺屋窯」から1972年に陶芸家金城次郎氏(故人)が読谷に工房を移すと、中堅の陶工4名が共同登窯を築き、読谷山焼を作り始めた。その後、首里から多くの陶芸家が移り住み、沖縄を代表する焼き物の里になった。現在50余りの工房があり、多くの陶芸愛好家が訪れる。
 チバリヨー沖縄 !(下) 民藝の柳宗悦、濱田庄司らによって沖縄独特の美が評価された沖縄の焼き物は読谷村に引き継がれている。
特に益子で活躍した濱田庄司が、「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と述懐するように、沖縄の陶芸と益子は縁が深い。広い敷地に工房、登り窯(写真上)が点在し、読谷村が誇る有力な「平和産業」となっている。実はこの地も米軍用地を利用したものだ。平坦地にこれだけ多くの工房が軒を並べて存在するのは珍しい。

 二泊三日の「琉球ぷらっと道中」。一行6人の平均年齢はおそらく70才を超えていたが、とても行動的で、沖縄料理にも観光地にも貪欲だった。今帰仁 (なきじん)グスク跡、恩納村の万座毛など沖縄観光の目玉と称される所もたずねては遺跡と豊かな自然美を堪能した。
 繰り返すことになるが、沖縄に多くの観光客が訪れ美しい自然と歴史・文化に驚嘆の声をあげる。その沖縄に日本政府は米軍基地を押し付け、さらに新しい基地を作ってアジアはもちろん世界に向けて軍事的威嚇を強めようとしている。非武装中立の琉球沖縄がアジアの交易の拠点となり交易と観光で繁栄する青写真もある。
 本土に住む人間として何ができるのか、本気で考える時が来た。
2019.05.14  5月1日(May Day) ラプソディー
   韓国通信 NO599

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

1966年5月1日は日曜日だった。その日は就職してから1カ月たった5月1日、日曜日だったので「ひとり」でメーデーに参加した。まだ見習社員、もちろん労働組合員でもなかった。
なんとなく銀行に就職した。山陽特殊鋼をはじめ大手企業が続々と倒産する就職難の時期、やむなく選んだ職場だった。
退職するまでの30年間、毎年のようにメーデーに参加した。月初1日は忙しい職場なので、上司から嫌味をいわれながら参加し続けた。
「労働者の祭典」などといわれ、弁当を食べ、ビールを飲み、皆で歌った。天気はいつも快晴だったような気がするが。「晴れた五月の青空に~♫」というメーデー歌のせいかも知れない。それでも30年前までは、東京・代々木の中央集会には7~8万人の労働者が集まり、熱気と解放感に溢れていた。解雇された労働者、争議組合の労働者、他の金融の友人たちと一緒だった。

        20180514メーデー

久しぶりにメーデーに出かけた。代々木公園で開かれた第90回中央メーデーである。原宿駅は身動きがとれないほどの混雑ぶり。若者の大半は竹下通り、表参道方面へ流れていった。多くの組合旗と腕章姿が懐かしかった。昔もそうだったが、演壇の挨拶に耳を傾ける人はあまりいない。日本共産党の志位委員長の挨拶に拍手が起きたくらい。連合と一線を画す全労連のメーデーである。人数が少ないなりに、勢いと緊張感のある集会を想像したが、少し物足りなかった。

労働運動についてはまた別の機会に譲るとして、第90回中央メーデーのスローガンは「9条改憲反対! 辺野古基地建設阻止! 安倍政権は退陣を! 」、さらに、「なくせ貧国・格差、8時間働ければ暮らせる社会を! 外国人労働者との連帯・共生を! 原発ゼロ社会の実現を! 」だった。
 おそらく参加した人たち、私も含めて誰もが納得する最低限のスローガンに違いない。参加人数は2万人を少し上回るほどだったといわれるが、その日、好対照だったのは新天皇即位、新年号の最初の日だったこと。テレビは他に話題がないかと思われるほどにバカ騒ぎ、嬌態を演じた。
 新元号の発表以来このかた、メーデーのスローガンを口にするような人間はまるで「非国民」と言わんばかりの、現実の「塗り替え」が全国規模で行われた。
 渋谷を行進するデモの数倍、数十倍に匹敵する若者たちよ。君たちはそれほどにも新天皇即位が嬉しいのか。令和という年号に夢を託せるのか。君たちが口にしているソフトクリームから幸せがやって来るのか。生涯、非正規雇用者として働き、貧困と格差に怒りもせず、安倍首相以外に「適当な人がいない」と、戦争の準備をするアブナイ首相を支持し続けるのか。渋谷のスクランブル交差点から見える大スクリーンに映し出される天皇徳仁と妃の雅子の姿に歓声を上げ、新聞号外を嬉々として受け取る姿は、本当の君たちなのか。
たったひとりの人間を「象徴」として崇めることに異存はないのか。首相が天皇交代劇のプロデューサーのようにふるまうのは可笑しいと思わないか。テレビはこぞってメーデーを無視した。NHKは公平な公共放送と君たちは今でも信じているのか。
2019.05.10  記憶せよ
   韓国通信NO597
 
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

4年前栃木県益子にオープンした陶板美術館朝露館は、陶芸家・関谷興仁さんが大切にしている言葉と出来事を陶板作品にして展示している。<美術館については、Hp http://chorogan.org/をご覧ください>
素材の粘土づくりから始まり、字を彫る細かく気の遠くなるような作業は、「記憶せよ」と自分の心に刻む魂の日々だった。膨大な作品ひとつひとつから、ひたむきな強い意志が立ちのぼる。

関谷さんの初期の作品に韓国の済州島4.3事件を扱った作品群がある。
済州島4.3事件とは、1948年に済州島で起きた虐殺事件。米軍政下にあった韓国政府が単独での制憲国会議員選挙の実施を決めたことから、南北統一による国家の樹立を求める島民がほう起し、軍・右翼集団などがこの鎮圧にあたり、数万人の島民が犠牲になったとされる。
関谷さんは、金明稙の詩を作品化した。詩のなかの「朝露(あさつゆ)」ということばが「朝露館(ちょうろかん)」命名の由来となった。日本からの解放後、島民たちを待ちうけた米軍と軍隊と右翼集団によって繰り広げられた残虐非道に、関谷さんは「心を締め付けられ、涙した」。済州島4.3事件が、陶板作家として活動を始めた記念碑的作品となった。

関谷さんの仕事は、済州島4.3事件をテーマに小説を書き続けた韓国の小説家、玄基栄(ヒョン・ギヨン)氏(79)の仕事と重なる。小説『順伊おばさん』で日本でも知られる玄基栄氏は、島民を見舞った悲劇を、発禁処分、逮捕にも屈することなく発表し続け、自らの創作活動を「記憶運動」と表現した。

玄基栄氏は「第3回済州4・3平和賞(済州島.4.3虐殺事件の真相解明・名誉回復事業から始まった国際平和賞)」を受賞、去る4月1日行われた授賞式で語った。
「記憶運動は冷戦勢力の大衆操作と大衆の無関心に対抗することです。4・3の真実を守るためには、絶えず振り返る再記憶の努力が必要です。言説や証言、証拠が絶えず喚起されなければなりません。これこそ忘却行為に抵抗する記憶運動です」
関谷さんと玄基栄氏はともに「記憶」と格闘した。

20190501マルセ太郎
在日舞台俳優マルセ太郎が記憶喪失に陥っている日本人を批判して、「記憶は弱者にあり」と語ったことを思いだす。弱者としての自覚がない人間は過去を忘れる。戦争の記憶が鮮明だった日本人は平和憲法を受け入れたが、教育と経済繁栄の中で戦争の記憶は「消された」。
あらためて朝露館の陶板作品を見る。チェルノブィリ、アウシュヴィッツ、ヒロシマ・ナガサキ、中国人強制連行、フクシマ、マレーシア、千鳥ヶ淵。どれも喪失した記憶を蘇えらせるものばかりだ。それらは「忘れさせよう」とする大衆操作と、無関心に逃げ込もうとする人々に対抗するものだ。朝露館は過去を振り返り、記憶を取り戻す努力を求め、言説や証言、証拠が喚起される場所だ。

戦争をしたがる人たちは、戦争の記憶を失わせようとする。8年前の福島原発事故でさえ、忘れさせようとしている。安倍首相と麻生財務相のウソも記憶から薄れていく。そうさせる火消し役を務めるNHK。「過去に引きずられるな」という「前向き」な言葉で過去を「忘れる」。元号騒ぎと天皇の交代とオリンピックの話題で未来は明るそうな雰囲気だが、マルセ太郎は、日本の将来は「暗い」と予言した。過去に「こだわる」必要はない。過去を直視することだ。権力者たちに都合の悪いことを忘れさせる<忘却行為>に抵抗する記憶運動が求められている。
2019.05.08  日本山妙法寺、平和運動での精進を誓う
  仏舎利塔落慶50周年記念法要で

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「非暴力」を掲げた積極的な平和運動で知られる日本山妙法寺(事務局・東京都渋谷区)が4月27日、千葉県鴨川市の清澄山(標高350メートル)で、清澄山仏舎利塔落慶50周年記念法要をおこなった。雨もよいで寒風が吹きすさぶ中、同寺の僧侶、信徒をはじめ日蓮宗各宗派代表ら約200人が参列し、「藤井日達上人の遺志を継ぎ、世界平和実現のために平和運動を一層推進しよう」と誓い合った。
             20190504岩垂2            清澄山仏舎利塔前で行われた落慶50周年記法要

 藤井日達上人(1885~1985年)は、日本山妙法寺の開創者。1918年に日蓮系の一宗派として最初の日本山妙法寺を中国・遼陽に開創、1924年には静岡県内に日本国内最初の妙法寺を建立、以後、内外各地に同様の寺を建立し続けた。
 日達上人は膨大な法話を残しているが、その中で一貫して説き続けたのは、釈尊の教えの核心は「不殺生戒(ふせっしょうかい)」にあるという点だ。一言で要約すれば、「人を殺すな」ということだという。
 最大の殺生は人が人を殺す戦争である。そこから、日達上人は絶えず「世界平和」「核兵器廃絶」「軍備全廃」を訴え続けた。しかも、「絶えず行動を起こせ」と説き、自ら亡くなる直前まで世界各地と日本で平和運動の先頭に立った。
 弟子の僧侶たちも世界各地に散って平和運動を続ける。今でも「戦火が絶えないところ、紛争が続くところには、必ずといってよいほど日本山の僧侶の姿がある」と言われる。

 平和運動の過程で、日達上人は仏舎利塔の建立を主導した。仏舎利塔とは、釈尊の遺骨を納めたとされる仏塔のことである。日達上人は法話の中で、仏舎利塔建立の狙いについて「世界人類普遍の要求たる世界平和と言っても、所詮は人々の心の中に、『殺すな、殺させるな、殺す法を採用するな』という、教主釈尊の授け給いし不殺生戒を守ることに尽きます。宝塔は、その不殺生戒を授くる戒壇であります」と述べている。

        20190504岩垂4807
           仏舎利塔に至る道の門に掲げられた文字

 こうした狙いから、日本山妙法寺によって世界と日本の各地に仏舎利塔がつくられたが、日蓮出家の地とされる清澄山の清澄寺南側の旭が森に仏舎利塔が建立されたのは1969年4月27日だった。高さ30メートル。ドーム状の建造物の上に相輪をもつ白亜の塔だ。

 法要では、題目、来賓あいさつ、読経、焼香があり、それを受けて吉田行典・日本山妙法寺首座が法話をおこなったが、吉田首座はその中で「世界には物質崇拝、どん欲、驕慢、暴力万能がはびこり、軍備拡張、核兵器開発が進む。日本でも、ミサイル迎撃ミサイルのイージス・アショアやステルス戦闘機F35の導入が進むなど、自衛隊が米国の世界戦略の一端を分担し、昔歩いた戦争への道を歩んでいる」と述べ、「平和に生きることが人間に生まれた者の使命。平和憲法を守ることが、人類絶滅を食い止める道になる」と呼びかけた。
 地元コーラスグループによる「仏舎利塔讃歌」の奉納があり、最後に謝辞で登壇した信徒代表が「この地を、世界平和を願う人たちの集いの場としよう」と述べた。
2019.04.20 「今だけ、金だけ、自分だけ」に傾斜した社会
平成とはどんな時代だったか

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 あとわずかで「平成」時代が終わり、「令和」時代となる。平成は30年で幕を閉じるわけだが、平成とは結局、どんな時代だったのだろうか。そうした設問に答えるには、多面的な角度から総合的に分析すべきだろうが、そうした作業は専門家に任せて、ここでは、平成の世の巷の一角で生きてきた1人の人間として、過ぎ去りゆく時代への表層的な印象を書いておきたい。

 「平成」末期にある日本の世相を一言でいうとどうなるか。私には、「『今だけ、金だけ、自分だけ』という『3だけ主義』がまんえんする社会」という表現が一番ぴったりするのではないか、と思えてならない。

 私が「今だけ、金だけ、自分だけ」というフレーズを耳にしたり、メディアで散見するようになったのは、ここ2、3年のことのような気がする。日本農業新聞によれば、「今だけ、金だけ、自分だけ」というフレーズは、東京大学大学院の鈴木宣弘教授が『食の戦争』(文春新書、2013年)の中で使ってから広まったという。
 ともあれ、「今だけ」とは、将来のことは考えず、目先のことだけしか見ない、考えないという刹那的、近視眼的な思考・行動のことであり、「金だけ」とは、全てを金銭面だけからとらえるという拝金主義的な生き方のことだろう。そして、「自分だけ」とは、自分のことしか考えず、他人や社会のことには目もくれない、つまり、自分ファースト的な生き方のことを指すとみていいだろう。

 こうした「3だけ主義」が人びとの間で次第に強くなっていったのが「平成」という時代の主要な一側面だったんではないか、というのが私の実感だ。これには、さまざまな要因があったと思われる。

 まず「今だけ」という行動パターンが人びとの間に浸透していったのには、その背景に経済的要因があったからではないか。
世界でも稀にみる連続的な高度成長を続けてきた日本経済が失速したのは、平成3年(1991年)のことだ。いわゆる「バブル崩壊」である。これを境に日本経済は停滞期に突入する。しかも、それは予想を超えた長期のものとなり、その後「失われた20年」と呼ばれるようになる。安倍政権によるアベノミクスも日本経済が低迷から脱出する決定打とならず、最近では「日本経済は今や“失われた30年”に向かいつつある」と述べる経済学者も現れる始末だ。
 この間、日本経済の沈滞を強烈に印象づける出来事があった。それまで世界2位の地位を維持してきた日本のGDP(国内総生産)が、中国に抜かれて世界3位になってしまったことだ。平成23年(2011年)のことである。

 省みると、バブルの崩壊までは、すなわち昭和の時代までは、人びとは「経済は無限に右肩上がりの成長を続ける」と信じ込んでいた。このため、将来に明るい展望を持つことができた。ところが、平成時代に入って経済の停滞が長期にわたるようになると、未来に明るい展望を持てなくなった。むしろ、不安に襲われるようになった。これでは、人びとが「将来のことを考えてあくせくするよりも今の今を大切にしよう」という生き方に傾いていったのも当然というものだろう。

 平成に入ってまもなく起きた世界的な出来事もこの傾向に拍車をかけた。平成3年(1991年)のソ連消滅である。
 第2次世界大戦後、世界を支配してきたのは、2大超大国の米国とソ連だった。米国は資本主義陣営の、ソ連は社会主義陣営のリーダー。両国は「東西冷戦」で対決し、時には核戦争の危機さえ到来した。が、ソ連の消滅により、世界は一つ、それも米国一極の体制に変わった。地球はグローバルな世界となり、人と物が国境を越えて移動可能になったから、巨大な経済力で世界経済を支配するようになったのは多国籍企業だった。日本の企業もグローバル化に対応するための効率化を迫られ、合理化が進んだ。

 それまでの日本企業の成長を支えてきたのは終身雇用・定年退職・企業内組合の三つだった。グローバル化で効率化を迫られた企業は終身雇用と定年退職をやめた。この結果、労働者の身分と生活は不安定になった。なぜなら、終身雇用制度と定年制があったからこそ、労働者の暮らしは安定し、将来を見越して生活設計ができたからである。
 労働形態も「正規」と「非正規」に分断された。非正規社員は正規社員より労働条件が悪いから、その日暮らしに精一杯で、とても将来に向けて生活設計をする余裕などない。
 こうした労働環境の変化も、人びとを「今だけ」にこだわらざるを得ない状況に追い込んでいったと言える。

 「金だけ」がはびこるようになったのはなぜか。私の見方はこうだ。
 第2次大戦後の日本が高度な経済成長を遂げるようになったのは、私の感覚では昭和35年(1960年)以降のような気がする。この年、60年安保闘争(日米安保条約の改定に反対する運動)があり、闘争直後に発足した池田勇人内閣が「高度経済成長・所得倍増」の実現を掲げたことが、高度経済成長に向けて突進するきっかけとなった。その後、日本経済は年々、平均10%以上の経済成長を達成する。まさに「奇跡」だった。
 これに伴い、人びとの価値観も変わった。「金があれば何でも手に入る」「金がすべて」といった、金に至上の価値を置く考え方が人びとの心をとらえ、拝金主義が広がった。高度経済成長が始まる前の日本社会では、金品への崇拝はあったものの、その一方で、学識とかモラルにも高い価値を認める規範みたようなものが存在していたように思う。
 拝金主義の横行は、人びとの心をすさんだものにした。金をめぐる犯罪は平成になって増えたように思う。
 社会保障が十分でないことも、人びとを金に執着させるようになった一因だろう。


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2019.04.12 上滑りする日本の世論

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 外国に居て日本のニュースに接するたびに、日本の政治家の意見や世論があまりに上滑りしているのが気になる。政治家が未来社会の方向性を示すのではなく、次の選挙の人気取りのために、あらゆる問題や機会を自らの知名度の向上のために利用しているとしか思われない。世論もまた、そのような俗な政治家と同じレベルで、短期的な利益を追い求め、複雑な問題の理解に努力しようとしない。その場しのぎの場当たり的な政治と世論が、日本社会の土台を劣化させているように思える。

問題の根源を知ろうとしない
 消費税であれ沖縄の基地問題であれ元号であれ、人々は問題の根源を知ろうとせず、政治家の浅薄な言動を鵜呑みにしている。
 なにゆえに税収を上げなければならないのか。20年分近い税収を前借している日本の予算はいつまでもつのか。税収を上げなければ日本の将来はどうなるのか。
これらの問題を深く考えることなく、多くの国民は国が何とかしてくれるはずという根拠のない淡い期待を抱き、政治家の言動に一喜一憂している。政治家はポイント還元や軽減税率など基本問題の周辺の事柄に人々の眼を向けさせ、いったい何のための増税なのかを丁寧に説明しない。「経済学者」と称するいかさま「学者」は、国債が国内で消化されている限り財政破たんは起きないとか、政府の債務は日銀の債権だから、相殺されて債務がチャラになるとか、とても学者とは言えないような馬鹿な言動を吐いても、世の中で食っていける。「経済学者」ほど、いかさまな職業はない。それもこれも、現代の「経済学」はイデオロギーの域を超えていないからである。アベノヨイショの「経済学者」ほど、インチキ学者が多い。
国債が国内で消化されている場合には最終的な債務は国民が負い、国債の多くが国外の投資家・投機家の手にある場合には最終的な債務はそれらの投資家が負うという違いがあるだけだ。後者の場合には、投資家は利益確保のために、投機的な動きを繰り返すから、そのたびに、国民経済が国外の投機に晒される影響を受けるが。
当たり前のことだが、永遠に国家債務を積み上げることはできない。やがて政府の首が回らなくなり、債務を減らすために、借金棒引き政策を実行せざるを得なくなる。その時に、国債所有者がすべての債権を失うだけでなく、普通の銀行預金ですら、預金封鎖にともなうハイパーインフレよって無に帰す。すべての近代国家は戦争の度に、国家債務のリセットを行ってきたし、社会主義体制崩壊はハイパーインフレで債務債権を帳消しにして、新しい社会構築の出発点を形成した。
日本の場合、南海トラフ地震や根室沖地震が同時に発生、あるいはそれに原発事故が重なる場合には、戦争と同程度の被害をもたらす。政府は国家再建のために財政を捻出しなければならない。少なくとも債務の軽減を図り、過去の債務から解放されないと、思い切った手が打てない。そのための手っ取り早い方法が預金封鎖であり、封鎖の間にハイパーインフレが債権・債務を帳消しにする。この結末に政治家も「経済学学者」も責任を取らないし、取れない。「あとは野となれ山となれ」という政治家や「学者」を甘やかしてきたのが国民だから、国民が最終的な責任を負うということである。浅薄な安倍政治が続くのも民意だとすれば、国民はその結果も甘受しなければならない。
こういう深刻な問題を回避するために、税収の前借りを続けてはいけないのだ。しかし、政治家も国民も、当座のことしか考えない。こういう上滑りの政治が蔓延している限り、日本の将来はきわめて危ない。上滑りの浅薄な宰相や政治家が日本を動かしている限り、日本の未来は明るくない。

沖縄基地問題と元号
 象徴天皇制になってから天皇の実質的な地位は変化しており、国家形態からは立憲王政だが、実態上は議会制民主主義と王政の残骸の混合形態である。王政の下で発案された元号を有難がるのは、日本国民の民主主義の民度が低いことの表れにほかならない。王政の残滓である元号を使いたい人は使えばよいが、日常的には無用の長物である。それを政府が強制するのは王政の残滓を国民に強要することに他ならない。
 こういう問題を考えることなしに、新元号に沸き立つ世論は悲しい。元号を文化というなら使いたい人が使えばよい。しかし、民主主義国家なら公文書で強制するのは間違っている。
 安倍首相は東京五輪招致に際の演説で、「原発問題はすべてコントロールされている」と平気で嘘をついたが、沖縄辺野古基地建設でも「サンゴはすべて移植されている」と、出まかせの嘘をついている。こういう誠実さに欠ける政治家は信用ができない。自らの権力の維持と人気取りのために、あらゆることを利用しているだけだ。リオ五輪の閉幕式でも、自らがスーパーマリオに変身する人気取りの演出で、国家予算から10億円を超えるお金が支出された。こういう宰相の低能さや不誠実さを見抜けない国民は、いずれ自らの身にその付けが回ってくること知らなければならない。
 ネット右翼は沖縄基地を日米同盟の維持・発展から不可欠だと主張しているが、日本とアメリカとの間の軍事関係は誰が見ても「同盟」などというものではなく、戦後占領が延長された「軍事従属」である。アメリカに従属していることを認めたくない右翼が、真の民族主義者であるはずがない。アメリカに身をゆだねる政治姿勢が民族主義であるはずがない。それこそ彼らが好んで使う「売国奴」だろう。昔から、日本の右翼や保守政治家はアメリカへの従属から目をそらし、「従属」を合理化するために、「同盟」という用語を使うようになったが、言葉の問題ではないのだ。
 平成時代に戦争はなかったというが、湾岸戦争やイラク戦争に出撃するアメリカ軍を支援してきたことを忘れている。戦後最大の戦争犯罪であるヴェトナム戦争で、日本のアメリカ軍基地、とくに沖縄の基地はフル稼働で利用された。他民族の殺戮に日本の米軍基地が使われたことについて、日本人はきわめて鈍感だ。アメリカに従属しているから、自分たちは関係ない、知らなくて済むということではあるまい。しかし、「民族的な自立や主権」を意識することのない日本人には、こういう問題に思いをはせることが難しい。

 ふるさと納税の返礼品も同じである。事の本質から逸脱して、いつの間にか返礼品競争を行うようになっている。税処理の担当職員だけでなく、返礼品の仕入れ・発送を担当する職員を配置しなければならない。それは皆、コストである。大きな都市の場合にはその経費は相対的に小さいかもしれないが、小さな町では経費負担が重いはずである。そうなると、何のための「ふるさと納税」が分からない。
 消費税、元号、沖縄基地、ふるさと納税も、皆、根本問題を避けて上滑りしている。何が真の問題なのかに関心をもつことなく、目先の利益に一喜一憂して、浅薄な政治家の罠に落ちている。何とも情けない。

2019.04.09 教育は国の基とはいうけれど
――八ヶ岳山麓から(279)――

阿部治平(もと高校教師)

最近つづけて教育に関する新刊本を2冊読んだ。
1冊目は小川洋著『地方大学再生――生き残る大学の条件』(朝日新書、2019年3月)である。
著者はさきに、『消えゆく限界大学――私立大学定員割れの構造』(白水社 2016)によって多くの大学・高校関係者の強い関心を引いた。本書はその続篇といえる。私なりにまとめると、小川氏が描く日本の大学の近未来像は次のようなものである。

〇政府・文科省の政策次第だが、東京大学・京都大学など旧帝大系の国立大学は、中長期的には学部学生数を減らし、海外留学生を含めた優秀な学生を対象とした大学院教育を拡充していく。地方大学は旧帝大系の法人傘下に統廃合が進められるだろう。
早稲田・慶応など有力私大も、学部学生数は維持しながら、人材育成に重点をおいた大学院教育を拡充するだろう。
〇地方自治体経営の公立大学は(おそらく地方国立大学も)、地域貢献型の大学が生き残る。長年定員に満たない私大が公営化した場合、一時的に受験者が増加しても、魅力あるカリキュラムを提供できなければ、入学希望者は漸減し元の木阿弥になる。
〇大都市圏の私大では、魅力あるカリキュラム開発などの努力によって成果を上げた大学が早慶に並ぶ有力私大となる可能性がある。
〇成績中位クラスの高校生を受け入れる大学は、専門性が明確で有効な資格・免許を取得できる分野に経営を集中するのが賢明だろう。地方の私大はどれだけ地域に根を張るかが生死の分れ目である。
〇下位に位置付けられ、実質的に入試競争のない(希望者全入に近い)大学は、定員割れが深刻化し、一層厳しい状況に追い込まれていく。

2,3年前までは大学問題を議論すると必ず「2018年問題」が現れた。2018年から18歳人口が急速に減少することによって、弱小私学が定員割れを起して、経営が成り立たなくなる恐れをこう言ったのだが、少なくとも現在「2018年問題」は消えている。
文科省が管理を厳格化し、私大の定員超過枠を縮小させた。そこで、より上位の大学から弾きだされた受験生が下位の私大にまわり、それがこの数年私大の定員割れを救っているからである。だから「2018年問題」が消えたのは一時的現象だ。
小川氏は「国公私立を問わず、地方大学は崖っぷちにある。そこでは、人口減少、衰退する地域、経済格差など、日本社会が抱える問題のすべてが横溢している。ところが、逆境下、浮上する大学も出てきた。沈む大学との違いはどこにあり、何が強みなのか」と問いかけている。
小川氏によればその答えは、教職員の努力があるか否か、その努力が成果になって実るような大学経営が(理事会によって)行われているか否かである。本書ではだれがどのように「浮上する」経営をし、だれがそうしていないか、具体的に実例を紹介している。詳細な調査に基づいて、切迫した問題への処方箋を提示した結論は実に説得力があり、ボーっと大学運営をやっている経営者の心胆を寒からしめるものである。

もう1冊は、朝比奈なを著『置き去りにされた高校生――加速する高校改革の中での「教育困難校」』(学事出版2019年3月)である。
朝比奈氏は8年前『見捨てられた高校生たち――『教育困難校』の実態-—』(学事出版 2011年)によって、高校生の低学力問題を論じた。本書はその続編で、教育現場の変わらない実態と変化とを明らかにし、その対策を訴え、さらに新しい高校教育改革に対する期待と危惧を論じたものである。

私がもっとも共鳴したのは変わらない部分である。それは貧困と低学力の結びつきである。またそれが親から子へ相続される悲しさである。
世間ではほとんど意識されていないが、朝比奈氏は「『教育困難校』の存在意義の一つに社会の治安を守るという効果がある」という。たいていの高校は頑丈な金網で囲われている。これは外部不審者の侵入を防ぎ、同時に生徒の脱走を防ぐためでもある。「脱走したい奴にはやらせておけ」という見方もあるが、脱走した生徒が街なかをうろうろし、時には万引き・喫煙をやらかし、刑事事件の加害者・被害者になる危険は十分にある。「教育困難校」はその高校生らを毎日少なくとも8時間閉じ込めておくことによって、地域住民の平穏な生活を保障しているのである。
このような「教育困難校」では、教師がもっともエネルギーを消耗するのは授業ではない。教師への罵詈暴言、執拗ないじめや無視(シカト)、万引き、不登校・退学など、次々起こる「事件」への対応と、これにまつわる親からの抗議や暴言・威嚇である。これでは授業をまともにできるはずがない。思うに、これらは原則として、刑事警察に対処をゆだねるべきものである。そして、私が現役教師のときも、貧困ゆえに授業料免除を希望する生徒が多かったのは、このような「教育困難校」であった。
朝比奈氏は「平常授業の日でも校門で教師が立番をしている高校を見かけたら、そこは『教育困難校』と思っても間違いない」という。——その通りだ。

10年前から不十分ながら貧困へのサポートがはじまった。民主党政権期に公立高校の授業料無償化がはじまり、2014年からは就学支援制度も設けられた。それによって生活保護世帯の高校進学率は少しだけ向上し、退学率も低下した。しかし朝比奈氏は、教育費の家庭負担は依然として多額だという。2016年調査では、授業料を除く「学校教育費」は公立で約25万円、私立で48万円である。
氏が比較的高く評価するのは、首都圏で1990年代から不登校・ひきこもり対策として通信制・朝昼夜の三部制定時制などの高校が出発したことである。これに引き続く教育改革の中で、文科省の肝いりで基礎学力習得を目指した高校と、それとは対極的なエリート教育を目指す高校が現れた。
大都市圏では学習や食事の各種支援が行われているが、多くは個人や民間団体に任せられ、自治体によって支援策はまちまちである。朝比奈氏は政策的努力がもっと必要だと言い、低学力の生徒に対してより多くの予算や人を配分するのが有効だと主張する。世間からは理解されにくいが、私は治安コストの観点からしても、もっともな見解だと思う。

さらに氏は、2019年度から移行措置が始まる新学習指導要領、大学入試センター試験に代わる「大学入学共通テスト」「高校生のための学びの基礎診断テスト」などについて、かなり詳細な検討を加えている。これらを議論するには、私はあまりにも長く現場から遠ざかっている。たとえば「基礎診断テスト」では、教育関連企業が教材を作り、それを学校が利用するという(企業がもうかる)仕組みらしいが、私にはテストされる「基礎学力」の内容がわからないのである。あらためてどなたかの明晰な議論をお願いしたいところである。

朝比奈氏は多くを語っていないが、残された問題を指摘しておきたい。
仕事の性質からみて、教師は教育の専門家でなくてはならない。だがいま幼稚園から大学まで、教師の数は100万を数えており、このほとんどが平凡な能力の労働者である。これを知力・体力を持った専門家にするためには、心理学・教育学・教科教育法などの、2年程度の適切な専門教育が必要である。現時点でも最小限、校長・教頭などの管理職は教育学修士の学位を持つものが望ましいと思う。

小川氏の『地方大学再生…』は、若年人口の減少と危機に瀕する大学のありかたという境界明瞭な問題に対し一定の処方箋を示したものだが、朝比奈氏の『置き去りにされた高校生…』のほうは、高校教育改革というあらたな処方箋が「置き去りにされた高校生」にもっと光を当てるものになることを訴えている。両書ともなるほどと胸に落ちる内容である。

2019.03.28 問題の多い水道の民営化
水道料金、高騰のおそれ

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 ちょっとした驚きだった。高知市に住む、知り合いの元共同通信記者から「小生、4月21日の高知市議選にエントリーすることになりました。スローガンは『ちょっと待て!水の民営化』です」とのメールが届いたからである。あの彼が、「水道の民営化反対」をシングル・イッシューに市議選に立候補するとは。このメールのおかげで、私はそれまでほとんど関心のなかった水道の民営化に目を向ける羽目になり、それが極めて重要な問題をはらんでいることに気付いた。

 元共同通信記者は東京の本社に勤務していたが、2011年に退職すると郷里の高知市に移住、炭や野菜作りに精を出すかたわら、「はりまや橋夜学会」と称する活動を始めた。毎週金曜日の夜、はりまや橋商店街の一角で開く市民学習会である。元共同通信記者自らが講師を務め、内外のあらゆる問題を取り上げる。すでに130回を超す。

 昨年12月6日、改正水道法が衆院本会議で可決、成立した。水道法改正の狙いは、民間のノウハウを活用することで水道事業の立て直しを図ろうというものだが、野党側は料金高騰や水質悪化のおそれがあるとして反対していた。与党がそれを押し切って成立させたわけだが、国民の関心が薄かったためか、メディアでも目立たない扱いだった。

 元共同通信記者が、水道の民営化に反対する運動を起こそうと決断したのはその直後である。彼は今年1月初めのフェイスブックにこう書き込んだ。
 「67歳になって、いたたまれなくなり、『水の民営化にnon』運動を起こすことになった。具体的には高知市議会に『水道民営化をしない』という決議をさせる運動だ。日本の水道事業は基本的に市町村が行ってきた。高知から起こした運動が燎原の火の如く全国に広がり、東京を包囲することになれば、すばらしい。そうなれば、政府の決定を民意で封印することになるからだ」
 「電気やガスは民間企業が供給しているが『公益事業』として料金は認可制になっている。水道にはその認可制がないため、各地でバラバラの料金設定になっている。つまり、自由に設定できるということだ。その水道が民営化されれば、世界で起きた例が示すように水道料金が『高騰』することは必至だ」
 「筆者は公営事業の民営化に賛成してきた立場だが、水道だけは許せない。世界の水道の民営化を進めてきたのは水バロンと呼ばれる多国籍企業だ。中でもヴェオリアやスエズなどフランス系企業の存在感が突出している。つまり、民営化のノウハウを多く蓄積しているということで、日本の水道事業の民営化にあたっても、政府機関にノウハウを供与してきている。だから、日本の水道事業民営化にあたって、真っ先に手を上げるはずなのが、外資なのだ。フランスだけでない。近隣諸国の企業だって入札に参加するかもしれない」
 「ここらが、国鉄や日本電電公社の民営化とは様相がまったく違うのだ。公営事業を国家から切り離して株式会社化し、その株式を投資家に売ったのが、これまでの日本の民営化だった。最近、株式を公開した郵便事業も同じ手法である。水道の場合は、入札で運営権を特定企業に委ねるコンセッション方式を取り入れることになる。いったん運営権を得た企業は20年という契約期間、ある意味で自由な運営を委ねられることになるのだ」

 彼が私あてに送ってきたメールにも「命の糧である水だけは規制緩和の対象にしてはならないと考えます。特に水道の場合、外国資本が日本市場を狙っています。1990年代以降、世界各地で水道が民営化され、多くの都市で失敗しているのに、今頃、周回遅れの民営化は意味が分かりません。この運動を高知市から発信し、全国に広げていく覚悟です」とあった。

 ここに出てくる「コンセッション方式」について、水ジャーナリスト、アクアスフィア・水教育研究所代表の橋本淳司氏が、日本文化厚生農業協同組合連合会の機関誌『文化連情報』2019年2月号に執筆した『水道法改正 これから自治体・市民が考えるべきこと』の中で、こう懸念を表明している。
 「水道事業の官民連携は重要だ。だがコンセッション方式は、従来の民間への業務委託とは根本的に違う。コンセッション方式では『公共施設運営権』という『物件(財産権)』が民間企業に長期間(20年程度)譲渡される。決定的に違うのは金の流れと責任の所在。業務委託の場合、運営責任は自治体にある。水道料金は自治体に入り、自治体から委託先の企業に払われる。それに対しコンセッション方式の場合、事実上の運営責任は民間企業にある。そして水道料金はそのまま企業に入る」
 「一般的に考えれば、権限と金を握ったものが事業のイニシアチブを握るのは自明。水道事業に関する権限と金が自治体から民間に移る。自治体は管理監督責任をもつことになるが、その責任を遂行できるかどうかは不透明だろう。導入から一定の年月が経過すると、自治体に水道事業に精通した職員、現場を経験した職員がいなくかる可能性がある。そうすると、企業から契約内容などの変更の提案があった場合、適切か否かを判断できなくなる。代わりに専門家に頼めば新たなコストが発生する」

 水道法改正を急いだ政府側にも懸念が生じつつあるのではないか。というのは、3月25日付毎日新聞朝刊社会面にこんな記事が載ったからだ。それは「給水継続を義務付け」「水道民営化 厚労省指針案」という2本見出しの記事で、そこにはこう書かれていた。
 「厚生労働省は、自治体が水道事業の運営権を民間企業に売却するコンセッション方式について、企業が事業を継続できなくなった場合に、自治体と協力して給水を続けることかできるよう事前に契約で決めておくことを義務付ける方針を明らかにした」
 これでは、水道が民営化されたら断水があり得ることを政府自らが認めたようなものではないか。

 自民党政権は、小泉政権以来、あらゆる分野で積極的な規制緩和を進めてきた。いわゆる新自由主義路線の貫徹である。が、何でも規制緩和を進めればいいというものではない。人間の生命に関わる事業については規制緩和を避け、むしろ、規制を強化すべきなのだ。水道は人間が生命を維持して行く上で最も必要な事業で、いわば命綱である。したがって、水道は本来、非営利の公共事業にとどめ置かれるべきであって、民営化は絶対避けられるべきなのだ。そう思わずにはいられない。
2019.03.22 原発推進の安倍政権を打倒しよう
   事故から8年、今年も「さようなら原発全国集会」
                                   
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 東京電力福島第1原子力発電所の事故から8年周年を記念して、「3・21さようなら原発全国集会」と銘打った集会が祝日の3月21日午後1時30分から、東京の代々木公園で開かれた。福島第1原発の事故後、毎年この時期に催されている集会で、全国各地から、労組員、生協組合員、護憲団体関係者、一般市民ら約1万人(主催者発表)が集まった。原発推進政策が行き詰まっているにもかかわらず原発の再稼働を進めたり、沖縄・辺野古で米軍新基地建設を強行する安倍政権への反発は強く、同政権の退陣を求める声が相次いだ。
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会場に林立する組合旗

 集会を主催したのは、内橋克人(経済評論家)、大江健三郎(作家)、落合恵子(作家)、鎌田慧(ルポライター)、坂本龍一(音楽家)、澤地久枝(作家)、瀬戸内寂聴(作家)の各氏ら9人の呼びかけでつくられた「さようなら原発一千万署名市民の会」。
 昨年の全国集会はみぞれが降り注ぐ中での集会だったが、今年は晴天に恵まれた。それでも、時折、強風が吹きつけ、会場は砂塵に包まれた。参加者は首都圏からやってきた人たちが多かったが、組合旗、団体旗から見て、北海道、岩手、山形、宮城、福島、新潟、山梨、群馬、栃木、静岡、大阪、香川などの道府県からの参加者もあった。
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東海第2原発の再稼働反対を訴えるのぼり。上部は手作りカッパの頭。茨城県牛久市からきた女性たちで、牛久にはカッパ伝説があるという

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脱原発を訴えるプラカード。中央の絵はストップを意味するドイツの交通信号だという

 集会では、まず、呼びかけ人の鎌田氏が主催者あいさつをしたが、同氏はその中で、まず「悲しいお知らせをしなくてはなりません。福島の原発事故以来、経産省前にテントを建て脱原発運動の先頭で頑張ってきた淵上太郎さんが昨日亡くなった。78歳。私たちは彼から廃炉を託された。原発のない社会を1日も早く実現しよう」と述べ、さらに、こう続けた。
 「原発事故以後、小泉、鳩山、菅、野田と歴代の首相は皆、今や原発はだめだと言っている。なのに、安倍首相は2030年には、電力の20%を原発でまかなうと言っている。原発は技術的にも道義的にももう破たんしているのに、安倍政権はなお原発再稼働に必死で、まさに自分たちだけがもうければいいという政権だ。こんな無責任な政権には辞めてもらわねば」
 「沖縄で米軍基地の辺野古移設をめぐって県民投票が行われ、県民の70%が辺野古基地はいらないと言っている。基地を作らせないために、そして、沖縄の自然を守るために頑張ろう」

 福島から参加した人見やよいさん(福島原発告訴団・フリーライター)は「事故から8年という言い方はおかしい。火事だって、火が消えない限り鎮火とは言わない。福島では、いまだに放射能がぼこぼこ出ていて、原発事故は進行中なんです。復興していないんです。どうか、こうした現状を知ってほしい」と訴えた。

 呼びかけ人の1人として登壇した落合さんは「安倍首相の4選が話題になっている。でも、安倍首相の時代がこれからさらに続くなんてもういやですね。もうそうさせないようにしましょう」「安倍首相の大好きな言葉は『寄り添う』です。寄り添うとは、痛みを共有することです。でも、首相がやっていることは逆。沖縄でも、福島でも。こんな政権は、私たちの手で変えましょう」と話した。

 原子力規制委が再稼働を認めた、日本原電の東海第2原発(茨城県東海村)の再稼働反対を呼びかける訴えもあった。
さよなら原発2019写真(1)
原発反対、安倍政治反対のスローガンを書き込んだ傘をさして参加した女性

 集会は「東海第2原発の再稼働反対」「廃炉」「核燃料サイクルの見直し」「野党提出の原発ゼロ基本法案の審議開始」などを盛り込んだアピールを採択、その後、参加者は2コースに分かれてデモ行進した。
さよなら原発2019写真(2)訂正分
デモ行進に出発する集会参加者