2008.02.21
無農薬・有機米を人力で作る戸邊秀治さん
安全でおいしい米作りの仲間求め
中国製ギョーザ事件をきっかけに、日本の食料自給率を上げようという議論が高まっていことは喜ばしい。しかし実際に自給率を上げることは非常に難しい。まずは疲弊した日本の農業を再建しなければならない。高度経済成長時代、日本の農業は「3ちゃん農業」と呼ばれていた。農家の生活費が足りないため、父ちゃんが出稼ぎか勤めに出ているので、爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんが田畑を守らざるを得ない時代だった。今はそれどころではない。老人たちが辛うじて村を守っているが、減反減反で耕作放棄の水田は荒廃し、農家の後継者は少ないから子どもの数も少なく、学校も廃校に。過疎化が進み、日本の山里はいわゆる「限界集落」だらけだ。
ウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)などを経て農産物輸入の自由化が進み、安い外国産の食品が農家の食卓にも並ぶ時勢である。かつては農協が直営する店は、農協組合員が生産した食料や日用品を販売する「商店」だった。高速道路と大型冷凍トラックの普及で流通革命が進んだ結果、今ではJAコープはスーパーマーケットと同じような大型店になり、売っている食品も輸入品だらけである。筆者の住む町のJAコープでは、地元産野菜・きのこ類の特売コーナーを設けて販売に力を入れているが、農協を感じさせるのはそのくらいしかない。
農産物にまで波及した大量販売・大量消費のシステムが行き着いた所が今回の中国製ギョーザ事件だった。こうした大量消費システムの弊害を避け、安心でおいしい食料を食べるために、自然食産直運動が静かなブームになっている。消費者と農業生産者がネットワークを組み、宅配便を利用して生産者から消費者に直接自然食品を届ける運動である。ここで届けられる食料の価格は、スーパーやコープより割高である。しかし生産者が自信を持って送ってくれる、安心でおいしい食料であることに間違いはない。生産者のほうも一定の値段で農産物を必ず買ってくれるネットワークのおかげで、それなりの収入が保証される。
しかし問題がある。完全無農薬・有機肥料栽培の農業生産は大変な苦労を伴うことだ。自然界に病害虫は付き物で、稲でも野菜でも果物でも病害虫の被害に遭わないことはあり得ない。ほっておけば田畑に雑草がはびこって作物用の養分を吸い取ってしまう。だから普通の農業では除草剤や殺虫剤、消毒薬などを散布することになる。これで労働はかなり軽減される。しかし無農薬・有機栽培の自然食品を提供する産直ネットに加わっている生産者には、農薬や化学肥料を使うことは厳禁だ。ということは、農作業に大変な手間ひまが掛かることを意味する。
伊藤力司 (ジャーナリスト)
中国製ギョーザ事件をきっかけに、日本の食料自給率を上げようという議論が高まっていことは喜ばしい。しかし実際に自給率を上げることは非常に難しい。まずは疲弊した日本の農業を再建しなければならない。高度経済成長時代、日本の農業は「3ちゃん農業」と呼ばれていた。農家の生活費が足りないため、父ちゃんが出稼ぎか勤めに出ているので、爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんが田畑を守らざるを得ない時代だった。今はそれどころではない。老人たちが辛うじて村を守っているが、減反減反で耕作放棄の水田は荒廃し、農家の後継者は少ないから子どもの数も少なく、学校も廃校に。過疎化が進み、日本の山里はいわゆる「限界集落」だらけだ。
ウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)などを経て農産物輸入の自由化が進み、安い外国産の食品が農家の食卓にも並ぶ時勢である。かつては農協が直営する店は、農協組合員が生産した食料や日用品を販売する「商店」だった。高速道路と大型冷凍トラックの普及で流通革命が進んだ結果、今ではJAコープはスーパーマーケットと同じような大型店になり、売っている食品も輸入品だらけである。筆者の住む町のJAコープでは、地元産野菜・きのこ類の特売コーナーを設けて販売に力を入れているが、農協を感じさせるのはそのくらいしかない。
農産物にまで波及した大量販売・大量消費のシステムが行き着いた所が今回の中国製ギョーザ事件だった。こうした大量消費システムの弊害を避け、安心でおいしい食料を食べるために、自然食産直運動が静かなブームになっている。消費者と農業生産者がネットワークを組み、宅配便を利用して生産者から消費者に直接自然食品を届ける運動である。ここで届けられる食料の価格は、スーパーやコープより割高である。しかし生産者が自信を持って送ってくれる、安心でおいしい食料であることに間違いはない。生産者のほうも一定の値段で農産物を必ず買ってくれるネットワークのおかげで、それなりの収入が保証される。
しかし問題がある。完全無農薬・有機肥料栽培の農業生産は大変な苦労を伴うことだ。自然界に病害虫は付き物で、稲でも野菜でも果物でも病害虫の被害に遭わないことはあり得ない。ほっておけば田畑に雑草がはびこって作物用の養分を吸い取ってしまう。だから普通の農業では除草剤や殺虫剤、消毒薬などを散布することになる。これで労働はかなり軽減される。しかし無農薬・有機栽培の自然食品を提供する産直ネットに加わっている生産者には、農薬や化学肥料を使うことは厳禁だ。ということは、農作業に大変な手間ひまが掛かることを意味する。
2008.01.12
中村梧郎さんが「枯葉剤写真展」の報告会
中村梧郎「戦場の枯葉剤NY写真展」報告会が、2月3日(日)午後3時から6時ごろまで、横浜市のJICA横浜(みなとみらい線馬車道駅下車、前部4番出口を出て左折、万国橋通りを北進徒歩7分、サークルウォークわき。TEL: 045−663−3257)で開かれます。
中村梧郎さんは、ベトナム戦争中に米国が遂行した「枯葉作戦」の傷跡を長年にわたって追跡してきた報道写真家として知られています。米軍が投下した大量の枯葉剤はベトナムの人々をはじめ米国兵にも深刻な被害をもたらしただけでなく、環境も破壊しました。その惨禍は今もなお続いており、その実態を伝える中村さんの作品は世界的な反響を呼び起こしてきました
中村さんは2006年に日本科学技術ジャーナリスト会議が主宰する第1回科学技術ジャーナリスト賞を受賞しましたが、これは中村さんの作品『新版・母は枯葉剤を浴びた』(岩波現代文庫)が高く評価されたためでした。
「枯葉剤がもたらした悲劇の実態をアメリカの人々にこそ知ってほしい」というのが中村さんの長年の念願でしたが、ニューヨーク市立大学が中村さんの要請を受け入れ、06年10月、ニューヨークのジョンジェイ・カレッジで中村梧郎写真展「戦場の枯葉剤」を開催しました。そこでは、中村さんの写真10点が展示されました。
さらに、同大学は07年2月から6月までの5カ月にわたって同会場で中村梧郎写真展「ORANGE」(枯れ葉剤のことをAgent Orangeといいます)を開催しました。ここでは、34枚の写真が展示されました。
ORANGE展はまた、同年5月から6月にかけてニューヨークで行なわれたマグナム・フェスティバル参加作品としても認められました。マグナム(MAGNUM)はロバート・キャパやアンリ・カルティエ・ブレッソンらが創設した世界トップのドキュメンタリー写真家集団で、フェスティバルはその60周年記念イベントでした。その企画にふさわしい作品展と評価されたのです。
そのうえ、アメリカのNPO「復興と開発のための基金」(FFRD)が中村さんの写真展を全米各地で開く準備を進めており、この2月にはテネシー州で開催の予定とのことです。
報告会では、中村さんから、米国での写真展にどんな反応、反響があったかの報告があるほか、中村さんの活動を追跡した、長野放送制作のドキュメンタリー「枯れ葉剤被害は終わらない〜報道写真家・中村梧郎の30年〜」が上映されます。これは、今年度日本民間放送連盟賞のテレビ報道番組で優秀賞を受賞した作品です。資料代300円。
なお、報告会を主催するのは、友人らによって結成された「中村梧郎ニューヨーク写真展『戦場の枯葉剤』を成功させる会」です。連絡先はTEL・FAX: 044−954−6559
中村梧郎さんは、ベトナム戦争中に米国が遂行した「枯葉作戦」の傷跡を長年にわたって追跡してきた報道写真家として知られています。米軍が投下した大量の枯葉剤はベトナムの人々をはじめ米国兵にも深刻な被害をもたらしただけでなく、環境も破壊しました。その惨禍は今もなお続いており、その実態を伝える中村さんの作品は世界的な反響を呼び起こしてきました
中村さんは2006年に日本科学技術ジャーナリスト会議が主宰する第1回科学技術ジャーナリスト賞を受賞しましたが、これは中村さんの作品『新版・母は枯葉剤を浴びた』(岩波現代文庫)が高く評価されたためでした。
「枯葉剤がもたらした悲劇の実態をアメリカの人々にこそ知ってほしい」というのが中村さんの長年の念願でしたが、ニューヨーク市立大学が中村さんの要請を受け入れ、06年10月、ニューヨークのジョンジェイ・カレッジで中村梧郎写真展「戦場の枯葉剤」を開催しました。そこでは、中村さんの写真10点が展示されました。
さらに、同大学は07年2月から6月までの5カ月にわたって同会場で中村梧郎写真展「ORANGE」(枯れ葉剤のことをAgent Orangeといいます)を開催しました。ここでは、34枚の写真が展示されました。
ORANGE展はまた、同年5月から6月にかけてニューヨークで行なわれたマグナム・フェスティバル参加作品としても認められました。マグナム(MAGNUM)はロバート・キャパやアンリ・カルティエ・ブレッソンらが創設した世界トップのドキュメンタリー写真家集団で、フェスティバルはその60周年記念イベントでした。その企画にふさわしい作品展と評価されたのです。
そのうえ、アメリカのNPO「復興と開発のための基金」(FFRD)が中村さんの写真展を全米各地で開く準備を進めており、この2月にはテネシー州で開催の予定とのことです。
報告会では、中村さんから、米国での写真展にどんな反応、反響があったかの報告があるほか、中村さんの活動を追跡した、長野放送制作のドキュメンタリー「枯れ葉剤被害は終わらない〜報道写真家・中村梧郎の30年〜」が上映されます。これは、今年度日本民間放送連盟賞のテレビ報道番組で優秀賞を受賞した作品です。資料代300円。
なお、報告会を主催するのは、友人らによって結成された「中村梧郎ニューヨーク写真展『戦場の枯葉剤』を成功させる会」です。連絡先はTEL・FAX: 044−954−6559
2007.10.18
ノーベル平和賞は洞爺湖サミットへも影響する
早房 長治 ((地球市民ジャーナリスト工房代表)
福田内閣は「美しい星50」を撤回し、先進国にガス排出量目標を
米国のアル・ゴア元副大統領と国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が今年度のノーベル平和賞を受賞した。ノーベル賞委員会の勇気ある行動に拍手を送るとともに、ゴア氏とIPCCの「人為的に起こる地球温暖化の認知を高めた」実績を改めて高く評価したい。 福田康夫首相もゴア氏の貢献を称えたが、彼の受賞が温暖化防止対策への米国世論を前向きに変え、それが来年の洞爺湖サミットの米国政府の出方にも反映するだろうことを認識しておく必要がある。
IPCCは今年前半に公表した第4次評価報告書で、「今世紀末の気温は1980〜99年と比べて1,8〜4度上昇する可能性がある」「気温上昇が90年に比べて2〜3度以上になると、地球全域で悪影響を受ける」「気温上昇を2度程度に抑えるには、温室効果ガスの排出量を2050年までに00年より半減させる必要がある」の3点などを明らかにした。
2007.07.11
環境問題に本格的の取り組み始めた広東省
早房長治
(地球市民ジャーナリスト工房代表)
(地球市民ジャーナリスト工房代表)
高度成長との両立は可能か 規制厳格化がカギ
広東省は、上海市、浙江省などとともに、中国の高度成長の主要エンジンの一つである。
私(早房長治)は、このほど、広東省の広州、深セン(センは土偏に川)、珠海の三市を中心に約1週間、滞在し、環境と環境政策の現状を中心に取材した。その結果を、いささかスケッチ的ではあるが、報告する。現状を、一口でいえば、「地方政府は高度成長政策を捨てていないが、中央の指令に従って、本格的な環境対策に、やっと取り組み始めた」ということである。
深セン市は、中国最初の経済特区に指定されたことから、30年前の人口1000人以下の寒村から、現在、人口1200万超の東京並みの大都市に奇跡的な急成長を遂げた。しかし、白地の上に計画的に都市を建設したため、道路は広く、緑も多く、整然としている。
同市は1980年代以降、年10〜15%(実質)の経済成長を続けてきた。これに伴って、環境悪化が進んだのはいうまでもない。同市は都市計画が行き届いているせいか、大気は高度成長期の東京ほど汚染されていないが、90年代以降、水と大気の汚染を中心として、環境問題は、市民の健康面からも無視できなくなっている。市当局は2005年から環境問題を本格化させた。
陳応春・副市長(環境問題担当)によると、当面の主な環境対策は次の通りである。
2007.06.12
誇りをもって今を生きる、四国の小さな町や村
中尾ひろえ
(日野・地域エネルギー協議会)
(日野・地域エネルギー協議会)
環境自治体会議 うちこ会議で片鱗に触れる
愛媛県内子町で5月23日〜25日に開かれた「第15回環境自治体会議 うちこ会議」に参加した。「〜今、見つめなおそう 真のエコロジー〜」というサブタイトルがつき、テーマは「暮らし再考 自然再生」である。
環境自治体会議は、年1回、地元実行委員会の主催で開かれている。自治体単位の会員制で現在59自治体が加盟。会議は、環境政策についての情報交換や交流が目的で、自治体職員のほか、市民も参加できる。地域の特色をさまざまなかたちで披露する場でもあり、夜の交流会が楽しい。昨年は鹿児島県指宿市で開かれた。
私が住む日野市は環境基本計画が施行された1999年頃から会員になっている。現在、日野市長は会議の共同代表でもある。
私が初めて参加したのは、4年前の長野県・飯田会議であった。新エネルギーの勉強をしたいという気持ちもあって、地域共同型エネルギー政策の分科会に参加。保育園での太陽光発電点灯式へ参列や、太陽光発電システム工場の見学など、新知識を得ることができた。また全体会で、地元中学生がりんご並木を植え替え、収穫や手入れも行っているとの報告を聞いて、たまたま宿舎近くにそのりんご並木があり、はずれに風車と太陽光発電装置つきのシンボル塔があった。小さな塔の発電の様は今なお鮮明である。
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