2017.02.06  文庫本「解説」の「解説」の面白さ
          ―書評 斎藤美奈子著『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 本書は、文庫本の「解説」を「解説」した本である。
解説の解説なんて何が面白いのか。面白いのである。
著者の斎藤美奈子(さいとう・みなこ)は、1956年生まれの文芸評論家。「序にかえて」の副題に「本文よりエキサイティングな解説があってもいいじゃない」とある。結論からいうと本書はなかなかエキサイティングなのだ。

《三点の面白さを箇条書きすると》
 私は、三点に絞って、その面白さを紹介したい。
第一 文庫の解説は玉石混交であること
第二 分からない本はやっぱり分からないこと
第三 文学観は随分と変化すること
いずれも当たり前のことではないか、という読者の反応を予想して、内容に触れて面白さの理由を述べる。

第一点 文庫の解説は玉石混交であること
「玉」の例を挙げる。
「ヘーゲルはどこかでのべている。すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」。これは、マルクスによる自著の冒頭の言葉である。その書とは、『ルイ・ボナパルトのブリューメール18日』(植村邦彦訳、平凡社ライブラリー版・二〇〇八年)。

訳者植村による本書要約は、「男子選挙権を実現した共和制の下でルイ・ボナパルトのクーデタが可能になり、しかもこの独裁権力が国民投票で圧倒的な支持を獲得できたのはなぜなのか」というものである。文庫の解説者は、柄谷行人(からたに・こうじん)。その解説を、斎藤は「解説の解説が必要」なほど難解だと言いつつ、次のようにそのサワリを引用する。(■から■)

■一九八〇年代の終わりに「共産主義体制」が崩壊し、民主主義と自由主義的経済の世界化による楽天的な展望が語られたとき、マルクスの『資本論』や『ルイ・ボナパルトのブリューメール18日』といった著作はその意味をなくしてしまったかのように見えた。しかし、これらの著作が鈍い、だが強い光彩をはなちはじめたのはむしろそのときからである〉。/(『ブリューメール』は)一九三〇年代のファシズムにおいても、九〇年代以後の情勢においても貫徹するものをはらんでいる。/ヒトラー政権はワイマール体制の内部から、その理想的な代表制のなかから出現した。/日本の天皇制ファシズムも一九二五年に法制化された普通選挙ののちにはじめてあらわれたのである。/(ルイ・ナポレオンは)メディアによって形成されるイメージが現実を形成することを意識的に実践した最初の政治家だといってもよい■

これに続いて著者斎藤の感想がくる。(■から■)

■ここまで読んで、私たちは忽然と思い当たる。こここ、これって、ほとんど二一世紀の日本じゃないの!?
三年で頓挫した民主党政権の後、圧倒的な支持を得て成立した安倍政権、特定機密保護法の制定から集団的自衛権の行使容認、安保関連法の成立まで、そいつが暴走しまくっている歴史の反復。いやいや、日本だけではない。二〇一六年の米大統領選で、希代の不動産王ではあってもなんの政治的実績もないドナルド・トランプがまさかの勝利を収めたのも、まさに「ボナパルティズム」の再来だ。■

「玉」に対する「石」の例は紹介する必要を感じない。文豪や大家によるものも含めて、「解説」なんて、いい加減なものが山ほどある。それが分かることも本書の楽しみである。

《「分からなさ」の説明に納得し時代の変化を知る》
 第二点 分からない本はやっぱり分からないこと
小林秀雄を読んでも分からない。天才であるとか、日本における近代批評の創始者である、という評価は理解できない。これは私(半澤)個人が、ずっと思ってきたことである。斎藤は、『無常という事』、『モオツァルト』を引いてコバヒデ(小林秀雄)の難解さをこう書く。

■そうだった、思い出したよ。コバヒデの脳内では、よく何かが「突然、降りてくる」のである。こういう箇所を読む人は(少なくとも私は)鼻白む。しかし、小林にとってはこの「突然、降りてくる」が重要で、こうした一種の神秘経験を共有できるかどうかで、コバヒデを理解できるか否かが決まるといっても過言ではない。■

神秘体験を共有しないと理解できないという認識は、ある種の、徹底した小林批判である。これは「分からない本はやっぱり分からないこと」と思ってきた私への援軍となった。

第三点 文学観は随分と変化すること
本書が最初に取り上げる書物は漱石の『坊ちゃん』であり、その解説論である。
「発表以来、痛快な勧善懲悪劇と受けとめられてきた『坊ちゃん』。しかし、文庫解説の世界では、別のとらえ方がむしろ主流になりつつある。えっ、どこが?」と、斎藤は始める。「別のとらえ方」は、勧善懲悪劇論へのアンチテーゼとして、江藤淳らにより提起されたあと、いくつかの変奏を生んだという。一〇種を超える『坊ちゃん』文庫本の、対立的な解説を詳説した斎藤の、結論部分を次に掲げる。

■江藤淳や平岡敏夫をはじめ、『坊ちゃん』悲劇説を唱える解説者たちは、おおむねみんな大学人。江戸ではなく明治、坊ちゃんでなく赤シャツ、近代の勝者の側に入る人たちだ。その視点で見れば、学校を去った坊ちゃんは哀れむべき敗者、学校に残って出世する赤シャツたちが権威の側に立つ勝者である。だが夏川(宗介、医師。小学館文庫版『坊ちゃん』の「解説にかえて」の筆者)が指摘するように、庶民にとって、その程度のことは武勇伝のタネにこそなれ、敗北などではまったくない。むしろ学校を辞めたからこそ坊ちゃんはヒーローで、『坊ちゃん』は「痛快」なのだ。そうした読者にとって『坊ちゃん』=敗者の文学は意味不明である。■

《文豪の名作から官能小説まで》
 以上の紹介で、「解説の解説なんて何が面白いのか」という本稿読者の疑問は変化したであろうか。

244頁の本書で、「解説」が論じられる作家・批評家は32名。
夏目漱石、川端康成、太宰治らの文豪・大家から、シェークスピア、サガン、カポーティ、チャンドラー、フイッツジェラルドの外国文学を経て、庄司薫、田中康夫、柴田翔、島田雅彦、吉本隆明、百田尚樹、渡辺淳一ら、同時代作家や批評家に至る。

本書の軽妙な表現に惑わされないこと。「解説の解説」という形式を借りて、本書は21世紀が直面する多様なテーマを論じている。ポストモダン色に糖衣された文学批評の力作である。私はそう読んだ。(2017/02/02)

■ 斎藤美奈子著『文庫解説ワンダーランド』、岩波新書1641、2017年1月刊、 本体840円+税
2017.01.30 『消えゆく限界大学――私立大学定員割れの構造』を読む
――八ヶ岳山麓から(210)――

阿部治平(もと高校教師)

定員割れをきたした大学、またはその危機に見舞われている大学が話題に上るようになって久しい。
私は2011年までの約12年余り、中国の大学で日本語や日本事情を教えていたが、そのときにも、日本から留学生募集のためにやって来る大学関係者がかなりの人数に上った。たいていは名前を聞いたことがない大学の方々で、たいてい大学名、学部名に「国際」「情報」「環境」「コミュニケーション」などの文字が入っていた。中国青海省の大学教授たちは、「こんな奥地にまでどうして学生募集に来るのか?」と怪訝な顔をした。
帰国後故郷の長野県に定住してみると、こんどは県内の私立大学が入学者の定員割れによる経営難を理由に、公立への移管を県や市に働きかけているという新聞記事を目にした。また同じ理由で長野県は県立短期大学を4年制に設置替えした。
さらに、私大経営者の不祥事、留学生たちの大量大学離脱など、首をかしげてしまうような大学をめぐる事件を次々と聞いた。大学の危機は全国的な現象であった。

日本の18歳人口は1992年がピークで200万人余りだった。22年後の2014年には40%余り減少して118万人となり、2018年度以後の6年間は一気に105万人程度まで減少することが予測されている。いわゆる「2018年問題」である。
さきの報道に接するたびに私は、たとえ四年制大進学率が現在の52%から60%になったところで18歳人口の減少には勝てない。いずれ淘汰されるべき運命にある大学はさっさと撤退すべし、と思った。

このたび、小川洋著『消えゆく限界大学――私立大学定員割れの構造』(白水社2017、2,000円)を手にした。じつに身につまされた。小川氏は、私立大学は採算ラインの定員8割を切っている100余りの大学のうち、中学高校の併設校や他の資産などがない大学はやがて撤退に追い込まれるだろう、と指摘をしているのである。

小川氏は高校教員を経験し、のちに大学の先生になった人である。高校教員時代には高校問題について研究し、『なぜ公立高校はダメになったか』(亜紀書房 2000年)を書いた。私にとっては、ずいぶん自分のやって来たことを反省させられた本である。小川氏は大学教員になってからは義務教育の調査研究を行い、同時に大学問題の研究に取組んだ。その成果が本書『消えゆく限界大学……』である。
「限界大学」とは、「存亡の淵に立たされている大学」の意である。小川氏は、「定員割れはある年、突然発生するわけではない」といい、この危機に見舞われるのは、「人材的にも財力的にも大学を運営するだけの能力に欠ける、文字どおり弱くて小規模な弱小私大」であるという。
ではこれら限界大学は、なぜ、いつ、どのようにして開設されてきたのか。
小川氏は、わが国の高等教育施策の歴史を縦糸に、その時代の豊富な統計資料を横糸にして議論を進める。

小川氏によれば、大学における入学者定員割れの状況は、その大学の設置時期によって大きく異なる。彼は敗戦直後の学制改革以降を6つに区分した。開設校数と、その後定員割れをきたした校数の比率がともに高いのは、「第3期:急増期」(1964~68、)、「第5期:臨定期」(1986~2005)の2つである。
「急増期」とは第一次ベビーブーム世代の大学進学に合わせて大学数が急増した時期、「臨定期」とは第二次ベビーブーム世代の大学進学に合わせて大学入学定員の臨時増と大学設置審査の簡易化がはかられた時期である。2つの時期の定員割れ校数の比率は、それぞれ30.1%、45.1%である。

つまり第一次、第二次ベビーブーム世代への対応がはかられた時期に開設された大学群の中に、定員割れを起こした私大が集中しているのである。そしてこの種の大学の多くは「短大」を母体とするものであった。
短大は戦後の学制改革のさ中に、1949年「暫定措置」としてもうけられたものである(短大の歴史については本書を参照してください)。短大は女子高校生を多く迎え入れたが、80年代に入りオフィスのOA化が始まると、短大卒業生への需要は減少し、女子高校生は四年制大学へ進学し始めた。とどめを刺したのは91年のバブル崩壊である。それまでも私立短大の閉校と開設は併存していたが、1997年の504校をピークとして、短大数は減少に転じた。
閉校に至った短期大学は3つに分類できる。撤退(廃校)、同一法人が経営する既存の大学の大学への統合、自ら改組転換しての四年制大学への移行(大学化)、の3つである。このうち「大学化」は、閉校私立短大の約3分の1にあたる。

小川氏は、短大が「大学化」したとき、そこには「短大以上大学未満」ともいうべき文化が形成されたという。そしてこれこそが魅力ある大学への脱皮を阻み、進学志願者をひきつける力を育て得ず、定員割れをきたす遠因になったのだという。これぞ本書の“クライマックス”部分である。
「短大以上大学未満」の文化とは何か。まずもともと規模が小さく財政基盤が弱い。経営責任者たちが四年制大学を運営するに足る識見と能力を持ち合わせず、そのために明確な目標に向かって学内を束ねていくだけの力を持たない。短大以来の教員たちが短大仕様の教育観に固執し、大学という研究主体の文化に自らを作りかえることができない。それらがあいまって大学全体として魅力ある教育カリキュラムを提供することができない、等々がそれである。

ところが小川氏によると、基盤が弱小であっても、比較的安定した運営ができている大学があるという。理事会が中心となって改革ができ、「お嬢様大学」から魅力ある総合大学へと大きな飛躍を遂げた武蔵野大学がその一例である。そこには改革の支柱の役を果たした一教育研究者の存在があり、また地元企業への卒業生斡旋の途をひらいた大学職員のはたらきがあった。初年次教育に力を入れたカリキュラムの開発が行われ、離学率が低下するという効果をみた。
ほかにも教員組織の刷新をはかった名古屋外国語大学、「ちょっと大変だけど実力がつく大学です」をキャッチコピーに、地元に役立つ人材の育成に力を注いで成功した共愛学園前橋国際大学など、全部で5つの成功例が紹介されている。危機意識の共有、企画立案能力、有能な人材を得る道筋の確保などがそれらの共通項である。

これら成功例に鑑みて小川氏は、弱小私大が生き残るための条件を6つ掲げている。①地域の信頼を得る、②入学前教育と初年次教育を充実させる、③ターゲットを絞った学生募集をする、④短大文化を清算し、教育・研究活動を活性化する、⑤安易な道を避ける、⑥経営体制の刷新をはかる、である。
それぞれの理由は察せられるであろうが、「⑤安易な道を避ける」はわかり難いかもしれない。これは、留学生依存や、流行学部・学科の集客力への大きすぎる期待である。いずれ時流は変わる、それを意識せよというわけである。
「⑥経営体制の刷新をはかる」は文字通りの意味だが、教育事業にふさわしくない人物が理事長におさまっている私学への警告でもある。打開策のひとつは外部人材の導入で、著名な学者・研究者を学長に招いて広告塔になってもらうことだが、安易にこれをやると、理事長と新学長との間に確執が生じることが生じるのはしばしば耳にするとおりである。

このほかに地方自治体に経営を引受けさせる「公立化」という手段がある。私の周辺では、地域文化に貢献するという趣旨で、上田市の長野大学と諏訪広域自治体の諏訪東京理科大学がある。
この場合は、設置主体の地方自治体に公立化によって総務省から運営交付金が受けられるほか、地方交付税交付金が配分される。これらの収入は現在の私学助成金より高額になることから、まず授業料が引き下げられる。その結果、全国から応募者を呼び込むことができ、定員を充足できる。しかも公立化によって地方幹部職員の天下り先が増えるという余禄もある。
かくしてひと時の安心を得た例がいくつかある。だが小川氏は、地方自治体は私学を引受ける前に、なぜその大学が不調に陥ったかよく調査すべきだといっている。

さて、小川氏の議論を踏まえても、いや小川理論に筋が通っているからこそ、長い時間で見ると、私はやはり18歳人口の減少が大勢を決するように思う。
だから限界大学の関係者は、いまから本書を読んで淘汰されない側に身を転じてほしい。また自治体関係者は限界大学を救済すべきか否かを判断する前に、ぜひ本書を読んでほしい。
さらに重要課題は、淘汰を余儀なくされたとき、その終焉をどう見守るのがよいかである。大学関係者、為政者はその被害を最小にする方法をいまから考察してほしいと思う。無視できない数の大学がいずれ臨終を迎えようとしているのだから。

2017.01.20 民あってこその、国 命あってこその、人
韓国通信NO514

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

「民あってこその、国 命あってこその、人」
草壁皇子(天武天皇第二皇子、母は持統天皇)の長男のカル王子(後の文武天皇)に道昭が語った言葉だ。小説『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』(石川逸子著2016)では、この言葉が道昭の言葉として二回ほど語られる。
人の命がどんどん軽くなっていく。国のために、会社のために命を捨てるなんてまっぴら「ご免」が私の信条だが、世の中は逆の方向に向かっている気配が濃厚だ。
理性のひとかけらもない超大国の指導者の誕生。それにすり寄ろうとするわが国の指導者。単一民族を主張して人種、宗教、文化の違う人たちを排除しようとする動きが世界各地でも日本でも活発だ。

<昨年末から読み続けた二冊の本>
ひとつは韓国の小説『徳恵翁主』(トッケオンジュ)、もう一冊は『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』である。それぞれ400ページを超す大作、韓国語の小説は辞書と首っぴきのため一日数ページしか進まない。

『徳恵翁主』は日韓併合後、高宗の末娘徳恵翁主(王女)が希望もしない日本へ留学させられ、やがて旧対馬藩主宗家の当主宗武志と結婚、政略結婚ながら幸せな結婚生活を送る。精神病の発症、離婚して故国に帰るという話だが、こちらはまだ読みかけ。併合後の韓国王室が直面した悲劇が民衆の苦難とともに描かれた小説はベストセラーとなり、去年映画化され好評を博した。小説をとおして韓国人にも改めて「発見」された歴史上のヒロインだが日本でもその存在を知る人は少ない。皇女に涙した多くの韓国人の涙は何なのか。小説には彼女の周辺に韓国独立を目指す若者の姿も出現する。日韓関係が戦後最悪と云われるなかで、過去の歴史について、また一般の韓国人が日本に何を求めているかを知る一冊になることを期待して読み続けている。

<『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』を読む>
『道昭』もはっきり言って私には手ごわい小説だった。最近読んだ三田誠広の『親鸞』は親鸞の生い立ちから始り、人間親鸞像を描きながら浄土真宗の「教え」に迫った。『道昭』も仏教者の思想と背景に迫る点では三田の『親鸞』とかわらないが、登場人物の多さ、スケールの大きさに圧倒されずにはいられない。

道昭は西暦700年(文武4年)没。生まれたのは629年(舒明2年)である。従って親鸞より約400年前の人ということになる。あの『西遊記』で有名な玄奘三蔵法師から直接仏教を学び、帰国後、天智、天武、持統、文武天皇の時代に日本各地で教えを広め、俗的な権力とは一線を画しながら民衆に影響を与えた。わが国座禅の始祖ともいわれ、自らを火葬させたことでも知られる。
恥ずかしいことに私は道昭という人物を知らなかった。あわてて高校の日本史の教科書(山川出版・学校図書)を広げてみたが道昭はどこにも見当たらない。教科書にも取り上げられていない人物を主人公にした長編小説にまず驚いた。

日本への仏教伝来は6世紀中ごろ、百済からと言われている。道昭が遣唐使の一員として留学した653年は、仏教伝来から100年ほど後、葛城大兄―中大兄皇子(後の天智)が中臣鎌足と蘇我入鹿を暗殺した大化の改新645年から8年後である。唐の長安で玄奘から学び、帰国したのが8年後の661年、道昭31才の時だ。
当時の朝鮮半島は三国時代が終わりを告げようとしていた。唐・新羅連合軍によって百済が滅亡、斉明王と中大兄皇子が百済復興を試みたが白村江で大敗を喫し天智王が即位した(元の襲来はよく語られるが、白村江の敗北は余り語られない。敗北後、唐と新羅の襲来に国をあげて備えたことについても本書では触れられている)。東アジア全体に緊張が走り、朝鮮半島も倭国も激動の時代だった。

そのさなか帰国した道昭は、唐から持ち帰った経典を法興寺に納めると、「他利行」(「寺にこもっていては、み仏の足元に近寄れそうにありません。せめて名もなき民と苦をともにし、彼らが少しでも暮らしやすくなるよう、病に苦しむものには医術をほどこし、あらぶる川には橋をかけ、水に困る地には池を掘る」と道昭に語らせている。P289)の旅に出て、生涯、政争に巻き込まれることなく一僧侶として生涯を終えた。
道昭が生きた時代とあらすじを教科書風にまとめたのが本書たが、日本史の教科書では第一章古代国家の起源に次ぐ第二章「律令国家の成立」の時期にほぼ重なる。

<歴史文学の可能性を示した一冊>
『道昭』は一僧侶の生涯が詳細な日本とアジアの時代背景のなかで描かれている点が特徴だ。小説としての面白さにくわえ歴史書を読んだような充実感がある。くわえて歴史書にない生き生きとした人間群像が続々と登場する興味深さがある。
このような本を読んだら歴史に興味を持つ人が増えそうだ。わが国の無味乾燥な歴史教育のありかたに一石を投じているように感じられる。単なる事物の羅列ではない。唐に留学した国際人、道昭にスポットを当て、国際都市長安での生活は仏教修業にとどまらず、西域の人たちとの交流、日本と朝鮮の情報が唐にいる彼のもとに伝えられるという設定も奇想天外で新鮮だ。
もう30年以上も前のことだ。金達寿の『日本の中の朝鮮文化』を読んだ衝撃は忘れられない。日本各地の文化と地名から朝鮮文化の足跡を探った著書を読み、古代日本が大陸文化圏にあったことをことを知った。
『道昭』では多くの渡来人とその子孫たちがエリート集団として登場する。当時の倭国の政治を動かしていたのはまぎれもなく渡来人だったこと、中国が及ぼした影響の大きさが語られてもいる。
わが国には韓国の「史劇」(時代劇)ファンが多い。おなじみの新羅第27代 善徳(ソンドク)女王、金庾信(キム・ユシン)将軍、金春秋(キム・チュンジュ、後の29代 武烈王)、高麗の淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)将軍が登場することに興味を抱く人も多いはずだ。くわえて玄奘と唐の高宗、則天武后までが登場するとなっては、『道昭』はさながら壮大な「アジア歴史ドラマ」の観がある。

<魅力的な登場人物たち>
登場人物は歴史書をあざ笑うかのように魅力に富んだ「普通の人たち」を登場させているのも本書のもうひとつの特徴かも知れない。
唐によって滅ぼされた西域高昌国の木蘭という女性と、道昭の子どもを身ごもった花信尼という二人の魅力的な女性が登場し、読者を少しドキドキさせるに違いない。また道昭の「利他行」の旅に従ったアイヌのエオルシ、防人のイナマロ、行基はまるで三蔵法師に従った三人の従者、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を想起させる面白さだ。東大寺を建立した行基は道昭以上に歴史上の「有名人」だが、エオルシには土地を奪われたアイヌの悲劇を語らせ、イナマロには西国の守備に連行された防人たちの不幸を語らせ、当時の庶民が直面した生活苦にも目配りがされている。

その他に多くの人物を「歌」とともに登場させているのは詩人である著者なればこそとうなづける。謎の多い歌人柿本人麻呂が登場し道昭に苦しい心うちを語り、無頼と思われる小角という人物を登場させているのも興味深い。
道昭の世界は仏教をとおした慈愛に満ちたものだが、現実の世界は侵略、殺戮に明け暮れ、貧困に満ちた社会だったはずだ。
小角は道昭にこう問いただす。「おのれ(道昭―作者註)は善いことをしているつもりだろうが、大海の水一滴掬いあげるより虚しい行いよ。わずかな病人を救ってみて、多くの貧に苦しむものたちの嘆きを何とする」。小角は世を変えるために権力と力で対抗することを主張するが道昭は「殺生は認められない」と反論しつつも心は揺らぐ。人の命はむなしく、できることにも限りあることを悟った道昭の結論は、冒頭で紹介した「民あってこその、国 命あってこその、人」だった。
道昭にこう言わせた作者の思いは、今世界を覆い始めた「命の軽さ」「偏見」「憎しみ」という風潮に警鐘を鳴らしたものに違いない。

昨日、葬儀で青梅にでかけた。叔父の骨を拾いながら、禁を破って弟子に火葬を命じた道昭を思い出した。
「白骨と化したわが身をさらし、財をため権力をむさぼることのはかなさを示す」。白骨となってまで思いを伝えたいという道昭の激しさに身震いした。弟子たちが道昭の骨を争って集めようとすると、にわかにつむじ風が起こって灰や骨を吹き上げたとも記されている。

石川逸子著『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』はコールサック社発行。2016/1125発行。定価1,800円+税

2016.11.12  ファシズムは死語になったのか(3)
          ― 『 ヒトラー万歳と叫んだ民衆の誤算 』 を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 20世紀で最も民主的・文化的といわれた「ワイマール共和国」は、1919年に始まり、1933年のナチス政権成立で終わった。14年間の短命な体制であった。6000万人から8000万人の死傷者を出したとされる第二次世界大戦の発火点となり、ユダヤ人などの大量虐殺を記録して滅亡したナチス政権は、なぜ生まれたのか。
本書の著者である船越一幸(ふなこし・かずゆき、1932年~)は、北海道放送で活動してから研究者(北海商科大教授)に転じた人。
内容は、ナチス政権の成立の一叙述である。
著者は、ヒトラーを主語にしてナチス政権の生成過程を描く方法をとらない。逆に、ヒトラー周辺の知識人と大衆を描きながら、政権の掌握、強化、変質、崩壊の全過程を描いていく。この「遠回り」のやり方を自身こう述べている(■から■まで)。

■ナチスとは何かを捉えるために随分と異分野をめぐり歩き遠回りしました。/しかし遠回りしたことで、さまざまな角度から事象を切り取る複眼的思考が身についたように思います。それらを通奏低音として、ヒトラー自身を直接描かず、芸術家・哲学者・科学者・映画人・民衆の側からあぶり出してみました。主軸は「人間の営み」「人間性」です。■

 本書は、本文170頁ほどの小冊である。
前半では、ヒトラーの言論統制、メディアの囲い込み、が語られる。作家、音楽家、哲学者、科学者を彼がどう扱い、彼らがどう対処したか。たとえば、フルトベングラーとカラヤン、カール・シュミットとハイデガー、原爆開発に関係した科学者が出てくる。芸術家の抵抗、屈服、自発的隷従、が次々に語られる。著者の視線は冷静である。多くの場合、知識人は、状況に適応して自己正当化を図ったと分析している。メディア抑圧は、統制の強化と資金供給の制御によって、行われた。

 庶民大衆をナチス政権はどう統御したのか。後半部分の主題である。私はこの部分を特に興味深く読んだ。
ナチス政権は、ドイツの大衆に対して、徹底して「パンとサーカス」を提供した。マイホーム、国民車(フォルクスワーゲン)、耐久消費財、公共インフラ(アウトバーン=高速道路)、芸術鑑賞や国内外旅行機会の提供、軍需生産の拡大、これらが一体となって雇用が創出された。29年恐慌から脱出した。経済政策としては見事な成功である。
日本の総力戦体制が、コストのかからない国体イデオロギーの注入と生活水準の低下―「欲しがりません勝つまでは」、「贅沢は敵だ!」―を正当化したのと対照的である。

 この政策基盤にあった理念に、国民の「同質化」Gleichschhaltungがある。著者は、「同質化」を人間関係の社会主義と捉えている。それは労働者階級の閉塞感や格差への不満を解消した。同時にそれは、「排除の論理」から「抹殺の論理」を生んでゆく。対象は、ユダヤ人や差別される人々、心身の障害者であった。

 著者は、「ナチス政権はなぜ生まれたのか」を追跡するために、様々な学問的方法で接近を試みるうちに辿りついたのが、心理学と生物学であった。
詳述される「人間の『服従の心理』実験」(別名「アイヒマン実験」)や「模擬監獄実験」は、ある意味で本書のハイライトをなしている。この実験は、普通の人間が一定の状況下では如何に残酷で非人間的になれるか、を明らかにした。それはオオカミなどに備わった本能的な「同類虐殺抑止力」を超えるものであり、現にアウシュビッツとヒロシマ・ナガサキで示現されているのである。
著者が、ヒトラーを舞台裏に忍ばせる方法での、ナチズム描写は成功したか。検証不能で不毛な観念論によるナチズム批判に比べれば実証的で客観的であ。成功といえる。
しかし、ナチズムを総括する著者の結論、あるいは著者の人間観、は明るいものではない。

 私は本書を読んで、日本人が「3/11」以降に感じている不安、虚無、刹那感と、ナチズムの論理と心理とが、通底していると感じた。言葉としての「ファシズム」は消滅しても、実態としての「ファシズム」は生き残っている。それどころか、人々の心の闇のなかで肥大化している、と感じた。私の印象が「妄想」という人には、本書を是非読んで欲しいと思う。(2016/11/03・「日本国憲法」公布70年の日)

■船越一幸著『ヒトラー万歳と叫んだ民衆の誤算』、共同文化社、2016年10月刊、1500円+税

2016.10.27 ユーロは絶対に崩壊しない
伴野文夫著 「ユーロは絶対に崩壊しない」  幻冬社ルネッサンス新書
発行年月日 2016年9月13日  定価800円+税


伊藤力司 (ジャーナリスト)

今年6月23日、イギリスは国民投票でヨーロッパ連合(EU)から離脱するというショッキングな判断を下した。これを機にEUの結束が危なくなるのではとか、EUの共通通貨であるユーロが崩壊するのではないか、といった憶測がしきりに流された。本書は書名の通り、英国が抜けてもEUは大陸欧州の連合体として成長するし、ユーロが崩壊することはあり得ないことを具体的に論証する貴重な証言である。

著者の伴野文夫氏は、NHKの特派員としてブリュッセル、パリ、ボンに駐在、ヨーロッパが1968年のEC(欧州共同体)から1993年のEU(欧州連合)にまで統合を広げ、結束を固めてゆく現代史をつぶさに観察したジャーナリスト。45年前の1971年の同じ6月23日、2日続きの徹夜交渉の後の3日目の朝、ようやくイギリスのEC加盟が承認された最後の交渉をルクセンブルクで取材していた、という歴史の証人だ。

現在ヨーロッパの28カ国(イギリスが抜ければ27カ国に)、5億700万の人口を抱えるEUの歴史は、第2次世界大戦の惨禍2度と繰り返したくないとする独仏の平和への欲求からスタートする。1951年に独仏伊にベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)の6カ国で発足した欧州統合の萌芽であるECES(欧州石炭鉄鋼共同体)は、過去65年の間にEEC(欧州経済共同体)からEC(欧州共同体)を経て、ヨーロッパ全部をほぼ網羅するEUに発展した。イギリスはそこから抜けるという訳だ。

イギリスは19世紀に世界の7つの海を制覇した大英帝国の後身であり、独、仏、伊その他の小国から成るヨーロッパ大陸の国々とは訳が違うと考える「本心」がある。しかしわずか34キロしか離れていないドーバー海峡の東に広がる大陸が、ECの成功によって繁栄しているのを見て、イギリスもヨーロッパの一員として大陸の繁栄に参加したいと考えた。イギリスは1961年にECに加盟を申請するが、イギリスを「トロイの馬」と見なすドゴール仏大統領の拒否権で、イギリスのEC加盟は2度にわたって封じられた。

ドゴール大統領の下野(1969年)の後、イギリスは3度目の申請で1971年にようやくECに加盟が認められた。各国の条約批准などすべての手続きが終えてイギリスがECに加盟したのは1973年1月1日である。ECはこれを契機に拡大・統合の道を歩む。とりわけ東西冷戦の崩壊で、それまでソ連圏に引き留められていた東欧諸国が続々と加盟したことが大きい。

統合の面では1993年11月1日発効したマーストリヒト条約(欧州連合条約)でEUが発足。EUは加盟国の主権の一部を移譲し1.経済通貨統合2.共通外交・安全保障政策3.司法・内務協力-を柱とした。ここでEUは単一通貨ユーロの創設を盛り込んだが、イギリスはマーストリヒト条約を承認したものの、ユーロの採用は拒否してポンドを使い続けると宣言したのである。ここに今回のイギリスが今回のEU離脱に至った遠因がある。

著者によると、その背景には「居眠り寸前のイギリスをもう一度奮い立たせたのが八〇年代に登場したマーガレット・サッチャー首相です。新自由主義を標榜するサッチャーは同時に国家主権を大いに尊重する、強力なナショナリストでもありました。これに対する大陸側では八五年、フランスの蔵相をしていた連邦主義者、ジャック・ドロールがEC委員長に就任し、サッチャーと正面対決することになりました」という事情があった。

サッチャーは90年末首相の座から降りていたが、イギリスの新自由主義と大陸の連邦主義の対立は根が深く、この時点からイギリスと独仏をはじめとする大陸のユーロ採用諸国は全く逆方向の進路を取ることになった。大陸のユーロ採用諸国は様々な障害に苦しみながら1999年1月1日単一通貨ユーロの導入に漕ぎつけた。一方のイギリスはアメリカとともにアングロサクソン・マネー資本主義の道を進み、少なくとも2008年のリーマン・ショックまではマネー経済の繁栄を楽しんだのである。

著者が本書で展開しているアングロサクソンのマネー資本主義と、独仏を主体とする大陸欧州の「社会的市場経済」(Soziale Markwirtschaft:SMW)の対比は、日本経済の進路を考える上でも極めて興味深い。著者によると、SMWは戦後ドイツ経済の奇跡の復興を成し遂げたアデナウアー首相の保守政権のもとで議論が始まり、次のエアハルト政権の時に確立された。それは自由な資本主義が基本だが、アングロサクソンの新自由主義、レッセフェール(自由放任)とは明確な一線を引くものだという。

「社会的」というのは労働政策や社会保障、公共の利益を重視することを意味する。「市場経済」と敢えて言うのは自由な商品交換が基本だが、利潤率最優先の自由主義とは違うことを強調するものだ。著者によると、ドイツには戦前の1930年代にオルド自由主義という経済思想があった。オルドとは秩序を意味するが、経済の運営には一定の規制が必要で、労働者の保護を重く見る自由主義の考えで貫かれていたという。SMWの根底には、オルド自由主義やドイツで生まれたマルクスの思想の流れが反映しているという。

さて1999年に発足したユーロはドルに次ぐ国際通貨として順調に発展したが、2010年にユーロ加盟国ギリシャの財政破綻が明るみ出たことで一挙に危機に襲われた。ギリシャ政府が財政赤字を隠して多額の借金をしていることが暴露され、ユーロ建てギリシャ国債が暴落。ウォール街の投機の対象になっている最中に、イタリア、スペイン、ポルトガルなど南欧諸国がいずれも多額の財政赤字を抱えていることが暴露され、これらの国が発行しているユーロ建て国債が投機の対象になった。

この第1次ユーロ危機は、金融とともに国民経済のもう1本の柱となる、財政の統合がおろそかにされていたことだった。独仏両国は2010年10月ドービル宣言を発して、ユーロ加盟国に強力な財政協定を作ることを呼びかけた。新しい財政協定は2013年1月に発効した結果、危機は収まった。しかし再びギリシャで、この財政協定に基づく厳しい緊縮政策に反乱が起きたことで第2次ユーロ危機が2015年に発生する。

2015年1月のギリシャ総選挙で、EUから課せられた厳しい緊縮政策を拒否すべきだとするポピュリスト政党シリザ(急進左派連合)が政権を獲得、シリザを率いる若い社会主義者チプラス氏が首相に就任した。同首相はユーロを離脱して3000億ユーロ(約35兆円)もの借金を踏み倒すことも辞さないという、最強硬派のヴァルファキス氏を財務相に任命した。同財務省hEU側のドイツのショイブレ財務相を相手に6カ月にわたる厳しい交渉を重ねた末、同年7月チプラス首相はヴァルファキス財務相を解任、ギリシャが屈服した形で第2次ユーロ危機は解決した。

ギリシャは放漫財政の元凶である国営企業の民営化や公務員の年金カットなど、構造改革を中心とする緊縮政策を受け入れた。代わりに860億ユーロ(11兆円強)の融資を得て、ギリシャは最悪のデフォルト・ユーロ脱退という事態を免れた。公務員は50歳代で定年、最終給与の95%の年金というけた外れの放漫財政のタガがはめられた。ギリシャ国民はユーロ経済圏に留まることを優先したチプラス首相を信任した。

著者は危機解決の背景に「ユーロ圏経済が、国家の寄せ集め経済から脱皮して統一経済圏として動き始めていること、ドイツがその中核にいることを自覚し始めた結果である」と述べている。これが長期にわたる著者の綿密なヨーロッパ取材体験から導かれた結論であり、ここからイギリスのEU脱退というドラマの渦中にある「ユーロは絶対に崩壊しない」という書名のいわれでもある。

2016.08.19  女性週刊誌『女性自身』を買った
          韓国通信NO496

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 8月23日30日の合併号で450円。今まで女性週刊誌を買ったことがなかったので、私には真夏の「変事」「珍事」といえる。表紙の一番上にある吉永小百合&姜尚中の対談記事が目にとまったからだ。

 <私は「サユリスト」>
 同世代の吉永小百合は私にはずっと気になる女優であり続けてきた。今や国民的大女優となった彼女は俳優の仕事の他、映画のプロデュース、さらにはJRのポスターで存在感を示す。また「原爆詩集」の朗読、東日本災害への支援などの社会的活動を知る人も多い。
 「サユリスト」を自認する私は彼女が世の中をどう見、どう考えているか興味があった。「オバカ芸能人」が多い中、吉永小百合が週刊誌で「思い」を語った。写真入り4頁に及んだ対談から彼女の発言を抜粋して以下に紹介する。

 〇若い頃、母に何故、戦争が起こったの。反対出来なかったの?と聞いたら「言えなかったのよ」。それが理解できるようになったのは最近のことだ。今の世の中は息苦しい。憲法9条の話を友人にしたら「よその国が攻めてきたらどうするのか」と反論されてしまった。最近は「反核や反戦という言葉を口にするのがためらわれる時代になった」と聞いてショックだった。

 〇「戦争だけはダメ」という思いの芸能人は多いが、「バッシング」もある。こんな時代だからこそ「思っていたら言わなきゃいけない」とあらためて思う。唯一の被爆国である日本政府が明確に核廃絶を主張しないのはおかしい。

 〇(沖縄に基地が必要なら)海兵隊を東京に持ってきたらどうかと思うくらい(沖縄の人に)申し訳ない気持ち。言葉では言い表せないほどつらい経験をしてきた沖縄の人たちに、もっと人間らしい対応をしてほしい。

 〇これまで「さよなら原発」集会に何回か参加している。一市民として参加した。集会もデモも暗い雰囲気でないのがいい。憲法9条への思いも、お祭りみたいにして表現できるといい。今年6月の参院選挙前に、関西の市民団体に「武器ではなく対話で平和な世界を作っていきたい」というメッセージを送ったが、「市民たちが声をあげることは素晴らしい。意見が違ってもつながって行動する力強さ」を感じた。

 〇「原爆の詩」の朗読を30年間続けている。原発事故以降「原発の詩」も朗読することになった。帰還困難区域の葛尾村に行ったことがある。今年の6月に避難指示が解除され、「どんどん帰りなさい」と云われても汚染が心配な子どもたちは戻っていない。原発事故は終わっていない。被災地の人たちを根本からサポートできないものか。被災者に「寄り添う」ことが大切。

 〇二度と戦争をしないという憲法9条を大切にして、戦後が80年、100年と続くよう、みんなの思いで平和をつなげていきたい。戦後71年の今年、ここからが大事!

 短く端折ってしまったが、特別ビックリする内容ではない。むしろきれいごとに過ぎないと感じる人もいるはずだ。しかし断定をしない静かな語り口は多くの女性読者に共感を与える内容だ。サユリストとしては喝采をあげたい。
 『女性自身』の今回号は皇室関連記事、イケメン男性の話題、健康問題、料理、漫画、さらに寂聴の「いきいき名言」など盛りだくさんの内容である。パラパラめくっていると憲法の特集記事が目に入った。第一面には、誰が守るもの?誰を守るもの?「改憲」を考える前に…。憲法学者南野森さんによる憲法の解説が7ページにわたりマンガ入りで載っていた。「立憲主義」を知らない首相に読ませたい好企画。憲法前文から始まり、9条、13条、14条、15条、21条、24条、25条、26条、29条、31条を毎日の生活と結び付けわかりやすく解説。勉強感覚ではなく料理のレシピ感覚で書かれているので気楽に読める。
 偶然買った女性週刊誌に圧倒された。婦人たちは美容室や病院の待合室でこんな記事を読んでいるのだ。何よりスゴイと思うのは販売部数に血道をあげている週刊誌が、女性読者に読んでもらえそうな記事として選んで掲載していることだ。啓蒙する気持ちなどはさらさらない。そんな記事なら読者から「ソッポ」を向かれてしまうはずだ。
 前ページで紹介した姜尚中と吉永小百合の対談で、大切なことが知らされていないことを心配するくだりがあるが、テレビや新聞が失ってしまったものが女性週刊誌に発見できたのは今年の夏の収穫だった。もっともそれに気がついた官房長官が「憲法を解説することは問題がある」と口ばしを入れる可能性もある。宣伝をするつもりはないが合併号なのでしばらくは書店・コンビニに置かれるはずだ。立ち読みも可能だが保存版として購読をおすすめしたい。

 もうひとつオススメの本 岩波新書『原発プロパガンダ』
 博報堂に勤務していた本間龍の最新作だ。電力会社とテレビ・新聞との関係を「金」をとおして明らかにした。原子力ムラが惹き起した原発事故の背景には天文学的な広告費(電気料金から支払われる)によって作られた安全神話があったことを実証してみせる。黎明期、発展期、完成期にわけて実態を明らかにし、事故後の現在、原発の「再生」に向けてどのような戦略が進行中なのかが語られる。「ウソ」でも金をかければ「真実」になる。原発の問題だけではない。あらゆる情報が金と権力によって歪められる構造まで見えてくる。企業現場にいた人が勇気を奮いおこして世に送り出した「警世」の書である。
2016.08.17  書籍紹介・現代史を見直す視点
Timothy Snyder “BLOODLANDS: Between Hitler and Starlin,” Basic Books, 2010, New York. 邦訳、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』(上・下) 筑摩書房、2015年。                

小川 洋 (大学非常勤講師)

 本書はすでに主要な新聞の書評欄でも取り上げられており(注)、いまさら紹介でもないのだが、本書の価値はいくら強調しても足りないと考えるので、ここに改めて紹介する。

 さてソ連邦史を学んだ者は、スターリンによる農業集団化の歴史を知っている。「階級闘争」として、自営農などを大量にシベリアなどの強制収容所に移動させ、また集団化を通じて、穀物を強制的に供出させ農民を飢餓に追い込んだ。その主要な舞台が「ヨーロッパのパン篭」と呼ばれた肥沃な黒土の広がるウクライナであった。
 またヒットラーが独ソ不可侵条約を破って、電撃攻撃によってソ連邦を数週間で崩壊させるべく戦端を開いた際の主要な戦場の一つがウクライナであった。電撃作戦が当初の計画どおりに進まず、スターリングラードの戦いからソ連軍の反撃を受け、守勢に立たされることになったが。

 しかし本書は、1930年代から第二次大戦の終結までの間のウクライナで起きた餓死と虐殺による人的被害の詳細を、政治・軍事の動きと関連させながら、客観的なデータに基づいて丹念に追っている。例えば、スターリンの共産党組織と官僚組織がウクライナの農民たちから種籾まで奪い取り、大量の農民を餓死に追い込みカニバリズムが蔓延するまでの状態に追い込んだこと、そのウクライナを41年に占領したナチス軍は、集団化された農場からの食糧収奪が容易だと考えていたが、思うようには穀物を集められなかったばかりではなく、パルチザン活動に手を焼くことになったことである。スターリンの創出した制度は、大規模な抵抗にあうことなく餓死者を出すほどの過酷な収奪を可能とした一方で、言葉や文化の異なる征服者がその制度を利用することは難しかったことを指摘している。

 同じようにポーランドで起きたことも詳細に描き出す。第二次世界大戦の直前、独ソ不可侵条約締結の直後に独ソ間でポーランドが軍事的に分割されたが、ポーランドの東半分は、以降の6年足らずの間に、ソ連軍、ドイツ軍、ソ連軍と軍事占領が交互に行われた。ここがヨーロッパ最大のユダヤ人集住地帯でもあったことを指摘されれば、そのユダヤ人たちの身の上に起きた過酷な状況に思い至る。しかし、本書の示す詳細な経過は、我々が知っていたつもりの内容がいかに皮相なものであるかを教えるのである。

 例えば、アウシュビッツの位置づけについても本書は微妙な修正を求める。ナチスドイツは、強制収容所の工場と捕虜やユダヤ人殺害のためのガス室などを備えた殺人工場とは、もともと別々に設置して「稼働」させていた。ところが、43年以降のソ連軍の反攻のなかで、アウシュビッツではその両者が併設される例外的な形となった。アウシュビッツよりも東方に設置されていた数か所の殺人工場はドイツ軍撤退の際に破却されるなどしたが、アウシュビッツについては破却する余裕もなく撤退したため、その設備のほとんどが残された。またアウシュビッツの「特殊性」のために多くの生存者が証言することになったのである。
 アウシュビッツを解放したソ連は、戦争末期から戦後にかけてナチスドイツの蛮行の証拠とし、400万人がここで殺害されたと主張したため、アウシュビッツがナチス蛮行のシンボルとなった。しかし、旧ポーランドやベラルーシ領内に作られた殺人工場などの実態はいま一つ詳しく知られていない。

 その理由の一つが、ヤルタ・ポツダム会談で、ヒットラーとスターリンによって引かれた分割線が、ほぼそのまま戦後の国境線として継承されることが認められたことである。そのため旧ポーランド東部地域での残虐行為に関しては、ソ連の行為もドイツの行為も情報が表面化しにくかったのである。またスターリン晩年の「ユダヤ人医師たちの陰謀」事件で知られるように戦後のソ連では反ユダヤ主義が強まったこともあり、アウシュビッツ以外のナチスによるユダヤ人の迫害と虐殺の証拠などが積極的には紹介されなかったことも一因である。この地域に隣接するロシア領でポーランド人将校ら数千人が虐殺された「カチンの森」事件の真犯人がソビエト側であることをロシア政府が認めたのは、1990年ゴルバチョフ書記長(当時)が「スターリンの犯罪のひとつ」であるとしてポーランド側に資料を提供したのが初めであり、今でもすべての資料が公開されているわけではない。著者の指摘するウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、バルト三国を中心とする地帯での加害・被害関係と被害規模について、必ずしも各国政府や国民の間で理解が一致しているわけではない。著者は、この地域での1930年から45年までの戦闘行為以外の死亡者が約1,400万人になることを明らかにしている。

 本書が現代の国際社会に発している警告は、この死者数と加害・被害関係の曖昧さを利用しつつ国家あるいは民族的な対立を煽る政治的動きである。例えば90年代のユーゴスラビアの紛争の原因の一つが、セルビア系住民たちの間に第二次大戦中の自民族の被害を実際よりもはるかに過大に考える歴史修正主義が広がり、民族対立が煽られたことにあると、著者は指摘している。
 また「被害」の主張が、冷戦期の米ソの思惑によって歪められてきたことも指摘している。ベルリン問題などで東西対立が激しかった時期の西ドイツの教科書では、ドイツの東部国境はモロトフ=リッペンドロップ線に引かれ、オーデル・ナイセ線の東側は「現在はポーランドの支配下に置かれている」との注意書きが書き込まれていたという。当時の西ドイツが、英米ソの間で了解されたはずの国境線を不当として、自国の「正当な領土」を奪われている被害者である、と主張できたのはソ連と事を構えていたアメリカのご都合主義の故である。

 ひるがえって日本と東アジアの状況を考えてみたい。国境について言えば、戦後のソ連の国境がヤルタ・ポツダムで了解されたものであることを確認すれば、ロシア側にすれば、日本との間に「領土問題」がないのは自明のことである。安倍政権はプーチン大統領との個人的信頼関係を構築することによって、交渉に進展があると考えているのだろうが、たとえ小さな島であろうと、ヤルタ・ポツダムで確定した国境線の一部でも変更を認めれば、ロシアは国境を接する多くの国から一斉に国境線の見直しを求められることになる。現在のロシアの領土は「大祖国戦争で大量の血を流して守った土地である」というのが基本的な姿勢である。ただし実は、その「大量の血」もベラルーシやウクライナなどの人々の割合が多かったのであるが。

 被害の数字の問題では南京事件だろう。1937年に南京に侵攻した日本軍は、大量の捕虜の扱いに困り、市民を含む大規模な虐殺を行った。連合国側は日本軍の蛮行の象徴として被害を30万人と推計した。30万が過大であることは多くの研究者が指摘していることではあるが、日本の保守政治家からは戦後一貫して事件そのものに否定的な主張がなされ、極端には虐殺そのものが捏造であると主張するものまでがいる。
 そのような議論がアメリカに許容されていたのは、冷戦下のアメリカが日本の保守政治家たちの利用価値を認めていたからであった。しかし、基本的にEUの構築などに示される、和解をベースとしたヨーロッパとは異なり、冷戦終結後の日本では逆に、日本の先の戦争そのものを肯定する時代錯誤的な議論が大手を振って歩く状況が生まれた。
 安倍政権に至っては、学校教科書の編集にまで介入し、南京事件を扱わせないように圧力をかけている。アメリカ政府は折に触れ、従軍慰安婦問題や靖国神社参拝問題などについては日本の政治家たちに釘を刺しているが、おそらくアメリカ政府にとって東アジアの国際政治では中国との関係の重要性がいっそう増しており、日本の政治家の妄言にいちいち反応する必要は感じていないのであろう。第三次安倍内閣では稲田朋美が防衛大臣に任命されたが、それは国際社会に対する挑発行為以外の何物でもない。今後ホワイトハウスがどう反応するか注視する必要があろう。

 靖国参拝問題などに見られる日本の劣化した政治家たちの言動が、国際社会から奇異に見られていることさえ自覚できない政治が蔓延するようであれば、日本は東アジア社会で孤立していくだけである。東アジアの戦争被害について本書のような研究が日本人研究者によって行われるならば、東アジア諸国からの日本の評価を高めることになるはずである。東アジアの安定のためにも、本書に等しい東アジアの第二次大戦史の研究成果が待たれるのである。

(注)朝日新聞2015年12月6日 吉岡恵子「戦闘によらぬ犠牲者約1400万人の声」
   読売新聞2015年12月7日 松本武彦「1400万人虐殺『合理』性を解く」
   東京新聞2015年12月13日 米田剛路「独ソの暴虐 重層的な実態」

2016.06.04  安倍晋三の生い立ちから見るその本質―
   野上 忠興著『安倍晋三:沈黙の仮面の下の素顔』を読む(2)

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

中途半端な青春時代
 安倍晋三は他人の言動を理解しようという姿勢に欠ける。議論を戦わすことを避けて、思い込んだことを一心に貫こうという頑なさがある。批判から学ぶことがない。それは自らの論理を展開し、相手を論破するだけの自信がないからである。頑なさが安倍の政治的資質だとすれば、それは確固とした思想や歴史・社会観がないからである。だから、思い込みを一途に守るという頑なさと同時に、目先の利益のために簡単に基本政策を曲げることにも通じる。深い勉学に裏付けられた信念や思想がないからである。
著者の野上氏は安倍晋三の政治姿勢に危惧を抱いている。深い議論や思想に基づかないで、戦後日本が守り続けてきたものを簡単に崩してしまう政治手法のベースには、安倍の勉強不足があるという。安倍の政治姿勢に柔軟性がなく、乱暴な政治手法を厭わないのは、深い歴史観や社会観を形成し鍛える勉強を経験していないからである。野上氏が大学時代の恩師の一人にインタビューした時の返答が、それを物語っている。
 「安倍君は保守主義を主張している。それはそれでいい。ただ、思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。まして経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった。卒業論文の枚数も極端に少なかったと記憶している。その点、お兄さんは真面目に勉強していた。安倍君には政治家としての地位が上がれば、もっと幅広い知識や思想を磨いて、反対派の意見を聞き、議論を闘わせて軌道修正すべきところは修正するという柔軟性を持って欲しいと願っている」。
 晋三の学歴に箔をつけるために計画されたのが米国留学である。現在は削除されているが、長い間、安倍晋三の公式HPには、成蹊大学法学部卒業後、南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学という履歴が掲載されていた。最初の1年は大学外の語学学校に通い、2年目から大学に通ったとされるが、専門科目の単位は1単位も取得していないという。要するに、この留学は正式な大学入学ではなく、外国人用に設置されている英語コースに数セメスター在籍しただけのようだ。受講料を払えば、誰でも受けられるコースである。勉学に勤しむどころか、ホームシックにかかり、日本の家に頻繁に電話するので電話代がかさみ、父晋太郎に叱られたエピソードなどは週刊誌などで詳しく報道されているのでその顛末は記さないが、安倍は米国留学を中途半端な形で終え、挫折感を抱えながら日本に戻った。
 ちなみに、同様の留学詐称は、漢字が読めない麻生太郎も同様で、学習院大学卒業後、スタンフォード大学大学院とロンドン大学政治経済学院に留学した履歴がHPに掲載されていた。しかし、これも現在、完全に削除されている。安倍の留学と五十歩百歩だったのだろう。
 安倍はアメリカから帰国後、父晋太郎のコネで神戸製鋼に入社した。しかし、期限付きのコネ就職で入社した人物など、会社にとってお荷物以外の何物でもない。安倍晋太郎の顔を潰さないように、腫れ物を触るように扱う社員にできることは限られている。このよそよそしい会社員生活も2年ほどで終わってしまった。なんとも中途半端な青年時代だ。
 晋三は中途半端な大学・留学生活や社会人生活を経験しただけで、父晋太郎の秘書になった。そのようなヤワな人物が政治の世界で活躍できる余地はなかったが、父晋太郎の政治的遺産が自民党を代表する政治家に押し上げた。
 本書には安倍晋三がどうやって百戦錬磨の政治家がひしめく自民党をのし上がることができたのかが詳しく描いてあるが、それに興味はない。関心ある読者は本書で確かめることができる。

確信に欠ける主張と目先の関心
 第一次安倍内閣で終わっていれば、安倍晋三の人生は誰の目から見ても、すべてにおいて中途半端な人生に過ぎなかった。ところが、満を持して再登板した第二次安倍内閣はアベノミクスと安保法制で、安倍晋三はついに「中途半歩」を克服し、変身したかのように見えた。それまでの中途半端な人生に一矢を報いたかに見えた。しかし、安倍晋三は基本的に何も変わっていない。
安倍晋三とそれを支える極右派は、戦前の日本の侵略や植民地支配を否定するという歴史修正主義と、円安誘導と株式市場の高揚のためにあらゆる政策を動員するという近視眼的経済政策に依拠している。景気高揚感を醸成し、政権への国民の支持を確固なものにしてから、憲法修正へと道を進める予定だった。その過程の中で、戦後70年の節目に村山談話を否定する談話を狙っていた。しかし、談話の諮問機関である「21世紀構想懇談会」の北岡伸一座長代理から、「侵略を否定することはできない」と主張され、不本意にも、文言上は村山談話のキーワードを羅列せざるを得なかった。もっとも、これは安倍晋三の確信のなさというより、日本の極右勢力の歴史観や社会観の脆弱さを示したものだ。極右の論客は安倍談話を後退させた北岡氏を批判したが、まともな学者であれば、右派であれ左派であれ、戦前日本の帝国的侵略や植民地支配を否定することはできない。安倍談話が中途半端に終わったのは偶然でなく、安倍晋三の浅はかな思いが露呈されただけのことだ。
 経済政策においても、馬鹿の一つ覚えのように、デフレ脱却と景気高揚を唱えるだけで、これからの50年、100年を見据えた社会経済政策など思いもよらない。一時の現象に拘り、本質を見失しなっては道を誤る。もっとも、これは安倍の責任というよりは、短期的思考の経済政策しか考えつかない安倍内閣御用達の経済「学者」の責任だが、安倍にとって、国家百年の計を考えるより、公金を使って株式市場を押し上げる方が理解し易いだけのことだ。一時的な株高と円安に、「してやったり」と上機嫌になっていたが、日銀資金を野放図に国債市場に投入し、年金資産を株式につぎ込んで大きな損を抱え込むのは、親が築いてきた資産を馬鹿息子が博打ですってしまうのと同じだ。一時の儲けに目がくらみ、全財産をすってしまっては元も子もない。選挙で負けるから、消費税の引き上げを再延期するのも同じ思考である。安倍晋三の浅はかな思考はまったく変わっていない。そういう政治家に国の将来を任せている国民は、政治家を見る目がないと言われても仕方がないだろう。
 トランプ大統領の出現に一喜一憂するより、馬鹿な政治家が将来の日本に残すべき資産や社会的財産を食いつぶしていることを心配するべきだろう。
(野上忠興著『安倍晋三:沈黙と仮面の下の素顔
          ―その仮面と生い立ちの秘密』は小学館2015年刊)
2016.06.03  安倍晋三の生い立ちから見るその本質―
  野上 忠興著『安倍晋三:沈黙の仮面の下の素顔』を読む(1)

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 よりによって、安倍晋三本を読むなど、馬鹿らしいと考える人は多いだろう。私自身、知性と教養に欠け、しゃべりが下手で舌足らずな安倍晋三に、人間的魅力など一欠片も感じない。ところが、並の政治家にすぎない安倍が何重にもかさ上げされた評価を真に受け、高飛車な言動や政策を実行している。将来の日本に禍根を残すだけの政治家が、高い評価を受けている奇妙な社会現象こそ、私の関心事である。だから、その生い立ちを知り、歴史観や社会観の浅薄さを再確認し、そういう人物に国の将来を託す過ちを明確にすることに意味があると考えている。それが本書を取り上げる理由である。

アメリカの心配をする暇はない
国会で絶対多数を得て、安倍晋三は戦後政治で無視され続けてきた日本の極右の政治家や知識人の神輿に担がれ、ラストチャンスとばかりに集団的自衛権の容認や憲法改正へ突き進んでいる。一つのことに突き進める人物こそ、右転換の政策推進の神輿に乗せるのに適任だ。なまじ知性があって、深い哲学や歴史・社会観をもつ人物は、猪突猛進型の政治的突破の障害になる。昔から、ほとんどの独裁的政治指導者は浅はかで平凡な歴史・社会観を持つ人物だ。そういう人物を祭り上げて背後から指図する態勢を作るのは何も政治の世界だけではない。実業の世界でも、無能な社長を担ぎ上げ、自在に操る手法が存在する。安倍晋三の場合、唯一のレーゾンデートルである右旋回思考と背後の極右派勢力との利害が一致し、右展開の相乗作用が働いている。この神輿に乗る安倍晋三なる人物がどんな環境でどう育ち、将来の日本に大きな禍根を残す政治家となったのか、私の関心はそこにある。
今、アメリカの大統領予備選で、アメリカの世論は沸騰している。トランプの言動に、日本の保守政治家や外務省幹部は戦々恐々としている。政治家も政府もアメリカ追随の従属関係に取り込まれているから、その関係が崩れた先の世界を見通せないからだ。アメリカも日本も政治家の質は高くない。近代の立憲君主制の時代や建国の時代の賢人政治家たちと違い、現代の政治家は国や国民の百年の計を考え、自らの資産を擲(なげう)って国の政治にあたる人々ではない。トランプであれ安倍であれ、皆、目先のことしか眼中にない近視眼的政治家だから、知性や歴史・社会観の質に大差ない。
アメリカの心配をするより、自分の国を心配した方が良い。現在の閣僚の中には、大学時代から銀座のキャバレーに通い、勉強などろくにせず、だから漢字もよく読めない政治家が要職を担っている。また、大学時代にアルバイトに明け暮れ、勉強する時間もなく、卒業してすぐに政治家の書生になった人物が、内閣を取り仕切っている。目先の政策や党内の根回しには長けているが、とても国家百年の計を考えられる知性など持ち合わせていない。政治家というより政治屋である。そういう人物が一時的な景気高揚のために公金を湯水のように無駄遣いし、日本をアメリカの軍事政策により一体化させようとしている。馬鹿な政治家が浪費した付けや誤った軍事・外交政策は、10年20年後、いや50年100年後の国民がすべて引き受けなければならない。騙した政治家が悪いのか、騙された国民が悪いのか。どっちもどっちだが、アメリカの心配をする暇があったら、日本の将来を心配した方がよい。目先のことしか考えない馬鹿な政治家を抱けば、国は滅びるだけだ。

父母の愛情を受けられなかった幼年・少年時代
 安倍晋三の言動や表情から、人としての情や、心からの思いやりが感じられないのは私だけではないだろう。その態度と発言は、常に、よそよそしく、率直さが感じられない。何事を語っても、気持ちが感じられない。本書は「沈黙の仮面」と形容しているが、安倍晋三に人を欺く仮面や知恵があるとは思えない。彼の言動は素顔そのものである。
安倍晋三の言動から、感情を表に出すことを憚る意識や、家庭の温かいぬくもりを知らない環境があったのではないかと推測される。人の性格や感情形成に幼年期や思春期の家庭環境、学校環境が影響していることは間違いない。
本書の著者野上氏は福田派と安倍派の番記者として、安倍晋太郎とも親しかった。本書を描けたのも、安倍家との関係が深かったからだ。安倍家の内情に詳しく、安倍の乳母だった久保ウメから、晋三の幼年期から思春期にかけての家庭状況や精神的発育の状況を詳しく聞いている。日本の政治家の家庭の様子が手に取るように分かる。
晋三は親の愛情を注がれて育っていない。日本の政治家は、昼夜を問わず、支援者や政治家との付き合いに飛び回っている。安倍晋太郎は子供に愛情を注ぐ時間を削って政治活動に没頭し、母は支援者回りに勤しんでいたから、二人の兄弟の面倒は乳母が見ていた。添い寝をしたのは母ではなく乳母のウメだった。だから、安倍家の親と子供の関係はきわめて冷めたものだったことは容易に想像される。
もっとも、長男の寛信は最初の子供だったこともあって、両親からそれなりの愛情が注がれたようだが、次男の晋三が生まれた頃には晋太郎の政治活動が繁忙を極め、父母の愛情を受ける機会がなかった。幼児期における親の愛情不足は子供の情緒を不安定にし、人を思いやる感性を育まない。
父母に代わって晋三をかわいがってくれたのは、母方の祖父岸信介である。晋三が父晋太郎より、祖父である岸を慕う原点がここにある。しかし、三男の信夫が生まれてから、この関係も大きく変わった。信夫は生まれて間もなく岸家に養子に出されたからである。岸信介の愛情もまた、晋三から信夫に移っていったのは自然なことだが、晋三には弟に祖父を取られたという意識が芽生えたことは疑いない。
人としての安倍晋三の心理と感性の形成は、このような複雑な家庭環境に大きく影響されている。
安倍家の長男寛信と次男の晋三は、性格が対照的だった。冷静な長男に比べ、晋三は口数も少なく、学業成績も良いとは言えなかった。だから、当然、政治家を受け継ぐのは長男だと考えられていた。こういう兄弟関係もまた、晋三の心的形成や精神的な成長に大きな影響を与えた。
安倍家や岸家を担ってきた政治家は、東大法学部卒のエリートであるが、晋太郎の息子3名は皆、私立大学の付属校に入学し、エスカレーターで大学まで進学した。ただ、兄の寛信は晋三と同じく成蹊大学を卒業したが、その後、東大大学院へ進学した。また、養子に出された弟の信夫は慶応大学経済学部を卒業した。晋三が大学進学を迎えた時期に、父晋太郎は「大学は東大しかないんだ」と、分厚い漢和辞典で晋三の頭を叩くことが何度かあったという。もともと学業を期待されず、偏差値が高いとはいえない付属学校をエスカレートで上がってきた晋三には、とても実現できる目標ではなかった。物心ついてからの晋三は徐々に学歴コンプレックスに悩まされていたはずで、父からの難題は、晋三に東大嫌いのコンプレックスを植え付けただろう。
そういう晋三が政治家として晋太郎を継いだことには理由があった。無口で目立たたない子供だったが、ツボにはまるテーマでは人が変わったように持論を守り、かんたんに引かずに相手を論駁することがあった。そのテーマこそ、尊敬して止まない祖父岸信介が孫に語った日米安保条約の正当性である。生半可に安保条約を否定する同級生にたいして、逆に問い詰め、論破することがあり、同級生を驚かせたエピソードが語られている。
簡単に首を縦に振らず、納得できないことには絶対に「分かった。ごめんなさい」と言わない頑固さに、父晋太郎が政治家の資質を見たという。事を荒立てないように、簡単に親に謝る長男寛信より、納得できなければ口を固く閉じ、謝らない晋三の方が政治家向きだと考えたようだ。安保法制がいかに不合理だと論破されても、頑なに持論を守る姿勢に通じる。二度も首相の座を射止め、学歴に及ばない兄と弟を出し抜いたことを、さぞかし自負していることだろう。
もっとも、この程度で政治家の跡継ぎが決められるのかとがっかりさせられる。政治家に求められる資質とは、少なくとも日本ではこの程度のものなのだ。同じ土俵で闘うことを避け、頑なに持論にしがみつくのは、たんに「愚鈍」なだけではないか。
2016.05.27  「CIAの秘密戦争」マーク・マゼッティー著
    小谷賢監訳・池田美紀訳 早川書房 2200円+税

伊藤力司 (ジャーナリスト)


CIA(アメリカ中央情報局)と言えば、世界で最も予算の多い諜報機関であることは誰でも知っている。そのCIAが1991年のソ連邦解体で冷戦が終結した結果、予算はぶった切られ、有能なスパイたちを含む人員整理の嵐に見舞われた。しかしその10年後、米国を襲った9・11同時多発テロ事件を受けてCIAはテロとの戦いの最前線に立つ機関としてよみがえった。

「9.11」を受けて「愛国者法」を制定した時のブッシュ政権は、アフガン戦争(2001年)とイラク戦争(2003年)を相次いで開戦、アメリカをテロ戦争に組み込んだ。そしてアフガニスタンとイラクの政権は崩壊させたが、テロを封じ込めることはできなかった。後を継いだオバマ政権はイラクから撤兵、アフガニスタンからの撤兵計画を進めている。しかしこの間、イスラム過激派のテロは中東からアジア、欧州に拡大、世界的不安を呼び込んだ。

本書は「9・11」後のアメリカが展開した戦争の中で膨張したCIAの現代史を、同時並行的に描いたドキュメントである。CIAは本来敵方の機密情報を集めて分析するスパイ機関なのだが、このテロ戦争の時代にCIAは直接敵方と戦う戦闘機関に変質した。その結果、本来の戦闘集団である陸海空軍を司るペンタゴン(米国防総省)とはライバル関係に陥り、ホワイトハウスの関心を引くために両者が張り合う姿が活写されている。

ブッシュ政権は、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器(WMD)を隠し持っているとのCIA情報を根拠に、イラクに侵攻してフセイン政権を打倒したがWMDは見つからず、世界の失笑を買った。イラクはWMDを持っていないとするCIAの分析もあったのだが、フセイン政権打倒に血道を上げていたブッシュ・ホワイトハウスはこれを無視した。フセイン時代のイラクはアルカイダなどイスラム過激派を弾圧していたのに、フセイン後の混乱の中でイラクにはアルカイダ系の過激派が勢力を伸ばした。
ウォーターゲート事件で失脚したニクソン大統領に代わって副大統領から昇格したフォード大統領(第38代)は1976年、大統領行政命令によってCIAに暗殺禁止を命じた。CIAがひんぱんに暗殺行為を行ったベトナム戦争への反省からである。この暗殺禁止令は第43代ブッシュ大統領時代になし崩し的に解禁され、第44代オバマ大統領になって公然化した。

オバマ政権でCIA長官(2009~11年)と国防長官(2011~13年)を勤めたレオン・パネッタ氏は、2015年ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで「この14年間はCIAの勝利だった」と語っているという。本書で繰り返し述べられているように「9・11」によってCIAは組織の絶頂期を迎えたのである。

こうして予算と権限を与えられたCIAは世界中でテロリストやその関係者を捕まえ、情報を集める。拘束された容疑者は、悪名高いグアンタナモ基地(在キューバ)で尋問・拷問を受ける。得られた情報はCIAの工作部門に伝えられ、最終的にドローンによる暗殺が行われる。「暗殺」という言葉は使われず「標的殺害」という言葉に置き換えられる。

ドローンによる標的殺害は現在も続けられており、それに巻き込まれた民間人の犠牲も決して少なくはない。パキスタンだけでも、これまでに400回を超えるドローン攻撃が実施されて数千人が死亡し、一般市民の巻き添え犠牲者は1000人を下らないと言われている。2015年10月3日にアフガニスタン北部で「国境なき医師団」の病院が誤爆され、多数の死傷者が出たことが大きく報道されたが、これはむしろ例外で闇から闇に消えた民間人の犠牲者は多い。
このようなCIAの活動はペンタゴンを中心とする米軍との軋轢を生んでいる。ドローンによる標的殺害はまさに軍事作戦であり、それを諜報機関であるCIAが行うとなると、米軍、特に特殊作戦群軍(SOCOM)との縄張り争いに発展する。ワシントンにおけるCIAとペンタゴンの対決は先鋭化してゆく。軍の方も自らスパイ組織を立ち上げ、逆にCIAの領域を侵そうとする。この経緯についても本書は詳しく書いているが、まさに「諜報機関が戦争を行い、軍事組織がインテリジェンスを収集しようとしている」という事態が進んでいるようだ。

本書の著者マーク・マゼッティー氏は米国生まれのジャーナリストで、現在ニューヨーク・タイムズ記者。エコノミスト誌、ロサンゼルス・タイムズ紙で政治記者として安全保障問題を中心に取材、その間イラクやパキスタンでも取材活動を続け、そこでCIAの秘密活動に触れたという。本書を一読すれば判るように、氏はCIAやペンタゴンに対して辛辣な姿勢を崩さない。アメリカ世論の多くは対テロ戦争を手放しで支持しているが、マゼッティー氏のように政権批判する人物は貴重な存在と言えよう。