2020.05.14  重い現実、軽い言葉
      ――八ヶ岳山麓から(312)――

阿部治平(もと高校教師)

「線維筋痛症」という膠原病の一種にかかり、1月から今日まで4ヶ月激しい痛みとときどき起こる高熱に悩まされ、入退院を繰返している。カラマツ林の中の一人暮らしの苦しさをいささかでもまぎれさせてくれるものは、テレビと新聞のニュースである。そこで気になったことを記したい。

発覚
新形コロナウイルス感染が問題になり始めた2月、3月テレビでは、「○○で感染者が△△人『発覚』しました」といっていた。「発覚」は、森友問題、加計疑惑、花見スキャンダル、この頃では検事長の定年延長など、疑惑・陰謀の真相が暴露されたようなときに使う動詞である。簡単に言えば悪事露見である。
テレビでこれをやられては、感染者はたまらない。ウイルス感染はもちろん後ろめたいことなく感染する。やはりテレビは学力のない連中がやっているんだなと思った。
さすがにこの頃聞かなくなったのは、だれかが忠告したからであろう。感染した者に罪とががあるような言葉がネット上にあるけれども、愚かである。

間髪を入れず
安倍晋三首相は国会答弁で新型コロナウイルス感染対策を云々したとき、幾度も「カンパツヲイレズ対処します」と発言をした。これは、元来は「すぐさま」の意味で、「カン、ハツヲイレズ」なのだが、安倍首相のほかにも言う人がたまにいる。安倍首相は「云々」を「デンデン」と読んだこともある人だからこの程度の間違いは仕方がないと思う。
麻生太郎元首相は、「未曾有」を「ミゾーユー」と読んだほか10近くの誤読をやらかして、その知性のほどを天下に知らしめ、反対陣営を喜ばせた。以前にも書いたが、麻生総理当時、私は中国で日本語を教えていたので氏の誤読を問題にして簡単なテストをした。学生らは最低でも5題はできた。
テストの後、漢人学生の中に「一国の総理がこのような間違いをするとは思えない」と不思議がるものがいた。私は「日本では国家指導者に知的教養を求めないのです」といったが、それでも中学生程度の漢字は間違いなく読んでほしいと思った(習近平氏の知的水準が高いといっているわけではない)。
中学生のころ農家では米の義務供出(昔はそういう制度がありました)がおわると子供同士でもほっとして、「おらえじゃ(我家では)供出をカンツイしたぞ」などといった。「完遂」だから「カンスイ」でなくてはならない。父は、太平洋戦争のおり東條英機首相が「聖戦完遂」を「セーセンカンツイ」とさかんに言ったのでこうなった、上が間違うと下も間違うと言った。
ひとだれでも誤読はある。私も「脆弱」を「キジャク」と読んで先生に注意されたことがある。心神耗弱とはいっても、「消耗」は、「ショウコウ」とはいわない。「洗滌」を「センデキ」と読む人は少なかろう。いや、この語彙はいまや「洗浄」に変っている。
みんなが間違えばそれで通用するのが言葉というものだ。だから「間髪を容れず」もいつかシンゾー流が主流になるかもしれない。だが「云々」を「デンデン」というまでには時間がかかるだろう。

れる・られる
テレビでは敬語が氾濫している。料理番組で、「肉に塩コショウをしてあげます」などは普通になった。最近は感染症の専門家が「ときどき風通しを良くしてウイルスを飛ばしてあげるのがよいでしょう」というのを聞いた。ついにウイルスにまで敬意を表すようになったのだ。
なかでも「陛下が○○県に来られました」「○○先生は△△と話されています」というように、「れる・られる」が尊敬表現に多用される。がんらい「れる・られる」は受身のものではなかったか。これには「らぬき」ことばの広がりが関連しているのか。
受身・可能表現と間違われるような言い方よりも「……おいでになりました」「……お話になりました」でよいのではないか。

トクテーケーカイトドーフケン
新形コロナウイルス感染の「特定警戒都道府県」の「特定」は「かな」をふれば「とくてい」である。「警戒」も「けいかい」である。だが発音は「トクテー」「ケーカイ」でなければおかしい。ところがテレビではたいてい「かな」の通りに発音しているように聞こえる。五十音図え段のあとにくる「い」は長音を表している。経済だって政治だってそうだ。
アナウンサーたちは、かな表記通りに発音するのが正しと思っているのだろうか。そうなら都道府県は「トドウフケン」と発音しなければならないことになる。豆腐も「トーフ」ではなく「トウフ」と読まなければならない。もちろんそれは間違いである。
病気見舞いに来た小学校の同級生にこうはなしたら、そんなことを気にするのはお前だけだといわれた。それに何を言ってももう間に合わないとのことだった。

カタカナ語の氾濫
新型コロナウイルス感染拡大とともに、聞きなれないカタカナ語が増えた。日本では国際的な事件が起きるたびカタカナ語が増える。1945年の敗戦以来アメリカ語の流入はすさまじい。遠い昔漢語(中国語)が日本語の中にどっと取り込まれた、あの歴史を繰り返しているという印象だ。明治の文明開化の時代は何でもかでもヨーロッパ語を漢字で表そうとしたのだが。
コロナ関連のカタカナ語がごちゃごちゃになったので、メールで孫娘に教えてくれといったら、以下のように答えてきた。最後に「……だってー」と書いてあったから、何かを書き写したらしい。
「パンデミック=世界的大流行、ロックダウン=都市封鎖、オーバーシュート=感染爆発、ソーシャルディスタンス(ディスダンシング)=社会的距離(を保つこと)、クラスター=(長時間同じ場所にいるなどの濃厚接触による)集団感染。
本来のクラスター(Cluster)の意味は、『群れ、集団、塊』であり、英語圏ではITや天文学などさまざまな分野で使われています。感染者集団を疫学においてはDisease clusterと呼んでおり、単にクラスターと言っただけでは外国人に伝わらないおそれがあるので、注意しましょう」
このカタカナ語を無理に日本語に置き換えないほうがよいという人がいるが、私は断然日本語でやってもらいたい。漢字の連続だが意味は一目でわかる。小学校の同級生に「パンデミックなんてすぐわかるかね」ときいたら「これでも疫学の基礎をやったからね」といった。なるほどこの同級生は医学研究者だった。
だが私は、カタカナ語にするとなじむまで時間がかかるから、なかなか使いこなせない。オーバーシュートなどバレーかバスケット・ボールのプレーかと思った。その上カタカナ語にすると語彙の印象が軽くなる。「強姦」や「性的暴行」を「レイプ」とするなどがその例だ。新形コロナウイルスの世界的大流行という歴史的悲劇を語感の上で軽いものにしてはならない。

重い責任に軽すぎる決意
国会中継を見ていると、安倍首相はシンゾー流の特徴ある語調ですらすらとよどみなく答弁をしている。大したものだと思っていたが、このごろようやく官僚の書いた文言を棒読みしていると気が付いた。これなら自分の言葉ではないから覚悟はいらない。
安倍晋三氏は国会で学校の一斉休校やマスク2枚の全戸配布など突然持ち出して、「私の全責任でやります」とか「……やりぬく決意であります」とかと大げさな言葉を使う。この頃では休業手当問題も「スピード感を持って実施しなくてはなりません」という発言があった。そのくせPCR 検査など必要とされる仕事はちっともスピード感がない。
新型コロナウイルス感染問題の深刻さとは対照的に首相の言葉はあまりに軽い。

羽鳥アナウンサーの『す』
ときどきテレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」を見ている。主張が比較的明確で一貫していて好感を持っている。
ただし、羽鳥氏の話し方は語尾の「……ます」が、ときどき「masu」と母音「u」が強調される。一般には「mas」と口を「す」のかたちにして息を出すが、「u」を発音しない。 羽鳥氏の発音を聞いていると、これは「……ます。だから」というように、次に言葉がつづき強調するときに多い。優れたアナウンサーだからこれから真似する人が出てくるだろうが、あまり良いこととは思えない。

キャーキャー声
テレビやラジオで、女性と限らないが、非常に甲高い声(裏声か)でニュースや天気予報を伝える人が多い。対話討論になるとお話にならない人がいる。非常に耳障りだ。たぶん発声法をきちんと学び、訓練を受けていないからだと思う。
この点、中国中央テレビCCTVのアナウンサーは非常に「正しい」標準語を話した。聞いていてその美しさにうっとりするくらいだった。中国語がもともと音楽的であるからだが、訓練が行き届いているのである。
NHKのニュースには問題があるが、そのアナウンサーは民放に比べると、さすがにしっかりした発声をする人が多いと感じる。
テレビでもラジオでも、語り手は美しい日本語で話してほしい。
(2020・05・02)
2020.01.02 英語試験の外部委託は語学教育改革の放棄

盛田常夫(経済学者、在ハンガリー)

 大学入学共通テストの英語試験を民間に外部委託する方針は誰が推進したのだろうか。英語を社内共通言語にしている楽天会長・社長の声が大きかったようだが、それに賛同した政治家はいったい何を目的で賛同したのだろうか。試験を外部委託すれば、教育改革なしで語学力を高められるとでも考えているのだろうか。あまりに安直である。だから、利権の存在が疑われても仕方がない。

 英語の4技能習得というが、これは日常的に外国語を使うことがない人々が、頭で考えたことにすぎない。完全な観念論である。4技能をまんべんなくこなすことは不可能である。いかなる言語であれ、きちんとした文章を認めるのはきわめて難しい。日本語でも英語でも変わらない。日本語のできちんと文章を書けない人が、日本語以上の文書を外国語で書けるはずがない。ペラペラよくしゃべる人が良い文章を書けるわけではないし、講演がうまい人の書き起こし文章がそのまま使えることはない。
会話ができるから文章が書けるわけではない。どの言語でも文章能力のハードルが一番高く、一般常識、専門知識、文章読解力や訓練なしにまともな文章を書くことはできない。楽天が英語を共通言語にしているといっても、かなりの曖昧性を伴う日常会話が辛うじて成立しているだけで、正式な文書作成は英語を母語とするスタッフが行うか、既成の文書例をわずかな字句修正で使用しているだけだろう。民間の英語試験の点数がどれほど高くても、それは文章作成能力を証明するものではない。長期の留学と訓練なしに、文章能力を高めることはできない。

 外国語の論文や書籍を日本語に翻訳する時に必要になるのは、専門能力と日本語能力である。これだけで翻訳能力の7-8割を占める。語学力は2-3割でしかない。とくに論理性が重視される自然科学や工学、あるいは社会科学の場合には、そうである。文学作品は当該国に長期に生活した経験がなければ翻訳不可能である。
他方、日本語から外国語への翻訳は母語の専門家の手助けなしには不可能である。双方向の会話ができるバイリンガルと呼ばれる人でも、双方の言語で優れた文章を書ける人はほとんどいない。それぞれの社会の常識、語彙力、文章読解力をもち、文章訓練を積まなければ、どんな言語であれきちんとした文章を書くことはできない。
 これにたいして、会話(話す聞く)は一定の語彙力と経験があれば、それなりに成立する。会話には常に相当の曖昧性が伴うことも、日本語での会話と同じである。しかも、会話能力はスポーツと一緒で日常的に使う状況になければ、話す力も聞く力も衰える。日本のように、日常的に外人と会話する機会が少ない国では、話す力や聞く力を学ぶインセンティヴを維持するのが難しい。だから、英語より、国語の4技能の方がはるかに重要である。
 さらに、日本の周辺国は英語圏ではない。日本人にとって朝鮮語と中国語が一番身近な外国語である。中国や韓国に長期に滞在する人は、英語で生活するより、それぞれの言語を学ぶ方がはるかに現地でのコミュニケーションが容易になる。西欧に関心のある学生はドイツ語やフランス語あるいはスペイン語に関心があるはずだ。外国語の選択肢を広げる方が急務である。いかに対米従属国日本とはいえ、インターナショナルな時代に、英語だけを外国語と考える発想は時代遅れである。

 高校時代は何も英語だけ勉強しているわけではないし、誰もが国際的な環境の仕事に就きたいわけでもない。数学や物理学・化学・生物学、あるいは文学作品や歴史に没頭して、英語の勉強がおろそかになる学生もいる。英語以外の言語を学びたい学生もいるはずだ。そういう学生に、一律に英語の4技能を強制するのは馬鹿げている。英語の一律強制はそれぞれの個人の持つ可能性の開花を阻害する。言語学者になろうとする場合を除き、語学はあくまでも手段である。だから、必要になったときに、勉強することで十分に足りる。
 ハンガリーでは幼児教育から外国語を学ばせるところが多く、小学校や高等学校では複数の外国語の学習が可能である。大学の学位取得には外国語の国家試験で、中級以上の資格を取得することが要求されているが、もちろん英語だけに限定されておらず、あらゆる外国語が資格要件の選択肢に入っている。資格は何時取得しても構わない。高校時代に取得することも可能である。ハンガリーでは大学入試資格として、語学の中級(国家試験)資格の取得を検討していたが、政府は導入を断念した。語学だけに時間を集中させるのは多様な能力の発達を阻害するという判断である。大学卒業までに、最低一つの外国語の中級資格を取得すればよいというのが現在のハンガリーの状況である。ただ、大学に入学すると、語学にたいする関心が薄れ、語学の勉強が疎かになる。語学資格試験を避けたために、いつまで経っても学士号を取得できない学生も多い。

 学校における外国語教育改革を行うことなく、試験を外部委託して問題が解決されると考えるのはきわめて安直である。試験の外部委託ではなく、学校教育や大学教育における外国語教育の抜本的改革が急務である。大学入学用の試験は英語に限らず、言語の選択肢を広げ、かつ資格認定で済ませるのが良い。異なる民間試験の結果を比較するのは無駄である。まして、異なる言語の点数を比較することに意味はない。資格認定として民間試験を利用する場合には、一定以上の点数を合格(有資格認定)として、絶対点数を入学判定に使わないことだ。教育の機会均等を守るために、語学の国家資格試験を導入することも考えるべきだ。
大学入学前に必要なのは発音能力の習得である。これだけは、大人になってから学ぶのが難しい。今年の流行語大賞One Teamを「ワンチーム」などと発声している限り、いつまでたっても日本人の語学能力は進歩しない。teamを「チーム」と発声したのでは、理解されない。「ティーム」と発声しなければならない。「シートベルトをお掛けください」というアナウンスも、きわめて滑稽である。シートはsheet(紙)である。seat beltは「スィートベルト」である。こういう日本語化された英語発声を放置しながら、4技能を強調するのはとてもアンバランスである。インポッシブルではなく、インポッスィブルである。シンガポールではなく、スィンガポールである。発音・発生を重視せずに共通一次の英語から発音とアクセントの問題を外すというのは間違っている。もともと、日本の英語教育では発声や発音を厳しく教えることがない。しかし、日本語化された英語発声は外国で役に立たないことを知るべきだ。日本の語学教育の何が問題なのかを当事者たちが理解していない。

 大学における語学教育も問題が多い。専門分野によって、必要な語学能力要件は異なる。自然科学、工学、社会科学の場合には、論文の読解力・作成能力やプレゼン能力が必要とされる。論理的な文章の読解・作成訓練が必要である。ところが、日本には言語学部が少なく、言語教育の専門家は少ない。日本の大学で語学を教えている教員の多くは文学部出身の文学専攻者である。文学部出身の教員は文学作品を題材にして、授業し試験問題を作成する。しかし、感性的な文学作品を理解するのは非常に難しいし、専門論文やプレゼン能力の向上にほとんど役に立たない。語学を担当する文学部出身の先生の多くは、「言語の技術を教授するのが自分の仕事ではない。自分は言語学者ではなく、文学者である」と考えている。しかし、言語教育は文学教育ではない。言語授業と自らの専門研究は区別しなければならない。教員は学生が所属するそれぞれの専門分野に応じた語学能力の教授に努めるべきである。文学部出身であっても、それぞれが所属する専門学部で必要な言語能力の教授に努力すべきである。文学研究者の職の確保のために外国語教育が存在するのは本末転倒である。これは日本の大学が古くから抱える語学教育の根本問題である。
 いずれにしても、英語試験の民間への外部委託で、日本の外国語教育問題が解決されることはない。
2019.04.23 自転車は走行禁止です
看板語の世界(1)

松野町夫 (翻訳家)

看板語の世界がおもしろい。「看板語」とは、ここではとりあえず、看板や掲示板、案内板、道路標識などに記載された文言、と定義しておこう。看板は一般的に不特定多数の人に何らかの情報を伝えるものであり、看板語は当然のことながら、簡単でわかりやすい印象的な語句が使用される場合が多く、言語研究には申し分のない教材となる。

JR 指宿枕崎線の谷山駅は現在、駅前広場の整備工事が進行中である。駅前通路には次のような看板が掲示されていた。この掲示は日本語と英語のバイリンガル版である。

自転車走行禁止s
【自転車走行禁止の看板(筆者撮影)】

この看板から文言だけを書き出すと、以下のようになる。

自転車は走行禁止です
NO CYCLING ALLOWED
WALK YOUR BIKE
歩行者との接触などによって重大な危険事故をまねきます。
降りて通行して下さい

まず、以下の3つの和文から検討する。今回のテーマは、「主題」。英語は主語で始まるが、日本語は「~は」で始まる場合が多い。「~は」は主題を示す。

自転車は走行禁止です
歩行者との接触などによって重大な危険事故をまねきます。
降りて通行して下さい

上記の3つの和文の主題はいずれも、「自転車は」である。最初の文で「自転車は」と明記したので後続の文の主題は省略できる。つまりこの看板の掲示は、「自転車は」という主題で統一されているのだ。

自転車は走行禁止です
(自転車は)歩行者との接触などによって重大な危険事故をまねきます。
(自転車は)降りて通行して下さい

「~は」は主題を示し、「~が」は主格を示す。こうした「~が」や「~は」を主語とする見方もあるが、この小論は、日本語に主語はなく、代わりに、主題と主格があるという立場である。たとえば、「太郎は色が黒い」の場合、主語がふたつあるのではなく、「太郎は」を主題、「色が」を主格とする見方である。

つぎに、英文を検討し、英語の主語と日本語の主題を比較してみよう。

NO CYCLING ALLOWED
No cycling (is) allowed. = Cycling (is) not allowed. (be 動詞は省略可能)
意訳: 自転車は走行禁止です。(直訳: 自転車に乗って行くことは禁止されています)

英語の主語 → cycling (自転車に乗って行くこと)
日本語の主題 → 「自転車は」

英文には主語が不可欠だ。この例では、主語は No cycling または Cycling である。サイクリング(cycling)とは、自転車に乗って行くこと、または自転車で遠出することの意。
cycle = to ride a bicycle; to travel by bicycle

「自転車は降りて通行して下さい」は、英語でどういうの?と問われて、即座に Walk your bike. と言える人はエライ。英語の walk は「歩く」という自動詞のほかに、「歩かせる」という他動詞がある。

WALK YOUR BIKE
Walk your bike. = (You must) walk your bike.
自転車は降りて通行して下さい。(直訳: あなたの自転車を歩かせなさい)

バイク(bike)は日本語では「オートバイ」を意味するが、英語では自転車(bicycle)を意味する。
Walk your bike. は命令形。英語の命令形の主語はyou である。命令形では主語 you はたいてい省略される。

英語の主語 → you 
日本語の主題 → 「自転車は」

英語の主語と日本語の主題は異なる。和文英訳すると、主題と主語が一致する場合が多いが、今回のように一致しないこともある。

2019.04.04 西暦か元号か
公文書はできるだけ早く西暦に統一すべきだ

松野町夫 (翻訳家)

新元号「令和」が公表されたとき、私は「令」という漢字に少し違和感を覚えた。「平成」とちがって、「令和」には威圧的な響きがある。

案の定、新元号「令和」に漢字の本家・中国から批判の声があがった。
「令和」は音声上、「零和」を連想させ、「平和ゼロ」「平和な日はない」となり、縁起がよくないのだという。また、「令」は一般に「命令する」という意味が強いので、「令和」は「平和を命令する、平和を強いる」というように解釈されるおそれがある。(参考:SmartFLASH、2019/4/1)

元号に詳しい京都産業大の所功名誉教授によると、「令」の文字を使った元号は1864年に「元治」に改元された際に「令徳」の候補があった。だが幕府側が「徳川に命令する」という意味が込められているとして難色を示し採用されなかったとの記録がある。(日本経済新聞、2019/4/2)

と、ここまで書き終えてNHK 夕方 7時のニュースを見たら、新元号「令和」の考案者は、国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏とのこと。あれぇー、弱ったなあ、中西先生が考案者だと批判の矛先が鈍る。というのは、中西進著『ひらがなでよめばわかる日本語』新潮文庫と、中西進著『日本語の力』集英社文庫は私の愛読書で、この名著から私は日本語について多くのことを学んだから。

しかしそれでもやはり、年代の数え方は西暦が世界標準。西暦はどの国でも通用し、簡単に時代を通算できる。これに対して、元号は島国・日本でしか通用せず、時代の通算に不適切だ。しかも元号は、数十年ごとに改元する必要があり、不便だし、その手間や費用も無視できない。

したがって、少なくとも公文書はできるだけ早く西暦に統一すべきだ。公文書とは、たとえば、免許証、個人番号カード、各種の証明書・申請書・届出などをふくむ。公文書に元号はいらない。

2019.01.12  有題文と無題文
  「は」は有題文を導き、「が」は無題文を導く

松野町夫 (翻訳家)

日本語の文は、「~は」または「~が」がリードする。「~は」は主題を示し、「~が」は主格を示す。主題を示す「は」のある文を有題文(または主題文)、「は」のない文を無題文という。無題文は一般に、主格を示す「が」はあるが、主題を示す「は」はない。

ただし、文脈や情況から主題が自明で、省略しても誤解が生じない場合、主題は省略できる。主題が省略された文を略題文という。略題文は形式的には無題文だが、実質的には有題文なので有題文として扱う。また、「は」と「が」が一つの文にでてくる「ハ・ガ文」は、有題文として扱う。

これは私の本です。彼は学生です。 → 有題文
雨が降っています。雪が降ってきた。風が止んだ。 → 無題文
(あなたは)ゆうべ、ぐっすり眠れましたか。 → 略題文(=有題文)
象は鼻が長い。私は体重が60キロです。 → ハ・ガ文(=有題文)

有題文は伝統的な文型で、文学や名言・ことわざなどにも愛用され、現代でも使用頻度が最も高い。

春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて(早朝)。(枕草子から)
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵。(武田信玄の名言)
「善は急げ」。「時は金なり」。「短気は損気」。「旅は道連れ、世は情」。(ことわざ)
彼は学生です。彼女は美しい。このあたりは静かだ。朝食は食べました。

有題文は基本的に解説文(説明文)である。基本文型は主題+解説。たとえば、「彼は学生です」や「朝食は食べました」の場合、「彼は」「朝食は」が主題で、「学生です」「食べました」が解説となる。

有題文は述語の品詞をベースに、名詞文、形容詞文、動詞文の3種類に分類できる。形容動詞(静かだ)は、ナ形容詞として形容詞に分類する。

有題文の種類 (述語の品詞をベースに分類)

彼は学生です。 → 名詞文
人は城(だ)、人は石垣、人は堀。時は金なり。短気は損気。

彼女は美しい。 → 形容詞文
春はあけぼの(がいい)。夏は夜(がいい)。きょうは風が強い。このあたりは静かだ。

朝食はもう食べました。 → 動詞文
お勘定はもう済ませてあります。日曜日は昼まで寝ています。きょう(私は)学校に行きます。

無題文は、任意の語を「は」で主題にすることで、有題文に変換できる。たとえば、

きのう彼の個人情報がネットに出回った。 → 無題文

きのうは、彼の個人情報がネットに出回った。 → 有題文
ネットには、きのう彼の個人情報が出回った。 → 有題文
彼の個人情報は、きのうネットに出回った。 → 有題文

無題文(現象文)
無題文は一般に、主格を示す「が」はあるが、主題を示す「は」はない。無題文は現象(動き)を表すことが多いので現象文(または現象描写文)ともいう。

無題文の種類
無題文は、目の前の現象(動き)をそのまま述べるので、動詞文が圧倒的に多い。

隣りが火事だ! → 名詞文
あ、雨だ!見て、雪だよ。あ、停電だ!

空が青いですね。 → 形容詞文
(見て、)虹がきれい。空気がおいしいですね。うわー、水が冷たい!

雨が降っている。 → 動詞文
風が吹いていた。雨雲が広がってきた。雪が降ってきた。雪が積もった。

以下は、動詞文を主体別に配置したものである。

自然、無生物:
雨が降る。風が吹く。桜島が噴火した。噴煙が火口から3000メートルの高さまで上がった。
台風が西日本に上陸した。台風の影響で潮位が高まっている。岩肌が露出している。

動物、植物: 
犬が庭をかけまわっていた。猫が日なたで毛づくろいをしている。
梅のつぼみがほころび始めた。桜が咲いた。リンゴの花びらが風に散った。

人間、生活:
子供たちが遊んでいる。数人が堤防沿いをジョギングしていた。昨夜田中さんがうちに来た。
お祭りに大勢の人が参加した。近所にコンビニがオープンした。大雪で交通が停滞していた。

政治、経済、外交:
新内閣が発足した。株安への懸念が高まっている。予算が初めて100兆円の大台を突破した。
徴用工問題や慰安婦財団の解散などを巡って日韓関係が冷え込んでいる。

存在:
公園に子供たちがいる。机の上に本がある。明日会議があります。来週試験がある。
高速道路で事故があった。きのう熊本県で震度 6 弱の地震がありました。

ハ・ガ文

「は」と「が」が一つの文にでてくる「ハ・ガ文」は、有題文なので基本的に解説文であるが、無題文(現象文)に近いものもある。

主体: きょうは雨が降った。今週は桜がきれいだ。24日の欧米市場では株安が加速した。
対象: 今は水が飲みたい。私は寿司が好きだ。兄は漢文が読める。
存在: 私には良い考えがある。机の上には本がある。その日は事故がなかった。
部分: 象は鼻が長い。太郎は色が黒い。京都は秋がいい。
関係: 山田さんは、奥さんが入院中です。「対応策」は外国人の生活支援策が柱になる。
2018.12.14 「は」と「が」
「は」は 対比、限度、留保付き肯定、部分否定を示し、「が」は 排他を示す

松野町夫 (翻訳家)

英語は主語で始まるが、日本語は「~は」や「~が」で始まる場合が多い。「~は」は主題を示し、「~が」は主格を示す。たとえば、日本昔話『桃太郎』は次のように始まる。

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさん住んでいました。
おじいさん山へ芝かりに、おばあさん川へ洗濯に行きました。
おばあさん川で洗濯をしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃流れてきました。
おばあさん大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。

こうした「が」や「は」を主語とする見方もあるが、この小論は、日本語に主語はなく、代わりに、主題と主格があるという立場で書いたもの。たとえば、「あのスーパーは水曜日が休みです」の場合、主語がふたつあるのではなく、「あのスーパーは」を主題、「水曜日が」を主格とする見方である。

■主題を示す「は」:

「~は」は「ワ」 [wa] と発音するが、「は」と書くのがルール。1946年の内閣訓令で、(2) 助詞〈は〉は、ワと発音するが〈は〉と書くことを本則とする、と決められた。

日本語文法では、「は」を係助詞(または副助詞)に分類する。係助詞「は」は種々の語に付き、その語が主題(題目)であることを示す。

「は」の働き
1. 格助詞を代行して主題を示す。
2. 対比、限度、留保付き肯定、部分否定、否定の焦点を示す。

「~は」は 主題を示す
「は」は、格助詞「が・の・を・に …」を代行または付随して、その直前の語を主題として提示する。

地球が丸い。 → 「が」を代行 → 地球は丸い。
象の鼻が長い。 → 「の」を代行 → 象は鼻が長い。
大阪に明日行きます。 → 「に」を代行 → 大阪は明日行きます。
その映画をもう見ました。 → 「を」を代行 → その映画はもう見ました。
(以下同様)

主題の種類: 「は」が代行する格助詞の型をベースに分類した。

主格「が」型: 地球は丸い。彼は学生です。花は美しい。 → 「主格型」=主語
属格「の」型: 象は鼻が長い。山田さんは、奥さんが入院中です。
対格「を」型: その映画はもう見ました。朝食はもう食べました。 → 「対格型」=目的語
位格「に」型: 大阪は明日行きます。富士山(に)は登らなかった。
与格「へ」型: 母へは手紙を書くつもりです。高台へはロープウエーを利用します。
奪格「から」型: ここからは富士山がよく見えます。四時からはあいています。
具格「で」型: あなたの時計ではいま何時ですか。顕微鏡なしでは観察できません。
共格「と」型: 母とはよく買物に行きます。父とは外出したことがあまりありません。
時の格型: 日曜日は昼まで寝ています。きょうは会社に行きます。

このように「は」は、格助詞「が、の、に、を …」を代行しながら、主題を示すことができる。「は」は、一人二役どころか、一人十役ほどの働きぶりである。これが「は」の長所であり、同時に、短所でもある。たとえば、ほんの一例ではあるが、「彼は知っています」という表現は、「(それについては)彼が知っています」と、「(私は)彼を知っています」という二つの解釈が可能となり、混乱が生ずる場合がある。

「は」は 対比、限度、留保付き肯定、部分否定、否定の焦点を示す
母とはよく買物に行きますが、父とは外出したことがありません。 → 対比
イベントは午後3時には開始する予定です。 「午後3時には」 → 限度
買ってはみた。(が、ほとんど使い物にならなかった)。「買っては」 → 留保付き肯定
仕事はやりがいはある。(が、残業が多すぎる) 「やりがいは」 → 留保付き肯定
両方はいらない。(片方だけほしい) → 部分否定
全員は来なかった。(一部の人が来なかった) → 部分否定
全員が来なかった。(誰も来なかった) → 全体否定
車は急には止まれない。(止まるが、時間がかかる) 「急には」 → 否定の焦点

■主格を示す「が」:

「~が」は、鼻濁音なので「ンガ」 [ŋ] と発音するが「が」と書く。ただし西日本では、鼻濁音を使用する習慣がなく、「が」 [ga] と濁音で発音する人が多い。

日本語文法では、「が」を格助詞に分類する。格助詞には「が、の、に、を …」などがある。格助詞「が」は主として名詞に付き、その名詞が主格(≒主語)であることを示す。「が」は述語に係る場合と、名詞に係る(名詞と名詞をつなぐ)場合がある。

「が」の働き

1. 「が」は主格を示し、述語に係り、そのまま文を終結させる(現象文)。
 鳥が空を飛ぶ。雪が降り始めた。風が吹く。水が冷たい。 → 述語に係る

 
2. 「が」は 名詞と名詞をつなぐ。つないだ時点で役目を終える。
 天気がいい日には散歩する。 「が」は「天気」と「日」までをつなぐ → 名詞に係る
 娘が作ってくれた弁当を食べた。 「娘」と「弁当」までをつなぐ → 名詞に係る

3. 「が」は 排他を示す
 田中さんが学生です。(他の人は学生ではありません。) → 排他的

「~が」は主格を示す。主格は英語の主語に相当する。しかし相当はするが、完全に同一ではない。主格「が」には、少なくとも 4 種類の用法があり、このうち能動主格は英語の主語に相当するが、残りの主格は主語に相当しないか、または相当しない場合もありうる。

主格の種類
能動主格: 彼がペンをくれた。雨が降る。人が通る。空が青い。桜が満開だ。
対象主格: 水が飲みたい。寿司が好きだ。彼女は数学ができる。漢文が読める。
所動主格: 私に良い考えがある。机の上に本がある。音楽がわかる。姿が消えた。
部分主格: 象は鼻が長い。太郎は色が黒い。京都は秋がいい。兄は背が高い。

2018.12.12 主語と主題
主題は、主語よりはるかに意味が広い

松野町夫 (翻訳家)

主語とは何か。主語は元来、英語など印欧語の文法用語である。主語は基本的に名詞で、述語動詞の示す動作や状態の主体を表す。動作主。作用主。たとえば、” She’s nice. I like her.” における ”She” や “I” が主語となる。

英文は主語と述語からなる。主語を決めないかぎり英文は書けない。基本 8 文型でも主語は常に文頭に登場する。以下の文型では、主語(S)、述語動詞(V)、補語(C)、目的語(O)、副詞相当語句(A)とする。ちなみに日本では、従来、基本 5 文型が主流であったが、現在は基本 8 文型が世界標準。英文の下線部は主語を表す。

第1文型 SV (Flowers bloom.) 花が咲く。
第2文型 SVC (Kate is nice.)  ケイトはすてきだ。
第3文型 SVO (I like her.) 僕は彼女が好きだ。
第4文型 SVOO (John gave me a pen.) ジョンが僕にペンをくれた。
第5文型 SVOC (We call him Johnny.) 私たちは彼をジョニーと呼ぶ。
第6文型 SVA (Mary is in the kitchen.) メアリーが台所にいる。
第7文型 SVCA (She is afraid of cockroaches.) 彼女はゴキブリが怖い。
第8文型 SVOA (He put a book on the shelf.) 彼は本を棚に置いた。

英語には主語が絶対に必要だ。では、日本語に「主語」はあるのだろうか。

結論から言うと、この問題には統一した見解がない。学校では、今でも「が」や「は」などの助詞を伴った文節を主語と教える。この学校文法の定義に従えば、上述の基本文型の訳文の「花が」「ケイトは」「僕は」「ジョンが」「私たちは」…は、いずれも主語となる。

しかし、名著『象は鼻が長い』で有名な言語学者、三上章(1903-1971)は、日本語には「主語」はなく、主題があると考え、主語廃止論を一貫して唱えた。

日本語の主語については、辞書や事典でも見解が異なる。たとえば、日本語大辞典は肯定的な立場であるが、ブリタニカ国際大百科事典は否定的である。

主語 → 日本語大辞典
文の成分の一種。「風が吹く」「色が白い」「ぼくが山田です」などの「風が」「色が」「ぼくが」のように、「何が」「だれが」に当たる文節。「何も」「何は」などとなることもある。また、日本語には主語が省略された、述語だけの文もある。subject <対義>述語。

主語 → ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2011
日本語では「~が」の形が主語とされるが,完全な文を形成するために必ずしも必要ではない点,文法的規定に欠ける点などで,インド=ヨーロッパ語族などにおける主語とは性格を異にするので,「~を」「~に」などと対等の連用修飾語であるとする説さえある。

日本語の主語について、統一した見解がないということは、日本語文法は未完成ということを意味する。そこでここでは、国文法に深入りするのをできるだけ避け、問題を主題と主格に限定し、これを英語の基本文型、とくに主語(S)と比較することで、それぞれの違いを明確にしたいと思う。

主題と主格:
日本語は「~は」や「~が」で始まる文が多い。
例: 春はあけぼの。|桜が咲いた。この場合、「春は」は主題を表し、「桜が」は主格を表す。
「象は鼻が長い」の場合、「象は」は主題を表し、「鼻が」は主格を表す。

主題を示す「~は」のある文を有題文、ないのを無題文という。有題文は、昔から存在する伝統的な文型で、文学や名言・ことわざなどにも愛用され、現代でも使用頻度が最も高い。

主格を示す「~が」のある文は、「桜が咲いた」とか、「雪が降ってきた」とかいうように、現象を写生することが多いので現象文という。現象文は江戸時代以後に登場した比較的新しい文型だという。

主題、主格、主語:
英語は主語で始まるが、日本語は主題/主格で始まる。主題「~は」や、主格「~が」、主語(S)は、主語を表せるという点は共通だが、意味の広さ(適用範囲)からいうと、主題>主格>主語となる。

主題「~は」= 主語や目的語、副詞相当語句を表す。 → 「は」は種々の語に付く。
主格「~が」= 主語や目的語を表す。 → 「が」は体言に付く。
主語(S) = 主語のみを表す。

主題は英語でトピック(topic)という。主題(T)。主題は主語よりはるかに意味が広い。主題を示す「~は」は、「~について言えば」という意味。助詞「は」は、英語の群前置詞 “as for” に相当する。つまり日本語の主題は、英語の基本文型でいうと、主語(S)ではなく、副詞相当語句(A)に相当する。

有題文を英訳すると、英文では主題「~は」が主語(S)になる場合が一番多いが、目的語(O)や副詞相当語句(A)になることもある。たとえば、

春はあけぼの。 = Spring is best at dawn. → 主題=主語

ただし、「春はあけぼの」は、「春は、あけぼのがいい」の意。これを英語に直訳すると、
春はあけぼのがいい。 = As for spring, dawn is nice. → 主題=副詞相当語句(A)

その映画はもう見ました。= I already saw the movie. → 主題=目的語(O)
= As for the movie, I already saw it. → 主題=副詞相当語句(A)

詳細は、後で決めよう。 = Let’s decide about details later. → 主題=目的語(O)
= For details, let's decide about them later. → 主題=副詞相当語句(A)

主格と主語:
「~が」は主格を示す。主格は英語の主語(S)に相当する。しかし相当はするが、完全に同一ではない。主格「が」には、少なくとも四通り(能動、対象、所動、部分)の用法があり、こうした和文を英訳すると、能動主格は英語の主語に等しいが、残りの主格は主語に相当しないこともある。とくに対象主格は目的語に相当する場合が多い。つまり、日本語の主格は、英語の主語より意味が広いということ。

1. 能動主格(=動作主、作用主) → 主格=主語
 彼が私にペンをくれた。 = He gave me a pen. 主格は「彼が」、主語は “He”

2. 対象主格(対象を示す「が」) → 主格≠主語
 水が飲みたい。 = I want to drink water. 主格は「水が」、主語は “I”

3. 所動主格(受身にできない動詞にかかる主格) → 主格≠主語
 私に良い考えがある。 = I have a good idea. 主格は「考えが」、主語は “I”

4. 部分主格(主題の一部を表す主格)→ 主格≠主語
 象は鼻が長い。 = Elephants have a long nose. 主格は「鼻が」、主語は “Elephants”
 *この英文は、配分単数(主語が複数で、目的語が単数)である。

2018.12.05 文否定と語否定
文否定を発話レベルで語否定に変更するには?

松野町夫 (翻訳家)

否定文は日本語にしろ英語にしろ、どの部分が否定されているかにより、いろいろな解釈が可能となる。英語の否定は、文否定と語否定に大別できる。文中の述語動詞を否定すると文否定となる。述語動詞以外の、特定の語を否定すると語否定(=構成素否定)となる。

文否定(Sentence-negation):

述語動詞(文の述語となる動詞)を not で否定したり、あるいは主語や目的語を no で否定すると文否定となる。文否定は、文全体が否定の作用域に入る。以下の例文はいずれも文否定である。

"not" を用いた文否定
I'm not hungry. 私は空腹ではない。
He will not come. 彼は来ないだろう。
I didn't drink any coffee. 私はコーヒーを飲まなかった。
I don't want to argue with you. 君と議論したくない。
He didn't come home until eleven o'clock.
彼は 11 時になるまで家に帰ってこなかった。(彼は 11時になってやっと帰宅した)

"no" を用いた文否定
Nobody came. 誰も来なかった。
He has no brothers. 彼には兄弟がいない。
Nothing happened. 何も起こらなかった。
► “no” を用いた否定は形式的には語否定だが、実質的には文否定である。

語否定 (Word-negation):

述語動詞以外の、特定の語句を not で否定すると語否定(=構成素否定)となる。語否定は、not の直後にくる語・句・節が否定の焦点(=否定の対象)となる。
以下の例文はいずれも語否定で、下線は否定の焦点を示す。

Not long ago it was raining. ついさっきは雨が降っていた。
He's my nephew, not my son. 彼は私の甥(おい)で、息子ではない。
I came here on business, not for sightseeing. こちらに来たのは仕事で、観光ではない。
I told her not to go. 私は彼女に行かないようにと言った。
He tried not to look at her. 彼は彼女を見まいと努めた。
She pretended not to be listening. 彼女は聞いていないふりをした。
Visitors are requested not to touch the exhibits.
見学者は展示物に手を触れないでください(博物館などの掲示の文句)。
Ten were saved, not counting the dog. 犬は数えないで、10人が救助された。
Not having received a reply, he wrote again.
返事を受け取っていなかったので、彼は再び手紙を書いた。
I like him not because he is rich but because he is kind.
私は彼が好き、金持ちだからではなく親切だからです。

上記の文否定と語否定の区別は、あくまでも構文上(文字レベル)の分類である。発話レベルとなると少し事情が異なる。私たちが日常話している言葉は、文字や音声で表現・伝達される。音声には、伝えたい意味内容(言語情報)の他に、音調(強弱や抑揚)が付随する。

英語の否定文は、文末の語に少し強勢が置かれ下降調で終わるのが普通。たとえば、I didn't drink coffee. のような否定文は、述語動詞を否定しているので文字レベルでは文否定であり、原則に従って通常の音調で発話されるかぎり、発話レベルでも文否定のままである。

I didn't drink coffee. 私はコーヒーを飲まなかった。(文否定)
= It wasn't a fact that I drunk coffee. 「私がコーヒーを飲んだ」という事実はない。

しかし、たとえ述語動詞を否定した文否定であったとしても、文中の特定の語を強く発音しそれにふさわしい抑揚を付けることで、発話レベルで実質的に文否定を語否定に変更することができる。この場合、強く発音された語が否定の焦点となり、それ以外の語は否定されず肯定的意味の前提となる。たとえば、

発話レベルで文否定を語否定に変更:

文字レベル: I didn't drink coffee. 私はコーヒーを飲まなかった。(文否定)

発話レベル: I (↓) didn't drink coffee. 私は、コーヒーを飲まなかった。(語否定)
► ただし太字は強勢を、下矢印 (↓) は下降調(a falling intonation) を示す。
主語の “I” が強く発音されたので、“I” が否定の焦点となり、それ以外の語(drink, coffee)は否定されず肯定的意味の前提となる。
前提: Somebody drunk coffee, but not me. 誰かがコーヒーを飲んだ、私ではない。
強調構文: It wasn't I who drunk coffee. コーヒーを飲んだのは私ではない。

発話レベル: I didn't drink coffee. (↓) 私はコーヒーは飲まなかった。(語否定)
目的語の Coffee が強く発音されたので、Coffee が否定の焦点となり、それ以外の語(I, drink)は否定されず肯定的意味の前提となる。
前提: I drunk something, but not coffee. 私は何かを飲んだ、コーヒーではない。
強調構文: It wasn't coffee that I drunk. 私が飲んだのはコーヒーではない。

発話レベル: I didn't drink (↓) coffee. 私はコーヒーを飲みはしなかった。(語否定)
動詞の Drink が強く発音されたので、Drink が否定の焦点となり、それ以外の語(I, coffee)は否定されず肯定的意味の前提となる。
前提: I did something about coffee, but didn’t drink. 私はコーヒーに何かした、飲んではいない。
強調構文: 利用できない。
強調構文は名詞や副詞には適用できるが、動詞には使えない。そこで、前置きを付け加える:
(I spilled coffee but) I didn’t drink it. (コーヒーをこぼしはしたが)飲んではいない。

否定の焦点:
否定の焦点は、日本語では助詞の「は」を用いて、文字レベルでも発話レベルでも簡単に表現できる。「コーヒーは」、「飲みは」という具合に、否定したい単語に「は」を付けるだけでよく、「コーヒー」や「飲み」を強く発音する必要はさらさらない。ただし文頭の「私は」は、主題を示すのか、それとも焦点を示すのか、あいまいなので、「私は」と強く発音するか、または「ほかの人はともかく」と前置きを入れると、焦点を示していることが明白になる。しかし、英語には「は」のような便利な言葉がないので、発話レベルでは否定したい単語を強く発音して否定の焦点を示す必要がある。もっとも強調構文を使えば、文字レベルでも否定の焦点を明示できなくはない。

2018.11.09 否定繰り上げ(negative-raising)
否定繰り上げは、否定語(not)を従属節から主節に繰り上げること

松野町夫 (翻訳家)

英語にはネガティブ・レイジング(negative-raising)という言語現象がある。これは生成文法の用語で、think などの動詞がとる従属節の中の否定語(not)を主節に移して表現することをいう。たとえば、「彼は来ないと思う」を、I think he will not come. と言うよりも、I don't think he will come. と表現するときなどがそうである。この場合、主節は I think; 従属節は he will not come.

彼は来ないと思う。
I think he won't come. ← 従属節を否定
↓ (not を従属節から主節に移す)
I don't think he'll come.  ← 主節を否定

このように negative-raising (neg-raising) は、従属節ではなく主節を否定する、つまり否定語not を従属節から主節に繰り上げる規則を意味する。ネガティブ・レイジングには、「not の転移」、「not の繰り上げ」、「否定繰り上げ」、「否定辞繰り上げ」、「否定辞上昇」など様々な呼び方がある。ここではとりあえず、negative-raising = 「否定繰り上げ」という訳語を採用する。

nègative-ráising
n. [変形文法] 否定繰上げ
リーダーズ英和辞典

négative-ráising
■n. [文法] (変形文法で)
否定辞繰り上げ: think などの動詞がとる補文の中の否定辞を主文に移す規則.
ランダムハウス英語辞典

negative-raising【名】〔言語〕否定辞上昇変形, 否定繰り上げ
《生成文法で, not を埋め込み文から主文へ繰り上げる移動操作.
例: He doesn't think that he'll finish.》.
ジーニアス英和大辞典

否定繰り上げは、推測を表す動詞に適用できる。たとえば、think, believe, imagine, suppose, seem, look など。こうした動詞は、主節を否定しても従属節を否定しても、意味はあまり変わらない。

I don’t think it is expensive. それは高くないと思う。
= I think it isn’t expensive.
I don’t believe he is innocent. 彼が無実だとは思わない。
= I believe he isn’t innocent.
I don’t imagine it will snow today. 今日、雪は降らないと思う。
= I imagine it won’t snow today.
I don't suppose you’re right. 君は正しくないと思う。
= I suppose you’re not right. 

Tom didn't seem to know her name. トムは彼女の名前を知らないようだった。
= Tom seemed not to know her name.
It doesn’t look like it’s going to rain. 雨が降りそうには見えない。
= It looks like it isn’t going to rain.

しかし否定繰り上げは、know, say, hope など、その他の動詞には適用できない。こうした動詞は、主節の否定と従属節の否定とでは意味が異なるから。

She doesn't know that he is a liar. 彼がうそつきであることを彼女は知らない。
≠ She knows that he isn't a liar. 彼がうそつきでないことを彼女は知っている。

Mary didn’t say that it would snow. メアリーは、雪が降るとは言わなかった。
≠ Mary said that it wouldn’t snow. メアリーは、雪は降らないと言った。

I hope it will not rain tonight. 今夜は雨が降らないでほしい。
► * I don't hope it will rain tonight. とは言わない。
hope は望ましいことに用いる。望ましくないことについては I am afraid, I fear を使う。
I am afraid it will rain tonight. (残念ながら)今夜は雨だと思う。

否定繰り上げは、生成意味論派は認めているが、解釈意味論派は おおむね認めていないという(安藤貞雄著『現代英文法講義』の Page 662 参照)。

たしかに日本語の場合を検討しても、たとえば、「彼は来ないと思う」と「彼が来るとは思わない」は厳密には同義ではなく、したがって、どちらかに統一できるものでもないし、その必要もない。実際、日本語では両者ともに、状況や文脈に応じて普通に使われている。しかし英語では内容が否定であることを早く相手に伝える習慣があり、否定繰り上げが普通なので、英語を話したり書いたりするときは否定繰り上げをお忘れなく。

2018.10.15 否定を表す慣用句
否定語を用いる場合、用いない場合

松野町夫 (翻訳家)

英語で否定を表す慣用句には、否定語を用いる場合と用いない場合がある。たとえば、

その部屋には家具類がなかった。
= There was no furniture in the room. → 否定語(no)を用いて否定を表す。
= The room was empty of furniture. → 否定語を用いないで否定を表す。

否定語を用いて否定を表す慣用句

no longer = not ... any longer 「もう~ない」
I’m no longer an official. 私はもう役員ではない。
I no longer trust him. 彼をもう信用していない。
= I don't trust him any longer.

no more 「もう~しない」 「もう存在しない」
She was smiling no more. 彼女はもう笑っていなかった。
He is no more in the show business world. 彼は芸能界にもういない。

no more than ... 「わずか~しかない」
He has no more than 500 dollars. 彼は500ドルしかない。

no less than ... 「~ほどもたくさんある」
He has no less than 500 dollars. 彼は500ドルも持っている。

never so much as ... 「~さえしない」
She never so much as smiled. 彼女はにこりともしなかった。
= She did not smile even once.
He's never so much as made me a cup of coffee in ten years of marriage.
結婚生活10年間、彼は私に一杯のコーヒーすら、ただの一度も作ってくれなかった。

nothing more than ... 「…にすぎない」
He is nothing more than a dreamer. 彼は夢想家にすぎない。
He wanted nothing more than to take a rest. 彼はただただ休憩したかった。

not to mention 「~は言うまでもなく」 「さらにまた」
She can speak German and French, not to mention English.
彼女はドイツ語とフランス語を話せます、英語は言うまでもありません。
He has two big houses in this country, not to mention his villa in France.
彼はこの国に大邸宅を二軒持っています。さらにまた、フランスに彼の別荘があります。

have nothing /little to do with ... 「~と関係がない」
I have nothing to do with the affair. その件は私とは無関係だ。
He has nothing to do with the firm. 彼はその会社と全然関係がない。
This kind of specialized knowledge has very little to do with daily life.
この種の専門知識は日常生活とはほとんど関係がない。

否定語を用いないで否定を表す慣用句

too much (for somebody) 「手に負えない」
She is too much for me. 彼女にはとてもかなわない。
The book is too much (for him). その本は(彼には)手に負えない。

too形容詞 + to do ... 「~すぎるので~することができない」
He is too young to do the task. 彼は若すぎるのでその仕事は無理だ。
= He is so young that he cannot do the task.
The offer sounds too good to be true. その話はうますぎて信じられない。
This problem is too difficult for me to solve. この問題は難しすぎて私には解けない。

beyond something 「~できない」
The car is beyond repair. その車は修理できない。
= The car is too badly damaged to repair.
He is quite beyond recovery. 彼はまったく回復の見込みがない。
The situation is beyond our control. この状況はコントロールできない。
The scenery is beautiful beyond description. その風景は描写できないほど美しい。

far from ... 「少しも~でない」 「~どころか」
He is far from friendly. 彼は少しも友好的でない。
= He was not at all friendly.
“Was the movie disappointing?” 「その映画は期待はずれだった?」
“Far from it! We had a great time!” 「とんでもない、楽しかったよ」
Far from reading the letter, he didn't even open it.
彼はその手紙を読むどころか封も切らなかった。
The new law, far from being an aid to small businesses, will actually hurt them.
その新法は、小企業にとって助けになるどころか、実際は損害を与えることになる。

free from / of ... 「~のない」
The newspapers are free from government control.
新聞各社は政府の規制を受けていない。
We want to give all children a world free from violence.
すべての子供たちに暴力のない世界をあげたい。
The product is guaranteed to be free of major defects.
その製品は大きな欠陥はないと保証されている。
The filtration system provides the crew with clean air free from fumes.
このろ過装置は有害ガスのない新鮮な空気を乗組員に提供します。

without doing ... 「~することなく」
He left without (even) saying goodbye. 彼は挨拶もしないで立ち去った。
= When he left, he did not even say goodbye.
You can’t make an omelet without breaking eggs.
卵を割らないでオムレツを作ることはできない。
Even without studying, she answered all of the questions correctly.
勉強もしていないのに、彼女はすべての質問に正しく解答した。