2015.10.29 危ない大学を自治体は引き受けてはならない
――八ヶ岳山麓から(162)――

阿部治平(もと高校教師)

私立大学の定員割れ
10月12日信濃毎日新聞(信毎)は、「県内の大学大競争時代、公立化模索や学部改組……、少子化 学生確保に懸命」という大きい見出しで長野県内の大学の危機状況を報じた。大学は公立私立に関係なく、限られた受験生をめぐって生き残りに懸命の努力をしているという。そのなかで非常に目立ち、しかも私の村にも直接関係してくるのは私立大学の公立化である。
去年に私立長野大学は公立移管の要望書を上田市に提出し、市側は若者の地元定着を期待して移行を検討した。だが市議会が財政負担を理由にして決定を先延しにした。諏訪東京理科大もこの夏所在地の茅野市に公立化を要請した。2006年から定員割れが続き、2015年度は300人定員のところ214人しか入学しなかった。
この二つの大学はいずれも長年入学定員を満たすことができず、授業料収入などが減少して経営困難に陥ったものである。

大学新設と年少人口減少の傾向
1990年前後の数年間、第二次ベビーブームによって進学者が増加し、全国的に激しい受験競争が生まれた。1991年文部省は既存の大学に対して施設・設備の拡大不要という条件で大幅な臨時的定員増を認め、さらに大学の新設について抑制策から規制緩和へ方針を転換した。また2004年度からは学部・学科の新設や改変も、申請・認可の手続きを要さない届出制に変えた。これによって大学の自由度が高まり、大学間の競争が激しくなった。

全国レベルで見ると、18歳人口は1992年がピークで、200万人余りだったが、22年後の2014年には40%強減少し118万人となった。2018 年度以後は6年間で105万人程度まで一気に減少する。いわゆる「2018年問題」である。長野県の年少人口(14歳以下)は280万前後で年々5000人ずつ減少する。高校卒業者数もすでに2万人をかなり割っている。この時期人口統計を見れば、いわゆる「2018年問題」が迫っていたのは明白であった。
長野大学は1966年に発足したものだが、東京理科大は長野県から55億円の支援を得て1990年に茅野市に短大を開き、2002年から4年制大学に変った。1990年代すでに短大の危機は広範なものになっていた。にもかかわらず4年制大学新増設が進んだのは、文部省や大学関係者に人口現象を見る目がなかったからである。私には、小学生の減少を知って、やがて来る高校の統廃合を仲間たちと話合った記憶がある。そして、いま新設の4年制大学に軒並み深刻な危機が現れたのである。

公立化への動き
学校法人東京理科大の本山和夫理事長は、10月1日諏訪地方6市町村の諏訪広域連合の諏訪市長(連合長)にも公立化への協議参加を求めた。なんでも、公立大学法人になると、文部科学省からの私学助成金に代わり、法人の設置自治体に地方交付税交付金が配分される。公立化された大学は私学助成金よりもよりも多額の運営費交付金が得られると説得したとのことだ(信毎2015・10・12)。
また、東京理科大の姉妹校山口東京理科大は、昨年山陽小野田市の公立への意向を表明したところ、今年は定員200人に対する志願者数が4.2倍に急増して3年ぶりに定員を満たしたそうだ(信毎2015.10.14)。これも自治体に対する説得のタネになったことだろう。
公立化すれば志願者が増えるという現象は、山口東京理科大だけではない。公設民営化でスタートした沖縄名護市の名桜大学は2005年に公立化した途端、志願者が激増し入学成績が向上、しかもその半数近くが県外からの入学者であった。
この現象が生まれた経過は以下の通り。
共通一次試験の導入以来、全国の国公立大学は徹底的に偏差値序列の中に位置づけられ、受験生は共通一次(センター)試験の点数から合格可能性の高い大学を全国に求めて移動するようになった。医学部などは当然としても、地域性の高い教員養成学部でも、偏差値の輪切りによって全国から受験者が応募する傾向が顕著である。国立信州大学教育学部すら県外からの入学者が40%を越えている。
さらに日本経済の20年に及ぶ低迷から、受験生の多くに学費の安い国公立志向が強まったうえに、大都市圏を除けば、いまでも高校教員や保護者のなかには国公立優先傾向がある。そこで高校や予備校では、合格可能な国公立大学・学部への進学を徹底的に指導する。その結果、地方国公立大学は地元出身者の比率が減り「全国区」化したのである。
公立に移行した元私立大学が定員を充足できるのは、この「幸福な」地方国公立の仲間に入ったからである。だが柳の下に泥鰌がいつまでもいるとは限らない。かりに公立化で競争に勝利しても、破局を一時先延ばしにしたものにすぎない。数年、どんなに遅くても10年後には、年少人口の減少からくる入学定員不足と経営危機がやってくる。

あぶない大学運営を引受けるとすれば
その後茅野市と諏訪市の市長は諏訪東京理科大の県立大学化を阿部長野県知事に要請した。知事はこの話をあっさり断ったという。断らなかったらどうかしている。いま長野県は2018年に県立短大を4年制にするという、見通しの暗い事業に手を付けている。かりに新設県立大学の入学定員が満たされるとしても、その設備施設費が97億円、年間運営費は15億から18億円である(これがむちゃな計画であることは以前述べた)。
県知事にソデにされた諏訪広域連合は事務組合の設立を模索しているというから、理科大を引受ける気らしい。茅野市長の柳平氏は「市町村には大学運営のノウハウがない」からと県の支援を期待しているという。だが県当局にも、短大はともかく4年制大学運営の経験はない。
現在の大学運営には、学生募集、教育研究体制の整備と調節、進路指導、財政運営などを含めて専門性が強く求められる。必ず専門的知識と手腕のある集団が当らなければならない。この人材確保はなまやさしいことではない。
むろん財政上の問題がある。新設県立大学すら年間経費15億から18億円が見込まれている。理系はもっとカネがかかる。諏訪地方6市町村が諏訪東京理科大を引受けたとき、多額の費用をまかない続けることができるだろうか。
さらに深刻なのは学生の低学力問題である。定員を充足すればそれで万々歳ということはない。いま大学ということばからは想像できないような、学習意欲の低い質の悪い学生がかなりの大学にいる。定員確保のために推薦入学枠を拡大したり、やむを得ず希望者全入などをやるからだ。そうすると大学で学力補充授業をやらざるを得ない。ところがそれを担当するのは大学の教員ではなく、たいてい臨時の講師か事務職員である。
県立大学を新設する長野県当局、諏訪東京理科大を引受けようという諏訪広域連合の6自治体、長野大学を引受けるかもしれない上田市などは、大学を運営しようとすれば、こうした課題を解決しなければならないが、その準備があるだろうか。

地方自治体の仕事
だいたい、若年人口の急速な減少が推測できたにもかかわらず、安易な経営拡大をしたあげく、「定員割れだから自治体が引受けてくれ」というのは筋の通らない、あつかましい要求である。どこの世間に「赤字続きだから私の会社を救ってくれ」と、県や市町村に泣きつく経営者がいるだろうか。数年連続で入学定員を充足できない大学は、傷が大きくならないうちに廃校にすべきである。すでに長野経済短大は09年に廃校とした。
地方自治体が、若年人口の流出をいささかでも減らすためとか、あるいは地方文化の水準を維持するためとか、技術者確保のためとかという理由で、破局必至の私大を引受けようとするなら、それは問題解決の方向が間違っている。ましてや、公立大学にすることによって自治体幹部の天下り先が増えるという思惑があるとすれば、これは論外である。
長野県高校生の県外進学志向が強固なのは、伝統であって今に始まったことではない。長野県の大学進学率は48%前後だが、大学進学者の8割が伝統的に東京圏と愛知・京都そのほかの隣県に進学する。東京の大学への進学は2400人で、県内の大学にとどまるのは1500人程度にすぎない。この傾向を地元に公立大学をおくことで変えようとするのは、ひしゃくで諏訪湖の水を汲出そうとするのと同じである。
むしろ若者たちが県外に出て世間を広く見、知識を蓄積することはよいことである。高等教育をうけたのち、彼らのかなりの部分が喜んで帰郷するようなら何の問題も起きない。そのためには、彼らを受入れる魅力ある場所と仕事があることが必須の条件となる。地方自治体が努力すべき仕事は、私学の公立化ではなく、この条件作りである。

2015.06.09   村は変わったのか?――2015年村議選をめぐって
       ――八ヶ岳山麓から(147)――

阿部治平(もと高校教師)

最近、村は変ったかもしれないと思うことがあった。今年の村議選である。
わが村の村議選は過去2回は無投票だった。前回は定員11人のところ、11人目の立候補届をした人が12人目を説得して立候補をやめさせ、無投票に持ち込んだという。冗談好きのわが村の笑話かホントかわからない。
前回、前々回の立候補者が定員止まりになったのは、ふた昔くらい前までは名誉職の気分は少しはあったのだが、だんだん村議の魅力がなくなり、地位が低下したからだと思う。だいいち歳費は200万ちょっとだから、村人は兼業収入をあきらめてまで出る気にはなれない。口の悪いのは「村議なんか、議案に賛成していればつとまる」とか「農家のこづかい稼ぎだ」などという。「村議会で世の中変ったためしがない」といささか無理をいう人もいる。

わが村には「みちうえ」「みちした」といういいかたがある。30年このかた、八ヶ岳西麓を横切る自動車道路よりも標高の高い方に大都会からの移住者やペンション、別荘が多くなった。ここに定住した新村民を「みちうえ」の人という。非農家で、年金生活者がかなりの割合を占める。
「みちうえ」の有権者が占める割合は、すでに15%を越えている。21世紀になるあたりから村議も「みちうえ」から2人出るようになった。だいたい村当局が呼びかける文化的行事・ボランティア活動などへの参加も、もちろん「憲法九条を守る会」への参加も「みちうえ」が断然多い。
「みちした」の方は旧8部落(集落)が中心だ。大半の農家は米作と野菜・花卉の栽培だが、農業より兼業収入の方が多いくらいだ。ものの考えかたは私同様農民そのものである。「みちした」があまり社会活動に参加しないのは、「土日百姓」と町での仕事で余裕がなく、疲れているからだと思う。

私の小学校以来の親友に「共産党のモト」とよばれて、長年村議をやり村政に大きな影響力があった男がいる。これが「今回は頼むぞ」といった。知らん顔をすれば義理がすたる。
今回は、立候補者は全部で13人、自民・民主・社民はもとよりなく、共産党が唯一の党派で、他は無所属である。今回まで共産党は「みちうえ」「みちした」それそれ1人ずつ、2議席をもっていた。とはいえ無投票当選だからあまり自慢にはならない。
ところが今回「みちした」の共産党村議ハルさは2期やったからと立候補を辞退した。部落の中には、やはり「部落の代表だから順番で」という暗黙の了解がある。「みちした」の候補者は、たとえ共産党であっても出身部落の票をあてにすることができる。ハルさが立候補しないとみるや、彼の部落からさっそく1人が名乗りを上げ、出陣式は畏れ多くも「おぶすなさま(産土神社)」の前でやった。
共産党は「みちした」にハルさの後継者がいなかったらしく、2人とも「みちうえ」の女性を立てた。うち1人は現職、もう一人は大都会から村に移住して2年とちょっとだという。

共産党はどうしてこうも在来の部落に増えないか。
モトはこれを嘆いて「共産党はえれー間違ったことをいったりやったりしたつもりはねーがなぁ」といったことがある。
その場にいた大先輩が「党名を変え、民主集中制をやめたらどうだ」といった。たしかに日本共産党はソ連や中国とは違うといっても、「共産党」という3文字には暗いイメージがつきまとう。また共産党の人は、政治については誰もが同じことをいうから、ものを考える力がないようにも感じる。
私はモトとは違い、共産党は間違ったこともやったと思う。国政レベルはさておき、昔のことをいえば中央自動車道の建設は「富農」を富ませるだけだからと反対し、わが村の耕地の構造改善事業(圃場整備)も同じ理由で反対したことがあった。いま老人でも農作業ができるのは、圃場整備のおかげで機械が耕地に入れるからだ。

選挙公示の2週間くらい前、「みちうえ」の共産党の人たちが私のところへ来て、村の話をしてほしいといった。これはよい心がけである。だいたい「みちうえ」の人は農業について偏見がある。
たとえば、「みちした」の野菜は農薬が多いから怖いという。農薬使用が規制されているという事実を知らないからだ。実際には、出荷時に検査が行われ残留農薬が検出されればただちに出荷停止となる。農家にとっては死活問題である。
私は、農家の問題なら、私のようなUターン組よりモトのほうが数倍よいといった。ところがモトは10数年来の病気が悪化してだめだという。ならば、知っていることは話すが、深入りすると共産党へしつこく誘われる恐れがある(この心配は現実になった)。

私は鳥なき里のこうもりよろしく、村の「公報」を引っ張り出して、村財政や自民党の農協改革やコメの値段や野菜の生産などについて話した。
いま一番の難題は、農業労働力が70歳前後で、耕地3ヘクタール程度までの「自作農」の問題だ。すでに後継者がいないという理由で米作をやめた家もある。TPPが否応なしに通るとすれば、野菜や花卉も当てにならず、「自作農」は自然死する。その後の空家の増加、農地荒廃は避けられない。いや村の美しい景観だって悪くなる。私は「みちうえ」の共産党の人たちに、政権党になろうと本気で考えているならば、TPP反対というだけでなく、いま10年先の村の農業のあるべき姿を示すべきだといった。
私は「とりあえずは農電兼業はどうかね?」と提案してみた。村が補助金を増額して、すべての農家の屋根に太陽光発電装置をのせ、中部電力に電気を売り、老人農家の収入を僅かながらでも確保するのだ。これは突飛に過ぎたらしく、聞き手の反応がなかった。
二つ目は老人医療費給付制度である。1980年代の前半に国はこの制度を廃止したが、わが村はあえて継続してきた。モトなど共産党が頑張ったおかげでもある。
だが2014年には、老人と18歳未満への医療費給付金の合計額は1億4000万円、老人だけだと9700万円に達した。1989年を基準にすると25年間に村一般会計の歳出額は1.27倍だけだが、老人への給付は8.08倍になった。。
新村民には定年退職者が多い。村には私のようなUターン組もある。老齢人口比はこの社会増によっても増加し、いまや村人口の30%をこえ、2024年には42%になる見込みだ。
今回村議選を控えた共産党のビラには「老人医療給付は断固継続する。その負担は村の一般歳出の2、3%にすぎない」と書いてあった。よい制度だが運用には頭が必要だ。

私はさらにこうもいった。
いまのままだと共産党は2人そろって落選の恐れがある。
選挙宣伝をやる時は、国政レベルのスローガンは強調しないほうがいい。共産党の「食と農を守る」とか「老人と子供を守る」なんていうのは寝言と同じ、「守らない」なんていう政党はどこにもないのだから。それより農協の店舗を統合するのには反対だといったほうがいい。
村政を批判するにもケンカ腰になってはいけない。村長さまはとくに嫌われ者ではない、等々。
だが、選挙が公示されると共産党の宣伝カーは「安倍政権の戦争政策に反対します」「農業を守る日本共産党」と高らかに叫んでいた。ビラには「村政にちゃんとものがいえる政党」をうたっていた。やはり村長とは対決するらしい。老人医療費給付制度は「断固継続」だ。「再生可能なエネルギーを」とはいいつつも「農電兼業」は問題外のようだった。

選挙の結果は、投票率63%、82歳の元職も含む無所属9人、共産党2人が当選。予想外の善戦である。共産党は新村民3年目の候補者が真ん中くらいの得票、前職が最下位当選だった。村へ来て3年目の候補者にも「みちした」の票がかなり入ったのだ。
村人のものの見方考え方は、私の想像以上に変わったのかもしれない。そうだとすれば部落の推薦が決定的な力をもった時代も終わりに近い。
ただ今回の選挙では、村の共産党は米作も野菜栽培も水利権も知らない人たちが主力になった。そのため村にふさわしい具体的な政策は提案できなかった。これから共産党は国政レベルの主張を強調し、論争は上手だが農家の利益にはあまり関心がないという純「みちうえ」政党になるかもしれない。そういう危うさを予感させる選挙でもあった。
親友モトは選挙が終わると、声ばかり元気に「や、ありがと」と電話でいってきたが、彼が活動する時代も終わったのである。
2012.12.03 「日本(2本)維新の会」がフェードアウト(消滅)し、安倍・石原極右連合政権が成立する危険性が出てきた、(ハシズムの分析、その41)
~関西から(84)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

橋下新党(日本維新の会)と石原新党(太陽の党)が野合したとき、私は「この政治選択が大きな誤りだったことを証明する日は遠からずやってくる」と書いた。ファシストの本性を隠しながら「ポピュリスト」の仮面をかぶって浮動票を掻き集めてきた橋下氏と、「極右」を表看板にして右傾化を煽ってきた石原氏とのイメージ格差があまりにも大きく、この野合は遠からず(近いうちに)破綻するに違いないと思ったからだ。

また石原氏が橋下新党と野合した直接的理由として、「自らが日本維新の会の党首となることと引き換えに維新の会の政策を丸呑みすると言う政治選択をした」とも書いた。石原氏は橋下新党の“党首”になることで自らの存在を際立たせ、橋下新党の人気と勢いを利用して国政への返り咲きを狙ったとの観測である。

橋下氏の方もまた東京都知事としての石原氏の人気を利用して、手薄な関東地方の集票をカバーしようと考えていた。つまり橋下新党の「広告塔」としての石原氏の位置づけである。こうして両者の思惑と利害が一致し、政策などと言った「小異」にこだわることなく、大衆的人気という「大同」に依拠して議席を掠め取ろうと言う作戦が成立した。

しかし橋下氏にとって大きな誤算だったのは、石原氏を橋下新党(日本維新の会)の“党首”に据えたことだ。「広告塔」として利用するには石原氏を党首にした方が効果的であり、自分は「党首代行」として実質的な党運営を握ればよいとでも思ったのだろう。だが石原氏は、民主党崩れの国会議員などとは格が違った。「広告塔」に甘んじることなどもともと論外であり、当初から“司令塔”になるつもりで橋下新党に合流したのである。

石原氏が橋下新党の“司令塔”になろうとしたのは、彼の肉体的政治寿命の短さとも関係している。石原氏の宿願である「自主憲法制定」「集団的自衛権行使」「核武装」などいった極右政策への道筋をつけるためには、彼に残された時間はあまりにも短かすぎる。石原氏がそれらの課題に糸口をつけようとすれば、どうしても「暴走老人」にならざるを得ないのである。

それからもうひとつ石原氏が党首にこだわった理由は、安倍自民党が石原氏の右傾化路線に急接近していることがある。両者の政策にはもはや「核武装」を除いてはほとんど差が無く、まさに「大同小異」の関係にあるからだ。石原氏は国政進出に際してまず橋下氏と手を組み(利用し)、総選挙後は安倍自民党との連携によって“安倍・石原極右連合政権”をつくろうと本気で考えているのではないか。

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2012.11.23 野田首相はなぜ突如衆院解散に打って出たのか、それは「民主党をぶっ壊す」ためだ、(ハシズムの分析、その40)
   ~関西から(83)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


さる11月14日の党首討論で野田首相が衆院解散を突如表明した意図や背景をめぐっては、様々な観測や見方が乱れ飛んでいる。その代表的なものは、自公両党からの「ウソつき」攻撃と民主党内の「野田降ろし」の挟撃に会って、進退きわまった野田首相が解散に打って出たという「追い込まれ解散」「破れかぶれ解散」との見方だ。

当然だろう。そこには国民の期待を悉く裏切った民主党政権が政権交代から僅か3年有余で分裂し、離党者が続出してもはや政権を担えず混迷状態に陥ったという厳しい現実があるからだ。また野田内閣の支持率が「危険水域」の20%を割り、不支持率も60%を超えたという世論状況も後押ししている。国民の審判はもはや明らかなのだ。

もうひとつの有力な見方は、橋下新党(日本維新の会)や石原新党の態勢が整う前に解散に打って出て、民主党への打撃を出来るだけ少なくしようとする「奇襲解散」「不意打ち解散」との選挙戦術上からの見方だ。これもその後の経過を見れば、ある程度当たっているといえる。実際、橋下氏も石原氏も不意をつかれて大慌てした挙句、駆け引きと離合集散を繰り返してやっと合流(野合)に漕ぎつけた。

これらの2つの見解はいずれもその通りだと思うが、しかし私には野田首相が「それだけの理由」で解散に踏み切ったとは到底思えない。党首討論時の野田首相の表情は、余裕の度合いが違うとはいえ、“郵政選挙”に踏み切った小泉首相の表情に案外通じるものがあった。小泉首相が郵政選挙を仕掛けて「(古い)自民党をぶっ壊す」賭けに出たのは、新自由主義的構造改革を断行するうえで「自民党的なるもの」をどうしても壊す必要があったからだ。

これとまったく同じことが野田首相についても言える。米日資本(財界)が要求する「税と社会保障の一体改革」や「TPP参加」を実現するためには、民主党内の消費税増税やTPP参加に反対する「内なる勢力」すなわち「民主的なるもの」を一掃しなければならない。そのためには“税と社会保障の一体改革・TPP参加選挙”を仕掛けて「(政権交代当時の)民主党をぶっ壊す」ことが必要になったのである。
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2012.11.19 石原・橋下“大野合連合”は必ず破綻する(ハシズムの分析、その39)
~関西から(82)~

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
 

11月14日の党首討論において野田首相が衆院解散に突如言及した瞬間から、政局は一転して暴風状態に入った。それも11月16日解散というのだからいきなり「待ったなし」の状況になったのである。野田首相の解散声明は、窮余の策の一撃だったのか、予定通りの演出だったのかは知らないが、橋下新党(日本維新の会)や発足したばかりの石原新党(太陽の党)はさぞかし泡を食ったことだろう。

もともと橋下新党(日本維新の会)は、知名度の高い石原氏(だけ)を広告塔に利用して2大政党間に割って入り、「第3極」を形成して政界進出を図るという構図を描いていた。そこには「決められない政治」を“右”から打開する「第3極」としての旗印を掲げ、マスメディアに露出しながら派手な挙戦を展開するという橋下氏一流の戦術が込められていた。

だがこの「第3極」イメージは、既成政党崩れの国会議員たちが維新の会に合流するに及んで少なからず傷ついた。合流した国会議員がいずれも清新さと迫力に欠け、とうてい「第3極」を演出するに足る人材ではなかったからだ。さる9月9日の公開討論会における国会議員と維新の会のやりとりは、さすがのマスメディアの目にも「いかさま」以外に映りようがなかった。東京から取材に来た記者たちは、誰もが吐き捨てるような失望(墳慨)の言葉を残して本社に帰って行った。これが躓き(つまづき)の第1幕だった。

第2幕は、11月13日の石原新党の旗揚げで開けた。だがこの幕開けは悲惨そのものだった。石原新党「太陽の党」の記者会見に参加したメンバーは「たち上がれ日本」の議員5人と石原氏だけで、応援部隊や取り巻き連中は誰もいなかった。「立ち上がれ日本」はかねがね「立ち枯れ日本」などと揶揄されてきたが、枯木に枯木が加わっても所詮は“枯木集団”に過ぎない。石原新党は出鼻から清新な「第3極」イメージを打ち出すことができず、事実上打ち上げに失敗したのである。
 
それを象徴するのが石原氏の支離滅裂な記者会見だろう。「私は暴走老人ですから、年齢的には限界があります。やっぱり次のランナーにちゃんとバトンタッチをしてくためのワンステップでしかありません。だから、必ず衆院選の前に大同団結します。太陽の党が(他党に)吸収されて消えてもかまわない。しかし、新しい関ヶ原の戦いには必ず勝ちます」など、まるで破れかぶれの言い草だ。
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2012.11.15 原発ゼロは福島の人びとの真情
 世界平和アピール七人委員会が南相馬市で講演会

伊藤力司 (ジャーナリスト)
     

世界に向かって「核兵器廃絶」「原発ゼロ」を訴えている「世界平和アピール七人委員会」は11月10日、東電福島第一原発事故の被災地福島県南相馬市で「福島の人びとと共に」と題する講演会を開いた。今年の文化功労者に選ばれたばかりの辻井喬委員(詩人・作家)の「中央集権の時代は終わった」とのスピーチを始め、被災した人々を撮り続けている。大石芳野委員が撮影したモノクロ映像の数々、原発と核兵器の時代は終わったことを検証した核物理学者小沼通二博士(委員兼事務局長)の報告、さらに世界中の人々がインターネットの「フェイスブック」を通じ「福島のお母さんたち」と連帯していることを紹介した武者小路公秀委員の発言に拍手が湧いた。

しかしこの講演会が感動的だったのは、大事故を起こした東京電力福島第一原発の放射能被災地に住んでいる人たちの声が聞かれたことだった。福島第一原発から20㌔圏内、つまり日本政府が「放射能被害があるかもしれないので退避せよと指定している区域で生きている人々の「生の声」であった。

とりわけ衝撃的だったのは、福島原発から12キロ地点の牧場で1年8カ月経った今も、400頭近い牛に餌と水をやるために、外から毎日通っているという吉沢克己さん(59)の演説だった。吉沢さんの父親は満州開拓義勇団に応募し、日本の敗戦後ソ連に抑留されて強制労働に服して3年後ようやく帰国、生きるために千葉県で農地を開拓し、農業経営者として成功したという人だった。吉沢さんは父の遺産(千葉の農地)を売った資金で父の故郷に近い福島県南相馬郡浪江町に牧場用地を買い、300頭の牛を飼う酪農家となった。

そこへ2011年3月11日、東日本大地震・大津波・東電原発事故が起きた。3月12日福島原発1号炉の建屋は水素爆発を起こし、放射性物質は空中に飛び散った。放射性物質は福島県の各地方やそれ以遠に飛び散ったが、日本政府は「直ちに住民の健康に被害を及ぼすレベルではない」との“安心メッセージ”を流した。しかしこの安心メッセージはその後の検証で、文部科学省と経済産業省が現地住民に「パニックを起こさせない」ために流したインチキ広報資料だったことが判明した。

「直ちに健康に被害を及ぼさない」はずの放射能が、本当は人体にかなり危険なレベルであることを承知していたはずの政府は、間もなく30キロ以内を避難区域に指定。避難区域への立ち入りを禁止した。それでも毎日牛に餌をやりに来る吉沢さんは非合法な人物とされ、彼が育てた牛は日本政府の方針に従えば「殺処分」される運命にあった。しかし吉沢さんは殺処分に従わなかった。

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2012.11.05 “原発ゼロ・護憲連合”で東京都知事選挙、衆参両院選挙に勝利しよう、(ハシズムの分析、その38)
~関西から(81)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


前回、極右第3極に対抗し得る護憲第3極の構築を呼びかけたが、今回はその具体的イメージについて語りたいと思う。

まず護憲第3極構築を提起するのは、単なる社会運動・政治運動の提起でもなければ、恒常的な政治組織の結成を考えているわけでもない。目的はあくまでも目前に迫った東京都知事選挙および衆参両院選挙に勝利することであり、そのことによって「極右第3極=石原・橋下新党」の出現を抑止し、反ファッシズム世論の喚起と民主勢力結集のきっかけをつくることにある。

したがって護憲第3極の柱(政策綱領)は、目下の国民的政治関心の的であり、それらの要求実現の要(かなめ)になる「原発ゼロ」・「護憲」の2点に限定する。これは首相官邸前デモに見られるような国民・市民の圧倒的な原発反対エネルギーを活かし、同時に「9条の会」が粘り強く掘り起こしてきた草の根平和運動を継承することによって、極右勢力に対抗する民主勢力を幅広く結集するためである。

護憲第3極すなわち「原発ゼロ・護憲連合」(仮称)は、その政策綱領に賛同し、東京都知事選挙および衆参両院選挙に勝利することを願う全ての国民・市民、政党、団体等によって構成される「目的限定」(選挙勝利)・「時間限定」(2013年8月まで)の政治組織だと考えたい。また当面は都知事選勝利のための「暫定組織」としてスタートし、その後に衆参両院選挙対策のための「時限組織」に切り換えてもよい。重要なのは、現下の危機的政治状況の認識を共有し、それを打開するための政治行動の切っ掛けをつくることなのである。

急がれるのは、差し迫った東京都知事選挙(2012年11月29日告示、12月16投開票)への対策だろう。「原発ゼロ・護憲連合」(仮称)は必ずや統一候補を擁立し、石原都政に終止符を打たなければならない。すでにそのための準備が関係者の間で始まっていると聞くが、過去のいかなる都知事選にも増して今回の選挙が重要なのは、半世紀前の1967年都知事選(美濃部当選)がその後の時代を切り開く歴史的転換点になったことを思い浮かべるだけでよい。
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2012.11.01 極右第3極”に対抗しうる“護憲第3極”の構築が必要だ、(ハシズムの分析、その37)
~関西から(80)~ 

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)


石原慎太郎氏の突如の都知事辞任が波紋を広げている。当初は首相になれなかった私怨行動の類かと思っていたが、日本維新の会とみんなの党(まで)が「小異」を捨てて「大同」につくとなると、ことは穏やかでなくなる。これは間違いなく“極右第3極”の誕生だ。石原氏がいみじくも言ったように、彼らにとっては原発も消費税も「些細な話」なのであって、大事なのは“超保守主義的国家体制”の構築だけなのである。石原氏はそのための起爆剤として“極右第3極”の結集を掲げ、政局再編に乗り出したというわけだ。

この事態は、橋下新党が国政進出しようとしているフェーズ(局面)を一段バージョンアップしたもので、もし石原・橋下新党が結成されれば本格的な極右第3極の出現として警戒しなければならない。みんなの党は、石原氏と橋下氏が手を組めば埋没することが目に見えているので止むを得ず合流するであろうが、早晩、超国家主義の流れに呑みこまれて跡形もなく消え去るだろう。残るのは、石原・橋下氏を中核とする極右集団だけだ。

しかし問題の所在は、石原・橋下新党が次の政局の支配的潮流になるかどうかということではない。彼らはあくまでも「起爆剤」であって、それ以上の存在ではないと思うからだ。問題は、民主・自民・公明など既成政党がそれによってどのような「誘導爆発」を起こすかということであり、その爆発のしかたが次の政界潮流の方向性を決めることになる。以下、幾つかのシナリオを考えてみたい。

第1シナリオは、反動化の勢いを強める安倍・石破自民党と石原・橋下新党が合流し、超保守主義政権政党が生まれることだ。だがこのシナリオは、早くもアメリカから米日同盟を揺るがしかねない兆候だとして危険信号が発せられている。安倍自民党総裁の登場をアメリカの有力紙がこぞって「右翼的潮流の台頭」と報じたのは、アメリカの核の傘から日本の自衛隊が離脱するような事態を恐れてのことだ。

このシナリオはまた、中国への経済進出を加速する日本財界にとっても「あり得ないこと」だとみなされている。少なくとも日中間の「政冷経熱」の現状を維持することが目下の財界の至上命題である以上、その戦略を真っ向から否定するような右翼ナショナリズムの台頭は「百害あって一利なし」だからである。すでに、財界は尖閣諸島問題を処理できない民主党政権に見切りをつけ、対中関係の修復に全力を挙げている。

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2012.10.23 「毒を以て毒を制する」、これが橋下投票行動の本質だった、「おおさか社会フォーラム2012」で議論になったこと(5)、(ハシズムの分析、その36)
~関西から(79)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


松谷氏は「橋下現象=橋下氏が幅広い有権者から支持を得ていること」と規定したうえで、橋下氏に対する中高年ミドルクラスへの支持の背景を「日本社会の成熟=脱政党化」と「橋下氏のマジョリティ思想=新自由主義・新保守主義への共感」の2点から説明した。「怒れる若者」など社会的弱者の投票行動分析を軸にした「左派・リベラル的批判」だけでは、橋下支持の社会的背景は説明できないというのである。

この背景説明が一定の説得力を持っていることは否定しない。ハシズムの全容を必ずしも理解できていない若者層の一揆的投票行動に比べて、ハシズムの新自由主義的イデオロギーに共感する中間層が数多く存在することは事実だからだ。しかし、これら中間層の橋下投票行動(橋下候補への投票)を促した原因が果たしてそれだけだったのかというと、「それだけではない」というのが私の問題提起である。

前回のブログでも指摘したように、中高年ミドルクラスの橋下投票行動の直接的契機になったのは、解同の同和利権漁りや市職員の不祥事をいっこうに是正できない(しようとしない)「大阪市役所一家=市役所ムラ」への激しい怒りだった。大阪府立高校ОBである私は、かねてより数多くの同窓生からこの種の不満や憤慨を嫌というほど聞かされてきた。彼らの多くは大阪経済の中核を担う中小企業の経営者であり、大阪の政治動向を左右する自営層だ。また、その大半が自民党支持者でもある。

解同批判の急先鋒が共産党(および支持者)であることは誰でも知っているが、「自営層=真面目な自民党支持者」がそれに次ぐ批判グループであることは案外知られていない。市役所との「コネ」(癒着)だけで同和系企業に仕事を取られて自分たちのところへは回ってこない、仕事を取ろうとすれば同和系企業とジョイントを組まなければ仕事をやらないと市役所から強要される、ジョイントを組めばろくに仕事もしないで法外な下請代金を請求される(ぼられる)、こんな愚痴(ぼやき)が飲み会では山ほど出てくるのである。

橋下氏が大阪市長選挙に立候補したとき、私の友人たちのほとんどは「毒(橋下)を以て毒(解同)を制す」だとして橋下候補を応援した。また、「比叡山(市役所ムラ)を焼き討ちするには信長(橋下)しかない」とも冗談めかして言っていた。松谷氏が分析した中高年ミドルクラスの橋下支持は、このようなローカルの“大阪事情”に裏打ちされていたのではないかと私は推察している。
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2012.10.17 「大阪市役所一家体制=市役所ムラ」に対する市民の反感が“橋下現象”の原点であり根源となっている、「おおさか社会フォーラム2012」で議論になったこと(4)、(ハシズムの分析、その35)
~関西から(78)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


 大阪府民・市民の「市役所ムラ」に対する反感はきわめて根深い。市当局・市議会・市労連・地域振興会(町内会)の4本柱からなる市役所一家体制が長年にわたって大阪市政を支配し、加えてかの有名な部落解放同盟(解同)がその関係を結ぶ強力な鎹(かすがい)の役割を果たしてきたからだ。そして、これを批判する者は容赦なく排除され抑圧の対象になってきた。

 大阪市議会では、長年にわたって共産党を除く強固な「オール与党体制」が成立していた。自民党と社会党が手を組み、これに公明党が加わって、市当局との密接な癒着関係が完成していたのである。社会党大阪府連は組織的にも資金的にも解同によって実質的に支えられてきた(社会党解党後は民主党がその役割を引き継いだ)。その象徴的存在が、部落解放同盟大阪府連書記長・委員長を歴任し、社会党国会議員(衆院議員6期)として党副委員長を務めた上田卓三(1938~2005年)である。

 上田は「解放教育」に批判的な教員には児童生徒の前で暴力を振るい、「同和利権」を追求した共産党議員団を一貫して敵視して議員団室に乱入し、「同和行政」に同調しない職員を徹底的に排撃した。一方、「部落解放大阪府企業連合会」や「大阪府中小企業連合会」を立ち上げ、大阪国税局から傘下企業の税金申告を事実上フリーパスする合意(いわゆる「マル同」)を取り付け、それを梃子に巨額の利権を中小企業から漁った。1988年のリクルート事件において、上田が政財界要人と同じくリクルートコスモス未公開株の譲渡先の一人であったことは、その権力の強大さを示すものとして有名である。

 ちなみに上田の秘書だった谷畑孝氏(元部落解放同盟大阪府連副会長)は社会党参院議員として初当選したが、社会党が落ち目になると離党して自民党衆院議員に鞍替えし、小泉内閣の厚生労働副大臣にまでなったが、今度は自民党を離党して「維新の会」に参加するという離れ業を繰り返している。しかし「組織(利権)代表」としての国会議員を必要とする解同は、自らの利権を守るために谷畑氏の党籍に関係なく選挙運動を支援することには変わらない。あくまでも国会議員としての地位を確保したい解同幹部、及びそれを梃子にして「同和行政・同和利権」を復活させたいという解同の組織的思惑が一致して、いまや党派に関係なく解同代表が選出される仕組みが出来上がっているのである。
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