2018.09.22 『ねっとわーく京都』コラム執筆のこと、身辺雑話(1)
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
            
8月上旬以来、1ケ月以上にわたって休筆していた。猛烈な暑さ続きでダウンしたのと、これまで関わってきた諸活動が夏休み中に急展開を見せ、その対応に忙殺されていたためだ。おまけに関西を襲った台風21号で我が家の屋根も思わぬ損傷を受け、応急措置に駆けまわっていたことも忙しさに輪をかけた。書斎に座って考える暇もなく、気が付いてみると前回からもう1カ月以上も経っていた―というのが偽らざる実態なのである。そんなことで気分転換も兼ねて、ここ数回は連載してきたテーマから少し離れて身辺雑話に話題を移すことにした。つまらないと感じられる方も多いと思うが、1高齢者が毎日どんな日々を過ごしているか、その一例として読んでいただければ幸いである。

私の諸活動は大別して、(1)執筆活動、(2)研究活動、(3)社会活動に3区分される。3つの活動は「三位一体」ともいうべき関係にあり互いに分かちがたいが、ここでは一応区分けしてその内容を記すことにしたい。まず、このところ執筆時間の大半を占めているのが、京都の月刊誌『ねっとわーく京都』(1990年12月創刊、2018年10月現在通巻357号、発行部数約2千部)に連載しているコラム執筆である。毎年8月号は大学特集で連載物は休止なので、年11回、原稿用紙20枚程度の長いコラムを毎月書いていることになる。コラムの連載は2011年2月号から始まっているので、最新号の2018年10月号で88回目になる。結構長く書いていることになるが、編集長が何にも言わないで自由に書かせてくれるところをみると、何とか首がつながっているのだろう。

 コラムのテーマは時事評論で多岐にわたるが、2017年4月からは「インバウンド(外国人旅行者)問題」に絞って連載している。国際文化観光都市・京都にとっては、大阪のように「インバウンド大歓迎」一色とはいかない。「オーバーツーリズム」(観光公害)の弊害が目に見えて激化しており、このままでは京都の魅力が失われてしまう恐れがあるからだ。京都市も当初は外国人訪問客の増加を大歓迎していたが、最近では「ヤミ民泊」の横行もあって少し態度を変えてきている。持続可能な観光都市であり続けるためには、インバウンドを適度の水準に抑えることが必要――との認識が漸く浸透してきたのである。

また京都市は、全国でも出生率が最も低い大都市である。とりわけ清水寺や祇園がある東山区では、全国市区町村の中で最下位の0.7台(人口再生水準の3分の1)まで低下している。インバウンドが増えるほど非正規雇用が増え、それが出生率を生存以下のレベルまで押し下げている―、というのが私の分析結果だ。京都市の出生率を回復させ、市人口を一定水準に維持できなければ京都が危ない、そのためには持続可能な観光業を確立しなければならない、これが私の問題意識である。以下は、コラムの見出しである。

≪2017年4月~12月≫
〇「インバウンド旋風が吹き荒れている」(4月号)
〇「呼び込み観光は東山区を荒廃させる」(5月号)
〇「民泊バブルは現代の黒船来襲なのだ」(6月号)
〇「全国最下位出生率から脱出が課題」(7月号)
〇「京都はスローな成熟都市なのです」(9月号)
〇「地方創生に期待できますか」(10月号)
〇「〝たられば〟では人口減少に歯止めがかからない」(11月号)
〇「死亡が出生を上回る都市に未来はあるか」(12月号)

≪2018年1月~現在≫
〇「希望から現実へ、出生率を上げるには」(1月号)
〇「少子化が〝国難〟なら、2兆円パッケージは少なすぎる」(年2月号)
〇「京都市の出生率、なぜ低い」(年3月号)
〇「門川市長も危機感、京都観光業の雇用実態」(4月号)
〇「民泊新法施行でヤミ民泊はどうなる」(5月号)
〇「民泊はもはや供給過剰、飽和状態なのだ」(6月号)
〇「〝オーバーツーリズム〟の危険が現実化している」(7月号)
〇「京都は〝インバウンド総量規制〟が必要だ」(年9月号)
〇「民泊新法ビフォーアフター」(10月号)

連載コラムは京都市関係者にも読まれており、市が観光政策を考えるうえで一定の影響を与えている(と思いたい)。目下、関西のインバウンド状況は大変動している。台風21号が関西空港を襲い、高潮で空港施設が沈没し、連絡橋がタンカーの衝突で大破された。大阪はもとより京都でも外国人旅行者が激減しており、おまけに北海道胆振東部地震が重なって、北海道の観光業がピンチに陥っている。

安倍首相は、2020年東京オリンピックまでに年間4000万人の外国人旅行者数を急増させると豪語し、進行中の自民党総裁選挙においても地方創生のカギは観光立国にあると繰り返し強調している。だが、災害列島日本において災害予防対策を十分に講じることなく、ただ特大の数字目標を掲げてインバウンド誘致に突っ走ることのリスクが、今回の台風や地震で余すところなく暴露された。この教訓をどのように生かすのか、日本各地の観光業はいま大きな試練にさらされている。
2018.04.13 国政と地方政治は別か
京都府知事選で自公与党にまたもや相乗りした旧民進系3党に批判集まる

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 2018年4月8日投開票の京都府知事選(投票率35・2%)は、旧民進系3党の無節操ぶりを象徴するような選挙結果となった。国政では自公与党に対して激しいバトルを繰り広げている旧民進系3党(希望、立民、民進)が、またもや(いつものように)与党候補に相乗りし、激しい府民の批判に曝されたのだ。選挙結果は、自民・公明・希望・立民・民進5党が推薦した西脇候補は40万票余り(56%)しか得票できなかったのに対して、共産が単独推薦した福山候補が32万票弱(44%)を獲得し、その差は8万5千票だった。

 この選挙結果を伝えた各紙は、読売・産経・日経が「西脇さん 歓喜の初V、『子育て支援進める』」(読売)、「西脇氏『府政を継承・発展』、府民の安心最優先に運営」(産経)、「京都知事に西脇氏、子育て日本一打ち出す」(日経)ともっぱら相乗り候補に焦点を当てたのに対して、その他の各紙は「京都知事選 苦戦の相乗り、政権批判票?共産系得票伸ばす」(朝日)、「西脇氏 新人対決制す、共産推薦・福山氏が善戦」(毎日)、「府知事選に西脇氏 低投票率直視を、政策論争の高まり必要」(京都)と批判の目を向けた。赤旗が「『8対2』の力関係変えた、得票率 過去40年で最高、京都知事選 福山氏 無党派5割・立民支持6割が投票」と大喜びしたのは言うまでもない。

 詳しい選挙分析はこれからだが、地元の京都新聞の「選挙コラム・アングル」(4月10日)が面白い。その中から幾つか注目すべきコメントを抜粋して紹介しよう。
 ―初当選した西脇隆俊さんを推した五つの政党が、京都府知事選をどう総括するか。「勝てればそれでよい」「40万票を切らなくて格好はついた」「京都市内では予想以上に相手に迫られた」。この程度の振り返りに終わり、深い省察がないとしたら事態は深刻だ。直視しなければいけないのは、35%という丁重な投票率だ。大きな要因が国政与野党の相乗りにあるのは否めない―
 ―「国と地方は別」という理屈を全否定しないが、今回の府知事選ではその過程が余りにも不透明過ぎた。昨年12月に山田啓二知事が不出馬を表明した後、4期16年の評価や新知事像を巡る議論は政党から強く発信されることなく、「枠組みありき」で西脇さんの擁立へと動いた。理由を聞けば、長く京都の政治に関わっている人ほど、「革新府政に戻してはいけない」と40年も前の政治情勢を根拠に説明する―
 ―それが実感だとしても、相乗りの動機は別のところから生まれてきているように感じた。衆院選で小選挙区が導入されて20年余り。大局的な視野で政治を語るよりも、目先の選挙勝利を優先する傾向が強まった。自らの都合で不意打ちの衆院解散・総選挙を繰り返し、勢力維持を図る安倍晋三首相の政治手法が、地方政治にも及んでいるのではないか―

 京都は長年の政争の地だ。それも大義や政策ではなく〝非共産〟という(訳のわからない)旗印の下で展開される「政争」なのである。この旗印の下であれば、「安倍政治を許さない!」と国会前でマイクを握っている希望の党議員の面々は勿論のこと、国政では「数合わせをしない」と大見得を切っている立憲民主党も難なく自公与党の下に馳せ参じるのである。

〝非共産〟カードが、京都では「スペードのエース」になるのはなぜか。それは京都府議会・京都市議会をはじめとして、府下一円の市町村議会が「(非共産)オール与党体制」でがっちりと固められているためだ。この仲間内では与党も野党もなく、「ボス」と「パシリ」がいるだけなのである。彼らの間では相乗りで担いだ首長の下で利益を分け合う仕組みが完成しており、ちょっとやそっとでは崩れない構造体を形づくっている。「うまい汁」を吸うためには「大義や政策は要らない」という政治慣行が確立し、それが「ポスト革新(蜷川)府政」の原理として40年間の長きにわたって延々と続いてきたのである。

だが、今回の京都知事選ではその一角が崩れたことが新しい特徴だろう。投票率は低いものの、京都市内では票差が接近し(西脇19万5千票、福山16万9千票)、なかでも希望の党・前原氏の選挙区(左京区)では、福山2万4千票が西脇2万1500票を上回ったことが特筆される。直前の2017年衆院選(小選挙区)では、前原氏(当時無所属、現在は希望の党)は左京区で3万3600票を獲得し、自民候補の1万8千票を加えると相乗り陣営には5万2千票近い基礎票があったことになる。これに対して共産票は1万7千票余りだから、3倍近い差があったにもかかわらず今回は形勢が逆転したのである。

このことの意味するものは決して小さくない。京都新聞の事前世論調査では「(相乗りについては)矛盾しており、理解できない」が46%に上り、「理解できる」42%を上回っていたが、それが左京区1区だけとはいえ現実の選挙結果となってあらわれたからだ。京都市内ではその他の行政区でも1千票台の差が北区、上京区、中京区、東山区、南区と目白押しに並んでおり、相乗り体制がそろそろ限界に達してきたことを予期させる。

次の2020年京都市長選が楽しみだ。相乗り現市長が出馬するかしないかは別として、その時の政治情勢次第では40年以上にもわたって続いてきた相乗り体制を崩せるかもしれないからだ。京都市長選では、これまでも市民活動家や弁護士出身の革新系候補が数百票の僅差にまで相乗り候補を追い詰めたことがある。福山氏はその伝統を引き継げる素晴らしい候補なので、京都にも新しい風が吹いてくるかもしれない。尤もその時は保守陣営が総決起して投票率を飛躍的に上げてくることが確実だから、良識ある保守票を獲得するための戦略、戦術を用意しておかなければならないが。

2015.10.29 危ない大学を自治体は引き受けてはならない
――八ヶ岳山麓から(162)――

阿部治平(もと高校教師)

私立大学の定員割れ
10月12日信濃毎日新聞(信毎)は、「県内の大学大競争時代、公立化模索や学部改組……、少子化 学生確保に懸命」という大きい見出しで長野県内の大学の危機状況を報じた。大学は公立私立に関係なく、限られた受験生をめぐって生き残りに懸命の努力をしているという。そのなかで非常に目立ち、しかも私の村にも直接関係してくるのは私立大学の公立化である。
去年に私立長野大学は公立移管の要望書を上田市に提出し、市側は若者の地元定着を期待して移行を検討した。だが市議会が財政負担を理由にして決定を先延しにした。諏訪東京理科大もこの夏所在地の茅野市に公立化を要請した。2006年から定員割れが続き、2015年度は300人定員のところ214人しか入学しなかった。
この二つの大学はいずれも長年入学定員を満たすことができず、授業料収入などが減少して経営困難に陥ったものである。

大学新設と年少人口減少の傾向
1990年前後の数年間、第二次ベビーブームによって進学者が増加し、全国的に激しい受験競争が生まれた。1991年文部省は既存の大学に対して施設・設備の拡大不要という条件で大幅な臨時的定員増を認め、さらに大学の新設について抑制策から規制緩和へ方針を転換した。また2004年度からは学部・学科の新設や改変も、申請・認可の手続きを要さない届出制に変えた。これによって大学の自由度が高まり、大学間の競争が激しくなった。

全国レベルで見ると、18歳人口は1992年がピークで、200万人余りだったが、22年後の2014年には40%強減少し118万人となった。2018 年度以後は6年間で105万人程度まで一気に減少する。いわゆる「2018年問題」である。長野県の年少人口(14歳以下)は280万前後で年々5000人ずつ減少する。高校卒業者数もすでに2万人をかなり割っている。この時期人口統計を見れば、いわゆる「2018年問題」が迫っていたのは明白であった。
長野大学は1966年に発足したものだが、東京理科大は長野県から55億円の支援を得て1990年に茅野市に短大を開き、2002年から4年制大学に変った。1990年代すでに短大の危機は広範なものになっていた。にもかかわらず4年制大学新増設が進んだのは、文部省や大学関係者に人口現象を見る目がなかったからである。私には、小学生の減少を知って、やがて来る高校の統廃合を仲間たちと話合った記憶がある。そして、いま新設の4年制大学に軒並み深刻な危機が現れたのである。

公立化への動き
学校法人東京理科大の本山和夫理事長は、10月1日諏訪地方6市町村の諏訪広域連合の諏訪市長(連合長)にも公立化への協議参加を求めた。なんでも、公立大学法人になると、文部科学省からの私学助成金に代わり、法人の設置自治体に地方交付税交付金が配分される。公立化された大学は私学助成金よりもよりも多額の運営費交付金が得られると説得したとのことだ(信毎2015・10・12)。
また、東京理科大の姉妹校山口東京理科大は、昨年山陽小野田市の公立への意向を表明したところ、今年は定員200人に対する志願者数が4.2倍に急増して3年ぶりに定員を満たしたそうだ(信毎2015.10.14)。これも自治体に対する説得のタネになったことだろう。
公立化すれば志願者が増えるという現象は、山口東京理科大だけではない。公設民営化でスタートした沖縄名護市の名桜大学は2005年に公立化した途端、志願者が激増し入学成績が向上、しかもその半数近くが県外からの入学者であった。
この現象が生まれた経過は以下の通り。
共通一次試験の導入以来、全国の国公立大学は徹底的に偏差値序列の中に位置づけられ、受験生は共通一次(センター)試験の点数から合格可能性の高い大学を全国に求めて移動するようになった。医学部などは当然としても、地域性の高い教員養成学部でも、偏差値の輪切りによって全国から受験者が応募する傾向が顕著である。国立信州大学教育学部すら県外からの入学者が40%を越えている。
さらに日本経済の20年に及ぶ低迷から、受験生の多くに学費の安い国公立志向が強まったうえに、大都市圏を除けば、いまでも高校教員や保護者のなかには国公立優先傾向がある。そこで高校や予備校では、合格可能な国公立大学・学部への進学を徹底的に指導する。その結果、地方国公立大学は地元出身者の比率が減り「全国区」化したのである。
公立に移行した元私立大学が定員を充足できるのは、この「幸福な」地方国公立の仲間に入ったからである。だが柳の下に泥鰌がいつまでもいるとは限らない。かりに公立化で競争に勝利しても、破局を一時先延ばしにしたものにすぎない。数年、どんなに遅くても10年後には、年少人口の減少からくる入学定員不足と経営危機がやってくる。

あぶない大学運営を引受けるとすれば
その後茅野市と諏訪市の市長は諏訪東京理科大の県立大学化を阿部長野県知事に要請した。知事はこの話をあっさり断ったという。断らなかったらどうかしている。いま長野県は2018年に県立短大を4年制にするという、見通しの暗い事業に手を付けている。かりに新設県立大学の入学定員が満たされるとしても、その設備施設費が97億円、年間運営費は15億から18億円である(これがむちゃな計画であることは以前述べた)。
県知事にソデにされた諏訪広域連合は事務組合の設立を模索しているというから、理科大を引受ける気らしい。茅野市長の柳平氏は「市町村には大学運営のノウハウがない」からと県の支援を期待しているという。だが県当局にも、短大はともかく4年制大学運営の経験はない。
現在の大学運営には、学生募集、教育研究体制の整備と調節、進路指導、財政運営などを含めて専門性が強く求められる。必ず専門的知識と手腕のある集団が当らなければならない。この人材確保はなまやさしいことではない。
むろん財政上の問題がある。新設県立大学すら年間経費15億から18億円が見込まれている。理系はもっとカネがかかる。諏訪地方6市町村が諏訪東京理科大を引受けたとき、多額の費用をまかない続けることができるだろうか。
さらに深刻なのは学生の低学力問題である。定員を充足すればそれで万々歳ということはない。いま大学ということばからは想像できないような、学習意欲の低い質の悪い学生がかなりの大学にいる。定員確保のために推薦入学枠を拡大したり、やむを得ず希望者全入などをやるからだ。そうすると大学で学力補充授業をやらざるを得ない。ところがそれを担当するのは大学の教員ではなく、たいてい臨時の講師か事務職員である。
県立大学を新設する長野県当局、諏訪東京理科大を引受けようという諏訪広域連合の6自治体、長野大学を引受けるかもしれない上田市などは、大学を運営しようとすれば、こうした課題を解決しなければならないが、その準備があるだろうか。

地方自治体の仕事
だいたい、若年人口の急速な減少が推測できたにもかかわらず、安易な経営拡大をしたあげく、「定員割れだから自治体が引受けてくれ」というのは筋の通らない、あつかましい要求である。どこの世間に「赤字続きだから私の会社を救ってくれ」と、県や市町村に泣きつく経営者がいるだろうか。数年連続で入学定員を充足できない大学は、傷が大きくならないうちに廃校にすべきである。すでに長野経済短大は09年に廃校とした。
地方自治体が、若年人口の流出をいささかでも減らすためとか、あるいは地方文化の水準を維持するためとか、技術者確保のためとかという理由で、破局必至の私大を引受けようとするなら、それは問題解決の方向が間違っている。ましてや、公立大学にすることによって自治体幹部の天下り先が増えるという思惑があるとすれば、これは論外である。
長野県高校生の県外進学志向が強固なのは、伝統であって今に始まったことではない。長野県の大学進学率は48%前後だが、大学進学者の8割が伝統的に東京圏と愛知・京都そのほかの隣県に進学する。東京の大学への進学は2400人で、県内の大学にとどまるのは1500人程度にすぎない。この傾向を地元に公立大学をおくことで変えようとするのは、ひしゃくで諏訪湖の水を汲出そうとするのと同じである。
むしろ若者たちが県外に出て世間を広く見、知識を蓄積することはよいことである。高等教育をうけたのち、彼らのかなりの部分が喜んで帰郷するようなら何の問題も起きない。そのためには、彼らを受入れる魅力ある場所と仕事があることが必須の条件となる。地方自治体が努力すべき仕事は、私学の公立化ではなく、この条件作りである。

2015.06.09   村は変わったのか?――2015年村議選をめぐって
       ――八ヶ岳山麓から(147)――

阿部治平(もと高校教師)

最近、村は変ったかもしれないと思うことがあった。今年の村議選である。
わが村の村議選は過去2回は無投票だった。前回は定員11人のところ、11人目の立候補届をした人が12人目を説得して立候補をやめさせ、無投票に持ち込んだという。冗談好きのわが村の笑話かホントかわからない。
前回、前々回の立候補者が定員止まりになったのは、ふた昔くらい前までは名誉職の気分は少しはあったのだが、だんだん村議の魅力がなくなり、地位が低下したからだと思う。だいいち歳費は200万ちょっとだから、村人は兼業収入をあきらめてまで出る気にはなれない。口の悪いのは「村議なんか、議案に賛成していればつとまる」とか「農家のこづかい稼ぎだ」などという。「村議会で世の中変ったためしがない」といささか無理をいう人もいる。

わが村には「みちうえ」「みちした」といういいかたがある。30年このかた、八ヶ岳西麓を横切る自動車道路よりも標高の高い方に大都会からの移住者やペンション、別荘が多くなった。ここに定住した新村民を「みちうえ」の人という。非農家で、年金生活者がかなりの割合を占める。
「みちうえ」の有権者が占める割合は、すでに15%を越えている。21世紀になるあたりから村議も「みちうえ」から2人出るようになった。だいたい村当局が呼びかける文化的行事・ボランティア活動などへの参加も、もちろん「憲法九条を守る会」への参加も「みちうえ」が断然多い。
「みちした」の方は旧8部落(集落)が中心だ。大半の農家は米作と野菜・花卉の栽培だが、農業より兼業収入の方が多いくらいだ。ものの考えかたは私同様農民そのものである。「みちした」があまり社会活動に参加しないのは、「土日百姓」と町での仕事で余裕がなく、疲れているからだと思う。

私の小学校以来の親友に「共産党のモト」とよばれて、長年村議をやり村政に大きな影響力があった男がいる。これが「今回は頼むぞ」といった。知らん顔をすれば義理がすたる。
今回は、立候補者は全部で13人、自民・民主・社民はもとよりなく、共産党が唯一の党派で、他は無所属である。今回まで共産党は「みちうえ」「みちした」それそれ1人ずつ、2議席をもっていた。とはいえ無投票当選だからあまり自慢にはならない。
ところが今回「みちした」の共産党村議ハルさは2期やったからと立候補を辞退した。部落の中には、やはり「部落の代表だから順番で」という暗黙の了解がある。「みちした」の候補者は、たとえ共産党であっても出身部落の票をあてにすることができる。ハルさが立候補しないとみるや、彼の部落からさっそく1人が名乗りを上げ、出陣式は畏れ多くも「おぶすなさま(産土神社)」の前でやった。
共産党は「みちした」にハルさの後継者がいなかったらしく、2人とも「みちうえ」の女性を立てた。うち1人は現職、もう一人は大都会から村に移住して2年とちょっとだという。

共産党はどうしてこうも在来の部落に増えないか。
モトはこれを嘆いて「共産党はえれー間違ったことをいったりやったりしたつもりはねーがなぁ」といったことがある。
その場にいた大先輩が「党名を変え、民主集中制をやめたらどうだ」といった。たしかに日本共産党はソ連や中国とは違うといっても、「共産党」という3文字には暗いイメージがつきまとう。また共産党の人は、政治については誰もが同じことをいうから、ものを考える力がないようにも感じる。
私はモトとは違い、共産党は間違ったこともやったと思う。国政レベルはさておき、昔のことをいえば中央自動車道の建設は「富農」を富ませるだけだからと反対し、わが村の耕地の構造改善事業(圃場整備)も同じ理由で反対したことがあった。いま老人でも農作業ができるのは、圃場整備のおかげで機械が耕地に入れるからだ。

選挙公示の2週間くらい前、「みちうえ」の共産党の人たちが私のところへ来て、村の話をしてほしいといった。これはよい心がけである。だいたい「みちうえ」の人は農業について偏見がある。
たとえば、「みちした」の野菜は農薬が多いから怖いという。農薬使用が規制されているという事実を知らないからだ。実際には、出荷時に検査が行われ残留農薬が検出されればただちに出荷停止となる。農家にとっては死活問題である。
私は、農家の問題なら、私のようなUターン組よりモトのほうが数倍よいといった。ところがモトは10数年来の病気が悪化してだめだという。ならば、知っていることは話すが、深入りすると共産党へしつこく誘われる恐れがある(この心配は現実になった)。

私は鳥なき里のこうもりよろしく、村の「公報」を引っ張り出して、村財政や自民党の農協改革やコメの値段や野菜の生産などについて話した。
いま一番の難題は、農業労働力が70歳前後で、耕地3ヘクタール程度までの「自作農」の問題だ。すでに後継者がいないという理由で米作をやめた家もある。TPPが否応なしに通るとすれば、野菜や花卉も当てにならず、「自作農」は自然死する。その後の空家の増加、農地荒廃は避けられない。いや村の美しい景観だって悪くなる。私は「みちうえ」の共産党の人たちに、政権党になろうと本気で考えているならば、TPP反対というだけでなく、いま10年先の村の農業のあるべき姿を示すべきだといった。
私は「とりあえずは農電兼業はどうかね?」と提案してみた。村が補助金を増額して、すべての農家の屋根に太陽光発電装置をのせ、中部電力に電気を売り、老人農家の収入を僅かながらでも確保するのだ。これは突飛に過ぎたらしく、聞き手の反応がなかった。
二つ目は老人医療費給付制度である。1980年代の前半に国はこの制度を廃止したが、わが村はあえて継続してきた。モトなど共産党が頑張ったおかげでもある。
だが2014年には、老人と18歳未満への医療費給付金の合計額は1億4000万円、老人だけだと9700万円に達した。1989年を基準にすると25年間に村一般会計の歳出額は1.27倍だけだが、老人への給付は8.08倍になった。。
新村民には定年退職者が多い。村には私のようなUターン組もある。老齢人口比はこの社会増によっても増加し、いまや村人口の30%をこえ、2024年には42%になる見込みだ。
今回村議選を控えた共産党のビラには「老人医療給付は断固継続する。その負担は村の一般歳出の2、3%にすぎない」と書いてあった。よい制度だが運用には頭が必要だ。

私はさらにこうもいった。
いまのままだと共産党は2人そろって落選の恐れがある。
選挙宣伝をやる時は、国政レベルのスローガンは強調しないほうがいい。共産党の「食と農を守る」とか「老人と子供を守る」なんていうのは寝言と同じ、「守らない」なんていう政党はどこにもないのだから。それより農協の店舗を統合するのには反対だといったほうがいい。
村政を批判するにもケンカ腰になってはいけない。村長さまはとくに嫌われ者ではない、等々。
だが、選挙が公示されると共産党の宣伝カーは「安倍政権の戦争政策に反対します」「農業を守る日本共産党」と高らかに叫んでいた。ビラには「村政にちゃんとものがいえる政党」をうたっていた。やはり村長とは対決するらしい。老人医療費給付制度は「断固継続」だ。「再生可能なエネルギーを」とはいいつつも「農電兼業」は問題外のようだった。

選挙の結果は、投票率63%、82歳の元職も含む無所属9人、共産党2人が当選。予想外の善戦である。共産党は新村民3年目の候補者が真ん中くらいの得票、前職が最下位当選だった。村へ来て3年目の候補者にも「みちした」の票がかなり入ったのだ。
村人のものの見方考え方は、私の想像以上に変わったのかもしれない。そうだとすれば部落の推薦が決定的な力をもった時代も終わりに近い。
ただ今回の選挙では、村の共産党は米作も野菜栽培も水利権も知らない人たちが主力になった。そのため村にふさわしい具体的な政策は提案できなかった。これから共産党は国政レベルの主張を強調し、論争は上手だが農家の利益にはあまり関心がないという純「みちうえ」政党になるかもしれない。そういう危うさを予感させる選挙でもあった。
親友モトは選挙が終わると、声ばかり元気に「や、ありがと」と電話でいってきたが、彼が活動する時代も終わったのである。
2012.12.03 「日本(2本)維新の会」がフェードアウト(消滅)し、安倍・石原極右連合政権が成立する危険性が出てきた、(ハシズムの分析、その41)
~関西から(84)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

橋下新党(日本維新の会)と石原新党(太陽の党)が野合したとき、私は「この政治選択が大きな誤りだったことを証明する日は遠からずやってくる」と書いた。ファシストの本性を隠しながら「ポピュリスト」の仮面をかぶって浮動票を掻き集めてきた橋下氏と、「極右」を表看板にして右傾化を煽ってきた石原氏とのイメージ格差があまりにも大きく、この野合は遠からず(近いうちに)破綻するに違いないと思ったからだ。

また石原氏が橋下新党と野合した直接的理由として、「自らが日本維新の会の党首となることと引き換えに維新の会の政策を丸呑みすると言う政治選択をした」とも書いた。石原氏は橋下新党の“党首”になることで自らの存在を際立たせ、橋下新党の人気と勢いを利用して国政への返り咲きを狙ったとの観測である。

橋下氏の方もまた東京都知事としての石原氏の人気を利用して、手薄な関東地方の集票をカバーしようと考えていた。つまり橋下新党の「広告塔」としての石原氏の位置づけである。こうして両者の思惑と利害が一致し、政策などと言った「小異」にこだわることなく、大衆的人気という「大同」に依拠して議席を掠め取ろうと言う作戦が成立した。

しかし橋下氏にとって大きな誤算だったのは、石原氏を橋下新党(日本維新の会)の“党首”に据えたことだ。「広告塔」として利用するには石原氏を党首にした方が効果的であり、自分は「党首代行」として実質的な党運営を握ればよいとでも思ったのだろう。だが石原氏は、民主党崩れの国会議員などとは格が違った。「広告塔」に甘んじることなどもともと論外であり、当初から“司令塔”になるつもりで橋下新党に合流したのである。

石原氏が橋下新党の“司令塔”になろうとしたのは、彼の肉体的政治寿命の短さとも関係している。石原氏の宿願である「自主憲法制定」「集団的自衛権行使」「核武装」などいった極右政策への道筋をつけるためには、彼に残された時間はあまりにも短かすぎる。石原氏がそれらの課題に糸口をつけようとすれば、どうしても「暴走老人」にならざるを得ないのである。

それからもうひとつ石原氏が党首にこだわった理由は、安倍自民党が石原氏の右傾化路線に急接近していることがある。両者の政策にはもはや「核武装」を除いてはほとんど差が無く、まさに「大同小異」の関係にあるからだ。石原氏は国政進出に際してまず橋下氏と手を組み(利用し)、総選挙後は安倍自民党との連携によって“安倍・石原極右連合政権”をつくろうと本気で考えているのではないか。

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2012.11.23 野田首相はなぜ突如衆院解散に打って出たのか、それは「民主党をぶっ壊す」ためだ、(ハシズムの分析、その40)
   ~関西から(83)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


さる11月14日の党首討論で野田首相が衆院解散を突如表明した意図や背景をめぐっては、様々な観測や見方が乱れ飛んでいる。その代表的なものは、自公両党からの「ウソつき」攻撃と民主党内の「野田降ろし」の挟撃に会って、進退きわまった野田首相が解散に打って出たという「追い込まれ解散」「破れかぶれ解散」との見方だ。

当然だろう。そこには国民の期待を悉く裏切った民主党政権が政権交代から僅か3年有余で分裂し、離党者が続出してもはや政権を担えず混迷状態に陥ったという厳しい現実があるからだ。また野田内閣の支持率が「危険水域」の20%を割り、不支持率も60%を超えたという世論状況も後押ししている。国民の審判はもはや明らかなのだ。

もうひとつの有力な見方は、橋下新党(日本維新の会)や石原新党の態勢が整う前に解散に打って出て、民主党への打撃を出来るだけ少なくしようとする「奇襲解散」「不意打ち解散」との選挙戦術上からの見方だ。これもその後の経過を見れば、ある程度当たっているといえる。実際、橋下氏も石原氏も不意をつかれて大慌てした挙句、駆け引きと離合集散を繰り返してやっと合流(野合)に漕ぎつけた。

これらの2つの見解はいずれもその通りだと思うが、しかし私には野田首相が「それだけの理由」で解散に踏み切ったとは到底思えない。党首討論時の野田首相の表情は、余裕の度合いが違うとはいえ、“郵政選挙”に踏み切った小泉首相の表情に案外通じるものがあった。小泉首相が郵政選挙を仕掛けて「(古い)自民党をぶっ壊す」賭けに出たのは、新自由主義的構造改革を断行するうえで「自民党的なるもの」をどうしても壊す必要があったからだ。

これとまったく同じことが野田首相についても言える。米日資本(財界)が要求する「税と社会保障の一体改革」や「TPP参加」を実現するためには、民主党内の消費税増税やTPP参加に反対する「内なる勢力」すなわち「民主的なるもの」を一掃しなければならない。そのためには“税と社会保障の一体改革・TPP参加選挙”を仕掛けて「(政権交代当時の)民主党をぶっ壊す」ことが必要になったのである。
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2012.11.19 石原・橋下“大野合連合”は必ず破綻する(ハシズムの分析、その39)
~関西から(82)~

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
 

11月14日の党首討論において野田首相が衆院解散に突如言及した瞬間から、政局は一転して暴風状態に入った。それも11月16日解散というのだからいきなり「待ったなし」の状況になったのである。野田首相の解散声明は、窮余の策の一撃だったのか、予定通りの演出だったのかは知らないが、橋下新党(日本維新の会)や発足したばかりの石原新党(太陽の党)はさぞかし泡を食ったことだろう。

もともと橋下新党(日本維新の会)は、知名度の高い石原氏(だけ)を広告塔に利用して2大政党間に割って入り、「第3極」を形成して政界進出を図るという構図を描いていた。そこには「決められない政治」を“右”から打開する「第3極」としての旗印を掲げ、マスメディアに露出しながら派手な挙戦を展開するという橋下氏一流の戦術が込められていた。

だがこの「第3極」イメージは、既成政党崩れの国会議員たちが維新の会に合流するに及んで少なからず傷ついた。合流した国会議員がいずれも清新さと迫力に欠け、とうてい「第3極」を演出するに足る人材ではなかったからだ。さる9月9日の公開討論会における国会議員と維新の会のやりとりは、さすがのマスメディアの目にも「いかさま」以外に映りようがなかった。東京から取材に来た記者たちは、誰もが吐き捨てるような失望(墳慨)の言葉を残して本社に帰って行った。これが躓き(つまづき)の第1幕だった。

第2幕は、11月13日の石原新党の旗揚げで開けた。だがこの幕開けは悲惨そのものだった。石原新党「太陽の党」の記者会見に参加したメンバーは「たち上がれ日本」の議員5人と石原氏だけで、応援部隊や取り巻き連中は誰もいなかった。「立ち上がれ日本」はかねがね「立ち枯れ日本」などと揶揄されてきたが、枯木に枯木が加わっても所詮は“枯木集団”に過ぎない。石原新党は出鼻から清新な「第3極」イメージを打ち出すことができず、事実上打ち上げに失敗したのである。
 
それを象徴するのが石原氏の支離滅裂な記者会見だろう。「私は暴走老人ですから、年齢的には限界があります。やっぱり次のランナーにちゃんとバトンタッチをしてくためのワンステップでしかありません。だから、必ず衆院選の前に大同団結します。太陽の党が(他党に)吸収されて消えてもかまわない。しかし、新しい関ヶ原の戦いには必ず勝ちます」など、まるで破れかぶれの言い草だ。
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2012.11.15 原発ゼロは福島の人びとの真情
 世界平和アピール七人委員会が南相馬市で講演会

伊藤力司 (ジャーナリスト)
     

世界に向かって「核兵器廃絶」「原発ゼロ」を訴えている「世界平和アピール七人委員会」は11月10日、東電福島第一原発事故の被災地福島県南相馬市で「福島の人びとと共に」と題する講演会を開いた。今年の文化功労者に選ばれたばかりの辻井喬委員(詩人・作家)の「中央集権の時代は終わった」とのスピーチを始め、被災した人々を撮り続けている。大石芳野委員が撮影したモノクロ映像の数々、原発と核兵器の時代は終わったことを検証した核物理学者小沼通二博士(委員兼事務局長)の報告、さらに世界中の人々がインターネットの「フェイスブック」を通じ「福島のお母さんたち」と連帯していることを紹介した武者小路公秀委員の発言に拍手が湧いた。

しかしこの講演会が感動的だったのは、大事故を起こした東京電力福島第一原発の放射能被災地に住んでいる人たちの声が聞かれたことだった。福島第一原発から20㌔圏内、つまり日本政府が「放射能被害があるかもしれないので退避せよと指定している区域で生きている人々の「生の声」であった。

とりわけ衝撃的だったのは、福島原発から12キロ地点の牧場で1年8カ月経った今も、400頭近い牛に餌と水をやるために、外から毎日通っているという吉沢克己さん(59)の演説だった。吉沢さんの父親は満州開拓義勇団に応募し、日本の敗戦後ソ連に抑留されて強制労働に服して3年後ようやく帰国、生きるために千葉県で農地を開拓し、農業経営者として成功したという人だった。吉沢さんは父の遺産(千葉の農地)を売った資金で父の故郷に近い福島県南相馬郡浪江町に牧場用地を買い、300頭の牛を飼う酪農家となった。

そこへ2011年3月11日、東日本大地震・大津波・東電原発事故が起きた。3月12日福島原発1号炉の建屋は水素爆発を起こし、放射性物質は空中に飛び散った。放射性物質は福島県の各地方やそれ以遠に飛び散ったが、日本政府は「直ちに住民の健康に被害を及ぼすレベルではない」との“安心メッセージ”を流した。しかしこの安心メッセージはその後の検証で、文部科学省と経済産業省が現地住民に「パニックを起こさせない」ために流したインチキ広報資料だったことが判明した。

「直ちに健康に被害を及ぼさない」はずの放射能が、本当は人体にかなり危険なレベルであることを承知していたはずの政府は、間もなく30キロ以内を避難区域に指定。避難区域への立ち入りを禁止した。それでも毎日牛に餌をやりに来る吉沢さんは非合法な人物とされ、彼が育てた牛は日本政府の方針に従えば「殺処分」される運命にあった。しかし吉沢さんは殺処分に従わなかった。

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2012.11.05 “原発ゼロ・護憲連合”で東京都知事選挙、衆参両院選挙に勝利しよう、(ハシズムの分析、その38)
~関西から(81)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


前回、極右第3極に対抗し得る護憲第3極の構築を呼びかけたが、今回はその具体的イメージについて語りたいと思う。

まず護憲第3極構築を提起するのは、単なる社会運動・政治運動の提起でもなければ、恒常的な政治組織の結成を考えているわけでもない。目的はあくまでも目前に迫った東京都知事選挙および衆参両院選挙に勝利することであり、そのことによって「極右第3極=石原・橋下新党」の出現を抑止し、反ファッシズム世論の喚起と民主勢力結集のきっかけをつくることにある。

したがって護憲第3極の柱(政策綱領)は、目下の国民的政治関心の的であり、それらの要求実現の要(かなめ)になる「原発ゼロ」・「護憲」の2点に限定する。これは首相官邸前デモに見られるような国民・市民の圧倒的な原発反対エネルギーを活かし、同時に「9条の会」が粘り強く掘り起こしてきた草の根平和運動を継承することによって、極右勢力に対抗する民主勢力を幅広く結集するためである。

護憲第3極すなわち「原発ゼロ・護憲連合」(仮称)は、その政策綱領に賛同し、東京都知事選挙および衆参両院選挙に勝利することを願う全ての国民・市民、政党、団体等によって構成される「目的限定」(選挙勝利)・「時間限定」(2013年8月まで)の政治組織だと考えたい。また当面は都知事選勝利のための「暫定組織」としてスタートし、その後に衆参両院選挙対策のための「時限組織」に切り換えてもよい。重要なのは、現下の危機的政治状況の認識を共有し、それを打開するための政治行動の切っ掛けをつくることなのである。

急がれるのは、差し迫った東京都知事選挙(2012年11月29日告示、12月16投開票)への対策だろう。「原発ゼロ・護憲連合」(仮称)は必ずや統一候補を擁立し、石原都政に終止符を打たなければならない。すでにそのための準備が関係者の間で始まっていると聞くが、過去のいかなる都知事選にも増して今回の選挙が重要なのは、半世紀前の1967年都知事選(美濃部当選)がその後の時代を切り開く歴史的転換点になったことを思い浮かべるだけでよい。
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2012.11.01 極右第3極”に対抗しうる“護憲第3極”の構築が必要だ、(ハシズムの分析、その37)
~関西から(80)~ 

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)


石原慎太郎氏の突如の都知事辞任が波紋を広げている。当初は首相になれなかった私怨行動の類かと思っていたが、日本維新の会とみんなの党(まで)が「小異」を捨てて「大同」につくとなると、ことは穏やかでなくなる。これは間違いなく“極右第3極”の誕生だ。石原氏がいみじくも言ったように、彼らにとっては原発も消費税も「些細な話」なのであって、大事なのは“超保守主義的国家体制”の構築だけなのである。石原氏はそのための起爆剤として“極右第3極”の結集を掲げ、政局再編に乗り出したというわけだ。

この事態は、橋下新党が国政進出しようとしているフェーズ(局面)を一段バージョンアップしたもので、もし石原・橋下新党が結成されれば本格的な極右第3極の出現として警戒しなければならない。みんなの党は、石原氏と橋下氏が手を組めば埋没することが目に見えているので止むを得ず合流するであろうが、早晩、超国家主義の流れに呑みこまれて跡形もなく消え去るだろう。残るのは、石原・橋下氏を中核とする極右集団だけだ。

しかし問題の所在は、石原・橋下新党が次の政局の支配的潮流になるかどうかということではない。彼らはあくまでも「起爆剤」であって、それ以上の存在ではないと思うからだ。問題は、民主・自民・公明など既成政党がそれによってどのような「誘導爆発」を起こすかということであり、その爆発のしかたが次の政界潮流の方向性を決めることになる。以下、幾つかのシナリオを考えてみたい。

第1シナリオは、反動化の勢いを強める安倍・石破自民党と石原・橋下新党が合流し、超保守主義政権政党が生まれることだ。だがこのシナリオは、早くもアメリカから米日同盟を揺るがしかねない兆候だとして危険信号が発せられている。安倍自民党総裁の登場をアメリカの有力紙がこぞって「右翼的潮流の台頭」と報じたのは、アメリカの核の傘から日本の自衛隊が離脱するような事態を恐れてのことだ。

このシナリオはまた、中国への経済進出を加速する日本財界にとっても「あり得ないこと」だとみなされている。少なくとも日中間の「政冷経熱」の現状を維持することが目下の財界の至上命題である以上、その戦略を真っ向から否定するような右翼ナショナリズムの台頭は「百害あって一利なし」だからである。すでに、財界は尖閣諸島問題を処理できない民主党政権に見切りをつけ、対中関係の修復に全力を挙げている。

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