2023.03.29
「善意」に満ちた共産党批判
――八ヶ岳山麓から(420)――
阿部治平 (もと高校教師)
大塚茂樹著『「日本左翼史」に挑む――私の日本共産党論』(かもがわ出版)を読んだ。
まず本書にあるエピソードを紹介しましょう。かつての共産党指導者宮本顕治氏の業績を論じたなかでの話である。
1951年評論家で翻訳家の高杉一郎氏は、自分の体験に基づいて『極光のかげに;シベリヤ俘虜記』を執筆出版した。これを見た宮本氏は、「あの本は偉大な政治家スターリンを汚すものだ」「こんどだけはみのがしてやるが」と高杉氏を面罵したという。その場には百合子夫人もいたそうである。
宮本氏は百合子夫人急逝後、高杉夫人の妹で百合子氏の秘書であった大森寿恵子氏と再婚する。その長男が北欧社会福祉の研究者宮本太郎氏である。
上記エピソードのように本書では、論じる主題ごとに著者の体験と記憶、関連する文献と人物評価がどっと出てきてとまどう。著者の博識、人脈の豊富なことは並みの人ではないと感じる。さらにその内容は、マルクス主義の現状から学生運動、労働運動、平和運動、革命論争まで範囲に及ぶ。
本書は佐藤優・池上彰『日本左翼史』3部作に挑戦したものだが、私はそれを読んだことがない。というわけで、ここでは、共産党の指導者論について感じたことだけを書いておくことにした。
大塚氏の宮本氏への評価は高い。
武装闘争方針による共産党の分裂を克服し、「1961年綱領」によってその後の共産党の歩みを確立したからである。大塚氏は、宮本氏の主導した「61年綱領」の「(日本は)高度に発達した資本主義でありながらアメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国となっている」との規定こそ核心部分であろうという。その通りである。
1960年代は、宮本路線の批判者である構造改革派も新左翼各派も「日本は自立した帝国主義国家だ」としていたが、現在に至るも日本の対米従属状態には変りがない。
ところが1991年末ソ連崩壊がおきると、宮本氏はこの事態に、「巨悪の崩壊をもろ手を挙げて歓迎する」との声明を発表した。上記エピソードによっておわかりのように、宮本氏もかつてはスターリンを崇拝しソ連をたたえていた。だからこの声明にはわたしもたまげたが、共産党シンパだった村の友人は「スターリン崇拝は間違っていましたくらい言え」と怒った。
まだある。わたしの記憶では、宮本氏はルーマニアの独裁者チャウセスクを支持していたが、かれが民衆反乱で殺された後も、宮本氏の自己批判はなかった。共産党の指導者に反省の弁がないという例は、委員長が不破哲三氏、志位和夫氏に代わってからも続いている。
大塚氏は、不破氏を批判しつつも党の理論的指導者として評価している。
不破氏は宮本路線を手直しした2004年綱領の作成を主導した人である。そこでは「民族民主統一戦線政府」は消え、「統一戦線の政府・民主連合政府」が強調され、国会で安定した多数を得て社会主義政府をつくるとなった。社会主義と共産主義の区別は無くなり、社会主義の定義も「生産手段の社会化」に言及しただけで、「計画経済」も「プロレタリア独裁」もなくなった。これをめぐって不破氏は大量の著作を発表した。
ソ連については、すでにスターリンの酷政がレーニンの路線から生まれたことが明らかになっていたにもかかわらず、不破氏はレーニンの死後、ソ連は社会主義から逸脱したゆえに崩壊に至ったとした。大塚氏は、(レーニンからの逸脱である)大国主義・覇権主義批判という視点だけではソ連崩壊の原因を求めるのは不十分だという。氏は、20世紀社会主義の破産は党の「民主集中制」によって専制と抑圧を社会に強いていた事実、それも崩壊の一因だと指摘している。
これとは別に、2004年綱領では中国・ベトナム・キューバについて「社会主義を目指す新しい探求を行っている国々」と規定した。ところが16年後の28回大会では、この規定は中国が大国主義・覇権主義になったからという理由で削除された。
中国共産党は20世紀末から「大国崛起」をスローガンに、軍事・経済大国を目指すという路線を変えることなく今日まできたのだから、先の規定ははなから間違いであった。規定を変えるにあたっては、不破氏は2004年綱領の作成時の中心だったのだから当然自己批判をすべきだった。ところが、志位和夫氏は党大会で、たいした根拠もなく「当時は、これが正しかった」と不破氏をかばう発言をした。
このときわたしは共産党の理論上の退廃があらわになったと感じた。
志位和夫氏について、大塚氏は「宮本氏の壮絶な体験や不破氏の超人的な著作活動という強烈な個性とは持ち味が異なっている」と同情的だ。だが、「党委員長として、22年という在任期間が長すぎるのは事実だ」といい、「志位氏が存分に力を発揮したのは何年間あるのか」と問うている。
さらに氏は、共産党の組織原則の「民主集中制」について、「党指導部が主人公の組織から、党員自身が主人公になれる組織へと脱皮していく民主主義を組織原則としていくことは急務であると判断する」と、党の組織原則から中央集権制を破棄するよう忠告している。
本の帯にある中北浩爾氏の推薦文に大いに惹かれて本書を読んだ。そこには「左翼に再生の道筋はあるのか。その絶望の淵で、元岩波書店の敏腕編集者が豊富な知識と自らの体験に基づいて思索する。読み進めると徐々に引き込まれていく。『小説 岩波書店取材日記』で話題を呼んだ著者による体験的左翼論」とあった。
これを見て飛びついたものの、各ページに展開された豊富な知識と議論の複雑さに頭が混乱した。「参った」というのが老人のため息である。
(2023・03・23)
2023.03.17
減り続ける原因を分析しないで、拡大ばかりを唱える共産党の「130%の党づくり」は完全に破綻している
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
共産党機関紙「赤旗」は連日、2024年1月の第29回党大会に備えて「130%の党づくり」を訴えている。「特別期間」を設けて拡大目標を設定し、その達成率を毎月報告させて党員や支持者を叱咤激励するやり方だ。今年1月に採択された「『130%の党』をつくるための全党の支部・グループへの手紙」では、次のような具体的目標が示されていた(赤旗2023年1月6日)。
――「130%の党」とは、全党的に36万人の党員、130万人の「しんぶん赤旗」読者をめざす大事業です。この仕事をすべての支部・グループで担うならば、来年1月の党大会までに平均して1支部当たり現勢で2カ月に1人の党員、1人の日刊紙読者、3人の日曜版読者を増やせば実現できます。
だが、「全党でおよそ10万人」という拡大目標はとてつもなく大きい。1年に直すと1支部・グループ当たり党員6人、日刊紙6部、日曜版10数部を増やさなければならない。支部・グループは全国で1万8千あるというが、この目標を達成するのは並大抵のことではないだろう(というよりは、不可能に近いのではないか)。赤旗の「統一地方選勝利、『130%の党』づくり」の紙面は、「『返事』の準備が支部変えた」などの見出しで事態が好転しているかのように作られているが、実態はかなり深刻なようだ。たとえば、次のような支部の事例が報告されている(2023年3月10日)。
――「手紙」を討議した支部会議の参加者は3人でした。読み合わせたあと、感想や思いを出し合いました。初めに出たのは「高齢化し、このままでは『赤旗』の配達・集金がままならなくなる」「統一地方選挙が迫っているが、ポスター貼りも大変」「党費を納めている人のなかで、健康な人は誰一人いない。全員が支部会議に参加できる条件がない」などなど...。
この文面を読むと、どこか過疎地域の小さな町か村の支部のように思えるが、実は東京都市圏にある千葉県山武市(千葉市から30キロ、東京都心から60キロ)の地域支部のことである。全国の大都市圏では1960年代から70年代にかけて怒涛のような党勢拡大が続き、職場や地域に無数の支部・グループが生まれた。それとともに共産党地方議員が各地で輩出して、革新自治体を牽引するようになった。
しかし、その後の新規党員の獲得が続かなかったために、当時の団塊世代がそのまま高齢化して現在に至ったケースが多い。高度成長期の郊外住宅地やニュータウンでは、入居者が入れ替わらずそのまま高齢化してく状態を「蛇卵現象」(蛇が卵を飲んだ時のように膨らんだ部分が移動していくこと)というが、こうなると住民の活動力は目に見えて衰え、自治会活動もままならなくなる。「ニュータウン」が「オールドタウン」になり、やがては空き家が目立つようになる。それとまったく同じ現象が共産党支部にも生じているのである。
このような状況を客観的に分析することなく、共産党が国政における影響力を維持するには、第28回党大会時の党員27万人、赤旗読者100万人の130%に相当する党勢が必要だとして、新たに党員10万人、赤旗読者30万人の拡大目標が設定され、それを全国1万8千の支部に(機械的に)割り振るという形で大号令がかけられているのである。支部の実情に応じて目標を積み上げるという「ボトムアップ」方式ではなく、大会決定という「トップダウン」方式で過大な目標が設定され、しかもそれを「精神主義」で実現しようというわけだ。
太平洋戦争における日本陸軍の組織特性を分析した『失敗の本質』(中公文庫1991年)の序章「日本軍の失敗から何を学ぶか」には、次のような一節がある。
――そもそも軍隊とは、近代的組織すなわち合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なものである。戦前の日本においても、その軍事組織は合理性と効率性を追求した官僚制組織の典型と見られた。しかし、この典型的官僚制組織であるはずの日本軍は、大東亜戦争というその組織的使命を果たすべき状況において、しばしば合理性と効率性とに相反する行動を示した(略)。日本軍の組織的特性や欠陥は、戦後においてあまり真剣に取り上げられなかった。戦史研究などによりさまざまな作戦の失敗は指摘された。多くの場合、それらの失敗の原因は当事者の誤判断といった個別的理由や、日本軍の物量的劣勢に求められた。しかしながら、問題はそのような誤判断を許容した日本軍の組織的特性、物量的劣勢のもとで非現実的かつ無理な作戦を敢行せしめた組織的欠陥にこそあるのであって、この問題はあまり顧みられることがなかった。否むしろ、日本軍の組織的特性はその組織的欠陥も含めて、戦後の日本の組織一般のなかにおおむね無批判のまま継承された。
太平洋戦争に真っ向から反対した共産党と日本軍の組織特性を比較するなど「もっての外」と批判されることを承知の上で言うが、私には戦時社会主義の残滓とも言うべき共産党の〝民主集中制〟の組織原則と、日本軍の階層的官僚組織の特性が重なって見えて仕方がない。そして、その典型が毎回繰り返される「党勢拡大」の大号令なのである。とりわけ今回の「130%の党づくり」は、疲弊した高齢者支部に過大な拡大目標を一律的に課すなど、その無理難題ぶりはきわだっている。このままでいくと、太平洋戦争における日本軍の「万歳突撃!」の二の舞にならないとも限らない。
しかし、共産党組織にはそれ以前の問題もある。党勢を立て直すには組織の実態を正確に知らなければならないが、いずれの政党もそうであるように、共産党の場合もごく大まかな数字が示されているだけで、正確な実態は知る由もない。しかし、その中の断片的な数字を幾つか拾ってみると、おぼろげながら次のような姿が浮かび上がってくる。
――前大会は2017年1月に開かれましたが、それから現在までの3年間に全国で1万3828人の同志が亡くなりました(第28回党大会への志位委員長のあいさつ、2020年1月14日、前衛2020年4月臨時増刊)。
――後退したとはいえ、全国の地域・職場・学園に27万人余の党員、100万人の赤旗読者を持ち、国民と草の根で結びついた自前の組織、政党助成金や企業・団体献金に頼らない自前の財政をもっている政党は他に存在しない。昨年9月の7中総決定で呼びかけた党勢拡大大運動では、9月以降の4カ月で党員2533人、日刊紙1965人、日曜版8464人、電子版317人、合わせて1万646人の増勢となりました(第二決議「党建設」、2020年1月18日、同上)。
――第28回党大会以降の党員拡大は、4444人の入党者を迎えたものの大会比で3483人の後退となりました。赤旗読者は日刊紙755人減、日曜版138人増、電子版983人増となっています。大会後11カ月を経て、読者で大会現勢を維持していることは重要な成果です(志位委員長の幹部会報告、赤旗2020年12月17日)。
――2021年総選挙後の10月、11月に大幅な後退をした結果、日刊紙の減紙によって赤字がさらに増え、安定的な発行を続けることが困難に陥る寸前の状況になっています。日曜版の大きな減紙は、二重に財政上の困難をつくりだしています。一つは、日曜版収入でようやく支えていた日刊紙の発行を維持する力が大きく弱まっていることです。もう一つは、中央財政を支える最大の財源である機関紙誌事業からの収入が大きく減り、中央財政と機構の維持に厳しさが増していることです。機関紙事業の後退は、中央財政だけでなく地方党機関の財政をも厳しくし、日常の活動と体制維持の苦労のおおもとになっています(財務・業務委員会責任者、赤旗2021年12月22日)。
――党員拡大のとりくみでは、第28回党大会後の2年6カ月で9300人をむかえました。党員の現勢は党大会時比で1万4千人余の後退、日刊紙で1万2千人弱の後退、日曜版で5万2千人余の後退、電子版で2千人余の前進となっています(志位委員長の幹部会報告、赤旗2022年8月2日)。
――党員拡大では、2022年8月からの5カ月間で2064人の新しい入党者を迎えました。青年・学生・労働者、30代~50代の入党者の比率は34.2%になりました(略)。わが党は1万7千の党支部、約26万の党員、約90万の赤旗読者、2500人の地方議員を擁しています。約26万人の党員の約3分の1、約9万人は1960年代、70年代に入党しました(同、2023年1月6日)。
――今年1月の成果、入党391人、日刊紙339人減、日曜版208人減、電子版86人増(小池書記局長報告、赤旗2023年2月4日)。
――同、2月の成果、入党470人、日刊紙203人増、日曜版2369人増、電子版2人減、(中央委員会幹部会、赤旗2023年3月4日)。
これらの数字をもとに、「130%の党づくり」が決定された第28回党大会(2020年1月)から2022年12月までの3年間にわたる党勢の変化をみよう。計算式は簡単なもので、「現勢=第28回党大会党勢+入党者数-死亡者数-離党者数+赤旗読者増減数」である。
――党員現勢約26万人(2023年1月)=27万人余(20年1月)+9300人(20年1月~22年7月)+2064人(22年8月~12月)-死亡者数(?)-離党者数(?)。死亡者数は、これまで1万3828人(2017年1月~19年12月の3年間)が公表されているだけで、その後は公表されていない。2020年以降は年平均5000人(高齢化の影響で増加傾向)として計算すると、3年間で1万5000人となる。なお、離党者数はこれまで一度も公表されていない。したがって、上記の計算式に死亡者数を算入すると、党員現勢約26万人=27万人余+9300人+2064人-1万5000人となり、離党者数は約6500人(年約2200人)になる。なお、2023年1月~2月の入党者は861人なので大勢は変わっていない。つまり、10万人(130%)の拡大目標に対して結果は1万人余りの減少(94%)となり、共産党の党勢拡大運動は完全に破綻しているのである。
――赤旗読者の方はどうか。読者数現勢約90万人(23年1月)=100万人(20年1月)-日刊紙1万2000人-日曜版5万2000人+電子版2000人(20年1月~22年7月)-?(22年8月~12月)なので、22年8月以降の5カ月は6万2000人減となる。今年1月~2月は日刊紙136人減、日曜版2161人増、電子版84人増、計2109人増なので大勢に影響はない。130万人(130%)の赤旗読者を獲得する拡大目標は逆に90万人(90%)に落ち込み、これも目を覆うばかりの結果になっているのである。
志位委員長や赤旗は、これまで党勢拡大運動の大号令をかけ続けてきたにもかかわらず、党勢減退の原因を本格的に分析したことがない。このまま「進軍命令」をかけ続ければ、日本軍のレイテ作戦やインパール作戦のような悲惨な結末を迎えることになるのではないか。無謀な作戦を指揮して多数の兵士の命を奪った日本軍指揮官の中には責任を取って自決したものもいるが、策を弄して生き延びた者もいる。志位委員長はこれからも陣頭で指揮を取り続けるのだろうか。(つづく)
2023.03.11
なぜ20世紀の社会主義社会で
市民社会の倫理規範や人権意識が育まれなかったのか(下)
盛田常夫 (在ハンガリー、経済学者)
プリミティヴでマニュアルな配給システム
ソ連が崩壊するまで、モスクワ国際空港(シェレメチェヴォ空港)の乗換え客の扱いはひどかった。これがソ連の計画経済の実態かと思わされるようなプリミティヴな配分・配給システムで運営されていた。
アエロフロートは安かったので多くの日本人が利用していたが、欧州便への乗り継ぎにはモスクワでのトランジット宿泊が必要だった。トランジット客は一定数集まるまで空港の片隅に待機させられる。いつホテルへ移動するかなど誰も分からないし、それを伝えようとする職員もいない。ただ、そこに待っていろと言われるだけである。集団が動き出すと、それに付いていきバスに乗り、空港近くのトランジットホテルに向かう。学生寮のような「ホテル」では、見ず知らずの旅行者同士が無差別に2名ずつ部屋に振り分けられる。非文明的な扱いだった。ホテルの部屋は広かったが、冬でもお湯がでないことが多く、無駄な湯を貯めないように、風呂栓を置いていなかった。
ホテルは空港から数百メートルほどの距離だが、翌日午前の便に乗る客を起こすために、朝の5時前に、各階のフロアにいるおばさん(かの名高いジェジュールナヤ)がドアを叩いて回る。朝6時には入り口に集められ、バスが来るまで集団で待たされる。空港に着いても個人で朝食をとるシステムになっておらず、とりあえず食堂の席に座ると、係の人がテーブルにパンと紅茶を配っていく。規定時間外にレストランを営業することはない。もちろん、営業という観念そのものがなかったから、待合時間にコーヒーや紅茶を飲むこともできなかった。
こういう体験を積み重ねると、20世紀社会主義の計画経済管理とは、きわめてマニュアルでプリミティヴな配分指令で動いていることが分かった。日常生活の至る所で、この種の馬鹿らしい体験をする。税関、警察、区役所、中央公証所などの公的システムでは、例外なく、役人主権の非効率な対応が支配していた。
旧ソ連や東欧社会主義国に蔓延した「役人主権」体質と貧弱な設備が、体制転換による政治転換を経ても、今なお、多くのところに残存している。共産党独裁という政治システムは確かに変わったが、市場経済化の遅れが国民の所得水準(したがって国家財政)の低位停滞を招き、他方で社会を貫く社会的規範や倫理、価値観、腐敗に対する社会の感応性などは、依然として、旧体制時代の社会的慣性に支配されている。社会の変革には本当に長い時間が必要だということが実感させられる。
20世紀社会主義を総括する必要性
社会主義国家として何十年もの時間を経過したロシアや中国では、個人の自立・自由や民主主義、人命重視や人権意識、個人や社会組織の不正や不公正を認識し質す市民的倫理や規範がまったく形成されてこなかった。それは今や誰の目にも明らかになっている。いったい社会主義体制を経験してきた国では、どのような社会的規範や倫理が形成されてきたのだろうか。市民社会的倫理や規範と区別される社会主義的規範・倫理が育まれてきたのだろうか。ソ連社会主義70年、東欧社会主義40年の歴史で、社会的意識や規範がどう変わってきたのだろうか。
現在のロシアや中国を見る限り、共産党の主義主張がどうであれ、市民一人一人の命が大切にされているとは思われない。まるで権力者が自由に操れる駒のようにしか扱われていない。権力者の気に入らなければ、些細なことでも拘束され、長期にわたって獄中に閉じ込められる。まさに社会全体が一つの軍隊のように組織された国家なのだ。上からの命令に従わない者は、理由を問わず切り捨てられる。それが20世紀戦時社会主義のなれの果てだとすれば、いったい現存した社会主義社会のどこに原因があったのだろうか。この分析と反省なしに、社会主義の未来などを語ることはできないはずだ。
旧社会主義独裁国家の軍事組織的性格は、20世紀社会主義がその生誕から保持していた戦時社会主義という歴史的性格からきている。この特質は国家を規定していただけでなく、社会主義あるいは共産主義を名乗る政治政党をも規定してきた。この20世紀社会主義の歴史的限界から脱却することなく、社会主義を唱える勢力が21世紀の歴史の主役になれるはずがない。
自律的に機能しない戦時社会主義社会
私は『体制転換の政治経済社会学』(日本評論社、2020年)において、20世紀社会主義国家は「戦時社会主義として特徴づけられ、自律的に機能しない社会構成体」と規定し、「啓蒙君主制時代から共和政時代への歴史的長期の転換過程において、一時的に出現し短命(失敗)に終わった社会主義実験」(同上35頁)と記している。20世紀の帝国主義戦争やファシズムに対抗する国家としての歴史的役割はあったが、自らもまた帝国主義国として振舞うことを厭わない体制だった。ところが、全般的戦時状況が消滅した途端に、自らを発展させる自律的機能や社会的土台の欠如から、自己崩壊せざるを得なかった。社会を機能させる社会的土台を欠く社会とはいかなる存在か。20世紀社会主義の総括はこの歴史的限界を認識することから出発しなければならない。
ロシア革命直後、ソ連は国民経済計画策定のための手段を開発する必要に迫られた。計画的な物流の需給関係を記す統計手法の開発がすすめられ、数理的処理手法も探求されたが、実際のところ現実の経済計画策定に役立つものを作り上げることはできなかった。
コンピュータもない時代に、紙と鉛筆で描くことができる経済計画など、知れたものだった。社会主義計画経済と言いながら、それを支える計画理論や手法が最初から欠如していた。それに代わるものが、戦時生産を真似た一種の「傾斜生産」であり、戦時配給を真似た割当配分制度であった。この二つの「計画」手段は社会主義が崩壊するまで、形を変えながら存続した。管制高地としての共産党(政治局や幹部会)が号令をかける一種の戦時経済体制が、社会主義計画経済の実態であった。共産党政治局は無謬性の神話に守られ、あたかも国の経済と社会を指揮できるかのような「過信」と「錯覚」が社会を支配した。それを支えてきたのが、「社会発展を見通すことができる無謬の理論」として信奉されたマルクス主義イデオロギーだった。
裸の王様になった共産党
ソ連や東欧社会主義国家では、マルクス主義イデオロギーで理論武装された「全能の救世主」という共産党神話を守るために、政敵は葬られ、異論者は異端として排除された。しかし、全能無謬の党(幹部)が指導するという虚構は世界戦争の危機が消滅するにつれて明々白々となり、時代を先取りしていたはずの共産党支配が、次第に「裸の王様」になった。
戦時的経済体制がそれなりの歴史的時間にわたって継続できたのは、世界的戦時状況が経済管理体制の本質的欠陥を顕在化させなかったからである。他方、経済学者の間では、市場を組み込んだ社会主義経済モデルの探求が何度も試みられたが、それが「経済計画」に組み込まれ、機能することはなかった。1960年代の経済改革論争が、ソ連・東欧社会主義体制における最後の試みだったが、プラハの春とヴェトナム戦争がこの論争を強制終了させた。社会主義の方が資本主義より勝っているという錯誤が経済改革の機運を消滅させ、そこからソ連・東欧社会主義は長期停滞と崩壊への道をまっしぐらに進んだ。「一時の勝ちが、却って崩壊への道を速めた」という歴史のパラドックスである。
他方、第二次大戦後、西欧諸国では市場経済をベースに、福祉国家を樹立する試みが普遍化した。市場を組み込んだ社会主義の西欧版だが、マルクス主義の「正統派」イデオロギーは、これを「修正主義」として糾弾してきた歴史がある。しかし、このイデオロギー論争はソ連・東欧社会主義の自己崩壊によって歴史的決着をみた。現実の経済発展と市民社会の樹立の両面で、ソ連・東欧社会主義は西欧型社会民主主義に太刀打ちできなかった。
共産党政治局が全権支配する社会体制は崩壊し、市場経済をベースとする共和制にもとづく市民社会が社会経済システムを機能させる社会構成体であることを、歴史が証明したのである。
管制高地支配から市民社会は生まれない
市場経済をベースにする市民社会と、共産党独裁にもとづく管制高地社会との本質的な違いは何か。
市場関係の基礎は「交換」である。交換は当事者相互の対等平等な関係を前提する。市場の歪みによって力関係は変化するが、基本的に対等な関係を前提とする。これがgive and takeである。この関係におけるコミュニケーションは双方向であり、当事者関係には透明性と開放性が求められ、人間関係では非人格化と文明化が促進され、個人の自立と当事者個人の自己責任が貫徹する。交換主体の関係性は複雑化するという意味で自己発展的である。
これにたいして、管制高地支配を基本とする社会的機能は、「上からの配分指令」を前提とする。give and takeにたいして、give but obey原理が支配的になる。この配分指令におけるコミュニケーションは片務的(一方通行)で、当事者の間には閉鎖性と秘密性が顕著で、権威への依存と特定個人への依存が強まる非文明性が支配的になり、配分関係は単純化しがちになる。総じて、この関係性は自己閉鎖的で、単純化への退化を内包している。
このように分析すれば、交換型の制御システムに比べて、なにゆえに配分型の制御システムが、個人の創造性や発展を抑制し、個人的な自立や自己責任の確立を押しとどめることになるかが明らかになる。歴史的に存在してきた(今もなお存在している)独裁的社会で、なにゆえに市民的規範や倫理が育たないかを明らかにしている(盛田『体制転換の政治経済社会学』第2章「体制転換の社会哲学」を参照されたい)。
もちろん、「上意下達」が支配する組織や結社は社会の中にいくらでも存在する。市民社会では個別の組織や結社が存続できる自由が保障されている。しかし、それが社会全体を支配する制御機構になると、社会は発展の契機を失ってしまう。小さな組織や結社においても、個人の創造的な寄与が求められる場合には、それなりの個人的自由や個人責任が行使できる幅がなければならない。それなしでは結社や組織の発展が制限される。
共産党が一つの結社として、20世紀戦時社会主義の組織原則を堅持することに問題があるわけではない。それは結社の自由で保証されている。しかし、21世紀の社会でその原則を頑なに守ろうとすればするほど、組織の衰退は免れない。だから、ソ連・東欧社会主義崩壊後の21世紀社会においても、それなりの政治的地位を維持したいと考えるのであれば、戦時社会主義時代の党組織原則を変えなければならない。党組織の改革ができなければ、小さな政治思想サークルに衰退する以外に道は残されていない。
「ブダペスト通信」2023年3月3日
2023.03.10
なぜ20世紀の社会主義社会で
市民社会的倫理規範や人権意識が育まれなかったのか(上)
盛田常夫 (在ハンガリー、経済学者)
社会主義時代の遺物
ロシアのウクライナ侵攻が長引く中、ロシア軍の装備や指揮系統の不備や欠陥があからさまになり、他方で制圧した市民への残虐行為や略奪行為が次々と伝えられる。装備や兵器のレベルの低さや、装備の欠陥や量不足は今に始まったことではないし、兵士の行動規律が緩いのも昔からである。第二次世界大戦で東欧諸国を「解放」した赤軍兵士や、ハンガリー動乱後のソ連軍の市民への蛮行(略奪や凌辱)やソ連の労働キャンプへの連行は、当時から良く知られていた。当時も、兵士はどこへ進軍するのか知らされていなかったし、ハンガリーに到着した後ですら、そこが同じ社会主義国のハンガリーだと知らない者が多かった。だから、現在の状況はソ連崩壊を原因とするものではなく、ソ連時代から続く社会的特性に起因しているものだ。
確かに社会主義体制崩壊後の市場経済化で、旧社会主義国の消費財市場が一挙に活性化し、国民の消費生活は一変した。ところが、消費生活上の変化に比べて、国家機関や公的組織の設備や仕事ぶりには大きな変化が見られない。戦後ほどなく改築あるいは新築された病院や学校のメインテナンスが蔑ろにされ、老朽化が激しい。それは軍隊などの国家的組織についても言える。設備全般の老朽化が進んでいても、それを改築したり新設する財政的な余裕はないし、社会組織を立て直す原理やインセンティヴが著しく欠けている。
たとえば、地区の拠点病院の多くは、建物も設備も野戦病院並みの状態である。日本ではほとんどの中規模の病院にMRIやCTが設置されており、大学の獣医学部にすら人間用のMRIやCTが備えられている。しかし、ハンガリーでは全診療科を擁する大きな拠点病院でもMRIを備えておらず、古いCTが1台あるだけだ。CT検査ですら混雑して待機時間は長い。さらにMRI検査を受ける場合には、医師の依頼状をもらい予約をとって郊外にある特定病院へ出向く必要がある。
このように、社会主義時代の組織的経済的貧困が、現在まで尾を引いている。それはハンガリーだけでなく、すべての旧社会主義国について言える。これらの社会的組織の改編や設備更新には膨大な費用がかかるので、国民経済の発展レベルを超える公的資金を投入できない。だから、消費生活の表面的な変化は進んでも、病院や学校の設備更新がなかなか進まない。ソ連・東欧社会主義崩壊から30年も経過するが、どの国でも、国家機関や学校・病院などの公的機関の設備や組織の状況は、社会主義時代からあまり変わっていない。だから、軍や兵士の装備の状態が良くないことも容易に想像がつく
病院や学校にトイレットペーパーがない
今でも病院に入院するときはトイレットペーパーや石鹸などを持参する(もっとも、石鹸を持ってくるという衛生観念はなく、石鹸なしで済ませるのがふつう)。入院食があまりに貧弱なので、多くの患者の家族は毎日食事を届ける。監獄並みの食事は今も昔も変わりない。半世紀以上も同じメニューでないかと思われるほどである。社会主義時代から病院にはトイレットペーパーも石鹸も置いていない。少し前までは、廊下に設置されたテレビに鎖が付けられ、盗まれないようにされていた。もっとも、古いテレビでもう映らなくなっていて、鎖につながれたまま放置されていたが。今では費用節約から、テレビは設置されていない。

ハンガリーの病院の朝食。これにコーヒーか紅茶が付く。

ハンガリーの病院の夕食。大根(生)の輪切りとリンゴ、レバーペーストが付いている。配送費を節約するために、昼食時に温かい食事と一緒に、この夕食が配られる。
150年以上も前に、ハンガリー人医師センメルワイスは産褥熱の原因が、医師の手洗いが不十分であることを発見した。医師からの細菌感染が産褥熱を惹き起こすことが明らかにしたのだ。それから1世紀半近く経つが、医師の手洗いは守られても、一般患者の衛生問題は蔑ろにされている。これが社会主義を経験したセンメルワイスを生んだ国の現状である。
トイレットペーパーがないのは病院予算を節約するためだけでなく、すぐに盗まれる(という社会主義時代の苦い経験)からだ。病院と同様に、トイレットペーパーを備えていない学校も多い(教員用のトイレには備えてあるが、生徒が利用しないように鍵がかかっている)が、こちらは予算がないからだ。購入の優先順位が低いのだ。入院患者が退院するときに、医師は「治療報告書」を患者に手渡す。少し前まで、病院のプリント用紙(購入費用)がなく、患者にA4用紙を持参することを要請するところもあった(学校ではコピー用紙の購入費用が、常に問題の一つになっている)。
今でも病院を風刺するビデオが出回っているのは、大きな改善が見られないからである(https://www.facebook.com/watch/?extid=NS-UNK-UNK-UNK-IOS_GK0T-GK1C&mibextid=2Rb1fB&v=913369449696119)。
このビデオは入院に際して、患者がトイレットペーパー、発電機、輸血用血液、A4用紙を持参したことを受付に伝える。「ノックをするな」という不愛想な受付嬢が、担当医はウガンダの病院のような状態に愛想をつかして、開業医になったことを伝える。担当医の代わりに、YouTubeで勉強した子供の医者を勧めるというパロディである。受付嬢の愛想のなさと、病院の悲惨な状況をパロディで描いたもの(実際、有能な医師の多くが民間クリニックに移っている)。
ところで、ハンガリーの名誉のために言っておけば、トイレットペーパーがないのは何もハンガリーに限ったことではない。ほとんどの社会主義国でもそうだった。それだけ貧しかったのだが、それを「おかしい」と主張する人もいなかった。今でもそれを不思議に思う人は少なく、病院にはトイレットペーパーがないのが当たり前という前提で入院の準備をするが、それが一因でほとんどの病院のトイレの状態はとても衛生的とは言えない。
コロナ禍で中国広州の隔離病院がテレビに映し出されたときに、やはりトイレにペーパーが備えられていないことが分かった。そして便座にビニールを巻き、ガムテープで止めてあった。経済発展が進む中国でさえそうなのかと思ったが、少なくとも便座を清掃しやすいようにしている工夫がみられた。東欧諸国では便座が汚れていても、この程度の工夫すら思いつくことはない。
外来患者の受付窓口がない
体制転換から30年も過ぎたが、病院の外来患者受付システムは旧体制時代のままのところが多い。ほとんどの病院では外来患者が担当医師の診療室前に待機し、看護師がドアを開けたときに、保険証を手渡すようになっている。しかし、多数の患者が我先に保険証を渡そうとするので、看護師に保険証を受け取ってもらうのは至難の業である。外国人がこの争いに勝つことは不可能だ。そうなると、いつまで経っても診療を受けることができない。ハンガリー人ですら、数時間待っても診療が受けられず、家に戻ったという話をたびたび聞かされる。こうした状況に憤慨して、大声を上げる人はたまにいるが、大概の人は文句を言わず、黙って家に帰る。社会主義体制40年の歴史は人々の批判的精神を奪い、体制崩壊から30年経っても委縮した精神に変化はない。ただし、医師とのコネがあれば、診療はスムーズに受けられる。こういう状況ではコネが蔓延しても仕方がない(コネ社会現象)。
だから、外資系企業は特定病院と契約を結び、駐在員が優先的に診療を受けるようにしているが、一般の外来患者が診療を受けるのは簡単ではない。病院側が受付体制を工夫すれば良いと思うのだが、社会主義時代から病院では医師が絶対的権威を持っており、すべてが医師の都合で動いている。だから、改善の余地があると思っても、誰も口に出さない。だから、自然に無関心になり、簡単に患者受付のシステムを変えることができない。私はこれを「医師主権」とか「役人主権」と呼んでいる。あらゆる公的機関の組織が官僚化していた社会主義時代の社会的慣行が、未だに多くのところで旧体制の官僚主義(役人主権)的対応として残存している。政治体制が変わるだけでは社会は変わらないと実感する毎日である。
2023.03.06
「政党のあり方」と「社会のあり方」は別物か、社会と政党は相互規定的関係にある、共産党党首公選問題を考える(その3=完)
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
このところ、共産党機関紙「赤旗」の論調が少し変わってきたかに見える。2月の初めころは「党攻撃とかく乱の宣言――松竹伸幸氏の言動について」(2月8日)と激しく糾弾し、「日本共産党はこうした攻撃を断固としてはねのけ、前進するものです」と勢いよく宣言していた土井洋彦書記局次長が、2月の終わりになると今度は突然「弁明口調」に転じたのである。といっても、除名した松竹氏に対してではなく、党内外の「一部の識者」に対してである。「政党のあり方と社会のあり方の関係を考える、一部の疑問に答えて」(2月25日)と題する冒頭の一節は、次のような調子で始まっている。
――党の規約を無視した行動で除名された元党員の問題をめぐって、一部の識者から「共産党は自由な社会をめざしているのだから、党内のあり方も自由であるべきではないか」という疑問が寄せられています。日本共産党の発展を願って寄せていただいているものだと思います。そこで、日本共産党のあり方と、党がめざす社会との関係についてのべておきたいと思います。
私は2月24日の拙ブログで、「政党は国民と市民社会の中に存在している、別世界にいるのではない」と書いた。政党がその目的を達成しようとすれば、国民と市民社会の常識や合意を尊重しなければならない。それなくしては幅広い支持を得ることは不可能であり、やがては消滅していく運命をたどる。今回の除名問題は単なる共産党の「内部問題」ではなく、国民や社会の価値観にも共通する問題であり、それに合致した対応が必要だ――との意味である。
多くの識者からも(一部ではなく)同様の意見が上がっているというので、共産党も無視できなくなったのだろう。しかし、土井論文は「疑問に答える」だけの説得力あるものになっていない。以下、土井氏の論理を検討しよう(要約)。
――日本共産党は「民主的な討論をつくし、統一して行動」することを組織原則としています。それを「民主集中制」と呼んでいます。これは特別なものではなく、国民に責任を負う近代政党なら当たり前の原則だと考えています。公党として国民に責任を負うには、民主的な討論とともに、「行動の統一」が必要だということです。そのうえで、あらためて明確にしておきたいのは、「行動の統一」は個々人が自由な意思で加入する政党として、自主的・自律的にとっているルールであって、それを社会に押し付けることは決してないということです。自由な意思で加入する政党と、すべての構成員が生まれながらにして所属する社会とは、その点で性格がまったく異なっています。
――政党のあり方と社会のあり方、とりわけその政党が政権政党になった場合に、その社会がどのような社会になるのかは、もちろん無関係ではありません。民主的な社会をめざす政党ならば、その党内のルールにおいても民主的運営をつらぬくことが求められるのは当然であり、わが党はそのための努力を重ねています。同時に、社会を発展させるためには、政党としての団結したたたかいが必要であり、「行動の統一」が不可欠です。
ここでの問題は、前半では「個人が自由意思で加入する政党とすべての構成員が生まれながらにして所属する社会は性格が全く異なる」ことを強調しながら、後半では「政党のあり方と社会のあり方は無関係でない」と、前後で相矛盾する主張を展開している点にある。しかし、政党はもともと社会を母体にして形成されるものであって、社会と切り離された存在でもなければ別個の存在でもない。それが個人の自由意思に基づく組織であっても個々人が社会の一員である以上、〝母斑〟は色濃く残っているし、消すこともできない。旧ソ連や中国の歴史が示すように、社会と政党は相互規定的な存在であり、社会が後進的状態にあるときは政党もその制約を免れることが難しい。
共産党が「結社の自由」に基づく政治組織であり、「行動の統一」が政党の自主的・自律的ルールであることを強調するのはよいが、それを絶対視すると社会からの批判は「内部干渉」に映り、さらには党への「攻撃」と見なすようになる。民主集中制は、国民に責任を負う近代政党なら「当たり前の原則」だというが、その組織原則が社会の価値観や行動規範からずれているときは、国民から「責任政党」とは見なされなくなる。「結社の自由」は、言論の自由に基づく社会正義を前提にしているのであって、そうでなければ「カルト集団」との区別がつかなくなる。
この点に関して私が思うのは、共産党がめざしている〝統一戦線〟や〝野党共闘〟は、社会が生み出す「団結=行動の統一」の一つの形態である以上、それを発展させるための多様な討論は、政党の組織原則とは何ら矛盾しない――ということだ。土井氏の主張は、「行動の統一」を政党の組織原則・行動原理に限定し、社会と政党の行動様式は異なるものと見なすことが前提になっている。しかし、統一戦線や野党共闘を発展させようとすれば、政党の組織原則すなわち「行動の統一」を柔軟に適用することが求められるし、またそうしなければ統一戦線や野党共闘は成立しない。社会の行動様式と政党の行動原理の境界はあらかじめ確定できるものではなく、その時々の政治情勢に応じて歴史的変化するものと考えなければならないからある。
日本共産党第27回大会決議(2017年1月18日採択)には、次のような一節がある(『前衛』2017年4月臨時増刊号)。
――日本共産党は、2015年9月19日、安保法制=戦争法案の強行採決という事態にさいして、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を提唱し、全国規模での野党の選挙協力の追及という新たな道を踏み出した。この提唱は、「野党は共闘」という多くの市民の声にこたえ、「私たちも変わらなければならない」と思い定めてのものだったが、野党と市民の共闘の発展への貢献になった。わが党が、こうした決断ができた根本には、社会発展のあらゆる段階で、当面する国民の切実な要望にこたえた一致点で、思想・信条の違いをこえた統一戦線によって社会変革をすすめるという、党綱領の生命力がある。
ここには、これまで金科玉条の如く「自共対決」を唱え、政策の一致がなければ野党共闘などあり得ないとしてきた共産党が、「野党は共闘」との市民の声にこたえて「私たちも変わらなければならない」と決断したことが大会決議に記されている。このことは「対決路線」から「共闘路線」へのいわば〝綱領レベル〟の転換である以上、党規約もそれにふさわしい柔軟な性格へ変えなければならないことを意味する。「自共対決」というまるで戦時体制のような方針の下で実施されてきた「民主集中制」を柔軟な組織原則・行動原理に変え、党内における自由かつ多様性のある意見や主張の存在を認め、それらを社会行動の中で実践的に統一していく形に改めることが求められる。意見の相違や異なる主張を「外部=社会」に漏らしてはならないといった「行動の統一」は、政党と社会を分断するものでしかなく、政党の異質性を際立たせるものでしかない。
さはさりながら、志位共産党委員長は依然としてガチガチの発言を繰り返していていっこうに改める気配がない。2月27日の「赤旗」は(紙面全体が縮小されているにもかかわらず)、全紙を使って前日のBSテレ東番組「日曜サロン」における芹川日経論説フェローとの一問一答を大々的に掲載した。その中で「日本共産党の指導体制と指導部の選出方法について」の質問には次のように答えている(抜粋)。
――かりに直接選挙で党首を選ぶということになりますと、党首に相当権限が集中しますよね。党首がたとえば幹事長あるいは幹部を任命しますよね。そういう力が非常に集中するわけですけど、そういうやり方が、私たちは必ずしも民主的だとは思っていません。直接選挙で党首を選ぶということになれば、多数派を形成するために派閥ができてきます。私たちは、政党として民主的な討論をつくして方針は決めますけれども、いったい決まったらみんなで実行する。つまり行動を統一する。これは国民に対する責任だと考えております。
このやり取りを読んだ何人かに感想を聞いてみたが、全員から「よくいうよ!」「絶句した!」との回答が返ってきた。民主集中制に基づく「行動の統一」で全党の権限が集中している志位委員長が、あろうことか党首公選制が権限集中をもたらすという倒錯した主張を堂々と述べていたからである。政治家を直接選挙で選出することではじめて近代政治が成立したことを思えば、その担い手である近代政党が党首公選制を否定することなどあり得ない。志位委員長が頑張れば頑張るほど、共産党は「社会のあり方」からますます遠ざかり、「国民の党」「責任政党」とは見なされなくなっていくこと間違いなしだ。
共産党に対するこうした見方は、指導部選出にかかわる前近代的体質からも裏付けられる。一般社会では一部の事例を除いて、民間企業であれ公共団体であれ幹部の「任期制」と「定年制」があまねく普及している。ところが、共産党には役員の任期も定年もなく、「革命には経験に富んだ幹部が必要」との(屁)理屈で90歳を越える古参幹部がいまなお指導部に居座り続けている。組織のマンネリ化を防ぎ、新陳代謝を促進し、活性化を図るためには必要不可欠な「任期制」「定年制」の組織原則が共産党では通用しないのである。これでは共産党のいう「政党のあり方」はますます「社会のあり方」から乖離していく。
結論的にいえば、今回の除名問題は、民主集中制という〝古い器〟に野党共闘という〝新しい酒〟を盛ろうとしたことから生じたものであって、単に党員個人の「反乱」といった単純な問題ではないのである。これを「行動の統一」などといった一片の規約問題に矮小化し、それで乗り切れると思っているところに前近代的体質が赤裸々に露呈している。改めるべきは〝古い器〟の方であって〝新しい酒〟ではないのである。
2023.03.02
松竹除名に足を取られた共産党‐―友人へのメール
ーー八ヶ岳山麓から(418)ーー
阿部治平 (もと高校教師)
Y君へ
先日は凍みるなかの立ち話だったので、共産党の松竹信幸氏除名問題についてあまり詳しい話はできなかった。それであらためて、ぼくが松竹除名に抗議して「しんぶん赤旗」の購読をやめた理由を言おう。
ぼくらは、小中学の同級生N君が長い間共産党村議をしていたこともあり、共産党は国政の不正を暴き、村政にも良い影響を与えている政党だと考えて、いろんな不満を持ちながらも村の共産党を支援してきた。
2月23日、信濃毎日新聞(信毎)は社説で共産党批判をした。<共産の除名問題――かたくなに映る党の対応>という見出しで、全体はかなり遠慮した表現だが、「党規約違反で処分したとはいえ、閉鎖的な組織と見られても仕方ない面がある」と指摘している。
朝日・毎日・産経の各紙はそれぞれ社説で除名を巡り「異論封じ」「強権体質」などと批判した。他のメディアも「松竹氏は共産党のあり方を真剣に考えて問題提起をしたのに除名したのでは、世論は、共産党は異論を許さない政党だと受取るだろう」とか、「共産党の体質は古すぎる」と批判している。体質というのは、共産党の組織原則である民主集中制のことだ。
これに対して共産党は、松竹除名は異論を提起したからではない、規約違反をしたからだ、だからメディアの批判は事実にもとづかない「反共攻撃」だと反論した。さらに党規約をどう決めるかは共産党の自由だ、これを批判するのは憲法の「結社の自由」を否定するものだと、メディアの論調に激しく反発している。信毎は「(メディアの)批判や指摘を自主性への侵害と切り捨てるだけでよいのか。謙虚に受け止め、今後に生かす姿勢が欲しい」という。
メディアによる政党の内部問題批判を「結社の自由」の否定だとか「民主主義の破壊」だといい始めたら、自民党や立憲民主党の派閥あるいはグループについてメディアは何も言えなくなるのだが。
共産党の幹部は「除名」処分がどんなに悪い印象を世間に与えたか、どんなに政治的にマイナスになったかわかっていない。それにひきかえ自民党は、「安倍晋三は国賊だ」と罵倒した元行政改革担当相の村上誠一郎氏を党の役職停止1年間という処分にとどめた。安倍晋三氏をめぐる世評の動きをよく読み取っていると思う。
共産党中央幹部の多くは、人生の大半を党本部だけで過ごしてきた人たちだから、視野が狭いのはがまんするが、党中央と異なる意見を発表した人をいきなり除名では、「ビョーキ」といわれてもしかたがない。
共産党は、なぜ松竹除名を選び、なぜこれを批判するものを糾弾しつつけるのだろうか。それはわりにはっきりしていると思う。共産党幹部はいま薄氷の上にある。
志位和夫氏が共産党中央委員会委員長を務めた20年間に、党員・「しんぶん赤旗」読者・国会議員を減らし、財政的にも苦しくなり、いまや「しんぶん赤旗」のページ数を減らすところまで落ち込んだ。2021,22年の衆参両院選挙敗北ののち、最高幹部のやり方に疑問を持つ人は、党の内外に生まれた。僕らのようなシンパだけでなく、村の党員にも指導の仕方に不満をもらす人がいた。
だから志位委員長の地位を揺るがすような「党首公選」などの提案に対しては、理屈ではなく、反射的に拒否するのではないか。松竹除名に疑問を呈するメディアに対して「反共攻撃」という居丈高な言葉で反論するのは、共産党幹部の置かれた危機状況の反映だと思う。ぼくはこういう反応しかできない政党指導部に失望した。
だが、そうはいっても、党内では松竹除名を支持する党員が比較的多いと思う。というのは、共産党は1960年代、70年代入党の老党員が大きな割合を占めている。彼らは「党の決定を無条件に実行し、個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会の指導に従わなければならない」という、レーニン由来の「鉄の規律」で教育されているからだ。だから多少の不満を持っても、彼らは党中央に忠実であろうとする。党中央が「松竹は規約に違反したから除名した」といえば、ただちにこれを認める。それは村の党員も変わりがない。
共産党が他の野党との選挙協力を言い出したとき、僕は村の党員に「日米安保条約を認める他党候補でも支持するのか」と聞いてみた。それまで共産党は日米安保条約を容認する政党とは選挙協力はできないとしていたからだ。そうしたら彼は即座に「私はだれであれ党中央の指名した候補者を支持する」と答えた。
教員として生徒に自分の頭でものを考えるように求めてきた身からすれば、やはりこれは認められない。
さらに、共産党の安全保障政策は、1961年綱領の「中立自衛」から94年の「非武装中立」へ、それから2000年の「自衛隊活用論」に変った。党の決定が急迫不正の侵略には自衛隊を活用するといっているのに、「しんぶん赤旗」は、防衛予算や自衛隊についてほとんど毎日否定的なキャンペーンを打ってきた。
だから党員の多くは、松竹氏の「核抑止力抜きの専守防衛論」はもちろん認めるはずはない。志位氏の「自衛隊活用・安保条約5条による対応論」なども、本当は文句のひとつも言いたくなるはずだが、党員の誰かが公然と批判したという話は聞かない。
話がややずれるが、共産党において防衛論議が生まれたのは、この20年間に日本を取り巻く国際環境に大きな変化があったからだと思う。以前から共産党は、日本人民の敵は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の二つだといってきた。50年もむかしのことだが、ある党員は、いつも職場でこれをいうので陰で「二つの敵」というあだ名で呼ばれていた。
ところがいまや大戦争のリスクは、共産党が諸悪の根源とするアメリカからではなく、ロシアと中国からうまれている。
台湾有事で、アメリカが介入すれば日米安保条約第5条は発動される。沖縄の日米軍事基地はまともにミサイル攻撃を受け、軍民共に大きな損害を被る。このリアリズムを共産党中央幹部がしっかり認識していれば、松竹氏のいう「核抑止抜きの専守防衛」という提案を全党でまともに議論して、日本がアメリカと中国の間を仲介する現実的な台湾戦争防止策がうまれたかもしれない。しかし、もう期待できない。
ところで、次の村議選では、松竹除名がなくても、共産党は議席回復ができるかどうかあぶないところだ。村議選では共産党でなくてもしっかりした人物がいれば、だれを担いでもいいとおもう。ぼくらは何十年ぶりかで共産党支持をやめるか、それとも引き続き支持するか、ここは思案のしどころだ。
(2023・02・18)
2023.02.28
ピタリと止んだ共産党機関紙「赤旗」の〝松竹除名問題キャンペーン〟「撃ち方止め!」との号令が天から下ったからか、共産党党首公選問題を考える(その2)
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
松竹伸幸氏の『シン・日本共産党宣言、ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書)が1月19日に刊行されて以来、共産党が機関紙「赤旗」で(機関銃のように)連日繰り広げてきた〝松竹除名問題キャンペーン“がこのところピタリと止んでいる。2月18日の「おはようニュース問答、大手メディアの共産党バッシングをどうみる?」「松竹氏をめぐる問題Q&A、志位委員長会見から」(日曜版)を最後に、それ以降は同種の記事や主張がどこを探しても見つからなくなった。「赤旗」が総力挙げて反撃体制を構え、編集局次長や政治部長などを動員して論陣を張っていたにもかかわらず、2月19日以降、ピタリと反撃を止めたのはなぜか。
大手メディアの間では朝日・毎日両紙の社説以降、まだ詳しい解説記事が出ていない。だが、産経新聞(2月20日デジタル版)が小池書記局長の記者会見を次のように報じたのが目を引いた。
――ジャーナリストの松竹伸幸氏が「分派活動」を理由に共産党から除名された問題で、小池晃書記局長は20日の記者会見で、松竹氏の同調者と認定された党員や処分の有無に関して「それは今、検討中だ」と述べた...。
松竹氏の同調者と認定された党員は、おそらく『志位和夫委員長への手紙、日本共産党の新生を願って』(かもがわ出版)を刊行した鈴木元氏(京都府委員会元常任委員)だと思われる。しかし、松竹氏が2週間余りで「スピード除名」されたことを思えば、鈴木氏の場合は如何にも時間がかかりすぎている。単なる手続き上の問題ではなく、何か別の問題が生じているのではないか。
この件に関して、京都ではさまざまな風聞が流れているが、確かなことは分からない。ただ、以前から志位委員長に対して辞任を求める声が各層から上がっていたが、今回の松竹除名問題によってそれが一気に広がったような気がする。口さがない京都人の間では、それが右であれ左であれ「反権力」「反権威」の気風が強く、批判を厭わない空気が形成されている。そもそも〝民主集中制〟なる共産党の組織原則が絶対的に正しいとは誰も思っていないからだ。
志位委員長に対する不信感が一挙に高まったのは、2021年10月の第49回総選挙のときからのことだ。志位委員長は、この総選挙を「日本の命運がかかった歴史的選挙」「党の歴史で初めて、政権交代、新しい政権の実現に挑戦する選挙」と位置付け、「日本共産党は、総選挙で何としても本気の共闘の態勢をつくりあげ、政権交代を実現し、新しい政権――野党連合政権をつくるために、あらゆる知恵と力をつくす決意であります」と大号令をかけた(赤旗2021年9月9日)。
しかし、京都での「野党共闘」の実態といえば、野党間の政策合意もなければ相互支援協定も結ばれず、野党統一候補も実現しなかった。共産党の野党共闘への呼びかけに対して、前原氏などの国民民主党はもとより、福山氏や泉氏が率いる立憲民主党も応じることはなかった。にもかかわらず、共産党は京都1区で「穀田氏を当選させるため」と称して京都3区での候補者擁立を見送り、これを事実上の「野党共闘」だとみなしたのである。
結果は悲惨極まりないものだった。当選9回で党国対委員長の要職にある穀田候補6万5201票は、自民新人候補8万6238票に2万票を超える大差をつけられ、あまつさえ維新新人候補6万2007票に3000票差にまで詰め寄られた。これを2017年10月の第48回総選挙と比較すると、自民候補8万8106票、穀田候補6万1938票、希望の党新人候補3万6134票だから、その政治構図はほとんど変わっていない。変わったのは、維新新人候補が国民民主や立憲民主の支持票を得て穀田候補に肉薄したことだけであり、野党共闘は影も形もなかったのである。志位委員長のいう「党の歴史で初めての政権交代、新しい政権の実現に挑戦する選挙」は全くの幻想にすぎず、それをまざまざと示したのが京都での選挙結果だったのである。
しかし、京都3区の方はもっと影響が大きかった。共産党が京都1区での「見返り」を期待して3区での候補擁立を見送った結果、立憲民主党の泉氏が楽々と当選し、泉氏はこの高得票を材料にして立憲民主党代表に首尾よく就任したからである。泉氏は「提案する野党」を掲げて野党共闘路線を崩壊させ、岸田内閣が国会運営をほしいままにする状況を意図的に作り出した(現在では維新と国会共闘を組むまでになっている)。この泉路線を事実上後押ししたのが共産党であり、それが志位委員長の指示に基づくものであったことは否定しようがない。京都では(老いたる京童を含めて)かくなる戦略上の誤りを犯した志位委員長は「A級戦犯」であり、一刻も早く退陣すべきだと考えている人が多い。
2023.02.24
政党は国民と市民社会の中に存在している、別世界にいるのではない、共産党党首公選問題を考える(その1)
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
京都はいま大揺れに揺れている。志位共産党委員長に対する異議申し立てをした松竹伸幸氏と鈴木元氏の二人がいずれも京都ゆかりの人物であるからだ。京都は「大学のまち」であり、蜷川府政の伝統もあってリベラルな知識人が多い。かく言う私もその1人であり、岸田内閣(自公政権)に対する批判では人後に落ちないが、今回ばかりはそれだけではことが済まないような気がする。異議申し立てをした松竹氏が即座に除名され、鈴木氏も遠からず同じ運命をたどると考えられており、その波紋が大きく広がっているからだ。
先日も私たち京童の間では(高齢者集団なので「京童」などいうのはおこがましいが)この問題がもっぱら話題になり、中には「物申す行動」が必要だと息巻く者もいた。一致したのは、世論が圧倒的に「アンチ共産党」に傾いており、このままでいけば、次の選挙では共産党が大きく票を減らすだろうということだ。赤旗は連日「反論キャンペーン」を繰り広げているが、これでは「逆効果」にしかならないのではないか。
この問題を真っ先に報じたのは、毎日新聞(2月4日)の「党員『反旗』揺れる共産、党首公選制の導入訴え、騒動拡大懸念 対応に苦慮」と題する記事だった。趣旨は「現役の共産党員が公然と党首公選制の導入を求め、党内外に波紋を広げている。共産は機関紙『しんぶん赤旗』で反論し、党幹部の中には処分を求める声もある。だが、騒動が拡大すれば支持者離れが起きる可能性もあり、同党は対応に苦慮している」というもの。翌2月5日の赤旗は、匿名コラムで即座に反撃した。
――毎日新聞は、4日付の政治面に「党員『反旗』に揺れる共産、党首公選制の導入訴え」という見出しの記事を掲載しました。松竹氏の言動についていえば、1月21日付け論説「規約と綱領からの逸脱は明らか」で指摘したことにつきています。同氏の行動は「党首公選制」なる主張を党内で表明することをいっさいせずに、「公開されていない、透明でない」などと外部からいきなり攻撃するもので、党の規約を踏みにじるものです。(略)「毎日」記事は、根拠も示さず、松竹氏の言動が党内外で「波紋を広げている」などといいますが、いくつかの週刊誌や新聞をのぞけば、波紋など広がっていません。「波紋を広げたい」という記者の願望にすぎません。
しかし、赤旗匿名コラムの「波紋など広がっていません」との「願望」に反して、事態はその後〝炎上〟することになった。リベラルな読者が多い朝日・毎日両紙が、当該問題について社説を出したのがきっかけだった。2月8日の朝日社説は、「共産党員の除名、国民遠ざける異論封じ」との見出しで次のように論じた。
――党勢回復に向け、党首公選を訴えた党員を、なぜ除名しなければならないのか。異論を排除するつもりはなく、党への「攻撃」が許されないのだというが、納得する人がどれほどいよう。かねて指摘される党の閉鎖性を一層印象づけ、幅広い国民からの支持を遠ざけるだけだ。
2月10日の毎日社説も「共産の党員除名、時代にそぐわぬ異論封じ」と同様の見出しだった。
――組織の論理にこだわるあまり、異論を封じる閉鎖的な体質を印象付けてしまったのではないか。共産党が党首公選制の導入を訴えたジャーナリストで党員の松竹伸幸氏を除名とした。最も重い処分である。(略)今回の振る舞いによって、旧態依然との受け止めがかえって広がった感は否めない。自由な議論ができる開かれた党に変わることができなければ、幅広い国民からの支持は得られまい。
両社説は、党首選は「決定されたことを党員みんなで一致して実行する」「党内に派閥・分派はつくらない」という〝民主集中制〟の組織原則に反するという非合理性についても言及している。
――共産党は、党首選は「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないという立場だ。激しい路線論争が繰り広げられていた時代ならともかく、現時点において、他の公党が普通に行っている党首選を行うと、組織の一体性が損なわれるというのなら、かえって党の特異性を示すことにならないか(朝日)。
――共産は党首公選制について、決定されたことを党員みんなで一致して実行するという内部規律「民主集中制」と相いれないと説明する。機関紙「赤旗」は、複数の候補者による多数派工作が派閥や分派の活動につながると指摘した。この独自の原理には、戦前に政府から弾圧され、戦後間もない頃には党内で激しい路線闘争が繰り広げられた歴史的背景がある。だが、主要政党のうち党首公選制をとっていないのは今や、共産だけだ。松竹氏の提案は、「異論を許さない怖い政党」とのイメージを拭い去る狙いがあるという。「公然と党攻撃をおこなっている」との理由で退けて済むは問題ではないはずだ(毎日)。
――共産は党首公選制について、決定されたことを党員みんなで一致して実行するという内部規律「民主集中制」と相いれないと説明する。機関紙「赤旗」は、複数の候補者による多数派工作が派閥や分派の活動につながると指摘した。この独自の原理には、戦前に政府から弾圧され、戦後間もない頃には党内で激しい路線闘争が繰り広げられた歴史的背景がある。だが、主要政党のうち党首公選制をとっていないのは今や、共産だけだ。松竹氏の提案は、「異論を許さない怖い政党」とのイメージを拭い去る狙いがあるという。「公然と党攻撃をおこなっている」との理由で退けて済むは問題ではないはずだ(毎日)。
これに対して、赤旗は猛然と反論キャンペーンを開始する。その主張は2月8日付けの「党攻撃とかく乱の宣言――松竹伸幸氏の言動について」(土井洋彦書記局次長)に代表されるもので、その後一貫して変わっていない。
――メディア各社は、(日本記者クラブの)「会見」での松竹氏の発言をひいて、「『党首公選』提唱党員を除名」(「読売」7日付)などと報じていますが、松竹氏の除名処分は、「党首公選制」という意見を持ったことによるものではないということです。自らの意見を、党規約が定めたルールに基づいて表明することを一度もしないまま、突然、党規約と党綱領に対する攻撃を開始したことを、問題にしているのです(抜粋)。
それ以降、赤旗および日曜版に掲載された反論をリストアップすると以下のようになる。
・2月9日、「結社の自由」に対する乱暴な攻撃――「朝日」社説に答える(政治部長、中祖寅一)
・2月10日、志位委員長の記者会見、松竹氏をめぐる問題についての一問一答
・2月11日、日本共産党の指導部の選出方法について、一部の攻撃にこたえて(副委員長・党建設委員会責任者、山下芳生)
・同、事実踏まえぬ党攻撃、「毎日」社説の空虚さ(中祖寅一)
・2月12日(日曜版)、「異論を持ったから除名」ではない(小池書記局長記者会見)
・同、松竹伸幸氏の除名処分について(日本共産党京都南部地区委員会常任委員会、京都府委員会常任委員会)
・2月17日、「朝日」コラムにあらわれた〝反共主義という呪縛〟(政策委員会・谷本諭)
・2月18日、大手メディアの共産党バッシングをどうみる?(おはよう、ニュース問答)
・同(日曜版)、松竹氏をめぐる問題Q&A、志位委員長会見から
・2月9日、「結社の自由」に対する乱暴な攻撃――「朝日」社説に答える(政治部長、中祖寅一)
・2月10日、志位委員長の記者会見、松竹氏をめぐる問題についての一問一答
・2月11日、日本共産党の指導部の選出方法について、一部の攻撃にこたえて(副委員長・党建設委員会責任者、山下芳生)
・同、事実踏まえぬ党攻撃、「毎日」社説の空虚さ(中祖寅一)
・2月12日(日曜版)、「異論を持ったから除名」ではない(小池書記局長記者会見)
・同、松竹伸幸氏の除名処分について(日本共産党京都南部地区委員会常任委員会、京都府委員会常任委員会)
・2月17日、「朝日」コラムにあらわれた〝反共主義という呪縛〟(政策委員会・谷本諭)
・2月18日、大手メディアの共産党バッシングをどうみる?(おはよう、ニュース問答)
・同(日曜版)、松竹氏をめぐる問題Q&A、志位委員長会見から
2023.02.21
総がかり行動実行委が国会請願署名を開始
大軍拡と大増税に抗して
護憲団体が結集する「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が、2月14日から、新しい国会請願署名運動を始めた。新署名のタイトルは「平和、いのち、くらしを壊す大軍拡、大増税に反対する請願署名」で、署名の宛先は、衆院議長と参院議長。岸田政権が昨年暮れ、「安保関連3文書」の改定を閣議決定し、防衛費の大増額、敵基地攻撃能力の保有、そのための大増税に乗り出したことから、護憲勢力として危機感を深め、そうした動きを阻止するために今度の請願署名運動を始めたわけだが、岸田政権による閣議決定以来、動きが鈍かった護憲勢力がようやくエンジンをふかし始めた形だ。
「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は、安倍内閣が集団的自衛権の行使容認に道を開く安保関連法案を国会に上程した時、その成立を阻もうとした旧総評系の「戦争をさせない1000人委員会」、共産党系の「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」、市民団体の「憲法9条を壊すな!実行委員会」などが中心となって2015年2月につくった組織。同年9月19日に安保関連法が国会で成立した後も、毎月19日に国会周辺で「安保関連法の廃止」を訴え続けている。
新しい請願署名用紙にはこう書かれている。
「いま日本は、『戦争か平和か』の歴史的岐路に立っています。
政府は、2022年年末に『安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)』の改定を閣議決定しました。他国に直接の脅威を与え、先制攻撃も可能な『軍隊と武器』(敵基地攻撃能力)を持とうとするものです。 2015年の安保法制での『戦争国家づくり』を実践するもので、専守防衛をふみにじる憲法違反です。
政府は、『<専守防衛>に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならず』といいます。しかし、世界第3位の軍事大 国になり、他国攻撃ができる長距離ミサイルを持つことが、周辺国の不信をあおり、脅威をあたえ、軍拡競争を過熱させることは明らかです。安保法制を実行して敵基地等を攻撃すれば、日本が攻撃されていなくても他国を攻撃することになり、相手の報復攻撃をまねき日本が戦場になりかねません。
政府は、軍事費について2027年度までの5年間の総額を43兆円とし、27年度にはGDP(国内総生産)比で2%と現在 の2倍にするとしています。財源確保のために大増税と国債発行を行うとしており、くらしを直撃します。軍事費増で、いま でも不十分な教育費や社会保障費への国の支出が減りかねません。これらの結果、くらしも経済も立ちいかなくなること は戦前の歴史が示しています。
不確実性が高まる国際情勢のもとで、憲法9条を持つ国としていま行うべきは『戦争の準備』ではなく、対話と外交に よって『戦争をさける努力』です。それこそ政治の責任です。
この国のあり方を根本からくつがえし、くらしを壊す大軍拡を開かれた論議もなしに閣議決定ですすめたことは民主主義、立憲主義に反しています。
以上のことから、以下のことの実現を求めます。●平和、いのち、くらしを壊し、国民に負担を押しつける大軍拡、大増税はやめてください。●大軍拡などを決定した『安保関連3文書』改定を撤回してください」
署名用紙には、連絡先として次の3団体が書かれている。
戦争をさせない1000人委員会(03-3526-2920)
憲法9条を壊すな!実行委員会(03-3221-4668)
戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター(03-5842-5611)
署名用紙は総がかり行動実行委員会のホームページからダウンロードできる。
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
護憲団体が結集する「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が、2月14日から、新しい国会請願署名運動を始めた。新署名のタイトルは「平和、いのち、くらしを壊す大軍拡、大増税に反対する請願署名」で、署名の宛先は、衆院議長と参院議長。岸田政権が昨年暮れ、「安保関連3文書」の改定を閣議決定し、防衛費の大増額、敵基地攻撃能力の保有、そのための大増税に乗り出したことから、護憲勢力として危機感を深め、そうした動きを阻止するために今度の請願署名運動を始めたわけだが、岸田政権による閣議決定以来、動きが鈍かった護憲勢力がようやくエンジンをふかし始めた形だ。
「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は、安倍内閣が集団的自衛権の行使容認に道を開く安保関連法案を国会に上程した時、その成立を阻もうとした旧総評系の「戦争をさせない1000人委員会」、共産党系の「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」、市民団体の「憲法9条を壊すな!実行委員会」などが中心となって2015年2月につくった組織。同年9月19日に安保関連法が国会で成立した後も、毎月19日に国会周辺で「安保関連法の廃止」を訴え続けている。
新しい請願署名用紙にはこう書かれている。
「いま日本は、『戦争か平和か』の歴史的岐路に立っています。
政府は、2022年年末に『安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)』の改定を閣議決定しました。他国に直接の脅威を与え、先制攻撃も可能な『軍隊と武器』(敵基地攻撃能力)を持とうとするものです。 2015年の安保法制での『戦争国家づくり』を実践するもので、専守防衛をふみにじる憲法違反です。
政府は、『<専守防衛>に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならず』といいます。しかし、世界第3位の軍事大 国になり、他国攻撃ができる長距離ミサイルを持つことが、周辺国の不信をあおり、脅威をあたえ、軍拡競争を過熱させることは明らかです。安保法制を実行して敵基地等を攻撃すれば、日本が攻撃されていなくても他国を攻撃することになり、相手の報復攻撃をまねき日本が戦場になりかねません。
政府は、軍事費について2027年度までの5年間の総額を43兆円とし、27年度にはGDP(国内総生産)比で2%と現在 の2倍にするとしています。財源確保のために大増税と国債発行を行うとしており、くらしを直撃します。軍事費増で、いま でも不十分な教育費や社会保障費への国の支出が減りかねません。これらの結果、くらしも経済も立ちいかなくなること は戦前の歴史が示しています。
不確実性が高まる国際情勢のもとで、憲法9条を持つ国としていま行うべきは『戦争の準備』ではなく、対話と外交に よって『戦争をさける努力』です。それこそ政治の責任です。
この国のあり方を根本からくつがえし、くらしを壊す大軍拡を開かれた論議もなしに閣議決定ですすめたことは民主主義、立憲主義に反しています。
以上のことから、以下のことの実現を求めます。●平和、いのち、くらしを壊し、国民に負担を押しつける大軍拡、大増税はやめてください。●大軍拡などを決定した『安保関連3文書』改定を撤回してください」
署名用紙には、連絡先として次の3団体が書かれている。
戦争をさせない1000人委員会(03-3526-2920)
憲法9条を壊すな!実行委員会(03-3221-4668)
戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター(03-5842-5611)
署名用紙は総がかり行動実行委員会のホームページからダウンロードできる。
2023.02.15
ひとり、またひとりといなくなる
――八ヶ岳山麓から(416)――
2月6日日本共産党が松竹伸幸氏を除名したことについて、私の感じたところを本ブログに書いたばかりであるが(「八ヶ岳山麓から415」)、おそらく次の標的にされるであろう鈴木元氏のこともここに書いておきたい。鈴木元氏については前ブログでも紹介したが、1944年生れ。18歳で共産党に入党して以来、党歴60年のベテランである。
京都の共産党は、かもがわ出版の松竹信幸氏を除名した理由書で、鈴木氏の著作『志位委員長への手紙』(かもがわ出版 2023・01)を共産党に対する攻撃を書き連ねたものと非難している。
本の帯には「貴方はただちに辞任し、党首公選を行い、党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」とある。挑発とも思える文言だが、中身は批判と提案である。氏は、いわゆる研究者ではないが、党活動の豊富な経験と深い学識、冷静な情勢分析にもとづいた説得力ある議論を展開している。
ところが、それは戦後共産党史ともいえる内容で、わたしの力では概要を一口でいうことができないので、以下に目次の大項目を要約して記すことにする。
第一章 21年、22年の国政選挙で明らかになったこと
――先の衆参両院の選挙にみる党勢衰退の惨状とその問題点
第二章 安全保障政策に関する覚悟を決めた議論を
――共産党の防衛政策の変遷、アメリカ発の戦争よりも中露の危険が急上昇。安全保障を軍事論・憲法論だけでなく考える。多様な抑止力。日本が侵略された場合
第三章 多数決制の定着と党首公選を求める
――満場一致をよしとしたことの弊害。宮本顕治氏の誤りとその権威の源泉。「革命党の幹部政策」についてのナンセンスな論文
第四章 「党勢拡大月間」はいったん中止し、あり方を抜本的に検討する
――拡大の繰り返しで疲弊した党員。鈴木氏の経験。改革をしなかったために逃した党拡大のチャンス。青年分野での党建設のために「新日和見主義」の再調査・総括を
第五章 社会主義の理論問題で決着をつけておくべきこと
――スターリン、トロツキーの本格的評価をしなかった問題。混迷している現代社会主義国論。「社会主義国」の歴史上の位置づけ
第六章 「新たな前進を遂げるために分析・評価しておくべきこと
――あまりにも多くの知識人を切り捨てたことへの反省を
第七章 日本共産党の歴史とかかわって
――志位委員長の「党創立100周年記念講演」について。宮本路線の成果と限界。戦前の活動と丸山真男批判の是非。「50年問題」の整理とソ連からの資金援助問題
第八章 日本共産党の新生を願っての改革提案
――マルクス流共産主義を目標から外し、社会変革を願う人々との共同に努める。高度の社会福祉社会をめざす。党員参加の党首選挙の実施。指導部の任期、定年制度を。党員の義務についての再検討を。党名問題。新しい幹部と新しい路線を持とう
わたしが鈴木氏の本で注目したのは、マルクス以来の「社会主義」についての見方である。ソ連・東欧が崩壊したあと、「社会主義はどうなるか」という問いに対して、日本共産党は2004年の党大会で、中国・ベトナム・キューバを、「社会主義をめざす新しい探求が開始され、人口が13億を超える大きな地域での発展として、21世紀の世界史の重要な流れのひとつとなろうとしている」と答えた。
中国を天まで持ち上げる評価をくだした主な人物は、共産党最高理論家とされる不破哲三氏である。不破氏は2002年から数回、中国共産党中央の理論家たちと討論会をやり、国営資本などを経済の「瞰制高地(かんせいこうち=戦略拠点)」としてしっかり握ること、などと説教した(不破哲三著『マルクスは生きている』(平凡社 2009)。
中国側がこれをどう受け止めたかは、私のようなものでもわかる。天安門事件以後の中国の経済学界は「マルクス先生さようなら、ケインズ先生・フリードマン先生こんにちは」という雰囲気だった。中国の学生たちはわたしに例外なく「社会主義の後は資本主義が来る」といった。
不破氏の「中国は社会主義をめざしている」という評価は、氏との討論に参加した中国の理論家にとっては、表向きはともかく、内心はきまりの悪いものであっただろう。
鈴木氏はいう。「それから20数年経った(共産党の)2020年の第28回党大会において『中国はその乱暴な大国主義から、もはや社会主義とは言えない』というと同時に、志位委員長・貴方は『その経済の在り方について言うことは内政干渉になるので言えない』としています。野党で権力に関わっていない共産党が中国経済について分析し評価を述べることがなぜ内政干渉になるのですか」
「要するにかつて不破氏等が『中国は社会主義計画経済と市場経済を結合し創造的探究を行っている』と言っていたことがまったく誤っていたことを認めたくないだけではありませんか」
そこで鈴木氏は、社会主義は現実の政治目標となりうるのかと問う。
同氏によれば、共産党は「そもそも社会主義・共産主義はマルクスが述べているように資本主義の先進国からの変革が大道である」と言い出したが、先進国では日本だけで共産党が大衆的共産党として存在しているなか、その党も暫時その影響力を失っている。そうであるならば、もはや社会主義は目標になりにくいという。
率直にいえば、西ヨーロッパ諸国では共産党が無くなっているのに、先進国での社会主義革命もないものだということである。
氏は、マルクスの構想した社会主義から脱却せよという。「さしあたって、まずは『北欧型福祉国家』+『南欧型協同組合運動』を追求すべきではないか」という。
鈴木氏は、『ポスト資本主義のためにマルクスを乗り越える』 (かもがわ出版、 p280)で「我々のめざす運動はマルクスがどういったかを方向性とするのではなく、現実の社会状況、国家制度、運動をもとに、国民の願いにこたえて運動を積み重ねて行く方向に答えがあると考える」と言っている。
では、ついこの間まで地球上にあったソ連・中国などの社会主義をどう位置付けるか。
「レーニンや毛沢東は主観的意図としては『社会主義をめざした革命』を行ったのでしょうが、……その経済的・政治的・文化的基盤から社会主義へ移行することはできませんでした。……圧倒的多数を占める農民からの収奪により『本源的蓄積』を行い工業化したものの、独裁体制下の硬直した計画経済が破綻し『社会主義に行き着く前に崩壊した』と考えざるを得ないと思います」
だから、ソ連や中国は、「客観的には資本主義へ向かう独特の過渡期の政権・社会であった」というのである。
これは結果論であるが、わたしもこうとしかいいようがないと思う。
著作を読む限り、鈴木氏はできるだけ客観的に事実に即して冷静に物事を考えようとしている。共産党と志位委員長に対しては、舌鋒が鋭いときもあるが、悪意ではなく善意の批判をしていると私は受け止めた。これを共産党はなぜ党に対する攻撃とみなすのか。なぜ反共評論家と真の批判者の区別がつかないのか。
ひとつには共産党の組織原則が、異論を排除する強い傾向をもつものだからである。それに1960年代、70年代に入党した人は、たいてい党中央に忠実であることを良い党員の基準としているから、松竹氏や鈴木氏の問題提起を党に対する攻撃とすることに躊躇がない。
鈴木元氏はまもなく共産党から処分されるだろう。だが、そのあとに何が残るだろうか。
(2023・02・07)
阿部治平(もと高校教師)
2月6日日本共産党が松竹伸幸氏を除名したことについて、私の感じたところを本ブログに書いたばかりであるが(「八ヶ岳山麓から415」)、おそらく次の標的にされるであろう鈴木元氏のこともここに書いておきたい。鈴木元氏については前ブログでも紹介したが、1944年生れ。18歳で共産党に入党して以来、党歴60年のベテランである。
京都の共産党は、かもがわ出版の松竹信幸氏を除名した理由書で、鈴木氏の著作『志位委員長への手紙』(かもがわ出版 2023・01)を共産党に対する攻撃を書き連ねたものと非難している。
本の帯には「貴方はただちに辞任し、党首公選を行い、党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」とある。挑発とも思える文言だが、中身は批判と提案である。氏は、いわゆる研究者ではないが、党活動の豊富な経験と深い学識、冷静な情勢分析にもとづいた説得力ある議論を展開している。
ところが、それは戦後共産党史ともいえる内容で、わたしの力では概要を一口でいうことができないので、以下に目次の大項目を要約して記すことにする。
第一章 21年、22年の国政選挙で明らかになったこと
――先の衆参両院の選挙にみる党勢衰退の惨状とその問題点
第二章 安全保障政策に関する覚悟を決めた議論を
――共産党の防衛政策の変遷、アメリカ発の戦争よりも中露の危険が急上昇。安全保障を軍事論・憲法論だけでなく考える。多様な抑止力。日本が侵略された場合
第三章 多数決制の定着と党首公選を求める
――満場一致をよしとしたことの弊害。宮本顕治氏の誤りとその権威の源泉。「革命党の幹部政策」についてのナンセンスな論文
第四章 「党勢拡大月間」はいったん中止し、あり方を抜本的に検討する
――拡大の繰り返しで疲弊した党員。鈴木氏の経験。改革をしなかったために逃した党拡大のチャンス。青年分野での党建設のために「新日和見主義」の再調査・総括を
第五章 社会主義の理論問題で決着をつけておくべきこと
――スターリン、トロツキーの本格的評価をしなかった問題。混迷している現代社会主義国論。「社会主義国」の歴史上の位置づけ
第六章 「新たな前進を遂げるために分析・評価しておくべきこと
――あまりにも多くの知識人を切り捨てたことへの反省を
第七章 日本共産党の歴史とかかわって
――志位委員長の「党創立100周年記念講演」について。宮本路線の成果と限界。戦前の活動と丸山真男批判の是非。「50年問題」の整理とソ連からの資金援助問題
第八章 日本共産党の新生を願っての改革提案
――マルクス流共産主義を目標から外し、社会変革を願う人々との共同に努める。高度の社会福祉社会をめざす。党員参加の党首選挙の実施。指導部の任期、定年制度を。党員の義務についての再検討を。党名問題。新しい幹部と新しい路線を持とう
わたしが鈴木氏の本で注目したのは、マルクス以来の「社会主義」についての見方である。ソ連・東欧が崩壊したあと、「社会主義はどうなるか」という問いに対して、日本共産党は2004年の党大会で、中国・ベトナム・キューバを、「社会主義をめざす新しい探求が開始され、人口が13億を超える大きな地域での発展として、21世紀の世界史の重要な流れのひとつとなろうとしている」と答えた。
中国を天まで持ち上げる評価をくだした主な人物は、共産党最高理論家とされる不破哲三氏である。不破氏は2002年から数回、中国共産党中央の理論家たちと討論会をやり、国営資本などを経済の「瞰制高地(かんせいこうち=戦略拠点)」としてしっかり握ること、などと説教した(不破哲三著『マルクスは生きている』(平凡社 2009)。
中国側がこれをどう受け止めたかは、私のようなものでもわかる。天安門事件以後の中国の経済学界は「マルクス先生さようなら、ケインズ先生・フリードマン先生こんにちは」という雰囲気だった。中国の学生たちはわたしに例外なく「社会主義の後は資本主義が来る」といった。
不破氏の「中国は社会主義をめざしている」という評価は、氏との討論に参加した中国の理論家にとっては、表向きはともかく、内心はきまりの悪いものであっただろう。
鈴木氏はいう。「それから20数年経った(共産党の)2020年の第28回党大会において『中国はその乱暴な大国主義から、もはや社会主義とは言えない』というと同時に、志位委員長・貴方は『その経済の在り方について言うことは内政干渉になるので言えない』としています。野党で権力に関わっていない共産党が中国経済について分析し評価を述べることがなぜ内政干渉になるのですか」
「要するにかつて不破氏等が『中国は社会主義計画経済と市場経済を結合し創造的探究を行っている』と言っていたことがまったく誤っていたことを認めたくないだけではありませんか」
そこで鈴木氏は、社会主義は現実の政治目標となりうるのかと問う。
同氏によれば、共産党は「そもそも社会主義・共産主義はマルクスが述べているように資本主義の先進国からの変革が大道である」と言い出したが、先進国では日本だけで共産党が大衆的共産党として存在しているなか、その党も暫時その影響力を失っている。そうであるならば、もはや社会主義は目標になりにくいという。
率直にいえば、西ヨーロッパ諸国では共産党が無くなっているのに、先進国での社会主義革命もないものだということである。
氏は、マルクスの構想した社会主義から脱却せよという。「さしあたって、まずは『北欧型福祉国家』+『南欧型協同組合運動』を追求すべきではないか」という。
鈴木氏は、『ポスト資本主義のためにマルクスを乗り越える』 (かもがわ出版、 p280)で「我々のめざす運動はマルクスがどういったかを方向性とするのではなく、現実の社会状況、国家制度、運動をもとに、国民の願いにこたえて運動を積み重ねて行く方向に答えがあると考える」と言っている。
では、ついこの間まで地球上にあったソ連・中国などの社会主義をどう位置付けるか。
「レーニンや毛沢東は主観的意図としては『社会主義をめざした革命』を行ったのでしょうが、……その経済的・政治的・文化的基盤から社会主義へ移行することはできませんでした。……圧倒的多数を占める農民からの収奪により『本源的蓄積』を行い工業化したものの、独裁体制下の硬直した計画経済が破綻し『社会主義に行き着く前に崩壊した』と考えざるを得ないと思います」
だから、ソ連や中国は、「客観的には資本主義へ向かう独特の過渡期の政権・社会であった」というのである。
これは結果論であるが、わたしもこうとしかいいようがないと思う。
著作を読む限り、鈴木氏はできるだけ客観的に事実に即して冷静に物事を考えようとしている。共産党と志位委員長に対しては、舌鋒が鋭いときもあるが、悪意ではなく善意の批判をしていると私は受け止めた。これを共産党はなぜ党に対する攻撃とみなすのか。なぜ反共評論家と真の批判者の区別がつかないのか。
ひとつには共産党の組織原則が、異論を排除する強い傾向をもつものだからである。それに1960年代、70年代に入党した人は、たいてい党中央に忠実であることを良い党員の基準としているから、松竹氏や鈴木氏の問題提起を党に対する攻撃とすることに躊躇がない。
鈴木元氏はまもなく共産党から処分されるだろう。だが、そのあとに何が残るだろうか。
(2023・02・07)