2020.07.07 我孫子から沖縄へ
 韓国通信NO643
       
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

我孫子市議会の意見書提出が沖縄タイムスで紹介された。
韓国通信643写真

 今回の請願には新基地建設反対はもちろん、①多くの人が参加できる運動として ②署名をとおして沖縄県民の気持ちに寄り添いたいという思いがあった。
 請願の署名には日米安保条約賛成の人、基地賛成の人もいた。この請願でなければ署名しなかった人たちだ。だから市議会では保守系の議員を含めて多数が賛成した。市議会の賛成75%は沖縄県民の辺野古反対の7割に匹敵する。

 6月23日の沖縄慰霊の日、式典に招待されなかった安倍首相はビデオメッセ―ジで、「永きにわたる米軍基地の集中による大きな負担は到底是認できない。『できることはすべて行う』との方針のもと、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしたい」と述べた。
 なんと空々しい言葉か。言うこととやってることがまるで違う、テレビの前で唖然とした。怒りをとおりこして無性に悲しかった。
 首相の「真摯に受け止めたい」は常套句だが、請願署名のタイトルにも「真摯」という言葉が使われている。真摯な話し合いには、対等性と相手に対する敬意がなければならないと請願者代表は委員会で陳述した。沖縄を応援する市民たちが地元自治体を動かし「何が何でも辺野古」という政府に再考を促す運動は始まったばかり。巨額な税金の無駄遣い、十数年かけても役に立つかわからない辺野古基地への疑問の声は日増しに高まっている。
2020.07.06 遠ざかった夢、左翼衰弱の理由
       ――八ヶ岳山麓から(316)―― 

阿部治平 (もと高校教師)

いま日本の学生の多くは、自分のことに精一杯のためか、韓国や台湾の学生に比べて社会の動きに関心がうすいように思う。だが、第二次大戦敗戦後からおよそ30年間は、学生たちは政治の反動と軍国主義化に反対して活発に発言し行動した。
平田勝著『未完の時代―1960年代の記録』(花伝社2020・04)は東京大学を中心とした、60年代学生運動を指導した者の記録である。私たちが死力を尽くした60年安保闘争後の学生運動はどうなったのか強い関心があったので、私はこの本を一気に読んだ。

著者平田氏は1941年岐阜県御嵩町に生まれた。父は小学校教師。1年東京で浪人生活を送り、61年4月東京大学教養学部に入学、9月に共産党に入党した。当時駒場細胞(支部)はわずか10人に過ぎなかった。
平田氏は学問への強い思いをもちながらも、共産党の指示に従い学生運動に挺身した。65年ようやく本郷文学部中国哲学科に進学したが、本郷でも自治会議長にえらばれ、さらに代々木系(共産党系)全学連委員長になった。
全学連委員長時代は、ベトナム反戦、日韓条約反対運動など非常な盛上りがあった。当時は、「三派全学連がマスコミでは大きく報道され、彼らが学生運動の中心であるかのように報道されていたが、実際には『代々木系』といわれていた我々が全国学生自治会の7割を占め、大学を基盤とする地道な活動を展開していた」と自負している。三派全学連とは反代々木系(反共産党系)の新左翼政治党派がつくった学生組織だ。

彼が支持基盤とした民青(日本民主青年同盟、共産党の青年組織)は、60年代初めは微々たるものだったが、67,8年には東大同盟員は駒場・本郷合わせて1000人超、他でも1000人規模の大学が6,7校に達し、全国では20万に拡大した。これは彼らの努力が実ったものだが、多くの大学で新左翼政治党派間の暴力と流血に反発が広がったからでもあろう。
67年7月、18回全学連大会を最後に委員長を辞任し、教室に戻るとともに新日本出版社に入り、半学半労の生活をはじめた。ところが1968年医学部ストライキが始まり、ゲバルトが学内を席巻して安田講堂占拠に至った。平田氏は共産党中央とともに水面下で東大闘争の指導に当った。とくに文学部ストライキ収拾のために奔走した経緯は敬服に値する。
入学から8年目の69年6月教授と後輩の援助によって単位を修得し、卒業証書を手にした。郷里の父上はこれを喜んで額に入れて飾ったという。85年出版社「花伝社」を設立したとき共産党から離党した。現在花伝社代表取締役。

本書を60年代学生運動論だという人がいるが、私には「論」が読み取れない。彼が代々木系全学連を背負った時期、国内外に重大事件が幾度もあった。そのつど議論が起こり平田氏も発言したはずだ。その記録が本書にはないからである。
ところが本書第5章に40数ページにわたる1972年の「新日和見主義事件」に関する記述がある。私は一読して、これこそ彼の日本共産党論であり、最も語りたかったことだと思った。

「新日和見主義事件」は1972年に起きた共産党内の粛清事件である。この呼びかたは共産党中央のもので、粛清されたものが自らこう名乗ったわけではない。
60年代後半から共産党は、議会を通して改革・革命を達成しようとする「人民的議会主義」を提唱するようになった。ところが中央・地方の党員の中に、これでは選挙と「赤旗」拡大などに追われ、大衆運動が軽視される恐れがあるという批判や疑問が生まれた。関係者何人かの回顧録によると、とりわけ民青幹部にはこの傾向が強かった模様である。
71年12月に共産党中央委員会は、同盟員の年齢制限を28歳から25歳に下げ、幹部の年齢を30歳までとする規約改定を決定した。民青幹部の人事を党中央寄りに刷新するためであったと思われる。ところがこれに対して民青内部に反発が広がり、72年5月7日の民青全国党員会議では、党中央の年齢制限の方針は通らなかった。
世間では異論や反対論があるのは普通のことだが、共産党中央は民青が党の方針を拒否したことで異常に緊張し、強力な分派が存在するものと判断した。共産党では分派は「大罪」である。査問がただちに開始された。機関紙「赤旗」は新日和見主義批判のキャンペーンを張った。

ところが平田氏は「党中央がなにをもって新日和見主義というかは極めてあいまいだった」そして「当初、共産党は事件を過大に描いていた。外国の勢力(北朝鮮)……と組んだ強大な反党分派が存在するという前提で査問を開始した」という。
査問の対象は、民青幹部、共産党系の出版社、通信社、知識人あわせて600人に及んだ。
この結果、民青中央委員の川上徹(故人)を中心とする、党中央に疑義や反対意見を持つものによる「こころ派」という分派があることがわかった。ただ査問をした人物の発言からすれば、「派」というには確たる政治綱領もまとまりもない「星雲状態」の集団であった。

最終的に党員約100人が党員権停止などの処分をうけ、この多くが民青・党の役職から放り出された。これに対して平田氏は「こころ派に加わっていた者を除き、地方の民青幹部や各種大衆組織、通信社や出版社の査問を受けた者は、ほぼ100%冤罪だと断定できる」と判断している。
査問なるものは尋常な取調べではなかった。平田氏によれば、病気療養中のものを含めて、これぞという者何人かをいきなり連行し、……容疑者に対しては頭から分派と決めつけ、1~2週間も拘束して連日長時間の取調べを行った。家族にも連絡させず、自殺予防のために付添をつけ、寝るときはもちろんトイレにも一人で行かせなかった。
平田氏はさいわい査問されなかったが、今日警察でもこんな人権無視のやり方はできない、「このような査問が、治安維持法の時代ではなく、日本国憲法下で行われたのだ」と憤慨している。
その2年と3年ののち共産党は、新日和見主義分子摘発に活躍した大阪と愛知の民青委員長が警察のスパイだったという事実を公表した。平田氏は「党中央はスパイと一緒になって、新日和見主義一派を民青からたたき出したという構図になった」という。

さて、平田氏は事件の左翼運動に対する影響についてこう評価している。
「1960年代に盛り上がった学生運動は、1972年に起こった新日和見主義事件で頓挫する。……(西欧左翼と比較したとき)その後の強力な民主主義運動を生み出すことにも直接つながらず、政党の刷新や新党の結成など新しい政治潮流を生み出すこともできなかった」
「この事件は、その後の民主運動はもちろん、党の勢いにも影響を及ぼすのではないかと当時から私は思っていた。民主運動、革命運動にとっての世代断絶を引き起こしたのだ。事態はその時憂慮していた通りに推移している」
優秀な青年が左翼陣営の一員として生きることを許されなかったのである。私もこれはイタリア共産党などとは大きな違いだったと思う。
共産党は70年代のいくつかの選挙で勝利した。だが長続きしなかった。民青は衰弱の一途をたどり、かつての20万人から2017年には9500人まで減少した。いま共産党のおもな活動家は70歳代だ。20、30歳代の党員はおそらく数%であろう。

平田氏は、「(公式の党史の)『日本共産党の八十年』から新日和見主義事件に関する記述はすべて消された。共産党はこの事件が『風化』することを待っているのだろうか」と強い不満を明らかにしている。私も共産党は、公党として党史から新日和見主義事件を削除した理由を明らかにすべきであると考える。それは左翼運動に対する義務である。


2020.06.29  安倍政権8年間のレガシーは「アベノマスク」だけだった

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 毎日新聞6月18日の記事、「安倍政権の8年は何だったのか、「レガシーは『アベノマスク』だけ」、憲法改正困難に」を読んで思わず噴き出してしまった。安倍政権の本質をこれほどまで見事に活写した見出しはかってなかったからだ。6月17日に閉会した通常国会では多数の法案が成立したにもかかわらず、衆参両院の憲法審査会の審議が低調に終わり、自民党が早期成立を目指す国民投票法改正案はたなざらしとなった。安倍首相の党総裁任期満了が来年9月と迫る中、在任中の憲法改正はもはや「絶望状態」になったと言ってもよい。自民党内からは「8年もやってレガシー(遺産)は『アベノマスク』だけでは」と焦りの声が漏れ始めたという。

 私の手元では安倍政権の「遺産」であるアベノマスクを大切に保存している。友人の中にも同じよう思いの者が結構沢山いて、先日も久しぶりの飲み会で「アベノマスク同好会」をつくり、末永く安倍政権の「遺産」を語り継ごうと大いに盛り上がった。それほどアベノマスクは国民的反響を呼び、安倍政権の本質を象徴する存在になったのである。8年間にわたる歴代最長の政権であるにもかかわらず、国民の記憶に残ったのは「アベノマスクだけ」というのは余りにも惨めで悲しいが、それが現実であるだけに受け入れるしかない。

 国会閉会翌日の6月18日、安倍首相は官邸で恒例の記者会見を開いた。夕方の6時からという時間帯にテレビ同時中継があるとあって、多くの視聴者の耳目をそばだてたに違いない。私もミーハー的興味で視聴したが、「プロンプター安倍」の冒頭演説はいつも通り。触れたくないことや肝心なことはすっ飛ばし、あとは政策課題を羅列して空虚な決意を示す―という型通りのものだった。外交日程を理由に質問が10分で打ち切られたのもいつも通りで、黒川東京高検検事長のことや野党の国会延長に関する要求など、都合の悪いことについては一言も語らなかった。これに関するNHK政治部記者の解説もいつも通りで、首相会見の要旨をただなぞらえただけの無内容そのものだった。

 各紙6月19日の「首相会見の要旨」も読んでみたが、その中で気になったテーマについて2つだけ取り上げてみたい。第1は河合夫妻逮捕問題、第2は未来投資会議での「新たな社会像、国家像」だ。河合夫妻逮捕についての冒頭発言は、以下のようなものだ(毎日)。
 「本日、我が党所属であった現職国会議員が逮捕されたことは大変遺憾だ。法相を任命した者として、責任を痛感している。国民に深くお詫びを申し上げる。国民の厳しいまなざしをしっかりと受け止め、我々国会議員は改めて自ら襟を正さなければならない」 この発言については、次のような問題点を指摘できる。
 (1)法と秩序を守る立場にある法相が、あろうことか「巨額のカネで票を買う」という前代未聞の公職選挙法上の買収行為を犯したにもかかわらず、河合(夫)本人の名前や職責を明らかにせず、責任追及をあいまいにしている。また、買収選挙で当選した河合(妻)の名前も伏せ、「我が党の現職国会議員が逮捕された」とだけしか言わない。これは、これまで一切の説明責任を果たさず、議員辞職をも拒んでいる河合夫妻への露骨な擁護姿勢をあらわすもので、目に余るとしか言いようがない。
 (2)河合(夫)を法相に任命した総理責任を「痛感している」と言いながら、具体的にどのような責任を取るかについては、いつものように言及を避けている。河合(妻)が出馬した参院選に際しては、選挙資金として破格の1億5千万円を党本部から支出し、自らも応援演説で「アンリ!」「アンリ!」と絶叫したにもかかわらず、身に降りかかる火の粉を払うためか、党総裁としての政治責任を回避している姿は如何にも見苦しい。
 (3)極め付きは、自らの責任を棚に上げ、〝国会議員総懺悔〟ともいうべき国会議員全体の責任にすり替えていることだろう。「我々国会議員は改めて襟を正さなければならない」などとはよくも言えたもので、これは戦争責任を免れるため当時の指導者が〝国民1億総懺悔〟と言ったのと同じ論法だ。よく出てくる「与党も野党もない」という安倍首相のフレーズも、与野党ゴッチャにして自民党の政治責任をあいまいにするときによく使われる常套文句と化している。
 
  次に、拙稿がこれまで取り上げてきた「新たな日常」(ニューノーマル)に関する未来投資会議への言及も注目される。
 「私たちは今回の感染症を乗り越えた後の新しい日本の姿、ポストコロナの未来も描いていかなければならない。集中から分散へ、日本列島の姿、国土の在り方を今回の感染症は根本から変えていく。コロナの時代、その先の未来を見据えながら、新たな社会像、国家像を大胆に構想していく。未来投資会議を拡大し、幅広いメンバーに参加いただき、来月から議論を開始する」

 前回の拙稿でも紹介したように、日本の「成長戦略の司令塔」である未来投資会議では、国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしている状況に乗じて、マイナンバーカードのひも付けなどを初めとして経済社会の「デジタル化」を一挙に実現すべく、一連のショックドクトリン政策が講じられてきた。ところが今回の記者会見では、それがいつの間にか「新たな社会像、国家像を大胆に構想していく」に格上げされているではないか。コロナ時代だからといって日本国土の姿や日本社会の姿が一挙に変わるわけでもあるまいに、それを「今回の感染症が根本から変えていく」などというのは、そこに何か思惑があってのこととしか考えられない。

 思いつくのは、最近になって今年秋に解散総選挙が行われるとのニュースが数多く流れるようになったことだ。麻生財務相が安倍首相と差しで会談したとか、甘利氏が「解散真近」などと触れ歩いているとか、二階幹事長が各派閥の会合に出向いているとか、とかく話題に事欠かないのである。私は、未来投資会議で「新たな社会像、国家像を大胆に構想する」のは、支持率下落一方の安倍政権が「九死に一生」の秘策としてコロナ危機に乗じた「新たな社会像、国家像」を打ち出し、それで総選挙を戦おうとしているのではないかと考えている。これまでの失策の全てをコロナ危機に乗じて「帳消し」にし、新たな社会、新たな国家を安倍政権とともにつくろうと訴えるためである。

 共同通信社が6月20、21日両日に実施した全国世論によると、内閣支持率は前回(5月29~31日実施)の39.4%から36.7%へ2.7ポイント続落し、2017年7月(加計学園問題当時)の最低35.8%に次ぐ低さとなった。また。不支持率は45.5%から49.7%へ4.2ポイント上昇した。理由は明白で、河合夫妻の議員辞職の必要性について「辞職すべきだ」90.4%、安倍首相の責任について「責任がある」75.9%と驚くべき高さの数字が出ているにもかかわらず、河合夫妻も安倍首相もいっこうにその責任を取ろうとしていないからだ。

 今年秋までコロナ危機は収束するか、第二波、第三波の感染が襲ってこないのか、河合夫妻立件にともなう裁判はどう進行するかなど不確定要因は山積しており、政局の行方を見通すことは極めて難しい。だが1つ言えることは、未来投資会議でどれほど大胆な構想に彩られた「新たな社会像、国家像」が打ち出されたところで、河合夫妻のような前代未聞の買収選挙の記憶が国民の脳裏から消えるはずがないということであり、安倍政権の「九死に一生」の秘策など通用する余地がないということである。所詮「百の説法、屁一つ」なのである。
2020.06.23  我孫子市議会の意見書提出について(報告) 
          韓国通信NO641

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 地元市議会に対する請願の結論が出た。
 本会議に先立ち、総務企画委員会では委員全員が賛成という信じられない採決をへて、本会議では5人の自民党系議員が反対したものの賛成多数で採択された。
 以下は当日傍聴に来た方に配った報告である。沖縄の辺野古基地問題で意見書を提出するのは千葉県では初。自民系が分裂。その他の会派は全員賛成という結果に注目していただきたい。

 本日6月18日、我孫子定例議会は私たち市民の請願によって下記意見書を採択しました。
<賛成 18 反対 5 保留0 > 

 
内閣総理大臣 安倍晋三様
国土交通大臣 赤羽一嘉様
防衛大臣  河野太郎様

辺野古基地について沖縄県と真摯に話し合うことを求める意見書
                         
 沖縄県が2019年2月24日に実施した県民投票によって辺野古基地建設反対の県民の意思が明らかになりました。しかし、政府は現在、国の安全保障にかかわる問題として県民の意思を尊重せず、埋め立て工事を進めています。
 国土の0.6%の沖縄が在日米軍専用施設・区域の約70.3%を負担するという苛酷な状況から生まれる苦痛は察するに余りあります。一地方自治体の民意を政府が考慮を払わないことに沖縄県外の住民としても看過できません。
 沖縄県民の意思に寄り添って、政府が沖縄県と真摯に話し合って頂くよう求めます。
 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。
令和2年 6月 18日
千葉県我孫子市議会議長 西垣 一郎
  


 意見書は極めて簡潔に、沖縄県の住民投票が示した基地建設反対の意思を尊重するよう政府に求めるもので、沖縄県民に強いている犠牲を私たちは見過ごすことはできないと主張しています。

<活動の経過>
 請願書の文章が完成して請願運動を始めたのは2月初旬でした。新型コロナウィルス騒ぎのさなか、苦労しましたが、620名もの請願者が集まりました。署名者は我孫子市を中心に千葉県、東京、神奈川、茨城、栃木まで広がり、若者を含め多くの年代層、特に女性たちの積極的な参加が特徴的でした。
 請願は、「辺野古」はすべての人にかかわる「自分の事」と呼びかけた玉城沖縄県知事の発言に応えたもので、民意の尊重と沖縄を孤立させない私たちの思いがしっかりと込められています。

<さらに多くの声を>;
 人口13万人あまりの小さな我孫子市で、この意見書が採択された意義はとても大きいと思います。市議会定数24名のうち清風会(自民系)8名、公明党4名、無所属フォーラム3名、あびこ未来3名、NEXTあびこ2名、日本共産党2名、あびこ維新2名という構成のなかで、市政と比較的なじみのうすい基地問題が真剣に討議され、請願の趣旨が理解されたのは画期的なことです。国政レベルでは進展が見られないなか、本日私たちの思いが確実に伝わったことを確信しました。
 請願活動のさなか、政府は中断していた埋め立て工事を再開するという暴挙に出ました。しかし住民の抗議でイージス・アショア計画が白紙に追い込まれたように、辺野古にも展望が大いに見えてきたのを感じます。
 今回の我孫子市民のメッセージは、沖縄はもとより全国の人たちに届くことでしょう。沖縄に連帯する声がさらに広がれば希望になります。

 最後になりますが、今回の請願の紹介議員としてご協力をいただいた坂巻宗男議員に心からの感謝を申し上げます。また署名にご協力いただいた皆さんに心から感謝申し上げます。
2020年6月18日
2020.06.16  安倍経産内閣の堕ち行くところ、新型コロナ対策補正予算にみる究極の腐敗構造

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 安倍内閣が、新型コロナウイルス感染症緊急経済対策として打ち出した1次補正予算および2次補正予算案をめぐって国会が紛糾している。「Go To キャンペーン委託費最大3095億円」「持続化給付金委委託費769億円」「予備費10兆円」が3大テーマだ。いずれもコロナ危機に乗じて巨額の予算を組み、その執行を経産官僚が仕切り、経産省関連企業や関係外郭団体に膨大な事務委託費や事業費を流すという〝税金私物化事業〟が国会の俎上に上がっていうのである。

 安倍内閣は、かねてより官邸官僚(経産官僚)が支配する独断専決内閣として知られてきたが、それが「モリカケ問題」や「桜を見る会」などの国政私物化につながり、今度はコロナ危機に乗じた〝税金私物化〟にまで発展してきたのだから、その腐敗ぶりは止めを知らない。しかも、その規模が半端なものではなく、「Go To キャンペーン事業(1次補正)」は1兆7千億円、「持続化給付金(1次補正+2次補正)」は4兆2千億円、「予備費(1次補正+2次補正)」はなんと11兆5千億円に上るのである。

 6月9日の衆院予算委員会の国会中継を見たが、知れば知るほど疑惑が増し、腹立たしさを抑えることができない。中小企業などへ国が最大200万円を支給する持続化給付金事業769億円を受諾したのは、経産省が便宜を図って電通やパソナなどが2016年に設立した名もない「トンネル組織」の社団法人だ。社団法人のオフィスはビルの一角の誰もいない小部屋で、明かりも点いていなければ電話も通じない。聞けば、社員は「リモートワーク」で仕事をしているのでオフィスには居ないのだという。社団法人の代表役員は「私は飾りですよ」と言って即座に辞任したが、そんなユーレイ組織が769億円もの持続化給付金事業を受託し、差額20億円を「中抜き」して電通にそのまま「丸投げ」(749億円で再委託)したのだから、まるで三文小説張りの絵に描いたような話ではないか。

 新型コロナウイルス感染症緊急経済対策の中に、「次の段階としての官民を挙げた経済活動の回復」という項目で計上された観光や飲食の喚起策、「〝Go To″キャンペーン事業」に至っては、まさに経産省肝いりの生々しい(毒々しい)〝税金私物化事業〟そのものだろう。6月4日の毎日新聞は、この点に鋭く切り込んでいる。本来、今回の事業が観光行政を担う国交省ではなく、経産省が所管しているのはなぜかということについて、野党からは「どうして経産省なのか?」との質問が相次いだが、経産省担当者は「いろいろな業種がかかわるので経産省で一括して計上した」と訳のわからない説明を繰り返すばかり。赤羽国交相も「経産省の言う通り」と追随し、観光業の支援策が中心となる巨額事業を経産省が取り仕切ることになった経緯ははっきりしなかった――と結んでいる。

 しかしその回答は、経産省が「Go Toキャンペーン事業」の運営事務局となる事業者への委託費を最大3095億円と見積もっていることにある。赤羽国交相は巨額の委託費の算出根拠について「経産省が18%ぐらいの想定をした」(毎日、6月4日)と答弁していることから、経産省が事業費の2割にも上る巨額の予算を最初から計上し、それらを経産省の関係企業や関係団体に流すことを意図していることは明らかだろう。

 すでに委託先は公募が始まっており(5月26日~6月8日)、専門家ら6人の有識者でつくる第三者委員会で事業者の提案内容を審査して選定するのだという。ところが、野党から第三者委員会のメンバーや議事録を公開すべきだと求められたところ、経産省の担当者は「個別事業の採択を選定する審査会のため、公表は考えていない」と拒否した。これでは、第三者委員会が「身内専門家」で構成されることも可能になるし、3095億円もの巨額委託事業の選定過程が「個別事業」ということで、談合や取引の実態はすっかり隠されてしまうことになる。要するに「Go Toキャンペーン事業」は、「Go To=イケイケドンドン」という名の通り経産省の「やりたい放題事業」であり、安倍経産内閣における経産官僚の驕りと専制支配を示す生々しい(毒々しい)〝税金私物化事業〟なのである。

 だがさすがに、こんな露骨極まりない事業は(そのまま)通らない。轟々たる批判の声が沸き起こるなかで政府は6月5日、「Go Toキャンペーン事業」の事務局を委託する事業者の公募を中止し、やり直すと発表した。見直しの肝は経産省が一手に仕切っていた事業者の選定を(当たり前のことだが)観光支援は国交省、飲食支援は農水省、商店街とイベント支援は経産省に各々事業分野ごとに分けることにある。「安倍経産内閣」の一角が崩れた瞬間だ。「Go Toキャンペーン事業」の旨味を経産省が独占できなくなり、国交省や農水省にも応分の「分け前」を与えることになったのである。

 だが、それでも経産省は引き下がらない。菅官房長官は6月8日の記者会見で、野党が「税金の無駄」と批判している最大3095億円の事務委託費について、「過去の類似事業を参考に計上したもので、減額は考えていない。予算の範囲内で極力、効率的に執行することが重要だ」と述べた(時事ドットコム、6月8日)。赤羽国交相が「説明責任が尽くせるよう可能な限り縮小する」と6月3日の衆院国交委員会で言明したにもかかわらず(毎日、6月4日)それを真っ向から否定する見解だ。背後にはあくまでも3095億円の委託費を死守しようとする経産官僚の暗躍があるのだろうが、もはやこんな態度は維持できないだろう。早晩、何らかの形で委託費減額の措置に踏み切らざるを得ないに違いない。

 最大の問題は、31兆9千億円の2次補正予算案の中に約3分の1に当たる10兆円もの巨額予備費が計上されていることだ。日経新聞(6月3日)は、「予備費10兆円 異例の巨額」の中でこう書いていている。「政府は新型コロナウイルスの感染拡大を受けた2020年度第2次補正予算案で10兆円の予備費を計上した。過去20年の平均予備費と比べると20倍近い異例の規模で、新型コロナの感染が再拡大するリスクに備える。巨額の使い道は政府の裁量が大きく、国会の監視が届かない危険性がある」。だが、日経記事には決定的に見落としている点がある。それは「新型コロナ再拡大のリスクに備える」という政府口上をそのまま信じるのなら話は別だが、通常ならば10兆円という巨額予備費に中に、何か政府が実現を担う「隠し予算」が含まれていると考えるのが自然ではないか。

 前回の拙稿でも紹介したように、日本の「成長戦略の司令塔」である未来投資会議においては、〝ショックドクトリン=惨事便乗資本主義〟のセオリーに忠実な政策形成が行われている。国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしているいま、マイナンバーカードのひも付けなど長年の国家的懸案を一気に実現しようとする絶好の機会と把握されているからだ。

 実際、コロナ危機に乗じてデジタル政策を推進しようとする財界の勢いには凄まじいものがある。4月当初に生まれたばかりの「新たな日常」というキーワードが、5月には早くも国際共通語の〝ニューノーマル〟と改名され、「ポストコロナ時代に目指すべき社会像」として定立された(知的財産戦略本部会合、5月27日、首相官邸HP)。5月に策定されたばかりの「知的財産推進計画2020~新型コロナ後の『ニューノーマル』に向けた知財戦略~」では、知的財産戦略本部がこれまで検討を進めてきたデジタル社会への知財戦略が、新型コロナによって一気に実現できる「千載一遇の機会」が訪れたとの認識が示されている。少し長い引用になるが、政府の基本認識を紹介しよう(「知的財産推進計画2020」、同概要、2020年5月、首相官邸HP)。
 
 「今般の新型コロナの世界的蔓延は、経済社会システムの在り方自体に不可逆的な大きな変革をもたらすものであり、その流行が沈静化して緊急時モードが解除された後においても、世界は『元に戻る』のではなく、経済社会の多くの側面で『新型コロナ以前』の常識が『ニューノーマル(新たな日常)』に取って代わられるであろう。その認識を広く共有することが肝要であると同時に、世界がニューノーマルへと動く中で、我が国はむしろその変革を先頭に立ってリードすべく、官民を挙げて必要な取組を加速すべきである」

 「新型コロナ以前の段階においては、知財戦略を検討する上での指針となる我が国が目指すべき社会像として、『価値デザイン社会』と『Society 5.0』が示されていた。知的財産戦略本部・構想委員会では、2019年10月以降、これらの社会像の実現に向けた知財戦略の検討を行ってきたが、その過程でコロナ・パンデミックが発生した。平時においては『価値デザイン社会』や『Society 5.0』に向けた変化は連続的であったが、新型コロナは劇的に社会全体のリモート化・オンライン化や人々の行動変容、さらには変化に対する高い受容性をもたらし、『価値デザイン社会』と『Society 5.0』を一気に実現させる非連続的な社会変革が可能な千載一遇の機会が訪れている。我が国は、こうした社会変革を達成した姿としてのニューノーマルを目指すべきであり、その実現のための知財戦略が求められている」

 就任3年目を迎えた経団連の中西会長も共同通信などインタビューに応えて、感染収束後の「新たな成長」を実現するため、デジタル化を梃子に社会構造改革に取り組む意気込みを示している。デジタル革新への投資を加速させ、大幅に悪化した経済の回復を目指す考えだ。また、新型コロナ問題への対応では、「政府や行政の電子化の遅れを皆が感じた。企業だったら潰れている」と危機感を示し、医療や教育、産業などさまざまな分野での徹底した規制改革とデジタル化・データ共有化の推進が重要だと訴えた(京都新聞、6月2日)。

 総額11兆5千億円に上る巨額予備費のなかに、「新たな成長=デジタル革新=ニューノーマル社会(新たな日常)」を実現するための「隠し予算」が含まれていると考えない方がおかしい。安倍経産内閣が計上する巨額予備費は、二波三波の新型コロナウイルスに備えると称して、その実は「ニューノーマル社会」を実現するための予備費であることが明らかなのである。
2020.06.08  新型コロナウイルス対策に便乗した安倍政権のショックドクトリン政策
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 5月25日、全国の緊急事態宣言が解除されてから1週間余りの時が流れた。1週間後の6月1日がちょうど月の変わり目でしかも月曜日なので、何だか空気が変わったような気がして少し楽な感じになった。だが、外出して見ると、圧倒的多数の人々が依然として不気味なマスク姿で歩いている。それも人出の多い場所だけではなく、公園や広場などでも同じ光景が広がっているのである。

 個人的なことを言えば、私はマスクが嫌いだからできるだけつけないことにしている。だから、この間も人混みの多い場所や電車の車内以外はほとんどマスクをつけることはなかった。まして屋外を散歩するときは、マスクをつけることなど思いもよらない。新鮮な空気に触れることが目的なのに、なぜそれを遮るような物体でわざわざ口を覆わなければならないのか。こんなことが習慣になると、国民全体がまるで〝猿轡〟(さるくつわ)を嵌められて、「物言わぬ民」にさせられるような気持になる。

 それにマスクというと、すぐに「アベノマスク」を連想するのでなおさら気分が悪い。我が家にも数日前「アベノマスク」が届いたが、こんなものに数百億円近い予算を浪費したというから、見るだけで涙が出るぐらい腹が立つ。聞くところによると、国民全体にマスクを配るとみんなが喜ぶ、パッと不安がなくなるなどと馬鹿な側近が言ったらしいが、それを真に受けて御当人が実施に移すのだから、その知的レベルは想像の域を越えている。20世紀の政治史上、まさにこれほど幼稚で姑息な施策は例を見ないとして、また日本の政治や政治リーダーの資質がここまで劣化した記念の印として、「アベノマスク」は末長く保存されるに違いない。

 だが、笑ってばかりはいられない。「アベノマスク」に象徴されるような安倍政治の裏では、新型コロナウイルス感染症への恐怖に乗じた〝ショックドクトリン政策〟が展開していることに留意する必要がある。ショックドクトリン政策とは、人々が政変・戦争・災害・疫病などの危機的状態に直面したとき、ショックで茫然自失状態に陥り、正常な判断力を失う事態に便乗して、時の権力が過激なまでの市場原理主義を導入して経済改革・構造改革を実現しようとすることをいう。

 その第一波が、6月1日の毎日新聞が1面及び3面トップで伝えた「全口座 マイナンバー連結、政府、義務化を検討」の策動だろう。安倍首相は5月25日の記者会見で、一律10万円の給付金の支給に時間がかかっていると指摘され、「十分に進んでいない点があると認めなければならない。マイナンバーカードと銀行口座が結び付いていれば、スピード感を持って対応できたんだろうと思う」と、暗にその意図を表明した。

 毎日記事によれば、事態はもっと進んでいるらしい。高市総務相が5月1日の記者会見で「今後の災害対応や相続を考えると、ひも付け(預金口座とマイナンバーカードを連結)は重要なポイント」と口火を切り、8日には稲田自民党幹事長代行が「ひも付けして、次に給付する時には使えるようにすべきだ」と首相に進言している。これを受けて、自民党は11日にマイナンバー活用のプロジェクトチームを設置し、21日に首相に提出した2次補正予算に関する提言では、「政府は緊急時の給付や相続整理をより効率化するため、利便性向上と安心の観点から、ひも付けの義務付けを目指すこと」を求めたという。

 要するに、これは国民への給付金をスムーズに行うとの口実の下、マイナンバーと国民の全預貯金口座をひも付け(連結)して「国民総背番号制」を実質化しようとするショックドクトリン政策の具体化にほかならない。国家が国民の資産状況を全て把握することにより徴税に役立てることは勿論のこと、国民生活をまるごと管理して国家統制を強めようようと極め付きの政策なのである。だが、このアイデアが安倍内閣やその周辺から出てきたと考えるのは甘すぎる。今回の新型コロナ対策に当たっては、その「司令塔」ともいうべき財界主導の組織が存在する。その名を「未来投資会議」(議長・安倍首相)という。

 未来投資会議は、「日本経済再生本部の下、第4次産業革命をはじめとする将来の成長に資する分野における大胆な投資を官民連携して進め、『未来への投資』の拡大に向けた成長戦略と構造改革の加速化を図るため、産業競争力会議及び未来投資に向けた官民対話を発展的に統合した成長戦略の司令塔として、未来投資会議を開催する」(2016年9月日本経済再生本部決定)というもので、総理が議長、副総理が議長代理、経済再生担当相、経済産業相、内閣官房長官が副議長を務め、構成員には日本経団連会長、経済同友会代表幹事、竹中平蔵元経済相をはじめ国家改造志向の経済人が数多く有識者として参加している(「未来投資会議」、以下同じ、首相官邸HP)。

 このように未来投資会議は「未来への投資」に関わる国家の成長戦略の司令塔であり、議題もこれまではもっぱら経済投資に関するものだった。月1回開かれる会議の議題を見ると、今年に入ってからは第35回会議が「新たな成長戦略実行計画策定に向けた今後の進め方」(2020年2月)、第36回会議が「サプライチェーン、観光等、キャッシュレス、中小企業の生産性向上、環境・エネルギー」(2020年3月)というもので、それほどの違和感はなかった。

 ところが、4月の第37回会議に入ると「新型コロナウイルス感染症に関する対策の具体化」がいきなりトップの議題として取り上げられ、5月の第38回会議でも「新型コロナウイルス感染症拡大への対応」が最優先議題としての位置を占めるようになった。日本政財界挙げての「成長戦略の司令塔」である未来投資会議において、なぜ新型コロナウイルス感染症対策の議論が行われるのか一般的には理解し難いが、しかし、〝ショックドクトリン=惨事便乗資本主義〟のセオリーからすればこれほどわかりやすい例はない。国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしている現在、この瞬間こそが長年の国家的懸案を一気に実現しようとする絶好の機会だと把握されているからである。

 今回、政府の新型コロナ対策の名称が「新型コロナウイルス感染症緊急対策」ではなく「新型コロナウイルス感染症緊急〝経済〟対策」となっているように、安倍政権の狙いは、コロナ対策に便乗して新たな経済政策を打ち出し、「新たなビジネスモデル=新たな日常」を構築しようとすることにある。第37回会議(4月3日)において、内閣官房から提起された「論点メモ」には、その意図が以下のように述べられている。

 【新型コロナウイルス感染症拡大への対応、(1)基本的な考え方】
 「新型コロナウイルス感染症の完全収束は、ワクチンができるまで長期的なものとなる可能性。今は新型コロナウイルス感染症の感染拡大の防止や重症化防止が最優先課題であり、事業者の雇用維持や事業継続・資金繰りへの支援等に万全を期す必要がある。その上で、経済活動について感染症拡大の前のビジネスモデルに完全に戻ることは難しいと認識すべきであり、かってのオイルショックのように、中長期的に、不可逆的なビジネスモデルの変化、産業構造の変化をともなうものと考えるべきではないか。今後は、感染拡大防止と経済活動を両立する『新たな日常』を探るべきであり、新たなビジネスモデルの検討が必要ではないか」

 これを受けた第38回会議(5月14日)では、前回の「論点メモ」を如何にして具体化するかについて率直な討論が行われた。以下はその抜粋である(議事要旨)。

 「新型コロナは日本の問題点を浮き彫りにしている。対面書面主義の法制度と社会構造から、オンライン・ディジタル完結型社会への早急な転換を迫っている。特に、マイナンバーに関する法整備とコンピューターシステムは抜本的に見直すべき」(ITコンサルティング会社社長)
 「新型コロナをトリガー(引き金)にして、何を加速しあるいは何を変革すべきかというのはかなり明確で、相対的に遅れているデジタル化の加速とサプライチェーンの変革だと思う」(素材メーカー会長)。
 「経済対策として、現金などの給付にあたっては、これはぜひマイナンバーとひも付けていただきたい。マイナンバーにひも付けて、例えば高額所得者は確定申告や年末調整でも返してもらえるようなことができるであろうし、これがきっかけになって個人認証システムという重要な社会のインフラが進むことを期待している」(竹中平蔵氏)
 「大変ビジネスの環境が変わってくることをしっかり見つめた経済界の動きを大いに議論して次に備えていくことが必要だと思っているので、その辺も含めて今日もいろいろと事務局から御説明のあった体力をきちんとキープするような施策は大変大事だと思っている」(中西日本経団連会長)
 「もう次はないと思っている。コロナ危機後、日本の再生あるいはリセットのためのラストチャンスのつもりで、財界、政府、学会、国民。これら全部が日本のステークホルダーという意識の下、取り組んでいかないと、この国は沈没しないまでも埋没していくという危機感を是非共有したいと思う。今回をきっかけに、今度こそ日本の社会構造を転換していく。その取組に当たって同友会としても微力を尽くしていきたいと思っている」(桜田経済同友会代表幹事)

 これらの意見は、安倍政権のコロナ対策の柱となり、補正予算の骨格となっていくが、それらがマイナンバーと国民預貯金口座のひも付けなど、どんなショックドクトリン政策としてあらわれてくるか、引き続き注目していきたい。

2020.05.22  検察官OB一揆を全面的に支持する           その危機感を「ロッキード世代」として共有する

塚原 政秀 (ジャーナリスト、   元共同通信社会部長)

検察官の定年延長を政権の判断で延長できるようにする検察庁法改正案について、検察官OBたちが5月15日、安倍晋三政権の理不尽なごり押しに抗して立ち上がった。44年前の田中角栄元首相らが逮捕・起訴された東京地検特捜部の「ロッキード事件」捜査に加わった元検察官たち14人。検察トップだった松尾邦弘元検事総長(77)をはじめ、堀田力元法務省官房長(86)らいずれも以前の検察捜査の強者たちである。
 14人を代表して松尾さんと元浦和地検検事正の清水勇男さん(85)がこの日午後、法務省に赴き、森雅子法相あての検察庁法改正案に反対する意見書を提出、この後、司法記者クラブで記者会見した。改正案は、内閣や法相が判断すれば、検事総長、次長検事、検事長、検事正などの検察幹部がそのポストに最大3年、とどまれる。「役職定年」の延長もある。意見書は、この法改正について「検察人事への政治権力の介入を正当化し、政権の意に沿わない動きを封じて、検察の力をそごうと意図している」と厳しく批判した。
OBとはいえ、検察のトップまで務めた人たちが、政権に反旗を翻すことは異例中の異例のことだ。私はこの行動を安倍首相によるメチャクチャに強引な政権運営への検察官OBの止むに止まれぬ「検察官OB一揆」だととらえている。

 意見書は「かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査・公判の推移を見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった」と書いている。私もその「ロッキード世代」の一員だった。1976年2月、米国で発覚したロッキード事件の前後5年間、共同通信社会部で検察を担当した。司法記者クラブでは各社ともそれぞれ担当があり、私は東京地検の豊島英次郎次席検事(後に名古屋高検検事長)と〃ミスター検察〃といわれた吉永祐介特捜部副部長(後に検事総長)=いずれも故人=の担当だった。朝、昼、夜回りと毎日何度も顔を合わせた。検察も「国家権力」なので、これを記者クラブ記者の「権力との癒着」という人もあると思う。善し悪しは別にして、当時の特捜検察とメディアの記者の関係は「巨悪を許さない」という1点で一致していた時代だったと思う。

 今回、意見書を出した14人の方々とは、お名前は存じ上げている方はあるものの、直接の面識はない。しかし、毎晩、お宅にお邪魔した豊島氏や吉永氏とは退職後も時折、交際があった。お2人とは人間的なつながりもあったと思っている。そういう意味で私も「ロッキード世代」の1人であることは間違いない。だからこそ、私は 年齢的には少し後輩に当たるが、14人の方々の勇気と正義感や危機感を共有したい。いま、黙っていることはせっかくみんなで築いてきた「戦後民主主義」を崩壊させることになる。

在京紙では、意見書全文は東京新聞が載せ、朝日新聞は紙面は要旨のみ、デジタル版で全文。意見書の掲載の仕方でその新聞社のこの問題に対するスタンスが分かる。共同通信は意見書全文を配信し、かなり多くの地方新聞がデジタル版などで使っている。長文だが、読めば心に響いてくる内容であり、ここに、検察庁法改正の問題点のほとんどが詰まっている。

意見書の中で 特に書いておきたいのは、「三」の安倍首相の姿勢に関する部分。ルイ14世やジョン・ロックまで登場させて、言及した箇所である。じっくり味わってほしい。長くなるので朝日新聞の「要旨」から紹介しておく。

▼今年2月、安倍首相は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更する」と述べた。これは、内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」という中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない。17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。

 検察庁法改正案を読まれた方もあると思うが、学者や弁護士でも「超難解」という人は多い。例示するのはこんがらかるのでやめるが、わざと分かりにくくしているのではないかと思うほどの悪文である。私は作文の講師をしていたが、これで及第点はとてもとれない。それに比べ、意見書の結論は分かりやすい。以下は、結論部分の要旨である。

正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
黒川氏の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ない。内閣が潔く改正法案のうち検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待する。あくまで維持するのであれば、与野党を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてが、この検察庁法改正案に断固反対の声を上げて阻止する行動に出ることを期待してやまない。


安倍政権は5月18日、あれだけ成立にこだわってきた検察庁法改正案について、今国会での成立を断念した。政権は国民をなめていた。「1強政権」が屈したのは、9日から始まった市民の「ツイッターデモ」の影響も大きかったが、この「検察官OB一揆」が政権に与えた衝撃ははかりしれない。18日夜になってやっとぶら下がり取材に応じた安倍首相は「国民の理解なくして前にすすむことはできない。批判にしっかりと応えていくことが大切だ」と述べただけだ。重要法案の成立断念、という政権の重大な危機にもかかわらず、正式な記者会見はなかった。法案は継続審議になった。秋の臨時国会でそのまま修正なしの法案が出される予定だ。この法案の発端となった黒川弘務東京高検検事長を違法な法律解釈による閣議決定で定年を延長した問題は、7月ごろに黒川氏が検事総長になるかどうかにメディアの焦点が集まっている。もちろんこれも「断固反対」である。

塚原政秀
1968年、共同通信社入社。ずっと社会部畑を歩み、警視庁、司法、皇室を担当、ロッキード事件で検察担当を勤めた。社会部次長から社会部長に。社会部長時代にはオウム真理教事件に遭遇した。2006年6月退社。 その後、文教大学情報学部で非常勤講師として9年間、作文と時事解説を教えた。
2020.05.20 朝日・読売両紙の1面トップ記事(5月18日)にみる安倍政権の凋落ぶり

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
              
 5月18日の朝日・読売両紙を広げて驚いた。朝日の1面トップ記事は、河合夫妻が昨年7月の参院選を控えて広島選挙区の地元議員や陣営関係者ら約30人に700万円を超す現金を持参していたことを、県議らの証言を基に詳細に報じている。自民党本部から提供された破格の選挙資金1億5千万円をフルに活用して、河合案里氏の当選のため、夫の河合克行氏が票の取りまとめを依頼するため現金をばら撒いたとの疑いだ。検察当局は立件を視野に、公職選挙法違反の買収容疑で捜査しているという。

〝うるわしい夫婦愛〟と言いたいところだが、やっていることが露骨極まりない上に、しかも汚い。いくら河合夫妻が安倍首相や菅官房長官の「肝いり」だとはいえ、公職選挙法など眼中にないが如く我が物顔に振舞うようになると、さすがの検察も黙っていられなくなったのだろう。それに国会では、検察庁法改正案の強行採決が今日明日にも迫っている(いた)。これも、安倍首相がお気に入りの人物を検事総長にするための法案だというが、元検事総長をはじめ検察ОBが多数反対意見を表明しているので、現役は張り切らざるを得ない。検察の矜持を懸けて「立件」の準備が進んでいる様子を、朝日は1面トップで伝えたのである。

加えて、河合夫妻関連記事の横に「検察庁法改正案 反対64%」「内閣支持率下落33%」という緊急世論調査結果が掲載されていることも、紙面を引き締めている。5月16、17日に行われた全国世論調査では、改正案に「賛成」は15%にとどまり、「反対」が64%に達した。安倍首相の「検察の人事に政治的な意図をもって介入することはない」との国会答弁を「信用できる」16%、「信用できない」68%が、そのことを裏付けている。また、改正案の今国会での成立を「急ぐべき」5%、「急ぐべきでない」80%も、政権の火事場泥棒的な意図を見抜いていて興味深い。

その結果、内閣支持率は前回調査(4月18、19日)の41%から33%へ急落し、不支持率は41%から47%へ急上昇した。これは、モリカケ疑惑への批判が高まった2018年3月と4月調査の過去最低31%に次ぐ低さであり、安倍政権への赤信号が灯ったことを示している。ちなみに同時期に行われたNHK世論調査でも、検察庁法改正案について「賛成」17%、「反対」62%、安倍内閣を「支持する」37%(前回39%)、「支持しない」45%(同38%)なり、「支持しない」が「支持する」を上回ったのは2018年6月以来のことだという。後述するように政権与党が検査庁法改正案の強行採決を断念したのは、NHKからのホットライン情報をはじめ、これらの世論調査結果を見ての判断かもしれない。

 一方、読売はよほどの自信があったのか、各紙に先んじてズバリ「検査庁法案 見送り検討、今国会 世論反発に配慮」「政府・与党 近く最終判断」と報じた。リード部分で「検察官の定年を延長する検査庁法改正案の今国会成立を見送る案が、政府・与党内で浮上していることが17日、わかった。野党や世論の批判を押し切って採決に踏み切れば、内閣にとって大きな打撃になりかねないためだ。安倍首相は与党幹部らと協議し、近く最終判断するとみられる」と書いているところをみると、5月17日の段階で政府筋からの確度の高い情報を得ていたのだろう。

 また、東京本社社会部長の「検察の独立性 守れるか」とのコメントも付けられ、検事総長や検事長の定年延長の特例について「検察人事の自律性を損なう恐れがある」「政権と検察の適切な距離感やバランスを崩す可能性がある」「検察が国民の信頼を得ながら、かつ公正に職務を進められるようにするためには、法案の修正もしくは検察の自律的な人事を損なわない運用の明確化が不可欠だ」との明確な態度表明もなされている。おそらく、このまま政府・与党が暴走すれば「安倍政権が危ない」との判断が社内(社主も含めて)でまとまり、政府筋への働き掛けも含めて1面トップの記事になったのではないか。

ただ今後の見通しとして、「改正案は施行日を2022年4月1日と定めており、『秋の臨時国会の成立でも間に合う』(政府関係者)との見方もある。今国会成立を見送る場合、改正案だけでなく、束ね法案ごと継続審議にする可能性が高い」との観測記事が付けられていることからも、読売が最後まで筋を通すかどうかはわからない。世論の批判が収まり支持率が回復して来れば、今度は一転して「政治部長見解」(社会部長見解ではない)でも出して改正案支持に回るかもしれない。国民の監視が必要な所以だ。

いずれにしても、安倍政権は検査庁法改正案の見送りで(崩壊は免れたが)大きく傷ついた。今後の政局は、河合夫妻の立件を機に破格の選挙資金を提供した自民党本部およびそれを指揮した安倍首相や菅官房長官への批判が高まり、内閣支持率が低落する中で政権の求心力が一気に衰えていくプロセスを辿るだろう。すでに巷間では、新型コロナウイルス対策への安倍首相のリーダーシップが地に堕ちている。上述の朝日世論調査でも、安倍首相が「指導力を発揮している」30%、「発揮していない」57%と結果がはっきりしている。緊急事態宣言を出すだけで、後は国民の「気のゆるみ」次第というのでは、無責任すぎると誰もが言っているのだ。アベチャンにできるのは「アベノマスク」2枚ぐらい―というのがいまや通り相場なのである。

いつも言うことだが、安倍政権の凋落がここまで来ているのに、野党共闘の方はいっこうに姿が見えてこない。自民党支持率は依然として30%台を維持しているのに、野党第一党の立憲民主党はいまや5%前後にまで凋落している始末だ。増えているのは「支持政党なし層」(46%)だけで、野党勢力は痩せ細ったままだ。野党党首や代表は、コロナ対策では小池東京都知事や吉村大阪府知事らにイニシアティブを握られ、出番のないまま逼塞(ひっそく)している。工夫しなければ出る幕がないのに、陰気な顔で文句を言っているだけなのである。これでは国民が浮かばれない―そんな気持ちを抑えきれない人が多いことを彼らに知ってほしい。
2020.05.13 本日二つの寄稿文 (一) ニッポンは大丈夫か?             (二)「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
(一) ニッポンは大丈夫か? <ウィルスとたたかい共に生きる社会>
       韓国通信NO637

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

ベランダの窓から見えるいつも見慣れた景色、薫る若葉の向こうに見える太陽と青空が眩しい。
微かに木の葉が揺れる。
不思議な静けさ。子どもたちの姿はない。
緊急事態宣言が延長される。常磐線にカラの電車が走る。街から人が消えた。
遠くに救急車の音が聞こえる。その先にある病院の医者と看護師たちの姿。職を失った人たちの悲鳴。在宅勤務を命じられ、失業に怯える人たちのため息も聞こえそうだ。
すべてはオリンピックから始まった。醜い打算と政治利用の塊りがコロナによって砕かれた。どの国もコロナに怯えるが、日本の政治指導者たちの混迷ぶりはどうだ。PCR検査をさぼった理由がいまだにわからない。ドンドンお札を印刷してばらまくという安易さ。医療崩壊をひとのせいにする。コロナ以前に医療は崩壊していた。それに気づいた人たちは怒り、政治不信を募らせる。

平和を享受し生活の利便さと消費を追い続けてきた私たち。反省するチャンスだった福島原発事故から何を学んだ。相変わらず命より金儲けが優先され、コロナウイルスの追い打ちにオロオロするばかり。奢れる人類への警告を無視してきた。
権力者とそれに群がる人たちこそ悪性のコロナウイルスではないのか。私たちが育てたウイルスの悪口を言っても解決しない。悪性ウイルスと決別することが大切だ。彼らの周囲には「ああだこうだ」と忖度する連中は多いが、難しいことではない。育てなければいい。育てることをやめて有害悪性なウイルスを追い出すには自粛(がまん)しないことだ。
自粛はストレスを生み、人の免疫力を下げる。大きな声で悪性ウイルスにサヨウナラを告げよう。

<言いたいことが多すぎる>
コロナ対策の遅れと杜撰さはオリンピックに浮かれた精神的な後遺症から生まれた。信用に値しない政府が集めた専門家会議に対する不信感。官邸主導が混乱を生んだ。国際協力が必要と言いながら中国や韓国の教訓を無視した。アジア蔑視の政権体質がこんなところにも見えてくる。突然の学校閉鎖、緊急事態宣言から今日まで、言うべき言葉があり過ぎて言葉もない。ベッドが、マスクが、医療器具が、スタッフが足りない。どれも長期政権が生んだ負の遺産である。

<私の憲法記念日>
5月3日は74年目の憲法記念日。駅頭デモンストレーション用にオリジナル看板を作った(写真)。
           20200513obarakenpou.jpg

タイトルは憲法記念日にふさわしく「憲法アピール」とした。コロナという文字こそないが、トランプ大統領から購入を求められている不急不要のステルス戦闘機F35のカネを国民の生活に使えという主張である。憲法の平和主義と第25条の健康で文化的な最低限度の生活を政府に求めた。


  (二)  「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし

       - 方方女史の『武漢日記』(7)


田畑光永 (ジャーナリスト)
                         )
3月13日
 太陽は正午になってもまだ眩しい。午後になって光は薄くなり、風も吹き始める。お日様の顔は変わるときに変わる。このままでもう少し、と思ってもそれは無理。武漢大学の桜はもうみんな咲いたろう。老斎舎のベランダから下を見れば、白い雲のような一筋の花の帯だ。昔、学生の頃も桜は咲いたから、写真を撮りに行った。でもあの頃は見に来る人はいなくて、われわれ学生だけだった。観光スポットになったのはその後で、この季節にはキャンパス内は人で歩くのもままならなくなる。人の顔かたちは花弁と同じくらい多種多様で、人の群れの方が桜の花より見ものだ。
 病気の蔓延具合は引き続きいい方向だ。退院する人が増え、新しく感染する人は数人だ。ところが今日は変だった。情況発表の時間がいつもよりおそかった。私は正午に行って、2,3のグループと言葉を交わしたが、みなその話をしていた。なぜ発表時間が遅れるのか。友人の医師たちは発表がちょっと遅れるとすぐさま人々に想像の空間を与えることになると言う。その空間には何が入るのだろう、私も考える。
 封城されて50日が過ぎた。最初から封鎖50日と言われたら、その時はどんな気分になっただろうか。ともあれ私はこんなに長引くとはゆめ思わなかった。先月、病院へ薬をもらいに行った時、1ヶ月分で十分と思った。そんなに続くはずはないと。今となってみると、私がこの病気を甘く見ていたことは明らかだ。こいつの強さと持久力を過少評価していた。新しい病人は減り続けていても、へんな噂が絶え間なく聞こえてくる。すべてで手を緩めてはだめだ。いつ何時、反動が来るかわからない。だから、われわれは陣立てを崩さずに構えていなければならない、というのだ。しかし、われわれがここまで経験を積んだのはプラスで、感染しても恐れることなしに医師に診てもらえば、重症とならず回復も難しくないとも。
 3月も半分が過ぎようとしている。すぐに迫っているのが清明節(注:二十四節気の一つ。春分の後の15日目、4月の第1週。墓参の日)だ。肉親の霊を祭って香を焚き、墓を掃除する。これは長い伝統で、多くの家庭では毎年必ずおこなう決まり事だ。伝統的考え方をしっかり守る武漢人からすれば、今年は通らなければならない大きな難所が控えている。この2ヵ月余りの間、いっぺんに何千人もが死んだ。その死につながる人は何万人にも達する。肉親が旅立ったというのに、遺骨を抱くこともできない。とりわけ多くが死んだのは2月の上、中旬だった。初七日は混乱と悲しみの中に過ぎ、四十九日は清明節前後という人が非常に多い。非常時であることは理解していても、その時期が来たら、墓に行かずに故人を思い出し、悲しんですますなどということが出来るだろうか。そんなことは不可能だ。我に返って、これほどに長い抑圧に耐え切れず、精神の崩壊状況が出現するのではないか。じつは私自身、そのことを思うと、涙が抑えきれなくなる。
 親しい人間を失った悲しみは、訴える相手がいて泣くことが出来て和らぐのだ。これは心を導く最善の方式だ。数日前、一つの文章を読んだ。多くのネット友達が李文亮(注:2月に亡くなった武漢市中心病院の医師。1回目に登場)のブログに書き込みをして、思いのたけを伝えていた。そこは嘆きの壁となっていた。たんに李文亮を記念するだけでなく、思いのすべてを吐き出したい友人たち自身の心が求めるものなのだ。病気の蔓延は今や最後の段階にあるとはいえ、清明節にはまだ日数がある。われわれはその間に「嘆きの壁」に匹敵する「嘆きのウエブサイト」を立ち上げることができる。
親しい人間を失ったら、その人の写真を掲げ、蝋燭を灯し、泣く場所を設ける。そこで泣く人は家族、友人に限らない。今は武漢の人間全部が思い切り泣く場所が必要だ。人々は「嘆きのウエブサイト」を通じて、親しい人を泣き、友を泣き、そして自分自身を泣く。内心の悲しみを吐き出し、個人の思いを託す。勿論、心を慰める音楽を添えることが出来ればなおいい。泣いた後、叫んだ後、心は落ち着くだろう。病気がいつ終わるかはまだ分からない。すべてが未知数、未確定の今、無数の個人の悲しみ、気鬱を一つにまとめることは難しい。だから一つの空間を開いて、みんなで泣くことが必要だ。
このほか、まだ忘れてはいけない人たちがいる。初期の段階では大勢が感染したが、病院にはベッドがなく、治療どころか核酸検査の機会もなく、確定した診断など得られないままに、ある人たちは病院で、もっと多くは家で死んでいった。高校の同級生が言うには、彼の奥さんの同僚の家では2人が死んだ。お婆さんが家で息を引き取ってから、まる1日、葬儀社から迎えの車が来ず、夜になって箱型の貨物自動車が来て遺体を乗せて行った、という。似たような境遇の死者は少なくない。新型ウイルス肺炎という診断書がないから、この人たちは今度の病気による死者の名簿には載らない。それがどのくらいの数か、私には分からない。
 今日、心理の専門家との電話でもこのことを話したのだが、もし居住区でこのような死者の数をきちんと調べて、新型肺炎の死者の名簿に加え、将来、国が遺族を慰問するような場合には、彼らのことも考慮すべきだと思う。同時に居住区がもう少し細かい仕事ができるようであれば、病状のために治療を受ける機会がなく、新型肺炎患者とはされずに死亡した人の数を割り出し、将来の慰問、全体的な配慮の中に加えるべきである。
 ここ数日、病気の蔓延は落ち着いてきたが、街の悲鳴は相かわらず響きわたっている。最大の悲鳴はごみ収集車が住民への食糧配送にあたっていたからだ。私も昨日、現物を目にして茫然とした。いったい誰が思いついたことなのだ!恐れを知らない無知もここまでやるか。常識の基本もないのか、それとも庶民などは人間と思っていないのか?どれほど切迫した事情があったのかは知らない。しかし、どれほど切迫していようと、これほど目をそむけたくなることをしなければならないほどのことはないはずだ。
 ある時期の政府が民生を第一に考えないで、もしもう一度、新しいX型ウイルスに見舞われたら、今年の災難がまた続くのだろう。役人たちが庶民を見ず、上司だけを見ていれば、ごみ収集車の食料運搬が再現される。「以人為本」(人を本とする)の観念がなく、庶民の角度から考えて、仕事をしないのが、現今の役人の大きな問題だ。官僚主義という言葉で形容するだけでは足りない。これはすべてが人品の問題というわけではなく、彼らの身体が1つの機械の中にいるからだ。この機械は快速で運転されるため彼らの目は上級にくぎ付けとなって、民草には向かないのだ。まさに言うところの「人在江湖、見不由己」(世の荒波で身動きならず)である。
 閑話休題。今日見た「南方人物週刊」の一文について。衛生健康委員会の高級専門家メンバー、杜斌医師のインタビューで、タイトルは「このすべて、英雄主義とは無関係」。その中の一節に笑ってしまった。杜斌先生はこう言う、「病室の中にウイルスがいて、わんわんと目元にやってくる、などということは全く信じない」と。以前、別の専門家、王広発医師が「新型ウイルスが目にやってきて感染した」と話したのを覚えている。その時はこの一言で市場の防護眼鏡は瞬く間に売り切れた。友人の1人が私に防護眼鏡を送るというので、私は自分で買うからと、その宝物を売る店の住所を聞いて、ネットで1個買った。その眼鏡は今日まで封も切らずにそのままだ。
 そう、もう1件あった。今日、「方方封城日記」編集部、という名称で、ほかの人の文章が載っているのを見た。説明させてもらうが、この名称は私とはまったく関係ない。この名称の持ち主が別の名前に変えてくれるよう希望する、お互いが不愉快な思いをしないために。(続)

2020.05.05 「安倍政権下での改憲に反対」が多数に
        各新聞社の全国世論調査で明らかに

岩垂 弘(ジャーナリスト)

5月3日は憲法記念日。日本国憲法が施行されたのは1947年5月3日だから、この日で73年を迎えたわけである。それを機に、新聞・通信各社はそれぞれが憲法記念日直前に実施した憲法に関する全国世論調査の結果を発表したが、それらの結果から憲法問題についての最新の民意が浮かび上がった。一言でいうと、憲法改定については賛否両論が拮抗しているが、「安倍政権下での改憲には反対」という人たちが国民の多数派を占めているということだ。

5月3日の紙面で憲法に関する全国世論調査を発表したのは在京6紙のうちでは朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の3紙。共同通信は4月28日に同様の調査結果を発表した。これらの調査結果から、憲法問題に対する民意をさぐってみた。
世論調査での各社の質問項目には共通のものもあれば、各社独自のものもある。私は、共通する質問項目の回答に注目した。共通した質問に対する回答が同じか、同じに近いものであれば、それは1つの傾向、すなわち民意を示すものだと考えたからだ。

まず、国民が憲法改定についてどう考えているか知りたかった。そこで、各社の調査結果に目をやると―― 
朝日
「いまの憲法を変える必要があると思いますか。変える必要はないと思いますか」という質問があり、それへの回答は、「変える必要がある」43%、「変える必要はない」46%
読売
「今の憲法を、改正する方がよいと思いますか、改正しない方がよいと思いますか」との質問があり、それへの回答は、「改正する方がよい」49%、「改正しない方がよい」48%、「答えない」3%。同紙によると、前年は「改正する方がよい」56%、「改正しない方がよい」46%だったという。

両紙の調査結果から言えるのは、憲法の改定問題では、賛否両論が拮抗しているということだろう。そのせいだろう。読売の紙面は「改憲賛否 大きく割れる」との見出しを立てていた。

次に私が関心を持ったのは、改憲に並々ならぬ熱意を見せている安倍首相を国民はどう見ているのだろうか、という点だ。これに関しては、3社がそれに関する質問を試みていた。
朝日
「安倍首相は憲法改正を目指すことを明言しています。安倍政権のもとで憲法改正を実現することに、賛成ですか。反対ですか」との質問があり、それへの回答は「賛成」32%、 「反対」58%。
毎日
「安倍首相の在任中に憲法改正を行うことに賛成ですか、反対ですか」との質問があり、それへの回答は「賛成」36%、「反対」46%。
共同通信
「安倍政権下での改憲は、反対58%、賛成40%だった」(4月29日付共同通信記事)

民意はすでに明らかであろう。「安倍改憲」に反対なのだ。

ところで、安倍政権と自民党は、国会で改憲審議を始めようと野党に働きかけるなど躍起だが、これにからんで、「朝日」は「国会での憲法改正の議論を、急ぐ必要があると思いますか。急ぐ必要はないと思いますか」との質問を設けて、有権者の反応をさぐっていた。その結果は、「急ぐ必要がある」22%、「急ぐ必要はない」72%であった。この大差を見よ。有権者の意向はもはや明白と言えるだろう。

緊急事態条項の賛否も二分
さらに、自民党内では、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、現行憲法に「緊急事態条項」を設けるべきだとの意見が強まっている。こうした状況に注目したからだろうか、朝日、毎日、読売、共同通信の4社とも今回の憲法に関する全国世論調査で、緊急事態条項についても質問を発していた。その結果はこうだ――
朝日
「自民党の憲法改正の条文案には『大規模災害などの際に、内閣が法律に代わる緊急政令を出して、国民の権利を一時的に制限したり、国会議員の任期を延長したりする緊急事態条項の創設』とあります。これについてどのように考えますか」との質問があり、これに対する回答は、「憲法を改正して対応するべきだ」31%、「いまの憲法を変えずに対応すればよい」57%、「そもそも必要ない」8%。
毎日
「新型コロナウイルス感染拡大を受けて、自民党内には、憲法に緊急事態条項を設けるべきだとの意見があります。賛成ですか、反対ですか」との質問に、「賛成」が45%、「反対」が14%、「わからない」が34%。
読売
「大災害などの緊急事態における政府の責務や権限は、今の憲法には規定がなく、個別の法律で定められています。これについて、あなたの考えに最も近いものを、1つだけ選んで下さい」との質問に、「憲法を改正して、政府の責務や権限を条文で明記する」が31%、「憲法を改正しないで、政府の責務や権限を明記した新たな法律を作る」が49%、「今のままでよい」が16%、「その他」が1%、「答えない」が3%。
共同通信
「大規模災害時に内閣の権限を強め、個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法改正し新設する案に賛成51%、反対47%%だった」(4月29日付共同通信記事)

4社の回答にはかなりの差異があり、にわかに国民の意向を断定できない。が、全般的に見て、緊急事態条項の創設に対する国民の受け止め方は賛否両論に二分していると言っていいのではないか。