2022.01.18 2021年はデルタで暮れ、2022年はオミクロンで明けた、されど野党共闘は「霧の中」

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
              

 毎日がまるで物理学の教科書を読んでいるような感じで時間が過ぎていく。「デルタ」だの「オミクロン」だの、ギリシャ語のアルファベットが世上に溢れているからだ。こんな言葉を毎日聞かされると、日本中が新型コロナウイルスのパンデミックに翻弄されているような気がする。新規感染者数が級数的に増えていくような状況の下では、人びとの不安が募るのも無理がない。しかし、全てが「霧の中」では、我々の生活は立ち行かない。運を天に任せるわけにはいかないからだ。

 こんな時には「安心」を求めるのが人びとの心情というものだろう。たとえ確固たる方針が示されなくても、権力の座にある者が「丁寧な説明」をすれば何となく安心したような気になる。人びとの「気持ちに寄り添う」という言葉がやたらに流行るのはそのためだ。菅政権が岸田政権に代わってからの世論の変化が、このことをあらわしている。

 直近の時事通信社の世論調査(全国18歳以上男女2000人対象、個別面接方式、2022年1月7~10日実施、有効回収率64.6%)によれば、岸田内閣の支持率は昨年10月の発足以降、初めて5割を超えた。内閣支持率は前月比6.8ポイント増の51.7%、不支持率は5.3ポイント減の18.7%だった。時事通信社は「調査期間は新型コロナウイルスの変異株『オミクロン株』の感染者が全国で急増し始めた時期と重なるが、水際対策などコロナ対応や、安倍・菅両政権と比べ『丁寧な説明』に努める姿勢が一定の評価を得たとみられる」と解説している。

 一方、政党支持率の方はどうか。与党は自民党25.6%、公明党3.0%と相対的多数を占めるが3割には届かない。野党の方は日本維新の会4.3%、立憲民主党4.0%、共産党1.6%、れいわ新選組0.8%、国民民主党0.7%、社民党0.4%と相変わらず低迷していて、維新を除く野党は全部足しても1割に満たない。ダントツは、言うまでもなく「支持政党なし」57.4%で最大多数を占める。こんな数字を見ると、日本の政党政治の基盤が大きく揺らいでいることは間違いない。圧倒的多数が「無党派層」で占められている現状は、深刻な政治不信・政党不信を反映していると考えるべきで、この現実に向き合わずに野党がいくら「政権交代」を叫んでも国民の支持は得られない。

 ところで、衆院選前は鳴り物入りで騒がれていた「野党共闘」はその後どうなったのだろうか。最近「野党共闘」について精力的に記事を書いている産経新聞の論調を見よう。産経の力点は、立憲民主党が連合の縛りで動くに動けず、野党共闘がズルズルと後退していく状況をクローズアップすることに力点が置かれている。政局がその方向に動いているので、記事にも力がこもっているというわけだ。

 「立憲民主党の泉健太代表が今夏の参院選に向けた対応に苦しんでいる。泉氏は『与党の改選過半数阻止』を目標に掲げ、勝敗のカギを握る32の改選1人区で共産党を含めた野党候補の一本化を目指しているが、立民最大の支援団体である連合は共産との決別を求め、調整は容易でない。『与党一強状態を打ち破り、二大政党体制のもとで与野党が切磋琢磨する緊張感のある政治にしなければならない』。東京都内で5日開かれた連合の新年交換会では、芳野友子会長が泉氏や国民民主党の玉木雄一郎代表らを前にこうハッパをかけた。立民が勢力を後退させた昨年の衆院選について、党内には枝野幸男前代表が共産との『限定的な閣外からの協力』で合意したことが足を引っ張ったとの見方がある。芳野氏は昨年12月の産経新聞のインタビューで、立民に『決別してほしい』ときっぱり語った」(産経2022年1月6日)
 「立憲民主党や共産党などの野党は32の1人区で候補者を一本化し、与党の議席を減らしたい考えだが、共闘をめぐり同床異夢の状況にあり、調整は難航しそうだ。(略)立民最大の支援団体の連合は共産との共闘を否定し、国民民主党との連携強化を求めている。泉氏も番組で国民民主との協議に意欲を示し、共産については皇室や安全保障などの見解の違いを理由に『立民が政権を構成する政党ということにおいては現在、想定にはない』と断言した。ただ、立民と共闘した昨年の衆院選で議席を減らしたにもかかわらず、野党連立政権樹立を掲げる共産の志位和夫委員長は引き続き立民との連携を深化させたい考えだ。立民としても1人区で自民党候補のほかに共産候補と争えば野党勢力の後退になりかねない」(同1月10日)

 連合の動きも活発をきわめている。芳野会長は就任以来、誰の指示によるのか知らないがとにかく精力的に動き回っている。連合は立憲民主党を牽制する一方、自民党への急接近が目に付く。昨年暮れの12月8日、芳野会長は連合トップとしては「7~8年ぶり」に自民党本部を訪問し、茂木幹事長や麻生副総裁と面会して会長就任のあいさつをした。その際、茂木氏から「連合初の女性会長として頑張ってほしい」などとエールを送られたという(読売2021年12月31日)。

 また、今年1月5日には岸田首相が自民党の首相として「9年ぶり」に連合の新年交歓会に出席し、「政治の安定という観点から与党にも理解と協力を心からお願いする」と呼びかけた。芳野氏は、首相の看板政策「新しい資本主義実現会議」のメンバーとしても起用されている。芳野会長は5日の記者会見で自民党との接近を問われ、「共産党を除く各党に政策要請している」と答えた(日経1月6日)。首相はまた1月14日、新年交歓会のお礼をかねて官邸を訪れた芳野会長に面会し、「連合に期待しているので頑張ってほしい」と激励した(同1月15日)。連合は共産党を除く各政党と連携し、「二大政党体制」の構築を目指しているのだろう。

 こうした政局を朝日新聞は「野党共闘へ、難しい調整」との見出しで次のように解説している。
 「野党側の焦点は、1人区で候補者を一本化できるかどうかだが、調整は難航が予想される。(略)昨年10月の衆院選で敗北した立憲は、『野党共闘』の検証を進めている。共産党と『限定的な閣外からの協力』とする政権枠組み合意を結んで挑んだが、安全保障をめぐる溝を与党や支援団体の連合会長からも批判されて失速したからだ。泉氏は9日のNHK番組で『立憲の政権を構成する政党に共産は想定にない』と明確にし、『候補者調整や国民の命と暮らしを守る政治に変えて行く部分では共通するところがある』と連携を続ける考えを示した」(朝日1月13日)

 要するに、泉代表の思惑は共産との「限定的な閣外協力」の公約を解消し、部分的な政策連携で候補者の一本化を図りたいというものだ。問題は共産がこれに応じるかどうかだが、志位委員長は「限定的な閣外協力」は公党間の約束なので、立憲の代表が変わったからと言って解消できるものではないと反論している。衆院選では「歴史的な政権公約」だとして選挙戦を戦ってきた経緯があり、この「政権公約」を破棄することは「野党共闘」の崩壊につながる恐れがあるからだろう。

 一方、国民民主党は、小池東京都知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」との連携を推進している。玉木雄一郎代表は9日のNHK番組で、参院選に関し「外交、安全保障、エネルギーなど、基本的な政策の一致なくして選挙協力はない。逆に政策で一致できる政党とは選挙協力していきたい」と述べ、「都民ファーストの会」との連携については、「政策的な一致の先に選挙協力ができるのであれば、それは排除するものではない」と強調した。また岸田首相が「敵基地攻撃能力」の推進に意欲を燃やしているのに関しては、「敵基地攻撃能力という言葉はどうかと思うが、相手領域内で抑止する力は必要だ」と主張して賛意を示した(産経1月10日)。

 こうなると、「敵基地攻撃能力」について反対している立憲とは安全保障面で政策が一致しなくなり、連合の推進する「立憲民主党と国民民主党の共闘」は難しくなる。と言って、立憲が国民と政策的に妥協すれば、今度は立憲支持層が離反する恐れもある。泉代表は「ジレンマ」ならぬ「トリレンマ」に直面しており、政治経験が浅く確たる政治思想を持たないような人物が、この難局を乗り切れるとはとても思われない。野党共闘は深い「霧の中」にある。霧の晴れた時にいったいどのような光景が現れるのだろうか。それは泉代表の辞任かそれとも立憲の分裂か、オミクロンで明けた2022年の政局の行方は目が離せない。(つづく)

2022.01.05 おかしくないか、日本のオミクロン対策 ほか

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 日本のオミクロン対応はあまりに過剰ではないでしょうか。連日、強制隔離の国や地域が発表されていますが、こんなことが何時までも続けられるはずがありません。入国者を日本中のホテルに拡散する馬鹿な措置が限界にぶつかるのは自明なことです。官僚任せにしていると、規制にさらに規制が加わって、二進も三進も行かなくなります。オミクロン感染者の濃厚接触者に、入試を認めない措置は批判を受けて撤回されました。またも朝令暮改です。
 感染力は高くても、重症化しないのであれば、インフルエンザと同じです。にもかかわらず、エボラ熱のように、感染そのものを阻止しようとすれば、社会生活を止めるしか方法がありません。中等症化、あるいは重症化する対象者を明確に定め、それらの人々を守るだけの措置に変更すべきです。目標のない官僚任せの場当たり的な措置の導入が、このような馬鹿げた事態を招きます。
 専門家と称する人々は、感染力の高さだけを強調して、実際の症状(重症化リスク)について何も語りません。感染すること自体が危機であるような考え方は捨てるべきです。「8割叔父さん」のように、再生産数の高さだけを強調するのは、科学者の基本姿勢としても誤りです。再生産数は環境要因で、社会生活条件、民族、民度など多くの要因によって決まるもので、世界中に一律に適用できる再生産数など存在しません。社会環境要因を無視した再生産数の計算は、ただの統計計算でしかありません。数理疫学というもっともらしい名称を付けていますが、疫学なしの統計学では、実際の役にはたちません。こういうエセ学問が大手を振っている限り、コロナ禍からの脱却は難しいでしょう。

 もう一つ、ハンガリーの話題(大統領選)です。
 現在のアーデル大統領の任期(2022年5月9日満了)が、来年の国会議員選挙の前に終わるために、任期満了の30~60日前に、ハンガリー国会が新大統領を選出することになります。そこで先週、オルバン首相は現在、家族担当無任所大臣のノヴァク・カタリン(44歳)氏をFIDESZ(キリスト教民主社会同盟・政権与党)の大統領候補にすると発表しました。
 国会では与党のFIDESZが議席の3分の2を占めますから、オルバン首相が決めれば、そのまま決定事項になります。オルバン首相はカタリン氏が当選すればハンガリーで最初の女性大統領になると自らの選択を自画自賛していますが、野党からはオルバン首相に従属している政治家を指名することに反対意見が出ています。
 野党統一首班候補のマルキ-ザイ氏は、国民統合の象徴となるべき大統領に、首相の片腕を指名したのでは、国民統合の象徴にならない。大統領を国民投票で選ぶべきだと主張しています。
 体制転換後のかつての社会党政権下では、全政党の協議にもとづいて、政党政治家ではない文人や法律家が大統領に選出され、時の政権の政策に反対する姿勢を見せたこともありました。マードル・フェレンツ大統領は、ホルン首相の国家顕彰に反対する姿勢を明確にし、ソーヨム・ラースロー大統領も、ジュルチャニ首相から提案されたホルン元社会党党首への国家顕彰に反対し、叙勲が実現しなかった経緯があります。
 しかし、FIDESZ政権になってからは、アーデル・ヤーノシュ氏のようにFIDESZ政治家が大統領になりましたが、これは多分に、オルバン首相が自分の競争相手なりうる政治家を祭り上げたという意味もありました。実際、アーデル大統領はいくつかの法案について、憲法裁判所の判断を仰ぐ姿勢を見せました。
 今回指名されたノヴァク・カタリン氏は在外教育を受けた経歴から外務省に勤務し、その後、2018年からFIDESZの国会議員になった女性です。多言語を話す優秀な人物だと思われますが、如何せん、国家統合の象徴という面から見ると、「軽量」感は否めません。せめて、国会で全政党から候補者を出しあって、その上で一定の予備交渉があってしかるべきでした。オルバン首相が指名すればものごとが決定するというのでは、ロシアや中国と変わりなくなってしまいます。
 2022年がハンガリーにとっても日本にとっても、良い年でありますよう。

2022.01.04 政党の内なる民主主義について
――八ヶ岳山麓から(356)――
              
阿部治平 (もと高校教師)

 共産党の志位和夫委員長は12月16日の記者会見で、連合の芳野友子会長が15日掲載の産経新聞インタビューで「民主主義の我々と共産の考え方は真逆」と述べたことに対し「民主主義の党でないとおっしゃるなら全く事実と異なる。具体的に根拠を示してほしい」と反発した。
 志位氏は、芳野氏が「共産は指導部が決めたことを下におろしていくトップダウン型」と述べた点についても「共産党指導部はトップダウンで現場に押しつけるやり方はしていない。党運営もだが、党外との関係では現場の民主主義をうんと大事にしている」と反論した。「根拠なしでは、労働運動のナショナルセンターのトップの発言として認めるわけにいかない」とも述べた(産経 2021・12・17)。

 わたしも、連合の吉野会長が共産党の存在を忌み嫌い、今回総選挙の立憲民主党と共産党との共闘を非難し、共産党を野党共闘から排除しようとするのは、労働組合の在り方として受入れることはできない。これでは労働者のナショナルセンターというより、まるで自民党の別動隊だ。
 ところが、これに対する志位委員長の反論には、同情はするがすべてを納得するわけにはいかない。共産党は外に対しては民主主義を求めることしきりだが、組織運営は本当に民主的だろうか。以下共産党を応援してきたものとして、日ごろ感じている疑問と批判を思いつくまま述べる。

共産党の組織原則は民主集中制である
 ロシア革命の中でレーニン率いるボリシェヴィキが1921年革命の危機に瀕して採用した組織原則である。簡単にいえば、下級は上級に従い、少数は多数に従い、組織の水平的交流と分派を禁止するというもので、これを「鉄の規律」とか「一枚岩主義」と呼んだ。当時でも党内民主主義の圧殺だと批判された代物である。
 日本共産党は中央――都道府県――地区――支部という形で組織されているが、県、地区、支部など各レベルの横の自由な交流が許されない。このために、党中央の幹部が全国的な情報を独占する。よくいえば唯一の賢者、実際上は専制支配者になりがちだ。
 志位氏はつねづね常任幹部会などで議論しているから、自分は民主的だと思っているらしい。だが、中央委員会の衆院選総括など重要事項の決定には、一般党員は参加できない。決定事項は党員が読んで学習し、励まされるものとしてだけ存在する(時々「赤旗」に「読了率」が掲載される)。だから党員は、どうしても上級機関の指示待ちになる。
 この点、トップダウンだという批判は当たらずといえども遠からずといえよう。

これに関連して指導者の個人崇拝の問題がある
 スターリン・毛沢東の例を見るまでもなく、これは民主主義の対立物である。日本共産党には不破哲三という巨大な存在がある。氏は資本論研究などによってマルクス主義を新たな地平に高めたとのことで、党内で大いに持ち上げられているらしい。
 氏は2004年中央委員会議長時代に新綱領作成を主導し、「中国は社会主義をめざす新しい探求が開始された国家」であると(私から見ると現実離れした)規定をしたほか、議長退任後も中国と理論交流をつづけ、胡錦涛時代の中国社会主義をすばらしく高く評価したことがある(『激動の世界はどこに向かうか―日中理論会談の報告』新日本出版社 2009)。
 ところが、2020年の28回党大会で志位委員長は、不破氏が肯定した胡錦涛時代の2008、09年前後に中国の大国主義・覇権主義・人権侵害が現れたとした(大国主義・覇権主義は帝国主義のある側面を指す言葉である)。新しい党綱領は「中国は社会主義を目指す国」という規定を取消した。
 たくまずして志位氏は、不破氏の重大な間違いを指摘したのである。普通の政党なら、不破氏はここで自己批判し、常任幹部会員を辞任するところだ。にもかかわらず、氏は依然指導者の地位を占めている。これは21世紀の個人崇拝ではないか。

 「党内に派閥・分派は作らない」「党内のだれでも批判できる」という規定がある。また中央委員会や地方組織は構成員の3分の1以上の要求があれば、総会を開かなければならないとされている。
 1986年、伊里一智という党員が宮本顕治氏の議長辞任を求めて他の代議員に働きかけたことがある。これを志位氏が中心になって分派活動と断定し、除名した事件があった。このやり方が今日も通用しているとすれば、志位・小池両首脳に衆院選敗北の責任を認めさせ、更迭しようとしても方法がない。これでは「批判は自由」だの「3分の1以上……」だのは無意味である。
 これに関連して、規約は「国際的・全国的な性質の問題については、個々の党組織と党員は全国方針に反する意見を、勝手に発表することをしない(日本語として少々おかしいが)」と定めている。
 では、ある党員が28回大会決定に反して、「中国は生産手段の社会化を実現しており、国有資本が重要産業を支配しているから社会主義経済体制だ」という見解を公表したとしよう。これは「国際的性質の問題についての意見」である。
 ところが志位氏は大会で、「(中国をどういう経済体制とみるかについては)個々の研究者・個人がその見解を述べることは自由だ」と発言している。委員長の一存で規約条文を無視したのか。
 そもそも、21世紀の日本で政党が分派の禁止、言論の自由制限などやるから混乱するのだ。自由とはつねに思想を異にする者のための自由である。民主社会の政党は、国政選挙など重要な政治課題での行動の統一が図られればそれで十分である。実際には共産党も、党員に対してそれ以上の締付けはできていない。むしろ自民党の派閥とは異なる内容の「理論分派」が存在し、公然たる論争が行われることは好ましいことではないか。

共産党も、すべての指導機関は選挙によってつくられる
 党員は党内で選挙し、選挙される権利がある。党のすべての指導機関は、党大会、県や地区の党会議、支部総会で選挙によって選出される。
 支部総会で党員は支部指導部を選ぶが、地区以上は間接選挙である。自民党や立憲民主党は全国組織の総裁・代表を党員や党友などによる直接投票で選ぶが、共産党は党大会で代議員が選ぶから、一般党員が県や中央幹部の選出に直接かかわる権利がない。
 「選挙人は自由に候補者を推薦することができる」という条文がある。では党員が自分を推薦して立候補したとき当選の可能性はあるか、おそらくないと思う。
 規約には「指導機関は、次期委員会を構成する候補者を推薦する」とあるから、自薦候補者は推薦名簿に入ればともかく、そうでない限り代議員多数の支持を得ることはできないだろう。
つまり党規約は、次期中央委員会も現中央委員会の(実際には常任幹部会などの)おめがねにかなったメンバーが推薦され選ばれるようにできている。
 そのうえ規約には、役員の任期制限、年齢制限がない。不破哲三氏は91歳で常任幹部会員だ。志位氏ですらすでに67歳、1990年に書記局長、2000年に委員長になってから、実権の有無は別として30年以上も指導者の席にとどまる。この間党勢は漸減の一途だが、引責辞任はないだろう。かくして人事は停滞し活動は沈滞する。
 
結論をいう
 共産党という党名とともに、民主集中制という組織原則は「古い上着」である。これを脱ぎ捨てないと共産党は飛躍できない。共産党員は多数者革命を夢見ているかもしれないが、外から見るとすでに半分が年寄りのサロンと化している。しかもこの規約では、ことあるたびに非民主的政党だという批判は起きるだろう。
 旧時代の左翼分子としては、社会党が消え、共産党まで肉体的衰弱によって死滅されてはたまらない。わたしは共産党の再生のために、今後何回でも、以上のような意見を言い続けるつもりである。(2021.12.24)
2021.12.31 立憲民主党と共産党がこのままの状態では参院選で〝共倒れ〟する
「政治対決の弁証法」ではなく「国民世論の弁証法」による総括が必要だ

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 こんな後ろ向きの感想を年末に書く破目になるとは夢にも思わなかった。2021年10月衆院選が終わって以降、立憲と共産との間で野党共闘に関する総括の話がまったく進んでいない。それに比べて連合芳野会長の発言は過激一方になる始末。まるで〝反共のカラス〟(カナリアと言いたいところだが)のように、「立憲と共産の選挙協力は間違っている」「連合と共産は相いれない」「次の参院選は立憲と国民の挙力でやってほしい」などと喚き立てている。

 12月16日の中央執行委員会で公表した連合の衆院選総括では、「『野党共闘』は(共産党)綱領にもとづく統一戦線の一つの形であり、共産主義社会実現のための手段であることは明白」とし、「『野党共闘の足を引っ張るな』と批判される所以は全くない」と突っぱねた(朝日12月20日)。要するに、立憲が選挙で負けたのは立憲の「支持率の低さ」でもなければ、政党としての「自力のなさ」でもなく、全ては共産との選挙協力に原因がある――というのが、連合の見立てなのである。

 芳野会長はまた同日の記者会見において、まるで立憲の後見人であるかのような口調で「共産との決別」が必要だとの考えを立憲新執行部に伝えると言明した。会見の主な内容は次の通りだ(朝日12月17日)。
 ――自民党幹部が衆院選の勝因は「連合が立憲民主党と共産党の共闘を否定したからだ」と発言した。
 「連合としては、立憲を基軸に国民民主党と連携しながら選挙戦を戦うのはこれまでもそうだし、これからもそうなる。立憲と市民連合、共産との関係で連合組合員の票の行き場がなくなったのは事実としてあったのではないか」
 ――参院選で共産との選挙区調整は容認するのか。
 「連合としては、立憲と国民民主でやっていただきたい」
 ――共産を含む野党共闘は「あり得ない」と言うが、野党共闘という言葉には選挙区調整も含むのか。
 「選挙区調整は与野党一対一の構造をつくる戦略としてあり得る。調整は、立憲と国民民主の間でやっていただきたい。その先は政党がやることだ」

 これに対して元民主党幹事長の輿石東氏は、日経新聞(オピニオン欄「野党立て直しの処方箋」12月20日)において「労組との関係 問い直せ」との見出しで連合とは異なった見解を表明している(抜粋)。つまり、見直すべきは「野党共闘」ではなくして「労組との関係」だと言いたいのだろう。

 「政党にとって労働組合はあくまでも応援団であり、そもそも立場が異なる。そこを混同してはいけない。政党は政策の実現のために政権を取るのが最終目標だ。一方、労組は暮らしを守るための集まりであり、賃上げや労働時間といった生活に関する要求で団結している。平和な国づくりといった大きな目標では一致できても、個別の要求は労組ごとに違って当然だ」
 「立憲民主党は揺れのとまらないヤジロウベエのようだ。右を向いて連合の顔色をうかがい、左を向いて共産党を気にする。揺れてばかりで前に進まない。これでは国民は支持しようとは思わない。先の衆院選で立民が議席を減らしたのは共産党と組んだからだという人がいる。それが理由のすべてではない。支持率が上がらないのは詰まるところ、ヤジロウベエに政権を任せられない、と有権者が感じているからだ」

 その後、立憲内での議論がいっこうに進まないことに業を煮やしたのか、各メディアからは立憲の奮起を促す記事が相次いでいる。毎日新聞(オピニオン「記者の目」12月17日)は、宮原記者(政治部)が「社会の問題掘り起こせ」とのタイトルで、「衆院選敗北で引責辞任した立憲民主党の枝野幸男前代表の後任に泉健太氏が選出された。泉氏は『対決型』から『政策立案型』への転換を通じて党再建を進める考えだ。だが、私は代表選の取材を通じて『党のイメージを変えるだけでいいのか』との思いを抱いた。泉執行部になっても党勢回復の兆しは見えていない。来年夏に参院選が迫る中、対応が急がれる」「立憲が今注力すべきは『対決か提案か』の路線問題以上に、自らの理念を磨き、行政や社会の問題点を掘り起こすことだろう」と指摘する。

 朝日新聞も大型記事「記者解説、野党共闘 問われる立憲」(12月20日)のなかで、南記者(政治部)が「参院選を前に国会運営での野党の足並みがそろわず、立憲民主党新代表に早くも試練」「本質的な問題は野党第1党の魅力不足。野党共闘という戦術を否定することは早計」「『人権尊重』『多様性』などの理念を体現する布陣と、課題解決への実践が必要」と、立憲の弱点をわかりやすく解説している。つまり、東京五輪が開かれた1964年、当時の成田社会党書記長が党機関紙で同党が弱い理由を3点挙げたことを紹介して、立憲の弱点は一つ目が選挙期間前からの地域住民への働きかけが弱いという「日常活動の不足」。二つ目に組織としての実体がなく、議員がいるだけという「議員党的な体質」。三つ目が「労働組合依存」だと端的に指摘した。三つ目の労働組合依存は、連合の意のままに振り回される立憲執行部に対する批判であることはいうまでもない。

 各社の12月世論調査の結果はもっと厳しい。調査実施順に並べてみると、立憲は新代表の選出でイメーチェンジを図ったにもかかわらず、また国会代表質問で「対決型」から「提案型」へ転換したにもかかわらず、世論調査にはさしたる変化があらわれていない。泉新代表に対する期待感は、「期待しない」が「期待する」を上回り、政党支持率も依然として低迷している(維新に追い抜かれるケースも出てきた)。

 【読売新聞】(12月3~5日実施、回答%)
  〇政党支持率:自民41,維新8,立憲7,公明3,共産2、国民1
  〇立憲新代表の泉健太氏に期待するか、「期待する」34,「期待しない」46
 【時事通信社】(12月10~13日実施、同)
  〇政党支持率:自民26.4,立憲5.0、維新4.9、公明3.6、共産1.0,国民0.6
 【毎日新聞】(12月18日実施、同)
  〇政党支持率:自民27,維新22、立憲11,共産5,公明4,国民3
  〇立憲新代表の泉健太氏に期待するか、「期待する」27,「期待しない」39
 【朝日新聞】(12月18~19日実施、同)
  〇政党支持率:自民36,立憲8,維新7、公明3,共産2,国民1
  〇立憲新代表の泉健太氏に期待するか、「期待する」40,「期待しない」43

 一方、立憲との選挙協力を今後も堅持するという方針の共産党に対しても、世論調査の結果は厳しいものがある。共産は立憲との選挙協力が敗北に終わった原因を「野党が初めて本格的な共闘の態勢(共通政策、政権協力、選挙協力)を作って総選挙に臨んだことが、支配勢力に日本の歴史でも初めての共産党が協力する政権が生まれる恐れを抱かせ、危機感にかられた支配勢力が一部メディアも総動員して必死の野党共闘攻撃、共産党攻撃を行った」(赤旗11月29日)からだと、もっぱら政治権力構造の観点から分析している。しかし、この総括には各メディアの世論調査の結果がまったく反映されていない。各社の野党共闘に関する評価を見よう。

 【共同通信】(11月1、2日実施、回答%)
〇立憲民主、共産など野党5党は、213の小選挙区で統一候補を擁立し、当選は59人でした。5党は今後こうした共闘関係を続けた方がいいと思いますか、見直した方がいいと思いますか、「続けた方がいい」32.2,「見直した方がいい」61.5
 【読売新聞】(11月1、2日実施、同)
  〇立憲民主党が今後も共産党と協力して政権交代を目指すのが良いと思うか、「思う」30,「思わない」57
 【朝日新聞】(11月6、7日実施、同)
  〇衆院選では立憲や共産など野党5党が217選挙区で候補者の一本化を進めた。来夏の参院選で一本化を進めるべきと思うか、「進めるべきだ」27,「そうは思わない」51
〇立憲と共産が安全保障政策などで主張の異なるまま、選挙協力することに問題があると思うか、「問題だ」54、「そうは思わない」31
 【日経新聞】(11月10、11日実施、同)
   〇立憲民主党が共産党との選挙協力を続けるべきか、やめるべきか、「続けるべきだ」25、「やめるべきだ」56
 【毎日新聞】(11月13日実施、同)
   〇先の衆院選で立憲と共産が選挙協力したが、来年の参院選でも続けるべきか、「続けるべきだ」19、「続けるべきでない」43
 【産経新聞】(11月13、14日実施、同)
   〇先の衆院選で立憲民主党と共産党が選挙区で統一候補を擁立した「野党共闘』を続けた方がよいか、続けない方がよいか、「続けた方がよい」32.2、「続けない方がよい」55.9

 共産はこの結果をいったいどう見ているのだろうか。赤旗は都合のいい調査結果が出た時には報道するが、そうでない時には無視する傾向が強い。これでは勝った戦争は大々的に報道(宣伝)するが、敗戦には一切触れなかった戦時中の「大本営発表」と何ら変わらない。要するに、世論の動向を科学的に分析し、政策立案や選挙戦略に反映させという政党としての基本要件が欠落しているのである。

 政治情勢は支配権力と野党の対決だけで決まるのではない。いかなる政治権力も世論の支持がなければ権力を維持することができない。まして、権力を持たない野党が支配権力と対抗していくためには、世論の支持は不可欠である。共産は「史上初めての本格的な野党共闘」だと自画自賛する選挙協力体制が、国民世論には支持されなかったという現実を認めなければならない。国民の政治意識のありかを冷静に見ないで、これを政治権力の対決構造だけに矮小化し、あくまでも既定方針を貫こうとする態度は、大日本帝国陸軍の「失敗の本質」を再び繰り返すことになる。

 立憲も共産も冷静な選挙協力に関する総括が必要なのではないか。連合が言う如く「共産との選挙協力が敗因のすべて」であれば、立憲は共産と決別して独自の道を歩めばよい。共産は「政治権力との対決がすべて」であれば、「千万人と雖も我往かん」との気概で〝政治対決の弁証法〟を実践すればよい。来年夏の参院選はもうそこまで迫っている。立憲と共産が〝共倒れ〟になる日はそう遠くないのかもしれない。

2021.12.29 日本政界は台湾有事を避ける努力を!
――八ヶ岳山麓から(355)――
              
阿部治平(もと高校教師)

 12月1日、安倍晋三元首相が講演で「台湾有事は日本有事だ。日米同盟有事でもある」と述べた。これに対し中国は強く反発し、中国外交部が北京駐在の日本大使を呼びつけ抗議したほか、主要メディアが安倍氏を名指しで非難するなど強硬な対応を示したことが報道されている。日本の現職政府高官ではない政治家の言動について、中国側がこれほど大げさな抗議をするのは異例だ(12月8日時事ネット)。
 各メディアによると、中国国務院台湾事務弁公室、新華社通信、人民日報系の環球時報も声をそろえて安倍晋三批判をした。環球時報にいたっては、岸田内閣は安倍氏の発言内容をあらかじめ知っていたのに黙認した、といった中国の日本研究者のコメントを紹介したという。

 安倍元首相はその後も中国を刺激する発言を繰り返しているが、国会では自民党の一部や国民民主党などが新疆ウイグル自治区での少数民族への抑圧や強制収容などの人権侵害、元テニス選手の彭帥スキャンダルなどを理由に、「対中国非難決議」や北京オリンピックの「外交的ボイコット」を要求した。これには13日共産党の志位委員長も加わって与野党の大合唱となった。
 自民党の高市早苗総務会長にいたっては、12月19日に東京都内で講演し、台湾有事への対応について「どのように邦人の保護、非戦闘員の退避を行うのか。日本と台湾で早く協議しておかないといけない」と述べ、日台間の調整は喫緊の課題との考えを示したとのことである(時事12月19日)。

 だが今国会での「対中国非難決議」の採択は見送りになった。岸田首相は「外交ボイコット」に関しては「国益をふまえて総合的に自主的に判断する」と発言している。当然のことだと思うが、ネット上には右翼勢力の強い不満が躍っている。
 安倍政権がかつて憲法の改定も経ずに憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を容認したという経緯があるから、中国側が安倍発言を、台湾有事に自衛隊の参戦ありと受け止めたとするなら、それはごく自然の成り行きである。
 高市氏の発言にいたっては、とうてい与党幹部の言とは思えない。ことさらに中国と対決しようとするもので、対中国臨戦体制をつくれというに等しい。だが、外交は勇ましければそれでよいというものではない。
 
 「台湾有事は日本有事」。つまり日本は戦争に巻き込まれ、多大な犠牲が出ると真剣に考えるならば、政治家の努力は何が何でも台湾有事を避ける努力に向くべきではないか。
 日本の政治家の多くは日米同盟の軍事力強化が「抑止力」となる、それによって台湾有事は避けられると楽観視しているのであろう。だが、かれらは台湾有事から生まれる破壊と犠牲をほとんど考えていない。だから発言がこんなにも大げさでこんなにも軽いのだ。

 いわゆる抑止力とは、中国軍が台湾に侵攻すれば米軍は直ちに反撃する、そうなれば中国は壊滅的な打撃を受けることになる、ということを中国にわからせることによって、中国に台湾の武力解放を断念させようという考え方である。アメリカは巨額の対中国国防予算を計上し、日本もそれに追随しようとしている。
 これに対して中国は、陸海空だけでなく宇宙戦・電子戦においてもアメリカ側に対して優位に立とうとし、最新的技術を駆使した防衛力増強に懸命にとりくんでいる。その速度は想像以上である(例えば「中国安全保障レポート2022」防衛研究所)。
 いうまでもなく、敵対する双方の軍拡競争は遠く古代からあって今に始まったことではない。20世紀、日欧米は軍備拡張とその破局すなわち戦争に明け暮れた。戦前のドイツのように軍の機動力が相手側よりも断然優位に立ったと妄信したとき、あるいは日本のように軍拡競争の負担に堪えられなくなったとき、戦争が破裂する。
 いま、日米と中国は際限のない軍拡競争のループにはまり込んでいる。
 
 でも、中国には損得勘定を度外視した台湾統一への強い願望が存在することを、我々日本人は忘れてはならない。中国統治者だけではなく大陸民衆の中に、今日の台湾問題は日本が領土を略奪した結果生まれたものという「怨念」がある。満洲国高官であった岸信介の孫、安倍晋三氏への風当たりが強いのはそのためともいえる。
 1949年の中国革命は、日中戦争と国共内戦による多大の犠牲のうえに成り立った。中華人民共和国という国家の完成、あるいは習近平氏のいう「中国の夢」実現のためには、台湾統一は成し遂げなければならない課題なのである。これが実現できれば、習近平氏は毛沢東並みの歴史的英雄になれるのである。
 だから、中国側には、日米同盟の抑止力を突破して台湾侵攻を敢行しようという論理が存在する。それがいつかは直前になるまでだれにもわからないが、こうした論理からすれば、日米の指導者がいう抑止力は効目を失うのである。

 中国の台湾武力侵攻の回避が日本の安全にとって外交上の最優先課題であるならば、中国に武力侵攻の方針をあきらめさせ、平和的統一(「和平解放」)の道に立ちかえるよう説得することが一番である。そうなれば台湾は破壊と犠牲を免れ、(「独立」はありえないが)事実上の国家としての現状を当分は維持していくことができる。
 いうまでもなく、「台湾問題は中国の内政問題だ」とする習近平政権に武力解放を放棄させるのはむずかしい。だが、抑止力理論が無力な側面を持つ以上、誰かがこの課題に取組まねばならない。日本が「台湾有事は我国の有事」と考えるならば、中国を説得するのは日本である。
 日本政府は、極右勢力やアメリカなどから腰抜けといわれようがなんであろうが、新疆の人権問題に関する「中国非難決議」や、北京オリンピック後を考えない「外交的ボイコット」などをやってはならない。
 いまのところ「外交的ボイコット」をやるといっているのは、アメリカ・カナダ・オーストラリア・イギリスなどの英語圏4ヶ国だけである。あと数ヶ国がこれに加わるとしても、地球上の大多数の国家がそっぽを向く可能性がある。だとすれば、それは中国の人権問題の解決には何の役にも立たないし、北京オリンピックは「外交的ボイコット」に関係なく進行するであろう。
 日本政府は、中国侵略の罪を犯さなかった東南アジア諸国の助力をえながら、粘り強く中国と交渉すべきである。そのためには、日本政府は中国との平和的共存をはかる意図を明らかにし、中国との対決を強めるアメリカなどと外交的距離を置かなくてはならない。米中対立の中で、中立の立場に近づけば近づくほど、中国との対話は成立しやすくなり、説得力を得ることができる。
 台湾をめぐる米中戦争を避けるためには、日本は複眼のしたたかな外交姿勢をもって、この困難な課題に挑む必要があると私は考える。(2021・12・20)

2021.12.25 岸田文雄とは何者か
-21世紀の近衛文麿か-

半澤健市 (元金融機関勤務)

 2021年10月3日に発足した岸田文雄内閣は3ヶ月目を迎えた。
憲政史上100代目の内閣について、蜜月期間の終わる前に早めの総括を書いておきたい。

《国会答弁は役人的答弁に徹している》
 コロナ禍の部屋籠もりで国会中継を見ていた。安倍・菅内閣の不具合隠蔽体質は見事に引き継がれている。「民主政治」を自称する政治権力がファシズムに如何に近づいているかを見せつけている。

①具体的な質問には一般論で逃げ、②抽象的な質問には説得力のない拒否か無視をする。無意味な「しっかり」や「必要があれば」を多用する。2021年12月18日「東京新聞」記事から、予算委員会での実例を挙げる。足立・音喜多議員とのやりとりは①の例、小池議員とのやりとりは②の例である。

足立信也(国民) 政府の統計を正すと約束してほしい。
岸田首相 誰の指示だったか、経緯も含めて明らかにしなければならない。実態との乖離が明らかになれば、しっかりと説明する。
音喜多駿(維新) デジタル化で、全行政文書の永久保存や改ざん防止などに取り組むべきだ。
岸田首相 公文書管理は民主主義の根幹だ。政府はルールの見直しやチェック機能の整備を続けてきたが、デジタル化は大きな決め手になる。デジタル庁中心にしっかり進めたい。必要であれば法改正をする。

小池 晁(共産) 赤木俊夫さんの妻雅子さんに会って謝罪と説明をすべきだ。
岸田首相 本件とは別に訴訟が進んでいる。直接お会いすることは慎重でなければならない。私自身も国会やさまざまな場を通じて、説明責任に応えていかければならない。
小池 晁 真摯にやると言いながら、具体的なことは否定する。安倍、菅政権と同じだ。当事の理財局長佐川宣寿氏ら五人の参考人招致を求める。(理事会で協議となる)

 このように、当事者意識に欠けた無責任な言葉を岸田は次々に繰り出すのである。メディアも良くない。「しっかり」「必要があれば」「あらためて」「明らかにしなければならない」といった「言っても言わなくてもよいセリフ」「無意味な修辞」は活字にせず、「拒否した」、「回答しなかった」、「無視した」と書くべきである。

《岸田は思想・学問・学者を侮蔑している》
 岸田候補が、総裁選で「新自由主義からの転換」を掲げたのが唯一私の関心を惹いた。
我が祖国の「失われた30年」は「新自由主義」から生まれたからである。されば岸田は本気で転換するのか。

 一体、資本主義とは何者か。転換論議はここから出発せねばならぬ。
スミス、マルクス、レーニン、ケインズ、シュンペーター、ウェーバー、何ならサミュエルソンを入れてもいい。彼らは各システムの理論の構築とその実践に命を賭けたのである。
 岸田内閣の立ち上げた「新しい資本主義実現会議」のメンバーと提言を見よ。官邸のサイトに出ている。
 財界団体、企業寄りシンクタンク、労組全国組織リーダー、名前を聞いたこともない学者・研究者。メンバーはその連合軍である。提言は現在の「資本主義」概念で容易に説明できるから、私はこの「会議」の必要を認めない。そして提言は実にチマチマしている。
 現有既得権の分配と新設を霞ヶ関用語で陳列しているだけである。

 こんな組織と提言を「新しい資本主義」という岸田には、思想・学問・学者への畏敬の念が感じられない。そして不遜なこの政治家が、凋落過程にある日本の学問研究を再建できるとは到底思えない。

《岸田はどんな主張をしているのか》
 ここまでの記述で、岸田首相はあまり主張をしない人間、消極的な人物のように見える。人の話はよく聞くが他人の悪口は言わないとも報道されている。

 しかし12月6日臨時国会の所信表明演説では、「第2次安倍政権が2013年に策定した中長期指針〈国家安全保障戦略〉の初改定を1年以内に行ない、弾道ミサイルを相手国領域内で阻止する敵基地攻撃能力の保有も含め〈あらゆる選択肢を排除せず検討する〉」と強調した。安倍晋三元首相は既に12月1日の台湾問題のシンポジウムで「台湾有事は日米有事」と発言している。
 両者がどこまで連携しているかは不明だ。しかし自衛隊海外派兵のための事前行動である感が強い。「あくまで選択肢と言ったのだ」と予防線を張る岸田は決してハト派ではない。これらの発言には与党公明党が否定的な発言をし、韓国メディアも批判色の強い報道をしている。しかし日本のメディアは、政権の「問題設定」自体を根本的に批判しない。

 開戦記念日前後に、日米開戦に際して庶民が厭戦派から開戦派と転向していくテレビ番組が放映された。メディアの影響力と庶民の気分変化は劇的なものだったことがわかる。

 以上の三点に絞って考えた私の岸田文雄論の結論は、「究極の機会主義者(オポチュニスト)」だというものである。機会主義者は、情勢の推移をじっと見ていて、そのベクトルに乗る人間である。
 太平洋戦争への「ポイント・オブ・ノーリターン」となったのは「日独伊三国同盟」(1940年)の締結とするのが近代史の定説である。時の首相は近衛文麿でという貴族であった。「人の話をよく聞く人間」だった近衛は、典型的な機会主義者として政治史にその名を残している。岸田が近衛の後裔だとは言わぬ。しかし岸田を見るときの留意点の一つであろうとは記しておきたい。(2021/12/20)

2021.12.24 住民投票
韓国通信NO685

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

 東京武蔵野市の住民投票をめぐる騒ぎ。
 市の条例案に外国人が含まれていることを一部住民が問題視したためだ。「いいがかり」としか言いようのない抗議をメディアが取り上げさらに波紋を広げた。取り上げる価値のない話。メディアは毅然とした態度で臨むべきだ。

<住民投票は民主主義の基本>
 誰でも安心、安全な町に住みたいと願う。市政の重要な問題について、市民が住民投票をとおして市政に参加するシステムが住民投票制度だ。
 投票結果を市や議会は尊重することが求められるが、従う義務はない。
 「ご意見として承ります」。政府や官僚の不誠実な答弁を聞きあきた者には住民投票は無意味なように感じられかも知れない。だが地方政治にとって民主的な手続きに則った投票による市民参加を保証することの意義は大きい。
 武蔵野市で問題となっているのは投票資格に外国人が含まれているためだが、懸案の地方参政権の問題とは別の話だ。「ユルユル」の最低限の民主主義の実践である。
 外国人が市民の一人として住民投票に参加することへの異議申し立ては感情的な排外主義の何物でもない。わが国には300万人(全人口の約2%)近い外国人が住んでいる。地域によっては労働・教育・文化などの貴重な担い手、存在になりつつある。

<我孫子市の場合>
 我孫子市では2004年に外国人を含む市民投票条例が制定された。現在約2千人の外国人が暮らす。ある議員は「外国人を含む条例は議会で自然に理解されていた」と当時を振り返る。議会外でも問題とされなかったようで、私も武蔵野市の問題が話題になるまで条例の内容を知らなかったくらいだ。もちろん20年近くたった現在でも問題が生じたこともなければ疑問視する住民もいない。

 スポーツを通して差別のない平和な世界を目指すオリンピックが開催された年に、人種・国籍を越えた共生社会に真っ向から反対する人たちの傲慢な振る舞い。
 先進的とは言わないが、極めて常識的な条例を他の自治体に先がけて条例を定めた我孫子市とは今昔の感がある武蔵野市をめくる異常ともいえる騒ぎである。在日外国人にかかわる些細な問題に大騒ぎをするようなになったのは最近のことだ。日の丸中心の閉鎖社会で、言論・表現の自由が脅かされるまでになった。
 人手不足を補うために過酷な労働条件で外国人労働者(172万人)を酷使する。外国人に対する敬意もなく使い捨てる日本社会が問われていないか。
 私の手帳の「忘れられない人」欄には名古屋入管で殺されたスリランカのウィシュマ・サンダマリさんの名前が書き記されている。日本の夜郎自大な態度が目に余る。

2021.12.22 改憲阻止へゼネストの準備も
危機感強める護憲団体

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 衆院憲法審査会が12月16日、自由討議を行った。10月末の衆院選後、国会の憲法審査会が実質的な討議をしたのは初めてだか、自民党、日本維新の会、国民民主党の3党はこれを機に憲法審査会での審議を急ぎ、審査会として改憲案を採択、できれば来年7月の参院選で改憲案に対する国民投票を実施したい、という構えだ。

 こうした状況に護憲団体側が危機感を抱き、さまざまな動きが出始めた。護憲団体が結集する「9条改憲NO!全国市民アクション」と「戦争させない・9条壊すな!総かがり行動実行委員会」が、11月から、新しい署名運動を始めたことを12月4日付の本欄で紹介したが、その後も注目すべき動きが出ている。

 その一つは、憲法9条の改定阻止を目指す自治体の現職首長や首長経験者でつくる「全国首長九条の会」(共同代表、川井貞一・元宮城県白石市長ら)の動きだ。同会は12月12日、東京都内で第2回総会を開き、「地方自治制度を守るためにも、戦争につながる9条改憲を決して許さない決意を全国民と全ての自治体首長・元職の皆さんへ訴える」とのアピールを採択した。
 同会は2019年に発足。現職・元職を含め130人が参加している。この日の総会には、オンライン参加を含め首長や元首長、市民ら約60人が参加した。
 共同通信によれば、総会では、九条の会世話人の田中優子・前法政大学総長が講演したが、前総長はその中で、「このままでは憲法改悪に進むのではという危機感がある。多様性を尊ぶ社会を地方行政からつくる必要がある」と強調したという。
 総会ではまた、松下玲子・東京都武蔵野市長、保坂展人・世田谷区長、村木英幸・東京都あきる野市長らが改憲阻止に向けた決意を述べた。

 さらに、こんな動きがある。11月25日付の「連合通信・隔日版」によると、全国労働組合総連合(全労連)や純中立労組でつくる国民春闘共闘委員会が11月22、23の両日、都内で開いた2022年国民春闘討論集会(オンライン併用)で、先の衆院選で改憲勢力が3分の2の議席を占めたことに危月機感を示し、ゼネストの準備を開始するとの方針を決めた。

 同紙によると、この国民春闘討論集会には、月額2万五千円以上の統一要求基準案や、エッセンシャルワーカーの大幅賃上げの取り組みなどが提案された。改憲問題についての発言もあり、小畑雅子代表幹事(全労連議長)が、「12月に開かれる臨時国会で憲法審査会を動かそうとするなど改憲への策動が一気に強まっている。本格的な改憲の危機となれば、ゼネストを構えて闘う」と、憲法闘争に最大限の力を注ぐよう呼びかけたという。
 これに対し、多くの単産や地方組織から賛同の声が上がった。生協労連からは「身近なテーマから憲法を学び、憲法を大切に感じる仲間を増やしいく」との報告があり、愛知県労働組合総連合からは、県内の全印総連の労組から「(国民を軍隊に召集する)赤紙を再び印刷してはいけない」との声が出されたことを紹介し、「改憲阻止のためのゼネストに賛成する。その時は積極的に参加する」と発言したという。

2021.12.20 〝政治対決の弁証法=支配勢力と共産党との攻防プロセス〟の角度からの分析では総選挙敗北を総括できない
野党共闘の展望も開けない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 今回の衆院選で共産と協力したことが立憲の議席減につながった――とする意見が立憲民主党の内外で強まっている。先日行われた立憲代表選挙においてもこの点が事実上の争点となり、共産との共闘のあり方を見直す方針を掲げた泉健太氏が(大差で)代表に選出された。泉健太氏は、12月8日から始まった衆院代表質問では「政策立案型」政党への脱皮を強調し、自民とも共産とも距離を取る「穏健中道路線」をめざす方向を明らかにした。代表質問の内容も政権批判を封印し、与党張りの政策提案に力点を置いた。政権との対立軸を示さなければならない野党第一党の代表質問とは思えない弱腰ぶりで、森友学園問題の再調査や日本学術会議の会員任命拒否問題への追及もなかった(毎日社説12月9日)。

 同じく12月8日のこの日、立憲民主党は共産や社民など野党各党と国会運営で連携するために開いてきた「野党国会対策委員長会談」の定例開催をやめることを決めた。泉代表が共産との共闘のあり方を見直す方針を掲げているので、続ける意義が薄いと判断したからだという。これで、これからの野党間の国会運営はバラバラになるかもしれない。(朝日、同)。

 また就任以来、激しい野党共闘批判を続けている連合芳野会長は日経新聞のインタビューの中で、「共産との選挙協力は一貫してありえない」「立民と国民が選挙協力すべきだ」「自公両党には是々非々で臨む、敵対する必要はない」「維新との関係はこれから判断する」などと反共主義全開の発言を重ねている。自公両党には是々非々で取引する一方、共産に対しては徹底的な攻撃を加え、立憲と国民を「責任ある野党」に育てて現体制を支えるという〝体制内労組〟の面目躍如だ。非大企業労組出身の女性会長だから、神津前会長の反共路線を少しでも変えるかと思っていたら、「ガラスの天井」を打ち破ると称して「反共ハンマー」を振るう――これがジェンダーフリーの現実だとしたら恐ろしい。以下は、そのインタビュー発言である(日経12月11日)。
 ――立民は衆院選で議席を減らしました。
 「政権批判が強く映ってしまった。どういう国、社会を目指すのかが非常にわかるづらかった。もう少しわかりやすく打ち出してほしい」
 ――共産党との共闘で連合の組合員が離れることがありましたか。
 「あったと判断している。共産党が協力に絡むのは一貫してありえない。現場が混乱する」
 ――参院選の1人区はどう対処すべきですか。
 「立民と国民で協力してもらえればと思う」
 ――両党の合流を求めると呼びかけましたが。
 「国民、立民が協力して戦うという意味での合流だ。政党がくっつくということではない。それは政党が考えるべきで連合が介入すべきことではない」
 ――自民、公明両党との関係はどう考えますか。
 「連合の考え方に近い部分があれば政策実現の観点から是々非々だ。敵対する必要はない」
 ――選挙で自民党を応援する可能性は。
 「それはない」
 ――日本維新の会とは協力しますか。
 「維新との関係に非常に慎重な地方組織もある。現場の意見を聞きながらこれから判断する」

 遠藤自民選挙対策委員長は、吉野連合会長の功績を称えて次のようなコメントをしている(朝日12月13日)。
 「(10月末投開票の)衆院選は絶対安定多数の261議席をとらせていただきましたが、決して楽な選挙ではありませんでした。むしろ敵失と言うと変ですが、相手方(野党)の色々な混乱があって、また連合の会長(芳野友子氏)が共産党(との共闘は)ダメよと、そんな話をしていたこともあって勝たせていただいた」

 こうした報道が相次いでいるせいか、12月3~5日に実施された読売新聞世論調査では、立憲民主党が今後も共産党と協力して政権交代を目指すのがよいと思うかとの質問には、「思わない」63%(前回57%)、「思う」24%(同30%)と否定的回答が大勢を占めた。この傾向は、野党支持層でも「思わない」58%(同51%)とほとんど変わらないのだから驚く(読売12月6日)。世論の3分の2近くが今回の野党共闘に「ダメ」を出しているとなると、立憲が動揺するのは無理もない。泉氏が大差で代表に選ばれたのは、こんな世論を反映しているのだろう。

 これら一連の報道から感じることは、立憲の共産との共闘見直し路線がもはや既成事実となり、「共産包囲網」ともいうべき世論状況が大きく形成されていることだ。これに対して、共産はどのように反論しているのだろうか。志位委員長の第4回中央委員会総会における報告は、以下のようなものだ(しんぶん赤旗11月29日)。
 (1)今回の選挙戦を支配勢力(自民・公明と補完勢力)と、野党共闘・共産との攻防プロセス、すなわち〝政治対決の弁証法〟という角度からとらえることが重要だ。
 (2)その場合の重要なポイントは、①野党が初めて本格的な共闘の態勢(共通政策、政権協力、選挙協力)を作って総選挙に臨んだこと。②こうした展開は、支配勢力に日本の歴史でも初めての共産党が協力する政権が生まれる恐れを抱かせたこと。③危機感にかられた支配勢力が一部メディアも総動員し、必死の野党共闘攻撃、共産党攻撃を行ったこと――を総括の視点に据えることだ。
 (3)言い換えれば、野党共闘と共産党が支配勢力に攻め込み、追い詰めたからこそ相手も必死の反撃を加えてきたのであって、野党共闘そのものが間違っていたわけではない。ただ、準備の遅れもあり、支配勢力の激しい共闘攻撃に対して野党が力を合わせて反撃できなかったことは認めなければならない。

 しかし、この〝政治対決の弁証法〟の論法は、「我々が強くなればなるほど敵も強くなる」という、これまで繰り返してきた共産党の「強がり」の主張をそのまま言い換えたものにすぎない。これでは、これまで以上に頑張らなければ選挙戦に勝てないということになり、「ガンバリズム=特攻精神」を発揮する以外に方法が見つからなくなる。我が陣営の作戦は「あくまでも正しい」という司令官の大号令が前提になり、彼我の戦力を冷静に比較分析することなく作戦を組み立てたミスが見過ごされている。このような日本帝国陸軍の『失敗の本質』が飽くことなく繰り返されるのは、司令官1強体制のもとで共産の組織が硬直しており、多面的な議論が行われなくなっていることの反映だろう。

 とはいえ、立憲泉代表の「政策立案型」「穏健中道路線」が世論の支持を得ているとも思えない。先の読売新聞世論調査においても、立憲民主党の新代表に選ばれた泉健太氏に「期待する」との回答は34%にとどまり、「期待しない」は46%だった。支持政党別にみると、立憲支持層では「期待する」が約7割を占めたが、無党派層では「期待する」30%で、「期待しない」42%を下回った。政党支持率では、与党側の自民41%(前回39%)、公明3%(同4%)、維新8%(同10%)に対して、野党側は立憲7%(同11%)、共産2%(同2%)、れいわ1%(同2%)、社民0%(1%)と相変わらず振るわない。支持政党なしの無党派層は32%(同26%)でむしろ前回よりも増えているのである。要するに、立憲は新しい代表を選んで方針転換したにもかかわらず、意図した結果は得られていないということだ。

 すでに、泉代表に対しては「軽量級」で存在感がない、国会代表質問は野党第一党としての迫力がない、これでは与党とも野党とも区別がつかないなどなど、多くの批判が出ている。この間隙を縫って維新が躍進するようなことになれば、事態は急転する。参院選の前に方針転換が行われるのか、それともこのまま「提案型中道路線」を続けるのか、立憲の行方が注目される。(つづく)

2021.12.15 ゼロコロナ信仰が生む人権侵害

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 政府が打ち出した鎖国政策は撤回されたが、この問題を最初に指摘したのは、橋下徹などの右派の論客たちだった。これにたいして、日頃から、人権擁護や憲法擁護を唱える政党や論客が沈黙しているのは不可解である。
 報道によればオミクロン株の出現で、岸田政権が即時の鎖国を宣言したことにたいして、国民の9割が賛成しているという。これを「意外」と考えるか、それとも「やはり」と考えるか。中国や北朝鮮であるまいし、国民のほとんどが人権侵害で憲法違反とも言える措置に賛同を示すのは気味が悪い。やはり日本人もまだ、アジアの専制国家並みの国民なのかと思ってしまう。「コロナさえ入ってこなければ、国家は何をしても構わない」のか。そういう短絡的な思考が、国や社会を間違った方向へ導いてきたのではないか。政府の強硬政策に反対する意見表明は、国賊的犯罪ではない。民主主義国家では当然のことである。そうでなければ、中国や北朝鮮を批判する資格はない。
 この背景にあるには、多数の国民が「ゼロコロナ信仰」に取り憑かれているからである。強毒性(高致死率)のあるウィルスには絶滅対策は必要だが、弱毒性のウィルスを完全消滅させることが不可能なだけでなく、その必要性もない。ウィルスの毒性がさらに弱まるか、ワクチン接種で無害化することで、問題は解決される。鎖国で問題が解決されることはない。
 問題は、政府がこのような明確な指針を出さずに、場当たり的にことを進めていることにある。だから、世論の動向で行き当たりばったりの措置をとることになる。他方、国民の中には感染自体を「恥」あるいは「罪」と見なすような偏見が醸成され、場合によっては「村八分」的な行動をとる人も出てくる。こうなると、人権侵害にも憲法違反にも鈍感になり、何が何でも感染を阻止することが、最良の措置だと考えるようになる。これでは中国や北朝鮮を笑えない。

 奇妙なことに、鎖国宣言で日本人の帰国すら排除する措置にたいして、「憲法違反」を明言しているのは、橋下徹などのいわゆる右派の論客たちである。非常に真っ当な議論である。これにたいして、左派の論客や政党は沈黙を守っている。しかも、右派の論客たちは、こういう議論が国民の多くの賛同を得られないと理解しながら、持論を展開している。論客としての矜持を感じさせる。左派政党やその論客たちは、なぜこのような議論を展開できないのだろうか。明らかに、国民の多数の意向を忖度しているとしか考えられない。とくに野党は有権者からの批判を受けないように、初めから、国民の支持を得られない主張を控えている。与党も野党も同じ穴の狢ということだ。世論の動向で政策を決めるポピュリズムである。憲法を守れ、人権を守れと主張している政党が、鎖国を仕方がないと傍観するのは、ポピュリズムに侵されているからである。

 オミクロン株といっても、その症状や重症度がほとんど分かっていないのに、即座に憲法違反の措置が宣言されるというのは可笑しい。しかも、右派の論客から疑念が呈せられると、これまた即座に措置を撤回するというのも、コロナ対策の基本方針の欠如を露呈している点で興味深い。まさに朝令暮改内閣である。
 そもそも、COVID19は鎖国しなければならないようなウィルスなのか。感染すれば致死率がきわめて高いウィルス(エボラ熱)と違い、一定の予防措置を取っていれば重症化しない毒性が低い部類のウィルスである。オミクロン株のように、感染力が高まったウィルスは、人との共存のために、毒性を緩和させていることが考えられる。とくに症状がなければ、風邪と同程度に扱えるウィルスに変異したと考えられる。いずれにしても、急いで鎖国するような状況ではない。にもかかわらず、菅政権への国民批判を注視してきた岸田首相は、即座に強硬措置を打ち出すことで、国民の支持が得られると考えたのだろう。
 一般国民は当座の問題が解決されれば良いという短絡的な思考で行動する。しかし、政治家や政府は短絡的思考で国の基本政策を決めてはならない。コロナ感染の終息シナリオを描き、将来を見据えながら、社会経済生活を可能な限り平常化するという明確な指針のもとに政策措置を実行する必要がある。ゼロコロナを目指すのではなく、コロナを無害化して、速やかに社会経済生活を平常化させる措置を的確かつ迅速に採ることが必要である。一律規制ではなく、ワクチン接種や健康状態に合わせて柔軟に対応し、最大限に社会経済生活の平常を取り戻すことを目標にすべきである。