2012.05.14  野田首相の「日米同盟深化」に大きな疑問
党内論議なしの譲歩は鳩山外交と大差なし

早房長治 (地球市民ジャーナリスト工房代表)


野田佳彦首相は4月30日、米国ワシントンでオバマ大統領と首脳会談を行ったが、会談終了後の記者会見で、野田首相は「日米同盟は新たな高みに達した」と、高揚感を漂わせながら語った。アジア・太平洋地域において米軍と自衛隊の一体化の促進に合意したことを指しているようである。しかし、米国との軍事的一体化についての議論は国会の中はもちろん、民主党内でもほとんど行われていず、関係者の間で大きな疑問が生じている。

軍事的一体化の目玉は、米領であるグアムと北マリアナ諸島に日米両国が費用を出し合って訓練場をつくり、共同訓練を頻繁に行うという点にある。このことは自民党などが強く主張している日米の集団安全保障とは性格を異にするが、自衛隊と米軍の実質的な共同作戦に道を開く可能性がある。

軍事的一体化を補うのは、日本の開発途上国援助(ODA)を使ってフィリピンなどに巡視艇を供与する措置である。巡視艇は「武器」に分類されるが、平和貢献・国際協力目的で例外扱いするという。昨年の武器三原則の緩和で事務手続きだけで輸出できるようになった。この措置が米国の軍事協力予算の節約に役立つことはいうまでもない。

日米は同盟関係にあるが、米軍と自衛隊は性格も役割もまったく異なる。米軍は第2次大戦後、「世界の警官」として、世界で資本主義国家群の利害に反する紛争があれば出動し、強大な戦力を生かして問題を解決してきた。オバマ政権の下で、財政難に対応して作戦規模を縮小しているが、米軍の性格が「世界の警官」であることは変わりない。

一方、自衛隊には憲法上、「専守防衛」の枠がはめられている。最近、中国や北朝鮮の軍事的な動きに対抗するため、米軍と協力する必要性が増していることは確かだが、現憲法が存在する限り、「専守防衛」の枠組みは厳重に守らなくてはならない。とはいえ、米軍との関係が密接になるほど、作戦上、どこで一線を画するか、判断が難しくなる。

政府や防衛省は「共同訓練はあくまでも訓練であって、共同作戦ではない」と弁明するかもしれない。しかし、共同訓練は共同作戦に備えて行うものである。共同作戦と無関係の共同訓練は自己矛盾であって、ありえない。

武器三原則は自公政権当時から数次にわたって緩和されてきた。これまでは防衛関係技術の解禁が主であったが、今後は武器類の供与や輸出が一般化する可能性がある。06年、インドネシアに巡視艇を供与した際は、マラッカ海峡の海賊対策という名分があったが、今回は軍事目的以外、何の名分も存在しない。これは明らかに軍事目的を避けるというODA大綱に背くものである。

現憲法と武器三原則が平和国家としての日本の背骨であることはいうまでもない。「第2次大戦をアジアで起こしたことを反省し、平和国家に徹して生きる」という意志を国民が持つ限り、憲法と武器三原則は順守されなくてはならない。将来、これらの国家運営の基軸を変更することもありうるが、それは徹底した国民的論議が前提となる。

今回の首脳会談で野田首相が安全保障分野で米側に大幅に譲歩したのは、鳩山由紀夫内閣以来ぎくしゃくしていた民主党政権とオバマ政権との関係を安定的なものに変えたいという願望からであった。だからといって、国家の存立にかかわる憲法や武器三原則に関係する原則を国民的論議を経ずに、なし崩し的に変更することが許されるわけではない。

鳩山首相は「より平等な日米関係の実現」を熱望するあまり、沖縄の基地問題などで「独走」し、米国の不信を買った。鳩山首相が国内的論議を経た上で、慎重な対米外交を展開していれば、日米関係の不幸な混乱は避けられたに違いない。

野田首相は日米協調を図ろうとしている点において鳩山首相と正反対なのだが、重要案件についての国民的論議を省略し、「独走」的手法で対米外交を展開している点では鳩山首相と大差ない。今回のような「独走」が続けば、野田首相も遠からず対米外交でつまずくであろう。

民主党は遅まきにでも外交についての党内論議を行い、意見集約を図るべきである。また、野党各党も野田内閣の「なし崩し外交」に強い疑問を提起し、徹底した国会論議を求めるべきである。野田首相は日米同盟関係の深化を自画自賛している時ではない。
                            (5月8日記す)
2012.04.30 「無罪」で勢いづく小沢派 さらに沈む民主党
大局観持たぬ政治家に国民の不信募るばかり

早房長治 (地球市民ジャーナリスト工房代表)


東京地裁は26日、政治資金規正法違反の罪で強制起訴された民主党元代表・小沢一郎被告に対し、無罪の判決を言い渡した。これを受けて、民主党の小沢派は勢いづき、消費増税への反対など、執行部に対する抵抗を強め、自民党をはじめとする野党は、小沢氏への証人喚問を要求するなど、攻勢に出ている。しかし、大多数の国民は、大局観を欠き、政局に走るばかりの政治家に対して、不信感を募らせるばかりである。

小沢派の議員たちは「小沢先生は完全無罪を勝ち取った。政治家として完全復活する時が来た」と狂喜している。彼らの間では小沢氏の今後をめぐって「党員資格停止の解除―消費増税、TPPなどの反対運動の先頭に立つー9月の党代表選への立候補」といった期待があからさまに語られている。

もし、小沢氏がこのようなスケジュールに従って突っ走った場合、民主党の分裂状態はさらに深刻になるであろう。その結果、今日でも極めて弱い野田内閣の政策の決定力・実行力はさらに弱まることは必至である。いい換えれば、政権党としての民主党の統治能力を決定的に劣化させることになる。

万一、小沢派の反対によって消費増税法案が今国会の会期末までに成立しないような事態になれば、民主党は事実上、沈没状態に陥るであろう。よしんば、小沢派が沈み行く船を乗っ取ったとしても、再浮上の展望はまったく開けない。野田首相と民主党執行部が反乱を恐れて増税法案の審議の先送りを図るようなことになれば、同党は即沈没の泥船と化すに違いない。このことを小沢氏はどのように考えているのであろうか。

一方、自民党、公明党をはじめとする野党勢力は、小沢氏の説明責任を追及するために、国会への証人喚問を要求している。小沢氏がそれに応じなければ、重要法案の審議を停止することも辞さない構えである。小沢氏は何らかの形で国会での説明責任を果たすべきであるが、それを拒否する可能性も高い。その場合、野党は今のところ、審議拒否という対抗手段しかなく、国会は事実上、機能不全に陥ってしまうであろう。

このような政治の混迷を、国民の大部分はあきれ顔で見つめている。心の中で燃え盛っているのは政治家に対する不信である。国民の多くは、政治の混乱の原因が目先の利益だけを追う政治家にあることを見抜いている。「大局観を欠く政治家は、国民にとって、百害あって一利もない」と考えている。

政治家が「政治は自らや党派のためではなく、国民のために行う」という単純な原則を再認識しない限り、政治家と国民はますます乖離し、政治は機能不全に陥ることは必至である。それを避ける道は、政治家が心を正した上で、大連立で消費増税法案など重要案件を処理した後、総選挙で出直すことしかないのかもしれない。
                          (4月27日記す)
2012.04.27 「青天白日」と「暗雲」と――小沢元代表への無罪判決
暴論珍説メモ(112)

田畑光永 (ジャーナリスト)


 5月26日、東京地裁は政治資金規正法違反容疑で検察審査会によって強制起訴された民主党の小沢一郎元代表に無罪判決を言い渡した。検察官役の指定弁護士がこの判決を不服として控訴するかどうかまだ明かでないので、裁判は完全に終ったとはいえない段階であるが、社会一般および政界ではこれによって小沢氏は「青天白日の身」になって、これから大手を振って活動する条件が整ったと受け取るであろう。
 この裁判は検察が描いた「小沢氏へのゼネコンからの不正献金→それを資金とする土地購入→資金の出所を隠蔽するための報告書への虚偽記載」という小沢事務所ぐるみの犯罪の想定からスターとしたものであった。ところが検察は第一段階の不正献金が立証できず、さらに事実として存在する虚偽記載への小沢氏の関与をも立証不可能と判断して、結局、小沢氏を不起訴処分とせざるを得なかったのだが、その後、検察審査会による決定で強制起訴された案件であった。
 そして裁判の過程でも、虚偽記載への小沢氏の関与を証明する証拠とされた石川知祐衆院議員の供述調書が「利益誘導や圧力など違法な取調べ手法があった」として、証拠採用されず、検察の独善、横暴が大きくクローズアップされたのであった。
 しかし、今回、大善文男裁判長が下した判断は、自身の政治資金収支報告書を「一度も見たことがない」という小沢氏の供述は「およそ信頼できるものではない」、つまり虚偽記載を「知っていて、了承した」はずだが、正しく書かねばならないと認識していなかった可能性があるから「故意を欠く」、つまり「悪いと知ってやったわけではない」かも知れないから、「罪に問わない」というものであった。
 これは「青天白日」ではない。ぎりぎり処罰を免れたというだけである。大善裁判長もすでに一審で有罪判決を受けている小沢氏の3人の秘書の「虚偽記載」を認定しているから、小沢事務所が収支報告書にウソを書いた事実は再度認定され、小沢氏もそれを知っていたというのが、司法の判断ということになる。
 したがって、今、小沢氏がするべきことは事務所ぐるみの政治資金規正法違反を有権者に謝罪することである。言うまでもなく、小沢氏の政治資金には国民の税金たる政党助成金からの何千万円かが入っている以上、それを含む政治資金全体の動きはきちんと誤りなく公開されなくてはならない。そのための政治資金規正法である。前述の検察の想定の前段が否定されたからと言って、後段までが消えてなくなるわけではない。小沢氏はこれまで「裁判中」を口実に政治倫理審査会などに出席して、事実を説明することを拒んできたが、今や「無罪」判決を手にした以上、それを拒む理由はないはずだ。そうした場に進んで出席して、法律違反を謝罪し、疑問にすべて答えるべきである。
2012.04.16 対北朝鮮外交は間違いの連続、今回も
米中依存だけでなく、直接協議の道開け

早房長治 ((地球市民ジャーナリスト工房代表)


北朝鮮が今月12〜16日に「人工衛星」を発射すると予告しているのに対して、政府は米中韓の3カ国と連携して北朝鮮に自制を求めるとともに、沖縄県などにPAC3迎撃ミサイルを配備し、沿海にイージス艦を派遣するなど、大がかりの対応措置を取っている。こんなやり方で拉致問題を含む対北朝鮮問題を解決することは不可能である。政府は「北風」型政策から「北風と太陽」型に転換すべきである。

日本と北朝鮮は第2次大戦後、66年たっても国交を回復していない。その原因としては歴代日本政府の消極性に加え、1950年から約3年間、朝鮮戦争が闘われたこともあって、韓国と米国が日朝和平を望まなかったことも大きい。 

転機となりそうであったのは、2002年9月、小泉純一郎首相と故・金正日国防委員長の間で日朝首脳会談が行われた時である。その時、発表された日朝平壌宣言では、日本人の拉致被害者5人の帰国と、国交回復に向けての交渉に入ることが謳われた。

しかし、和平の動きは間もなく頓挫した。日本国内で「北朝鮮が死亡したと発表した8人はまだ生存しているはずだ。拉致問題交渉をやり直せ」という反発が巻き起こり、小泉内閣も、一転、その動きに乗ってしまったからである。それ以来、日本政府は、自公政権、民主党中心の政権を問わず、北朝鮮への敵対姿勢を強めた。イソップ寓話になぞらえれば、「北風」政策を一貫して取ったである。

この結果、国交回復への交渉も、日本側が強く求めた拉致被害者をめぐる交渉も、まったく進まなくなった。2004年5月に開かれた2回目の首脳会談も何の成果も上げることはできなかった。日本側が敵対姿勢を露わにしながら拉致被害者の返還だけを要求しても、北朝鮮側が応じてこないのは当然であろう。

今回の「人工衛星」打ち上げに対して、日本政府は米中韓の3国との協調を強調しているが、4国の中で北朝鮮に対して最も強硬姿勢を取っているのは日本である。だが、日本独自での方策はほとんどなく、なす術はないから、口で強いことをいって、実行は米国と中国に依存している。こんなやり方で日朝間の懸案が解決するはずがない。

野田政権が今回、取った対策の特徴は、陸海空の自衛隊を、先島諸島を中心に大々的に展開したことである。PAC3やイージス艦だけでなく、一般の陸上自衛隊、化学兵器対策部隊、艦船警護用のF15戦闘機まで出動させている。中国海軍の東シナ海進出をにらんだ演習的な意味合いがあるのかもしれないが、いかにも仰々しい。米韓の政府筋やマスコミから「日本は騒ぎ過ぎではないか」という批判が出ているほどである。

日本政府が北朝鮮問題になると、なぜ大騒ぎをやるのか。最大の要因は「国内での人気取りのための政治的パーフォーマンス」と思われる。中国の軍事行動に対して必要以上の大騒ぎをしたら、中国からの外交的反発で大きなダメージを受ける恐れがあるが、力の弱い北朝鮮相手なら、パーフォーマンスがやり易いと考えているのだろう。

しかし、こんなことを続けていると、北朝鮮との懸案の解決が遠退くだけでなく、アジアをはじめとする世界各国の信頼を失うことになるのは必至である。

政府が北朝鮮に国連安保理決議に違反した行為をしないよう求めるのは当然である。しかし、今後、北朝鮮に対する姿勢は日朝平壌宣言に基づいた友好的なものに戻るべきである。幸い、拉致被害者家族会の横田滋さんも最近、「北朝鮮側が日本との話し合いに乗ってくるようにするために、日本側が、まず、相手の要求を呑んだ方がいい」という趣旨の発言をしている。

日本の常識は「拉致問題が解決しなければ、北朝鮮との国交回復などありえない」ということのようであるが、世界の常識は「国交回復後、日朝両国が密度の濃い協議によって懸案を解決する」であろう。首都圏までにPAC3を配備するような、見え透いた軍事的パーフォーマンスなど、愚の骨頂である。

                     (4月9日記す)
2012.04.10 日本はイタリアのモンテイ首相に学べ
国民と他国を納得させる改革を断行

早房長治 ((地球市民ジャーナリスト工房代表)


昨年11月、政治家でないのにイタリア首相に就任したマリオ・モンテイ氏(69)の言動が注目されている。国内の財政改革、年金改革、労働市場改革に加えて、EU全体の経済・金融安定策づくりにでもメルケル・ドイツ首相、サルコジ・フランス大統領と並ぶ中心的役割を果たしている。政治家が一人もいない内閣が、どうして輝かしい成果を上げられるのか。日本はモンテイ首相の危機における決断力に学ぶべきである。

マリオ・モンテイ首相の経歴をひもとくと、経済相、終身上院議員のほか、国際的には2期にわたる欧州委員(EUの閣僚)や国際的シンクタンク、日米欧三極委員会のヨーロッパ委員長、学者としてはボッコー二大学長などを歴任、また、一時期、米投資銀行ゴールドマンサックスの国際顧問を務めている。西欧の典型的な大物インテリの一人である。

昨年秋、ベルルスコーニ政権が財政問題で無策ぶりをさらけ出し、国債暴落の危機にさらされた時、次期首相の指名権を持つナポリターノ大統領は政治家を指名せず、モンテイ氏に組閣を要請した。彼は欧州委員時代、独占禁止法問題で辣腕を揮ったことなどから「スーパー・マリオ」と渾名されている。大統領は「国債の破綻危機からイタリアを救えるのはモンテイ氏しかいない」と、彼の能力に期待をかけたのである。

しかし、イタリア国民の大部分も、EUのリーダーたちも、「政治情勢が複雑なイタリアで、いくら能力があるといっても、政治家でもない人が世論の支持を得て、難問を解決できるであろうか」と、不安と疑問を口にした。ところが、モンテイ首相はこれらを尻目に、閣僚として政治家以外の弁護士、銀行家、外交官らを登用して、一種の“超然内閣”を発足させたのである。

それからの動きは速かった。財政支出の削減を手始めに、年金支給年齢の引き上げ、官僚システムの簡素化、不動産税の復活、各種の規制緩和策、労働慣行の見直しなどに矢継ぎ早に着手した。当然、いくつかの政党、官僚や労組から強い抵抗があるが、首相はオポチュニステックな(機会主義的な)行動のそぶりも見せない。彼は「現在の政権は選挙での票を気にする必要はまったくない。国民の利益だけを考えて行動できる」といいきる。

モンテイ首相は先週、来日した際、「来年までに財政の収支を均衡させる手を打ち終えた」と言明した。イタリア国債市場はこのような財政措置を好感して、一時高騰した国債金利も正常に復している。さらに、首相はこうした情勢を巧妙に利用しながら、ドイツやフランスとともにEU加盟国の財政規律をさらに厳格化する政府間協定の推進や、ユーロ圏共同債の導入の動きを速めることに尽力してきた。EU全体の財政・金融安全網が安定化すれば、イタリアの財政・金融に好影響を与えることはいうまでもない。

モンテイ内閣の支持率は現在、60%を超えている。これには首相自身、驚いているようである。内閣の強みが「政治家抜き」であることはいうまでもないが、首相はそれを100%駆使し、強力な決断力で国全体の構造改革に向けて国民をリードしている。大多数の国民は、一時、国の先行きに深刻な危機感を抱いたが、それだからこそ、政治家ではないモンテイ首相の「決断力に満ちた政治」に拍手を送っているのである。

日本では、憲法上、政治家抜きの内閣を実現することはできない。しかし、与野党の政治家が、日本の政治の現状がかつてのイタリア以上に人気取りに走って混乱していることに危機感を抱けば、首相とその内閣はモンテイ内閣にひけ劣らない決断力を発揮できるのではないか。

また、政治家に行動変化を促すのは、国民の深刻な危機感であり、政治への深い関心であることを、国民自身が気づいてほしい。
                            (4月3日記す)
2012.02.28 「維新の会」の国の統治機構改革案は正論
「決定できる民主主義」問われる既存政党
             
早房長治 (地球市民ジャーナリスト工房代表)


橋下徹・大阪市長の率いる「大阪維新の会」は13日、衆院選向け公約集、「船中八策」の原案を決め、発表した。経済政策や外交・防衛政策では具体策を掲げているが、中心となる統治機構改革をめぐる政策では、首相公選制の導入、参議院の廃止など、実現のハードルの高いものもかなり含まれている。これに対して民主党、自民党、公明党など既存政党側は「現実的ではない」などと批判を展開している。だが、「維新の会」が主張する「(政策や改革を)決定できる民主主義の実現」は正論である。既存政党側も前向きに対応すべきである。

「船中八策」は総合政策として、長所と欠点がない混ぜになっている。まず、八策に通底する哲学が明確でない。首相公選制度と参議院の廃止、地方交付税の廃止、教育委員会の設置を選択制にすること、掛け捨て年金の採用などはいずれも斬新な政策であるが、どこで、どのように関連しているのか分からない。教委制度の改変や職員基本条例の法制化は、大阪府・市で進行していることと照らし合わせてみると、「選挙で勝てば、何をしてもいい」と考える独裁政治の匂いもする。

しかし、このような欠点があるとしても、重要な政策を決定できず、意思決定も迅速に行えない国政の現状を厳しく批判し、「決定のできる民主主義をどのように実現するか」の問題提起をしたことは民意に沿っていて、正しい。

首相公選制の導入や参議院の廃止を行うには憲法改正が必要であるから、数年がかりの大事業になるかもしれない。だが、首相が米国などの大統領のように国民の直接投票で選ばれれば、毎年交代というような愚かな事態は避けられる。参議院の廃止については議論が分かれるだろうが、「決定できる民主主義」を実現するためには、議会制度の思い切った改革が必須なことは間違いないであろう。要は、政治家と政党は、実現のハードルが高いからといって、重要問題から逃げてはいけないのである。

民主、自民両党をはじめとする既存政党のリーダーたちが、なぜ重要問題に正面から挑もうとしないのか。目の前の政局や次の選挙の結果に捉われ過ぎているからである。この点、橋下氏が「首長も議員も任期は原則1期」と考えていることが「決定できる民主主義」を大胆に主張できる大きな理由であろう。既存政党の政治家たちも心を入れ替えて見習うべきである。

日本の議会政治が「決定できない民主主義」に風化してしまったのには、有権者一般の責任も大きい。小泉純一郎・元首相に煽られると劇場政治に踊り、次いで、小沢一郎・元民主党代表のバラマキ政治に群がり、今度は、「大阪を変える、日本を変える」という橋下氏の勇ましい掛け声に、その目的が不分明にもかかわらず拍手喝采を送る。

大阪の再生は、府と市を統合すれば成るというような生易しい課題ではない。60年代以降、首都圏や海外に去った企業を引き戻すか新しい企業を育てない限り、経済は再活性化せず、府民の生活は向上しない。府民はもちろん、全国の有権者も、そのことを十分に理解した上で橋下流“維新政治”に対応すべきであろう。

「決定できる民主主義」の再構築は全政党と国会議員全員の責任である。しかし、それは有権者の理性的なバックアップがない限り実現しまい。国民一人ひとりが、やみくもに「維新の会」に1票を投ずるのではなく、理性的で責任ある行動を取ることが「決定できる民主主義」を実現する道に通ずることを自覚する必要がある。
                         (、2月17日記す)

2012.02.20 谷垣氏は王道を歩んで首相の座を目指せ
首相は一体改革法案の成立後、解散を

早房長治 ((地球市民ジャーナリスト工房代表)

国会は新年度予算の審議が始まったものの、相変わらず迷走している。自民党内には消費税増税を支持する議員が多数いるにもかかわらず、執行部は「まず、解散・総選挙」一本槍の姿勢を変えていない。谷垣禎一総裁は、待ったなしの消費税増税に賛成した上で、解散を要求し、政権を目指すべきではないか。野田佳彦首相がそのための環境を整える責任があることはいうまでもない。二人とも政治の王道を歩んでほしい。

谷垣氏は自民党が政権を維持していた頃から消費税増税を主張していた。ところが、野党に転落した自民党の総裁に就任すると、その主張を事実上、封印してしまった。民主党政権の政策に反対することが不人気な民主党内閣を解散に追い込み、政権を奪回することに直結すると考えているためだろうが、「覇道」を歩む谷垣氏と自民党は国民から見透かされており、その結果、自民党の支持率も低迷している。

日本にとって社会福祉と税の一体改革は待ったなしの課題である。消費税増税に踏み切らなくては、毎年1兆円以上増額する社会福祉経費を賄えず、2〜3年後には国家債務危機に陥る可能性が非常に高い。今日までは、銀行などの国内金融機関が1400兆円ともいわれた個人預貯金を原資とした豊富の資金力で国債を買い支えてきたが、団塊の世代の大量退職でその資金も底を着き、外資依存による国債消化を迫られることが必至だからである。

この事実を谷垣氏がよく理解していることは、これまでの彼の言動から明らかである。それにもかかわらず彼が一体改革への賛成を表明できないのは、町村信孝氏、伊吹文明氏らの派閥領袖や一部の若手幹部の強硬論を抑えられないためである。谷垣氏は「強硬論を抑える行動に出たら、党内から強い反発を受け、9月の総裁選での再選のシナリオが消えてしまう」と恐れているのであろう。

しかし、よく考えてほしい。今日のようなやり方を続ければ、谷垣氏に総裁再選――政権奪回の道が開けるというのだろうか。そうなる可能性は10%もないであろう。可能性があるとしたら、9月前に衆院の解散と総選挙が実現するか、それが確約された場合だけであろう。そのためには、一体改革に賛成し、野田首相に解散・総選挙を決断させなくてはならない。

もちろん、自民党内の強硬論を抑えようとすることは、谷垣氏にとってリスクになる。だが、リスクを冒さないで首相の座を勝ち取ることなどできるはずはないではないか。リスク覚悟でリーダーシップを発揮して自民党を消費税増税賛成にまとめ、それを武器に野田首相に解散・総選挙を迫った時、国民は拍手を送り、谷垣政権への道が開けるのではないだろうか。

野田首相が政治生命をかけても一体改革を実現させようと決意しているのなら、当然、解散・総選挙を視野に入れて政局に当たるべきである。何らかの形で谷垣氏と気脈を通じ、解散・総選挙を確約することをテコにして、民主、自民両党で一体改革を成功させたらいいのである。心ある国民はこのことを強く望んでいる。

首相が政権維持にこだわったら、一体改革が実現しないだけではなく、政治はいっそう混迷し、民主党内での政権たらい回しがまた行われることになる可能性が強い。こうなったら、国民の政治不信は募るばかりだ。首相はそのことを十分に理解し、谷垣氏と自民党が消費税増税に賛成できる環境を積極的につくるべきである。

野田首相が自民党と妥協しようとした場合、小沢一郎氏がそれを妨げようとするかもしれない。首相は小沢氏の横車に屈してはならない。逆に、重要政策で党が一本化することこそ政権党の最大の責務であることを、小沢氏を含む民主党議員全員に説くべきである。

「日本の議会制民主主義は崩壊の危機にある」といわれている。しかし、このピンチはチャンスでもある。いま、大ピンチをチャンスに逆転させるカギは野田首相と谷垣氏の手にある。両氏の勇気ある決意と行動で社会福祉と税の一体改革が成就する時、日本の政治は歴史的転換を果たすことになるに違いない。
                           (2月10日記す)

2012.02.18 「まだ絶望を語る時ではない」
―書評 山口二郎著『政権交代とは何だったのか』(岩波新書)        
     
半澤健市 (元金融機関勤務)


《民主党応援団による失敗の総括》 
民主党応援団を自認する政治学者山口二郎による「政権交代」とその「失敗」の物語である。著者は1993年以来、中道左派政党による政権交代の実現を望みながら研究を続け、実践にもコミットしてきた。本書は実現した政権交代への大きな失望と残された小さな希望を語っている。

 外からはグローバリゼーション、内ではバブル崩壊による高度成長の終焉という情勢の激変が起こった。政官スクラムで成長の利益を分配してきた自民党政治は1990年代に転換を必要としていた。著者は、「ウェストミンスターモデル」なる英国式統治モデル(本書67頁)の分析者であった。この構図は「鳩山政権における統治システム像」(79頁)として実現されるかに見えた。しかし鳩山、菅、野田と続く政権の迷走によって実現されることはなかった。

「政権交代」は何ゆえに無残な失敗に終わったのか。それを描くのが著者の意図であるから全貌を知るには本書を繙くしかない。しかし、いつものように「御用とお急ぎの」読者のために、山口の総括を私流に翻訳して紹介する。
失敗の理由は次の三つである。

《失敗の理由は三つある》
第一 「基本理念」がナマクラであった。
第二 政権交代に必須な「政治主導」体制づくりに失敗した。
第三 「敵」の反撃力を過小評価していた。

「基本理念」は次の三つであった。
一つは外交における自主性の回復である。具体的には沖縄普天間基地の移転、東アジア共同体構想の具体化、日米安保の見直しである。二つは成長の限界を踏まえた持続可能な経済システムへの転換である。外需依存で「会社が儲かれば給料も上がる」幻想との訣別であり、所得再配分機能の強化である。
三つは官僚権威主義の打破である。自民党と官僚支配は権威主義と結び、主権者であり受益者たる国民が彼らに恩恵を求めるシステムになっていた。その解体である。

《官僚の目はどっちを向いているか》 
しかしこの三つの理念は崩壊し政策実現は失敗した。
沖縄問題は鳩山自身の腰砕けが最大の理由であるが、「日米同盟」深化を至上命題とする外務官僚の行動も殆ど「国を売る」ものであった。斎木昭隆アジア太平洋局長は、来日した米キャンベル国務次官補に対して「民主党は官僚を抑え、米国に挑戦する大胆な外交のイメージを打ち出す必要を感じたようだ」とし、これを「愚か」「やがて彼らも学ぶだろう」と批判したと著者は書いている。「子ども手当」や「高校授業料無償化」などの再配分政策は、野党の「バラマキ4K」の批判に的確に反論することができなかった。

官僚支配は解体どころか「社会保障と財政の一体改革」なる庶民増税として強化されている。これらの基本理念がナマクラだったのは、民主党が「政権交代が政権交代の目的」という自己矛盾する目標を掲げる「方便政党」に過ぎなかったことが根本の原因である。
本気で政権を奪取しニューディールを行う理念も覚悟も不十分だったのである。

《政権交代への準備不足に愕然》
 英国の政治主導システムに学んだ「政治主導」がどう失敗したかが緻密、詳細に描かれている。それを読んでいくと、政権党の準備不足、稚拙な実行、成果の乏しさに愕然とする。とりわけ看板であった国家戦略局は、その気になれば設置と関連法規の整備を政権発足後の国会で実現できたのにやらなかった。著者はこう書いている。
▼しかし、法改正は翌年の通常国会に先送りされ、鳩山政権の混迷の中で結局実現しないまま参議院選挙を迎えた。制度フェティシズムを持った民主党が、なぜこの制度の実現は怠ったのか、理解に苦しむところである。

「ルーズベルトの100日」のようなスピード感溢れる徹底改革とはほど遠い「政権交代」の姿であった。「敵」の反撃力 というのは私の造語である。ワシントンDC、自民党、財界、メディア。そして3.11によって明らかになった「無責任の体系」(丸山真男)。「敵」はどこにでもいた。

《愚かだったと済ませるわけにはいかない》 
著者は政権交代が失敗したと考えるが、「民主党の政治家は愚かだったと済ませるわけにはいかない」という。諦めてはいけないというのである。そして評論家内田樹の言葉を引いて次のように述べる。
▼「マルクス主義者が政治思想としてのマルクス主義を生き延びさせたいとほんとうに思っていたなら、マルクス主義の名においてそれまでになされた、これからなされるかべての蛮行や愚行について、「それもまた私の責任として引き受けざるを得ないでしょう」と言うべきだった。」(内田樹『呪いの時代』、新潮社、2011年)
私(山口)が十数年主張してきたことは思想などという高尚なものではないが、内田氏の文章のマルクス主義の代わりに、「政権交代」や「民主党」という言葉を代入すれば、本書を書いた私の意図になる。私にとっての責任の引き受け方は、政治の前向きの変化を的確に評価すると共に、政権交代以来の失敗を厳しく分析し、今後の政治のための素材を提供することである。
2011.12.26 小泉元首相の4つの大罪を忘れてはいけない
拉致問題の解決から逃げ、日朝関係を最悪に

早房長治 ((地球市民ジャーナリスト工房代表)


北朝鮮の独裁者、金正日・国防委員長が15日、死去した。後継者は、まだ30歳前の三男、金正恩氏であるから、情勢は不安定だ。日本には北朝鮮の情報を取る能力がほとんどないので、政府もマスコミも右往左往するばかりである。金正日委員長が日本国民の前に登場したのは2002年に平壌で開かれた日朝首脳会談の時であった。その時の交渉相手であった小泉純一郎・元首相は2度も平壌を訪れながら、自らの人気を保つために拉致問題から逃げ、日朝関係を最悪状態に追い込んだ。小泉氏が勇気ある行動を取っていれば、金正日氏の死は日本国民から別の形で受け取られていたかもしれない。

2002年9月の日朝首脳会談は懸案であった国交回復の絶好なチャンスであった。当時、外務省アジア大洋州局長であった田中均氏の努力によって、「日朝平壌宣言」に両首脳が署名し、翌月から国交正常化交渉に入る準備が整えられた。その前提は北朝鮮側が拉致問題を認め、日本側が国交正常化後、無償資金協力など経済協力に合意することであった。

一国家が他国民を拉致したことを認めた例は過去にこのケースの北朝鮮以外にない。金正日委員長は日本の経済協力を渇望して、歴史上、類例のない大胆な行為に踏み切ったのである。彼は拉致を謝罪した上で、5人の被害者の帰国を認めた。

ところが、5人の帰国直後に事態は暗転する。北朝鮮政府が発表した死亡ないし行方不明の10人の拉致被害者に関する情報がずさんであったこともあり、拉致被害者家族会、保守政界、反北朝鮮団体などから、マスコミを巻き込んで、「北朝鮮に抑留されている拉致被害者はもっといる。全員を取り戻すまで国交正常化も経済協力などもやるべきではない」という大合唱が起きたのである。

この時、小泉氏は「日朝平壌宣言は拉致問題、経済協力問題などすべてを含めたパッケージの合意である。北朝鮮が5人の拉致被害者を帰国させたのに、日本側が何もしないわけにはいかない。北朝鮮は今日でも、国際法の上では、米国や韓国と戦争状態にあり、朝鮮戦争で米国を支援した日本に対しても拉致を一部正当化する理屈を主張している。これらのことを、日本人も頭に入れておかないといけない」と、国民を説得すべきであった。

ところが、小泉氏は国民を説得しようとしなかっただけでなく、帰国した5人をいったんは北朝鮮に戻すという約束さえ保守派や反北朝鮮団体に押されて、破ったのである。日朝平壌宣言は両国の関係正常化だけでなく、核やミサイル問題にも言及し、「(北朝鮮は)ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した」という文言も盛り込まれていて、北東アジアの政治全体にも重要な意味を持っていた。しかし、宣言の重要な内容は小泉政権の不誠実の行動によって事実上、無に帰した。これ以降、日朝間に信頼のきずなが回復することはなかった。

小泉政権は日朝問題以外にも大きな罪を犯している。2003年3月にブッシュ政権が開始した大義なきイラク戦争をいち早く支持し、協力したこと。国内的には、政治の劇場化と国民生活の格差拡大によって、その後の日本社会を著しく不安定にしたことである。

イラク戦争の是非については、それを支持した英国のブレア元首相が国民から改めて追及されている。日本ではマスコミ、国民のどちらからも小泉政権の責任を追及する声があがらないのはどうしてなのか。

金正日政治を振り返って批判し、金正恩体制の不安定さを危惧するのは、日本人として当然だろう。しかし、同時に忘れてならないのは、日本が北朝鮮に対して歴史的にどのように振舞ってきたか、とりわけ小泉政権がどんな行動を取ったかを検証し、反省することである。それなしには今後も北朝鮮の脅威が軽減することはないし、拉致問題が解決に向かうはずもない。
                           (12月22日記す)
2011.12.15 来年はだれを? 形骸化した政治が国を覆う
暴論珍説メモ(109)

田畑光永 (ジャーナリスト)


 今年、わが国は野田首相をいただいて新年を迎える。小泉首相の後、安部、福田、麻生、鳩山、菅、そして野田と、きれいに1年ごとに首相が変わった。「歌手1年、総理2年の使い捨て」と短命政権を皮肉ったのは故竹下登元首相だが、いまや2年も首相を続ければ「長期政権」の栄誉を奉られるだろう。
 首相は長続きすればいいというものではないから、代わるのが悪いということもないのだが、こう頻繁に交代してはなにごとも前へ進まない。なぜこうなのか。
 直接的な原因は「議院内閣制」と「二院制」ということになるだろう。大統領制のように任期の決まったトップを国民の直接投票で選ぶのなら、その任期いっぱい大統領は代わることはない。国民から言えば、代えたくても代えられない。議院内閣制では議会の多数派が内閣を組織するから、議会の勢力図が変われば内閣の基盤が変り、政権交代となる。
 それはそれで大統領制と優劣はつけ難いが、これに「二院制」が重なるとことは面倒になる。わが国の二院制は参議院にも衆議院とあまり変らない権能を与えている。具体的に言えば首班指名と条約批准と予算本体の決定では衆議院が優越するが、一般法案は「両院の議決」が必要だから、いわば参議院に拒否権が与えられている。
 そして衆議院の任期は4年だが、首相には解散権が与えられているから、これまで平均2年半に1回総選挙が行われてきた。参議院は3年に1回、半数改選である。ということは機械的に平均すれば、1年半以内に1回は「国政」選挙が行われることになる。
 議員を選ぶ国民の側は、情報の洪水の中で政策の中身も候補者のルックスその他も一緒くたにして誰に投票するかを決めるから、小選挙区制では勝者はしょっちゅう交代する。とくに長年不景気が続いて、国民に不満、不安が鬱積していれば、あれもだめ、これもだめとなりがちだから、概して政権を担当する側は不利だ。
 年代わり首相5人の辞めた原因をみると、安部、麻生、菅の3人は選挙での敗北である(菅の場合は10年の参院選敗北と11年の辞任までに1年余の時間があったが、結局は参院選敗北が党内の支持基盤を弱くした)。福田は「選挙で勝てそうもない」が辞任の理由だった。一人鳩山だけは、沖縄普天間基地の移設問題での迷走が引き金だったが、これは例外と言っていいだろう。