2018.08.15 猛暑続きでも秋風は着実に吹いてくる
安倍政権による酷暑(異常気象)は台風一過でやがて消滅するだろう

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 京都は灼熱の地だ。一名、「釜地獄」ともいわれる。私が京都に来たのは1950年代の後半、いまから60年も前のことだ。だが、今年の夏ほど「暑い=熱い」と思った年はない。とにかく「死ぬほど暑い」と言いたいぐらいの連日の猛暑なのだ。どこかへ逃げ出して何とか難を逃れたいと思うものの、そんな条件がないので蟄居せざるを得ない。こんなじりじりした気持ちを抱えながらこの1カ月を過ごしてきた。

 安倍政権に対しても同様だ。だが、こちらの方はもっと長期に亘る「酷暑=異常気象」なので我慢がならない。もはや我慢の限界を超えているというべきだ。2012年暮れの第2次安倍内閣の発足以来、国民に対しては踏んだり蹴ったりの政治を続けながら、それでいて安倍1強体制に胡坐をかいて権力の座に居座っているのだから、心ある国民が怒り心頭状態にあることは間違いないのである。

 そんな最中、この9月には自民党総裁選挙が行われる。安倍首相に対決する政治路線を何一つ掲げられない有力者たち(腑抜けども)が次々と脱落し、文字通りの「安倍1強選挙」になった総裁選に対してはいまさら何の興味も湧かない。しかし、その背後で進行している国民の政治意識の変化には注目すべきものがある―と思う。その一端を垣間見てみよう。

 私が注目したのは、8月6日の毎日新聞の紙面だ、平成最悪の土砂災害と浸水被害をもたらした西日本豪雨は、最初の大雨当別警報が発表されてから8月6日で1カ月を迎えた。この日の毎日新聞の1面トップは、「1カ月 消えぬ爪痕、西日本豪雨 3600人避難続く」というもの。死者221人、行方不明者11人に達し、3600人が避難所生活を続ける一方、11府県でいまだ2万3000人に対して避難指示が続いているという。それでいていっこうに復旧復興が進まず、多くの被災者が明日が見えない不安に怯えている。同様のニュースがテレビでも連日報道されているところをみると、言いようのない不安感と閉塞感が国民の間に広がっていることがわかる。

 偶然かどうか知らないが、この日は月曜日とあって山田孝男氏(特別編集委員)のコラム『風知草』が2面に掲載されていた。タイトルは「誰と映りたい?」というもので、ポスト自民党総裁選の空気を分析したものだ。「竹下派が石破茂支持へ傾いて話題――とはいえ、安倍晋三自民党総裁3選の大勢は変わらない。だが、来夏の参院選の自民党候補は別の風景を見ているようだ。永田町では盤石の安倍首相だが、ちまたの反発は根強い」とある。

山田氏と言えば、同コラムで日本記者クラブ賞を受けた著名なジャーナリストだが、安倍首相の酒席にも招待される「安倍トモ」としてもよく知られている。事実、これまでの同氏のコラムには「安倍批判を批判する」内容が多く、とかく評価の分かれる人物なのである。日本記者クラブがどういう理由で賞を贈ったのか知らないが、そんな人物が自民党総裁選後の政治風景の変わり模様を描いたのだから、多少興味を引かれた―というわけだ。

コラムの主たる内容は、参院選を控えた自民党候補が安倍首相とのツーショット写真を撮りたくないというものである。インタビューに応じた自民党参院選候補の語る理由がまた面白い。「(地元では)安倍さんがいいっていう人は少数派。市議や町議から『安倍さん(支持)のままで行ったら、あんた、自分の選挙に負けるぞ』って言われる(笑い)」「やはり森友、加計。どうみてもウソの答弁。やり過ぎじゃないかっていう人が多い。外交への評価はあるんですけどね」。

山田氏はこの状況の背後を次のように分析する。
「内閣支持率は30~40%台で底堅い反面、多くの調査でそれを上回る不支持がある。この傾向は、今年3月、財務官僚による公文書改ざん問題が暴かれて以来,変わっていない」
「森友、加計をめぐる折々の首相答弁について『納得できぬ』『信用できぬ』と答えた人は、多くの調査で7割を超える」
「森友、加計は汚職でない。首相も役人もカネはもらっていない。だが、だから小事とは言えない。1年半にもわたって政治問題であり続けること自体が政治史上の事件に違いない。不満の底流が表出するか、なおくすぶるか」

「森友、加計問題はカネをもらっていないので汚職ではない」という部分は、政治責任を回避する首相答弁のそのままの引き写しだが、それでもモリカケ問題が「1年半にもわたって政治問題であり続けること自体が政治史上の事件に違いない」との山田氏の指摘は重要だろう。そこには、安倍トモですら指摘せざるを得ない安倍政権の本質(弱点)が暴露されているからだ。

「信なくば立たず」という言葉は、安倍首相がしばしば引用する座右の銘だ。安倍首相ならずとも政治家であれば、誰もがこの言葉の重みを知っている。モリカケ問題がまさにこの言葉の試金石であるからこそ、世論は真実を追求し、真相の解明を求めてきたのである。だが、森友問題に関しては肝心かなめの財務官僚は訴追されず、真相の解明は迷宮入りとなっている。加えて、加計問題については「あったことがなかった」「言ったことがウソだった」との当事者の出まかせ発言がまかり通る始末だ。これでは「信なくば立たず」どころの話ではない。まさに「無理が通れば道理が引っ込む」状況が大手を振って歩いているのである。

モリカケ問題に関しては、大方の国民は納得していないし、いつまで経っても忘れることはない。モリカケ問題は、安倍政権の喉元深く突き刺さった骨なのであり、この問題の真相が解明されない限り、永遠に安倍政権の宿痾(しゅくあ)としてあり続ける政治問題なのだ。そして、そのときどきの政権の不始末や不祥事がこの宿痾(モリカケ問題)と結びついて政権批判として浮上し、安倍政権の岩盤を掘り崩していくという政治情勢がこれから繰り返しあらわれることになるのである。

すでにいっこうに目途が立たない西日本豪雨対策への不満は、安倍政権そのものへの明確な批判として浮上している。それは「赤坂自民亭」といった些末な事態に端を発しているのではない。「信なくば立たず」という、安倍政権の本質にかかわる深刻な事態と結合して浮上しているのである。それは、被災地へのその時々の慰問など、安倍首相の小手先のパフォーマンスでごまかせるような問題ではないのである。

また、杉田議員の性的マイノリティ侮辱発言は、今後、若者世代が安倍政権への見方を変える大きな引き金となるだろう。麻生財務相は「新聞を読まない若者は(みんな)自民党支持だ」などと訳のわからないことを言ったが、私から言えば、この発言は若者全体に対する愚民発言そのものだ。しかし、今度の杉田発言に対する批判がインターネットを通して広まったことを思えば、新聞を読まない若者でも人格を傷つける発言に対しては敏感に反応することがわかる。事実、自民党本部に抗議するために集まった集団はほとんど若者たちだった。

5年余にわたる安倍政権支配は余りにも長い。安倍政権による国民生活への影響がこの間の「異常気象」ともいうべき酷暑となり、猛暑となって国民を苦しめてきた。その深刻な後遺症が次から次へと顕在化しているいま、国民世論は恐ろしい勢いで変化しつつあるのではないか。安倍政権への〝飽き〟と〝疲れ〟が国民世論の中に色濃く漂い始め、「アベチャンの顔を見たくない」人たちが急速に増えているのである。自民党が総裁選などコップの中の嵐にうつつを抜かしている暇があるのであれば、その背後に広がる国民世論の動向にもう少し怖れを抱くべきなのだ。

2018.08.13 翁長沖縄県知事の死去に伴う二つの問題
――辺野古埋め立ての承認撤回と知事選

宮里政充(もと高校教師)

埋め立て承認撤回――翁長知事の遺志は受け継がれる
8月8日午後6時43分、沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が膵癌のため、浦添市の病院で死去した。67歳だった。

翁長知事は、死去の直前の7月27日午前、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)前知事が2013年12月に決めた「辺野古埋め立て承認」を撤回すると表明していた。
次は同日に発行された沖縄タイムスの号外「承認撤回表明」の記事である。

「名護市辺野古の新基地建設を巡り、翁長雄志知事は27日午前、前知事の埋め立て承認を撤回する意向を示し、事業者の沖縄防衛局の意見を聞き取る『聴聞』を終えれば、防衛局が8月17日を目安に予定する埋め立て土砂の投入の前に承認を撤回する見通し。
土砂の投入という重大局面に差し掛かる前に知事の最大権限である承認撤回に踏み切り、工事を停止させる。沖縄防衛局が撤回を無効化する法的な対抗策を打ち出してくるのは必至で、県と国の争いは再び法廷の場へと移る。
27日午前10時半から県庁で会見した翁長知事は『さまざまな観点から国の工事内容を確認し、沖縄防衛局の留意事項違反や処分要件の事後的不充足などが認められた。公有水面埋め立て承認の効力を存続させることは、公益に適合し得ない』と述べ、撤回に向けた聴聞開始の理由を説明。
撤回の理由について、承認の条件となった留意事項に盛り込まれた県と国の環境保全策などの事前協議が行われていないことや、大浦湾側の軟弱地盤や活断層の存在、新基地が米国防総省の航空機の制限に抵触していることなどを挙げた」

翁長知事の埋め立て承認「取り消し」は2016年12月、最高裁によって違法だと見なされ、県側の敗訴が確定した経緯がある。「撤回」は埋め立て承認を無効にする力を持っているから、国側は総力を挙げて対抗策を練ってくるだろう。案の定、防衛局は沖縄県が通知した8月9日の「聴聞」の期日を9月3日以降に変更するよう求めてきた(沖縄タイムス 8月4日電子版)。準備期間が短すぎるという理由であるが、仮に9月3日以降に延期した場合、防衛局が以前から計画している8月17日の土砂投入はすでに終わっていることになる。つまり、防衛局は何としても撤回前に土砂投入を済ませたいのである。

しかし、翁長知事死去に伴う職務代理者である謝花喜一郎副知事は8日夜、予定通り9日に聴聞を行う考えを明らかにし、沖縄県は9日午後2時から県庁内で「聴聞」を行った。
防衛局側は中嶋浩一郎局長らが出席し、予定されていた午後4時を20分ほど過ぎて聴聞が終了した。防衛局側は撤回通知に対する弁明を述べた上で、改めて弁明の機会を設けるよう求めたが、県辺野古対策課は報道陣に対し、「今日で聴聞が終了したと理解している」との考えを示した。職務代理者による撤回の決断がいつになるか、が次の焦点である。
読売新聞は政府に次のような意向があることを報じていて興味深い。「政府は、翁長氏の死去を受け、土砂投入の延期を検討している。死去に乗じて埋め立て工事を進めていると見られれば、『移設反対派の怒りを買い、静かな環境での選挙戦にならなくなる』(自民党幹部)ためだ」(8月8日朝刊)

知事選挙――争点ぼかしは通用するか?
「沖縄に新しい米軍基地を作らせない」という翁長知事の政策を支えてきた人たちは今、深い悲しみと動揺に包まれている。
翁長知事の死去により、11月18日に投開票が予定されていた知事選は9月に前倒しされることになるが、自民党は7月下旬に、現宜野湾市市長の佐喜真淳(さきま・あつし)氏を翁長知事の対立候補として立てたばかりだ。翁長市長を失った基地反対派は「オール沖縄」を軸に、急遽、翁長知事の後継者を絞らなければならない。翁長知事以外の候補者を想定していなかった「オール沖縄」は感傷に浸っている時間はないのである。
琉球新報は10日の朝刊で、現在候補者として噂に上っている人々の名前を挙げている。

○金秀グループの呉屋守将氏(69)、「オール沖縄」体制の構築にも貢献した
○現職の那覇市長、城間幹子氏(67)
○前名護市長、稲嶺進氏(73)
○参院議員、糸数慶子氏(70)
○参院議員、元宜野湾市長、伊波洋一氏(66)
○現副知事、謝花喜一郎氏(61)

ただ、本格的な検討は13日の知事告別式が終わってからということになる。「オール沖縄」としては、これまで市町村議会議員選挙で惨敗してきているので、候補者選びは慎重にならざるを得ない。特に、政党色・革新色の強い候補者は避けなければならないだろう。「イデオロギーよりアイデンティティー」で県民を束ねてきた翁長知事の路線をしっかり守ることが勝利の必須条件だろう。
今回の知事選については県政与党・野党に戸惑いがある。「翁長知事のかわりは翁長知事以外にはいない」という姿勢で知事選に臨んできた与党が候補者の人選に迷うのは無理からぬことである。野党としては名護市長選挙をはじめとして連勝を重ねてきたが、今回は翁長知事の「弔い合戦」になる可能性が十分にある。朝日新聞は自民党の戸惑いを次のように伝えている。

「知事選は移設計画反対の旗振りだった翁長氏の『弔い合戦』の色合いが濃くなる可能性があり、官邸幹部は『無党派層を含めて票の流れが読めない』とみる。普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画で予定している土砂投入のタイミングを見直すかどうかを含めて、改めて検討するという」(8月8日朝刊)

基地問題を棚上げし、争点をぼかして何とか勝ってきたその場しのぎの手法が果たして今回も通用するだろうか? 特に、野党候補の佐喜真淳氏は普天間基地を抱えている宜野湾市の市長であり、その彼が普天間基地の移設先である辺野古をかかえる渡具知武豊(とぐち・たけとよ)名護市長と何ら連絡を取り合わずに選挙戦を闘えるであろうか。私はむしろ、佐喜真氏と渡具知氏が手を取り合って、戦後73年間の沖縄の現実に真正面から向き合って闘うことを心から願っている。
辺野古移設についての賛否を問う県民投票の準備も進められている。沖縄の現実に向き合わない生き方などありうるはずがないのだ。今度の選挙が、普天間基地返還・辺野古移設容認か否かを選択する歴史的な選挙とならなければならない。そのことは「辺野古移設が唯一の解決策」と繰り返す政府に対して、「本当にそうなのか? それで政府の責任は果たせているのか?」と問い続けることでもあるのだ。
最後に、佐藤優氏の次の文章に賛同の意を表したい。

「日本における沖縄に対する構造的差別は国家機構のすべてにいきわたっている。裁判所も日本の陸地面積の0.6%を占めるに過ぎない沖縄県に在日米軍専用施設の約70%が所在するという不平等な状況を是正しようとはしないであろう。それであっても、「あの人たち」すなわち日本によって設定されたゲームのルールのなかで、構造的差別の脱構築とともに東アジアで平和を求める流れに沖縄を組み込もうと翁長氏は必死になっている。健康状態を考えた場合、翁長氏は、沖縄のために文字通り命を差し出すつもりだ。筆者も東京に住む一人の沖縄人として、翁長氏のような指導者がいることを誇りに思う。」(東京新聞2018.8.3「本音のコラム」)
(2018.8.10記す)
2018.08.09 よくもぬけぬけと、「公務員懲戒 免除を検討」だと!
政治の傲慢をまた見過ごすのか
暴論珍説メモ


田畑光永 (ジャーナリスト)

 酷暑に加えて豪雨、台風に挟み撃ちされて、気の休まる暇のない日々が続くが、7日の朝刊(『毎日』)で「公務員懲戒 免除を検討」という記事を読んだ時には、怒りよりため息が先に立った。
 それによれば、「複数の政府関係者」が明らかにしたそうなのだが、政府は来年の天皇退位・皇太子即位に合わせて、「国家公務員が過去に受けた懲戒処分の免除を行う検討を始めた」そうなのだ。
 そんなことが出来るのかと驚いたが、「公務員等の懲戒免所等に関する法律」というのがあって、内閣が定める政令によって公務員の懲戒処分(免職、停職、減給、戒告)を免除することができ、過去にも1989年2月、昭和天皇の大葬の礼など「恩赦」が行われたおりに、合わせておこなわれた例があるという。
 公務員への処分が免除されるとはどういうことか。減給処分を受けている最中に免除されれば、減給が停止されるが、期間が過ぎていれば減給分は返されない。そのほかの処分に対する免除は要するに履歴から消されるということらしい。
 したがって、執行中の刑罰が減刑される恩赦とは性格がちがうようだ。なぜなら公務員が懲戒処分を受けるというのは、国家、国民に対する義務違反を犯したのであるから、それをなかったことにするのは、一般の犯罪に対する刑罰の減免とは意味がちがう。しかも、安倍内閣がそれを行うのは、われわれとしては断じて受け入れることはできない。
 というのは、官僚の不祥事がこの内閣ではとりわけ多いからだ。防衛省のイラク駐留日報消失問題とか厚生労働省の裁量労働制をめぐるデータ改ざんとか、単純に当該公務員の利益とか都合とかによるのでなく、そこに何らかの内閣の政策意図とかかわりがありそうな不祥事が多い。
 とりわけ重大なのは、言うまでもなく森友学園に対する国有地払い下げ問題にかかわる膨大な財務省文書の改ざんである。昨2017年2月から3月にかけて、当時の財務省理財局・佐川宣壽局長の主導のもとに本省と近畿財務局において数百頁にもわたる公文書の改ざんが行われた。まさに前代未聞の不祥事である。国税庁長官に昇格していた佐川氏はこの春、「懲戒」処分を受けて辞職したが、関わった官僚からは自殺者も出た。
 つい最近の事件だから、詳細は省くが、事件の直接の責任を問われた麻生財務相は「行政文書を改ざんし、それを国会に提出することはあってはならないことで、はなはだ遺憾だ。・・・深くお詫び申し上げる」と一応、頭は下げたが、自身の辞任は拒み、「閣僚給与の12か月分の自主返納」をお詫びの証しとした。
 最高責任者の安倍首相も「信なくば立たず、国民の信頼を得るために、行政のトップである私自身が、一つ一つの問題について、責任を持って必ず全容を解明し、うみを出し切っていく決意だ」とのべた。
 しかし、こうした麻生、安倍両氏の発言に、国民は名状しがたい自嘲の気分で苦笑するしかなかった。「あってはならないこと」とか、「うみを出し切る」とか、あくまで官僚がとんでもないことをしでかしたのを、その上に立つものとしてきびしく糺すという両氏の態度には開いた口がふさがらなかったからだ。
官僚はしたくて改ざんしたのでもなければ、悪いことと思わずに改ざんしたのでもない。改ざんの目的は不明朗な土地の払い下げに安倍首相夫妻が関わっていた証拠を消すため、その一点だったことは、改ざんの内容から明らかだった。そんな分かり切ったことを、まるでなかったもののようにして、ことを公文書管理問題などというあたりさわりのないところにすり替えたのがつい今年の春であった。
 こんなタネの見える手品のような手口でも国民を騙しおおせたと思っているから、安倍首相は来月の自民党総裁選に出馬して、さらに政権の座に居座ろうとしているのだ。そして自民党という政党はそんな総裁を引き続きトップに押し戴くのであろう。
 この国を覆うそういうどんよりとした空気の中にいるからこそ、つい最近、悪人役を割り振った佐川氏をはじめ、政治の泥をかぶった官僚たちから懲戒という形だけの汚名をも取り除いてやろう、という政治の傲慢が頭をもたげる。それが「公務員の懲戒免除」にほかならない。
 これもまたこともなく、なんでもない政治の所作として過ぎ去っていくのであろうか。
2018.08.06 〝吹き出物〟のように次から次へ出て来る自民党議員の暴言
国民はいつまでこの政党に我慢するのか

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 「魚は頭から腐る」というが、頭やはらわたはもとより尾ひれや背びれまで腐っているのが今の自民党だ。それでいて国会では絶対多数の議席を占めているのだから、彼・彼女らのなかには「自省」という言葉がないのだろう。要するに、「言いたい放題」「したい放題」の幼稚なチルドレン議員が大手を振って国会を歩いているのである。

 しかも気になるのは、彼・彼女らの暴言が最近になって社会的弱者や少数者(マイノリティ)に対して向けられてきていると言うことだ。6月末の衆院厚生労働委員会の質疑では、自民党の穴見議員が参考人として出席した肺がん患者代表の長谷川氏に対して、「いいかげんにしろ!」とヤジを飛ばしたことは記憶に新しい。法案審議のために参考人の意見を求めるのが議会制民主主義の原則である以上、穴見議員の発言は国民と国会に対する冒涜行為であることはいうまでもない。しかし私は、それ以上に穴見議員の発言の中にがん患者に代表される病弱者への恫喝とも言える強圧的響きを強く感じた。病弱者に対する受動喫煙対策などこれ以上の配慮は無用だ―とする強者の心情が、「いいかげんにしろ!」という発言になったのだ。

 自民党の杉田衆院議員が、雑誌『新潮45』に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論稿もまったく同じ延長線上にある。「LGBT(性的少数者)のカップルは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と言いきり、税金を使うことに疑問を唱えたのである。私は杉田議員が使った「生産性」という言葉に注目する。なぜなら、それはいみじくも人口減少時代の自民党の人口政策、労働力政策の本質をあらわす言葉であり、人間を労働力としかみないこの政党の素顔を赤裸々に暴露しているからだ。

 ナチスドイツも帝国日本も「生産性」を極めて重視した。両国は「産めよ増やせよ」との人口政策を大々的に推進する一方、障害者や少数民族は徹底的に差別して弾圧した。要するに、労働力や兵力として利用できる人間を大量生産することが「生産性」が高いのであり、人を人として尊重し大切にすることは「生産性」が低いというのである。この伝統を受け継いだのが自民党だ。非正規労働者を増やすだけ増やして労働力を酷使し、若者が結婚もできない家庭も持てない状況に追いこみながら、その一方で「生産性」の低い、すなわち子どもを産まない(産めない)若者を非難してきた。こんな非人道的で矛盾極まる政策を推進してきたのが自民党なのである。

 だが、構造的な人口減少、急速に高まる人手不足を目前にして、自民党はこれまでの人口消耗政策をもはや継続することができなくなった。外国人労働者の大量受け入れに踏み切らざるを得なくなり、労働力政策を大転換することになったのである。しかしながら、自民党の外国人受け入れは家族持ちを除外しているように、それはあくまでも「労働力」としてであり、市民や社会人としてではない。言い換えれば、広まりつつある階層社会の底辺に外国人労働者を滞留させ、その上に日本人労働者の「生産性」を高めようというのである。

移民を大量に受け入れてきた先進諸国では、いま人口構造に大きな異変が生じている。移民すなわち少数民族の人口が急激に増加するかたわら、白人を中心とする人口はむしろ減少傾向に向かっている。市民権を得た移民労働者がこのまま増え続ければ選挙行動や政治行動への波及は避けられず、やがては政治構造そのものを大きく変える方向へ発展していくだろう。

このような趨勢を見るとき、安倍首相はもとより日本会議に結集する自民党議員の多くにとっては、「瑞穂の国」を守ることが至上命題である以上、日本人の「生産性」を高めなくてはならないと考えるのは当然であろう。それが、優生思想と人種差別にもとづく「生産性」の強調となるのであり、ときにはヘイトスピーチへと発展していくのである。

穴見議員や杉田議員の発言を幼稚なチルドレン議員の暴言と侮ってはならない。そこには人口減少時代の自民党政策を象徴する危険な芽が含まれているのであり、それを未然に摘み取ることは保守層も含めての課題である。平気でウソをつき、平然と居直り、あくまで権力の座を降りようとしない安倍首相への批判を含めて、穴見・杉田両議員の暴言へ糾弾を止めてはならないと思う。

2018.07.28 保守岩盤層が形成されるなかで、野党共闘路線の膠着状態をいかに打開するか
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
                 
 今年1月22日から始まった第196回通常国会が7月22日、閉幕した。今国会では、モリカケ問題の引き続く疑惑隠蔽、財務省による公文書の改ざん、同省次官のセクハラ問題、防衛省の日報隠蔽など、どれ一つ取って見てもそれだけで内閣が吹っ飛ぶほどの大不祥事が続発したにもかかわらず、安倍政権は強引きわまる国会運営で野党をねじ伏せ、重要法案を悉く成立させた。安倍1強体制の下では、国会はもはや「言論の府」としての機能を失い、悪法といえども与党法案をトコロテン方式に成立させる〝自動マシーン〟と化したのである。

 7月23日に発表された共同通信社の最新の世論調査結果(7月21,22日実施)を見ても、自公与党らが強行採決した重要法案や政府の西日本豪雨への対応などに対しては、悉く国民から不支持が表明されており(京都新聞2018年7月23日)、民意の所在は余りにも明らかだ。にもかかわらず、なぜ安倍政権はかくも世論を無視した国会運営に走るのか、そこには国民世論への怖れはないのか、次の参院選での与党敗北に対する懸念はないのか―、など、通常の政治感覚では理解できない疑問が次から次へと湧いてくる。

 戦後最悪といわれる安倍政権の専制体質、衆参両院で3分の2の議席を占める数の驕り、野党共闘路線の分断など、安倍1強体制の継続に関するこれまでの解釈に加えて、ここではそこにどんな新しい政治構図を見出せるか、今回の共同通信調査を参考にしながら考えてみたい。まずは、調査結果を以下に示そう。

〇大きな被害を出した西日本豪雨について、警戒中だった5日夜に、安倍晋三首相ら自民党議員が飲み会に参加していましたが、首相は初動対応に問題はなかったとの認識を示しています。あなたは、安倍内閣の豪雨対策を評価しますか、しませんか。→「評価する」27.5%、「評価しない」62.5%
〇政府、与党は、カジノを含む統合型リゾート施設整備法を今国会で成立させました。カジノの解禁には、地域の活性化や経済効果への期待がある一方で、ギャンブル依存症や治安悪化への懸念が指摘されています。あなたは、カジノを解禁する今回の法律に賛成ですか、反対ですか。→「賛成」27.6%、「反対」64.8%
〇自民党などは、参院選の「1票の格差」是正に向け、選挙区で「鳥取・島根」「徳島・高知」の合区を継承しつつ、定数を6つ増やす改正公選法を今国会で成立させました。野党は自民党の党利党略だと指摘し、定数を増やすことを批判しました。あなたは、この法改正は問題だと思いますか、思いませんか。→「問題だ」55.6%、「問題ではない」27.6%
〇今国会で「働き方改革関連法」が成立し、高収入の一部専門職を残業代支払いなど労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」が導入されることが決まりました。野党は「残業代ゼロ」法と批判しました。あなたは、働き方改革関連法を評価しますか、しませんか。→「評価する」27.8%、「評価しない」60.9%
〇今国会では、森友学園問題や加計学園問題など政権の不祥事や疑惑が注目を集めました。あなたは、次の国会でもこれらの問題について追及するべきだと思いますか。→「追及するべきだ」45.7%、「追及する必要はない」49.3%

 この調査結果について私がとりわけ注目するのは、どの質問項目に対しても安倍内閣の方針を支持する回答が全体の4分の1強を占めていることだ。しかもその比率が、「豪雨対策、評価」27.5%、「統合型リゾート施設整備法、賛成」27.6%、「参院選定数増加、問題ではない」27.6%、「働き方改革関連法、評価」27.8%とコンマ以下までほぼ揃っており、驚くほど安定していることである。このことが意味することは、国民世論の中に安倍内閣の如何なる政策に対しても(無条件で)支持する「保守岩盤層=中核的保守層」の影響力がこれまでになく強まっているということだろう。

 加えて、「モリカケ問題、追及する必要ない」が49.3%と4分の1強を20%も上回っているように、モリカケ問題の「幕引き」を容認する世論が保守岩盤層のみならず保守周辺層にも広がっている。自民党支持率が41.6%と驚くほど高いレベルに達しているのは、モリカケ問題の「風化」が保守周辺層の自民回帰に少なからず寄与しているからだ。

 安倍政権の強引な国会運営は、こうした強固な保守岩盤層の形成と無関係ではあるまい。小選挙区制の特質を利用して得票数の過半数を制すれば議席を確保できるし、野党候補が乱立すればそれ以下の得票数でも楽々と当選できる。投票率が全体として50%台に低迷する中で、28%近い保守岩盤層の存在は決定的とさえいえる。世論動向はどうあろうとも、保守岩盤層さえ固めておけば「当選確実」となる政治構造が既にでき上がっているというべきであろう。最近の自民党の選挙戦術が空中戦を避け、もっぱら既存組織の票固めに集中しているのはこのことを物語っている。

 一方、こうした世論調査ではなかなか把握しにくい国民の政治感情はいったいどうなっているのだろうか。安倍内閣の政策には反対だが、その声が国会での議論や議決に何ら反映しないとなると、国民の間には政治に対する深い失望感が引き起され、何をやっても無駄との諦めの感情を拡がってくることは避け難い。国会での論戦が封じられるにつれて、それが与党に対する怒りよりも野党の不甲斐なさに対する絶望感につながり、野党支持率低迷の原因になっていることは明らかなのだ。また、野党共闘路線がいっこうに具体化しないことが、野党への期待感を著しく削いでいることは言うまでもない。

 こうした政治情勢の中で野党共闘路線をいかに再構築していくのか。私は野党間の政策協定や選挙協定の成立に精力をすり減らすよりも、保守岩盤層との直接的対話が重要だと考える。「日本の政治はこれでよいのか」「安倍政権をこのまま継続させてよいのか」「モリカケ問題に象徴される統治機構の劣化をこのまま放置してよいのか」などなど、青臭くてもまともな議論を街角から提起していくことが先決だと思うのである。果たしてこんな素人っぽい提案が玄人筋に通じるかどうかわからないが、日本の政治構造の岩盤が大きく変容しつつある情勢の下では、小手先の解決案は通用しない。国民の間に広がる失望感と無力感に立ち向かうには、「足元を掘る」しかないのではないか。

2018.07.14 百聞は一見に如かず、安倍首相も出席した豪雨災害予報中の「赤坂自民亭」の宴会写真
 
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

              
 私はフェイスブックもツイッターもやらない(できない)ので、西村官房副長官が拡散したツイッター写真、「赤坂自民亭」の宴会写真のことは当初知らなかった。知ったのは、インターネットで配信される共同通信社の7月10日のニュースからだ。12日からは全国紙でも一斉に報道され、続いて西村氏の地元の神戸新聞でも掲載された。神戸新聞は次のように言う。

 「西日本豪雨の被害が迫っていた(7月)5日夜、自民党国会議員ら約50人が宴会を開いたことを巡り、安倍晋三首相と共に出席し、写真をツイッターに投稿した西村康稔官房副長官(兵庫9区)の地元で批判の声が上がっている。兵庫県内では当時、10万人以上に避難勧告が出ており、阪神・淡路大震災を経験した淡路島の住民らは『緊張感が足りない』と厳しい目を向ける。(略)西村氏の事務所には批判の電話やメールが寄せられ、11日午後、自身のツイッターで『災害発生時に会合を開いているかのような誤解を与え、不愉快な思いを抱かせたことをおわび申し上げます』と謝罪。宴会には藤井比早之衆院議員(兵庫4区)も参加していた」

 平成になってから史上最悪の死者200人を超える豪雨災害をもたらした西日本豪雨は、いまなお安否不明者の捜索が続く中、犠牲者が連日増え続けており痛ましい限りだ。7月5日にはすでに気象庁から豪雨予報が出され、気象庁は厳重警戒を呼び掛けていた。兵庫県内では10万人以上(15万人)の住民に避難指示・勧告が出され、各自治体は職員に非常招集を掛けていた。それにもかかわらず(ものともせず)、7月5日夜には政府側からは安倍首相、小野寺防衛相、上川法相などの閣僚が居並び、自民党側からは岸田政調会長、竹下国会対策委員長など幹部が出席して議員会館で大宴会を催していたのである。加えてそれを、西村官房副長官がツイッターで「和気あいあいの中、若手議員も気さくな写真を撮り放題!正に自由民主党」と誇らしげに広報するのだから開いた口が塞がらない。

 いったいこの連中には災害に対する危機意識というものがないのか、徹夜で災害情報の分析に取り組んでいる気象庁職員、災害出動に備えている自治体職員や自衛隊員に対する配慮はないのか、公務に専念すべき議員会館で大宴会に興じていいのかなどなど―、次から次へと抑えきれない怒りがこみ上げてくる。広島県庁に勤務する知人に現地の様子を尋ねてみたら、地元では岸田氏に対する怒りが凄まじい勢いで広がっているのだという。その怒りの渦は西村氏に対する兵庫県民の比ではない。なにしろ広島県は連日連夜NHKニュースでも報道されている如く、今回の豪雨では西日本最大の災害を被っているのである。しかも、広島県の豪雨災害は今回が初めてではない。4年前には広島市北部が集中豪雨に見舞われ、80人近い死者を出しているのである(過去30年間最大規模)。それでいながら、岸田氏は豪雨予報の最中にも地元にも帰らず、東京赤坂の議員会館で大宴会に興じていたのである。

 安倍首相は豪雨災害の拡大を受けて、予定していた大好きな外遊日程(7月11日から18日の欧州・中東歴訪)を取りやめざるを得なかった。首相自身は最後の最後まで(たとえ日程を短縮してでも)外遊日程にこだわったらしいが、西村官房副長官のツイッターに対する国民の批判が日増しに高まり、このまま外遊すれば帰国後の政治情勢の激変は不可避との説得を受けて、漸く断念したのだという。自らが置かれている事態の重大性を理解できないからだろう。

 宴会に同席した竹下国会対策委員長が7月9日の記者会見で、「どのような非難もお受けする。これだけすごい災害になるという予想は持っていなかった」と釈明したように、政府の今回の豪雨災害に対する初動対応は遅きに失した。7月5日に大雨警報が出され、6日になると西日本各地から早くも河川の氾濫や堤防の決壊、大規模な土砂崩れなどの災害情報が相次いでいたにもかかわらず、緊急閣僚会議が開かれたのは7日午前(僅か15分間)、災害対策基本法に基づく非常災害対策本部が設置されたのは8日朝だった。安倍首相はその場で「過去の災害の教訓を生かし、被災府県、市町村と連携しながら先手先手で被災者支援に当たってほしい」と訓示したというが、ご本人は土日とも早々に都内の自宅に引き揚げたという(青木理、『理の眼』、毎日新聞7月11日夕刊)。

 安倍首相は7月11日、視察先の岡山市内の被災現場で記者団に「初動の遅れが指摘されているが」と問われたのに対し、西日本豪雨への政府の初動対応について、「一丸となって発災以来、全力で取り組んできた」と述べ、問題はなかったとの認識を示したという(時事通信、7月11日)。しかし、問題があるかないかを判断するのは被災者であり国民であって、災害初動対応を放置して宴会に興じていたご本人が言うべき言葉ではあるまい。安倍首相はまだ、自らの言動を客観視する資質と能力に欠けていることに対して自覚がないと見える。

 先週末に実施されたNHKの世論調査では、内閣支持率で「支持」が「不支持」を4カ月ぶりに上回った。支持する理由は「他の内閣よりもよさそう」、支持しない理由は「人柄が信頼できない」と変わらない。この支持率の上昇をどうみるかについてNHKの解説委員が述べていたことは、「北朝鮮問題をはじめ日本を取り巻く国際情勢も流動化が際立っており、米中貿易摩擦で株価も乱高下している。少しでも安定を望む国民心理の表れだ」ということだった。安倍首相が災害対策に全力を尽くすというのは、この国民心理を有効に利用したいということなのだろうか。
 
 もうそろそろ、国民は目覚めてほしい。「仏の顔も三度まで」というが、口先男の仮面の裏にどんな素顔が隠れているかまともに見るべき時なのだ。「二度あることは三度ある」ようなことはもう終わりにしたいのである。

百聞は一見にしかず⓵
自民飲み会に野党批判 災害警戒中「責任感欠如」
共同通信社
2018/07/10 19:54

百聞は一見にしかず➁

© KYODONEWS 5日夜に議員宿舎で開かれ、安倍首相らが出席した懇親会の写真(西村康稔官房副長官のツイッターより)
2018.07.05 野党共闘の大義と党勢後退の狭間に揺れる共産党のジレンマ、野党共闘と党勢拡大は両立するか(下)

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
                 
 一般的に言って、政党支持率は「固い支持」と「柔らかい支持」および「気まぐれな支持」の合計としてあらわれる。「固い支持」は如何なる政治情勢においても当該政党を支持する党員・シンパ層の支持、「柔らかい支持」は当該政党に好感を抱く無党派層の支持、「気まぐれな支持」はその時々の空気で動く浮動層の支持である。共産の党勢拡大方針は「固い支持」の回復を追求しながら、野党共闘路線の推進によって「柔らかい支持」の拡大を目指すものと言える。問題は、野党共闘がいっこうに本格化しない現情勢の下でそれらが両立するかどうかということだ。

 まず、党員と機関紙を増やす党勢拡大は、党本部の𠮟咤激励にもかかわらず分厚い壁にぶつかってなかなか進まない(それどころか、却って後退している)。党綱領の正しさを説き、共産党を「丸ごと」理解してもらおうとする「昔さながら」の拡大方針は、組織内部の事情と外部環境の変化の両側面からブレーキがかかり、なかなか進まないのが現実の姿なのである。このような現実を直視しないで、(旧日本陸軍のように)いくら号令をかけても効果が上がらないことは目に見えている。

 内部組織の問題としては、党員の高齢化によって活動力が著しく低下していることがある。集会にしても選挙運動にしても見かけるのが高齢者ばかり―、こんな光景が最近ではごく普通のことになった。しかしそれ以上に深刻なのは、これまで「固い支持」を支えてきた党員・シンパ層がいま急速に減少しつつあることだろう。党員の年齢構成が公表されていないので正確な数字はわからないが、党員数30万人、65歳以上6割(あるいはそれ以上)、活動停止年齢80歳と仮定すると、15年後には18万人(年平均1万2千人)が第一線から物理的に退くことになる。党員30万人の現状を維持するには(離党者による目減り分は別としても)毎年少なくとも1万2千人以上(月平均千人以上)の入党者を迎えなければならない。しかし現実は殊の外厳しく、今年1月からの党勢拡大月間の入党者数は月平均300人台に止まり、現状維持水準には程遠い。このような状態が継続すれば、共産は遠からず党員10万人規模(現在の3分の1)の少規模政党に縮小することは避けられない。

 一方、外部環境の変化としては、社会問題や政治問題に関心を持っていても組織に束縛されず自由に活動したいと思う価値観とライフスタイルが社会全体に広がっていることがある。このような時代に党組織について「丸ごと」の理解を求め、入党してもらうことは至難の業と言わなければならない。もちろんそのような生き方を選択する人はどの時代にもいることはいるだろうが、それを現在の党勢拡大の「基本方針」に据えるとなると、時代錯誤の感は否めないし、組織拡大もままならないだろう。第一、現在党組織がこれほど高齢化しているのはこれまで若者が参入してこなかったからであり、これまでの拡大方針が「適切でなかった」ことを証明している。そのことをわかっていながら「昔さながら」の拡大方針を今でも繰り返すのだから、誰もが「気が知れない」と思っているのではないか。

 それでは、志位委員長が「起死回生」の手段と位置づける野党共闘をめぐる情勢についてはどうか。いつも思うことだが、共産の政策は上意下達の体質を反映して極端に変わることが多い。昨日まで「自共対決」を唱えて他の野党をミソクソにけなしていたかと思うと、ある日突然「野党共闘」に変身して天まで持ち上げる―、こんなことの繰り返しなのだ。これが衆議一決の結果ならまだしも、「上御一人」のご判断となると誰も異議を唱えられなくなる。野党共闘といってもその形態は地域によって千差万別なのに、日本国中の政治情勢が昨日と今日で180度変わったような情勢分析が支配的となり、今度は何が何でも野党共闘を推進すると言うことになる。

 その結果、これまで地域で地道に活動してきた候補者が「野党共闘の大義」と称して一方的に降ろされることになると、選挙区での活動量が落ちるのは当然のことだ。いくら「主戦場は比例区」だと叫んでみたところで、一般の有権者にはそんな区別はつきにくい。野党共闘を推進すればするほど自らの足元を掘り崩すことになり、結果は「トンビに油揚げをさらわれる」ことにならざるを得ない。来夏の参院選1人区で候補者を一本化することは野党陣営の共通目標だとしても、野党の思惑は目下のところ千差万別だ。立憲をはじめとして「相互支援・共通政策の合意が条件」という共産の申し入れを各野党が受け入れそうにない以上、野党共闘にこれ以上の過度の期待を掛けることは危険なのではないか。共通政策と相互支援の原則を曖昧にしたままで「候補者の棲み分け」が進めば、有権者には却って野党の姿が見えにくくなる。

 最近の日経新聞の連載に、『世論調査考、安倍内閣 強さともろさ』という興味深いシリーズがある。2回目(2018年6月27日)は「無党派層」の動向に焦点を当てた分析で、次のような傾向が指摘されていた。
「無党派層の内閣支持の動向をみる。今月の調査で無党派層の内閣支持率は24%、不支持率は63%だった。12年12月の政権発足直後は支持率30%、不支持率45%、無党派層のなかで内閣を支持しない人の割合が5年半で増えた。(略)15年4月の無党派層の内閣支持率は29%、不支持率は47%、17年11月は支持率が28%、不支持率が50%だ。今月は両調査より不支持率が10ポイント以上高い。以前に比べ、最近は無党派層が不支持をはっきり表明するようになったと考えられる」
「支持率でみても政策への賛否でみても無党派層の政権批判は色濃い。明治大の井田正道教授(計量政治学)は『いま無党派層に残っているのは、安倍1強の自民党政治を批判する野党的な考えを持ちつつ、野党勢力の分断で新しい野党を信頼できない人たちが多いのではないか』と話す。来年夏の参院選で野党は統一候補を模索する。与野党一騎打ちの構図になれば、政権に批判的な無党派層が野党候補に投票する可能性もある。無党派層の野党化が進めば、安倍政権のリスク要因になり得る」

 私は井田教授の分析に全面的に賛成だ。安倍政権に批判的な無党派層は「信頼できる新しい野党」を求めているのであって、野党共闘が進めば批判勢力が自動的に大きくなるとは思っていない。すでに支持率が低迷する国民民主は、立憲との違いを際立たせるために独自の行動をとり始めている。先日の働き方改革法案の審議をめぐっては、国民民主は参院厚生労働委員会の委員長解任決議に同調せず、野党共闘から離脱した。今後は自公与党が維新、希望と共に衆院に共同提出した国民投票法改正案を巡っても、国民民主が与党に同調する可能性は大きい。野党共闘は既に「第2幕」に入ったのであり、いつまでも「第1幕」の余韻に浸っているのは危険すぎる。

2018.07.04 野党共闘の大義と党勢後退の狭間に揺れる共産党のジレンマ、野党共闘と党勢拡大は両立するか(上)

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

                 
 このところ、共産党の機関紙『しんぶん赤旗』の紙上では、連日悲鳴にも似た党勢拡大の訴えが続いている。全国各地での様子が日々克明に報道され、その日の成果が即時に報告される。このような紙面を見るとさぞかし党勢拡大が進んでいるようにも思えるが、その一方、月末の集計では決まって機関紙の後退(減紙)が告げられるのだから、各地での奮闘が必ずしも全国的な動きには結びついていないらしい。

 2017年11月総選挙では、結成されたばかりの立憲民主党がご祝儀相場もあってか、前回の民主党比例票978万票(得票率18・3%)を130万票も上回る1108万票(19・9%)を獲得した。その一方、共産はその煽りを喰って606万票(11・4%)から440万票(7・9%)へ166万票(3割減)を失う大打撃を受けた。それ以降、共産は2019年参院選では850万票・15%以上の比例票を「自力」で獲得するため、昨年総選挙で獲得した比例票の約2倍、前回参院選の比例票の約1・4倍を確保することを目標に掲げ、党勢拡大が至上命令となったのである。

 ところが今年6月11日に開催された4中総(第4回中央委員会総会)では、「党勢拡大は、全国の党組織・党員の奮闘にもかかわらず、党員では10カ月連続で後退し、『しんぶん赤旗』日刊紙では5カ月連続で、日曜版でも8ヶ月連続で後退が続いている」という容易ならぬ事態が明らかになった。このため、前回参院選の党勢(党員、日刊紙読者、日曜版読者)を回復・突破するための「特別月間」を当初の7月末から9月末に延長し、党員1万6千人、日刊紙読者1万6千人、日曜版読者8万3千人以上の拡大をやり切ることが改めて提起された。ただし、この目標はあくまでも「中間目標」であり、来年参院選までには党員も読者も「前回比3割以上」というのだから、気の重くなるような大きな数字だ。

 2016年参院選の日本の有権者総数(18歳以上)は1億660万人だった。次回参院選の有権者総数を1億800万人、投票率を55%前後と仮定すると、投票総数は5940万票、比例票15%は890万票(以下、数字は比例票)になる。共産が目標とする850万票はおよそこんな計算に基づいているのだろうが、参院選以降の政党支持率の推移をみると、共産支持率は3%前後に低迷していて変化の兆しはうかがわれない。選挙直前になると支持率は5%程度に若干上がるとはいえ、有権者総数の5%は540万票だから、共産支持者の全員が投票に行ったとしても目標の850万票には遠く及ばないのである。

 ちなみに、共産の比例票は2012年総選挙が369万票、2013年参院選が515万票であり、およそこの範囲の数字が共産の「固定票」と言えるのではないか。得票の内訳は、支持者の3分の2(下限)から4分の3(上限)が投票したとして360~410万票、これに浮動票が加わって全体の得票数になるという勘定だ。しかし、最近の2014年総選挙と2016年参院選では、比例票が600万票の大台に乗った。この結果は、2014年は「二大政党の破綻=自共対決路線の勝利」、2016年は「野党共闘路線の成果」だと総括されているが、自共対決路線と野党共闘路線はもともと正反対の政治路線だから、600万票獲得の原因はもっと別のところにあるはずだ。

 おそらく両選挙における100~200万票の浮動票の上積みは、政策支持によるというよりは「第3極(維新、生活)崩壊」の敵失効果によるものであろう。700万票近い大量の浮動票が第3極の崩壊で行き場を失い、その一部が共産に流れ込んだのである。しかし、浮動票は移ろいやすい。2017年総選挙ではその浮動票の大半(166万票)を立憲に持っていかれ、共産の比例票は元の姿(固定票+アルファ)に戻った。

 2017年総選挙で共産の比例票が大きく減ったのは、共産が野党共闘を継続するために大義を貫き、選挙区の多くで立候補を取りやめたから―、というのが通説になっている。しかし京都選挙区の結果をみると、この通説は必ずしもそうとは言えない。京都では民進党議員がすべて希望の党に移り、立憲は「候補者ゼロ」になった。代わって共産は全ての選挙区で候補者を擁立し、自民・希望と対決して選挙区で21・1万票(20・0%)を獲得した。それにもかかわらず、比例票は15・0万票(14・1%)に止まり、6万票(3割)を失ったのである。その前の2014年総選挙の共産票は、選挙区19・4万票(18・7%)、比例区19・4万票(18・6%)でほぼ同じなので、2017年総選挙では共産の候補者擁立の有無にかかわらず、大量の比例票が立憲に流れた事実を認めなければならないだろう。

       比例区(A)        選挙区(B)    (A)-(B)
自民 33.2万票(31・2%) 43.1万票(40・7%) △9.9万票
公明 11.2万票(10・6%)      ―        11.2万票
希望 15.2万票(14・3%) 35.6万票(33・6%)△20.4万票
立憲 19.3万票(18・1%)      ―        19.3万票
共産 15.0万票(14・1%) 21.1万票(20・0%) △6.1万票
維新 10.7万票(10・1%)  1.7万票( 1・6%)  9.0万票 
社民  1.2万票( 1・1%)      ―         1.2万票

 現在、共産は野党共闘と党勢拡大の狭間で大きく揺れ動いている。この間の事情を報じた朝日新聞(2018年6月22日)は、「野党共闘 共産に危機感、政権批判票は立憲に・党員10カ月連続減、参院選へ調整難関」との見出しで、野党共闘と党勢拡大のジレンマに悩む共産の姿を描いている。産経新聞(6月25日)も同様の内容だ。来夏の参院選1人区で候補者を一本化することは野党陣営の共通目標だが、「相互支援・共通政策の合意が条件」という共産の申し入れは受け入れられそうにない。立憲の枝野代表は「候補者の棲み分け」を進める立場で、政策協定や相互支援は受け入れない方針だといわれる。また、共産が今年1月に呼びかけた相互支援に向けた野党間協議も半年近く放置されたままだ。

 共産の志位委員長は、「共産党が参院選で伸びることが、野党共闘の最大の推進力と貢献になる。共闘と共産党を伸ばすことは決して二律背反ではない」と強調している(朝日、同上)。理論的にはその通りだろう。共産は野党共闘の約束を守っているし、国会論戦でも森友疑惑に関しては最も鋭い論戦を展開している。共産によって次から次へと暴露される内部文書は、安倍政権の喉元に突き付けられる「匕首のようだ」という政府関係者もいる。それなのに、なぜ党勢拡大が進まないのか。

 野党共闘の推進を前面に打ち出した2017年1月の第27回共産党大会が閉幕した翌日、京都新聞(2017年1月19日)は野党共闘路線への傾斜に関する興味深い分析記事を掲載した。見出しは「『共闘』傾斜 ちらつく財政難」「共産 党員減少、高齢化に直面」というもので、共産の「野党共闘」への傾斜を党存立の基盤である財政面から分析している。「共闘への傾斜には、党員減少や財政難に直面する苦しい台所事情がちらつく」というのが分析視点だ。理由は、「党員数は約30万人で、この20年間で約7万人減少。収入の柱である機関紙『赤旗』の発行部数(日刊紙と日曜版の合計)も20年前に比べると半減した。党員の高齢化も進み、運動員の確保も課題となるほか、衆議院の265小選挙区全てに公認候補を立てるのに必要な9億円近い供託金の工面も重荷になっている」というもの。つまり「自共対決」を掲げて全選挙区で候補者を立てて戦うことはもはや財政的にも難しく、コスト・パフォーマンスが余りにも悪すぎるというのである。

 正確な数字は読み取れないが、記事の中に掲載されている党員数と機関紙読者数のグラフからその推移をみると、日刊紙と日曜版を合わせた読者数は、1979年(第15大会)の350万人をピークに2017年(第27回大会)には110万人となり、実に3割の水準にまで落ち込んでいることがわかる。また、党員数は1987年(第18大会)の50万人をピークに2017年では30万人へと6割に減少している。民間企業で言えば、売上高が7割減、従業員数が4割減という数字は「経営危機」そのものであり、「倒産寸前」と言ってもいいぐらいだ。共産の台所事情はそれほど深刻であり、危機感も並大抵のものではないだろう。(つづく)
2018.07.03  6月23日 沖縄慰霊の日 오키나와 위령의 날
    韓国通信N0561

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

米軍の日本本土襲撃を食い止めるために沖縄戦は戦われた。全土が焦土と化し、住民の4分の1、12万人以上が犠牲となった。
미군에의한 일본본토 습격을 막기 위한 전쟁때문에 오키나와는 태워버렸고 4분의1인 주민 12만명이상이 죽였다.
1945年6月23日、日本軍を指揮した牛島中将が自決前に全軍に向かって「祖国のため最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり。諸子よ、生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と命じた。この日が沖縄戦「慰霊の日」となった。
沖縄慰霊623

糸満市摩(ま)文(ぶ)仁(に)にある平和記念公園で73回目の慰霊祭が行われ、 その模様はテレビで生中継された。
73번째 위령의날 오키나와현 지사와 여중생의 시 낭독이 인상에 남았다. 그 내용을 번역했었는데 읽어 주시기 바랍니다.
女子中学生の詩の朗読と翁長知事の病をおしての「宣言」に心打たれた。
安倍首相の挨拶を我慢して聞いた。空虚な言葉の羅列。「基地負担軽減のためにやれることは何でもやる」という言葉が耳に残った。
米軍基地を押し付け、辺野古新基地建設に執念を燃やす安倍首相は「言行不一致」、全く逆のことをしゃべった。中学生の「戦争のない平和な沖縄に住みたい」という訴えにも、「だから沖縄に基地が必要」と言いたげな「厚顔無恥」「厚顔無知」振りをさらした。
그날 위령식에는 미군기지 대반을 오키나와에 떠맡기는 정부대표로서 아베수상도 참석.후안무치라는 비판을 받았다.

<ここに希望がある 여기에 회망이 있다>
アメリカとの約束だから何がなんでも新基地へと突き進む政府。2014年から続けられている基地ゲート前の抗議の座り込みも実力で排除される厳しさのなかでたたかいは続く。
翁長知事の「平和宣言」と相良倫子さんの詩「私は生きている」を韓国語に訳した。韓国語の力不足は相変わらずだが、南北朝鮮の平和共存・統一を目指す韓国の友人たちに読んで欲しいと思った。翁長知事も相良さんも悲惨な沖縄戦を思い起こしながら、「沖縄の心」がアジアの平和に貢献すると語る。「南北会談」「米朝会談」直後の歴史に残る沖縄の訴えである。沖縄に、辺野古から、希望を感じる。言葉ひとつひとつをかみ締めながら翻訳した。平和の価値、尊さが日韓市民の心に届くことを期待したい。


沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子
오키나와현 우라조에 미나토가와 3학년
아이라 미치코
相良倫子さん186
 
『私は、生きている』
나는 살아 있다

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ
맨틀의 열을 전하는 대지를 밟으며
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け
기분 좋은 습기 포함한 바람을 온 몸에 쐬고
草の匂いを鼻孔に感じ、
풀 냄새를 비공에 느껴
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて
멀리에서 들려 오는 파도 소리에 귀를 기울여
私は今、生きている
나는 지금 살아 있다

私の生きるこの島は
내가 살아 있는 이 섬은
何と美しい島だろう
어쩌면 이렇게 아름다운 섬일까
青く輝く海
푸르게 빛나는 바다

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波
바위로 밀려오고 비말을 일으키며 빛나는 파도
山羊の嘶き
염소 우는 소리
小川のせせらぎ
시냇물 소리
畑に続く小道
밭으로 가는 좁은 길
萌え出づる山の緑
싹트는 산의 새잎
優しい三線の響き
상냥한 三線※의 소리  
※오키나와 지방 고유 삼현 악기
照りつける太陽の光
비추는 햇빛
私はなんと美しい島に
나는 어쩌면 이렇게 아름다운 섬에
生まれ育ったのだろう
태어나 자랐을까

ありったけの私の感覚器で、感受性で
나의 모든 감각기로 감수성으로
島を感じる。心がじわりと熱くなる
섬을 느낀다 마음이 느긋이 뜨거워진다
私はこの瞬間を、生きている
나는 이 순간을 살아 있다
この瞬間の素晴らしさが
이 순간의 훌륭함이
この瞬間の愛おしさが
이 순간의 그리움이
今と言う安らぎとなり
나의 지금의 편안함이 되고
私の中に広がりゆく
내 마음속으로 번져간다
たまらなく込み上げるこの気持ちを
하염없는 복받치는 이 마음을
どう表現しよう
어떻게 표현해야 할까
大切な今よ
소중한 지금이여
かけがえのない今よ
둘도 없는 지금이여
私の生きる、この今よ
내가 사는 이 지금이여

七十三年前
73년 전
私の愛する島が、死の島と化したあの日
내가 사랑하는 섬이 죽음의 섬이 된
그 날
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった
작은 새 지저귀는 소리가
공포의 비명으로 바뀠다
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた
상냥하게 울린 三線은 폭격 소리속으로 사라졌다
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった
푸르게 넓은 하늘은 “철우”※로 보이지 않게 됐다 ※폭탄의 비
草の匂いは死臭で濁り
풀 냄새는 死취로 탁해졌고
光り輝いていた海の水面は
빛난 바다의 해면은
戦艦で埋め尽くされた
전함으로 가득 차 버렸다
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声
화염방사기로부터 분출되는 불길   어린이 우는 소리
燃えつくされた民家、火薬の匂い
태워진 민가 화약의 냄새
着弾に揺れる大地。血に染まった海
착탄으로 흔들린 대지 피로 물든 바다

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々
도깨비(魑魅魍魎 )같이 모습을 바뀐 사람들
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶
아비규환 장절한 전쟁의 기억
みんな、生きていたのだ
모두 살아 있었단다

私と何も変わらない
나와 아무도 다르지 않은
懸命に生きる命だったのだ
열심히 사는 삶이었다
彼らの人生を、それぞれの未来を
모두들의 인생을 각자 자기 미래를
疑うことなく、思い描いていたんだ
의심하지 않고 마음에 그렸다
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた
가족이 있고 친구가 있고 애인이 있었다
仕事があった。生きがいがあった
일이 있었다 보람이 있었다
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった
매일 작은 행복을 기뻐했다 손잡고 살았다 나와 같은 인간이었다

それなのに
그렇지만
壊されて、奪われた
깨지고 빼앗겼다
生きた時代が違う。ただ、それだけで
산 시대가 다르다 단 그 이유로
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を
무고한 목숨을 당연히 살아 있었던 그 날들을

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海
마부니의 언덕※ 눈 아래로 펼쳐진 조용한 바다 ※ 지명 투신자살자 속출한 마지막 격전지
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て
슬프고 잋을 수 없는 이 섬 전부

私は手を強く握り、誓う
나는 손을 꼭 잡고 맹세한다
奪われた命に想いを馳せて
빼앗긴 목숨에 마음 쓰며
心から、誓う
진심으로 맹세한다
私が生きている限り
내가 사는 한
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を絶対に許さないことを
이렇게도 많은 모숨을 희생한 전쟁을 절대로 용서하지 않을걸
もう二度と過去を未来にしないこと
다시 두번 과고를 미래가 되지 않을 걸
全ての人間が 国境を越え 人種を越え 宗教を越え あらゆる利害を越えて 平和である世界を目指すこと
인간 모두가 국경을 넘어 인종을 넘어 종교를 넘어 온갓 이해를 넘어 평화스러운 세계를 향하는 것
生きる事、命を大切にできることを
사는 것 목숨을 소중히 다루고
誰からも侵されない世界を創ること
누구부터도 빼앗기지 않은
세상을 만들 것
平和を創造する努力を、厭わないことを
평화를 창조할 노력을 아끼지 않은 걸

あなたも、感じるだろう
당신도 느낄것이다
この島の美しさを
이 섬이 얼마나 아름다운지
あなたも、知っているだろう
당신도 아는지요
この島の悲しみを
이 섬의 슬픔을
そして、あなたも
그리고 당신도
私と同じこの瞬間(とき)を
나와 같은 순간을
一緒に生きているのだ
함께 살아 있단다
今を一緒に、生きているのだ
지금을 함께 살아 있단다

だから、きっとわかるはずなんだ
그러니까 꼭 이해하리라
戦争の無意味さを。本当の平和を
전쟁의 무의미함을 진실한 평화를
頭じゃなくて、その心で
머리로가 아닌 그 마음으로
戦力という愚かな力を持つことで
전력이라는 어리속은 힘을 가지고
得られる平和など、本当は無いことを
얻는 평화란 진짜 없는 걸
平和とは、あたり前に生きること
평화라는 예사롭게 사는 것
その命を精一杯輝かせて生きることだということを
그 생명을 힘껏 빛내고 사는 것을

私は、今を生きている
나는 지금을 살아있다
みんなと一緒に
다 함께
そして、これからも生きていく
그리고 앞으로도 살아간다
一日一日を大切に
하루 하루를 소중히
平和を想って。平和を祈って
평화를 생각하고 평화를 빌고
なぜなら、未来は
왜냐하면 미래는
この瞬間の延長線上にあるからだ
이 수간의 연장선 위에 있기 때문이다
つまり、未来は、今なんだ
즉 미래는 현재다

大好きな、私の島
많이 좋아하는 내 섬
誇り高き、みんなの島
자랑스러운 우리 섬
そして、この島に生きる、すべての命
그리고 이섬에 사는 모든 생명
私と共に今を生きる、私の友。私の家族
나와 함께 지금을 사는 내 친구 내 식구들
これからも、共に生きてゆこう
앞으로도 같이 삽시다
この青に囲まれた美しい故郷から
이 푸른색으로 둘러싸인 아름다운 고향에서
真の平和を発進しよう
진실한 평화로 발진하자
一人一人が立ち上がって
한사람 한사람이 일어서서
みんなで未来を歩んでいこう
함께 미래로 걸어갑시다
摩文仁の丘の風に吹かれ
마부니의 언덕 파람에 불리어
私の命が鳴っている
내 생명이 울린다
過去と現在、未来の共鳴
과고와 현재 미래와의 공명
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に
진혼가여 가라 슬픔의 과거로
命よ響け。生きゆく未来に
새명이여 울리라 살아가는 미래로
私は今を、生きていく
나는 지금을 살아간다


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2018.06.21  「核の傘」追随路線からでは見えない米朝首脳会談の意義、       それでも安倍外交は方針転換を迫られる
                
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
                           
 私は外交問題についてはあまり詳しくないので、今回の米朝首脳会談の評価について的確な見解を述べることはできない。とはいえ、日本国民の1人として感想程度の素朴な意見を述べることは許されてよいと思う。外交問題の評価が一部の専門家やメディアによって独占され、国民一人ひとりの声が無視される方が国策の行方を考える上で却って危険だと思うからだ。

 この点でまず疑問に思うのは、米朝首脳会談の関心が核兵器の「完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄(CVID)」一本やりに絞られ、それが達成されなければ、首脳会談の意味もなければ成果もないかのような世論が事前につくられた(誘導された)ことだ。アメリカが「核兵器禁止条約」(2017年7月7日)に署名、あるいは批准した国であれば、その主張はまだしも正当性を持ちうるかもしれないが、世界122か国・地域による圧倒的な賛成を無視して核兵器禁止条約の反対に回ったアメリカがどうして一方的に北朝鮮にCVIDを迫ることが出来るのか、まったく理解できない。まして、世界唯一の戦争被爆国である日本が、アメリカの「核の傘」にあることを理由にアメリカに追随して核兵器禁止条約反対に回ったことは、「世紀の愚行」として世界中から笑いものになった。そんな日本が北朝鮮にCVIDの要求を突きつけることなど、国際的にも理解が得られるはずがない。

 自分は核兵器を保有する権利がある、しかしお前は核兵器を保有してはならない―、こんな言い分は、世界各国が平等な立場にある国際関係の本旨に反するばかりか、特定の核大国に対して世界を支配する特権的地位を与える論理にも通じる。しかも、アメリカの保護下にあるイスラエルなどは核兵器を多数保有しているにもかかわらず、これまでアメリカはイスラエルに対して一度も核兵器廃棄を勧告したことがない。それでいながら、北朝鮮には一方的にCVIDを突き付けるという態度は自己撞着そのものであり、正当性をもった主張とはとうてい言い難い。強いて言えば、それは核大国による「核独占戦略」の一環であって、核大国と同盟関係にある国に対しては「核の傘」で保護するが、それ以外の国に対しては核を封じることで軍事的優位を保とうとする(核大国による)安全保障政策にほかならない。

次に、核兵器が人類の生存を脅かす非人道的兵器であるとはいえ、それは戦争目的を達成しようとする「手段」であることには変わりないことを認識する必要がある。戦争を抑止するためには戦争そのものを無くすことが根本であって、特定の国の非核化を推進することは(重要ではあるが)一つのアプローチにすぎない。戦争抑止、戦争根絶という肝心の目標を見失って「非核化」だけを主張することは、結局、核大国による核独占戦略を擁護し、それに追随する結果しかもたらさない。

 今回の米朝首脳会談に関して云えば、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長が「新たな米朝関係や朝鮮半島における永続的で安定した平和体制を構築するため、包括的で深く誠実に意見交換を行った」こと自体が歴史的な成果なのであって、両者が「1.アメリカと北朝鮮は両国の国民の平和と繁栄の願いに基づいて、新しい関係を樹立するため取り組んでいくことを約束する」「2.アメリカと北朝鮮は、朝鮮半島において永続的で安定した平和な体制を構築するために努力する」「3.2018年4月27日の板門店宣言を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り込むことを約束する」と共同声明で確認したことは高く評価されなければならない。

 この事態を歴史家である保阪正康の言葉を借りて言えば、20世紀の積み残しの課題である朝鮮戦争が終結宣言には至らなかったとはいえ、両国の平和協定への動きは、「平和協定は北朝鮮の非核化、米国による体制保証の前提でもあり、この方向が確認されたこと自体、朝鮮戦争は休戦から終戦の段階に入り、いわば両国間の戦争状態は終わったとの言い方もできる」(毎日新聞2018年6月16日)との観点が重要だ。東西冷戦時代の残滓を一掃し、朝鮮半島の平和と安全を保障することは、アジア諸国間の緊張関係を解きほぐし、軍事費を抑制して国土の平和利用を推進する一大転換点になる可能性を秘めているからだ。共同声明最後の「トランプ大統領と金正恩委員長は、新たな米朝関係の発展と朝鮮半島と世界の平和や繁栄安全のために協力していくことを約束する」との一節は、朝鮮戦争終結への展望を示したものとして注目される所以である。

 加えて、米朝首脳会談が安倍外交の方針転換を否応なしに迫ることになった点も注目される。北朝鮮がCVIDを実行するまで最大限の圧力をかけ続けることを国是としてきた安倍政権は、ここに来て進退窮まる状況に追い込まれたからだ。対米追随外交がトランプ大統領による急速な方針転換に付いていけず、これまでの強硬一点張りの圧力路線を変更せざるを得なくなったのである。安倍首相は日朝首脳会談の実現に向かって舵を切ったというが、拉致問題の解決一つを取って見ても数々の条件が満たされなければ「会談しない」との態度は崩していない。また、首脳会談が実現しても「騙されない」と広言する始末だ。つまり、朝鮮半島の平和実現のために日本がどのような役割を果たすかという外交戦略がなく、相手が条件を飲めば「会談してもよい」というのが基本姿勢なのだ。これではまとまる話もまとまらない。

 安倍政権の苦境を察してか、読売・産経両紙は早速援護射撃に乗り出している。米朝首脳会談の翌日6月13日の読売社説は、「『和平』ムード先行を警戒したい」「合意は具体性に欠ける」「圧力の維持が必要だ」などと相変わらずの強硬路線を主張し、それでいて「日朝会談への環境整備を」などと虫のいいことを並べている。方針転換しなければおよそ日朝会談の実現など不可能だというのに、それでいて論調を変えることができないのだから「もはや救いがたい」と言うべきだろう。

 産経の6月13日主張(社説)に至っては、「金委員長に最低限約束させるべきは、北朝鮮が持つ核兵器などすべての大量破壊兵器と弾道ミサイルについて『完全かつ検証可能で不可逆的な廃棄(CVID)』であるのに、できなかった」「北朝鮮から核・弾道ミサイルなどの脅威を取り除くうえで具体的にどのような状態を目指すか。その『目標』と時間的目安も含む『道筋』について、はっきり決められなかった」と会談の成果を全否定し、「金委員長から内実を伴う核放棄を引き出せなかった交渉に、限界を指摘せざるを得ない」と主張している。おまけに、「理解できないのは、経済制裁と並んで効果的に働いてきた軍事的圧力をここへきて弱めようとしている点だ。米朝間で対話が継続している間は、米韓合同軍事演習は『挑発的』だとして、やらない意向を示したのは誤った判断だ」とまで言うのだから、産経が「防衛省の広報紙」だといわれるのも不思議ではない。

 安倍政権は、アメリカ頼みの追随外交に終始してきた結果、北朝鮮問題に関しては常に「蚊帳の外」に置かれてきた。しかし、このままでは外交の主導権は取れず、お金だけを支払うことにもなりかねない。「蚊帳の外」にいながらせっせとお金だけを運ぶ役割を仰せつかるとは如何にも情けない。安倍政権にかわって自主独立外交を推進できる政権の登場が待たれる。