2017.06.27  ファシズムは死語になったのか(4)
          ―世界平和七人委員会アピールの肉声―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 2017年6月11日の本ブログで、岩垂弘氏が、「世界平和アピール七人委員会」が発信した「共謀罪」法案審議への抗議アピールを紹介している。緊迫感に溢れたアピールであり、私は共感して読んだ。このあと、本件に関し、七人委員会のメンバー二人へのインタビューを見聞する機会があり、紹介の価値はあろうと思い以下に掲げる。
二人とは、作家髙村薫氏と写真家大石芳野氏である。

《三百万人が死んでやっと止まりました》
 髙村薫氏へのインタビューは、「共謀罪と国会」というタイトルで、『東京新聞』(2017年6月17日)に載った。聞き手は共同通信の橋詰邦弘記者である。以下は、そこでの髙村発言から、私(半澤)がポイントと思った部分を抜き出したものである。(■から■)
■国会は死んだのかもしれない。「共謀罪」法を成立させた国会を見てつくづく感じました。/安倍内閣に支持率50%を与えている私たちの責任でもあります。/いまの政治状況は、明らかに超えてはいけない一線を越えているのですから。有権者の多くが、まだこの政治にげたを預けているのは、戦後七十二年の繁栄と安定に寄り掛かっている慢心でしょう。/

共謀罪法審議や安倍晋三首相の答弁に象徴されるように、政治家はいまや国会が言論の府であるという意識はないし、国民もそれに慣らされてしまっています。/この流れは、不可逆的でしょう。かつての日本もこれに似た大政翼賛会の政治が続き、最終的に三百万人が死んでやっと止まりました。/

安倍首相の憲法改変発言は悲願といわれる割には軽い。彼には国民に向けて持論を展開するだけの論理はありません。あるのは浅い情緒だけです。/今回の森友、加計学園問題は、政治の私物化としか言いようがありません。それができてしまうのが不思議です。政治家が育っていない寒々とした荒野です。与野党問わず、人間の幸福とは何かを問う「本職・政治家」が消えてしまった。/

私たちはいま、国連の関係者が懸念を表明するような切羽詰まった社会状況にあるのです。政治がしていることを、強く疑ってみるときです。軌道修正は、私たち有権者にしかできません。■

《七人が七人とも、頭から湯気が出るくらい》
 大石芳野氏へのインタビューは、ジャーナリスト高瀬毅氏によるもので、YouTubeのニュース討論番組「デモクラシータイムス」で、2017年6月16日に、公開発信された。七人委のアピールは、岩垂氏も指摘したように「この政権はまさしく国会を殺し、自由と多様性を殺し、メディアを殺し、民主主義を殺そうとしているのである」、つまり「殺す」と言葉を使っている。高瀬氏の質問は、アピールがそんな過激な表現を「使った」理由を問うものであった。

大石氏は次のように答えている。(■から■)
■使わざるを得ないという心境になった。七人が七人ともね。なぜ使わざる得なかったというと、国会のありようを見ていて、これ「民主主義? デモクラシー?」ってとっても思いました。
野党から質問されても答えない。答えをハグラかす、違うことを答える。それがあとのニュースに出ると、テレビ局によってちがいますが、質問をカットして、答えているカッコいいこというところだけを、放送することが沢山起こっている。

これは正にヒトラーが、こうやって撮られるとカッコいいぞという、宣伝マンがついて盛り上げていったようなことが、国会のの中で起こってると感じた。そのやりとりの後、溢れてきたことを見ても、国民を無視してそれがどんどん進んでる。

同時にメディアに対しても規制をかけてますね。あんな人を使うなとか色々厳しいことを言っている。安倍政権でも初期にはこんなことはなかったですよ。
それがどんどん強くなって、今や最頂点にきている。恐ろしいものを感じたんです。
感じたのは、七人が七人とも、頭から湯気が出るくらい怒っていると言っても過言ではない。■

《難しい問題の答えを模索していく》
 「ファシズムは死語になったのか」シリーズと勝手に呼ぶ拙稿に、読者から「ファシズム」を定義せずに使っているという指摘があった。貴重な批判であると感じながらも、「ナショナリズム」と並んで、論者の数だけ定義があるのがファシズムであろうと思う。シリーズの冒頭に記したように、混沌の時代であるからこそ、難しいテーマであることを承知しながら、模索を続けたいと思っている。(2017/06/23)

2017.06.23  安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(8)
          ―自民党リベラル・小磯国昭・セールスマンの夢―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《自民党リベラル派の発言》
 ■安倍総理が言う,「憲法改正は自民党の結党以来の党是」といったことはまったくの間違いということも指摘しておきたいと思います。/自由民主党は1955年に自由党と日本民主党が合併してきた政党ですが、当時、自由党はどちらかといえば護憲が多数で、民主党は改憲派が多かったのです。自由民主党の結党時に出した五つの文書の中で、特に重要な「綱領」などの三つの文書の中には憲法に関する記述は何も入っていません。残る二つの文章の中の最後の項目に入っているだけです。
結党から二〇年目に作られた政策綱領改定委員会には私も入って議論しました。/私が自民党総裁だった結党四〇年目には、後藤田正晴さんが党基本問題調査会長をつとめられ、改憲に関しては党大会で採択された「新宣言」の中で「新しい時代の憲法のあり方について国民とともに論義を進めていく」という文言でまとめられました。ですから、自民党が一貫して改憲を党是としてきたというのは嘘なのです。/■

これは元自民党総裁河野洋平のインタビューにおける発言の一部である。(「東アジアの危機をどう克服するか」、月刊誌『世界』、2017年7月号)
緊迫した東アジアの危機に関して、40年前の「福田(赳夫)ドクトリン」にも言及して平和外交の重要性を力説している。まことにハト派の面目躍如たるものがある。

問題は自民党リベラルが『世界』でしか発言できない現状である。福田赳夫のライン上にある福田康夫、細川護煕、鳩山由紀夫ら元首相の発言力も同様である。安倍一族一強体制の原因は、小選挙区制と官邸主導の確立にあるという。世界を覆うポピュリズムを小泉純一郎に次いで先取りしたのだという。自民党リベラル派はどこへ消えたのか。もともとリベラル派は存在しなかったのか。

《小磯国昭の弁明的発言》
 ■・・あなたは一九三一年の三月事件に反対し、あなたはまた満州事件の勃発を阻止しようとし、またさらにあなたは中国における日本の冒険に反対し、さらにあなたは三国同盟にも反対し、またあなたは米国に対する戦争に突入せることに反対を表し、さらにあなたが首相であったときにシナ事件の解決に努めた。けれども・・すべてにおいてあなたの努力は見事に粉砕されて、かつあなたの思想及びあなたの希望が実現することをはばまれてしまったということを述べておりますけれども、もしあなたがほんとうに良心的にこれらの事件、これらの政策というものに不同意であり、そして実際にこれらに対して反対をしておったならば、なぜにあなたは次から次へと政府部内において重要な地位を占めることをあなた自身が受け入れ、そうして・・自分では一生懸命に反対したと言っておられるところの、これらの非常に重要な事項の指導者の一人とみずからなってしまったのでしょうか■

これは東京裁判で、小磯国昭被告の口述書について、フィクセル検察官がのべた言葉である。小磯は、1944年7月から1945年4月の間、大日本帝国の首相であった。これに対する小磯の答えは次の通りである。

■われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の習慣であり、また尊重せらるる行き方であります■

《自民リベラル派の転向=一億総転向》
 自民党リベラル派は、新自由主義の浸透とともに80年代から、次第に崩壊を始めて2017年の今日までの30年間で壊滅した。その過程で「自分の意見は意見、議論は議論」といいながら転向したのである。自覚なき転向である。
「新自由主義」という弱肉強食、「日米同盟深化」という対米隷従、「積極的平和主義」という大国主義・軍事ケインズ主義が、「いやしくも決定せられた国策」となった。小選挙区制や官邸主導や「共謀罪」は、トータルな「国策」の重要な戦術として成功しつつある。この国策生成過程の根っこには、国境を越えた既得権集団があり、国策はその新式のイデオロギーとなっている。弱体化した国民国家の名前において国策は実行されている。

自民党リベラルの「転向」を批判するのが私の主目的でない。事実としてこう認識するのが大事だというのである。「安倍政権の支持率はなぜ高いのか」を論ずると、必ず出てくる説明は「野党がだらしがないから」であり、「安倍よりマシなのがいないから」というものである。それは有権者の転向を反映している。自民党リベラルの転向は有権者の転向を反映している。それを客観的に証拠立てるのは難しいが、私的な経験と感想を述べて私の説明としたい。

職場時代の仲間との会話によく出るのは、「マイホーム+二千万円」死守と排外的ナショナリズムの論理である。自分も含めてなるべく客観的にしゃべっても、ローンを完済した「マイホーム」の価値は、例えば三千万円と考えている。「二千万円」を退職金額または、金融資産残高と考えている。勿論、所帯別の残高には大きな格差があるだろう。大企業退職者なら年金額が公的・私的を併せて月額50万円に近くなるケースもある。
かくして高度成長とバブル時代を駆け抜けた企業戦士は、おのれの一代限りの小市民生活を楽しんでいるのだと自認している。窮乏化と格差是正は否定しないし、現に自己破産した人間もいるが、総じていえば解決は次世代でやってくれとシレッとしている。日本に追いすがる新興成長国への抜きがたい蔑視と嫉視が存在するが、日本経済が再度高度軌道に乗れるとは考えていない。

《セールスマンの夢は覚めない》
 スキャンダルが発覚しても安倍内閣の支持率が依然高い。
それは元企業戦士が、仕組まれた「愚者の楽園」を生き延びようとしているからである。すでに「セールスマンの死」の時代は来ている。しかしウィーリー・ローマンの幻想は、我々の多くを捉えて離さず、自分の世代まではその夢を見続けられると考えているのである。世代エゴイズムは新たなポピュリズムの火種になるかも知れない。(2017/06/13)
2017.06.20  安倍1強は「安倍私党独裁体制」にほかならない、「加計疑惑」隠しのために共謀罪強行採決に走った安倍政権は、国権の最高機関を蹂躙することで「安倍私党による究極の国政私物化」の姿を国民の前に曝した

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 審議抜きの共謀罪強行採決で幕を閉じた今国会は、自公与党がもはや「首相官邸=安倍私党」の独裁下にある翼賛政党にすぎないことを赤裸々に示した。国政は「首相官邸=安倍私党」によって牛耳られ、自公与党はその手足となって意のままに動く存在になった。さしずめ、自民は「馬の脚」、公明は「馬の尻尾」、維新の会は馬の糞に群がる「ハエ」といったところか。

 首相官邸(安倍私党)による国政私物化は、まず官僚機構の私物化から始まった。内閣府(官邸の下部組織)による官僚人事権の掌握によって、官僚機構を意のままに動かす「忖度のシステム」が完成したのである。その典型的事例が、「森友疑惑」に関する財務省理財局長の徹底した事実隠蔽と「知らぬ存ぜぬ」の答弁だった。官僚の矜持を失った当の人物は、もはや壊れたテープレコーダーのような同じ答弁を繰り返すほかなく、(動揺を抑えるためか)その能面のような表情は見るも悲しく哀れだった。誇り高い財務官僚の権威は地に堕ち、国民全体の奉仕者は情けないことに「安倍私党の小間使い(バシリ)」となった。

 自民党幹部や安倍内閣の担当閣僚も「安倍私党の使用人」でしかない。閣僚は、「閣議決定」で答弁集を丸暗記させられ、自由な発言を封じられて同じことしか喋れない「マシーン」になった。松野文科相は、「総理のご意向」文書の有無を巡って「確認できない」との答弁をオウム返しに繰り返すだけだった。オウムは飼い主に覚えさせられた言葉を発するだけで、意味を理解することもできなければ応用することもできない。松野文科相はまさにそれにふさわしい「オウム閣僚」であり、首相官邸(安倍私党)の司令通りに動く典型マシーンだった。

 山本地方創生担当相に至っては、「オウム閣僚」の域を越えて飼い主に尻尾を振る「走狗」となった。「総理のご意向」文書に関して「知らぬ存ぜぬ」が通用しなくなり、文科省内から新たに発見された萩生田官房副長官の指示文書が焦点になるや否や、なんと「それは自分が書いたもの」だと名乗って出たのである。本人は飼い主のために身を投げ出す忠犬の役割を演じたつもりだろうが、閣僚が官房副長官の命令系統に従う「末端組織」であることを示した点で、安倍内閣の「私党」的性格がより一層鮮やかに浮かび上がることになった。

 自民党幹部も負けてはいない。二階幹事長は利権が集中する党内ポストを維持することしか眼中になく、「天下国家」のことなどには全く無関心だ。安倍私党に忠勤を励むことが「幹事長の役割」だと考え、国会討論など政党としての見解を述べる場にはもっぱら下村幹事長代行を差し向け、自分は安倍私党の番頭役に専従している。それでいて自民党の幹事長が務まるところに、「安倍1強=安倍私党独裁体制」の実態が余すところなく露呈されているというべきだ。

 高村副総裁に至っては、「森友疑惑」や「加計疑惑」に対する野党の追及を「ゲスの勘繰り」という有様だ。当人は公明との密室協議を担当する水面下の幹部だが、国民の前で安倍私党の不正を追及する野党質問が「ゲスの勘繰り」に見えるのだから、もともと表向きの議論が苦手なのだろう。この人物の身体には、かっての国対族の様に国会の舞台裏で実質的なことは全て決定し、国会を形式的な投票マシーンに貶めてきた自民の血筋が充満している。密室協議以外の公然とした議論での応酬は全て「ゲスの勘繰り」に映るーまるで政界の闇を体現しているフクロウ(フクロウには罪がないが)のような人物なのである。

 しかし、安倍私党にとっては「獅子身中の虫」ともいうべき官僚があらわれた。言うまでもなく、「国民全体の奉仕者=官僚の矜持」を忘れていなかった前川文科省前事務次官の存在である。前川発言によって安倍私党による国政私物化の一端が図らずも暴露されることになり、安倍私党とっては「蟻の一穴」に通じる大事件となった。事態が明らかになれば、安倍首相が「責任を取る」「総理を辞める」「議員を辞める」と思わず広言したことで、安倍私党は解体する以外に道は残されていないからだ。

 安倍私党の解体を阻止するには、国政私物化の実態や構図をあくまでも覆い隠さなければならない。そのためには「ゲスの勘繰り」が集中する国会の議論を封じるのが一番だ。こうして国会を閉会にして議論の場そのものを無くしてしまう策動が浮上し、委員会審議をすっ飛ばしていきなり本会議での強行採決に持ち込むシナリオが実行された。誰が考えたのか知らないが(公明だとも言われている)、とにかく国政私物化の象徴となった「森友疑惑」「加計疑惑」の幕引きのためには、国権の最高機関である国会の議論を蹂躙してまでも、安倍私党の存続を図るという前代未聞の事態が出現したのである。

 さすがに、この事態はマスメディアの大批判を招いた。安倍私党の御用新聞となった読売や「アベサマのNHK」は依然として表面的な報道に終始し、安倍政権をバックアップしているが、もはや国民の関心は安倍政権による「国政私物化」の解明に移っている。NHKニュースでは何もわからない事態の真相が、民放テレビの朝やお昼のワイドショーで次第に明らかになりつつある。国会での議論を無くしてしまえば、国民はすぐに忘れるといった愚民観・愚民視は、早晩自分自身の問題として跳ね返ってくるだろう。

 それが東京都議選で一挙に局面が変わるとは言えないまでも、安倍私党の解体は時間の問題だと言える。今国会の共謀罪強行採決による「森友疑惑」「加計疑惑」の幕引きが第1幕、東京都議選による自民・公明への批判票の動向が第2幕(公明の都民ファーストとの選挙協定によって事態は複雑であるが)、そして第3幕の都議選後の自公与党内の「ねじれ」などによって、安倍私党の「終わりの始まり」がようやく幕を切って落とされるのである。
2017.06.19  ポピュリズムとイデオロギー的同調性に依拠する安倍政権(下)
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

憲法改正に隠された魂胆
 すべての民族に自衛権があることは議論の余地がない。憲法9条があろうがなかろうが、すべての民族が保有する固有の権利としての自衛権が存在することに変わりはない。
 日本が他国への戦争に加担することを禁じた憲法9条は、アメリカの事実上の軍事占領にあった日本が、アメリカが惹き起こす戦争へ直接参加するのを防いだ。第二次世界大戦後の冷戦時代に、日本がアメリカの侵略戦争に加担しなかったことは誇るべきことだ。
 アメリカ軍に国を守ってもらっている韓国は不正義のヴェトナム戦争に参加し、アメリカ軍にも勝るとも劣らない殺戮行為を行い、多くのヴェトナム人を殺害した。アメリカ軍も韓国軍も、村から都市へ逃げて、売春婦になるしかなかったヴェトナム婦人を慰安所に集めた。日本がこのような恥ずべき戦争行為に加担するのを免れたのは、憲法9条の存在があったからである。アメリカが主導する軍事的侵略に加担しなかったことに後ろめたさを感じる必要がないどころか、誇るべきことだ。
 今、安倍政権は、沖縄の美しい海に、占領軍基地を新設するという愚かな行為を強行している。真の民族主義者なら、このような反民族行為を容認するはずがない。アメリカへの軍事的従属に頭の天辺から浸かってしまっているアメリカのポチだからこそ、厚顔無恥に強行できるのだ。
 アメリカの軍事的従属下での憲法9条の骨抜きは、アメリカの侵略行為に軍事的に加担することを意味している。安倍晋三の憲法改正の狙いは、アメリカが惹き起こした戦争へ、日本の自衛隊を派遣することだ。憲法9条で自衛隊を認知するという名目でやろうとしているのはこういうことだ。アメリカへの従属を前提にした民族主義は、偽の民族主義=日和見民族主義であり、「属国民族主義」である。
 自衛隊認知を「出し」にして憲法改正を行う意図は、とにかく改正を実現させることを最優先したいからだろう。そこには崇高な憲法理念への矜持が見られないだけでなく、これまで自民党内で議論されてきた憲法草案の内容がまったく反映されていない。「とにかく改正」という日和見右翼の面目躍如である。
 ところが、安倍独裁の様相を呈している自民党内は、自らがまとめた憲法草案からほど遠い提案に異論を唱える者がほとんどいない。小泉進次郎すら、深く考えもせず、「賛成」という始末である。出る杭は打たれる、潰されるという恐怖心からだろう。ここで頑張る力がなくて、政治家としての将来があろうはずもない。
 他方、自民党の憲法草案のもう一つの重要な柱であったはずの「天皇を国家元首に」という項目にはまったく触れられていない。復古主義者平沼赳夫がいくら頑張っても、今さら、君主制国家に戻れるはずもない。今次の天皇退位特例法の議論の中で、自民党の議員の中には、「天皇は祈っていればよい」と放言した者がいたように、象徴天皇の形骸化を公然と唱える者もいる。「天皇陛下万歳」と叫んでおきながら、他方で「飾りで十分」であることを公言するのは矛盾しているが、君主制への郷愁と現実とのギャップの中で、混乱しているだけなのだろう。
 もっとも、長い歴史のなかで、王室は世俗権力が利用する儀礼的装飾でしかなかった。天皇が総帥権をもって侵略戦争を行ったのは、明治維新以後から第二次世界大戦終了までの80年ほどの時間にすぎない。日本の復古主義者自身、天皇制の復権にいったい何を求めているのかを明確に語ることなどできないだろう。だから、天皇制を抱く日本精神論だけが語られる。日和見右派の天皇制復権は、たんなる郷愁なのだ。
 菅野完氏によれば、保守の知識人の裏切り行為を見て、籠池学園新理事長の籠池町浪氏が、「愛国ってなんですかね?保守ってなんですかね?もうほんと、わからなくなりますね」と言っているという。愛国や民族主義を唱えながら、属国状態にズブズブに浸っている日和見右翼が、権力やそれに同調するイデオロギーに寄生して、自己保身の利益だけを求めているとしたら、「然(さ)もありなん」である。
 
経済政策イデオロギーに寄生する人々
 安倍晋三が自ら信奉する保守的理念(憲法改正)を実現する手段として重要視してきたのが、「アベノミクス」という経済政策イデオロギーである。国民に経済的な安心感を与えて、悲願の憲法改正に向かうための重要な手段である。しかし、すでに「アベノミクス」の化けの皮が剥がれてしまった。何のことはない、「大幅な金融緩和で、高度成長をもう一度」という時代遅れの経済イデオロギーに過ぎなかったことが明々白々になりつつある。大幅な金融緩和で利益を得たのは、不動産や金融資産を持っている金持ちと、円安差益で濡れ手に粟の一部の輸出企業にすぎない。こうやって大儲けをした少数の人々がいるのにたいし、大幅金融緩和の後始末は、これからの世代が背負っていかなければならない重い負の遺産として残されている。アベノミクス・イデオロギーを推進してきた政治家やアベノヨイショの罪は重い。
 アベノミクス・イデオロギーを一生懸命持ち上げてきた一群の人々(アベノヨイショ)がいる。官僚上がりの大学教授、政治家と親しくしてきた政治屋的な大学教授、在野のエコノミスト、ここで一発儲けようとした三文エコノミストなどがそれである。
 一貫してアベノミクスを擁護し、年金資産の株式投資比率の引き上げを主導し、日銀総裁の地位を得ようとして失敗した伊藤隆敏(現、イェール大学教授)、物価目標の2年以内の絶対実現を叫んであわよくば日銀総裁のポストを得ようとして叶わなかったが、めでたく副総裁のポストを得た岩田規久男(当時、学習院大学教授)、財務省官僚から早稲田に天下りして、アベノミクス礼賛でめでたく日銀金融政策委員のポストを得た原田泰(当時、早稲田大学教授)などを筆頭として、アベノミクスで立身出世を図ろうとしたアベノヨイショの御仁たちをけっして忘れてはならない。
 国の累積債務問題は「財務省のウソ」と公言して、財政赤字を増やしても成長政策を進めることを積極的に支持している御仁もいる。やはり財務省出身の大学教授、高橋洋一である。次から次へと本を出し、テレビにもたびたび顔を出して、「アベノミクス様様」の活躍ぶりだが、ほかのヨイショたちと違って政府の重要ポストを得ていない。それには理由がありそうだ。2009年に温泉施設で高額の腕時計を盗んで逮捕され、東洋大学を懲戒解雇された経歴をもつ。さらに、2016年に出版された『中国GDPの嘘』(講談社)に剽窃があると指摘され、高橋が所属する嘉悦大学が調査した事件がある。専門外の書物を多く出しているが、出版社の編集部が原稿を用意して、それなりに名前が売れている「高橋洋一」を使っているようだ。出版社が謝って一件落着となったようだが、これは出版社が謝って済まされる問題ではない。高橋洋一の研究者としての研究倫理や誠実性が不問に付されている。言論人の言動の信頼性にかかわる事柄であり、研究・言論の基本倫理を守れない人の言動など信頼できないと考えるのがふつうだろう。インパクトは弱いが、テレビに良く顔を出している森永卓郎も、「日本の財政は世界一健全」とヨイショする同じ系統である。
 他に有象無象のアベノヨイショがいる。「日本の財政は破綻などしない」と触れ回って講演料を稼いでいる三橋某、アベノミクスの化けの皮が剥がれた段になってもなお大幅金融緩和策を援護して日銀金融政策委員のポストを得た片岡剛士(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)がいる。現在の金融政策委員会で大幅金融緩和政策に慎重姿勢をとっている2名の民間委員(木内登英、佐藤健裕)が7月に退任するのに伴い、2名のアベノヨイショが委員会に加わり、日銀金融政策委員会は大本営委員会に変わる。木内氏などは出身母体の野村證券の利益を代表することなく、大幅金融緩和策の弊害を訴え続けてきた。官邸が圧力をかける四面楚歌の状況で、長期的な視野から自分の意見を述べることができる委員は貴重な存在だった。金融政策委員会を一つのイデオロギーで染めてしまうのは、委員会の機能を殺すようなものだ。これも安倍支配の結末である。
 このように、安倍内閣のイデオロギー支配は経済政策にまで及んでいる。アベノヨイショの御仁たちが、この先、アベノミクスの負の遺産をどう説明するかは、見ものである。そのためにも、誰が何を主張していたのかを忘れてはならない。籠池学園の経済政策イデオロギー版を見る日はそう遠くないだろう。
2017.06.17  ポピュリズムとイデオロギー的同調性に依拠する安倍政権(上)
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

知性や知力に富んでいるとはとても言えない安倍政権が長期間にわたって高い支持率を保持してきたことに、首をかしげる人が多い。しかし、現代の政治は基本的にポピュリズムに支えられている。どの国の政治的指導者を見ても、権力を維持する権謀術数の政治力はあっても、社会を発展させることができる豊かな知性や知力を持ち合わせている政治家はきわめて少ない。逆に、知性や知力とは無縁だが、強引な政治力を発揮出来る政治家が、国民の人気を得て、独裁的な権力を維持できる事例の方がはるかに多い。安倍政治もこの例に漏れない。
北朝鮮の個人独裁社会の無残さを見聞きし、多くの人々は、「なぜ北朝鮮の人々が狂気の指導者に支配され続けているのか、なぜ反乱を起こさないのか、なぜ殺される前に幹部が独裁者と腹を刺し違えないのか」と疑問に感じているだろう。しかし、それこそ「他山の石」である。
豊かな知性があるわけでもなく、特段に賢明なわけでもなく、高潔な気概があるわけでもなく、確かな思想に裏打ちされた政治的信念があるわけでもない安倍晋三に、好き勝手なことをされても、なお安倍政権を支持する人が多いことをみれば、日本人に北朝鮮の支配を嘲笑する資格があるとは思われない。
今の政治家の知性は国民の平均的知性を超えていないだろう。政治家は大衆が容易に理解できる単純なスローガンで政権への支持をつなぎ留め、大衆は分かりやすい政治スローガンを簡単に受け入れる。国の将来を見据えた政策を展開するより、大衆の短期的な感情を操る権謀術数を凝らすことで、安定した権力を獲得できる。そのための政治的武器が、ポピュリズムであり、それにもとづくイデオロギー的同調性による支配である。しかし、このような政治は社会を歪め、将来社会に大きな負の重荷を残すだけだ。

独裁権力の構造
 イデオロギーの同調性にもとづく政治的支配は、20世紀をとおして、社会主義社会で一般的に観察できる現象だった。ソ連型社会主義イデオロギーに同調し、共産党幹部になれば、立身出世ができる社会が存続してきた。国によって程度の差はあるが、共産党支配を批判し反抗する者は冷や飯を食わされるか、最悪の場合は労働キャンプへ放逐された。戦争と平和が繰り返し生起した20世紀は戦争の時代であり、敵対心を煽るイデオロギー的高揚で社会を支配することが普遍的に見られた。西のヒットラーと東のスターリンが20世紀前半の時代を支配し、20世紀後半には世界覇権を争う冷戦のための米ソのイデオロギー闘争が世界の政治を支配してきた。
北朝鮮の現状は、前世紀の遺物であるイデオロギー的忠誠にもとづく個人独裁政治の破滅的な末路そのものであり、歴史博物館的存在になった20世紀型個人独裁社会の戯画的な状況を見せてくれる。
 しかし、程度の差こそあれ、21世紀になってもなお、世界の政治権力はイデオロギー的同調性をベースに権力支配を維持している。大衆の感情や大衆の直接的利益になりそうなものに訴えることで、大衆の支持を得て、権力を保持することができるからである。
 他方、権力が維持される背景には、権力者に無条件に従う官僚機構が存在し、権力に群がり、権力者をヨイショして自らの地位を獲得し、経済的な利益を得る一群の人々が存在する。官僚機構が政治指導者に忠誠を誓い、メディアや物書きが権力者を持ち上げ、それにたいして権力が褒美を与えることで、相互に依存し合う権力機構が持続する。いわば権力の座にある者とそれに群がって生きる者とは、持ちつ持たれつの関係にある。
 こういう相互扶助関係のなかで、権力者をヨイショする者は、犯罪すら免罪されることがある。社会主義社会で共産党幹部の犯罪が問われないのと同じである。独裁度が高まれば高まるほど、その度合いは露骨になる。安倍礼賛本の著者として知られ、官邸ともツーカーの山口敬之・元TBSワシントン支局長は、成田空港到着と同時に、準強姦罪容疑で逮捕される予定だった。ところが、逮捕直前にその中止命令が下された。命令を下したのは、菅官房長官の秘書官を務めた中村格警察庁刑事部長である。官房長官秘書官であれ官邸補佐官・秘書官であれ、あるいは現職であれ元職であれ、権力者に仕える官僚は、親分の虎の威を借りて、自らが権力の分身であるがごとく権力行使することに何のためらいもない。それは忖度というレベルを超えた、権力者の分身としての行動である。
加計学園であれ、山口逮捕阻止であれ、補佐官・秘書官がやったことは、権力者の意思にもとづく采配である。一昔前まで、地方都市では警察署長と懇意にしていれば、スピード違反などは簡単にもみ消してもらえたのと同じ構造だが、今回の事件はスピード違反とは比べものにならない犯罪である。どうでもよいタレントの不倫問題や電車の痴漢で大騒ぎする日本社会が、これほど重大な犯罪を免罪する権力者の行動にたいして、厳しい批判を加えないのは理解不能だ。
 政府の政策に賛同する新聞があっても不思議はないが、権力者と癒着して益を得ようとし、天下の日刊新聞が「安倍・菅新聞」に成り下がってしまえば、それこそ「社会的公器」の堕落である。それを恥じる意識すら失ってしまうほど癒着している新聞社の幹部は、権力者と「同じ穴の貉」と言われても仕方がない。

倫理性・社会的公正さを欠くイデオロギー支配
 権力者が唱えるイデオロギーに同調さえすれば、権力の庇護が得られるというのは、ソ連型社会主義と同じだ。そこには倫理性とか道義性とか社会的公正という観念が存在する余地がない。イデオロギー的同調性があれば、能力や適性とは無関係に無能な人物や政治家が要職に就いたり、各種の便宜を得られたりするのは、ソ連型社会主義社会と同じである。
 森友学園、加計学園、山口敬之事件のどれをとっても、それぞれの事件の主役たちや、そこに群がっていた人々が高い倫理性や社会的公正観念を持っているとは到底思えない。それどころか、ふつうにみても、きわめて胡散臭い人々であり、権力に寄り添うことによって実利を得ようとする俗物たちにしか見えない。にもかかわらず、彼らが権力者の庇護を受けた、あるいは受けるようになったのは、権力者とイデオロギーを同じくするからである。
 醜いことに、政治家だけでなく、籠池学園を支援し、何度も講演してきた右派の論客たちもまた、黙りを決め込むか、逃げ回っていることだ。菅野完氏の調査によれば、「曽野綾子、櫻井よしこ、村上和雄、渡部昇一、中西輝政、竹田恒泰、青山繁晴、高橋史朗、八木秀次各氏などなど、数多くの保守系文化人もあの幼稚園で講演している」(AERA dot.)という。しかも、櫻井氏などは講演料が80万円(通常の2割引き)いうから驚く。幼稚園での講演である。何のことはない、彼らもまた、イデオロギー的共有を錦の御旗に、籠池学園に寄生しただけなのだ。籠池学園の教育を絶賛していながら、世間の目が光り出すと、手のひらを返すように背を向けるのは、自らの思想やイデオロギーの時代遅れに後ろめたさを感じているからではないか。もし自らの思想の実現に命を賭けているなら、なぜ籠池学園の教育を擁護しないのか。それができない人々には、言論人としての矜持などないと断定して良いだろう。
 同じことは、安倍内閣の無能な大臣たちにも言える。彼らが大臣の職責を得たのは、ひとえに安倍晋三が信奉する単純なイデオロギーに恭順の意を示したか、積極的な同調者だったからである。そこには、人品・人柄や能力、適性という観点が完全に抜けている。たんに自分と意見を同じくする「お友達」だからである。本当に能力・知力のある人は、自分より能力のある人を要職に抜擢できる「目」をもっているが、安倍晋三には人を見る目がない。それは安倍晋三という人物の能力の限界を教えている。自分より能力が低い者を選択しているのではないかと思われるほど、人品・人柄に欠ける人物を庇護し便宜を与え、無能な政治家を要職につけている。
 しかも、安倍晋三にはそれぞれの事柄にたいする責任意識が完全に欠如している。今現在問題になっているどの事件も、昭恵夫人が善意で行ったという単純な話ではなく、すべて安倍晋三夫妻が絡んでいる。絡んでいるというより、完全に当事者である。しかし、「私や妻が関わっていれば首相も国会議員も辞める」と啖呵を切っておきながら、というより啖呵を切ってしまったために、逃げ回るよりほかに延命の方法がない。それどころか、こともあろうに、警察情報を利用して「安倍・菅新聞」に醜聞情報を流し、権力に歯向かう者を陥れる手回しだけはしっかりしている。まるでKGBが暗躍しているロシア並みの権謀術数である。高潔さや社会的公正さに欠ける安倍晋三に、国家・社会を語る資格があるだろうか。
 イデオロギー的同調性だけを基準に政治を行ってきた政治は、ソ連型社会主義のように、社会的倫理性や公正さを欠き、やがては行き詰ってしまうだろう。そのことを自民党だけでなく、野党も肝に銘じることだ。
2017.06.16  「共謀法」廃止のために内閣を変えよう
  
  安倍政権の暴挙に抗議する
                              リベラル21編集委員会

 自民、公明両党は6月15日早朝、参院本会議で組織犯罪処罰法改正案(「共謀罪」法案)の採決を強行し、成立させた。安倍政権の意向を受けたもので、日本の憲政史上稀にみる暴挙であった。成立した「共謀罪」法の内容も、参院の委員会での採決を省いて本会議採決に持ち込むという強行的な手段も、わが国の民主主義を根底からないがしろにするものであり、リベラル21編集委員会はこうした暴挙に強く抗議する。

 国会における議事運営では、上程された法案は衆院なり参院なりの委員会で審議して採決を行い、そこで賛成多数を得た法案が衆院本会議なり参院本会議に送られ、そこで採決が行われるというのが習わしである。ところが、今回は参院法務委員会での採決を省略し、参院本会議で法務委員会委員長による「中間報告」を行った後に法案について採決を行った。異常、異例、異様としか言いようがない。まさに議会制民主主義の破壊である。

 国会運営上の慣例から見て暴挙であるばかりでない。民意を無視したという点からみても、明らかに暴挙である。
 最新の新聞・テレビによる世論調査では、「共謀罪」法案反対、あるいは「慎重審議を」という意見が増えつつあった。さらに、全国の新聞の大半が、「徹底審議」あるいは「廃案」を主張していた。なのに、なぜ、法案の採決を急いだのか。政府・与党からは、国民が納得するような説明はついになかった。

 私たちは、今から57年前の1960年5月19日から20日にかけて国会で繰り広げられた光景を思い出す。この時、日米安保条約の改定案(新安保条約=現行の日米安保条約=案)が国会に上程され、国論は賛成・反対の両論があって揺れていたが、自民党は5月19日、衆院安保特別委員会で野党の反対を押し切って改定案を強行採決、続く衆院本会議でも自民党単独で討論なしで改案を可決。そして、6月19日に参院の議決を経ない自然承認という形で新安保条約を成立させた。
 こうした一連の強行採決を主導したのは、安倍首相が敬愛する祖父の岸信介・首相であった。「共謀罪」法の制定にあたって、安倍首相は祖父のやり方に学んだのだろうか。

 ところで、新安保条約の自然承認に先立つ60年6月15日には、新安保条約に反対する学生団体の全学連主流派の学生が国会南門から国会構内に突入、警官隊との衝突で東大生・樺美智子さんが死亡した。「共謀罪」法案について強行採決が行われた「6月15日」は、奇しくもそれからちょうど57年にあたった。果たして、偶然の一致であろうか。

 それにしても、私たちは、「共謀罪」法の中身に改めて強い懸念を表明する。
 この法律の本質は、犯罪の実行に着手する前の計画段階を処罰するというものである。にもかかわらず、国会における審議では、どんなことが「計画」や「準備行為」に当たるのか不明確のままだった。このため、準備行為が犯罪計画のために行われたかどうかということを確定するために個人の主観を捜査することになりかねず、場合によっては、心の中で考えたことが処罰の対象になりかねない。
 このため、法律家からは「一般人の日常的な行為をとらえて実行準備行為だと恣意的に認定するおそれがあり、冤罪を生みかねない」、市民の間からは「内心の自由が脅かされるおそれがあり、怖い」といった声があがっていた。

 日本国憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とある。また、同21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とある。
 こうした規定からすれば、「共謀罪」法は明らかに日本国憲法に抵触すると言っていいだろう。「共謀罪」法は廃止されるべきだと私たちは考える。
 
 「共謀罪」法が成立しても、絶望することはない。なぜなら、日本では、国民が主権者だからである。したがって、国民の多数が賛成できない法律は、国民の意思で廃止できるのだ。
 具体的には、次の総選挙や参院選挙で、国民が「共謀罪」法の廃止を提起し、これに賛成する候補者を国会に送り込もう。そうした候補者が衆参両院で多数を占めれば、政権も変えることができ、「共謀罪」法廃止は実現する。それに備えて、今回の「共謀罪」法案採決で賛成投票をした国会議員の名を覚えておきたい。

2017.06.14  「トカゲ」(官邸+内閣府)の「尻尾」(文科省)切りは成功しない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


 安倍首相は6月9日、松野文科相に対し、学校法人「加計学園」の獣医学部新設を「総理のご意向」とした文科省の内部文書の存否を再調査するよう指示した。首相は首相官邸で記者団にこのことを聞かれ、「徹底的に調査するよう指示した」と恥ずかしげもなく語った(テレビニュースで見た)。これまで「総理のご意向」文書の存在については徹底的に白を切り通し、それでも突っ込まれると「印象操作だ」と意味不明の言葉を喚き散らしていたのに、今度は一転して「徹底調査する」というのである。この人物の頭の中の構造がいったいどうなっているのか、脳科学者ならずとも知りたいところだ。

 5月17日の朝日新聞スクープによって内部文書の存在が浮かび上がって以降、官邸と内閣府は必死になって事態を隠蔽し、「知らない」「わからない」「記憶にない」を繰り返して追求から逃げ回ってきた。菅官房長官は内部文書を「怪文書扱い」にして火消しに走り、荻生田官房副長官は文書の中の自分の発言に対してあくまで「知らぬ存ぜぬ」を押し通し、内部文書の主役である藤原審議官は影も形も見せない有様だ。

 一方、松野文科相の方は「該当する文書の存在は確認できなかった」と発表するのが精一杯で、「文書は存在しない」と明言することができなかった。松野文科相は(事態の推移を知っているので)その時点で文書の存在を否定できず、「確認できなかった」と言わざるを得ないほど追い込まれていたのである。形ばかりの調査では世論が到底納得しないことを知っていたからだ。

 だが、前川氏が記者会見して「文書は確実に存在していた」「あるものをないとは言えない」と断言したことを契機に風向きが一気に変わった。さすがの菅官房長官も「文科省で適切に判断する」と文科省に責任を押し付けて身をひるがえし、同省内で文書が共有されていたことを示すメールの写しが公表されてからは、記者発表の席上でも答弁不能の状態に陥った。もはや政権を運営していく上で(鉄面皮で)白を切り通すことができなくなったのである。

 問題は、安倍首相が「徹底調査する」と言いながら、肝心の「火元」の内閣府は調査しないで「煙」が出た文科省だけに調査を限定していることだ。疑惑の本命は、言うまでもなく加計学園の獣医学部新設を遮二無二強行した官邸と内閣府(下部組織)にある。それを指揮したのは官房長官や副長官、首相補佐官や内閣府官僚たちである以上、文科省だけを調査しても事態の本質は絶対に明らかにならない。ここから、事態の本質をあくまでも隠蔽しようとする「トカゲの尻尾切り作戦」が浮上してくる。言うまでもなく、トカゲの本体は官邸と内閣府であり、尻尾は文科省だ。文科省に全ての責任を押し付けて切り捨て、官邸(だけ)が生き残ろうとする姑息な作戦である。

 これまでの経緯からして、文科省の再調査では文書の存在を何らかの形で認めざるを得ないだろうが、「その資料が実在したとしても、(内容が)正しいかどうかはその次の話だ」(萩生田官房副長官)というのが「次のシナリオ」だろう。「総理のご意向=官邸」の威を借りた内閣府官僚たちが、文科省をはじめ関係省庁を恫喝して加計学園の便宜を図ったことを隠蔽するためには、あくまでも内閣府は「ブラックホール」にしておかなければならない。「火元」の現場検証が行われると出火原因が特定され、火災の構造が解明されるからである。ここに「内閣府は調査しない」とする安倍政権の真の意図がある。

 それでは、今回の「加計疑惑」の火元でありブラックホールである「内閣府」とはいったい如何なる組織なのか。内閣府は2001年に設置された新しい行政組織であり、もともとは政府内の政策の企画立案・総合調整の補助が業務とされている(官邸の)下部組織にすぎない。関係省庁の政策調整組織にすぎない内閣府がなぜかくも強力な影響力を行使できるようになったのか。その原因は、第2次安倍内閣が発足した2014年に内閣府人事局が各省庁の幹部人事を一括してコントロールできるようになり、強権を振るえるようになったことがある。これによって官邸は霞ヶ関の官僚の人事を全面的に握ることになり、そこから官僚を意のままに動かせるようになって、「忖度の行政」が一挙に各省庁に広がるようになったのである。

 「安倍1強」の政治権力が官邸や内閣府を駆使して国政の私物化を図る、それを典型的に表したのが「森友疑惑」であり「加計疑惑」だった(である)。しかし、安倍政権とそれに群がる公明、維新の会などの追随勢力は、いま現在においてもなお事態を隠蔽し、政権維持を図ろうと執拗に策動を続けている。天皇退位特例法が成立した日に「文科省再調査」を発表したのも世論の関心を逸らそうとした姑息な手段の表れであるし、国会を早晩閉会することで野党の疑惑追及を交わそうとしているのもその一環だ。

 自民党内では、首相は「初動操作」を誤ったという声が出ているという。「森友疑惑」「加計疑惑」への対応に当たって、安倍首相(夫妻)が身に降りかかる火の粉を払うために動揺を重ね、「初動操作」を誤ったことは容易に推察できる。しかし、それは「国政私物化」のなせる業であって、自業自得ともいうべき必然的結果にほかならない。国政の大義を担うことのできない政治家は、所詮「初動操作」の誤りを重ねていく以外に出口がないのであって、安倍政権はこれからも限りなく「操作ミス」を重ねて自滅に至るだろう。(つづく)

2017.06.11  安倍政権は民主主義を殺そうとしている
    世界平和七人委が「共謀罪」法案審議で緊急アピール

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 世界平和アピール七人委員会は6月10日、「国会が死にかけている」と題する緊急アピールを発表した。
  世界平和アピール七人委は、1955年、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長だった下中弥三郎の提唱により、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は武力で解決してはならないを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和実現などについて内外に向けアピールを発表してきた。今回のアピールは125回目。
 現在の委員は、武者小路公秀(国際政治学者)、土山秀夫(元長崎大学学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(慶應義塾大学名誉教授)、池内了(名古屋大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家)、髙村薫(作家)の7氏。

 アピールは参院で審議中の「共謀罪」法案に対する安倍政権の対応について論評を加えたものだが、「法案をほとんど理解できていない法務大臣が答弁を二転三転させ、まともな審議にならない。安倍首相も、もっぱら質問をはぐらかすばかりで、真摯に審議に向き合う姿勢はない」「政府は国会で、あえて不正確な説明をして国民を欺いているのである」と断じ、「安倍政権によって私物化されたこの国の政治状況はファシズムそのもの」「この政権はまさしく国会を殺し、自由と多様性を殺し、メディアを殺し、民主主義を殺そうとしているのである」と批判している。
 アピールの全文は次の通り。

                   国会が死にかけている

                世界平和アピール七人委員会
  武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晉一郎 髙村薫

 かつてここまで国民と国会が軽んじられた時代があっただろうか。
 戦後の日本社会を一変させる「共謀罪」法案が上程されている国会では、法案をほとんど理解できていない法務大臣が答弁を二転三転させ、まともな審議にならない。安倍首相も、もっぱら質問をはぐらかすばかりで、真摯に審議に向き合う姿勢はない。聞くに耐えない軽口と強弁と脱線がくりかえされるなかで野党の追及は空回りし、それもこれもすべて審議時間にカウントされて、最後は数に勝る与党が採決を強行する。これは、特定秘密保護法や安全保障関連法でも繰り返された光景である。
 いまや首相も国会議員も官僚も、国会での自身の発言の一言一句が記録されて公の歴史史料になることを歯牙にもかけない。政府も官庁も、都合の悪い資料は公文書であっても平気で破棄し、公開しても多くは黒塗りで、黒を白と言い、有るものを無いと言い、批判や異論を封じ、問題を追及するメディアを恫喝する。

 こんな民主主義国家がどこにあるだろうか。これでは「共謀罪」法案について国内だけでなく、国連関係者や国際ペンクラブから深刻な懸念が表明されるのも無理はない。そして、それらに対しても政府はヒステリックな反応をするだけである。
 しかも、国際組織犯罪防止条約の批准に「共謀罪」法が不可欠とする政府の主張は正しくない上に、そもそも同条約はテロ対策とは関係がない。政府は国会で、あえて不正確な説明をして国民を欺いているのである。

 政府と政権与党のこの現状は、もはや一般国民が許容できる範囲を超えている。安倍政権によって私物化されたこの国の政治状況はファシズムそのものであり、こんな政権が現行憲法の改変をもくろむのは、国民にとって悪夢以外の何ものでもない。
 「共謀罪」法案についての政府の説明が、まさしく嘘と不正確さで固められている事実を通して、この政権が「共謀罪」法で何をしようとしているのかが見えてくる。この政権はまさしく国会を殺し、自由と多様性を殺し、メディアを殺し、民主主義を殺そうとしているのである。

2017.06.08  安倍首相による国政私物化の3つの大罪
                               
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


 「森友疑惑」と「加計疑惑」に共通する特徴は、第1に、公私混同といったレベルを遥かに超えて、安倍首相・安倍政権による国政の私物化(お友達への利益供与、官僚機構の私物化)が進んでいることだ。第2は、安倍政権による国政私物化の事実が明らかになることを恐れて、国民主権の基礎である「知る権利」を乱暴に踏みにじり、公文書廃棄による情報隠しや御用新聞の活用による世論操作が組織的に行われていることだ、第3は、安倍首相の地位(個人的利益)を守るため、国権の最高機関である国会の審議を無視して野党の議論を封じ、翼賛与党による数の力で議会政治を崩壊に導いていることだ。

 「森友疑惑」は、昭恵首相夫人による籠池氏への異常とも言える肩入れ、すなわち籠池氏が推進する小学校(別名、安倍晋三記念小学校)設置に向けての個人的(私的)協力から始まった。昭恵夫人の名誉校長就任、首相夫人付職員による財務省など関係省庁への根回し、近畿財務局からのタダ同然の国有地売却など、事態は水面下で粛々と進められてきたのである。ところが地元豊中市議の奮闘によって疑惑が発覚し、動揺した安倍首相が、自身が関与した事実が明らかになれば「総理を辞める、議員を辞める」と広言したことから、事態は一大政局事件に発展した。

 こうなると、安倍首相は自らの地位を守るためには事件の疑惑を一切否定しなければならなくなる。ここから安倍政権による一連の策動が本格化し、財務省による籠池氏交渉記録など関係資料の「廃棄」、国会での野党質問に対する首相、財務省局長らの「知らぬ存ぜぬ」の一点張りの答弁、野党の国会調査権行使の妨害など、議会政治を崩壊に導く一連の「国政私物化プロセス」が始まったのである。

 だが、「加計疑惑」はもっとスケールが大きい。こちらの方は、安倍首相の「長年の友人」「腹心の友」である加計氏に対して国家戦略特区という国家プロジェクトまで動員し、官邸総ぐるみで加計学園の獣医学部新設を推進してきたという一大疑獄事件が発覚したのである。加計学園の獣医学部新設を実現するためには、地方創生担当相を指揮してこれまで周到に準備を進めてきた京都産業大学を蹴落とし(私は、同大学が鳥インフルエンザ研究の世界的権威を招聘した段階からこの経緯を知っている)、関係する農水省や文科省を強引にねじ伏せ、赤信号を青信号に変えなければならない。そこで首相補佐官や内閣府参与までを総動員して文科省に繰り返し圧力をかけ、加計学園のための「総理のご意向」を実現することに奔走したのである。

 ところが、「森友疑惑」は外部からの情報公開請求が事件発覚の切っ掛けだったが、「加計疑惑」の方は文科省内部から『総理のご意向』文書がリークされて発覚したところに大きな違いがある。いわば、安倍政権を支える官僚機構の中から、しかも事務方トップの文科省前事務次官が『総理のご意向』文書を本物と認定したのだからその影響は計り知れないほど大きい。安倍政権による国政の私物化が行政を歪め、「官僚の忖度」が歯止めの利かないところまで来ていることに危機感を覚えた1次官が、意を決して立ち上がったというのが真相だろう。わが国にも「官僚の矜持」を忘れていなかった人物が幸いにも存在していたのである。

 「森友疑惑」がまだ記憶に残っている時点で「加計疑惑」が発覚したことは、安倍政権にとっては一大打撃だった。慌てた首相官邸が御用新聞やラジオを総動員して前次官を総攻撃したことも、国民の反感に火に油を注いだ。国会では動かぬ証拠を突き付けられても「確認できない」「再調査しない」と白を切る一方、喋り放題の御用新聞やラジオには「単独出演」して、意の内を思いのままに報道させる。こんな公私混同を繰り返す首相に世論が我慢ならなくなり、国政を正常化しなければならない、国政を安倍政権から取り戻さなければならない、という声が次第に高まってきているのである。

 問題は、安倍首相に屈服する与党議員の凄まじいばかりの政治的退廃だろう。自民内部にはもはや正論(産経の『正論』ではない)を述べるまともな議員は誰一人残っていないし、自民にコバンザメの様に引っ付き、食い残しの餌をもらう公明の姿は醜悪そのものだ。国会討論でもテレビニュースでも歯の浮いたような自民追随の言葉を繰り返す公明幹部には、正直って反吐が出る思いすら覚えるのは独り私だけではあるまい。維新の会に至っては「大阪万博」の匂いを嗅がされただけで土下座してすり寄る有様は、まさに「浅ましい」の一言に尽きる。

 世論はまだ本格的に動いているとはいえない。しかし、最近の床屋話や飲み屋での会話など、私の周辺でも少なくない変化が感じられる。北海道新聞が5月26~28日の3日間に実施した調査結果によると、安倍内閣を「支持する」は4月の前回調査から12ポイント減の41%、「支持しない」は12ポイント増の57%だったという。北海道はもともと民主党の地盤でTPPなどアベノミクスに批判的な地域だからその結果にも頷けるが、6月1日に発表された日経新聞電子版「クイックVote」の調査結果には正直言って驚いた。内閣支持率は、なんと前回調査の52.1%から25.4ポイントもダウンして26.7%に急低下したのである。

 「クイックVote」は週1回、電子版の有料・無料の読者を対象に行っている世論調査で、その時々のトピックスが中心テーマになる。投票者の多くは大都市のビジネスマンだとされており、実は今度の投票には私自身も1票を投じた。おそらく同様な感じで投票した人が多かったので、そんな結果になったのだろう。日刊ゲンダイ(6月5日)は、有権者の投票動向に詳しい井田明大教授(計量政治学)のコメントを次のように紹介している。

 ―まず「クイックVote」の支持率が極端に落ちたのは、加計問題などに関心が高い人が投票したからでしょう。通常の世論調査はかかってきた電話に答える“受動的”なものですが、「クイックVote」は自分から動く“能動的”なものです。直近のニュースに反応しやすい。「北海道新聞」の調査の方は、これまで“消極的”に支持していた人が離れた結果でしょう。“消極的な支持”は崩れやすい。もともと北海道は、民進党の金城湯池だったこともあり、安倍内閣を消極的に支持していた人が多かった可能性があります―

 この先、大手紙の世論調査でどのような変化が起こるのか今のところは予測がつかない。しかし「安倍1強」の歪が民主国家の統治機構を破壊させるまでに達していることを鮮明に浮かび上がらせたのが、今回の「森友疑惑」「加計疑惑」の両疑惑コラボだった。遅まきながら、国民世論は着実に変化しつつあるのではないかと感じる。安倍政権による「1億総馬鹿社会」化に対抗するためにも、日本国民はもう一度自分の足元を見つめ直してほしい。

2017.05.30  米軍基地の沖縄集中は「本土による差別」
  日本復帰45年を迎えた沖縄県民のいらだち

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 5月15日は沖縄が日本に復帰して45年にあたる日だった。新聞各紙はこの日を中心に「沖縄の日本復帰45年」をテーマに特集を組んだり、社説を発表したりしたが、中でも最も私の心をとらえたのは、同月12日付の朝日新聞朝刊に載った、朝日など3社による沖縄県民世論調査の結果だった。そこで、沖縄の人たちが、在日米軍基地が沖縄に集中しているのは「本土による沖縄への差別だ」と訴えていたからである。「沖縄の人たちをこうした思いに追い込んだのは、私たち本土の人間が半世紀近くにわたって、この人たちの叫びに耳を傾けてこなかったからだ」。私は改めそう思わずにはいられなかった。

 この沖縄県民世論調査は、「朝日」、沖縄タイムス、琉球朝日放送の3社による合同調査だった。沖縄の日本復帰45年を前にした県民意識をさぐるのが目的で、4月22、23の両日、電話によっておこなった。対象は1967人で有効回答は896人。回答率は46%。

 調査における質問は13項目に及ぶが、その中に「今、沖縄県で最も重要だと思う課題はなんですか」という質問があった。それへの回答は次のようだった。
 基地問題33%▽教育・福祉などの充実28%▽経済振興19%▽自然環境の保全12%▽沖縄独自の文化の継承6%  

 沖縄県民の最大関心事は米軍基地問題なのだ。5月15日付朝日新聞の特集「沖縄復帰45年」によれば、1972年の沖縄日本復帰時の沖縄県における米軍基地面積は2万8660ヘクタールで、在日米軍基地の59・3%を占めていた。これに対し、2017年現在の沖縄県における米軍基地面積は1万8609ヘクタールで、在日米軍基地の70・6%を占める。米軍基地の面積は確かに減ったが、今なお全国の米軍基地の7割が沖縄に集中しており、基地問題での沖縄県民の負担はむしろ日本復帰時よりも増したと言える。
 
 日本復帰から45年、この間、沖縄県民は米軍基地の整理・縮小を訴え続けてきた。なのに、県民の願いはかなわず、むしろ、逆に米軍基地の機能は強化され、県民の負担も増えた。そのうえ、米日両国政府は、多くの県民の反対を押し切って、米軍普天間飛行場を辺野古に移すための新基地建設を始めた。これでは、「朝日」など3社による沖縄県民世論調査の「今、沖縄県で最も重要だと思う課題はなんですか」という質問に、「基地問題」と答えた人が一番多かったのも納得がゆくというものだ。

 ところで、この世論調査結果を見て私が最も印象に残ったのは、次の質問に対する回答である。
 質問は「本土に比べて在日米軍の基地や施設が集中していることは、本土による沖縄への差別だという意見があります。その通りと思いますか」。それへの回答は「その通りだ」54%、「そうは思わない」38%だった。沖縄県民の半数以上が「沖縄への基地集中は本土による差別だ」と思っているのだ。

 これは、沖縄県民による厳しい本土批判ではないか。
 沖縄の人たちは他人には優しく接し、他人への思いやりも深い。「守礼の民」と言われるほど、礼節を重んじる。だから、他人に厳しい非難や批判の言葉を発するのは極めてまれだ。とりわけ、本土の人には友好的な気持ちを抱いている。
 それ故、沖縄の人たちが「沖縄への基地集中は本土による差別だ」と回答したことに私は驚いた。沖縄の一県民が「沖縄は本土に差別されている」と話したり、書いたりしたことはあったかも知れない。が、過半数以上の沖縄県民がまとまって「基地集中は本土による差別だ」と意思表示したなんて私はこれまで聞いたことがない。そこで、私はこう思ったのである。
 「沖縄の人たちはこう言いたかったのではないか。半世紀近くも米軍基地の整理・縮小を訴え続けたのに、本土の政府は新基地建設を強行するばかりで、本土住民の大半も私たちの訴えに応えない。本土は沖縄に対しあまりに冷たいではないか、と」 

 思い当たることがあった。
 朝日新聞は4月15、16両日に「共謀罪」に関する全国世論調査(電話)を実施したが、そこには、「共謀罪」への賛否を問う質問とともに、辺野古に建設中の米軍基地についての質問もあった。それは「沖縄県にあるアメリカ軍の普天間飛行場を、沖縄県の名護市辺野古に移設することに賛成ですか」というものだったが、結果は「賛成」36%、「反対」34% だった。
 この数字に沖縄県民はショックを受けたのではないか。そして、こう思ったのではないか。「本土の人たちは、日本の平和と安全のためには日米安保条約が必要と考えている。だが、米軍基地は自分たちが住んでいるところでは引き受けたくない。ここは沖縄に犠牲になってもらうしかない、と思っているのだ」と。
 こうした思いが、世論調査での「米軍基地の沖縄集中は本土による沖縄への差別だ」との回答につながったのだろう。私はそう思わずにはいられなかった。

 それにしても、日ごろ強く自己主張をすることが少なく、他人をおもんばかる沖縄の人たちが本土の人たちに向かって「ものを言う」ようになったのは、これまで長らく本土と沖縄の関係を見てきた者には、決定的な変化と映る。そう思いながら、各紙の沖縄特集をめくっていたら、1つの寄稿文が目にとまった。5月15日付毎日新聞朝刊の沖縄特集に載っていた、『耐えがたい痛み』と題する、比屋根照夫・琉球大名誉教授の一文である。比屋根氏はこの中でこう書いていた。
 「チュニクルサッティン ニンダリーシガ チュクルチェ ニンダラン(他人に痛めつけられても眠ることができるが、他人を痛めつけては寝られない)。このように、そのころの沖縄は強く抵抗しながらも、自分の痛みを他人に移そうという気持ちはなかった。それが普天間飛行場の県内移設問題が持ち上がってからの20年間で『もう十分に痛めつけられた。痛みを分かち合ってほしい』と考えるようになった。土地や文化に自信や誇りを持つようになったことも背景にあるが、負担押しつけが沖縄の人の精神構造さえも大きく変えてしまった重大さに本土の人は気づかなければならない責務がある」
 「歴代の知事が『基地をなんとかしてほしい』といくら言い続けても『沖縄はこのままでいい』と考える政府と本土。復帰45年にして行き着いたのは越えがたい『深淵(しんえん)』だった」

 「朝日」などによる県民世論調査で、沖縄県民の半数以上が「沖縄への基地集中は本土による差別だ」と回答したのは、米軍基地がもたらす耐えがたい痛みを本土の人も分かち合ってほしい、という必死の訴えだったのだ。沖縄県民の、本土へのいらだちの噴出だったのだ。 

 沖縄県民にとって「耐えがたい痛み」となっている米軍基地問題。問われているのは、本土の人間の対応である。そう思って5月15日を中心とする各紙の沖縄の日本復帰関連の記事を読んでみたが、そうした視点から沖縄の基地問題を論じた紙面は少なかった。わずかに「朝日」と東京新聞の2紙が、沖縄の基地問題を本土の人間自らの問題としてとらえるよう論じていた。
 
 5月16日付の朝日新聞社説のタイトルは「沖縄復帰45年 犠牲いつまで強いるか」。それは、以下のような文で結ばれていた。
 「この島の人々の声に耳を傾けよう。まだ間に合う。政府は辺野古海岸の埋め立て工事を中止し、すみやかに沖縄県との話し合いの席につくべきだ。国民1人ひとりも問われる。無理解、無関心から抜けだし、沖縄の歴史と現実にしっかり向きあう。知ること、考えることが、政権のかたくなな姿勢を改めさせる力になる」
 5月14付の東京新聞社説のタイトルは「沖縄、統合と分断と」。その中で、同紙は「日米安全保障体制が日本と周辺地域の平和と安全に死活的に重要だというなら、その米軍基地負担は沖縄に限らず、日本全体ができる限り等しく負うべきでしょう」「私たちは、沖縄の歴史や苦難、そして今も強いている重い基地負担にもっと思いを致すべきでしょう」と述べていた。

両紙の主張をかみしめたい。