2017.08.22 ファシズムは死語になったのか(5)
―大岡昇平の戦争論を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 敗戦記念日に、先達の戦争論を読んだ。作家大岡昇平(1909~1988)の『証言その時々』(講談社学術文庫・2014年、親本は筑摩書房・1987年)である。「蘆溝橋前夜から今日に到る、私の戦争に関する意見の、ほとんど全部である(インタヴュは除いた)」と本書の「あとがき」にある。私(半澤)の印象に残った部分を次に掲げる。(/)は中略。

■わたしはひとりになった。静かに涙が溢れて来た。
反応が遅く、いつも人よりあとで泣くのが私の癖である。私は蝋燭を吹き消し、暗闇に座って、涙が自然に頬に伝うに任せた。
祖国は敗けてしまったのだ。偉大であった明治の先人達の仕事を三代目が台無しにしてしまったのである。/私は人生の半ばで祖国の滅亡に遇わなければならない身の不幸をしみじみと感じた。国を出る時私は死を覚悟し、敗けた日本はどうせ生き永らえるに値しないと思っていた。しかし私は今虜囚として生を得、どうしてもその日本に生きねばならぬ。
しかし慌てるのはよそう。五十年以来わが国が専ら戦争によって繁栄に赴いたのは疑いを容れぬ。して見れば軍人は我々に与えたものを取り上げただけの話である。明治十年代の偉人達は我々と比較にならぬ低い文化水準の中で、刻苦して自己を鍛えていた。これから我々がそこへ戻るのに何の差し支えがあろう。(小説『俘虜記』、一九五〇年三月

■日本国は再び独立し、勝手な時に日の丸を出せることになったが、僕はひそかに誓いを立てている。外国の軍隊が日本の領土上にあるかぎり、絶対に日の丸を上げないということである。捕虜になってしまったくらいで弱い兵隊だったが、これでもこの旗の下で戦った人間である。われわれを負かした兵隊が、そこらにもちらちらしている間は、日の丸は上げない。自衛隊の幹部なんかに成り上がった元職業軍人が神聖な日の丸の下に、アメリカ風なお仕着せの兵隊の閲兵なんてやってる光景を見ると、胸くそが悪くなる。恥知らずにも程がある。(「白地に赤く」、『東京新聞』、一九五七年六月一八日

■私は二十年前、一兵士として南方に送られ、戦争の惨禍を多少経験した。その経験を語ったこともある。現在作家として、アメリカに追随することによって生じた一時的繁栄の恩恵を受けている。しかし現に私と同じ国に生れ、同じ皮膚と目の色を持った若い同胞が、同じ恩恵を受けることにより危険な戦場に送られるのを見ていられない。二十年前、私は祖国がこういう事態に追い込まれようとは思いも及ばなかった。痛憤極りないといえば大袈裟であるが、幸い意見を述べる機会があるから、黙っていないのである。(「二十年後」、『潮』、一九六五年八月号

■毎年八月になるとわれわれはヒロシマとナガサキを思い出し、戦争のことが語られる。なぜだろうか。
二つの理由が考えられる。一つは戦争で受けた傷が、国民の中で生き続けているからである。国は建国以来はじめて降伏したが、三十年の後に、GNP世界第二位まで恢復した。しかし原爆被害者も戦死者遺族も十分に補償されていない。太平洋の方々の島にある遺骨は、まだ全部収集されていない。/三十年前の戦争を、政府がその後始末をしないために、国民は思い出さずにはいられないのである。
第二の理由として考えられるのは、戦後三十年、日本は憲法の平和条項のおかげで戦争をしないが、世界のどこかで戦争が行われているということである。それも東南アジアで続いていた。/ベトナムが終った現在、問題は再び朝鮮半島に戻って来た。米国務省は韓国における核兵器の配置を発表し、朴大統領は核開発を命令したと伝えられる。アメリカは核先制攻撃もあり得る、といった。
これは画期的な声明である。これまでは、核は相手の核攻撃を抑止するために開発させるのだ、というのが私の世代の歴史的常識である。/これがヨーロッパであれば大問題だったろう。白人国の間では絶対に行われない声明である。使われるのは戦術核という制限がついているが、これが全面戦争に展開しない保障はない。これは人類の滅亡を意味する。
/核戦争は今後、アジアでも起こり得るのだ。この意味は重大であって、もはや対岸の火事として眺めてはいられないはずである。

戦争は勇ましく美しいものとして語られていた。しかしいくら美化されていても、そこには一つの動かすことのできない真実がある。それはどんなに勇壮であっても、人が死ぬということである。/それは取り返し得ないことである。将軍や参謀はめったに死なず、死ぬのは大抵名もなき兵士である。豊かな将来がむなしくされるのである。/日本人が三十年前の戦争で、何をして来たかをふり返ることは、むろん過去をたしかめて、将来のそなえとするためである。(「私と戦争」、『週刊読売』、一九七五年八月一五日臨時増刊号

■国を愛する戦いで死ぬ兵士の犠牲の上に、満州や中国、東南アジアの諸国の物的人的資源の収奪の上に、国内的に市民の生活を潤すことができたのである。戦況不利となって物資不足によって生活が苦しくなった一九四四年までは、国民の戦意をあおり、米英に対する敵意をたもつことができたのであった。
戦後四十年たって、日本人はエコノミックアニマルと称して、中国、韓国、フィリピン、東南アジアに、企業が資本、技術輸出という別の形の収奪をなしとげている。今日のわれらの消費生活の豊かさは、それら収奪の上に築かれる、という同じ形が現れているのを、あの時意識しなかったように、今も意識しない。
戦後四十年、靖国神社の公式参拝は実現し、英霊は鎮まるであろう。そこで再び国のために命を捧げる若者を創り出さなければならない。/防衛費一%枠を早くはずして、軍事的威嚇を加えよう。最も豊かで賢明なアメリカの同盟国となって、戦闘的平和のために貢献しよう――戦後四十年の悪夢の構図である。早く目をさまそう。ふたたび、みずからそれと知らない大東亜の加害者になるのはよそうではないか。(「悪夢の構図」、『朝日新聞』、一九八五年八月一五日

以上が大岡の文章である。本書全体の1%ほどだ。
作家の死から30年が過ぎている。京大仏文で学んだ西洋、小林秀雄らとの交友、フィリピン戦場での実体験、日本戦後の無反省、高度成長という新たな侵略、米帝国主義の変貌。そういう歴史のなかに生きた大岡昇平の、反戦、ナショナリズム、反人種差別、の意識は変わらなかった。しかし現実は大岡の予想を超えて変わった。作家が描いた未来像の多くは2017年の現実である。(2017/08/16)

2017.08.12 安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(9)
―「受け皿」論は序の口である―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《まだ「高い」と言っているのか》
 「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の続きはどうした。読者にそう言われた。
最近の調査で安倍晋三内閣の支持率は暴落しているではないか。
たしかに、2017年8月3日の内閣改造後、支持率は平均して一桁の回復を示したがそれでも不支持率が上回っているし、安倍首相が信用できないという意見は増加している。決定打は加計問題だ。首相の説明に納得できない人の比率は80%に達している。閉会中審査を恥とも思わず、稲田や加計や虚言官僚の出席さえ拒んでいる。

意地を張る気はないが、どう見ても安倍内閣の命運は「詰んで」いて、本来なら総辞職して当然である。それなのに、30~40%もの「高い支持率」を保っている。だから私は「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の看板を下ろす積もりはない。

メディアは商売―視聴率や読者数―を考えて、安倍批判の言説をマブしているが、報道のベクトルは安倍政局の日程問題に横滑りして、真の対立軸や政治理念の問題に触れる様子はない。

《保守二大政党論と受け皿》
 私は2009年に起こった民主党の政権奪取は、結局は二大保守独裁体制の開始だと考えてきた。それには敗北主義であり冷笑主義だという批判もあった。勿論、民主党リベラルが、いくらかの改革を実現したことを評価しないわけではない。

鳩山由紀夫内閣成立後、約100日間の新聞一面には、新政権への期待感が大きな活字で踊っている。暇のある読者は当時の縮刷版でも一覧されるがよい。しかし沖縄普天間基地の「最低でも県外へ」論すら、外務官僚に騙された鳩山首相が、対米交渉のテーブルに置くことはなかった。政治は結果がすべてである。だから私は鳩山政権の失態を弁護するつもりはないが、あの政権の一部・一時期に燃えていた「対米自立」や「社民的政策」の志にいたるまで、蔑視して盥から流すのは、公平でないと思っている。

民主党政権の首相だった野田佳彦も、「都民ファースト」の小池百合子も「保守政治家」を自称している。しかし野田・蓮舫は「受け皿」たり得ず、小池百合子は受け皿たりえた。「受け皿」とい言葉の意味を吟味して使わねばならない。
我々も馴らされているメディアのいう「受け皿」とは、自民党別働隊の謂いである。公明党・日本維新・民進党の大半が受け皿の現役および予備軍である。今後、自民が割れての政界再編まで見通すのが「受け皿」論議の本質である。

二大政党の対峙、二大政党による政策競争、二大政党間の政権交代。冷戦終結を機に、我々が自覚も乏しく信じてきた「二大政党」の実態は、日本においては「一党独裁プラス優しげな補完勢力」部隊であった。日本だけではない。米・英・仏という先進民主主義国でも、二大政党は崩壊し、混濁と流動と分断の世界が示現している。

《リアリズムの戦いが始まる》
 戦後72年の今になってそんな迷いごとをいうのか。
そうである。仕方がないのだ。我々は課題への対決を延ばしに延ばしてきたのだから。

「大日本帝国憲法」の復活=対米隷従の国家主義。あるいは「日本国憲法」に拠る戦後民主主義の新生。我々は、今後数年のうちに、国際社会のリアリズムのなかに、このいずれかを、命の危険まで考えに入れて、選びとらねばならぬことになるだろう。無論、昔と同じ帝国でも戦後と同じ民主制でもない。

30年にわたるゼロ成長、国際比較での諸指標の地盤沈下、高齢者が半分になろうとする人口動態、各階層にわたる貧困者の急増。原発問題の行き詰まり。こういう環境が、選択の前提となるのである。幕末維新や大東亜戦争敗戦に匹敵する困難に我々は直面しているのである。(2017/08/07)

2017.08.11 次から次へと出てくる森友・加計疑惑の新事実
安倍内閣改造は政権浮揚につながらない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 安倍内閣改造直後の数日間、マスメディア各社による世論調査が一斉に行われた。調査実施日は、毎日、読売、日経、共同通信が8月3、4日、朝日が8月5、6日だ。内閣改造後の内閣支持率の動向は、各社によって相当の違いがあるとはいえ、いずれの結果も支持率が若干回復し、その分だけ不支持率が減るという傾向を示した。安倍政権は、これでひとまず内閣支持率が下げ止まり、「V字型」とまではいかないが、今後は着実に回復できると期待しているようだ。

 だが、いずれの調査においても不支持率が支持率を上回っていること、及び支持する理由が「これまでよりもまし」「ほかに適当な人がいない」といった相対的理由であるのに対して、支持しない理由が「首相が信頼できない」という絶対的理由である点が注目される。いわば、安倍内閣の支持基盤が不安定で流動的であるのに比べて、不支持を表明している世論の方がより確かな社会基盤を形成していると言っていいだろう。

 加えて、内閣改造後から次々と森友・加計疑惑に関する新事実が出てきていることも注目される。8月4日には森友学園(前理事長)の籠池夫妻が昨年6月、近畿財務局との国有地売買契約をめぐる交渉で、地中からごみが新たに出てきたと難癖をつけ、損害賠償請求をちらつかせて「0円で買いたい」(タダでよこせ)と要求していたことが発覚した(毎日新聞、8月4日)。

このやりとりをめぐる生々しい録音は、フジテレビでも流れた。妻の諄子容疑者が担当者に対して「鬼!」と怒鳴り散らすなど激しい剣幕で迫り、財務局側が土壌改良費としてすでに1億3200万円がかかっているので、それ以下では売れないとひたすら言い訳していたのが印象的だった。また、籠池容疑者が近畿財務局担当者に「ぐーんと下げていかなあかんよ」と求めたのに対して、担当者側は「理事長がおっしゃる0円に近い金額まで、私ができるだけ努力する作業を今やっています」などと応じている(朝日新聞、8月5日)。要するに籠池夫妻容疑者は、昭恵首相夫人の存在を「葵の御紋」にして近畿財務局を恫喝し、最終的には土壌改良費に僅か200万円を上積みしただけのタダ同然の価格で国有地を手に入れたのである。

既にそれ以前においてもNHKのスクープによって、近畿財務局が森友学園に対して「いくらなら出せるか」として事前交渉していた事実も発覚している。財務省の佐川理財局長(現国税庁長官)は今年3月、衆院財務金融委員会で「財務省が価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と答弁しているが、それが「真っ赤なウソ」であることが動かぬ証拠で明らかになったのである(朝日新聞、8月5日)。佐川氏は先月5日に国税庁長官に就任しているが、恒例の就任記者会見をいまだ開けないまでに追い詰められている。

次いで8月6日には、政府の国家戦略特区ワーキンググループ(八田達夫座長)が2015年6月、獣医学部新設提案について愛媛県と今治市からヒアリングした際、加計学園関係者が出席して質疑にも答えていたにもかかわらず、内閣府が公表した議事要旨には加計学園関係者の名前も発言内容も一切消されていたことが発覚した(朝日新聞、8月6日)。8日には、愛媛県がヒアリングの内容を非公開にすることを希望したとの部分が削られ、議事要旨が改ざんされていたことも明らかになった(同、8月8日)。ワーキンググループは7日、今後公表する予定の詳細な議事録においても、加計学園側の発言は「公式発言ではない」として掲載しない方針であり、ヒアリングの速記録についても「用済みになったので、今は存在しない」(破棄した)としている(同)。

 八田座長は今年7月、衆院予算委員会でワーキンググループは、「議事を公開している。一般の政策決定よりはるかに透明度の高いプロセス」であり、「一点の曇りもない」と言明した。安倍首相も今月3日、内閣改造後に出演したテレビ番組で「国家戦略特区ワーキンググループの議論はすべてオープンになっている」と口裏を合わせた(朝日新聞、8月6日)。しかし疑惑の渦中にある加計学園関係者の発言はおろか出席自体も議事録から抹殺しようとする動きは、まさに国民には「臭いものに蓋をする」行為だと眼に映る。「李下に冠を正さず」どころか、「盗んだ李を隠す」ような行為だと思われても仕方がない。

 今回の各紙世論調査の中で、私が注目したのは朝日新聞の結果だ。内閣支持率は、前回7月調査の33%から35%へ、不支持率が47%から45%へとほぼ横ばいで変わらなかった。これは他の各社の調査実施日が改造直後の8月3、4日だったのに対して、朝日はその2日後に調査をずらしたことの影響だろう。改造直後はニュースが溢れているので何だか内閣が変わったような印象を受けるが、3日目、4日目となると事態の構造が冷静に見えるようになる。その結果、内閣支持率があまり動かなかったのだ。

 加えて、加計学園に関する質問の中で、「加計疑惑が晴れた」6%に対して、「疑惑は晴れていない」が83%に達したことも注目に値する。「今回の内閣改造は、安倍政権の信頼回復につながるか」との質問に対しては、「つながる」26%、「つながらない」55%だったことも同様だ。つまり、加計疑惑(森友疑惑も含めて)を100%解明しない限り、安倍首相に対する信頼は戻らないのである。

 安倍首相が改造後の記者会見でお詫びの言葉を神妙に並べるのもよい。10秒近く頭を下げるパフォーマンスもいいだろう。でも、国民はもう騙されないと思った方がいい。世論調査の結果を素直に読めば、「論より証拠を示せ」とみんなが思っているのである。その目の前で凝りもせずに百日一日の如く「森友隠し」「加計隠し」を続ければどんな結果が待っているか、誰もがわかっているはずだ。「わかっちゃいるけど止められない」のであれば、国民に引きずり下ろされるだけの話なのである。

2017.08.08 「美しい国」造りにはモラルが必要なのです

宮里政充(もと高校教師)

1 総裁選で安倍総理が訴えておられたのが「戦後レジームからの脱却」と「美しい国」でした。「戦後レジームからの脱却」とは、日本が敗戦後六年八カ月もの間、連合軍に占領されていた時代にできた憲法を含む体制から脱却して、名実ともに日本が主権国家に生まれ変わるということです。

2 安倍政権下で「美しい国」を旗印としたとき、正直いってそれほどピンと来ませんでした。しかし、自民党が下野して民主党政権による不道徳極まりない政治を見せつけられると、いま一度「美しい国」という旗を立てるべきではないか、そして道徳的政治とは何か、有道、有徳の国のかたちを具体的に国民に示すべきではないかと思っています。

 上記の1・2の文章は稲田朋美著『私は日本を守りたい』(PHP研究所・2010・7・7刊)からの引用である。続いて、かなり長くなるが、櫻井よしこ著『気高く、強く、美しくあれ』(小学館・2006・8・20刊)から著者個人による日本国憲法改正案の一部、「憲法前文」を引用する。

 日本国は緑深い山々と豊かな海に抱かれた美しい国土に、国民統合の象徴である天皇を戴き幾十世紀もの悠久の歴史を積み重ねてきた。
 自然を畏敬し、命あるもの全てを慈しみ、穏やかな精神文明を育んできた日本民族は、ひとりひとりの国民を大切にし、人の和を尊んできた。上も下も睦びて人の和を以て国柄の基本となしてきた。
 遍く行きわたる教育によって国民は自らを律する倫理観を身につけ、秀れた文化を生み出し、産業を興し、比類なく豊かな社会を築いてきた。現在の日本国は、幾百世代もの昔からこの祖国を築き守ってきた先人たちの心の結実であり、日本国民は、日本を日本たらしめてきた日本文明を、未来世代にたしかに伝えていくものである。
 また日本国と日本国民はこの独立を自らの手で守るものである。正義と平和を実現し、それらを支える勇気と責任の醸成を以て、責任ある国家及び国民の使命と位置づける。日本国と日本国民は、自然を尊び人の和を基調とする日本文明を以て、二十一世紀の国際社会と人類のために貢献するものである。
 日本国民の至高の意志により、日本国の未来への決意を、ここに新しい憲法をもって宣言する。

 いまこの二人の文章を読んでみると、いわゆる右派の論陣を張る人たちが標榜する「美しい国」のイメージがある程度想像できる。そしておそらくそのイメージは稲田氏や安倍総理大臣をはじめとする「日本会議」のメンバーが共有している国家像なのであろう。ただ、櫻井氏の文章には戦争という悲惨な事実がすっぽり抜けているので、歴史のリアリティー感が薄い。特に沖縄で戦火をかいくぐって生き延びてきた私としては「それってどこの国の歴史なの?」と問いたくなる。そもそも「美しい国」造りを目指すにはその国造りの担い手(為政者)がまず美しく凛としていなければなるまい。さもなければ自分の倫理的な低さを棚にあげて上から目線で高圧的に強要してくる、つまり人間として最も恥ずかしく、「美しくない」姿を国民の前に露呈させることになるからだ。そうなれば主権者である国民はそういう為政者には政権の座から降りてもらうという行動に出る。当然のことだ。

 それにしても日本を「美しくしたい」人たちの美しくない言動には辟易する。教育勅語を暗唱し「安倍総理大臣がんばれ」と声をそろえる子供たちに感動の涙を流し、系列学園の名誉校長にまでなった昭恵夫人は自分の身に批判の目が向けられるようになってからずっと沈黙を守り続けている。櫻井よしこ氏はじめ、学園の講師に招かれた右派の論客たち(百田尚樹氏、青山繁晴氏、田母神俊雄氏、曽野綾子氏、渡部昇一氏、八木秀次氏ら)の誰一人として籠池氏夫妻を弁護しない。もちろん、詐欺罪で逮捕された籠池氏夫妻をかばうのはリスクが大きすぎるかもしれない。しかし、たとえ夫妻が罪を犯しているとしても、森友学園の建学の精神に賭けて何らかのコメントを発することはできないものなのだろうか。森友学園は今後経営困難に陥り廃校に追いやられるかもしれない。「そんなこと私には関係ない」という対応は果たして美しいのか? 稲田朋美氏は弁護士なのだから籠池夫妻の弁護を引き受けてはどうだろう。そうすれば彼女を凛とした美しさを備えた人間として認めよう。

 東京都議選の結果が出る前までの安倍総理の言動には目に余るものがあった。傲慢で、強権的で、野党のみならず国民を見下し欺く。その姿は美しい国のリーダーとしては最もふさわしくない、むしろ美しさとは真逆なものであった。私はテレビの画面でその姿を見るにつけ、ストレスがたまり、何か決定的な鉄槌を下す者はいないかと期待し続けていたものだ。その思いは私だけではなかったことが間もなく証明された。国民・都民はバカではないのである。

 日本が美しい国であることを望まない国民は一人もいない。櫻井よしこ氏の「憲法前文試案」を私は全否定するつもりはない。だが、氏が提唱する「美しい日本」を実現するにはその実現を担おうとする人たちに、人間的な力、倫理、モラルが恐ろしく欠けており、そういう人たちに将来の国づくりを任せるわけにはいかないと思う。あるいはそう思う私のほうこそ愛国者なのかもしれないではないか。(2017.8.2記す)

2017.08.03 森友学園の籠池夫妻が漸く逮捕された
籠池夫妻逮捕が財務省捜査につながるかどうかは内閣支持率の動向に懸かっている

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

2017年7月31日、大阪地検特捜部は、学校法人森友学園(大阪市)による国の補助金不正受給事件で、前理事長の籠池泰典容疑者と妻諄子容疑者を詐欺容疑で逮捕した。籠池容疑者は「天性の詐欺師」と言われただけあって、身体中のどこを叩いても埃が出てくるような怪しげな人物だ。とっくの昔に逮捕されていてもおかしくないのに、それが昨日までズルズルと引き延ばされてきたのにはそれなりの訳がある。

言うまでもなく、森友学園疑惑は籠池夫妻の単なる詐欺事件ではない。事件の核心は、近畿財務局(財務省)が安倍首相夫妻の意を受けて(忖度して)、国民の財産である国有地をタダ同然の安値で森友学園に払い下げしたという点にある。いわば、安倍政権による国政私物化の象徴が森友学園疑惑の核心であって、それが解明されるかどうかに国民の関心が集中しているのである。

検察は極めて世論動向に敏い政治的な権力組織だ。国民の意向を忖度する上ではどの省庁よりも敏感なアンテナを持っている。森友学園疑惑に関して言えば、それを籠池夫妻の個人的詐欺事件のレベルにとどめるのか、それとも財務省主導の国家的レベルの犯罪として捜査するかが判断の分かれ目になる。検察は、世論動向を見ながらその落しどころを探ってきたのだろう。それが籠池夫妻逮捕までにかなりの時間を要した背景だ。

しかし、籠池夫妻の逮捕だけはどうしても避けられない。放置すれば、「騙した方が得」ということになって法治国家の骨格が揺らぐからだ。だから、遅かれ早かれ籠池夫妻はいずれ逮捕されることになっていた。問題はそのタイミングである。私は、この8月3日に予定されている内閣改造直前に、籠池夫妻が逮捕されたことに重大な意味が込められていると考える。

今回の籠池夫妻逮捕は、森友学園疑惑を国家的犯罪の一環として財務省にまで捜査の手を広げるかどうかについて、検察が国民に投げかけた「リトマス試験紙」のようなものだ。国民世論が籠池夫妻逮捕だけで満足すれば森友学園疑惑はこれで幕引きになるだろうし、納得しなければ次のステージに移ることになる。その決め手になるのが内閣改造に対する国民世論の動向であり、有体に言えば、内閣支持率が上がるか下がるかによって、検察の次の一手が決まるということだ。

検察は「正義の味方」でもなければ「法の番人」でもない。国家統治機構(国家権力)の秩序と安定をまもることが最大の使命であり、そのためには犯罪を見逃すこともあれば、立件することもある。市民で構成される検察審議会が往々にして異議を申したてるのはそれゆえだ。とりわけ国家的犯罪ともなれば、国家統治機構の根幹を揺るがす可能性を秘めているだけに、それをどの程度の影響にとどめるか(逮捕するかしないか、逮捕するにしてもどのように立件するか)は、ひとえに検察の判断に懸かっている。

注目されるのは、大阪地検特捜部が近畿財務局関係者の事情聴取を始めているという情報が流れていることだ。NHK大阪放送局(社会部)がスクープした近畿財務局と森友学園との国有地払い下げに関する事前交渉記録の存在が明らかになったのである。大阪放送局には幸い政治部がないので、スクープした記録がそのままニュースに流されることになった(NHK大阪放送局がんばれ!)。ローカルニュースだけでなく全国ニュースでも流れたところをみると、政治部や上層部の妨害ももはやこれまでとなったのだろう。

検察はこの状況を注意深く見守っていると思う。世論動向を見間違えれば、検察庁の表看板にペンキが掛けられるようなことも起こり得るし、ロッキード事件のように田中角栄首相の逮捕にまで発展すれば、国民の拍手喝さいを受けることにもなる。籠池容疑者が「今日は田中首相が逮捕された日と同じ」と呟いたのは、森友学園疑惑を籠池夫妻逮捕という次元で終わらせるなという彼一流のアピールだったのだろう。

内閣改造人事については巷間様々な憶測が流れている。私たち国民には知るすべもないので拙速な予断は避けなければならないが、一つ言えることは、今後の内閣支持率の動向が森友学園疑惑解明のカギを握っているということだ。支持率が回復すれば検察は財務省追求の手を緩めるだろうし、支持率が回復しなければ次の一手である財務省捜査に着手するかもしれない。

防衛省では稲田大臣の辞任にとどまらず、防衛事務次官や陸上幕僚長の退職にまで発展した。財務省もこのままで済まされるとは思われない(思いたくない)。国税庁長官に栄転した前理財局長をはじめ、元近畿財務局局長など森友学園疑惑関係者は山ほどいる。この氷山の一角でも明らかになれば、後は芋づる式に事件の全容は明らかになる。

次回の世論調査は内閣改造後に行われる。国民世論が森友学園疑惑に対して如何なる審判を下すか、私は固唾をのんでその結果を待っている。

2017.08.03 苦境での内閣改造―政権生命弱体化が過去の事例
 

野上浩太郎(政治ジャーナリスト)

 安倍晋三とは、亡き父親の安倍晋太郎が外相のころ、その秘書官として修行中だった晋三と会って会話を交わしたことがある。その時の印象はとてもよかった。当時、すでに父君は内臓にがんを抱えており、折角の竹下登首相からの信頼と友情に包まれ、後継首相(自民党総裁)就任は確実視されていたのに、がんさえなければ惜しいことだと思いながらその息子と飯を食った。父君ががんであることは政治記者の間で広く知られ、しかも発生場所が膵臓という難しい部分だったために、それさえなければ念願の政府・与党のトップになれたのに「気の毒」という気持ちだった。それを隠しながら「それにしても、秘書をしている息子さんは好漢だなあ」と思った。それが1989年ごろのことだ。
 どういう好漢ぶりだったかといえば、「最近の若者にしては感じがいいなあ。謙虚さがあるなあ」という程度で、強い印象を受けたわけではない。1959-1960年、祖父の岸信介元首相による安保条約の改定強行採決に、一学生として怒り心頭、毎日のように国会周辺デモに加わっていたご縁で、食事をしながら「うーむ。これがあの60年安保をやった岸さんの孫か。それにしては好青年だなあ」と漠然と思ったような記憶を呼び覚まされた。不幸にして父の晋太郎ががんで亡くなれば、この好青年晋三が地盤を継いで楽に衆院総選挙に初当選し、国会議員になることは当然の成り行きであろう。
 幼い晋三が、渋谷南平台町にあった岸邸の中で「アンポ、ハンタイ」と叫びながら祖父の膝に飛び乗ったエピソードは祖父も晋三本人も書いたりしゃべったりしている。大邸宅とはいえ、全学連などは南平台にもデモをかけていたから、幼児の耳に自然にはいってこびりついたのだろう。
 そして50数年後のいま、晋三は「右翼のこころ」を支えに、祖父並みの右寄り政策を掲げて、内閣支持率の低落にあえいでいる。その典型が7月29日に辞意表明した稲田朋美の防衛相辞任表明である。誰が見ても、弁護士出身の稲田は防衛省を率いる識見も指導力も持っていなかった。その結果、在任1年も経たないうちに、とんでもない失言を重ねた。最もわかりやすい失言が都議選の応援演説の中で「自衛隊、防衛省、自民党」がこの候補を応援しているからよろしく、とやったやつで、現職の防衛相がこんな演説をやれば法律(公職選挙法)はもとより憲法そのものに触れることは子供にでもわかる。さすがに稲田は発言した夜に陳謝し取り消したが、これ以外にも危なっかしい失言を次々と重ねた。
 ところが失言や暴言のたびごとに、安倍は稲田をかばいにかばった。なぜか?お互いに筋金入りの右翼であり、同志だからである。特に右でも左でもない普通の市民感覚を持つ多数派市民から見れば、弁護士出身にしては発言のきめの荒さに驚くところだが、安倍からみれば「将来の総理候補」とさえ表現しても見当はずれではない人材であるらしい。
戦前から連日有楽町の駅前で右翼老人としてだみ声で演説してきた赤尾敏は、筆者が若手記者のころ、たまたまそばを通りかかったとき「ビートルズにあの大切な武道館を使わせるのは許せない」とののしった。武道館は日本の伝統を象徴する貴重な建造物で、そこでガチャガチャとやかましいビートルズごときが、歌いギターをかき鳴らすのは許すべきではない、というのが赤尾演説の趣旨だったようだ。ビートルズファンの若者の一人だった筆者は、苦笑しながら通り過ぎた。
その数年前、山口乙矢という17歳の少年が大きな短刀で演説中の浅沼稲次郎社会党委員長の腹部を二度三度と突き刺し、出血多量で事実上即死させた。山口の所属先は赤尾敏のグループで、なぜ浅沼の腹を突き刺して殺したかといえば、ビートルズに武道館を使わせるような左翼の誤った思想は許せないという赤尾老人の思想を狂熱的に信じたからだ。
 安倍は「お友達内閣」とか「お友達人事」を繰り返しているうちに、「一強」と呼ばれるほどの大勢力をかき集めた。だが、先の都議選で歴史的敗北を喫したうえ、同志中の同志、稲田おばさんにまで辞任されては一強も憲法改正もお笑い草だ。そうかといって内閣支持率の急降下ぶりを見る限り、近い将来、解散ー総選挙をやれば確実に自民党は議席を減らし、改憲に必要な3分の2さえ失われる。改憲の発議ができなくなる。8月3日に内閣改造人事を予定しているが、こういう状況の中で改造人事をやれば政権の存続生命は一気に脆弱化するのが過去の例だ。(8月1日記)

 だが安倍もすでに第1-2次にわたり、合計6年間の首相経験を積んでいる。普通なら、閣僚未経験者を数人はめ込むのがこれまでの首相のやり方なのだが、今回は政権の危機対応ともいうべき、中身のある人事を断行した。
 第一に野田聖子氏の総務相起用。第2次内閣の組閣の際には、野田への推薦人を削り、出馬できなくした。
 第二に、うるさ型の河野太郎氏の外相への起用。河野を評価する菅義偉官房長官の進言もあり、河野家伝統の「権力者への噛みつき」を恐れなかった。
第三に林芳正氏の文部科学相起用。彼は自信家で、いずれは首相の座をうかがう秀才だ。安倍がもっとも苦手とするタイプだが、あえて閣内のトラブル生産者となった文科相に引き込み、「林君のお手並み拝見」といったところだ。
これらの人事で、自民党内の鎮静化をはかった。

2017.07.28 安倍支持率急落―改憲を断念すべきだ
野上 浩太郎 (政治ジャーナリスト)

 都議選での自民党の歴史的惨敗は5年以上も「一強」として政権を維持してきた安倍晋三首相に致命的打撃を与えた。
 50数議席から「23議席」という歴史的惨敗は大ショックだったが、それでも安倍は見て見ぬふりで通り過ぎようとした。祖父の岸信介譲りの憲法改正(特に戦争放棄の9条改正)を究極的ターゲットに,周辺に「お友達」右翼勢力をひきつけながら記録的な長期政権を存続させるーという安倍改憲戦略である。
 どうやらこの戦略は限界を露呈した。都議選の惨敗は「首都東京とはいえ大規模な地方議員選挙に過ぎない」という右翼独特の暴力的論理で乗り切ろうとしたが、そこは幼稚園から大学まで家庭教師の助けで成蹊を過ごした「甘さ」がマイナス方向に作用した。
 右翼思想団体の「日本会議」に内側を固めさせながら、首相官邸に通産・財務・外務などから秀才官僚を集め、各省の幹部人事まで安倍官邸が取り仕切るーという異例の采配である。派閥の力の均衡を政権運営のてことする、長く続いた自民党のやり方はこれまで成功してきた。安倍本人は育ちの良いソフトなイメージが周囲の抵抗感を緩和するが、ほとんどあらゆる事柄を取り扱う内閣官房長官は、若き日に秋田からリュックを背負って上京してきた菅義偉氏が持ち前のこわもて方式で守り抜いた。
 吉田茂・元首相の孫の遊び人,盟友麻生太郎副総理兼財務相が「安全パイ」として支える。こちらは、自らの政権運営には失敗したものの、安倍が一期目の総理ポストを投げ出した際の難病「潰瘍性大腸炎」が再発する可能性に期待しており、早めの退陣があれば「スワ」と老体に鞭打って政権を引き継ぐつもりだ。そのため,祖父吉田茂が固めた軽武装・経済成長路線を保守本流として引き継ぐ宏池会の大同団結を図った。そのために宮沢喜一、河野洋平、加藤紘一らリベラル色の強い人脈を排除し、無色透明の岸田外相を後継者のリーダーに据えた。みずからは不良老人であるから80歳すぎの政権バトンタッチならこなせる、と内心期待している。
 だが都議選惨敗直後、安倍にとって予想を上回る事態が続いた。50-60%を堅持してきた内閣支持率がすさまじい速さで低落し、一部は26%台(毎日)にまで下がった。都議選で圧勝したのは小池ゆり子都知事が巧みに釣り上げた「都民ファースト」の素人集団だが、素人集団が自民党を叩き落としたパワーは安倍への都民の不満がすさまじく鬱積していることを示した。続いて地方都市でも同じ現象が起きていることを示したのが仙台市長選である。(了)

筆者紹介:
元共同通信社政治部長。著書に、中公新書「政治記者」、中公新書ラクレ「現代政治がわかる古典案内」


2017.07.21 稲田防衛相のPKО日報に関する国会虚偽答弁の発覚で、安倍政権の内閣改造作戦は台無しに
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 京都では祇園祭の季節を迎えて連日猛暑が続いている。昨年の祇園祭は「くじ改め」(山鉾巡行の順番を確かめる儀式)の前で観覧する機会に恵まれたが、今年はさすがの暑さに閉口してパスし、家の中に引きこもっていた。なのに、政界では安倍政権の失態が次から次へと暴露されて火が噴き、熱気はますます高まる一方だ。

 7月19日の各紙朝刊は、防衛省が南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報を「廃棄」したとしながら陸上自衛隊が保管していた問題で、稲田防衛相が日報保管の事実を知りながら、防衛省・自衛隊幹部が事実を非公表にするとの方針を了承していたと伝えている。

 稲田氏はその後の国会で、日報が陸上自衛隊で保管されていた一連の経緯については「報告を受けていない」と説明し、「改めるべき隠蔽体質があれば私の責任で改善していきたい」とまで踏み込んで答弁していた。答弁は真っ赤なウソで、事実は、防衛省・自衛隊の最高幹部が集まった今年2月の緊急会議で、「廃棄」されていたとする日報が保管されていたことを公表するかしないかの討議が行われ、稲田防衛相が組織全体で公表しない(隠蔽する)ことに同意していたのである。

 稲田氏は、これまでもしばしば虚偽答弁の疑いで国会の追及を受けてきた。森友学園の顧問弁護士に就任していた事実も当初は「ない」と言い張り、法廷に出廷していた事実を突きつけられて漸く答弁を撤回し、自分の記憶に基づいて答弁したのであってウソをつくつもりはなかったなどの詭弁で、その場を切り抜けてきたのである(安倍首相が任命責任の追及を恐れて罷免しなかった)。

  今回も稲田氏は7月18日、このニュースを流した共同通信社の取材に対し、2月の緊急会議で非公表の方針を了承したかどうかの事実関係については、「ご指摘のような事実はありません」と書面で回答している。また19日午前には、防衛省で記者団に対し、日報を陸上自衛隊が保管していた問題について「隠蔽(いんぺい)を了承したとか、非公表を了承したとかいう事実はまったくない」と真っ向から否定した。菅官房長官も記者会見で、稲田氏から18日夜、電話で隠蔽を否定する報告を受けたことを明らかにし、「しっかり調査し、今後とも誠実に職務にあたってほしい」と激励したと言う。ウソの上塗りを平気で重ねる稲田氏や菅氏の態度は、ナチスのゲッペルス宣伝相も「真っ青」というところではないか。

 事柄の真偽は、今月24日に予定されている閉会中の予算委員会審議の場で明らかにされるであろうが、その前に稲田氏が辞任して雲隠れすることも予想される。新たな防衛相の任命はまずないだろうから、安倍首相あたりが防衛相を兼任することになるかもしれない。しかし、その場合においても安倍首相は説明責任および任命責任を厳しく問われることになる。国民の疑惑には丁寧かつ真摯に説明すると言っただけに、この際、これまでの国会審議のような居直りやすり替えは一切通用しない。針のむしろに座るほかないのである。

 安倍首相自身は「悪い時には悪いことが重なる」と思っているだろうが、このことは決して偶然に起こったことではない。これまでお友達内閣の度重なる弊害には目をつぶり、国政私物化の事実や責任を一切取ろうとしない積年の弊害が、ここにきて一挙に表面化しただけのことだ。来るべき時が来たのであり、自民党が安倍首相に追求が及ばないようにどれだけ野党の質問時間を削っても、国民は見るべきところを見ている。国民の信頼を失った首相はもはや「水に落ちた犬」同然なのであり、溺れるほかはないのである。

 とはいえ、予算委員会審議を何とか乗り切って水辺に這い上がったとしよう。そこで待っているのは、内閣改造という次の難関だ。安倍政権は支持率が落ちるたびに内閣改造を繰り返し、表面だけを変えて国民の目をごまかしてきた。でも、そんな姑息な方法はもう通用しない。死に体になった安倍政権と心中するような馬鹿な政治家はいないだろうし、いたとすれば、それは「閣僚不適格」の人材が集まるだけの話だ。すでに改造前の世論調査においてさえ、内閣改造に「期待しない」が過半数に達している。改造後の世論調査ではさらに決定的な民意が示されるだろう。

 思えば、長い道のりだった。だが、「権力は腐敗する」「絶対権力は絶対に腐敗する」との格言通り、安倍政権はいま音を立てて瓦解しつつある。各社の世論調査では支持率が30%台に急落し、不支持率が50%台に急上昇している。中には支持率が20%台に落ち込んだ結果もあらわれてきており、支持率回復の目途は全く立たない状態だ。「信なくば立たず」の世論の恐ろしさを初めて味わった安倍首相に対して、残された道は総辞職しかないだろう。有終の美を飾るといった表現には似つかわしくない人物であるが、「野垂れ死にだけはするな」との最期の言葉を送りたい。

2017.07.13 これは単なる思い過ごしなのか?
  
宮里政充 (もと高校教員)

 安倍晋三首相は「日本を取り戻す!」と叫んで第二次安倍内閣を発足させた(2012年12月26日)。彼のいう「日本」がどういうものなのかは閣僚人事やNHK経営委員の人選(いわゆるお友達優遇人事)、安保法制や共謀罪法案の強行採決、憲法「改正」への前のめりの姿勢など、実に分かりやすい形で明らかにされてきた。彼は日本会議(「美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を推進する民間団体」)を中心とする右派イデオロギーを背景に、日本という国を限りなく明治という「美しい国」に近づけていこうとしており、しかもそれを自分の在任中に成し遂げたいと思っている。私は国民がそういう安倍首相の政治思想や乱暴な政治手法に次第に慣らされていくことの危機感を持ち続けてきた。

 ところが、東京都議選の結果、自民党は惨敗した。国会運営の強引さ、森友・加計問題の真相究明回避の姿勢、連日マスコミを賑わせる閣僚や自民党国会議員の失態やスキャンダル、そして安倍首相自身の、国民に対する傲慢な姿勢――これらがいわば度重なるオウンゴールとなったのである。都民はこの目に余る現状に対し、都政を一挙に飛び超えて安倍政権に鉄槌を食らわせた。私の危機感はすっ飛んだ。だがそれは一瞬のことであって、私はむしろ以前よりも強い危機感を持つようになった。

 小池百合子都知事は安倍首相同様日本会議の会員であり、日本の核保有については、月刊誌『Voice』(2003年3月号)誌上における田久保忠衛氏(日本会議現会長)、西岡力氏(東京基督教大学教授)との鼎談の中で、「軍事上、外交上の判断において核武装の選択肢は十分ありうる」と発言し、その4年後には安倍第一次内閣の防衛大臣に任命された人物である。
 都知事選で自民党と袂を分かつ結果になったとはいえ、政治思想は安倍首相と首相を取り巻く「お友達」に極めて近い。さらに、彼女の腹心の部下である野田数(かずさ)氏は2012年、日本国憲法無効論に基づく大日本帝国憲法復活の請願を東京都に提出した人物である。彼はその請願書の中で「国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄」すべきだと主張した。そして、小池百合子都知事は都議選で圧勝した翌日、彼女の一存で、「都民ファーストの会」の代表を彼に譲った。

 おそらく彼女は今後「都民ファーストの会」を軸にして新党を立ち上げ、国政へ進出するだろう。そして、そこへ国会議員をはじめとして多くの野望家が群がってくるのは容易に想像できる。最近の各世論調査(朝日・毎日・読売・NHK・日本テレビ)すべてが、ついに内閣不支持が支持を上回る結果を出した。政界再編もあるかもしれない。しかし、民進党を中心とする野党の勢力が伸びない限り、所詮は保守・右派同士の内輪もめに過ぎない。日本右傾化の流れはとどめようもないのである。

 小池百合子氏が日本の総理大臣になる日は来るのだろうか。私は、「自民党はもう終わった」と言い放った舛添要一氏を擁立して東京都知事に当選させた自民党なるもののしたたかさを思い出している。勢力関係によっては小池百合子氏を総理大臣に仕立て上げることなど、この党にとってわけもないことだ。そうなった場合、「小池百合子総理大臣」は安倍総理大臣とちがって憲法9条だけでなくもっと本格的な憲法「改正」への道を巧妙にたどり始めるだろう。まさか大日本帝国憲法を持ち出してくることはあるまいが。
 私の危機感は単なる思い過ごしなのだろうか。 (2017.7.11記す)
2017.07.11 核兵器禁止条約採択を心から歓迎する
世界平和七人委がアピール

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 核兵器禁止条約が7月7日、ニューヨークの国連本部で開かれた条約交渉会議で採択されたが、このことに関し、世界平和アピール七人委員会が同10日、「核兵器禁止条約採択を心から歓迎する」と題するアピールを発表した。
  世界平和アピール七人委は、1955年、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長だった下中弥三郎の提唱により、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして発足し、国際間の紛争は武力で解決してはならないを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和実現などについて内外に向けアピールを発表してきた。今回のアピールは126回目。
 現在の委員は、武者小路公秀(国際政治学者)、土山秀夫(元長崎大学学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(慶應義塾大学名誉教授)、池内了(名古屋大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家)、髙村薫(作家)の7氏。

 アピールは、採択された核兵器禁止条約を「核兵器廃絶に向けての大きな一歩」であり、「被爆者、日本国民にとっても大きな喜び」と評価する一方で、「日本国政府が自ら背を向けて退席し、国連本部外で行われた核兵器保有国と核の傘に固執する少数国の会合に参加し、さらに『条約には署名しない』と改めて表明したことは、歴史に残る汚点であり、核兵器廃絶を目指す世界の人たちに対して恥ずべき行動だった」と批判している。
 アピールの全文は次の通り。

核兵器禁止条約採択を心から歓迎する
世界平和アピール七人委員会


武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晉一郎 髙村薫
 私たち世界平和アピール七人委員会は、核兵器禁止条約交渉会議のホワイト議長をはじめ、今回の条約成立に力を尽くしてきた諸国と国際赤十字、多くのNGO、そして広島・長崎の被爆者、世界各地の核実験の被害者の長年の尽力に心から敬意を表する。

この条約が国連加盟193か国の3分の2に近い賛成122票、反対1票、棄権1票で採択されたことは、核兵器廃絶に向けての大きな一歩であり、長年にわたりその実現を願い、努力を続けてきた被爆者、日本国民にとっても大きな喜びである。

 大量破壊兵器である核兵器の持つ非人道性は議論の余地がなく、放出される放射線の影響は目標にとどまらず地球全体に広がり、長期間にわたって被害を与え続ける。日本国政府が戦争で核兵器を使用された唯一の国として貢献できる機会に自ら背を向けて退席し、国連本部外で行われた核兵器保有国と核の傘に固執する少数国の会合に参加し、さらに「条約には署名しない」と改めて表明したことは、歴史に残る汚点であり、核兵器廃絶を目指す世界の人たちに対して恥ずべき行動だった。

 自らの核兵器保有と核の傘依存を続ける一方で、他国の核兵器開発の糾弾を続けることは、非難の応酬を加速させるばかりか、核兵器使用の危険性を増大させ、国民の安全保障を損なうものであって、核兵器廃絶への道ではない。私たちは、日本国政府を含む不参加国が態度を変えて、現在と将来の世代のために、核兵器のない世界を実現させるこれからの行動に参加することを求める。