2017.09.20  臨時国会での冒頭解散が前原民進党を直撃する、野党共闘か野党再編か、民進党の立ち位置が問われる
        
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 この9月28日、野党各派が要求してきた臨時国会が漸く召集されることになった。憲法53条で規定された国会開催手続きを無視して3カ月余も引き延ばした挙句、安倍政権がここにきて急きょ臨時国会を招集するのはなぜか。国会は言うまでもなく重要案件の審議のためにある。野党各派が森友疑惑や加計疑惑の解明のために速やかな国会開催を求めてきたのはそのためだ。

 ところが、安倍首相は国民に丁寧に説明すると言いながらいっこうに審議に応じようとしない。応じようとしない(できない)のは、両疑惑についての新たな事実がその後次から次へと暴露され、これまでの政府答弁がもはや成り立たなくなっているからだ。安倍政権は、首相が説明すればするほど国政私物化の疑惑が深まり、国民の信頼がますます失われるという四面楚歌の状態に陥っているのである。

 この窮地を脱するには森友・加計疑惑から国民の目を逸らし、時間稼ぎをして記憶が薄れるのを待つほかはない。それも単なる時間稼ぎではなく、国民の関心を大きく逸らすような(出来るだけ)大掛かりなものでなければならない。それには一挙に衆院解散に打って出て、北朝鮮の核開発やミサイルの脅威を最大の争点にして総選挙に勝利し、ガラガラポンと禊(みそぎ)をするのが一番だ...。多分こんな戦略が練られたのだろう。

もちろん選挙は相手があることだから、野党の選挙態勢が整っているかどうかも解散時期を判断する重要条件になる。この点で、最大野党の前原民進党が発足直後から迷走を続けていることの影響が大きい。10月22日の衆院3補選が目の前に迫っているというのに、前原氏はいっこうに野党共闘の話し合いに応じようとせず、「地域のことは地域の事情に任せる」と逃げを打っているからだ。

加えて9月17日、共産党を除く3野党党首会談が予定され、臨時国会に向けた統一会派結成が議論される予定になっていた(毎日、9月18日)。これは明らかに、これまで積み上げてきた野党4党首会談の申し合わせ事項を破棄し、野党共闘の枠組みを変えるための動きに他ならない。衆院解散に機先を制されて中止の破目に追い込まれたものの、これで前原民進党の基本路線が明らかになったと言ってよい。「共産抜きの野党共闘=部分的野党共闘」が前原氏の目指す基本方向であることがはっきりしたのである。これなら「民共共闘」に反対する党内保守派の離党も引き留められる、党内の結束も保てると踏んだのであろう。

だが、統一会派構想が総選挙直前になってご破算になったように、共産抜きの野党共闘路線で果たして選挙戦を戦えるのか、前原氏に確信があるわけではない。まして目前に迫った衆院3補選はもとより、同時に行われるかもしれない総選挙情勢からしても、民進党主導の部分的野党共闘に勝算があるわけではない。また共産党の側からしても、政党間での本格的な申し合わせが成立しない限り野党候補の一本化に協力することは難しいし、仮に野党候補の一本化が実現したとしても「名ばかり野党共闘」となって有権者の信頼は得られないだろう。そんなことをすれば政党の体面に傷がつき、総選挙での惨敗が待っているだけだ。

この他、安倍政権が冒頭解散に打って出るもう一つの理由に、小池新党がそう簡単にはまとまらないという野党間事情も関係している。たしかに「都民ファーストの会」は都議選で圧勝したが、それが全国版として通用すると考えるのは浅はかすぎる。目下、小池氏側近の若狭衆院議員が盛んに動いているが、こんな政治経験の浅い人物が新党結成の核になるなどとは誰も思っていない。だいいち「政治のしがらみを断つ」といったレベルの政策で、自民党とも民進党とも異なる保守政党を立ち上げられると思っていること自体が荒唐無稽そのものだし、若狭氏自身も大衆を引き付けるだけの魅力やカリスマ性に欠けている。この程度の人間しか小池氏の側近にいないとしたら、もうそれだけで小池新党の行く末は見えている(この点で大阪維新を立ち上げた橋下氏のキャラは際立っていた)。

安倍政権が野党共闘の乱れや小池新党の準備不足に乗じて冒頭解散に踏み切り、たとえ勝利しても、安倍政権の喉元に刺さった森友疑惑と加計疑惑の骨が決して抜けるものではない。私は、安倍首相が加計学園獣医学部の新設をチャラにしてでも総選挙に打って出るのではないかと予想していたが、これは外れた。「腹心の友」を切るだけの勇気が安倍首相にはなかったのだ。それとも首相と加計氏との関係がすでに「刎頚之友」レベルにまで達していて、加計氏の頸を斬れば自らの頸にも撥ね返ることを恐れたからであろうか。要するに、安倍首相には「肉を切らせて骨を断つ」だけの決断力がなかったのである。

 しかし安倍首相の決定的な誤算は、籠池夫妻という類まれなカップルを昭恵夫人が不用意に近付けたことだった。この夫妻は(関西では)知る人ぞ知る人物で、一度食いついたら死んでも離さない種類の(蝮のような)人間として知られている。「安倍晋三記念小学校」設立に賭ける彼らの執念は凄まじく、それは安倍首相や昭恵夫人の思惑を遥かに超えるものだった。しかしこのことを見誤ったのは、安倍首相夫妻だけではない。安倍首相の意向を忖度して動いた財務省や国土交通省の役人たちも同様に、籠池夫妻の執念を見誤っていたのである。

 このところ各紙(大阪本社版)では、森友疑惑が大きくクローズアップしてきている。大阪地検特捜部は9月11日、籠池夫妻が大阪府・大阪市の補助金を詐取したとして追起訴した。すでに起訴した国の補助金詐取や未遂分を含めた立件総額は2億150万円に上り、これで補助金不正操作は一応終了した。だが、これで捜査が一段落したわけではない。財務省近畿財務局の役人たちが国土交通省近畿地方整備局と結託して国有地をタダ同然で森友学園に売却した背任容疑や、学園との交渉記録を廃棄した証拠隠滅容疑の捜査はこれから本格化するのである(毎日、9月12日)。

籠池夫妻の人並み外れた執念は、財務省や国土交通省との交渉経過をすべて音声データとして記録していたことにもあらわれている。籠池夫妻はこの音声データを昵懇のジャーナリストに託し、捜査が進展するにつれて少しずつマスメディアにリークするように指示していたのだからタダ者ではないのである。音声データはまずテレビ局のトークショーで流され、次に各紙が入手してその裏を取り、最終的には大阪地検特捜部も入手して捜査資料に加えているとされる。

おそらく交渉に当たった近畿財務局や近畿地方整備局の役人たちは、籠池夫妻がこれほどの周到な準備をして交渉に臨んでいたなどとは夢にも思わなかったことだろう。役人たちの前で籠池夫妻が恫喝まがいの大声で喚きたてたのは、夫妻の品性もさることながら、録音を隠蔽するために準備された巧妙なパフォーマンスだったことが推察される。目の前で大声で喚かれれば役人たちはそのことに気を取られ、それ以外のことは目に入らなくなるからである。まさに絵に描いたような田舎芝居ではないか。

 安倍政権は、前原民進党の迷走や小池新党の停滞に乗じて冒頭解散に踏み切るだろう。国会での疑惑追及が行われないこともあって、内閣支持率はこのところ少し回復してきている。だが、国民を甘く見てはいけない。たとえ総選挙で勝利しようとも、森友疑惑と加計疑惑の骨は抜けない。この骨を抜き取るには、安倍政権が退場する以外に道がないことを安倍首相は早晩思い知るだろう。
2017.09.15  効目のない国連決議、危機を深める安倍従属外交
  ――八ヶ岳山麓から(235)――

阿部治平(もと高校教師)

わたしが思うに、戦争抑止力とは相手国に攻撃意図をもたせないことである。非軍事手段では相手国との交渉を通して信頼関係を構築し、戦争開始を企図するほどの敵意をやわらげること、軍事的には侵略の能力と意図とをもつ相手を圧倒する戦力を示し、それによって相手の侵略意図をくじくことである。
アメリカは大規模な米韓合同軍事演習を毎年展開し、さらに斬首作戦を公然と唱えて、北朝鮮を抑えようとしてきたが、なんにも効果はなかった。北は依然核実験とミサイル発射で対抗している。
イラクやリビアの政権がアメリカの手によって潰されたとき、サダム・フセインは絞殺され、哀れにもその一族も殺された。カダフィは銃撃戦の末捕えられ惨殺された。北朝鮮の金氏集団がこれを避けようとするのは自然のなりゆきだと私は思う。
ある強大な国家が安倍政権を極右だからという理由で、「悪の権化」とか「ならずもの」と定義し、対日貿易を極度に制限し、航空母艦を日本近海に展開して、いつでも核攻撃ができると軍事的圧力をかけ、あげく安倍晋三の首を取る作戦の準備をしているといったら、わが日本人は何をどうすればよいのか。

北朝鮮による6回目の核実験を受け、国連安全保障理事会(15カ国)は9月11日夕(日本時間12日朝)、新たな制裁決議案の採決を行い、全会一致で採択した。北朝鮮向け原油輸出は現状規模を超えない範囲とし、石油精製品輸出も年間200万バレルまでに制限し、北朝鮮の主要輸出品である繊維製品の輸入は全面禁止、するなどが柱である。北朝鮮に対する制裁決議はこれで9回目となった。
ただし強力な制裁に慎重な中国とロシアの同意を取り付けるため、アメリカの原案にあった石油の全面禁輸は見送られた(毎日ネット、2017・09・12)。
この決議には北朝鮮は内心ほっとしているだろう。
安倍晋三政権は徹底した制裁を主張するトランプ政権に追随し、これを国連決議にすべく、滑稽なほどに関係各国の間を跳ね回った。9月11日菅官房長官は、「厳しい制裁措置」を含む安保理決議の採択が重要だとの認識を強調したが、あまり厳しくない安保理決議にはさぞかしがっかりしたことだろう。だいたい、石油禁輸が何をもたらすか、考えたこともないのじゃないか?
そもそもアメリカの対北朝鮮制裁原案は、我々日本人がいや応なく歴史を思い出さずにはいられないしろものだった。78年前、中国を侵略し大陸市場を独占しようとした日本に、アメリカは中国から手を引かせようとして経済制裁を強化し、石油の輸出を禁止した。1941年、追詰められた日本は暴発した。石油の備蓄があるうちに対米戦争に勝ってしまえとなって、真珠湾攻撃を敢行したのである。

すでに、8月30日付の中国環球時報は、「ミサイル発射と圧力行使の悪循環をこれから何回くりかえせばよいのか」という論説で、米日韓は安保理決議で朝鮮にさらに制裁を課そうとしているが、それは何の役にも立たないことは明らかだと、「厳しい制裁措置」を拒否していた。いまさら環球時報にいわれなくても、これは日本人のほとんどがわかっている。
アメリカの原案通りの決議が通過したとしても、それが北朝鮮への抑止力になることはない。ましてや、今回の制裁決議では北朝鮮の経済に影響があるとしても、核・ミサイル開発に影響が及ぶことはない。北はワシントンやニューヨークに届く核搭載ミサイルの完成まではやるだろう。「金正恩政権は雑草を食ってでも核・ミサイルを開発しつづける(プーチン露大統領)」からである。

トランプに朝鮮半島の平和へのロードマップがあるのか。そんなものは持ち合わせていないのじゃないか。だとすれば今回の制裁決議がアメリカの国益にとって不利に働く、と彼が考えたとき、政治顧問の制止を振り切って粗暴で危険な戦術を選択する恐れはかなりある。
そのときも安倍政権は一貫してアメリカに追随するのだろうか。
北朝鮮はアメリカに追随する日本に対して、より強い敵意をもっている。すでに日本にある米軍基地攻撃を公言し、ミサイルが島根だか広島だかの上空を飛ぶぞと脅し、宇宙空間とはいえ北海道上空を飛ばしてみせた。次は東京の上空を飛ぶかもしれない。
安倍政権は宇宙空間を飛ぶ北ミサイルの危険を煽り、八ヶ岳西麓のわが村でも「J-アラート」なるものが、ミサイル避難のために「丈夫な建物か、地下へ避難せよ」と指示した。これには村人も思わず「何をこいてやがる」とわらった。いったい安倍政権の外交政策によって、日本がより安全になったといえることがひとつでもあるのか?

我々大衆は、北朝鮮の核・ミサイル開発を止めさせるには、石油の全面禁輸が決定的だと思わされている。だがこれは主として中国とロシアによってだけ可能な対策である。しかも中国とロシアだけにその結果を引受けさせる、じつに身勝手な政策だった。これが今回の国連決議で避けられたのは好いことだ。
トランプと安倍晋三は、石油の全面禁輸の結果生まれる混乱をどうするつもりなのか、まったく考えていない。トランプはこれを求められたら、カネ勘定をして「まあ全部中国とロシアに引受けていただきましょう」というだろう。中露両国がアメリカの原案を受入れなかったのは、ここにも原因がある。
金正恩は太っているが、北朝鮮人民に肥満はいない。彼の国は食料だの電気だのが十分ではない。貿易の制限だけでも、いま以上に人民の生活を苦しくする。石油全面禁輸となれば大勢の人々が餓死から逃れて中国に密入国する。だが、中国は経済制裁の結果うまれる年間万単位の難民を全部送還することはできない。
アメリカの制裁決議原案を国連決議にしたかったら、日米両国政府は北朝鮮難民をすべて引き受けると公言するのが筋だった。そしてそれを自国民に納得させるべきだったのである。

トランプは金氏集団の危機感を明確に認識していないように見える。地政学的位置からすれば、日韓はこれをアメリカにわからせるべき立場にある。本来なら、北朝鮮にたいしても核とミサイルではなく、平和的手段によって政権の確実な安全を図ることができると説得すべき立場にある。
だが、日本の歴代政権はアメリカに追随するばかりで外交らしい外交をしたことがないから、今かりにそれをやろうとしても説得力がない。文在寅政権は北との対談を試みたが、いまのところ何の成果もなく、新たなミサイル配備を余儀なくされている。安倍政権は、朝鮮半島の緊張を奇貨として、軍事費を史上最高レベルに増やそうとしている。

私は、今回の国連制裁決議よりも実効ある方法は中国の提案だったと思う。中国は「(北朝鮮の核実験・ミサイル発射と米韓による軍事演習の)『双方暫定停止』、そして対話を通じて各当事国の安全保障上の関心をバランスよく解決する」ことが必要だという
これは日米韓側からすれば、合同軍事演習の中止だけでなく、とりあえずは北朝鮮の核保有を認めざるをえないことを意味する。だが、それでも仕方がない。国際社会はイスラエルやインドやパキスタンの核を非難していないのだから、北が核を持つという状況を一時的になら認めてさしつかえはあるまい。日本が北のミサイル攻撃目標になるよりずっと賢明な方法である。
日米両国政府はこの現実をあるがままに認めて、そのうえで対応策を練るしか手はないと思う。
(2017・09・13記)
2017.09.12  東京都議選で民進党東京都連を解体させた連合が、今度は「民進党解体=野党再編」に乗り出した、野党共闘の解体は民進党の解体に通じる
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 民進党の「花」、山尾志桜里氏がW不倫疑惑で離党表明をした9月7日、前原代表は新執行部を引き連れて東京・神田の連合本部を訪れ、来る総選挙の支援要請をした。どんな話が行われたかはつまびらかではないが、前原氏は「働く者の立場で政治を行い、自民党に代わる選択肢をしっかり示すのでよろしくお願いします」と述べ、連合の神津会長は「前原代表には大変に期待している。連携の度を高めていきたい」と応じたという(朝日、9月8日)

連合といえば、今年7月の東京都議選では民進党を脱党して小池氏が率いる「都民ファーストの会」に走った候補を支援し、民進党東京都連の解体に手を貸したことで知られる存在だ。それが今度は前原新代表と手を組んで野党共闘を解消し、小池新党との連携を促進しようとするのだからただ事ではない。前原氏が山尾問題で右往左往するなかで取りも直さず連合本部に駆け付けたのは、それだけ連合の影響力が増している証拠だろう。

民進党の最大の支持団体である連合は、安倍政権の政策を実質的に推進する(労働団体の皮を被った)政治団体でもある。国の重要政策では、連合と安倍政権との間にはほとんど相違が見られない。原発政策に関しては電力業界のエージェントとして原発再稼働を強力に推進し、原発反対運動に対しては地元首長選挙などを通して身体を張って阻止する。連合出身の国会議員を多数民進党に送り込み、党内右派として野党共闘分断に奔走する。憲法改定の協議を始めることに賛成し、党内右派を激励する...などなど、自民党そこのけの活躍ぶりなのだ。

挙句の果ては、反対が強くて国会で2年以上も棚曝しされていた「高度プロフェッショナル制度=残業代ゼロ法案」を安倍政権との密室取引で成立を図ろうとして、傘下の産別組織や地方組織の猛烈な反対に遭うなど、表向きにも裏向きにも「働く者の立場」とは真逆の行動をとり続けている。高プロ制度をめぐる密室行動については、傘下組織から「連合はいったい誰を代表しているのか」と質されたが、もはやその実体は「経団連の下部組織=財界の別動隊」としか言いようがない。

そんな極め付きの連合が、蓮舫時代にはギクシャクしていた民進党に急接近しているのはなぜか。朝日新聞は「連合が民進との関係修復に動いた背景には、共産と距離を置いた上で、小池氏らを巻き込んだ野党再編を視野に入れている前原氏の姿勢がある」と分析しているが、まさにその通りだろう。連合の神津会長は、前原氏も同席した9月6日の広島市内の集会で「(民進党を)離党しても連合は応援してくれると勘違いしている人がいるが冗談ではない」と強調し、先月離党した細野衆院議員に支援打ち切りを伝えるなど、一転して前原体制を支える姿勢を鮮明にしたという(朝日、9月8日)。

これまで連合は、東京都議選の延長線上に野党再編の構図を描いていたと思われる。つまり、共産党を含む野党共闘に反対の民進党右派議員を離党させ、小池新党と合流させて強力な「保守補完勢力=第2自民党」をつくる政治シナリオが検討されていたのである。長島衆院議員や細野衆院議員がその先鋒隊として離党し、その後若狭氏らと新党結成についての協議を重ねているのはそのためだ。ところが、前原氏が民進党の新代表に選出されるや事態は一変したのである。わざわざ右派議員を離党させなくても、民進党全体を野党再編の方向へ引っ張っていける可能性が生まれたからだ。

可哀そうなのは、ハシゴを外された細野氏らだろう。日経新聞9月7日によれば、「5日に連合本部を訪れた細野氏は離党した理由について、党の前執行部が進めた共産党を含む野党共闘に不満があったなどと説明し、今後の支援継続を求めた」という。ところが予想に反して、神津会長は「推薦は取り消さざるを得ない」と拒否し、また党を除名された長島氏にも同様の対応を取ることを明らかにしたという。

東京都議選では連合東京が民進党離党者を支援し、国政選挙では連合本部が離党者は支援しないというのだから、これは矛盾そのものでありご都合主義もいいところだ。しかし、これを連合の野党再編の立場に立って考えるとキッチリと辻褄が合うのだから面白い。要するに、連合が民進党を支援するのは「保守補完勢力」を作るのに役立つか役立たないかであって、都議選では「都民ファーストの会」がその突破口になると睨んだので、民進党東京都連を解体してまで都民ファーストに入れ込んだのである。

一方、連合が細野氏をはじめとする「離党予備軍」に対して支援打ち切りを言い渡したのは、前原氏の方が民進党全体を野党再編の方向へ引っ張っていけると踏んだからだ。前原体制を支えることが野党再編の力になると睨んだので、「離党先鋒隊」を容赦なく切ることで「離党予備軍」を牽制し、前原体制を支えることを表明したのである。

先日、前原氏の動静に詳しい京都のジャーナリストと意見交換をした。彼は、目前に迫った衆院3補選で野党(民進党)が全敗すれば前原体制は失速する。だから、野党再編の方向に直ちに踏み切ることはない。当面は「部分的野党共闘」を維持しながら、党内体制が整い次第共産党とは手を切ることになるだろうと言った。

常識的に考えればそうかもしれない。しかし私は、神津会長の意気込みからして、すでに連合と前原氏の間には野党再編の方向について何らかの約束が交わされているのではないかと推測している。そうなると、前原氏の命運を握る連合との約束をそう簡単に破ることはできないだろう。山尾氏の不倫疑惑によって前原体制は出だしから大打撃を受けた。だがこれを逆手にとって、衆院3補選での敗北は山尾疑惑の所為だとすり替え、野党共闘を拒否して再編への舵を切るという裏技も考えられる。

野党共闘の破棄は民進党の解体に通じる、と私は思う。自公与党と変わらない政策を国民に押し付けるなど不可能なことだ。野党共闘が民進党を消滅させるのではなく、野党再編がその幕を引くのである。
2017.09.11  ファシズムは死語になったのか(7)
  ―中島岳志著『親鸞と日本主義』を読む

半澤健市 (元金融機関勤務)

《麻原彰晃は往生できるか》
 本書はリベラル保守を自称する論客中島岳志(なかじま・たけし)が「日本主義と親鸞」の距離を測定した作品である。一九九五年、地震被災後の神戸で、二〇歳の中島は吉本隆明の「ヨブ記」と題する講演を聴いた。そこで吉本は、親鸞について多くを語った。講演後、中島は質問祇に「親鸞は悪人正機を説きましたが、親鸞だったら麻原彰晃は往生できるというでしょうか」と書いた。吉本の答えは「間違いなく、往生できると言うでしょう」であった。「思想の凄み」に触れた中島は、これを機に吉本の著作に没入していく。その頃、中島は「理性の限界」という問題にぶつかり、保守思想に接近して西部邁、福田恆存、エドマンド・バークを読んでいた。吉本ショックから、保守主義者の「理性」への懐疑と、論理的な親鸞の「自力」への懐疑が、中島のなかでスパークし、その統合を目指そうと考える。数年をかけて中島は仏教徒の自覚を持つことになった。

《日本主義との格闘のこと》
 戦前の「日本主義」は、中島の思想的格闘の対象であった。
「日本主義」とは、天皇を中心とした国体を信奉する国粋的イデオロギーである。当時の国家主義者―田中智学、北一輝、石原莞爾、井上日召―には日蓮宗徒が多かった。中島からみると、彼らは保守主義から遠い「設計主義者」であった。中島の考えでは、理性よりも経験や歴史を重んじる「保守主義」と理性を信ずる「設計主義」は対照的な存在である。
ある日、中島は「原理日本」のリーダーの一人三井甲之(みつい・こうし)が親鸞主義者であることを知る。親鸞の徒も日本主義者であることを知り、中島の関心は本書のタイトル「親鸞と日本主義」へと拡がっていくのである。以上は本書「序章」の要約である。

本書の大半は、中島が日本主義者と考える知識人・宗教者の言動と彼らの言説の批評によって構成されている。対象は次のような人々である。
暁烏敏(あけがらす・はや)、亀井勝一郎、金子大栄、倉田百三、小林杜人、蓑田胸喜(みのだ・むねき)、吉川英治、山崎俊英、真宗教学懇談会。
この幾人かを私(半澤)は名前さえ知らなかった。
彼らが、アジア・太平洋戦争をどう捉え、どのようにその正当化に関わっていったか。中島の読み込みと分析はスリリングであり大きな知的刺戟を受ける。是非本書を手にして内容に当たって欲しいと思う。

《真宗エリートの討論が圧巻》
 中でも興味深いのは、一九四一年二月に行われた教学懇談会である。三日にわたる真宗大谷派の会議のテーマは、「国家神道」対「真宗教学」の理論闘争であった。
平たくいえば、「天皇と親鸞とどちらが偉いのか」、「聖戦は仏法に照らして正当化されるか」などが論点である。大谷派の戦争への態度を決定する会議である。
彼らは、「仏と神の関係(本地垂迹)」、大日本帝国は「穢土か浄土か」、「真俗二諦」論(真諦=仏法的真理と俗諦=世間的論理)、などを論点として神道の「帝国」と真宗の「浄土」との関係をどう位置づけるか、の熟議をおこなった。

その結論は、天皇と神道の優位であり、親鸞と真宗は神道空間に包摂された。聖戦への協力が仏教徒の使命であると宣言された。時流に乗った声の大きい勢力が勝った。
論争の経過を読むと、論争当事者の論理とともに、倫理(=精神の強さ)が厳しく試されたことがよく分かる。真宗教徒は、この理論闘争を通して聖戦のイデオローグへ「転向」した。ただ中島は事後一方的な「転向」断罪には慎重である。

《国体論と親鸞思想の親和性》 
 本書の「終章」は「国体と他力―なぜ親鸞思想は日本主義と結びついたか」と題されている。そこでは、この両者が本来的に結合の種子を孕んでいたという結論が示される。本文は精緻な分析が続くが、私(半澤)は次のように大括りしたい。

国体論は水戸学と国学に別れる。両者はナショナリスティックな性格で共通しているが、決定的な断絶がある。水戸学は秩序意識が強く徳川体制を自明の前提としていた。明治維新に直接に結びつく思想ではなかった。
中島は、橋川文三をひいて吉田松陰にみられるように国体論は「封建制を超えた一般的な忠誠心」を見いだし、その対象を天皇に求めたというのである。橋川はいう。
■日本人にとって形成される政治社会の主権が天皇の一身に集中されるとき、他の一切の人間は無差別の「億兆」として一般化される。論理的には、もはや諸侯・志大夫・庶民の身分差はその先天的な妥当性を失うこととなる■

一方、国学は本居宣長のいう漢意(からごころ)のない世界、すなわち大和心(やまとごころ)を理想とした。中島は、宗教学者阿満利麿(あま・としまろ)に拠ってこう理解する。宣長の浄土真宗との関係は深く、その影響を強く受けていた。宣長のいう「神の御所為(みしわざ)」は、法然の「阿弥陀仏の浄土」と同種のものである。天皇制ユートピアを描いた「国体論」と「他力の世界」を同一視する論理に肯定的な中島はこう結論する。
■多くの親鸞主義者たちが、阿弥陀如来の「他力」を天皇の「大御心」に読み替えることで国体論を受容していった背景には、浄土宗の構造が国学を介して国体論へと継承されたという思想構造の問題があった■

《歴史的な文脈・原典への回帰》
 本書に欠落があるとすれば、国体論に転向した真宗宗徒が、戦後どのように自己総括をしたかに、ほとんど言及がないことである。特に真宗大谷派の自己批判があったのか、なかったのか。読者として不満が残る。 

「ファシズムは死語となったのか」という文章を書いてきた私は、最近の世間の風潮をみるにつけ、本物の国体論や右翼の言説に立ち戻り検証する必要を感じている。中島書はその一冊として読んだ。私の蟷螂の斧はどこまで立ち向かえるか。(2017/09/07)

中島岳志著『親鸞と日本主義』(新潮選書、2017年8月刊)、1400円+税
2017.09.04  前原新代表選出で民進党はどうなる、野党再編か野党共闘か
広原盛明関西在住 都市計画・まちづくり研究者

民進党代表選翌日の9月2日、各紙は前原氏の代表選出を大きく伝えた。その中で目立ったのは、前原新代表の選出で民進党が野党再編に向かうのか、野党共闘を継続するかについての観測記事だった。各紙の社説と主な見出しを紹介しよう。

【朝日新聞】
「社説、前原民進党 愚直に、一歩一歩前に」「民進 存亡かけた船出、前原新代表 持論の増税・改憲 党内に火種」「小池氏らと再編? 共産と共闘継続? 両方に分裂リスク」

【毎日新聞】
「社説、民進党新代表に前原氏、『ど真ん中』の空白埋めよ」「民進代表に前原氏、枝野氏 要職起用へ」「前原氏 背水の船出、民進新代表 多様な意見どう結集」「野党再編見通せず、枝野氏善戦、融和を優先」

【読売新聞】
「社説、野党共闘の見直しが試金石だ」「民進代表に前原氏、共産と協力『見直しも』、枝野氏破る」「野党再編 道険し、前原新代表 非自民 3度目の挑戦、連携 小池氏か『民共』か」「枝野氏『善戦』 人事影響か、国会議員票 大差つかず、『党員票』前原氏に軍配」

【日経新聞】
「社説、党再建へのラストチャンスだ」「民進代表に前原氏、野党再編 やまぬ憶測、『非自民』受け皿目指す」「前原氏、背水の再登板、増税や原発なお火種、党結束、幹事長人事も焦点」

【産経新聞】
「社説、前原新代表、党再建は危機の直視から」「前原氏 霧深し、なお離党予備軍・どうなる民共共闘」

【京都新聞】
「社説、前原新代表、危機感持って党再生を」「民進新代表に前原氏、野党共闘見直し検討、枝野氏に執行部入り要請」「京滋の民進党所属国会議員『前原氏、党立て直しを』、野党再編の期待吸収、『非共産』路線に共感、枝野陣営『策に溺れた』」「福祉充実、増税逃げず、党内融和へ保守色封印、野党共闘 難しい対応」「民進新代表に前原氏、対案路線 党内結束、京都各党 手腕に注目、共産、共闘可能性探る」

各紙を一通りざっと読んでみたが、予想に反して論調にさほど大きな差はなかった。もちろん野党共闘とりわけ「民共共闘」に否定的な読売・産経・日経各紙は、前原氏が野党再編を通して保守2大政党へ舵を切ることに対する強い期待を示しているものの、それが民進党の解党につながり、政局が一挙に流動化することまでは望んでいない。民進党の解党と小池新党の立ち上げが重なることで、この先どんな政局になるか、まだ見極めがつかないからだ。

一方注目すべきは、これまで野党共闘を支援してきた朝日・毎日両紙の論調がここにきて大きく分かれたことだ。朝日が野党勢力や幅広い市民団体などとの連携が不可欠であり、その結集軸をつくる野党第1党としての民進党の責任を強調するのに対して、毎日は「ど真ん中」との表現で民進党が「穏健な保守政党」へ回帰し、その延長線上に野党再編に突き進むことを推奨している。これが1論説委員の個人的意見なのか、それとも毎日新聞全体の総意をあらわす主張なのか、もう少し時間をかけてみないとわからないが、もしそうであるなら毎日新聞の変質にもつながりかねない大事件だと言わなければならない。

とはいえ、各紙が思い切って社説を展開できない背景には、目前に迫った青森・新潟・愛媛の衆院3補選をはじめ、安倍政権に対する国民の批判票がどのような形で現れるか依然として予想がつかないからだ。内閣改造効果を狙った内閣支持率の回復も思わしくなく、森友疑惑・加計疑惑を覆う「黒い霧」はいっこうに晴れる気配がない。安倍政権の刺さった骨は喉元深く食い込み、抜こうとしても抜くことができない。安倍政権に対する国民の不信感は、民進党内のゴタゴタや野党の敵失で雲散霧消するほど浅くはないのである。

だが、安倍政権内ではこの混乱に乗じて一気に総選挙に打って出る「ガラガラポン」戦略が検討されていると聞く。「加計学園獣医学部新設」と言う安倍政権の喉元に深く食い込んだ骨を抜くために、獣医学部新設構想をいったん棚上げして総選挙に打って出ると言う「サプライズ戦略」が練られているというのである。真偽のほどはよく分からないが、森友学園の籠池理事長をトカゲの尻尾切りよろしく切り捨てたように、加計学園の加計理事長もこの際一挙に始末し、安倍政権の再浮上を図ると言うのだからただ事ではない。政界は一寸先が闇なのだ。

前原氏の地元・京都でも、最近になって衆院選向けのポスターが一斉に張り替えられた。私の近所(京都3区)でも自民、公明、民進、幸福党などの候補者ポスターが目立つようになり、総選挙の匂いが充満してきている。「民共共闘は死んでも阻止する」と断言する民進党京都府連の面々は意気軒高だ。前原氏を政治の師と仰ぐ京都4区の北神衆院議員などは、民進党代表選の決起集会で共産党との共闘を「赤いモルヒネ」と呼び、「手を出したら骨の髄まで蝕まれる。京都の我々は一番よく分かっている」と言い放った。前原氏も「どの部分がとは言わないが、私の本音を話してくれた」と述べたという(朝日、2017年9月2日)。

いずれにしても、民進党が態勢を立て直し次のステージに移る前に総選挙が行われる可能性が極めて高い。前原新代表はその渦中で翻弄されて体力を消耗し、総選挙後には見る影もない状態に陥ることも予想される。民進党代表選は「嵐の前の序曲」にすぎないのであり、これから嵐の中に突入することになるのである。
2017.09.01 ファシズムは死語になったのか(6)
―それは何色の服を着てくるのか―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式は、毎年9月1日に墨田区の都立横網町公園で行われる。小池百合子都知事は、今年からその式典への追悼文の送付をやめた(『東京新聞』、2017年8月24日)。

《歴史をゆがめるのはだれか》
 石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池(昨年)の各氏も、してきたことをやめるのである。都側は、9月1日と3月10日(東京大空襲)の大法要に知事が出席しているから追悼文は不要だと答えている。今年3月の都議会で自民党議員が、朝鮮人「六千余名、虐殺」の根拠は不明として「知事が歴史をゆがめる行為に加担する行為になりかねず、追悼の辞の発信を再考すべき」と問うたのに対し、小池知事は「毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答えた。都側もこの質疑が方針見直しにつながったと認めている。追悼文送付停止が「適切」と知事は判断したのであろう。
当時朝鮮人留学生の調査結果を上海の「大韓民国臨時政府」の機関紙「独立新聞」が載せた。東京新聞は、そこにある「六千六百六十一人」が根拠とされたとみている。

私は図書館で、『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房・1963年)という646頁の大冊を手にとってみた。政府、警察、民間、滞日外国人らによる、膨大な資料が集積されている。数時間の拾い読みで「六千余名、虐殺」は明確だと私は断定できない。しかし印象は、実際は遠からぬ数字だろうというものである。

《吉野作造という民本主義者》
 『現代史資料』で目にとまったのは吉野作造の論考である。
大正デモクラシーの旗手だった東京帝大法学部教授の吉野は、朝鮮人虐殺に関して三つの文章を書いた。「労働運動者及社会主義者圧迫事件」、「朝鮮人虐殺事件」、「朝鮮人虐殺事件に就いて」である。
最初の二つは、改造社の「大正大震災誌」寄稿用に、東大新人会出身の社会主義者で娘婿の赤松克麿に調べさせたものである。前者「労働運動者及社会主義者圧迫事件」は、震災の混乱時に、労働者や社会運動家が不法行為の容疑、あるいは理由もなく検束された際に、弁護士に取り調べの実態を語った記録である(■から■)。
拷問の様子が生々しい。

■「此の時、私は目もくらみ、人の顔は判らず、唯だ言葉だけを記憶しております。正気づいた時には、井戸のポンプの音が先ず耳に入り、気がつくと、水をかけられて居りました」(藤沼栄四郎・鋳物工・43才)

「私が労働組合に加盟して居て、メーデや失業者防止運動や過激法案反対運動に参加したことを述べ、(略)樫の棒で、肩頸の辺を所嫌わず撲りつけました。蜂巣賀(特高)はビンタを張り靴で蹴るなどしました。私は目はくらみ、耳は遠くなり苦痛に堪え難くして遂に昏倒しました」(南厳・旋盤工・22才)■

《大正デモクラットの強さ》
 二番目の「朝鮮人虐殺事件」は、メディア報道、官憲の通牒、帝国議会の質疑などの吉野自身による紹介である。なかで特記すべきは「朝鮮罹災同胞慰問班」という組織から得た資料の内容である。東京近郊、関東・長野の各地での虐殺犠牲者の数が克明に記録されている。震災後二ヶ月の10月末までで、その数は2613人に達している。上記二つの文章は吉野にも「公開」は不可能であった。ファシズムの時代の入り口にいたからである。表現の自由が息絶えようとしていたからである。

しかし、最後の一つだけが「朝鮮人虐殺事件に就いて」と題して、『中央公論』(1923年11月号)に掲載された。吉野は「親交ある一朝鮮人より聞いた」という話法で、震災時の流言飛語の発生、それを信じた自警団による朝鮮人虐殺、説明なしに検挙され何日も拘留された朝鮮人、について述べている。さすがに「特高」(特別高等警察)の拷問については書けなかった。しかし朝鮮人への謝罪と反省の必要を語っている。この文章から一節を掲げる(■から■、「/」は中略を示す)。「根本問題に就いて考えさせられる」を私は植民地支配への批判と読んだ。

■我々は平素朝鮮人を弟分だといふ。お互に相助けて東洋文化開発の為めに尽さうではないかといふ。然るに一朝の流言に惑ふて無害の弟分に浴せる暴虐なる民族的憎悪を以てするは、言語道断の一大恥辱ではないか。併し乍ら顧ればこれ皆在来の教育の罪だ。
/もう一つ考へて置きたい事は、仮令下級官憲の裏書があったとは云へ、何故にかく国民が流言を盲信し且つ昂奮したかといふ点である。/鮮人暴行の流言が伝つて、国民が直にこれを信じたに就いては、朝鮮統治の失敗、之に伴ふ鮮人の不満と云ふやうなことが一種の潜在的確信となって、国民心裡の何所かに地歩を占めて居つたのではなかろうか。果して然らば、今度の事件に刺戟されて、我々はまた朝鮮統治といふ根本問題に就いて考へさせられる事になる。■

《尺取り虫のように歩いてくる》
 話は戻って小池百合子知事である。彼女が顧問をつとめる「都民ファーストの会」都議は、メディアの個別取材を受け付けず、全員宛のメディア・アンケートには同文の回答が出てくるという。敏捷な機会主義者に率いられ、個人の意見が封殺された政治家集団が都議会の真ん中に座っている。しかも緑色の好きな女性は、「国民ファーストの会」を、つまり総理大臣になるのを、ゴールにしているらしい。人々にとっての警戒警報の段階は過ぎているのだ。

兵庫県の進学校では、「従軍慰安婦」記載の多い中学校教科書―勿論文科省検定済み―を採用して批判を浴びている。権力は尺取り虫のように出口を塞いでくる。これがファシズムだと判ったときはもう遅い。(2017/08/25)

2017.08.29 民進党代表選挙に望むこと
――八ヶ岳山麓から(233)――

阿部治平(もと高校教師)

民進党の代表選挙がはじまった。だが、8月22日の共同記者会見はあまりぱっとしなかった。
枝野、前原両氏とも自民党とここが違うというところをどーんと前面に出して論戦するという姿勢がなかった。メディアの報道にも責任があるかもしれないが、違いばかりが目立って、憲法改正、安全保障とりわけ沖縄の辺野古問題、対北朝鮮問題、社会保障政策、教育政策、アベノミクスに代る経済政策など国民が関心をもつ分野での具体策がなかった。

民進党が今日国民に信頼されなくなったのは、民主党政権時代の失政に原因がある。いまや、だれが民進党代表になっても、国民は民進党が自民党に代わる受け皿になるとは思っていない。その原因の一つは、あなた方が民主党政権時代の失政を分析し反省し、それを国民に明らかにして謝罪することがなかったからだ。
沖縄米軍基地問題で鳩山内閣の方針がずるずる後退したとき、枝野・前原両氏はどんな態度だったか。どうすればよいと思っていたか。また尖閣近海で中国漁船を拿捕した時の前原の「粛々と裁判をやる」といった発言とその後船長の釈放というみっともない措置、東電福島第一原発事故の時の放射能汚染の実態隠し、「人体に直接の影響はない」と繰返した枝野氏の対応、石原慎太郎氏に振り回された野田氏による尖閣国有化など。あれで良かったのか悪かったのか。あのときは両氏ともに責任ある地位にあったのだから、ちゃーんと説明してほしい。

我々は安倍晋三極右内閣にかわる政権を求めている。
安倍政権は数の力をたのんで国政を私物化してきた。森友・加計の「学園問題」はたしかに安倍政権の支持率低下を導いた。だが、それは世論が極右政治の危険性を見抜いたからではない。権力者による身内びいきに対する一時の反感だ。どうせ自民党は少々の化粧直しをして出直し、有権者は再び彼らを支持するのだ。安倍首相の発言が少しばかり軟化したからといって油断はならない。
東京都知事選では小池百合子氏が大勝し、我々は惨敗した。都議選では「都民ファースト」が大勝し、自民党と民進党が惨敗した。共産党は都議がたった2人増えたのを「勝利」と喜んだ。だが、おもてには出なかったが、都議選の結果は護憲派の大敗を意味している。このままでは9条改憲の危険が現実味を帯びる。
その憲法改正問題では、前原・枝野両氏ともに憲法論議はやってもいいが、違憲の安保法制をそのままにした状態で改憲をいまやる気はないという。9条1項、2項を残して自衛隊を明記するという安倍首相の提案に対し、両氏とも集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制は憲法違反、いま9条改定したらその安保法制を容認したことになるとした。
それはそれで結構な話だが、両氏ともゆくゆくは現行憲法を改定するつもりらしい。そうなら、どんなところをどう改定するのか、安倍首相の思い付き改憲案や自民党の復古調改憲案との違いを明らかにして、自民党に代わる選択肢を示してもらいたい。

野党共闘では、枝野氏は継続としたが、前原氏は「衆院選は政権選択選挙だから、理念・政策が合わないところと協力するのはおかしい」といった。だが、理念・政策が異なるからこそ共闘の意味があるし、そのための話し合いが必要なのではないか?
共闘をするかしないか、どちらが民進党にとって有利かは、だれが考えてもはっきりしている。さきの参院選のとき、長野県では民進党候補の杉尾秀哉氏を野党統一候補としたが、このとき選挙運動の手となり足となったのは共産党だ。私の村でも年寄りが多いとはいえ、共産党は奮闘した。彼らなしに杉尾氏の当選はなかった。いわば共産党は、自民党にとっての公明党・創価学会のような存在だった。
民進党の若手衆院議員5人が8月23日、国政選挙での共産党との共闘を断ち切ることなどを求める声明文をまとめ、両陣営に届けたという。民進党が頼りにする連合が反共産党だからかもしれないが、労働者の味方だか敵だかわからない労組がどの程度選挙運動の手足になれるか、頭を冷やして考えたらどうか。

共産党は、いまでこそ平和憲法の擁護を叫んでいるが、40年だか50年前には日米安保の廃棄と、それに代わる中立武装を称えていた。つまり自民党の解釈改憲をあまりに姑息だと批判して、将来憲法を改正し自衛に限定した最小限の軍隊をもつべきだといっていたのだ。これだと前原氏の防衛論ともかみ合い、話合いによっては選挙の時だけでも手をつなぐ相手になるのじゃないか。
共産党だって、そういう立場をとっていた時期もあるのだから、(まとまるかどうかは疑問だが)民進党が改憲案を出して来たら、頭ごなしに拒否しないで、まともに冷静に議論して欲しいと思う。民進党も共産党も野党指導者は、安倍政権を倒したかったら悪魔とでも手を結ぶ度胸がほしいところだ。

アメリカでは、明日何を言いだすかわからない男が大統領になった。トランプの登場以来、日米同盟はあちらの方から危うくなっている。なにしろアメリカ第一主義だからあてにしていては、はしごを外される危険がある。
そのうえ、この秋の中国共産党19回大会で習近平独裁体制が強化されたら、中国は攻勢に出る。なぜなら「習近平思想」はいまのところ中身がないから、それを充填するために、南シナ海でも東シナ海でも中印国境でも、やれるところでは小競り合いでも占拠でも何でもやる。そしてそれを「習近平思想」による成果というに違いない。尖閣近海では南シナ海並みの緊張が生まれることを覚悟しなければならない。
そのとき日本は中国とどうむきあい、どう共生していくか、確固とした方針をもたねばならない。自民党伝統の日米安保の強化をいうだけでは間に合わない。前原・枝野両氏ともアジアの平和をどう築くかについて、自民党との違いをぜひ示してもらいたい。
以上、民進党は頼りにならないと思いつつも、すこしでも早く極右権力私物化政権の退場を望むがゆえの、民進党への期待であり願いである。

2017.08.27 民進党代表選の行方
右傾化か分裂か

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 8月21日告示の民進党代表選が始まった。各紙の報道では「前原・枝野一騎打ち」との見出しが躍り、民進党内の保守系とリベラル系が真正面から対決しているかのような構図が描かれている。全国的に見ればそうかもしれないが、前原氏の地元京都では必ずしもそうとは言えない複雑な動きが渦巻いている。

 最も張り切っているのは、根っからの改憲論者の北神圭郎衆院議員で、前原氏の推薦人にも名を連ねている。北神氏は、前原氏を民進党代表に当選させることで民進党を一気に右傾化させ、共産党とは手を切って日本ファーストとの連携を目論んでいるとされる。前原氏の公約を絵に描いたように体現している人物だ。

 北神氏の行動には誰も驚かないが、福山哲郎氏や山井和則氏などの動きには注目が集まっている。福山氏は菅内閣時代の官房副長官であり、主義主張からすればむしろ枝野氏に近い。菅直人氏は枝野氏の推薦人だ。山井氏はかっての代表選で長妻昭氏の推薦人になったこともあり、蓮舫代表のもとでは衆院国対委員長に抜擢された。長妻昭も枝野氏の推薦人だ。しかし京都では、両氏とも前原氏側について民進党員や支持者の票集めに動いている。

 民進党はこれまで「選挙互助会」といわれるように、主義主張を異にするグループがただ選挙に当選するために集まっただけの政治集団だと言われてきた。京都での民進党の動きを目の当たりにすると、このことはあながち的外れな指摘とは思われない。非自民・反共産の「中間ゾーン」に位置する曖昧集団が取りあえず政党の名を名乗り、政党補助金を得て選挙資金を確保し、連合など御用組合の支援を受けて選挙活動をする...。これが民進党の実態だと言われても仕方がない。

 そんなことで、私は今回の民進党代表選それ自体にはほとんど期待していないのだが、それでも日本の政局に与える影響は無視できず、場合によっては安倍首相が衆院解散に踏み切る可能性もあるので、幾ばくかの感想を述べてみたい。まずは、前原氏か枝野氏かの勝敗の行方が及ぼす影響についてである。

 勝敗が一方的なものであり、どちらかが大敗するような場合、党の分裂はまず起こらないだろう。惨敗組はどこに行っても相手にされず、党から抜け出ても行先が見つからないからだ。しかし、今度の代表選では両氏の勢力は拮抗しているので(前原氏が議員票では優勢だと言われている)、このようなケースは想定できない。だとすれば、小差で勝敗が決まった場合のことを考えておかなければならない。

 世上では、前原氏が勝利した場合には党の分裂は起こらないが、枝野氏が代表になった場合は、前原支持勢力の一部あるいは相当部分が民進党から抜けるのではないかといわれている。すでに長島昭久氏や細野豪志氏らが先行して日本ファーストとの連携を模索しているので、その可能性はかなり高いと言わなければならない。そうなれば、民進党の分裂騒ぎが続いているうちに衆院補選と併せて総選挙が行われる公算が大になる。民進党が分裂すれば野党側は選挙戦どころではなくなり、市民共同や野党共闘の政治基盤が一挙に崩れるからだ。

 問題はその時、東京都議選のような地殻変動が起こるかどうかだろう。だが、自民党が惨敗して日本ファースト連携組が大躍進する――そんな構図は描きにくい。第一、小池都知事に代わるような新しい党首がいない。前原氏が新党党首になっても民進党の二番煎じで人気党首にはなれない。加えて、東京都議選と国政選挙は政治構造がまったく違う。地方に行けば行くほど自民党の政治地盤は強くなり、しかも公明党が自民党を支えている。都議選のように公明党が自民党から離れればまだしも、自公与党の連携は固いのだから、にわか作りの新党が大躍進できるほど総選挙は甘くないのである。

 ついでに言えば、日本ファース連携組がたとえ一定の議席を獲得したとしても、ポピュリズム政党の賞味期限はそれほど長くないことを頭にとどめておく必要がある。小池新党をフランスのマクロン政権に例えてその躍進を期待する論調もあったが、マクロン政権のその後を見れば、日本ファースト連携組の寿命は目に見えている。政党支持率が瞬間風速的には上昇しても、新鮮味が薄れ、賞味期限が切れれば、「ダウンバースト」(凄まじい下降気流)よろしく地べたに叩きつけられるだけだ。

 そう考えると、民進党京都支部面々の複雑な動きも何だかわかるような気がする。前原氏を小差で勝たせて党の分裂を避け、総選挙を回避しながら党内改革を進めるという福山氏や山井氏の路線がそうだ。しかし、この路線も幾つかの爆弾を抱えている。最大のリスクは、前原氏自身の思い上がりと党路線の転換だろう。

党代表に返り咲いた前原氏は、一挙に右カーブを切って民進党の右傾化を進めるに違いない。真っ先に手を着けるのは共産党などとの野党共闘路線の破棄であり、次に憲法改正、防衛力増強、消費税増税、原発存続などこれまであいまいにしてきた民進党の重要政策の明確化だ。自民党とほとんど変わらない政策を遂行することで党内体制を固め、将来は民進党の単独政権ではなく自民党との連合政権で権力を掌握する――、これが前原氏の描く政権構想なのである。さて、福山氏や山井氏はこれからどうする。

2017.08.22 ファシズムは死語になったのか(5)
―大岡昇平の戦争論を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 敗戦記念日に、先達の戦争論を読んだ。作家大岡昇平(1909~1988)の『証言その時々』(講談社学術文庫・2014年、親本は筑摩書房・1987年)である。「蘆溝橋前夜から今日に到る、私の戦争に関する意見の、ほとんど全部である(インタヴュは除いた)」と本書の「あとがき」にある。私(半澤)の印象に残った部分を次に掲げる。(/)は中略。

■わたしはひとりになった。静かに涙が溢れて来た。
反応が遅く、いつも人よりあとで泣くのが私の癖である。私は蝋燭を吹き消し、暗闇に座って、涙が自然に頬に伝うに任せた。
祖国は敗けてしまったのだ。偉大であった明治の先人達の仕事を三代目が台無しにしてしまったのである。/私は人生の半ばで祖国の滅亡に遇わなければならない身の不幸をしみじみと感じた。国を出る時私は死を覚悟し、敗けた日本はどうせ生き永らえるに値しないと思っていた。しかし私は今虜囚として生を得、どうしてもその日本に生きねばならぬ。
しかし慌てるのはよそう。五十年以来わが国が専ら戦争によって繁栄に赴いたのは疑いを容れぬ。して見れば軍人は我々に与えたものを取り上げただけの話である。明治十年代の偉人達は我々と比較にならぬ低い文化水準の中で、刻苦して自己を鍛えていた。これから我々がそこへ戻るのに何の差し支えがあろう。(小説『俘虜記』、一九五〇年三月

■日本国は再び独立し、勝手な時に日の丸を出せることになったが、僕はひそかに誓いを立てている。外国の軍隊が日本の領土上にあるかぎり、絶対に日の丸を上げないということである。捕虜になってしまったくらいで弱い兵隊だったが、これでもこの旗の下で戦った人間である。われわれを負かした兵隊が、そこらにもちらちらしている間は、日の丸は上げない。自衛隊の幹部なんかに成り上がった元職業軍人が神聖な日の丸の下に、アメリカ風なお仕着せの兵隊の閲兵なんてやってる光景を見ると、胸くそが悪くなる。恥知らずにも程がある。(「白地に赤く」、『東京新聞』、一九五七年六月一八日

■私は二十年前、一兵士として南方に送られ、戦争の惨禍を多少経験した。その経験を語ったこともある。現在作家として、アメリカに追随することによって生じた一時的繁栄の恩恵を受けている。しかし現に私と同じ国に生れ、同じ皮膚と目の色を持った若い同胞が、同じ恩恵を受けることにより危険な戦場に送られるのを見ていられない。二十年前、私は祖国がこういう事態に追い込まれようとは思いも及ばなかった。痛憤極りないといえば大袈裟であるが、幸い意見を述べる機会があるから、黙っていないのである。(「二十年後」、『潮』、一九六五年八月号

■毎年八月になるとわれわれはヒロシマとナガサキを思い出し、戦争のことが語られる。なぜだろうか。
二つの理由が考えられる。一つは戦争で受けた傷が、国民の中で生き続けているからである。国は建国以来はじめて降伏したが、三十年の後に、GNP世界第二位まで恢復した。しかし原爆被害者も戦死者遺族も十分に補償されていない。太平洋の方々の島にある遺骨は、まだ全部収集されていない。/三十年前の戦争を、政府がその後始末をしないために、国民は思い出さずにはいられないのである。
第二の理由として考えられるのは、戦後三十年、日本は憲法の平和条項のおかげで戦争をしないが、世界のどこかで戦争が行われているということである。それも東南アジアで続いていた。/ベトナムが終った現在、問題は再び朝鮮半島に戻って来た。米国務省は韓国における核兵器の配置を発表し、朴大統領は核開発を命令したと伝えられる。アメリカは核先制攻撃もあり得る、といった。
これは画期的な声明である。これまでは、核は相手の核攻撃を抑止するために開発させるのだ、というのが私の世代の歴史的常識である。/これがヨーロッパであれば大問題だったろう。白人国の間では絶対に行われない声明である。使われるのは戦術核という制限がついているが、これが全面戦争に展開しない保障はない。これは人類の滅亡を意味する。
/核戦争は今後、アジアでも起こり得るのだ。この意味は重大であって、もはや対岸の火事として眺めてはいられないはずである。

戦争は勇ましく美しいものとして語られていた。しかしいくら美化されていても、そこには一つの動かすことのできない真実がある。それはどんなに勇壮であっても、人が死ぬということである。/それは取り返し得ないことである。将軍や参謀はめったに死なず、死ぬのは大抵名もなき兵士である。豊かな将来がむなしくされるのである。/日本人が三十年前の戦争で、何をして来たかをふり返ることは、むろん過去をたしかめて、将来のそなえとするためである。(「私と戦争」、『週刊読売』、一九七五年八月一五日臨時増刊号

■国を愛する戦いで死ぬ兵士の犠牲の上に、満州や中国、東南アジアの諸国の物的人的資源の収奪の上に、国内的に市民の生活を潤すことができたのである。戦況不利となって物資不足によって生活が苦しくなった一九四四年までは、国民の戦意をあおり、米英に対する敵意をたもつことができたのであった。
戦後四十年たって、日本人はエコノミックアニマルと称して、中国、韓国、フィリピン、東南アジアに、企業が資本、技術輸出という別の形の収奪をなしとげている。今日のわれらの消費生活の豊かさは、それら収奪の上に築かれる、という同じ形が現れているのを、あの時意識しなかったように、今も意識しない。
戦後四十年、靖国神社の公式参拝は実現し、英霊は鎮まるであろう。そこで再び国のために命を捧げる若者を創り出さなければならない。/防衛費一%枠を早くはずして、軍事的威嚇を加えよう。最も豊かで賢明なアメリカの同盟国となって、戦闘的平和のために貢献しよう――戦後四十年の悪夢の構図である。早く目をさまそう。ふたたび、みずからそれと知らない大東亜の加害者になるのはよそうではないか。(「悪夢の構図」、『朝日新聞』、一九八五年八月一五日

以上が大岡の文章である。本書全体の1%ほどだ。
作家の死から30年が過ぎている。京大仏文で学んだ西洋、小林秀雄らとの交友、フィリピン戦場での実体験、日本戦後の無反省、高度成長という新たな侵略、米帝国主義の変貌。そういう歴史のなかに生きた大岡昇平の、反戦、ナショナリズム、反人種差別、の意識は変わらなかった。しかし現実は大岡の予想を超えて変わった。作家が描いた未来像の多くは2017年の現実である。(2017/08/16)

2017.08.12 安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(9)
―「受け皿」論は序の口である―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《まだ「高い」と言っているのか》
 「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の続きはどうした。読者にそう言われた。
最近の調査で安倍晋三内閣の支持率は暴落しているではないか。
たしかに、2017年8月3日の内閣改造後、支持率は平均して一桁の回復を示したがそれでも不支持率が上回っているし、安倍首相が信用できないという意見は増加している。決定打は加計問題だ。首相の説明に納得できない人の比率は80%に達している。閉会中審査を恥とも思わず、稲田や加計や虚言官僚の出席さえ拒んでいる。

意地を張る気はないが、どう見ても安倍内閣の命運は「詰んで」いて、本来なら総辞職して当然である。それなのに、30~40%もの「高い支持率」を保っている。だから私は「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の看板を下ろす積もりはない。

メディアは商売―視聴率や読者数―を考えて、安倍批判の言説をマブしているが、報道のベクトルは安倍政局の日程問題に横滑りして、真の対立軸や政治理念の問題に触れる様子はない。

《保守二大政党論と受け皿》
 私は2009年に起こった民主党の政権奪取は、結局は二大保守独裁体制の開始だと考えてきた。それには敗北主義であり冷笑主義だという批判もあった。勿論、民主党リベラルが、いくらかの改革を実現したことを評価しないわけではない。

鳩山由紀夫内閣成立後、約100日間の新聞一面には、新政権への期待感が大きな活字で踊っている。暇のある読者は当時の縮刷版でも一覧されるがよい。しかし沖縄普天間基地の「最低でも県外へ」論すら、外務官僚に騙された鳩山首相が、対米交渉のテーブルに置くことはなかった。政治は結果がすべてである。だから私は鳩山政権の失態を弁護するつもりはないが、あの政権の一部・一時期に燃えていた「対米自立」や「社民的政策」の志にいたるまで、蔑視して盥から流すのは、公平でないと思っている。

民主党政権の首相だった野田佳彦も、「都民ファースト」の小池百合子も「保守政治家」を自称している。しかし野田・蓮舫は「受け皿」たり得ず、小池百合子は受け皿たりえた。「受け皿」とい言葉の意味を吟味して使わねばならない。
我々も馴らされているメディアのいう「受け皿」とは、自民党別働隊の謂いである。公明党・日本維新・民進党の大半が受け皿の現役および予備軍である。今後、自民が割れての政界再編まで見通すのが「受け皿」論議の本質である。

二大政党の対峙、二大政党による政策競争、二大政党間の政権交代。冷戦終結を機に、我々が自覚も乏しく信じてきた「二大政党」の実態は、日本においては「一党独裁プラス優しげな補完勢力」部隊であった。日本だけではない。米・英・仏という先進民主主義国でも、二大政党は崩壊し、混濁と流動と分断の世界が示現している。

《リアリズムの戦いが始まる》
 戦後72年の今になってそんな迷いごとをいうのか。
そうである。仕方がないのだ。我々は課題への対決を延ばしに延ばしてきたのだから。

「大日本帝国憲法」の復活=対米隷従の国家主義。あるいは「日本国憲法」に拠る戦後民主主義の新生。我々は、今後数年のうちに、国際社会のリアリズムのなかに、このいずれかを、命の危険まで考えに入れて、選びとらねばならぬことになるだろう。無論、昔と同じ帝国でも戦後と同じ民主制でもない。

30年にわたるゼロ成長、国際比較での諸指標の地盤沈下、高齢者が半分になろうとする人口動態、各階層にわたる貧困者の急増。原発問題の行き詰まり。こういう環境が、選択の前提となるのである。幕末維新や大東亜戦争敗戦に匹敵する困難に我々は直面しているのである。(2017/08/07)