2017.04.27 安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(6)
―「ハッピーです」と「お前在日か」―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 二世代の発言を紹介する。
一つは、ある学者の若者観察であり、一つはある作家の時代観察である。

《近代史家の若者観察》
 2016年12月のあるシンポジウムで、日本近代史家成田龍一(1951~、日本女子大教授)は次のように発言した。(■から■は原文、以下同じ)
■斎藤美奈子さんという評論家の説なんですけれども、戦前派、戦中派、少国民世代、団塊の世代を挟んで、戦後第一世代までは、ほぼ同様の戦争認識や戦後認識を持っている。ぷっつりとここから切れるのが、戦後第二世代だというのですね。戦後第二世代の代表的な論者の一人がご承知の古市君です。

古市憲寿は今テレビに出てきて盛んに色々コメントをしています。その彼は、今までの世代とは対話をしようとしない。もう自分たちの世代は自分たちの世代でやっていくんだ、という考えです。世代はふつう上の世代と対話をして、その中で自分たちの世代の主張を訴えていくんですが、彼の世代は、もう関係ないんです、自分たちは自分たちなんだと言っている。そこでもう切れ目をつくろうということを意図的にやっていく。そして彼は何をしているかというと、実際に自分で起業をする。雇われるのは嫌だという。彼の専門は社会学ですけれども、大学などに雇われてヒーヒーいうのは嫌だということでいく、そういう世代が出て来ているんです。

そして「現在の僕たち世代はとてもハッピーだ」と言う。これは、彼が書いているんですが、彼自身は戦後の日本の世論調査を見てきた結果として、現在の僕たち、古市世代ですが、一番幸せだと考えている率が高いというんです。僕ら(成田)から見たら、こんなに悲惨な状況、「就職もないのに大変ね、可哀想でしょう」と思うんですが、彼はそうではない、一番幸せだというんです。そして「実はもう僕たちは先がない。今を楽しまなければいけない。今が一番良くてハッピーなんだ」と。ほとんど年寄りの心性なんですね。そういうふうな若者たちが登場してきている。
そうしますと、今150年の切れ目を迎えているということは、同時に全く今までの歴史認識や戦後認識、あるいは近代認識というものとは違った若者たちが登場してきていることを意味しています。私が目の前にしている学生たちは皆、古市君のファンです。「ああいう生き方がいい」と言っています。それなので、私も、今日の会の中では若い世代かもしれませんが、まさに立ちすくんでいる、という状況です。■

《芥川賞作家のバブル以降論》
 作家の中村文則(1977~)が、バブル前後の青年の時代感覚を通して時代がどう変化したかを書いている。(2016/1/11、『朝日新聞』ウェブ版)

バブル期には、「夢を持って生きること」、特に「普通の就職でなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい」という空気があった。バブルが崩壊すると「正社員になれ/公務員がいい」、そうでないと路頭に迷うぞという風潮になる。事実、中村が大学を出た2000年は「就職氷河期」であった。彼はフリーターをしていたが、「正社員」の特権階級意識を随所に見聞した。バイトの女の子が、「正社員を舐めるなよ」と怒鳴られているのを見て「本当に驚いた」という。

中村は、時代意識の変化を例示しながら考察を進める。
一つ目は、バブル崩壊後の「勝ち組・負け組」意識の定着と、それに連なる偏狭なナショナリズム意識の発生である。

《お前は人権の臭いがする》
 友人が、第二次大戦時の日本を美化する発言をしたので、中村は戦争は日米の利権の衝突に起因するのだと言ったら、その友人は「お前は人権の臭いがする」と言った。人権は大切だというと、友人は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴らの人権をなぜ守らなければならない?」と言った。
ある時は、友人が渡した第二次大戦の日本美化本に対して中村が「色々言うと」、友人は「お前在日?」と言った。中村は、そうではないが億劫なので黙っていたら、友人はそれを認めたのだと思って、「色々言いふらしたらしい」という。

作家はこう書いている。
■格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、「強い政府と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している」。■

二つ目は、メディアの「両論併記」方針の増加である。
政府批判はマスコミとして当然なのに、多様な意見を紹介するというレトリックで政府批判は弱められる。中村はこう書いている。
■否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手い戦略である。それに甘んじているマスミコの態度は驚愕に値する。■

《日本人のアイデンティティを失う》
 三つ目は、ネット発言による風潮強化である。中村はこう書いている。
■匿名の発言は躊躇なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題より、これは正体を隠すプライドの問題だ。/人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。■

このような状況の果てに何があるか。
中村は、憲法改正と戦争であると考えている。彼は自衛隊を専守防衛の手段としては認めるが、憲法九条は擁護する。九条を変えて普通の国になったら、「僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う」というのである。今年(2016年)は決定的な一年になるという中村のエッセイはこう結ばれている。
■今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。■

民進党の動きは中村の望んだようになっていない。成田の見た学生たちは、昨今の求人バブルで改めて「ハッピー」かも知れない。安倍内閣の支持率が下がる要因はなかなか見つからない。(2017/04/22、敬称略)

2017.04.25 「共謀罪」新設法案に反対する
世界平和アピール七人委が訴え

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 世界平和アピール七人委員会は4月24日、「テロ等準備罪に反対する」と題するアピールを発表した。
  世界平和アピール七人委は、1955年、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長の下中弥三郎の提唱により、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は武力で解決してはならないを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和実現などについて内外に向けアピールを発表してきた。今回のアピールは124回目。
 現在の委員は、武者小路公秀(国際政治学者)、土山秀夫(元長崎大学学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(慶應義塾大学名誉教授)、池内了(名古屋大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家)、髙村薫(作家)の7氏。

 国会で審議中の政府提出の組織犯罪処罰法改正案は、テロ等準備罪を新設するとしている。この点に関して、安倍首相は「テロ等準備罪を新たに設けないと、テロ対策で各国が連携する国際組織犯罪防止条約を批准できず、2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催できない」と発言している。
 これに対し、アピールは、安倍発言を「大きな事実誤認、もしくは嘘である」とした上で、テロ等準備罪を、これまで3度、国会で廃案になった「共謀罪」が名称を変えて上程されたものと断じ、「政府の真の目的がテロ対策ではなく、国民生活のすみずみまで国家権力による監視網を広げることにあるのは明らかである。一般市民を例外なく監視し、憲法が保障している国民の内心の自由を決定的に侵害するテロ等準備罪の新設に、私たちは断固反対する」と述べている。
 アピールの全文は次の通り。

テロ等準備罪に反対する

世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晉一郎 髙村薫

 今年、私たちは日本国憲法施行から70年を迎える。その憲法19条が保障している国民の精神的自由権を大きく損なう「共謀罪」新設法案が、国会で審議入りした。犯罪の実行行為ではなく、犯罪を合意したこと自体を処罰する共謀罪は、既遂処罰を大原則とする日本の法体系を根本から変えるものであり、2003年に国会に初めて上程されて以降、たびたびの修正と継続審議を経て3度廃案となった。それがこのたび、「テロ等準備罪」と名称を変えて4度目の上程となったものである。

 2000年に国連で採択され、2003年に発効した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約)」を批准するに当たって、同条約の第5条に定められた「組織的犯罪集団の二人以上が犯罪行為への参加を合意したことを犯罪とするための立法措置」を満たす共謀罪の新設が必要、というのが政府の説明である。
 安倍首相は、共謀罪を新設させなければ、テロ対策で各国が連携する国際組織犯罪防止条約を批准できず、2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催できないと発言してきたが、これは大きな事実誤認、もしくは嘘である。
 第1に、国際組織犯罪防止条約は、第34条で各国に国内法の基本原則に則った措置をとることを求めており、共謀罪の新設が強制されているわけではない。また過去には、日本は必要な立法措置をとらずに人種差別撤廃条約を批准していることを見ても、共謀罪を新設させなければ批准出来ないというのは、事実ではない。
 第2に、国際組織犯罪防止条約の批准に新たな立法措置は不要となれば、同条約の批准をテロ等準備罪新設の根拠とすることは出来ない。
 第3に、同条約も、テロ等準備罪も、どちらも本来はテロ対策を目的としたものではない。現に、テロ等準備罪がなければ対処できないようなテロの差し迫った危険性の存在を、政府は証明していない。同様に、すでに未遂罪や予備罪もある現行法で対処できない事例についての明示もない。
 第4に、今回、世論の反発を受けて条文に「テロ」の文言が急遽追加されたが、277の対象犯罪の6割がテロとは関係なく、法案の提出理由にも「テロ」の文言はない。

 以上のことから、テロ等準備罪が新設できなければオリンピックが開催できない等々は明らかな嘘であるが、このように国民を欺いてまで政府が成立を急ぐテロ等準備罪の真の狙いについて、私たちは大きな危機感を抱かざるをえない。
 第1に、テロ対策と言いつつ対象犯罪をテロに限定しないのは、「4年以上の懲役・禁固の刑を定める重大犯罪」に幅広く網をかけるためであろう。
 第2に、組織的犯罪集団ではない一般の市民団体であっても、犯罪団体へと性格が一変したときには捜査対象になるとされる以上、いつ性格が一変したかを判断するために、市民団体なども捜査当局の日常的な監視を受けるということである。
 第3に、同罪の成立には何らかの準備行為が必要とされているが、何をもって準備行為とするかの詳細な規定はなく、さらに政府答弁では、その行為は犯罪の実行に直結する危険性の有無とも関係ないとされる。とすれば、捜査当局の判断一つで何でも準備行為になるということであり、構成要件としての意味をなさない。
 第4に、政府答弁では、捜査当局が犯罪の嫌疑ありと判断すれば、準備行為が行われる前であっても任意捜査はできる、とされている。

 これらが意味するのは、すべての国民に対する捜査当局の広範かつ日常的な監視の合法化であり、客観的な証拠に基づかない捜査の着手の合法化である。犯罪の行為ではなく、犯罪の合意や計画そのものが処罰対象である以上、合意があったと捜査当局が判断すれば、私たちはそのまま任意同行を求められるのである。
 テロリストも犯罪集団も一般市民の顔をしている以上、犯罪の共謀を発見するためには、そもそも私たち一般市民のすべてを監視対象としなければ意味がない。そのために、盗聴やGPS捜査の適用範囲が際限なく拡大されるのも必至である。
 政府の真の目的がテロ対策ではなく、国民生活のすみずみまで国家権力による監視網を広げることにあるのは明らかである。一般市民を例外なく監視し、憲法が保障している国民の内心の自由を決定的に侵害するテロ等準備罪の新設に、私たちは断固反対する。

2017.04.18 「テロ等準備罪」(共謀罪)の国会審議が始まった
韓国通信NO521

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

テロを未然に防ぐための法律、一般市民とは関係のない法律と政府はさかんに宣伝し、今国会での成立を目指している。「秘密保護法」「戦争法」に続き、あらたに「テロ等準備罪」(共謀罪)を新設しようとする目的は明らかだ。
世界各地に頻発するテロの恐怖に乗じた今回の治安立法は、主権者である国民の基本的人権を警察権力(国)が奪うものだ。日比谷の緊急集会に参加し、国会議事堂までデモをした(6日)。
行動前の準備段階で処罰する共謀罪は戦前の「治安維持法」時代に逆戻りどころか、すべての携帯電話、スマホ、インターネットまで監視する。それでも「知られて困ることはない」と思う人も多い。

<監視社会は民主主義を殺す>
こんな法律ができたら市民団体、政治団体、宗教団体、労働団体は窒息する。原発、公害、環境、人権、平和にかかわる団体はもちろんのこと、少しでも住みよい社会を目指そうと奮闘する市民団体は犯罪集団視される危険がある。政府の批判勢力を摘み取るのが狙いだ。言論に携わる人たちも監視によって委縮する。政府に遠慮しがちなマスコミはさらに批判力を失い、「無知は力」とばかり権力者の不正は隠蔽され、官製報道一色になりかねない。戦争遂行の新聞記者だったことを恥じて新聞社を去った むのたけじさんの心配が繰り返されようとしている。
共謀罪の新設は民主主義を圧殺、憲法改悪へ突き進む最終章なのかも知れない。

<非力ながらトイレで考えた>
「トイレで知る・考える…社会のこと」という変わったカレンダーがわが家のトイレにある。
今月のカレンダーのタイトルは「沈黙は金」。
「原発再稼働」に 「戦争法案」に 「秘密保護法案」に 「武器輸出」に 「沖縄の基地問題」に 多くの国民が反対しているのになぜ 推し進めるのか
キング牧師は言いました「最大の悲劇は 悪人の圧政や残酷さではなく善人の沈黙だ」…と
カレンダーの言葉に触発されて共謀罪反対の集会に出かけた。相変わらず単純で軽い生き方をしている自分に気づく。「悲劇」というより「喜劇」に近い。スポーツジムに出かけ筋トレ・エアロで三時間汗を流して日比谷に出かけたのも「喜劇」のような気もする。

報告
その1) 4月3日、花見に出かけた公園で「アベ政治は許さない」のステッカーを掲げた。妻と共謀した「テロ」活動?だった。
その2) 確定申告にマイナンバー記入せずに還付金請求成功。ただちに名護市に「ふるさと納税」。
その3) 『スノーデン、監視社会の恐怖を語る』(小笠原みどり著)を読む。住基ネット、マイナンバー制を監視社会の到来と考える著者。テロ対策を口実に始まった米国の監視社会。苦悩のなかから希望を感じさせる。スノーデンの日本に向けたメッセージ。著者もスノーデンも命がけなのが伝わり勇気づけられた。秘密保護法も共謀罪もアメリカ発。監視社会は世論操作さえも可能にする。

2017.04.17 シリア攻撃で支持率上昇を狙ったトランプ大統領、それに便乗しようとした安倍首相、内閣支持率はこれからどうなる、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた
トランプ・安倍の思惑、その行方は

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 NHKは4月11日夜のニュースウェブで、トランプ大統領がシリアのアサド政権に対して下したミサイル攻撃に関する世論調査の結果を伝えた。アメリカのABCテレビと有力紙のワシントン・ポストが4月10日に発表した全米世論調査の結果は、シリア攻撃「支持」50%、「反対」40%というもの。一方、アサド政権に対して追加の攻撃を行う場合は「支持」35%、「反対」54%というより厳しい結果だった。また、今回のミサイル攻撃がアメリカとアサド政権の後ろ盾となっているロシアとの関係を「悪化させる」と思う人は59%に上った。

 4月12日付の赤旗も10日発表の米ギャラップ社の世論調査結果を伝えている。ギャラップ社は、トランプ米政権による4月6日のシリアに対するミサイル攻撃に関する世論調査を7、8両日に行い、結果は「支持」50%、「不支持」41%だった。これだけだと「支持」が「不支持」を上回っているのでトランプ大統領の決断が全米で支持されているような印象を与えるが、同社の解説によると必ずしもそうではないらしい。

 アメリカの海外軍事行動は1983年のグレナダ侵攻以来11を数えるが、これらの中でも今回のシリア攻撃は2011年のリビア攻撃(支持47%、不支持37%)に次ぐ「歴史的な(支持の)低さ」だという。過去、最も支持を得たのは、9・11同時多発テロ後の報復行動として行われたブッシュ大統領によるアフガニスタン戦争の「支持」90%、「不支持」5%であり、2011年のリビア攻撃を除けばいずれも過半の支持を得ている。

 米CBSテレビの世論調査(4月7~9日実施)でも、69%がトランプ大統領は攻撃にあたって議会承認が「必要」だったとし、「必要なかった」としたのは25%に止まった。また、米国がシリアでどこまで関与すべきかとの質問に対しては、「空爆のみ」30%、「外交対話のみ」(軍事行動はこれ以上しない)26%、「地上部隊による軍事関与」18%、「全く関与しない」15%という結果になった(赤旗、同上)。

ギャラップ社の世論調査では、このところトランプ大統領支持率は40%台半ばあたりを上下していたが、3月21日には支持率37%、不支持率58%と1月下旬の就任以来最低の水準にまで落ち込んでいた。同社は、支持率下落の原因は医療保険制度改革(オバマケア)の撤廃に向けて共和党が提示した法案や、裁判所からの反対に直面している入国禁止令などに対する国民の不満を反映していると分析している(CNNニュース、2017年3月21日)。トランプ大統領は今回のシリアにおける化学兵器使用問題を、国民の目を「ならず者国家」に向けさせる好機と踏んだのだろう。それを低支持率の泥沼から這い出すための千載一遇の機会と捉えたのだろう。

 だが、アメリカの世論は意外にも冷静で、トランプ大統領もその結果に衝撃を受けたのではないか。トランプ大統領の目論見としてはシリア攻撃で圧倒的な支持を獲得し、その勢いを駆って北朝鮮に脅しをかけるというシナリオを描いていたに違いない。それが大きく狂ったのだから、目下、空母艦隊など使って展開している朝鮮半島周辺の軍事作戦をそのまま続行することは難しくなるだろう。

 一方、シリア攻撃に対して即刻強い支持を表明した安倍首相の目論見はどのようなものだったのだろうか。トランプ大統領によるシリア攻撃は、安倍首相にとっても「森友疑惑」から抜け出す千載一遇の機会だと把握されていたに違いない。なにしろ朝な夕なに茶の間の話題になる「森友疑惑」は、もはや安倍政権の「喉に刺さった骨」と化しており、安倍首相夫妻を悩ませ続けてきたからだ。幕引きを図ろうとしても世論がなかなか許してくれない。ならば、時間をかけて沈静化させる以外に方法がないと思っていたところへ、飛び込んできたのがアメリカのシリア攻撃だったのである。

 かねがね北朝鮮の脅威を強調して国内世論を操作してきた安倍政権にとって、これほどの好機はない。アメリカのシリア攻撃は、安倍政権にとっては「森友疑惑」から国民の目をそらす絶好の機会(神風)であり、かつシリア攻撃に乗じて北朝鮮批判の世論をさらに高め、一挙に軍事力増強を実現する一石二鳥の機会が訪れたというわけだ。それはまた、低下し始めた内閣支持率を回復させるために、政策の重点を内政問題から外交問題に転換させる一大契機としても認識されているに違いない。

 だが、目下テレビ番組で連日報じられている4月27日のアメリカによる北朝鮮爆撃の噂がガセネタであることがわかれば、アメリカの世論と同じく国内世論も一挙に冷静さを取り戻すことになるだろう。そのときにシリア攻撃に乗じて北朝鮮の脅威を煽った安倍政権の内閣支持率はどう変化するのだろう。次回あるいは次々回の世論調査結果が待たれる。(つづく)

2017.04.15 アナクロニズムも極まれり
「教育勅語、教材としてならOK」との閣議決定

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「アナクロニズムもついにここまで来たか」。安倍内閣が教育勅語について政府答弁書を閣議決定したとのニュースを読んだ時、私はそんな感慨に襲われた。答弁書が「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」としていたからである。かつて教育勅語を暗唱させられた世代としては、国民主権をうたった日本国憲法の施行からすでに70年、教育勅語も国会で失効・排除決議がなされたのだから、教育現場にそれが再登場することなどありえないと考えてきたからである。

 私が長野県諏訪地方の小学校に入学したのは1942年(昭和17年)4月のことである。アジア・太平洋戦中で、小学校は国民学校といった。国民学校3年の時の1945年8月に戦争は終わったので、私は3年5カ月にわたって戦時下の小学生生活をおくったことになる。

 その3年5カ月は、教育勅語によって教育された日々であった。
 教育勅語とは、日本国の元首であり統治者であった明治天皇が、その「臣民」だった国民に国民道徳の基本と教育の根本理念を説いた言葉として1890年(明治23年)10月30日に発布されたものだった。

 国民学校では、教育勅語を唱和させられた。早く唱和できるようになりたいと、家に帰ってからも声を出して一生懸命習ったものである。だから、当時、私は教育勅語の全文を暗唱することができた。そのせいだろう、いまでもその一部が口をついて出る。
 「朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ……」
 「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ……」
「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」

 まだ幼かったから、勅語が何を言っているのかよく分からなかった。が、「現人神」である天皇の教えだから、それに、先生が覚えなさいと言っているのだから一生懸命努力してそらで言えるようにならなくては、という思いが幼心を突き動かしていたのだろうと思う。
  
 紀元節などの国の祝日や、入学式、卒業式では、在校生は講堂に集められた。そこでは、校長による教育勅語の朗読があった。教育勅語を会場に運んでくるのは教頭先生で、その時、教頭先生は白い手袋をはめた両手で黒塗りのお盆を眼前に捧げていた。お盆に載っかっていたのが紫のふくさに包まれた教育勅語で、教頭先生が演壇に着くまでの間、私たちはずっと最敬礼を続けていなければならなかった。

 教育勅語が保管されていたのは、校庭の隅にあった奉安殿である。そこには、天皇、皇后の写真も飾られていた。奉安殿の前を通る時は、立ち止まって拝礼するよう命じられていたし、集団で奉安殿の前を通る時は「歩調とれ」という合図で分列行進をさせられたものだ。
 
 天皇に関しては、こんなこともあった。
 授業中、先生の口から「て」という言葉が発せられると、私たちは、とっさに座ったままであったが胸を張り、両手を膝上に置くなどして居住まいを正し、正面をまっすく見据えたものである。なぜなら「て」は、先生がその後に発する「天皇陛下」の最初の発音だったからである。つまり、教室では、「天皇陛下」という言葉が発せられたら姿勢を正さなければならなかったのだ。

 大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)というのもあった。
アジア・太平洋戦争開戦の詔勅が出された 1941年 12月8日を記念する日で、毎月8日がそれに充てられた。国民の戦意高揚をはかる目的で設けられた措置で、その日は、教室で宮城遙拝(ようはい)があった。全員が起立し、東方に向かって頭を下げた。学校からの東の方角に皇居があったからである。
 また、その日には、私たち児童は登校前に、集落ごとに連れだって集落の神社を参拝した。集落から戦地に出征している兵隊さんの武運長久を祈るためだった。

 こうした国民学校での教育に私は何ら疑問を抱かず、極めて従順に従った。もし、あのまま戦争が続いていたら、私は「軍国少年」に育ち、「天皇陛下のために」と、特攻隊に志願していたかもしれない。いずれにしても、私たちの世代は、いわば教育勅語が血肉化された世代だったわけである。

 ところが、1945年8月15日の敗戦が、日本を根底から変えた。
 46年1月1日には、天皇が自ら神格を否定する「人間宣言」を行った。
47年5月3日には、新しい憲法の日本国憲法が施行された。その第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあった。日本国民は天皇の「臣民」から国の主権者となったのだった。

 こうした歴史的な転換を踏まえて、48年6月19日、参議院本会議で教育勅語等の失効確認に関する決議が、衆議院本会議で敎育勅語等排除に關する決議が採択された。  
 参議院の決議は「われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている」と述べ、衆議院の決議も「敎育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の敎育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であったがためである。思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第98條の本旨に従い、院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する」としていた。
 
 こうした歴史的経緯の中で育ってきただけに、大阪市の学校法人・森友学園が運営する塚本幼稚園で園児たちが教育勅語を唱和するシーンがテレビ画面に映し出された時、私はショックを受けた。遠い昔の亡霊が甦ったかのような錯覚に陥った。
 そして、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との閣議決定である。
 そればかりでない。4月7日の衆院内閣委員会では、義家弘介・文部科学副大臣が、幼稚園などの朝礼で教育勅語を朗読することについて「教育基本法に反しない限りは問題ない行為であろうと思う」と答弁した。「教育基本法に反しない限り」と言いながら、どういうことが教育基本法に反するのか、反しないのか具体的な例を挙げなかった。

 どうやら、安倍政権は、かつて国会で教育勅語の失効を確認する決議や、敎育勅語を排除する決議がなされたことなど、どこ吹く風といった風情である。国権の最高機関とされる国会無視もはなはだしいと言わざるをえない。
 今回の閣議決定は、安倍政権が教育現場での教育勅語の使用にお墨付きを与えたものと言ってよい。これから敎育勅語を活用する学校が出てくるのではないか。

 なぜ、安倍政権は教育勅語の復活にこだわるのか。それは、安倍政権にとって教育勅語が改憲というという最終目標に向けた一里塚の1つだからだろう。
 この最終目標に向けて安倍政権は一歩一歩、一里塚を積み上げてきた。国民投票法の制定、教育基本法の改正、秘密保護法、集団的自衛権に関する解釈変更、安保法制等々である。残るは共謀罪の制定といったところか。
 教育勅語の復活も目標達成の上でそれなりの役割を果たす、と見ているのではないか。なぜなら、教育勅語の核心は「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」(万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ=旧文部省図書局の通釈)という一行にあるからだ。「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍首相とそれにつながる人たちは、こうした教育勅語の精神を国民の間に広く浸透させ、日本を再び戦前の国のような国にしたいと思っているのではないか。そう思えてならない。
 そういえば、自民党の憲法改正草案の第1条には、こう書かれている。「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」。自民党は、天皇を再び元首にしようとしているのである。

2017.04.14 「森友疑惑」司法も究明へ
国会はじめ国民自身の追及も緩めてはならない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 「森友疑惑」の解明を裁判所や検察(だけ)に委ねてはいけない、これは国会はもとより国民自身が究明しなければならない疑獄事件なのだ、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(19)

 「森友疑惑」すなわち森友学園への国有地払い下げや小学校認可を巡る不正や疑惑がいよいよ司法の場でも取り上げられることになった。4月6日の各紙が伝えるところによると、
(1)小学校校舎の建築については、森友学園が国や大阪府などに金額の異なる契約書を提出して補助金を騙し取ったとして、補助金適正化法違反容疑での告発状を大阪地検特捜部が受理。
(2)校舎建築費が支払われていないとして、建築業者が支払いを求めて提訴。併せて、当該建築物と敷地および籠池理事長自宅や敷地の仮差押えも受理。
(3)国有地の払い下げについては、不当な安値で売却し国に損害を与えたとして、財務省近畿財務局職員(氏名不詳)に対する背任容疑での告発状を大阪地検特捜部が受理。
(4)国有地払い下げや小学校認可を巡って、政治家に金品を贈ろうとした贈賄申し込み容疑での告発状が出され、受理をするかどうかについては地検が目下検討中とある。

 加えて、大阪府は4月5日、学校法人「森友学園」めぐり国有地を売却した財務省近畿財務局の職員と小学校の設置認可事務を担当した府職員のやりとりの調査結果を公表した。松井知事はこれまで、近畿財務局が森友学園関連で大阪府を訪れたのは2回だとしていたが、今回は2013~15年に財務局職員が5回府庁を訪れたことを明らかにした。朝日新聞4月6日の詳報によると、
(1)財務局職員2人が最初に大阪府庁を訪れたのは2013年9月12日。財務局側から「(学校の)認可はいつおりるのか」と聞かれた。
(2)同年11月19日にも財務局職員2人が訪れ、小学校の実現可能性を尋ねる照会文を持参。府側は「正式な認可申請が出ていない段階で回答は難しい」と答えたが、財務局側から「それでも構わないから照会文を受け取ってほしい」と言われ、受け取った。
(3)2014年10月2日には、担当課長級の「統括管理官」を含む数人が府庁を訪問。統括管理官は、私学審で小学校認可が継続審議になった直後の2015年1月8日にも訪れた。府の担当者が「いつ(私学審の)答申が得られるかわからない」と説明すると、財務局側は「審議会の結論を出す時期など、ある程度事務局でコントロールできるのではないか」と語った...という。

 近畿財務局と大阪府のやりとりが公表されたその日に、大阪地検特捜部が近畿財務局職員(氏名不詳)に対する背任容疑での告発状を受理したことは、偶然とはいえ非常に興味深い。財務局側の異常ともいえる「親切さ=前のめり姿勢」を見れば、統括管理官など近畿財務局担当職員が本省(財務省)の指示(忖度)を受け、国有地払い下げを条件に森友学園小学校の設置認可を府側に急がせようとしていた(迫っていた)ことは紛れもない事実であり、大阪地検特捜部にとっても有力な証拠資料になるはずだ。

 それにも増して文科省ならともかく(それでも大問題になるが)、財務省の所管でもない私学小学校の設置認可になぜかくも近畿財務局が介入するのか、それも「森友疑惑」を解く重要なカギになる。これらの事実は、全てを森友学園の教育思想に感銘した安倍首相や昭恵夫人への「忖度」の一言で片付けることの難しさを物語っている。もし検察の本格的な事情聴取が始まれば「結託」(忖度ではない)の事実が明らかになるであろうが、問題はそこで「幕引き」されるかどうかが次の焦点になる。

 問題は、検察が告発を受理したとしても起訴するかどうかは必ずしもわからないことだ。これまでの政治事件の多くが不起訴になり(甘木元経済産業大臣のような口利き贈賄容疑が明らかな事件でさえも)、検察審査会が起訴相当と判断しても起訴に持ち込むのは容易でない。それに告発状を受理してから事情聴取に移り、起訴不起訴の結論を出すまでには相当な時間がかかる。この間に国民の関心が失われれば、検察が受理したとしてもそのまま「お蔵入り」にならないとも限らない。

 検察としても森友学園に対する告発は受理するが、財務局職員に対する告発は受理しないということになれば、国家権力に対して「忖度」したという批判は免れない。そこで、ここは一応告発だけは受理しておき、ほとぼりが冷めた頃に不起訴にするといった見方も成り立たたないわけではない。要するに、検察や裁判所だけに事態の真相解明を委ね、国民がそれを観ているだけではこの問題は解決できないのである。

 検察や裁判所は、政権から独立した権威として然るべき正当な判断を示してほしい。しかしだからといって、司法に国民の判断を委ねるわけにはいかない。政権はもとより司法への批判を含めて国民が主権者としての見識を示すことなしには「森友疑惑」は解明できない。それほどこの事件は安倍政権の本質に迫る疑獄事件なのであり、教育勅語復活を否定しない復古主義、歴史修正主義への戦いなのである。(つづく)

2017.04.07 安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(5)
―教育勅語の過去と現在―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《国民学校生徒の実践した教育勅語》
 私的な回想をご海容願いたい。
1941年から47年まで、私は「国民学校」の生徒であった。「国民学校」とは今の小学校の戦時名称である。本郷区立元町国民学校に入学してから、疎開先の栃木県を経て都下八王子市での卒業まで、教育勅語を暗唱した記憶は私にはない。同年代の識者発言に暗唱したとあるのに違和感をもっている。万世一系の天皇名はスラスラと暗唱できた。国民の祝日や戦争に関する記念日には、国旗掲揚があり、国歌君が代斉唱があり、教頭が教育勅語を読んだ。生徒は頭を下げて聞いた。寒い冬は鼻水をすすり上げる音が聞こえた。

元町での3年生までの記憶は鮮明だが、疎開後の記憶は曖昧である。荘重な儀式は形骸化する。私の関心は勅語から「戦局」と「食糧」へ移った。食糧難を書くのはやめる。止まらなくなるからである。戦局については、敗戦は頭になかったが、同時に、戦争に勝てそうもないとも思っていた。なにせ帝都上空にB29数百機が跳梁しても数機落とすのがやっとだったからである。その場合、大人は連合艦隊と邀撃戦闘機は、彼らを一挙に殲滅する機会を待っているのだと解説した。信じたといえばウソになるが、バカにしていたというのも私の場合はウソになる。

支配層にとって教育勅語の効用は何であったろうか。
それは長期にわたり臣民思想の基軸として機能した。国民の主権意識を阻止し、思考停止に追い込んだ。日本における「洗脳」の原点として大きな効果があった。大きな効果とは大きな悲惨をもたらしたという意味である。

《大宅映子のいう饅頭の「アンコ」論》
 評論家の大宅映子は、TBSのラジオ・テレビの番組で、教育勅語問題に関して珍しく批判的な発言をしていた。しかし「饅頭のアンコは良いが皮がいけない」とも言った。防衛相稲田朋美も、大宅のいう「アンコ」に関して、似たようなことを言っている。
想像するに、彼らが言う「アンコ(良い部分)」とは、勅語の「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ」の辺りなのであろう。人間の守るべき普遍的な道義であると言いたいのであろう。私の友人、知人も同じことをいう。

しかし、これが躓きの石なのである。結論を先に言えば、教育勅語がダメな理由は、その「アンコ」が、天皇の戦争を臣民が命令通りに戦うべしという目的の―当然特攻も玉砕もある―手段となっていたことにある。その結果が大東亜戦争の惨敗だったからである。

《言説としての教育勅語を評価すること》
 教育勅語は一つの言説である。
「言説」とは「コトバ」である。思想の表現である「テキスト」である。
言説の評価は、歴史的文脈のなかに置かないと無意味となる。
大宅映子風にいえば、聖書・コーラン・仏典に書いてある「人間のあるべき姿」は、全てアンコである。しかしそのアンコは、キリスト教徒の十字軍、イスラム教徒の版図拡大、仏教徒たる日本軍の大東亜戦争の、戦争正当化のイデオロギーとなったのである。このイデオロギーは非人道的な行動を正当化した。南京事件を描いた小説が発禁、作者は逮捕されたことがある。1938年、石川達三の『生きている兵隊』である。しかしそこには、戦死者追悼のために部隊に同行している従軍僧が、凄惨な戦いの中で平常心をなくし、僧の役割を喪失場面が書かれている。

アンコの意味は、外皮を含む全体像とその評価で決まる。アンコは従属変数である。
1943年の「大東亜共同宣言」すらテキストだけ読めば、アンコがある。だがその役割は帝国によるアジア植民地化の正当化であった。アウシュビッツの「労働は自由をもたらす」すらも同様といえるであろう。

《イデオロギー闘争を仕掛けている安倍政権》
 「イデオロギー」というと、人は政治的なもの危険なものという意識をもつ。
しかしそれを「ある行動を正当化する理屈」とみれば分かり易い。
教育勅語が失効して、戦後民主主義の海中に没したのは、戦後の常識であった。森喜朗首相の「日本は天皇を中心とする神の国」という発言は辞任の一理由となった。2000年のことである。17年前まではこうだったのである。

安倍政権は、「神の国」イデオロギー闘争を、公然と仕掛けているのである。
現政権は「教育勅語は教材として使用可能」と閣議決定した。それどころか、籠池問題では、安倍総理夫妻は教育勅語を暗唱させる児童教育を素晴らしいと言っている。
与党からこの発言に一言も批判が出ていない。束ねることをファッスンという。ファシズムの語源である。

この変わりようは何なのか。どうして変わったのか。言説の背景にある歴史的文脈とは何なのか。残念ながら「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」解明の旅は、まだ道半ば、いや始まったばかりである。(2017/04/03)

2017.04.05 久しぶりに考えた―働くって何なのだろう
韓国通信NO520

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

「政府は28日、働き方改革実現会議を首相官邸で開き、長時間労働の是正や同一労働同一賃金の導入を盛り込んだ実行計画をまとめた。正社員による長時間労働など戦後雇用慣行の見直しに踏み込んだ。政府は今年の国会に関連法の改正案を提出し、2019年度からの実現をめざす」 (3/28付日経新聞デジタル版)
また、「安倍晋三首相は同日の実現会議で『日本の働き方を変える歴史的な一歩。17年は出発点と記憶される』と発言」し、テレビ・新聞は「働き方改革」について一斉に報じた。
「歴史的な一歩」と政府が「自賛」する一方、労働側も経営者側も「翼賛」、マスコミは少しだけ問題点を指摘しながら歓迎した。
しかし、今回の議論は、「ワーキングプアー」「超過密・長時間労働」という非人間的な労働の実態とかけ離れた虚飾にあふれたものに感じられた。

<憲法と労働基準法の精神が見えない>
労働基準法が定める1日の労働時間は8時間。時間外労働は例外として認めているに過ぎない。8時間労働によって憲法が第25条で定めた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を国民に保障するのが政府の仕事のはずだ。多忙月に100時間未満にするかどうかという議論は、一体どこの国の話かと見間違えるほどだった。
「同一労働同一賃金」と「非正規雇用という言葉をなくしたい」という安倍首相の発言は格差是正への期待を持たせる。しかし「国際競争力」「企業の利益」を優先させ非正規雇用労働者を大量に生み出した張本人たちが今更、非正規雇用労働者の待遇改善に取り組むとは考え難い。経営側の人件費総枠維持を前提にするなら、「同一労働同一賃金」「非正規雇用の解消」の実現は正規社員の大幅な人件費削減の道しか考えられない。
憲法と労働基準法を認めようとしない財界と政府の意思は強い。ILO(国際労働機関)条約に定められた多くの重要な条約、1号条約(1日8時間・週48時間制)をはじめ、47号(週40時間制)、132号(年次有給休暇)、140号(有給教育休暇)、111号(雇用及び職業における差別待遇)、などはいまだに批准されていない。今回の「働き方改革会議」は国際基準に背を向け、憲法、労基法の精神からも程遠い「働かせ改革」といってよい。

久しぶりに「労働基準法」を読んだ。戦後、新しい憲法制定とともに教育では「教育基本法」、労働では「労働基準法」「労働組合法」が民主化の一環として法制化された。
労基法(1947/4制定)には「労働時間」「残業」「休暇」「賃金」など経営者が守るべき最低限の基準が示されている。労働行政の核心部分だ。
「スピード違反」「駐車違反」には厳しい取り締まりをするわが国で、全国的に労基法違反の取り締まりを実施したらどうなるのか。官公庁を始め大企業、中小零細企業まで違反の山で大混乱に陥るはずだ。守られない理由は二つ。国が企業に甘いこと。労働者が権利を主張できない、またはしないことにある。
政府は憲法を守れないから変えようとする。同様に守れない労基法まで貶(おとし)めようとしている。こんなことは、認められない。

あらためて労働基準法の冒頭三カ条を書きだしてみた。

(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
○2  この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。
この第一条は憲法が定める13条(生存権)、25条とかかわっている。人間らしい生活をするための労働条件を求めているのだ。

(労働条件の決定)
第二条  労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
○2  労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。
 つまり、労働条件は「労使対等」の原則で決定されると規定しているのである。何よりも重い原則だ。
 
(均等待遇)
第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。
要するに、同じ仕事をしていたら雇用形態の違い、性差で差別することを禁止しているのだ。こうした規定があるにもかかわらず「働き方改革実現会議」で議論する理由が、私にはわからない。

1日、1カ月、1年の労働時間だけが問題ではない。「休暇が取れない」「残業代が払われない」違法職場はゴマンとある。ヤマト運輸の長時間労働と残業代不払い、関西電力の過労死と残業不払いなどは氷山の一角に過ぎない。「タダ働き」と「長時間労働」の関係。「働き方改革」の論議は的外れに近い。もう一度、私たちは1日8時間労働の原点に帰るべきだ。
さらに出世競争が激しい職場では労基法で定められた最低限の権利すら自主的に返上する傾向さえある。労働組合も見て見ぬふりだ。「働き方改革」はこのような職場実態に踏み込んでいない。
労働基準法を骨抜きにして、労働者に「一身を捧げて国家と会社の為につくす」ことを求めるのが今回の改革実行計画の真の狙いだ。

朴槿恵前大統領がついに逮捕された。容疑は国政の壟断(私物化)、収賄など13の容疑である。お友だちの小学校開校のために国有財産をタダみたいな金額で払い下げたとなれば、事態は韓国と「ソックリ」ではないのか。弱気、わき道に反れそうなマスコミの動きに注意したい。

2017.04.03 安倍政権は、籠池起訴で「森友疑惑」の幕引きなどとは思うな
「喧嘩両成敗」でなければ国民は納得しない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

「喧嘩両成敗」でなければ国民の納得は得られない、籠池起訴で「森友疑惑」の幕を引けるなんて思わないことだ、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(18)

 昨日、3月30日の各紙が一斉に伝えたところによると、学校法人森友学園が小学校校舎の建築費に関し、国や大阪府などに異なる金額の工事請負契約書を提出していた問題で、籠池理事長に対する補助金適正化法違反容疑での告発状が四国地方の個人から大阪地検特捜部に提出され、地検特捜部が29日に受理したことが分かったという。

 森友学園は補助金申請や設置認可申請に当たり、国交省に付随工事を含め23億8400万円、大阪府に7億5600万円、伊丹空港の運営会社には15億5000万円と、金額の違う3通の契約書をそれぞれ提出し、国交省は契約書に基づき、2015年度に6194万円の補助金交付を決め、これまでに5600万円余が支給された。

 補助金の提出先が違えば建築工事費が異なるなんて、それが「オカシイ」ことは建築屋でなくても誰でもわかることだ。籠池理事長が国会の証人喚問で刑事訴追のおそれがあるから証言を拒否したのはそのためだろう。それにしても、国や地方の役所に対して同一建築物の工事費を7億円台から23億円台に変えるなんて、いったい誰が考え付いたのだろう。それが籠池理事長の個人的な思い付きによるものか、それとも誰かが入れ智恵したことによるものか、この際、大阪地検特捜部は名誉にかけてその背景を徹底的に明らかにしてほしい。

 それでは、なぜタイミングよく告発状が提出され受理されたのだろう(通常は受理されない場合が多い)。考えられるのは、籠池理事長の国会証人喚問 → 偽証罪告発 → 訴追といった一連の流れが安倍政権の予定シナリオだったが、その後、偽証罪での告発は難しいということになり、代わって補助金不正受給の疑いで取り調べることになったのではないか。大阪府の松井知事も同様の告発を準備しているというから、これからは証人喚問に代わって籠池理事長に関する捜査ニュースが前面に出てくるかもしれない。

 事実、籠池理事長はどこを叩いても「ホコリが出る身体」だと言われている。この他にも芋づる式に続々と罪状が出てくるかもしれず、そうなるとその都度、取り調べの中身が意識的にリークされて各紙の紙面を大きく占めると言った事態も予想される。マスメディアや国民の関心が籠池理事長の方に流れると、安倍政権はそれだけ助かることになるので窮地を脱することもできるとの憶測が流れているのもそのためだ。今回の告発もそれが目当てかもしれない。

 だが、籠池理事長の刑事起訴で「森友疑惑」の幕引きは終わらないし、終わらせてはいけないと思う。仲間割れした一方の相手だけを悪者に仕立て上げ、それに加担した安倍首相夫人が安全地帯でノウノウとしている(疑惑発生後も全国を飛び回って笑顔を振りまいている)ことなど許されないことだ。また、フェイスブックに書き込んだだけで如何にも「反論」したように吹聴することも、アンフェアでルールに反することだと言わなければならない。

 古来、わが国には「喧嘩両成敗」という言葉がある。現代法理からすれば、喧嘩の原因を確かめず、双方の正当性の検証もしないで「両成敗」することにはいささか無理があると思うが、今回の「森友疑惑」の場合は双方に責任があることは明白なのだ。籠池理事長が加害者で安倍首相夫人が被害者だというような関係ではなく、明らかに両者は共同関係にあったのである。なにしろ安倍首相夫人は新設予定の「名誉校長」に就任し、籠池理事長は校長に予定されていたのだから、両者はまさに「一心同体」の関係だったといっても過言ではない。それが国有地のタダ同然の払い下げにつながったのだとしたら、両者は「共犯関係」にあったと疑われても仕方がないである。

 安倍政権がここまで強気なのは、内閣支持率がそれほどまでに下がらず、「森友疑惑」で白を切り通してもまだまだ政権を維持できると事態を甘く見ているからだろう。しかし、国民を舐めてはいけない。当初は些細なスキャンダルが権力側の隠蔽によって大事件となり、政権崩壊の引き金になったことは枚挙の暇もないのである。まして、今回の「森友疑惑」は些細なスキャンダルなどでは毛頭なく、国民の財産である国有地を掠め取ろうとした悪質極まる政治犯罪なのだ。それに加担した双方が平等に罰せられないとなれば、「法の下の平等」という現代法理の大原則が崩れることにもなりかねない。

 法治国家の権威と秩序が維持できなければ、資本主義社会といえでも体制を維持することはできない。企業倫理と会計秩序を無視した東芝が崩壊寸前に苦境に立たされているように、政治倫理と法秩序を無視した関係者の一方が無傷で終わるようなことになれば、政府の権威と支配秩序は崩壊する。安倍首相夫人はもとより財務官僚が結託して加担した今回の「森友疑惑」は単なる刑事事件などではなく、「国家犯罪」ともいうべき大疑獄事件なのである。

 「喧嘩両成敗」でなければ国民は納得しない。安倍政権は自らを罰することなしには「森友疑惑」に終止符を打てないのである。(つづく)

2017.03.27 安倍政権を揺るがす「アッキード事件」
―ぜひ松井大阪府知事の証人喚問を!

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

籠池国会証人喚問は国民の注目を集め、国際ニュースとなって世界を駆け巡った、森友学園疑惑はいまや安倍政権を揺るがす疑獄事件へと発展している、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(17)

 この2、3日はテレビの国会中継に釘付けだった。言わずと知れた森友学園疑惑がそのお目当てだ。なかでも3月23日の森友学園籠池理事長の証人喚問は圧巻だった。参院では例によって西田自民党議員(京都選出)が質問に立ったが、籠池証人を嘘つき呼ばわりして脅かすだけで、事態の究明につながる質問は何一つしなかった。その一方、財務官僚とのやりとりでは、西田議員が「こういう事実があるか」と聞くと理財局長が「ございません」とオウム返しする。一連の応答の後、「国有地売却で政治家の関与はなく手続きにも問題はなかった」と勝手に決めつけて終わり...。まあこんな具合なのだ。

 その一方、証人席の籠池理事長は余裕綽々だった。署名に手を震わせることもなければ、臆した様子もない。むしろ、ここ一番の大勝負に臨む勝負師の気迫さえ感じられる。籠池理事長は大阪では「天性の詐欺師」と言われているだけあって、度胸も据わっている。だから、自分だけを悪者にして逃げようとする政治家たちの名前を次から次へと挙げ、安倍首相夫人とのメールや電話での生々しいやりとりも容赦なく暴露した。極め付きは、首相夫人付きの女性官僚からファックスで送られてきた森友学園要望事項に関する一連の経過と結果を知らせた返答文書だろう。

 これで、籠池理事長夫妻から安倍首相夫人への要望 → 首相夫人付き官僚の財務省・国交省など関係省庁への照会 → 関係省庁からの回答 → 首相夫人付き官僚からの籠池理事長へ返答という一連の「口利き」ルートが判明した。何しろこのルートは首相夫人につながる「ホットライン」なのだ。籠池理事長夫妻が「命綱」と考えても不思議ではない。「命綱を断ち切られれば死ぬほかはない...」。籠池夫人が安倍首相夫人に訴えた気持ちがよくわかるというものだ。

 籠池証人喚問の国会中継の視聴率は、関東では16%、関西では18%にもなったらしい。この種の番組としては異例の高視聴率だ。お陰で裏番組が軒並み吹っ飛んだという。全国の世帯数はおよそ5500万世帯だから、1000万近い世帯がこの国会中継を観ていたことになる。それだけではない。最近は録画しておいて時間のある時に観る人が急激に増えているので、これらを合わせると国民の4分の1ぐらいは観ていたことになるのではないか。事実、当日大阪であった研究会の後で立ち寄った居酒屋のお兄ちゃんは、国会中継を録画しているので家に帰ってから観ると言っていた。そこの女将さんも「下手なドラマよりもなんぼか面白いでっせ」と大評判なのだ。森友学園疑惑はいまや国民的関心事なのである。

 森友学園疑惑をロッキード事件とのアナロジーで「アッキード事件」と呼んでいるジャーナリストも多い。ロッキード事件とは、端的にいえば「総理大臣の犯罪」である。森友学園疑惑を早くから「アッキード事件」とネーミングした鋭い嗅覚には驚くが、それが急速にリアル感を増している事態の展開の速さにも驚く。当初は「森友学園と関係があるなら国会議員も総理大臣も辞める」と啖呵を切っていた安倍首相も、事態を軽く見ていたからこそ大見得を切ったのであって、これほどのことになるとは予想だにしていなかったに違いない。自業自得とはいえ、安倍首相は今頃恐らく大失言だったと後悔していることだろう。「アベ友」で名高い田崎某テレビコメンテイターも、「言わなければよかった」と首相の気持ちを代弁して一緒に後悔している。彼らがグルになって国民を甘く見ていたツケが(ようやく)回ってきたのである。

 自公与党および維新の会はいまや身に降りかかる火の粉を振り払い、事態の幕引きを図るのに必死だ。籠池理事長から「梯子を外した」として集中砲火を浴びている松井大阪府知事などは逆に居直り、「証人喚問に出てもいい」との攻勢に出ている。「攻撃は最大の防御」という若い時から喧嘩に負けたことがない経験を活かしての発言だろう。ならば、松井知事国会証人喚問はぜひ実現してほしい。おそらく関西での国会中継視聴率は20%以上に跳ね上がり、居酒屋での酒飲み話にも一段と弾みがつくに違いない。

 安倍首相にとってもう一つの難題は、森友学園疑惑が国際的に拡がることだ。「地球儀外交」を掲げ、内閣支持率が下がるとみるや不要不急の外交日程を組んで世界を飛び回り(国民の税金で)、帰国後には御付きのNHK政治部記者を従えてニュース番組で得々と語るというこれまでの定番手法が難しくなってきたのである。外国首脳とにこやかに握手を交わすには、それなりの国際的評判を背景にしていなければならない。しかし、安倍首相はトランプ大統領との親密関係を誇示することで世界の物笑いになり、今度は「ウルトラ・ナショナリスト」(極右、国粋主義者)絡みのスキャンダルともなれば、地球儀外交の影も薄くならざるを得ないだろう。

 3月23日の国会証人喚問後に開かれた日本外国人特派員協会での籠池理事長記者会見は、国内外の約70社の記者が集まり質問の集中砲火が続いた。その会見模様は各社電子版として即世界中に広がり、英紙ガーディアンは「安倍晋三夫妻、ウルトラ・ナショナリスト(国粋主義)学校に寄付の疑い」とも見出しで一連の事態を報じ、米CNNは、日の丸を背景に籠池氏と安倍夫妻、稲田朋美防衛相を組み合わせた写真を使い「名誉校長」「防衛相との関わり」などの項目を立てて詳報した。「外国メディアにとって最大で唯一の関心は、安倍首相が生き残るかどうかだ」、「首相の退陣につながるとすると重要な国際ニュースになる。それだけ国会での証人喚問は劇的だった」というのが記者たちの感想である(朝日新聞2017年3月24日)。

 今後、政局はどう動くか予想もつかない。安倍政権があくまでも白を切り、自公与党と維新の会が結託して幕引きを図るというシナリオはもはや崩れて使えない。とすれば、残るカードは安倍首相の辞任か、それとも総選挙か、あまり多くのカードは残されていない。少ないカードで「一か八か」の大勝負に出るかどうか、全ては安倍首相の胸先三寸に懸かっている。(つづく)