2019.04.17 スポーツ選手の体調と精神状態

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

高地トレーニングに問題ないか
 池江璃花子選手が白血病を患っているというニュースに衝撃を覚えた。前途ある若い選手が病魔に襲われたことに言葉もない。
 このニュースを聞いてすぐに思ったことは、高地トレーニングの影響である。日本水泳連盟は定期的に高地トレーニング合宿を行っているが、頻繁な高地トレーニングが10代の若い選手の体に与える影響について、医学的な調査や研究が行われているのだろうか。選手個人によって影響は異なるだろうが、意図的かつ一時的に赤血球を増やすことを繰り返すことに健康上の問題はないのだろうか。水泳連盟は専門医グループとの共同調査を行い、健康への影響を見極めるべきだろう。
 同じことは、萩野公介選手についても言える。萩野選手については、精神的な問題を指摘する人もいるし、「イップス」のような状態だと指摘する人もいるが、ベストにほど遠い状態を見れば、たんなる精神的なものではないと考えられる。血液検査で問題が見つからないから精神的なものだというのは早すぎる。もっと精密な検査で体全体の状態をチェックすべきではないだろうか。どこかに問題があるはずである。
 スポーツ連盟は選手の健康状態チェックの頻度を上げて、選手の体の状態を常時把握している必要がある。とくに、肉体を限界まで追い込む練習を繰り返している水泳、自転車、陸上中長距離の選手の場合には、定期的な検査を行う必要がある。いかに自然環境を利用するとはいえ、人為的に赤血球増加のトレーニングを組み入れれば、耐久力が増すというメリットだけでなく、体調変化によるデメリットがどこかに生じるはずである。記録も大切だが、選手の健康は何よりも優先されなければならない。選手生活を終えた後、日常生活に不都合を生じるような健康状態に陥ってはならない。
 自転車競技ではドーピング問題が常に指摘されているが、薬物や血液を使ったドーピングだけが問題だとは思われない。繰り返される高地トレーニングもまた、自然環境を利用する一種のドーピングではないだろうか。各スポーツ連盟は、ドーピングに認定されないから高地トレーニングを繰り返しても良いという姿勢ではなく、選手の健康にどのような影響を与えるのか、多くの専門医や研究者を巻き込んで多面的に検討すべきではないか。

肉体的な状態がメンタルを支える
 スポーツ選手に限らず、一般人の生活においても、メンタル状態を決めるのは基本的にフィジカルな状態である。いくらメンタル面が強くても、フィジカル面に問題があれば、精神的な克服には限度がある。
 テニスの錦織選手は全豪以後の大きな大会での早期敗退が続いた。一見して、勝負への集中力や執着力が弱くなっていると感じるが、しかしそれはたんにメンタルなものではないと思う。
 現在の世界のテニス界は30歳を超えたビッグスリーと20歳前後の若い選手との世代交代の闘いになっている。急速に力を伸ばしている若い選手のほとんどは体が大きく、190cmを超える長身から放つサーヴィスは平均時速で200キロを超える。一昔前の大柄な選手は、サーヴィス力はあっても、ストロークに難のある選手がほとんどだった。ところが、現在台頭している若い選手は皆、サーヴィスも良ければストロークも良い。簡単にストロークミスをしない。
 この若手選手の台頭が錦織選手を苦しめている。相手のストロークをはるかに凌駕するストローク力が錦織選手のランキングを支えてきた。ところが、ここにきて若い選手のストローク力が予想以上に良いので、以前のように錦織選手が簡単に優位性を発揮することができなくなっている。他方、若い選手のサーヴィス力は一流だが、錦織選手のサーヴィス力は三流である。若い選手のサーヴィス平均時速が200キロを超えるのにたいし、錦織選手のファーストサーヴィスの平均時速は175キロ前後である。女子の大阪なおみ選手とほぼ同じである。ランキングが低い選手相手でも、このスピードでは苦しい闘いが続く。小さなトーナメントでも、息が抜けない試合が続く。錦織選手のトーナメント早期敗退は予想の範囲内にある。
 全豪オープン4回戦、対カレーニョ・ブスタ選手との試合はスリリングなゲームとして楽しめたが、錦織選手にとってたいへん疲れる試合だった。試合が5時間にもなった主要な原因は、自らのサーヴィスゲームでセットを締めるべき所で、締めきれなかったところにある。こんな長時間の試合の後に、ジョコヴィッチ選手と試合ができるわけもなく、途中棄権になった。サーヴィススピードを時速10キロアップできれば、要所を締めて、試合時間を短縮できる。錦織選手にもう少しだけサーヴィス力があれば、カレーニョ・ブスタ戦は3時間以内で終わっていた。サーヴィス力のなさが、2時間の余計な闘いを強いた。グランドスラム大会は決勝まで7試合あるから、このような試合を続ける限り、決勝進出はほど遠い。マスターズ1000のタイトルがないのも、サーヴィス力の不足が原因である。
 もちろん、錦織選手はサーヴィス力の向上に努力しているはずだが、ファーストサーヴィスの速度に変化は見られない。以前に比べて、センカンドサーヴィスの速度が時速で10キロほど上がっているが。遅いファーストサーヴィスをチェンジアップのように使い、コーナーから外に逃げるコントロールの効いたサーヴィスで勝負することが増えたが、スピードがなければ、ゲームが進む毎にチェンジアップが見抜かれて簡単に叩かれる。
 錦織選手には、サーヴスピードを少なくとも時速10キロ上げることを可能にしてくれるコーチが必要だ。この課題にチャン・コーチはまったく不適任である。錦織選手は適切なアドヴァイスを与えてくれるコーチを選ぶべきだ。それをしないのは、最初から速度を上げることを諦めているか、自らの課題の捉え方が間違っているか、それとも有能な若手の台頭に向上心を失ったかのどちらかである。

2019.04.01 スキージャンプW杯の歴史を作った小林陵侑選手

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 日本では今一つ、注目されないスキージャンプだが、ヨーロッパでは冬のスポーツの花形競技である。長く低迷が続いた日本ジャンプ陣は今シーズン(2018-2019年)、大きな飛躍を遂げた。
 3月24日のプラニツァ(スロヴェニア)のスキーフライング台(ラージヒルのおよそ2倍のサイズをもつジャンプ台)で個人最終第28戦を行い、小林陵侑(りょうゆう)選手が本戦1回目のジャンプで、プラニツァの最長記録を塗り替える252m(歴代2位の世界最長記録。世界記録はオーストリアのクラフト選手の253.5m、ノルウェイのヴィケルスン・ジャンプ台、2017年)の大ジャンプを披露し、2回目も230.5mを飛び、2位に20.9ポイントの差をつけ、有終の美を飾った。これまで250mを超えるジャンプを記録した選手は、小林陵侑選手を除き4名いるが、4名の記録はみなノルウェイ・ヴィケルスンのジャンプ台の記録である。

W杯総合優勝
 2018-2019年のW杯スキージャンプ大会は、2018年11月18日に始まり2019年3月24日に終わるおよそ4ヶ月にわたる長丁場の戦いである。異なる形状やヒルサイズのジャンプ台を転戦してポイントを競い合う。
 予選を通過した50名の選手が本戦で2回のジャンプを行い、勝敗を決する。2回目に進めるのは30名だけで、W杯ポイントが付くのも30位までである。2回目に進めない選手のポイントはゼロである。
優勝者100点、準優勝80点、3位60点、4位50点、5位45点と、点数が次第に低くなり、21位の選手が10点で、30位の選手1点である。今シーズンの場合、28戦の合計獲得ポイントで、総合優勝者が決まった。以下が日本選手の総合順位と獲得ポイントである。
1位小林陵侑2085点、19位小林潤志郎335点、23位佐藤幸椰(ゆきや)316点、32位伊東大貴145点、37位葛西紀明88点、39位中村直幹(なおき)72点。
W杯1シーズンの13勝は、W杯通算53勝の記録をもつシュリーレンツァウアーが2008-2009年に記録した1シーズン13勝に並ぶ記録である(総合ポイント2083点)。1シーズン13勝は当時の世界記録だったが、2015-2016年にスロヴェニアのピーター・プレヴツがシーズン15勝の驚異的記録を達成し、これが歴代記録になっている(総合ポイント2303点)。
小林陵侑選手に次ぐ総合第2位のクラフト選手は総合点数が1349点だから、実に2位に700点以上の差を付けたダントツの総合優勝だった。
また、プラニツァの前に行われた3月17日のスキーフライング大会(ヴィケルスン)では、TVの解説者は小林選手の優勝を告げたが、実際にはわずか0.1点差でドメン・プレヴツが優勝をさらってしまった。飛型点の評価が小林選手に厳しく、これを制覇していれば、単独2位の14勝を達成することもできた。

各種シリーズを総なめ
 W杯28戦の中で、各種のシリーズ総合優勝者が決まるイヴェントがある。それぞれのシリーズの総合優勝者には、スポンサーから歴史ある優勝杯のほかに、賞金と副賞が贈られる。
 一番格が高いシリーズは、年末から年初にかけて、ドイツとオーストリアの4つのジャンプ台で総合点を競うFour Hills Tournamentである。欧州伝統の「ジャンプ週間」と呼ばれる特別な大会で、67年目を迎えた今シーズンの大会で、歴代3人目となるグランドスラム達成者(4つの大会すべてを制覇)となった。この大会の得点集計は、4つのジャンプ台8本の生得点をそのまま集計するもので、小林陵侑選手は2位に62点差をつけてグランドスラム達成の総合優勝を飾った。
 二番目に格の高いシリーズは、Raw Air Competitionと呼ばれるシリーズで、10日間でノルウェイの4つのジャンプ台(ホルメンコーレン、リレハンメル、トロンドハイム、ヴィケルスン)で行われるW杯記録を集計するものである。ここには個人記録とは見なされない団体(国別対抗)競技の生点数と予選点数が一つずつ加算され、合計10本のジャンプ記録を集計して総合優勝者を決める。予選や団体競技から手の抜けないシリーズである。2019年の小林陵侑選手は2461.5点で、Raw Airと通称されるシリーズの総合優勝者となったが、2位のクラフト選手とは僅か2.9点の差だった。
 三番目に格の高いシリーズは、スキーフライング台を使った6つの大会の個人記録総合を競うSki Flyingである。今年のジャンプ台は、ドイツ・オーベルスドルフの3回のジャンプ、ノルウェイ・ヴィケルスンの1回のジャンプ、プラニツァの2回のジャンプ記録を総合するが、生得点の集計ではなく、順位にもとづく得点を合計する。オーベルスドルフ大会を終えた時点で、トップはポーランドのストッホ選手で、小林陵侑選手は6位と低迷していたが、ヴィケルスン、プラニツァの二つの大会で逆転し、2位のアイゼンビヒラー選手に36点差を付けて、このシリーズも制覇した。
 四番目に格の高いシリーズになるプラニツァ7 (Planiza Seven)は、W杯最終戦が行われるプラニツァで行われたすべてのジャンプ、つまり個人予選(1回のジャンプ)、1回目の個人競技(2回のジャンプ)、団体競技(2回のジャンプ)、2回目の個人競技(2回のジャンプ)の合計7本の生得点の合計を競うシリーズである。小林陵侑選手は2位のアイゼンビヒラー選手に29.2点の差を付けて、プラニツァ・シリーズ優勝で、個人最終戦優勝の花を飾った。
 五番目になるシリーズは、ヴィリンゲン5 (Willingen 5)は、2月中旬にドイツ・ヴィリンゲンで開催されたシリーズで、個人予選(1回)、1回目の個人競技(2回)、2回目の個人競技(2回)の合計5本の生得点の合計を競うシリーズである。小林陵侑選手は2位のズィラ(ポーランド)選手に28.9点差を付けて、このシリーズでも優勝を飾った。
 
 かくして、2018-2019年のスキージャンプW杯において、小林陵侑選手は総合優勝のみならず、5つのサブシリーズすべてに優勝を飾り、完勝したのである。これは前人未踏の記録であり、当分の間、この記録は破られそうにもない。小林陵侑選手はスキージャンプW杯の歴史に名を残す、驚異的な成果を残した。日本でもっと注目されて良い。
 世界選手権では天候に災いされ表彰台を逃したが、これ以上は望めない記録ずくめのW杯を終えた。スキージャンプは好調を維持するのが難しい競技である。来シーズンもまた、今シーズンに匹敵する結果を期待したい。

2019.01.10  小林陵侑選手の歴史的快挙を祝う
盛田常夫(経済学者、在ハンガリー)

 スキージャンプの小林選手がジャンプ週間で史上3人目のグランドスラム(4大会すべてで優勝)の快挙を達成した。日本国内ではジャンプ週間総合優勝が大きく取り上げられているが、欧州ではグランドスラム達成に沸いている。
 スキージャンプW杯は今シーズン30戦近い試合のうち、第8戦から第11戦の4戦はジャンプ週間と呼ばれる特別な大会になっている。W杯の点数計算のほかに、4戦の総合得点(総合優勝)の表彰が行われる。66回(66年)の歴史の中で、この4戦すべてに勝利したジャンパーは、2003年のスヴェン・ハナヴァルト選手と2018年のカミル・ストッホ選手の2名しかいない。ジャプ週間の総合優勝やW杯の総合優勝を飾ったり、五輪金メダルをとったりした選手は多くいるが、ジャンプ週間で4冠(グランドスラム)を達成した選手は、この2名だけなのだ。それほど、形状が違う4つのジャンプ台すべてで優勝することが難しい。W杯最多勝のシュリーレンツァウアーや、五輪の金メダルに2度も輝いたアマン選手でも成し遂げられなかった快挙である。小林選手の伝統あるジャンプ週間の歴史に、67年の歴史で3人目のグランドスラム達成選手として名を刻まれることになった。
 札幌五輪を前にした1972年、笠谷幸生選手はジャンプ週間の第1戦から第3戦まで優勝し、ジャンプ週間総合優勝へ残すはあと1戦、グランドスラム達成まであと1勝となったが、国内の五輪選考大会に出場するために第4戦を棄権して日本へ戻ってしまった。当時の国際スキー連盟やスキージャンプのファンは残念がった。ジャンプ週間にたいする日本のスキー界の認識が極めて低かったとしか言いようがない。ジャンプ週間の歴史に名を残す大きなチャンスをみすみす失ってしまった。それから47年を経て、小林選手が笠谷選手の無念を晴らし、グランドスラムを達成したのだ。
 小林選手はジャンプ週間4勝を含めて、今季W杯11戦で8勝という驚異の快進撃を続けている。はたして、この好調はどこまで持続するのか、スキージャンプファンはその成り行きを見守っている。
 スヴェン・ハナヴァルトの評によれば、小林選手は近年まれなほどの技術的完成度をもっているという。助走から空中姿勢へ移る技術は完ぺきに近く、少々のミスや追い風をものともしない強さを持っている。
 最近のスキージャンプ競技ではコンピュータ技術が取り入れられ、踏み切り台から着地地点までの7か所で風速が測られ、風速に応じて加点(追い風の場合)や減点(向かい風)が細かく計算される。数年前までは、風に関係なく、飛型点(空中姿勢と着地姿勢)と距離だけで勝負が決まっていたが、風の要素を中立化させる計算になって、きわめて複雑な計算になっている。
 また、今シーズンのEurosportの中継画面では、踏切り速度、踏切りから20m地点での速度、着地速度の測定値が画面表示されている。遠くに飛ぶために、踏切のスキー速度が速い方が良い。さらに、最初の空中姿勢に入った時に、風の影響を受けて減速するが、減速度合いが小さければ小さいほどよい。そこから重力にひっぱられて加速され、着地地点では踏切速度から20-25%ほど速度が上がるが、失速ジャンプの場合には極端に速度が落ちる。小林選手の特徴は、空中姿勢に入った時に減速せずに、逆に1km/hほど加速する。これが他を寄せ付けない技術になっている。また、踏切り地点に設置されたカメラは、踏切時の膝の曲がり具合い(角度)を表示している。135°から140°の角度を保っていれば、絶妙のタイミングでの踏切となるが、角度が大きければ早すぎる踏切になり、角度が小さければ遅すぎる踏切になる。早すぎても遅すぎても、滑走速度を空中へ最適に持ち込むことができない。この間の時間は100分の1秒の世界である。ジャンプ台によって踏切りのタイミングが異なるから、最適な踏切りで飛び出すのが難しい。非常に繊細な競技だと言える。
 2000年前後の日本選手の全盛時代を知っている者にとって、ここ20年は不本意な時代だったが、ようやく小林兄弟や 佐藤幸椰選手、中村直幹選手などの若手選手がトップ30に顔を出すようになり、世界の舞台で闘えるジャンパーが育ってきた。多くの国が世代交代で苦しんでいる中、ようやく日本のジャンプ陣に光明が見えてきた。
2018.09.19 勝負強さが戻って来た錦織、将来が期待できる大坂
-2018年全米オープンテニス選手権

 
盛田常夫(経済学者、在ハンガリー)

前代未聞のゲーム喪失
 全米女子シングルス決勝は騒然とした異様な雰囲気の中で、大坂が勝利した。第1セットを失ったセリーナ・ウィリアムズが第2セットで3回の警告を受け、闘わずして1ゲームを落とすという前代未聞の展開の中、1人蚊帳の外に置かれた大坂は動揺することなく勝ちきった。異様な雰囲気に押されることなく、ゲームを仕舞った気力は称賛に値する。第2セットを通して、執拗に主審に食い下がり、挙げ句の果てに主審を罵倒するというウィリアムズの醜い行動にたいして、如何に地元選手とは言え、ウィリアムズと一緒になって審判へ激しいブーイングを繰り返すニューヨークの観客は著しく公正さを欠いている。明らかに、第2セットはウィリアムズの自滅である。セリーナ・ウィリアムズの言動は傲慢であり、ニューヨークの観客の態度は勝者に対するリスペクトに欠ける依怙贔屓(えこひいき)以外の何物でもない。
 ウィリアムズは序盤から大坂に押され、苦しい展開が続いた。大写しで見るウィリアムズは肩で息をするほどに、呼吸が乱れていた。本調子に近いウィリアムズは、何の実績もない小娘に負けるはずがないと高をくくっていた節がある。ところが、サーヴィススピードはほとんど同じで、決まったはずのリターンも返ってくる。しかも、スーパーショットで戻って来るから焦った。それが第2セットの苛立ちの伏線になっている。
 第2セット序盤、大坂のサーヴィスゲームをブレイクしたウィリアムズ陣営は、スタンドにいるコーチが「前へ出て相手にプレッシャーをかけろ」というようなジェスチャーを繰り返した。これが最初の警告になった。ウィリアムズは「見ていないから警告に値しない」と考えたようだが、見ていようといまいと、ルール上、コーチングは警告の対象になる。しかも、1回目の警告には何の制裁も科されない。だから、抗議しても、すぐに気持ちを切り替えて、ゲームを続けるべきだった。ところが、ウィリアムズはコートチェンジの度に、主審に悪態をついていた。「男子で問題にされない行為が、女子で警告対象にされるのは男女差別だ」という主張も展開していたが、この場では筋違いもはなはだしい。警告だけで罰則がない1回目の警告に、執拗に食い下がる行動は理解できない。非常に見苦しい態度だが、それほどウィリアムズは事前の想定と異なる展開に苛立っていたと考えるべきだろう。
そして、第2セット3-1からのウィリアムズのサーヴィスがブレイクバックされた時に感情が爆発した。ラケットをコートに叩きつけ、へし折ってしまった。これも警告対象行為である。しかも、2度目の警告は1ポイントの罰則が課される。プロ選手であれば、承知していて当然のルールである。これによって、3-2からの大坂のサーヴィスゲームは、15-0から始まり、大坂はこのゲームを簡単に取って、3-3のイーヴンに戻した。
 さらに、この直後のウィリアムズのサーヴィスゲームが再びブレイクされ、ウィリアムズは連続で3ゲームを失い、ウィリアムズからみて3-4になった。これでウィリアムズは再び怒りを爆発させ、コートチェンジの際に、主審に向かって「あなたは私のポイントを盗んだ」、「間違いを認めて謝りなさい」と激しく主審を非難したのだ。抗議の域を超え、挙げ句の果てに主審を泥棒呼ばわりしてしまった。指を主審に向け、激しく主審をなじる行為はきわめて傲慢だ。弁護すべき情状はまったくない。この審判侮辱にたいして、主審が3度目の警告を発し、ウィリアムズは第8ゲームを戦わずして失ってしまった。つまり、大坂のサーヴィスゲームは戦わずして大坂が取得したゲームとなり、ゲームカウントが3-5になってしまった。
これに対して、ウィリアムズは大会チェアマンに訴え、観客が主審に激しいブーイングを浴びせるという異様な雰囲気に包まれた。もちろん、主審の判定が変わるはずもない。騒然とした中、ウィリアムズはサーヴィスゲームをキープして4-5となり、大坂のサーヴィスゲームを迎えた。大坂は安定したサーヴィスから、最後は180kmのサーヴィスをバックサイドコーナーに打ち込み、ウィリアムズのラケットをはじき、異様なゲームを終わらせた。
 大坂の全米優勝によって、ここ2年間のグランドスラム大会の女子シングルス優勝者がすべて異なる選手になった。これは実に80年振りの出来事だそうだ。これが意味するところは、女子テニス界が大きな世代交代を迎え、かなり多くの選手に次世代を担う可能性が開かれていることだ。ここ2年のグランドスラム優勝者8名のなかで、大坂選手はもっとも若い。
 
大坂の進歩と課題
 今年はグランドスラム大会に次ぐインディアンウェルズで優勝したとはいえ、その後のトーナメントで結果を残せていない大坂が、全米オープン決勝に進むとは誰も思っていなかった。しかし、昨年に比べ、大坂選手はいくつかの点で、大きな進歩を遂げている。
 一つは、ストロークの安定性である。我慢強くストロークを続け、チャンスで決定打を放つ忍耐力がなければ世界の上位に食い込めない。世界ランキング1位のハレブは、小柄ながら、先にミスをしない粘り強さでランキングを維持している。ストロークが安定するためには走らなくてはならない。大坂はウェイトを落とし、体を絞って走れるようになった。それがストロークの安定に繋がっている。この点、ウィリアムズは身長が大坂とほとんど変わらないが、見た目ではウェイトが15~20kgほど重い。競ったゲームでは俊敏性や耐久力が勝負になるから、このフィットネスの差は大きい。
 二つは、サーヴィスの安定である。ファーストサーヴィスのスピードはほとんどが180km/h前後で、これは女子のトップ選手に位置する。ウィリアムズ、サバレンカ、キーズなどのサーヴィス速度も同じレヴェルだが、大坂のサーヴィスは腕力で押すタイプではなく、体の柔らかさが生み出すスピードだから、コントロールが利いている。ただ、サーヴィスは体調によって精度が大きく変化するから、サーヴィスだけに頼る選手は上位の位置を維持することができない。大坂の課題は、ファーストサーヴィスに過度に頼らず、スピードが極端に落ちるセカンドサーヴィスを改善することだろう。
 三つは、コントロールショット(力をセーヴして、制球を狙ったショット)に磨きをかけ、打ち急がない忍耐力とフィジカルな強さを獲得した。4回戦で対戦した同じ20歳のサバレンカは、今後とも、手強い強敵になるだろう。身長、体重共に大坂を上回るサバレンカは、ほとんどすべての球を全力で打つ。打球は重く速い。サーヴィスも速い。ただ、大坂と違い、コントロールショットに欠ける分だけミスが多い。これが勝負の分かれ目になった。この点はコーチのバインから繰り返しアドヴァイスされている点だろう。
 全米オープン優勝で、次世代を担う選手の中で、一つ頭を抜け出したことは間違いない。しかし、ここ2年間、グランドスラム優勝者がすべて異なるように、勝負の世界は甘くない。怪我することなく、精進を続けて、世界女王の地位を確保してもらいたいものだ。

戻って来た勝負強さ
 2017年の全豪オープンまで、錦織の調子は悪くなかった。しかし、その後の南米クレーコートのトーナメントへの参戦が間違いの始まりだった。慣れないサーフェイスで調子を落とし、やがて手首や臀部などの故障で苦しんだ。トップ選手の実力は紙一重である。故障を抱えながらトップの位置が維持できるほど、プロの世界は甘くない。
 2017年全米オープン前に手首の靱帯を痛める時まで、錦織は格下に苦戦することが多くなった。コートにラケットを叩きつけ、いかにも気だるそうな態度を見せる錦織は、大きな壁にぶつかっているように見えた。世界に躍り出た当時のような初々しさがなくなり、ふて腐れたような態度を取ることが多くなった。そこに手首の靱帯損傷である。
 6ヶ月を超えるリハビリ期間を経過して、どこまでレヴェルを上げられるのかが注目された。今年はここまで、ATP1000モンテカルロ準優勝、全仏16強、全英8強、全米4強は、上々の復帰年だと言える。年間ポイントで8強が争う最終戦ランキングで、10位にまで浮上してきた。故障明けのワブリンカやマレーが苦戦していることを考えれば、錦織は復帰に成功した。
 今年の全米オープンは、難敵を破ってベスト4だから、ほとんど故障前の状態にまでレヴェルは上がっている。何よりも、格下につけいる隙を見せず、シュワルツマン、コールシュライバー、チリッチなどの強敵をストロークで押し切ったのは見事である。そこには、故障前には見られなかった進歩がいくつかある。
 一つは、攻め急がずに、粘り強くストロークを続けることができるようになった。機を見て攻撃をかける戦術眼は、世界に躍り出た当時の錦織を見るようだ。故障前は、ゲームの初めに全力で相手を打ち負かし、その後崩れるというパターンが良く見られた。勝負を急ぐような性急さは、かえって墓穴を掘ることになっていた。初心に返って、我慢強くストロークを打つようになった点が、改善点である。
 二つは、サーヴィス力の向上である。サーヴィスの制球力が良くなり、球速が極端に落ちるセカンドサーヴィスに工夫が見られる。確かにサーヴィス力は向上しているが、依然としてサーヴィス力だけを見れば2流の選手である。腕の筋力が弱いか、地肩が強くないのだろう。女子のトップ選手と同じ程度のサーヴィス力というのは褒められたものではない。若手が台頭している時代にあって、トップテンを維持するために、もう一段のサーヴィス力の向上が必要である。これがない限り、グランドスラム大会の優勝は考えられない。
 三つは、フィジカル面の強化である。チリッチ戦で4時間マッチを闘える体力までフィジカルな強さが戻って来たのは間違いない。しかし、錦織には決勝までの2試合を闘う体力は残っていなかった。3強あるいは4強と呼ばれる選手と錦織選手との最大の違いは、フィジカルなインテンシティの差である。大きなゲームを通して、あるいはトーナメントを通して、一定水準以上の強度を維持してプレーすることができない選手は、頂点に立つことはできない。
 ナダルにしてもジョコヴィッチにしても、ゲームの中でのアップダウンが少ない。常に一定のフィジカル強度を持ちながらプレーすることができる。ところが、錦織選手にはこの強さが欠ける。体の強さは生来の骨格から来るものかもしれない。トレーニングによって、強いインテンシティを維持できる体を作ることができないのだろうか。
松岡修造氏はゲームにおける選手の心理を解説するのに優れ、錦織選手のメンタル面での弱さを強調している。しかし、これは間違っている。錦織選手に欠けているのはメンタルなものではなく、フィジカルなものである。フィジカルな弱さが、ここぞという時にメンタルな強さを引き出せない。とくに、ナダルやジョコヴィッチとの差はフィジカルなインテンシティの差である。それがメンタルな影響を与えていると考えるべきだろう。
 もっとも、シュワルツマンや錦織のような小柄な選手が世界のトップテン前後で活躍している事実は称賛に値する。大谷翔平選手のような恵まれた体をもっていれば別だが、小柄な錦織選手が、一回りも二回りも大きな選手を相手に堂々と闘っている姿は、それだけで素晴らしいものだ。もう一つ上を狙って欲しいと考えるのは無理なのだろうか。
2018.09.14  暑苦しかったスポーツ界の夏
  ――八ヶ岳山麓から(266)――

阿部治平(もと高校教師)

夏のはじめ、女子レスリング強化本部長栄和人氏らが斯界の逸材伊調馨選手のトレーニングの場所と機会を奪ったという告発があった。すったもんだのあげく加害者栄氏は辞め、協会理事を解任された。だがその任命責任や彼の監督責任は問われず、いまだレスリング協会から根本的なパワハラ防止策は発表されていない。
次いで日大アメリカンフットボールチームの反則事件。反則を犯した選手自らが勇気をもって反則行為をやらせたのは、内田正人監督とコーチであることを明らかにした。日大では内田監督が田中栄寿理事長につぐ地位にあり、学長が権威権限のない実態が明らかにされて、問題は大学運営そのものにあると捉えられた。最終責任を問われた田中理事長は逃げ回り、いまだ日大問題は解決していない。
次いで日本ボクシング連盟の山根明会長の不正かつ恣意的運営が告発された。おぞましい事実を列挙した告発状が日本オリンピック委員会・文科省スポーツ庁など関係方面に送られた。山根氏は常軌を逸した発言をくりかえし、疑惑を認めないまま辞任した。彼に追随していた理事もやめたようだが、新体制が問題を克服できるだろうか。

ここに共通するのは、スポーツ組織の個人への権力の過度の集中、私物化である。いいかえれば直接暴力であれ職権であれ、なんらかの威嚇をともなう家父長的支配である。それかあらぬかテレビに現れた一部スポーツ組織の指導者の立ち居ふるまいは、まるで闇社会幹部そのものであった(ボクシングの山根会長は暴力団との交際、日大田中理事長は暴力団幹部と一緒の写真が暴露されている)。
彼らはいったん得た権力にしがみつく。平気でうそをつく。追詰められると責任を部下や他人に転嫁する。親分子分関係から逃れようとするメンバーや選手を敵視する。かくして日大職員組合のような正論には、マスメディアさえも権力者からの「報復」を予想しなければならない「惨状」である。
そして一部のスポーツマンはボスに拝跪し、その意向を忖度し、支配の維持に貢献している。そのことでなにがしかの利益を得られるからであろう。――安倍一強政権下の、政界官界の歴史に残る不祥事と同じ構造である。

ところがことはこれで終りにならなかった。
8月末女子体操のリオ五輪代表宮川紗江選手(18)が、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長とその夫である塚原光男副会長からパワーハラスメントを受けたとしてメディアに訴えたのである。夫妻ともオリンピック選手、光男氏は金メダリストである。
続いて、日本体育大陸上部の渡辺正昭駅伝監督が部員への暴言や暴力などを繰り返し、自宅待機を命じられたというニュースがあった。もともと高校駅伝指導者だったが、暴力事件によってクビになった人である。

ここまで来ると、日本スポーツ界では指導者の能力がいちじるしく低いことを感じる。彼らはスポーツ関連の学問即ちスポーツ科学を系統的に学んだことがない。そのためにチーム・選手の育成や当該スポーツについての大局の見通しを持てない。だから暴力と威嚇によるほか手がないのである。
こうした大局観のない愚劣なコーチは、目先のゲーム(競技・試合)だけに力を集中する。勝つためにしばしば選手を使い潰す。大学も高校もこういう人物をコーチにしてはいけないのに、コネやゲームの勝利数だけで採用する。
現役の高校教師時代「我々も殴られながら強くなったのだ。だから……」というスポーツ指導者の発言をしばしば聞いた。娘が監督にしばしば殴られ、あげく鼓膜が破れた母親の嘆きも聞いた。「問題にしましょう」という私に、母親は「おおやけにしないでほしい。娘はそのスポーツが好きだから」といった。こうして中学高校の部活動からオリンピック選手クラスまで、元来被害者である生徒・選手が指導者の暴力をやすやすと受入れている。
彼らが指導者になったとき、また同じ愚行をくりかえすと思うと背筋が寒くなる。

酷暑の夏、暗いスポーツ界唯一の清涼剤は高校野球だったとお考えの方もおいでだろう。メディアは好成績を残した秋田の金足農高を持上げ、技能の突出した吉田投手を「ドラフト一位」などと評価し、毎年ながらお定まりの美談を作った。
甲子園をプロ野球選手養成所、それへの登竜門とすれば、これで結構かもしれない。だが、スポーツ系部活動は学校の中にあるとはいえ、教育の一環とすれば、それからかけ離れた存在である。いや選手養成の手段としても、その実態はスポーツ本来の姿にふさわしいとはいえない。
楽しかるべき中学高校の部活動には、(おそらく大学も)指導者の暴力・暴言、上級生の下級生に対する絶対的君臨、さらには恐喝・喫煙・飲酒などの問題行動がつきまとう。社会で犯罪とされる非行が半公然と行われるのである。威嚇と恐怖によって、多くの生徒・学生が部活動をやめる。そのなかにはかなり多くの有望な選手がいただろうに。
だが非行は学校あげて隠蔽されることが多い。ばれれば出場停止、悪くすれば部の閉鎖になりかねないからである。これを内部告発しようものなら教師は強制転勤、生徒は徹底したいじめに遭うかもしれない。甲子園を主催する「朝日」「毎日」に良心があるなら、ぜひ部活動を取材し問題を提起してもらいたいのだが、どうだろうか(元高校教師としては選手の学力を問題にしたいが、ここではひとまず置いておく)。

私はスポーツ界ボスの威嚇による組織の私物化、コーチの暴力による指導は、彼らが少年時代にうけた暴力による指導に由来するところが大きいと感じる。現代スポーツ科学はそれをとっくに過去のものとしているのに、日本ではそれが主流なのである。
いまや遠い記憶とはいえ、帝国軍隊に由来する暴力支配と、1964年東京オリンピックの「鬼の大松」のスパルタ式トレーニングは継承すべきものではなかった。前世紀のうちに根本的に検討・断絶されて然るべきであった。それがないものだから、愚劣な指導者の繰返しのビンタで自殺者を出すありさまなのに、教訓は少しも生かされず、暴力的指導を今日あらためて問題としなければならない。
日本オリンピック委員会や文科省スポーツ局など監督責任者は、さすがに暴力を否定するが、事態への対応は鈍感・無責任と思えるくらい遅い。家父長的支配や暴力的指導なるものが、犯罪性・事件性をもつことすらわかっていないかもしれない。オリンピックを控えて、スポーツ指導者の質の向上は緊急に必要だが、それへの準備もないようだ。
これは関係者の常識が国際的レベルからかけ離れているところにあるからである。2020年を考えると、当事者のつくる「第三者委員会」などに任せている時間はないはずだ。これでスポーツマンシップにもとづくオリンピックなどやれるのかしらん?
(本ブログの拙稿「これではスポーツから暴力はなくならない」(八ヶ岳山麓から125)、「青年の教養が向上しない本当の理由について」(八ヶ岳山麓から226)を参照してください)。 (2018・09・12)
2018.07.06 サッカーW杯で考えたこと

盛田常夫(在ブダペスト、経済学者)


 予選リーグ3戦全敗を予想した評論家が多くいるなかで、決勝トーナメントに進んだ日本チームの健闘を称えたい。十分にW杯の醍醐味を味わわせてもらった。

 予選リーグ最終対ポーランド戦の最後の10分間の球回しに多くの批判が寄せられたがこの批判は当たらない。予選リーグは決勝トーナメントに進むための予備選であり、そこを突破しない限り、いくら健闘しても意味がないことは自明のことである。4チームによる予選リーグの最終戦では、そこに至る前2試合の結果によって、いろいろな可能性が存在する。日本チームは1勝1分の首位に立っていたからこそ、リーグ戦突破に有利な選択肢を確保できた。負けても1点だけの失点であれば、突破の可能性が非常に高かったのは、最初の2試合を負けなしで来られたからだ。それが最終戦でリスク回避の余裕を与えたのである。
 このような駆け引きはW杯のみならず、五輪の予選リーグ戦でも度々見られたことであり、今回の日本チームの球回しをとくに批判するのは筋違いである。ところが、欧州ではイギリスの専門チャンネルが、日本チームのリスク回避を批判するばかりか、決勝トーナメントでベルギーにコテンパンにやられれば良いと論評していた。3-0か、4-0で日本は惨敗するだろうというのが、イギリスの専門チャンネルの予想だった。
 私はこの批判に、根強いアジア人蔑視を感じた。サッカー発祥地であるイギリス人はプライドがあるのだろう。高々、ここ20年のW杯出場経験しかない日本が、しかも世界のトップクラブに属している選手がいないチームが、コロンビア戦の幸運な勝利を得たからといって、世界の強国のように、リーグ戦突破の球回しをしたことが気にくわないのだ。イギリスやフランス、あるいはスペインやイタリアがやるのは構わないが、サッカー新興国の日本がやるのは「小賢しい」ということなのだ。

 対ポーランド戦の批判が強い中、史上最強と言われるベルギー相手に日本チームがどう闘えるのか。負けても好いから惨敗だけはしてもらいたくないというのが、正直な心情だった。惨敗すれば、「ほれ見たことか。やっぱりフロックで勝ち上がったのだろう」と批判されただろう。最初にW杯に出場した1998年フランス大会で、ハンガリーの友人は「パス回しは良いが、点を取らない限り勝てないのだよ」と日本チームを批判したことがある。ハンガリーは1950年代の黄金時代、東京・メキシコ五輪優勝の後は、見る影もなく代表チームは低迷しているが、サッカーは欧州のスポーツだという気持ちが強い。FIFAが2009年に創設したプシュカシュ賞は、ハンガリー動乱の後、外国遠征からハンガリーに戻らず、レアルマドリードに加入し、歴史を作ったハンガリーのFWを記念したものだ。ハンガリーの黄金時代の中心選手だった。だから、長らく、ハンガリーに遠征する日本代表チームは代表チームと試合をしてもらえず、クラブチームしか相手にしてもらえなかった。
 これまでのW杯と違って、現在の日本チームの選手のほとんどが欧州リーグでスタメンか、準スタメンのポジションを確保している。確かに、香川選手を除いて、レアルマドリードやバルサ、あるいはセリエA、プレミアリーグやブンデススリーグのトップチームに属している選手はいないが、いかにベルギーが史上最強と言われようと、真剣勝負で守備を統率して闘えば、惨敗はしないだろうとは思っていた。しかし、その確信がなかった。その意味でも、対ベルギー戦は、現在の日本サッカーレベルを世界標準で測ることができる試合だと考えていた。

 手に汗を握る試合だった。勝ち上がる夢を与えてくれたが、現実は甘くなかった。しかし、惨敗することなく、しかも最強チームの一つを最後まで追い詰めることができ、ほっとした。欧米のアジア人蔑視や偏見は未だに根強い。それが顕著に現れるのが、スポーツ競技である。それを打破するためには、対等に闘えることを示す以外にない。欧米では、一般的な偏見があっても、人種に関係なく実力へのリスペクトが存在する。どのような分野であれ、実力を見せて批判を封じ込めることでしか、アジア人がその存在を示すことができない。日本が世界標準のサッカーを展開できることを示したことが、今大会の最大の収穫である。

 選手が揃っているのに、負けが込んでいるチームを引き上げた西野監督の手腕は見事である。やはり、言葉の壁やコミュニケーションの不足が、団体競技の難しさを語っている。監督が選手の意見に聞く耳をもたず、通訳を介してしか意見を伝えることができないのでは、チーム力が強くならない。ただ、今回の選手選考で多くのファンが失望したのは、ベルギーリーグで活躍している久保裕也、オランダのフローニングで大化けして今年だけで9得点を重ねた堂安律、ポルトガルリーグで活躍する中島翔哉などの若手で、得点力のある選手を選ばなかったことだ。明らかに、少なくとも、乾のバックアップには中島、原口のバックアップには久保が選ばれるべきだった。故障の岡崎よりも、堂安の方がベターな選択肢だった。そうすれば、選手交代の選択肢が広がっていたはずだ。西野監督がどれほど欧州リーグの試合に関心を寄せているのか、そこが外人監督との違いかもしれない。
 W杯南ア大会は岡田監督の采配が光った大会だったが、一つだけ失敗を上げれば、香川真司の評価を誤り、サポートメンバーでしか選ばなかったことだ。もし香川が代表に選ばれていれば、延長戦にまでもつれたパラグアイ戦で、スーパーサブとして使えただろうと思う。J2の得点王を過少評価したと言わざるを得ない。W杯後、ドルトムンドで香川選手が大活躍したことを見れば、岡田監督は選手を見る目がなかったと言われても仕方がない。
 交代枠の選手層の薄さは今回の大会でも明白になった。若い選手を積極的に選考し、大化けさせてチーム力を上げることが、日本サッカーの課題である。この点で、日本の監督は欧州の監督に比べて、選手を見る目がないのではないかと思う。もっと、欧州リーグの日本人選手の動向に、関心をもつべきだろう。

2018.06.08  私立大学における体育会権力(その2)
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

混迷する対応
 日大アメフト事件をめぐる大学の対応は混迷の度を深めている。当然のことながら、当事者たちは問題の根源がどこにあるかを理解していない。体育会出身者たちのコメントも問題の核心を突いていない。なかには、「体育会活動は自主的活動だから、部のなかで解決すべき問題」と主張する者もいる。大方、理事長も学長も、一つの運動部にすぎないアメフト部の問題がなぜ大学全体の管理にかかわる問題にまで拡大しているのかを理解できないのだろう。だから、問題解決の抜本的な改革指針など出るはずもない。
 他方、日大の対応を批判する側も、問題の核心がどこにあるかを明確に指摘していない。なぜ理事長が責任を取る必要があるのか、理事長が謝り辞任すれば済む問題なのか、この問題を契機に何をどう改革すれば良いのか。これらのことについて、方向性が議論されず、当事者の対応を批判するだけに終わっている。
 問題の根源は体育会権力が大学全体の経営を左右するほどの力を持ってしまい、大学本来のあり方や理念から外れた大学経営が行われているところにある。そのことを明瞭に指摘し、その改革の手立てを示さない限り、アメフト事件に端を発した私立大学が抱える根本的な問題は解決しない。

体育推薦制度は営業活動
 体育推薦入学制度は新興私立大学が編み出した学生募集のための宣伝営業であり、体育会運動部はいわば私立大学の宣伝営業部の役割を担っている。学生の自主活動でも何でもない。スポーツを通して大学の名が全国に知られ、入学志願者が増え、入学者が確保できれば、大学経営の財政基盤を強めることができる。
 そこまでは良い。ところが、体育推薦制度のお陰で大学知名度が全国区になり、大学経営が安定すると、体育推薦の営業活動で成功した現場の監督や責任者が、大学経営に参画することになる。運動部の監督という実績だけで、教育活動に従事したこともない者が、大学経営の責任者になる。こうして、運動部出身者が大学経営そのものを支配することになれば、大学は教育・研究の場ではなく、スポーツを売り物に、学生を呼び込んで受験料や授業料で稼ぐビジネスに転化してしまう。入学志願者を増やし、入学者を確保するための体育推薦入学制度や体育会運動部という存在が、宣伝手段を超えて、大学の主要ビジネスに転化すると、体育会関係者が大手を振って大学を支配することになる。そして、このレベルに到達すると、政治家やいかがわしい人物が大学幹部と交遊を深め、学外の闇権力との繋がりが生まれる。
 こうなると、大学はもうその本来の理念を失い、たんなるブラックビジネスに転化してしまう。もちろん、理事会が体育会出身者によって占められても、それですぐに大学が本来の理念を失うわけではない。大学の教育や研究を行うのは教員(教授会)であり、理事会の意向とは無関係な一般学生たちがいる。しかし、理事会が強い大学では教授会の力は相対的に弱く、教育・研究以外の事項で発言する力や権限がない。大学によっては、教授会の権限そのものが最小限に抑えられ、教育や研究内容についても理事会が口出しできるところもある。

体育会運動部の闇
 私立大学の体育会運動部のすべてに同じ問題があるわけではない。個人種目が中心の運動部では推薦入学者の枠そのものが小さく、合宿所をもたないので、かなりの程度、自主的民主的に運営されている。これにたいして、集団スポーツの場合、推薦入学の枠も大きく、ほとんどのスポーツ強豪校は特定運動部の合宿所をもち、体育推薦入学者は否応なしに合宿所生活を強いられる。問題が発生するのは、大概、合宿所をもっている大所帯の運動部である。
 隔離された集団生活を支配するのは、例外なく、軍隊的な階級制度と規律である。とくに日本の場合、戦前から学校における体育は軍事教練を兼ねていたから、スポーツにおける封建的な支配・従属関係が現在に至るまで、体育会運動部に連綿と受け継がれている。
 確かに合宿所そのものは形式的に学生の自主運営だが、そこには古めかしい封建的な階級支配が厳然として存在する。炊事洗濯は一兵卒である新入生の仕事であり、最上級生はレギュラーであろうとなかろうと、「天皇」あるいは「大将」の位置を獲得する。2年生が下士官、3年生が将校である。こうやって、スポーツ競技とは無関係な、上級生-下級生の支配従属関係が支配する。
 他方、運動部における監督-コーチ-選手との間にも、同様の関係が構築される。日大アメフト部のように監督は天皇であり、直に口をきくことも許されない存在であることもある。先進国と言われる国の中で、現代になっても、このような封建的な支配関係が支配している国は日本だけだろう。アジア的な後進性の現象と言えるだろう。
 このように、私立大学の集団スポーツ競技の運動部は、大概、二重の支配従属関係が支配している。一つは合宿所内における先輩-後輩の支配従属関係、もう一つは運動部内の監督-コーチ-選手間の支配従属関係である。軍隊的な上下関係と、暴力団の親分-子分の関係は紙一重である。
 こういう封建的な支配関係が支配している競技は国際的なレベルに到達できないだろうし、親分-子分の関係で大学経営が支配されるなど、たまったものではない。ちなみに、職員の間で、体育会出身者の上級管理者のことを「先生」と呼ぶ習慣があることはあまり知られていない。このような歪んだ親分-子分関係に、教員にたいする対抗心や劣等感が反映されているとみることができる。

選手個人へのリスペクトに欠ける日本
 日本の体育会運動部に欠如しているのは、選手個人へのリスペクトの欠如である。スポーツ選手としての個人の能力を評価するのではなく、能力外の社会関係で選手個人を支配するのが合宿所生活である。これでは選手の能力を開花させることができない。
 この点はプロの集団スポーツでも、気になるところである。たとえば、プロ野球選手として入団してきた選手は若かろうが歳を取っていようが、自立した個人と扱うべきだが、一部の選手やコーチが居丈高に若い選手を指導する姿が見られる。春のキャンプで見られる「おい、こら」という調子の指導は、体育会の悪しき伝統を受け継いでいるのだろう。だが、選手個人へのリスペクトの欠如は、選手個人の自立した人間としての成長を妨げる。「おい、こら」指導に慣れてしまうと、何時まで経っても大人になれない。そういう大人が次世代の指導者になるのだから、封建的伝統が生き続ける。
 未成年の喫煙にたいしても、スポーツ選手としての心構えから説くのではなく、「未成年だから」というのでは説得力がない。ところが、プロ野球選手には喫煙者が多いから、そういう指導ができず、「未成年」という法律上の話で終わる。成年になれば、大手を振って喫煙して良いというものではないだろうに。

体育推薦制度と運動部運営の抜本的見直し
 体育推薦制度がどれほどの重みを持っているかは大学によって異なるが、共通しているのは、その運用において、教育に責任をもつ教授会が蚊帳の外に置かれているということだ。理事会はそれを当然のように考えており、教授会も「長いものには巻かれろ」で、そのことを特段に問題にすることもない。しかし、ここに体育推薦制度の基本的な問題がある。
 教授会は体育推薦枠の漸次的削減と推薦入学への教授会の関与を求めるべきである。教授会の関与がない所に不明瞭な力が加わり、それが体育会の独立権力化を助長する。必要に応じて、推薦入学者にたいして、社会的常識や基本的学力を問う試験なども実施すべきである。体育推薦制度を大学教育から隔離された租界にしてはならない。

 運動部の運営は、少なくとも以下の諸点で改革が必要である。
 一つは、推薦枠の最小限化と推薦の透明化である。レギュラー人数の何倍もの推薦枠は無駄である。
 二つは、固定した合宿所の廃止である。軍隊的規律が支配するような合宿生活は部の発展によっても選手個人の能力向上にとっても、良いことは全くない。
 三つは、運動部指導者の使命と指導について、明瞭な指針を立てることである。支配-従属型の指導を排除し、また特定の運動部の監督が大学の経営に従事することも禁止すべきだろう。

 体育推薦制度が蔓延したことによって、一部の大学では大学本来の道から外れ、体育推薦制度がブラックビジネスに転化している。社会はこれを厳しく批判しなければならない。私立大学における体育推薦制度や運動部のあり方について、抜本的な改革を進めなければ、日大アメフト事件が提起している問題の解決にはならないだろう。
2017.08.31 錦織選手の再起を祈る

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 手首の腱の部分切断はテニス選手にとって、致命的な怪我である。
錦織選手より1歳年上のデル・ポトロ選手は、2009年に弱冠20歳でフェデラーを破り全米オープンのタイトルを獲得した。この試合に負けたフェデラーが涙を流したのを良く覚えている。セットカウント2-1でリードしたフェデラーの史上初の6連覇かと思われたが、捨て身のデル・ポトロ選手のパワーショットが炸裂して、プレーのレベルが落ちたフェデラーから2セットを連取して優勝するという劇的な展開になった。この試合を契機に、フェデラー選手はグランドスラム大会の優勝から遠ざかったという意味でも、因縁深い試合だった。実際、フェデラーはこれ以後、全米オープンのタイトルをとっていないし、ここから絶対王者の陥落が始まった。あたかも全米オープンのデル・ポトロ戦がトラウマになったかのようである。当時の錦織選手はデル・ポトロ選手のパワーにまったく歯が立たなかった。
 誰もがデル・ポトロ時代が来ると思ったが、しかし、その後、定期的に両手首を痛め、試合に出たり棄権したりする日々が続き、世界ランクは急落してしまった。今もなお、手首の状態と相談しながら、テニスを続けている。
 デル・ポトロ選手の場合は、パワーがありすぎて、手首に負担がかかったと思われる。強烈なサーヴ力やストローク力を持つ選手は、定期的に肩を痛めたり、肘を痛めたりするから、パワーに頼りすぎるテニスは故障のリスクを常に抱えている。
 逆に、錦織選手の場合は、同じ体軀の選手と比べても体の作りが華奢で、パワーテニス時代にあって、腕にかかる負荷をどうやって凌いでいるのか心配していた。多くのテニス関係者も、錦織選手が小さな体でトップテンを守っていることに驚嘆していた。どう見ても地肩は強くなく、腕っ節も強そうには見えない錦織選手の手首や肘にかかる負荷は、相当のものだろう。案の定、デビューして間もない時期に、肘の故障で1年ほど休んでいる。その後も、脇腹、臀部、足首などの故障は定期的にあったが、これらはテニス選手にとって致命的な故障ではない。しかし、肘や手首はテニスプレーヤーの致命的な箇所だから、中途半端な状態で試合に臨むことはできない。腫れが退いてから腱の再建手術になるのかどうか分からないが、ここは徹底して治療しないと再起は難しい。
 手首や肘の腱が断裂する時には必ず前兆がある。疲労で重い感じがした時には、疲労が取れるまで、手首や肘を休めなければならない。そこを無理すると、腱が切れる。その予兆を深刻なものと受け止めず、サーヴの練習を続けたのだろう。それが重大な結果を招いた。
 
 錦織選手に限らず、トップテンの選手で故障を抱えて長期休養する選手が、これまでになく多い。明らかに選手の疲労が蓄積している。グランドスラム大会に次ぐATP1000のマスターズ大会が、連続して開催される時期が何回かある。8月のロジャーズ・カップで優勝した次代のチャンピオンと目される20歳のA. ズヴェレフは、翌週の同じくATP1000大会のシンシナティ・マスターズでは緒戦で世界ランク87位の18歳のティアフォーに負けてしまった。「疲労困憊でどうしようもなかった」というのが、ズヴェレフの言である。
 A. ズヴェレフ選手は2m近い身長でありながら、俊敏な動きができ、正確なストローク力をもっている。2mを超える長身選手はどうしても歩幅が大きくなり、俊敏な動作ができない。だから、ストローク力よりもサーヴ力で勝負する選手がほとんどだが、ズヴェレフ選手は細身で体重がない分だけ、俊敏な動作ができる。しかも、長身からのサーヴはパワーと角度がある。サーヴスピードは210km前後だから、錦織選手より3割ほど速い。ちょうど大谷翔平をテニス選手にした感じで、ズヴェレフ選手を見る毎に、ウエイトのある大谷選手がテニスをやっていれば、世界の頂点を狙えただろうなと思ってしまう。
 ズヴェレフ選手の他に、18~20歳の有望な選手が台頭してきている。また、オーストリアの23歳のティーム選手も、ストローク、サーヴともに素晴らしいものをもっている。サーヴ力がない錦織選手はこれまでストローク力でトップテンを維持してきたが、若手選手は皆、ストローク力があってサーヴ力もある。だから、錦織選手が怪我から回復しても、これらの若手相手の試合はタフなものなることは間違いない。しかも、年上のレジェンド4強は当面は引退しないだろうから、錦織・チリッチ・ラオニッチの狭間の世代は埋もれたままになる可能性が高い。
 ただ、ズヴェレフ選手にしてもティーム選手にしても、最大の敵はライヴァル選手ではなくて怪我である。疲労が蓄積すれば慢性的な故障を抱えることにもなる。それは選手生命を左右する。怪我を抱え込み、慢性化すれば、トップを狙うことはできない。
 プロテニス協会はATP1000の大会が連続しないような日程を組み、トップ選手の参加義務を緩和し、疲労を蓄積させないように配慮すべきだろう。そのためには、ランキングを決める年間ポイントに算入する試合数を限定するなどの措置が必要になる。一昔前のテニスと違い、現代テニスは強烈なパワーが炸裂するスポーツになっている。ATPのビジネス政策だけで、選手生命が縮まることを防ぐべきだ。
 この点は、先の水泳世界選手権についても言える。FINA(国際水泳連盟)は競技のプロ化を目指しているように見える。選手の数がきわめて限られているダイヴィング競技を導入して、観客を増やそうとしているが、これは主催国に余分の財政負担を押しつけているだけで、予期した効果を上げているとは思えない。ダイヴィングの選手たちは世界のリゾート地でアトラクションをやっているプロである。もちろん、飛び込み出身の選手ではあるが、ダイヴィングをやっている飛び込み選手は数えるほどしかいない。数日間使用するだけのタワーとプール設置のために、10~20億円の費用がかかる。もしかして、FINAは飛び込み競技を終えた選手に、ダイヴィングのW杯などを作って、新たな競技でプロとして生活が成り立つようにと考えているのだろうか。それともたんに、見世物的な競技を出し物にして、水泳競技の大衆化を図ろうとしているのだろうか。
さらに、シンクロナイズドスイミングに臨時の人工プールが設置された。これも水球競技会場を使えば、無駄な出費を避けられたはずである。しかし、FINAは豪勢な競技施設の建設を後押しした。今年のブダペスト大会はメキシコ市が大会を返上して開催を早めた事情があったのだから、もっと質素に開催すべきだったが、競技連盟は競技のアピールのために、出費を惜しまない国を後押ししている。
世界選手権が終わった翌週からは、もう短水路W杯のシリーズが始まり、世界選手権のメダリストたちも世界各地で開かれる短水路大会に参加している。選手には休養する暇がない。いわば競泳のプロトーナメント化が始まっている。もっとも、短水路は選手の体への負担は小さいが。テニスと違って、競技時間が短いことも、短期の休息時間でも体が回復するのかもしれない。水泳選手がプロとして生活できる道の一つかも知れないが、水泳連盟の営業政策と選手の生活や選手生命との微妙な関係が続いている。テニスのような深刻な問題が発生するまでに、もう少し時間が必要だろうか。マラソンの川内優輝選手のように、大会参加を練習の継続のように考える時代に来ているのかもしれない。それがスポーツのプロ化の道なのだろうか。

2017.08.01 男子テニス:フェデラーとナダルの復活

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)


ビッグ・トゥーの完全復活
 昨年まで怪我や疲労などで不調が続いたナダルとフェデラーが、今年に入って完全に復活した。ナダルが10勝目を達成した今年の全仏を見る限り、全盛時のナダルと変わらぬほどの無敵状態だった。30歳を超えても、セットを一つも落とさず7試合を戦える力は驚異である。
ウィンブルドン8勝目のフェデラーもまた、今年に入ってグランドスラム大会2勝目である。彼もセットを落とさず7戦を戦い抜いた。しかも、ほとんどの試合を2時間以内に収めた。これで今年のグランドスラム3大会はナダルとフェデラーが分け合うビッグ・トゥーの天下になった。ナダル31歳、フェデラーは今年の8月で36歳である。
次のグランドスラム大会である全米で、ナダルとマリーが早い段階で敗退し、フェデラーが勝ち進めば、再びフェデラーのランキング1位が見えてくる。36歳になってもランキング1位を狙えるフェデラーは、やはりレジェンドである。リオ五輪の後、錦織選手は、「さすがに東京五輪にはもうフェデラーはいないと思う」と語ったが、39歳になるフェデラーが残された最後のタイトルを求めて、五輪金メダルを狙いに来る可能性も否定できなくなった。

名ばかりのグラスコート
 芝のコートで選手がプレーするのは、ウィンブルドンの前哨戦と本大会を含め、1年間でわずか1ヶ月に過ぎない。芝のサーフェイスは球が弾まず滑ってしまうので、クレーコート・シーズンを終えた選手には適応が非常に難しい。ウィンブルドン本大会まで3週間ほどの適応期間があった錦織選手は、1回戦を3セット70分ほどの短時間で試合を終えた。相手のチェッキナートは数日前までクレーコートの大会に参加していて、芝での練習がほとんどできない状態で錦織戦を迎えた。打球のポイントを掴めず、まったく勝負にならなかった。それほどサーフェイスの違いは大きい。
 激しい動きが続く現代テニスでは、芝コートはすぐに傷んでしまう。コートがまだらになって禿げ、芝と土の境に球が落ちるとイレギュラーバウンドする。グラスコートといえば聞こえは良いが、でこぼこの文字通りの草テニスである。こうなってしまうと、ストロークで押す選手に勝ち目はなくなり、速いサーヴで、ヴォレーが上手な選手が圧倒的に有利になる。ベストエイトに残った選手は皆、剛球サーヴァーである。とにかく、ウィンブルドンを勝ち進むためには、サーヴ力がなければ勝負にならない。
 フェデラーは3月20日のマスターズ・マイアミ(ハードコート)で優勝した後、クレーコートの大会を避け、ウィンブルドンの芝コートに焦点を絞ってきた。ストローク力が試されるクレーシーズンを避け、サーヴ力で勝負できるウィンブルドン1本に賭けたのである。その準備が完全に嵌った。錦織選手が全豪大会の後、ハードコートの試合が続くにもかかわらず、一時的にクレーコートでの勝負に賭けて、南米の2大会に出て失敗したのと対照的である。慣れない南米の柔らかいクレーコートへの中途半端な大会参戦が、錦織選手の調子を狂わせてしまった。マネージメントミスである。

サーヴ力で決まるウィンブルドン
 ストロークで押す錦織選手は芝コートに向いていない。それでも、2回戦までの試合では芝コートへの準備が見られたから、もう少し上位まで行けると思っていたが、3回戦敗退となった。日本のテニス評論家の中には、「芝のコートへの苦手意識を払拭すべき」という論評もあったが、これは的外れ。意識やメンタルな問題ではなく、錦織選手のサーヴ力で芝コートを戦うのは難しい。
 テニスのサーヴは、野球の投手の投球と似ているところがあり、必ずしもスピードだけでサーヴ力が決まるわけではない。ビッグ4のサーヴスピードはとくに速くなく、平均速度はファーストサーヴが180km/h前後で、センカンドサーヴは150km/h前後である。チリッチやラオニッチ、あるいはティームやディミトロフなどの体躯のある若手選手のサーヴスピードは、ビッグ4より10~20%ほど速い。チリッチ、ラオニッチやティームなどは勝負所で210km/hを超えるサーヴを連発していたが、どれだけ速いサーヴでも、受け手のツボに入ってしまうと、リターンエースになる。大谷選手が160km/hを超える球を投げても、ホームランを打たれるのと同じである。
 フェデラー選手のファーストサーヴは190km/h前後だが、制球力が効いている。サーヴの制球力がフェデラーの最大の武器で、コーナーを突く制球力があれば、この程度のスピードでも十分にポイントを取ることができる。しかも、チェンジアップのように、ファーストサーヴの速度を意識的に落として、相手のミスを誘う技術も持っている。
 優れたサーヴの制球力がフェデラー選手の試合時間を短くし、身体的な負担を少なくしている。だから、36歳になった今も、全盛期と変わらぬ活躍ができる。

錦織選手の課題
 フェデラー選手の試合運びの対極にあるのが、錦織選手である。錦織選手の最大の弱点はサーヴ力。ファーストサーヴを叩かれることはほとんどないが、緩いファーストサーヴでは勝負所のポイントを確実に取れない。また、極端にスピードが落ちるセカンドサーヴは、相手選手の狙い目になっている。錦織選手のセンカンドサーヴの速度は110-120km/hで、これだけ遅いと、いろいろな変化を付けても相手の餌食になる。
 サーヴ力が弱いと、勝負を決めるポイントを取るのに苦労する。サーヴィスゲームでセットを締めるべきところを、簡単に締められない。必然的にストローク勝負になり、試合時間が長くなる。試合時間が長くなると、緊張感を維持するのが難しく、試合を通して、プレーの波(好不調の波)が大きくなる。だから、フェデラー選手と正反対の試合展開になる。その結果、体力を消耗し、怪我を誘発する。これでは長丁場になるグランドスラム大会を勝ち抜くのは至難の業である。
 「錦織選手に欠けているのはメンタルなもの」という的外れな論評が多い。錦織選手に欠けているのは、メンタルなものではなく、フィジカルなものである。フィジカルが強くなれば、メンタル面でも余裕が出るはずだ。身体能力の高い若手の追い上げにあっている錦織選手は、サーヴ力を上げない限り、現在のランキングを維持するのも難しくなるだろう。日頃のトレーニングで、サーヴ力を高めることに力を入れるべきだろう。とくに、セカンドサーヴのスピードと制球力を上げることは必須の条件である。これなしには、グランドスラム大会はもちろん、年間9大会あるマスターズ1000で優勝するのも難しい。錦織選手がひと踏ん張りして、選手生活にもう一花咲かせるのを見たいものだ。

2017.04.13 完全復活したフェデラー、不振に陥った錦織
-その原因を分析する

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

驚異的な復活
 テニス界の史上最高選手といわれるフェデラーが、昨シーズン途中で膝の治療のために長期休養に入った時点で、ほとんどのテニスファンはフェデラーの引退を想定した。年齢も35歳に達し、ここ数年のパフォーマンスは下降の一途を辿っていたから、長期のトーナメント離脱は選手生命にとって致命的なレベル低下をもたらすだろうと考えた人は多い。だから、復帰後の今年の全豪オープン5回戦で、錦織-フェデラー戦が実現した時には錦織の楽勝で世代交代かと思われたが、その予想は外れ、フェデラーは錦織撃破の余勢を駆って、全豪タイトルまで取ってしまった。
 続く、ATP1000(グランドスラム4大会に次ぐ、優勝ポイント1000の大会で、年間9大会開催)のIndian Wells(カリフォルニア)でも優勝し、4月3日に決勝を迎えたATP1000大会のMiami Openでもナダルを破って優勝した。
 この3ヶ月間でフェデラー選手が荒稼ぎしたATPポイントは4000ポイントである。これは錦織選手が1年かけて獲得したポイント数に匹敵する。
 Indian Wellsでフェデラーが優勝した3月19日、スキージャンプW杯ノルウェイのジャンピング大会(HS225m)で、44歳の葛西選手が見事2位に入賞した。年齢で一回りも二回りも違う並み居る若手のホープを押しのけた結果に、大会に参加した各国選手も役員も喝采を送っていた。選手でも恐怖心があるというヒルサイズ(HS)225mのジャンピング台で、44歳になっても240mを超える大ジャンプを披露できる葛西選手は、歴史に残るレジェンドである。
 どんな競技であれ、スポーツ選手の選手生命が長くなるのは良いことだ。往年の名選手が、新進気鋭の選手と対等に戦う姿に感動を覚える。しかし、その復活劇や選手生命維持の背後には、凡人には想像もできない厳しいトレーニングが隠されている。それにしても、間もなく36歳にもなろうとするフェデラー選手が、引退の危機を乗り越え、最高のパフォーマンスを披露しているのはなぜだろうか

レベルアップしたフェデラー
 フェデラーの選手生命を支えているのは、制球力のある速いサーヴィスを武器にした、速いゲーム展開にある。210km/hや220km/hの高速サーヴィスを打つ選手が多い中、フェデラーの平均球速190km/hはとくに速いわけではない。しかし、これは野球の投手と同じで、コーナーを突く制球力があれば、超高速のサーヴィスは不要なのだ。フェデラーの球速は、投手との比較で言えば、140km後半の球速に相当する。制球に優れているから、エースにならなくても、相手の返球が甘くなり、それを叩いて比較的楽にポイントがとれる。フェデラーのゲームは長いラリーになることが少なく、勝っても負けても、試合時間が短いのが特徴だ。厳しいトーナメントが続く男子テニスの世界で、試合時間が短いことは体の負担が小さいことを意味する。このプレースタイルが、怪我を最小限にし、長い選手生命を保っている秘訣なのだ。
 ただ、今年の復活劇を支えている最大の要因は、サーヴィス力というより、バックハンドストロークのレベルアップにある。フェデラーの最大の弱点は片手のバックハンドにある。ナダルは強烈なスピン(順回転)をかけた重くて高く跳ねるボールを、フェデラーのバックサイドに集中することで、ストローク戦で常に優位に立ってきた。フェデラーにとって、バックサイドを集中的に攻められるのが泣き所だった。その結果、ナダルとの対戦成績はダブルスコアほどに開いている。ちなみに、ナダルのスピン(回転)数は、毎分4500回転前後である。1秒間の回転数は70~80回転で、ふつうの選手より2割ほど回転数が多い。
 ところが、今年の全豪決勝の対ナダル戦で見せたように、フェデラーはバックハンドからノータッチエースとなるストロークを何本も放ち、ナダルのバックハンド攻めを切り返した。明らかに、休養期間中のトレーニングがこの弱点の克服にあったことを教えている。35歳になってもそれを成し遂げるところに、フェデラーの凄さがある。引退間際の歳になっても、日々精進ということだ。これで今年に入って、苦手にしてきた対ナダル戦は3連勝である。
 もう一つ見逃せないのは、フットワークである。フェデラーはもともと足が速い。しかし、何時の時点からか、細かなフットワークやボールを最後まで追うことをサボるようになった。長期にわたって頂点に立つ選手は、次第に、体力を消耗させずに試合を終わらせたいという気持ちが強くなる(省エネ症候群)。そこから、手を抜いたフットワークやプレーに陥りやすい。手抜きが日常化すると、プレーのレベルが下がる。ところが、長期の休養から復帰した今年のフェデラーは、生まれ変わったように、細かなフットワークを欠かさず、球際まで追いかける攻撃的な姿勢を見せている。それが全盛期のような安定したショットを生み出している。
まるでサイボーグのように球を打ち返し、ここ数年間、無敵状態になっていたジョコヴィッチ選手もまた、今年に入って、この「省エネ症候群」に陥るようになった。日頃のトレーニングでも、フットワークをサボると、試合でもおろそかになり、全力でぶつかってくる相手を交わすことができなくなる。ジョコヴィッチ選手の最近の連続敗戦の原因もまた、頂点に立つ選手が陥る「省エネ症候群」にある。ジョコヴィッチのコーチを離れたボリス・ベッカーは、ジョコヴィッチ選手の手抜きトレーニングに言及している。
ランキングが上位の選手は、大きな大会では、決勝まで6~7試合をこなさなければならない。だから、最初の試合から全力で戦うことはせず、試合を重ねるなかで、ギアを切り替えていく。力をセーヴしながら、勝負所でギアをチェンジすることができるのが、トップ選手の強みなのである。しかし、相手選手はスタミナを気にすることなく、番狂わせを狙って、全力で向かってくる。しかも、相手選手の調子が非常に良いと、手抜きする上位選手はかなり苦戦を強いられる。大会の早い段階で上位シードが敗れるケースがこれである。上位選手にとって、緒戦の1~2戦は鬼門なのである。

錦織選手の不振の原因
 フェデラー選手のレベルアップした要因が、まさに逆方向に働いているのが、今年の錦織選手である。それもこれも、錦織が「省エネ症候群」に陥ってしまったからだ。
 錦織選手のサーヴィス力は女子のトップ選手並みで、肝心なところでサーヴィスゲームをキープできない。それが試合時間を長引かせ、体力を消耗させる。Miami Openの対ヴェルダスコ戦で、2セットとも早い段階で相手のサーヴィスをブレークし、自らのサーヴィスゲームでセットを締めるチャンスを得た。しかし、2セットとも自らのサーヴィスゲームを落とし、試合がもつれた。試合には勝ったが、2時間未満で終えられるはずの試合が、1時間以上も長くなり、3時間近い時間を要した。ただでさえ体の強さに問題がある錦織選手だ。弱いサーヴィスが試合時間を長引かせ、体を痛めるという悪循環に陥っている。フェデラーと正反対のプレースタイルである。サーヴィス力を上げない限り、グランドスラムはもとより、ATP1000のタイトルを取るのも難しいだろう。
 さらに、ここに来て目立つのは、プレーの粗さである。サーヴィスを打った後、最適なボールの落下点へ足を運ぶフットワークがおろそかになっている。サーヴィスを打った場所から足をまったく動かさず、細かなステップなしで返球することが多い。こうなると、ボールのコントロールを失い、ミスするケースが目立つ。フットワークが悪いと、錦織の武器である深い返球が影を潜め、浅く返ったボールをことごとく相手にヒットされ、ストローク戦で劣勢に立たされる。
願ってもないくじ運に恵まれたIndian Wellsの準々決勝対ソック戦、優位に立たなくてはならないストローク戦でこの悪い癖が出て、完全に力負けした。Miamiでは長い試合が2試合続いた結果、手首を痛め、準々決勝はフォニーニ選手に完敗した。
 今年の錦織選手を見ていると、なるべく楽に試合を終えたいというプレーが、見え見えになっている。錦織本来の攻めのプレーが陰を潜め、受け身の消極的なプレースタイルが目立つ。アグレッシブでない錦織はまったく相手選手の脅威ではない。サーヴィス力がなく、ストローク戦で粘れない並みの選手になってしまっては、トーナメントで勝ち進むことができない。錦織選手が「省エネ症候群」に陥るのは早すぎる。グランドスラム大会はもちろん、ATP1000のタイトルもとっていない現状で、受け身のスタイルに陥るのは理解できない。最大の武器である攻めのスタイルを貫くために、サーヴィス力とフットワークの強化を怠ってはならない。フェデラーのように、初心に戻ってハードワークする姿勢が必要だ。錦織選手の奮起を促したい。
全員が30歳代に入るBig Four(フェデラー、ジョコヴィッチ、マリー、ナダル)がまだまだ力をあるところを見せているなか、次世代の若い選手たちが、錦織選手のすぐ背後に迫っている。狭間の世代にある錦織選手がトップを狙える時間はあまり残されていない。