2023.09.04 大学体育会の何が問題なのか - スポーツと権力を考える
 
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 日大アメフト部の大麻事件が話題になっているが、問題の本質を突いた議論がない。問題の核心は私立大学における体育会(権力)の存在であり、それが大学経営 と深く結びついていることだ。この問題にメスを入れない限り、体育会に関連する 不祥事は常に発生する。学外から着任した理事長が一人でできることには限界がある。

体育会権力
 深い闇に包まれた体育会権力を制御できなければ、この種の問題の根本的解決はない。 体育会権力とは何か 。多くの私立大学は一定のスポーツ種目を学生勧誘の道具(広告媒体)として使っている。このため、一般入学とは別枠で、スポーツ推薦入学を実施している。
 手続の上では、体育推薦入学を含めて、合格者の最終判定は教授会審査を経由する。形式的には 教授会決定事項となっているとはいえ、スポーツ推薦枠の決定は事前に理事会主導で体育会関係者が集まって決定され、実際の学生選抜は各体育会に任されている。
  教授会はただそれを承認するだけである。教授会の承認過程を経ない大学もあるだろう。どちらにしても、教授会の承認は形式的なもので、教授会から見ると体育推薦枠は治外法権的な存在である。
 体育会の特殊な存在が大学の経営権力を形成するケースが多々見られる。体育会推薦はたんに選手を無試験で大学に入れるための装置ではない。監督やコーチが入学者選定の実質的な権限を握り、それが既得権になっている。人気のある集団スポーツの場合、1 年の推薦枠は 1 チームを構成する人数に比例して大きくなっている。各体育会の推薦選手の実際の選定に、歴代の監督やコーチが影響力を行使し、 時にはその既得権をめぐる派閥争いが起きる。
  また、ほとんどの私立大学では職員募集で学内出身者の採用を優先しているが、 体育会が強い大学では、体育会出身者を縁故採用することも多い。これもまた体育会関係者の既得権である。合宿所の軍隊的な規律で鍛えられた職員は使い勝手が良いという理由で重宝される。合宿所から続く、親分-子分の関係が大学職員の間に埋め込まれる。体育会出身者は学内組織の最大派閥であり、大学経営でもこの派閥の意向を無視することができない。
 さらに、日大の場合には警察官僚や警察官僚出身の政治家が体育会権力と結びついて、危機管理学部を創設し、人的交換システムを構築している。官僚組織や政治までもが私立大学の体育会権力を利用している。きわめて日本的な現象である。
 こういう権力関係が何十年もの慣行によって埋め込まれている大学では、体育会改革など言葉にすることすらできない。特定の人物を排除したぐらいで、体育会権力が崩壊することはない。体育会権力の存在すら知らない識者が日大アメフト問題で発言しているが、ほとんどが的外れである。
 それは仕方ないとしても、体育会権力は日本の私立大学の将来にとっては蔑ろにされてよい問題ではない。大学経営を優先するあまり、大学の民主的運営や教育水準を上げる努力が犠牲にされるのは本末転倒である。

合宿所という特殊な環境
 学生側から見れば、体育会の合宿所生活は異様である。すべての体育会クラブが独自の合宿所を持っているわけではないが、人気のある団体競技の体育会クラブには大学が合宿所を用意している。体育会推薦と合宿所は体育会権力を支える重要な二本柱である。
 その問題は以下の通りである。まず、推薦入学する学生の数そのものが多すぎる。野球、サッカー、アメフトのような集団スポーツの場合、4 年間の推薦入学者は百名を越すところもある。しかし、実際に試合に出場できるのはほんの一握りの選手である。ろくに練習もできず、雑用係になってしまった選手は何を生きがいに大学生活を送るのだろうか。さらに、体育会を辞めれば退学を強制されるから、辞められない事情が存在する。
 体育会の合宿所は時代錯誤の軍隊的な規律で支配された世界である。入学年度によって差別化された上官-下士官の関係が蔓延する。目的を失い、雑用係の日々を過ごす学生はどのように合宿所生活を送るのだろうか。大麻で気分を紛らわすのも一つの方法と考えて何ら不思議はない。私立大学の歪な体育会合宿所生活がいろいろな問題を惹き起こしている。
  はたして、これまでどの大学の教授会が体育会の推薦入学や合宿所問題を真面目 に扱ってきただろうか。誰もこの問題を解決しようとは思っていないし、簡単に解決できる問題でもない。学外から着任した理事長が体育会問題に手を付けようとす れば、職員の総スカンを食ってしまう。
 この種の問題はいろいろな社会集団に見られる支配-従属関係と同種のものである。日大アメフト問題にコメントする識者は、まず自らが所属する集団に同種の問題がないか反省するのが先だ。

体育会推薦の制限と合宿所の廃止
 体育会権力の支配の打破に何が必要なのか。
 一つは、体育推薦枠の監視体制と推薦枠そのものの制限である。推薦枠や選定を体育会の既得権にせずに、教授会を含めた推薦枠の削減や弾力的運用を監視実行する体制が必要である。何チームも作ることができるほどの推薦入学者数は不要である。ほぼすべての体育会推薦入学者は体育会を退会すれば大学を退学するという念書を、それぞれの体育会に出している。体育会が学生の入退学を決める慣行も撤廃すべきだろう。
 他方、体育会を離れても、一般学生として勉学できるためには、一定の学力試験が必要である。現在、ほとんどの大学では体育推薦者に学力試験を課していないか、 簡単な面接で終わっている。学力が低い学生を入学させないために、一定の学力試験は不可欠である。賢くない選手はスポーツ選手としても大成できない。
 
 二つは、軍隊的な生活を必然化させる体育会合宿所は原則、廃止すべきである。 集団生活から生まれた不祥事は集団責任となる。個人責任というなら、理不尽な集団生活を強制すべきではない。合宿所がなければ、個人の犯罪を体育会クラブ全体の問題にする意味はない。それぞれのスポーツ選手が個人としても自立できることが重要である。理不尽な上下関係を強いる集団生活はあまりに時代遅れである。

 三つは、学校経営の民主化と職員採用の透明化である。地方の私立大学の中には、設立者が絶対権力を握っている大学もある。田中理事長時代の日大では、主要な管理職だけでなく、学部長ですら田中理事長の自宅へご機嫌伺いが求められた。 まるで徳川時代である。しかし、21 世紀になってもこの種の慣行を強いている大学 はそれなりに存在する。
 大きな私立大学では体育会権力とどう向き合うかは、大学の品位と知力が問われる問題である。 多くの学長経験者が日大アメフト部の不祥事対する林真理子理事長の対応に疑問を呈しているが、体育会権力に対抗できる基盤をもたない落下傘理事長にできることには限りがある。教授会もだんまりを決め込んでいる。スポーツを大学の宣伝に 使うことを禁止しない限り、この問題に根本的な解決はない。少しでも現状を変えたいというなら、最低限、合宿所を禁止すべきだろう。
 先進国の中で、これほどスポーツを大学の宣伝に使っているのはアメリカと日本ぐらいなものだ。しかし、アメリカのスポーツ推薦入学選手は一般学生寮で生活しており、一人の個人あるいは市民として大学生活を送りながら、スポーツを続けている。軍隊的な合宿所は日本 特有の現象であり、それはまた日本社会が封建的縛りから完全に抜け出ることができていないことの反映でもある。日大アメフト問題は日本社会の後進性と無関係ではない。

2022.02.12  北京五輪・高梨選手の失格事件に思う

盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)
 
          
 北京で開催中の冬季五輪のスキージャンプ混合団体で女子選手に5名のスーツ失格者が出て、この競技を台無しにしてしまった。これは明らかにFIS(国際スキー連盟)の失態である。厳しいスーツ規制が存在するのは良い。問題はその運用である。競技を終えてから、「貴方の競技は無効です」と通告するのは興ざめである。まさに「後出しじゃんけん」である。問題は規則の運用にある。
 スーツの厳格規制を行うなら、事前にスーツを審査して、使用するスーツに許可を与えるべきだろう。体格(体重や足回り、胴回り)が変化するなら、W杯が始まる前とシーズン中間時点で体格の測定を行い、その時点で許可されるスーツのサイズを選手ごとに決めるべきだ。五輪なら、すべての競技が始まる前に、使用できるスーツに許可証を与えるべきだ。その際に、寸法があっているスーツに認可マークを取り付ければ良い。それをしないで、競技を終えた後に、ランダムに「貴方のスーツは規格外でした」というのはあまりに杜撰な管理である。一にも二にも、運用方法が杜撰である。日本スキー連盟は「規則は規則」という事なかれ主義で何もしないのではなく、運用改善を提案すべきだろう。日本のスポーツ連盟は国際化が遅れているから、こういうところが抜けている。
 ジャンプ競技に男女混合団体という新たな競技が導入されたのは歓迎すべきだ。新鮮な視点でジャンプ競技を楽しむことができる。ただ、女子選手間のレベルの違いが大きく、女性選手の力関係で競技の勝負が決まる。女子選手強い国は上位に立つようになっている。だから、一つのジャンプが取り消されても、日本がカナダやロシアに肉薄することができた。それでも、普段は注目されないカナダや低迷が続いているロシアに、それなりのレベルを持った選手が出てきたのはジャンプ界にとって良いニュースである。
 いかんせん、スキージャンプは誰もができる競技でなく、子供の時から訓練していないとできない特殊な競技である。間違えば、命に係わる事故が起きる。大金を稼げるようなスポーツでもないから、競技人口がきわめて少ない。スイスのように、男子選手はいるが、女子選手がいない国もある。一昔前は、フィンランド、イタリア、フランスも男子団体を組んでいたが、近年は団体メンバーを組めない状態続いている。まして、男女混合となると、チームを組める国は10か国を超えることはない。その10か国の間でも、実力の違いはきわめて大きい。そのこともあって、混合競技は技術の差が広がるラージヒルの台ではなく、飛距離の差が小さいノーマルヒルの台が使われている。しかし、女子でもラージヒルの大会が主流になっているから、これからはラージヒルで混合競技が見たい。ラージヒルの場合にはさらに実力差が出てしまうが、見る者としては、こちらの方がジャンプのダイナミズムを堪能できる。
 今次の五輪で初めて採用された混合競技で、強豪国のオーストリア、日本、ドイツ、ノルウェイの女子選手がスーツ違反に問われた。長いW杯の歴史で、一つの競技でこれだけ多くのスーツ違反が出たことはない。そのために、興ざめた競技になってしまった。わずかに、日本が踏ん張って、もう少しで銅メダルというところまで追い上げたのが見どころになった。
 競技人口が少ないと、スポンサーを獲得するのも難しい。ドイツ、オーストリアだけでなく、五輪でメダルをとったカナダやロシアの企業がスポンサーになってくれれば、賞金額を上げることができる。日本では人気がなく、日本企業がFISのスポンサーになっていないが、スキー競技は欧州で人気がある冬のスポーツである。多くの競技がEurosportチャネルを通して放映されている。欧州に拠点をもつ日本企業が、もっと冬のスポーツのスポンサーになったらどうか。

北京五輪・高梨選手の失格事件に思う
                    プラニツッァ・フライングジャンプ台
 五輪後のW杯男子スキージャンプはフライング大会が多く組まれている。ラージヒルの倍近い距離を飛ぶスキーフライングは壮観である。ノーマルヒルの飛び出しは87kmh前後、ラージヒルのそれは90kmh前後だが、フライング台の飛び出しは100kmhを超える。とくに3月末のW杯最終戦が行われるスロヴェニアのプラニッツァ(Hill Size 240m)は、日本にとっても思いで深い台だ。1997-98年のW杯総合優勝は最終戦まで、船木選手とペテルカ選手(スロヴェニア)の双方にチャンスがあった。最後の最後に、同僚の葛西選手のこの日のジャンプで優勝さえしなければ、船木選手がスロヴェニアのペテルカ選手をわずかに抑えて総合優勝が決まるところまできた。ところが、フライングが得意な葛西選手がこの最終戦に優勝して、船木選手は総合得点19点差でペテルカ選手に次いで2位で当該シーズンを終えた。葛西選手が優勝しなければ、船木選手は総合優勝を手にするはずだった。なんとも消化しきれない運命のめぐりあわせだった。
 船木選手も葛西選手もなしえなかったW杯総合優勝は、小林陵侑選手が2018-19年のシーズンに達成した。小林選手はプラニッツァジャンプ台の252mのhill recordを持っている。今年は、フライングが得意な小林選手の二度目の総合優勝がみられるW杯後半戦である。期待したい。

2022.01.28 大坂なおみの現在
-2022年テニス全豪オープン選手権観戦記
 
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 大坂なおみ選手は全豪オープン3回戦で敗退した。第2セット終盤でマッチポイントを握ったにもかかわらず押し切ることができなかった。昨年の全米オープン3回戦のフェルナンデス戦と同じである。この時も、第2セット終盤で相手のサーヴィスゲームをブレイクして、自分のサーヴィスゲームをキープすれば試合を終わらせることができたのだが、そこから逆転負けを喫してしまった。
 本人は練習不足なのか、それとも実戦不足なのか分からないと言っているが、現在の自分に何が足りないのかを分析できていないように見える。これはコーチの責任とも考えられるが、大坂選手の性格上、納得できないことは受け付けないだろうから、コーチとのコミュニケーションが充分にできていないのかもしれない。昨シーズン、実戦から遠ざかると決めた大坂は、コーチやトレーナーとの相談なしで決断したと話している。だから、やはり大坂自身がどれほどのモティヴェーションをもって実戦に復帰したいのか、何を達成するために、どこをどう克服すれば良いのかについて明確な自覚と確信を持たないと、コーチの指示を受け止めることはできないだろう。

 全豪オープンを見る限り、大坂選手の状態は全盛期の8割程度である。身体能力が高いので、この程度の仕上がりでも勝ち進むことはできるが、調子が良い選手を相手にすると苦戦する。とくにアニシモヴァのように、体格が大坂とほぼ同じで球に力がある選手が100%の調子でぶつかってきた時に苦戦する。大坂選手にはまだまだ伸び代(しろ)がたくさんある。それを確信し、伸び代(しろ)を自分の物にしていけるかどうかに、今後の大坂選手の選手生命がかかっている。

サーヴの現状
 大坂の最大の武器は男子並みのスピードがあるサーヴだが、問題はその確率である。ふつうファーストサーヴの確率はほぼ50-60%で、簡単にサーヴィスゲームが取れるわけではない。剛球サーヴァーは往々にして、突然に調子を崩し、それが敗退の原因になる。
 2020年の全豪3回戦で大坂を破った15歳の天才少女ガウフは、この試合で190kmh前後のファーストサーヴを連発し、セカンドサーヴのスピードも160khmを記録していた。男子選手並みのパワーである。しかも、第1セットのファーストサーヴの確率が80%を超えていた。第2セットのサーヴ確率は落ちたが、要所で速いセカンドサーヴを決められ大坂は敗退した。センセーショナルな敗退になったが、この試合のガウフには誰も勝てないだろう。こういう相手と対戦する場合、大坂も100%の力を発揮しなければ勝ちきることはできない。
 大坂を破ったガウフだが、次の4回戦でケニンに敗れた。その試合のガウフのファーストサーヴの確率は56%に落ち、エース7本にたいしてダブルフォールト7本だった。サーヴの調子がふつうの状態に戻ったのである。もっとも、当時のケニンは調子が良く、そのまま全豪の初タイトルを獲得した。

 このように、いかに強力なサーヴを持っていても、サーヴの調子は日によって異なるし、同じ試合のなかでも変化するから、サーヴ力だけに頼っていては試合に勝てない。その後、ガウフはダブルフォールトを重ねるイップスに陥った。サーヴ力のある選手が陥る問題である。これを克服するために、ファーストサーヴのスピードを抑え、コントロールに重点を置くサーヴに転換している。その結果、ガウフのサーヴにはデビュー当時ほどの脅威がなくなった。
 幸い、大坂はイップスに見舞われていない。しかし、第一級のスピードをもつファーストサーヴに比べて、セカンドサーヴは並みのスピードに落ちる。対アニシモヴァ戦のデータを見ると、大坂のファーストサーヴの平均速度は178kmh(最高速度197kmh)であるのにたいし、アニシモヴァのそれは166kmh(最高速度179kmh)である。これがセカンドサーヴになると、大坂が136kmh、アニシモヴァは149kmhと逆転する。

 この結果、アニシモヴァが11本のサーヴィスエース(ダブルフォールト8本)をとったのにたいし、大坂はわずか5本(ダブルフォールト3本)にとどまった。サーヴィスエース数で大坂が相手に負けることは稀なことだが、さらにセカンドサーヴでのポイント取得率が5割前後で、アニシモヴァ6割に及ばなかった。サーヴ力で相手を圧倒するという大坂の戦いができなかったのである。
 大坂のセカンドサーヴが課題であることは本人もコーチも認識しており、ボールに回転をかけて、跳ねるサーヴに取り組んでいる。ただ、この跳ね上がるサーヴの場合、中途半端な高さに跳ねると、相手の打点ポイントに入ってしまう。バーティのセカンドサーヴのスピードは大坂と変わらないが、左右のコーナーにボールを散らすコントロール技術があるから簡単に叩かれない。今のところ、大坂にはこの技術がない。

 昨シーズンの負けゲームは、例外なく大坂の最大の弱点であるセカンドサーヴを叩かれたものだ。今大会では跳ね上がりを大きくするように回転数を高くなるようにしていたが、それでも相手の打点近くに落ちると叩かれる。アニシモヴァにはセカンドサーヴを叩かれただけでなく、180kmhを超えるファーストサーヴも切り返されている。
 大坂のサーヴの課題は、ファースト、セカンドともに制御力を付けることだ。これは練習しかない。すでにフォアサイドで外に切れるサーヴを習得しているから、反復練習を重ねてフォアサイド、バックサイドともにコーナーを攻める制御力が求められる。制御力が付くまでは、セカンドサーヴの回転数をさらに上げるか、スピードを付ける以外に改善方法はない。

ストローク力
 対アニシモヴァ戦ではストロークでも劣勢に立っていた。アニシモヴァのウィナーが46本にたいし、大坂のそれは21本である。全盛期の大坂であれば、この数字が逆転しているはずだが、簡単なストロークミスが多かった。
 大坂はバックハンドスライスに取り組んでいると伝えられていたが、私が観戦した2回戦と3回戦でバックハンドスライスは1本も使っていない。サーヴと同様に、大坂の魅力はラケットを振り切る強烈なストロークにあるのだが、遊びのないパワーショット一本槍は単純なミスを誘発しやすい。ほとんどの選手は振り切ることができない難しいボールはスライスで、ストロークを繋ぐ。最近のバーティはバックハンドをほとんどスライスで返している。大坂と対照的である。

 不利な体勢からパワーショットを打っても、返球の確率が低い。それでも大坂はスライスを使うことはない。しかし、スライスはたんに逃げのショットではない。球が沈むので、相手に強打されない利点がある。さらにスライスは次のショットの繋ぎという意味だけではなく、ストロークに変化を付けるという意味でも重要だ。ドライブで来るのか、スライスで来るのか、それともフラットで来るのかを相手に読ませないのだ。球筋を変えることで、相手に的を絞らせない。まさにフェデラーが使っていた戦法である。
 これは野球の投手と同じで、どれだけ球速が速くても、打者のツボに投げてしまうと打ち返される。だから、多くの球種を使って、打者のタイミングやツボを外すのである。テニスも同じで、どれほど打球が速くても、一本調子で打っていたのでは相手に対応されてしまう。球筋に変化を付けて相手に的を絞らせない技量が必要なのだ。

 バーティの場合、バックハンドドライヴは両手で打ち、スライスは片手で打つ。両手打ちのアニシモヴァもスライスは片手で打つ。ところが、大坂はもともと器用でないから、両手ドライブと片手スライスを使い分けするようなストロークができない。しかし、テニスのプレイ幅を広げていかなければバーティに勝てないし、台頭する若手を一蹴することもできないだろう。
 スライスとともに、ネットプレイの向上に取り組んでいると言われる大坂だが、その成果はまだ見えない。ネットプレイも器用さが要求されるから、大坂が苦手にするところだ。しかし、もう不器用だなどと言っている暇はない。それができなければ、トップへの返り咲きはない。

サーヴレスィーヴ
 全米フェルナンデス戦でも見られたことだが、それほど威力のないサーヴのレスィーヴ力に問題がある。ストロークと同様に、大坂はレスィーヴにおいても、スライスやブロック返球(ラケットを振り切らず、フラットに当てるだけで返球)を使うことはないし、実際にも使ったことがない。
 確かに、2019年の全豪、準決勝対プリスコヴァ戦、決勝対クヴィトヴァ戦で、強烈なサーヴを強打で切り返し、見事優勝した。この時のような攻撃的レスィーヴが次々に決まればスライスやブロッキングなど必要はないが、あのような神懸かり的な対応が常時できるわけではない。勢いで制した優勝から、今度は安定した戦いができるようにプレイの幅を広げていかなければ、四大大会勝利をさらに積み上げることはできない。それは大坂選手だけに言えることではなく、すべての選手に言えることだが。神懸かり的な勢いで四大大会優勝を達成した選手はたくさんいる。しかし、多くの選手は2勝目を達成できずに終わってしまう。
 今のところ、若手で複数回の四大大会優勝を達成しているのは、大坂とバーティだけである。それだけでも素晴らしい成績なのだが、大坂選手がどれほどプレイに幅を持たせることができるかで、これからのテニス人生が決まる。
 大坂選手の最大の敵は自分自身である。弱点を克服したいというモティヴェーションを持つことができるかどうか。それにかかっている。伸び代はある。



2022.01.21 コロナ規制で萎縮する批判精神

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 今月末からサッカーW杯最終予選の2試合が日本で開催される。日本サッカー協会は外国人入国禁止の中で、「政府から外国チームの入国に特別許可をいただいて感謝する」というコメントを発表した。東京五輪を開催した日本政府が、もったいぶって、W杯予選のための入国を「特別に認め」、それにたいして「感謝する」というサッカー協会の態度に腑に落ちないものを感じる。ところが、さらにその後、最終予選の試合に参加したJリーグの日本人選手は一律2週間の自主隔離に入るという政府の条件が課せられ、担当の専務理事や協会会長が「自主隔離期間の短縮を求めない」という不可解なコメントを発表した。

 試合に参加してコロナ陽性反応がでた場合には仕方がないが、陰性陽性にかかわらず、試合に参加したという理由で一律2週間の自主隔離を求める理不尽な条件にたいして、サッカー協会幹部は何の異議を唱えることなく、「仕方がない」と受け入れてしまった。2週間も隔離されてトレーニングができなければ、Jリーグの開幕に間に合わない。Jリーグのチームが代表派遣を断れば別の問題が生じてくる。いったいサッカー協会は誰のために存在しているのか。サッカー選手やチームの利益のために動くのが当たり前ではないか。にもかかわらず、最初から「仕方がない」とは何とも頼りない。

 この理不尽な条件に声を上げたのが、ヴィッセル神戸の親会社の三木谷浩史氏だ。2週間の自主隔離にたいして、「頭がおかしいんじゃないの」とツイッターで批判して問題が明るみに出た。「移動の自由、人権、営業権の侵害だ」と声を上げた。さらに三木谷氏は根拠なく「行動の自由を制限するのは憲法違反だ」とまで言い放った。この批判は協会幹部だけでなく、政府にも向けられたものだ。「いったい協会幹部は誰とどのような交渉をしているのか。試合をしただけで2週間隔離など、いったい政府のどこの誰が決めたのだ」と言いたいのだ。
 三木谷氏の怒りはもっともで、少なくともサッカーファンの多くは拍手喝采を送っている。ところが、他のJリーグのオーナーたちは沈黙を守っている。協会もまずいと思ったのか、自主隔離期間短縮の「嘆願書」を出したようだが、いかに及び腰である。サッカー協会は、最初からお上の言うことを承るだけの存在になっている。こんな頼りない協会では選手が可哀想だ。異を唱えないオーナーもオーナーだ。なぜもっと声を上げないのか。もっとも、サッカー協会だけでなく、右翼左翼にかかわらず、日本中が「ゼロコロナ規制の罠」にはまって、批判精神を萎縮させている。まるで戦時体制のようだ。過剰規制の批判者の多くが、右派の論客だというのが興味深い。日頃「憲法を守れ」と叫んでいる左翼の低迷理由が分かる。「物分かりが良い」振りをしても、支持者は増えない。見え透いた世論への忖度が見破られているだけでなく、本来の鋭い批判精神が発揮されない凡庸さに、魅力が感じられないからである。肝心なところで、その神髄が発揮されていないのである。

 そもそも「試合に参加したら2週間の隔離」など、誰が考え出したのか。スポーツ庁の幹部か、それとも厚生労働省とスポーツ庁との交渉の中で、厚生労働省側の担当者が編みだした案なのか。スポーツ庁はサッカー協会に命令を伝達する機関なのか、それともスポーツ協会を支援し援助する政府機関なのか。さすがに根拠のない2週間隔離は取り下げられ6日間隔離になったが、問題は数字ではない。決定プロセスが上意下達になっていて、協会がその役割を果たしていないことだ。三木谷氏が批判しなければ、理不尽な14日間の隔離が決まっていた。

 問題の根源は「鎖国」から派生している。「鎖国」という前代未聞の日本政府の対応に異議を唱えている政党はいない。「世論が厳しい措置を歓迎している」から、異議を唱えて批判されるのが怖いからである。日本政府は国際的な隔離動向を見ながら自主隔離期間を判断しているようだが、他の先進諸国より厳しい措置を保持することで、「より厳しい水際作戦」を遂行していることを示したいだけなのだ。「鎖国」がもたらす社会的経済的損失には目を瞑り、とにかく世論の批判を受けないようにしている。だから、官僚組織は政府方針に従い、担当者は厳しい措置を保持し、さらにより厳しい措置を編みだして人々の行動を規制しようとする。世論がそれを支持していると見ているから、より強い態度で管轄団体に対応している。こういう状況で、省庁の管理下にある団体は政府批判を抑制し、政府からの指令を受け取るだけの存在に成り下がっている。このような協会に価値はない。

 感染が猛威を振るっている英国でも、陽性からの隔離期間が5日に短縮された。日本もそれに対応して自主隔離期間の短縮を決めているが、依然として、感染の有無にかかわらず一律10日である。鎖国は2月末まで維持される。人々はそれにたいして異をとなることなく、世論は感染拡大だけを騒ぎ、専門家と称する人々は「軽症者が多いとはいえ、感染が拡大すれば重症者も一定数で増え、医療圧迫する」というコメントを念仏のように発するだけだ。

 日本中がオミクロンに狂騒しているが、1万人の感染拡大で死亡者1人であれば致死率は0.0001%で、インフルエンザ以下になる。重症者が10名であれば、重症化確率は0.001%である。新たな状況を分析することなく、「一定割合で重症者が増えるから油断できない」という専門家のコメントは、感想以上のものではない。こういう議論をきちんとできずに、右も左も「行動規制や鎖国」に異を唱えることがない翼賛社会は不幸である。日本と同じく「ゼロコロナ」政策で、市民の行動の自由を奪っている専制国家中国を嘲笑する資格はない。

ジョコヴィッチ選手をめぐる問題
 テニスの全豪オープン参加をめぐるジョコヴィッチ選手の問題は、オーストラリアの入国規制の問題、ジョコヴィッチ選手の規制要件軽視の問題、全豪オープン主催者とヴィクトリア州の問題、セルビア政府の態度に分けて考えなければならない。
 オーストラリアは日本のように鎖国をおこなっているわけではない。接種証明を条件にしているだけだから、それをクリアすれば最初から問題はなかった。また、オーストラリアは、直近の感染(証明)によって接種を免除していないのだから、12月の陽性証明は入国条件に当てはまらない。ジョコヴィッチ側はこの条件を知っていたと思われるが、駄目元で主催者に申請したら、認められたと言うのが事の真相だろう。

 したがって、今回の混乱の最大の原因は、全豪オープン主催者とヴィクトリア州が直近の陽性証明で接種義務は免除されると判断したことだ。この裁定がなければ、ジョコヴィッチはオーストラリアへ出発することはなかった。実際、ほとんどの国では直近の感染証明を接種証明と同等に扱っている。だから、興行主はなんとかなると判断したのだろうが、ジョコヴィッチだけにそれを認める政治判断をオーストラリア政府は下すことができなかった。これはオーストラリア国内の規制内容の是非にかかわる問題である。

 ジョコヴィッチ選手個人がワクチンを受けたくないという意思は尊重されなければならない。接種が参加条件なら全豪オープンには参加しないという態度を、最初から明確にすべきであった。そうすれば、オーストラリアの入国規制の問題点を明らかにすることができた。しかし、参加に拘り、裏技を使って入国した。しかも、それがやぶ蛇となって、入国申請書類上でスペイン旅行を隠したことが発覚した。コロナ禍でも欧州内の移動はかなり自由で、PCR検査の陰性証明があれば簡単に入出国できる。だから、スペイン旅行が問題になることはないと考えていたのだろう。しかし、形式的な問題とはいえ、虚偽申告はアウトである。

 他方、セルビア政府はジョコヴィッチ選手が外交旅券を保持していることを強調し、無条件で入国が認められるべきだという主張を展開した。しかし、外交団として訪問する場合を除き、先進国では民間人が外交旅券を使って個人旅行することはない。しかし、旧社会主義国ではこの点の規範が非常に曖昧で、私的旅行に党幹部、政府高官や政治家が外交旅券を使うことは稀ではない。これは社会主義時代に、特権階級が外交旅券を保持して旅行した名残でもある。だから、体制が変わっても、公私を峻別するという社会的規範が緩い。しかし、先進国では私的旅行での外交旅券は厳しく制限されている。セルビア政府がジョコヴィッチ選手に外交旅券を与えるのは自由だが、それが国際的に通用するかどうかは別問題である。この点で、「テニス界のNo.1だから世界に通用するはず」という甘えがあった。
 しかし、もういい加減、意味のないコロナの過剰規制措置は順次撤廃してもらいたいものだ。ジョコヴィッチ選手のオーストラリア入国問題が、コロナ禍の過剰規制のエピソードになるのは何時の日だろうか。

2021.09.08 モティヴェーションを失った大坂なおみ、全米の敗戦

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 テニス全米オープン3回戦の大阪なおみ(女子)とツィツィパス(男子)は、勝ち試合をみすみす逃し敗退した。ともに、新鋭の勢いのある選手が相手だったが、一瞬の気の緩みが敗戦をもたらした。

大坂なおみの戦い
 大坂は連勝が止まった春から試合数をこなしていない。全仏は早々と棄権し、ウィンブルドン(全英)ではプレーしなかった。全米オープンの前哨戦には参戦したが、ここも早々と敗退したために、ゲーム感覚が研ぎ澄まされないまま全米オープンに入った。
全米のドロー(組み合わせ)は3回戦まで、ランキング50位以下の下位選手との対戦で、徐々に調子を上げていくには願ってもない状況だった。1回戦の対ボウズコヴァ戦は決して悪いスタートではなかった。ところが、2回戦が不戦勝になって、3回戦で18歳のフェルナンデスとの対戦となった。実戦を積み重ねると言う意味では、大坂にとって不戦勝は必ずしもプラスには働かない。その不安がフェルナンデス戦で露呈された。
 失う物が何もないフェルナンデスは全力で向かってきたが、大阪は第1セット、5-5からのフェルナンデスのサーヴィスをラブゲームで取り、自らのサーヴィスゲームで決着をつけた。貫禄の横綱相撲であった。第2セットもまったく同じ展開で、5-5から大坂がフェルナンデスのサーヴィスを破り、次の自らのサーヴィスゲームで、1時間強の試合を終わらせるところまできた。ところがここで大坂はやや集中力を切らした。それまで決まっていたファーストサーヴィスが決まらず、あっという間にブレイクバックを許した。気落ちした大坂はタイブレイクを簡単に落としてしまった。大坂が感情を露わにして、ボールをスタンドに打ちこみ、ラケットを叩きつけたのはこのタイブレイク戦である。
 大坂のサーヴィスで始まる第3セットだったが、先にブレイクを許したのは大坂だった。フェルナンデスは、気落ちした大坂のサーヴィスゲームのブレイクチャンスを逃さず序盤にブレイクして、そのままセットを取りきった。第1セットと第2セットに一つずつ相手のサーヴィスゲームをブレイクした大坂だが、第3セットはとくにパワーがあるわけでもないフェルナンデスのサーヴィスを最後までブレイクすることができなかった。
 試合を通して、大坂は15本ものサーヴィスエースを打っている。サーヴの調子が悪かったわけではない。しかし、勝負どころでサーヴィスがブレイクされ、勝負が決まった。

大坂の現状
 18歳にしてはなかなかのテクニシャンであるフェルナンデスだが、小柄で、パワーがあるわけではない。しかし、コーナーに打ち分けるフェルナンデスのサーヴィスを、大坂はなかなかブレイクすることができなかった。試合後のインタヴューでもなぜブレイクできなかったのか分からないと話している。確かに2019年の全豪で、大坂はフェルナンデスよりはるかにパワーとスピードのある左利きのクヴィトヴァと準決勝を戦い、左利き特有の難しいサーヴィスを切り返して勝利している。しかし、東京五輪以後、3名の左利き選手に連続して負けを喫した。全豪で優勝した時のようなリターンが見られず、サーヴィスのリターンミスが続いたことが、試合を難しくした。
 明らかに、実戦感覚が鈍っている。それだけではない。今大会の腹だしコスチュームから見えたように、お腹が出っ張っている。
 体重が増えて腹筋が緩んでいるのは確かだ。全米、全豪を連続して勝った時の体型から明らかに変化している。体が絞り切れていないのは、トレーニング量が不足しているからだろう。
 もともと、大坂はフットワークがそれほど良い選手ではない。連勝がストップした試合からここまで、明らかに相手の方がフットワークで大坂の動きを上回っている。前後左右のスプリントや足の運びのトレーニングが十分にできていないように思う。だから、パワーがない相手のサーヴィスでも、コーナーに決められると体がついていかない。若手が次々と台頭しているテニス界で、走力とフットワークの向上なしに、上位ランクを維持することは難しい。
 大坂選手の魅力は何と言ってもそのパワーにある。そのパワーがうまく発揮できれば敵なしだが、パワーに頼るあまり、「受け」が悪くなるリスクがある。大坂選手はサーヴ・レスィーヴもストローク(フォア・バックともに)もドライヴで強打し、スライスやフラット返球を使うことはほとんどない。この試合でも、ウィナーが37本、アンフォーストエラーが36本である。これだけミスショットが多いと、相手が誰だろうと、簡単には勝てない。サーヴ・レスィーヴや逃げのショットにスライスやフラットの打ち返しができれば、戦法の幅が広がる。ここがバーディとの大きな違いで、ランキング1位のバーディにはバックを両手打ちでも片手のスライスでも打てる器用さがある。最近のバーディはバックハンドにスライスを使い、フォアの強打でチャンスボールを決めるスタイルをとっている。これがバーディの安定した戦いを生んでいる。
 もともと、スライスとドライヴを織り交ぜ得るような器用さは大坂にはない。パワーで押し切るというテニスに器用さを求めると、テニスの型が崩れる。そこがコーチングの難しいところだが、もう少しストロークの幅を広げないと、ストロークの安定性が得られないことは確かである。
 問題はこれらの弱点を克服して、再び世界の頂点に立ちたいというモティヴェーションがあるかどうかだ。若くして世界の頂点に立ってしまうと、トレーニングのインセンティヴを失ってしまう。果たして、大坂なおみはこれから何を達成したいのか。目標と気持ちの強さガなければ、ハードトレーニングに耐えることができないだろう。

中途でつまずくツィツィパス
 常に優勝候補に上げられながら、途中でつまずいてしまったのがツィツィパスである。3回戦の相手はナダルの後継者として将来を嘱望されるスペインの新星、18歳のアルカラスである。ツィツィパスは第1セットを失ったが、第2セットを取り切り、第3セットもダブルブレイクで5-2とリードして、自らのサーヴィスゲームでセットを終わらせるところまできた。しかし、大坂と同様に、自らのサーヴィスゲームを続けて落とし、タイブレイクに持ち込まれてしまった。アラカラスの健闘を称えるべきか、ツィツィパスのふがいなさを嘆くべきか、難しいところだが、このセットを落としたことが、大きく響いた。
 第4セットはツィツィパスが簡単に取って、最終セットも押し切るかと思われたが、ここでも大坂と同様に、先にサーヴィスゲームを落としたのがツィツィパスである。試合を通してサーヴィスエースを15本も打ったツィツィパスだが、肝心の最終セットで相手より先にサーヴィスブレイクを許してしまった。大坂の試合とほとんど同じ展開である。サーヴィスの不安定さが最後の最後に勝負を決めた。
 これにたいして、アルカラスのスタミナは凄い。フォアのストロークのパワーはツィツィパスを上回っていた。テニス界には次から次へと新星が現れてくる。まだ大坂と同じく23歳でビッグスリーに代わる新世代のホープと見なされているツィツィパスですら、すでに下からの突き上げにあっている。男子も女子も、世界の頂点を争う戦いは厳しい。そのなかで、戦うインセンティヴをもち、厳しいトレーニングを続けられる者だけが、世界の頂点に立てる。凡人には計り知れない厳しい世界である。

2021.08.24 歴史を作る大谷翔平
落ち着きを取り戻した大坂なおみ

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 100年以上の歴史を誇るアメリカ大リーグで、大谷翔平がベーブ・ルースを超える歴史を作っている。徹底した分業が確立している現代の大リーグで、大谷は二刀流を貫き、ここまで8勝40本という驚異的な記録を達成しているだけでなく、100奪三振、100安打、87打点、18盗塁の信じられない記録を達成している。走攻守3拍子揃った、獅子奮迅の活躍を見せている。
 日本ではスラッガーだった筒香が苦しんでいるのを見れば、大谷が達成していることの凄さが分かる。大谷の強い打球を警戒して、野手が深く守っているとは言え、ふつうの1塁ゴロや2塁ゴロが内野安打になるほど、大谷は足が速い。大リーグでは1本のホームランを打つのも、1勝を挙げることも、1個の盗塁を達成することも難しい。40本の本塁打を打っているスラッガーが、少なくとも日本人投手のなかで最高の成績(勝ち星も防御率も)を上げている。信じられないことが進行している。8月19日の大リーグのHP(mlb.com)は、8月18日の大谷の活躍をThe greatest Sho on earthと伝えている。Shoはもちろん、Shoheiとshowの掛詞である。
 このまま怪我で今シーズンを終えても、リーグMVPが獲得できるほどの素晴らしい成績である。もしも今シーズン、10勝(あと2勝)、50本(あと10本)、100奪三振(すでに達成)、100打点(あと13点)、100安打(すでに達成)、20盗塁(あと2個)を達成すれば、以後100年はこの記録が破られることはないだろう。大谷はそれほど凄いことをやっている。ベース・ルースを超えて、大谷翔平が21世紀大リーグのレジェンドになる日は近い。
 嬉しいのは、大リーグの多くの選手が大谷の活躍に羨望と驚異の目を向け、大谷選手をリスペクトしていることである。アウェイの球場でも、大谷の人気は凄い。大リーグファンが皆、大リーグの新しいヒーローとして、大谷の活躍を楽しみにしている。きわめて希有な光景である。アメリカの軍事外交政策には賛同できなくても、敵味方を問わず、能力のある者を素直にリスペクトする点は、アメリカ社会の良いところだ。もちろん、嫉妬する者もいるだろうが、大リーグもファンも新しいヒーローとして大谷選手の活躍を見守っている。
 
 野球のような集団スポーツと違い、個人競技のテニスは格闘技に近い感覚がある。時には激しい感情の戦いがある。昨年9月の全仏オープンの女子シングルス2回戦で、ベルテンス(オランダ)とエラニ(イタリア)が激闘を繰り広げ、ベルテンスが辛うじて勝利したが、複数箇所の痙攣に苦しみ、車椅子で退場した。対戦相手のエラニは、ベルテンスが仮病を使って、神経戦を行っていると激しく抗議し、ベルテンスが車椅子で運ばれても、「演技している」と怒りを隠さなかった。しかし、ベルテンスは以後の試合を棄権し、今年に入ってから、今シーズンで引退することを表明した。何とも後味の悪い試合だった。
 同じようなことが、今年のウィンブルドン女子シングルス(3回戦)でも起きた。オスタペンコ(ラトヴィア)とトムヤノヴィッチ(オーストラリア)の試合はもつれたが、その最終セット、トムヤノヴィッチが4-0とリードしたところでオスタペンコがMTO(medical time-out・治療時間)を取った。時には、ゲームの流れを変えるために、選手がMTOを利用することがある。もちろん、それはルール違反だが、本当に怪我しているかどうかは本人にしか分からない。トムヤノヴィッチは、「(相手は)これまで怪我のそぶりを見せていなかったのに、この段階でMTOを要求するのは、ゲームの流れを変えようとする仮病だ」と激しく主審に詰め寄った。トムヤノヴィッチがこの試合を押し切ったが、ゲーム終了後の両選手の握手もなく、これも後味の悪い試合になった。
 
 8月18日、全米オープンの前哨戦、WTA1000Cincinati大会に大坂なおみが登場した。8月16日のリモート記者会見で、「(自分が主張するときには)メディアを利用しているのに、メディアとのコミュニケーションを拒否している」という意地悪な質問に涙し、いったん会見が中断した。その影響が心配されたが、2回戦から出場した大坂は落ち着いた試合運びで、難敵ガウフを退けた。
 この試合前半の流れは悪い予感を抱かせるものだった。大坂のサーヴィスは良かったが、ストロークの調子が悪く、もどかしいゲームが続いた。ここに来て調子を取り戻しているガウフはファーストサーヴが入らなくても、コントロールが効いた良いセカンドサーヴィスを打ち、大坂のブレイクを許さなかった。こういう流れだと、先にサーヴィスゲームを落とした方が負ける。案の定、第1セットは大坂が先にブレイクされ、そのままセットを失った。
 天才少女ガウフとの対戦はこれが3度目。最初の対戦は2019年の全米オープン。この時は大坂が6-3、6-0と完膚なきまでにガウフを打ち負かし、試合後にガウフが涙を流した。大坂はガウフに駆けより、一緒にコートインタヴューを受けようと誘い、両選手に拍手が送られた。2度目は2020年全豪オープン。ここでは逆に6-3、6-4でガウフが雪辱した。この試合、ガウフのサーヴィスが絶好調で、190km/hのスピードあるサーヴィスを次々と決め、大坂を押し切った。大坂の状態が悪かったわけではないが、ガウフは最高の状態にあった。これだけサーヴィスが決まると、大坂も100%近い状態でなければ勝てない。ゲームオーヴァーの後、大坂は憮然としてコートを去って行った。まだ相手を褒めるだけの精神的な余裕がなかった。
 さて、昨日の試合に戻るが、第2セットも早々とガウフが先に大阪のサーヴィスゲームをブレイクして、優位にたった。ここでずるずると負けてしまうと、今年の悪い流れが断ち切れない。ところが、ブレイクされてから大坂のストロークが決まりだし、他方でガウフのサーヴィスが不安定になった。この隙を突いて、第3セットは大坂が取り切った。こういうゲーム展開は、良い時の大坂の流れである。負けそうになってから、相手を圧倒して勝ちきるというパターンである。
 ガウフは大坂とほぼ同じスピードのファーストサーヴィスを打つ。しかし、サーヴィスの確率が低く、ダブルフォールトに悩まされてきた。この試合でも9本のダブルフォールトを記録している。大坂のそれは3本である。強いサーヴを持つ選手の宿命だが、最近のガウフはファーストサーヴィスの速度を落としてコントロールを重視する術を体得しつつある。また、セカンドサーヴィスを簡単に叩けないような工夫もしている。にもかかわらず、ゲームが競ってくると、ついつい力んでしまう。最終第3セットで3本のダブルフォールトを犯し、肝心なところでサーヴィスブレイクを許してしまった。大坂のサーヴィスが良くなったので、負けじと力を入れた結果である。最終セットは6-4と競ったように見えるが、ポイントは大坂31ポイントにたいし、ガウフは22ポイントで、大坂が圧倒した。とくに、第3セットのサーヴィスエースは大坂5本(ダブルフォールトゼロ)にたいし、ガウフは3本のサーヴィスエースにたいし、ダブルフォールトも3本だった。
 試合後、互いにハグし、ガウフが最初に語りかけ、続いて大坂が笑顔で応えていた。大坂は何か吹っ切れたような表情だった。相手と互いにリスペクトし合える状態に戻っただけでも、収穫のある試合だった。
 この試合で大坂は1試合の勝利以上のものを手にした。因縁のある対決で難敵を下すことができただけでなく、リードされた劣勢から体勢を建て直し、逆に相手を押し切るという、大坂らしい試合運びができた。大坂に今一番必要なのは、こういう試合をこなすことだ。大会で優勝を目指す必要はないが、試合不足が続く中で、より多くの試合をこなして全米への準備を整えたい。もちろん、優勝できて、大会賞金をハイチ支援に贈ることができれば言うことはないが。
2021.06.26  ジュールス・ボイコフ×宇都宮健児 『犠牲の祭典―オリンピックの真実』の動画をみました 

米田佐代子(作家)

 「オリンピック狂騒曲」は、開幕一か月前の今からもう頂点に達しています。「無観客が望ましい」という尾身さんたちの「提言」は無視されて、観客は上限1万人、開会式はそれに加えてかの悪名高きバッハIOC会長以下「五輪貴族とそのファミリー」や「スポンサー枠の関係者」のためにもう1万人を入れるというのですから、それはもう「コロナさん、どうぞきてください」というようなものではないか。菅首相は「ワクチンさえ打てば安全」と思い込んでいる(フリ?)らしいが、その接種率だって「2回済み」のひとはまだ1割にも満たない。おまけに来日したウガンダのオリンピック選手団は「ワクチン2回接種」してきたのに陽性者が発生。これはある意味当然で、ワクチンは絶対にコロナにかからない「お守り札」ではありません。いや感染しても無症状で、かえってひとにうつす心配もあるとか。ワクチン打ったら「もう何をしてもだいじょうぶ」などということもあり得ない。大会組織委員会は「会期中に緊急事態宣言になったら無観客も」といったそうですが、大体緊急事態宣言を出す立場の政府が「何が何でも有人でやる」方針なのだから、宣言なんて出すわけないじゃん。

 この「何が何でもオリンピック」暴走を、勝算もないまま無謀な「玉砕」作戦をすすめ、敗戦を目前にしながら「国体護持」のため沖縄地上戦に突入した戦時下の「大日本帝国」になぞらえる指摘があり、あのときウソ八百の「戦果」を宣伝した「大本営」そっくりだという方もいます。わたしのみるところ今の政府・組織委員会は「ウソ」さえつかず、上限1万人の観客に加えて「IOCやスポンサー企業の要求を断われないから」と1万人入れるというのだから、「東京(日本)はIOCの植民地になった」と言われても反論できない。じゃあ、なぜこういう事態になったのか。「コロナ」のせいでこうなったのでしょうか。コロナがなければオリンピックは「正義と平和の祭典」として世界的にも日本国内でも熱狂的に歓迎されるはずだったのでしょうか。

 そう思うこと自体がオリンピックに対する幻想であり、「虚構」に過ぎないという批判がやっと日本にも広がってきたことを、先日このブログで書きました。わたし自身オリンピックが毎回わいろで誘致され(今回の東京オリンピックにたいしてもJOCの前竹田会長が巨額な買収資金を動かした疑いをもたれています)、電通をはじめとする巨大企業の食い物になっていることは以前から知っていました。それは、オリンピック発祥の時からついて回った構造であることを、図書館の順番待ちで借りた3冊の本で勉強したのです。その3冊と言うのは、ジュールス・ボイコフ『オリンピック秘史』と『オリンピックに反対する側の論理』、ヘレン・ジェファーソン・レンスキー『オリンピックという名の虚構―政治・教育・ジェンダーの視点から』です。

 そして6月13日に行われたボイコフ氏と、ネットで「オリンピック中止署名」をよびかけ43万という署名を集めた宇都宮健児氏による『犠牲の祭典―オリンピックの真実』という動画をやっと今日、それも2時間もかかるのでお二人の話の部分だけですが視聴しました。すごく説得力がありました。特にボイコフ氏は2019年に来日して福島を訪問、「東京オリンピック誘致の当時の安倍首相は福島原発事故は<アンダーコントロールされている>と言って支持を獲得し、<東日本大震災と原発事故からの復興>というスローガンを掲げたが、それは現実と大きく乖離している」ことを指摘され、さらにコロナがもたらした世界的な貧困と格差の拡大にオリンピックが拍車をかけているという現実を直視すべきだと明快に発言されました。それは彼の著書によれば「オリンピック反対は資本主義の構造そのものへの批判にならざるを得ない」のだと言うのです。動画の中で宇都宮さんが「そこまで考えていなかった」と反省の弁を述べておられましたが、日本国内でもコロナがなければオリンピックをほめたたえていたかもしれないという感情は根強くあると思います。

 レンスキー氏の著書は『ジェンダーの視点から』とあるように、オリンピックが女性を排除したところから出発し、ようやく与えられた役割が「女性は(競技者ではなく)応援者」という位置づけであった歴史から説き起こし、さらに「植民地化ツール」としてのオリンピックの役割にも説き及んでいます。だからボイコフ氏は「オリンピックは今や政治的争点だ」と言うのです。彼がもとサッカーのオリンピック代表だったことは知られていますが、その経験を論理として提起したことはすごい、と思いました。

 オリンピックで活躍するアスリートたちには激励を送りたい。しかし、オリンピックを頂点とする(と思われている)スポーツの世界でこれまで繰り返されてきたセクハラやパワハラ、出身校による差別等々をみれば、「純粋なスポーツマンシップ(これも男性名詞だよね?)」の虚像はもはや存在しない。今回のオリンピック開催問題でも、本来なら生命の危険を感じているはずの現役アスリートたちからの発言が殆ど出ないということは、尾身さんのような専門家でさえ政府の方針に反する発言をすればどうなるかを見せつけられたらものが言えるわけないでしょ、と思ってしまう。「五輪ファシズム」「オリンピック産業」と呼ばれるこの世界的プロジェクトを「コロナがなければ歓迎したのに」と言えるだろうか?

 かくて6月6日に「ワクチン2回接種済み」でそろそろ抗体ができるはずという「恵まれた条件」のわたしも、7月23日以降東京の街なかには絶対出て行かない、オリンピックもテレビででも見ないゾ(もともとテレビのスポーツ番組はほとんど見ない)、と「はかない抵抗」をしようと思っています。せめて7月4日の都議選では、「オリンピック中止」を公約する候補者を探そう。
2021.06.18  2021年全仏オープンテニス観戦記

盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)

 大坂なおみの記者会見拒否に続く棄権、女子ランキング1位バーティの故障棄権、クヴィトバの怪我棄権、フェデラーの4回戦棄権など、今年の全仏テニスはあまり楽しくない話題が多かった。女子はトップシードが軒並み棄権や敗退で、ベストフォアに残ったのが第17シードのサッカリ(ギリシア、3月末のマイアミ・オープンで大坂に圧勝して連勝記録を阻止)、すでにヴェテランの領域に入った第31シードのパヴュルチェンコヴァ(ロシア)、ダブルスの巧者だがノーシードでランキング33位のクライチコヴァ(チェコ)、ランキング85位のズィダンシェク(スロヴェニア)という顔ぶれになった。
 準決勝でクライチコヴァとパヴュルチェンコヴァが勝ち、予想外の決勝戦になった。近年の赤土のチャンピオンは「年替わり」の様相を呈しており、今年は若い選手ではなく、中堅選手同士の決勝となった。結果はクライチコヴァの粘り勝ち。パヴュルチェンコヴァにとって、選手生命最後のチャンスだった。ダブルスで何度も決勝を戦ったクライチコヴァが、僅かな経験の差で勝った。しかし、トップシード選手がいない今年の準決勝戦も決勝戦も、インテンスィティ(戦いの強度)の低い戦いだった。

ブレイクしたサッカリ
 女子準決勝に残った選手のうちで特筆されるのがサッカリである。172cmと小柄ながら、力強いテニスをする。サーヴは特別速いわけではないが、それでもファースト・サーヴィスの平均速度が160km/h後半、セカンド・サーヴィスのそれは140km/h出せる力をもっている。ほぼ錦織選手並みである。逆に言えば、錦織選手のサーヴスピードがいかに遅いかが分かる。サッカリはストロークでも強いボールを打てる。3月末のマイアミ・オープンで大坂選手を破った時には大坂のセカンド・サーヴィスを22本も打ち抜いた。明らかにコーチが与えた戦術である。大坂の緩いセカンドサーヴを切り返す練習を繰り返して試合に臨んだのだろう。そうでなければ、これほどうまくセカンド・サーヴィスが叩かれることはない。コーチの戦術とそれを実行する選手の力がうまくはまった結果である。大坂なおみの不調の波はこのサッカリ戦の敗退から始まったことを考えると、サッカリのコーチの有能さを称えないわけにはいかない。
 サッカリが今大会の準々決勝で優勝候補ナンバーワンと目されたシフォンテック(ポーランド)をストレートで破ったのも、シフォンテックのフォアハンドを徹底して攻めるという戦術である。左右のライン際にボールを落とすのがうまいシフォンテックに、球を散らさせない戦術だった。これがシフォンテックのストロークミスを誘った。このゲームのファースト・サーヴィスの平均スピードはサッカリが167km/h、シフォンテックのそれは158km/h、セカンド・サーヴィスの平均スピードはサッカリが145km/h、シフォンテックのそれは116km/hだった。シフォンテックの緩いセカンド・サーヴィスもサッカリの餌食になった。
 サッカリのコーチはイギリス人のトム・ヒルである。内田暁氏のレポートによれば、テニス選手として大学で経営学を学びながら、下部リーグに参戦していたが、卒業後の進路で迷っていたところ、フロリダのIMGアカデミー(錦織選手が所属していたスポーツ選手を育てるフロリダのクラブ)からシャラポワのヒッティングパートナーの話が舞い込み、そこからコーチングの世界に入ることになった人物である。まだ若い26歳である。
 サッカリvs.クライチコヴァの準決勝は双方とも慣れない大舞台で、思い切った戦いができなかった。お互いにマッチポイントを迎えながら、思い切ったショットを打てない消極性が、試合を無駄に長引かせてしまった。スリリングではあったが、試合内容としては凡戦に近い。サッカリ有利とみられたこの試合、サッカリがマッチポイントを迎えても、積極的に攻めることができなかった。お互いに慎重になり、相手のミスを待つ消極性が試合のインテンスィティを低めた。ダブルスの名手で球を置くのがうまいクライチコヴァに軍配があがった。
 ここが大坂なおみなどのグランドスラム大会の決勝舞台を経験している選手との違いである。大坂は大舞台に強い。試合を重ねるごとに集中力を高め、ゲームのレベルを上げることができる。強敵相手に、しかもゲームを決めるポイントにリスクをかけて打ち込める集中力がある。ここがトップ選手と20番台前後の選手で決定的に違う。サッカリは一発勝負に強く、強敵を打ち負かす力を持つが、その力をさらにアップしてトーナメントを勝ちきることができない。逆に、頂点が近づくにつれ、手が縮んでしまう。それが現在のランキングに現れている。準決勝の舞台を経験してさらに強くなれるのか、今後の戦いが注目される。

フェデラーにはつらい赤土
 フェデラーがナダルになかなか勝てないのは、片手のバックハンドに跳ねるボールを集められるからである。高くバウンドするボールを叩くのは誰にも難しいが、フェデラーの場合は弱点である片手のバックハンドが狙われる。ハードコートの場合には弾みが押さえられるのでバックハンドの処理は赤土ほど難しくない。それでも、ほとんどの選手はフェデラー攻略の的をバックサイドに狙いを定めている。だから、フェデラーは長いラリーに持ち込まないように、ハードコートではサーヴ・アンド・ヴォレーの速い攻めを心がけている。その鍵になるのは制球力が高いサーヴィスである。球速が特別に速いわけではないが、190km/h台のサーヴをコーナーに決めることで、速い勝負を仕掛ける。これがフェデラーの戦い方である。ところが、このサーヴィスが入らないと、苦しいゲームを強いられる。すでに全盛期を過ぎ、脚力が衰えているので、走り回ってボールを拾うことはない。
 早めの勝負を仕掛けるもう一つの武器は、ライジング処理である。相手に充分に打球態勢を取らせないように、ボールが落ちる前に叩くというのがフェデラーのスタイルである。しかし、赤土では球が跳ねるので、ライジング打法はミスを生みやすい。フェデラーが赤土で苦戦する理由である。
 3回戦の対キュファー(ドイツ、ランキング59位)戦で苦戦したのはファースト・サーヴィスの確率が低く先手を取る戦いができなかったこと、クレー・スペシャリストのキュファーが跳ねるボールをフェデラーのバックサイドに集中する作戦を徹底していたからである。最初の3セットはすべてタイブレイクまでもつれ、第4セットは辛うじて7-5と取り切り、3時間35分の試合を終えた。深夜に及んだ試合は40歳の誕生日を迎えるフェデラーには大きなストレスと疲労を与えただろう。4回戦棄権の判断は妥当なところである。

力負けする錦織
 1、2回戦をフルセット4時間の試合を行った錦織は「死闘」と伝えられたが、緒戦から「死闘」では先が思いやられる。それもこれもすべて、威力に欠けるサーヴィスが原因である。ストローク戦になれば、赤土ではまだ戦える力を持っているが、それでも強豪相手には1セットを競るのがやっとである。体力が続かないし、脚力も衰えている。パワーも体力も脚力もなくなった錦織が、これからランキングを上げていくのは簡単ではない。これだけランキングが下がると、グランドスラム大会の早い段階でトップシードと当たる可能性が高くなり、ポイントを稼ぐことができない。
 相手の棄権でラッキーな3回戦になったが、4回戦はズヴェレフになった。ズヴェレフは体格・パワーとも、まさにテニス界の大谷翔平である。この試合、ファースト・サーヴィスの速度の違いは40-50km/hもあった。ズヴェレフが210km/hのファースト・サーヴィスを連発するのにたいし、錦織のそれは170km/hを下回るのがほとんどで、セカンド・サーヴィスの多くが130km/hを下回った。ズヴェレフのセカンド・サーヴィスは錦織のファースト・サーヴィスより速い。これでは試合にならない。
 ファースト・サーヴィスの速度にこれだけの違いがあっても、バウンドしたボールが急激に減速する赤土ではまだ試合の格好がつく。しかし、球速が衰えないハードコートでは試合にならないだろう。残念ながら、錦織時代はすでに終焉した。しかし、錦織選手の後を継ぐ日本人選手がいない。西岡選手は小柄ながら非常にうまい選手だが、錦織選手以上に非力である。2019年ウィンブルドン・ジュニア(シングルス)で優勝した望月慎太郎(18歳)は有望株だが、錦織並みの体格である。190cm90kg前後の巨漢選手が210-220km/hのサーヴを放ち、縦横無尽にコートを走り回る時代である。小柄な日本人選手が上位につけいる隙はない。テニス界の大谷選手の登場が待たれる。
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2021.06.04   大坂なおみ選手のこと
 
盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)
 
 プロスポーツの世界では若い選手が世界の頂点に立つことがある。もちろん、並外れの才能あってのことだが、肉体的な強靭さは必ずしも精神的な強靭さを伴わない。戦う上での精神的な強靭さと社会生活上の精神的な強靭さはまったく別物だ。とくに十代や二十代そこそこの若者は、競技上の高い評価と社会生活者としての未熟さとのギャップに戸惑い、そこから生活が乱れることが良くある。だから、若い選手への精神的なケアはきわめて重要である。大坂選手だけでなく、現在の女子テニス界には若手の有望選手が多い。たとえば、17歳の天才少女ガウフは社会生活者としてはまだ子供である。しかし、プロの世界は子供であっても、大人の振る舞いを要求する。それが大きな精神的不安や負担になることが多い。14歳で全仏ベストフォーに進み、天才少女と騒がれたジェニファー・カプリアティはマリファナに手を出し、テニスから遠ざかった。テニス界の「カプリアティ症候群」である。

 20歳の若さでグランドスラム大会に優勝した大坂選手だが、2018年の全米オープン優勝は精神的に非常に苦しいものだった。セリーナ・ウィリアムズ選手の振る舞いによって、2万人近いニューヨークの観客は大坂選手にブーイングを浴びせた。まるで勝利してはいけないような雰囲気の中でウィリアムズ選手に完勝したが、喜びより罪悪感をもたされるような精神状態に陥れられた。何の非もないのに、20歳の一人の若者が2万人の観客を敵に回すという異様な状況が、大坂選手に与えた心理的精神的な影響は計り知れない。
 競技の中で見せた勝負強さは動物的本能のようなものだが、それが社会生活上の精神的な強さを保障するものではない。大坂選手のプロスポーツ選手としての成功と、日常生活上の精神状態には大きな乖離が存在する。それは人だれにも見られることだ。社会経験を積む以外にこの乖離を克服する手立てはない。だから、「大金をもらっているのだが、大人の振る舞いをせよ」というのは暴論である。

 大坂選手は2018年の全米に続き、2019年の全豪を制した。準決勝、決勝はともにチェコのプリシュコヴァとクヴィトヴァである。とくにクヴィトヴァ戦では、第1セットを取り、第2セットもそのまま押し切れるはずが、急に流れが変わってクヴィトヴァが取った。嫌な流れになったが、最終セットの接戦を物にして勝負強いところを見せた。手に汗を握る戦いだった。これほどの勝負強さがあるから、精神的にも強靭なのだろうと考えがちだが、勝負の世界と社会生活の精神状態はまったく違うものなのだ。
 スポーツでの勝負強さは動物的で本能的なものである。大坂選手がラケットを破壊し、イライラすることを咎める人は多いが、本能的な戦いに社会生活上の行儀良さを求めるのは間違っている。肉体的な動きで勝負が決まるスポーツは感情的にも激しい動揺が伴う。行儀のよさが勝負を決めるのではない。だから、激しい感情が噴出することは避けられない。もっとも、感情の露出が自分にとって精神的な落ち着きを与えることになるのか、それとも相手に心理を読み取られて不利になるかは簡単に言えないが、数多くの戦いを制して頂点に立つ選手は皆激しい感情を肉体的な力に変えているはずである。だから、経験を積んで激しい感情をうまくコントロールして、勝負の流れを掴む知恵を蓄えることは大切だ。
 Eurosportsで全仏のリポーターになっているミシャ・ズヴェレフ(スヴェレフ兄)は当初、大坂の行動を批判していたが、翌日の番組では「グランドスラム大会の大舞台に立った経験がないので、どれほどの精神的な重圧があるのか分からない」と話すに留めた。われわれには20歳そこそこで世界の頂点の戦い立つ緊張や精神的な重圧を実感することができないが、その重圧を無用に高める愚は避けなければならない。

 さて、話題になっている記者会見だが、大きな大会ではセンターコートの試合の勝者に、コート上でインタヴューするのが慣例になっている。これまでも大坂選手のオンコート・インタヴューに応えてきた。今年の全仏1回戦の後も、インタヴューに応えている。これに加えて、トップシード選手には勝ち負けにかかわらず、試合終了後30分以内にプレス会見出席が規定されている。問題はこれである。
 勝者のばあいには気分的に難しくないが、敗者として記者会見に臨むことは難しいことが多い。肉体的にも精神的にも疲れた状態なら、とにかくシャワーを浴びて横になりたいと思うだろう。勝負の反省は後でゆっくりコーチと行えばよい。凡人の日常生活でも、疲れていると人と口を利きたくないと思うときは結構ある。
 しかし、大会主催者は敗者であっても、トップ選手には会見への出席を要求する。ぶっきらぼうに答えて記者の反発を食うことがある。全豪で大坂に負けたウィリアムズのように、途中で涙して会見を切り上げることもある。「敗因は何でしょう」と聞かれて、「今は休みたいだけ。敗因が分かっていたら負けていなかった」と思うだろう。男子テニスの場合、4-5時間になる試合もある。疲労困憊しているのに、お付き合い会見が苦しくないはずがない。グランドスラム大会の決勝戦の後なら勝者も敗者もそろって会見するのは良いが、決勝戦以外は勝者の会見だけでよいはずだ。疲労困憊状態であれば、勝者であっても会見をパスする権利があってもよい。他のプロスポーツでは大概そうなっているはずである。
 記者会見はスポンサーへの義務という意見がある。しかし、オンコート・インタヴューはテレビ放映されるが、記者会見はまず放映対象にならない。だから、スポンサーへの義務というのは的外れである。ただ、例年11月に行われるランキング・ベストエイトが戦う最終戦は別である。これは一つ一つの試合がセレモニーで、敗者にも大きな賞金が支払われるから、スポンサーへの感謝を込めて、すべての大会セレモニーに行儀よく参加する必要がある。

 最後に、トゥイッター(日本語はツイッター)やSNSあるいはfacebookで意見を表明することが流行しているが、正式な要望書は文書かメイルで発出すべきである。今は一国の首相でも政府の重要決定を先取りする形でfacebookにメッセージを書き込むが、これは感心しない。

2021.05.19 赤土に苦しむ大坂なおみ、サーヴが弱い錦織(テニス)
久保(建)、香川、富安(サッカー)らは?  世界の日本選手たちあれこれ
                      
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 マドリッドオープン2回戦(ベスト32)で、大坂なおみは難敵ムホヴァ(チェコ)に敗れた。2回戦でランキング20位のムホヴァと対戦するのは厳しいと思っていたが、赤土コートでの大坂の現状を知るうえで貴重なゲームになった。
 テニスに長い伝統のあるチェコの選手は大柄でサーヴが良い。サーヴ・アンド・ヴォレーに強いクヴィトヴァ(182cm、ランキング12位)、186㎝の長身でサーヴにもストロークにも威力のあるプリシュコヴァ(カロリナ・プリシュコヴァ、ランキング9位。なお、クリスティーナ・プリシュコヴァは双子の姉で左利き。ランキング87位)に次ぐチェコ選手が、ムホヴァである。一見して大きく見えないが、180cmの長身である。クヴィトヴァやプリシュコヴァに比べてパワーで見劣りするが、脚力やストローク力は2人より上である。今年の全豪オープンではランキング1位のバーティを破り、準決勝に進出した。油断できない相手である。
 チェコの選手はクレーコート上がりだからストロークに強い。それに加え、ムホヴァは左右のフットワークが良く、コートカヴァレッジが広い。大坂とほぼ同じ体格だが、この試合ではムホヴァの動きが大坂のそれを上回っていた。第2セット途中から、大坂の攻撃的なストロークが決まりだして、試合を振り出しに戻したが、後が続かなかった。ハードコートではストロークエースになるボールがことごとく返ってきた。こういう展開になると、赤土では脚力がある方に分がある。しかも、大坂は第1セットと第2セットのサーヴィスゲームをひとつずつ落とし、第3セットでは2つのサーヴィスゲームを落とした。サーヴで相手を崩し、ストロークで優位に立つという大坂の戦い方を貫くことができなかった。それにたいして、ムホヴァはサーヴも好調で、大坂の強烈ストロークを拾いまくった。この違いが試合を決した。大坂もこの結果を受け入れているはずだ。
 このトーナメントでもう1~2試合戦って、赤土に慣れたかった大坂だが、早期の敗退になった。けっして悪い出来ではなかったが、赤土のコートでの戦い方や弱点を知る上では良い経験になった。サーヴが悪くても、ストローク力で戦えるようにするためには、ムホヴァほどの脚力を持つことが必要だろう。ムホヴァから学ぶことも多かったはずだ。

土居美咲に見る日本の女子選手
 大坂と1回戦で戦った土居美咲は、2015年のルクセンブルグオープンでWTAツアー初優勝を飾り、2016年のウィンブルドンではベスト16まで勝ち進み、一時は世界ランキング30位前後まで上げたが、現在は80前後に低迷している。159cmと小柄だが、テニスはサーヴもストロークも、ラケットを大きく振り切る、力感のあるプレーを特徴とする。対大坂戦では土居の思い切りの良いプレーが光った。もう少し体に恵まれ、パワーがあれば、ランキング20位前後まで行けた選手である。
 大坂選手を除き、ほとんどの日本の女子プロ選手は160cm前後の小柄な体格である。現在のパワーテニスの世界で、小柄な選手はどうしても力負けしてしまう。ラケットを振り切る力が弱く、当てるだけのテニスになってしまう。その中で、土居美咲は力負けしないテニスを展開してきたが、それでもフィズィカルな弱さは否定できない。
 アメリカで育ち、日本国籍を取得して青山修子とダブルスを組む柴原瑛菜は175cmと大柄で有望株だが、シングルスでは予選を突破して本選にたどり着けない。ダブルスでコンビを組む青山修子は154cmである。この二人のデコボココンビがマイアミオープンで見事に優勝し、今年だけでツアー4勝目を飾った。今のところ、ダブルスの方が勝ち進める可能性が大きい。
 今の女子テニス界には180cmを超える大型選手が数多くいる。それに伍して戦うにはフィズィカルな強さがなければ叶わない。ただ、ランキングトップにいるバーティやランキング3位のハレップは170cmに満たない体格で、決して大柄ではない。にもかかわらず、力負けしないフィズィカルな強さがある。日本の女子選手は彼女たちのトレーニングや戦い方を学ぶべきだろう。

錦織圭の現状
 2014年、2015年と連覇を果たしたバルセロナオープンで、錦織は3回戦まで勝ち上がり、ナダルと対戦した。ビッグスリーと錦織との距離を測る興味深い対戦だった。
 第1セットは6-0のベーグルで相手にならなかった。第2セットから、往年のストローク力が冴えて、左右に深いボールが次々と入るようになり、ナダルを慌てさせた。ストロークが崩れず、第2セットを6-2で取る健闘となった。第3セットの最初のゲームでナダルからサーヴィスゲームを奪えるチャンスがあったが取り切れず、以後はずるずると後退して負けてしまった。第2セットがなければ、ぼろ負けというところだったが、何とか元チャンピオンのプライドだけは守られた試合になった。
 セットを取り切った第2セットだが、目を疑ったのは錦織のサーヴスピードである。ファーストサーヴのほとんどが160km/h台で、150km/h台のファーストサーヴィスもあった。セカンドサーヴは例外なく130km/h台だった。スピード計測器の故障かと思ったが、ナダルのサーヴスピードは180~190km/hと表示されていたから故障ではない。女子の中堅選手並みの遅いサーヴで今の男子テニス界を生き抜くのは不可能である。今の錦織は非力さを非凡なテニス感覚と技量で何とか凌いでいる。
 錦織のサーヴに対して、ナダルはエンドラインから3mも後方に構えてストローク戦に備えていたので、緩いセカンドサーヴでも叩かれる場面はなかった。なぜ、ナダルがそれほど後方に位置取りしたのか分からない。強烈なサーヴをもつ若手相手なら理解できるが、女子選手並みのサーヴにたいして、これほどまで後方に構えた理由が分からない。
 錦織は1、2回戦とも、南米のクレー巧者相手に勝利を収めたが、2試合とも2時間40分の長い試合だった。それもこれも、サーヴィスゲームをキープするのに苦労しているからである。サーヴが弱いために、簡単にゲームを取り切ることができない。ブレイクポイントを切り返すのに四苦八苦している。1回戦の対ペラ戦では16本のブレイクポイントを握られ、2回戦の対ガリン戦では13本のブレイクポイントを握られた。これが試合時間を長くしている。
 ナダルとの試合後、錦織は「どこが悪いのか分からない」というような感想を述べている。本人はサーヴ力の弱さを致命的なことだとは考えていないようだ。球速の遅いクレーコートではサーヴ力の格差は縮まるが、それでもサーヴ力がなければゲームを作るのに苦労する。コーチも錦織に遠慮して、サーヴ力の向上を強力に助言し、トレーニング指針を与えてこなかった。それがビッグツリーとの差につながった。

日本人選手のフィズィカル問題
 テニスに限らず、海外で活躍する日本人プロスポーツ選手が共通に抱えているのが、欧米人との体格差である。大リーグで活躍する大谷翔平選手は例外的な事例である。大谷選手ほどの体格とパワー、スピードがあれば、どんなスポーツの世界でも世界のトップ水準に立つことができる。
 今、男子テニス界では大谷選手並みの体格の選手が続出している。一人や二人ではなく、少なくともビッグスリーと戦える大型でスピードのある若手選手が10名はいる。皆、パワーだけではない。190cm前後の長身であるにもかかわらず、動きが俊敏で、ストローク力がある。これまでの大型テニス選手と言えば、2m10cm前後のカルロヴィッチ、イスナー、オペルカが代表的で、体が大きい分だけ動きが鈍い。ところが、最近の大型選手はみなパワーがあり、俊敏でストローク力がある。ビッグスリーと対等に戦える力を持っている。このなかで、非力な錦織選手や西岡選手が上位のランクを狙うのはほとんど不可能に近い。よほどの脚力やフィズィカルな強さがなければ、大谷選手並みの大型選手と互角に渡り合うことなどできない。稀に見る才能を持った錦織選手でも、今のフィズィカルの弱さでは、もう上位のランキングを望むことはできない。
 これを考えると、サッカーの久保建英を心配しないわけにはいかない。非凡な足技をもっているが、レアルマドリードのレンタル先で活躍の場が与えられない。ペナルティエリア付近での動きやボール捌きは一流なのだが、ペナルティエリアにいたるまでのドリブルスピードやドュエル(相手選手との対人防御力)が不安視されるから、なかなか先発で使ってもらえない。
 レアルマドリードに加入した頃の1部チームとの練習で、久保の技術が高く評価され、いずれレアルマドリードを担う人材だと評価されたが、ここ1年は評価が下がり続けている。トレーニングのミニマッチはペナルティエリア近辺を使う練習だから、久保の技術は活きる。しかし、試合はサッカーコート全面を使うゲームだから、ペナルティエリアに至るまでの動きが重要だ。あと身長が5cmほど伸び、体重で10kgほど増量してフィズィカルが強化されれば、評価も変わるだろうが、事はそう簡単ではない。
 この久保の状況に関連して思い出されるのが、同じような体格の香川真司である。2010-2011年、2011-2012年のドルトムンドのリーグ二連覇に貢献した香川の名前は、今でも中欧のサッカーファンの中では忘れられていない。前線を組んだレバンドフスキーがバイエルンミュンヘンへ移籍して、世界的なストライカーになったのにたいし、香川はギリシアのチームでくすんでいる。信じられないことだ。それもこれも、プレミアリーグへの移籍で成果を上げられなかったことが躓きの石となった。香川を招聘したマンチェスターユナイティッドのファーガソン監督が1年で引退したことが致命的だった。後釜に座ったモィーズ監督はサイド攻撃一本やりで、中央を主戦場とする香川を生かすことがなかった。他方、香川はプレミアリーグのフィズィカルコンタクトに対抗できるように、ウェイトトレーニングで上半身を鍛えた。上半身が一回り逞しくなった香川だが、その分持ち前の俊敏さが失われた。これで香川の良さが消えた。
 香川の事例があるので、久保がウェイトトレーニングで体を鍛え、ドュエル力を付ければ良くなるとは言い切れない。それより、サイドアタッカーとしてのスピードを上げることが優先されると思われる。久保の足は遅いとは言えないが、速いとも言えない。久保世代の若い選手がレアルマドリードやバルセロナでスタメン出場しているが、皆、縦のスピードが速い選手である。ゲンク(ベルギー1部)の伊東純也ほどのスピードがあれば、レアルマドリードでもヴィニシウスのようにスタメンで使ってもらえるはずだが、もう一つのプラスアルファが足りない。そこがレンタル先の監督の信頼を得られないところだ。
 久保選手の来期の所属先だが、そろそろレアルマドリードに拘るのを止めた方が良い。レンタルを続けるより、久保に合う戦術を持っているチームへ移り、そこで活躍の場を見つけるのが成功への道のような気がする。
 日本人選手でも富安健洋(ボローニア)のように、フィズィカルに強い大型選手が欧州で活躍しているが、非凡な才能をもった久保建英にはプラスアルファを付けて、活躍できるチームを見つけてほしいものだ。