2019.10.15  日本の財政は破綻しているのか、いないのか(上)

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 消費税の増減税問題を議論する際に、一定の認識が共有されていなければ実りある議論はできない。
 前提となる認識の共有に必要な論点は、次の通りである。
 ① 日本財政の深刻度はどれほどなのか。日本の財政は破綻しているのか、破綻していないのか。
 ② 国の債務はいったい誰が誰に負っている借金なのか。「国債は国民の債権だから、国民の借金だというのは嘘」、「国の資産と相殺すれば、国の債務はそれほど大きくない」、「日銀が国債を引き受けている限り、財政破綻は起きない」という議論は正しいか。
 ③ 国の債務(累積債務)は放置しても問題ないのか、それとも深刻な結果を惹き起こすのか。どのような結果が予想されるのだろうか。
 ④ 国際比較を行う場合の前提は何か。

日本の国家財政は破綻している
 アベノミクスを擁護する「学者」や評論家は、いろいろな議論を展開して、「日本の財政破綻は起こらない」ことを証明するのに躍起である。自民党政府も、財政問題の深刻さを議論するのを避けて、政権維持にとって不都合な情報を打ち消すことに躍起である。しかし、「財政破綻が起こらない」のではなく、「すでに日本の財政は破綻している」という認識をもたなければ、問題解決は深刻度を増すだけである。政治家は将来の日本社会に責任をもたなければ、政治家として失格だ。次の選挙で勝つために、目先の景気刺激策だけを議論するような政治家は、国を滅ぼす「亡国の政治家」である。
議論を簡単にするために、GDP500兆円、国家財政規模(財政支出)100兆円、財政収入50兆円、国家累積債務1000兆円(GDPの200%)を前提に議論すると、現在の国家累積赤字は財政収入(税収)の20年分、年間の財政赤字は税収の1年分である。財政収支が改善しない限り、累積債務が税収の1年分ずつ増えていく。
 これを一般家庭にたとえると、年収の倍の支出を埋めるために銀行から年収分に相応する融資を受けているのと同じである。しかも、すでに借金の累積は年収の20年分に達している。こういう家庭の収支を見て、「破綻していない」と言えるだろうか。一般家庭は破綻しても、日銀が国債を引き受けている限り、国の借金は永遠に続けることができるのだろうか。国であれ一般家庭であれ、問題の基本的性格は同じである。国の場合には、すぐに問題が顕在化しないだけのことである。実質的に破綻していても、形の上で存続している事例はいくらでもある。家庭の年収は分かるが、国の財政は分からないと最初から理解を放棄してはならない。国も家庭も経済の基本法則から逃れることはできない。
 野党が追及すべきは、財政破綻をもたらした自民党政府の責任であり、その抜本的解決策を求めることだ。まず政権与党が解決策を提示する必要がある。問題を税率軽減に矮小化してはならない。そういう小手先の政策を展開していると、財政破綻がシステム崩壊をもたらした時に、原発事故の場合と同じように、政権を奪還した野党がその責任を取らされる。財政破綻がシステム崩壊をもたらす時には、時の政府は崩壊する。しかし、システムが崩壊した中で、新たに政権に就く野党ができることは何もない。超緊縮政策と債務帳消し政策で国の崩壊を留めることしかできない。最近ではギリシアの事例を見ればよく分かる。緊縮政策反対を掲げて政権についた左派政権は結局のところ、緊縮政策を実行する以外に方策がなかった。そして、野に下った。まさに原発事故のように、自民党はシステム崩壊の責任を放棄し、新たに政権に就いた政党に責任を転嫁するだろう。

国の借金は将来世代が払うべき債務
 国の借金(債務)は将来世代に先送りされた債務である。現世代の国民は将来世代の国民の税金を前借りして、年金や健康保険などの福祉サーヴィスを享受している。形式的には、現世代の債務は将来世代の債権だが、将来世代の債権が回収される見込みはほとんどない。それが意味するところは何か。
将来世代の国民、つまり今生きている子供や孫が受け取るべき債権がチャラにされ、現世代が浪費したために、将来世代の国民は享受できるはずの社会的サーヴィスを受けられなくなる。年金の大幅削減、健康保険の自己負担率の大幅な引上げによって、将来世代の国民が得る社会的サーヴィスは大幅に削減される。それもこれも、親の世代が積み上げた借金のためである。「国の借金が日銀に買い取られると、消えてなくなる」という魔法はない。それはたんに帳簿上の操作に過ぎない。記帳された債務はいつかの時点で精算されなければならない。
 アベノミクスは高度成長によって財政赤字が解消されるという根拠のない楽観論で借金を積み上げている。労働人口の純増がなければ、消費主導の高度成長などあり得ない。しかも、これから日本は人口(労働力人口)が縮小する時代に入る。ますます国家債務の削減が難しくなる。システム崩壊を座して待つか、社会的サーヴィスの大幅削減を受け入れる以外に道はない。だからこそ、財政再建のために、今から自民党政府の責任を追及し、システム崩壊の衝撃を可能な限り小さくしなければならない。

国の債務は放置しても問題ないのか
 日銀は商品やサーヴィスを作っている訳ではない。日銀券を発行し、債権債務の帳簿管理を行っているだけである。日本経済の奥行きが深いから、債務が適切に管理されていれば、すぐに破綻が顕在化することがないが、その手綱が緩むとハイパーインフレを惹き起こす。生産の裏付けのないお金の流通は、必ずハイパーインフレを惹き起こす。しかも、歴史上、左派政権がハイパーインフレを惹き起こした事例が多数ある。
 近代の人類の歴史を見れば良い。日本で戦時国債が発行されたときには優良債権として宣伝された。しかし、戦後のハイパーインフレで戦時国債はただの紙切れになった。20世紀の戦争が終わる度に、積み上げられた国家債務(戦費)はハイパーインフレを惹き起こした。1989年を境とするソ連・東欧社会主義の崩壊でも同じことが起こった。戦争を経過することなく、鎖国状態が解かれた社会主義世界は、浦島太郎が玉手箱を空けた時のように、体制転換恐慌に見舞われ、一夜にして超インフレ世界に陥った。20世紀社会主義国家の場合には、国民経済制御で決定的な過ちがあった。共産党独裁のもとなら、「経済問題は政治主導で解決できる」という唯我独尊の過ちである。共産党独裁が経済運営にもたらした最大の誤謬である。経済論理を無視した政治主導が債務を累積させた。体制転換過程においても政治権力が紙幣(政府紙幣と中央銀行券)の発行を牛耳った。それがハイパーインフレを招いた。
旧ユーゴスラヴィアでは歴史上例を見ないハイパーインフレに見舞われたが、これは政権が生産の裏付けのない銀行券を刷りまくったからである。セルビアのディナールは1994年1月に、歴史上例を見ない月率3.13×108 %の途方もないハイパーインフレ状態に陥った。ポーランドの1990年における平均インフレ率は787.09%に達した。旧ソ連の共和国では政府紙幣を発行したために、軒並み数千%のインフレに見舞われた。チェコスロヴァキアやハンガリーのインフレはこれに比べて小さかったが、それでも年間30%を超すインフレが数年にわたって続いた。この超インフレで旧社会の債権-債務は消滅し、新たに銀行融資を受けた者や融資を踏み倒した者が巨額の富を築いた。何時の時代にも、国民のほとんどが大きな損失を被り、一部の知恵者や権力者(周辺)が漁夫の利を得る。
東欧社会主義の成立から崩壊に至るまで40年を要した。北朝鮮はいまだに国家を維持しているが、やがて統一国家問題が浮上するときに、システム崩壊状態が赤裸々になるだろう。
 日本の左派はソ連・東欧社会主義を褒めそやしていたが、その崩壊とその後の事態について口をつぐんでいる。20世紀社会主義崩壊の社会分析を放棄している。地球の三分の二の人口が社会主義社会で生活していると称賛していたのに、それが崩壊した途端に知らんふりである。その崩壊から学ぶという真摯な態度が見られない。「理想と異なる社会だったから崩壊して当然」という屁理屈で、20世紀社会主義崩壊の分析を怠っている。歴史から学ぶことなく、言い訳して済ませようという「事なかれ主義」である。こういう態度で社会改革などできるはずがない。
 社会が積み上げた債務、金銭的な債務だけでなく種々の社会的システム上の債務を、筆者は「体制債務」と称している。体制債務は適時的に処理されなければ、いつかの時点で抜本的な解決が必要になる。適切な処理を怠れば怠るほど、システム崩壊時の衝撃が大きい。システム崩壊が何時来るかは分からない。それは関東大地震と同じである。しかし、必ず来る。だが、その時に右往左往してももう遅い。日本の場合には国際的な経済不況や恐慌が引き金になるだけでなく、地震などの天災や原発事故がシステム崩壊のきっかけになる。なぜなら、膨大な債務を抱えたままでは復興ができないからである。いったん、国の債務をチャラにしてリセットしないと、社会の再建ができない。これはこれまでの人類社会が辿ってきた厳然とした法則である。
 これらの社会的歴史的教訓を学ばず、国家財政の基本問題に取り組まず、目先の利益や短期的景気浮揚だけを追う政党は、右左を問わず、みな選挙のことしか念頭にないポピュリスト政党である。(続く)

2019.09.28  消費税減税は左派ポピュリズム

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 れいわ新選組の消費税減税に、共産党がいち早く同調したようだが、世論の評価は総じて低い。減税を主張すれば有権者の票を獲得できるという浅はかな期待に乗っかった政策だが、これこそ国民を見下したポピュリズムであり、国民を馬鹿にした発想である。その魂胆があまりに見え透いていて相手にされない。
 そもそも、消費税を廃止したり、減税したりした国を探し回り、たまたまマレーシアが廃止したことに我が意を得て、喜喜として消費税廃止へ方向を切ったようだが、比較する国が間違っている。マレーシア並みの社会保障に切り下げるなら、消費税廃止もあり得るだろう。ところが、日本的な社会保障を維持したまま、マレーシアに倣って消費税廃止という論理は、まったく説得力がない。中学生でも分かることだ。あまりのご都合主義に滑稽でもある。
 いったい日本が目指すのはアジアの中進国なのか、それとも欧州の福祉国家なのか。アメリカ的な消費生活を維持して、西欧の福祉国家を目指そうということなのか。そのことを議論せず、「消費税を廃止している国があるから」というだけで、国民を説得できるわけがない。多くの若者は将来の年金を含めた社会保障に不安を抱いている。それをポジティブに解決する道を示すのではなく、後ろ向きに解決する政策は最初から「票目当て」と勘ぐられ、支持されない。「れいわ」が多くの得票を得たと言っても、高が200万余票である。ポピュリスト政策を信じる有権者がその程度いるというだけのことだ。
 成熟した日本経済に求められているのは、個人消費と社会消費の関係をどうするかである。社会消費を増やそうとすれば、個人消費を減らすしかない。個人消費を増やしたければ、社会消費の減額を受け入れなければならない。膨大な公的債務を抱える日本が、将来の税収を担保にした借金経営を続ける限り、将来の社会保障は限りなく切り下げられる。年金の4割5割減、医療費の自己負担率の大幅引上げは最低限の要件である。これだけ深刻な問題を抱えているのに、ふつうに考えて、消費税減税が解決策になるとは誰も思わないだろう。そういう国民の意識や不安を解決する道を示さないで、当座の減税だけ提言する政策は国民の支持を得られない。
 他方、政府は軽減税率導入による煩雑な問題に国民の目を向けさせ、いったい何のための増税なのかを真正面から議論することを避けている。明らかに安倍政権は将来社会の福祉水準の維持を真剣に考えて消費税増税を決めたのではない。安倍晋三にとって、将来社会の社会保障などどうでもよいことである。これだけ財政赤字をたれ流ししてきたのだから、少々の増税は仕方がないが、それが政権支持の票を減らしては困る。それだけのことである。だから、一生懸命に、複雑な軽減税率やポイント還元政策で、目くらまし作戦を展開しているだけだ。これこそ、右派ポピュリズムの最たるものだ。
 野党が追及すべきは、法人税の取り損ないがないかを精力的に調べ、法人からの税収を増やすことだ。また、消費税軽減税率やポイント還元に右往左往するより、消費税累進税率の導入を考えるべきだ。500万円1000万円の乗用車を購入できる人であれば、30-40%の消費税であっても購入するだろう。数百万円もする宝石類を購入する人であれば、40-50%の消費税でも購入を控えることはない。奢侈品の価値はあってないようなものだから、4-5割価格が高くなっても買い控えはない。消費税が課税の不平等をもたらすと声高に叫ぶ前に、富裕者の奢侈品購入の消費税率を標準税率の5割増し10割増しにすることだ。煩雑な軽減税率導入に経費をかけるより、奢侈品の累進税率導入を考え方が良い。
 ネットを通していろいろな情報が容易に取得できる時代になった。政党の政策立案者が考えているより、国民ははるかに多くの情報にアクセスできる。前向きの実現可能な政策を練ることなく、後ろ向きの政策で、当座の支持を増やそうという見え透いた魂胆は、簡単に見破られる。安易な政策提言は党の信頼性を損なうだけである。
2019.08.29 消費を増やせばGDPが増える?
政府の累積債務は将来世代の税の前借り

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 日本経済だけでなく、先進国経済は長期の経済停滞過程にある。それはたんに「物価が上がる、下がる」という経済現象をはるかに超える、先進経済が抱える構造的な問題である。しかし、現代経済学は経済社会の構造的問題を十分に捉えることができず、短期的な目標を設定して経済政策を立てようとする。なぜなら、現代経済学は実物経済の構造的な問題を分析する手段をもたないからである。実物経済分析を代替するものとして、金融経済分析で得られた結論を利用している。実物経済分析は種々の異種産業から構成されているので統一的な分析が難しいのに対し、金融経済分析は貨幣的分析一本で可能だからである。しかし、ここに経済分析の落とし穴がある。

物価目標はなぜ役立たないか
 金融経済では1-2%の変動は資産価値を大きく変動させる。しかし、実物経済ではこの程度の変化はたいした影響を及ぼさない。明日から108円のものが110円になるからといって、商品を買い占める人はいない。1割あるいは2割上昇するとなると話は別だが。
 しかし、金融投資は別だ。明日、1-2%もの為替や利回りの変化が予想されれば、市場は大きく反応する。金融経済では1-2%どころか、0.1%の変化でも投資変動が起きる。膨大な資産を運用している場合には、わずかな利率や利回りの変動が資産の価値を高めたり低めたりするからである。
 要するに、実物経済と金融経済では市場プレーヤーが違うし、行動様式もまったく異なる。物価目標は経済主体が物価上昇予想に敏感に反応すると前提した金融経済政策で、実物経済のプレーヤーも敏感に反応してくれることを期待した政策である。しかし、アベノミクス導入以降、実物経済のプレーヤーは金融緩和や物価目標にほとんど反応していない。
 それもそのはず、2%の物価目標は金融経済での市場プレーヤーの行動様式から類推して考え出された政策で、もともとしっかりとした理論的根拠のある政策ではない。他にこれといった政策目標を立てられないので、とりあえず物価目標で経済政策を立案しているかのように振る舞っているだけのことなのだ。実際、日銀が未曾有の金融緩和を行っても、実物経済が反応しないだけでなく、金融経済もダブついた資金を持て余し、投資先を見失っている。これでは物価が上がらないだけでなく、日銀が巨額の債務超過に陥り、金融政策手段を枯渇させるリスクが高くなっている。
 すでに大幅金融緩和の政策効果が8年以上も出ていないにもかかわらず、日銀政策委員はバカの一つ覚えのように、「物価目標達成まで金融緩和を続ける」という主張を変えない。大幅金融緩和政策を取り下げれば、これまでの主張がすべて崩れ去ってしまうから、とりあえず任期が満了するまで格好を付けたいというだけのことだ。情けないことだ。
 金融経済で得られる政策命題が、そのまま実物経済の制御に利用できると考えてはならない。この錯覚がある限り、物価目標の政策効果は見込めない。

馬鹿の一つ覚え 「デフレ脱却」
 猫も杓子も、バカの一つ覚えのように、「デフレ脱却が日本経済の課題」などと知ったかぶりに唱える。しかし、「デフレとは何なのか。今の日本が本当にデフレ状態にあること」をきちんと説明できる人はどれほどいるのだろうか。経済学の教科書によれば、たいがい「物価が下がり続けること」と書いてある。今の日本で、どの産業や業種で「物価が下がり続けている」のだろうか。具体的に列挙してもらいたいものだ。
 技術革新によって商品価格が低下するのは、資本主義経済の普遍的な現象である。だから、技術革新による商品価格の低下はデフレの定義に含まれない。新製品の出現によって、旧製品の価格が下がり続けることは資本主義時代を通して、ふつうに観察されることだ。もっとも、現代では商品開発競争が激しくなり、商品の「市場価値維持」時間がきわめて短くなっている。だから、表面的には価格が下がり続けているように見える。だから、企業はさらに技術革新を行って新商品を開発する必要性に迫られる。これは大量消費社会における資本主義企業の宿命である。しかし、金融緩和による技術革新の推奨は、企業が抱える市場競争をさらに厳しいものにする。金融緩和で技術革新することが、企業の首を絞めることになるのだ。だから、「お金をジャブジャブ供給すれば、企業の新商品開発が容易になり、消費を拡大できる」などと単純なシナリオは機能しない。
 こういう構造的な問題を考えないで、金融緩和すれば景気が良くなると考える政策は、きわめて「浅はか」な政策である。
 今唱えられている「デフレ」は、「物価が下がり続ける状態」ではなく、「物価が上がらない状態」を指している。だから、最初の定義から混乱している。吉野屋や松屋の牛丼価格戦争から「デフレの弊害」を着想したようだが、そのような類推は見当外れである。一部の過当競争業種で見られる一時的現象を、あたかも国民経済全体の現象であるかのように誇張するのは、フェイク理論である。しかも、それを政策スローガンに仕上げるなど、イデオロギー操作の何物でもない。そんなことに騙されてはいけない。
 ありもしない現象を普遍的な現象だと主張して政策を立てても、実効性があるわけがない。最初から前提が間違っているのだから、実効性を議論する前に正否の決着が付いている。にもかかわらず、馬鹿の一つ覚えのように「デフレ脱却」を唱えるのは政策イデオロギーに堕しているからである。政府が言っているからといって、正しいと考えてはならない。経済停滞の原因を何かに求めないと、政策が立てられない。だから、「デフレ脱却」を唱えているだけなのだ。しかし、原因の特定が間違っていれば、政策も間違っている。
 現実は「物価が下がり続けている」のではなく、「物価が停滞している」のである。季節商品は別として、実物経済では商品価格が上がらない構造ができていると考えるべきだ。しかも、「物価が上がらないこと」がどうして問題なのだろうか。物価が上がれば、生産が増えて、GDPが増えるというのだろうか。そのようなロジックを誰が発見したのだろうか。

消費を増やせばGDPが増える?
 「消費を増やせばGDPが増える」仕組みを説明出来る人はほとんどいない。もともとGDP(Gross Domestic Product)は生産概念であって、消費の概念ではない。1年間の国内領域で創造(生産)された付加価値総額のことを意味する。企業の付加価値が増えるためには、商品需要が増えなければならないが、そのためには消費者の所得の上昇が前提になる。この論理は円環論理になっていて、いわば「鶏が先か、卵が先か」の論理と同じである。
 アメリカのように銀行ローンで耐久消費財を購入する習慣がある市場では、金融緩和によって耐久消費財の購入が増加し、生産が増えるからGDPも増える。ただし、この循環は長続きしない。常にローンに頼っている消費者市場はきわめて脆弱である。しかも常に消費を拡大し続けることは不可能だから、どこかでこの循環は止まる。いったんローンの返済が滞れば、すべての仕組みが崩壊してしまう。だから、定期的に景気上昇とクラッシュが起こる。
 消費が経済の原動力になり得るのは、労働者人口が増加を続ける場合である。市場経済化への道を進む発展途上経済では、新規の労働力が国民経済に組み込まれることによって、消費市場が拡大していく。ここでは、消費と生産が好循環を生み、消費が生産を刺激し、生産が消費を刺激する関係が続く。しかし、この好循環は新規の労働力の供給が止まる、あるいは逆に労働力人口が減少するようになれば、逆の「負の循環」に転換する。
 先進国では労働力の純増が望めなくなっている。逆に、純減が始まっているところが多い。労働力が現象していく経済ではGDPも確実に縮小し、消費市場も縮小する運命にある。すでに高度の消費経済が達成された日本経済の場合、消費者市場の持続的拡大は期待できない。消費市場経済の規模を維持し、さらに拡大するためには、消費者がこれまでの消費生活を維持するだけでなく、常に消費を拡大することが必要になる。それは例えば、新商品が出る度に旧商品を廃棄し、新商品を買うという消費者行動を前提とする。しかし、これが現実的でないことは説明するまでもない。
 したがって、いくら日銀が金融緩和しても、勤労者の賃金が上がり、勤労者が消費水準をさらに引き上げる行動がない限り、GDPの増加には繋がらない。逆に、これからの日本は労働力人口の減少時代を迎えるのだから、一昔前の高度成長時代の再来を期待するのではなく、経済縮小時代の経済社会政策を考える時代になっている。この時代の変化に鈍感で、「高度成長をもう一度」などと考えている限り、日本は社会転換の基盤を毀損することになる。それは「今だけ良ければそれで良い」という刹那的な政策だからである。その意味で、アベノミクスは「一般国民に百害あって、金融投資家にだけに一利ある」政策である。

政府の累積債務は将来世代の税の前借り
 将来社会の基盤を毀損するような政策を展開している安倍政権の支持が一番高いのが若い世代である。きわめて皮肉なことだ。将来世代の社会生活の基盤を崩している政府を支持するのは、自分の首を自分で絞めるようなものだ。大幅金融緩和政策をカンフル剤のように使っている限り、将来社会の基盤は崩され続ける。
 財政赤字を埋める国債は将来の税収の先取りである。将来世代の税金を当てにして生活できる現世代は良い。しかし、将来世代の未来はその分だけ割を食う。将来支払う税金がすべて政府債務の穴埋めに使われるとすれば、将来世代が受けるはずの政府サーヴィスがなるなる。しかし、多くの若い世代はそのことを実感することができない。なんとなく、将来の社会保障は不安だと思っている若者は多いはずだ。その若者が将来世代の社会基盤を毀損する政策を展開する政府を支持し、将来世代からの前借りで得をしている年長世代が政府に批判的なのは、なんとも皮肉なことだ。
 確実に言えることは、国民はもっと賢くならなければならないことだ。「今だけ良ければそれで良い」というポピュリスト政策を展開している政党に頼ってはいけないのだ。

2019.04.11 有益だった米信託会社での経験
―私的金融史の一コマ―(完)

半澤健市 (元金融機関勤務)

 1974年夏、私はメリルリンチの新人研修、現地機関投資家訪問を終えて、United States Trust Company of NewYork(USTrust)で有益な研修に従っていた。そこでは株式暴落時に大手機関投資家がどう対処するかの実態をつぶさに実見した。それを報告したい。

《ダウ工業株30種平均の山と谷》
 回り道になるが、ダウ平均の動きについて少し触れておく。
ダウ平均株価は、経済情報企業が発表する株価指標である。工業株・輸送株・公共株・総合の4種あるが、一般には工業株30種(Dow Jones Industrial Average、DJIA)が用いられる。発足は1884年に遡るが、30銘柄になったのは1920年代で、以降銘柄入れ替えを重ね当初銘柄で残っているものはない。「大恐慌」前の最高値は、29年9月3日の381.17ドル、恐慌期の最安値は32年7月31日の40.56ドルであった。恐慌前高値に戻ったのは1954年で、この回復には25年を要した。それでも日経平均より回復力は強い。

74年夏のニューヨーク市場は、72年の高値からの調整過程にあった。拙稿「メリルリンチへの惜別」(2回)で述べたように、当時の米国株式市場は機関化現象の渦中にあった。60年代には投資信託が短期売買により成果を挙げ、「ゴーゴー・ファンド」(go-go fund)時代と呼ばれた。70年代は投信に加えて、企業年金基金の株式投資が増大し機関化に大きな役割を果たした。その頃、多くの機関投資家の投資哲学は「成長株投資」であった。IBM、ゼロックス、ポラロイドなど少数の「ハイテク系高度成長株」が、驚異的に高い株価収益率(PER)まで買われた。この結果、髙PERと低PERの銘柄が極端に二分されて取引され、「二重市場」(two-tier market)の時代と呼ばれた。市場は髙PER株をhigh-flyersと呼んた。

72年11月に、DJIAは史上初めて、1000ドルの大台を突破した。機関化現象の持続による需給の逼迫が大きな要因だった。72年末の終値は1020.02ドルで、前年末比で14.58%も上昇した。しかし実態経済は、ベトナム戦争の負担増大、金ドル交換停止や輸入課徴金実施(ニクソンショック・71年8月)など、国際金融市場の流動化が始まっていた。71年末の、10カ国蔵相による金価格固定(スミソニアン合意)は73年2月に崩壊し、為替市場は変動相場制に入った。同年10月には第4次中東戦争が勃発し世界的な原油高騰(オイルショック)が起こった。急激なインフレと金融逼迫は株価への逆風となり、73年の年末にダウ平均は850.86ドルで前年末比16.58%の下落となった。74年も株価は続落し、年末終値は616.24ドルで前年比マイナス27.57%となった。

《「これは世界の終わりではない」》
 株式市場の暴落・暴騰の実感は、市場当事者と外部者とで違う。私の実務経験から言うと、ニューヨーク株価が73年から74年に、2年連続二桁の率で下落したのは、内外のプロ投資家にも相当なショックだった。
現に「The Wall Street Journal」や「The NewYork Times」(経済欄)には、「これ(株価下落)はこの世の終わりではない」(This is Not the End of the World)という全頁広告が載った。暴落に慌てるなというその警告広告のスポンサーはメリルリンチ証券であった。私はその切り抜きを役員部長会への帰国報告で回覧したのを記憶している。

米国大手銀行の信託財産は、企業年金の運用業務を受託して急膨張をしていた。
金融業界紙による75年末の銀行信託部の信託財産残高ランキング上位5位は次の通りである。

1 J.P.Morgan
2 First National City Bank
3 Bankers Trust
4 Chase Manhattan
5 United States Trust

信託財産価額を、当時の相場1ドル300円で換算すると、1位のJ.P.Morganが174億ドル=約6.2兆円、5位のUSTrustの87億ドル=約2.6兆円となる。
上位4位までは商業銀行業務でもベストテン上位に入るメガバンクである。信託第5位のUSTrustは個人富裕層を顧客とする信託専業業者であったため預金残は少なく200位である。

《有益な研修とはパニックへの共感》
 私が「USTrustで、内容のある研修に従っていた」と書いたの次の理由による。
一つ 巨大な米国同業者での実践的な研修ができたことである。
信託というが米国では運用対象は株式中心が常識である。日本では「貸付信託」(現在は存在せず)などの商品は、法的には信託であるが、実体は5年満期の定期預金のようなものであった。
私は、USTrustで一人のファンドマネジャー(運用担当者)の下で、彼の一挙一動を観察した。顧客名を特定できない範囲で、個別ポートフォリオ(運用資産一覧)の内容、顧客別運用の手法、運用成果の実態を知ることができた。OJT(オンザジョッブトレーニング)の利点を享受したのである。ファンドマネジャー、エコノミスト、アナリストが一同に会する運用委員会も傍聴した。市場分析、運用方針、個別銘柄評価が行われるさまを見ることができた。高校野球しか知らぬ少年が大リーグを観たようなものである。

二つ パニックをとくと見ることができたからである。
74年は「この世の終わり」に似た株式下落が続いたから、「大リーグ」でも顧客のポートフォリオは無傷であり得なかった。二重市場の崩壊で、資産価値は減少した。投信の短期売買運用と異なり、「厳選した成長株」を長期持続する信託型の投資方針(buy&hold policy)が失敗したのである。運用会議では、そういう投資方針への疑問や反発の声が挙がった。次いで、運用方針の転換を唱える声が挙がった。「厳選した成長株」重視を捨てて、それまで軽視していた、鉄鋼や化学のような低位株を再認識すべきではないか。これらのPERは一桁に留まっていたものが多い。成長株のPERは数十倍まで買われていた。このアンバランスに対する見直しの要求である。顧客へ現状と対処策をどう説明するかも当然、深刻な論点となった。

三つ 「魔法の杖がない」と知ったことである。
運用会議での議論は、いくらか誇張して言えば、パニックの空気のなかで口論に近いものとして行われた。それは私に強烈な印象を与えた。私は加虐でも被虐でもない普通の心情から彼らに共感した。ウォール街のエリートも市場の急落に茫然自失となるのだ。何度かそういう経験をもった私は救われた気がしたのである。相場に対峙するとき「魔法の杖」は誰にもないのである。その認識は私にある種の勇気を与えた。それは当然のことと言われるかも知れない。しかし人間には経験が必要なのである。

《メリルリンチ・USTrust・テレビ観戦と私的金融史》
 私のニューヨーク研修で学んだものを箇条書きするとこんなことになろうか。
第一 市場の脆弱性が出現するとウォール街のエリートもパニックに陥る
第二 米国では信託も銀行も市場リスクを前提とした業務を遂行している
第三 日本の護送船団行政では当局・業者とも上記二点への認識がない
第四 金融の国際化は日本の高度成長と共に予想以上の速さで進行する
第五 将来、日本が国際市場で主役となるにはヒトとインフラがほぼ不在である

米国が日本金融市場の開放を迫る「日米・円ドル委員会」設置が1983年秋、日米交渉が開始されたのが84年春であった。それまでの10年にインフラとヒトの整備は進まず、この国の金融市場はバブルへの坂道にさしかかっていたのであった。
メリルリンチに始まりUSTrustに終わる私的金融史の一コマはこれで終わりである。

米大リーグ中継のTV画面で、ダッグアウトの屋根ワクにUSTrustの看板が写ることがある。この信託会社は、幾多の変遷を経たのち、メリルリンチがそうであるように、いまはBank of Americaの子会社になった。まどろみながらTVを見てこれらの固有名詞を私は回想した。
「私的金融史の一コマ」という3編は、しかし、ノスタルジックな回想ではない。資本主義の金融化は世界大の規模で驀進した。今もしている。その一瞬を等身大の視線で書くのも意味があろう。そう思って書いたのである。(2019/03/29)

2019.03.27 メリルリンチへの惜別(2)
―私的金融史の一コマ―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 メリルリンチ研修参加はウォール街への入門編であった。
そのあと欧米系、日系の証券運用に関わる機関投資家とその関係機関を回った。投資顧問会社、投信運用会社、銀行信託部、投資銀行、生保会社なとである。投信運用のメッカを自称するボストンにも足を伸ばした。

《機関投資家のメリルリンチへの視線》
 彼らは、私(半澤)がメリルリンチの研修を、8週間も見学したというと少し変な顔をした。1958年にN証券に入ったとき、私は米国証券会社の名前を一つも知らなかった。90名ほどの大卒新入社員は、日本橋本社で1週間の研修を受けたが、そのとき人事課長は、「米国にはメリルリンチという大きな証券会社があり、当社(N社)も将来はメリルのような会社になるのが目標である」と言った。そのメリルが、それほど尊敬されていないのを私は奇妙に感じた。

 数週間のインタビューを重ねるうちにその理由が分かってきた。機関投資家の目からは、メリルリンチは個人投資家を顧客とする「証券売買業務(ブローカー)」で儲ける、大きいだけの証券会社に見えていたのである。機関投資家の管理職たちは、しばしば、wholesaler(問屋)、retailer(小売屋)という表現をした。日本語なら「法人取引業者」、「個人取引業者」である。またbrokerage(売買仲介)、investment bank(投資銀行)と分類した。ニューヨークでの新人研修でみたように、メリルのビジネスモデルは、証券商品の「大量販売」「売買仲介」であり、顧客は個人を想定していた。

《poeple' s capitalismと財閥解体》
 法人取引に特化した証券の顧客は、証券会社に対して専門的な知見とスキルを求めた。これに対応する業者は、マクロ経済動向から金融・為替市場の分析、新投資技法の紹介、個別銘柄の評価、大量取引能力、を顧客法人に売り込んだ。
 投資銀行は、商業銀行に対比される言葉で、日本の感覚では証券会社に近い。事業法人に対する資金調達の助言と引受を行い、自らも資産運用業務や企業売買などに従事していた。メリルの名誉のためには、それまでに同社が people's capitalism をスローガンのもとに個人投資家層の形成に貢献したことを言っておかねばならない。のちに私は米国映画で、証券会社の代名詞としてメリルリンチが出る場面に気がつくことになる。また、戦後日本の株式市場が、解体財閥株式の受け皿の役割を果たしたのを見れば、N証券の人事課長がメリルを手本とみていたのも理解できる。

《米国証券市場の機関化現象》
 専門化した証券会社が発展を遂げたのは、証券市場で「機関化現象」が急速に進んだからである。1960年代から70年代へかけて、米国内の企業年金基金、投資信託財産、保険会社、財団などの非営利法人、による株式保有が増加を続けた。下記はNYSE(ニューヨーク証券取引所)上場株式中の機関投資家保有比率である。74年時価総額減少は株価暴落に起因している。オイルショック後の円安で1ドルは300円を超えていたからNYSE時価総額は、約150兆円とみていい。東証時価総額は74年末で約36兆円であった。(NYSE,FACTBOOK,東証HP)

■各年末          1949 1960 1970 1974
■NYSE  
 時価総額(10億ドル)   76.3 307.0 636.4 511.1

■機関投資家保有比率(%)  14.5 18.7 27.2 33.0
 
■機関投資家別のNYSE株式保有状況(%、1974年末)
保険会社    16.5(生保・損保)
投資信託    18.2
非保険型年金  45.1(主に企業年金)
非営利法人   16.0(財団・学校など)
その他      3.2

上場証券会社はまだ少なかった。証券会社のランクは調査能力の高低でランクされる風潮が起こった。その頃、専門誌〝Institutional Investor〟(機関投資家)が発刊され、証券アナリストの個人別、所属会社別、担当業種別のランキングが発表されるようになり現在に至っている。当時は機関投資家実務家の1000名単位の投票によったが現在は数倍になっているようである。

《メリルリンチの機関化への挑戦》
 ランキング上位にメリルリンチはいない。それは、メリルが図体は大きいが驀進する機関投資家市場のトップではないことを示していた。上位には調査に特化した中小規模の証券が並んでいた。再び名誉のために言うと、メリルリンチは当時、調査部門と投資銀行部門を懸命に拡充していた。他社の著名なアナリストの引き抜きなどで調査ランキングは上昇した。多数の個人投資家という顧客基盤がありトレーディング能力は大きかった。手元にある1975年のInstitutional Investor誌のランキング一覧で、メリルは33社中の⑪位につけている。調査特化型(例えば①位のH.C.Wainwright)を除けば、⑦スミスバーニー⑨モルガンスタンレーに次いでいる。うしろには、⑮ローブローズ⑯ゴールドマンサックス⑯キダーピーボディー⑳ベアースターンズ㉑ファーストボストン㉙リーマンブラザースなどがいる。

 それは半世紀後にどうなったか。Institutional Investor誌のサイトを覗いたら、2018年のアナリストランキングでは、第1位JPモルガン、第2位にBankofAmerica Merrill Lynch(「バンク・オブ・アメリカ」に統合された「メリルリンチ」)、第3位モルガンスタンレ-であった。

《74年の大暴落にどう対処したか》
 話が専門的に過ぎたかもしれないが、これが私が見聞した機関化現象である。
「メリルリンチへの惜別」はこれで終わる。しかし、1974年夏を想起した私は、「ウォール街は暴落にどう対処したか」を書かずにはいられない気分になった。次回、ウォール街での小さな経験にもう一回、おつき合い願いたい。(2019/03/19)

2019.03.08 メリルリンチへの惜別
―私的金融史の一コマ―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《ウォール街・1974年春》
 近くメリルリンチの名前が消えるという報道を見た。
メリルリンチは米国の証券会社である。「リーマン金融不況」時に、大手銀行「バンク・オブ・アメリカ」の傘下に入り、2009年1月に、「バンクオブアメリカ・メリルリンチ」となった。それが「BofAセキュリティーズ」になるのである。私にはメリルリンチに小さな関わりがある。曖昧な記憶を辿って金融史の一コマとして記録しておきたい。

1974年春に私は、メリルリンチのニューヨーク研修センターにいた。
同社の新入社員研修コースにゲストとして参加したのである。
その頃、私はS銀行・K銀行・N證券の3社が設立した信託銀行で、個人富裕層の株式ポートフォリオを運用、管理する仕事をしていた。「投資顧問業務」(商品名は「投資管理室会員」)である。
証券会社の営業が、売買手数料稼ぎに傾斜するのに対して、我々は預かり資産の価値増減に応じた管理手数料を受ける。この仕組みが、売り手買い手の双方に合理的である。これがウリであった。勿論、課題もあった。今でこそ銀行が市場商品を扱うが、株式投資を商品とすることは、銀行は固定利率商品しか売らないと思う人―信託銀行の経営者を含む―には、行儀の悪い、リスキーな仕事だと見られていた。今でも銀行が売った投信で損をしたというトラブルが起こっている。

《メリル日本営業の前哨戦》
 しかし、時代は高度成長の始点たる1960年から10年余を経ていた。過剰流動性相場も、第1次オイルショックも経験している。個人資産も成長してきたことを仕事の上でも私は実感していた。米国では60年代に機関化現象―市場参加者と株式所有が機関投資家に集中すること―が進んでいるという情報が伝わってきた。外国の金融機関が増大する日本資産を狙うのは当然である。メリルリンチは、72年に外国証券として初の東京支店を開設した。営業の前哨戦として彼らは、当局と市場関係者に、米国市場の啓蒙とPRに注力した。私のいた職場にも、メリルリンチの日系カナダ人M氏が米国市場を紹介したいと週一ベースで来社した。英語の勉強にもなるといい、同僚何人かで会話に加わった。

メリルリンチの研修センターは、ウォール街に近い高層ビルの29階にあった。1クラス百数十名、午前9時から昼食を挟んで午後4時頃まで。期間は2ヶ月8週間にわたる。一度に何クラスの講義があったかは記憶がないが、相当数のクラスが間断なく行われていた。私はそう記憶している。地方からの受講者は、会社の指定したホテルに宿泊していた。私が個人で中期滞在したキッチン付きの「シェルバーン・マレイ」というホテルに彼らも大勢泊まっていた。

《熱心な研修を見ていたら》
 老若男女の受講生は長いカリキュラムを真面目に聴いていた。
なぜ長時間なのか。受講者は全員途中入社、年齢・性別・前職は様々、証券外務員(社内・業界の2種)の資格取得を要するという条件もある。今年、大学を出た者も勿論いる。一方で、子供が数人もいる高齢者もいる。昨日までIBMの技師やGMのセールスマンだった者がいる。経済、金融のイロハから教えなくてはならない。時間と手間がかかるのである。

どんなカリキュラムなのか。
ニューヨーク大学の経済学部教授が経済原論をやる。金融論もやる。勿論、証券市場や証取法をやる。と思えば、新規開拓の電話外交―cold callという―から、既得意先への電話のかけ方、個別銘柄の勧め方、売買成立伝票の書き方、ニューヨークの観光案内。NYCをよく知らない受講者もいるからである。つまり理論から些末な実務までであるのだ。

なぜ熱心なのか。
受講生は良く聴きよく質問した。仕事を変えて、しかも、就業に必要な試験に合格しなければならない。生活がかかっているのである。講義の進め方は、講師と生徒の掛け合い方式である。米国でMBAをとった仲間から、彼らの掛け合いは絶妙だと聞いていたが、こういうものかと思った。阿吽の呼吸である。日本の大学の今はどうなのだろうか。

《一回で終わらないメリルリンチ論》
 自分の感想を書いておく。
「新卒入社・終身雇用・年功序列」という日本式経営の特色―または奇怪さ―を痛感した。
私自身は日本的経営の崩壊開始時(95年)に退職したが、いまの日本企業はどうなっているのだろうか。
受講者の99%が、必死に勉強しているのを、私は気楽に見ていた。「ゲスト」で試験不要だったからである。外国人ゲストは4人いた。日本人は大手証券Dから1人、大手生保Nから1人、信託Tから私。スペインからの投信運用者1人であった。D証券勤務のS氏は試験を受けたかは聞かなかった。
講師の英語が分からなかった。大学の先生の発音は半分ほど分かったから話題と内容は推測がつく。講師によっては、タブロイド紙を手にしながら、タレントの話題などから始める。たとえば「日刊ゲンダイ」を手にプロ野球キャンプの話をするようなものである。こういう場合は俗語と話題の両方分からない。

メリルリンチのことは、もう一度書くことが残った。それはメリルが小売屋から卸屋へと変貌する話である。(2019/03/01)


2019.02.13  日本でも社会的連帯経済の実践を
          破たんした新自由主義に対抗して

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 日曜日の2月3日、東京の明治大学駿河台キャンパスの教室の席を埋めた50 人ほどの集会があった。昨年10月1日から3日までスペインのビルバオ市で開かれた、GSEF(グローバル社会的連帯経済フォーラム)主催のビルバオ大会に日本から参加した人たちによる報告会だった。大会は「社会的連帯経済」を世界的に推進しようという狙いで開かれたものだが、「社会的連帯経済」という言葉は日本ではまだなじみが薄い。関係者によれば、それには、今や世界的に行き詰まった資本主義経済を変革しようという壮大な狙いが込められているという。

 報告会を主催したのは、社会的連帯経済の意義を広く伝えようと活動している「ソウル宣言の会」。その代表の若森資朗氏(元パルシステム生活協同組合連合会理事長)は同会が編集した冊子『「社会的経済」って何?』(社会評論社)の中で、こう述べている。
 「1991年ソ連の崩壊により米ソ2大国を盟主とする東西冷戦が終焉し、その結果世界の警察権力を自認するに至った米国の経済力と軍事力を背景とした力の政治による他国をまきこんだ、暴力をも厭わない地域紛争への介入が常態化しています。そしてそのことと一体化した新自由主義を標榜するグローバル企業が、なりふり構わず利潤追求に血眼になり、倫理感を欠いた振る舞いで世界を闊歩していることに、現状批判の原因を求めることができます。その結果、世界中の至る所で貧富の差が拡大し、一握りの富裕層が富を独占し、貧困層が増加し、中間層にあってはいつ下層に転落するがわからない不安にかられ、そのことが排外主義や差別(ヘイトスピーチやレイシズム)の増加につながっているともいえます」
 「一方、資本のグルーバル化に対抗する、市民側からのグローバルな連携・連帯の実践も動き出しました。2013年ソウル市において、世界から8つの地方自治体、10の団体、そして個人の参加による『グローバル社会的連帯経済フォーラム』が開催されました。そこにおいて社会的連帯経済の定着と発展に取り組む『ソウル宣言』が採択されました。それは市民の参画と決定による、利潤追求を目的としない生活者ニーズを満たす財やサービスの提供、それはコミュニティーを大切にし、金銭価値に置き換えられない価値を大切にする提案です」

 社会的連帯経済の定着と発展を目指す運動が起こってきたことは理解できる。が、社会的連帯経済とは何なのか、具体的なイメージがわき上がってこない。そう感じて、さらに冊子を読み進むと、ソウル宣言の会事務局員の牧梶郎氏の記述に出合った。そこには、こうあった。
 「営利を目的とせずに、相互扶助や協働をベースとし、人間の関係性や自然との共生を大事にして行われる経済活動一般です。各種の協同組合や共済組合および信用組合、社会的企業、障がい者やその他少数弱者の支援事業を行うNPO/NGOなどがこれら活動の担い手ですが、フェアトレード、リサイクル・ショップ、食品の安全や地産地消などの活動も含まれます」

 2013年に韓国のソウル市で創設された「グローバル社会的連帯経済フォーラム」は、いわば国際会議体だ。それ以降、2014年にソウル市、2016年にカナダのモントリオールでそれぞれ大会を開いてきた。ビルバオ大会は第4回にあたる。ソウル宣言の会の丸山茂樹氏によれば、次回は2020年にメキシコシティで開かれるという。

 ソウル宣言の会が事前に発表した「報告会のご案内」によると、ビルバオ大会には84カ国から1700人が参加した。世界のGSEF会員の他、ILO(国際労働機関)や国連社会的経済研究所(ジュネーブ)などの国連機関、RIPESS(社会的連帯経済促進のための大陸間ネットワーク)などの国際NGO、ソウル市、ニーヨーク市など自治体からの参加があったという。日本からは44人。生協、ワーカーズコープ(労働者協同組合)、労組の関係者、学者・研究者らだった。「ご案内」は、同大会について「(社会的連帯経済が)世界では着実に広がり、関心が寄せられていることを実感しました」としている。

 報告会では、ビルバオ大会日本実行委員会団長を務めた柳澤敏勝・明治大学商学部教授が基調報告をしたが、そのなかで、「ビルバオ大会の特徴は、GSEFがSDGSとの連携を始めたということだ」と述べたことが印象に残った。
 SDGSとは、2015年の国連総会で採択された「私たちの世界を変える持続可能な開発のための2030アジェンダ」と題する決議である。それによれば、国連として、2030年までに「貧困の撲滅」「食料の安全保障」「健康的な生活の確保」「ジェンダー平等」「持続可能な近代的エネルギー」「持続可能な経済成長・人間らしい労働」「不平等の是正」「持続可能な生産消費」「気候変動対策」「平和で包摂的な社会の促進」など17の目標を達成しようという決議である。
 柳沢教授によれば、このSDGSが目指す目標とGSEFが目指すものには重なるものが多いという。したがって、SDGSの活動とGSEFの運動が連動する可能性があるという。

 基調報告の後、ビルバオ大会に参加した青竹豊・日本協同組合連携機構〈JCA〉常務理事、木村庸子・生活クラブ生活協同組合(千葉)理事長、相良孝雄・協同総合研究所事務局長、鈴木岳・生協総合研究所研究員の4氏によるパネルディスカッションがあった。
 日本の社会的連帯経済運動の課題と方向性や、日本の運動で足りない点などが話し合われたが、まず、日本では、社会的連帯経済に対する認知度が低い点が指摘された。どうすればその意義を一般に広めてゆくことができるか。パネリストからは「まず、社会的連帯経済の実践例を示すことだ」との発言があったほか、青竹氏からは「昨年4月に発足したJCAには、我が国のほとんどの協同組合連合会が加盟しているので、これらの組織を通じて社会的連帯経済の意義を広め、関心を高めたい」との発言があった。

 日本で足りない点として指摘されたことの一つは、社会的連帯経済運動に自治体からの参加が極めて乏しいこと。ビルバオ大会でも、日本の自治体からの参加はなかった。
 モントリオール大会で採択された宣言も「人類が直面している課題は、一国のみで解決できるものではない。都市、町および地域自治体の寄与もまた欠かすことができないと」、社会的連帯経済運動と自治体との連携の必要性を強調している。それだけに、若森氏も報告会で配布された資料の中で「(ビルバオ大会に日本の自治体から参加がなかったことは)今後の取り組みに大きな課題を残した」と述べている。自治体にどう働きかけてゆくかが問われそうだ。
 
2018.06.20  お百姓さん、ご苦労さん
          ――八ヶ岳山麓から(260)――

阿部治平 (もと高校教師)

私の村は5月の最後の土・日が田植の最盛期だった。
田植機がしずかに苗を植えていくのを見ながら、思いだした歌がある。

〇蓑着て笠着て鍬持って
お百姓さん、ご苦労さん
今年も豊年満作で
お米がたくさん取れるよう
朝から晩までお働き

〇そろった出そろった
植え手がそろった
植えよ植えましょ、みんなのために
米は宝だ、宝の草を
植えりゃ黄金(こがね)の花が咲く

ふたつの歌を学校で習ってから、もう70年もたつから歌詞は不正確である。これを歌うと父は「政府は子供をつかって百姓をおだてている」といった。当時はこの意味が分からなかった。

――「支那事変」から「大東亜戦争」に変ったころ、農家にはコメを政府に安価で売渡す義務供出が課された。消費者は米穀手帳なるものを渡され、配給食料を買うしくみだった。
供出割当どおりの米を出さないと村の駐在巡査が農家に督促にやってきた。巡査がサーベルを腰に下げていたので、これを「サーベル農政」といった。戦後も役人がアメリカ占領軍の兵隊とともにやってきて、コメを出せと強制した。これを「ジープ農政」とか強権発動といった――
私がこういう話をしたのは、すでにかなりの年配の人だったが、「配給ってなんですか」と聞かれて絶句した。こういう時代になったのだ。私は生きた化石だ。

私の村は高冷地で、稲の生育期間の積算温度が旭川とおなじだが、コメどころだった。だが1946年に国民学校に入学した同級生はみな痩せていて、栄養不良のためにハナを垂らしていた。私は1キロ半の道を歩くのに疲れて2回は休んだ。戦後も維持された食糧管理制度は、コメを農家から安値で供出させ、配給制度で消費者に売るという仕組みだった。強権発動された村は、飯の量が十分ではなかったのだ。
私たちは、野山の草、虫などを食えるか食えないかを基準に分類した。タンポポ(クジナともいった)やアカザなども食った。田んぼのドジョウは味噌汁の中に入ったし、蜂や蛾(クスサン)の幼虫もセミやゲンゴロウも焙烙(ほうろく)で炒って食った。蚕のさなぎはおやつだった。思えば山菜取りの知恵は小学生時代に身につけたものである。

中学生のころになると、保温折衷苗代など育苗技術が改良されて収量が安定した。コメの供出価格もかなり上がり、水田を3,4ヘクタールももつ家は、供出が多く収入が多いから「おでえさま(金持)」といわれた。
1967年以後はコメが余りだした。当然コメを高く買って安く売る食料管理会計の逆ザヤ現象=食管赤字が大問題になった。自主流通米が登場したのはこのためで、農家はヤミ米を政府が容認したものと理解した。71年から作付制限つまり減反政策が始まった。コメからの転作は、ソバ、コムギ、豆、野菜類への転作奨励金というエサで推進した。

減反政策は46年続いて、去年で終わった。今年からは行政側からのコメ作付制限はなくなるはずだった。だが、あいかわらず県は村に「生産数量目標」を示し、村は農家にこれを配分した。ところがこれにあからさまな不満が出ない。コメからの収入をそれほどあてにしなくなっているのだ。
1俵(玄米60キロ)が1万3000円程度では、コメだけではやってゆけない。借地によって20ヘクタールとか30ヘクタールといった大規模水田経営を目指した人もコメから撤退し始めている。

きれいに0.2ヘクタール(2反歩)に区画された棚田を見ていると、亡くなった親友を思い出す。
1960年代の末から、わが村でも減反政策の一方で構造改善事業という大規模な圃場整備が始まった。一方でコメを作るなといいつつ、労働生産性を上げるためとかという口実で、まがった農道と水路をいじって、棚田を0.2ヘクタールの長方形に規格化するのである。
共産党の村会議員だった私の親友は、「構造改善反対」のビラを村中にまいた。彼の論理は「大百姓には有利だが、小前のものは得るものがない」というものだった。共産党は中央自動車道にもこの理由で反対した。当時、まだ農家を富農と貧農に分ける毛沢東流の階層論が幅を利かせていたらしい。
私の従兄は区長(部落の世話役)として構造改善事業を推進する立場だったから、親友にビラをまかれて怒った。私の弟も構造改善に賛成で、「世界規模で食料不足が生れたとき役にたつ」と食料安保の考えを主張した。日米繊維交渉の際、アメリカ大豆の輸出が止められたことを意識していたようだ。
結果として構造改善事業は有効だった。広い農道、方形の田んぼは、70過ぎの高齢者でも農機を使って仕事ができるからである。親友はあの時代の運動を後悔しているようで、「思い出したくない」といった。

自民党は米価を比較的高値に置いた。長い間供出米の量が農家の収入を決定した。農地改革とこれが農村を保守化した。当時わが村農家の目標は1ヘクタール当たり玄米で6トン(100俵)だった。これを「せどり」といった。だから村人は技術改良には敏感だった。肥料と農薬をたくさん使った。
石灰窒素ついで尿素が登場した。ニカメイチュウ退治のホリドールや、イモチ病対策のセレサン石灰(水銀剤)が使われるようになった。有機水銀の恐ろしさがわかった1970年代になっても、役場が音頭取りで水銀剤をヘリコプターで空中散布していた。さすがにいまは、イモチ病は苗段階で予防の消毒をやってしまう。

野良仕事はまったく変わった。
稲苗は田植機用の苗箱の中で育てる。苗床はなくなった。田植機の操作は1人でできる。そこで田植に大勢の植え手が出そろうこともなくなった。除草剤のおかげで、あの辛い夏の田の草取りはなくなった。同時にホタルもドジョウもなくなった。コンバイン収穫機でいきなりモミにするから、稲刈りだの、はぜ(稲架)掛けだの、稲扱きだのもなくなった。
畑のうねたても地ならしも小型のトラクターで簡単にできるから、「蓑着て傘着て鍬持って」ということもない。セロリーやブロッコリーの露地植えも機械化した。こうなると機械化というより機械の農業化である。ウィークデーは町へ勤めて土曜と日曜だけ農業をやる土日百姓は、これによって促進されたとおもう。
問題は、肥料や農薬、農機が高くつくことだ。とりわけ農機は農繁期の数日稼働するだけで、あとは小屋で寝ているのだから。私が土日百姓の友人に「たかだか3,4ヘクタールの水田経営で、高価な大型トラクターやコンバインの減価償却ができるかね」と聞いたら、彼は即座に「だれもコメや野菜でトラクターのもとが取れるとは思っていない」と答えた。定年退職したら退職金で完済するつもりだという。
冒頭の歌のように、「朝から晩までお働き」で「豊年満作で、お米がたくさん取れた」としても、だれもが「黄金の花が咲いた」わけではない。たいていは流通業者や、農機、肥料、農薬メーカーに貢いでしまったのだ。

いま村では、農業収入より兼業収入の方が多い第2種兼業が多い。私の出身部落160戸のうち、専業農業は10戸に満たない。問題は、兼業にせよ専業にせよ、農家の「跡取り」の多くが村から出て、大都会や町で別な仕事に就いていることだ。いま60,70歳代の働き手がいなくなったら、農家そのものがなくなる。村では無人の幽霊屋敷がどんどん増える。そして日本はとめどなく食料自給率を低下させる。
「お百姓さん、ご苦労さん。もう用済みだよ」という声が聞こえる。
                              (2018・06・09記)
2018.04.09 政府と日銀を統合して考えれば、財政再建は完了しているという俗論
- 経済学の貧困と経済学者の劣化(その6)

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 アベノヨイショの「経済学者」のなかで、ひときわ声高で、激しくヨイショする御仁がいる。先般も、自民党推薦の公述人として、参議院の委員会で、「異次元金融緩和で財政再建は完成している」と言い切った奇人、高橋洋一その人である。無署名で週刊誌記事も書いているようだが、すねに傷をもつ御仁だ。
それにしても、いろいろな人が、次から次に安倍礼賛とアベノミクスをヨイショしているが、「すねに傷」のある人たちも為政者を持ち上げれば後ろめたい過去を消すことができ、あわよくば立身出世か財を蓄えるチャンスと思っているのだろう。

数学で経済を理解できる?
 高橋はもともと数学の出身で、自らも「経済学者というより数量分析家」だと主張しているように、物事を数字や数式操作で理解しようする。現代経済学は応用数学になっていることも、高橋のような思考が受ける素地があるようだ。
 たとえば、数年前に出版した『日銀新政策の成功は数式で全部わかる!』(徳間書店)の中で、財政破綻が起きる条件を算術式で表し、「債務残高/GDP比の極限が発散しない限り、財政破綻はしない」として、日本財政の破綻などあり得ないと結論している。財政の現実を考えるのではなく、頭の中の算術計算を重視する奇妙な思考法である。すべての経済問題は「数式でわかる」と主張しているように、「算術計算が真で、算術で読み解けば、現実問題は解決する」というのが、高橋の思考法である。
 かくように、高橋は現実の問題に真正面からぶつかるのではなく、最初からそれを避けて、算術モデルで問題を解こうとする。こういう御仁は、往々にして、頭の中の思考と現実を区別することができず、頭の中の思考で現実問題が解決されると主張する。こういうタイプの人は社会科学の探究には向かないが、次から次へと駄作を乱発できる書き手は出版社に都合が良いようだ。だから、剽窃問題が起きても可笑しくないが、雑本を量産する出版社にも問題がありそうだ。
 さて、高橋は、政府の勘定と日銀の勘定を統合して統合政府の勘定で考えれば、国債の債権・債務関係が相殺されて消えるから、日本に財政赤字問題などないという。もっとも、これはスティグリッツからの受け売りで、スティグリッツは物事を深く考えることなく、統合勘定で考えれば財政赤字問題が解決するかのように考えている。だから、これは高橋氏の専売特許でなく、物事をあまり深く考えないエコノミストが陥る罠だ。もしこのようなことが可能であれば、永遠に財政赤字問題は生じないことになる。
 もう一つ付言すれば、多くのアベノヨイショが主張している命題に、「将来、人口が半分に減っても、労働生産性を倍にすれば、GDPは減少しない」というものがある。これも算術計算で現実問題を解こうとするプリミティヴで浅はかな考えである。ちょっと頭を働かせば、算術計算で社会経済問題を解決できないことなどすぐに分かる。30年後に県民人口が半減する秋田県に、「残った人々の生産性を倍にすれば、人口減の問題は解決します」と提言するようなものだ。高齢者が過半を占める地域に、「AIやロボットを駆使して、生産性を2倍にしましょう」と提言する「学者」より、一般人の方がはるかに現実の厳しさを分かっている。

観念と現実の倒錯
 数学出身で社会科学分野の数量分析をやっている人に多いのは、数量モデルと現実の混同である。いや、混同というより、思考モデルを現実だと錯誤する。現実から出発するのではなく、モデルから出発し、モデルの結論が真で、現実をモデルに合わせれば問題が解決されるという倒錯した思考である。これこそ、数量化・数学化した社会モデルが、頭の遊びの観念論に陥る理由である。
 一般政府勘定と日銀勘定を統合するとはどういうことか。高橋は「政府と日銀は親会社と子会社との関係にある」から、統合して考えて何ら問題ないという。そもそも政府と日銀を親会社と子会社の関係と捉えることが間違っている。中央銀行は政府が勝手に紙幣を発行しないように、独立して通貨管理を行う責務を課せられている。これは近代の歴史的経験から得た、人間社会の知恵である。中央銀行を政府の子会社と考えるのは勝手だが、それは政府が恣意的に紙幣を発行した時代の思考である。
ところで、事業会社と銀行が合併した場合、事業会社の債務は銀行の債権と相殺されて消滅するのだろうか。この二つの企業の間では債権・債務関係は消滅するが、合併すると債務が空気の中に消えてなくなるわけではなく、銀行は事業会社の債務分だけ損失処理を行う。減資あるいは増資という方法で、銀行株主が債務処理を負担することになるだけのことだ。
高橋はここでも頭の中の操作と現実を混同する。頭の中で統合勘定をあたかも現実の勘定のごとく捉え、統合政府の負債である通貨の発行には事実上、コストがないに等しいから、すでに財政再建が完成していると論理を飛躍させる。政府と日銀を統合することの現実的意味を考えない高橋には、事の重要性に考えをめぐらすことができない。
たとえ政府と日銀を統合勘定で考えたとしても、政府の債務が消滅することはない。赤字の支出を担保するものが将来の税収であるとすれば、それを担保とする債務は必ず勘定記入されなければならない。通貨という債務が必ず「統合政府」の負債として存在する。日銀を政府に吸収すれば、日銀券は政府紙幣に変貌するだけのことだ。政府紙幣化した日銀券は信用を失い、ハイパーインフレの引き金になる。

政府と日銀の「統合」とは何か
頭の中で統合勘定を作るのではなく、実際に政府と日銀を統合するとはどういうことか。それはとりもなおさず、日銀が独立機関であることを止め、政府の紙幣発行部に成り下がることを意味している。紙幣発行部が預金の裏付けなしに紙幣を発行した場合、これは政府紙幣と同じになる。担保になる裏付けがない政府紙幣の発行は、即座に激しいインフレを惹き起こす。これは戦時中に経験したことであり、近年では体制転換過程で中・東欧諸国で経験したことだ。
1990年代初期にウクライナを訪問した折、政府が印刷したおもちゃのような紙幣が流通していた。外国からの客人にはこの紙幣を日当として配って接待していた。案の定、このような政府紙幣の増発はハイパーインフレをもたらすことになった。当然である。政府が資金的な裏付けを欠く紙幣を印刷すれば、そのような結末になる。いわゆるヘリコプターマネーの結末である。同じことはソ連邦崩壊後の旧共和国や旧ユーゴスラビアの解体時にも生じた。1990年にドブロブニクの会議に出席した折、1ドルの交換レートは200万ディナールを超えていた。
こうした政府による野放図な紙幣発行を許さないために、政府から独立した中央銀行が存在する。政府の勝手な紙幣流通が国民経済を破壊した教訓から、中央銀行の独立性の確保が国民経済安定の基本的な条件になっている。だから、頭の中で政府と日銀を統合するのは勝手だが、その現実的結果に無知な議論は何の役にも立たない。ただの思考の遊びである。

政府債務の担保はなにか
 政府の債務が国債という形で担保され、しかも国債市場が混乱なく機能している限り、政府の債務問題が重大化することはない。しかし、ここで二つの問題が存在する。
 一つは政府債務を最終的に担保するものは何か、もう一つは国債市場が混乱する可能性はどこにあるのか。
 政府の財政赤字(累積債務)という債務の最終的担保は将来の税収である。専門文献では徴税権と称しているが、将来の税収のことである。「将来の税収という債権で担保される」という前提で、政府債務が管理されている。しかし、現在の日本政府の累積債務総額は税収の17年分である。消費税2%程度の引上げに右往左往している現状で、この債務が将来の税収でカバーできると考えるのは現実的でない。明らかに、将来、政府は何らかの形で累積債務を大幅に削減する必要に迫られるはずである。その確率は百%に近い。
 国債市場が安定的に機能している限り、政府の債務問題が国民経済の危機的状況を惹き起こすことはない。しかし、財政赤字問題が解消されず、債務が増え続け、日銀が国債引き受けをさらに増やすことになれば、将来の日本経済へのリスクから国債価格が低下し、インフレと共に政府の利払いが増え続け、国債の消化が難しくなる。外国の投資家が国債市場へ入り込めば、さらに事態は複雑化し、政府と日銀の信用が崩れ、国債の価格破壊が起きる可能性がある。そうすれば、日本経済に対する信用が崩れ、ギリシアやアルゼンチン並みの経済危機を迎えることになる。

政府が債務を帳消しにする日
 戦費で膨れ上がった国家債務は戦争終結とともに解決された。資金的裏付けのない紙幣が膨大に発行され、ハイパーインフレになって債権も債務も「ご破算になりまして」で、政府債務も銀行預金もすべて無価値になってしまった。既述したように、中央銀行が独立していなかった体制転換諸国ではハイパーインフレによって、すべてがリセットされた。
 さて、それでは現代日本の巨額の国家債務はどのように処理されるのだろうか。
まず、将来の税収によって処理されると考える専門家はいないだろう。消費税2%の引上げで大騒ぎする日本で、近い将来、EU並みの高率の消費税(付加価値税)が導入される見通しはない。だから、アメリカの経済学者も、インフレによる債務の減価を提唱しているようだが、かなりの高いインフレ率でない限り、大幅な債務削減は期待できない。もちろん、日本の国債市場が崩壊すれば、ハイパーインフレが起きる可能性があり、その場合には終戦後のようなリセットが実現するが、大きな混乱なしでは済まないだろう。
日本でもっとも蓋然性が高いのは、自然災害(巨大地震や津波)か、原発の人災が大きく広がって、私権制限の措置が導入される事態である。緊急事態法などで、預金引出しが制限され、資金的裏付けのない財政支出や政府紙幣のような紛(まが)い物が導入されれば、ハイパーインフレを惹き起こすだろう。つまり、大規模災害の発生→私権の制限→税の裏付けのない財政支出→ハイパーインフレという経路を通して、巨額に膨れ上がった政府債務と一般国民の債権(預金)がチャラになる。望むと望まざるとを問わず、この種の強権的な措置によってしか、巨額な債務を大幅に削減できないだろう。国民が増税による債務の負担を拒む限り、他に方法がない。
この問題に、右も左も関係ない。政治志向で問題が解決されることはない。

2018.03.12 イデオロギーと化した金融緩和至上主義
-現代経済学の貧困と経済学者の劣化(その5)
              
盛田常夫(在ブダペスト、経済学者)

イデオロギー化する経済政策
 世の中、根拠のない「非常識」や誤解でも、それが流布され蔓延すると、あたかも「常識」のようになってしまう。とくに経済学はその誕生から現在まで、精密科学であったことはなく、常に、経済現象の部分的で不正確な分析を行う学問に過ぎなかった。社会主義社会でも資本主義社会でも、為政者は経済政策をあたかも自然科学のような確実性をもつものと錯覚させ、国民支配の道具に利用してきた。ソ連型社会主義の「5カ年国民経済計画」や中国の「大躍進」、日本の「アベノミクス」などはその典型である。どれも皆、権力を維持するためのスローガン(国民への号令)の域を超えるものではない。
 経済政策は常にイデオロギー的性格をもち、政策の有効性が実現しないまま、経済危機によって経済政策の無力さが露呈するまで堅持されるのが常である。しかも、無効になった経済政策をきちんと検証し、将来の政策に活かことなど稀である。経済政策が効かなかったのは、想定した条件に変化が生じたからと説明されるのが落ちで、それぞれの政策がきちんと総括された例(ため)しがない。それで済まされるのは、大仰な経済政策スローガンが時の権力の経済イデオロギーに過ぎないからだ。
 経済学者と称される人々もまた、権力に寄り添った提言を行うことによって、イデオロギー的な支援を与える。なぜなら、権力に歩み寄ることで政府の関係ポストを得て、それなりの社会的地位が獲得でき、経済的な利得も期待できるからだ。だから、この種の経済学者には俗物が多い。こういう人々は政治家と同類で、自らの提言が間違っていても、決して誤りを認めることはない。

「物価目標」政策は経済学の未熟さの現れ
 そもそも、複雑な国民経済を制御するのに、「物価目標」がほとんど唯一の核心的政策目的になっているという事実が、現代経済学の貧困を教えてくれる。「物価を上れば、景気が良くなる」という単純な発想が、どうして一国の経済政策の中心的な政策になるのか。あまりに安直だ。政府債務を増やし、将来の経済運営のリスクを増大させて金融緩和に突き進む政策は尋常ではない。デフレ脱却をスローガンに、「物価上昇目標」を金科玉条のごとく錦の御旗に掲げる政府は、「金融緩和翼賛政治」と言われても仕方がない。
 欧米でも金融緩和政策は実行されているが、当初からそれは当座の政策に過ぎないことが了解されている。絶対目標になっていないのは、その政策効果に確信がないからである。しかも、その政策の副作用が大きいことは十分に理解されており、常に金融緩和策からの撤退が意識されてきた。
 ところが、日本では金融緩和は絶対的な目標とされ、それで問題がすべて解決されるかのように喧伝されてきた。日銀金融政策委員会の緩和に慎重な委員が退任した後に、政府は緩和に積極的な委員を補充して、事実上、「緩和翼賛委員会」を作り上げている。金融政策委員会も、その周辺のエコノミストも、物価目標に到達するまで金融緩和を続けるべきだという「アベノヨイショ」一色である。こうして、物価目標=金融緩和政策がますますイデオロギー的な色彩を帯びるようになっている。

GDP操作で済まされる実体経済分析
 「物価上昇目標」が金科玉条の目標になるという貧しい現実は、経済学が実体(実物)経済の分析ができないことの裏返しの現象である。実体経済は膨大かつ多様な異種の産業分野(商品生産)から構成されている。異質な商品から構成される実体経済は、そのままでは数値分析することができない。だから、経済学はその誕生から、異質で比較不能な商品生産からなる国民経済活動を一元的に捉える手法を編み出そうと四苦八苦してきた。その一つが国民所得(付加価値)統計で、これは異質な生産(商品)に「共通する長さ(付加価値ノルム)」を与えたものだ。他方、付加価値ノルムで国民経済活動を捉える方法は、実体経済の複雑性の理解を失わせる。なぜなら、付加価値集計による国民経済活動の把握は、種々様々な産業活動の使用価値的差異を捨象することを前提しているからである。
 多くの経済学者は集計的な付加価値ノルムであるGDPを操作すれば、実体経済を理解できたと錯覚しているが、これは完全な間違いである。GDPは国民経済をひとまとめに価値操作するための手段にすぎず、国民経済活動の多様性を分析するものではない。人間の頭で編み出された付加価値ノルムと、実体経済(無数の使用価値から構成される商品生産)の現実は、まったく別物である。GDPを操作すれば国民経済が理解できると考えるのは、頭脳の産物を現実だと錯覚する倒錯にすぎない。国民経済の実体分析を捨象したGDP分析は、「GDP至上主義」という罠に嵌った一種の観念論である。
 同様に、世間であたかも常識にように唱えられている、「GDPの7割を占める個人消費が増えれば、経済は成長する」という呪文は、付加価値ノルムの統計的恒等式(GDPの定義式)を解釈しただけのことで、同義反復以上の何物でもない。恒等(定義)式は因果関係を規定したものではない。定義式を構成する個々の要素の現実的変化は、それぞれの構成要素を規定する諸原因の変化にもとづく。だから、「消費が増えれば、GDPが増える」というのは、定義式を言い換えているだけのことで、「どのようにして個人消費を増やすことができるのか」について、何も語っていない。

「窮余の浅知恵」
 実体経済の分析とは正反対に、金融経済の分析はここ数十年、金融市場の拡大と複雑化を通して、大きな進歩を遂げてきた。それは貨幣(おかね)という同一単位で一元的に測定し分析できる同質市場だからである。その結果、一部の経済学者は金融市場で得られた分析結果を、実体経済の分析に使えるのではないかと考えた。しかし、金融市場の分析を実体経済に応用できると考えるのは、「窮余の浅知恵」以外の何物でもない。物価目標政策はまさに、この金融市場の分析から得られた「窮余の浅知恵」なのである。
 そもそも、それぞれが異質な商品生産を行っている実物経済を、貨幣(おかね)で同質的に分析できる金融経済と同列に論じることはできない。金融の世界では、株価であれ為替であれ、1~2%の変化は収益に作用する極めて大きな変化である。したがって、予想変化率は投資家の行動を左右する。これにたいして、実物経済の世界で1~2%の価格変動は大きな変動にはならない。「数年のうちに消費者物価が2%上がると予想できれば、消費者は将来の消費を早めるので、消費の増大が見込める」という想定は、金融経済で観察できる行動様式を、実物経済の消費者行動に「適用」しただけの「浅知恵」でしかない。
 消費者の基本的な消費行動を決めるのは将来の物価上昇予想ではなく、到達された消費水準と所得水準である。消費が飽和状態にある現代の日本で、将来の物価上昇を見込んで、お金を借りて外食を増やし、乗用車やテレビをもう1台購入しようと考える消費者などいない。1~2%程度の価格上昇が予想されても、それで消費を増やす消費者などいない。だから、金融緩和しても一般消費者の消費が増えることなどない。金融緩和で消費を増やすことができるのは、ほとんど無利子の借入金で動産や不動産に投資できる余裕があって、その収益で奢侈品を購入できる一部の富裕層だけだ。無償の贈与ならまだしも、返済しなければならないお金を使って、一般の消費者が消費を増やすなど、今の日本では考えられない。
 もっとも、クレジットで耐久消費財を購入するアメリカ国民の場合には、金融緩和政策はそれなりの効果があろう。それが可能なのは貧富の差が大きく、貧者の消費を増やすのに、低金利の融資が不可欠なアメリカにのみ当てはまることだ。
 日本の主流経済学者の多くはアメリカで経済学を学んだ者が多いから、思考がアメリカナイズされている。アベノミクス・イデオロギーによって、図らずも、経済学分野もまた対米従属が著しい分野であることが、明々白々となっている。

「デフレが元凶」という誤解
 「景気低迷の元凶はデフレにあり、一般物価が上昇しないのは通貨量が足りないからだ」、だから「通貨量を増やせば、消費が増え、一般物価も上昇する」というが、デフレ脱却を目指す金融緩和政策だ。ここでは二つの命題が主張されている。一つは「デフレが問題の原因で、これを解決すれば景気は良くなる」と短絡的な問題認識、もう一つは「通貨量を増やせば、消費が拡大し、一般物価も上昇する」という因果関係の単純化である。
 まず、「デフレが元凶」という認識だが、デフレはあくまで現象であって、経済停滞を惹き起こした本質的な原因ではない。ここに躓きの出発点がある。現代経済学が現象論の域を出ず、本質と現象を区別できないことが問題認識を誤らせている。
 デフレ現象を生じさせる原因は、消費水準を含め、現代日本経済の発展水準が一定の飽和状態に達しているからである。通貨量が足りないからではない。経済も生き物であり、若い労働力が不断に創出され、貧困からの脱却意欲が強い青年時代には、労働人口の拡大とともに、生産も消費も急速に拡大し高度成長が実現する。しかし、現代日本はそういう時代を遙かに以前に終えており、消費水準はきわめて高い飽和状態にあり、労働人口が減少していく時代を迎えている。このような壮年時代に達した経済では、消費水準が停滞するどころか、人口減少によって、消費の絶対量そのものが減少していく時代に入っている。こういう時代認識を欠いた政策は有効性をもたない。こういう歴史的変化の時代に、付加価値ノルムをいじるだけの算術計算思考は何の役にも立たない。
 こうした誤った認識にもとづき、通貨量を増やせば問題が解決すると考えるのは、あまりに浅はかである。実際、通貨量を増やしても、お金を借りて動産・不動産に投資できる一部の富裕層以外の資金需要はない。だから、金融緩和された通貨は株式投資や不動産投資に向けられ、それぞれの市場は活況を見せても、一般消費財市場は拡大しない。当然のことである。事実、通貨量を大幅に増やしても、一般物価の上昇が観察されない状態が5年も続いている。
 明らかに、金融緩和政策を裏付けるはずの現状認識が間違っていたのである。しかし、政府と日銀はこれを公に認めることができない。それを認めれば、アベノミクスの失敗を認めることになるからである。このことも、アベノミクスが経済イデオロギーに過ぎないことを明らかにしている。
 
 赤字国債の発行と、事実上の国債の日銀引受けによる金融緩和政策は、長く続ければ続けるほど、将来の経済運営に大きな負の遺産を積み上げていく。欧米の金融当局のように、2%の物価上昇に拘ることなく、金融緩和政策の手仕舞いを実行していく時期に入っている。事実、日銀もまた、市場に公言することなく、債券の購入額を目標額以下に抑えて、事実上の緩和策からの撤退を準備しているようだ。緩和策からの撤退を公言すれば、政策の失敗を認めたことになるから、暗黙のうちに撤退の道へと軌道修正しているようだ。なんとも姑息なことだ。