2019.12.10 東京大地震の社会経済的影響

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

NHKは12月2日から週を通して、東京直下地震の被害を体感させる番組「パラレル東京」を放映し、都民のみならず国民の注意を喚起している。今後30年間に70%の確率で起こるとされる東京直下地震にたいして、東京都のみならず、政府は万全の事前措置を講じることが必要である。
番組では、最悪の場合、東京大空襲に匹敵する惨劇が起こることを想定している。まさに終戦直後に似た状況が再現されるという強いメッセージが送られている。これだけ高い確率で起きることが予想されている自然災害にたいして、人々が無策でいることは許されない。番組では物理的かつ人的な被害が詳細に伝えられている。すさまじい被害である。それを現実のものにしない準備が必要である。
他方、この直下地震が及ぼす社会経済的な影響について、番組は触れていない。あくまで物理的人的被害に焦点を当てた番組である。しかし、われわれは人的被害を最小限にする準備のみならず、地震被害が社会経済的にどのような影響や帰結をもたらすかについても、十分に検討を加え準備する必要がある。なぜなら、被害の規模によって、日本の社会経済的機能の中枢的な部分が失われるからである。
首都に甚大な被害が生じれば、主要な経済機能、とくに金融機能が失われる。政府は社会的混乱を避けるために、銀行預金の一時的封鎖あるいは、預金引出しの一時的制限を導入せざるを得ない。被害の深刻さにも依るが、預金封鎖あるいは引出し制限の導入は、物価の高騰と円為替の暴落を惹き起こすことは確実である。とくに膨大な政府累積債務を抱える日本には、危機的な地震被害を契機に、円売りが浴びせられ、為替の下落は輸入物資の高騰を惹き起こす。人々の生活物資の高騰のみならず、復興のための輸入物資が高騰し、それがハイパーインフレを惹き起こすことが予想される。この時になって、巨額の累積債務という「体制負債」が社会に重くのしかかってくる。
このような事態に陥る可能性がきわめて高いのは、政府が抱える累積債務があまりに巨額だからである。巨額の債務を抱えたままでは、日本は復興への態勢をとることができない。日本は終戦からの再出発を余儀なくされる。ハイパーインフレによって、国民の資産は限りなく無に帰す。一般庶民が失う資産より、金持ちが失う資産の方がはるかに大きいが、それにしてもこつこつ貯めてきた資産は無に帰す。他方、GDPの200%を超える政府債務は限りなくゼロになり、経済再建のためのリセットが行われる。まさに第二の敗戦である。
政治家や政党は当座の選挙で議席を増やす政策に汲々するのではなく、日本を襲う災害の被害を最小限に抑える政策に力を注ぐべきである。そのためにも、当座の景気対策でしかないアベノミクス政策を止め、国家債務の削減に向けた財政健全化政策を行うことが不可欠である。可能な限り国家債務の水準を下げ、自然災害にたいして余裕をもって対処できる体力をつけることが必要である。
ところが、与党も野党も、右も左も、国債発行すれば、国家資金は無尽蔵にあると考えているようだ。本当に財政問題を深刻に考えているなら、政治家がホテルや料亭で会食するはずがないし、公金を私的に流用することもないはずである。しかし、安倍政権にはそのような堅実な姿勢は見られない。もともと安倍政権や安倍晋三自身がそのような日本社会の将来を憂う知性を持ち合わせていないから、それを期待することもできない。しかし、日本社会の平均が安倍晋三の知性レベルにある限り、日本の将来は明るくない。
他方、野党はどうか。安倍晋三を凌駕する知性を発揮しているとは到底思われない。アベノミクスの旗振り役で、アベノヨイショの代表である高橋洋一を講師に招き、ありがたくご意見拝聴している「消費減税研究会」の知的水準は、アベノヨイショの御仁とさほど大差ない。ポピュリズムという点で、アベノヨイショと五十歩百歩だからである。
アベノヨイショの御仁たちは自らの見解に責任を持つことはない。東京直下地震によって日本の社会経済機能が失われ、日本売りが始まっても、それがアベノミクスによる無責任な経済政策の一つの帰結であることを認めようとはしないだろう。まさに原発事故と同様に、与党とその政治家、御用学者は過去の政策の誤りを認めず、「天災」に責任を負わせるだろう。
庶民は財産を失い、終戦の混乱に乗じた一部の政商や悪徳業者が再び富を蓄積する。戦前は軍国主義に騙され、今はアベノミクスに騙され、庶民は富を失う。人々が賢くならない限り、歴史は繰り返えされるのである。
2019.12.04 “ローカリゼーション”広がる――「しあわせの経済」国際フォーラム報告<下>
アグロフォレストリー(森林農法)の成功 ―パレスチナ、タイ、メキシコの各地で

伊藤三郎 (ジャーナリスト)

本稿「上」の末尾に「若い人々の地方への回帰の傾向は、いまや世界史的な流れに」という、このフォーラムの主催者である文化人類学者、辻信一・明治学院大教員のコメントを紹介した。この国際会議「しあわせフォーラム」の創始者、言語学者のヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの「正しいローカリゼーションによって世界経済の仕組みは変えることができます」という呼びかけを受けたものだが、世界各地から会場に集まった運動家や学者らの報告からも「地方回帰へのうねり」はしっかりと確認できた。
IMG_1460 大階段教室
「しあわせフォーラム」のメイン会場、大きな階段教室は連日大入り、熱気にあふれた

 長年イスラエルの過酷な支配に苦しむパレスチナから参加したアグロエコロジスト、環境運動家のサアド・ダゲール氏。自らも農業、養蚕業を営む傍ら15年前にパレスチナにアグロエコロジーという思想を紹介し、ヨルダン川西岸地域に初のコミュニティー協同農場を設立した。
 「過去数十年、(石油化学製品中心の)農薬・肥料を使う農業を当然としてきた両親らに、自然の力を恵みとして作物を育てる有機農法、自然農法などを柱とする“持続可能な農業”、アグロエコロジーを理解させるのに苦労した。しかし、マスクなしで農薬を使って農民が病に倒れ、子供を死なせる、などの悲劇を通じて、特に母親である女性らが目覚める。家族の健康を願い、自分自身が楽しく農業を営むために、良い食物を、という女性たちの熱意が、アグロエコロジストである私の運動推進に大きな力になった」
 2002年に初めて無農薬の野菜作りに成功し、アグロエコロジーに目覚めたサアドがそれから間もなく女性たちに呼び掛けてパレスチナに初のエコビレッジ、自然農法と取り組む農村コミュニティーを作る。以来20年足らずの間に400のエコビレッジが生まれたという。
 「過去数十年間、都会へ都会へと流れ続けた若い人々が近年小さなエコビレッジに戻り始めた。私の娘はヨガでエネルギーを得て、ブドウの収穫を楽しむようになった」
 イスラエルとパレスチナの紛争に明け暮れるこの中東の一角は、文明発祥の地の一つ、そもそもは肥沃な土地だったはず。
「そこを砂漠にしたのは人間の争い。そのパレスチナの地でエコビレッジ作りに励むサアドの報告は私たちに希望を与えてくれます」と辻さん。
IMG_1458パレスチナの領土縮小
イスラエル軍による過酷な支配によってパレスチナの領土(影の部分)は約半世紀の間にこんなに激減した
 
 タイの先住民族カレン族の一人、スウェの呼び名を持つシワコーン・オドチャオ氏が講演。タイ北部のノンタオ村にある自分たち一族のコーヒー農園「レイジーマンファーム」の生業(なりわい)と「しあわせの経済」の深いかかわりを淡々と語った。
 スウェは、北部カレン族のカリスマ的リーダーだったジョニ・オドチャオ家の9人兄弟の6番目に生まれ、父とともに先住民族の権利闘争に加わったことも。
「われわれの民族は自然を敬い、自然とともに生きるという民話の教えを大切に生きる。だからコーヒーの木を育てるのもモノカルチャー農業でしゃにむにコーヒーの木を育てるのではなく、森を荒らさないように50種以上の作物を併せて作る。」

 「森を守り、育てる」アグロフォレストリー(森林農法)の思想はカレン族に伝わる民族の知恵とピタリ一致。“なまけもの農園”を意味する「レイジーマンファーム」という農園のユニークな名前も「地球のために、ゆっくりと」、というスローガンも、森林農法にそったもの。だから、収穫後の乾燥、焙煎なども効率本位でせかせかと、ではなく、ゆったりと、を心がけ、農園を訪れる人々とじっくり対話を楽しむために自分たち手作りのコーヒーでもてなす。
この話には実は深い背景が ― 2011年、タイの巨大企業『CPコーン』が遺伝子組み換えによるトウモロコシの単一栽培という巨大プロジェクトを打ち出し、政府が後押しを、という動きがあり、これに対抗するために生まれたのが「レイジーマンファーム」だったのだ。
 通信教育で修士号獲得の後、2009年に栃木県の学校法人「アジア学院」に9か月間短期留学。そんな道のりを経て、経済のグローバル化と循環的な農業技術の基礎も学んだスウェが、はるばるこの戸塚「しあわせフォーラム」に足を運んだのは、ローカリゼーションの足場である「森にやさしいコーヒー農園」を護るため世界中の仲間たちとのネットワークをより確かなものにするためだった。
 ちなみに、会場の一角に陣取った「しあわせの経済」マルシェで飲んだ1杯200円の「レイジーマン・コーヒー」はお値段2倍以上のライバルとそん色ない、深い味がした。

 さてその森林農法では世界に先駆けて国全体に広く普及、軌道に乗せたメキシコ。約40年前の1977年、多くの先住民が暮らすプエブラ州北東部の山岳地帯で複数の先住民が中心となって作られた「トセパン協同組合」。「トセパン」という先住民の言葉は「共に働き」「共に話し合い」「共に考える」という意味を持ち、22の市町村、35,000人の組合員(2017年11月現在)がコーヒーなどの農業生産で大成功を収めている。
全国のモデルとなったこの「トセパン協同組合」をはじめ、多くの大学や協同組合で森林農法、コミュニティー運動を指導するメキシコの生態学者パトリシア・モゲルさんも太平洋を越えて戸塚に駆け付けた。「森林農法と地域経済」分科会では同じ道の後進、カレン族のスウェと言葉を交わす姿が注目された。
 そのメキシコでは昨年末にアムロ新大統領が就任(メモ1)。民主化と経済の大改革に乗り出し、パトリシアはその有力アドバイザ-に。その「時の人」は講演で ―
 「アムロ政権の新しい環境大臣の掛け声に従って先住民の知恵を生かした地域経済の改革をこれからより力強く進めます。われわれのこうしたローカリゼーションの運動はエルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラなど中米の近隣諸国にも広がろうとしており、日本の皆さんにも貴重なお手本になるでしょう」
 自信に満ちた講演の締めくくりに「来年11月にこの『しあわせフォーラム』をメキシコに招くことが決まりました。皆さんを招待します」と宣言すると、多くの参加者が大きな拍手で祝福した。

 ところで、およそ半世紀の歴史を持つこの「しあわせの経済」運動。本稿<上>でも触れたが、その教祖的存在の経済学者E.F.シューマッハーが『スモール イズ ビューティフル ― 人間中心の経済学』を書いたのが1973年、「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)の追求を」とブータン国王が提唱したのがその前年の1972年。そして、英国イングランド南西部の小さな古都、この運動のメッカと言われるトットネス郊外にシューマッハー・カレッジが創設された1991年からすでに30年近い。
そこで私事になるが、このローカリゼーション運動に強い関心を持つようになったのはつい1年前のこと。昨年9、10月にまたがる2週間、上記トットネスに逗留。「トランジション(transition)・タウン(town)・トットネス(Totness)」略して“TTT”と呼ばれるこの町で、約8000人の住民が「しあわせの経済」を探し求めるイキイキとした生活ぶりに新鮮なショックを受けたことを本誌にリポート(メモ2)。
上記拙稿でも触れたが、この「トットネス詣で」は経済学者である息子(54歳)に誘われて参加。妻、長女と孫(大学4年、長女の長男)も交えた総勢5人、ファミリー取材団の趣であった。リーダー役を努めた息子は、途上国の経済的自立などをテーマとし、森林農法などアグロエコロジーに取り組む先住民族の現地調査などに東奔西走。「行動する学者」なのだそうである。
さらに、今回の「しあわせフォーラム」取材は前記の孫と助け合って、の態勢。この孫は来年進む予定の大学院での研究テーマに「しあわせの経済」を選び、今回はそのウォーミングアップの一環だとか。
ここまで取材の内幕を披露すれば、私がなぜいま「しあわせの経済」なのか、お分かりいただけよう。日本経済が戦後復興から高度成長を経ていまの「停滞」に至るまでの半世紀間、「GNP拡大こそ幸せの源」という“成長神話”にどっぷりつかって書き続けてきた老記者(79歳)が、老いては子・孫らに従ってエコ記者にヘンシーン ― 「近代社会は根本的に誤った方向へ向っている」というヘレナのご託宣に、思わず「異議なーし」と叫ぶに至った次第であります。

こんなプライバシーはそれとして、最後にひと言 ― それにしても、これだけ地球の未来、孫子の将来に深いかかわりを持つ国際会議に、わが古巣を含めた全国紙やテレビのニュースワイド番組がほとんど取材に現れないのはどうしたことか。このままでは、死ぬまで現役のつもりで書き続けるしかないのかしら ― 。

(メモ1)アムロ大統領:メキシコ大統領。アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールという長い名前の頭文字から通称はアムロ(AMLO)、66歳。2014年に新左派政党である国家再生運動を立ち上げ、2018年の大統領選に勝利。民主化と治安の回復、森林農法を柱とした経済改革の推進などを宣言。任期は2024年まで。
(メモ2)タイトルは『「危機を好機に」挑む人々 ― 英トットネス遠回り紀行』(「リベラル21」=2018年10月23,24日付け=に連載)

2019.12.03 “ローカリゼーション”広がる―― 「しあわせの経済」国際フォーラム報告<上>
世界が注目する自然との共生型生活―沖縄・西表島の「紅露(クール)工房」

伊藤三郎 (ジャーナリスト)

 世界を覆う「トランプの闇」の先を見据えて、ローカリゼーション(地方からの改革)のネットワークが広く静かに展開中 ― 先月の9,10両日、横浜市戸塚で開かれた『「しあわせの経済」国際フォーラム2019』(以下、「しあわせフォーラム」)に参加。パレスチナ、タイ、メキシコ、沖縄など世界の各地でそれぞれの改革に取り組む人々の活発な議論や報告に耳を傾けて、それでも世界は前進している、と確信した。
 この集まりは、ローカリゼーションのリーダー、スウェーデン生まれの言語学者、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん(メモ1)の呼び掛けに、NGO「ナマケモノ倶楽部」代表の文化人類学者、明治学院大学教員の辻信一さんがそのパートナーを務める国際的な運動。その年次集会である国際フォーラムは、日本では1昨年11月に始まり、今年は3回目。会場を過去2回の東京から辻さんのホームグランド、明学大の横浜キャンパスに移し、内外の経済学者、地球環境保護運動のリーダーや学生を中心に2日間で延べ約1700人が会場を埋め、熱心な論議や報告が繰り広げられた。
IMG_1448 ヘレナ
「ローカル経済から改革を」と呼びかけるヘレナ

 「われわれがビッグ・ピクチャー(大きな改革構想)を共有し、その目標に向かって協力を続ければ世界は変えられます」
 昨年は「東京フォーラム」直前の急病で欠席し、今回2年ぶりに元気な姿を見せたヘレナは、意気軒高、ハリのある声で約30分の開会宣言を ―
 「いま世界の貿易はとんでもないことに ― 米国では1年あたりの輸出入が、たとえば砂糖は輸入7万1000㌧ンに対して輸出8万3000㌧、牛肉同じく95万㌧対90万㌧、英国でも牛乳を11万4000㌧輸入する一方で11万9000㌧を輸出、パンは17万㌧対15万㌧・・・」
グローバル化、大企業中心、成長神話に基づく国際貿易は、いまこんな大きな無駄、矛盾を抱えていることを表す一覧表を提示して、ヘレナの熱弁が続く。
「その一方で、“地産地消”のローカル経済が国全体を動かす力にも。地域の手作り農業生産、地元食材を使った地元の店舗、地域のマルシェ(朝市など)、地域通貨などがローカル経済を活性化させ、大きな改革への希望を膨らませているのです」
「気候変動、多くの動植物の絶滅危機、生態系の破壊、失業、不平等、貧困、ストレス、うつ病の蔓延、原理主義、テロ、民主主義の腐敗、政党の極右化・・これらの問題が底流でつながっているということは、解決策も繋がっているということ。こうした底知れぬ難問に目を奪われるよりも、身の回りから少しずつでも経済の仕組みを変えていきましょう」
改革運動のパートナー、辻さんはヘレナが舞台に立つと「本当に表れてくれるのかひやひやしていた」と胸をなでおろし、彼女の話が終わると「この沢山の問題にはそれぞれ専門家が存在するが、全体として解決するには(学問の領域を超えた)大きな構想、彼女の言うビッグ・ピクチャーが不可欠。その大切なことをみなさんの一人一人が認識することが本当に大切なんです」とコメントして、舞台から去るヘレナを見送った。
 
 ところで、私がこの「しあわせの経済」運動の着実な歩みに注目したのは昨年9月下旬からの2週間、英国イングランド西南部の小さな町、トットネスに逗留したのがそのきっかけ。「トランジション(transition)・タウン(town)・トットネス(Totness)」を略して“TTT”と呼ばれるこの町は、トランジション(改革途上)のシンボルとして知られる。
この美しい古都の住民約8000人が「Small is Beautiful (小さきことは美しい)」(メモ2)をモットーに「しあわせの経済」を探すいきいきとした生活ぶりを『「危機を好機に」 ― 英トットネス遠回り紀行』と題して本誌に連載(2018年10月23,24日号)。
 それから1年余、今年の横浜「しあわせフォーラム」に世界の各地から集まった改革運動の指導者、専門家らの活発な議論と報告を聞き、私は記者OBら仲間内のブログ新聞に、世界は混乱の中にあるが「ローカリゼーション(地方からの改革)は着実に進んでいる」と書いた(「メディアウオッチ100」2019年11月13,15日連載『「しあわせの経済」国際フォーラム2019・報告』)。本稿はそれを手直しした、上記『「危機を好機に」 ― ・・』の続編である。

 その中で、この「しあわせの経済」運動の元祖にしてシューマッハー・カレッジ創設以来の校長、インド人の思想家サティシュ・クマールさんが米トランプ大統領出現以来、折に触れて口にする「危機を好機に」という以下のような持論を紹介。
 「危機は同時に好機でもあります。イギリスのEU(欧州連合)離脱やアメリカのトランプ政権の誕生なども、見方によってはナショナリズムの意味を改めて考える絶好の機会なのです。(中略)偏狭なナショナリズムは“小さな心と大きなエゴ”の産物。一方、ローカリズム(地域主義)とインターナショナリズム(国際主義)は補完関係にあり、それを合わせた“グローカリズム”とは“大きな心と小さなエゴ”の組み合わせを意味するのです」

拙稿のタイトルにした「危機を好機に」という逆転の発想は、「改革途上の町」トットネスの人々の日常生活を支え、この「しあわせフォーラム」の一貫したテーマであるローカリゼーションの推進力にも。そして、地球の危機を救うには経済の限りなき巨大化、グローバル化を止め、ローカル化、人と人、地域と地域のつながりと自然との共生を、というヘレナの教えを自ら体現している「しあわせ経済」のお手本のような女性が今度の「しあわせフォーラム」に招かれた。
 沖縄・西表島に住む染色家、「紅露(クール)工房」主宰の石垣昭子さんがその人(メモ3)。
「地域文化の再生:江戸時代と先住民文化から学ぶ」という分科会(10日)で、尊敬する田中優子・法政大学長らと席をともにした石垣さんは、東京で生活していた自分が「西表島に戻ろう」と決めたのは、人間の幸福、地域の文化にとってその土地固有の布の力がいかに大切かを田中さんから教えられたから」と、その田中さんに謝意を伝えるように振り返った。
 「紅露工房」は石垣昭子さんと夫・金星さんの生活の場であり、同時に芭蕉布を中心とする糸・布・染色の研究にとどまらず、世界中の布・染色の専門家やローカルの生活と経済を研究しようという辻先生の教え子たちの修行・研修の場ともなっている。
 石垣さんは「西表島の歴史・伝統と美しい自然の恵みの中で私たちの芭蕉布作りや藍染めなどの染色の技術は守られ、再生されてきました。こうした自然との共生は年中行われるお祭りの祭事とも一体であり、自然から生きる力を与えられることを、世界中から集まる繊維の専門家や学生たちに伝えていくことが私たちの使命」と静かに語った。
西表島で開かれた国際交流ワークショップに参加したインド人のデザイナーが「ここはアーティストにとって楽園」とコメントした。その「紅露工房」が1980年に設立されたあと、どのように肉付けされてきたか、詳しくは『紅露工房シンフォニー』を読んでいただくしかないが、明治学院大・辻教室の卒業生の何人かはすでに西表島に住み着き、地元の人たちとともに「しあわせの経済」の実践に励んでいる。
 こうした若者たちが地方に戻り、住み着く傾向は一時の流行にとどまらず、いまや世界史的な流れとなってきた、と辻さんは見ている。
IMG_1481 トーク
トークショーで語る辻信一、田中優子、石垣昭子、亭田歩の各氏

(メモ1)ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ 1975年外国人入域が許可されたインドの高地、ラダック地区への最初の移住者の一人、言語学者。急速に進む開発とそれに伴うラダック文化と自然環境の破壊を憂い、地元の人々とともに「持続可能な発展」を目指す運動に取り組んだ。そのリポート『ラダック 懐かしい未来』は40ヵ国以上で翻訳されて世界中に大きな影響を与え、「しあわせの経済」フォーラムを世界各地で開き、国際ローカリゼーション運動の先端に立ち続ける。
(メモ2)「スモール イズ ビューティフル ― 人間中心の経済学」 ドイツ・ボンで生まれナチスの圧政からロンドンに逃れて、第二次大戦後英国に帰化した経済学者、E.F.シューマッハー(1911~77年)の処女作のタイトル。産業革命後の機械化、経済成長至上主義へのアンチテーゼとして再評価されつつある。その思想を伝える場として1991年トットネス近郊に大学院大学シューマッハー・カレッジが設立され、シューマッハーを信奉したインド人思想家のサティシュ・クマールさんがその初代校長に。
(メモ3)『西表島・紅露工房シンフォニー ― 自然共生型暮らし・文化再生の先行モデル」』(石垣昭子・山本真人 共著、地湧社)
<続く>

2019.10.15  日本の財政は破綻しているのか、いないのか(上)

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 消費税の増減税問題を議論する際に、一定の認識が共有されていなければ実りある議論はできない。
 前提となる認識の共有に必要な論点は、次の通りである。
 ① 日本財政の深刻度はどれほどなのか。日本の財政は破綻しているのか、破綻していないのか。
 ② 国の債務はいったい誰が誰に負っている借金なのか。「国債は国民の債権だから、国民の借金だというのは嘘」、「国の資産と相殺すれば、国の債務はそれほど大きくない」、「日銀が国債を引き受けている限り、財政破綻は起きない」という議論は正しいか。
 ③ 国の債務(累積債務)は放置しても問題ないのか、それとも深刻な結果を惹き起こすのか。どのような結果が予想されるのだろうか。
 ④ 国際比較を行う場合の前提は何か。

日本の国家財政は破綻している
 アベノミクスを擁護する「学者」や評論家は、いろいろな議論を展開して、「日本の財政破綻は起こらない」ことを証明するのに躍起である。自民党政府も、財政問題の深刻さを議論するのを避けて、政権維持にとって不都合な情報を打ち消すことに躍起である。しかし、「財政破綻が起こらない」のではなく、「すでに日本の財政は破綻している」という認識をもたなければ、問題解決は深刻度を増すだけである。政治家は将来の日本社会に責任をもたなければ、政治家として失格だ。次の選挙で勝つために、目先の景気刺激策だけを議論するような政治家は、国を滅ぼす「亡国の政治家」である。
議論を簡単にするために、GDP500兆円、国家財政規模(財政支出)100兆円、財政収入50兆円、国家累積債務1000兆円(GDPの200%)を前提に議論すると、現在の国家累積赤字は財政収入(税収)の20年分、年間の財政赤字は税収の1年分である。財政収支が改善しない限り、累積債務が税収の1年分ずつ増えていく。
 これを一般家庭にたとえると、年収の倍の支出を埋めるために銀行から年収分に相応する融資を受けているのと同じである。しかも、すでに借金の累積は年収の20年分に達している。こういう家庭の収支を見て、「破綻していない」と言えるだろうか。一般家庭は破綻しても、日銀が国債を引き受けている限り、国の借金は永遠に続けることができるのだろうか。国であれ一般家庭であれ、問題の基本的性格は同じである。国の場合には、すぐに問題が顕在化しないだけのことである。実質的に破綻していても、形の上で存続している事例はいくらでもある。家庭の年収は分かるが、国の財政は分からないと最初から理解を放棄してはならない。国も家庭も経済の基本法則から逃れることはできない。
 野党が追及すべきは、財政破綻をもたらした自民党政府の責任であり、その抜本的解決策を求めることだ。まず政権与党が解決策を提示する必要がある。問題を税率軽減に矮小化してはならない。そういう小手先の政策を展開していると、財政破綻がシステム崩壊をもたらした時に、原発事故の場合と同じように、政権を奪還した野党がその責任を取らされる。財政破綻がシステム崩壊をもたらす時には、時の政府は崩壊する。しかし、システムが崩壊した中で、新たに政権に就く野党ができることは何もない。超緊縮政策と債務帳消し政策で国の崩壊を留めることしかできない。最近ではギリシアの事例を見ればよく分かる。緊縮政策反対を掲げて政権についた左派政権は結局のところ、緊縮政策を実行する以外に方策がなかった。そして、野に下った。まさに原発事故のように、自民党はシステム崩壊の責任を放棄し、新たに政権に就いた政党に責任を転嫁するだろう。

国の借金は将来世代が払うべき債務
 国の借金(債務)は将来世代に先送りされた債務である。現世代の国民は将来世代の国民の税金を前借りして、年金や健康保険などの福祉サーヴィスを享受している。形式的には、現世代の債務は将来世代の債権だが、将来世代の債権が回収される見込みはほとんどない。それが意味するところは何か。
将来世代の国民、つまり今生きている子供や孫が受け取るべき債権がチャラにされ、現世代が浪費したために、将来世代の国民は享受できるはずの社会的サーヴィスを受けられなくなる。年金の大幅削減、健康保険の自己負担率の大幅な引上げによって、将来世代の国民が得る社会的サーヴィスは大幅に削減される。それもこれも、親の世代が積み上げた借金のためである。「国の借金が日銀に買い取られると、消えてなくなる」という魔法はない。それはたんに帳簿上の操作に過ぎない。記帳された債務はいつかの時点で精算されなければならない。
 アベノミクスは高度成長によって財政赤字が解消されるという根拠のない楽観論で借金を積み上げている。労働人口の純増がなければ、消費主導の高度成長などあり得ない。しかも、これから日本は人口(労働力人口)が縮小する時代に入る。ますます国家債務の削減が難しくなる。システム崩壊を座して待つか、社会的サーヴィスの大幅削減を受け入れる以外に道はない。だからこそ、財政再建のために、今から自民党政府の責任を追及し、システム崩壊の衝撃を可能な限り小さくしなければならない。

国の債務は放置しても問題ないのか
 日銀は商品やサーヴィスを作っている訳ではない。日銀券を発行し、債権債務の帳簿管理を行っているだけである。日本経済の奥行きが深いから、債務が適切に管理されていれば、すぐに破綻が顕在化することがないが、その手綱が緩むとハイパーインフレを惹き起こす。生産の裏付けのないお金の流通は、必ずハイパーインフレを惹き起こす。しかも、歴史上、左派政権がハイパーインフレを惹き起こした事例が多数ある。
 近代の人類の歴史を見れば良い。日本で戦時国債が発行されたときには優良債権として宣伝された。しかし、戦後のハイパーインフレで戦時国債はただの紙切れになった。20世紀の戦争が終わる度に、積み上げられた国家債務(戦費)はハイパーインフレを惹き起こした。1989年を境とするソ連・東欧社会主義の崩壊でも同じことが起こった。戦争を経過することなく、鎖国状態が解かれた社会主義世界は、浦島太郎が玉手箱を空けた時のように、体制転換恐慌に見舞われ、一夜にして超インフレ世界に陥った。20世紀社会主義国家の場合には、国民経済制御で決定的な過ちがあった。共産党独裁のもとなら、「経済問題は政治主導で解決できる」という唯我独尊の過ちである。共産党独裁が経済運営にもたらした最大の誤謬である。経済論理を無視した政治主導が債務を累積させた。体制転換過程においても政治権力が紙幣(政府紙幣と中央銀行券)の発行を牛耳った。それがハイパーインフレを招いた。
旧ユーゴスラヴィアでは歴史上例を見ないハイパーインフレに見舞われたが、これは政権が生産の裏付けのない銀行券を刷りまくったからである。セルビアのディナールは1994年1月に、歴史上例を見ない月率3.13×108 %の途方もないハイパーインフレ状態に陥った。ポーランドの1990年における平均インフレ率は787.09%に達した。旧ソ連の共和国では政府紙幣を発行したために、軒並み数千%のインフレに見舞われた。チェコスロヴァキアやハンガリーのインフレはこれに比べて小さかったが、それでも年間30%を超すインフレが数年にわたって続いた。この超インフレで旧社会の債権-債務は消滅し、新たに銀行融資を受けた者や融資を踏み倒した者が巨額の富を築いた。何時の時代にも、国民のほとんどが大きな損失を被り、一部の知恵者や権力者(周辺)が漁夫の利を得る。
東欧社会主義の成立から崩壊に至るまで40年を要した。北朝鮮はいまだに国家を維持しているが、やがて統一国家問題が浮上するときに、システム崩壊状態が赤裸々になるだろう。
 日本の左派はソ連・東欧社会主義を褒めそやしていたが、その崩壊とその後の事態について口をつぐんでいる。20世紀社会主義崩壊の社会分析を放棄している。地球の三分の二の人口が社会主義社会で生活していると称賛していたのに、それが崩壊した途端に知らんふりである。その崩壊から学ぶという真摯な態度が見られない。「理想と異なる社会だったから崩壊して当然」という屁理屈で、20世紀社会主義崩壊の分析を怠っている。歴史から学ぶことなく、言い訳して済ませようという「事なかれ主義」である。こういう態度で社会改革などできるはずがない。
 社会が積み上げた債務、金銭的な債務だけでなく種々の社会的システム上の債務を、筆者は「体制債務」と称している。体制債務は適時的に処理されなければ、いつかの時点で抜本的な解決が必要になる。適切な処理を怠れば怠るほど、システム崩壊時の衝撃が大きい。システム崩壊が何時来るかは分からない。それは関東大地震と同じである。しかし、必ず来る。だが、その時に右往左往してももう遅い。日本の場合には国際的な経済不況や恐慌が引き金になるだけでなく、地震などの天災や原発事故がシステム崩壊のきっかけになる。なぜなら、膨大な債務を抱えたままでは復興ができないからである。いったん、国の債務をチャラにしてリセットしないと、社会の再建ができない。これはこれまでの人類社会が辿ってきた厳然とした法則である。
 これらの社会的歴史的教訓を学ばず、国家財政の基本問題に取り組まず、目先の利益や短期的景気浮揚だけを追う政党は、右左を問わず、みな選挙のことしか念頭にないポピュリスト政党である。(続く)

2019.09.28  消費税減税は左派ポピュリズム

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 れいわ新選組の消費税減税に、共産党がいち早く同調したようだが、世論の評価は総じて低い。減税を主張すれば有権者の票を獲得できるという浅はかな期待に乗っかった政策だが、これこそ国民を見下したポピュリズムであり、国民を馬鹿にした発想である。その魂胆があまりに見え透いていて相手にされない。
 そもそも、消費税を廃止したり、減税したりした国を探し回り、たまたまマレーシアが廃止したことに我が意を得て、喜喜として消費税廃止へ方向を切ったようだが、比較する国が間違っている。マレーシア並みの社会保障に切り下げるなら、消費税廃止もあり得るだろう。ところが、日本的な社会保障を維持したまま、マレーシアに倣って消費税廃止という論理は、まったく説得力がない。中学生でも分かることだ。あまりのご都合主義に滑稽でもある。
 いったい日本が目指すのはアジアの中進国なのか、それとも欧州の福祉国家なのか。アメリカ的な消費生活を維持して、西欧の福祉国家を目指そうということなのか。そのことを議論せず、「消費税を廃止している国があるから」というだけで、国民を説得できるわけがない。多くの若者は将来の年金を含めた社会保障に不安を抱いている。それをポジティブに解決する道を示すのではなく、後ろ向きに解決する政策は最初から「票目当て」と勘ぐられ、支持されない。「れいわ」が多くの得票を得たと言っても、高が200万余票である。ポピュリスト政策を信じる有権者がその程度いるというだけのことだ。
 成熟した日本経済に求められているのは、個人消費と社会消費の関係をどうするかである。社会消費を増やそうとすれば、個人消費を減らすしかない。個人消費を増やしたければ、社会消費の減額を受け入れなければならない。膨大な公的債務を抱える日本が、将来の税収を担保にした借金経営を続ける限り、将来の社会保障は限りなく切り下げられる。年金の4割5割減、医療費の自己負担率の大幅引上げは最低限の要件である。これだけ深刻な問題を抱えているのに、ふつうに考えて、消費税減税が解決策になるとは誰も思わないだろう。そういう国民の意識や不安を解決する道を示さないで、当座の減税だけ提言する政策は国民の支持を得られない。
 他方、政府は軽減税率導入による煩雑な問題に国民の目を向けさせ、いったい何のための増税なのかを真正面から議論することを避けている。明らかに安倍政権は将来社会の福祉水準の維持を真剣に考えて消費税増税を決めたのではない。安倍晋三にとって、将来社会の社会保障などどうでもよいことである。これだけ財政赤字をたれ流ししてきたのだから、少々の増税は仕方がないが、それが政権支持の票を減らしては困る。それだけのことである。だから、一生懸命に、複雑な軽減税率やポイント還元政策で、目くらまし作戦を展開しているだけだ。これこそ、右派ポピュリズムの最たるものだ。
 野党が追及すべきは、法人税の取り損ないがないかを精力的に調べ、法人からの税収を増やすことだ。また、消費税軽減税率やポイント還元に右往左往するより、消費税累進税率の導入を考えるべきだ。500万円1000万円の乗用車を購入できる人であれば、30-40%の消費税であっても購入するだろう。数百万円もする宝石類を購入する人であれば、40-50%の消費税でも購入を控えることはない。奢侈品の価値はあってないようなものだから、4-5割価格が高くなっても買い控えはない。消費税が課税の不平等をもたらすと声高に叫ぶ前に、富裕者の奢侈品購入の消費税率を標準税率の5割増し10割増しにすることだ。煩雑な軽減税率導入に経費をかけるより、奢侈品の累進税率導入を考え方が良い。
 ネットを通していろいろな情報が容易に取得できる時代になった。政党の政策立案者が考えているより、国民ははるかに多くの情報にアクセスできる。前向きの実現可能な政策を練ることなく、後ろ向きの政策で、当座の支持を増やそうという見え透いた魂胆は、簡単に見破られる。安易な政策提言は党の信頼性を損なうだけである。
2019.08.29 消費を増やせばGDPが増える?
政府の累積債務は将来世代の税の前借り

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 日本経済だけでなく、先進国経済は長期の経済停滞過程にある。それはたんに「物価が上がる、下がる」という経済現象をはるかに超える、先進経済が抱える構造的な問題である。しかし、現代経済学は経済社会の構造的問題を十分に捉えることができず、短期的な目標を設定して経済政策を立てようとする。なぜなら、現代経済学は実物経済の構造的な問題を分析する手段をもたないからである。実物経済分析を代替するものとして、金融経済分析で得られた結論を利用している。実物経済分析は種々の異種産業から構成されているので統一的な分析が難しいのに対し、金融経済分析は貨幣的分析一本で可能だからである。しかし、ここに経済分析の落とし穴がある。

物価目標はなぜ役立たないか
 金融経済では1-2%の変動は資産価値を大きく変動させる。しかし、実物経済ではこの程度の変化はたいした影響を及ぼさない。明日から108円のものが110円になるからといって、商品を買い占める人はいない。1割あるいは2割上昇するとなると話は別だが。
 しかし、金融投資は別だ。明日、1-2%もの為替や利回りの変化が予想されれば、市場は大きく反応する。金融経済では1-2%どころか、0.1%の変化でも投資変動が起きる。膨大な資産を運用している場合には、わずかな利率や利回りの変動が資産の価値を高めたり低めたりするからである。
 要するに、実物経済と金融経済では市場プレーヤーが違うし、行動様式もまったく異なる。物価目標は経済主体が物価上昇予想に敏感に反応すると前提した金融経済政策で、実物経済のプレーヤーも敏感に反応してくれることを期待した政策である。しかし、アベノミクス導入以降、実物経済のプレーヤーは金融緩和や物価目標にほとんど反応していない。
 それもそのはず、2%の物価目標は金融経済での市場プレーヤーの行動様式から類推して考え出された政策で、もともとしっかりとした理論的根拠のある政策ではない。他にこれといった政策目標を立てられないので、とりあえず物価目標で経済政策を立案しているかのように振る舞っているだけのことなのだ。実際、日銀が未曾有の金融緩和を行っても、実物経済が反応しないだけでなく、金融経済もダブついた資金を持て余し、投資先を見失っている。これでは物価が上がらないだけでなく、日銀が巨額の債務超過に陥り、金融政策手段を枯渇させるリスクが高くなっている。
 すでに大幅金融緩和の政策効果が8年以上も出ていないにもかかわらず、日銀政策委員はバカの一つ覚えのように、「物価目標達成まで金融緩和を続ける」という主張を変えない。大幅金融緩和政策を取り下げれば、これまでの主張がすべて崩れ去ってしまうから、とりあえず任期が満了するまで格好を付けたいというだけのことだ。情けないことだ。
 金融経済で得られる政策命題が、そのまま実物経済の制御に利用できると考えてはならない。この錯覚がある限り、物価目標の政策効果は見込めない。

馬鹿の一つ覚え 「デフレ脱却」
 猫も杓子も、バカの一つ覚えのように、「デフレ脱却が日本経済の課題」などと知ったかぶりに唱える。しかし、「デフレとは何なのか。今の日本が本当にデフレ状態にあること」をきちんと説明できる人はどれほどいるのだろうか。経済学の教科書によれば、たいがい「物価が下がり続けること」と書いてある。今の日本で、どの産業や業種で「物価が下がり続けている」のだろうか。具体的に列挙してもらいたいものだ。
 技術革新によって商品価格が低下するのは、資本主義経済の普遍的な現象である。だから、技術革新による商品価格の低下はデフレの定義に含まれない。新製品の出現によって、旧製品の価格が下がり続けることは資本主義時代を通して、ふつうに観察されることだ。もっとも、現代では商品開発競争が激しくなり、商品の「市場価値維持」時間がきわめて短くなっている。だから、表面的には価格が下がり続けているように見える。だから、企業はさらに技術革新を行って新商品を開発する必要性に迫られる。これは大量消費社会における資本主義企業の宿命である。しかし、金融緩和による技術革新の推奨は、企業が抱える市場競争をさらに厳しいものにする。金融緩和で技術革新することが、企業の首を絞めることになるのだ。だから、「お金をジャブジャブ供給すれば、企業の新商品開発が容易になり、消費を拡大できる」などと単純なシナリオは機能しない。
 こういう構造的な問題を考えないで、金融緩和すれば景気が良くなると考える政策は、きわめて「浅はか」な政策である。
 今唱えられている「デフレ」は、「物価が下がり続ける状態」ではなく、「物価が上がらない状態」を指している。だから、最初の定義から混乱している。吉野屋や松屋の牛丼価格戦争から「デフレの弊害」を着想したようだが、そのような類推は見当外れである。一部の過当競争業種で見られる一時的現象を、あたかも国民経済全体の現象であるかのように誇張するのは、フェイク理論である。しかも、それを政策スローガンに仕上げるなど、イデオロギー操作の何物でもない。そんなことに騙されてはいけない。
 ありもしない現象を普遍的な現象だと主張して政策を立てても、実効性があるわけがない。最初から前提が間違っているのだから、実効性を議論する前に正否の決着が付いている。にもかかわらず、馬鹿の一つ覚えのように「デフレ脱却」を唱えるのは政策イデオロギーに堕しているからである。政府が言っているからといって、正しいと考えてはならない。経済停滞の原因を何かに求めないと、政策が立てられない。だから、「デフレ脱却」を唱えているだけなのだ。しかし、原因の特定が間違っていれば、政策も間違っている。
 現実は「物価が下がり続けている」のではなく、「物価が停滞している」のである。季節商品は別として、実物経済では商品価格が上がらない構造ができていると考えるべきだ。しかも、「物価が上がらないこと」がどうして問題なのだろうか。物価が上がれば、生産が増えて、GDPが増えるというのだろうか。そのようなロジックを誰が発見したのだろうか。

消費を増やせばGDPが増える?
 「消費を増やせばGDPが増える」仕組みを説明出来る人はほとんどいない。もともとGDP(Gross Domestic Product)は生産概念であって、消費の概念ではない。1年間の国内領域で創造(生産)された付加価値総額のことを意味する。企業の付加価値が増えるためには、商品需要が増えなければならないが、そのためには消費者の所得の上昇が前提になる。この論理は円環論理になっていて、いわば「鶏が先か、卵が先か」の論理と同じである。
 アメリカのように銀行ローンで耐久消費財を購入する習慣がある市場では、金融緩和によって耐久消費財の購入が増加し、生産が増えるからGDPも増える。ただし、この循環は長続きしない。常にローンに頼っている消費者市場はきわめて脆弱である。しかも常に消費を拡大し続けることは不可能だから、どこかでこの循環は止まる。いったんローンの返済が滞れば、すべての仕組みが崩壊してしまう。だから、定期的に景気上昇とクラッシュが起こる。
 消費が経済の原動力になり得るのは、労働者人口が増加を続ける場合である。市場経済化への道を進む発展途上経済では、新規の労働力が国民経済に組み込まれることによって、消費市場が拡大していく。ここでは、消費と生産が好循環を生み、消費が生産を刺激し、生産が消費を刺激する関係が続く。しかし、この好循環は新規の労働力の供給が止まる、あるいは逆に労働力人口が減少するようになれば、逆の「負の循環」に転換する。
 先進国では労働力の純増が望めなくなっている。逆に、純減が始まっているところが多い。労働力が現象していく経済ではGDPも確実に縮小し、消費市場も縮小する運命にある。すでに高度の消費経済が達成された日本経済の場合、消費者市場の持続的拡大は期待できない。消費市場経済の規模を維持し、さらに拡大するためには、消費者がこれまでの消費生活を維持するだけでなく、常に消費を拡大することが必要になる。それは例えば、新商品が出る度に旧商品を廃棄し、新商品を買うという消費者行動を前提とする。しかし、これが現実的でないことは説明するまでもない。
 したがって、いくら日銀が金融緩和しても、勤労者の賃金が上がり、勤労者が消費水準をさらに引き上げる行動がない限り、GDPの増加には繋がらない。逆に、これからの日本は労働力人口の減少時代を迎えるのだから、一昔前の高度成長時代の再来を期待するのではなく、経済縮小時代の経済社会政策を考える時代になっている。この時代の変化に鈍感で、「高度成長をもう一度」などと考えている限り、日本は社会転換の基盤を毀損することになる。それは「今だけ良ければそれで良い」という刹那的な政策だからである。その意味で、アベノミクスは「一般国民に百害あって、金融投資家にだけに一利ある」政策である。

政府の累積債務は将来世代の税の前借り
 将来社会の基盤を毀損するような政策を展開している安倍政権の支持が一番高いのが若い世代である。きわめて皮肉なことだ。将来世代の社会生活の基盤を崩している政府を支持するのは、自分の首を自分で絞めるようなものだ。大幅金融緩和政策をカンフル剤のように使っている限り、将来社会の基盤は崩され続ける。
 財政赤字を埋める国債は将来の税収の先取りである。将来世代の税金を当てにして生活できる現世代は良い。しかし、将来世代の未来はその分だけ割を食う。将来支払う税金がすべて政府債務の穴埋めに使われるとすれば、将来世代が受けるはずの政府サーヴィスがなるなる。しかし、多くの若い世代はそのことを実感することができない。なんとなく、将来の社会保障は不安だと思っている若者は多いはずだ。その若者が将来世代の社会基盤を毀損する政策を展開する政府を支持し、将来世代からの前借りで得をしている年長世代が政府に批判的なのは、なんとも皮肉なことだ。
 確実に言えることは、国民はもっと賢くならなければならないことだ。「今だけ良ければそれで良い」というポピュリスト政策を展開している政党に頼ってはいけないのだ。

2019.04.11 有益だった米信託会社での経験
―私的金融史の一コマ―(完)

半澤健市 (元金融機関勤務)

 1974年夏、私はメリルリンチの新人研修、現地機関投資家訪問を終えて、United States Trust Company of NewYork(USTrust)で有益な研修に従っていた。そこでは株式暴落時に大手機関投資家がどう対処するかの実態をつぶさに実見した。それを報告したい。

《ダウ工業株30種平均の山と谷》
 回り道になるが、ダウ平均の動きについて少し触れておく。
ダウ平均株価は、経済情報企業が発表する株価指標である。工業株・輸送株・公共株・総合の4種あるが、一般には工業株30種(Dow Jones Industrial Average、DJIA)が用いられる。発足は1884年に遡るが、30銘柄になったのは1920年代で、以降銘柄入れ替えを重ね当初銘柄で残っているものはない。「大恐慌」前の最高値は、29年9月3日の381.17ドル、恐慌期の最安値は32年7月31日の40.56ドルであった。恐慌前高値に戻ったのは1954年で、この回復には25年を要した。それでも日経平均より回復力は強い。

74年夏のニューヨーク市場は、72年の高値からの調整過程にあった。拙稿「メリルリンチへの惜別」(2回)で述べたように、当時の米国株式市場は機関化現象の渦中にあった。60年代には投資信託が短期売買により成果を挙げ、「ゴーゴー・ファンド」(go-go fund)時代と呼ばれた。70年代は投信に加えて、企業年金基金の株式投資が増大し機関化に大きな役割を果たした。その頃、多くの機関投資家の投資哲学は「成長株投資」であった。IBM、ゼロックス、ポラロイドなど少数の「ハイテク系高度成長株」が、驚異的に高い株価収益率(PER)まで買われた。この結果、髙PERと低PERの銘柄が極端に二分されて取引され、「二重市場」(two-tier market)の時代と呼ばれた。市場は髙PER株をhigh-flyersと呼んた。

72年11月に、DJIAは史上初めて、1000ドルの大台を突破した。機関化現象の持続による需給の逼迫が大きな要因だった。72年末の終値は1020.02ドルで、前年末比で14.58%も上昇した。しかし実態経済は、ベトナム戦争の負担増大、金ドル交換停止や輸入課徴金実施(ニクソンショック・71年8月)など、国際金融市場の流動化が始まっていた。71年末の、10カ国蔵相による金価格固定(スミソニアン合意)は73年2月に崩壊し、為替市場は変動相場制に入った。同年10月には第4次中東戦争が勃発し世界的な原油高騰(オイルショック)が起こった。急激なインフレと金融逼迫は株価への逆風となり、73年の年末にダウ平均は850.86ドルで前年末比16.58%の下落となった。74年も株価は続落し、年末終値は616.24ドルで前年比マイナス27.57%となった。

《「これは世界の終わりではない」》
 株式市場の暴落・暴騰の実感は、市場当事者と外部者とで違う。私の実務経験から言うと、ニューヨーク株価が73年から74年に、2年連続二桁の率で下落したのは、内外のプロ投資家にも相当なショックだった。
現に「The Wall Street Journal」や「The NewYork Times」(経済欄)には、「これ(株価下落)はこの世の終わりではない」(This is Not the End of the World)という全頁広告が載った。暴落に慌てるなというその警告広告のスポンサーはメリルリンチ証券であった。私はその切り抜きを役員部長会への帰国報告で回覧したのを記憶している。

米国大手銀行の信託財産は、企業年金の運用業務を受託して急膨張をしていた。
金融業界紙による75年末の銀行信託部の信託財産残高ランキング上位5位は次の通りである。

1 J.P.Morgan
2 First National City Bank
3 Bankers Trust
4 Chase Manhattan
5 United States Trust

信託財産価額を、当時の相場1ドル300円で換算すると、1位のJ.P.Morganが174億ドル=約6.2兆円、5位のUSTrustの87億ドル=約2.6兆円となる。
上位4位までは商業銀行業務でもベストテン上位に入るメガバンクである。信託第5位のUSTrustは個人富裕層を顧客とする信託専業業者であったため預金残は少なく200位である。

《有益な研修とはパニックへの共感》
 私が「USTrustで、内容のある研修に従っていた」と書いたの次の理由による。
一つ 巨大な米国同業者での実践的な研修ができたことである。
信託というが米国では運用対象は株式中心が常識である。日本では「貸付信託」(現在は存在せず)などの商品は、法的には信託であるが、実体は5年満期の定期預金のようなものであった。
私は、USTrustで一人のファンドマネジャー(運用担当者)の下で、彼の一挙一動を観察した。顧客名を特定できない範囲で、個別ポートフォリオ(運用資産一覧)の内容、顧客別運用の手法、運用成果の実態を知ることができた。OJT(オンザジョッブトレーニング)の利点を享受したのである。ファンドマネジャー、エコノミスト、アナリストが一同に会する運用委員会も傍聴した。市場分析、運用方針、個別銘柄評価が行われるさまを見ることができた。高校野球しか知らぬ少年が大リーグを観たようなものである。

二つ パニックをとくと見ることができたからである。
74年は「この世の終わり」に似た株式下落が続いたから、「大リーグ」でも顧客のポートフォリオは無傷であり得なかった。二重市場の崩壊で、資産価値は減少した。投信の短期売買運用と異なり、「厳選した成長株」を長期持続する信託型の投資方針(buy&hold policy)が失敗したのである。運用会議では、そういう投資方針への疑問や反発の声が挙がった。次いで、運用方針の転換を唱える声が挙がった。「厳選した成長株」重視を捨てて、それまで軽視していた、鉄鋼や化学のような低位株を再認識すべきではないか。これらのPERは一桁に留まっていたものが多い。成長株のPERは数十倍まで買われていた。このアンバランスに対する見直しの要求である。顧客へ現状と対処策をどう説明するかも当然、深刻な論点となった。

三つ 「魔法の杖がない」と知ったことである。
運用会議での議論は、いくらか誇張して言えば、パニックの空気のなかで口論に近いものとして行われた。それは私に強烈な印象を与えた。私は加虐でも被虐でもない普通の心情から彼らに共感した。ウォール街のエリートも市場の急落に茫然自失となるのだ。何度かそういう経験をもった私は救われた気がしたのである。相場に対峙するとき「魔法の杖」は誰にもないのである。その認識は私にある種の勇気を与えた。それは当然のことと言われるかも知れない。しかし人間には経験が必要なのである。

《メリルリンチ・USTrust・テレビ観戦と私的金融史》
 私のニューヨーク研修で学んだものを箇条書きするとこんなことになろうか。
第一 市場の脆弱性が出現するとウォール街のエリートもパニックに陥る
第二 米国では信託も銀行も市場リスクを前提とした業務を遂行している
第三 日本の護送船団行政では当局・業者とも上記二点への認識がない
第四 金融の国際化は日本の高度成長と共に予想以上の速さで進行する
第五 将来、日本が国際市場で主役となるにはヒトとインフラがほぼ不在である

米国が日本金融市場の開放を迫る「日米・円ドル委員会」設置が1983年秋、日米交渉が開始されたのが84年春であった。それまでの10年にインフラとヒトの整備は進まず、この国の金融市場はバブルへの坂道にさしかかっていたのであった。
メリルリンチに始まりUSTrustに終わる私的金融史の一コマはこれで終わりである。

米大リーグ中継のTV画面で、ダッグアウトの屋根ワクにUSTrustの看板が写ることがある。この信託会社は、幾多の変遷を経たのち、メリルリンチがそうであるように、いまはBank of Americaの子会社になった。まどろみながらTVを見てこれらの固有名詞を私は回想した。
「私的金融史の一コマ」という3編は、しかし、ノスタルジックな回想ではない。資本主義の金融化は世界大の規模で驀進した。今もしている。その一瞬を等身大の視線で書くのも意味があろう。そう思って書いたのである。(2019/03/29)

2019.03.27 メリルリンチへの惜別(2)
―私的金融史の一コマ―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 メリルリンチ研修参加はウォール街への入門編であった。
そのあと欧米系、日系の証券運用に関わる機関投資家とその関係機関を回った。投資顧問会社、投信運用会社、銀行信託部、投資銀行、生保会社なとである。投信運用のメッカを自称するボストンにも足を伸ばした。

《機関投資家のメリルリンチへの視線》
 彼らは、私(半澤)がメリルリンチの研修を、8週間も見学したというと少し変な顔をした。1958年にN証券に入ったとき、私は米国証券会社の名前を一つも知らなかった。90名ほどの大卒新入社員は、日本橋本社で1週間の研修を受けたが、そのとき人事課長は、「米国にはメリルリンチという大きな証券会社があり、当社(N社)も将来はメリルのような会社になるのが目標である」と言った。そのメリルが、それほど尊敬されていないのを私は奇妙に感じた。

 数週間のインタビューを重ねるうちにその理由が分かってきた。機関投資家の目からは、メリルリンチは個人投資家を顧客とする「証券売買業務(ブローカー)」で儲ける、大きいだけの証券会社に見えていたのである。機関投資家の管理職たちは、しばしば、wholesaler(問屋)、retailer(小売屋)という表現をした。日本語なら「法人取引業者」、「個人取引業者」である。またbrokerage(売買仲介)、investment bank(投資銀行)と分類した。ニューヨークでの新人研修でみたように、メリルのビジネスモデルは、証券商品の「大量販売」「売買仲介」であり、顧客は個人を想定していた。

《poeple' s capitalismと財閥解体》
 法人取引に特化した証券の顧客は、証券会社に対して専門的な知見とスキルを求めた。これに対応する業者は、マクロ経済動向から金融・為替市場の分析、新投資技法の紹介、個別銘柄の評価、大量取引能力、を顧客法人に売り込んだ。
 投資銀行は、商業銀行に対比される言葉で、日本の感覚では証券会社に近い。事業法人に対する資金調達の助言と引受を行い、自らも資産運用業務や企業売買などに従事していた。メリルの名誉のためには、それまでに同社が people's capitalism をスローガンのもとに個人投資家層の形成に貢献したことを言っておかねばならない。のちに私は米国映画で、証券会社の代名詞としてメリルリンチが出る場面に気がつくことになる。また、戦後日本の株式市場が、解体財閥株式の受け皿の役割を果たしたのを見れば、N証券の人事課長がメリルを手本とみていたのも理解できる。

《米国証券市場の機関化現象》
 専門化した証券会社が発展を遂げたのは、証券市場で「機関化現象」が急速に進んだからである。1960年代から70年代へかけて、米国内の企業年金基金、投資信託財産、保険会社、財団などの非営利法人、による株式保有が増加を続けた。下記はNYSE(ニューヨーク証券取引所)上場株式中の機関投資家保有比率である。74年時価総額減少は株価暴落に起因している。オイルショック後の円安で1ドルは300円を超えていたからNYSE時価総額は、約150兆円とみていい。東証時価総額は74年末で約36兆円であった。(NYSE,FACTBOOK,東証HP)

■各年末          1949 1960 1970 1974
■NYSE  
 時価総額(10億ドル)   76.3 307.0 636.4 511.1

■機関投資家保有比率(%)  14.5 18.7 27.2 33.0
 
■機関投資家別のNYSE株式保有状況(%、1974年末)
保険会社    16.5(生保・損保)
投資信託    18.2
非保険型年金  45.1(主に企業年金)
非営利法人   16.0(財団・学校など)
その他      3.2

上場証券会社はまだ少なかった。証券会社のランクは調査能力の高低でランクされる風潮が起こった。その頃、専門誌〝Institutional Investor〟(機関投資家)が発刊され、証券アナリストの個人別、所属会社別、担当業種別のランキングが発表されるようになり現在に至っている。当時は機関投資家実務家の1000名単位の投票によったが現在は数倍になっているようである。

《メリルリンチの機関化への挑戦》
 ランキング上位にメリルリンチはいない。それは、メリルが図体は大きいが驀進する機関投資家市場のトップではないことを示していた。上位には調査に特化した中小規模の証券が並んでいた。再び名誉のために言うと、メリルリンチは当時、調査部門と投資銀行部門を懸命に拡充していた。他社の著名なアナリストの引き抜きなどで調査ランキングは上昇した。多数の個人投資家という顧客基盤がありトレーディング能力は大きかった。手元にある1975年のInstitutional Investor誌のランキング一覧で、メリルは33社中の⑪位につけている。調査特化型(例えば①位のH.C.Wainwright)を除けば、⑦スミスバーニー⑨モルガンスタンレーに次いでいる。うしろには、⑮ローブローズ⑯ゴールドマンサックス⑯キダーピーボディー⑳ベアースターンズ㉑ファーストボストン㉙リーマンブラザースなどがいる。

 それは半世紀後にどうなったか。Institutional Investor誌のサイトを覗いたら、2018年のアナリストランキングでは、第1位JPモルガン、第2位にBankofAmerica Merrill Lynch(「バンク・オブ・アメリカ」に統合された「メリルリンチ」)、第3位モルガンスタンレ-であった。

《74年の大暴落にどう対処したか》
 話が専門的に過ぎたかもしれないが、これが私が見聞した機関化現象である。
「メリルリンチへの惜別」はこれで終わる。しかし、1974年夏を想起した私は、「ウォール街は暴落にどう対処したか」を書かずにはいられない気分になった。次回、ウォール街での小さな経験にもう一回、おつき合い願いたい。(2019/03/19)

2019.03.08 メリルリンチへの惜別
―私的金融史の一コマ―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《ウォール街・1974年春》
 近くメリルリンチの名前が消えるという報道を見た。
メリルリンチは米国の証券会社である。「リーマン金融不況」時に、大手銀行「バンク・オブ・アメリカ」の傘下に入り、2009年1月に、「バンクオブアメリカ・メリルリンチ」となった。それが「BofAセキュリティーズ」になるのである。私にはメリルリンチに小さな関わりがある。曖昧な記憶を辿って金融史の一コマとして記録しておきたい。

1974年春に私は、メリルリンチのニューヨーク研修センターにいた。
同社の新入社員研修コースにゲストとして参加したのである。
その頃、私はS銀行・K銀行・N證券の3社が設立した信託銀行で、個人富裕層の株式ポートフォリオを運用、管理する仕事をしていた。「投資顧問業務」(商品名は「投資管理室会員」)である。
証券会社の営業が、売買手数料稼ぎに傾斜するのに対して、我々は預かり資産の価値増減に応じた管理手数料を受ける。この仕組みが、売り手買い手の双方に合理的である。これがウリであった。勿論、課題もあった。今でこそ銀行が市場商品を扱うが、株式投資を商品とすることは、銀行は固定利率商品しか売らないと思う人―信託銀行の経営者を含む―には、行儀の悪い、リスキーな仕事だと見られていた。今でも銀行が売った投信で損をしたというトラブルが起こっている。

《メリル日本営業の前哨戦》
 しかし、時代は高度成長の始点たる1960年から10年余を経ていた。過剰流動性相場も、第1次オイルショックも経験している。個人資産も成長してきたことを仕事の上でも私は実感していた。米国では60年代に機関化現象―市場参加者と株式所有が機関投資家に集中すること―が進んでいるという情報が伝わってきた。外国の金融機関が増大する日本資産を狙うのは当然である。メリルリンチは、72年に外国証券として初の東京支店を開設した。営業の前哨戦として彼らは、当局と市場関係者に、米国市場の啓蒙とPRに注力した。私のいた職場にも、メリルリンチの日系カナダ人M氏が米国市場を紹介したいと週一ベースで来社した。英語の勉強にもなるといい、同僚何人かで会話に加わった。

メリルリンチの研修センターは、ウォール街に近い高層ビルの29階にあった。1クラス百数十名、午前9時から昼食を挟んで午後4時頃まで。期間は2ヶ月8週間にわたる。一度に何クラスの講義があったかは記憶がないが、相当数のクラスが間断なく行われていた。私はそう記憶している。地方からの受講者は、会社の指定したホテルに宿泊していた。私が個人で中期滞在したキッチン付きの「シェルバーン・マレイ」というホテルに彼らも大勢泊まっていた。

《熱心な研修を見ていたら》
 老若男女の受講生は長いカリキュラムを真面目に聴いていた。
なぜ長時間なのか。受講者は全員途中入社、年齢・性別・前職は様々、証券外務員(社内・業界の2種)の資格取得を要するという条件もある。今年、大学を出た者も勿論いる。一方で、子供が数人もいる高齢者もいる。昨日までIBMの技師やGMのセールスマンだった者がいる。経済、金融のイロハから教えなくてはならない。時間と手間がかかるのである。

どんなカリキュラムなのか。
ニューヨーク大学の経済学部教授が経済原論をやる。金融論もやる。勿論、証券市場や証取法をやる。と思えば、新規開拓の電話外交―cold callという―から、既得意先への電話のかけ方、個別銘柄の勧め方、売買成立伝票の書き方、ニューヨークの観光案内。NYCをよく知らない受講者もいるからである。つまり理論から些末な実務までであるのだ。

なぜ熱心なのか。
受講生は良く聴きよく質問した。仕事を変えて、しかも、就業に必要な試験に合格しなければならない。生活がかかっているのである。講義の進め方は、講師と生徒の掛け合い方式である。米国でMBAをとった仲間から、彼らの掛け合いは絶妙だと聞いていたが、こういうものかと思った。阿吽の呼吸である。日本の大学の今はどうなのだろうか。

《一回で終わらないメリルリンチ論》
 自分の感想を書いておく。
「新卒入社・終身雇用・年功序列」という日本式経営の特色―または奇怪さ―を痛感した。
私自身は日本的経営の崩壊開始時(95年)に退職したが、いまの日本企業はどうなっているのだろうか。
受講者の99%が、必死に勉強しているのを、私は気楽に見ていた。「ゲスト」で試験不要だったからである。外国人ゲストは4人いた。日本人は大手証券Dから1人、大手生保Nから1人、信託Tから私。スペインからの投信運用者1人であった。D証券勤務のS氏は試験を受けたかは聞かなかった。
講師の英語が分からなかった。大学の先生の発音は半分ほど分かったから話題と内容は推測がつく。講師によっては、タブロイド紙を手にしながら、タレントの話題などから始める。たとえば「日刊ゲンダイ」を手にプロ野球キャンプの話をするようなものである。こういう場合は俗語と話題の両方分からない。

メリルリンチのことは、もう一度書くことが残った。それはメリルが小売屋から卸屋へと変貌する話である。(2019/03/01)


2019.02.13  日本でも社会的連帯経済の実践を
          破たんした新自由主義に対抗して

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 日曜日の2月3日、東京の明治大学駿河台キャンパスの教室の席を埋めた50 人ほどの集会があった。昨年10月1日から3日までスペインのビルバオ市で開かれた、GSEF(グローバル社会的連帯経済フォーラム)主催のビルバオ大会に日本から参加した人たちによる報告会だった。大会は「社会的連帯経済」を世界的に推進しようという狙いで開かれたものだが、「社会的連帯経済」という言葉は日本ではまだなじみが薄い。関係者によれば、それには、今や世界的に行き詰まった資本主義経済を変革しようという壮大な狙いが込められているという。

 報告会を主催したのは、社会的連帯経済の意義を広く伝えようと活動している「ソウル宣言の会」。その代表の若森資朗氏(元パルシステム生活協同組合連合会理事長)は同会が編集した冊子『「社会的経済」って何?』(社会評論社)の中で、こう述べている。
 「1991年ソ連の崩壊により米ソ2大国を盟主とする東西冷戦が終焉し、その結果世界の警察権力を自認するに至った米国の経済力と軍事力を背景とした力の政治による他国をまきこんだ、暴力をも厭わない地域紛争への介入が常態化しています。そしてそのことと一体化した新自由主義を標榜するグローバル企業が、なりふり構わず利潤追求に血眼になり、倫理感を欠いた振る舞いで世界を闊歩していることに、現状批判の原因を求めることができます。その結果、世界中の至る所で貧富の差が拡大し、一握りの富裕層が富を独占し、貧困層が増加し、中間層にあってはいつ下層に転落するがわからない不安にかられ、そのことが排外主義や差別(ヘイトスピーチやレイシズム)の増加につながっているともいえます」
 「一方、資本のグルーバル化に対抗する、市民側からのグローバルな連携・連帯の実践も動き出しました。2013年ソウル市において、世界から8つの地方自治体、10の団体、そして個人の参加による『グローバル社会的連帯経済フォーラム』が開催されました。そこにおいて社会的連帯経済の定着と発展に取り組む『ソウル宣言』が採択されました。それは市民の参画と決定による、利潤追求を目的としない生活者ニーズを満たす財やサービスの提供、それはコミュニティーを大切にし、金銭価値に置き換えられない価値を大切にする提案です」

 社会的連帯経済の定着と発展を目指す運動が起こってきたことは理解できる。が、社会的連帯経済とは何なのか、具体的なイメージがわき上がってこない。そう感じて、さらに冊子を読み進むと、ソウル宣言の会事務局員の牧梶郎氏の記述に出合った。そこには、こうあった。
 「営利を目的とせずに、相互扶助や協働をベースとし、人間の関係性や自然との共生を大事にして行われる経済活動一般です。各種の協同組合や共済組合および信用組合、社会的企業、障がい者やその他少数弱者の支援事業を行うNPO/NGOなどがこれら活動の担い手ですが、フェアトレード、リサイクル・ショップ、食品の安全や地産地消などの活動も含まれます」

 2013年に韓国のソウル市で創設された「グローバル社会的連帯経済フォーラム」は、いわば国際会議体だ。それ以降、2014年にソウル市、2016年にカナダのモントリオールでそれぞれ大会を開いてきた。ビルバオ大会は第4回にあたる。ソウル宣言の会の丸山茂樹氏によれば、次回は2020年にメキシコシティで開かれるという。

 ソウル宣言の会が事前に発表した「報告会のご案内」によると、ビルバオ大会には84カ国から1700人が参加した。世界のGSEF会員の他、ILO(国際労働機関)や国連社会的経済研究所(ジュネーブ)などの国連機関、RIPESS(社会的連帯経済促進のための大陸間ネットワーク)などの国際NGO、ソウル市、ニーヨーク市など自治体からの参加があったという。日本からは44人。生協、ワーカーズコープ(労働者協同組合)、労組の関係者、学者・研究者らだった。「ご案内」は、同大会について「(社会的連帯経済が)世界では着実に広がり、関心が寄せられていることを実感しました」としている。

 報告会では、ビルバオ大会日本実行委員会団長を務めた柳澤敏勝・明治大学商学部教授が基調報告をしたが、そのなかで、「ビルバオ大会の特徴は、GSEFがSDGSとの連携を始めたということだ」と述べたことが印象に残った。
 SDGSとは、2015年の国連総会で採択された「私たちの世界を変える持続可能な開発のための2030アジェンダ」と題する決議である。それによれば、国連として、2030年までに「貧困の撲滅」「食料の安全保障」「健康的な生活の確保」「ジェンダー平等」「持続可能な近代的エネルギー」「持続可能な経済成長・人間らしい労働」「不平等の是正」「持続可能な生産消費」「気候変動対策」「平和で包摂的な社会の促進」など17の目標を達成しようという決議である。
 柳沢教授によれば、このSDGSが目指す目標とGSEFが目指すものには重なるものが多いという。したがって、SDGSの活動とGSEFの運動が連動する可能性があるという。

 基調報告の後、ビルバオ大会に参加した青竹豊・日本協同組合連携機構〈JCA〉常務理事、木村庸子・生活クラブ生活協同組合(千葉)理事長、相良孝雄・協同総合研究所事務局長、鈴木岳・生協総合研究所研究員の4氏によるパネルディスカッションがあった。
 日本の社会的連帯経済運動の課題と方向性や、日本の運動で足りない点などが話し合われたが、まず、日本では、社会的連帯経済に対する認知度が低い点が指摘された。どうすればその意義を一般に広めてゆくことができるか。パネリストからは「まず、社会的連帯経済の実践例を示すことだ」との発言があったほか、青竹氏からは「昨年4月に発足したJCAには、我が国のほとんどの協同組合連合会が加盟しているので、これらの組織を通じて社会的連帯経済の意義を広め、関心を高めたい」との発言があった。

 日本で足りない点として指摘されたことの一つは、社会的連帯経済運動に自治体からの参加が極めて乏しいこと。ビルバオ大会でも、日本の自治体からの参加はなかった。
 モントリオール大会で採択された宣言も「人類が直面している課題は、一国のみで解決できるものではない。都市、町および地域自治体の寄与もまた欠かすことができないと」、社会的連帯経済運動と自治体との連携の必要性を強調している。それだけに、若森氏も報告会で配布された資料の中で「(ビルバオ大会に日本の自治体から参加がなかったことは)今後の取り組みに大きな課題を残した」と述べている。自治体にどう働きかけてゆくかが問われそうだ。