2020.05.28  生協だけが売り上げ伸ばし、他は減少
         コロナ禍がもたらした流通業界の明暗

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 新型コロナウイルスの感染拡大を阻止するための緊急事態宣言は日本経済に深刻な打撃を与えているが、流通業界では、ある一つの傾向が顕著になりつつある。それは、百貨店、スーパー、コンビニなどが軒並み売上高の減少に苦しんでいる一方で、生活協同組合(生協)が大幅に供給高(売上高)を伸ばしていることだ。それには、生協陣営がこれまで力を入れてきた個配(個別配達)が、緊急事態宣言で外出自粛を余儀なくされた市民たちに歓迎され、注文が殺到しているといった事情があるようだ。

 毎月、20日過ぎには、流通業界での前月の売上高の発表がある。今月は各業種の4月の売上高が発表された。
 
 日本百貨店協会は5月22日、会員企業73社の計203店の今年4月の売上高を発表した。それによると、1208億円で、前年の同じ月より72・8%少なかった。これを報じた朝日新聞は「落ち込み幅は統計のある1965年以降、最も大きかった。緊急事態宣言を受け各社が臨時で休んだ影響が出た。外国人が来日しなくなったことに加え、消費の手控えが日本人にも広がった」と書いていた。まさに、百貨店業界は過去最大の落ち込みようだ。

 これに先立つ21日には、日本チェーンストア協会が、加盟店(大手スーパーなど56社)の4月の売上高を発表した。それによると、総売上高は1兆162億円で、前年同月より4・5%減だった。食料品は外出自粛で家庭での需要が急増し、9・5%という大幅な伸びを示したものの、その一方で衣料品の売り上げが前年同月比で53・7%減、化粧品などの住関品が14・2%減となったのが響いた。これらの減少は、休業店舗の増加や外出自粛が影響したとみられる。

 これより前の20日には、日本フランチャイズチェーン協会が、主要コンビニ7社の4月の既存店売上高を発表した。それによると、7781億円で、前年同月比で10・6%の減。現在の統計方法となった2005年1月以降では最大の下げ幅だった。在宅勤務の広がりや外出自粛が響き、とくに大都市都心部や観光地の店で不振が目立ったという。客の一部がスーパーに流れたのも響いたとみられる。

 これらの業界に引き換え、ひときわ活況をみせているのが生協だ。生協の全国組織、日本生活協同組合連合会が21日発表した「主要地域生協の4月度供給高(売上高)速報」には、目を見張るような数字が並ぶ。
 主要地域生協とは比較的規模の大きい地域生協のことで、調査対象は64生協。その4月度の総供給高は2471億4600万円で、前年4月より15・3増だった。ちなみに、3月度は2316億6100万円で前年同月より12・2%増、2月度は2232億7700円で前年同月より1・4%増だった。いうなれば、生協はコロナウイルス禍が生じて以来3カ月連続して前年同月の供給高を超過してきたわけである。百貨店、スーパー、コンビニなど他の流通業界のこの間の動向と比べればまことに異例のことと言える。

 ところで、4月度の総供給高2471億4600万円の内訳をみると、店舗が843億500万円(34・1%)、宅配が1574億1000万円(63・7%)、その他の供給が54億3000万円(2・2%)である。
 で、宅配1574億1000万円の内訳をみると、その72%が個配(組合員の自宅玄関まで注文の商品を届ける方式)だ。残りは、班配(グループや職場へ注文の商品を届ける方式)である。いまや、個配が生協の主要な業態となっていると見ていいだろう。
 加えて、その個配の伸びが著しい。宅配全体の前年同月比は116・3%だが、個配は118・5%である。

 つまり、コロナウイリス禍で巣ごもり生活を余儀なくされた市民にとっては、個配がまたとない生活必需品の調達手段となっているわけだ。日本生協連の「主要地域生協の4月度供給高(売上高)速報」も「(個配を含む)宅配では、巣ごもり需要にともない生鮮・加工食品・非食品の全ての分類で伸長しました」と述べている。

 生協の供給事業といえば、かつては店舗と共同購入の二本立てだった。どちらかというと共同購入が主力だったが、商品の受取手であった専業主婦が減少したことから、共同購入に陰りが生じた。そこで、店舗による供給に力を入れたか、思うように伸びず、赤字の時代が続いた。そうした試行錯誤を経て生み出されたのが、商品を直接、個々の組合員宅の玄関先に届ける個配で、それが順調な伸長を続けてきた。組合員の生活スタイルの変化や個人ニーズに対応した供給の仕方が組合員に支持され、個配が供給事業の主力に躍り出たのだ。
 その個配の便利さが、突然襲ってきたコロナウイリス禍の中で改めて見直され、新たな注目を浴びている、というわけである。
 
 もっとも、都市部の生協では、組合員から殺到する注文に対応しきれないという現象が生じているようだ。
 例えば、パルシステム生活協同組合連合会(首都圏中心の13生協で構成・組合員157万人・本部東京)は5月11日付で組合員に「新型コロナウイルス感染症拡大に伴うこれまでの状況と今後について」と題するチラシを配布したが、そこにはこんな文言があった。
 「新型コロナウイルス感染症拡大本格化する直前の2月1回の利用人数は74万人でしたが、直近の5月1回では84万人となり、3カ月で7万人増加しました。とくに、これまで休まれていた組合員が注文再開されたり、遠隔利用の組合員が毎週利用されるなど、一台のトラックの配達件数も急増しています」
 「急増したご注文により、商品セットセンターに商品が入りきらない、セット時間が大幅に遅れ商品の配達時間に間に合わない、会員生協の配送センターの冷蔵庫に商品が入りきれない、配送トラック積みきれない、などの問題が生じています。ご注文いただいた組合員のすべての方に配達するためには、注文いただいた商品をやむなく一部欠品とさせていただいております」

 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会(33生協で構成・組合員約40万人・本部東京)も5月1日に発表した「供給継続に向けた基本方針」の中で、次のように述べていた。
「生産者のご協力により消費財(筆者注・商品のこと)の生産は継続できる見通しですが、今後も一部の消費財で総量調整の必要による欠品や遅配が続く見込みです。生産者には通常より製造体制を強化して消費財の生産に取り組んでいただいていますが、注文の増加、人員・トラックの不足などがあり生産が追い付かない品目も発生しています」
 
 急増する組合員からの注文に即応できない生協現場の“混乱ぶり”が目に浮かぶようだ。
 緊急事態宣言が解除されても、流通業界がすぐ元の状況に戻るとは考えられない。「組合員の生活を守る」をモットーとする生協の挑戦はこれからも続きそうだ。
2020.05.15  GDP信仰と成長崇拝が社会を壊す
        - 左右のポピュリズムは同根

盛田常夫(経済学者、在ハンガリー)

蓮舫議員が「赤字国債は国民の借金」と発信したところ、ネット右翼は即座に反応して、「赤字国債は国民の借金ではなく、政府の借金だ」と蓮舫議員を批判した。政府がどれほど借金しても国民には関係ないのだから、「どんどん赤字国債を発行して、お金を配れ」という。
5月3日の「日刊ゲンダイDIGITAL」に掲載された「れいわ新選組・山本太郎の本音に迫る」を読むと、山本太郎もネット右翼と同じことを主張している。れいわ新選組のスローガンは、「金を刷れ、皆に配れ」だそうだ。アベノミクスに便乗したアベノヨイショの劣化版「ヘリコプターマネー」と瓜二つ。何とも無責任なデマゴー「愚」だ。しかし、何時の時代にも、デモゴーグに騙される人々がいる。多数が騙されれば、国家破滅の道が待っている。「地獄への道は善意で敷き詰められている」。

レベルが低いデマゴギー
 山本太郎に経済政策アドヴァイザーがいることは知られているが、扇動政治家への無責任なアドヴァイスは社会的犯罪である。アベノヨイショと同様に、「インフレにならない限り、政府は日銀にお金を刷らせ、借金すれば良い」と主張する。なぜなら、「政府の赤字が増えれば民間の黒字が増えることはハッキリしています。誰かの借金は誰かの資産という関係性なのです」という。資金循環表や産業連関表の経済統計に触れ、生半可な知識で、アドヴァイザーの主張を請け売りしている。
 アベノヨイショのなかには、「赤字国債は政府の債務だが、国民の債権でもあるから、国民の債務というのは財務省のデマ」と主張するものがいる。簿記記帳で債権と債務がそれぞれの勘定主体に複式記帳されることと、債務の実体(現実)を解明することはまったく別のことである。債権・債務がどのように記帳されようと、政府を成り立たせているものが国民の税金だから、政府の債務はいずれ国民の将来の税金で補填されなければならない。補填されなければ、借金が踏み倒されるだけのこと。日常の商売でも国家内でも国家間でも同じである。債務が永遠に返済されずに、何ごともなく過ぎることはない。企業倒産するか、国家破産して、債権と債務が帳消しされるだけのことである。
 勘定記帳という簿記上の操作と、債務の現実を区別できないという点で、アベノヨイショも山本太郎も同じ。債務が税金で補填されなければならないことに目を瞑り、あたかも国民以外の誰かが借金を請け負ってくれるというナイーヴな考えに訴えるのはポピュリズム以外の何物でもない。森永某という三流「経済評論家」も、政府の債務と日銀の債権が相殺されて政府債務を消すことができるという主張に乗っかり、コロナ禍が終わるまで国民に毎月10万円給付せよという。山本太郎と五十歩百歩のポピュリストである。
 森永某の議論は、高橋洋一の請け売りである。高橋は政府勘定と日銀勘定を統合すれば、「親会社と子会社の関係だから」、政府債務が消えると主張している。この議論も勘定簿記の複式記入と、債務の現実の理解を混同したものだ。もっとも、この主張に自信がなかった高橋は、ノーベル賞経済学者スティグリッツの同様の主張(2017年経済財政諮問委員会での講演)に意を強くしたが、スティグリッツの議論は国民経済計算のイロハを理解しない、無知による誤解に過ぎない。
 政府債務が中央銀行の操作によって実際に消滅するのは、中央銀行が債権放棄して債務を帳消しにする場合のみである。その時、中央銀行は債務超過になり、国家の通貨管理責任を放棄したと見なされ、中央銀行の信認は失われ、円貨が売り込まれる結果を導く。円の暴落によって、輸入物価が高騰し、それが一般物価に波及してハイパーインフレをもたらす。これが歴史の普遍的な教訓であり法則である。日本だけがその法則の貫徹から逃れることなどできるはずがない。
 
歴史的に左翼は経済計算に弱い
 20世紀社会主義の崩壊によって明らかになったのは、「政治(共産党政治局)が経済を主導し、管理できる」という安直な啓蒙的労働者独裁が国民経済を破壊したことだ。経済計算を無視し、政治的イニシアティヴで国民経済を管理できると考えたところに、国民経済崩壊の根本原因がある。企業の収益計算や国家の帳簿管理を蔑にした結果である。それが数十年の歴史を経て、国民経済を自壊させた。
 しかも、社会主義体制が崩壊した諸国では、一部の中欧諸国を除き、皆、財政赤字を補填するために中央銀行による紙幣増発を行ったために、軒並みハイパーインフレが起きた。1990年代のことだ。ほんの30年前の出来事である。バルカン諸国や旧ソ連共和国では財政・金融規律が守られず、政治指導者の思惑で紙幣が増刷された。とくに1990年代始めに内戦に陥った旧ユーゴスラヴィアのセルビアでは、戦費を賄うために、財政赤字を埋めるために膨大な銀行券が発行され、歴史上例を見ないハイパーインフレに見舞われた。ワイマール共和国や第二次世界大戦直後のハイパーインフレを超えるインフレに国民は苦しんだ。この結果、セルビア国民は今、平均月額2万円程度の年金しか受け取っていない。月額数千円の年金しか受け取れない国民が多数いる。あれだけ持て囃された自主管理社会主義の30年後の現実である。
 しかし、日本の左翼はこれらの歴史から何も学んでいない。社会主義経済崩壊の原因を知ろうともしない。

政府の累積債務の削減は不可能
 今次のコロナ禍によって、日本の財政再建ははるか向こうに遠のいた。今年度の税収減や特別支出はすべて赤字国債で賄わなければならない。毎年、歳出の半分を赤字国債に頼っている日本が、さらに債務を累積させることになった。「新規に積み上がる債務は、累積債務の大きさに比べれば小さい」と主張するものもいる。しかし、このことが意味していることは重大である。
すでに歳入の20年分以上の累積赤字を抱え、さらに毎年新規の債務を累積させている日本にとって、今後どれだけ増税を繰り返しても焼け石である。30~40年かけても債務を大きく減らすことはできない。そのうち、国内人口の減少にしたがって労働人口も減り、累積債務は放置せざるを得ない。このような状況下で、首都直下地震、根室沖地震、三陸沖地震、南海トラフ地震が起きたらどうなるのか。
必要な財政出動のために、さらに巨額の赤字国債が発行されるだろう。すでに事実上、赤字国債の日銀直接引受けに近い状態になっている。それに加えて巨額の緊急財政出動が必要になれば、累積債務問題が一挙に噴出する。政府債務の帳消しなしに、社会の復興は不可能である。日銀の債務超過によって円貨が暴落し、輸入品が高騰して、国民経済は崩壊への道を辿る。
インフレを漸次的に進行させて、債務を減らす術は望めない。いつの時代にも、何かのきっかけで、積年の債務が一挙に処理されなければならない時が来る。戦争か、体制崩壊か、それとも巨大地震か。その時に騒いでももう手遅れである。何時の時代も、社会は一方向へと突き進む。「なぜ無謀な戦争に突入したのか」と考えるのは後知恵に過ぎない。政府の債務処理も同じである。後世の国民はなぜもっと賢く、早くから準備しなかったのかと思うだろう。「後悔先に立たず」である。
だが、国民の金融資産がすべて失われることで、国家の債務は消滅する。そうして復興が始まる。こうして歴史は繰り返される。目先のことしか考えることができない「サル化した社会」は、立ち直ることができないほどのしっぺ返しを受けた時に初めて目が覚める。
福島原発の処理と同様に、政権を取った野党は崩壊の危機を解決することなどできない。それどころか、歴代政権が負うべき危機発生の責任まで追及されることになろう。「ババを引く」のは常に野党である。中途半端に政権を取得しても、できることには限りがある。経済計算ができない「左派」の場合にはなおさらである。

GDP信仰から脱却せよ
 最悪の事態から逃れるために、今から社会経済改革を始めなければならない。まずGDP信仰と経済成長崇拝から脱却することだ。
 今次のコロナ禍の自粛を経験する中で、個人の消費生活についていろいろ考えることがあった人は多いと思う。家の中を見回してみると、不要不急の商品・サーヴィスが身の回りに溢れていることに、今さらながら気づいた人は多いはず。個人の消費生活はかなり切り詰めることが可能であり、もっと質素に暮らすことで、所得の使い方を再考する時間が与えられた。個人消費を煽る経済政策は間違っていないだろうか。
他方、給付される10万円の一部はパチンコ屋の収入になり、バーや競輪・競馬につぎ込まれる。もっとも、10万円では焼け石に水だが。他方、パチンコ屋やバーも、所得申告を行っている限り、GDP計算に入ってくる。GDPはサーヴィスや商品の質を問わない。生活に不要不急のサーヴィスや商品の製造(提供)でも、所得を生み出している限り、GDPに計算される。借家賃料もGDP計算に組み込まれる。要するに、所得が発生する活動のほとんどが、有用無用にかかわらずGDP計算に入ってくる。
 かくように、GDPは国民福祉の指標ではない。1970年代初頭に、国民所得(総生産)に代えて、国民福祉指標を提唱する動きがあった。著名な経済学者たちが加わり、経済企画庁が音頭を取って、国民所得に代わる指標の作成が試みられた。高度経済成長の歪みを修正しなければならないという良心的な経済学者の思いがあった。しかし、福祉指標を確定し、測定することの難しさから、国民福祉指標の作成は中断された。
 安倍政権が「高度成長よ、もう一度」という根拠のない政策を打ち出してから、再びGDP至上主義という成長崇拝が蔓延しだした。「GDPの7割を占めるのが個人消費だから、これを増やせば経済成長が達成できる。だから、消費税によって消費制限することはけしからん」というのが、GDP信仰に取りつかれた単細胞「学者」や政治家の主張になった。
個人消費が経済成長を主導するのは、持続的に新規の労働力が労働市場に入ってくる時代である。日本経済はとっくにその時代を終えている。労働力の純増がなく、逆に減少に転じている時代には、個人消費は成長を牽引する力にはならない。日本のように消費生活が飽和状態に達している国で、消費支出の純増を図ろうとすれば、不要不急の商品・サーヴィスを購入する以外にない。しかし、いくら安くても、毎年毎年、新たに商品を買い求め続けることは意味がない。だから、国内需要が減るのは当然である。その減った分を外国の旅行客のインバウンド消費が国内消費水準を維持している。中国人観光客がいなくなれば、銀座のユニクロ店はガラガラである。
今の日本社会に必要なのは、不要不急の商品・サーヴィスの購入を煽ってGDPを伸ばすことではない。安定した持続社会を実現するために、不急不要のサーヴィス分野から労働力を移動させ、高齢化社会に備えた医療サーヴィスや介護サーヴィス分野を拡充することだ。他方で、未来の世代を育てる保育園・幼稚園・学校教育にもっと人材と財源を投入すべきである。これを実現するために、個人消費に向かう所得部分を、これらの社会サーヴィス維持に向けなければならない。そのために、適切な社会保険負担と税負担が不可欠である。これからは、個人消費だけを考えるのではなく、個人消費と社会サーヴィス消費の組合せを考えなければならない。
国民が公正に社会的消費に必要な費用を負担する代わりに、政府や自治体の歳出を厳しく監視しなければならない。国家予算をあたかも自分のポケットマネーのように使っている官邸や政治家を厳しく監視しなければならない。桜を見る会もそうだが、リオ五輪の「安倍マリオ」のために使われた10億円を超える巨額の無駄遣いなど、絶対に許してはならない。どこからどういうお金が支出されているのか、きわめて不透明である。官邸はこうやって巨額の税の無駄遣いを行っているが、それにたいして国民は批判することがない。政治家も国民も、政府のお金は天から降ってくるかのように考えている。その鈍感さが税の無駄遣いを見逃すことになっている。
思考や発想の転換なしに、成長信仰に陥り、政府債務を積み上げていけば、社会そのものの土台が切り崩される。デマゴーグ政治家の無責任な甘言に騙されてはならない。
2020.05.12 「新型コロナ暴落」は大恐慌への導火線か?(3)
   ―ルービニ博士の「新大恐慌接近論」

半澤健市(元金融機関勤務)
 
 「破滅博士(Dr.Doom)」は健在であった。
Dr.Doomの本名は、ヌーリエル・ルービニ Nouriel Roubini(1958~)という。アメリカの経済学者である。ニューヨーク大教授であり、経済調査のシンクタンクの経営者でもある。メディアへの露出も多い。doomは、辞書に「運命、破滅、最後の審判」と書いてある。業界では悲観論者の別名である。
今世紀始めに、リーマン恐慌を予言して金融業界の寵児となった。これより先、ビル・クリントン政権で経済アドバイザーを務めたほか、米国内外の公的経済機関で多くの仕事をしている。このブログでも、10数年前のリーマンショック時に、「博士」の考察を取り上げたことがある。

《10年続くという新大恐慌論》
 本稿は、ルービニが最近書いた時論の紹介である。
そのタイトルを The Coming Greater Depression of the 2020sという。Information Clearing Houseという情報祇(4月29日)に掲載された。仮に「2020年代の『新大恐慌』が接近」と訳しておく。
このエコノミストは、リーマンショック以後、世界はその経済金融の構造的問題を解決できずに時間を無駄に費やしたと考えている。その時に「コロナ不況」が襲来したと判断するのである。

 今回の「コロナ不況」the Greater Recessionが、年内にU字型の冴えない回復を見せたあと、10年ほどの長期にわたり、L型の「新大恐慌the Greater Depression」が続くとみる。
その要因として、ルービニは、我々が直面している既存の10項目の課題を挙げる。
そして各課題のもつ意味を逐一説明していいく。「コロナ不況」は一契機に過ぎない。
これが引き金となって、現存10項目の懸念事項が因となり果となって「新大恐慌 the Greater Depression」の大河を形成する。これが大雑把な理屈の組み立てである。
以下に10項目を列挙してルービニの説明を加える。「新大恐慌」の舞台は全世界であり、経済・金融が主となり政治・外交・軍事の領域にも及ぶ。

《10項目の課題は広範に及ぶ》
1.公私の巨額債務残高があり不履行危機大 コロナ回復にGDP比10%の資金投入が要るとみる
2.先進諸国の高齢化による社会保障費の増加 その財源にまた借金をする
3.増大するデフレ不況 物価低落・失業率増大による債務デフレが発生する
4.貨幣価値の切り下げ 始めは中銀による非伝統的な緩和政策 次にグローバリゼーション脱出のために緊縮と保護政策 スタグフレーションの発生は不可避である
5.デジタル経済の加速により広範囲に国内格差が拡大 サプライチェーン海外集中の是正のために国内生産へ転換 しかしハイテク活用で賃金上昇は抑制される ポピュリズム・ナショナリズムの浸透 政権は外国恐怖論の宣伝に走る
6.脱グローバリゼーション政策 米中は相互依存から離脱 ポスト・パンデミック時代は経済活動を構成する要素(ヒト・モノ・カネ・技術・データ)の移動が制限される
7.デモクラシーの逆流 ポピュリスト政治家は不況対策として「外国人」を生贄にする
8.米中対立の激化 トランプの対中非難は暴走の可能性 中国も強硬
9.米ソ対立から「新冷戦」体制へ サイバー戦争激化 米は対中戦のカギは戦力とみて私 企業の軍事への統合化 national security-industrial complex体制強化へ
10環境問題の看過は不可 多くのパンデミックは人災 貧困な健康衛生基準・自然環境の濫用・グローバル化による連絡濃密化・気候変動で今後、頻度・程度・コストが増大

《結論は前途多難を指摘している》
 以上がルービニ10項目の早足な説明である。彼はこう結ぶ。
新コロナ襲来前に現存する10項目のリスクは、世界経済を絶望の渦に導く脅威である。2030年までに、技術進歩と有能な政治指導が実現して緊張は和らぎ、協調的な国際秩序が形成されるかも知れない。だが、そんなハッピーエンドは、我々が来るべきthe Greater Depression を克服することが前提だ。

 コロナ暴落を大不況の予兆と見るのは大方のコンセンサス化しつつある。ただ震度と期間の認識にはまだ相当のギャップがある。教科書風にいえば、1929年に始った大恐慌はthe Great Depression と書く。07~09年の「リーマン不況」は、「100年に一度の津波」という論者もいたが、結局「金融不況」great financial crisis に落ち着いたようである。時に the great recession ともいう。これを前提にルービニの表現を見る。
彼は、the Greater Recession、the Greater Depression と書いている。「大金融不況」、「新大恐慌」と訳しておく。ルービニは比較級形容詞をつけている。従って、現在発生している前者は「リーマン不況」を上回り、後者は「大恐慌」を上回る。そうみていると解釈したい。「リーマン不況」は金融恐慌的性格が強かった。米国のシンボルGMが倒産したのだから「金融」で片付けるのは正確でないが、GMは自動車産業の国際競争力を失っていた。
Wall St.かMain st.かという比較が、言われたものである。

《人類を意識させる恐慌論の時空》
 ルービニの「新大恐慌」論が興味深いのは、その規模を史上最大級と考えているらしいことである。実体経済―金融端末の一打鍵では完結しない経済活動―を全体性をもつ概念で考えている。彼の10項目を見れば、国際的で全人類的な人間の営みを前提にして論じている。批判もあろう。10項目を大恐慌の要素として並べただけである、要素間の論理的な結合に及んでいないとの批判は可能だろう。しかし私は、「コロナ」と「不況」を市場メカニズムの瑕疵に収斂する「経済学」への批判と読みたい。「政治経済学」復権の必要を読者に意識させる論説と読みたい。

「コロナ暴落」は、20世紀後半に暴走を始めた「グローバリゼーション」とその背後霊たる新自由主義が、「人類」に如何に深く関わるかを示している。「人類」は大袈裟ではないか。いや、私は大袈裟とは思わない。我々は、いま人類共同体とその子々孫々に思いを致さねばならぬ時代にいる。「コロナ」と「大恐慌」は、今後10年にわたり、「類としての人間」を試そうとしているのである。(2020/05/05・こどもの日)
2020.04.20 「新型コロナ暴落」は大恐慌への導火線か?(2)
―過小評価されているコロナ危機―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《「緊急事態宣言」を全国に拡大したが》
 政府は4月7日に都と6道府県に発令した範囲を全国に拡大した。16日に発令、同日に効力が発生した。しかしコロナウイルス感染者カーブは右肩上がりを続けている。日本を含む世界株価は30%程度のパニック的暴落をみた後、買い戻しもありマイナス20%辺の水準にある。しかし乱高下の指標である「恐怖指数」はなお落ち着かない変動を続けている。トランプ米大統領は、早ければ5月前半に、経済活動の再開を目論んでいる。米国内のコロナ感染者は67万名、死亡者は3万3千名でいずれも世界一である。

「コロナ暴落」をみて、私は前稿で「大恐慌」の起点と書いた。(20年3月24日)
されば暴落が先見したはずの実体経済はどう動いているか。いくつかの実例を挙げる。

《想像を超える短期間の情勢変化》
 ■IMF(国際通貨基金)は2020年の世界経済をマイナス3%と予想した。戦後経済の実績からみれば驚愕すべき数字である。IMFは、21年には経済はプラスに転ずるとみているがこれは暫定数字のようだ。21年以降分は、失礼ながら適当に載せただけと私は読んだ。もっとも「下振れのリスクは極めて大きい」と予防線を張っている。
■IMFは、米国の20年QⅠ(第一四半期・1月~3月)GDPを、前年同期比でマイナス6%と予想している。また米国主要大手銀行の米GDPのQⅡ・GDP予想は、マイナス25%である(いずれも前年同期比)。
■米失業保険申請は最近4週間累積で2000万人レベルに達しており、全米労働者1.6億人で2000万人を割れば、失業率12%が出る。メディアは12%~17%と報じている。失業救済制度の破綻論まで出てきた。
■中国は、自国GDPのQⅠはマイナス6.8%だったと発表した。四半期統計では初めてである。米銀JPモルガンチェイスは、21年末までに5兆ドル(日本のGDP相当)のGDPが世界から失われると予想している。

上記の数例は、恐慌経済の「序の口」を示すにすぎない。金融界の一隅に40年棲んだ人間から見ると、株価暴落の実体経済へ衝撃を過小評価している。
勿論、「コロナ恐慌」の最大のカギは、この世界的爆発がどう展開するかにかかっている。どう展開するか。それは21世紀の「コロナ」の特色にかかる。話を1世紀前に戻す。

《「スペイン・ウイルス」では日本で40万人の死者》
 「新型コロナウイルス」の原型は「スペインウイルス(風邪)」である。
歴史人口学者速水融のネットコメントに従いながら話を進める。「スペインウイルス」は、米国に起源し1918年から20年まで世界的に流行したインフルエンザである。全世界で、4500万名の死者を出した。第一次世界大戦の死者1000万名を凌ぐ数字である。日本では人口約5500万人の半数が感染。約45万人が死亡した。この大規模なパンデミックの発生下に、総力戦体制の生活が継続していた。我々にはこの惨事の記憶が薄い。その理由を速水は、当時の短い平均寿命、限定された都市化、第一次大戦の存在、関東大震災、衛生思想の弱さ、徹底した医療体制の不在などに原因を求めている。

《21世紀の「新コロナ」の特長はなにか》
 新コロナの特長はなにか。その環境をみればわかる。グローバリゼーションの超展開である。ヒト・モノ・カネが国境を越えている。そしてあらゆる範囲に展開している。その時・空・速度がすでに人間の理解力や想像力を超えている。これ以上ウイルスの蔓延・拡散に好ましい環境があろうか。安倍・トランプら世界の指導者の言動をみるとコロナウイルスに3周回ほど遅れて見える。(2020/04/18)

2020.03.23 「新型コロナ暴落」は大恐慌への導火線か?
     ―大恐慌の90年後に考える―
 
半澤健市 (元金融機関勤務)

 過ぐる「大恐慌」の発端はNY株式の暴落であった。
1929年10月のことである。

《1929年恐慌の後に何がきたのか》
 暴落直前のダウ平均の高値は381ドル、それが3年後に安値40ドルをつけた。株価は9割下ったのである。(¢は切捨て)。
大恐慌の原因には諸説あって今回は述べる紙数がないが、現象としては典型的な金融バブルとその崩壊であった。

それから90年経った今日までの間、経済の世界になにが起こったのか。
30年代に、主要国は為替切り下げ、ブロック経済形成で解決を図ったが、結局「ナチズム独裁」(独・伊)、「天皇制軍国主義」(日)、「ニューディール政策」(米)、「社会主義建設」(ソ連)とに分かれて国策を強力に実践した。それは第二次世界大戦につながり、前二者のファシズム枢軸が、後二者のデモクラシー連合に敗北して戦争は終わった。事態は一応の解決をみた。大きな犠牲を払いつつ「戦争が大恐慌を克服」したといえる。

《戦後世界には何がきたのか》
 第二次世界大戦後の世界は、枢軸国を屈服させた資本主義の西側諸国と、共産主義の東側諸国とが、冷戦という対立を続けた。冷戦は90年に資本主義体制が勝利した。「歴史は終わった」と述べた哲学者もいたが、それは終わらなかった。

戦後の71年には、金と米ドルのリンクが切れた「ニクソン・ショック」が走った。あわや29年の再来かと思われた「リーマン不況」は08年に起こった。こういう事象は、資本主義の矛盾が、未解決であったことを示している。埋められた地雷が時々爆発するのである。資本主義は、利潤拡大運動をやめると、生きていけないシステムだからである。マグロが水中を泳ぎ続けないと死ぬのと同じである。

矛盾の克服にどんな道具が使用されたのか。二、三を例示してみよう。
一つ。米ドルの金離脱によってドルは紙切れ同様になった。しかし米国のヘゲモニーを背景に、中国の挑戦で弱点を露呈しつつも、ドルの打ち立てた世界はなお続いている。
二つ。リーマン不況の契機となったサブプライム・ローンは詐欺同様の商品と知られて失敗した。それでも数学科出身の天才が製造した金融工学商品が、手を変え品を変えても販売されている。日本の金融機関も上顧客らしい。
三つ。自己責任を経済理念としながら、メガバンクなどの巨大企業を破綻から救済する。「潰すと国民経済に被害が及ぶ」と言って税金を投入する。愛国心と恐怖心の悪用である。

《大恐慌の導火線になるだろう》
 「新型コロナ暴落」は大恐慌の導火線になるだろうか。なるだろうと考える。
今のところ暴落の震度は大恐慌のそれに及ばない。しかし底は浅いが角度は鋭い。次に導火線たりうる理由を挙げる。

一つ。カネのバラまきは限度に来ている。現にそのツケが今回の暴落である。
リーマン不況は、中国の公共投資が呼び水となり。世界経済はマイナスから成長軌道に乗った。しかし今度は誰がいるのか。主要国では政府も個人も山のような債務を抱えている。今回暴落の一因は、金融緩和政策への不信であり、巨額の財政資金が必要であることを示している。
二つ。市場原理が従来通りに働かない環境が出現した。
経済や生活が「新型コロナウイルス=自然の猛威」という制御困難な敵に首根っこを抑えられている。商品市場や市民生活が突然のボトルネック発生に遭遇している。
たとえば国境による出入国の停止。そういう環境下では偏狭なナショナリズムが醸成される。一体化に成功してきたEUが加盟国間の対立から解体の危機を迎えている。これらは自明であった市場原理の作動を妨げる。
三つ。自己責任を強調する新自由主義のイデオロギーが市民社会に深く浸透している。
80年以後、それは徐々に時に急速に市民の意識を捉えた。公共機関の民営化など、特に日本では、真の検証のないまま常識になった。今度は水道を民営化するという。労組の必要性は自明のものではない。春闘の主役は経営者団体である。こういう環境は一見、資本の論理に整合するかに見える。

《資本の論理を反転せよ》
 しかし一旦、その論理が自分から「人間」を奪ったことを知れば、その論理は誰の利益になるかを知れば、それは抵抗の論理に転化されるであろう。大恐慌を経ることで、或いは対立と分裂を克服することで、その転化は遂に実現するであろう。辛い逆説だがそれは私たちに希望を与える。(20/03/17)

2020.03.19 「悪夢」のアベノミクス
盛田常夫(在ブダペスト、経済学者)

 「黒田バズーカ砲」で始まった目先の景気浮揚を狙うアベノミクスは、コロナ災禍に遭遇して、元の木阿弥になりそうだ。自然災害であれ人災であれ、危機的状況の勃発時に、経済政策の正否が明々白々となる。アベノミクスの政策的正当性が疑問視されながら、株高や円安を成果と錯覚した人々は、アベノミクスを礼賛した。危機的状況でこそ、経済政策の真価が問われる。アベノミクスは膨大な資金投入で経済成長を図ろうとしたが、その目的を達成できずに、国家債務を積み上げただけだ。
 「元の木阿弥」と言っても、すべてが元に戻るわけではない。ボンボン宰相の火遊びのお陰で、資金供給のために日銀が引き受けた膨大な国債や株式が不良債権として残り、他方で政府の累積債務が上積みされた。これが目先の利得のために払った代償である。政治家も国民も、ポピュリスト政策の結末を直視すべきだ。「経済成長路線に乗せることができなかった」では済まない。そんなことは初めから分かっていたことだ。にもかかわらず、年金資産までを株式投資に流用し、官製相場で特定株主に漁夫の利を得させ、円安で特定企業が円安差益を貯め込んだ。なんのことはない、一部の人々と企業が「濡れ手に粟」を掴み、積み上がった負債が将来世代の国民に先送りされただけではない。日本社会は膨大な国家債務を抱える脆弱性を、さらに深刻化させた。これほどの不合理・不公正はあるだろうか。安倍内閣の罪は重い。万死に値する。まさに「悪夢」のアベノミクスである。

 アベノミクスが「高度成長をもう一度」というまったく根拠のない景気浮揚策にすぎず、国民の歓心を煽るものであることは、このブログでも何度となく指摘してきた。安倍内閣は国家財政を毀損させ、日銀資産の不良化と政策手段の狭隘化をもたらし、将来社会の持続可能性を土台から掘り崩した。
 戦後の若い世代が大量かつ持続的に新規労働力として市場に入り、消費財市場が拡大し、生産が持続的に拡大した高度成長時代は、すでに過去の時代である。日本経済と日本社会ははるか昔に青年期を終え、熟年期から老年期に入っている。今や人口減少が始まり、経済も社会も縮小する時代を迎えている。にもかかわらず、「高度成長をもう一度」という根拠のない政策を強引に推し進めれば、一部の企業や社会層が利得を得ても、社会は累積債務を積み上げるだけのことになる。政権を維持することしか念頭にない安倍政権の短期的ポピュリスト政策は、経済の一時的高揚の勢いに乗じて、自民党念願の憲法改正と自衛隊の海外派遣を狙ったものだ。しかし、その浅はかな「目的」の実現のために、ボンボン宰相は日本社会に途方もない債務を累積させた。「悪夢の内閣」、「戦後最低内閣」であることは間違いない。

 円安と株価上昇をアベノミクスの成果と誇ってきた安倍晋三だが、このボンボン宰相は政府の累積債務がもたらす深刻な結末に思いが及ばない。もっとも、それはたんに安倍晋三の頭にないだけでなく、アベノヨイショの「経済学者」も同類である。彼らは国家財政の赤字など、なんとでもなると考えている。しかし、国家の累積債務は国の体力にかかわる重大問題である。コロナ災禍であれ、大地震であれ、原発事故であれ、日本社会が大きな困難に遭遇した時に、累積債務で体力を失った政府がとりうる政策は限りなく制約される。余力の無い政府が赤字国債をさらに積み上げれば、確実に円の暴落が始まり、インフレ昂進を避けることができない。超インフレによって国家債務は減額されるが、国民資産もまた減価し、国民と国民経済は未曾有の困難に直面することになる。だから、長期的視野を欠く経済政策は百害あって一利なしなのだ。短期の景気浮揚ではなく、社会の安定的持続を政策目標にしなければならない。
 「安倍晋三とその仲間たち」は危機的な事態を迎えても、自分たちの責任を絶対に認めないだろう。天災が困難をもたらしたと主張するだろう。そうではない。天災に遭っても、余裕をもって国を再建できる体力をもっているか否かによって、政策の真価が明らかになる。体力が十分にあれば、日本株や円貨が売り浴びせられることはない。しかし、疲弊した日本経済が巨大な天災に遭遇すれば、その足許を見透かされよう。危機を迎えても、それを克服できる体力があるとみなされれば、日本売りはない。ところが、その体力をアベノミクスは限りなく衰えさせてきたのだ。
 日本の公的年金資産は年間GDPの三分の一程度しかない。200兆円にも満たない。にもかかわらず、なけなしの年金資産を株式投資に流用し、富裕層に散々儲けさせた挙げ句、定期的に襲われる金融危機で資産を減らしたらどうなるのか。ただでさえ小さな資産である。10兆円も20兆円も資産を毀損して良いわけがない。国会で「株式投資で年金資産が毀損したらどうなるのか」と聞かれて、安倍晋三はしゃあしゃあと、「当然、給付に影響がでる」と答えている。ボンボン宰相のお遊びで、年金が溶けてしまうことなど許すことはできない。ボンボン宰相の個人財産をすべて補填に回しても高が知れている。しかし、少なくとも政治家個人の責任をはっきりさせるために、自らの私財を投じて政策失敗を国民に謝罪すべきだ。

 これにたいして、野党はどうか。長期的視野に立って、アベノミクスに対抗できる政策を提示してきただろうか。野党も、与党と同じように、短期的思考のポピュリズムに陥っていないか。消費減税などと言うピント外れの政策で右往左往するのではなく、年金資産の保全と、毀損の政治責任をしっかりと問わなければならない。ボンボン宰相だって、人気回復のために消費税減税を打ち出すことに躊躇しないだろう。その程度の政策に、国民の受けを狙って野党が躍起になっているようでは、アベノミクスと五十歩百歩だ。与党も野党も、ポピュリズムの罠に陥って、そこから抜け出すことができないのだ。
 財政赤字の累積についても、与党だけでなく、野党もきわめて鈍感だ。国の借金などどうにでもなると考えている点で、野党も同じ穴の狢だ。政治家がこうだから、国民も「なんとかなるのではないか」という幻想から抜け出すことができない。まさに、政治家も国民も「今だけ良ければ良い」という超短期志向にどっぷり浸かっている。
 安倍晋三だけでない。政治家も国民も、毎年積み上げられる国家財政赤字の行く末に思いを馳せることができない。経済学者と称する面々も、「これだけ債務を累積させても国家財政が破綻していないのだから、この状態を続けても問題無いのではないか」という楽観論に支配されている。「原発は百%安全」、「大地震は来ない」のと同じで、「国家財政は破綻しない」というのは浅はかな期待であり幻想である。市井の人々がそれを信じるのは仕方がないとしても、政治家や「経済学者」と称する者が幻想を振りまくのは、社会的犯罪である。
 政治家も国民も、財政赤字は現世代の浪費が将来世代に回した「付け」であるという実感をもてない。日本社会がこの問題に真正面から向き合わなければ、将来、必ず、国民は立ち直れないほどの大きな困難に直面する。

 天からお金が降ってくるわけではない。国が負担するとは国民が負担するということだ。現世代が社会的消費(社会保障サーヴィス・給付)を浪費しているとすれば、社会的消費を減らすか、負担を増やして赤字が出ないようにするしかない。後者は私的消費の一部を削減して、社会的消費に振り替えることを意味する。だから、消費増税で私的消費が減るのは当然のことである。GDPが減るから消費増税は間違いというのは筋違いだ。しかも、GDPがどのように算出されるのか、GDPがどれほど国民福祉にと結びついているのかを知らないで、GDPを語ることは止めた方がよい。社会保障の水準を支えるものは何なのか、持続的に安定した社会を維持するために何が必要なのかを考えるべきだ。GDPの定義も知らずに、あたかもGDPだけが国民経済の豊かさを測る指標と考えているGDP至上主義は、考え方として間違っている。多くのエコノミストと称する連中も、GDPが実体経済を反映する指標だと考えている。このGDP至上主義が国民経済の行く末を過らせる。GDPを増加させることが社会を幸福にさせることではない。
 アベノミクスを批判する者は、アベノミクスが依って立つ短期的思考とポピュリズム思考から脱却する必要がある。短期志向とポピュリズムが野党をも支配しているとしたら、日本社会に未来はない。
2020.03.13 『サル化する世界』の警句
盛田常夫(在ブダペスト、経済学者)

 春秋時代の宋にサルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちに給餌していたが、手元不如意になって、コストカットを迫られた。そこでサルたちに「朝は三粒、夕に四粒ではどうか」(朝三暮四)と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は四粒、夕に三粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。
 このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。――内田 樹『サル化する世界』(I 時間と知性-ポピュリズムと民主主義について、文藝春秋社、2020年)より

 現代人は限りなく「サル化」している。内田によれば、それは現在の自分と将来の自分を同一視することができない「自己同一性」の欠如によるという。自己同一性という難解な用語を使わなくても、「人は目先の利益は分かるが、将来の損失が自分に降りかかるものとは認識できない」ということだ。単純な思いつきで「消費税を5%に下げることができる」と騙され、近い将来に15%に上げなければならないとしたら、「朝三暮四」の「サル」と変わらない。もっとも、将来の消費税が15%で打ち止めされることはなく、EU諸国のように20~25%に上げたとしても、日本の財政赤字の抜本的な解決が難しいほどに、日本の公的累積債務は増え続けている。
 債務が累積するとはどういうことか。それは現世代の国民が身の丈以上に社会的給付を受けていることを意味する。赤字を積み上げた分だけ現世代が浪費し、その付けを将来世代に回しているのだ。その積み上がった浪費額はGDPの2倍以上、20年分の税収に達する。この巨額の「累積債務」=「現世代の浪費」は、すべて次世代の国民につけ回しされる。今さえ良ければ、将来の災禍は野となれ山となれというのは「サル」と同じ。自分たちの子供や孫が苦しむことを実感できないのだ。国の借金などどうにでもなると思っているのだろうか。軍国主義国家の戦時国債に騙され、政治主導の経済管理が社会主義下の国民経済を崩壊させたことから何も学ばない人類は、「サル化」の道を歩んでいる。
 現代の日本の財務状況のなかで、増税なしに、社会保障給付水準も下げないという「虫の良い話」はあり得ない。増税しなければ、社会保障給付を減らすしかない。ところが、「サル化」した人間は、目先の消費税引上げに抵抗するが、断続的に実行される給付削減に抵抗することはない。仕組みが良く分からないものには抵抗しない。増税は嫌だが、給付削減は仕方が無いと直感的に思うのだろう。
 政治家の無責任なポピュリスト政策によって積み上げられた債務は、戦争や大きな自然災害に見舞われた時に、必ず国民を大きな苦境に陥らせる。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、現代人はもっと賢いはずではないのか。
 人類は文字を獲得することによって、過去と現在を時間的に繋げることに成功し、時間意識を持ったはずだが、経済的な利益や国家社会の話になると、時間意識を持てなくなる。目先の甘い誘惑に負け、それが将来の大きな損失を招くことを実感することができない。歴史を辿れば、それを実感できるはずだが、如何せん、それは自らが体験したことではないから、身につく時間意識(歴史意識)にはならない。つまり、内田の用語を借りれば、自己同一性を我が物にすることができないから、人類は何度も同じ過ちを犯す。

 政治や政治家は無責任だ。彼らは絶対に責任を取らないし、取れるはずもない。安倍晋三であれ山本太郎であれ、自らの政策の結末に責任を持つことはない。有権者の票を得るための甘言に、人々は簡単に騙される。「サル」にならないために、どうすれば良いのだろうか。少なくとも、目先の利得が、将来にどのような災禍をもたらすのかを考える思考力を身につける必要がある。
2019.12.10 東京大地震の社会経済的影響

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

NHKは12月2日から週を通して、東京直下地震の被害を体感させる番組「パラレル東京」を放映し、都民のみならず国民の注意を喚起している。今後30年間に70%の確率で起こるとされる東京直下地震にたいして、東京都のみならず、政府は万全の事前措置を講じることが必要である。
番組では、最悪の場合、東京大空襲に匹敵する惨劇が起こることを想定している。まさに終戦直後に似た状況が再現されるという強いメッセージが送られている。これだけ高い確率で起きることが予想されている自然災害にたいして、人々が無策でいることは許されない。番組では物理的かつ人的な被害が詳細に伝えられている。すさまじい被害である。それを現実のものにしない準備が必要である。
他方、この直下地震が及ぼす社会経済的な影響について、番組は触れていない。あくまで物理的人的被害に焦点を当てた番組である。しかし、われわれは人的被害を最小限にする準備のみならず、地震被害が社会経済的にどのような影響や帰結をもたらすかについても、十分に検討を加え準備する必要がある。なぜなら、被害の規模によって、日本の社会経済的機能の中枢的な部分が失われるからである。
首都に甚大な被害が生じれば、主要な経済機能、とくに金融機能が失われる。政府は社会的混乱を避けるために、銀行預金の一時的封鎖あるいは、預金引出しの一時的制限を導入せざるを得ない。被害の深刻さにも依るが、預金封鎖あるいは引出し制限の導入は、物価の高騰と円為替の暴落を惹き起こすことは確実である。とくに膨大な政府累積債務を抱える日本には、危機的な地震被害を契機に、円売りが浴びせられ、為替の下落は輸入物資の高騰を惹き起こす。人々の生活物資の高騰のみならず、復興のための輸入物資が高騰し、それがハイパーインフレを惹き起こすことが予想される。この時になって、巨額の累積債務という「体制負債」が社会に重くのしかかってくる。
このような事態に陥る可能性がきわめて高いのは、政府が抱える累積債務があまりに巨額だからである。巨額の債務を抱えたままでは、日本は復興への態勢をとることができない。日本は終戦からの再出発を余儀なくされる。ハイパーインフレによって、国民の資産は限りなく無に帰す。一般庶民が失う資産より、金持ちが失う資産の方がはるかに大きいが、それにしてもこつこつ貯めてきた資産は無に帰す。他方、GDPの200%を超える政府債務は限りなくゼロになり、経済再建のためのリセットが行われる。まさに第二の敗戦である。
政治家や政党は当座の選挙で議席を増やす政策に汲々するのではなく、日本を襲う災害の被害を最小限に抑える政策に力を注ぐべきである。そのためにも、当座の景気対策でしかないアベノミクス政策を止め、国家債務の削減に向けた財政健全化政策を行うことが不可欠である。可能な限り国家債務の水準を下げ、自然災害にたいして余裕をもって対処できる体力をつけることが必要である。
ところが、与党も野党も、右も左も、国債発行すれば、国家資金は無尽蔵にあると考えているようだ。本当に財政問題を深刻に考えているなら、政治家がホテルや料亭で会食するはずがないし、公金を私的に流用することもないはずである。しかし、安倍政権にはそのような堅実な姿勢は見られない。もともと安倍政権や安倍晋三自身がそのような日本社会の将来を憂う知性を持ち合わせていないから、それを期待することもできない。しかし、日本社会の平均が安倍晋三の知性レベルにある限り、日本の将来は明るくない。
他方、野党はどうか。安倍晋三を凌駕する知性を発揮しているとは到底思われない。アベノミクスの旗振り役で、アベノヨイショの代表である高橋洋一を講師に招き、ありがたくご意見拝聴している「消費減税研究会」の知的水準は、アベノヨイショの御仁とさほど大差ない。ポピュリズムという点で、アベノヨイショと五十歩百歩だからである。
アベノヨイショの御仁たちは自らの見解に責任を持つことはない。東京直下地震によって日本の社会経済機能が失われ、日本売りが始まっても、それがアベノミクスによる無責任な経済政策の一つの帰結であることを認めようとはしないだろう。まさに原発事故と同様に、与党とその政治家、御用学者は過去の政策の誤りを認めず、「天災」に責任を負わせるだろう。
庶民は財産を失い、終戦の混乱に乗じた一部の政商や悪徳業者が再び富を蓄積する。戦前は軍国主義に騙され、今はアベノミクスに騙され、庶民は富を失う。人々が賢くならない限り、歴史は繰り返えされるのである。
2019.12.04 “ローカリゼーション”広がる――「しあわせの経済」国際フォーラム報告<下>
アグロフォレストリー(森林農法)の成功 ―パレスチナ、タイ、メキシコの各地で

伊藤三郎 (ジャーナリスト)

本稿「上」の末尾に「若い人々の地方への回帰の傾向は、いまや世界史的な流れに」という、このフォーラムの主催者である文化人類学者、辻信一・明治学院大教員のコメントを紹介した。この国際会議「しあわせフォーラム」の創始者、言語学者のヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの「正しいローカリゼーションによって世界経済の仕組みは変えることができます」という呼びかけを受けたものだが、世界各地から会場に集まった運動家や学者らの報告からも「地方回帰へのうねり」はしっかりと確認できた。
IMG_1460 大階段教室
「しあわせフォーラム」のメイン会場、大きな階段教室は連日大入り、熱気にあふれた

 長年イスラエルの過酷な支配に苦しむパレスチナから参加したアグロエコロジスト、環境運動家のサアド・ダゲール氏。自らも農業、養蚕業を営む傍ら15年前にパレスチナにアグロエコロジーという思想を紹介し、ヨルダン川西岸地域に初のコミュニティー協同農場を設立した。
 「過去数十年、(石油化学製品中心の)農薬・肥料を使う農業を当然としてきた両親らに、自然の力を恵みとして作物を育てる有機農法、自然農法などを柱とする“持続可能な農業”、アグロエコロジーを理解させるのに苦労した。しかし、マスクなしで農薬を使って農民が病に倒れ、子供を死なせる、などの悲劇を通じて、特に母親である女性らが目覚める。家族の健康を願い、自分自身が楽しく農業を営むために、良い食物を、という女性たちの熱意が、アグロエコロジストである私の運動推進に大きな力になった」
 2002年に初めて無農薬の野菜作りに成功し、アグロエコロジーに目覚めたサアドがそれから間もなく女性たちに呼び掛けてパレスチナに初のエコビレッジ、自然農法と取り組む農村コミュニティーを作る。以来20年足らずの間に400のエコビレッジが生まれたという。
 「過去数十年間、都会へ都会へと流れ続けた若い人々が近年小さなエコビレッジに戻り始めた。私の娘はヨガでエネルギーを得て、ブドウの収穫を楽しむようになった」
 イスラエルとパレスチナの紛争に明け暮れるこの中東の一角は、文明発祥の地の一つ、そもそもは肥沃な土地だったはず。
「そこを砂漠にしたのは人間の争い。そのパレスチナの地でエコビレッジ作りに励むサアドの報告は私たちに希望を与えてくれます」と辻さん。
IMG_1458パレスチナの領土縮小
イスラエル軍による過酷な支配によってパレスチナの領土(影の部分)は約半世紀の間にこんなに激減した
 
 タイの先住民族カレン族の一人、スウェの呼び名を持つシワコーン・オドチャオ氏が講演。タイ北部のノンタオ村にある自分たち一族のコーヒー農園「レイジーマンファーム」の生業(なりわい)と「しあわせの経済」の深いかかわりを淡々と語った。
 スウェは、北部カレン族のカリスマ的リーダーだったジョニ・オドチャオ家の9人兄弟の6番目に生まれ、父とともに先住民族の権利闘争に加わったことも。
「われわれの民族は自然を敬い、自然とともに生きるという民話の教えを大切に生きる。だからコーヒーの木を育てるのもモノカルチャー農業でしゃにむにコーヒーの木を育てるのではなく、森を荒らさないように50種以上の作物を併せて作る。」

 「森を守り、育てる」アグロフォレストリー(森林農法)の思想はカレン族に伝わる民族の知恵とピタリ一致。“なまけもの農園”を意味する「レイジーマンファーム」という農園のユニークな名前も「地球のために、ゆっくりと」、というスローガンも、森林農法にそったもの。だから、収穫後の乾燥、焙煎なども効率本位でせかせかと、ではなく、ゆったりと、を心がけ、農園を訪れる人々とじっくり対話を楽しむために自分たち手作りのコーヒーでもてなす。
この話には実は深い背景が ― 2011年、タイの巨大企業『CPコーン』が遺伝子組み換えによるトウモロコシの単一栽培という巨大プロジェクトを打ち出し、政府が後押しを、という動きがあり、これに対抗するために生まれたのが「レイジーマンファーム」だったのだ。
 通信教育で修士号獲得の後、2009年に栃木県の学校法人「アジア学院」に9か月間短期留学。そんな道のりを経て、経済のグローバル化と循環的な農業技術の基礎も学んだスウェが、はるばるこの戸塚「しあわせフォーラム」に足を運んだのは、ローカリゼーションの足場である「森にやさしいコーヒー農園」を護るため世界中の仲間たちとのネットワークをより確かなものにするためだった。
 ちなみに、会場の一角に陣取った「しあわせの経済」マルシェで飲んだ1杯200円の「レイジーマン・コーヒー」はお値段2倍以上のライバルとそん色ない、深い味がした。

 さてその森林農法では世界に先駆けて国全体に広く普及、軌道に乗せたメキシコ。約40年前の1977年、多くの先住民が暮らすプエブラ州北東部の山岳地帯で複数の先住民が中心となって作られた「トセパン協同組合」。「トセパン」という先住民の言葉は「共に働き」「共に話し合い」「共に考える」という意味を持ち、22の市町村、35,000人の組合員(2017年11月現在)がコーヒーなどの農業生産で大成功を収めている。
全国のモデルとなったこの「トセパン協同組合」をはじめ、多くの大学や協同組合で森林農法、コミュニティー運動を指導するメキシコの生態学者パトリシア・モゲルさんも太平洋を越えて戸塚に駆け付けた。「森林農法と地域経済」分科会では同じ道の後進、カレン族のスウェと言葉を交わす姿が注目された。
 そのメキシコでは昨年末にアムロ新大統領が就任(メモ1)。民主化と経済の大改革に乗り出し、パトリシアはその有力アドバイザ-に。その「時の人」は講演で ―
 「アムロ政権の新しい環境大臣の掛け声に従って先住民の知恵を生かした地域経済の改革をこれからより力強く進めます。われわれのこうしたローカリゼーションの運動はエルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラなど中米の近隣諸国にも広がろうとしており、日本の皆さんにも貴重なお手本になるでしょう」
 自信に満ちた講演の締めくくりに「来年11月にこの『しあわせフォーラム』をメキシコに招くことが決まりました。皆さんを招待します」と宣言すると、多くの参加者が大きな拍手で祝福した。

 ところで、およそ半世紀の歴史を持つこの「しあわせの経済」運動。本稿<上>でも触れたが、その教祖的存在の経済学者E.F.シューマッハーが『スモール イズ ビューティフル ― 人間中心の経済学』を書いたのが1973年、「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)の追求を」とブータン国王が提唱したのがその前年の1972年。そして、英国イングランド南西部の小さな古都、この運動のメッカと言われるトットネス郊外にシューマッハー・カレッジが創設された1991年からすでに30年近い。
そこで私事になるが、このローカリゼーション運動に強い関心を持つようになったのはつい1年前のこと。昨年9、10月にまたがる2週間、上記トットネスに逗留。「トランジション(transition)・タウン(town)・トットネス(Totness)」略して“TTT”と呼ばれるこの町で、約8000人の住民が「しあわせの経済」を探し求めるイキイキとした生活ぶりに新鮮なショックを受けたことを本誌にリポート(メモ2)。
上記拙稿でも触れたが、この「トットネス詣で」は経済学者である息子(54歳)に誘われて参加。妻、長女と孫(大学4年、長女の長男)も交えた総勢5人、ファミリー取材団の趣であった。リーダー役を努めた息子は、途上国の経済的自立などをテーマとし、森林農法などアグロエコロジーに取り組む先住民族の現地調査などに東奔西走。「行動する学者」なのだそうである。
さらに、今回の「しあわせフォーラム」取材は前記の孫と助け合って、の態勢。この孫は来年進む予定の大学院での研究テーマに「しあわせの経済」を選び、今回はそのウォーミングアップの一環だとか。
ここまで取材の内幕を披露すれば、私がなぜいま「しあわせの経済」なのか、お分かりいただけよう。日本経済が戦後復興から高度成長を経ていまの「停滞」に至るまでの半世紀間、「GNP拡大こそ幸せの源」という“成長神話”にどっぷりつかって書き続けてきた老記者(79歳)が、老いては子・孫らに従ってエコ記者にヘンシーン ― 「近代社会は根本的に誤った方向へ向っている」というヘレナのご託宣に、思わず「異議なーし」と叫ぶに至った次第であります。

こんなプライバシーはそれとして、最後にひと言 ― それにしても、これだけ地球の未来、孫子の将来に深いかかわりを持つ国際会議に、わが古巣を含めた全国紙やテレビのニュースワイド番組がほとんど取材に現れないのはどうしたことか。このままでは、死ぬまで現役のつもりで書き続けるしかないのかしら ― 。

(メモ1)アムロ大統領:メキシコ大統領。アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールという長い名前の頭文字から通称はアムロ(AMLO)、66歳。2014年に新左派政党である国家再生運動を立ち上げ、2018年の大統領選に勝利。民主化と治安の回復、森林農法を柱とした経済改革の推進などを宣言。任期は2024年まで。
(メモ2)タイトルは『「危機を好機に」挑む人々 ― 英トットネス遠回り紀行』(「リベラル21」=2018年10月23,24日付け=に連載)

2019.12.03 “ローカリゼーション”広がる―― 「しあわせの経済」国際フォーラム報告<上>
世界が注目する自然との共生型生活―沖縄・西表島の「紅露(クール)工房」

伊藤三郎 (ジャーナリスト)

 世界を覆う「トランプの闇」の先を見据えて、ローカリゼーション(地方からの改革)のネットワークが広く静かに展開中 ― 先月の9,10両日、横浜市戸塚で開かれた『「しあわせの経済」国際フォーラム2019』(以下、「しあわせフォーラム」)に参加。パレスチナ、タイ、メキシコ、沖縄など世界の各地でそれぞれの改革に取り組む人々の活発な議論や報告に耳を傾けて、それでも世界は前進している、と確信した。
 この集まりは、ローカリゼーションのリーダー、スウェーデン生まれの言語学者、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん(メモ1)の呼び掛けに、NGO「ナマケモノ倶楽部」代表の文化人類学者、明治学院大学教員の辻信一さんがそのパートナーを務める国際的な運動。その年次集会である国際フォーラムは、日本では1昨年11月に始まり、今年は3回目。会場を過去2回の東京から辻さんのホームグランド、明学大の横浜キャンパスに移し、内外の経済学者、地球環境保護運動のリーダーや学生を中心に2日間で延べ約1700人が会場を埋め、熱心な論議や報告が繰り広げられた。
IMG_1448 ヘレナ
「ローカル経済から改革を」と呼びかけるヘレナ

 「われわれがビッグ・ピクチャー(大きな改革構想)を共有し、その目標に向かって協力を続ければ世界は変えられます」
 昨年は「東京フォーラム」直前の急病で欠席し、今回2年ぶりに元気な姿を見せたヘレナは、意気軒高、ハリのある声で約30分の開会宣言を ―
 「いま世界の貿易はとんでもないことに ― 米国では1年あたりの輸出入が、たとえば砂糖は輸入7万1000㌧ンに対して輸出8万3000㌧、牛肉同じく95万㌧対90万㌧、英国でも牛乳を11万4000㌧輸入する一方で11万9000㌧を輸出、パンは17万㌧対15万㌧・・・」
グローバル化、大企業中心、成長神話に基づく国際貿易は、いまこんな大きな無駄、矛盾を抱えていることを表す一覧表を提示して、ヘレナの熱弁が続く。
「その一方で、“地産地消”のローカル経済が国全体を動かす力にも。地域の手作り農業生産、地元食材を使った地元の店舗、地域のマルシェ(朝市など)、地域通貨などがローカル経済を活性化させ、大きな改革への希望を膨らませているのです」
「気候変動、多くの動植物の絶滅危機、生態系の破壊、失業、不平等、貧困、ストレス、うつ病の蔓延、原理主義、テロ、民主主義の腐敗、政党の極右化・・これらの問題が底流でつながっているということは、解決策も繋がっているということ。こうした底知れぬ難問に目を奪われるよりも、身の回りから少しずつでも経済の仕組みを変えていきましょう」
改革運動のパートナー、辻さんはヘレナが舞台に立つと「本当に表れてくれるのかひやひやしていた」と胸をなでおろし、彼女の話が終わると「この沢山の問題にはそれぞれ専門家が存在するが、全体として解決するには(学問の領域を超えた)大きな構想、彼女の言うビッグ・ピクチャーが不可欠。その大切なことをみなさんの一人一人が認識することが本当に大切なんです」とコメントして、舞台から去るヘレナを見送った。
 
 ところで、私がこの「しあわせの経済」運動の着実な歩みに注目したのは昨年9月下旬からの2週間、英国イングランド西南部の小さな町、トットネスに逗留したのがそのきっかけ。「トランジション(transition)・タウン(town)・トットネス(Totness)」を略して“TTT”と呼ばれるこの町は、トランジション(改革途上)のシンボルとして知られる。
この美しい古都の住民約8000人が「Small is Beautiful (小さきことは美しい)」(メモ2)をモットーに「しあわせの経済」を探すいきいきとした生活ぶりを『「危機を好機に」 ― 英トットネス遠回り紀行』と題して本誌に連載(2018年10月23,24日号)。
 それから1年余、今年の横浜「しあわせフォーラム」に世界の各地から集まった改革運動の指導者、専門家らの活発な議論と報告を聞き、私は記者OBら仲間内のブログ新聞に、世界は混乱の中にあるが「ローカリゼーション(地方からの改革)は着実に進んでいる」と書いた(「メディアウオッチ100」2019年11月13,15日連載『「しあわせの経済」国際フォーラム2019・報告』)。本稿はそれを手直しした、上記『「危機を好機に」 ― ・・』の続編である。

 その中で、この「しあわせの経済」運動の元祖にしてシューマッハー・カレッジ創設以来の校長、インド人の思想家サティシュ・クマールさんが米トランプ大統領出現以来、折に触れて口にする「危機を好機に」という以下のような持論を紹介。
 「危機は同時に好機でもあります。イギリスのEU(欧州連合)離脱やアメリカのトランプ政権の誕生なども、見方によってはナショナリズムの意味を改めて考える絶好の機会なのです。(中略)偏狭なナショナリズムは“小さな心と大きなエゴ”の産物。一方、ローカリズム(地域主義)とインターナショナリズム(国際主義)は補完関係にあり、それを合わせた“グローカリズム”とは“大きな心と小さなエゴ”の組み合わせを意味するのです」

拙稿のタイトルにした「危機を好機に」という逆転の発想は、「改革途上の町」トットネスの人々の日常生活を支え、この「しあわせフォーラム」の一貫したテーマであるローカリゼーションの推進力にも。そして、地球の危機を救うには経済の限りなき巨大化、グローバル化を止め、ローカル化、人と人、地域と地域のつながりと自然との共生を、というヘレナの教えを自ら体現している「しあわせ経済」のお手本のような女性が今度の「しあわせフォーラム」に招かれた。
 沖縄・西表島に住む染色家、「紅露(クール)工房」主宰の石垣昭子さんがその人(メモ3)。
「地域文化の再生:江戸時代と先住民文化から学ぶ」という分科会(10日)で、尊敬する田中優子・法政大学長らと席をともにした石垣さんは、東京で生活していた自分が「西表島に戻ろう」と決めたのは、人間の幸福、地域の文化にとってその土地固有の布の力がいかに大切かを田中さんから教えられたから」と、その田中さんに謝意を伝えるように振り返った。
 「紅露工房」は石垣昭子さんと夫・金星さんの生活の場であり、同時に芭蕉布を中心とする糸・布・染色の研究にとどまらず、世界中の布・染色の専門家やローカルの生活と経済を研究しようという辻先生の教え子たちの修行・研修の場ともなっている。
 石垣さんは「西表島の歴史・伝統と美しい自然の恵みの中で私たちの芭蕉布作りや藍染めなどの染色の技術は守られ、再生されてきました。こうした自然との共生は年中行われるお祭りの祭事とも一体であり、自然から生きる力を与えられることを、世界中から集まる繊維の専門家や学生たちに伝えていくことが私たちの使命」と静かに語った。
西表島で開かれた国際交流ワークショップに参加したインド人のデザイナーが「ここはアーティストにとって楽園」とコメントした。その「紅露工房」が1980年に設立されたあと、どのように肉付けされてきたか、詳しくは『紅露工房シンフォニー』を読んでいただくしかないが、明治学院大・辻教室の卒業生の何人かはすでに西表島に住み着き、地元の人たちとともに「しあわせの経済」の実践に励んでいる。
 こうした若者たちが地方に戻り、住み着く傾向は一時の流行にとどまらず、いまや世界史的な流れとなってきた、と辻さんは見ている。
IMG_1481 トーク
トークショーで語る辻信一、田中優子、石垣昭子、亭田歩の各氏

(メモ1)ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ 1975年外国人入域が許可されたインドの高地、ラダック地区への最初の移住者の一人、言語学者。急速に進む開発とそれに伴うラダック文化と自然環境の破壊を憂い、地元の人々とともに「持続可能な発展」を目指す運動に取り組んだ。そのリポート『ラダック 懐かしい未来』は40ヵ国以上で翻訳されて世界中に大きな影響を与え、「しあわせの経済」フォーラムを世界各地で開き、国際ローカリゼーション運動の先端に立ち続ける。
(メモ2)「スモール イズ ビューティフル ― 人間中心の経済学」 ドイツ・ボンで生まれナチスの圧政からロンドンに逃れて、第二次大戦後英国に帰化した経済学者、E.F.シューマッハー(1911~77年)の処女作のタイトル。産業革命後の機械化、経済成長至上主義へのアンチテーゼとして再評価されつつある。その思想を伝える場として1991年トットネス近郊に大学院大学シューマッハー・カレッジが設立され、シューマッハーを信奉したインド人思想家のサティシュ・クマールさんがその初代校長に。
(メモ3)『西表島・紅露工房シンフォニー ― 自然共生型暮らし・文化再生の先行モデル」』(石垣昭子・山本真人 共著、地湧社)
<続く>