2021.02.27  「春の陽」
出町 千鶴子 (画家)

「春の陽」

 今、世界がひとつになって取り組むべき未来からの課題がふたつ。連動する「地球温暖化防止」と「新型コロナウィルス・パンデミックの収束」である。
 人類の罪(気候危機)を反省し、世界中の言語・人種・文化・宗教・政治の全ての違いや壁を乗り越え、人類の叡智を惜しみなく結集して、解決を急がなければならない。むつかしいことはわからない私にも、今日の日常茶飯をいかに暮らすかと見渡せば、出来る事がたくさんある。庭先の猫たちが言う。
 「重要なことは、知的感性と創造力だね。」
「そう。星の王子さまのきつねさんも言っていた。『大切なことは心の目で見るんだよ。』ってね。そして自分は何をしたいのか、心の声を聞くのさ。」



2021.01.30 地球の上で「うたおう歓びの歌


22347_出町さんの絵


出町 千鶴子 (画家)
 
地球の上で「うたおう歓びの歌」

晴れたる青空 漂う雲よ 小鳥はうたえり 林に森に
心は朗らか 歓び満ちて
見交わす我らの 明るき笑顔 

夜明け前、庭の小鳥たちの歌で目を覚ます。
今日もまじめに楽しく元気よく私は絵を描こう。
みなさんは、いかがお過ごしですか?






2020.12.21 地球の上で«Jingle Bells»
          
出町 千鶴子 (画家)
 
 ツリーを飾ってクッキーを焼いて、窓もきれいに準備は上々。
もうすぐクリスマスがやって来る。

 祝福がぎっしり詰まったサンタクロースさんの大きな袋が、
あなたにも届きますように。
出町クリスマス絵画

 クリスマス、おめでとうございます。
2020.09.14   地球の上で「生きる」
地球の上で「生きる」


出町 千鶴子 (画家)
 
 地球の神さまは、チーターの子ども達に頭のてっぺんから尻尾の付け根まで銀灰色ふあふあの鬣(タテガミ)を下さった。
 子ども達の鬣は、体温調節の役割をし、また、まばらに灌木の生えた平原では鬣を立てて陽の光を吸収し風にそよがせて、ライオンやハイエナら捕食者達から自らをカムフラージュすることができる。またある時は、巣穴を横取りにやって来たアナグマやヤマアラシに擬態して自らを守ることもできる。
 
 こうして、気がつけば子ども達は生後110日余。魔法の鬣は役目を終えて安心したようにして消えて行く。

 子ども達が5か月になった頃、お母さんは、子ども達を連れて、危険安全の合図をしあいながら狩りをする。子ども達を狙う捕食者達に襲撃されたり、せっかくの獲物を横取りされることも多い。命がけの採食活動である。
 子ども達は、お母さんの狩りを観察しながら驚異の大自然に親しみ、此処で生きていく知恵や術、怖さや畏れも身につけるのだ。

 ライオンは、血縁関係で群れをつくり、大家族で狩りをし、縄張りを守り子どもを育てる。対して、チーターのお母さんは、彼らの縄張りから外れた水の少ない草原や丘陵に巣穴の寝床を作り、単独で狩りをし、子育てに全身全霊をささげる。

 チーターは、BC1900古代エジプトでは、多産と豊穣の象徴として壁画やパピルスの記録画にその姿が描かれている。インドやイランでは、王様の狩りの猟獣として寵愛を受けていた。絵は、アジアチーターであるが、現在はイランのキャヴィ―ル平原に60頭足らずが生息するのみだそうである。
2020.07.23 「無辜の絵画」派の画家たちに光をあてる
        コロナ禍で幻と化した広島市現代美術館の展覧会

岩垂 弘 (ジャーナリスト)
  
 5月30日から7月19日まで広島市現代美術館で開催される予定だった同美術館と中国新聞社主催の特別展「無辜の絵画 靉光、竣介と戦時期の画家」が新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から中止となった。準備に2年かけた展覧会だった上にそのモチーフがユニークだっただけに、その中止が惜しまれる

 この展覧会のために広島市現代美術館館は同美術館編の『無辜の絵画 靉光、竣介と戦時期の画家』と題する図録をつくった。発行は国書刊行会で市販されている。335ページ、定価3800円+税という大著だ。
 これには、会場に展示されるはずだった164点の絵画の写真と、美術関係者による解説が収録されている。

 これら164点の絵画の作者は26人にのぼるが、展覧会のタイトルからも分かるように、そこでは、とりわけ靉光(あいみつ)と松本竣介(まつもと・しゅんすけ)という2人の画家がクローズアップされている。
 
 図録などによると、靉光の本名は石村日郎。1907年(明治40)に広島県北広島町の農家に生まれる。幼少期に広島市内の伯父の元へ養子に出される。小学校を卒業し、印刷所に勤めたのち、大阪、次いで東京へ。そこで、さまざまな公募展に出品したり、若い仲間とともにグループをつくって展覧会を開くが、1944年(昭和19)に召集され、妻、幼子3人を残して中国戦線へ。1945年(昭和20)の敗戦をそこで迎えるが、その後、病気で入院し、翌年1月、上海で亡くなった。38歳だった。その画風はシュールレアリズム的で宋元画の影響もあるとされる。
 
 松本竣介は1912年(明治45)に東京で生まれた。一家あげて岩手県盛岡市に移住したが、14歳の時に聴覚を失い、中学を中途退学。1929年(昭和4)に東京に出て、洋画を学ぶ。その後、作品の発表を続けるが、戦後の1948年(昭和23)、36歳で病没した。モジリアニ、ルオー、ピカソらの影響を受けているが、日本的な描線を生かした清澄で抒情的な美しさに特徴があるとされる。

 靉光、竣介以外では、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、鶴岡政男、寺田政明、長谷川利行、福沢一郎、山路尚、吉井忠、川口軌外、村井正誠、鳥海青児らが名を連ねる。いずれも、靉光、竣介と親交のあった画家か、2人の周辺にいた画家だ。
 太平洋戦争中の1943年(昭和18)4月、靉光、竣介、麻生、糸園、井上、鶴岡、寺田らは東京で「新人画会」を結成する。同会によるグループ展は44年9月まで3回にわたって開催された。

 幻となってしまった展覧会で取り上げられる予定であったこれら26人の画家には、共通点があった。それは、1930年代後半から1945年代前半にかけての時代を絵描きとして生きたということだ。つまり、昭和の戦時期を生きた世代であった。

 この時期、画家たちは、生きる上でそれぞれ対応を迫られた。
 東京都美術館で1977年、「靉光・松本竣介そして 戦後美術の出発展」が開かれたが、当時、同美術館学芸員だった森田恒之氏は、同展の図録の中で、こう書いている。
 「1930年代なかばから始まった軍国日本への歩みは日一日と、あらゆる種類の自由を拘束し、戦争という名の極度に作られた緊張感の連続の中へ国民を追いこんでいった」
 「少なからぬ画家たちが美術報国会や陸・海軍美術会に参加して自らの意図するところと関係なく戦争絵画の絵筆をとった」
 「多少たりともリベラルな傾向を持つあらゆる団体の集会や会合への統制が続けられた時期に、靉光、松本竣介、麻生三郎、井上長三郎、鶴岡政男など精神の自由を尊ぶ同志たちたちが集って『新人画会』を結成し、終戦前年までその意志を発表し続けたことは一種の驚異に価いする」
 
 靉光、竣介とそれに連なる一群の画家たちは、時流に乗ることを潔しとせず、「精神の自由」を求める画業を貫こうと苦闘したのだった。中止になった「無辜の絵画 靉光、竣介と戦時期の画家」展は、こうした一群の画家たちに光を当てようという催しだったのである。

 こうした今回の展覧会の狙いは、『図録』の冒頭に収められた寺内淳治・広島市現代美術館館副館長の「序にかえて」で言い尽くされている。
 それによると、過ぐる戦争では無辜(むこ)の人民がいたという。「無辜の人民」とは「たまたま・そこに居合わせた(その時代に生まれ合わせた)ために、戦火・殺傷事件などのとばっちりを受けて、しいたげられ迷惑する住民たち(新明解国語辞典)」だそうだ。
 そして、寺内副館長は、こう続ける。「戦争末期、アメリカによる東京をはじめとする無差別爆撃や、沖縄への上陸作戦での非戦闘員を殺傷したような戦時の事実については多くの証言がありますし、終戦直後の満州で日本人がどのような生活を送ったのか、勝者であるロシアや中国がどのような蛮行を繰り広げたのかについて、参考にする記録もたくさんあります。一方で、それ以前に、朝鮮半島をめぐる清やロシアとの戦争(日清、日露)、漁夫の利を得たといわれる第一次世界大戦、そして日中戦争において、勝者となり、侵略に狂いたった日本(大日本帝国)の非道な行為にも思いを巡らせなければならないでしょう。そのような事実を伝えることがだんだんと少なくなってきているようにも思いますが、うやむやにしてはならない過去があることを自省を含め書き留めておきます」

 副館長にしてみれば、画家にも「無辜の人民」がいたということだろう。そうした事実を、終戦75年・被爆75年という節目をとらえて、広く市民に伝えたかったということだろう。展覧会のタイトルに「無辜の絵画」と銘打ったのもそうした思いがあったからだと思われる。

 そのためだろう。「序にかえて」は「戦争中にはいわゆる戦争画を描き、戦後はそれをケロッと忘れたかのように、ほがらかな絵を描いている画家」には厳しい目を向け、「ケロッと転換できるような人たちを無辜の民とは呼べません」としている。
 その一方で、「序にかえて」は、戦争中に多くの翼賛的な詩を書いたことを深く恥じて戦後、岩手県の寒冷地に移住し、掘っ立て小屋で自省の日々を送った高村光太郎(彫刻家・詩人)を高く評価している。

 ともあれ、靉光、竣介と、それに連なる一群の画家たちをまとめて呼ぶ呼称はこれまでなかった。これからは「無辜の絵画」派と位置づけるのがふさわしいのではないか。

 「無辜の絵画 靉光、竣介と戦時期の画家」展が中止になったのはなんとも残念だが、それを追いかけるように、うれしいニュースが飛び込んできた。群馬県桐生市にある大川美術館が、今年10月10日から12月13日まで、『靉光と同時代の仲間たち』と題する展覧会を開催するというのだ。同美術館は竣介の作品を所蔵していることで知られる。広島で見られなかった靉光と竣介の作品が、ここで鑑賞できそうで、靉光と竣介のファンにはまたとない機会となるにちがいない。
2020.06.11  「地球の上で」
出町 千鶴子 (画家)

          DANSE DANCE DANSE

          会議は踊りつづけて

「地球の上で」
2020.05.02  「地球の上で」
出町絵画


出町 千鶴子 (画家)

 みなさん、お元気ですか。 
 4月8日の夜、大きさが今年一番という満月を観ました。冴えわたる蒼い夜空に大きな金貨が1枚、輝く光の尾が四方八方に遠く伸びていて中世の絵を見ているようで胸がわくわくとしました。

この頃、朝日がまぶしい。青い空が綺麗。浮かぶ雲がきらきらと輝いている。空気が美味しい。誰よりも庭の葡萄の新芽は嬉しそうに身体を振るわせ、遊びにやって来た小鳥や虫たちも元気いっぱい喜んでいる。私の猫たちも。
 コロナウイルスのパンデミック宣言に先立ち、人権の最たるは生命だと唱えて、先ず中国が都市封鎖をした。続いて世界各国の都市封鎖。近年、世界中の地球環境問題の専門家たちがどうしたものかと思案していた大気汚染を、あっけなくもコロナが問題解決の呈である。奇しくも今年のアースデイ(4月22日)は、記念すべき50周年を迎えていた。皮肉なものである。

 今しばらくは、地球の家族の一員として、ドイツ連邦共和国のメルケル首相のメッセージに従い、感染症で辛く苦しい痛みに耐えている人たちに寄り添うようにして絵を描きながら、静かに過ごしたいと思います。
 おそらく、このパンデミックが解除された時、この世界が大切にすべきものは何か、私たちの世界の価値観が一変していることでしょう。と期待して。祈りをこめて、
2020.03.02 こねこねこねこ

出町 千鶴子 (画家)


ねる子は育つ
すくすく育つ
おかあさんの鼓動は
カナリアさんも歌うゆりかごのうた
おかあさんのおなかはふかふかのおっぱいの匂ひ
万福満天の夢をみる

21152_出町_こねこねこね(画像)2020_03_02

(タイトルの「こねこねこねこ」は後ろから読んでも「こねこねこねこ」)です」
2019.07.15 「猫に学べ」
出町 千鶴子 (画家)

私は猫である。
猫舌なので、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことはない。
鼻も目も耳もよく利くので、フェイクな寝床やかつお節、
啼き声巧みな魔物に騙されることもない。
平和な明日を迎えるために
身も心も清く正しく美しく。
今日もせっせと毛繕いをする。

猫の目
2018.10.12  「寧静致遠の猫」は憂える
出町 千鶴子 (画家)

「寧静致遠の猫」は憂える
     お相撲は、日本の伝統文化として国技とされている。
     「貴乃花」は、横綱の亀鑑ともいうべき人物である。この偉大なる存在を、
     公益財団法人日本相撲協会は、いとも容易く呆気なく積極的に手放した。
     憂えるばかりである。