2016.02.24  狂歌と川柳

乱鬼龍 (川柳作家)


◆狂歌 

 歯舞も読めぬ島尻北方相 アイコですまぬパーの丸出し

 丸川は丸出駄目代とバレてくる 根拠ないのはお前の方だ

 歯舞も読めず除染は知らなんだ 輝く女性聞いてあきれる

 電波停止そういうお前議員停止 鼻もちならぬ高市の位置

 羊かんの次は不倫の甘い蜜 育休よりも励む性事家

 自民党こんな程度が揃い踏み 暴言妄言吠えてやかまし

 ◆川柳
 
 フクシマの春ボロボロもう五年

 あれから五年震える怒りとめどなし

 フクシマの野山怒りの芽を育て

 放射能春風すらも喜こべず

 復興も除染も所詮もうけ口

 除染除染とよってたかって税を喰い

 できもせぬ除染神話の嘘と銭

 凍土壁そのインチキに凍りつき

 凍土壁しっかり見ればバカの壁

 免震も耐震もなく再稼働

 再稼働あなた明日が視えますか

 原発報道電波停止となる予感

 原発の嘘デタラメも秘密法

 安倍暴政あげくの果ては核武装

 人類の存亡賭けて脱原発

 脱原発文明を変え我を変え
 
 電力を選び未来もまた選ぶ

            (2016年2月11日、整記・謹撰)
2015.08.08  詩二編

原田克子 (詩人)

 あまのじゃくの近況                

中落合のおおきなユーカリの木に住みついて
いたぼくは そのユーカリが切られてしまっ
てから その前を流れている妙正寺川の流れ
に乗って 高田馬場付近で神田川となった川
面で ゆらゆらしていたんだけれど 昨年は
いや ここ何年か 雨が降り続いたり とん
でもない暑さでひからびたり 水上生活だな
んて洒落てはいられなかった
そういえば 桜の樹のとなりに 妙正寺川の
ほうにみごとに枝を張り出した楠の樹がいる
その川の上の枝に毎年カラスの夫婦が巣をか
けて卵を温め雛をかえすのだけれど ちょう
どかわいい雛がかえったころ 駆除というこ
とばを使うのがやってきて その巣を雛ごと
妙正寺川へ落とすんだ カラスの夫婦はそれ
はもう 混乱・懇願・恐怖・激怒の悲鳴をあ
げてやめさせようとするのだけれど 何の力
にもなりはしない 枝ごと巣は川に落とされ
流れていくんだ 生まれたばかりの雛たちも
一緒に
雛といえば カルガモのかあさんも 毎年た
くさんの雛を育てているけれど 大雨が降っ
て水かさが増したとき 飛べない雛は みん
な 流されてしまった ぼくも後を追ったの
だけれど あっというまに 見えなくなって
しまったんだ
あのユーカリが懐かしい ユーカリの上はよ
かった そばにいた大老の桜が蕾をふくらま
したころは 野良猫たちの恋の季節の真っ盛
りで 近所迷惑なだみ声をはりあげては 愛
を語ったりしていた たぶんあのあたりでぼ
くの次に気ままに暮らしていたのは あの猫
たちだろう いやまてよ 野良猫たちの 食
べ物探して歩き回るその日暮しは それこそ
たいへんだったのかな ごみの日だって カ
ラスの夫婦も なんの収穫もなかったのだか

今年も ユーカリの もう土にかえりそうな
切株のまわりにも ちいさなニオイスミレが
咲きだした 大桜も じきにたくさんの花を
開くだろう 不思議なことにあんなに花をつ
けても 実のひとつもつけやしない 

まあいいさ 野良猫たちの愛の叫びも聞こえ
ないけれど ほくは これからも ゆらゆら
と かすみ を食べて生きていく
このあたりに きっと いるから
このあたりに かならず いるから
みんな みんな 帰っておいで
この ユーカリの切株のもとへ
みんな みんな もどっておいで
         (2015年・早春)

  回る  


しょうちゃんは一年生になったとき
おじいさんに
村の秘密を聞いた
村のはずれのおじぞうさんに
願かけて
ひとまわりしてくると
その願いは叶うんだって
でもそれは
くらい夜にだれにもみつからなかったら、なんだって
さっそく
みなが寝静まったころ
こっそりふとんをぬけだして
村のはずれのおじそうさんまで
走りだした
鼻をつままれてもわからない闇夜を
こわくて、おそろしくて
ひきかえそうと思ったけれど
だいじなだいじな願いなので
がんばってたどりつき
すばやく願かけて
くるりとひとまわりして
あとは、わけがわからないほど走りぬいて
家に着いた
すっかりくたびれて眠り込んだら、朝になった
それから 明日が来るのが楽しみで
願いが叶う日を待ち続けた

しょうちゃんは中学生になったとき
いまいちど
おじぞうさんに願かけに行くことに決めた
みなが寝静まったころ
家をぬけだして
手を合わせながら願かけて
くるりとひとまわりして
帰ってきた
そして ほんの少しの希望をいだいて
願いが叶う日を待ち続けた

しょうちゃんはすっかりいい年になったころ
願掛け地蔵に
もう一度、行ってみることにした
あいかわらず真っ暗な夜道
月明かりだけが頼りだ
子どものころも
月の明るい日を無意識にも選んだにちがいない
田んぼの向こうがわの舗装された道にときどき
車のライトが遠のいていく
慣れた目に黒い楠の影が見えてきた
あの下に願掛け地蔵はいる
楠の張り出した枝を屋根にして
闇にゆったりと抱きかかえられている
今日も子どもたちが願掛けに来たのだろうか
願いは叶ったのだろうか
ゆっくりとおじぞうさんに声かけて
くるりとひとまわりして
戻ってきた

しょうちゃんはそういう年になったので
そろそろ
となりの一年生に
願掛け地蔵の秘密を教えてあげよう と思う


しょうちゃんは
小学校一年生のとき
ひとつだけ夢を叶えてあげる、といわれて
「かあちゃんがほしい!」
と大声で答えた
朝、目がさめて気がついた
「ゆめのなかの夢だったのかあ」

しょうちゃんは
中学生になったとき
夢は願えば叶う、と教えられて
「この村を出ていきたい!」
と強く叫んだ
朝、目がさめて思った
「ゆめは夢だよなあ」

しょうちゃんは
すっかりいい年になって
夢を見ることもめっきり少なくなったけれど
長いあいだ 待ち続けたなあ、と思う
よいとか、わるいとか
生きて、生きて、きたなあ、と思う
そして いま
「ありがとう」って、いってみよう、と思う
              (2015年)

2015.02.12  「世界記憶遺産」申請は峠三吉ら3人に
  広島の市民団体が17年登録を目指す

岩垂 弘 (ジャーナリスト)
                 

 今年は「被爆70年」。それを機に広島で被爆した作家の文学資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」 に登録するための活動をしている広島市の市民団体は、このほど、遺産への登録を申請するのは峠三吉ら3人の作品にしぼることを決めた。これら3人の作家の文学的偉業を広く知ってもらうための文学展やシンポジウムを、6月に広島市で開催することも決めた。

 よく知られているユネスコの「世界遺産」は、遺跡、景観、自然など人類が共有すべき普遍的価値をもつ物件で、移動が不可能なものが対象。これに対し、同じユネスコの「世界記憶遺産」は世界的に貴重な直筆文書、書籍、絵画、映画などの記録を保護するためにユネスコが1992年に創設した事業で、2年ごとに各国政府、自治体、非政府組織(NGO)の推薦を受け、審査、登録する。日本における申請受付の窓口は日本ユネスコ国内委員会である。

 2013年までに109カ国の301件が登録された。これには、『アンネの日記』や『ゲーテの直筆作品』も含まれる。日本からは、「御堂関日記」「慶長遣欧使節関係資料」「炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の炭鉱記録画」の3件。とくに山本作兵衛の炭鉱記録画の登録(2011年)は日本で注目を集め、国民の間に世界記憶遺産への関心を呼び起こした。
 2014年には、15年の登録を目指して4件が名乗りをあげたが、候補は一カ国につき2件までという制限があるため、結局、国宝の「東寺百合文書」と、第2次大戦末期のシベリアにおける日本兵抑留等の記録「舞鶴への生還」が国内候補となった。

 原爆文学の原資料の世界記憶遺産登録を目指しているのは「広島文学資料保全の会」(代表、土屋時子さん)である。「広島に文学館を!」を目的に、1987年に広島の文化人、学者ら11人が発起人となって発足した市民団体で、文学館設立を求める署名運動、関連資料の収集・保全、文学資料展、講演会などを展開してきた。この間、広島市に「文学館をつくって」と何度も交渉してきたが、そのたびに「予算がない」と言われ、いまだに実現していない。
 このため、別な切り口で原爆文学の原資料の保存と活用を図れないものかと考え続けた末に思いついたのが世界記憶遺産への登録だったという。池田正彦・保全の会事務局長が語る。「これからも広島市には期待できない。加えて、被爆作家の遺族や保全の会メンバーの高齢化が進み、原資料の保存には不安が高まる一方です。そこで思いついたのが、世界記憶遺産への登録でした。そこに登録されされれば、行政も保護に乗り出すでしょう。そうすれば、原爆文学関連資料は人類共有遺産として末永く世界中の人々によって鑑賞され続けることになります」

 保全の会としては、2017年の登録を目指すが、これに間に合わせるには今年の6月までに日本ユネスコ国内委員会に申請しなくてはならないことが分かった。そこで、今年に入ってから、申請のための作業を本格化した。
 まず、登録を申請する作品の選定である。これまでは、詩人・峠三吉、詩人・栗原貞子、作家・原民喜、作家・大田洋子、歌人・正田篠枝らの作品を考えていた。が、池田事務局長によると、大田と正田の作品については遺族の了解が得られなかったため、峠、栗原、原3人の作品、それも各人1点ずつ計3点にしぼったという。

 峠三吉の作品は『原爆詩集』(1951年発表)の直筆最終草稿。草稿の書き出しは、「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」。彼の詩の中で最もよく知られた詩だ。この草稿は保全の会で保管している。
 栗原貞子の作品は、『うましめんかな』(1946年発表)の直筆ノート。「こはれたビルディングの地下室の夜であつた。/原子爆弾の負傷者達は/くらいローソク一本ない地下室を/うづめていつぱいだつた。/生ぐさい血の臭ひ、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声」で始まる詩は、原爆で破壊された広島貯金局の地下室で、8月8日の夜、赤ん坊が生まれたという話を聞いた栗原が新しい生命の誕生をうたった詩で、彼女の代表作である。この詩が収められた直筆ノートは広島女学院大学が保管している。
 原民喜の作品は『原爆被災時のノート』。彼の代表作『夏の花』(1947年、「三田文学」に発表)の執筆のもとになった被爆時の手帳だ。彼はこの作品発表後の1951年に東京の中央線の鉄路に身を横たえ、自ら命を絶っている。『ノート』は親族が保管している。
 保全の会は、この3作品について「いずれも1945年8月6日の惨状を記録し、優れた文学作品として多くの人々に読み継がれてきた。これらの作品(記録)は世界史・人類史的にみて貴重な遺産」としている。

 保全の会は、世界記憶遺産登録申請活動に理解を深めてもらうため、6月2日~14日、広島市の市民交流プラザ1階ロビーで、 「栗原貞子、原民喜、峠三吉文学展」を開く。登録を申請する3人の作品や周辺の記録を展示する。
期間中の6月13日(土)には、広島市内で「記憶遺産申請のためのシンポジウム」を開催する。国内外から4人のパネリストを招き、原爆文学を世界遺産に申請する意義、3人の作品の資料的価値などを論じてもらう予定だ。

2014.10.27 原爆文学資料をユネスコ「世界記憶遺産」に
広島の市民団体が登録を目指す

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 来年は広島にとって「被爆70年」。それを機に峠三吉、栗原貞子ら被爆作家の原爆文学資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」 に登録しようという活動が、広島市の市民団体の手で進められている。2016年の申請、2017年の登録を目指すが、もし登録が認められれば、峠三吉らの原爆文学は人類共有遺産としての末永く世界中の人々によって鑑賞され続けることになる。

 よく知られているユネスコの「世界遺産」は、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき普遍的価値をもつ物件で、移動が不可能なものが対象。これに対し、同じユネスコの「世界記憶遺産」は世界的に貴重な直筆文書、書籍、絵画、映画などの記録を保護するためにユネスコが1992年に創設した事業で、2年ごとに各国政府、自治体、非政府組織(NGO)の推薦を受け、審査、登録する。
 2013年までに109カ国の301件が登録されている。これには、『アンネの日記』や『ゲーテの直筆作品』も含まれている。日本からは3件。「御堂関日記」「慶長遣欧使節関係資料」「炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の炭鉱記録画」だ。とくに山本作兵衛の炭鉱画の登録(2011年)は日本で注目を集め、世界記憶遺産への関心を呼び起こした。
 今年に入り、2015年の登録を目指して4件が名乗りをあげたが、候補は一カ国につき2件までという制限があるため、結局、国宝の「東寺百合文書」と、シベリア抑留等の記録「舞鶴への生還」が国内候補となった。

 原爆文学の原資料の世界記憶遺産登録を目指しているのは「広島文学資料保存の会」(代表、土屋時子さん)である。「広島に文学館を! 広島の心を21世紀に伝えよう!」という今堀誠二(元広島大教授)、大原三八雄(元広島女子短大教授)、北西允(元広島大教授)、栗原貞子(詩人)、好村冨士彦(ドイツ文学者)、四国五郎(画家)、深川宗俊(歌人)の各氏ら11人の呼びかけで1987年にこの会がつくられた。その背景には「被爆作家の作品は、広島における原爆被害の実態を伝えるまたとない貴重な資料だから、これらを次の世代に引き継いでゆかねばならない。散失を防ぐためには公立の文学館を設立するのが望ましい」という思いがあった。
 以来、文学館設立を求める署名運動、関連資料の収集、文学資料展などをおこなってきた。この間、広島市に対し「文学館をつくって」と何度も交渉してきたが、そのたびに「予算がない」との回答で、いまだに実現していない。「他県の人からも、広島には世界に知られた被爆作家の貴重な資料群がありながら、文学館もないのは不思議だ、と言われるんですよ」と、土屋さん。

 土屋さんによれば、広島市にはこれからも期待できない。別な切り口で原爆文学の原資料の保存と活用を図るための方法として考えついたのが世界記憶遺産への登録申請だったという。事務局長の池田正彦さんも「被爆からまもなく70年。被爆作家の遺族や保存の会のメンバーが高齢化し、原資料の保存に不安が生じてきたので、世界記憶遺産への登録申請を思いついた。登録されれば行政も保護に乗り出すのでは」と語る。

 保存する会が登録申請を考えているのは、いまのところ、3点である。
 まず、「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」の書き出しで知られる詩人・峠三吉の『原爆詩集』の直筆最終草稿。次は詩人・栗原貞子の代表作『うましめんかな』の直筆ノート。さらに、作家・原民喜の『原爆被災時のノート』(『夏の花』執筆のもとになった被爆時の手帳)。峠の直筆最終草稿は同会が、栗原の直筆ノートは広島女学院大が、原の手帳は親族がそれぞれ保管している。

 このほか、今後、作家・大田洋子の『屍の街』の原稿(東京の日本近代文学館所蔵)も申請に加えるかどうか検討する。長崎の被爆作家の作品も加えられるかどうか検討したいという。

2014.02.20 風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ
 
乱鬼龍 (川柳作家)
                       

狂歌 

 今年こそウマくいくよな年にして悪政を討つ馬力かけたし

 アべノミクスの字をとればアベノミスハタンバタンの音が聞こえる

 官邸前これが民意だ正論だ寄せては返す民の熱声

 悪相が揃い悪政吠えたててとどのつまりは国を亡ぼす

 汚染水どこまで行っても汚染水地球亡びる日まで流れる

 千両も万両もなく新年も百円ショップのカップめん食う

 初日の出真っ赤な嘘照らし出す政治屋の嘘マスコミの嘘

 明けましてどこがめでたいのだテレビ衆愚洗脳あふれてやまず

川柳
 
 反動化もついにここまで来た日本

 亡国を討てぬへ理屈なら要らぬ

 たたかわぬ寝言たわ言聞いたふう

 それぞれの馬脚が揃う年が明け

 仮設から視えるこの国この時代

 沖縄と書けば風さえぶち切れる

 ◆冗句 

 「門松」 竹槍に見えてきた――怒れる民一同

 「仕事始め」 首相官邸前で抗議の声をあげた!――怒れる民一同

 「おせち料理」 食材偽装 産地偽装 添加物だらけで、うま味を増している――悪徳業者

 「初夢」 妻からの離縁状が届いた夢だった――安倍首相

「初荷」 荷が重過ぎる――無能政治家一同

 「成人の日」 召集令状が届いた夢をみた――新成人

 「二〇一四年を占う」 怖ろし過ぎて国家秘密です――占い師

 (乱鬼龍作・発行の「風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ」2014年1月号から)


2013.09.04 風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ

乱鬼龍 (川柳作家)


◆狂歌

 議会制民主主義とは言うけれど所詮インチキ嘘の山なり

 誠意などあると思うなこの国にないと思うなツケと亡国

 為政者の無能はすでにレベル7この亡国を討つや討たずや

 政界にグシャグシャグシャと愚者の群グシャグシャと国がグシャグシャ

 石原のジジイに橋下の野郎こんな程度が維新など吠え

 資本主義賞味期限も切れてくる明日のビジョンをこそと天声

 セミさえもミンミンミンと民の声悪政呪う声は地に充つ

 主権回復どこに主権があるというアメリカのポチ吠えてやかまし

 化けの皮はげば為政者この程度倫理道徳はじめから無し

 原発の神話いつまで信じる気いつまでつづくごたくでたらめ

◆川柳

 再稼働愚者の愚考に底がない

 再稼働亡びの道のやかましさ

 子どもすら救えず何が再稼働

 倫理なく反省もなく再稼働

 再稼働何が何でも亡ぶ気か

 原発で亡び改憲でも亡ぶ

 この国の臨界点はすでに充つ

 まごころが泣くぜワタミのブラック度
 
 アベ人気ヨイショのツケはすぐに来る

 悪政を許せばツケの山が来る

 しっかりと生きれば敵となる日本

 後世の史家に問われる今日明日

  (乱鬼龍作・発行の「風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ」2013年7月号から)

2013.01.17 風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ
乱鬼龍 (川柳作家)


◆狂歌

 この程度ではものにならない愚論充つどの程度なものになるらん
 
 国会に悪相愚相充ち充ちてこんな程度の国を亡ぼす
 
 明けましてテレビやたらとめでたがるどこがめでたい亡国日本
 
 化けの皮はげばこの世こそ地獄誰がほざくか豊か安全

 圧勝というインチキの民主主義いつまでつづくウソとデタラメ

 オスプレイ飛べば次には買わされる忠米ポチが吠えてやかまし

 処分場政治のゴミはどう捨てるゴミとごたくの国会議事堂

 展望は自ら拓くものと知れ他力本願ないものねだり

◆川柳

 日本討つ覚悟ありやと年が明け
 
 フクシマを見捨て国民また見捨て

 フクシマの冬は政治で凍りつき

 フクシマも救えず国政などほざく

 インチキな選挙亡びるまでつづく

 神仏ももう原発にノーと言う

 原発はダメと活断層も喝

 汚すだけ汚し地球をまだ汚す

 明日拓く侠気やいかにデモつづく

どん底の底に底あり春近し

 (乱鬼龍作・発行の「風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ」2013年1月号から)
2012.10.20 沖縄と福島と

相田 順子 


  水牛車にゆられ

スコールがうそのように晴れ上がった
一月末の竹富島の気温は二十五度
サンゴの石垣にかこまれ
赤瓦の屋根に睨みをきかすシーサー
白砂(はくさ)の道によくにあう
ハイビスカスやブーゲンビリアの花々
沖縄の原風景を島をあげての保存活動
その家並を
三線(さんしん)と民謡を聞きながら
水牛車にゆられ沖縄を思う

琉球王国(※)の時代
友好関係にあった日本に組み敷かれ
明治政府に藩をつぶされ
敗戦後はアメリカの統治下に置かれる
復帰後は再び本土の人々が
札束持って侵略してきた

翻弄(ほんろう)され続けた沖縄
こんな日本から独立を考えたであろう……
大きな反対運動が起こらなかったと
国はいまだに無理難題をおしつける
にこやかに観光客を迎えているが
ときにひややかに見つめる姿は
私の思い過ごしだろうか

刻(とき)はゆっくりながれる
星砂海岸を歩きながら
ここの先祖はどんな国を望んでいたか
想いをめぐらす

※かつて清の時代属国であった 返還時独立をの声があったがながれた
(2010・2・1)
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2012.08.19 夢中 に

原田克子 (詩人)


1.泳ぐ フブキ

フブキは 泳いでいる
はじめてのことだ
泳ぐというよりは、流されている
海が盛り上がって、そのまま押し寄せてきた
足は地から離れたが 顔は出すことができた
流れは速かった
進むほどどす黒くなって
いっしょに車や家の屋根が流れていた
どのくらい来たのだろうか
橋げたにぶつかって
溜まっていた 大切だったものたち の
その上を渡ってどうにか地面に着いた
その瞬間、水は流れをかえはじめた
フブキは 立っていた
身体中が痛かった
たぶんいたるところから血が流れているのだろう
寒い
次の日も
そこに立っていた
立っているだけが精一杯だった
見渡す限り見知らぬ風景だった
嗅いだことのない臭いだった
三日めの夜、
小さなおかっぱ頭と
きらきらと輝く瞳を
見たような気がした
すると足もとに白菜の玉が三つ置いてあった
フブキは かじりついた
海の味がした
すこし油くさい臭いがした
フブキは 歩き出した
住んでいたところに戻らなければならない
たくさんの仲間がいた あの厩舎に戻らなければならない
泥に足を取られながら
瓦礫とよばれるようになってしまった
おびただしい 思い出 をよけながら
仲間たちといた あの厩舎に戻らなければならない
フブキは、そこで 人気者だった
真っ白なたてがみと尾をなびかせて走ると
だれもが見とれたものだ
雪 が舞い始めた
泥と血の塊でよごれてしまった たてがみに
雪が積もりだした
白く


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2012.06.29 国家は本当に国民を思っているのか
高橋有典子


私は昭和四年生まれ 誰のせいでもない
小学校の時、二・二六事件
小学校六年生の時 大東亜戦争(太平洋戦争のこと)
女学校四年生の時 敗戦
卒業後は食糧難
運のめぐり合わせが悪いといえばそれまで

女学校一年生の時は 学生らしく勉強したが
英語は鬼畜米英の言葉だからと廃止
二年生から動員 報国隊と称して銃後を守り
男手不足の工場へ毎日通う
八月十五日敗戦 学校に戻るが
勉強より校庭を耕し 荒地を開墾して芋を作る
国のため工場に行ったのに
学業を受けることなく卒業

空襲がなくなったがひどい食糧難
国は人間ひとりが生きる食料を配給しない
真面目な判事さんが職業上 闇米は食べられないと
配給だけで生きようとしたが餓死してしまった
苦労してやっと手に入れた闇米も
警官の取締まりで取りあげられた
その米は誰の口に入ったのだろうか
国のため満州開拓団に出向いた人々も
軍人・金持は敗戦の情報を早く知り 先に逃げ
守られるべき国民は地獄の行進となった

西暦二〇一一年三月一一日以降
日本は放射能時代に追い込まれた
日本は地震国であることを知りながら
核廃棄物の処理の研究も完成しないうちに
安全、安全と五四基もの原発をたて
事故が起きてもなんの手だてもなく
一年もたたぬうちに原発再稼働で右往左往している
国家はこれで本当に国民を守れるのだろうか
(2012・4・20)

 <高橋有典子さんは東京都中野区生まれ。現在、練馬区在住。詩と人生の会会員>