2023.04.12 放蕩無頼のダライ・ラマ!!
――八ヶ岳山麓から(422)――

阿部治平(もと高校教師)

 ダライ・ラマ六世の詩の日本語版が今枝由郎・海老原志穂共訳『ダライ・ラマ六世恋愛詩集』として岩波書店から出版された。これについて想い出を交えて少し述べたい。まず簡単にダライ・ラマについて記しておきたい。

 転生活仏・ダライ・ラマとは
 チベット仏教は日本と同じ北伝(大乗)仏教である。さまざまな宗派があるところも同じである。変わっているのは、名僧の転生すなわち生まれ代わりという習慣があることだ。以下、共訳者今枝氏の見解を交えて説明すると、たとえばチャールズ三世は、おなじ名前をなのる3番目の王という意味だが、転生は同じ人が再生するという意味である。その始まりは14世紀後半からだといわれる。
 チベット仏教最大のゲルク派の創始者ツォンカパ(1357~1419)の時代には転生の考えはなかった。彼の後継3代目ソナム・ギャンツォ(1543~88)はモンゴルへの布教におもむくとき、青海・チャブチャの地でモンゴル・トゥメット部の英傑アルタン汗(1507~82)を教化して、ダライ・ラマの称号を与えられた。
 「ダライ」とはモンゴル語で「大海」の意味で、「ラマ」はチベット語の「師僧」のことである。ちなみに、20年ほど前、私はこのチャブチャの高等師範専科学校(現青海師範大学の一部)で教師をしていた。
 のちにゲルク派も転生の考えを採用し、ソナム・ギャンツォはダライ・ラマ三世とされた。ツォンカパの直弟子を一世、孫弟子を二世と数えるようになったからである。インドに亡命し時々日本にも来るノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマは14代目の転生者である。
 ところで中国共産党支配下のチベット仏教の寺にも、それぞれ最高位の僧であるラマがいる。先代のラマが亡くなると占いなどで後継者を決め、そののち共産党が認証して正式の地位に就く。

 ダライ・ラマ六世とは
 ダライ・ラマ六世は、1683年ヒマラヤ南麓、ブータンの東のモン地方、現在インド支配下にあるアルナチャル・プラデーシ州のタワンに生まれた。3歳の時、チベット仏教ゲルク派の最高位ダライ・ラマ五世の生まれ代わりとされ、ヒマラヤを北に越えたツォナに行って見習僧となり、英才教育を受けた。法名はツァンヤン・ギャンツォ。
 タワンはヒマラヤ南麓の照葉樹林帯にあって、チベット高原のような高冷地ではない。1959年ダライ・ラマ十四世がインドに亡命したとき通過した土地であり、現在はインド軍の対中国戦略拠点である。
 ツァンヤン・ギャンツォは15歳になったとき、「偉大な五世」の化身と告げられ、ラサに行き、ダライ・ラマ六世として厳しい修行を強制された。20歳に至って正式な僧侶として具足戎を授かることになったが、彼はそれを拒み、僧衣を捨てて還俗した。
 彼は夜な夜なポタラ宮殿麓の歓楽街で酒を飲み、かけごとをやり、女たちと密会をかさねるという放埓な生活を続けた。チベット王ラサン汗はこれを叱責したが、無益だったので清帝国康熙帝にダライ・ラマとしての真贋を判断してもらうためとして拘束し、北京に連行しようとした。当時チベットは清朝の従属国であったからである。その途上、ココノール(ツォゴンポ・青海)南のクンガ・ノール湖畔で六世は亡くなった。ラサン汗の命令によって殺されたといわれるが、真相は不明。享年23。

 ダライ・ラマ六世の詩
 以下、強い印象を受けた詩を3篇紹介する。詩の翻訳はほとんど創作といえよう。雅語・七五調の採用は原詩の姿に日本語訳を近づけようとした訳者の苦心のほどを示している。

 ポタラ宮でのお名前は
 ツァンヤン・ギャンツォ修行僧
 ラサの下町ショルにては
 放蕩ダンサン・ワンポなり
  注)ダンサン・ワンポはお忍び時の名乗り

 今宵はアラに酔いつぶれ
 女子の肩に寄りかかり
 明朝別れ行く時は
 赤き雄鶏なく時ぞ

 一夜を共にせし娘
 黄昏時に我を待ち
 夜明けに月の沈むとき
 早くも別れ支度せり
  注)「アラ」は裸麦の蒸留酒
 これではまるで15世紀の禅僧一休宗純の『狂雲集』である。一休和尚は晩年、飲酒・肉食・女犯おかまいなし、森女という愛人を持ち実子もいた。ダライ・ラマ六世もやりたい放題だったが、さすがにきまった女性も実子もいなかったらしい。
 20年ほど前、上記の師範学校にいたとき草原の寺にこれに似たラマがいた。彼は酒を飲み、あちらこちらの娘と恋愛した。娘たちもラマのガールフレンドとなれば、格好いいから喜んでつきあった。周りがラマに慎むよう説得すると、「何にもわからない子供を勝手にラマにして、今になってあれもやるな、これもやるなといっても承知できない」と突っぱねた。
 ダライ・ラマ六世もこの気持だったかもしれない。チベット高原では、成人した結婚前の若者の交際は比較的自由だし、名刹とはいえ小さな寺院だったから、彼の素行には周りも目をつぶり、ダライ・ラマ六世のように殺されることはなかった。

 ダライ・ラマ六世は心のなかに生きている
 共訳者海老原氏は、「……彼は歴代ダライ・ラマのなかでもっとも数奇な運命をたどった人物であるが、彼の(あるいは彼のものと伝えられる)恋愛詩は、現在でもチベット人によって口ずさまれ、現代詩人にも発想の源となり、若者のラブレターにも引用され続けている」という。わたしのチベット人地域の学校での経験もこの通りだった。
 チベット人が詩をつくるのは、日本人が俳句・和歌を作るのに似ている。だからダライ・ラマ六世の恋愛詩は学生にも知られていた。その一部を歌う歌手もいた。チベット文学の専門家の中には、これは恋愛詩というよりは、チベット王ラサン汗と摂政サンジェ・ジャンツォとの確執に巻き込まれた苦境をうたったものだという人もいた。
 チベット語がまるで分らない私に、ある学生がこの恋愛詩を中国語に翻訳して説明してくれたことがある。彼女は、これはチベット語の詩の代表作だ、詩人たちの見本だ、言葉もわかりやすい、それに今では、漢民族など他の民族にも恋愛の詩として人気があると、わがことのように語ったのであった。

 巻末の解説には、今枝氏の「ダライ・ラマ六世の生涯とその特異性」と、海老原氏の「ダライ・ラマ六世恋愛詩の特徴」があり、「ダライ・ラマ」という制度とその歴史・古典詩とその形式・チベット人地域における現代の文学状況などがわかりやすく説かれている。
 たった115ページ、500円の本だが、読み応えのある本である。ぜひ手に取ってお読みください。
                            (2023・03・31)
2022.09.08 川柳にみる「国葬反対」
 「世直し川柳かわら版」から
                    
岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 集会へ取材に行くと、会場入り口付近でチラシや新聞・機関紙などをたくさん手渡される。さまざまな団体が、自分たちの主張や方針を集会参加者に伝えようと、自分たちで作成したチラシ等を配布しているからだ。

 8月31日夕方に国会議事堂正門前で行われた「安倍元首相『国葬』反対!8・31国会前大行動」でも、チラシや新聞・機関紙等をもらった。その中に、レイバーネット日本川柳班篇の「世直し川柳かわら版」NO.3があった。

 レイバーネット日本とは「インターネットを活用して労働運動の情報をネットワークすることをとおして、労働者の権利を確立し、国内外の労働者の連帯を強化することを目的とする」(会則)ウエブ・サイトである。2001年に設立された。
 そこに「川柳班」があり、投句をまとめて「世直し川柳かわら版」を発行している。「大行動」会場で受け取ったNO.3は8月31日の発行であった。

 それは「国葬反対」の特集号で、51本の川柳が載っていた。以下は、そこから選んだ句である。

 カネと票掴み壺から手が抜けぬ(J・ポンド)
 弔意ではない目的が透けている(植竹団扇)
 怪しげなカルト平和を説きつづけ(乱鬼龍)
 国葬の跡に民主主義の墓(笑い茸)
 死してなお首相動かす元首相(なずな)

 あそことは祖父の代から熱い仲(奥徒)
 多ければ忘れるだろう虚偽疑惑(坂巻フミエ)
 安倍レガシー嘘の平気な国にした(芒野)
 あの世でもやはりあなたは広告塔(かぼす)
 信じる者救われなかった夏の空(白眞弓)

 アベシンゾ閻魔の前でも二枚舌(銀蔵)
 国会は世襲が群れる芝居小屋(木根川八郎)
 国葬と宣言するのがはやすぎた(春うらわ)
 良心を土足で踏んでいる葬儀(フーマー)
 試される大きな声を聞く力(逆三猿)

 安倍国葬もうこの国はぶっこわれ(乱鬼龍)
 国葬でモリカケ桜にフタをする(ミッシェル)
 抜く舌の多さに閻魔音を上げる(白眞弓)
 安倍国葬霊感商法国が買い(勢子船)
 葬るな福島のこと国葬いらね(黒節)

 葬式も税金でする悪いヤツ(和平)
 改憲案カルトの案と同じだと(かぼす)
 銃弾が宗教ビジネス撃ち射抜く(美日)
 国葬より教会葬が似合いそう(今明)
 九条を葬るための国葬か(勢子船)

 根腐れの政治カルトの蛆がわき(笑い茸)
 国葬に反対のこえくに救う(ヴォーリャ)
 トランプと安倍の絆は統一教会(悠里)
 死してなお憲法無視の元首相(駒田紋太)
 嘘吐きへ甘い厚意の大勲章(木根川八郎)
2016.02.24  狂歌と川柳

乱鬼龍 (川柳作家)


◆狂歌 

 歯舞も読めぬ島尻北方相 アイコですまぬパーの丸出し

 丸川は丸出駄目代とバレてくる 根拠ないのはお前の方だ

 歯舞も読めず除染は知らなんだ 輝く女性聞いてあきれる

 電波停止そういうお前議員停止 鼻もちならぬ高市の位置

 羊かんの次は不倫の甘い蜜 育休よりも励む性事家

 自民党こんな程度が揃い踏み 暴言妄言吠えてやかまし

 ◆川柳
 
 フクシマの春ボロボロもう五年

 あれから五年震える怒りとめどなし

 フクシマの野山怒りの芽を育て

 放射能春風すらも喜こべず

 復興も除染も所詮もうけ口

 除染除染とよってたかって税を喰い

 できもせぬ除染神話の嘘と銭

 凍土壁そのインチキに凍りつき

 凍土壁しっかり見ればバカの壁

 免震も耐震もなく再稼働

 再稼働あなた明日が視えますか

 原発報道電波停止となる予感

 原発の嘘デタラメも秘密法

 安倍暴政あげくの果ては核武装

 人類の存亡賭けて脱原発

 脱原発文明を変え我を変え
 
 電力を選び未来もまた選ぶ

            (2016年2月11日、整記・謹撰)
2015.08.08  詩二編

原田克子 (詩人)

 あまのじゃくの近況                

中落合のおおきなユーカリの木に住みついて
いたぼくは そのユーカリが切られてしまっ
てから その前を流れている妙正寺川の流れ
に乗って 高田馬場付近で神田川となった川
面で ゆらゆらしていたんだけれど 昨年は
いや ここ何年か 雨が降り続いたり とん
でもない暑さでひからびたり 水上生活だな
んて洒落てはいられなかった
そういえば 桜の樹のとなりに 妙正寺川の
ほうにみごとに枝を張り出した楠の樹がいる
その川の上の枝に毎年カラスの夫婦が巣をか
けて卵を温め雛をかえすのだけれど ちょう
どかわいい雛がかえったころ 駆除というこ
とばを使うのがやってきて その巣を雛ごと
妙正寺川へ落とすんだ カラスの夫婦はそれ
はもう 混乱・懇願・恐怖・激怒の悲鳴をあ
げてやめさせようとするのだけれど 何の力
にもなりはしない 枝ごと巣は川に落とされ
流れていくんだ 生まれたばかりの雛たちも
一緒に
雛といえば カルガモのかあさんも 毎年た
くさんの雛を育てているけれど 大雨が降っ
て水かさが増したとき 飛べない雛は みん
な 流されてしまった ぼくも後を追ったの
だけれど あっというまに 見えなくなって
しまったんだ
あのユーカリが懐かしい ユーカリの上はよ
かった そばにいた大老の桜が蕾をふくらま
したころは 野良猫たちの恋の季節の真っ盛
りで 近所迷惑なだみ声をはりあげては 愛
を語ったりしていた たぶんあのあたりでぼ
くの次に気ままに暮らしていたのは あの猫
たちだろう いやまてよ 野良猫たちの 食
べ物探して歩き回るその日暮しは それこそ
たいへんだったのかな ごみの日だって カ
ラスの夫婦も なんの収穫もなかったのだか

今年も ユーカリの もう土にかえりそうな
切株のまわりにも ちいさなニオイスミレが
咲きだした 大桜も じきにたくさんの花を
開くだろう 不思議なことにあんなに花をつ
けても 実のひとつもつけやしない 

まあいいさ 野良猫たちの愛の叫びも聞こえ
ないけれど ほくは これからも ゆらゆら
と かすみ を食べて生きていく
このあたりに きっと いるから
このあたりに かならず いるから
みんな みんな 帰っておいで
この ユーカリの切株のもとへ
みんな みんな もどっておいで
         (2015年・早春)

  回る  


しょうちゃんは一年生になったとき
おじいさんに
村の秘密を聞いた
村のはずれのおじぞうさんに
願かけて
ひとまわりしてくると
その願いは叶うんだって
でもそれは
くらい夜にだれにもみつからなかったら、なんだって
さっそく
みなが寝静まったころ
こっそりふとんをぬけだして
村のはずれのおじそうさんまで
走りだした
鼻をつままれてもわからない闇夜を
こわくて、おそろしくて
ひきかえそうと思ったけれど
だいじなだいじな願いなので
がんばってたどりつき
すばやく願かけて
くるりとひとまわりして
あとは、わけがわからないほど走りぬいて
家に着いた
すっかりくたびれて眠り込んだら、朝になった
それから 明日が来るのが楽しみで
願いが叶う日を待ち続けた

しょうちゃんは中学生になったとき
いまいちど
おじぞうさんに願かけに行くことに決めた
みなが寝静まったころ
家をぬけだして
手を合わせながら願かけて
くるりとひとまわりして
帰ってきた
そして ほんの少しの希望をいだいて
願いが叶う日を待ち続けた

しょうちゃんはすっかりいい年になったころ
願掛け地蔵に
もう一度、行ってみることにした
あいかわらず真っ暗な夜道
月明かりだけが頼りだ
子どものころも
月の明るい日を無意識にも選んだにちがいない
田んぼの向こうがわの舗装された道にときどき
車のライトが遠のいていく
慣れた目に黒い楠の影が見えてきた
あの下に願掛け地蔵はいる
楠の張り出した枝を屋根にして
闇にゆったりと抱きかかえられている
今日も子どもたちが願掛けに来たのだろうか
願いは叶ったのだろうか
ゆっくりとおじぞうさんに声かけて
くるりとひとまわりして
戻ってきた

しょうちゃんはそういう年になったので
そろそろ
となりの一年生に
願掛け地蔵の秘密を教えてあげよう と思う


しょうちゃんは
小学校一年生のとき
ひとつだけ夢を叶えてあげる、といわれて
「かあちゃんがほしい!」
と大声で答えた
朝、目がさめて気がついた
「ゆめのなかの夢だったのかあ」

しょうちゃんは
中学生になったとき
夢は願えば叶う、と教えられて
「この村を出ていきたい!」
と強く叫んだ
朝、目がさめて思った
「ゆめは夢だよなあ」

しょうちゃんは
すっかりいい年になって
夢を見ることもめっきり少なくなったけれど
長いあいだ 待ち続けたなあ、と思う
よいとか、わるいとか
生きて、生きて、きたなあ、と思う
そして いま
「ありがとう」って、いってみよう、と思う
              (2015年)

2015.02.12  「世界記憶遺産」申請は峠三吉ら3人に
  広島の市民団体が17年登録を目指す

岩垂 弘 (ジャーナリスト)
                 

 今年は「被爆70年」。それを機に広島で被爆した作家の文学資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」 に登録するための活動をしている広島市の市民団体は、このほど、遺産への登録を申請するのは峠三吉ら3人の作品にしぼることを決めた。これら3人の作家の文学的偉業を広く知ってもらうための文学展やシンポジウムを、6月に広島市で開催することも決めた。

 よく知られているユネスコの「世界遺産」は、遺跡、景観、自然など人類が共有すべき普遍的価値をもつ物件で、移動が不可能なものが対象。これに対し、同じユネスコの「世界記憶遺産」は世界的に貴重な直筆文書、書籍、絵画、映画などの記録を保護するためにユネスコが1992年に創設した事業で、2年ごとに各国政府、自治体、非政府組織(NGO)の推薦を受け、審査、登録する。日本における申請受付の窓口は日本ユネスコ国内委員会である。

 2013年までに109カ国の301件が登録された。これには、『アンネの日記』や『ゲーテの直筆作品』も含まれる。日本からは、「御堂関日記」「慶長遣欧使節関係資料」「炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の炭鉱記録画」の3件。とくに山本作兵衛の炭鉱記録画の登録(2011年)は日本で注目を集め、国民の間に世界記憶遺産への関心を呼び起こした。
 2014年には、15年の登録を目指して4件が名乗りをあげたが、候補は一カ国につき2件までという制限があるため、結局、国宝の「東寺百合文書」と、第2次大戦末期のシベリアにおける日本兵抑留等の記録「舞鶴への生還」が国内候補となった。

 原爆文学の原資料の世界記憶遺産登録を目指しているのは「広島文学資料保全の会」(代表、土屋時子さん)である。「広島に文学館を!」を目的に、1987年に広島の文化人、学者ら11人が発起人となって発足した市民団体で、文学館設立を求める署名運動、関連資料の収集・保全、文学資料展、講演会などを展開してきた。この間、広島市に「文学館をつくって」と何度も交渉してきたが、そのたびに「予算がない」と言われ、いまだに実現していない。
 このため、別な切り口で原爆文学の原資料の保存と活用を図れないものかと考え続けた末に思いついたのが世界記憶遺産への登録だったという。池田正彦・保全の会事務局長が語る。「これからも広島市には期待できない。加えて、被爆作家の遺族や保全の会メンバーの高齢化が進み、原資料の保存には不安が高まる一方です。そこで思いついたのが、世界記憶遺産への登録でした。そこに登録されされれば、行政も保護に乗り出すでしょう。そうすれば、原爆文学関連資料は人類共有遺産として末永く世界中の人々によって鑑賞され続けることになります」

 保全の会としては、2017年の登録を目指すが、これに間に合わせるには今年の6月までに日本ユネスコ国内委員会に申請しなくてはならないことが分かった。そこで、今年に入ってから、申請のための作業を本格化した。
 まず、登録を申請する作品の選定である。これまでは、詩人・峠三吉、詩人・栗原貞子、作家・原民喜、作家・大田洋子、歌人・正田篠枝らの作品を考えていた。が、池田事務局長によると、大田と正田の作品については遺族の了解が得られなかったため、峠、栗原、原3人の作品、それも各人1点ずつ計3点にしぼったという。

 峠三吉の作品は『原爆詩集』(1951年発表)の直筆最終草稿。草稿の書き出しは、「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」。彼の詩の中で最もよく知られた詩だ。この草稿は保全の会で保管している。
 栗原貞子の作品は、『うましめんかな』(1946年発表)の直筆ノート。「こはれたビルディングの地下室の夜であつた。/原子爆弾の負傷者達は/くらいローソク一本ない地下室を/うづめていつぱいだつた。/生ぐさい血の臭ひ、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声」で始まる詩は、原爆で破壊された広島貯金局の地下室で、8月8日の夜、赤ん坊が生まれたという話を聞いた栗原が新しい生命の誕生をうたった詩で、彼女の代表作である。この詩が収められた直筆ノートは広島女学院大学が保管している。
 原民喜の作品は『原爆被災時のノート』。彼の代表作『夏の花』(1947年、「三田文学」に発表)の執筆のもとになった被爆時の手帳だ。彼はこの作品発表後の1951年に東京の中央線の鉄路に身を横たえ、自ら命を絶っている。『ノート』は親族が保管している。
 保全の会は、この3作品について「いずれも1945年8月6日の惨状を記録し、優れた文学作品として多くの人々に読み継がれてきた。これらの作品(記録)は世界史・人類史的にみて貴重な遺産」としている。

 保全の会は、世界記憶遺産登録申請活動に理解を深めてもらうため、6月2日~14日、広島市の市民交流プラザ1階ロビーで、 「栗原貞子、原民喜、峠三吉文学展」を開く。登録を申請する3人の作品や周辺の記録を展示する。
期間中の6月13日(土)には、広島市内で「記憶遺産申請のためのシンポジウム」を開催する。国内外から4人のパネリストを招き、原爆文学を世界遺産に申請する意義、3人の作品の資料的価値などを論じてもらう予定だ。

2014.10.27 原爆文学資料をユネスコ「世界記憶遺産」に
広島の市民団体が登録を目指す

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 来年は広島にとって「被爆70年」。それを機に峠三吉、栗原貞子ら被爆作家の原爆文学資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」 に登録しようという活動が、広島市の市民団体の手で進められている。2016年の申請、2017年の登録を目指すが、もし登録が認められれば、峠三吉らの原爆文学は人類共有遺産としての末永く世界中の人々によって鑑賞され続けることになる。

 よく知られているユネスコの「世界遺産」は、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき普遍的価値をもつ物件で、移動が不可能なものが対象。これに対し、同じユネスコの「世界記憶遺産」は世界的に貴重な直筆文書、書籍、絵画、映画などの記録を保護するためにユネスコが1992年に創設した事業で、2年ごとに各国政府、自治体、非政府組織(NGO)の推薦を受け、審査、登録する。
 2013年までに109カ国の301件が登録されている。これには、『アンネの日記』や『ゲーテの直筆作品』も含まれている。日本からは3件。「御堂関日記」「慶長遣欧使節関係資料」「炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の炭鉱記録画」だ。とくに山本作兵衛の炭鉱画の登録(2011年)は日本で注目を集め、世界記憶遺産への関心を呼び起こした。
 今年に入り、2015年の登録を目指して4件が名乗りをあげたが、候補は一カ国につき2件までという制限があるため、結局、国宝の「東寺百合文書」と、シベリア抑留等の記録「舞鶴への生還」が国内候補となった。

 原爆文学の原資料の世界記憶遺産登録を目指しているのは「広島文学資料保存の会」(代表、土屋時子さん)である。「広島に文学館を! 広島の心を21世紀に伝えよう!」という今堀誠二(元広島大教授)、大原三八雄(元広島女子短大教授)、北西允(元広島大教授)、栗原貞子(詩人)、好村冨士彦(ドイツ文学者)、四国五郎(画家)、深川宗俊(歌人)の各氏ら11人の呼びかけで1987年にこの会がつくられた。その背景には「被爆作家の作品は、広島における原爆被害の実態を伝えるまたとない貴重な資料だから、これらを次の世代に引き継いでゆかねばならない。散失を防ぐためには公立の文学館を設立するのが望ましい」という思いがあった。
 以来、文学館設立を求める署名運動、関連資料の収集、文学資料展などをおこなってきた。この間、広島市に対し「文学館をつくって」と何度も交渉してきたが、そのたびに「予算がない」との回答で、いまだに実現していない。「他県の人からも、広島には世界に知られた被爆作家の貴重な資料群がありながら、文学館もないのは不思議だ、と言われるんですよ」と、土屋さん。

 土屋さんによれば、広島市にはこれからも期待できない。別な切り口で原爆文学の原資料の保存と活用を図るための方法として考えついたのが世界記憶遺産への登録申請だったという。事務局長の池田正彦さんも「被爆からまもなく70年。被爆作家の遺族や保存の会のメンバーが高齢化し、原資料の保存に不安が生じてきたので、世界記憶遺産への登録申請を思いついた。登録されれば行政も保護に乗り出すのでは」と語る。

 保存する会が登録申請を考えているのは、いまのところ、3点である。
 まず、「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」の書き出しで知られる詩人・峠三吉の『原爆詩集』の直筆最終草稿。次は詩人・栗原貞子の代表作『うましめんかな』の直筆ノート。さらに、作家・原民喜の『原爆被災時のノート』(『夏の花』執筆のもとになった被爆時の手帳)。峠の直筆最終草稿は同会が、栗原の直筆ノートは広島女学院大が、原の手帳は親族がそれぞれ保管している。

 このほか、今後、作家・大田洋子の『屍の街』の原稿(東京の日本近代文学館所蔵)も申請に加えるかどうか検討する。長崎の被爆作家の作品も加えられるかどうか検討したいという。

2014.02.20 風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ
 
乱鬼龍 (川柳作家)
                       

狂歌 

 今年こそウマくいくよな年にして悪政を討つ馬力かけたし

 アべノミクスの字をとればアベノミスハタンバタンの音が聞こえる

 官邸前これが民意だ正論だ寄せては返す民の熱声

 悪相が揃い悪政吠えたててとどのつまりは国を亡ぼす

 汚染水どこまで行っても汚染水地球亡びる日まで流れる

 千両も万両もなく新年も百円ショップのカップめん食う

 初日の出真っ赤な嘘照らし出す政治屋の嘘マスコミの嘘

 明けましてどこがめでたいのだテレビ衆愚洗脳あふれてやまず

川柳
 
 反動化もついにここまで来た日本

 亡国を討てぬへ理屈なら要らぬ

 たたかわぬ寝言たわ言聞いたふう

 それぞれの馬脚が揃う年が明け

 仮設から視えるこの国この時代

 沖縄と書けば風さえぶち切れる

 ◆冗句 

 「門松」 竹槍に見えてきた――怒れる民一同

 「仕事始め」 首相官邸前で抗議の声をあげた!――怒れる民一同

 「おせち料理」 食材偽装 産地偽装 添加物だらけで、うま味を増している――悪徳業者

 「初夢」 妻からの離縁状が届いた夢だった――安倍首相

「初荷」 荷が重過ぎる――無能政治家一同

 「成人の日」 召集令状が届いた夢をみた――新成人

 「二〇一四年を占う」 怖ろし過ぎて国家秘密です――占い師

 (乱鬼龍作・発行の「風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ」2014年1月号から)


2013.09.04 風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ

乱鬼龍 (川柳作家)


◆狂歌

 議会制民主主義とは言うけれど所詮インチキ嘘の山なり

 誠意などあると思うなこの国にないと思うなツケと亡国

 為政者の無能はすでにレベル7この亡国を討つや討たずや

 政界にグシャグシャグシャと愚者の群グシャグシャと国がグシャグシャ

 石原のジジイに橋下の野郎こんな程度が維新など吠え

 資本主義賞味期限も切れてくる明日のビジョンをこそと天声

 セミさえもミンミンミンと民の声悪政呪う声は地に充つ

 主権回復どこに主権があるというアメリカのポチ吠えてやかまし

 化けの皮はげば為政者この程度倫理道徳はじめから無し

 原発の神話いつまで信じる気いつまでつづくごたくでたらめ

◆川柳

 再稼働愚者の愚考に底がない

 再稼働亡びの道のやかましさ

 子どもすら救えず何が再稼働

 倫理なく反省もなく再稼働

 再稼働何が何でも亡ぶ気か

 原発で亡び改憲でも亡ぶ

 この国の臨界点はすでに充つ

 まごころが泣くぜワタミのブラック度
 
 アベ人気ヨイショのツケはすぐに来る

 悪政を許せばツケの山が来る

 しっかりと生きれば敵となる日本

 後世の史家に問われる今日明日

  (乱鬼龍作・発行の「風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ」2013年7月号から)

2013.01.17 風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ
乱鬼龍 (川柳作家)


◆狂歌

 この程度ではものにならない愚論充つどの程度なものになるらん
 
 国会に悪相愚相充ち充ちてこんな程度の国を亡ぼす
 
 明けましてテレビやたらとめでたがるどこがめでたい亡国日本
 
 化けの皮はげばこの世こそ地獄誰がほざくか豊か安全

 圧勝というインチキの民主主義いつまでつづくウソとデタラメ

 オスプレイ飛べば次には買わされる忠米ポチが吠えてやかまし

 処分場政治のゴミはどう捨てるゴミとごたくの国会議事堂

 展望は自ら拓くものと知れ他力本願ないものねだり

◆川柳

 日本討つ覚悟ありやと年が明け
 
 フクシマを見捨て国民また見捨て

 フクシマの冬は政治で凍りつき

 フクシマも救えず国政などほざく

 インチキな選挙亡びるまでつづく

 神仏ももう原発にノーと言う

 原発はダメと活断層も喝

 汚すだけ汚し地球をまだ汚す

 明日拓く侠気やいかにデモつづく

どん底の底に底あり春近し

 (乱鬼龍作・発行の「風刺の種 蒔かぬ種は生えぬ」2013年1月号から)
2012.10.20 沖縄と福島と

相田 順子 


  水牛車にゆられ

スコールがうそのように晴れ上がった
一月末の竹富島の気温は二十五度
サンゴの石垣にかこまれ
赤瓦の屋根に睨みをきかすシーサー
白砂(はくさ)の道によくにあう
ハイビスカスやブーゲンビリアの花々
沖縄の原風景を島をあげての保存活動
その家並を
三線(さんしん)と民謡を聞きながら
水牛車にゆられ沖縄を思う

琉球王国(※)の時代
友好関係にあった日本に組み敷かれ
明治政府に藩をつぶされ
敗戦後はアメリカの統治下に置かれる
復帰後は再び本土の人々が
札束持って侵略してきた

翻弄(ほんろう)され続けた沖縄
こんな日本から独立を考えたであろう……
大きな反対運動が起こらなかったと
国はいまだに無理難題をおしつける
にこやかに観光客を迎えているが
ときにひややかに見つめる姿は
私の思い過ごしだろうか

刻(とき)はゆっくりながれる
星砂海岸を歩きながら
ここの先祖はどんな国を望んでいたか
想いをめぐらす

※かつて清の時代属国であった 返還時独立をの声があったがながれた
(2010・2・1)
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