2020.03.30 チベット高原の3月は……
         ――八ヶ岳山麓から(310)――   

阿部治平 (もと高校教師)

はじめに
地球規模で新型コロナウイルス感染が猖獗をきわめ、東京オリンピックが吹っ飛ぶかというこの時期に、チベットがどうだこうだというのはおかしいと思うものの、毎年3月が来るとどうしても何か一言いいたくなる。毎年3月にはチベット人地域に中共軍・武警・公安(特高)などが進駐して異様に緊張するからである。
60年前の1959年3月、「チベット叛乱」の末にチベット仏教至高の存在である十四世ダライ・ラマがインドに亡命した。また12年前の2008年3月には、北京オリンピックを控えて民族独立とダライ・ラマのラサ帰還を求めるチベット人1万余による「暴動」=「ラサ事件」が起きた。このため中国当局は事件を未然に防ごうとして、チベット高原に緊張状態を作り出すのである。
 注)中共軍:革命前の労農紅軍、革命後の人民解放軍はいずれも国家の軍隊ではなく、中
   国共産党の軍事部門なので、ここでは中共軍とする。

1959年と2008年
1956年毛沢東は民主改革と称して、チベット人地域の農牧民社会の階級区分と土地改革、仏教寺院の改革を命じた。これに対するチベット人地域各地の一揆的抵抗が「チベット叛乱」の始まりである。毛沢東は独特の階級闘争理論で、チベット人の抵抗を反動派の「反革命」と断定し、徹底殲滅を命令した。中共軍は「叛徒」はもちろん、巡礼や山野に逃げた農牧民も「反革命」「反動派」とみなして見境なく殺害した。
  注)チベット人地域:方言や習慣の違いにより三分される。ラサ政権が掌握していた
    ウ・ツァンと、今日の自治区チャムド地区に雲南省北部、四川省西部を合わせた
    カムと、青海省の大部分・甘粛省南部・四川省北部を合わせたアムドである。民
    主改革はラサ政権直轄地では行われなかった。
  
2008年のラサ事件は、1959年の「チベット叛乱」が統一指揮部をもたない自然発生的なものであったのとは全く異なり、民族独立運動の一環であり、計画的であった。インドの亡命チベット人青年組織は、8月の北京オリンピックを好機とみてラサで反中国のデモンストレーションをおこない、チベット問題を世界にアピールしようとしたのである。
ところがインドのチベット人亡命地の中国公安機関は、これをいちはやく察知していた。140人余の工作員がヒマラヤを越えてラサに入るという情報はただちに中共中央に届けられた。ところが中共中央は潜入した中核分子を捕らえて、暴乱を未然に防ごうとはしなかった。
この結果、3月10日には尼僧のデモがあり、やがてデプン寺などの僧侶が町に出た。17日にはこれに一般市民も加わり、「暴徒」の焼討ち打壊しがはじまった。だがここでも公安当局は大量の軍警・公安部隊と装甲車を並べただけで、目の前で暴行破壊が行われているのに、これを静観し、その一方で街頭に監視カメラを置いて暴乱の状況と暴徒の顔を撮影した。
やがて当局は、頃合いを見計らって断固たる反撃に転じ、4月9日までに逮捕したもの953人。最終的には数千人になっただろう(この項、本ブログの拙稿「チベット高原の一隅にて(17)」2008.05.27 参照)。

狙いは当たったか
治安当局は「暴乱」をやらせて、そのテレビ映像を公開して国内外に「蔵独(チベット独立派)」の「祖国分裂」行動の野蛮さを明らかにし、武力弾圧を正当なものと印象付けようとしたのである。
期待通り、テレビで「乱暴狼藉」の映像が流れると、中国国内では激しいチベット人非難の声が高まった。私が住んでいた青海省西寧市内ではチベット人にモノを売らない、タクシーに乗せないなどの嫌がらせがあった。一方チベット人は、破壊活動を見て地位のある人も農牧民も「これはやらせだ」とみな嘆いた。
だが同じ映像から、日韓欧米など国際世論は「暴乱」の実態を受け入れず、むしろ同情はチベット人に集まり、反中国デモが各地に起こり、オリンピックの聖火リレーはロンドン・パリ・サンフランシスコで妨害され、中国政府の面子は地に落ちた。
ラサ事件発生のニュースは、携帯電話によって1日もたたないうちにチベット人地域全体にひろがり、だれもが知るところになった。農村牧野の青年らもラサに呼応して町に出た。青海省では確認できただけでも10数の県政府所在地で、「独立」と「ダライ・ラマのラサ帰還」を叫ぶ大小のデモが起きた。西寧と蘭州、成都の大学、さらには北京の中央民族大学でもチベット人学生の座り込みとデモがあった。カムやアムドのチベット人はラサの事件に連帯を表明し、「民族独立」というスローガンを支持したのである。

チベット人地域に君臨する官僚群
ラサ事件当時、温家宝総理はメコン川流域開発会議に出席していたが、事件が起きると現地から「ダライ・ラマが彼の影響力を使ってチベット事件を納めてほしい」旨の声明を発した。チベット亡命政府は色めき立っただろうが、ダライ・ラマが介入する幕はなかった。
というのは、彼らの「やらせて打ち取る」方針は微動だにしなかったからである。チベット人地域各地の警備当局は温家宝総理の発言を無視して、「反分裂」のために断固たる武力鎮圧方針を貫きとおした。私は、最高指導者の一人である温家宝総理のダライ・ラマの出馬を求める発言には驚いたが、それが無視されたのは驚きよりも不可解が先に立った。
すでに、チベット人地域を支配する中共中央と民族委員会、軍、公安機関、自治区官僚、青海・四川など各省高官が形成する集団は、同盟を組み路線を定め、最高指導者の発言であっても、その方針と異なったものは、排除あるいは無視する仕組みができあがっていたのである(王力雄《西藏独立路线图》http://woeser.middle-way.net/)。

責任の行方
中国は1959年の「チベット叛乱」以来、毎年ブラックホールといわれるほど多額の予算と多くの行政要員をつぎ込んできた。しかも、チベットに君臨する官僚たちは、「チベットはいまや史上最高の繁栄に達した」と言いふらしていたのに、反中国の民衆運動が起き、国際世論が反中国に傾き、胡錦涛国家主席の顔に泥を塗る結果となったのである。
中国内地(漢民族地区)に毎年何万と起きる対政府抗議行動や暴動の際は、地方行政機関の一部門とか個人が責任を取らされるのが普通である。だから私のようなものにも、チベット関係の官僚は到底失脚を免れまいと思われた。
ところが意外にも、チベット自治区・各省の行政担当者はもちろん、中共中央や民族委員会のだれも失脚しなかった。チベットに君臨する官僚同盟は、互いにかばいあって、失政の責任を取ろうとしなかったのである。
そのかわり、彼らはラサ事件の全責任をダライ・ラマに押し付けることにした。そこで新華社をはじめ、中国のメディアはダライ・ラマを「中国を分裂させるもの」と激しく非難した。
だがダライ・ラマその人は、「高度自治を求め、独立を望まない」と公言して久しく、従来から暴力闘争を戒めていたのはよく知られていた。だからこのダライ・ラマ非難はあまりに奇抜で滑稽で、情報を制限されている中国国民ならばともかく、国際的には全く相手にされなかったのである。

終わりに
私は、いまも2008年ラサ事件は、急進青年組織の極左的冒険主義によって不必要な犠牲を出し、民族運動に大きな損害を与えたものと考えている。
だが、反体制派の論客王力雄氏は、「2008年のチベット事件はチベット独立か否かの分水嶺であった。……これ以後はチベット独立が現実的なレベルに浮上したのであり、視野の及ぶところとなった。この変化を生んだのは、ほかではなく、中国権力構造の中で『反分裂』を分担する官僚集団である」と言う(前掲論文)。
1959年以後の中共官僚集団によるチベット支配は、たしかにチベット人の民族意識を育て、連帯感を高めた。私も2008年のラサ事件はそれが確認される機会になったと考える。けれども、チベット人地域人民の意識が「独立が現実的なレベルに浮上した」というほどの高みに達したとは到底思えないのである。(2020・03・24)
2020.03.25 新型コロナウイルスの感染拡大がもたらしたもの
             ――八ヶ岳山麓から(309)――

阿部治平 (もと高校教師)

中国でも日本同様、新型コロナウイルスの感染拡大が庶民の経済に大きな打撃を与えている。なかでも最下層の農民工(出稼ぎ農民)の生活は深刻な影響を受けている。
3月12日「財新」ネットは、あるボランティア団体が調査した農民工の生活に関する記事を掲載した。以下、私見を交えてこの記事の要約を記す。

同記事によると、調査対象の農民工46戸のうち、3分の1が仕事に復帰できただけであった。復帰したとはいえ、勤め先が操業時間を短縮している場合、たいてい収入は10~20%減少している。他方仕事に復帰できないものは、すでに借金に頼る生活をしており、高利の借金に巻き込まれたものもいる。46戸のうち、8割は非正規就業であり、その日暮らしである。30戸は春節に帰郷しなかったが、いま彼らにできることといったら、仕事を待つことだけだという。
  注)「農民工」とは、中国の戸籍制度の農村戸籍を持ち、原籍地に土地を持っている
    が、農村を離れて都市で働く労働力のことである。東部臨海大都市には100万単
    位で存在し、すでにその第二世代が一半を占めるという。労働条件は劣悪、賃金  
      は都市戸籍労働者の半分。就業・ 医療・年金・教育などの面では「制度的差別」
    が存在しているうえ、都市住民の彼らに対する差別意識は強烈で、彼らに対する
    同情心はあまり期待できない。

帰郷した16戸の中で9戸が出稼ぎ先に戻った。残りの農民工は、帰るためのバスがないとか、北京で住むアパートを借りる当てがないとかで、依然郷里にとどまっている。
さる「保母」斡旋会社によれば、「保母」のほとんど2分の1が春節に帰郷したが、帰ってきたものは5分の1にすぎない。北京に戻っても2週間は隔離されるから仕事を探すことができない。また(村落は新型コロナウイルスを警戒して封鎖しているから)「保母」によっては、村から出ることができないひともいる。
  注)「保母」とは、家事労働に従事する女性農民工をさす。

農民工によっては貯金をほとんど使いつくし、親戚友人からカネを借り、あるいはクレジットカードの支出超過で生活を維持している。ある人は北京に戻ったものの元の職場の喫茶店はお客が少ないために全面的に開店できない。この人はたちまち窮状に陥った。
「今手もとにカネがない。ここのところスマホの『支付宝』でカネを使っているが、私はもう500元余り使った。今月末までに銀行口座に入れるカネがない、来月はどうすればよいか。私の周りの同郷のものはみんな同じようなやり方でカネを使っている。仕方ない。飯を食わないとどうしようもないから」
  注)「支付宝」は、アリババのオンライン決済サービスで、先にスマホで買物をし、次
      の月末に銀行口座から自動的に引き落として決済する仕組みである 。
少額貸付のAPP(不明――阿部)がある。銀行よりも低金利で、1万元まで借りられる。だが、これを知らない人も多いようだ。借金自殺、夜逃げしたのは一人二人ではない。

困窮農民工は新コロナウイルス感染拡大によって二重三重の圧力に直面している。例えば以前からの話だが、原則的に義務教育は、本籍地の学校に入る制度になっている。農民工の児童は出稼ぎ先の都市の小学校に入学することはできず、出稼ぎ者の子弟むけの小学校に上がらなければならない。これはいわば私学である。学校は学費収入がなければ経営がなりたたない。ところが農民工の収入は新型コロナウイルスの感染拡大以後、減少している。子供を教育したい農民工にしてれみれば、1ヶ月500元の学費に給食費を加えれば、重い負担となる。
ある農民工を援助するボランティアは「政府がもっとマトを得た施策をするよう希望する。例えばこれら子供の学費の減免措置をとるとか、居住区に頼んで貧窮農民工戸に援助を提供してもらうとか」と嘆いている。

新型コロナウイルス感染が拡大してから、中国では児童生徒の登校をやめさせ、オンライン授業をやっている(日本ではこれを高く評価する人がいるが、実際には農村牧野では電波が届かないことがある)。都市に暮らす農民工家庭では電波問題はもちろんないが、農民工のなかにはパソコンがないうえに、ネットにも入っていないものもいて、多くの子供が正常なオンライン授業を受けられない。時には子供たちがスマホを順番で使うこともある。スマホにせよパソコンにせよ、ネット費用も家庭によってはばかにならない。
またオンライン授業は授業時間が短く、教師との問答が少ないという。しかもこの方法では保護者の援助を必要とすることが多いが、これにはある程度の学力・教養が必要だ。農民工のかなりはそれが足りていない。
「子供に勉強は終わったかと聞くと、終わったという。俺は学問がないからいつもだまされているんじゃないかと思うが、本当のところはわからない」
「先生がおたくの娘は勉強ができないというが、俺は娘を叱って泣かせるだけだ。宿題をやり直して先生に提出させるが、それが正しいのかどうかわからない。娘はよそのうちの両親は子供に教えるのにパパは私に教えないと不平を言う」  
1800個のノートパソコンを貧窮家庭に配った篤志家もいる。だが社会の貧窮農民工戸に対する関心は依然として十分ではないという。

関係当局も農民工の貧窮問題を知らないわけではない。
国務院扶貧弁公室総合局局長蘇国霞は、3月5日「(農村からの)労働力外出総人口のうち貧窮戸は1420万。新コロナウイルス感染状況がもたらしたヒト、モノの流動は制限を受けて、去年の52%だった。それは貧窮家庭の収入を減らしてしまった。これが長期にわたるとなれば影響はもっと大きくなる」と述べた。
また国家扶貧弁公室と銀行保証監査会は、新型コロナウイルス感染の影響を受けたために借金を返すことができない貧国家庭に対しては、(金融機関からの)借金の半年の延期を認め、不良貸付けの記録対象とはしないという政策を出したという(これがどのくらい末端の貧窮農民を救うか保証の限りではない)。
蘇国霞氏は、「今年は扶貧問題(貧困救済の課題)仕上げの年である。中国の貧困人口は2012年末の9899万人から2019年末の551万人にまで減少した。しかし学者の多くは「農村の最低収入20%の階層人口は大量に貧困線前後に滞留している。彼ら(の家庭経済)は非常に脆弱でいつ貧乏に戻るかわからないのだから軽視してはならないという」と主張している。蘇氏もこれを肯定して、貧困状態から脱出したとされた人々が容易に再び貧困線以下に転落する可能性を認めている。
  注)貧困線は、中央政府が決定するもので、時代が下るにしたがって上がってきた。現
             在は一日の生活費ほぼ1ドルの暮らしが貧困線とされている。
たしかに、1億余の貧困者は約10年間に550万に減少した。日本ではこれを捉えて、中国政府の施策が適切であったと評価する向きがあるが、これは統計上の話である。政府当局者も認めているように、農村では主な労働力が死んだり病気になったりすると、それまで貧困家庭の範疇に入らなかった者がたちまち貧困層に転落するのが現実である。

新型コロナウイルスの感染拡大は、農民工の貧窮状態をより深刻なものにした。日本でも臨時職員や非正規労働者、自営業、ひとり親の家庭などを直撃している。災害によって貧しいものが一層貧しくなる現象は中国も日本も変わらないが、貧窮生活を余儀なくされる国民をどの程度で食い止められるかは、その国の政府の貧困に対する政策と力量によるものであろう。
2020.03.24 第二次大戦以来の、市民の団結が重要な事態
メルケル独首相の演説

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 ドイツのメルケル首相は3月18日、「コロナウイルス対策について」と題した重要演説を、全ドイツ、全世界に向けて行いました。ドイツ語翻訳家・林美佳子さんの全文翻訳(ネット公開)から約1ページ半を紹介します。林さんに連絡することができず、無断引用となりました。演説の緊急性、重要性を考え、紹介させていただきました。読者の方々はぜひ、ネットで林さんの全文翻訳をご覧ください。

 「私は今日このような通常とは違った方法で皆様に話かけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちをなにが導いているかを皆様にお伝えしたいからです。開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで理解を得られるようにすることです。
 もし、市民の皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題が、我が国に降りかかってきたことはありませんでした。
 私はここで、現在のエピデミック(流行病の一般的用語。今回は全世界的規模の流行病を指す「パンデミック」という用語が使われている)の状況、連邦政府および各省庁がわが国のすべての人を守り、経済的、社会的、文化的な損害を押さえるための様々な措置を説明したいと思います。しかし、私は、あなたがた一人一人が必要とされている理由と、一人一人がどのような貢献をできるかについてもお伝えしたいと思います。エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。世界中で懸命に研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。
 この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。これが私たちのすべての行動の指針です。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。」(中略)
 「さて、今日私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の施策が無駄になってしまうでしょう。その手段とは私たち自身です。私たちの誰もが同じようにウイルスにかかる可能性があるように、今誰もが皆協力する必要があります。まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。
 私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミックは私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。
 一人一人の行動が大切なのです。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れるしかない運命であるわけではありません。私たちには対抗策があります。つまり、思いやりからお互いに距離を取ることです。
 ウイルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。」(中略)
 「私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。
 私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。
 この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。
 たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。
 皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。」(了)



2020.03.17 アフガン戦争報道で、女性を忘れないBBC(下)
タリバンと交渉した女性ファウジア・コーフィ

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 1996年から2001年のタリバンの支配下では、タリバンは女性たちの学校教育と雇用を禁止し、彼ら流の解釈による厳格なイスラム法を押し付けた。それには、石投げによる死刑とむち打ちが含まれた。
 これまでの人生、アフガニスタンから出たことがないファウジア・コーフィは、このような処罰に耐えてきた人々のことを知っていた。
 発言の番になったタリバンの交渉者は、彼女の性の対等要求にたいして応じたー
「女性は首相になれるが大統領にはなれない。女性は裁判官になれない」
 コーフィは発言したー「私は同意できない。だが、言い争いはしない」「だが、この会談はどちらでもいいという結論を許してもいない。最近のタリバンの方針では、女性は働くことができるし、教育をうけることも許されるーしかし、イスラム法とアフガン人の文化の範囲でだ」
 コーフィのような人にとって、この問題は難問だった。イスラムは一つの聖書コーランしかないのに、多数の理論的思考の流派がある。子供時代から「私は、さまざまイスラム学者から異なった見解を聞いてきました。タリバンは極端なコーランの解釈に従っています」

▽「私はブルカを買ったことがありません」
 ファウジア・コーフィは1996年9月に初めてタリバン兵士を見た。
 「タリバンが首都カブールを取ったとき、私はカブールで医学を学んでいました。私の住むフラットの5階から、彼らを初めて見ました。タリバンはライフルで武装し、街路で戦闘していました。」
 数日後には、子供時代からの野心は壊され、タリバンの命令で医学校から追い出された。彼女はカブールに住み続け、医学校から追い出された女子学生たちに英語を教えた。
 「それは落胆の日々でした。」と彼女は振り返った。
 タリバンは女性たちに、家の外では全身を覆うブルカを着るよう布告を出した。
 「私は、決してブルカを買いませんでした。私は、私たちの文化の一部とは考えられないものに対して、お金を使わなかったのです」
 彼女の抵抗は、自らのコストになった。身の安全のために、自らの動きを抑えなければならなかった。
 タリバンの「道徳局」は街中をパトールし、ブルカを着ない女性たちを打ち据えた。
 「9・11」の後、米国のアフガンへの攻撃によってタリバンが駆逐されたとき、大部分の国民が、救われたと感じた。
 「私たちは恐れることなく街を歩き、タリバンに殴られるのを恐れずに買い物ができるようになったのです」

▽銃撃された私たちの車列
 タリバン支配の崩壊後、コーフィは国連の仕事―元少年兵たちのリハビリの仕事に加わった。彼女の夫が投獄中に感染した結核で死亡したのち、二人の娘が残されていた。
 にもかかわらず彼女は、2005年に国会議会選挙が行われることが発表されると、立候補することを決めた。彼女の父は議会議員で、彼女の当選に父の地盤が役立ったことを認めている。
 「でも、私にとっての試練は、父とは別の自分のアイデンティティを創り出すことでした。」と彼女は語る。
 議員としての1期目に、彼女は議会の副議長になる努力を続けた。タリバンがアフガニスタン南部で彼女を殺害しようとしたのも、その期間だった。
 「2010年3月、国際婦人デーを祝うためにナンガハルに行きました。その帰路、私の車列に銃火が浴びせられました。川の対岸からも、銃撃されたのです。私と娘二人は、私の守護役が山脈のトンネルに導いてくれたおかげで助けられました。そこから私たちはヘリでカブールにつれていってもらったのです。」

▽「誰もが平和を求めています」
 10年後、タリバンと米国は和平合意に調印しようとしている。(坂井注:2月末日に調印)
 タリバンは追放されてから、復帰して戦闘を再開するまでに数年しかかからず、現在は2001年以来、最大の地域を支配している。
 10年間に失われ、傷ついた人間の生命は巨大だ。数万人の一般国民が死傷した。アフガニスタンは世界でもっとも貧しい国の一つのままだ。約250万人のアフガン人が外国で難民登録し、それ以外の約200万人が国内で難民化したまま。未亡人女性は200万人ほどと推定され、生きるために苦闘している。
 「誰もが平和を願っています。私たちは戦争の中で生まれ、戦争の中で育ちました。私たちの世代も、その子供たちも、平和の価値を知りません」とコーフィは語る。しかし、それは、どれほどの価値でも取引できないのだ。
 「平和は尊厳、正義、自由とともに生きることを意味しているのです。民主主義に代わる道はありません」
 タリバンが公然と姿を現すことに合意するとしても、彼らがどれほど変わったのか、不明だ。タリバンのスポークスマン、スハイル・シャヒーンはBBCに「平和に反対する者たちは、女性の権利を交渉材料に使っている」と述べている。
 しかしファウジア・コーフィはいうー「女性は非常に多くのものを失いました。これ以上、失なえるものはありません。
 彼女の娘さん二人はカブール大学で、メディアとインターネットとともに、成長した。
 「私の娘たちも、他の女の子も、彼女たちの家に縛り付けることはできません。この国を支配しようと望む人は、このことを自らの計画に入れなければなりません」とコーフィは語った。(了)


2020.03.16 アフガン戦争報道で、女性を忘れないBBC(上)
タリバンと交渉した女性ファウジア・コーフィ

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

  2000年以来、反政府勢力タリバンに対してアフガニスタン政府軍、米軍主力の多国籍軍が戦い続けてきたアフガン戦争の報道で、BBC(英公共放送)はアフガン女性の現状と地位、主張をたびたび紹介してきた。今回のトランプ政権とタリバンの和平交渉では、議題にもならなかったようだが、BBCは「アフガン和平交渉:タリバンと交渉する女性」と題して、女性リーダーの一人、ファウジア・コーフィの活動を詳しく報道した。公式なアフガン政府代表団ではなく、非政府有力者たちの全アフガン代表団が、モスクワでタリバンと会談を重ねていたのだった。
 米国政府代表団は2月末、タリバンとの和平協定調印。1週間後には米軍撤退を開始したが、残された問題は山積している。その中でも女性の権利と地位を高めることは、残された重要課題の一つだ。
 ここでは、BBC(2月27日)のSwaminathan Natarajan署名の報道を紹介しよう。
 ―医者になりたいというファウジア・コーフィの子供時代からの夢は、1990年代に戦闘的なタリバンがアフガニスタンを支配した時に砕かれた。女性を公職から追い出した、このグループは、彼女の夫を投獄し、のちに彼女が政治家になった時には、彼女を殺そうとした。
 コーフィは、同国でかっては支配者だったことがあるこの強硬なイスラム主義者たちとの、何ラウンドにも及ぶ会談を重ねた、全アフガン代表団の中の数人の女性の一人だった。
 モスクワで行われた昨年の会談では、彼女と、もう一人の女性人権活動家のライラ・ジャファンは、70人の男性たちとホテルの部屋に入った。
 部屋の一方の側にはタリバン、その向かい側には全アフガン代表団の男性の政治家や人権活動家たちと彼女たち2人が座ったー

 「わたしは彼らに、アフガニスタンはいま、さまざまな見解をもつ人たちで代表され、一つのイデオロギーで縛られてはいないと、わたしは話しました。
 タリバン代表団の一部の代表は、わたしを見つめました。数人はノートをとっていました。別の数人はわたしの全身に目を走らせました。
 長時間に及ぶ会談の中で、タリバン側はアフガン政府との直接交渉を拒否し、“傀儡政権”は承認しないと言いました。
 しかし、米国とロシアの持続的な圧力によって、妥協が成立、タリバンは非公式なアフガン代表団と会談することに合意しました」とコーフィは、振り返った。
 コーフィは、3回、この非公式代表団の一員となった。彼女は、和平交渉をはじめ交渉チームには、もっと女性の団員がいるべきだと主張した。
 「我々の交渉代表には女性が含まれているのだから、あなたたちも女性を含むべきだ」と彼女が主張すると、タリバン側はたちまち笑い出しました」と彼女は語った。(続く)

アフガンと女性写真(1)
アフガン和平のため、タリバンと交渉を続けてきた非政府の全アフガン代表団のリーダーの一人、ファウジア・コーフィさん。アフガン議会の数少ない女性議員の一人。英公共放送BBC電子版(2020.2.27)の報道写真。
2020.03.12 「世界は中国に感謝すべし」ですって―中国の言論は自由です!
                        
田畑光永 (ジャーナリスト)

 コロナウイルス肺炎はまだまだ世界中に広まりそうだが、本家の中国では累計患者数が8万人を突破し、死者も3千人を越えたあたりで、さすがに勢いが衰えてきたようである。それは喜ばしいことなのだが、さてこの2か月ほどを振り返って、事態をどうとらえるか、中国国内ではさまざまな議論が飛び交っている。中には冒頭に掲げたように、思わずえっ?と驚くような内容もある。
 発端がどこか、正確には私は分からないが、米紙『ウォールストリート・ジャーナル』が2月3日の紙面でコロナウイルス肺炎をめぐって「中国はアジアの本当の病人」という記事を載せたあたりから、火の手が大きくなったように思える。このタイトルに使われた「病人」とは、19世紀末、日清戦争に敗れた清国の弱さを上海で出されていた英人経営の英字紙「字林西報」が“Sick man of East Asia”と書いたのが始まりと、中国の検索サイト「百度」にあるが、その中国語訳「東亜病夫」もしくは「東方病夫」は当時の中国人によっても使われたらしい

 しかし、いくら昔の言い方とは言え、中国を蔑視する言葉であるのは間違いないから、当の相手が災難に遭っているときにわざわざそんな言葉を持ち出してくるのは、記者としてほめられた姿勢とは言えない。
 これに対して中国が怒った。それも民間人ではなく政府が怒った。そして2月19日、外交部は同紙の3人の北京駐在記者の記者証を無効とし、5日以内に中國から退去することを求めた。こうなると米政府も黙っているわけにはいかない。3月2日、新華社など中国の党・政府系メディア5社の在米職員総数を現在の約160人から100人に減らすように通告した。
 問題の根っこは、こういう新しい感染病の発生をその発生地、この場合は中国の問題と見るか、そうではなくて人類が新しい敵に遭遇したと考え、その遭遇点がたまたま中国であったと考えるか、の違いにある。もともと中国に好感情を抱いていない向きは前者に傾きがちであるし、当事者の中国は他国のために必死で防波堤の役割を果たしていると自負したいはずだ。
 3月5日、中国紙『環球時報』(電子版)は米政府系と言われるフォックスTVのキャスター(同紙の音訳によると名前はジェシー・ユートスと読める)を「ごろつきキャスター」と非難した。この人物は番組の中で「コロナウイルスを中国起源と決めつけ、中国は正式に謝罪しろ」と要求したのだそうである。そしてさらに背景説明として、「中国共産党は国民に十分に食べさせないので、中国人は飢えている。人民は絶望し、調理不十分の安全でない食物を口に入れている。それが新病原の発生についての科学者の見方だ」とのべたという。

 これに対して、中国の『環球時報』は「共産党がメシを食わせないから、人民は生煮えの蝙蝠や蛇を食っているというのが、米国の有名テレビのキャスターの中国認識か」とかみつき、「米国でH1N1インフルエンザが流行した時、エイズが最初に米国人に発見され、その後、世界に広まった時、中国のキャスターはテレビで米国人に謝罪を要求したか」と切り返した。
 一方、こういう正面からの怒鳴り合いでなく、別の声を上げた中国のキャスターもいた。中国中央テレビ(CCTV)の邱孟煌氏である。この人は2003年からCCTVのキャスターとして、「第10放映室」、「文化正午」といった番組を担当し、昨年で画面出演からは降りたそうだが、自身のツイッターで「謝罪」問題でこう提案した。

 「『東亜病夫』などという看板は1世紀以上も前に粉々になったものだが、(それとは別に)今、われわれはおだやかな口調に謝罪の意をこめて、しかし悪びれることなく、また居丈高になることもなく、マスクをして、世界に向かって軽く頭を下げ、『すいません、ご迷惑をかけます』と言ったらどうだろう」
 なるほどきわめて理知的であり、穏当な姿勢である。中国が全体としてこういう態度であったら、受け取るほうも「まあまあこれは人類全体の災難ですから、一緒に撲滅しましょう」ということになる、はずと思ったのだが、現実にはそうはならなかった。なにを弱腰な!という非難を浴びて(らしい)、氏のツイッターは閉鎖され、CCTVとの縁もきれてしまったという。なんかやりきれない気分である。
 それに代わって登場したのが、本文のタイトルに掲げた「世界は中国に感謝すべし」という一文である。正確にはこのタイトルの頭に「理直気壮」という4文字がついているので、合わせると「堂々と言う、世界は中国に感謝すべし」となる。筆者名は「黄生」、いくつかの経済関係の新聞に転載されているそうで、ネットで簡単に読むことができる。

 なにをそんなに息巻いているかと言えば、この病気が武漢周辺で大量発生した当時、米をはじめ各国は中国からの人間の入国をきびしく制限し、かつ米が先頭を切って在留自国民をチャーター機で帰国させたために、中国は手の打ちようがなく、経済的にも大きな打撃を受けた。米トランプ大統領のやり方は「落井下石」(井戸に落ちた人間に上から石を投げる)であった、というのである。そして要旨次のように続く―
 「今、情勢は逆転し、中国では武漢地区以外での患者の発生は減少したが、米などでは患者が多発し始めている。米疾病センター(CDC)の役人によれば、米国内ではマスクも薬も(欧米各社の製品でも)90%以上が中国で生産されたものを輸入している。もし中国がマスク、薬の輸出を禁止したら、米は『コロナウイルス肺炎地獄』に落ちこむことになるのだ。

 しかし、中国人民と中国政府はそんなことはしない。井戸の中の米国人に石を投げることもしないし、マスクと薬の輸出を禁止することもしない。にも関わらず、事ここに至ってなおまだ中国は世界に謝るべきだなどという声がある。とんでもない言い草だ。
 中国は新型肺炎を撲滅するために大きな犠牲を払い、巨大な経済的コストを負担し、ウイルスの伝染経路を遮断した。そんな国がほかにあるというのか。さらに付け加えれば、鐘南山院士(注:呼吸病学の専門家、中国工程院々士)の研究では、中国で最初に発症したとはいえ、この病毒の発生地は中国とは限らないのだ。米、イタリー、イランなどでアジアと接触のない症例が存在することがその証拠だ。中国が謝る理由などなにもない。アメリカも世界も中国に謝るべきなのだ。・・・」

 こういう威勢のいい文書があちこちに転載されるのも、勿論、言論の自由の一部ではある。しかし、違う立場の主張は消され、その作者がさまざまな社会的圧迫を受けるのでは、せっかく公開されたものの価値も大きく減じるということが中国では理解されていないようである。
 前回、紹介した李文亮医師の命を賭した努力も、弾圧されたり、持ち上げられたり、権力にもてあそばれただけで、後続なしに終わるのでは本人もさぞかし無念であろう。さしものコロナウイルスも中国の言論世界を覆う霧を払う力はないらしい。(200308)






2020.03.10 世界はコロナウイルスとの戦いに共同して立ち向かおう
         
村田忠禧 (横浜国立大学名誉教授)

新型コロナウイルスの特性把握

 昨年12月末に湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルス肺炎の被害は湖北省だけでなく中国全土に広がった。習近平国家主席が率いる中国政府は1月23日より武漢市と外部との交通を遮断し、総力を挙げて感染拡大阻止の戦いを展開した。しかし当初は新型ウイルスの特性をつかめていないため、手探り状態にならざるを得なかった。武漢は中国のど真ん中に位置し、交通の要衝であり、人や物の往来がそもそも盛んなうえに、春節を迎える人々の大移動が発生する「春運」と重なった。そのため武漢では爆発的に感染が広がってしまった。
 次第に明らかになったことは今回のコロナウイルスは感染力が非常に強く、症状が現れない状態でも他人に感染することや、検査結果でいったん陰性とされても、しばらくして陽性になることもある、という厄介な特性がある。また高熱が出たため大勢の人が病院に押し寄せたため、病院が感染拡大源と化してしまうこともあった。そのため医療関係者が感染し亡くなる事例も多く発生している。初動の対応に問題があったとの批判は否定できないが、残念ながら新生事物の認識は一挙に実現できるわけではなく、多くの実践の積み重ねを通して実現されるのが一般的である。

強力な指導力と中国独特の解決策

 中国政府は人口1,100万の大都市・武漢を封鎖するという前代未聞の作戦を展開した。中国にはある地方が災害等の重大な困難に直面した時、人民解放軍を素早く投入して処理にあたるとともに、全国が競うように分担して支援する「対口支援」という解決策がある。これまでもチベット、四川大地震、新疆などの問題解決に活用されてきたが、今回も全国からの武漢市への支援とともに、専門医療体制の弱体な湖北省の武漢市以外の16の市、州に対し19の省が医療従事者や物資を支援する活動を展開した。感染者が大量に出ることが見込まれたため、火神山、雷神山という二つの専門病院をわずか15日間で建設し供用させた。素早く、集中的で強力な対応が感染拡大を防ぐうえで大いに役立ったことは間違いない。
 1月27日から2月19日までは毎日、新たな感染者が4桁台で出現していたが、2月20日以降は3桁台に収まるようになった。新たに治癒した人は2月12日までは3桁台であったが、13日以降は4桁台に増えており、2月28日の新感染者は427人、新治癒数は2,885人、新たな死者は47人である。中国を除く世界の新感染者数は1,027人で、3日連続で中国以外の国々の新感染者のほうが多い状態が続いている。(3月1日現在WHOが公表しているデータでは台湾、香港、マカオも含む中国の新感染者は579人、中国以外の新感染者は1160人、新たな死者は中国が35人、中国以外は18人とのこと)
 WHO(世界保健機関)はこの事実を踏まえ、これまで中国を危険度で最高レベルの「とても高い」としてきたが、中国以外の国々をも危険度が「とても高い」に切り換えた。中国以外の国で感染者が急増している国は韓国(3736 新586)、日本(239 新9)、イタリア(1128 新240)、イラン(593 新205)、新たにフランス(100 新43)が加わり5カ国で感染者累計が3桁以上になっている。南米のブラジルでも感染者の発生が確認されたため、五大陸すべてで新型コロナウイルス被害が発生したとなる。中国の新型肺炎との戦いを「対岸の火事」であるかのように見てきた米国でも感染者は62に及び、韓国駐留米軍にも感染者が出るという深刻な事態が発生している。米国CDC(疾病対策センター)は、アメリカでもいずれ新型コロナウイルスの継続的な感染が起きるとの見通しを表明。WHOも各国に警戒を呼びかけている。
 これまで中国の多くの工場で生産が停止し、部品の供給が途絶えたことで日本企業の生産活動に深刻な影響が生じている。ウイルスに国境はない。人間が用意するさまざまなバリケードをくぐり抜け、世界中で暴れ回っている。世界経済に深刻な影響を及ぼすものとの懸念から、株式市場も連日下落している。中国との連携を阻もうとする「デカップリング」(分断)政策が有害であり、不可能であることを新型コロナウイルスが立証している。

犠牲を少なくするために共同してコロナウイルスとの戦いに勝利しよう

 3月1日までの中国の新型コロナウイルスによる死者は2,873人に及ぶ。二カ月ほどでこれほどの死者が出るとは、人類がまさにコロナウイルスとの「戦争」状態にあることを意味している。最初の主戦場が中国。そこではまだ最終段階にいたってはいないが、最悪の状態からは脱しつつあるように見える。油断は禁物だが、4月末には制圧できるであろうとの専門家の推定も出ている。
 一方、中国以外の国々(日本を含む)はこれから拡大期に入る恐れがある。韓国、日本、イタリア、イランがまず注意すべき国々と見なされているが、他の国でも日々感染者が増えており、油断は禁物。
 中国はこれまでのコロナウイルスとの戦いで多大な犠牲を出しながら、被害の拡大を抑え込むことができるようになった。世界中から中国の奮戦にたいし、声援・支援が寄せられた。危機意識をしっかり持つとともに、この難局を必ず乗り切ることができる、という自信が共有できているから、着実に、力強くウイルスとの戦いを展開でき、一定の成果を収めることができたと言えよう。新型コロナウイルスは制御可能という事実を世界に示すことができれば、目に見えぬ敵への恐怖におののくことなく、冷静に、科学的に「脅威」に立ち向かうことができるだろう。
 中国の「成果」は数千人に及ぶ犠牲のうえに成り立っていることを忘れてはならない。犠牲を可能な限り少なくするためには、第一主戦場で戦いつつある中国の成果と教訓を全世界に公開し、共有することが大切である。もちろん「成果」の共有化は引写しであってはならない。それぞれの状況に応じて適切に調製される必要がある。同時に「成果」の共有化はもちろん必要だが、失敗の事例とそこから得た教訓を隠さず公開する必要がある。未知の世界を開拓する時に連戦連勝は不可能である。敗北や失敗を恐れず、それを直視し、再び同じ失敗を繰り返さないよう努力することが重要である。真の勇者は敗北を直視することから生まれる。

<村田忠禧氏>むらた・ただよし。東京大学教養学部助手、横浜国立助教授、教授をへて、横浜国立大学名誉教授。神奈川県日中友好協会副会長。日本現代中国学会・全国理事。専門 中国現代史、現代中国論、日中関係論



2020.03.07 新型コロナウイルスはチベット高原にも
――八ヶ岳山麓から(308)――

阿部治平 (もと高校教師)

WHOによれば、中国の新型コロナの感染は山を越した、今や最大の懸念は日本・韓国・イラン・イタリアにあるという。最近の中国は2月下旬から規制が緩んで、省境地帯以外の高速道路や郷村の検問所は一斉に撤廃された。出稼ぎ労働者が元の勤め先に一気に戻るから、再び感染拡大のおそれはあるのだが。
学校は春節(陰暦正月、今年は1月25日)一週間の休み以後、教室での授業をやめオンライン授業になっている。これでは都市はともかく、電波の届かない農村牧野ではほとんど授業にならない。中学(高校も)は3月中旬から教室での授業が始まるというが、小学校・大学についてはまだ変化の見通しがない。

チベット人地域の消息は断片的ではあるが、作家で詩人のオーセルさんによって、2月6日までの各地の感染状況が伝えられている(https://www.rfa.org/mandarin/pinglun/weise/ws)。ニュースとしてはいかにも古いが、中国少数民族地域でどのような対策が取られたかがわかるので、敢えて概略を述べたい。
   注)ツェリン・オーセル(漢語表記は茨仁唯色)
   1966年文化大革命下のラサに生まれる。西南民族学院漢文学部(現西南民族大学)を卒業し、ラサの「西蔵文学」誌の編集にあたる。著書に詩集『西蔵在上』、エッセイ集『名為西蔵的詩』、旅行記『西蔵 紅色的地図』などがある。いくつかは発禁処分を受けたが、果敢にチベット人地域の実情を伝える文学作品を発表している。日本語訳されたものに文化大革命の実態を伝える『殺劫』(集広舎 2009年)がある。夫は反体制作家・王力雄(漢人)。   

「微信」公衆号(ネット情報、2月7日現在)によると、感染者はチベット自治区1例、四川省チベット人地域のカンゼ(甘孜)州17例(その後のニュースでは68人)、アバ州1例、甘粛省甘南州3例(疑似1例)、青海省海北州3例である。
とりわけ四川省カンゼ州の状況は深刻である。カンゼ州で病状がそれと確認された患者6人は春節の休みを郷里で過ごそうと、1月20、21,22日に武漢から列車とバスを乗り継いでチベット人地域に帰郷したもので、各地の病院で治療を受けている。

また新華社2月1日は自治区について「ラサ、病院と病人」と題して感染状況を伝えたが、自治区唯一の患者は張某という人で、22日武漢市の武昌地区からラサに着いたもので、同病院で治療を受けているという。なお、チベット自治区第三人民病院には医療関係者が151人いる(と十分な体制が整っていることを誇示している?)。
いまチベット自治区のラサを除く全地区と、青海省の玉樹・果洛・黄南・海南・海西など5つのチベット族自治州、および雲南省のデチン(徳欽)チベット族自治州では、今のところ、感染を確認された患者やそれが疑われるものは発見されていない。だがデチン州には武漢を旅行したことのある確定患者と接触したものが9人あり、隔離して経過を観察している。

オーセルさんはいう。チベット人地域の医療施設・設備や医療人員はもともと十分ではない。そこへ新型コロナウイルス感染が拡大してきたから、医療事情はさらに困難に陥った。2月6日現在、四川省ガンゼ州ではチベット人地域が最も深刻である。
数日前、確定患者数人を治療したガンゼ州人民病院は、ネットを通して「わが病院では防護服はわずか13着を余すのみ、N95マスクは60個を余すのみ。各界人士の援助を乞う」と呼びかけた。
以下、オーセルさんは「微甘孜」公衆号によって、ガンゼ州の確定患者17人の足取りと診断・処遇の経緯を明らかにしているが、ここでは割愛する。
ガンゼ州のなかでもダウ(道○(浮の右))県は、全国県レベルのうちで感染状況が最も深刻な地域と見られる。同県は成都とラサを結ぶ高速道路(川蔵線)の中継地である。
2月6日までに、新型コロナウイルス肺炎の確認病例は累計で17人、男性13例、女性4例。チベット人患者は12人。うち5例は濃厚接触のため感染しており、症状の出ない感染者1例、重篤2例、危機状態1。そのほかの患者の病状は安定している。最高年齢66歳、最少年齢13歳。このうち5人は武漢にいたことがある。
また、ほかの1人は雅安から、2人は成都から、1人はチベット自治区からの帰郷者であり、8人がダウ常住者である。さらに経過観察を受けているものが217人いる。ダウ県人民病院は防護服とマスク、眼帯など防護物資などを急ぎ必要としており、「社会的義捐公告」を発して救助を求めた。

以上の感染者のほとんどは出稼ぎ・農民工である。中国では、大都市と田舎では病院の施設設備、医師の能力は天と地ほども異なる。北京などの大病院ではCTやMRIなどの設備もあり、大学レベルの教育機関で専門教育を受けた医師がいるが、郷村の診療所には、中学(高校)卒業後短期教育で養成されただけの「医者もどき」しかいないこともある。
だからチベット人地域(とは限らないが)の出稼ぎ者が帰郷したときは、例外なく郷村入口の検問所で検査を受けなくてはならないが、それは医師による診察や検査でなく、役人による聞取りで済まされる場合が多いと思う。

2003年のSARSの経験からすでに17年が経った。中国政府の対策は、初動の遅れが批判されたが、あのときよりもはるかにましになっている。
だが、農村居住者や出稼ぎ農民には、依然戸籍による身分差別がある。都市戸籍を持つものと農村戸籍を持つものでは、加入する公的保険制度が異なる。農村戸籍のものは受診できる病院も治療も限られている。また患者の年齢、退職した年、受診する病院の種類により、診療費の自己負担率も違ってくる。
中国は結核患者が世界第3位の国家だ。チベット人地域はとりわけ多い。結核は貧困の象徴である。この貧困地帯の人々が経過観察のために隔離され、なお入院治療を受けたのち、請求された食費や医療費を払えるだろうか。かりに公費負担とされたときでも中央政府からのカネが末端にまで行き届くだろうか。
習近平政権には、すべての農民戸籍のものに対する治療・隔離病舎等の処遇改善と医療費負担の格段の改善を切に期待したいところである。
2020.03.06 トランプ大統領、最後の1年(11)
アフガニスタンから14か月以内に米軍撤退
和平のカギは、アフガン政府とタリバンの合意


坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 トランプ米政権とアフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは2月29日、2018年10月から中東カタールで断続的に行ってきた和平交渉を妥結、首都ドーハで正式な調印式を行った。それに基づき米国は、同国に残留してタリバンと戦ってきた1万3千人の米軍の撤退を開始、14か月以内に撤退を完了すると発表した。11月の米大統領選挙を目指し、米国民が熱望してきたアフガンからの米軍撤退を実行するのだ。英BBCによると、3月3日には、トランプはタリバンの交渉団長と電話で会話したという。
 しかし、アフガニスタン全土で、停戦を即時、完全に実施するのは難しく、アフガン内務省によると、ヘルマンド州で3月3日、4日に政府軍のチェック・ポイントなどにタリバンの攻撃が計43回あり、兵士や市民ら15人が死亡したという。これに対し、米軍は11日ぶりにタリバンへの爆撃で反撃した。
 BBCによると、米国とタリバンが調印した和平協定では、政府側が収容しているタリバンの捕虜5千人とタリバン側が収容している政府軍1千人を釈放することが決められている。しかし、アフガン政府は和平協定の交渉、調印には参加しておらず、捕虜釈放を渋っている。何としても、大統領選挙の日程に合わせて、アフガンからの米軍撤退を進めたいトランプは、ガニ・アフガン大統領への圧力をさらに強めるだろう。
 この「史上最長」となった19年間の戦争で、米国防総省によると、米国は約2、400人の兵士、国際支援部隊全体では3、500人以上が死亡。支出した戦争経費は2019年3月までに7、600億ドル。
 アフガン戦争の人的損失、戦争経費を系統的に調査しているブラウン大学ワトソン研究所によると、米国は1兆ドル近くの戦争経費を投入、アフガン政府軍5万8000人、タリバンの戦闘員4万2000人が死亡した。
 ガニ大統領によると、2014年以来、アフガン政府軍4万5000人以上が死亡、国際治安支援部隊約3,500人(うち米軍は2,300人以上)が死亡した。
 2019年2月の国連機関報告によると、これまでに民間人3万2000人以上が死亡、6万人以上が負傷している。
 2001年9月11日に米同時多発テロ事件が発生。米ブッシュ政権が犯行グループだと断定した、アラブ人の反米テロ組織アルカイダの本拠地がアフガニスタンにあったため、米国は10月、英国など同盟国、友好国の参加も得て、アルカイダを保護していたアフガニスタンの原理主義的なタリバン政権に戦争を開始。タリバン政権は12月に崩壊、残党がパキスタンに逃れた。
 米軍と国連決議に基づく国際支援部隊がアフガンの国内治安体制を再建、その治安・経済支援のもとに暫定政権が発足した。以後、暫定政権、移行政権を経て04年にアフガン史上初の大統領選挙が行われ、カルザイ大統領の政権が発足、国家再建が進んだ。2014年8月、カルザイ大統領の任期満了に伴い大統領選が行われ、ガニが当選、ガニ大統領のもとに挙国一致内閣が発足した。
 一方、パキスタンに逃れたタリバンの残党は、パキスタンの支援も受けながら組織の再建を始め、アフガン国内で政府軍や警察などへのゲリラ攻撃を開始。15年には、パキスタン政府の仲介でアフガン政府との和平交渉に着手した。交渉が遅々として進まない一方でタリバンは、国内での政府軍、米軍との戦闘を拡大。首都カブールや全国の主要都市は依然、政府側の支配下にあるが、タリバンの支配下に置かれた村や町は半数を超え、最近では、国土の七割以上がタリバンの支配下だという情勢分析が有力になっている。
 2001年にアフガン戦争を開始したのは、共和党のブッシュ(息子)政権。19年後の今年2月から14か月以内に、アフガンからの全駐留米軍1万3千人を撤退しようとしているのも共和党のトランプ政権だ。一昨年10月から、タリバンとの和平交渉を行ってきたトランプ政権。本来、最も重要なアフガン政府のガニ政権は交渉から外され、米国側交渉団長のカリルザーデから報告がされてきただけだった。
 トランプ政権は、タリバンとの交渉に合意し、駐留米軍の撤退を進め、アフガン戦争に“バイバイ”しようとしている。今年2月に2期目の大統領に再選が確定したばかりのガニ・アフガニスタン大統領は、いわば“蚊帳の外”に置かれてはいたが、米国とタリバンとの和平交渉合意に続いて、タリバンとの和平交渉が必要なことを十分認識しているようだ。タリバンの側も、公表されている指導部は、頑迷なタリバン流のイスラム原理主義からある程度は脱却し、ガニ大統領が率いる政府との和平協定から、連立政権まで協議する可能性がある。タリバン指導部は、米国との1年4か月に及ぶ断続的な和平交渉で、かなり柔軟な姿勢、理解力を示してきた。誰もが内戦に疲れ果てている。(了)



2020.02.29  トランプ大統領、最後の1年(10)
         イスラエル、聖地エルサレムの「壁」まで、占領地に地下鉄道を延長、
         駅名を「ドナルド・トランプ」に決める


坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)


 イスラエル政府のカッツ運輸相は2月17日、ユダヤ教とイスラム教の聖地エルサレム旧市街の「嘆きの壁」(西壁)まで、エルサレムとテルアビブ間の高速鉄道を地下に延長し、「壁」から数十メートルの場所に地下駅を建設、駅名を「ドナルド・トランプ」と名付けると発表した。
イスラエル紙の報道によると、カッツ運輸相は、「トランプ米大統領がイスラエル建国70周年の2018年5月14日にエルサレムをイスラエルの首都として、初めて公認し、米大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた勇気ある歴史的な功績をたたえて、この駅名を命名した」と述べた。
 この高速鉄道は、イスラエルの“玄関口”、テルアビブのベングリオン空港と、イスラエル政府・議会が置かれている西エルサレムを28分で結ぶ現行計画を延長。地下鉄道3キロをイスラエル占領下の東エルサレム旧市街の真下に通し、終点駅を「嘆きの壁」(西壁)に接する広場に建設する計画。カッツ運輸相は、地下鉄での延長計画と駅名をともに公式発表したのだ。 
 いうまでもなく「嘆きの壁」はユダヤ教徒の信仰の象徴。「壁」の上の丘もイスラエル占領地だが、イスラム教徒がサウジアラビアにあるメッカ、メディナとともに、最も大切にする信仰の場所「神殿の丘」だ。教祖ムハンマドが昇天したとされる「岩」を収めたドームとアル・アクサ・モスクがある。エルサレムを訪れるそれぞれの信仰者と一般の観光客は、年間1千万人を超える。
 今回の連載(5)でも触れたが、イスラエルの建国の歴史は、1947年11月、国連総会が採択した、パレスチナ分割決議にさかのぼる。同決議で国連は、英国の委任統治下にあったパレスチナを、ユダヤ人とアラブ人の2国家に分け、エルサレムを国際管理下に置くことを決定した。48年5月、ユダヤ人はイスラエル建国を宣言、それを受け入れないヨルダンはじめアラブ諸国が攻撃を開始して第1次中東戦争となり、西エルサレムをイスラエル、旧市街を含む東エルサレムをヨルダンが占領して支配。その後、67年の第3次中東戦争でイスラエルが、ヨルダン支配下の東エルサレムとヨルダン川西岸地区も占領した。しかし、米国を含め国連を構成する各国は、イスラエルが占領地を領土化することも、エルサレムを首都としても容認せず、大使館もテルアビブに置いたままだった。
 その国際ルールを破り、トランプ政権下の米国は、イスラエル建国70周年の2018年5月14日、エルサレムをイスラエルの首都として正式に承認、テルアビブにあった米国大使館を、エルサレムに移転した。他国は追随せず大使館をテルアビブに置いたままだ。