2018.05.24  BBCのシリア内戦まとめ(3)
  この悲惨な戦いはいつ終わるのか

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

シリア国民はどこへ逃れたのか(UNHCR=国連難民高等弁務官事務所による、2018年2月現在)
▼近隣諸国でのシリア難民登録数
トルコ   3,540,648
レバノン    995,512
ヨルダン    657、628
イラク     247,379
エジプト    127,414
他の北アフリカ  30,104
▼10欧州諸国での難民申請数
ドイツ     525,262
スウエーデン  115,125
ハンガリー    77,256
オーストリア   51,231
オランダ     35,247
ギリシャ     26,048
ベルギー     21,285
デンマーク    20.898
ブルガリア    20、593
フランス     20,348

医療機関への攻撃(PHR=人権医師団による、2017年12月まで)
330医療機関に対して492回の攻撃。医師、看護師など医療担当者847人が死亡した。


歴史遺産の破壊
シリアの豊かな歴史遺産が破壊された。6か所あったユネスコ指定の世界歴史遺産のすべてがひどく破壊された。
首都に隣接する東グータ地区(注:東西約10キロ、南北約8キロ、人口39万3千人、4月に政府軍が占領)は、93%の建物がひどく破壊された。

分裂した国土
政府は国内の大都市の支配を取り戻した。しかし、国土の広い地域がなお反政府勢力とクルド人武装勢力SDF(シリア民主軍)の支配下にある。
最大の反政府勢力支配地域は北西部のイドリブ地域で、260万人以上が住んでいる。同地域は政府、反政府勢力によって停戦地区とする約束が交わされているが、政府軍は、アルカイダ系の聖戦主義組織を目標にしているとして攻撃を続けている。
一方、SDFはユーフラテス川の東側の地域の大部分を支配している。その中のラッカ市はイスラム国(IS)が宣言した「イスラム首長国」の事実上の「首都」となったが、いまやISが支配しているのは、小さな地域数か所に過ぎない。

内戦は終わるのか
シリア内戦を終わらせるためには、政治的な解決が必要だという点では誰もが一致するが、それが近いようには見えない。
国連安全保障理事会は、2012年のジュネーブ声明の実行を求めている。同声明は、「相互一致に基づき組織される」移行政権を想定している
しかし、2014年以降、ジュネーブ2と呼ばれる国連仲介の和平交渉は9回行われたが、ほとんど進展がなかった。
アサド大統領は、反政府勢力との交渉を、ますます望まないようになってきたようだ。
一方、西側諸国は、ロシアが別の和平プロセスを主導し、国連主導の和平プロセスを崩そうとしていると非難している。
このアスタナ・プロセスは、2018年1月、ロシアが主催した「民族対話議会」。しかし、ほとんどの反アサド政権勢力は、参加を拒否した。(了)
2018.05.23  ロシア軍はじめ内戦に参加したさまざまな勢力
  BBCがまとめた「シリア内戦7年間」(2)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

内戦を戦った勢力
シリア政府の重要な支援者はロシアとイランであり、反政府勢力の主な支援者は米国、サウジアラビアとトルコだった。
以前からシリアに軍事基地をもっていたロシアは、2015年にアサド大統領を支援する空爆作戦を開始したが、それが内戦でシリア政府側を優勢に傾ける決定的な転換点となった。
ロシア軍部はこの空爆は“テロリスト”だけを目標にしたと言っているが、反政府側の活動家たちは、ロシア空軍がいつも反政府勢力の中心勢力と一般市民を殺したと言っている。
イランはアサド大統領を支援するため、数百人の軍隊を派遣し、何十億ドルも投入した。
イランによって武装され、訓練され、経費を供与された何千人ものシーア派民兵がシリア軍とともに戦った。その大部分はレバノンのシーア派民兵組織ヒズボラだが、イラク、アフガニスタンそしてイエメンからの民兵もいた。
米国、英国、フランスそのほかの西側諸国は、“穏健派”とみなした反政府勢力に対して、様々な規模の支援をした。
国際的な同盟軍は2014年以来、シリアでIS(イスラム国)に対する空爆を実施、クルド人武装勢力とアラブ人武装勢力の同盟であるシリア民主軍(SDF)がISから支配地域を奪い返すのを支援した。
トルコは反アサド政権勢力を長年支持してきたが、SDFはトルコ国内で非合法化されているクルド人反政府勢力が伸長していると非難して、その抑制に力を注いだ。
イランの影響力拡大に神経をとがらせているサウジアラビアは、シリアの反政府勢力の武装と資金援助に熱心だった。
一方イスラエルは、シリアに派遣されているヒズボラに、イランからの武器が供与されることに神経をとがらせ、それを遮断するため空爆を行った。

国民への惨害
数十万人もの死とともに、この内戦は150万人もの国民に不治の障害を残した。うち8万6千人が手や足を失った。
2011年以来、シリア国民の半数以上、53%が生活していた場所から逃れ出た。
少なくとも610万人のシリア国民が国内難民となり、約560万人が国外に逃れ出た。その92%は現在、近隣のレバノン、ヨルダン、トルコに住み、最近では史上最大級の国外難民となって、苦しい生活と戦っている。
国連は、2018年現在、シリア国内で、1,310万人が何らかの人道支援を必要としていると推定している。なお交戦している諸勢力は、人々が必要としている人道支援を妨げ、問題を一層悪化させている。約300万人が、戦闘地域か人道援助機関の援助が届けられない場所にいる。(坂井注:政府軍に包囲されていた首都郊外の東グータ地区から、政府側との取り決めで先月、一部住民戦闘員と住民が退去したため、この人数は若干減ったと思われる)(続く)
2018.05.22  なぜ35万人以上が死亡、120万人が難民化したのか
  BBCの分析「シリア内戦7年間」(1)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

七年前の2011年3月、「アラブの春」に励まされ、民主化を求めて大規模なデモが発生したシリア。アサド独裁政権が、軍と治安警察を総動員して過酷に弾圧。それが、シリア内戦の発端となり、軍の一部も反旗を翻して民主化勢力に加わり、内戦が全国に広がった。
それから7年、ロシアとイランそしてレバノンのシーア派武装勢力ヒズボラの支援を得たアサド政権に対して湾岸諸国や欧米の支援を得た反政府武装勢力・クルド人武装勢力、そしてイラク内戦の中で生まれたイスラム過激派「イスラム国(IS)」も加わり、戦闘と殺戮、国民多数の難民化が全土に拡大した。アサド政権は和平交渉による平和解決を事実上拒否し続け、なお内戦は続いているとはいえ、すべての大都市と国土の大半を支配するに至った。
この内戦を、現地取材を含め報道し続けた世界のニュース・メディアの中で、英国に本拠地を置いたシリア人権監視団とも連携した英公共放送BBCが、確かな速報だけでなく、人権を尊重する視点から最も優れていたと思う。
シリア国民の生命と生活、豊富な歴史遺産を破壊し続けた7年間のシリア内戦を、自らの報道の記録から簡潔にまとめた、いわばBBCの中間総括を、すこし日数が経ったが、BBC電子版(英文)から紹介しよう。

なぜシリアでこんな内戦があったのか
 7年前にシリアで起こったアサド大統領に対する平和的決起は、全面的な内戦に転化した。内戦は35万人以上の国民を死亡させ、都市を破壊し、他の国々を引き込んだ。
 内戦となる前から、シリア国民の多くは、2000年に亡くなった父ハフェズ・アサドの跡を継いだバシャール・アサド大統領の支配下での、高い失業率、腐敗、政治的自由の欠如に強い不満の声をあげていた。
 2011年3月、近隣諸国の「アラブの春」によって励まされ、シリア南部の都市ダルアーで民主化要求を掲げるデモが起こった。
 この決起の鎮圧に、シリア政府がシリア軍、治安警察を行使したことに対して、アサド大統領の辞職を求める反体制勢力の抗議行動が全国的に起こった。
 抗議行動は広がり、アサド政権は弾圧をさらに強化した。反体制勢力は、まずは自分たちを守るため、次には自分たちの地域から治安部隊を追い出すために、武器を手にするようになった。アサド大統領は、「外国が背後にいるテロ勢力」を壊滅すると誓った。

どれほどの国民が死んだか
シリア現地に情報ネットワークを持つ、人権監視グループのシリア人権監視団 (本部英国)は、2018年3月までに35万3900人(うち10万6000人は一般市民)の死亡を記録した。この数字には行方不明で死亡と推定される5万6900人は含まれていない。このほか、記録されていない死者を約10万人いると同グループは推定している。合わせて40万人以上の人々が死亡または行方不明
の推定になる。

なんのための内戦だったか
シリア内戦は「反アサドかアサド支持か」を越えた戦いになった。
それぞれが自らの目的を持つ多くのグループや国家が内戦に介入し、戦況を非常に複雑にし、長引かせた。
それらのグループは、シリアの多数宗派であるスンニ派と大統領が属する少数宗派のアラウィ派の間の憎悪を助長していると非難されてきた。
こうした分裂が双方の残虐行為をもたらし、コミュニティを引き裂き、平和への希望を遠のかせた。
それらが、イスラム聖戦主義グループのイスラム国(IS)とアルカイダ系組織の拡大を許してしまった。
アサド政権の軍と戦わず、自治政府樹立の権利を求めていたシリアのクルド人勢力は、内戦に別な要因を加えた。(続く)
2018.05.18  中間選挙で危ういトランプ大統領のエゴイズム
  イラン核合意破棄と大使館エルサレム移転

伊藤力司 (ジャーナリスト)

東西冷戦終結後約30年―アメリカのクリントン、ブッシュ、オバマ政権はアメリカの国益に沿ってアフガン戦争、イラク戦争を戦いながらも、中東・イスラム圏での戦乱を封じ込めようと努力してきた。ところが現在のトランプ大統領は、国内での不人気を挽回するために反イラン・親イスラエル政策を強烈に打ち出し、中東の危機を深めている。

トランプ政権は5月8日、イラン核合意(JCPOA)らの一方的離脱を表明したのに続いて同14日、米大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。いずれも米国内の反イラン・親イスラエルの世論に迎合したものである。

アメリカでは今年11月に「中間選挙」が行われ、米下院議員435人全員、米上院100人中33人が改選される。現在の下院はトランプ与党の共和党が多数派を占めているが、最近の各州の趨勢は民主党が優勢を占めつつある。

このままで行けば中間選挙で共和党が敗れ、下院で民主党が多数派を占めることになりかねない。一般人気投票で30%台後半の支持率で低迷しているトランプ大統領としては、中間選挙で共和党が負けたら大変なことになる。

アメリカ憲法の規定によると、下院が大統領弾劾を過半数で議決すれば有効となる。しかし下院で弾劾されても上院で弾劾されなければ、クビはつながる。上院では大統領弾劾には3分の2多数の議決が必要だ。クリントン元大統領は下院では弾劾されたが、上院で3分の2多数の弾劾議決を免れ命拾いをした。クビはつながっても大統領の権威はがた落ちだ。

2018年のこれまでの趨勢では、共和党の地盤とされてきた中西部などの州で、トランプ共和党の旗色が悪い。トランプ大統領としては、何としてもこの流れを止めなければならない。そのためにはアメリカ世論に圧倒的な影響力を持つ「イスラエル・マフィア」の力を借りるのが手っ取り早い得策だ。

イスラエル・マフィアの中枢はユダヤ系資本が中枢を占めるウォール街だが、その財力で全米のイスラエル支援組織に充当な資金が振り撒かれる。全米各州の親ユダヤ・イスラエル組織は、全国レベルまたは地方レベルの各種選挙に、民主党または共和党の候補を推薦して当選を果たす。

全米の親ユダヤ・イスラエル組織の中でも際立った組織がある。全米人口3億2000万人の25・3%を占めるといわれる「キリスト教福音派」だ。トランプ大統領の有力な支持基盤であり、彼は米大使館のエルサレム移転を2016年の大統領選挙の公約に掲げていた。11月の中間選挙を前に、大使館移転の公約を実行して「福音派」の支持基盤を固めておこうとしたものだろう。

「福音派」には、ユダヤ民族主義を支援する「キリスト教シオニスト(ユダヤ人国家再建主義者)」と呼ばれる人が多い。イスラエル建国を聖書の預言通りととらえ「ユダヤ人を集めることでキリスト再臨の条件が整う」と主張する。ユダヤ人がアラブ人やイスラム教徒とパレスチナで先に戦い、その後にキリスト教徒が「約束の地」に行くことで真の救いがエルサレムに訪れるという考え方。キリスト教徒の自己中心的な発想だが、アメリカでは有力だ。

イラン核合意(GPOA)とは、2015年に米露中英仏独の6か国がイランと結んだ協定で、イランの核兵器開発を抑止する一方、イランの石油輸出など対外経済活動の自由化を認めたもの。この協定で世界有数の産油国イランからの石油が世界市場に流通し、燃料価格が世界的に低下した。

アメリカ以外のGPOA参加の英仏独中露5か国は、アメリカが離脱した以降もGPOAを持続させようと協議中だ。しかしアメリカが離脱したことで、イラン産原油の先細りを恐れたニューヨークの原油先物市場では、バレル当たり65ドルだったものが71ドル台に跳ね上がった。バンカメの予測では1年後に原油価格は100ドルを超えるかもしれないという。

日本国内でのガソリン価格も、5月前半までリットル当たり140円台前半だったものが5月後半には140円台後半に値上がりしている。トランプ大統領の利己的な動機は世界中に波及するが、世界中の庶民はただ黙って見ているより仕方がないのだろうか。
2018.05.15  ダライ・ラマ15世はなぜインドに行ったか
  ――八ヶ岳山麓から(257)――

阿部治平(もと高校教師)

読者から「ダライ・ラマはなぜインドに亡命したか」というメールをいただきました。この質問には、ダライ・ラマがどうして亡命するようなはめに陥ったか、亡命先がなぜインドだったかという二つの内容があります。すでに本ブログに書いた部分もありますが……

ラサ政府が統治権を失うまで
清国は雍正帝以来、チベットの宗主国として駐蔵大臣をおいていたが、1911年それが突然崩壊した。辛亥革命である。1913年ダライ・ラマ13世は亡命先のインドから帰国して、チベット独立を宣言した。
しかし13世の没後、高級僧侶と貴族で構成するラサ政府は、イギリスと清国の確執にうまく対処できず、34年には駐蔵大臣に代る中華民国の連絡官駐在を許し、みずから従属国状態を認める結果となった。
第二次大戦期には、摂政ダクダ活仏らは日本勝利を信じ、連合国側がいわゆる「(中国支援の)援蒋ルート」をチベットに開こうとしたときもそっけなく断った。彼らには国難にも祈祷をするばかりで、荘園経済を改革し国力を増強する気がなかった。
しかし、チベットにも政府の無策無能が続けば、大戦後チベットはイギリスか中華民国の植民地になると危惧した若者たちがいた。プンワンを指導者とする地下のチベット共産党である。彼らは政府に連合国側に立ち、土地制度を改革して農牧民を自立させ軍備を増強しなければチベットは滅びると訴えたが、相手にされなかった(のちにプンワンらはコミンテルン・中共の民族政策を知り、中共勝利の暁にはチベットは独立でき、中華連邦の構成国になるものと信じて中共に党を挙げて加わった)。

1949年10月に新中国が成立する3か月前、中共は「チベット解放宣言」を発し、ラサ政府管轄外の四川・青海・甘粛・雲南のチベット人地域を占領した。インドはこれに抗議したが、中国は「チベットは中国の不可分の領土であり、我々がチベット人民を解放する」と一蹴し、さらにラサ政府に和平談判を要求する「勧和団」を派遣した。ラサ政府はこれに慌てふためき、「チベットと清国とは従来寺院と檀家の関係だったから、今後もそう願いたい」と、間のぬけた返答をして交渉を拒絶した。
青海からの「勧和団」団長はダライ・ラマ14世の長兄で、クンブム僧院院長のタクツェル・リンポチェだった。彼はラサに到着すると、15歳の弟ダライ・ラマに中共の宗教政策を説いてラサ脱出をすすめた。このころから彼ら「先見の明」のある貴族は、情勢不利とみて出国準備をしはじめた。

1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、毛沢東はチベット問題が国際化するのを恐れ、西南軍に要衝チャムドを攻略させた。チャムドはあっけなく陥落した。チベット軍は指揮官は貴族、兵は訓練のない農牧民という編成で、武器も古く軍規のゆるんだ軍隊だった。
ラサ政府はやむをえず和平談判に応じ、51年5月「チベット和平協定」を締結した。協定内容は、中共軍のチベット進駐を認める「城下の盟」になった。これがラサ政府終わりの始まりであった。

ラサの混乱、インドへの逃避行
ラサに大量の部隊が進駐すると、たちまち食糧と燃料(畜糞)の不足と激しいインフレが起きた。52年3月チベット人の「人民会議」は、中共軍撤退を要求し、大規模デモをおこなった。中共はダライ・ラマにデモ首謀者としてラサ政府ルカンワ首相らの罷免を要求した。この後チベット政府は無力化し、中共のチベット工作委員会が権力を掌握した。
一方中共は、1956年からラサ政府管轄外の四川・青海などで「民主改革」をはじめ、大寺院や領王から統治権を剥奪し、ときには投獄殺害に及んだ。農牧民はこれに激しく反発し、58年各地に大規模な叛乱が発生した。チベット人多数が殺され、チベット高原の寺院90%余が破壊された。当時の惨状は、叛乱の30年後の1987年、全国人民代表大会でのパンチェン・ラマ10世のつぎの発言に端的に示されている。
「ゴロク(果洛)では大勢の人が殺され、その死体は斜面から深い窪地に落された。解放軍兵士は遺族にむかって叛乱が一掃されたことを喜べといった。人々は死体の上で踊るよう強制され、しかもその後機銃の一斉射撃によって虐殺され、その場に埋められた」
「わたしは『七万言書』のなかでチベット人口の5%が投獄されたと指摘したが、当時私の情報では、全体の10から15%ものチベット人が殺されたのである。しかしそのとき、私は数字の余りの大きさにそれを公表する勇気が持てなかった。もし本当の数字を挙げれば、『人民裁判』で殺されただろう。これがチベットの偽らざる姿である」

58年後半から叛乱の生残りがラサへ逃げてきた。59年チベット正月の大祈祷会に参加しようという巡礼も各地から集まった。中共軍とチベット民衆との緊張が極度に高まった3月10日、ダライ・ラマが観劇のために軍駐屯地に招待されたというニュースが伝わった。ラサ民衆はダライ・ラマが拘束されるのを恐れ、ノルブリンカ宮殿を取り囲み、軍駐屯地に行かせまいとした。3月17日市内が騒然とするなか、ダライ・ラマとその取巻きは夜陰に紛れてラサを脱出した。
急ごしらえの逃避行は困難を極めたが、途中チベット軍350人と数十人のゲリラが合流した。主要通商路のシガツェ経由カーリンポンヘの道は中共軍が駐屯していた。そこでラサから南下し、ブータン東方の峠を越えてタワンに出たのである。

ダライ・ラマのインド国境までの逃避行には、アメリカCIAがかかわっていた。従来私はこれを見落としていたが、彼らを先導するチベット人兵士の中にCIAによって訓練された者がいた(『ダライ・ラマ自伝』)。一方中国には、ダライ・ラマ亡命は毛沢東がしむけけたもので、ラサから国境までのルートや偽装攻撃地点もこまかく指示したという神話がある(許家屯『香港回収工作』)。
古来チベットとインドとの交流は、現在思うより盛んだった。チベットの仏教も文字もインドから学んだものである。ダライ・ラマは、56年シャカ生誕2500年祭にインドを訪問した時ネルーと亡命を協議した経過があり、彼にはインドへの道しかなかった。
60年上半期までにダライ・ラマを追って10万余の難民がヒマラヤを越えた。インドは朝野を挙げてチベットに同情し亡命を受け入れた。
ダライ・ラマ脱出後チベット軍は中共軍とたたかったが、2日しかもたなかった。ゲリラは、1961年10月までには鎮圧された。逃げそびれた貴族と政府官僚と兵士は逮捕投獄され、20年後わずかの生き残りが釈放された。中国が投入した兵力は20万。2年間の戦死1551人、負傷1987人だった。

日本人のチベット認識
このようにしてラサ政府は滅びました。原因は、毛沢東がチベット領有の断固たる意志をもっていたのに対し、チベット社会上層は因習にこだわり統治能力を失い、無責任だったからです。しかしチベット民族はいまだ滅びず、ダライ・ラマはいまも民族を代表する存在でありつづけています。
私は、いまからほぼ60年前、東京の左翼学生の集会で指導者格の男が「ハンガリーでは反革命を事前に抑えきれず動乱になったが、中国ではチベットの貴族と反動派の叛乱を抑えるのに成功した」という演説をしたことをおぼえています。
これが長い間、左翼勢力のチベット認識でした。いまでもチベットや内モンゴル、東トルキスタンの歴史に関心をもちません。これが日本の左翼を民主主義者らしからぬ存在にしている悪しき習性ではないかと私は思うのです。
2018.05.12  米大使館のエルサレム移転を強行(下)
  国連の一貫した取り決めを踏みにじる

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

いま、改めてエルサレムの国際的地位の問題を再確認しておこう。
さまざまな宗教と民族、国家がせめぎあう長い歴史の焦点となってきたエルサレム。第2次大戦後発足した国連は、1947年11月の総会で、英国の委任統治下だったパレスチナをユダヤ人とアラブ人の2国家に分割し、エルサレムを国際管理下に置くパレスチナ分割決議を採択、48年5月14日、イスラエルが建国宣言。直後に始まった第一次中東戦争でイスラエルが圧勝。エルサレムは東側をアラブ側が占領。西側を占領したイスラエルは50年に首都宣言、首都機能をテルアビブから移した。
その後、1967年の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムも占領し、1980年には、改めてイスラエル議会が、統一エルサレムはイスラエルの不可分・永遠の首都であるとするエルサレム基本法案を可決した。
イスラエルによる統一エルサレムの首都宣言に対し、国連安全保障理事会は「イスラエルのエルサレム基本法案は無効であり破棄すべきものである」「国際連合加盟国はエルサレムに外交使節を置いてはならない」とする国連安保理決議478を可決(アメリカ合衆国は拒否権を発動せずに棄権)。国連総会はイスラエルによる東エルサレムの占領を非難し、統一首都宣言の無効を143対1(反対はイスラエルのみ、棄権は米国など4)で決議した。
1967年までは13カ国の大使館が西エルサレムに置かれていたが、イスラエルによる東エルサレムの併合に抗議して、これらの国家も大使館を移転。エルサレムに大使館を残していたコスタリカとエルサルバドルも2006年までに大使館を移転、国連加盟各国はすべてテルアビブに大使館を置くことになった、
パレスチナ問題の解決を目指し、ノルウエーの仲介で始まり、ワシントンで調印された1993年のオスロ合意によって、イスラエルとパレスチナが認め合い、イスラエルが占領しているヨルダン川西岸とガザをパレスチナ側に返還し、パレスチナ自治が始まった。エルサレムの最終的地位については、イスラエルとパレスチナが協議によって決めることとされた。
まもなく、ヨルダン川西岸のラマラに置かれたパレスチナ自治政府のアラファト議長は、将来の独立パレスチナ国家の首都は、現イスラエル占領下の東エルサレムとするとの目標を掲げた。
しかし、ヨルダンとも平和条約を結び、パレスチナ問題の平和的解決を目指したラビン・イスラエル首相が95年11月、右翼テロで暗殺され、以後、曲折はあったが、和平プロセスは進まなくなった。さらに2009年に最右翼のネタニヤフが政権を握って以来、イスラエルはヨルダン川西岸地区での入植地を拡大、ヨルダン川西岸と東エルサレムの入植地を防護する高い壁の建設を急ピッチで進めた。
さらに、昨年1月、トランプ米政権が発足いらい、同政権の親イスラエル姿勢が露骨に示されるようになり、イスラエル政府は、東エルサレムとヨルダン川での住居群と道路、農地など入植地建設をさらに推進し始めた。一方でトランプは、イスラエル政府とパレスチナ自治政府に、米国が仲介する最終的な和平交渉に参加するよう呼びかけた。
米国メディアの報道によると、その交渉への米国の提案は、それぞれ多少の違いがあるが、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治領をさらに3分の1程度削ってイスラエル領にして、パレスチナ国家を承認し、東エルサレムのイスラエルによる支配は現状のままとする、などの内容だ。
パレスチナ自治政府のアッバス議長は、このような米国案をもとに和平交渉を再開することを、すでに拒絶している。
安倍首相は5月1,2日に訪問したパレスチナ自治区のアッバス議長とイスラエルのネタニヤフ首相を訪問、会談した際、日本は駐イスラエル大使館をエルサレムに移転するつもりはないと伝えるとともに、パレスチナ問題の解決には米国の関与は重要だと強調、「米国から提案があれば、交渉の席に着くよう」求めた。その米国が提案しようとしているのは、上記のように、すでにアッバス議長が拒否を表明しているような内容なのだ。
2018.05.11  米大使館のエルサレム移転を強行
  抗議のパレスチナ人多数が犠牲(上)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

米国のトランプ政権は、昨年12月21日の国連総会緊急特別会合での撤回を求める決議(賛成128、反対9、棄権35)を踏みにじり、5月14日に駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転する。この日は71年前の1947年にイスラエルが建国を宣言した日であり、イスラエルへのトランプの最大のプレゼントだ。
これに対して、パレスチナ自治政府側は、ガザ地区とヨルダン川西岸地区で、3月30日の「土地の日」から激しい抗議デモを開始、5月15日の「ナクバ」(アラビア語の大災厄)まで連日続けるという。特にガザではイスラエル軍がデモ隊を激しく攻撃、毎日、数百人の住民が死傷している。
「土地の日」は1976年3月30日に、イスラエルが73年の第3次戦争で占領したパレスチナの土地を大規模に接収したのに抗議し、イスラエルとの境界6か所でパレスチナ人が抗議デモ。参加したパレスチナ人6人をイ軍が射殺した日。以後、パレスチナ側は毎年、大規模な抗議デモを行ってきた。一方「ナクバ」は、イスラエル建国宣言の直後、アラブ側が攻撃開始、イスラエル側が応戦し、パレスチナ住民の大掛かりな追い出しを始めた記念日。この第1次中東戦争で故郷の村や町から追い出され、あるいは逃げたパレスチナ住民は48年時点で70-80万人と推定されている。難民となり、パレスチナ各地やヨルダンに居住したが、現在では大幅に増えている。今でも相当数が故郷に帰るのを希望しているが、イスラエルに包囲されているガザでは、イ軍が厳しく拒否。連日、大規模に行われているガザのデモでは、ガザ出身の難民の帰郷要求が掲げられている。
今年のガザのデモに対して、イスラエル軍の越境攻撃が例年よりはるかに激しく、多数の死傷者が出ている。ガザ行政当局と「国境なき医師団」が大きな役割を果たしているガザの病院によると、4月30日までの1か月間に、50人以上が死亡、7千人以上が負傷した。
カタールの国際TV局アルジャジーラの詳細な現地報道によると、国境なき医師団を率いるマリー・エリザベス・イングレス医師は、デモ隊の死傷者の多さは、デモの人数の多さとイスラエル軍の攻撃が単に激しいだけでなく、被害者の傷を深くし、治療を困難にする新型の銃弾と致死性の催涙ガスを多用しているためだと説明している。この銃弾は、残虐兵器として禁止されたダムダム弾のように、身体の中で爆発、殺傷力が大きいだけでなく、手術するのが困難だという。
ガザのデモが終わる予定の5月15日までに、どれほどの数の住民が死傷するか、予想もできない。(続く)
2018.05.07  朝鮮半島の非核化をどう実現するか
  米朝首脳会談に期待高まる

伊藤力司 (ジャーナリスト)

世の中の出来事を何でも賭け事の対象にするロンドンの賭け屋では、ことしのノーベル平和賞がトランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)・北朝鮮国務委員長に決まるという賭けが話題になっているとか。4月27日に板門店で行われた文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領と金正恩委員長のトップ会談が成功したので、賭け率は大幅に低下しただろう。

この南北首脳会談の内容を明らかにした共同発表で、両首脳は「完全な非核化を通じて、核のない朝鮮半島を実現することがわれわれの共同の目標であることを確認した」と述べた。
金委員長が「完全な非核化」に同意したことが、この首脳会談のキモである。だがどのように非核化するかについては、一切触れられていない。

どのように、いつまでに非核化するか、という問題は、6月初旬までに開かれる予定の米朝首脳会談に先送りされている。トランプ大統領によって国務長官に任命されたポンペオ前中央情報局(CIA)長官は、3月末から4月1日にかけてピョンヤンを極秘訪問、金委員長らと米朝首脳会談について打ち合わせをしてきた。

ポンペオ氏から報告を受けたトランプ大統領は最近、金委員長のことを「率直でとても立派な人物(frank,very hounarable person)」と褒めたたえた。つい昨年までは「ちびのロケットマン」とからかっていたのに。金委員長も昨年までは、トランプ大統領を「頭のイカレタ老いぼれ」と罵倒していたのだったが…。

朝鮮半島情勢は本年1月1日、金正恩委員長がTV演説した「新年の辞」で大きく転換した。2018年春に韓国・平昌で冬季オリンピックとパラリンピックが開かれること、9月に朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)が建国70周年を迎える「記念の年」であることを踏まえて、北朝鮮が平昌オリンピックに選手団を派遣することを明らかにした。

昨年まで核実験や中・長距離弾道ミサイル実験を重ねて世界中から異端視されていた北朝鮮だったが、2018年は新しい様相を見せようとしているのか。汚職容疑で失脚した朴槿恵(パク・クネ)大統領の後を受けて昨年5月政権の座に就いた韓国の文在寅大統領はもともと南北共存路線の人である。

文大統領は金委員長の新年メッセージを直ちに汲み取り、韓国の女子アイスホッケーのチーム編成を南北合同選手団に編成するよう働きかけるという“政治介入”まで行って、南北統一選手団の編成を強行した。冬季オリンピックの開会式には、北朝鮮の序列ナンバー2の金永南(キム・ヨンナム)・最高人民会議委員長と金正恩氏の実妹金与正(キム・ヨジョン)党第一副部長が出席した。

この開会式には、アメリカもペンス副大統領とトランプ大統領の娘のイヴァンカさんを派遣するなど気を使ったようだ。しかしこの段階では、オリンピックという機会を利用しての米朝接触はなかった。

ともあれ北朝鮮による和平攻勢はその後も続き、3月初め訪朝した韓国の鄭義溶・大統領府国家安保室長は3月8日ワシントンを訪れ、金正恩委員長がトランプ大統領との首脳会談を望んでいることを伝えた。トランプ大統領は即決で金委員長との首脳会談を行うことに同意、この時点では5月中に米朝首脳会談が開かれるとトランプ氏が発表した。

金正恩委員長はさらに3月9日、長距離列車を連ねてピョンヤンから北京を訪問、中国の習近平・国家主席と米朝交渉について報告し、朝鮮半島の核問題について議論した。父親の金正日総書記が死亡した2011年12月以来、6年4カ月にわたって疎遠だった中国との関係を復活させる必要を感じたためであろう。

中国の『上御一人』となった習近平・国家主席は、夫人同伴で北京に来た金正恩氏を自らも夫人ともどもで歓迎し、中国が以前と変わらず北朝鮮の後ろ盾であることを保証した。これで金正恩氏としては、後顧の怖れなく米国との交渉に当たれるわけだ。

中国のバックアップを得た北朝鮮は4月20日、朝鮮労働党中央委員会総会の場で核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を中止すると発表した。これは明らかに米国向けのアピールである。また「核実験中止を保証するため」として北部咸鏡北道豊渓里の核実験場を廃棄することを決定した。

金委員長はこの中央委総会で「国家核戦力建設という歴史的大業を5年足らずの短期間で完璧に完成させた」と指摘、2013年に決めた核開発と経済建設を同時に進める「併進路線」の「偉大な勝利」と強調した。その上で「核の兵器化が完結された以上、いかなる核実験、中距離弾道ミサイル、ICBMの発射実験も必要なくなり、核実験場も使命を終えた」と結論づけた。

しかし金委員長は、日米はじめ世界が求める核の放棄には一切触れず「わが国への核の脅しや挑発がない限り、核兵器は使わない」とだけ表明した。米国による北朝鮮の体制保障が得られるまでは、核を手放さない方針を確認したわけだ。言うならば、来るべき米朝首脳会談でトランプ大統領が“金王朝”の存続を保証してくれるかどうか、である。

北朝鮮はこれまでに2回核廃棄を国際公約したが2回とも約束を破った前歴がある。1994年10月にアメリカと調印した「枠組み合意」と、2005年9月に日韓朝米中露の6か国が北京で調印した共同声明である。いずれも北朝鮮の完全核放棄と国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れの公約を盛り込んでいたが、北朝鮮はこれらの公約を守らず核開発を続けてきた。

トランプ大統領は米朝首脳会談を準備するための事務折衝が順調に進んでいることを示唆して、首脳会談について楽観的な見通しを語っている。トランプ大統領は今度こそ、約束破りをさせない形で北朝鮮に完全な非核化を実行させる方式を実現できるだろうか。

「朝鮮半島の非核化」と言えば、米国が韓国に保証している「核の傘」の問題をどう処理するか、という問題もある。1953年の朝鮮休戦協定は「全外国軍の撤退」を規定していたが、米軍は休戦協定に調印しなかった韓国政府の要請を受けたとして、その後64年余り駐留を続けてきた。先日の文在寅・金正恩首脳会談で南北共存の展望が明るくなった現在、米朝首脳会談で在韓米軍の問題がどう扱われるかが見逃せない焦点だ。

2018.05.03 じわじわと緊張高まる台湾海峡――問題の根は深い、米中はどこまで本気か(下)
新・中国管見(38)

田畑光永 (ジャーナリスト)
 
 習近平時代の大陸と台湾の関係は、2016年に独立志向の強い民進党の蔡英文総統が就任してから日を追って険悪化してきた。前の国民党政権時代には2015年秋に馬英九総統をシンガポールに呼び出して、習近平は世界中から集まったカメラの前で長い長い握手をして見せることに成功した。ちょうど4月27日に板門店で起きたことのように。
 その成果がその後の台湾の総統選挙で国民党が敗れたために無に帰してしまった。習近平にすれば歯噛みするほどに口惜しいことだったであろう。それからはWHO(世界保健機関)といった実務的な国際組織からまでも台湾の代表を追い出すことに血道をあげたり、また第三国で台湾の人間が罪を犯したような場合、その国に圧力を加えて中国に送還させたりと、はたから見ればいかにも大人げない態度で台湾にいやがらせを続けている。

習近平のいら立ち
 なんでそこまでやるか。中国の伝統的な考え方によれば、皇帝はその徳が天に認められることによって、天に代わって「天下」を統治する資格を得るのであり、その徳がどこまで広く慕われるかが権力の強さ、安定に直結している。民衆が皇帝の徳を見放した時に天は皇帝を交代させる。それが革命である。
 習近平は皇帝ではないが、皇帝気取りであることは最近の言動で明らかであり、彼が古い皇帝観の持ち主であることは、3月末に北朝鮮の金正恩が中国を訪問した時の彼自身の満足そうな顔にはっきりと表れていた。あれは長年、服従を肯んじなかった小国がようやく朝貢したのを迎える皇帝の顔であった。
 この観点から見れば、国内に不服従勢力を抱えることは、皇帝にとってはなはだ不面目であり、自分の権威を傷つけるものである。台湾ばかりでなく、ウイグル族やチベット族に対するきびしい監視やしめ付けはそのためである。ウイグルやチベットはもともと中国ではないではないかと言っても無意味である。とにかくいったん中国に入ったものを手放すのはそれだけ徳が失われ、それだけ政権の寿命を縮めると考えるからである。
 この考え方は昔から変わらないが、政権の強さによって現れ方はちがう。1972年の日中国交回復の時、日本は台湾の中華民国との外交関係を切って、中国と国交を結んだのであるが、当時の毛沢東、周恩来は国交断絶後の日本と台湾の関係を心配し、実務的関係に支障がないようにすることを日本に望んだのであった。彼らには自己の統治に自信があった。
 習近平は違う。先日の本欄でも書いたが、習近平は3月の全人代での国家主席選挙に際して3000近い投票数に1票の反対も許さなかった。これは強さではなく、逆に自信のなさの表れである。だから習近平は台湾の現政権にいらだっている。と同時に、もし台湾を大陸の政権の下に入れることができれば、彼は文字通り天下を統一した皇帝になれる、と信じている。これが現状の危険の根源である。

武力を誇示する危険
 中国が最近まで、長年せっせと2桁パーセントで国防費を増やし武力を増強してきた結果、世界の、特にアジアの軍事バランスは大きく変わった。中国は軍備増強の理由として国土の広さや国境線の長さを挙げると同時に、それでも人口比やGNP比ではそれほど大きな軍事費ではないと言い続けてきた。
 しかし、ここへきて習近平政権は頼山陽の「川中島」ではないが、「遺恨十年、一剣を磨いた」軍事力にいよいよものを言わせる時期到来と判断したかのようである。
 さる4月10日、海南省(海南島)の博鰲(ボーアオ)でスイスのダボス会議のアジア版「ボーアオ・フォーラム」が開かれ、習近平は開会演説をおこなったが、それにはこんなくだりがあった。
 「現在の世界では平和・協力の潮流が滾々と前へ進んでいる。…冷戦思想、ゼロサムゲームはますます古びたものとなり、傲慢自尊、独善主義はいたるところで壁にぶつかっている」
 そして翌日、習近平は迷彩服に身を包んで南シナ海に浮かぶ軍艦の上にいた。中国海軍が5日から11日まで海南島の東側沖を航行禁止として大規模な演習を繰り広げていたのである。
 空母「遼寧」を中心とする空母打撃作戦群など参加艦艇48隻、参加航空機76機、参加将兵10000人。中国海軍始まって以来の大規模演習である。軍艦「長沙」の甲板から閲兵した習近平は「強大な海軍を建設することは中華民族の偉大な復興を実現するための重要な保障である」と声を張り上げた。
kubo.jpg
(空母「遼寧」―左奥―を囲んで進む中国海軍艦艇 新華社)
 中国海軍のデモンストレーションはそれだけではなかった。18日には予告付きで福建省沖の台湾海峡で実弾演習を行い、さらに20日には与那国島の南約350キロの太平洋上で空母「遼寧」から戦闘機が発着するのを日本の護衛艦が確認している。
 さらに海ばかりでなく、中国空軍も台湾周辺での動きを活発化させている。4月18日から20日まで3日連続で爆撃機が台湾をめぐる形で飛行、26日にはH6爆撃機など4機が宮古海峡を抜けて台湾東側を南下、バシー海峡から中国に戻る飛行をしている。
 台湾側も同18日には蔡英文も参加して海上訓練をおこなったが物量では大陸に対抗すべくもない。
 一連の実力誇示行動について、中国当局は今やそれが台湾の独立への動きを阻止する目的であることを公言するように なったし、「平和統一がだめなら、ほかの手段に訴えることは当然だ」とか、「台湾解放作戦のシミュレーションでは、開戦後100時間以内、つまり米軍の来援が到着する前に作戦は終わることがわかった」といった言論が飛び交っている。

 米の立ち位置に変化?
 こうして圧倒的な中国の軍事力による脅しにさらされている台湾ではあるが、一方では彼らを勇気づける動きもある。
 ほかでもない米国が3月に「米台双方の政府当局者は自由に相手を訪問することができる」という「台湾旅行法」を成立させたのだ。勿論、当局者同士が会談することも自由である。となると、今後は中国と台湾の当局者が米国務省や米国防総省で鉢合わせをすることもありうるわけで、「中国を代表する唯一合法政府」を錦の御旗とする中国政府にとってはメンツの丸つぶれ、我慢のならない米のやり口であろう。
 中国政府は勿論、激しく抗議したが、とにかく法律は成立してしまった。この法律の推進者は最近、安全保障担当の大統領補佐官に就任した、かねて対中強硬派で知られるボルトン元国連大使であるといわれており、こういう人物が台湾を自ら訪問するとでもなったら、それだけで緊張が大きく高まることは必至だ。
 まだある。台湾は保有する古い4隻の潜水艦に代わる潜水艦を自力開発すべく努力中であるが、装備や技術の入手がむつかしく、計画はさっぱり進んでいないとされてきた。そこへ4月7日、米政府は米企業がこの問題で台湾側と接触することを許可したと、台湾国防部が発表したのである。これまた中国の顔に泥をぬる仕打ちである。
 こう見てくると、「中華の復興」を掲げ、皇帝としての功を焦る習近平と、その中国に№1大国の地位を追われそうな米国を「ふたたび偉大にする」と公約して大統領になったトランプ、この2人の置かれた状況こそが現今世界の危険の集約点ではないかという気がしてくる。
 しかもその戦線はたんに軍事面だけでなく、IoT時代を控えた半導体をめぐる競争、EV(電気自動車)や新エネルギー車をめぐる先行争いと幅広い。双方のどこが命綱でどこまで争うのか、まだ見当がつかない。しかし、少なくとも太平洋の両岸が危険地帯となった覚悟だけは必要だろう。

2018.05.02 じわじわと緊張高まる台湾海峡――問題の根は深い、米中はどこまで本気か(上)
新・中国管見(37)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 4月27日、板門店での南北朝鮮首脳会談は金正恩のなかなかのパフォーマンスもあって、しばらく前までの緊張した空気を嘘のように吹きとばした。とはいえ、問題の核心である朝鮮半島の「非核化」はそれを南北双方が「目標とすることで一致した」というにとどまり、すべては米朝会談およびそれ以降に持ち越されたままではあるが、あぶなっかしい指導者どうしがいつ引き金に手をかけないとも限らないという不安がとりあえず消えたことはご同慶のいたりである。
 ところがその間、南の台湾海峡で風波がじわじわと高まってきた。GDPで世界の1,2位を分け合う米中両国は追うものと追われるものの常として、関係は腹の底から打ち解けたものではありえない。しかし、正面から殴り合いをするほど愚かでもないから、時に激しい言葉をぶつけ合い、時に握手を交わすという「大人のつきあい」で日を過ごすというのが、当事者にとっても第三者にとっても常識のはずである。
 しかし、トランプ政権の登場は時にその常識が崩れるのではないかという危惧を周囲にあたえた。
 トランプ時代の米中関係
 まず一昨年の年末、トランプが大統領選に勝利した直後に台湾の蔡英文総統からの祝いの電話に出て、「総統!(president)」と中国が嫌う台湾の職名で呼びかけ、それが物議をかもすと、「1つの中国」の大原則さえ「取引(deal)」によっては守らないとまで言って、周囲を驚かせた。
 その後、昨年は核・ミサイル騒ぎの中で、北朝鮮に制裁を加える点では両国は歩調を合わせたから、習近平とトランプの相互訪問も無事に終わって、両国関係は平穏を保った。
 もっともその間も南シナ海における中国の環礁埋め立て、軍事基地造成に対抗して、米側は「航行の自由作戦」と称して、ミサイル駆逐艦に同海域を遊弋させるというつばぜり合いを何度か演じてはいた。
 空気が変わったのは今年に入ってからである。3月22日、トランプは中国が知的財産権を侵害しているとして中国製品に25%の追加関税を課す大統領令に署名。さらに鉄鋼、アルミ製品に25%、10%の特別関税をかける輸入制限を発動と、対中貿易赤字削減を大義名分に中国に「貿易戦争」を発動した。
 これに対して、中国も負けじとばかりに4月2日、対抗措置として米から輸入している果物、ワイン、豚肉など128品目に最大25%の関税を上乗せする対抗策を公表、一歩も引かない姿勢を示した。
 もともとこの「戦争」はトランプがこの秋の中間選挙に向けてのパフォーマンスではないかと言われたが、結果的にはそれを裏付けるように、その後もやり取りは続いているもののしりすぼみになりつつある。
 その理由は米中貿易の構造そのものにある。米が中国から輸入するのが約5000憶ドル、
米から中国へ輸出するのが約1300憶ドル。したがって年間の貿易赤字はざっと3700憶ドルに上る。これが米国内の労働者の仕事を奪っているというのがトランプの言い分であるが、では米が中国からの輸入1000憶ドル分を減らす措置をとったとして、もし同額を中国側も米からの輸入を減らせば、輸入額の80%近くを減らすことになり、その中には大豆、トウモロコシ、ワインなど農産物などが含まれることになり、トランプ支持層を痛めつける。
 それでは米が中国からの輸入の5分の1(1000憶ドル)を減らすのだから、米からの輸入の5分の1を中国が減らすのでは260憶ドルにしかならず、それは米全体の輸出額の何ほどにもならず、対抗措置にはならない。それに米が中国から輸入する製品のかなりの部分は米企業が中国に工場を建て、安い中国人を使って作らせているものだから、それを減らすことは米企業に打撃を与え、米国内の物価を高くすることになり、誰の得にもならない。
 対立の実質
 というわけで、この「戦争」、トランプの初めの勢いはいつの間にかすっかりしぼんで、5月初めにライトハウザーUSTR(通商代表部)代表らが訪中して中国側と話しをすることになってはいるものの、もはや大問題ではなくなったといっていい。
 しかし、これで米中間に経済の火種がなくなったというわけではない。それどころかじつは「貿易戦争」に目を奪われている間に、両国間では目に見えないところで激しい争いが続いていて、それがここへきてにわかに火を噴いたのである。
 それは第5世代(G5)といわれる次世代通信革命をめぐる主導権争いである。そしてこれこそが米中対立の本命であると思われる。それがあるからこそ最近の台湾海峡をめぐる緊張にも新しい要素が加わったのではないかと見られているのである。
 4月16日、米商務省は米企業に今後7年間、中国国有企業で通信機器大手の「中興通訊」(ZTE)との取引を禁じた。取引禁止というのはこの会社から物を買ってもいけないし、売ってもいけないということである。
 この厳しい措置の理由は2010年から16年までの間、同社が米の輸出規制に違反し、ダミー会社をつかうなどの方法でイランや北朝鮮に通信機器を輸出していたというもの。同社はその事実を認め、昨年3月に罰金(1300憶円)を支払うことで合意したのだが、その後も当局に虚偽報告を続けたということで、新たに取引禁止という厳しい措置となったという。
 この「中興通訊」は昨年のスマホの出荷台数は4300万台でシェアは世界9位。米国ではそのうち約半分の2100万台を売り、シェアは4位である。そして同社はスマホの基幹部品である半導体と基本ソフトの「アンドロイド」を米社からの供給に頼っている。したがって、今後7年間も米企業との取引を禁じられては同社は立ち行かないだろうと見られているという。
 ここまででは終わりそうもない。4月25日、ウォール・ストリート・ジャーナル紙など複数の米メディアが、今度は中国の通信機器最大手「華為技術」(ファーウェイ)を米司法省が捜査していると伝えた。容疑はやはり対イラン制裁に違反したかどうかといわれるが、まだ公式には明らかにされていない。
 もし中興に続いてファーウェイまでが同様な措置を受けるとなると、ファーウェイは売上高で中興の5倍、スマホの販売台数は17年に1憶5300万台と韓国サムスン(世界シェア22%)、米アップル(同15%)に続く世界3位、10%のシェアを持つだけに、中米関係における比重は中興をはるかに超える。
 ファーウェイについてはすでに安全保障上の理由から、米政府は公的機関が同社の製品を購入、使用することを禁じているが、公的機関のみならず私企業まで全面的取引停止となると、同社に半導体やソフトを提供している米企業にも大きなマイナスとなる。
 にもかかわらず、米政府が中国の大手通信機器メーカーをここまで目の仇にするとすれば、それは一時的な損得を超えた長期的な国家戦略に基づくものと考えられる。中国は2025年における製造技術の目標到達点を「中国製造2025」として公表している。そこには半導体など5G世代の通信技術を世界最先端レベルに引き上げることも掲げられている。
 そしてこれが米をいたく刺激しているという説がある。人口で4倍近い差がある以上、いずれGDP総額で中国に抜かれることはやむをえないにしても、技術の世界で並ばれたり、追い越されたりするのは、これからいよいよIoT(すべてをインターネットへ)時代に入ろうとする時期だけに我慢がならない、というのだ。
 中国もやられ放題というわけではない。米クワルコム社がオランダの車載半導体大手のNXPを買収しようとしているのに対して、中国の独禁当局が審査を長引かせていたり、ほかでもない日本の東芝の再建策の柱である同社半導体事業を日米韓のファンドへ売却する件でも審査を長引かせて、再建策の見直しを迫るというところまで来ている。
 こうした米中経済戦争を背景に台湾海峡が波立っているのは気にかかるところである。以下では最近の台湾をめぐる動きに目を移したい。(未完)