2008.05.17
将軍たちにつける薬はないか
ミャンマーに巨大サイクロン
インド洋で発生した巨大サイクロンが5月3日ミャンマーを襲い、死者・行方不明者6万人を超す大惨事になったことは世界中のメディアで報道されている。問題は現在ミャンマーを統治している軍事政権が自国民被災者の救援活動に後れを取り、海外からの救援物資の搬入を遅らせたり、現地で救援作業に当たる活動家の入国ビザを拒否するなど、国際救援活動を事実上妨害していることだ。緊急救難活動が実行されれば多数の人命が救われただろうに、軍政当局の無責任な対応によって犠牲者が増えたことは間違いない。この国の人々は自然災害に加え将軍たちの人災で犠牲を増やしたのだ。
悪名高い現在のミャンマー軍事政権は、1988年に旧来の軍事政権を倒した学生・民主勢力の決起を武力で押しつぶした将軍たちによるものだ。1990年に行った民主的な総選挙でノーベル平和賞のアウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したのに、軍政は選挙前の公約に反して政権を渡さず、その後18年もの間NLDや学生たちを投獄し、民主勢力を弾圧して軍事ファシスト支配を続けてきた。とりわけ昨年9月、僧侶を先頭とする反政府デモが広がると、軍隊を動員して実弾射撃によりデモ隊を解散させた。この様子を取材中だったカメラマンの長井健司さん(当時50)が、弾圧部隊の兵士に射殺されたことはまだわれわれの記憶に新しい。
ある地方紙のコラムは「常軌を逸した振る舞いというほかはない」とミャンマー軍政のサイクロン被害への対応を厳しく批判した。とてつもない被害を受けた国民のことより、まず自分たちの保身を優先したとしか言えない対応だったからだ。ミャンマーとは比較的良い関係にあるタイのサマック政権がヤンゴン(旧ラングーン)に派遣したタイ陸軍の高官は、ミャンマー副外相に国外からの人的支援の積極的受け入れを要請したところ、「人は間に合っている」と外国人の受け入れを拒否する構えを示した。軍政は外国人と住民の接触で軍政批判が高まることを恐れており、入国ビザの発給を遅らせているのだ。
伊藤力司 (ジャーナリスト)
インド洋で発生した巨大サイクロンが5月3日ミャンマーを襲い、死者・行方不明者6万人を超す大惨事になったことは世界中のメディアで報道されている。問題は現在ミャンマーを統治している軍事政権が自国民被災者の救援活動に後れを取り、海外からの救援物資の搬入を遅らせたり、現地で救援作業に当たる活動家の入国ビザを拒否するなど、国際救援活動を事実上妨害していることだ。緊急救難活動が実行されれば多数の人命が救われただろうに、軍政当局の無責任な対応によって犠牲者が増えたことは間違いない。この国の人々は自然災害に加え将軍たちの人災で犠牲を増やしたのだ。
悪名高い現在のミャンマー軍事政権は、1988年に旧来の軍事政権を倒した学生・民主勢力の決起を武力で押しつぶした将軍たちによるものだ。1990年に行った民主的な総選挙でノーベル平和賞のアウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したのに、軍政は選挙前の公約に反して政権を渡さず、その後18年もの間NLDや学生たちを投獄し、民主勢力を弾圧して軍事ファシスト支配を続けてきた。とりわけ昨年9月、僧侶を先頭とする反政府デモが広がると、軍隊を動員して実弾射撃によりデモ隊を解散させた。この様子を取材中だったカメラマンの長井健司さん(当時50)が、弾圧部隊の兵士に射殺されたことはまだわれわれの記憶に新しい。
ある地方紙のコラムは「常軌を逸した振る舞いというほかはない」とミャンマー軍政のサイクロン被害への対応を厳しく批判した。とてつもない被害を受けた国民のことより、まず自分たちの保身を優先したとしか言えない対応だったからだ。ミャンマーとは比較的良い関係にあるタイのサマック政権がヤンゴン(旧ラングーン)に派遣したタイ陸軍の高官は、ミャンマー副外相に国外からの人的支援の積極的受け入れを要請したところ、「人は間に合っている」と外国人の受け入れを拒否する構えを示した。軍政は外国人と住民の接触で軍政批判が高まることを恐れており、入国ビザの発給を遅らせているのだ。
2008.04.27
中国はチベットを手放さない(再論)
―チベット高原の一隅にて(16)
新華社電によると、中国の胡錦濤国家主席は4月12日、オーストラリアのラッド首相と海南省三亜で会談し「チベット問題は完全に中国の内政にかかわること」と述べ、外国の干渉を許さない姿勢を強調した。また、胡錦濤主席は「ダライ・ラマ( 十四世)一味との闘争は民族、宗教や人権の問題ではない。国家の統一を守るか、あるいは祖国の分裂を許すのかという問題だ」と述べた。(共同)
こうした発言を日本ではどう受けとめているだろうか。少数民族にたいする威圧的な政治的表現だとか、民族運動鎮圧についての弁解だと考える人がいるかもしれないが、わたしは、これを真剣な意志を表明したものとして字面どおりに受止めるべきだとおもう。3月ラサ事件に関しては映像でみるかぎり暴力と破壊そのものだから、法にもとづいて刑事責任を問うことは当然である。ただ、事件を誰が(真の演出者か)どのような政治的意図で起こしたか全体像は依然ナゾのままだ。
チベットのみならずチュルク系、モンゴルなど少数民族の分離独立ではなく、「高度自治」あるいは自治区の区域変更などの要求までも、なぜ「国家の統一を守るか、分裂を許すのかという問題」になるのか。ここではこうした認識がうまれてから現在に至るまでの経過をたどってみたい。
阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)
新華社電によると、中国の胡錦濤国家主席は4月12日、オーストラリアのラッド首相と海南省三亜で会談し「チベット問題は完全に中国の内政にかかわること」と述べ、外国の干渉を許さない姿勢を強調した。また、胡錦濤主席は「ダライ・ラマ( 十四世)一味との闘争は民族、宗教や人権の問題ではない。国家の統一を守るか、あるいは祖国の分裂を許すのかという問題だ」と述べた。(共同)
こうした発言を日本ではどう受けとめているだろうか。少数民族にたいする威圧的な政治的表現だとか、民族運動鎮圧についての弁解だと考える人がいるかもしれないが、わたしは、これを真剣な意志を表明したものとして字面どおりに受止めるべきだとおもう。3月ラサ事件に関しては映像でみるかぎり暴力と破壊そのものだから、法にもとづいて刑事責任を問うことは当然である。ただ、事件を誰が(真の演出者か)どのような政治的意図で起こしたか全体像は依然ナゾのままだ。
チベットのみならずチュルク系、モンゴルなど少数民族の分離独立ではなく、「高度自治」あるいは自治区の区域変更などの要求までも、なぜ「国家の統一を守るか、分裂を許すのかという問題」になるのか。ここではこうした認識がうまれてから現在に至るまでの経過をたどってみたい。
2008.04.26
オバマ氏指名への流れ変わらず
ヒラリー氏ペンシルベニアで辛勝したが
アメリカ民主党大統領候補の指名争いの重要関門であるペンシルベニア州予備選でヒラリー・クリントン上院議員(ニューヨーク州)が辛勝、バラク・オバマ上院議員(イリノイ州)との争いがなお続くことになった。ペンシルベニア州の開票率99%でヒラリー氏の得票率54・3%、オバマ氏45・7%となり、その差は8・6ポイントである。ペンシルベニア州はもともとヒラリー氏の地盤であり、3月段階の世論調査では20ポイントの差をつけていたことからすると「辛勝」という以外にない。
AP通信の集計によると、ペンシルベニアで獲得した代議員数を加えたオバマ氏支持の代議員数は累積で1,714人、ヒラリー氏支持代議員は同1,589人となった。その差は125人である。ペンシルベニア州予備選前の差は140人だったから、ヒラリー氏はここで15人分差を詰めたわけだ。しかしまだ残っている7州と2自治領の予備選・党員集会で125人のギャップを埋めることは、専門家は至難とみている。2008年大統領選の民主党候補を指名する党大会は8月末コロラド州デンバーで開かれる。代議員総数は4,049人でその過半数2,025人の支持を得たほうが勝つ。
この4,049人のうち795人はスーパー代議員と呼ばれる。スーパー代議員は連邦議員、州知事ら選挙で選ばれた公職者、それに大統領、副大統領経験者とさらに全国および州レベルの党役員などの人々だ。各州の予備選・党員集会で選ばれる一般代議員は、選ばれた段階で党大会でどちらに投票するか決まっているが、スーパー代議員は個々に自分の判断で投票することができる。APの集計によると、スーパー代議員で4月22日までにヒラリー氏支持を明らかにした人が258人、オバマ氏支持が233人である。一般代議員ではリードされてヒラリー氏だが、党のキャリアが長いだけあってスーパー代議員では逆にリードしているわけだ。
伊藤力司 (ジャーナリスト)
アメリカ民主党大統領候補の指名争いの重要関門であるペンシルベニア州予備選でヒラリー・クリントン上院議員(ニューヨーク州)が辛勝、バラク・オバマ上院議員(イリノイ州)との争いがなお続くことになった。ペンシルベニア州の開票率99%でヒラリー氏の得票率54・3%、オバマ氏45・7%となり、その差は8・6ポイントである。ペンシルベニア州はもともとヒラリー氏の地盤であり、3月段階の世論調査では20ポイントの差をつけていたことからすると「辛勝」という以外にない。
AP通信の集計によると、ペンシルベニアで獲得した代議員数を加えたオバマ氏支持の代議員数は累積で1,714人、ヒラリー氏支持代議員は同1,589人となった。その差は125人である。ペンシルベニア州予備選前の差は140人だったから、ヒラリー氏はここで15人分差を詰めたわけだ。しかしまだ残っている7州と2自治領の予備選・党員集会で125人のギャップを埋めることは、専門家は至難とみている。2008年大統領選の民主党候補を指名する党大会は8月末コロラド州デンバーで開かれる。代議員総数は4,049人でその過半数2,025人の支持を得たほうが勝つ。
この4,049人のうち795人はスーパー代議員と呼ばれる。スーパー代議員は連邦議員、州知事ら選挙で選ばれた公職者、それに大統領、副大統領経験者とさらに全国および州レベルの党役員などの人々だ。各州の予備選・党員集会で選ばれる一般代議員は、選ばれた段階で党大会でどちらに投票するか決まっているが、スーパー代議員は個々に自分の判断で投票することができる。APの集計によると、スーパー代議員で4月22日までにヒラリー氏支持を明らかにした人が258人、オバマ氏支持が233人である。一般代議員ではリードされてヒラリー氏だが、党のキャリアが長いだけあってスーパー代議員では逆にリードしているわけだ。
2008.04.23
鼓楼のある村―トン族・増衝村の人々
2008.04.19
「五輪後」始まる?――曲がり角の中国経済
管見中国(7)
中国の国家統計局は16日、今年の第一・四半期(1〜3月)の経済実績を発表した。速報値で成長率は10.6%(前年同期比1.1ポイントの下落)、消費者物価(前年同期比)は8%上昇、貿易黒字(同)は49億ドルの減少である。
この結果について、同日開かれた国務院の常務会議(日本の閣議にあたる)では、「国際経済環境におけるまれに見るほどの変化と低温雨雪氷凍災害という極めて困難な状況の下、中央の時を移さぬ力強い対応措置によって、国民経済は安定したスピードの発展を保ち、当面の全体的な形勢は予想よりよい」と自画自賛した。(『新華社』)
成長率、貿易黒字は昨年を下回るとはいえ、多少スピードが落ちたという程度だから「安定したスピードの発展」と言ってもいいだろう。問題は物価である。3月の全人代で打ち出した今年の物価上昇の目標値4.8%を大きく上回っている。
国務院常務会議でも「物価の構造的上昇が明らかなインフレに転化するのを防ぐことがマクロ調節の第一の任務であり、物価上昇を抑え、通貨の膨張を抑えることをこれまで以上に優先する」とした。
中国の消費者物価上昇率は去年の5月までは3%台だったのが、6月4%台、7月5%台、8月から12月まで6%台と階段を上るように上昇し、今年に入ると1月7.1%、2月8.7%、3月8.3%と騰勢が続いている。 この上昇の主たる要因は食品、とくに肉類、乳製品などの値上がりである。とくに豚肉などは、昨秋は毎月30%ほども値上がりした。
そこでこのインフレと言ってもいいような状況をどう見るかである。
田畑光永 (ジャーナリスト)
中国の国家統計局は16日、今年の第一・四半期(1〜3月)の経済実績を発表した。速報値で成長率は10.6%(前年同期比1.1ポイントの下落)、消費者物価(前年同期比)は8%上昇、貿易黒字(同)は49億ドルの減少である。
この結果について、同日開かれた国務院の常務会議(日本の閣議にあたる)では、「国際経済環境におけるまれに見るほどの変化と低温雨雪氷凍災害という極めて困難な状況の下、中央の時を移さぬ力強い対応措置によって、国民経済は安定したスピードの発展を保ち、当面の全体的な形勢は予想よりよい」と自画自賛した。(『新華社』)
成長率、貿易黒字は昨年を下回るとはいえ、多少スピードが落ちたという程度だから「安定したスピードの発展」と言ってもいいだろう。問題は物価である。3月の全人代で打ち出した今年の物価上昇の目標値4.8%を大きく上回っている。
国務院常務会議でも「物価の構造的上昇が明らかなインフレに転化するのを防ぐことがマクロ調節の第一の任務であり、物価上昇を抑え、通貨の膨張を抑えることをこれまで以上に優先する」とした。
中国の消費者物価上昇率は去年の5月までは3%台だったのが、6月4%台、7月5%台、8月から12月まで6%台と階段を上るように上昇し、今年に入ると1月7.1%、2月8.7%、3月8.3%と騰勢が続いている。 この上昇の主たる要因は食品、とくに肉類、乳製品などの値上がりである。とくに豚肉などは、昨秋は毎月30%ほども値上がりした。
そこでこのインフレと言ってもいいような状況をどう見るかである。
2008.04.14
神か仏か、ただの人か
―チベット高原の一隅にて(15)
3月14日ラサ「騒乱」を伝えるテレビ画像、パネル写真は漢人を怒らせ、チベット人を困惑させた。この街頭行動に対する当局の非難も鎮圧も、映像の放送もすばやかった。しかも映像はいい角度から写しているものが多く、説得力があった(注1)。
30日新華社は「ダライ集団」が黒幕となってラサ「騒乱」を画策したと非難したが、攻撃の矛先はおもに「チベット青年会議」に向けられた。同日ラオス訪問中の総理温家宝は、分裂活動をやめるなどのいくつかの原則の下でなら、ダライ=ラマと接触し談判を進めてもいいといった。(「南方週末4月3日」)
中国政府新聞弁公室は4月2日、チベット情勢に関する記者会見をひらき、中央党学校の研究者らがダライ=ラマを非難したうえで、ダライ=ラマが「特に若いチベット僧に対し一定の影響力を有している」と分析し、チベット僧を対象に愛国主義教育をさらに進めるべきだと主張した。胡岩同校教授は、チベット僧は僧侶である以前に「中国国民」であるべきだとして、今後の対策として「(共産党が)チベットを平和的に解放した事実」を周知徹底する必要性があると訴えたという。(共同)(注2)
わたしもチベット・チュルク系・モンゴルなど少数民族が「中国国民」意識を持つことは、「中華民族形成」にとっては困難だが重要な課題だとおもう。
阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)
3月14日ラサ「騒乱」を伝えるテレビ画像、パネル写真は漢人を怒らせ、チベット人を困惑させた。この街頭行動に対する当局の非難も鎮圧も、映像の放送もすばやかった。しかも映像はいい角度から写しているものが多く、説得力があった(注1)。
30日新華社は「ダライ集団」が黒幕となってラサ「騒乱」を画策したと非難したが、攻撃の矛先はおもに「チベット青年会議」に向けられた。同日ラオス訪問中の総理温家宝は、分裂活動をやめるなどのいくつかの原則の下でなら、ダライ=ラマと接触し談判を進めてもいいといった。(「南方週末4月3日」)
中国政府新聞弁公室は4月2日、チベット情勢に関する記者会見をひらき、中央党学校の研究者らがダライ=ラマを非難したうえで、ダライ=ラマが「特に若いチベット僧に対し一定の影響力を有している」と分析し、チベット僧を対象に愛国主義教育をさらに進めるべきだと主張した。胡岩同校教授は、チベット僧は僧侶である以前に「中国国民」であるべきだとして、今後の対策として「(共産党が)チベットを平和的に解放した事実」を周知徹底する必要性があると訴えたという。(共同)(注2)
わたしもチベット・チュルク系・モンゴルなど少数民族が「中国国民」意識を持つことは、「中華民族形成」にとっては困難だが重要な課題だとおもう。
2008.04.09
ためらうことなき指導者
―チベット高原の一隅にて(14)
ラサ14日事件の映像を見ていて「あれ?まえに見たことがあるぞ」という不思議な感じがあった。これを思い出すとこうなる(以下『中共西蔵党史大事記』)。
1989年3月5−7日、「少数分裂主義分子」が3日にわたってラサを騒乱状態にした。清潔で知られた元中共中央総書記胡耀邦が亡くなって、天安門事件へ発展する北京学生デモがはじまる1ヵ月前のことだった。
「暴徒は打ち壊し奪い、政府機関や学校を24ヵ所焼き、国家と人民に1千万元以上の損害をもたらした。個人経営99ヵ所、自動車20余輌、三輪車自転車50数台が暴徒によって壊された」このとき街頭行動をしたほうも銃をもちだしたので、デモ参加者だけでなく当局側にも多数の死傷者が出たといわれる。
ときのチベット自治区党書記はいま最高指導者胡錦濤である。鉄兜をかぶって鎮圧の陣頭指揮をとったという。
7日、総理李鵬はラサに戒厳令を発令。9日、「人民日報」は新華社評論員の文章「誰がチベットでの人権を蹂躙したか」を発表し、破壊行為を非難した。「この数年の多くの騒乱事件は国外の分裂主義集団が画策したものであり、かれらがラサに潜入してほしいままに破壊行為を行って人権を踏みにじり、同時に(分裂主義者は)外国人にチベットの『人権問題』に関与するよう求めている」14日、国務院スポークスマンはラサについて中国は絶対に分裂活動を許さないと発言。16日、欧州議会が「チベットの人権に関する」決議をしたのにたいし中国は内政干渉だと抗議する。
2008年3月14日事件の様子と、89年3月5−7日事件とはよく似ている。当局の非難、国際的同情、それに対する中国当局の反発、多くの犠牲をともなったことが印象深い。
阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)
ラサ14日事件の映像を見ていて「あれ?まえに見たことがあるぞ」という不思議な感じがあった。これを思い出すとこうなる(以下『中共西蔵党史大事記』)。
1989年3月5−7日、「少数分裂主義分子」が3日にわたってラサを騒乱状態にした。清潔で知られた元中共中央総書記胡耀邦が亡くなって、天安門事件へ発展する北京学生デモがはじまる1ヵ月前のことだった。
「暴徒は打ち壊し奪い、政府機関や学校を24ヵ所焼き、国家と人民に1千万元以上の損害をもたらした。個人経営99ヵ所、自動車20余輌、三輪車自転車50数台が暴徒によって壊された」このとき街頭行動をしたほうも銃をもちだしたので、デモ参加者だけでなく当局側にも多数の死傷者が出たといわれる。
ときのチベット自治区党書記はいま最高指導者胡錦濤である。鉄兜をかぶって鎮圧の陣頭指揮をとったという。
7日、総理李鵬はラサに戒厳令を発令。9日、「人民日報」は新華社評論員の文章「誰がチベットでの人権を蹂躙したか」を発表し、破壊行為を非難した。「この数年の多くの騒乱事件は国外の分裂主義集団が画策したものであり、かれらがラサに潜入してほしいままに破壊行為を行って人権を踏みにじり、同時に(分裂主義者は)外国人にチベットの『人権問題』に関与するよう求めている」14日、国務院スポークスマンはラサについて中国は絶対に分裂活動を許さないと発言。16日、欧州議会が「チベットの人権に関する」決議をしたのにたいし中国は内政干渉だと抗議する。
2008年3月14日事件の様子と、89年3月5−7日事件とはよく似ている。当局の非難、国際的同情、それに対する中国当局の反発、多くの犠牲をともなったことが印象深い。
2008.04.08
済州4・3事件60周年慰霊祭におもう――歴史認識、韓国と日本
暴論珍説メモ(37)
済州島済州市で4月3日におこなわれた「4・3事件60周年慰霊祭」に参加した。「4・3事件」といっても、ご存知ない方も多いと思われるが、日本の植民地統治から朝鮮半島が脱して、南北二つの国家に分かれた当時の歴史の一こま、と言ってしまうには、あまりに大規模で悲惨な出来事である。
第二次大戦で日本が降伏した後、朝鮮半島の南半分は米国、北半分はソ連(当時)の占領下に置かれた。1947年3月1日、済州島では1919年の「3・1万歳事件」(日本統治に反対した独立要求闘争)を記念する集会とデモ行進がおこなわれたが、それを解散させようと米軍政下の警察が発砲、子供を含めデモを見物していた6人が死亡し、8人が怪我をする事件がおこった。これに対して済州島民は大規模なゼネストで抗議、「発砲は正当防衛」とする米軍政当局と対立、その後、1年にわたって島は警察、右翼による民衆の逮捕、拷問に明け暮れる日々が続いた。
この状況に共産党(南朝鮮労働党済州島党)は、1948年4月3日、武装蜂起する。島民の抵抗に依拠し、合わせて当時、米国が半島の南半分で選挙を実施し、国家を分断しようとしていたのを妨げるためであった。
米軍政当局は現役軍人の大佐を済州地区最高司令官として派遣し、選挙を実施するが、それは失敗に終る。しかし、半島南半分での選挙によって、この年8月15日、大韓民国が成立し、それを追いかけるように9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が成立して、朝鮮半島は南北に分断される。
田畑光永 (ジャーナリスト)
済州島済州市で4月3日におこなわれた「4・3事件60周年慰霊祭」に参加した。「4・3事件」といっても、ご存知ない方も多いと思われるが、日本の植民地統治から朝鮮半島が脱して、南北二つの国家に分かれた当時の歴史の一こま、と言ってしまうには、あまりに大規模で悲惨な出来事である。
第二次大戦で日本が降伏した後、朝鮮半島の南半分は米国、北半分はソ連(当時)の占領下に置かれた。1947年3月1日、済州島では1919年の「3・1万歳事件」(日本統治に反対した独立要求闘争)を記念する集会とデモ行進がおこなわれたが、それを解散させようと米軍政下の警察が発砲、子供を含めデモを見物していた6人が死亡し、8人が怪我をする事件がおこった。これに対して済州島民は大規模なゼネストで抗議、「発砲は正当防衛」とする米軍政当局と対立、その後、1年にわたって島は警察、右翼による民衆の逮捕、拷問に明け暮れる日々が続いた。
この状況に共産党(南朝鮮労働党済州島党)は、1948年4月3日、武装蜂起する。島民の抵抗に依拠し、合わせて当時、米国が半島の南半分で選挙を実施し、国家を分断しようとしていたのを妨げるためであった。
米軍政当局は現役軍人の大佐を済州地区最高司令官として派遣し、選挙を実施するが、それは失敗に終る。しかし、半島南半分での選挙によって、この年8月15日、大韓民国が成立し、それを追いかけるように9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が成立して、朝鮮半島は南北に分断される。
2008.04.06
バスラ戦争はシーア派の同士討ち
ブッシュ政権にとって最悪の帰結
昨年9月頃から小康状態にあったイラクで3月25日突如戦火が再燃、南部の港湾都市バスラや首都バグダッドでシーア派反米過激派民兵のマハディ軍と政府軍の激戦が続いた。マリキ首相自らバスラに乗り込んで政府軍の陣頭指揮に当たり、マハディ軍を殲滅するまで戦うと宣言したが、結局は6日後に停戦となった。
400人以上の死者を出したこの6日戦争でマハディ軍は生き残り、米軍が訓練したイラク政府軍は戦闘中に脱走兵が相次ぐなど、民兵に勝てないことが証明された。実は政府軍もシーア派主体で構成されているから、この戦争は実質的にシーア派の同士討ちだった。この戦争はイラクのシーア派に強い影響力を持つイランの仲介で停戦したが、米国にとって不倶戴天の敵のイランに名をなさしめる結果になった。イラク政府軍を強化して治安維持に当たらせ、米軍を段階的に撤退させようとするブッシュ政権の思惑は怪しくなった。
イラクの人口2900万人の約60%は、イスラム教シーア派で占められる。2005年12月に行われた民主的な総選挙で、シーア派の統一イラク同盟(UIA)が多数派になったのは自然なことだった。難航した組閣交渉の末、UIAを基盤とするマリキ内閣は2006年5月に発足したが、内実は今回の6日戦争に見られるようにシーア派内では内部権力抗争が激しく闘われている。
大まかに言って、UIAはシーア派のダーワ党、イラク・イスラム最高評議会(IISC)、モクタル・サドル師派の3派の寄せ集めである。ダーワ党は1957年に結成された古参政党で、現在の党首はマリキ首相。IISCは1982年テヘランで結成されてイラン流のイスラム国家を目指し、バドル旅団という民兵組織を傘下に持つ。指導者はハキム師。
第3のサドル派は反米強硬派で、米軍の撤退期限明確化をマリキ首相に要求したが拒絶されたため、2006年4月に全閣僚を引き揚げ、9月にはUIAからも離脱して野党に転じた。約6万人といわれる民兵集団マハディ(救世)軍を擁している。
伊藤力司 (ジャーナリスト)
昨年9月頃から小康状態にあったイラクで3月25日突如戦火が再燃、南部の港湾都市バスラや首都バグダッドでシーア派反米過激派民兵のマハディ軍と政府軍の激戦が続いた。マリキ首相自らバスラに乗り込んで政府軍の陣頭指揮に当たり、マハディ軍を殲滅するまで戦うと宣言したが、結局は6日後に停戦となった。
400人以上の死者を出したこの6日戦争でマハディ軍は生き残り、米軍が訓練したイラク政府軍は戦闘中に脱走兵が相次ぐなど、民兵に勝てないことが証明された。実は政府軍もシーア派主体で構成されているから、この戦争は実質的にシーア派の同士討ちだった。この戦争はイラクのシーア派に強い影響力を持つイランの仲介で停戦したが、米国にとって不倶戴天の敵のイランに名をなさしめる結果になった。イラク政府軍を強化して治安維持に当たらせ、米軍を段階的に撤退させようとするブッシュ政権の思惑は怪しくなった。
イラクの人口2900万人の約60%は、イスラム教シーア派で占められる。2005年12月に行われた民主的な総選挙で、シーア派の統一イラク同盟(UIA)が多数派になったのは自然なことだった。難航した組閣交渉の末、UIAを基盤とするマリキ内閣は2006年5月に発足したが、内実は今回の6日戦争に見られるようにシーア派内では内部権力抗争が激しく闘われている。
大まかに言って、UIAはシーア派のダーワ党、イラク・イスラム最高評議会(IISC)、モクタル・サドル師派の3派の寄せ集めである。ダーワ党は1957年に結成された古参政党で、現在の党首はマリキ首相。IISCは1982年テヘランで結成されてイラン流のイスラム国家を目指し、バドル旅団という民兵組織を傘下に持つ。指導者はハキム師。
第3のサドル派は反米強硬派で、米軍の撤退期限明確化をマリキ首相に要求したが拒絶されたため、2006年4月に全閣僚を引き揚げ、9月にはUIAからも離脱して野党に転じた。約6万人といわれる民兵集団マハディ(救世)軍を擁している。
2008.04.02
ベトナムでのある「死」と「生」と米軍撤退
丹藤佳紀 (ジャーナリスト)
三つの35周年
1973年1月28日、ベトナム和平パリ協定発効、停戦
3月21日、春分の日(日本の新聞休刊日)。読売新聞サイゴン支局の
海浜慰安旅行に参加したベトナム人スタッフが水死
3月29日、南ベトナムから米軍撤退。東京でわが長男誕生
タイトルにある「死」と「生」を年表式にくくるとこうなる。その二つできごとも、その大きな背景となった米軍のベトナムからの撤退も35周年になる。
「かりそめの停戦」
ベトナム和平パリ協定が調印され、長く続いたベトナム戦争に「停戦」が訪れた。35前、1973年1月28日のことである。
停戦を監視する機関として国際停戦管理監視委員会(ICCS)が設置され、当時のベトナム民主共和国(北ベトナム)と南ベトナム臨時革命政府(解放民族戦線)側の推すハンガリー、ポーランドの両国、米国とベトナム共和国(南ベトナム)側からカナダ、インドネシアが加わった。
それとは別に、戦争当事者同士(米国・南ベトナム、北ベトナム・臨時革命政府)による4者合同軍事委員会(JMC)が設けられた。当事者で軍事紛争を処理していこうというものである(米軍撤退後は3者合同軍事委に)。
しかし、停戦入りまで、双方の支配地域は「まだら模様」に入り組んでいた。戦況が、朝鮮戦争のように一線をはさんで向き合うものだったら、停戦もいま少し容易だったはずだ。それだけに、この停戦協定は、調印時から実効性が疑問視されていた。
それにもかかわらず調印−発効となったのは、南ベトナムを実質的に支えていた米国がすでに最終的な“足抜き”を決意していたからである。この結果、ベトナム戦史のビデオテープは、米国が北ベトナムへの爆撃(北爆)を始め、米地上軍が南ベトナムで参戦して本格的に介入した1965年段階の前まで巻き戻されたのである。
















