2019.03.23 アフガニスタン和平への道開く
タリバンと米国―最長の和平交渉終る

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 2月末からカタールの首都ドーハで開かれていた、アフガニスタンの反政府イスラム武装勢力タリバンと米国の和平交渉が終わった。17年間にわたるアフガニスタン紛争のなかで、最も長い16日間続いた交渉で、重要な合意点と解決すべき重要課題がすべて洗い出されたようだ。このアフガニスタン紛争を当初から報道し続けてきたパキスタンのジャーナリスト、アハメド・ラシッドは、国際的信頼が中東では最も高いカタールの通信社アルジャジーラが伝えた総括分析の中で「和平への道はなお長く、飽き飽きする道だが、アフガニスタン国民はこれまでにはなかったほど希望を抱ける理由がある」と書いている。
 2月15日の本欄で紹介した通り、タリバン側の交渉団主席は、タリバン内で最も尊敬されているムラー・バラダール、米国側はタリバンとの和平交渉に当初から関わってきたアフガニスタン生まれのカリルザード元国連大使。どちらも信頼が厚く、最良の交渉団だった。
 会談では、まず双方が合意した2点を確認した、米国側はアフガニスタンに現在駐留している約14,000人の米軍の全面撤退、タリバン側はアルカイダなど他のテロ組織との関係を持たないことを約束。双方は取り決めの草案をまとめたという。
 双方は、今後も必要に応じて交渉を再開することで一致し、握手を交わしてドーハでの交渉を終えた。
 しかし、最も重要な未解決の問題は残った。アフガニスタン政府のアシュラフ・ガニ大統領が、タリバンとの直接交渉を拒否し続けていることだ。米国の強力な支援で1914年に大統領に就任したガニ大統領。アフガニスタン政府軍の総司令官も兼任している。タリバンと戦い続けている政府軍は17万4千人。ほかに国家警察隊が14万8千人。軍と国家警察隊の経費は欧米、日本などが支援しているが、英国以下の戦闘部隊(ISAF)の派遣は14年で終了。直接的軍事支援は米軍だけになった。しかし、最盛時10万人を超えた米軍も次第に縮小、戦闘任務を政府軍に肩代わり。さらにトランプ政権は、縮小を進めた。
 その結果もあり、タリバンは攻勢をつよめ、国連アフガニスタン支援団によると、主に政府軍・警察との戦闘で17年には4年連続で死傷者が1万人を突破、18年も状況は変わらず、タリバンの支配は国土の4割を超えたとも推定されるまでになっている。
 ドーハでの交渉で、カリルザードは政府側との停戦交渉に応じるようタリバン側を説得し、その条件を討議したが、タリバン側は最終的にOKを出さなかった。現ガニ政権はタリバンとの交渉を頑なに拒否し続けているが、政権との直接交渉による解決しかないことを、タリバン側も理解している、とみられた。ラシッドはこう書いているー
 「ドーハでの交渉は、長年の念願だった政府とタリバンのアフガン和平交渉をすぐに生み出すことはできなかったが、進むべき和平への道を開いた。米軍部隊の撤退とテロ対策については草案で合意し、停戦と政治的解決のためのアフガン人同士の対話の開始などについても話し合う用意があることまで一致したようだ。」
 だが、ガニ大統領は、米国とタリバンのドーハ交渉が終わった現時点でも、タリバンとの交渉拒否の姿勢を変えようとはしていない。しかし、ガニ大統領の任期は今年9月までで、選挙管理委員会は次期大統領選挙を今年4月20日に行うと決定している。14年の大統領選では、ガニとアブドラ現行政長官が激しく争い、再選挙を含め就任まで5か月かかった。今年4月の大統領選がどのように展開するか、予断を許さない。
 2004年から14年まで大統領を務め、現在も政治的影響力があるカルザイ前大統領は、今回のドーハ交渉の終了後、アルジャジーラのインタビューで次のように語ったー「私は米国とタリバンの交渉を歓迎している。全アフガニスタンでの停戦が遠くてはならない。いま、アフガニスタン国民が求めているのは、全土での即時停戦と平和だ。不幸にもそれには時間がかかるが、タリバンと米国の間の停戦と生産的な交渉が続くことを希望する。」(アフガニスタン内の交渉に政府を含めることが必要かの質問に対し)「絶対にそうだ。政府とタリバンの直接交渉が、可能な限り早く必要だ。それによって、包括的な和平協定が可能になる。」(了)


2019.03.21 日暮れて途遠し―ダライ・ラマ亡命60年の今
――八ヶ岳山麓から(278)――

阿部治平 (もと高校教師)

毎年3月になると、中国では全国人民代表大会(全人代)と全国人民政治協商会議が開かれるから、北京は厳戒状態になる。ところが、私が住んでいた中国西北の青海省も、3月には警察と武装警察と軍隊が町や村に進駐してきた。
いまから60年前の1959年3月17日、チベット仏教の最高位にしてチベット国王だった十四世ダライ・ラマが、中国共産党工作委員会と中国軍のやり方に耐え切れずインドに亡命したからである。さらに北京オリンピックを控えた2008年3月10日には、民族独立とダライ・ラマのラサ帰還を求めるチベット人僧俗1万余による大規模な「暴動」が起きた。
こういうことがあるからチベット人地域は毎年3月には厳戒状態になるのである。

とりわけ今年は、チベット反乱60周年だから、新聞の全人代の記事にはいずれもチベット問題が登場した。3月6日海外メディアに公開されたチベット分科会は、自治区の代表約20人が出席し、政府活動報告を審議した。そこで目立ったのは、チベット自治区の経済成長が急速であったとの報告と、民族問題とりわけダライ・ラマ批判である。

昨年の自治区域内総生産は、前年比9・1%増と全国平均6・6%を大きく上回り「全国の先頭を走った」と報告された(東京新聞2019・3・11)。似た報道はすでにこの1月人民日報にあった。いわく、全自治区で15万人の貧困人口および19の貧困県が全て貧困から脱却した。2018年、自治区農民の一人当たり可処分所得の増加率は13%。25の貧困県が貧困状態から脱却し、全自治区での貧困発生率は8%以下まで低下した(人民日報ネット2019・1・11)。
同分科会では、チベット族男性の果果(グオグオ)代表が「ラサの安定を守ってくれたのは共産党だった」と評価し、チベット族女性の次仁措旦(ツレンツォダン)代表も「(自治区)党委員会は庶民の生活を改善してくれた。すばらしい報告だ」と述べたという(毎日ネット2019・3・6)。
もしチベット人の生活が大いに豊かになったのならば、漢民族に少数民族を融合させ「中華民族の大家庭」の一員にするという、歴代中共政権の目標に一歩近づいたといえるかもしれない。生活向上は、チベット人の中共支配に対する嫌悪感をやわらげる効果があるからである。
だが、国有企業であれ私企業であれ、2000年からの「西部大開発」を主導したのはおもに漢人である。その事業で豊かになったのは漢人事業家と官僚である。一般農牧民に多少のおこぼれはなかったわけではないが、貧富ごちゃまぜの統計ではチベット人地域の貧困状態は表わせない。
習近平政権が次期貧困対策地域として、青海のチベット人地域を挙げているのは、まさに高度経済成長から取残された地域がチベット人地域であったことを物語っている。私はチベット人の貧困の象徴は肺結核だと思う。もしこれら地域で医療制度が改善され栄養状態が向上し患者数が減ったのならば、たしかに農牧民の生活が向上したと喜びたい。
さらに少数民族の若者にとっては就職差別の問題がある。彼らの母語はチベット語だから、そもそも漢語(中国語)が下手であることが不利になるうえに、漢人企業はチベット人を雇いたがらない。チベット人に対する根強い差別、嫌悪感があるからだ。民族問題かなにかで悶着を起こされたら面倒だと思っている。

全人代報告では、新たに民族教育強化が明記され、融和路線からの転換が鮮明になったという。
ここに民族教育というのは、少数民族の歴史や文化について教育し学ぶことではない。むしろ学校教育で徹底的に漢語を学ばせ、漢民族の歴史を自民族の歴史として教育し、中華民族の一員であることを自覚させ、中共支配の正当性を教育することである。チベット人地域での民族教育強化は、漢民族への同化を早めることに他ならない。
このモデルはある。モンゴル人である。内モンゴルは漢人の移住によって、モンゴル人は10数%に減少したうえに、民族産業の牧畜が制限され、学校教育によってモンゴル語人口が急減し、チンギス汗以来の輝かしい歴史の記憶も薄れ、モンゴル文化はかろうじて観光資源として存在しているにすぎない。

習近平政権は2015年以降、「宗教の中国化」を掲げ、チベット仏教をはじめイスラム教・キリスト教など宗教に対する統制を強めている。チベット人地域では、寺院の活仏の存在や管理委員会などすべて政府の承認を必要とし、寺院の中に監視カメラが置かれ、寺僧の行動は逐一監視される仕組みになっている。
だが、党・政府による宗教支配を徹底しようとすれば、どうしてもチベット仏教のなかからダライ・ラマの存在と影響力をとり除かなければならない。自治区党書記呉英傑は「ダライは逃亡以降、チベットのために何ひとつよいことをしたことがない」と発言したという。呉英傑は漢人である。漢人高官ならば本心からそういうだろう。ダライ・ラマの存在自体が中共にとって悪だからだ。

そうはいっても、ダライ・ラマ崇拝は想像以上に強固である。チベット分科会の記者会見では、海外メディアの記者が「チベット族がダライ・ラマを熱愛するのはなぜか」と質問した。この質問の背景には彼の活動によって、欧米では仏教といえばダライ・ラマというほどになったという事情がある。
代表らは「私の知る限り、熱愛している人はいない」と否定したそうだ。ところが、チベット人高官やチベット人代表がダライ・ラマを非難しても、チベット人の多くはまともに受け取らない。「あれは言わされているだけのこと、本心とは違う」
本心からダライ・ラマを否定するチベット人がいるとしたらチベット民族ではないという。なぜなら、ダライ・ラマはチベット仏教の至聖の地位にあると同時に、身は海外にあってもチベット民族を代表していると考えるからである。
チベットの一般農牧民のなかにはダライ・ラマを「いきほとけ」「菩薩」といった存在だと信じている人がいるかもしれない。だが大学や寺院でダライ・ラマやパンチェン・ラマなど転生活仏の存在について質問すると、現人神ではなく最高級の修行者として崇拝しているという答えが返ってきた。
中国にいたとき、日本の天皇崇拝について、チベット人のダライ・ラマ崇拝と比べてどうかを聞かれることがたびたびあった。第二次大戦以前の天皇は行政的に神格性が付与され、民衆にとって「恐れ」が付きまとったが、今日天皇に対する尊敬の念はごく自然で、ダライ・ラマ崇拝に似ていると答えるとおおかたは納得した。

チベット人地域と同じ深刻な問題が新疆にもある。
新疆ウイグル自治区代表団の会議もメディアに公開された。多数のウイグル族が「再教育施設」に不当に収容されているとして国際社会の批判が高まるなか、自治区幹部は政策を正当化する言葉を繰り返した。自治区ナンバー2のショハラト・ザキル自治区主席は、会議後の記者会見で英メディアに「新疆の再教育施設には一体何人収容されているのか」と問われ、「新疆には『再教育施設』といったような施設はない。捏造(ねつぞう)された間違った考え方だ」と答えた(朝日デジタル 2019・3・13)。

安倍首相は、この2月ベネズエラの混乱について「平和的解決を望む」と発言した。1ヶ月後日本共産党の志位委員長も、マドゥロ政権を人権と民主主義を踏みにじったと非難する声明を発表した。私が知る限り、ほかの政党は何も言っていない。
どうして日本には、遠いベネズエラについては発言する政治家があっても、隣国の人権状況について発言する政治家や政党がないのだろうか。


2019.03.20 キム・ヨナが歌う3456 
         韓国通信NO594
                   
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 キム・ヨナという名前を憶えていますか。金妍兒と漢字で表記すると、ますますわからなくなるかも知れない。一時期、浅田真央と女子フィギュアーのトップの座を争った韓国の選手。フィギュアースケートのフアンなら知らない人がいないくらい「チョー有名人」だ。<写真/キム・ヨナ選手>
韓国通信594写真
 浅田真央の可愛らしさ、優雅さ、懸命さに魅せられたファンは多いが、彼女はいつ転倒するのかとハラハラさせる選手だった。それに比べるとキム・ヨナは、いつも憎らしいほど落ち着いて堂々とした演技を見せてくれた。二人は良きライバル、そしてほぼ同時期に引退したが、キム・ヨナはリンクの外でも活躍を続けた。

 冬季オリンピック招致活動から始まり、2017年11月の国連総会の演説では世界平和を訴え、北朝鮮の五輪参加を呼びかけた。彼女の演説が実を結び、北朝鮮の平昌への参加が実現すると、劇的な南北首脳会談、米朝会談へと一気に進んだ。彼女は元スポーツ選手として見事に「南北親善大使」の役割を果たした。
 かつて米中の「雪解け」のはしりとなった「ピンポン外交」、1991年千葉幕張で開かれた卓球世界大会の「南北合同チーム」と「統一旗」が思いだされる。その陰に卓球の元選手、荻村伊智朗がいた。スポーツが政治を動かし、世界に希望を与えた。

 原発事故を隠し、金で「買った」と云われるオリンピック開催。オリンピック一色で国民を思考停止に追い込んで平和憲法を潰す改憲シナリオも見える。前のめりな原発の再稼働、地震、洪水、何が起きるかわからない。今、オリンピック会場づくりにブルドーザーがうなり、辺野古では基地づくりのブルドーザーがうなる。オリンピック精神とは相いれない汚らしい政治利用だ。

 キム・ヨナの話が横道にそれてしまった。
 先月、キム・ヨナが歌手デビューをして、3.1独立運動100年の記念ソングを発表した。奇妙なタイトル「3456」は、3.1独立運動(1919年)、4.19学生革命(1960年李承晩独裁政権追放)、5.18光州事件(1980年)、6.10民主化闘争(1987)からとった。どれも過去100年、韓国の民主化運動史上に輝やく民衆闘争である。
 歌詞は、「暗い闇の中でも走っている」に始まり、「星よりも明るい光だから たずねて行ける3456、みずから花咲く3456、真似のできない3456、永遠の歌3456」と続く。ポップ調で明るい歌声、男性歌手ハ・ヨヌとのデュエット。キム・ヨナは「これからの100年の希望になれば」と歌に込めた思いを語った。下のユーチュープから映像を見ることが出来る。歌詞に英語がついているので概略が理解できる。 https://www.youtube.com/watch?v=J6Krqse01zg
 
 沖縄県民の意思を「真摯に受け止めて」、埋め立てを強行する政府。安倍首相の公私混同と「ウソ」と「改ざん」の勢いは一向に衰えを見せない。朴槿恵元大統領は国政の私物化が露見して獄中にいる。日本社会のデタラメさからは、民主化闘争の歴史をさりげなく歌って見せたキム・ヨナの存在とその社会は信じがたい。
 去年は明治150年の年だった。日本は150年を振り返り、未来をどのように歌うのか。人気モデルのローラが辺野古埋め立て反対を呼びかけただけで、新聞記者の望月衣塑子記者がまともな質問をしただけで排除されようとする日本と韓国は大違いだ。
2019.03.14 IS(イスラム国)の外国人戦闘員が現地に残した
子供や妻の保護が深刻な課題に

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 イスラム過激派が最後の拠点としたシリアの町バグーズから解放されたばかりの、英国人の母親の国籍を英政府が剥奪したため、生まれたばかりの赤ちゃんが母親とともに帰国できず、死亡し、英国内で政府への非難の声が上がっている。
 9日のBBC電子版は次のように書き始めているー「ジャビド内相に対し、シャミーナ・ベグムの息子がシリアのキャンプで死んだことについて、非難の声が上がっている。ベグムは15歳のときに、ロンドンからシリアに行き、IS(イスラム国)に参加した。彼女は、バグーズで3人目の子を妊娠(1人目、2人目は死亡)、今回、まだ十代の彼女は英国に帰国しようとしたが、ジャビド内相は彼女の英国市民権をはく奪、帰国できなくなった。
 彼女の家族の友人は、英国は赤ちゃんを保護することができなかったと語り、野党労働党は赤ちゃんの死について「冷酷で、非人間的な決定の結果だった」と非難した。
 英政府スポークスマンは、子供の死は「悲劇だ」と述べ、さらに「政府はつねにシリアに行かないよう忠告し、なにがあれ、国民がテロリズムに引き込まれ、危険な紛争地域に行くのをふせぐため、努力を続ける」と述べた。
 BBCによると、ベグムは、2015年に二人の友人と英国からシリアに向かった。
 彼女は、IS最後の拠点となり、ごく最近全滅したバグーズで、オランダ人の戦闘員と結婚、夫とともに生活してきた。相次いで子供を産んだが、医療施設もない、劣悪な生活条件のために二人とも死亡した。先月、3番目の男子ジャラーを出産、赤ちゃんと共にバグーズから救出された。彼女は、BBCの記者に、英国で静かにジャラーを育てることだけが願いです、と語っていた。彼女は息子とともに帰国することを願っていたが、英国内務省は彼女の国籍を奪い、彼女は帰国できなくなった。ジャラーは母親が英国籍の間に生まれていたので、英国籍になるはずだった。
 英国の「影の内閣」内相のアボット氏は、政府の対応を次のように非難したー「この件は、国際法に違反して無国籍者を作ったためだ。英国人の女性が国籍をはく奪された結果、罪のない子供が死亡した。冷酷で、非人間的な行為だ」
赤ちゃんを抱くBeg(坂井)
IS最後の拠点バグーズから赤ちゃんと救出された英国人シャミーナ・ベグムさん。非戦闘員だった。救出後、赤ちゃんとすぐ帰国しようとしたが、英政府から国籍をはく奪され、帰国できず、抱いている赤ちゃんが死亡した。赤ちゃんは英国籍になるはずだった。(BBC電子版3月9日の報道から)

 国連によると、2014年から2018年の間に、ISに加わった外国人戦闘員は、110か国から4万人以上。信頼度が高い英国の調査研究機関ICSRによると、2018年7月までにISに参加した外国人は、80か国から41,490人、うち男性32,809人、女性7、461人、子供4,640人。
 BBCが報道している出身地域別の人数はー
 中東・北アフリカ18,852人
 東欧7、252人
 中央アジア5,965
 西欧5,904
 東アジア1,063人
 アメリカ大陸、オーストラリア、ニュージーランド753人
 南アジア447
 サブサハラ・アフリカ244人
 西欧諸国のうち最大はフランスの約1,900人、2位はドイツの約950人
 3位の英国からは約850人(うち女性145人、子供50人)

 また、現在、イラク、シリアの拘置所に、約50か国、800人の外国人がIS関係者として拘留・投獄され、700人以上の女性と1,500人以上の子供が行方のないまま収容されている。
イラクで終身刑の女性(坂井)
ISのメンバーとみなされたフランス人女性は、イラクの法廷で終身刑を宣告された。(BBC電子版2月20日が報道したAFP写真)

2019.03.06 文在寅大統領演説(全文)  (3.1独立運動100周年記念式)
       「韓国通信NO593」
             
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 3月1日にソウルで行われた3.1運動100周年記念式で行った文大統領演説の全文を翻訳した。ヴェトナムのハノイで開かれた米朝首脳会談が不調に終わった翌日、日韓関係が悪化するなか、大統領の演説は例年になく注目された。しかし、NHKを始め、民放各社の関心はもっぱら日本に対する発言だけに集まり、「日本を意識した抑制された内容」だったと、異口同音に短く報道しただけだった。
 文大統領の演説に注目して欲しい。3.1独立宣言と独立運動を振り返りながら半島の平和、アジアと世界平和に向けた強い意志とメッセージが伝わる内容である。
韓国通信593(1)

<3.1演説>
 尊敬する国民のみなさん、海外同胞のみなさん。
 100年前の今日、私たちはひとつでした。
 1919年3月1日正午、学生たちは独立宣言書を配りました。午後2時、民族代表者たちは泰和館で独立宣言式を行い、タプコル公園で5千人余りの人たちと宣言書を読み上げました。タバコを断ち、貯蓄をして、金銀、かんざし、指輪を差し出し、さらに頭髪を切って売り、国債報償運動※に加わった労働者と農民、婦女子、軍人、人力車夫、妓生、白丁、小作人、零細商人、学生、僧侶など市井の人たちが3.1独立運動の主役になりました。 ※1907年大邱で始まり全国に広がった大韓帝国の日本政府からの借款を国民の募金で返済する運動

 その日、私たちは王朝と植民地の民から共和国の国民に生まれ変わりました。独立と解放に向けて、民主共和国のための偉大な旅を開始しました。100年前の今日、3月1日には、南も北もありませんでした。ソウルと平壌、鎭南浦と安州、宣川、義州、元山までマンセー(万歳)の喚声が沸き起こり、全国至る所で野火のように燃え広がりました。
 3月1日から2カ月の間、南・北韓を分けることなく、全国220の市郡のうち211カ所でマンセーのデモが起きました。喚声は5月まで続きました。
 当時の韓半島全体の人口の10%に相当する202万余の人たちがマンセーデモに参加しました。7,500余名の朝鮮人が殺害され、16,000余名が負傷を負いました。逮捕・拘禁された人は46,000余名にのぼりました。
 最大の惨劇が平安南道の孟山で起りました。3月10日、逮捕・拘禁された教師の釈放を求めた住民54名を、日本の憲兵が憲兵分遣所の中で虐殺したのです。京畿道華城の堤岩里でも教会に住民たちを閉じ込めて火を放ち、子供を含む29名を虐殺する蛮行が続きました。しかし、それとは対照的に朝鮮人の抵抗で死んだ日本人の民間人は、一人もいませんでした。
 北間島の瀧井と沿海州のウラジオストックで、またハワイとフィラデルフィアでも私たちは一つでした。民族の一員として誰もがデモを組織して参加しました。私たちはともに独立を熱望し、国民主権を夢見たのです。3.1独立運動の喚声を心に留めた人々は、自分と同じ普通の人たちが独立運動の主体であり、国の主人だと認識し始めました。それが、さらに多くの人たちの参加を呼び起こし、毎日のようにマンセーを唱える力となったのです。
 その最初の成果が大韓民国臨時政府の設立です。大韓民国臨時政府は臨時政府憲章1条で、3.1独立運動の志しを込めて「民主共和制」を定めました。世界の歴史の上で憲法に民主共和国を明記した最初の事例です。

 尊敬する国民のみなさん。
 親日残滓の清算は余りにも長く放置してきた課題です。間違った過去からは未来に向かって進むことはできません。私たちが正しい歴史を打ち立てなければ、子孫たちは堂々と生きて行けません。民族の正気(正しい精神)の確立は国家の責任であり義務です。
 ここでは過去の傷を暴き立て、分裂を引き起こすことや、隣国との外交において紛争要因を作ろうということではありません。それは望ましいことではありません。
 親日残滓の清算、外交も、ともに未来志向的に成し遂げるべきです。
 「親日残滓の清算」について―「親日」※は反省すべきものであり、独立運動は敬意を払われるべきだという極めて単純な価値をしっかり打ち立てることです。※過去の植民地時代に培われた反民族的精神
 この単純な真実が正義あり、その正義を認めることが公正な国の始まりです。かつて日本の支配者たちは独立軍を「匪賊」、独立運動家たちを「思想犯」として排除、弾圧しました。「アカ」という言葉までが生まれました。思想犯と「アカ」、実は共産主義者にだけ適用されたのではありません。民族主義者からアナキストまで、全ての独立運動家にレッテルを貼る言葉でした。左右の敵対、思想に対する烙印は日本の支配者が民族を引き裂くために使った手段でした。それが解放独立後も親日清算を妨げる道具になりました。
 良民の虐殺とスパイねつ造、学生たちの民主化運動にも国民と切り離す烙印に使われました。解放後のわが国で元日本警察の出身者たちが、独立運動家を「アカ」に仕立て、拷問しました。多くの人たちが「アカ」にされ犠牲になりました。彼らの家族、遺家族はそのレッテルのせいで不幸な人生を送らなければなりませんでした。
 現在の韓国社会で、政治的反対勢力を誹謗し、攻撃する手段に「アカ」という言葉が使われていて、形を変えた「色彩論」が猛威をふるっています。私たちが一日も早く清算しなければならない代表的な親日残滓です。私たちの心に引かれた「38度線」は、私たちを引き離した理念の敵対を消す時に一緒に消え去るものです。お互いに対する嫌悪と憎悪を消し去るなら私たちの心の光復(解放)は完成されるでしょう。新しい100年はその時になって初めて、真正なものへと始まることでしょう。

 尊敬する国民のみなさん。
 過去100年、私たちは公正で正義溢れる国、人類すべての平和と自由を夢見る国を目指して歩んできました。植民地と戦争、貧困と独裁を克服し、奇跡的な経済成長を達成しました。
 4.19革命と釜馬民主抗争、5.18民主化運動、6.10民主抗争、そしてロウソクデモを通して普通の人たちが、それぞれの力とやりかたで、私たちの民主共和国を作ってきました。3.1独立運動の精神が危機を迎えることがあっても、克服して蘇ってきました。
 新たな100年は真の国民の国家を完成する100年です。過去の旧弊に引きずられることなく、新たな考えと心で団結する100年です。私たちは平和の韓半島という勇気ある挑戦を始めました。変化を恐れず新たな道に立っています。新たな100年は、この挑戦を成功に導く100年です。
 2017年7月、ベルリンで「韓半島平和構想」を発表した時、平和は余りにも遠く、手が届きそうに見えませんでした。しかし私たちはチャンスが訪れると、躊躇なく平和を掴みました。ついに平昌の寒さの中に平.和の春が訪れました。昨年、金正恩委員長と板門店で初めて会い、8千万同胞の心を集め、韓半島へ平和の時代が開いたことを全世界に明らかにしました。9月には平壌の綾羅島競技場で15万の平壌市民の前に立ちました。大韓民国の大統領として平壌市民に韓半島の完全なる非核化と平和、繁栄を約束しました。
 韓半島の空と大地、海から銃声が消えました。非武装地帯で13体の遺骸とともに和解の心も発掘しました。南北の鉄道と道路、民族の血脈が繋がっています。西海5島の漁場が広がり漁民たちの長年の夢が大きく膨らみました。
 虹のように思っていた構想が目の前で一つ一つ実現しています。これからは非武装地帯が国民のものになることでしょう。世界で最もよく保存されてきた非武装地帯の自然が私たちの祝福になることでしょう。私たちはそこに平和公園を作り、国際平和機構を誘致し、生態平和観光を行い、巡礼道を歩き、自然を保存しながら南北韓の国民の幸福のために共同使用が出来るのです。
 それは私たち国民の自由で安全な北韓への旅行につながる道となるはずです。離散家族とふるさとを失った人たちが単に再会するだけでなく、故郷を実際に訪れ、家族、知り合いが会えるようにするつもりです。韓半島の恒久的な平和は、多くの峠を越えて確実なものになるはずです。

 ヴェトナムのハノイで行われた第2回北・米首脳会談も長時間の会話を重ね、相互理解と信頼を高めたことだけでも意味ある前進でした。特に両首脳によって連絡事務所の設置にいたる論議が成立したことは、両国関係正常化のために重要な成果でした。トランプ大統領が見せた持続的対話の意思と楽観的な展望を高く評価します。さらに高い合意に向かう過程と考えます。さらに私たちの役割が一層重要になりました。
 韓国政府はアメリカ、北韓と緊密に連絡を取り、協力して、両国間の対話が完全に一致するよう努力するつもりです。私たちが抱いている韓半島平和の夢は、他人が作ったものではありません。私たち自ら、国民の力で作りだしたものです。 統一も遠くはありません。違いを認め、心を合わせて互恵的関係を作れば、それがまさに統一です。今から始まる新たな100年は過去とは質的に違う100年になることでしょう。
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 「新韓半島体制」は大胆に転換して統一に備えていきます。
 「新韓半島体制」は私たちが主導する100年の秩序です。国民とともに、南北がともに新たな平和協力の秩序を作ります。
 「新韓半島体制」は対立と葛藤を終わらせる新たな平和協力共同体です。
 私たちの一貫した意志と緊密な韓米共助、北・米対話の合意と国際社会の支持を背景に恒久的平和体制の構築を必ず成就させるつもりです。
 「新韓半島体制」は理念と勢力争いの時代を終わらせる新しい経済協力共同体です。韓半島で「平和経済」の時代を開いていきます。金剛山観光と開城工業団地の再開もアメリカと協議します。
 南北は昨年、軍事的敵対行為の終息を宣言し「軍事合同委員会」運営に合意しました。非核化が前進するなら南北間に「経済共同委員会」を構成し、南北双方が恩恵を受けられる経済的成果が挙げられるでしょう。南北関係の発展が北・米関係の正常化と北・日関係の正常化につながり、東北アジア地域の新たな平和安保の秩序に拡大していくでしょう。3.1独立運動の精神と国民統合を背景に「新韓半島体制」を作り上げていきます。国民みなさんのご協力をお願いします。

 韓半島の平和は南と北を越えて、東北アジアとアセアン、ユーラシアを包括する新しい経済成長の動力になることでしょう。100年前、すでに植民地になり、また植民地に転落する危機に瀕していたアジアの民族と国々が3.1運動を積極的に支持してくれました。
 当時、北京大学教授で新文化運動に取り組んでいた陳独秀は「朝鮮の独立運動は偉大で悲壮であると同時に明瞭で、民意を使っても武力を使わないことで世界革命史に新しい時代を切り開いた」と語りました。アジアは世界で最も早くから文明が繁栄した地域であり、多様な文明が共存しているところです。韓半島の平和でアジアの繁栄に寄与していきます。
 共生をはかるアジアの価値と手を結び、世界平和と繁栄の秩序をともに作っていきます。韓半島の縦断鉄道が完成すれば、昨年の光復節で提案した「東アジア鉄道共同体」の実現を早めることになります。それはエネルギー共同体へ発展し、アメリカを含む多者平和安保体制を堅固にすることになるでしょう。アセアン諸国家と「2019年 韓-アセアン特別首脳会議」と「第一次韓-メコン首脳会議」の開催を通して「人間中心の平和と繁栄の共同体」を一緒に作っていきます。

 韓半島の平和のために日本との協力も強化していきます。
 「己未獨立宣言書」(3.1独立宣言書)は3.1独立運動が排他的感情ではなく、全人類の共存共生のために東洋平和と世界平和へ進む道を明らかに宣言したものです。「果敢にこれまでの間違いを正し、真の理解と共感を背景に良好な関係の新しい世の中を築くことが、お互いに災難を避け、幸せになる近道」だと明らかにしました。今日でも有効な私たちの精神です。
 過去は変えることはできませんが、未来は変えることは出来ます。歴史を鑑として韓国と日本が堅固に手を取る時、平和の時代がそっと私たちの傍にやってくるでしょう。力を合わせて被害者たちの苦痛を実質的に治癒すれば韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるはずです。

 尊敬する国民のみなさん、外の同胞のみなさん。
  過去100年、私たちがともに大韓民国を育ててきたように、新しい100年、私たちはともに生き続けていかなければなりません。すべての国民が平等で公正に機会を持ち、差別されず、仕事に幸福を見つけるでしょう。
 共に素晴らしい人生を送るために、私たちは「革新的包容国家」という新たな挑戦を始めました。今日私たちが歩んでいる「革新的包容国家」への道は、100年前の今日3月1日に朝鮮人たちが夢に描いた国の姿でもあります。世界は今、両極化と経済的不平等、差別と排除、国家間の格差と気候変動という全地球的問題解決のために新しい道を模索しています。「革新的包容国家」実現に私たちは挑戦を続けます。
 私たちは変化を恐れず、むしろ積極的に変化を利用する国民です。私たちは最も平和的で文化的な方法で、世界の民主主義の歴史上美しい花を咲かせました。1997年アジア外愌危機、2008年グローバル金融危機を克服したのは国民の力によるものでした。私たちの新たな100年は、平和が包容の力となり、包容がともに生きる国を作りあげる100年になるはずです。
 包容国家への変化を私たちが先導し、私たちが作る包容国家が世界の包容国家のモデルとなり得ると確信します。3.1独立運動は、これからも私たちを未来へと推し進めていきます。

 私たちは本日、柳寛順烈士の功績審査を改めて行った結果、独立有功者の勲格を上げて建国勲章一等級「大韓民国章」を追加で授与することにしたのも、3.1独立運動が現在進行形だからです。柳寛順はソウル西大門刑務所に収監されても死を恐れず、3.1運動の一周年にマンセーを叫び続けました。しかし何よりも彼女の功績は、「柳寛順」という名前だけで、3.1運動を象徴する存在になったことで、亡くなってからも大変な貢献をしていることが認められました。
 100年の歴史は、私たちが直面する現実がどんなに困難であろうとも、希望を諦めなければ変化と革新を達成できることを証明しました。
 これからの100年は国民の成長がとりもなおさず国家の成長になることです。理念の対立を乗り越え統合を実現し、平和と繁栄を実現するなら、独立は真に完成することになるでしょう。
 有難うございました。

 安倍首相と文大統領は一歳違い。平和憲法を変えることに執念を燃やす、わが安倍首相と、民族の悲願である統一と平和の実現に情熱を注ぐ文大統領の違いは明らかだ。日韓両国のトップの姿から、二人を選んだ国民のレベルの違いも情けないほど明らかだろう。
 3日、我孫子駅前で「アベ政治は許さない」「放射能はキケン」のプラカードを掲げた。蹴とばされても非暴力、3.1精神を受け継ごうと思った。
2019.03.05 ある中国通の予言について思うこと
 ――八ヶ岳山麓から(277)――

阿部治平 (もと高校教師)

2008年リーマンショック(世界金融危機)があった。中国政府は4兆元(およそ65兆円)を投下して景気回復を図った。効果は十分にあった。
先進国の経済は一時中国頼りとなり、フランス・サルコジ大統領やドイツ・メルケル首相が中国詣をした。中国人学生はこれをとりあげて、「西欧の半植民地化と日本の侵略による屈辱の歴史はすでに終わった。中国は2020年代にはアメリカに追いつく」と誇りに満ちて語った。
彼らは尖閣諸島や南シナ海を「核心的利益」とし、その領有は失った領土の回復だと主張した。私は、「じゃあ、アイグン条約も北京条約も無効だ。レーニンはウラジオストクをロシア領だといったが、中国は沿海州も回復しなければなるまい?」といってみた。彼らはこれには考えが及ばなかったらしくとまどった様子を見せた。
「80後(1980年代生れ)」の学生の発言は、中国の指導者や経済学者の言説を繰返しただけのもので、にわか成金の傲慢さがあったけれども、日本人の私に向かい祖国をことさらに高く誇るその姿に、1989年天安門事件当時の学生とは全く違った国家観を持つ世代が存在することがわかった。

中国政府の「4兆元投資」は特効薬ではあったが、副作用もひどかった。数年先までの投資需要を消化してしまったから、中国のGDP成長率は2010年を頂点にして下降し始めた。日本では、この前後から中国経済論が書店にあふれるようになった。それはいまにも中国経済が崩壊するかのようにいうものから、冷静に停滞を予測するものまでさまざまであった。
私が知る限り、前者の代表的なものは、2013年刊の近藤大介著『日中「再」逆転』(講談社)である。これと対照的なのは、津上俊哉『中国台頭の終焉』(日本経済出版社2013)である。

以下おもに近藤氏の著作にそって私見を述べる。
2012年末安倍晋三氏は第二次安倍内閣発足にあたって、「三本の矢」として「異次元緩和」「機動的な財政政策」「成長戦略」を提起した。近藤氏は翌2013年の株価上昇に舞上がり、14年以後22年まで3%の経済成長を見込んだ戦略を称賛し、アベノミクスによって日本経済は「第三の成長期」に入るとした。氏は、これにひきかえ中国は、「2015年から16年までに雪だるま式に危機が膨らみ爆発するだろう」といい、「中国は『六十年に一度の巨大不況』に直面する」「習近平『超・軽量政権』で中国バブルは2014年、完全に崩壊する!!」と断定した。
一旦中国によって追い越された日本のGDPは、アベノミクスによって再び中国を凌駕すると「予言」したのである。
しかし、ご存知のように、『日中「再」逆転』は叶わなかった。政府は長期の景気回復をいうが、一般には「異次元緩和」による日本経済の景気回復はなかったというのが実感である。経済成長という言葉は魅力的ではあるが、当時も3%の成長は望むべくもなかった。日本経済に成長があったとどうしてもいいたければ、それは非正規労働つまり契約社員・パート・アルバイトの増加である。「アホノミクス」といった人がいたが、まさにその通りになった
中国のGDPは(統計上の確かさに大きな問題があるけれども)、一桁台の成長とはいえ、リーマンショック後の2010年から2018年までの間に2.15倍に達したが、日本のGDPは1.09倍になっただけだった。日中GDP 格差は拡大した。

そうはいっても、近藤氏のこの著作は多くの読者を得て、刊行後2ヶ月で3刷になった。なぜだろうか?私はひとつの理由は、中国政治経済の動向、とりわけ要人の発言や行動をこまかく追跡し、庶民の生活に触れる文言を配置して臨場感ある記録になっているからだと思う。
だが、それよりも重要なわけがある。この本は日本人の沈みがちな気分をくすぐったのである。
日本は、20年もの長期にわたる経済の停滞が続いた。この間に「後進中国」は「先進日本」を追い越し、先進的な技術力、巨大な軍事力を擁する強大な国家に脱皮した。朝鮮半島の和平に対して決定的な影響力を持ち、南シナ海制圧に際してもアメリカの干渉をよせつけないまでになった。
これに対して我々は焦燥感をもっている。とりわけ尖閣諸島への軍事圧力が加えられていることに対しては、多かれ少なかれ不安と反感がある。そこに、アベノミクスをほめそやし、中国の没落を断言した『日中「再」逆転』という思いがけない予言があった。薄っぺらなナショナリズムは自国・自民族を礼賛し、ライバルとする国や民族の問題点を列挙する言説に快感を覚えるものである。とりわけバブル崩壊後の成功体験の乏しい若い世代は、中国に対する不安と悔しさを近藤氏の本で癒されたであろう。

近藤氏はこれに引きつづき2016年に『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』(講談社現代新書 2016)を刊行した。2012年から16年までのドキュメントである。方法は『日中(再)逆転』と同じである。さすがにアベノミクス礼賛は影を潜めているが、それに代わるのはオバマ米大統領に対する不快感である。オバマ批判には本書全7章のうち2章分を費やしている。
しかし、『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』が描き出した時期、中国は南シナ海を軍事力で制圧し、「一帯一路」構想を提起し、AIIB(亜洲基礎設施投資銀行)を設立し、中国が主導権をにぎる東アジア共同体形成を目指して大きな一歩を踏み出した。
安倍政権は中国の経済的軍事的進出に対抗して、インドまでをふくめた西太平洋インド洋における中国包囲網を構築しようと苦闘したが、関係諸国の同意を得られず挫折した。TPP構想からは肝心のトランプ・アメリカが抜けてしまった。朝鮮半島の和平交渉には影響力を発揮するどころか手も足も出ない。拉致問題ですらアメリカ頼みだ。
このところ「環球時報」など中国のメディアは、薄ら笑いを浮かべながら日本を見ている。
たとえば貿易問題では、日本がいくら対米従属を維持しても、トランプが中国の次に高関税をかける対象が日本ではないという保証はない、日本はいずれ重点を中国に移さざるを得ないだろう、TPPもいずれ中国にとってプラスになりそうだというのである。

今日、中国の経済成長率は、トランプ米大統領が仕掛けた貿易戦争によってさらに低下した。中国は、はじめは目には目を、高関税には高関税をという対抗手段をとって断固戦うかまえだったが、2018年秋からは戦争の構えを和らげ、対米交渉に移行した。2018年に台湾海峡をアメリカの軍艦が数回通過したおりも、金切り声で糾弾することはなかった。
2018年後半以降、PMI(購買担当者景気指数)や、工業生産、小売売上、固定資産投資の伸び率(前年比)など、主要な経済指標の低下傾向が鮮明になってきた。これを反映して、2018年の年間の経済成長率は6.6%と、1990年(3.9%)以来の低水準となった(関志雄https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/index.html)。

にもかかわらず、中国の国際的影響力は依然として大きなものだし、これからも大きくなっていくだろう。貿易一つとっても、中国にとっては日本はおおぜいの中の一人だが、日本経済にとっては中国市場を無視しては存在できないという現実がある。これにひきかえ日本は、世界第二第三の経済力を持ちながら、それにふさわしい政治的力量を持てなかったし、周辺国家からの尊敬も受けてこなかった。
それどころではない。これから中国を先頭に韓国・北朝鮮は反日ナショナリズムによって束になってかかってくる恐れがある。わが日本がこれら3国とは植民地化と侵略戦争の過去を十分に清算していないからである。

保守政治はこれからも続くだろう。近藤氏も含めた右派ジャーナリストには、巨大化し帝国化する中国をはじめとする隣国と、日本はどのような外交的立場をとってつきあうべきか、自立すべきか、敗戦以来対米従属70数年のままのスタンスでよいのか、それを論じてもらいたい。中国をこき下ろし、習近平の専制政治を非難することで、日本人の脆弱なナショナリズムを煽るだけでは、何の役にも立たないと思うから。



2019.03.02  3.1独立運動100周年にちなんで
          韓国通信NO592

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

<柳宗悦 (やなぎ・むねよし)の理想>
 柳宗悦は、芸術をとおして朝鮮民族の精神的の豊かさに触れて心からの敬意を表した。武力による日本統治を批判し、3.1独立運動に共感したばかりか、「剣を取るものは剣で滅びる」と述べて、侵略主義国家の末路「8.15」を予見した。柳は「日本と朝鮮が正義と情愛で結ばれ、その友愛が支那や印度との間にも結ばれる」ことを夢見、東洋平和の実現を日本と朝鮮の若者に託した(『朝鮮の友に贈る書』1920)。
 「人間相互の関係を支配する崇高 な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義 に信頼」し、「 平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」を宣言した日本国憲法と柳宗悦の主張は通底する。

 その日本国憲法が今、戦争を知らない「大人たち」の手によって揺らいでいる。
 韓国憲法の前文に3.1運動の記述を思い出した。
 「悠久なる歴史と伝統に光り輝くわが大韓民国は、3・1運動で創建された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗った4・19民主理念を継承」で始まる憲法は、3.1運動を建国の精神と位置付けている。「併合」の当事者である日本人としてはこれを厳粛に受け止めたい。100年たった今日、日韓関係が「ぎくしゃく」している理由は、柳宗悦の指摘を俟つまでもなく、日韓併合に対する日本人の「まなざし」が、旧態依然としていることにある。
 韓龍雲を紹介したい。これまで紹介してきた四人の詩人のなかで、彼ほど3.1独立運動に直接かかわった人物はいない。ソウル市教育庁のホームページにはこうある。

 韓龍雲(ハニョンウン) (1879~1944)
韓龍雲 萬海(号)韓龍雲は独立運動家であり、僧侶にして、また詩人として3.1運動を積極的に主導した33人の代表者の一人だった。幼少時、書堂で漢学を学び東学農民運動に加わったが、失意のうちに雪嶽山五大窟(寺)に入り、寺の仕事を手伝い出家をして僧侶になった。
 1919年3.1運動の首謀者として投獄され、3年間、獄中生活をした。出獄後、物産奨励運動(消費者運動の先駆)を支援、民立大学建設運動、新幹会(抗日団体)の活動などに参画、生涯、独立運動家、文学者として生き、韓国のタゴールとも称される。主要作品 「ニムの沈黙」「黒風」他
<補足説明>
 東学農民戦争は全琫凖(チョンボンジュン)の処刑(1895)によって終止符を打ったと言われている。しかし東学(後の天道教)の精神は3.1運動を始めとする抗日運動など、今日に至るまで脈々と韓国の民衆運動に受け継がれてきた。韓龍雲は仏教指導者として3.1運動に関わったが、もともとは東学の活動が彼の原点だった。東学農民戦争は3.1運動、抗日運動の源泉となった。
 独立宣言文の署名者33人のうち、キリスト教指導者は16人。東学関係者は天道教三代教主である孫秉凞(ソン・ビョンヒ)を始め15人が名を連ねている。万民平等、国の独立と相互扶助を掲げた東学精神は独立運動の中で花開いたと云える。

 無用のことば 韓龍雲(詩集『ニムの沈黙』の序文) 大村益夫訳
 「ニム」※のみが、ニムではなく、命と思うものすべてがニムである。衆生が釈迦のニムならば、哲学はカントのニムである。バラの花のニムが春雨ならば、マッチーニのニムはイタリアである。ニムはわたしが愛するだけでなく、わたしを愛するのだ。恋愛が自由ならば、ニムも自由であろう。しかしおまえたちは名よき自由にこまごました拘束を受けるではないか。おまえにもニムがあるか。あるとすればニムではなく、おまえの影なのだ。
 わたしは日の沈む野に帰る道を失ってさまよう幼い羊がいとしくてこの詩をしるす
※ 「ニム」は愛するものすべてという意味で使われる

ニムの沈黙 韓龍雲  大村益夫訳
ニムは去りました。ああ 愛するわたしのニムは去りました。

緑の山の光を乱し、モミジの茂みに向かってのびる小道を歩き 耐え 振り切って去りました。
黄金の花のように堅く輝かしかった昔の誓いは冷たい塵となってためいきの微風に飛んでいきました。

はじめての鋭い「キス」の思い出は わたしの運命の指針をもどし 後ずさりして消えました。
わたしはかぐわしいニムの声に耳ふさがり、花のようなニムの顔に目がくらみました。

愛も人の世の事、会う時にすでに別れを憂い、気づかわないではないけれど、離別は思いもかけず訪れて、驚く胸は新たな悲しみにはじけます。
けれど、離別をせんのない涙の源にしてしまうのは、おのずから愛をうちこわすことと知っている故、こらえられない悲しみの力を あらたな希望の脳髄に注ぎいれました。

わたしたちは会う時に別れを 憂うように、別れる時にまた会えることを信じます。

ああニムは去ったけれども、わたしはニムを送りませんでした。
みずからの調べに打ち勝てない愛の歌は ニムの沈黙を包んでめぐります。

 一見、恋人を歌った詩に見える。しかし、僧侶で独立運動家の彼にとって「ニム」は奪われた祖国だ。抒情的な言葉の中に失われた祖国に対する思いが込められている。
2019.03.01 トランプ米大統領が北朝鮮制裁の解除を拒否
        ハノイの米朝首脳会談が決裂

伊藤力司 (ジャーナリスト)


2月27、28日の両日、ベトナムの首都ハノイで開かれたトランプ米大統領と金正恩・北朝鮮労働党委員長との米朝首脳会談は28日に事実上決裂、北朝鮮に対する国際的な制裁の解除は実現しないことになった。北朝鮮にとっては期待外れの結果である。

この結果、アメリカを先頭とする欧米とアジアの自由主義陣営は、北朝鮮の完全非核化を目指して北朝鮮に対する厳しい制裁を続ける。北朝鮮に対する制裁は国連安保理で決議されており、比較的北朝鮮に甘い中ロ両国もこれに従わざるを得ない。

北朝鮮は、先代の金正日・労働党総書記が今世紀初頭から核兵器とミサイルの開発に取り組み、今では北朝鮮からアメリカ本土に届く核弾頭付きICBM(大陸間弾道ミサイル)を持つに至った。これはアメリカにとっては重大な脅威である。

今世紀初頭以来、アメリカはブッシュ政権(2001年~08年)とオバマ政権(2009~2016)の8年間、どちらかと言えば北朝鮮に対して無為を続けた。この間に北朝鮮は核実験とミサイル実験を重ね、アメリカ本土に届く核ミサイルを完成させたにもかかわらず。

2017年1月末ホワイトハウス入りしたドナルド・トランプ大統領は、内政での不評を相殺する必要もあってだろう、外交で点数を稼ごうとしている。だから安倍首相や習近平主席、あるいはプーチン首相との「親しい関係」をPRしているわけだ。

そうしたトランプ外交にとって、北朝鮮の核問題は恰好の材料である。昨年6月シンガポールで開かれた米朝初首脳会談で、金正恩委員長に対して北朝鮮の核開発に制動をかけたトランプ大統領は、自由世界のリーダー然として面目を施した。

しかし「朝鮮民主主義人民共和国」を名乗る、実質“金王朝”3代目の金正恩氏も30台の若さにしては、なかなかの役者である。「老獪」を絵にしたようなトランプ大統領と渡り合い、北朝鮮として最低限の生き残りを事実上、認めさせたのである。

世界は国連安保理決議に基づいて、北朝鮮に対する国際的な制裁を課している。その制裁を回避しようと、金正恩委員長はトランプ大統領とのハノイ会談に賭けたのだが、賭けは外れた。トランプ大統領としては、金正恩氏と話し合った結果「彼をこれ以上甘やかすわけにはいかない」という判断に至ったのであろう。

金正恩氏はこれからどうするか。祖父金日成、父金正日が築き上げた朝鮮民主主義人民共和国を維持する宿命を担う以外にない。彼は今回、その道が非常に険しいことをハノイで自覚したことであろう。

2019.02.27   朝鮮半島、アジア、全世界の平和と安定を
          世界平和アピール七人委が訴え

伊藤力司 (ジャーナリスト)

  世界平和アピール七人委員会は2月26日、第2回米朝首脳会談が27、28日にハノイで開かれるのを前に、朝鮮半島、アジア、全世界の平和と安定を求めるアピールを発表した。
 世界平和アピール七人委員会は1955年、ノーベル賞物理学者湯川秀樹ら七人により、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は武力で解決してはならないを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和の実現などについて内外に向けてアピールを発表してきた。今回のアピールは132回目。
 現在の委員は武者小路公秀(国際政治学者)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学者・慶応大学名誉教授)、池内了(宇宙物理学者・総合研究大学院名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家)、髙村薫(作家)、島薗進(宗教学・上智大学教授)。
以下はアピールの全文。

朝鮮半島・アジア・全世界の平和と安定を求め、
第2回米朝会談に期待する

世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫 島薗進

 米国のトランプ大統領と、朝鮮民主主義人民共和国の金正恩委員長の第2回会談が2月27、28両日に開かれる。私たち世界平和アピール七人委員会は、第1回米朝会談に対しても期待を表明した。改めていま米朝両国が、朝鮮半島の非核化・安定化、日本を含むアジア、さらに全世界の平和と安定に向けて、着実な歩みを進めていくことを期待する。

 会談の成功のためには、双方が支障になる行動を慎まなければならない。私たちの懸念は、2月2日の米国のINF(中距離核戦力)全廃条約離脱通告と、それに対するロシアの義務履行停止である。私たちは、1988年6月の発効以来、世界の緊張緩和と冷戦終結の実現に貢献したこの条約が、中距離及び準中距離核ミサイルと重なる役割を持つ「潜水艦発射弾道ミサイルまたは巡航ミサイルを装備した潜水艦」の規制を含む核軍縮につながることを期待してきた。 米国は新たなミサイルの研究・開発に着手すると明言し、ロシアのプーチン大統領も対抗手段の研究・開発を進めることを承認したが、これは世界最大の核兵器国である両国が、「誠実に核軍縮交渉を行う義務」を負っている核兵器不拡散条約にも違反するものであり、他国の軍拡を誘発する危険性が大きい。私たちは両国の再考を求める。

 再考が米朝関係の改善に貢献することは間違いない。一方、米朝会談の成功は世界の緊張緩和にプラスになる。私たち世界平和アピール七人委員会は、米国と北朝鮮が、朝鮮半島の非核化に向かう更なる一歩を進め、他の核兵器国とともに核兵器のない世界にむけて行動を起こすよう改めて要望する。
連絡先:http://worldpeace7.jp
2019.02.26  李陸史囚人番号264
          韓国通信NO591

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 近代以降の朝鮮は日韓併合と解放後の軍事政権が民衆に重くのしかかり、怒り、苦しみ、悲哀を表現する民衆詩人を多数輩出した。音楽、絵画の世界でも同じことが言える。
 3.1運動と関係の深い詩人のなかからソウル市が教育庁のホームページで4人の詩人を紹介した。今回は三人目の詩人として李陸史を取り上げる。まずホーム・ページの紹介文から。

李陸史(イユクサ) (1904~1944)
李陸史囚人番号264
 李陸史は日本植民地時代に民族の悲運をテーマに強烈な抵抗の意思を詩で表現した詩人である。本名は李源緑だが、本名より、「李陸史」として広く知られる。この名は大邱刑務所に投獄された時の囚人番号264に因んだものだ。(264は韓国読みでは、「イーユクサー」、その発音から漢字の李陸史となる)
 彼は1925年に義烈団に加盟するなど、いくつかの独立運動組織で活動し、詩による強烈な抵抗の意思を表現した。<主要作品> 『絶頂』『曠野』『青葡萄』など

<筆者による補足説明>
 朝鮮の有名な儒家 李退渓(韓国紙幣1000₩肖像)の子孫。幼少時に祖父から漢学を学んだ。1926年、北京の朝鮮軍官学校、1930年北京大学に学ぶ。抗日運動家としての活躍は目覚ましく、1925年に兄、弟とともに大邱で義烈団※1に加入。1927年に朝鮮銀行※2大邱支店爆破事件に加わり大邱刑務所に投獄された。1929年光州学生運動※3、1930年大邱「檄文事件」などにかかわり、生涯17回の刑務所生活を経験。1943年秋、ソウル滞在中に逮捕され、北京に押送され1944年獄死。
※1 義烈団
 3.1独立運動後に結成された抗日武装組織。各地の警察署襲撃、朝鮮総督府、朝鮮銀行等の爆破事件などを起こした。共産主義革命を目指した。団員数は一時2千名を超したが、他団体と合流し、1935年解散。
※2 朝鮮銀行
 日韓併合後、日本の第一銀行を母体に作られた植民地中央銀行、朝鮮銀行券を発行。大陸経済侵攻を経済面で支えた。(支店数/朝鮮15、関東州2、日本7、中国25、ニューヨーク1、職員2,424人(1941/12末現在) 敗戦後は韓国の中央銀行である韓国銀行へ。日本では残余財産をもとに日本不動産銀行⇒日債銀⇒あおぞら銀行へ)
※3 光州学生事件
 1929年。3.1事件から10年後に、全羅南道光州(1980.5.18の光州事件が起きた町)で起きた一般市民を巻き込んだ学生運動。通学途中に起きた日本人学生との喧嘩が原因で、差別扱いをされた朝鮮人学生が当局に抗議。抗日運動に発展し多数の学生が逮捕され、全国各地に抗議行動が広がり、4万にもの学生たちが参加したといわれる。韓国ではこの事件を記念して現在でも11月3日を「学生独立運動記念日」としている。

青葡萄    李陸史 安宇植 訳

わがふるさとの七月は
たわわの房の葡萄の季節

ふるさとの伝説は一粒一粒に実を結び
つぶらな実に遠い空の夢を宿す

空の下の青海原は胸を開き
白い帆船が滑るように訪れると

待ち詫びる人は船旅にやつれ
青袍(あおごろも)をまとって訪れるという

待ち人を迎えて葡萄を摘めば
両の手のしとどに濡れるも厭わず

童(わらべ)よ われらが食卓に銀の皿
白い苧(からむし)のナプキンの支度を

 李陸史の凄まじい人生からは想像ができない甘美ささえ感じさせる詩である。この詩のどこに燃えるような怒りと祖国に対する愛が込められているのか。「待ちわびる人」を「祖国独立」と読み替えるなら詩の内容は一変する。

 韓国の国会議長の発言が物議を醸している。従軍慰安婦のハルモニに「安倍首相または天皇が謝罪すれば問題は解決する」という発言。
 文喜相議長が「象徴天皇」を理解していないのが問題だった。浅慮、軽率だが、説明して誤解を解けば済むことだ。「断固抗議」「謝罪を求める」とは、首相も官房長官も外務大臣もおとなげない。安倍首相が慰安婦のハルモニに謝罪して解決できるならそれに越したことはない。天皇を「タテ」にして逃げまわる安倍首相の姿は見苦しいばかりだ。
 伊藤忠商事の社員が「1年間も中国の刑務所に服役していることが判明」のニュースに驚いた。何故、逮捕されたのか、どうして今頃になって判明したのか全くわからない。巷ではすでに中国は恐ろしい国という話が囁かれはじめている。
 政府が北朝鮮に続き、韓国、中国の「脅威」を煽って「改憲」を有利に進めようとするシナリオを描いているとしたら、これほど国民を馬鹿にした話はない。