2017.06.28  動き出した新政権の挑戦 脱原発宣言
          韓国通信 N0527

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

6月19日、釜山市機張郡(キチャン)の古里原発1号機の廃炉式に出席した文在寅大統領が、原発に依存したこれまでのエネルギー政策を転換し、「脱原発」を宣言した。日本政府と「原発ムラ」の人たちには衝撃的、原発に不安を募らせる人には目が覚めるようなビッグニュースだ。
 「韓国に越された」「原発の再稼働なんて信じられない」と友人たちは口を揃えた。
原発事故の原因究明も責任追及もせず、次々と原発を再稼動させる日本政府のいいかげんさが改めて浮き彫りになった。韓国の新政権はセウォル号沈没事故の真相究明と責任を徹底追及すると言明している。この違いは決定的だ。日本がやるべきことは「事故の処理」「脱原発」だ。それができないなら「オリンピックは返上」という声まであがる。
台湾も韓国も福島の原発事故を教訓にした。日本は「認知症国家」といわれても仕方ない。

<子孫のために>
 「脱原発は逆らうことのできない時代の流れ。数万年この地で生きていく私たちの子孫のために、今始めなければならない」と語った大統領の言葉を「人気取り」と批判するむきもあるが、冷静さを装った負け惜しみに聞こえる。原発推進勢力にとって衝撃的なことに変わりはない。
 早速、韓国の保守系新聞「朝鮮日報」が原発推進の立場から反論した。日本は「エネルギーの自給率が低下したため、6日に高浜原発を再稼働させた」と指摘、代替エネルギーへの懸念を表明した。原発がなくても「電気は足りている」という日本の現実を無視した原発擁護の理屈である。「原発はコストが安い」「原発は環境にやさしい」などと、わが国ではすでに破たんした理屈だ。原発事故を起こしてもなお原発に固執し続ける日本を「見習え」といわんばかりである。

<経済優先からの脱却>
「脱原発宣言」は経済優先からの転換をはかろうとする新政権のスタートにふさわしい選択である。「脱原発宣言」からは、非正規雇用の増大(所得格差)、少子高齢化、福祉の後退、人権軽視、環境破壊の解消を目指す政権の強いメッセージが伝わってくる。

<従来の日米韓の枠組みを超える>
「脱原発」だけではない。新政権が韓半島の平和に積極的に動き出しているのが注目される。前政権の軌道修正に慎重姿勢を見せながら、対決より外交・話し合いを優先させようとしている。
北朝鮮に対する「憎悪」がこれまでの日米韓政府に共通する東アジア戦略の核心とするなら、韓国の変化によって日米は戦略の見直しを余儀なくされる。特に北朝鮮を政権維持のために「利用」してきた安倍政権にとって痛手になる。ミサイル発射のたびに支持率が上がる安倍政権は異常ではないか。朝日新聞は社説(6/13)で、韓国政府に対して「外交の基軸は、自由と民主主義の価値を共有する米国と日本との連携におく姿勢を忘れずにいてもらいたい」と注文をつけた。韓半島の安定を望みつつ従来の枠組みの踏襲を求めた。
日韓両国がアメリカへの従属から解き放たれてこそ、朝鮮半島と東アジアの平和が近づくという視点が見られない。日米韓の連携を気安く言うべきではない。トランプと安倍に付き合ってはいられないという韓国の人たちに思いをはせた。
2017.06.26  今年も「六四天安門事件」記念日がやってきた
          ――八ヶ岳山麓から(225)――

阿部治平 (もと高校教師)

このほど産経新聞は、1989年6月4日の中国天安門事件の記念日社説で、かの国の学生市民運動が苛烈な弾圧を受けた歴史をふりかえりつつ、彼らが要求した「民主」がいまだ実現せず、むしろ状況は悪化しているとして、つぎのような文言を掲げた。
「習近平政権は『反腐敗』を掲げた党幹部の粛清と並行し、『反テロ法』『国家安全法』『反スパイ法』などの治安法令を相次いで制定してきた。(6月)1日に施行されたサイバーセキュリティー法は、『国家政権の転覆や社会主義制度の打倒』につながる情報の排除などを企図している。
すでに国内では、天安門事件に関するデータ検索すら規制されている。新法の広義の解釈により、規制や摘発の対象は中国国民のみならず、外国籍企業やビジネスマンに及ぶ恐れもある(2017・06・04)」

たしかに中国における言論と情報に対する統制はすさまじい。たとえば2015年7月から2カ月の間に「政権転覆を謀り扇動した」という理由で、北京鋒鋭律師事務所の王宇女史ら民主・人権派の弁護士を中心に300人が逮捕拘束されるといったありさまだ。
しかし日本でも、昨年特定秘密保護法が制定され、いま共謀罪が反テロの口実で成立した。国連機関がこれに敏感に反応し、共謀罪法案については5月18日国連のケナタッチ特別報告者が、「表現の自由を不当に制約する恐れがある」と懸念を示した。
同30日にはデービッド・ケイ特別報告者が、特定秘密保護法について「ジャーナリストを萎縮させないよう法改正すべきだ」などと勧告する報告書を発表した。これらに対して政府はすぐさま「不正確な内容」と、これを一蹴した。だが、皮肉なことに国連機関の日本への勧告は、安倍政権機関紙とも思える産経新聞の上記中国批判の社説と同じ趣旨である。
「共謀罪」法の条文を読んだとき、私は「あれ、前にも同じようなことがあった」と、いわゆる既視感にとらわれた。しばらくして中国での生活体験に思いあたった。それで私なりの体験をここに書こうと思う。

1989年の学生市民による民主化運動を中国では「六四学運(学生運動の略)」といい、日本では「天安門事件」という。6月4日北京の天安門広場とメインストリートの長安街で、人民解放軍による学生市民の大量虐殺があった。私はこれを思い出して、「六四(リュゥスゥ)」という響きを聞くといつも悲しくなる。
1986年に学生の民主化運動があり、これを支持して失脚した胡耀邦が89年に亡くなると、学生の間に胡耀邦は高級官僚の汚職腐敗を会議で糾弾しているうちに憤死した、といううわさが広がった。
北京でデモが起きた。天津の大学生はみな北京のデモに参加した。あのとき私は天津で中学高校生に日本語を教えていた。当時、激しいインフレで、毎週のようにモノの値段が上がっていた。学生の「汚職官僚打倒」を支持する町の人のなかには、物価騰貴の原因を官僚の汚職にあると思い込んでいる人もいた。
そのうち天津の中高生もデモをやるという。教師たちは校長のほかは、知らんぷりしていたが、私は生徒たちを守らなくてはならないという思いで、彼らのあとについて行った。デモの後、私には公安の尾行がつくようになった。
10年後、私はまた中国へ行って日本語教師をやったが、教室で「チベット人地域へ遊びに行った」と話してからは、ふたたび公安機関の監視がつきまとうようになった。今度は「チベット」がいけなかったらしい。

学生らは「民主」を叫んだ。彼らは「『民主』は『君主』に対するものだ」といった。日本の大新聞のさる北京特派員は、「学生らはものごとがよくわかっている」と感心した。ところが学生は「民主とは人民が主人公の意味だ」としつつも、「人民を代表するものは中国共産党だ」と言っていたのである。
学生らがデモクラシーの初歩を知っていれば、「なぜ中共は人民を代表できるのか」「幹部の権力を制約する制度は何か」といった問題意識が生れたはずである。
北京での学生運動指導者である北京師範大学のウルケシや柴玲、北京大学の王丹らからは、憲法擁護、汚職反対、報道の自由を要求することばは聞いたが、議会制民主主義とか三権分立といったことばを聞くことはなかった。彼らは民主化運動を中共に清潔な政治を求めるレベルにとどめ、体制変革をめざしたりはしなかったのである。
だからといって、私は「六四学運」の意義を否定するものではない。学生らは「民主」を要求しながら民主主義とは何かを知らなかったというだけである。
権力の側はといえば、学生の論理を分析すれば対応の仕方も変わったであろうに、ただただ民主化運動を「暴乱」と断定して、しゃにむに弾圧したのである。

日本には、89年の民主化運動が「五四運動」以来の精神を継承したものと解釈する人が多いが、これにもすこしの違和感がある。文革時代の1974年には「李一哲の大字報」、文革後の78年からは「民主の壁」、79年には魏京生の「人権・平等・民主主義」があった。しかし、民主化運動に参加した学生たちは、私が接したかぎりのことだが、「李一哲」も魏京生も知らなかった。
もちろん識者は学生とは違った。
1919年べルサイユ条約の結果に反対する抗日・反帝の五四運動から1920年代にかけては、軍閥支配を打倒し共和制=議会制民主主義に進む可能性を生んだ時期があった。1924年の国民会議運動はその有力な運動であった。
1989年民主化運動昂揚のなか、哲学者李沢厚は近代史上でのこの時期の政治運動を論じて、自由と民主主義を強調する「啓蒙」思想と日本の侵略に抵抗する「救亡」思想とをあげ、最終的に「救亡」を口実にした独裁が「啓蒙」を圧倒したと発言した。日本の侵略が東アジア史上初の共和制の芽を摘んだのである。
抗日戦に勝った国民党は1945年以後も独裁体制を維持した。中共が主導した国共内戦末の人民政治協商会議の「共同綱領」は、自由と民主主義・人権の尊重をうたった。にもかかわらず、中共勝利後の中国憲法はその精神からはずっと後退したものになった。
1957年の反右派闘争以来20年間にわたる圧政がつづいたのち、「四人組」逮捕によって毛沢東の帝国は崩壊した。だが一党独裁は維持された。知識人の一部は「改革開放」を政治領域に拡大するよう要求しつづけて現在に至る。

民主化運動の主だった指導者たちは、アメリカやフランスへ渡った。これに対して運動参加者から「なぜ国にとどまって戦わないか」という声が上がった。当局よりの人は「なぜ連中を逃がすのか」と怒った。
またある人は「国にとどまって投獄されても国外に逃亡しても、国内に影響を及ぼすことはできないのだから、いずれにせよ同じことだ」といった。この見かたは正しかった。事件から28年経つが、亡命した指導者たちの誰一人として国内に影響力をもたない。
「80後(パーリンホウ・1980年代生れ)」以後の若者たちは「六四学運」を知らない。中共の恥部について語ることは、タブーだからである。中共は大躍進や文化大革命や天安門事件の記憶がなくなることを望んでいる。そして、いま期待どおりになった。
中共は強力な治安機関と経済的成功に寄りかかって独裁を維持し、自ら三権分立や代議制への改革に乗り出す気はまったくない。どうみても政治体制は、魯迅が『阿Q正伝』を書いた100年前よりも後退している。阿Q精神も姿を変えて生きている。
というわけだから、天安門事件の死者はいまのところは「犬死」である。(6月16日記)
2017.06.22  アフガニスタン 2001年以来最悪の危機(中)
          ―BBCが復活したタリバン支配地を初取材

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 前稿で、米国の情勢評価では、昨年末現在、アフガン政府の支配地域は国土の57%に減少し、それ以外の地域の大部分は反政府武装勢力タリバンが支配していると書いた。
 そのタリバンの支配地域を、英公共放送BBCの取材チームが4日間取材し、6月8日の国際放送と電子版で報道した。人々で賑わう市場、小学校での女子生徒クラス、病院、子供たちが群がる民家の窓、タリバンの特別攻撃部隊など約3分間のTV放送。11枚の写真とタリバンの最高指導者アクンザダ首長以下の副首長、21人のシューラ(指導評議会)の説明図などを含めた電子版は15ページで、BBCの意気込みが満ちている。
アフガニスタン 2001年以来最悪の危機(中)
               小学校の教室。白い衣装をかぶっている女生徒もいる

アフガニスタン 2001年以来最悪の危機(中)
                    サンギンの市場

アフガニスタン 2001年以来最悪の危機(中)
                    市場の商人達

 世界のメディアが、急速に復活するタリバン支配地域をこれほどしっかりと現地取材し報道したことは、初めてだと思う。住民はどんな生活をしているのか、一般住民とタリバンとの関係は?女性の服装、権利や地位の低さなどがかつてのタリバン政権時代(1996~2001)となにが同じ、何が違うのか、カブールの現政権や他の政治勢力と協調して挙国政権に参加する可能性があるのか、などの疑問を記者はかなりぶつけている。
 BBCによると、タリバン側との交渉に何カ月もかかり、タリバンが受け入れ、BBCのオウリア・アトラフィ記者に4日間の現地取材への公式の招待状を出し、同記者がタリバン支配地域に入ったのは五月半ばだった。行き先は、タリバンが85%を支配しているといわれるアフガニスタン南西部ヘルマンド州の北部の町ムサ・カラとサンギン。首都カブールから南東部の都市カンダハルを経由して西部の都市ヘラートを結ぶ、ハイウエイのほぼ中間地点を少し北に入った山間部だ。ムサ・カラはタリバンの“首都”ともいわれている。おそらくヘラートから乗用車に乗った記者は、途中の政府軍基地のすぐそばからバイクに乗った迎えの若者に導かれ、まずサンギンに入った。
 そこではまず、タリバンの強力な特別攻撃部隊のムラ―・タキ司令官、タリバンのメディア担当責任者アサド・アフガン部長が出迎え、この二人がアトラフィ記者への主な説明役になった。
 まずアトラフィ記者は、世界のアヘンの90%を生産するといわれるアフガンスタンでも、生産地とされる当地について質問。アサド・アフガン部長は両手を記者の肩のおいて答えたー「アヘンは経済的に必要だ。だが私たちも、あなたたちと同様にアヘンを憎んでいる」。彼らは、武器を買い、戦いの資金を得るためにアヘンが必要なのだ。
 サンギンは10年間以上、タリバンと政府軍、米軍、英軍が戦い続けた激戦地。双方の兵士多数が戦死している。今年3月、最終的にタリバンが勝利、支配下に置いて以来、戦闘はなくなった。歴史ある大きなバザール(市場)も壊滅的に破壊されたが、たちまち復活して野菜や肉をはじめ様々な商品(周辺諸国からの商品も多い)が集まり、人でごったがえしていた。記者が入ったとき、大声で争いが起こった「俺は字が読めないんだ。どうしてビスケットが期限切れだとわかるんだ」とビスケットを売っていた商店主が叫んだ。相手はタリバン支配下のサンギン市長ヌール・モハンマド。食品と燃料の不良商品を取り締まっていた。大声で争った末、結局、市長は商店主に3日間の投獄と罰金を命じた。タリバンの行政は以前同様に厳しい。
 ムサ・カラは古くから、この地方の商業の中心地で、アヘン取引地としても有名だった。パキスタンからの輸入商品の主要ルートでもあり、両国から商売人が集まってくる。バザールでは、バイク、牛からアイスクリームまで、多様、大量の商品が売り買いされる。小銃の弾丸も大量に売っている。ロシア製自動小銃の弾丸価格はドル換算で1個40セントだったが、政府軍から多量に流出したため、今では15セントに値下がりした。
 タリバン支配下になっても学校と病院は、教員と医師・看護師の給与を含め国家予算で運営されている。ムサ・カラを担当するカブール政府の責任者アブドル・ラヒムは「政府は最近、当地の学校を査察した。タリバンによる運営は何の問題もなかった。政府のシラバス(指導要領)は実施されている」と記者に語った。困難は教科書不足。どの授業でも、生徒全員に同じ教科書が行き渡ることはない。生徒の年齢は、日本の小、中学を一緒にした範囲。女生徒が学校に来るのは12歳まで。これは、タリバンが決めたわけではなく、アフガン内でも保守的なこの地方では以前からのこと。タリバンは女子生徒を学校に入れる努力はしていないが、男子生徒を増やすのに努力し、成功している。
 12万人の住民が利用する地域病院は、医師、看護師らスタッフの給与をはじめ、政府の資金で運営されているが、幹部はタリバン。医師は男性ばかりで、女医はいない。医療設備は貧弱だ。胸部X線検査機器もない。タリバンは女性患者専用の食堂を、従来からある食堂の隣に別に作った。
 ムサ・カラでは、携帯電話とインターネットの使用、映像撮影と楽器演奏が厳しく制限されている。治安と宗教上の理由だという。
 アトラフィ記者は、この地域のタリバンの指導者ムサヴィル・サヒブと夕食をともにしながら、取材した。サヒブは背が低く、青い目、白いあごひげを長く伸ばしていた。彼はまず「我々の統治は聖典コーランに基づいている。それこそが、いかなる人間社会にとっても最良なのだ」といった。カブールの政権の支配下からタリバンの支配下になって、人々の生活が良くなったことを熱心に説明した。そして「アフガニスタン人は融通がきく人間だ。われわれがこの国を初めて支配したとき、国民はすぐわれわれと同じ服装をしはじめた。そしてアメリカ人が来ると、アメリカ人のような服を着だした。こんども、国民がわれわれのやり方に適応するのは確かだ」といった。
 取材を終え政府支配地域にもどったとき、アトラフィ記者は、タリバンの幹部たちの主張、説明が以前より硬直してなく、多くの矛盾を含んでいたことに気づいた。同記者は書くー「タリバンは顕著に変わった。同時に彼らは過去にとらわれていて、現代世界に適応しなければならないと感じながらも、彼らの統治が最良だと考えている」。(続く)
2017.06.21  6月抗争30周年で在寅大統領が語ったこと
           韓国通信NO526

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

軍事政権を打倒し、民主化を実現した「6月民主抗争」から30年を迎えた6月10日、就任後1カ月の文大統領が記念式で民主主義の発展と国民の団結を呼びかけた。
10日付「ハンギョレ新聞」の記事と当日の演説を拙訳で紹介したい。

タイトル― 文大統領「民主主義がご飯であり、ご飯が民主主義だ」
<記事本文>
文在寅大統領は10日、ソウル市庁前広場で開かれた6月民主抗争30周年記念式に出席、「私たちの課題は新たな民主主義であり、より深く、堅固な民主主義を築くことだ」と述べた。
文大統領は「6月抗争で到達した民主主義が具体的な生活に実を結ぶ時、6月抗争は生き続ける現在であり、未来だ」「制度としての民主主義が動揺し、後退することはない。憲法、選挙制度、大統領府、検察、国家情報院、放送等の制度と機関が国民の意思と意志を監視、歪曲、抑圧しないようにする」と述べた。さらに大統領は「経済民主主義」の重要性を繰りかえし強調して次のように述べた。「新たな挑戦は経済における民主主義だ。民主主義が、ご飯であり、ご飯が民主主義になるべきだ。著しい経済的不平等社会では民主主義は形だけのものにすぎない」。
経済民主主義に対する強調は、すべての経済主体の譲歩と配慮による「社会的大妥協」に対する要請に向けられた。大統領は「働き場があるということは経済の問題というより民主主義の問題」として「韓国社会が経済民主主義のために新しい価値観を共有すべき」「そのためには大企業と中小企業、労働者、市民社会が力を合わせるべきだ。6月抗争30周年をステップにして跳躍する未来は譲歩と課題の共有、格差を縮める社会的大妥協にある」と強調した。

以下は演説全文――
尊敬する国民のみなさん。
本日、みなさんと6.10民主抗争30周年のためにこの広場に立つことができ感慨ひとしおです。若者からお年寄りまで、済州からソウルまでの人たちがひとつになり、嶺南から湖南まで(注1) が声を一つにした「非民主的憲法撤廃、独裁打倒」の熱い叫びが今でも私の耳に鮮やかに聞こえてくるようです。
30年前の6月、私たちは偉大な国民でした。降りそそぐ催涙弾の前でもくじけなかった青年、学生たち。応援の立場から抗争の主役になったネクタイ部隊(筆者注・ネクタイをしめたサラリーマンのことか)。自動車のクラクションを鳴らし、ハンカチを振り、デモ隊にパンを与え、戦闘警察官の胸に平和の花をつけた市民たち。そのすべての人たちが歴史の主人公でした。
30年前の6月、私たちは国民が勝利した歴史を経験しました。苛酷な軍部独裁に立ち向かい、不義に対する怒りと民主主義に対する渇望が生んだ勝利でした。国民は時代の流れを独裁から民主へ変えたのです。大統領を自分たちの手で選ぶ権利。国民が自分たちの政府を選ぶ権利を取り戻しました。まるで岩に卵を投げるように勝ち目のない抗争が大きな流れとなった感動的な歴史でした。
大統領直選制だけではありませんでした。6月民主抗争は私たちに広場をもたらしました。報道規制が廃止され、報道機関と市民は発言の自由を獲得しました。多様な市民社会運動組織が生まれ、抑圧され閉塞されていた民主主義の空間を広げました。民主主義がなければ目覚ましい経済発展も社会各分野の多様性も文化と芸術も花咲くことはなかったはずです。
過去30年、私たち社会が築いてきたすべての発展と進歩は6月抗争から始まっています。
文在寅政府は国民が成し遂げたすべての成果を前提に出発しました。そのような理由から本日、私が6月抗争の主役である国民とともに記念式に参加できることは意義深く、光栄に思う次第です。今日の政府は6月民主抗争精神にもとづく政府です。任期中、私は大統領職を持つ国民のひとりとして、そのことを心に刻んでいくつもりです。
歴史を変えた二人の青年、釜山出身の朴鐘哲と光州の李韓烈を永久に忘れないでしょう
6月の民主化闘争を指導したリーダーたち、熱い喚声のなかでともに涙を流し、ともに歓呼したすべての人たちに感謝と敬意を申し上げたい。

尊敬する国民のみなさん。
私は世界が驚嘆するわが国の民主主義を国民がみずから築いてきたことを何よりも誇らしく思っています。歴史を振り返るなら、わが国の民主主義のはじまりは「解放」とともに外からもたらされたものです。しかし今日のように育てあげたのは国民でした。ここに至るまでは4.19学生革命(注2) があり、釜馬抗争 (注3) があり、5.18光州蜂起(注4) があり、1987年の6月抗争がありました。そしてそれは今年の冬のロウソク革命に続きました。ロウソクの灯は一世代をかけて成長した6月抗争が堂々と咲かせた花でした。私たちは6月民主抗争をつうじて主権者である国民の力を学びました。ロウソク革命をとおして民主共和国を実践的に経験しました。
6月の市民たちは独裁を葬り、ロウソク市民は、民主社会が進むべき方向と問題点を提示しました。ロウソクは未完だった6月抗争の完成を求める国民の声でした。

尊敬する国民のみなさん。
私たちの目前にある課題は、ふたたび民主主義です。「もっと広く、もっと深く、もっと強固な民主主義」を作らなければなりません。6月抗争で成就した民主主義がすべての国民の生活に根ざすよう努力しなければいけません。民主主義が具体的な生活の変化につながる時、6月抗争は生きた現在と未来です。民主主義は制度であり、実質的な内容であり、生活のかたちです。
私はこの席で約束し、提案します。制度としての民主主義が揺らぐことも後退することも今やありません。新政権の下で民主主義はさらに発展し、人権は拡大されるでしょう。すべての権力は国民のものです。憲法、選挙制度、大統領府、検察、情報院、放送、国民が委任した権限を運用する制度も同様てす。権力機関が国民の意思や意志を監視し歪曲して抑圧させたりしません。
私たちが当面する新たな挑戦は経済における民主主義です。民主主義が「ご飯」であり、「ご飯」が民主主義であるべきです。所得と富の激しい不平等がわが国の民主主義の脅威になっています。働きの問題が危機の根本原因です。私が「仕事の大統領」になりたいと繰り返し申し上げているのは、甚だしい経済不平等社会では民主主義が形だけのものになると考えるからです。仕事は単に経済の問題ではなく民主主義の問題です。しかし政府の意志だけでは実現は難しい。社会全体が一緒になって経済民主主義のために新しい基準を作って行かなければなりません。譲歩と妥協、忍耐と配慮、包容性のある民主主義が必要です。大企業と中小企業、労働者、市民社会全体が力をあわせなければなりません。
6月民主抗争30年を踏み台に私たちが跳躍する未来は、お互いの譲歩、負担を分かち合って、格差を少なくする社会的大妥協にあると確信します。これは決して簡単なことではありませんが、必ずやり遂げなければなりません。真剣な政労使の大妥協のためにすべての経済主体の参加をお願いしたいと思います。誰でもまじめに8時間働けば生活できる、心配のない社会にしなければなりません。このように社会的不平等を皆で解消するのが民主主義です。政治家の皆さんもともに力を合わせて欲しい。

敬愛する国民のみなさん。
ひとつどうしても憶えておいて欲しいことがあります。6月抗争の中心は特定の階層、特定の地域ではなかったこと。司祭、牧師、僧侶、女性、民主政治家、労働者、農民、都市貧民、文人、教育者、法曹人、文化芸術家、言論出版人、青年、学生などすべての人たちが「民主憲法実現のための国民本部」に集まったこと。全国22の地域で同時に開かれた6.10国民大会が6月26日、全国34の都市と170か所で同時に開かれ「民主憲法実現のための国民平和大行進」に拡がっていった。このように6月抗争は特定の階層も地域もなかった。だから勝利したのです。私もこの運動に釜山で参加して民主主義は水のように流れる時が一番力を持つことを学びました。
独裁に立ち向かった1987年の青年が2017年に父親となって広場を見守り、弁当を差し出した87年の女高生が2017年には子どもの母親となってロウソクを持ったように、人から人へ受け継がれる民主主義は決して動揺することはありません。政治と日常が、職場と家庭が民主主義でつながる時、私たちの生活と命は動揺することはありません。私たちの生活力、社会の民主主義の力量がさらに成熟するように努力しましょう。私たちの周辺に日常化されている非民主的な要素は私たちがともに助け合って変えて行きましょう。個々人が覚醒した民主的市民になるための努力をともにしてゆきましょう。民主主義が政治、社会、経済の制度として定着して私たちひとりひとりが民主主義の訓練を日常的に経験すれば、どのような暴風にも負けずへし折られることはありません。6月抗争の名とともに民主主義は永遠であり、広場、国民にいつも開かれているはずです。
ありがとうございます。                               2017年6月10日



(注1)嶺南から湖南まで/全羅道から慶尚道まで
(注2)1960年、腐敗選挙・腐敗政治のために李承晩大統領が辞任に追い込まれた。運動の担い手は主に学生たちだった。
(注3)朴正煕政権下で野党新民党の金泳三代表を議員から追放したために起きた釜山・馬山で起きた大規模デモ1979年
(注4)光州市事件 朴正煕大統領暗殺後「春」を迎えた韓国の光州で起きた人民虐殺事件 戒厳令下、空挺団による市民の犠牲者168人 行方不明者は406人 1980年5月

  <翻訳後記>
韓国の民主化運動は1987年6月29日の「民主化宣言」によって大きく前進した。
長く続いた軍事独裁崩壊後も古い体質は残った。今回の文在寅大統領の登場によってその古い体質の一掃が期待されている。新政権発足後1カ月にあたる6月10日に行われた大統領演説を急いで翻訳した。翻訳の間違い、格調ある演説を伝え切れていないかも知れないが、新大統領の考えが伝わる興味深い内容である。
大統領選前後、文在寅氏を日本の主要メディアは「容共派」「反日」などと紹介したが、新政権が目指すことについて報じてこなかった。安倍政権は韓国に対して無条件に「仲良く」する「親日」を期待しているようだが、これはトランプ米新大統領に対して無条件にご機嫌取りに走った安倍政権のアメリカ追随の「裏返し」、韓国を低く見る傲慢さの表れと言える。安倍がトランプ大統領のポチになったように韓国にそれを求めるのは非常識だ。演説を読めば文大統領と安倍首相のレベルはけた違いなのがおわかりいただけるはずだ。
演説は6月民主抗争の記念式典でもあり、国内向けのメッセージとなっているが、北朝鮮の問題について一言も触れられていないことが不思議だ。韓国でも北の核と戦争の問題は一大関心事のはずだが、日本では北朝鮮問題―それも改憲、共謀罪がらみ北の脅威が盛んに取り上げられるのに比較すると拍子抜けするくらいに韓国では北の問題より民主主義に関心のウェートが大きいように感じられる。

大統領が強調する「国民のための政治」は日本の政治状況を考えると衝撃的なくらいに新鮮である。日本の評論家たちは口をそろえて従軍慰安婦問題」にせよ「北朝鮮問題」にしても日本政府の立場を代弁して韓国の未熟さを心配するが、自国のことを棚に上げた未熟な議論だ。
演説で、検察や報道の改革について触れている。過剰な人権弾圧と大企業寄りの検察に対する警告と御用報道機関に対する批判を念頭にしたものだ。
大統領ひとりが頑張っている印象が強いが、大統領の期待に応えて労働運動も市民運動も政府が目指す社会づくりを活発化させている。KBS、MBC、公共放送の体質改善要求、脱原発の運動、民主労総の委員長の釈放要求、教職員組合の合法化の運動も注目される。

私たちは韓国を「うらやましい」などと言っていられない。「歴史が違う」などとも云っていられない。韓国人は大きな犠牲を払って歴史を作ってきた。わが国では、朴槿恵前大統が厳しく追及された「お友だち政治」「国政の私物化」を見逃し、治安維持法以上の悪法を東京オリンピックのために成立させた。トランプ大統領も弾劾目前だ。私たちが何をすべきか明らかだ。

6月3日、我孫子駅頭でこれまで一人デモを続けてきたメンバー三人が共謀して「共謀罪反対」「9条守れ」「あべ政権は許さない」「原発なくせ」のプラカードを掲げた。三倍になったことをともに喜び、私は韓国に負けられないという思いを深くした。
共謀しよう! 民主主義を守るために。
2017.06.15  北朝鮮制裁のゆきづまりと次に来るもの
    ――八ヶ岳山麓から(224)――

阿部治平(もと高校教師)


北朝鮮がミサイル発射実験を行うたびに、NHKをはじめテレビ各局は緊急速報を画面に流し、ニュースショーでは北の「挑発」を非難する。北朝鮮「専門家」も「挑発」とか「脅威」を声高に語る。
一例を引く。
北朝鮮による挑発行為を受けて、日本海に展開しているアメリカ海軍の空母2隻が、自衛隊の護衛艦や戦闘機と共同訓練を行った。
日本海の能登半島沖で行われた訓練には、アメリカ海軍の空母「カール・ビンソン」と、「ロナルド・レーガン」が、また海上自衛隊からは、護衛艦「ひゅうが」とイージス艦「あしがら」が参加し、日米の連携などを確認した。
さらに、空母に搭載されているF/A-18戦闘攻撃機と、航空自衛隊のF-15戦闘機も訓練を行った。
共同訓練に、アメリカから空母が2隻参加するのは極めて異例で、日米両政府は、強固な日米同盟をアピールすることで、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を強くけん制する狙いがある(Yahoo news6/2(金) 0:05配信)。

「挑発」とは、相手を刺激して事件・紛争を起すようにしむけることである。では北朝鮮が何を「挑発」しているのか。米朝戦争か?まさか。
上の記事では、北朝鮮が核やミサイルの実験をして、その能力を誇示するのは「挑発」で、日本海のアメリカ海軍空母が、自衛隊の艦船や戦闘機と共同訓練を行うのは「けん制」である。
さきの米韓合同軍事演習は「斬首作戦」だった。米軍の作戦概念「decapitation strike(strategy)」を翻訳したものだそうだが、人の首をはねる、つまり金正恩を殺害することである。これは「挑発」か「けん制」か、安倍晋三首相がこの頃連発する言葉を使えば、意図的な「印象操作」ではないか。
日本では拉致問題はあるし、金正恩が叔父や異母兄を殺しているから「北朝鮮は悪だ、悪だから潰してもよい」という論理が当り前のようになっている。だが北朝鮮はISではない。国連加盟国であり、160余の国と国交をもつ独立国である。メディアはもっと客観的視点をもってもらいたい。

以前に述べたことの繰返しになるが、北に対する国連決議がほとんど効目がないのはなぜか、この理由をもう一度振り返りたい。それは北朝鮮がアメリカの攻撃に対する「報復能力」を持つためである。北朝鮮の立場に立ってみれば、核・ミサイル開発は追詰められて選んだ政策だった。
北朝鮮の核開発を止めさせようとした1994年の「米朝枠組み合意」は、順調に実施されなかった。その後ブッシュ政権はイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」に指定し、イラクを侵略してフセイン政権を倒し中東を殺人と破壊の混乱に陥れた。このとき北の指導者金正日は「つぎは我が身」を確信じたであろう。
通常兵器での戦争をしかけられたら勝ち目はない。そこで彼は核とミサイル開発を急いだ。さらに2011年、アメリカはリビアとエジプトの独裁政権を打倒した。同じ年、金正日は死に、金正恩は父親の核・ミサイル開発事業を継承した。
だから金正恩は、核とミサイルの性能が十分な対米攻撃能力を持つまでは、孤立を恐れず、核実験とミサイル発射をやり続ける。北朝鮮が国連の制裁決議など屁でもないのは、いまや誰でもわかるようになった。

中国は昔も今も北朝鮮の核・ミサイル保有の論理をよく承知している。中国は北朝鮮貿易の90%を占めていて、国連決議に従って対北朝鮮制裁をやろうとすれば徹底的にやれるはずだが、いままで本気で北に圧力をかけてはこなかった。
いま石炭輸入規制をやって、限度を年間4億ドル、750万tまでとしているが、これ以上の石油の供給を止めるなどの経済制裁をやる気はない。やるとしたらかなりの冒険だからだ。やれば北朝鮮経済は混乱する、脱北者は急増する。ながびけば朝鮮労働党の一党独裁は危機に陥るかもしれない。金王朝が危機に瀕するなら、中国は北朝鮮という緩衝国を失う危険がある。その衝撃は中国に跳ねかえり、中国共産党の一党支配を揺るがす事態を招きかねない。

中国共産党総書記習近平は、大統領に就任したばかりのトランプが朝鮮半島で戦争を始めるのを警戒していた。ところがフロリダの米中会談で、トランプはイデオロギーには関心がなく、独裁だからという理由で北朝鮮体制を転覆せず、核・ミサイル開発を放棄すればそれでよしとしていることがわかった。
心配が解けると、習近平はトランプの北朝鮮説得をまるごと請負った。そう出たのは、中国にはアメリカとは別に、北朝鮮に核を持たれては困る事情があるからだ。
これも繰り返しになるが、北によって核独占が崩されれば、中国の核保有大国ととしての地位が失われ、習近平の偉大な中華帝国興隆の夢が脅かされる。北の核が中国への脅威となる可能性がある。北の核実験場が国境に近く核汚染が危惧される。
もっといえば、北朝鮮の核武装は日本に核開発の口実を与えかねない。日本の核武装は中国にとっては悪夢である。日本がアメリカの核の傘に入っているほうがよほどましである。

ところが、まずいことに習近平はドジを踏んだ(と私は思う)。彼は北朝鮮に高圧的な態度で、核とミサイル開発の停止と放棄を迫った。とりわけ中共指導下のメディアは、あたかも宗主国の朝貢国に対するように、貧乏国北朝鮮は富強の中国に頼れといい、核を放棄せよ、そうすれば金王朝を守ってやるし、経済の面倒も見てやると書いた。
当然、北の自尊心はいたく傷ついた。もともとあった中国に対する不信感はたちまち激しい反感にかわった。外交交渉の裏はわからないが、表向きでは中国の説得はほとんど効目がなくなった。かくして史上最悪の国家関係のなか、中国にとって北朝鮮の核兵器は現実の脅威となった。

国際的な経済制裁が無力だとわかったいま、これに代わるものは武力行使だが、これは不可能だ。残るは米朝対話だが、アメリカは行きがかり上、簡単には米朝交渉には踏切れない。北朝鮮も反米感情が骨身にしみついている。アメリカがいくら北朝鮮体制への不干渉をいっても、対米不信はそう簡単に払拭はできない。
こういう難しい事情はあるが、オスロの米朝秘密会談を終えた北朝鮮外務省の崔善姫北米局長は、5月13日北京でトランプ政権と「条件が熟せば対話する」と語った。北もいちがいに対話を拒否しているわけではない。

そのなかで米中を中心とした制裁一辺倒の対北朝鮮政策を批判してきたのは、文在寅韓国大統領である。いままだ北朝鮮は韓国をアメリカの傀儡とみているが、文在寅は大統領に就任以来、断絶状態だった対北朝鮮関係を見なおし、接触を試みている。これから紆余曲折はあるだろうが、南北間の人的経済的交流を拡大し、さらに政治的・軍事的なレベルにまで進めば、朝鮮半島の核問題は解決の糸口を見出すことができる。
制裁政策ではにっちもさっちもゆかないいま、私は文在寅路線は現状打開策の有力候補と見るべきだと思う。日本の右派メディアはそれを親北外交と批判するだろうが、韓国が北に接近して何が悪いのだろう。同じ朝鮮(韓)民族ではないか。

安倍政権は、ひたすら北朝鮮の「挑発」を非難し「脅威」を叫んで、アメリカとともに中国に対して北朝鮮制裁強化を求めつづけている。ゆくゆく米中韓と北朝鮮が静かな対話をはじめたらどうするつもりだろうか。またアメリカに追随して「大変結構なこと」とかいうのだろうか。
(2017・06・5記)
2017.06.12  ラマダン(イスラム教の断食月)入りでテロ続発
    イスラム国(IS)が今年もテロ呼びかけ

伊藤力司 (ジャーナリスト)
 

16億人から17億人と推定されている全世界のイスラム教徒(ムスリム)は、今年5月27日から1か月のラマダン(断食月)の間、夜明けから日没まで間一切の飲食を控えている。断食はイスラム教の教祖ムハンマドが信徒に命じた行いである。信徒たちは日のあるうちは一斉に断食をし、日没とともに食事を共にすることでムスリムとしての一体感を強め、さらに苦痛を共有することで自分たちの宗教を再確認し、信仰心を高揚させるのだという。

ムスリムは断食を通じて、宗教的な感情を高ぶらせ善行に励もうとする。イラクとシリアの一部を根拠地にした「イスラム国」(IS)などイスラム過激派は、こうしたラマダンの効用を利用して戦闘員にテロを命じている。果たせるかな、5月31日アフガニスタンの首都カブールの中心部で大規模な爆弾テロが発生して150人以上が死亡。6月3日夜には英国の首都ロンドン中心部でテロ犯3人がワゴン車を暴走させて歩行者を跳ね飛ばし、さらに近くの飲食店街で刃物を使って通行人を殺傷するというテロ事件で7人が死亡、少なくとも48人が負傷した。

英国ではラマダンに入る前の5月22日夜、イングランド中部の大都市マンチェスターのイベント会場で、米有名歌手のコンサート終演直後の群衆を目掛けて爆弾を爆発させ、少なくとも19人が死亡、50人以上が負傷した。このマンチェスター爆破事件と6月3日のロンドン連続テロ事件では、ISがネットを通じて犯行声明を出している。

また世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアではラマダン前の5月24日夜、首都ジャカルタ市内のバスターミナル付近で起きた2度の爆発により警官3人が死亡、警官ら12人が負傷した。現場付近に爆弾を爆発させたテロ犯とみられる男の遺体2体が見つかった。翌日ISが系列メディアのアマク通信を通じて「実行したのはISの兵士だ」と主張した。

一方フィリピン南部のムスリム地域のミンダナオ島マラウイ地区では、5月23日から続く政府軍とISに忠誠を誓う現地ムスリム武装勢力との戦闘で30日までに、一般市民を含む死者が100人を超えたとフィリピン・メディアが報じた。ミンダナオ島とその西方のスルー諸島を根拠地とするイスラム過激派武装組織「アブサヤフ」と「マウテ」はともにISに忠誠を誓っている集団だ。

2003年のブッシュ米大統領によるイラク侵攻で始まった中東の混迷は、2011年に本格化した民衆運動「アラブの春」を通じて中東アラブ世界全域に拡大した。とりわけ2011年3月に始まったシリア内戦は、イスラム過激派を育てる場となった。秩序が崩壊したイラクとシリアを足場に、預言者ムハンマドの後継者という意味の「カリフ」が統治するイスラム国(Islamic State=IS)の樹立を宣言したのが2014年6月のことだった。

以来3年間にわたりISを名乗るテロリストは、フランス、ベルギー、ドイツ、スウェーデンなど、西ヨーロッパで次々に爆弾や自動車暴走によるテロ事件を引き起こし、世界を恐怖に追い込んできた。ごく最近では6月7日、イスラム教シーア派の“ご本尊”とも言うべきイランの首都テヘランの国会議事堂とイラン・イスラム革命の指導者故ホメイニ師を祀る霊廟をISの戦闘員計6人が銃撃や爆弾で襲撃、少なくとも12人が死亡、42人が負傷した。

ISは2014年6月以来イラク第2の都市モスルを占領し、シリア北部の都市ラッカを「首都」と宣言して保持してきた。だが昨年来満を持してイラク中部から北部のIS根拠地を制圧してきたイラク政府軍は本年当初から、イランの革命防衛隊やイラクのシーア派民兵、レバノンのシーア派民兵ヒズボラなどの支援を得て、本格的なモスル解放作戦を進め「モスル陥落は真近か」と言われるに至った。

またIS戦闘員が立てこもるラッカに対する包囲作戦も、ロシア軍の援護を受けたシリア政府軍や現地のクルド人民兵隊などが、米軍を始めとする有志国連合の援護も受けて進展中だ。この包囲作戦に参加しているトルコ軍によると、ラッカの陥落は遠くないという。モスルとラッカからは、一般市民に変装したIS戦闘員が続々と逃亡しつつあると報じられている。

おそらくISは“建国”の2014年6月以来最悪のピンチを迎えているのだろう。劣勢に立っているだけに、イスラム信仰心が高まるラマダンの間に世界中でテロを起こそうと呼びかけているのだろう。参考までに、5月22日のマンチェスターのテロ事件の後ISが出した犯行声明を紹介しよう。

「アッラーのお導きとその恩寵のより、至高至大のアッラーの宗教への報復として、多神教を恐怖させ、ムスリムたちの館への彼らの攻撃に対する反撃として、カリフ国の兵士の1人が英国のマンチェスター市における十字軍の集会のなかで爆発物を置くことに成功した。そこで、放埓なコンサートのためのアリーナの建物において爆弾を爆発させ、およそ30人の十字軍の殺害とその他70人の負傷につながった。アッラーのお許しにより、次にくるものは、十字の崇拝者およびその傀儡たちにとってより強力で、ひどいものとなる。万世の主、アッラーに讃えあれ。(保坂修司訳)

2017.06.10  アフガニスタン 2001年以来最悪の危機に(上)
    首都で最大のテロ、反政府デモ、トランプも及び腰

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)


 アフガニスタンの首都カブールで5月31日に発生した爆弾テロは、死者150人以上、負傷者数百人となり、2001年の米同時多発テロ事件をきっかけとした米国主導のアフガン戦争でタリバン政権が崩壊し、カルザイ政権が樹立されていらい、首都で最悪のテロ事件となった。カブールは厳重な警備下に置かれ、中心部の政府・外交区画はとくに出入りが厳しく制限され、外国の大使館や援助組織の要員も安心して生活できるはずの場所だった。それだけに、大量の爆発物が運び込まれ、爆発されたことへの恐怖の衝撃は深刻で、大使館や援助組織の駐在員多数が争って帰国した。
 犯行組織は、現在まで名乗りを上げていない。中東からアフガニスタンに進出し、拠点を築いてテロを繰り返し始めた宣伝好きの「イスラム国(IS)」も名乗りを上げず、最大の反政府武装勢力のタリバンは関与を否定する一方で、タリバンから離脱したより過激なハッカーニ派の犯行だといっている。
 おそらく、攻撃した組織が狙ったタイミングは、6月6日、7日の2日間、アシュラフ・ガニ大統領が主催してカブールで開いた国際和平会議。2014年に発足したガニ大統領の“挙国一致”政権に参加する政党、パシュトゥン、タジク、ハザラ、ウズベク各民族の政治・武装組織の指導者らと、米国はじめ支援各国の代表、援助機関代表が参加する、いわば危機突破のための国際会議だった。会議は予定通りカブールで開かれたが、大規模テロ事件で出席するはずだった各国代表、大使館員らが参加を取りやめ、あるいは急きょ帰国し、さびしい会合になってしまった。
 そのうえ、事件直後から、首都でガニ大統領の辞任を求める大規模な反政府デモが始まり、アフガニスタンの危機の深さがさらに露呈した。
 ▽政治的危機:アフガニスタンでは2001年9月の米同時多発テロ事件直後の10―11月、米国主導のアフガン戦争でタリバン政権が崩壊。暫定政権、移行政権を経て、04~14年の11年間はカルザイ政権。14年4月の後継大統領選挙では、国内最大民族パシュトゥン人のガニと、パシュトゥン人の父・タジク人の母を持つアブドラが厳しく争った。選挙結果は当初、アブドラの勝利が発表されたが、パシュトゥン人勢力から不正集計だとの激しい反対が起きたため、米国が仲介して選管の集計をやり直し、逆にガニの当選が確定。ガニを大統領、アブドラを対等な立場の官房長官として、各民族の軍閥や有力者が政権の要職を占める“挙国政権”が発足した。米国の支援もあり、当初は順調に進むかにみえたが、間もなくガニ大統領の傲慢、能力不足、民族の違いの悪用などへの不満が高まり、アブドラとの協調関係も失われてしまった。それでもオバマ政権下の米国はガニ大統領を支援してきたが、トランプ政権は少なくともこれまでのところ、米軍増派の方針を一応表明しただけ。ガニ政権への支援の姿勢はあいまいで、対アフガン政策は不明のまま。「イスラム国(IS)」支配地を実験場にして大規模爆風爆弾モアブを投下しただけだ。
 ▽軍事的危機
現在、アフガニスタンの国軍は16万500人、国家警察隊14万8300人。外国からの戦闘支援部隊は米軍8400人だけ。他にNATO諸国の部隊2、3千人程度が国軍の訓練に残留している。しかし、ここ数年、反政府武装勢力タリバンの攻勢が拡大、今年に入ってからは3か月で国軍が1千人以上死亡、4月にはタリバンに攻撃された基地で200人以上の国軍兵士が死亡した戦闘も発生した。アフガン政府が実質的に支配している地域は、2015年末の72%から昨年末の57%に減少したと、米政府は推定している。減少した大部分は、タリバンが支配する地域になった。
かっては米軍とNATO諸国中心の国際支援部隊(ISAF)が計14万人以上いた外国軍隊は、2015年までにほぼ撤退を完了している。
 トランプ米政権発足後、アフガニスタン政府は米軍増強を改めて要請したが、これまでのところ、マクマスター安全保障担当大統領補佐官が3000~5000人の米軍増派に同意しただけ。政権内に増派反対があり、トランプ大統領もアフガンへの軍事介入強化には消極的だといわれている。他のNATO諸国は、アフガンから手を引いた状況。
 日本も多額の資金協力をして、合わせて31万人の国軍と国家警察隊を作り上げた。それなのに、武装勢力は1万人にも満たないといわれるタリバンやその他の武装勢力に国土の半分近くの支配を奪われたのは、なぜなのか。その理由の納得できる説明を読んだことも、聞いたこともないが、米国が支援してきたガニ政権への国民の反感の広がりが、根底にあることだけは確かだ。
(続く)
2017.06.06  社会主義、こんなはずではなかったが
    ――八ヶ岳山麓から(223)――

阿部治平(もと高校教師)


中国の一瞬現れてはすぐに消されてしまうウェブサイト上で、中国の貧しい人々(原文「窮人」)の定義集を発見しました。原作者名がありません。
以前、「我々の父祖はこんな社会をつくるために、抗日戦争を戦い国共内戦を戦って祖国の広野を血で染めたのか」という嘆きを読んだことがありますが、今回も「老百姓(庶民)」のためいきが聞こえてきそうな感じです。
ゴチックのところが原作者のものですが、その内容を、原作者の意図を曲げないように注意して編集・解説してみました。

「窮人」
もともとの名前は労働者階級である
中国の労働者には日本でいう「労働三権」がありません。中国では自主労組を組織することも、賃上げや労働時間短縮などの要求を通すために団体交渉をやったり、争議に入ることもできません。もしストをやれば、スト組織者は反革命、国家転覆罪に問われるかもしれません。日本では労働者は労働三権があるのに、過労死・女性労働問題などでもあまり闘いませんが。

尊称はプロレタリア階級であり、偽称は中国の指導階級である
中国憲法第1条には、中国が「労働者階級が指導し、労働者・農民の同盟を基礎とする人民民主主義独裁の社会主義国家」であるとあります。また人民民主主義独裁」とはプロレタリアート独裁の形式のひとつとしています。

率直にいうと貧乏人、経済学上の定義は低収入階層である
上海などの大都市の2015年の若い人の平均年収はほぼ5万元。円換算で約75万円で、日本の4分の1程度。統計上は毎年賃金は10%程度上昇しています。いま農民工の日当は100元程度、年300日働くとすれば年収は3万元、すなわち45万円程度になります。若い人は地方都市の食堂の仕事でも月4000元程度を要求するようです。大学教師の初任給は月6000元、年収120万円程度。
しかし、ジニ係数を見ればわかるように、中国では所得格差が大きく、平均収入はあまり意味をもちません。上位20%の人の年収が24万元で360万円くらい。上位1%の(といっても1000万人超)の収入は日本人の想像をはるかに越えます。この階層には隠れた収入がGDPの30%はあるといいます。
ちなみに、2011年私の中国での日本語教師としての月収は3000元でヨーロッパ人教師の3分の2。大学に文句をいったら「英語圏からの教師はなかなか得られない。日本人はいくらでも来る。したがってこれは市場原理だ」といいました。じゃ、中国的市場経済のもとでは同一労働同一賃金の原理はどうなっているのでしょうか。

外国での呼び方はブルーカラーで、別名は肉体労働者である
中国史の上では宋朝以後貴族は消滅。支配階級は皇帝と、それに仕える「士大夫」とか「読書人」と呼ばれる官僚階層でした。支配される側は庶民です。「士大夫」は頭を使い、庶民は体を使います。この伝統の力は強力で、「士」と「庶」の関係は今日も普遍的に存在します。いま「庶」が「士」になるのは、大変むずかしい。

愛称は弱勢集団で、あだ名は蟻族である
愛称はともかく、蟻族はよく知られたあだ名です。中国では、2000年前後から中国は大学の定員拡大、新増設政策をとったために、年間700万という大卒者を生み出しています。ところが期待する職にありつけない者が北京・上海などの東部大都市には、100万人前後存在するといわれています。蟻族は大学卒業後、故郷に錦を飾ろうとしてもそうはできず、低賃金労働で生計を立て、郊外の農民工地域「城中村」にある安いアパートの部屋を借り、5,6人でルームシェアをして、読書だの映画だのの文化もレクレーションもない生活を余儀なくされています。

社会学上の定義は、生存しているだけの人である
原文では「生存型生活者」となっています。この典型は鼠族です。蟻族が「城中村」から追い出され、地下室で生活するものをいいます。1960年代中ソ対立激化のころ、毛沢東の「深挖洞・広積糧・不称覇(深く穴を掘り、食糧を蓄え、覇をとなえず)」政策によって、都市ではソ連の空爆対策の防空壕を掘りました。現在広いものは地下商場になりましたが、小さいのは安アパートになり鼠族がすみかとしています。

政治学上の定義は社会の不安定要素である
貧困階層は、中国だけではありませんが、ときどきガス抜きをしないといつ暴れ出すかわからない存在です。政府が「反日」をよびかけると、得たりや応とたちあがり、日系店舗や日本資本の自動車をめちゃめちゃに破壊して、期待以上の業績を上げるわけです。
農村でも政府による農地取上げなどの際、よく暴動が起こりますが、散発的で横の連帯がないので指導者株を逮捕して警察で拷問、虐待をやればたいていは収まります。

常日頃は失業者とよばれ、政府から与えられた名前は一時帰休である
貧困者がすべて失業者ではありませんが、一時帰休のほうは事実上の解雇失業者です。レイオフされた中年労働者の再就職は大変困難なものになっており、若年も含めた全体失業者は約8%あるといいます。
ところが、統計上では、求人が求職をかなり越えています。高失業率と人手不足がなぜ併存するかについては、いろいろな説があります。私は年齢や知識、技術などをめぐる求人側と求職側の要求のミスマッチングがあると思います。

民政部門の定義は生活保護の該当者である
中国の「最低生活保護費」制度は、1997年にようやく都市貧困者を対象として発足しました。その後の経済成長政策によって都市・農村の格差が急激に広がったため、2007年に農村にも「生活保護費」制度が実施されるようになりました。地域によって違いがありますが、2007年では年収857元(1万2800円)以下を対象とし、2011年に年収2300元(約2万8000円)以下に引き上げられました。
その結果、農村部の最低生活保護費受給者は6374万人から1億2238万人を越え、生活保護支給額は一人当り月約60元(約900円)であったものが、2011年には250元(約3050円)になりました。
しかし、郷村の役人がピンハネをやって騒動が起きたことがあり、ところによっては支給額を全村民で分けるといったこともあって、そのまま保護対象者の手にわたるとは限りません。

2017.06.03  巨大ポスター合戦
    -ハンガリーの政治状況(下)

盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)

政権政党の反論ポスター
 野党のポスター攻勢にたいして、政権政党であるFIDESZも反撃し、社会党は億万長者ソロスの支援を受け、JOBBIKはFIDESZから離脱しオルバン首相の政敵となった億万長者シミチカの支援を受けているという巨大ポスターを設置した。
 このポスターの左には、社会党党首ボトゥカを操るソロスが、右にはJOBBIK党首ヴォナを操るシミチカが配置されている。野党の活動資金を提供しているのは、これらの億万長者だというキャンペーンである。
 シミチカはオルバン首相の僚友として、長らくFIDESZのメディア網構築を一手に引き受けてきた。その結果、Hir TVや日刊紙Magyar Nemzet、高速道路建設会社Kozgep、街中の広告塔管理会社Mahirなどを所有し、巨額公共事業を受注し巨額の富を築いてきた。しかし、その成功は、皮肉なことに、オルバン首相との権力争いを勃発させることになり、シミチカは政権政党FIDESZを離れ、反オルバンの姿勢を示すようになった。
盛田原稿(下)用画像1
   ソロスが社会党党首ボトゥカを、シミチカがJOBBIK党首ヴォナを
   操っているという風刺ポスター

 今次のJOBBIKのポスター作戦では、シミチカ所有の広告塔会社Mahirがポスター設置の仕事を請け負った。そこから、JOBBIKのポスターキャンペーンの資金は、シミチカから出ているのではないかと囁かれている。そこからこの反論ポスターが生まれた。
 他方、社会党党首ボトゥカにたいする風刺は、党首に選ばれたボトォカが、「富者がもっと(税を)負担して、公正を実現しよう」というポスターをもじったものである。「億万長者に支えられているのが野党ではないか」というキャンペーンである。
盛田原稿(下)用画像2
 社会党は旧態依然として、貧者の味方を自認して、所得税の累進課税などを主張しているが、政権政党と同様に、野党も現在のハンガリー経済の基本問題の所在を理解していない。だから、相互にちぐはぐなポスター合戦になっている。
 来年の総選挙に備えた前哨戦が、巨大ポスターによる中傷合戦として展開されているのが、今のハンガリーの政治である。
(関連する記事は、http://morita-from-hungary.comを参照されたい)

2017.06.02  巨大ポスター合戦
    -ハンガリーの政治状況(中)

盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)

暴露される腐敗
 右左に関係なく、「長期化する独裁権力は必ず腐敗する」。現ハンガリーの政府を構成する政党FIDESZは、体制展開以後、長期に続いた社会党政権の腐敗に乗じて政権を奪取した。とくに首都ブダペストの社会党の腐敗はひどく、2014年の総選挙では拠点であった首都圏の議席をほとんど失うほどに凋落してしまった。
 社会党の腐敗批判に乗じて権力を得た現政権だが、2期続いているFIDESZ政権の幹部にかかわる腐敗の情報が頻繁に暴露されるようになった。ハンガリーでは、内閣府や省庁のトップがある程度裁量を利かせることができる予算やEU補助金がかなりある。それが政権政党の政治家やその周辺の事業者の私服を肥やしている。自由にできる巨額の資金に手を付けない政治家はいない。何のことはない、社会党時代と大差ない。だから、政治的無関心層が有権者の4割を超える。右であろうが左であろうが、政治家の腐敗に差異などないからである。盛田原稿(中)用画像1
    右がオルバン首相、左がメーサーロシュ町長

 ハンガリー首相オルバンはアルチュートドボズという小さな村に育ち、隣村のフェルチュートで小学校時代を過ごした。そのフェルチュートの現在の町長メーサーロシュ・リューリンツは、2016年現在で1000億Ft(およそ400億円)の資産を保有する長者になった。もちろん、メーサーロシュ町長とオルバン首相は切っても切れない仲にある。事業を営んでいるとはいえ、田舎町の町長がこれほどの巨額の資産を真っ当な事業で稼げるはずがない。巨額の補助金事業を受注した結果である。
2016年に偶然に、メーサーロシュ町長がアドリア海沿岸ザダル港近くに所有している別荘(220万ユーロ)の存在が明らかになった。クロアチアのサッカー選手に貸していた別荘を熱狂的サッカーファンか、あるいはマフィアが襲撃したことから、この別荘の存在が明らかになった。こうやって蓄財したお金を国外の資産購入に充てている。
 他方、オルバン首相だが、彼の父が高速道路の砂利運搬事業や、建築廃材の埋め立て事業で巨額の富を獲得した。オルバン首相は5人の子持ちだが、長女ラーヘルが年間学費58,860スイスフランもするローザンヌの大学に通っていることがメディアで報じられた。ラーヘルは自分たちのお金で学費を捻出したと強弁したが、娘婿ティボルツ・イシュトヴァーンが新設した会社が地方自治体を経由してEU補助金申請を出し、巨額の補助金を獲得して、突然に億万長者になったことも報じられた。
こういう事情から、ブダペスト市内にはオルバン首相とメーサーロシュ町長の顔写真が、大きなポスターで掲示されている。このポスターは極右翼政党とみなされているヨッビック(JOBBIK)が政治キャンペーンとして全国に設置しているもので、「彼らが(公金を)盗んでいる」、「われわれはそれを取り返そう、そして賃金引上げに使おう」と書かれている。
 このJOBBIKのキャンペーンポスターにはいろいろなヴァージョンがあり、同じく巨額の補助金取得の疑いがかけられている内閣府長官ローガンと、やはり同じ嫌疑をかけられているオルバン首相の個人的顧問ハボーニィがセットになっているポスターがある。
盛田原稿(中)用画像2
     右がローガン内閣府長官、左がハボーニィ顧問(「彼らが盗んでいる」)
 ローガンは俗物的な知恵者で、「電気・ガス料金強制値下げ」を発案した功績で内閣府長官のポストを得た。また、ハンガリー国債を30万ユーロ購入すれば、ハンガリーの永住権を取得できるというスキームを発案したのもローガンだとされる。ローガンは主として中国人を相手にしたこのビジネスで儲けるために、永住権付き国債の売買を仲介するオフショア企業を作り、この企業は70億Ftの収益を上げたと言われる。
 2016年10月には知人の結婚式に出席するのにヘリコプターを使い、ベンツの高級車が送迎したことがメディアに暴露された。もちろん、自分のお金は一切使っていない。まさに、成り上がり者である。
ハボーニィは政治家ではなく、もともと芸術短期大学で学んだ彫像家であったが、政治家との個人的関係を利用して蓄財に励み、オルバン首相の個人顧問として、芸術文化の分野の「助言者」として、威勢を張っている。たいした能力もないのに、政治家とのコネで成り上がった人物である。政権政党支持者の間でも、評判は良くない人物として知られている。
なお、ハボーニィはこのポスターの写真が無断で使用されたとして告訴している。