2017.01.11 沖縄報道にNHKの変化が見えた

隅井孝雄 (ジャーナリスト 京都在住)

12月22日、沖縄の米軍北部訓練所の半分が返還され、式典が行われた。日本政府からは菅官房長官、稲田防衛大臣らが出席、またキャロライン・アメリカ大使も出席して、祝意を述べた。しかしそこに翁長知事の姿はなかった、同じ日、同じ時間に開かれた「オスプレイ墜落事故抗議県民集会」に知事は出席したのだ。
この日NHKは政府主催式典を1分53秒間型どおり報道した後、18分間にわたって県民の抗議大会を中心に、オスプレイ事故に焦点をあてた。現地にとんだ河野憲治キャスターは、オスプレイ事故の状況、わずか6日後に飛行再開となったことに抗議する沖縄県民をインタビュー取材した。また基地返還の条件となったのは6か所のオスプレイ発着ヘリポートだったこと、高江の住民たちが強い不安にかられていることも紹介された。
沖縄に関してはこれまでのNHKの報道は、琉球放送、沖縄テレビ、琉球朝日などに比べて大きく遅れているだけではなく、本土の民放ドキュメンタリーのような積極性も欠いており、高江の問題をほとんど取り上げない、政府の立場を忖度する報道が多いという強い批判を浴びていた。
2015年6月23日の慰霊の日式典で参列者から安倍首相が「帰れ」など激しい罵声を浴びた場面で、NHKは中継放送のヤジ音声を消して放送したことが問題となったことがあった。海外メディアの多くは、ヤジがあったことをニュースとして報じ、音声を消したNHKを批判した。
 NHKは政治課題での市民のデモや抗議集会には、これまで冷淡な対応を見せるのが常であった。例えば2015年8月30日に、安保法案反対、立憲主義を守れと、国会周辺に12万人(主催者発表)が集まって、抗議行動が行われた。この日は日曜日であったため報道ステーションは翌日月曜日に12分間にわたって、市民の行動を特集報道した。これに対してNHKニュース7は当日2分間、翌日のニュースウォッチ9で30秒伝えたにとどまった。
 このような状況が続いていたことから見ると、今回の沖縄報道は大きな変化ということができるだろう。
 政府の見解を伝えると公言していた籾井会長が辞任したあとである。NHKが公正なジャーナリズム精神に立ち返り、市民の抗議活動、集会、デモ行進もきっちりと伝えてくれることを強く望みたい。
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「NHKTVの映像から」

2016.12.02   大賞に毎日新聞夕刊編集部の「夕刊・特集ワイド」
    2016年度の平和・協同ジャーナリスト基金賞

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 反核・平和、協同・連帯、人権擁護等を推進するための報道に寄与したジャーナリストらを顕彰する活動を続けている平和・協同ジャーナリスト基金(PCJF。代表委員、歴史学者・色川大吉、慶應義塾大学名誉教授・白井厚の両氏ら)は12月1日 、2016年度の第22回平和・協同ジャーナリスト基金賞の受賞者・受賞作品を発表した。
 基金賞の選考は、鎌倉悦男(プロデューサー・ディレクター)、佐藤博昭(日本大学芸術学部映画学科講師)、清水浩之(映画祭コーディネーター)、高原孝生(明治学院大学教授)、鶴文乃(フリーライター)、前田哲男(軍事ジャーナリスト)、森田邦彦(翻訳家)の7氏を審査員とする選考委員会によって行われ、候補作品69点(活字部門25点、映像部門41点、インターネット関係3点)の中から次の8点を選んだ。

◆基金賞(大賞)(1点)
 毎日新聞夕刊編集部の「夕刊『特集ワイド』における平和に関する一連の記事」
◆奨励賞(7点)
 ★ノンフィクション作家、大塚茂樹さんの「原爆にも部落差別にも負けなかった人びと」(かもがわ出版)
 ★原爆の図丸木美術館学芸員、岡村幸宣さんの「≪原爆の図≫全国巡回――占領下、100万人が観た!」(新宿書房)
 ★よしもと所属の夫婦漫才コンビ・DAYSJAPAN編集委員、おしどりマコ・ケンさんの原発問題での情報発信
 ★金澤敏子、向井嘉之、阿部不二子、瀬谷實さんの「米騒動とジャーナリズム」(梧桐書院)
 ★上丸洋一・朝日新聞記者の「新聞と憲法9条」(朝日新聞出版)
 ★瀬戸内海放送制作の「クワイ河に虹をかけた男」
 ★森永玲・長崎新聞編集局長の「反戦主義者なる事通告申上げます――消えた結核医 末永敏事――」(長崎新聞連載)

 選考委員会によると、今年度は、新聞社からの応募や推薦が少なかった。これについて、審査員の1人は「昨年は、戦後70年を機に戦後70年を総括する企画や、集団的自衛権問題、安保問題、憲法問題に取り組んだ新聞が多く、力作が目白押しだった。今年はその翌年とあって、全般的に低調。いわば“戦後70年疲れ”と いったところか」と述べた。そうした面があったものの、今年も、原爆、憲法、沖縄の基地問題、原発問題などを粘り強く追った力作が審査員の目を引いたという。 

 ■基金賞=大賞(1点)には、毎日新聞夕刊編集部の『夕刊「特集ワイド」における平和に関する一連の記事』が選ばれた。同紙の「夕刊 特集ワイド」は、夕刊二面の全面を使った大型紙面で、毎夕、さまざまな問題を取り上げている。2015年から16年にかけての紙面では、国民の関心が高い集団的自衛権、安保関連法、憲法、沖縄の基地問題、原発問題などを積極的に取り上げ、選考委では「ユニークな企画性が感じられ、現在のマスメディアの中では異彩を放つ意欲的な紙面」とされた。沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設現場で機動隊員による「土人発言」問題が起きた時、これを直ちに紙面化した点も評価された。

 ■奨励賞には活字部門から6点、映像部門から1点、計7点が選ばれた。
 大塚茂樹さんの『原爆にも部落差別にも負けなかった人びと』は、広島市福島町を中心とした地域の戦後史を描いたノンフィクション。この地域はかつて被差別部落だったが、原爆で甚大な被害を受けた。いわば、この地域の人たちは二重の苦しみに見舞われたわけだが、本書はその苦しみがどんなに深いものであったかを克明に明らかにしており、選考委では「著者はこれをまとめるのに3年を費やし、インタビューした人は60人を超える。そうした取り組みに敬意を表したい」とされた。

 岡村幸宣さんの『≪原爆の図≫全国巡回――占領下、100万人が観た!』も原爆にからむノンフィクションである。丸木位里・俊夫妻が「原爆の図」を発表したのは米軍占領下の1950年。米軍が原爆に関する報道を禁止していたから、日本国民が原爆被害の実態を知るのは困難な時代だった。ところが、本書によれば、なんと「原爆の図」巡回展が全国各地で催され、大勢の入場者があったという。「日本国民の間で今なお反核意識が強いのは、こうしたことがあったからかも。これまで知られていなかった事実を丹念に掘り起こした努力は称賛に値する」と、全会一致で授賞が決まった。

 原発問題も引き続き重大な課題とあって、原発関係からもぜひと選ばれたのが、おしどりマコ・ケンさんの『原発問題での情報発信』だった。お二人は漫才コンビだが、市民の立場から、原発事故に関し本当に必要な情報が出てこない状況に疑問を抱き、東電や政府の記者会見に出席したり、福島にも通って原発事故に関する情報を執筆、動画、講演などで発し続けている。こうした活動が「市民運動の支えなっている」と評価された。

 金澤敏子、向井嘉之、阿部不二子、瀬谷實さん(いずれも細川嘉六ふるさと研究会のメンバー)の『米騒動とジャーナリズム』は、大正時代に富山県から全国に広がった米騒動の全容を新聞報道から検証した、4年がかりの労作。そこでは、初めは米騒動に無関心だった新聞が、政府から取材規制を受けながら次第に民衆の側に立ってゆく報道姿勢の変化が立証されている。選考委では「今のジャーナリズムも、今こそこうしたジャーナリズムの歴史に目を向けて原点に戻り、庶民の側に立った報道をしてほしいという著者たちの願いが伝わってくる」とされた。

 上丸洋一・朝日新聞記者の『新聞と憲法9条』は、憲法関係からもぜひ選ばねばという審査員の配慮から授賞作となった。審査員の1人は「憲法改定が現実味をおびてきた今、憲法の眼目ともいうべき9条の意義を歴史的に、しかも、分かりやすく解明した本書の今日的意義は大きい」と語った。

 「かつてこんな医者がいたとは」と審査員全員が驚きの声を上げたのが、森永玲・長崎新聞編集局長の『反戦主義者なる事通告申上げます――消えた結核医 末永敏事――』だった。戦前、米国に留学までしながら日中戦争下に軍部への協力を拒否したため投獄され、悲劇的な生涯を閉じた医師の空白部分に迫った連載記事(長崎新聞2016年6月~10月)である。選考委では、「単に1人の医師の悲劇を明らかにしただけでなく、医師の受難とからめて現行の特定秘密保護法や、政府が目論む共謀罪に警鐘を鳴らしていることを髙く評価したい」とされた。
 
 ■映像部門では、瀬戸内海放送の『クワイ河に虹をかけた男』(満田康弘監督)が奨励賞に選ばれた。
 太平洋戦争中、タイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ「泰緬鉄道」の建設に陸軍通訳として関わった永瀬隆さんの、半世紀にわたる贖罪の足跡を追ったドキュメンタリーである。選考委は「妻の佳子さんと二人三脚でタイへの巡礼を続け、犠牲者の慰霊、連合国軍元捕虜たちとの和解、タイ人留学生の日本への受け入れなど、国がやろうとしない『戦後処理』を独力で行ってきた永瀬さんの執念に圧倒される。彼が謝罪した元捕虜たちの心の変化も捉えて、人は『戦争』にどう決着をつけるかを考えさせてくれる、深みのある作品になった」とした。
 
 ■そのほか、活字部門では、高知新聞取材班の『秋のしずく 敗戦70年のいま』、映像部門では、是枝裕和監督の『いしぶみ』(広島テレビ)、毎日放送の『テレビの中の橋下政治~“ことば”舞い散る8年~』、テレビ熊本『還らざる魂魄~シベリア・死者たちの声が聞こえる』、熊本県民テレビ『生きる伝える“水俣の子”の60年』、佐藤太監督の『太陽の蓋』、藤本幸久・影山あさ子監督の『圧殺の海第2章 辺野古』『高江 森が泣いている』が最終選考まで残った。
 荒井なみ子賞は該当作がなかった。

                              
 
 基金賞贈呈式は12月10日(土)午後1時から、東京・内幸町の日本プレスセンター9階、日本記者クラブ大会議室で開かれる。参加費は3000円。
2016.08.12  安倍政権の支持率はなぜ高いのか(3)
          ―青木理『日本会議の正体』を読んで―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 第三次安倍内閣が2016年8月4日に発足した。
防衛相稲田朋美を、メディアは「保守派」「タカ派」と呼ぶだけで、「日本会議」の中核人物とは紹介していない。都知事選で290万票を獲得し、増田寛也(自公)と鳥越俊太郎(民・共・社・生活)に圧勝した小池百合子も、日本会議国会議員懇談会の副会長であった。

《外紙から見るのは私だけではない》
 前回拙稿の「安倍ファシズム論」紹介に、読者から過剰反応との指摘を受けた。普段ならそうかもしれない。しかし、事態は大方の認識よりずっと深刻だと私は思う。

ジャーナリスト青木理(あおき・おさむ)の新著『日本会議の正体』(平凡社新書、2016年7月刊、以下「本書」)を読んだ。それで改めてそう思ったのである。青木も、敏感な海外メディアに対して、本邦メディアは鈍感だとして本書を説き起こしている。
青木の問題意識・要点・結論を抜粋しておく。

青木書の問題意識・要点・結論(本書からの抜萃)
■「日本会議」は、日本の最も強力な「ロビー団体」なのか。「極右」であり、「超国家主義団体」なのか。そして「安倍政権の中枢でますます影響力を強め」ていて、「内閣を牛耳」っているような組織なのか。/その存在の意味と今後を洞察するのが本書の目的である。(「プロローグ」、16頁)

■彼ら、彼女らは、現行憲法やそれに象徴される戦後体制を露骨に嫌悪し、これをなんとかしてでも突き崩したいと願い、宗教的出自から生じがちだった小異を捨てて大同につき、日本会議という政治集団に集結した。そうした実態を踏まえると、日本会議とは、表面的な”顔 ”としては右派系の著名文化人、財界人、学者らを押し立ててはいるものの、実態は「右派宗教団体」に近い政治集団と断ずるべきなのだろう。
そこに通奏低音のように流れているのは戦前体制――すなわち天皇中心の国家体制への回帰願望である。だとするなら日本会議の活動伸長は、かつてこの国を破滅に導いた復古体制のようなものを再来させかねないという危険性と同時に、「政教分離」といった近代民主主義社会の大原則を根本から侵す危険性まで孕んだ政治運動ともいえる。(「第三章」、154頁)

■私なりの結論を、一言でいえば、戦後日本民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている。/日本社会全体に亜種のウィルスや類似のウィルス、あるいは低質なウィルスが拡散し、蔓延し、ついには脳髄=政権までが悪性ウィルスに蝕まれてしまった。このままいけば、近代民主主義の原則すら死滅してしまいかねない。(「あとがき」、246頁)

《もう少し詳しく述べると》
 青木は問題意識と結論をどう繋げているのか。以下に半澤流で翻訳する。
■日本会議の沿革
1997年に設立された日本会議には二つの母体がある。
「日本を守る会」(1974年発足)と「日本を守る国民会議」(1981年発足)である。
「日本を守る会」は、宗教右派の組織であって、谷口雅春(成長の家)、伊達巽明(明治神宮)朝比奈宗源(円覚寺)らの初期中心人物の顔ぶれをみると、新興宗教系・神道系・仏教系それぞれの諸派の緩やかな連合である。
「日本を守る国民会議」は、学会、財界、宗教界などのインテリ右翼の結集であった。活躍した人名(故人を含む)は多々あるが、加瀬俊一、黛敏郎、清水幾太郎、小堀桂一郎、江藤淳、香山健一、村松剛、加瀬英明、瀬島龍三、塚本幸一、武見太郎、百地章、大原康男がいる。
■日本会議のイデオロギー
「守る会」は、谷口の国家的イデオロギーと明治神宮の経済的支持が大きな力となった。イデオロギーは、冷戦体制期の「反共」一本から、ポスト冷戦期用の再構築が行われた。日本会議が設立大会で決定した「基本運動方針」のうち最重要な四点は次の通りである。
①皇室の尊崇
②憲法の改正
③国防の充実
④愛国教育の推進
■運動の実績
日本会議成立前から右翼各派の活動があった。現在までの成果は次のように多様である。紀元節(「建国記念の日」)の復活、元号法制化、国家・国旗法、教育基本法の改正。これらは法律に結実したものである。
他にも多くの運動がある。『新編日本史』編纂、「新憲法の大綱」、天皇訪中反対、戦後50年決議反対、選択的夫婦別姓制度反対、外国人の地方参政権反対運動、首相の靖国参拝支持、「国立追悼施設」反対、女系天皇容認反対、などなどである。すべてが日本会議だけのものではないが、右翼が実に精力的に運動しているかがわかる。
■運動の特色
彼らはどのように組織され行動しているのか。
会員動員や地方自治体の議会決議採択など、中央からの徹底したオルグと下からの運動盛り上げ方式は、1960年代に新左翼運動からノウハウを取り入れた。長崎大学の学生運動を制圧した右翼セクトのリーダー椛島有三らに起源し、次第に全国化していった。範囲は学生から社会人に広がり「日本青年協議会」「日本協議会」ができる。

《政権中枢で「明治憲法」の復活を考えている》
 日本会議会員総数3万8千名、日本会議国会議員懇談会会員数280名、日本会議地方議員連盟加盟員1700名。全国各地の支部243。本書からはこれが日本会議の量的勢力と読み取れる。しかし彼らは多くの会員情報を秘匿している。

本書を読んで強い恐怖を感じた。政権中枢は、「日本会議」に占拠されているからである。この奇怪な集団に簒奪されているからである。有権者は、以上のような現実を知っているか。少しは知っていても、歴史的な文脈に位置づけることは、したことがあるか。我々はいつ彼らの主導するこの「体制」を承認したのか。

私は、20年前や30年前に、「日本会議」的なるものを、「無視し」「揶揄し」「馬鹿にし」ていた。サンケイ新聞と桜井よしこの住む「仮想空間」だと思っていた。しかし、我々はいま、本気で「日本会議」的なるものと、理論と実践の両面で、命を賭けて戦わねばならない情勢にあると思う。安倍政権の支持率は、上がることはあっても下がりそうもない。この国の左派とリベラルは「日本会議」に追い抜かれたのである。しかも、その自覚が薄いのである。(2016/08/07)

2016.03.23  日本にはジャーナリズムが存在するか
    ――八ヶ岳山麓から(177)――

阿部治平(もと高校教師)

さる3月3日、高市早苗総務相は放送法4条をたてに「放送局の電波停止の可能性もある」と発言した。「行政が何度要請してもまったく改善しない放送局に、なんの対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性がまったくないとは言えない」とか、テロの宣伝と見られれば停止対象だともいっている。
ニュース報道の公正性、ことのよしあしは政府が判断する、場合によってはテレビ局の存立基盤を奪うぞという、とんでもない発言である。発言対象は直接にはテレビ局だが、メディア全体に対する脅迫である。こんなものを放置していたら日本は報道統制国家になる。

ところがこれに対し、ほとんどのテレビ局は反発しなかった。数日後、ようやく青木理氏らテレビキャスターらが呼びかけ人となって高市発言を非難する記者会見をした。また池上彰氏などは「欧米なら内閣がつぶれる」といった趣旨の発言をした。
ほかにもこのような動きはあるだろうが、今に至るも全国規模には到っていない。なにしろ私の知るかぎり、テレビで「圧力とは戦う」と発言したのは、テレビ朝日「羽鳥モーニングショー」の玉川記者だけだ(ほかにもあったらぜひ教えてください)。
テレビが腰抜けなら、新聞やラジオ、週刊誌が高市総務相に辞任を迫るキャンペーンを打ちそうなものだがそうはなっていない。背景には大新聞社が系列のテレビ局を持っているという事情があるかもしれないが、それは「知る権利」の前にはいかほどの言い訳にもならない。報道機関が存在する理由は、権力の横暴を掣肘し国民の「知る権利」を保証するところにある。

「報道の自由」と「知る権利」を制限し、メディアから権力からの独立を奪えばどうなるか。記事内容が画一化する一方で、第一線で働く記者・編集者のモラルが低下するのである。
私は中国で四川汶川大地震・青海玉樹大地震などを経験したが、報道パターンはまるで同じだった。災害の実態よりも現場に出向いた党指導者の動向の方が大きく、記事の日時と地名を取りかえればいつでもどこでも間に合いそうだった。げんにテレビで女性アナウンサーが現地報告と称して架空の災害レポートをするという奇想天外の事態もあった。
「紅包(賄賂)」をもらって、たいこもち記事を書くものもいた。これが習慣になれば「紅包」がないときに悪口を書くのはあたりまえになる。事件報道でも冗長な記事があるのは、字数を多くしてボーナスを得ようという魂胆であろう。編集者もそれを承知で載せている。この傾向は地方党機関紙にいちじるしい。
もちろん中国にも公然と「報道の自由」を求める勇気ある人もいるし、ジャーナリスト魂を持った記者もいる。最近の一例をあげる。
1月7日、甘粛省武威市(シルクロードのオアシス都市)中心部で防火訓練が行われたが、周辺の建物に引火して本物の火災になった。当局者は記者らに「取材するな」と圧力をかけたが、蘭州晨報の張記者ら3人はこれを無視して現場に向かい逮捕された。9日に地元警察は逮捕理由を「買春容疑の現行犯」とし、約1週間後には「政府を恐喝した」に“変更”した、と報道された(産経2016.1.30)。

中国では、この2月習近平中国共産党総書記が新華社通信などメディアに「党の代弁者たれ」と訓示・指示したためか、16日に閉幕した全国人民代表大会の報道は、全人代代表の習近平政権賛美一色になった。こうした現象をとらえて、日本は中国とは比較にならないほど自由だ、比較する方がおかしいという人がいる。そして日本のメディアは中国の報道規制をしばしば嘲笑する。
何を笑っているのか。君が笑っているのは自分自身だ。
テレビ・ニュースをごらんなさい。どの局も同じ項目で同じような解説をしている。国際ニュースは極端なほどアメリカに偏っている。NHKテレビBSの「ワールド・ニュース」が典型だ。にもかかわらず、あなた方は世界中のできごとを報道していると思っている。そして日本国民はメディアによって世界中のニュースを知ることができると思っている。いずれも錯覚である。
南スーダンの治安や、ジブチの自衛隊の拠点はどうなっているか。前者は自衛隊のPKO派遣地であり、後者は海賊対策で設けたはずだが、いまや「国際緊急援助活動」の基地になっている。その実態がどのくらい報道されただろうか。

日本のメディアはこれという権力批判をほとんどしない。やってもかるい皮肉、虎の尾におずおずと触る程度だ。中国のように党に楯突いて記者や編集者がクビになることもない。だが権力批判の自主規制は、それとわかりにくいだけに悪質である。国民はまるでゆでガエルだ。
中国といい日本といい、なぜ権力者は「知る権利」「知らせる権利」を制限しようとするか。情報を独占して支配を維持するためである。権力批判の自主規制は権力者による情報独占への協力を意味する。それは国民の選択の権利を奪い、機会の著しい不平等を導く。
いま日本のメディアはジャーナリズム魂を失っている。そして朦朧状態のなか、中国的状況への道を歩んでいる。高市総務相批判が拡大しないのがそのあかしである。このままではやがてジャーナリズムの心肺停止、死亡が確認されるであろう。
2016.03.22  国谷裕子さん、23年間ご苦労さま。「クロ現」つぶしに抗議する
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 NHKは、視聴者の信頼を集めてきた看板番組「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子さんを、3月17日を最後に降坂させた。番組そのものを「クローズアップ現代+」に変更してゴールデンアワーの午後7時半から午後10時に動かす。キャスターは女性アナ7人が交代で務めるという。
国谷キャスターが23年間にわたり独立したキャスターとして、かなり自由に発言し、権力者におもねることがなかったため、とくに自民党政権は反感を抱いてきた。しかし、歴代政権は看板番組「クロ現」を直接槍玉にあげて、公然と攻撃することまでは避けてきたように見えた。だが安倍政権は、まずNHK会長に籾井勝人氏を押し込んだ。同会長は恥をさんざん晒し、国会でも厳しく批判されながら、NHK内部の人事と番組に魔手を伸ばし、ついに国谷キャスターの「クロ現」をつぶしたのだ。後任の女性キャスターたちはNHKの職員であり、独立したパーソナリティの国谷さんと異なりコントロールがしやすい。番組制作現場とNHK職員全体、そして新キャスターたち自身の頑張り期待するが、視聴率の低下は避けられないだろう。これは国民の視聴料で運営されている公共放送局NHKにとって、大きな損失になる。
国谷さんは、国内だけでなく、米国はじめ国際的な要人、政治家、学者、芸術家、芸能人らに直接英語でインタビューをして、生放送してきた。決して臆することがない国際インタビューは見事だった。これができるTVキャスターは、日本では国谷さんだけだ。惜しい。国谷さんの「クロ現」をつぶした安倍政権と籾井会長は、日本の放送文化に大きな損害を与えた犯罪者だ。
この春、民放でもテレビ朝日の古舘キャスターをはじめ、優れたテレビ・キャスターが降坂した(降坂させられた!)。憲法改正(改悪)を「在任中に成し遂げたい」と公然と言い出した安倍首相のお気に召すまま、あるいは自らも進んで「放送法による放送局の電波停止の可能性もある」などの暴言を繰り返す高市総務相発言など、メディアに対する政権と自民党からの攻撃が露骨になってきた。この安倍首相の「在任中に」発言の世論調査は「評価する」38%、「評価しない」49%(朝日新聞世論調査)だった。自信をもって安倍政権のあくどい攻勢に総反撃しよう。

(参考資料:朝日新聞デジタル:WEBRONZA「国谷キャスター降坂で番組コントロールを狙う」冒頭部を引用。この記事をなぜ本紙に載せなかったのか。まさか自粛したのだとは思いたくないが)

NHK「クロ現」国谷キャスター降板と後任決定の一部始終
川本裕司 | 朝日新聞記者、WEBRONZA筆者 2016年2月13日 15時
23年間にわたりNHKの看板報道番組「クローズアップ現代」のキャスターを務めてきた国谷裕子さんが3月17日を最後に降板する。続投を強く希望した番組担当者の意向が認められず上層部が降板を決断した背景には、クロ現をコントロールしたいNHK経営層の固い意思がうかがえる。
クロ現は4月から「クローズアップ現代+」と番組名を一部変え、放送時刻も午後10時からと深くなる。後任のキャスターにはNHKの女性アナウンサー7人が就くと、2月2日に発表された。ただ、7人の顔ぶれが決まるまで、「ニュースウオッチ9」の大越健介・前キャスターが浮上したり、最終局面で有働由美子アナの名前が籾井勝人会長の意向を反映する形で消えるなど曲折があったという。
複数のNHK関係者によると、黄木紀之編成局長がクロ現を担当する大型企画開発センターの角英夫センター長、2人のクロ現編集責任者と昨年12月20日すぎに会った際、国谷さんの3月降板を通告した。「時間帯を変え内容も一新してもらいたいので、キャスターを変えたい」という説明だった。
センター側は「国谷さんは欠かせない。放送時間が変われば視聴者を失う恐れがあり、女性や知識層の支持が厚い国谷さんを維持したまま、番組枠を移動させるべきだ」と反論した。しかし、黄木編成局長は押し切った。過去に議論されたことがなかった国谷さんの交代が、あっけなく決まった。
国谷さんには角センター長から12月26日、「キャスター継続の提案がみとめられず、3月までの1年契約を更新できなくなった」と伝えられた。
国谷さんの降板にNHKが動きを見せたのは、昨年10月下旬にあった複数の役員らが参加した放送総局幹部による2016年度編成の会議だった。
編成局の原案では、月~木曜の午後7時30分からのクロ現を、午後10時からに移すとともに週4回を週3回に縮小することになっていた。しかし、記者が出演する貴重な機会でもあるクロ現の回数減に報道局が抵抗し、週4回を維持したまま放送時間を遅らせることが固まった。
報道番組キャスターや娯楽番組司会者については、放送総局長の板野裕爾専務理事が委員長、黄木編成局長が座長をそれぞれつとめ部局長が委員となっているキャスター委員会が決めることになっている。番組担当者からの希望は11月下旬に示され、クロ現の場合は「国谷キャスター続投」だった。現場の意向を知ったうえでの降板決定は、NHK上層部の決断であることを物語っている。
現場に対しても「番組の一新」という抽象的な説明しかなかった降板の理由について、あるNHK関係者は「経営陣は番組をグリップし、クロ現をコントロールしやすくするため、番組の顔である国谷さんを交代させたのだろう」と指摘する。
2016.01.13 海岸で波に洗われている子供の遺体の写真が、難民への国際世論と政策を大きく変えた
― シリア紛争解決の転機に⑨ ―

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

1月2日のBBC電子版は、“アラン・クルディの伯母さんは「私の死んだ甥の写真は何百人もの命を救った」と語った”の見出しで、SNS(ツイッターやフェースブックなどのネット・メディア)に掲載された写真の巨大な影響について伝えた。昨年9月3日、SNSに掲載された、トルコの海岸の波打ち際に打ち上げられた男の子の遺体の写真に、全世界の何百万人の人々が衝撃と悲しい共感で反応した。英語版では150万人が“Refugees Welcom”(難民を歓迎する)のハッシュタグ(挿入言葉)に同調した(見た人はその何十倍あるいはそれ以上だろう。英国では国民の80%とBBCは推定)その衝撃は、ドイツ、英国をはじめ欧州諸国やカナダの世論に大きく影響、増え続けるシリア難民受け入れに反対する右派勢力の運動を押し返し、ドイツのメルケル首相をはじめ、各国政府の難民受け入れ政策を力付けた。
 日本では今年、憲法改悪を狙う安倍政権が、参院選挙で改憲勢力による3分の2を確保すべく、大規模なキャンペーンをしつつある。平和憲法を守り、政権が強行採決・成立させた安保諸法(戦争法制)廃止を目指す私たちは、安倍政権を圧倒する憲法擁護のキャンペーンを大いに展開しなければならない。SNSでも安倍政権と護憲勢力は激しく影響力を争うことになる。とくに今回の国政選挙から投票に参加する18歳以上の若者をはじめ若い有権者たちへの影響力は、テレビや新聞よりも電子メディア大きいだろう。私の世代はあまり役立ちそうもないが、護憲勢力はそのための態勢づくりを進めたい。この写真については、さまざまなメディアで既に伝えられているが、4か月後のBBC電子版の報道を見て、SNSの巨大な影響力を改めて思った。

(写真説明)
1. 昨年9月3日早朝、トルコ東岸の浜辺に打ち寄せられ、うつぶせになって波に洗われるアラン・クルディ君(3歳)の遺体。トルコのドガン通信社のカメラマン、ニリュファー・デミールが撮影。同日中にSNSで全世界に流された。
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2. この写真に反応してSNSに投稿された画。
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3. 同上
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4. 同上
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「アラブ人として、わたしはとても恥ずかしい。人間よ、安らかにお眠りください」と記されている。動物たちが人間の子供の死を悼んでいるのに、人間はメモを書いているだけ。人間愛、人道主義は無いのかと、痛烈に皮肉っている」

アラン君(3歳)の遺体がトルコの海岸に流れ着いたのは、昨年9月2日。アラン君の一家4人は、シリア北部国境の町コバネの少数民族クルド人住民。占領しようとする「イスラム国(IS)」と地元クルド人民兵との激戦が長く続いている故郷からトルコ領に脱出した。トルコ地中海岸から、業者の手配するゴムボートでギリシャ領の島を目指した。しかし、荒天でボートが転覆、乗っていたシリア難民のうち12人の遺体がトルコの海岸に打ち寄せられた。アラン君の父親のアブドラさんは助かったが、母親と兄は死亡した。

2016.01.04 目から鱗の落ちる記事はない
―2016年元旦の全国紙を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)


 2015年9月に「戦争法案」が強行採決された。今夏の参院選または衆参ダブル選挙の結果によっては、戦時が恒常化するかも知れぬといっても誇張にはなるまい。
2016年の元旦各紙を読み比べた印象を書く。私の読み比べは7回目である。対象は朝日、毎日、読売、産経、日経、東京、ジャパンタイムズの7紙。一面トップ、社説、特集記事を中心に読んだ。

《一面トップ記事は総じて低調》
 読売のトップは、「数研出版」にも三省堂同様に、教科書選定誘導のために教師招待をして検定中の教科書を見せ、意見を聴いたことへの謝礼を出していたというものである。教科書選定の過程に歪みが生ずるという批判である。たしかに検定中の教科書公開は禁じられているから、採用を狙ってカネをバラまくのはよくない。記事は、その不法性を強調して、政府介入の強化へとつなげたいという意識が感じられる。明示的ではないが、教科書検定の強化という目的から発想された記事である。「選定のあり方 再考を」なる中見出しがある。

産経のトップは、「マイナンバー」制度のソフトがプクラムに誤りのある欠陥商品だったこと、しかし「地方公共団体情報システム機構」が原因開示を拒否していることをを追求している。一般論としてはこの追求を非難はできない。しかしこの制度が、国民のプライバシーを犯し徴税に利用される懸念はつとに指摘されてきた。しかも不思議なのは、「住基カード」導入時には論争になったこの問題が、今は殆ど論じられない。新聞が市民のためのメディアなら、開示拒否批判とともに、全体的な構図のなかで論ずるべきではないのか。こういう取り上げ方は問題を矮小化している。

朝日のトップは「18歳をあるく」という若者問題である。選挙権を18歳まで下げれば、彼らは与党の援軍になるとみる人が多かった。ところがシールズの出現どころか高校生までが反安保デモに登場するに及んで、「18歳援軍論」は違うかも知れないとみんなが思い始めている。これが記事掲載の原点―少なくとも大きな要因―と思うのだが、この特集記事は焦点が絞り切れていない。消費行動やサブカルの担い手としての興味にとどまっている。PR会社の博報堂担当者による消費傾向分析から始まるのである。若者の内面には及ばない。
若者3人の「オピニオン」欄も読者には一連のものと映る。2人は格差、差別への批判と対策を論じ、1人は「デモか無言か」以外の選択肢の提唱であり、いずれも正論である。去年も感じたが、第三者に批判させる手法である。これはシリーズで続くようだから、一日だけで決定的なことは言えないが。

《毎日・東京がややマシである》
 毎日は、安倍政権が「お試し改憲」の一つに「緊急事態条項」の制定を考えていると伝えている。この提案は「3・11」に起源をもち、野党の多くも当時は検討には賛成した。国会議員の任期を暫定的に延長するなどの「非常事態立法」的な改定は、麻生太郎の「ナチに学べ」論を想起させる。

東京のトップは、安倍政権が中古武器輸出推進のために法整備を検討中と報じている。オスプレーを買って、中古武器を新しい「同盟」国へ売るのであろう。日本資本主義は安倍政権によって軍事ケインズ主義へカジを切った、とする論が台頭している。このニュースはその分析を裏付ける動きにみえる。

ジャパンタイムスの一面トップは、写真入りで従軍慰安婦合意に反撥する韓国当事者や青年層の動きを共同電を引いて報じている。

日経一面は、アジア経済圏企業家のグローバル経営戦略を報じている。日経の奉ずる新自由主義の実例集である。

以上の瞥見から感ずるのは各紙から今日の緊張感を反映した意識が伝わってこないことである。

《社説は定番化・慰安婦問題はジャパンタイムスのみ》
 社説では各紙がどんな現状認識をしているかがわかる。

読売の社説「世界の安定へ重い日本の責務」は長文だが、事態の経緯を述べるところは多いが議論には説得力がない。
テロとの戦いでは対米隷従路線を確信して変わらない。しかしさすがにアベノミクスに満点をつけられず、グジャグジシャと問題点を曖昧に論じている。憲法改正に関しては「大災害が発生した場合に備える緊急事態条項などは、真剣に検討すべきだ」と述べ、沖縄基地は「辺野古移設が最も現実的な選択肢だ」と述べる。全体に「長期的に問題の所在を議論し、合意形成を図っていかねばならない」といい、「野党も、昨年の安全保障法制の審議のように、情緒的な反対論ばかりでは困る。緊張感を持った実のある政策論議が求められる」と結んでいる。「情緒的な反対論」には笑った。非論理的で、「情緒的」で、実のない答弁が、次々と崩壊したのは安倍晋三側だったからである。

産経の社説(論説委員長石井聡「年のはじめに」)は相変わらずの日米同盟強化論である。毎年、同じ文章を掲げたらよいと思えるほどである。

日経社説「新たな時代の『追いつき追い越せ』へ」は、1人当たりGDPが下落する日本経済が、グローバル経済に生き残るための「ブランド経営」の提唱である。スイスとオランダの構造政策を手本とみている。美しい見本の提示に同感したいが、フラット化するグローバル経済化のなかで理論的にそれは可能なのか。

朝日社説は「分断」をキーワードとして、イスラム国、格差、差別などの拡大により世界に亀裂が生じていると診断し、連帯・共感を対峙させて民主主義の崩壊を防げと解いている。沖縄基地問題についてこう書いている。

  「沖縄の米軍基地問題も日本に分断を生んでいる。県民の多くが本土に求めるのは、一県には重すぎる負担の分担だ。「同胞」から「同胞」への支援要請である。しかし本土の反応は冷たい。政治は問題を安全保障をめぐる対立の構図に還元してしまう。そこに「同胞」への共感と連帯をもたらす本来のナショナリズムは見る影もない。」

これは「本土の沖縄化」の提唱ではないか。沖縄の望みはこれとは違うのではないか。日米同盟の維持はオスプレイが本土を飛び回ることと同義ではないだろう。

ジャパンタイムスの社説だけが従軍慰安婦を取り上げた。政府間合意が、両国とりわけ韓国の当事者や青年層の反撥に対応できるかに懸念を示している。日本語全国紙の慰安婦問題の取り上げ方は社説以外でも極めて小さい。慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に」解決した(resolved finally and irreversiby)というが、北朝鮮との国交回復や将来の南北朝鮮の統一は視野にないのだろうか。

《漱石に関する水村・堀江対談は秀逸》
 特集と別刷について簡単に触れる。日経の「2020ニッポンの道しるべ」は専門紙らしく企業経営、経済構造、IT・ハイテク技術、ポスト安倍予想などを巡る新情報を網羅して読ませる内容であった。別刷は各紙とも、テレビ・ラジオ番組とスポーツ記事の羅列である。
その中で没後百年夏目漱石に関する記事で、日経の作家水村美苗・堀江敏幸対談が秀逸である。朝日の山崎正和の漱石論は「プレモダン時代にポストモダンを展望した」と賞賛しているが、短文でもありわかりにくいものであった。

以上、駆け足で書いた。現状分析、将来展望、対策提言のいずれにも、私には目から鱗が落ちる記事は一つもなかった。その理由は、世界の現状がそれだけ混沌の中にあること、ジャーナリストの力量が低いこと、評者の高齢が新事象の理解を阻んでいること、によって説明できるであろう。(2016/01/02)

2015.11.26  BPO意見書が「クローズアップ現代」の放送倫理違反認定
          あわせて政府自民党の介入に警告

隅井孝雄(ジャーナリスト)


11月7日、放送倫理番組向上機構(BPO) の放送倫理検証委員会が、かねてから問題になっていた「クローズアップ現代」の「出家詐欺」の過剰演出について、6日意見書を発表した。「重大な放送倫理違反があった」ことを認定したのだ。
しかし、「クローズアップ現代」問題を総務省が警告文書を送付、自民情報通信調査会が事情聴取で呼び出したのは重大な政治介入であると批判、政府は反発している。

番組の隠し撮りなどの手法は放送倫理違反
「意見書」は28ページにわたる厖大なものだ。制作過程を事細かに調査し、事前取材が不十分、しかも裏付け取材をせずに情報提供者の話を鵜呑みにし、隠し撮り風の演出を加えた、と批判「重大な放送倫理違反があった」と結論づけた。番組は多重債務者が出家して戸籍を変え、債務記録の紹介を困難にする「出家詐欺」という闇の世界の実態を描き出そうというものであった。しかし番組の中で「出家詐欺ブローカー」とされた男性の職業や、詐欺の舞台となった事務所は実際と異なり、この場所に相談に訪れたとされる多重債務者は担当記者と知り合いだった。また相談を隠し撮りしたように放送されたが、その席に記者も同席していた、ということが検証委員会の克明な調査で明らかにされた。

唯一の調査報道番組へ温かい眼差
「クローズアップ現代」は1993年4月以来(当初は21時30分、2000年4月から19:35分の放送)、発足当時NHKニュース9の特集を切り離して独立した番組にするという構想だったため、いわゆる調査報道の手法をとる唯一の番組として、現在まで22年以上放送が続いてきた。過去オウム事件報道など何回も20%以上の視聴率を記録、現在でも10%を下がることがないNHKの看板番組である。
BPOの報告書の最後の部分は次のように述べた。「不祥事が起きると制作現場の管理が必要以上に強化され、事件の真相に迫る取材活動が萎縮する、そうしたことのないような(NHKの)配慮を期待する」。また、4月28日の「クローズアップ現代」で番組自体が行った検証放送を引用し、「自律的な検証の姿勢と真摯さは十分評価されるべきだ。番組の活力がそがれることなく、キャスター(国谷裕子)の言葉どおり、社会の真実に迫る意欲的な番組が今後も生み出されていくことを強く期待する」と締めくくった。異例のことであるが、放送倫理の検証にあたった川端和治委員長ら12人の委員の温かい眼差しを感じる。

政府、自民党との確執
この番組に対しかねてから政府自民党が快からず思っていたといわれている。7月3日、「クローズアップ現代」は菅義偉官房長官をゲストに集団的自衛権を取り上げた。国谷キャスターは「憲法の解釈を変えて良いのか」、「密接な関係を持った国のために第三国を攻撃することにならないか」、「解釈変更への違和感、不安をどのように払拭するのか」などの質問をしたことで、官邸がNHKを叱責した、との記事が週刊誌「フライデー」(7/19)に掲載された。官邸は否定しているが、記事には「NHK(担当者)を土下座させた」という表現もある。
またこの番組が打ち切りになるか、15分~20分に短縮されると"憶測"するメディア報道もある(11月10日現代ビジネス)。この番組が政府、自民党の標的になっているという認識がひろがっているといえよう。私は「クローズアップ現代」が今日の不祥事を乗り越え調査報道の真価を発揮し続けることを心から望んでいる。

政府自民党の介入行為こそ「放送法」違反
こうした状況の下で、今回のBPO意見書は総務大臣が4月28日にNHKに対し文書で「厳重注意」したことは権力介入であり、また自民党情報通信戦略調査会が事情調査のためNHK幹部を呼び出したことを批判した。
意見書はその根拠を次のように述べた。
――「高市早苗総務大臣は厳重注意の理由は『事実に基づかない報道や自らの番組基準に抵触する放送が行われたことである』という。しかし、放送による表現の自由は憲法で保障されている。また放送法の『放送法の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による自由を確保すること』(第1条第2号) という原則を定めている。ここにいう『放送の不偏不党』、『真実』や『自律』は放送事業者、制作者に課せられたものではなく、この原則を守るよう求められているのは政府などの公権力である」。
つまり放送局を呼び出し、あるいは厳重注意の文書を送りつけた政府、与党こそが憲法、放送法に違反する行為なのだ。今回のBPO倫理検証委員会の「意見書」は、政権に対して警告を発したものといえよう。

BPOの存在意義は?
BPO「放送倫理番組向上機構」は2003年、それまであった放送番組向上委員会、放送と人権委員会機構(BRO)の二つの機能を引き継ぎ発展させた自主規制機関としてNHKと民放連が設立した。「放送倫理検証委員会」「放送人権委員会」「青少年委員会」の3委員会によって構成される。
放送は電波の割り当てを政府が行うという必要性があるため、ややもすれば行政当局が内容に対する統制を行うのが当然という誤解が生じた。そこで放送の自由、自律を保障するための第三者機構を国の介入に対する歯止めとして誕生させようという構想が生まれたのだ。以来BPOは番組が放送倫理を守っているかどうか、人権を侵害していないか、青少年に不適切な番組はないか、常時見守り、必要があれば委員会で検証することを任務としてきた。
BPOの意見書に対し高市総務相は「放送法に抵触する内容であったことから、放送法を所管する立場から必要な対応をした。番組準則に違反したかどうかの最終判断は総務大臣であることから単なる倫理規定ではなく、法規範性を有する」(11/6)と反論した。
政府とBPOの見解は真っ向から対立している。安倍政権のこれまでの性格から見るとBPOの改組をNHKと民放に要求する可能性がある。しかし放送の自由、自立を守るため、BPOを擁護する必要がある、と私は思う。

2015.09.05  あるリベラルなジャーナリストの死
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

7月に亡くなった共同通信の元社長、犬養康彦さんの「お別れの会」が9月2日、東京のホテルであった。社会部出身の彼は、社会部の記者だったときも、デスクのときも、社会部長の時も、編集局長のときも、社長のときも、いつも変わらぬリベラルなジャーナリストだった。共同社会部出身のジャーナリストには、TBSのニュース・キャスターになった故田英夫、「デスク日記」の小和田次郎(原寿雄)らの伝統がある。その少し後輩の犬養さんには、自ら身を晒して政治・社会の不正や抑圧と戦うことはあまりなかったが、社内の自由な取材をささえ、励まし、権力からの絶え間ない干渉をしっかり、穏やかに跳ね返し続けた。彼が、社を退いた以後、共同通信のリベラルな伝統が次第に掘り崩されてはいるが、安倍政権の安保法制強行に対する、東京新聞を含む全国の共同通信加盟地方紙の厳しい批判を見るたびに、犬養さんも加わっていたリベラルな報道の流れを感じる。
犬養さんは、1936年の5.15事件で暗殺された、犬養毅首相の孫で、父は元法相、姉は評論家・作家の犬養道子さん、姪のJICA前総裁・緒方貞子さんら、華やかな一族の一員だった。貧乏人が多い共同通信になぜ入ったのかを聞いたことはないが、おとなしく見えて、根っからの社会部記者で、そのリベラル思想は、軍人のクーデター未遂の標的になった祖父の血が流れていたのかもしれない。
1964年の東京オリンピックで、犬養さんは社会部のキャップだった。新聞の1面トップ用の記事、開会本記を書いたが、案外地味なおとなしい記事だったのを覚えている。私も五輪担当班の一員だったが、入社4年目の社会部遊軍記者だった私は、キャップに雑用を命じられるだけで、「空いてる時間は、陸上競技を見ていろ」と指示された。陸上競技などはそれまで見たことはなかったが、観覧席の前の方に座ってみると、これぞオリンピックという感じで、面白かった。確か女子走り高跳びで、バラシュという背の高いハンガリーの選手が断然強く、魅了されたのを今でも思い出す。それが犬養流の記者の育て方だったのだろう。
1971年の世界卓球大会で、外信部の中島宏記者が、中国が米国の選手団を中国に招待し、断絶していた米中関係を中国側が開こうとしていることをスクープした。(この経過は今年7月28日の朝日新聞記事に詳しい)。共同の取材班を代表して犬養さんが、同年の新聞協会賞(編集部門)を受け取った。彼自身のスクープではなかったが、ジャーナリストとして、一番うれしかったことだったという。
2015.08.07  日経FTは第二の野村リーマンか
    ―カルチュアギャップの行方―

半澤健市 (元金融機関勤務)


 『日本経済新聞』が英日刊経済紙『フィナンシャル・タイムズ』(FT)を買収したという。極私的感想を述べたい。

《タテのものをヨコにする邦銀と日経》
 1974年のことである。三人の信託銀行員が「ウォール街40」というビルでニューヨーク支店の開店準備に奔走していた。そこに机を一つもらった私は、同じ会社だが駐在員ではなく半年足らずの「研修生」だった。金融市場をよく見てこいと命じられたのである。米大手証券の新人教育を傍聴したり、一人で米欧のカウンターパートを取材した。二重価格構造(two-tier market)の株式相場の崩壊にも遭遇した。米信託会社の資産運用現場にいたときである。エリート運用者も狼狽するのを見た。水門事件で退陣する大統領の演説もテレビ視聴した。良い勉強になった。

ニューヨーク駐在員諸兄の仕事に現地情報の報告があり、彼らは『ウォールストリート・ジャーナル』や『ニューヨーク・タイムズ』(ビジネス欄)を読んで、ヨコのものをタテにしたレポートを、東京本部へ送っていた。至急のものはテレックスで、通常は航空郵便の時代である。興銀や東銀や野村は一次情報もあろうが、新規参入者としてニューヨークへ殺到する日本の金融機関はシロウトの集団であった。
日経の米国金融記事も基本は同じである。一言でいえば現地メディア記事の要約であった。

《英米経済紙の存在感とリアリズム》 
 40年が経ち、私が退職してから20年になる。
現役時代は、米紙のほか英紙FTや『エコノミスト』を読んだ。彼らの事実報道もコラムも、ヨコタテ式記事の多い日経とは格段の差があると感じた。
今はどうであろうか。改善されていると思いたい。
日経FTに関するメディアの評価は、買収価格の1600億円の是非をめぐる損得勘定ものが多い。しかし、ことの本質は、相場情報を起源とする日経が、イギリス帝国主義のDNAをもつFTを「企業統治」できるか、である。

私のいた企業は 設立母体の一つが野村證券だった。野村が、かつての圧倒的な力を失った理由を同期の友人は、2008年の「リーマン・ブラザース」部門買収に求めている。当初に期待した相乗効果が出ず、むしろ両者の企業カルチュアの差異が、野村のアイデンテイティーを失わせたというのである。私は内部を知らないから、この判定はOBのノスタルジックな繰り言かも知れないと思う。また不調の原因はリーマン合併だけであるまい。

《第三世代も揺らぐ今、日経の統治は如何》
 早大教授の谷藤悦史氏が『マスコミ市民』(2015年8月号)に書いている。
ジャーナリズムの第一世代は主張ジャーナリズム(蘇峰や諭吉の時代)、第二世代は事実報道ジャーナリズム、第三世代は批評・解釈ジャーナリズムだという。国際的にも共通の現象だそうである。第三世代では、欧州では「ジャーナリストが良いコラムニストになる」という実例に現れている。(氏によればその成功もIT化などで揺らいでいるそうだ)。FTのコラム「LEX」や、NYTのOpinion欄の面白さを、いくらか知る者としてこの分析は納得できる。

問題は日経である。経済評論家の佐髙信は、かつて日経を「日本株式会社の機関紙」と呼んだ。なるほど、だからオリンパスや東芝のスキャンダルはスクープできないのであろう。その編集方針も以前に紹介した通りで、ポビュリズム的である。「財界の提灯持ち」である。しかしFTも提灯持ちではないのかという反論があろう。私はそうだと思っている。
FTの提灯は世界企業が信奉する「新自由主義」というスマートな理念である。
しかも世界の企業人への認知度は、FTと日経とは大差がある。役者がちがう。
「日経FT」は「野村リーマン」の二の舞になるのか。成り行きを注目したい。(2015/08/04)