2007.05.31 市民運動のあり方に多くの示唆  故田中里子さんが遺したもの
岩垂 弘 (ジャーナリスト)


田中里子さん  全国地域婦人団体連絡協議会(全地婦連)と東京都地域婦人団体連盟(東京地婦連)の事務局長を務めた田中里子さんが死去し、その「お別れの会」が4月26日、東京で開かれたが、その折、主催者の東京地婦連から、約300人の参加者に冊子が配られた。『田中里子さんへの手紙』で、親交のあった人たちが、田中さんへの追悼の言葉をつづったものだ。81年の生涯を閉じた田中さんの人柄や活動歴、業績、エピソードが各界の人々によって余すところなく活写されており、田中さんが類いまれな傑出した市民運動家であったことを改めて印象づけるものとなっている。これからの市民運動にも多くの示唆を与えるのではないか。

 冊子を一読して印象に残るのは、まず、田中さんがつちかってきた人脈の幅広さと、その人たちとの交流の密度の濃さである。冊子に収録されている追悼の言葉を寄せたのは90人と2団体。婦人団体、消費者団体、青年団体、生協、社会教育団体、平和団体、被爆者団体、公正取引委員会、企業、自治体、大学、マスコミなどの関係者が名を連ねる。

 第二は、この顔ぶれからも分かるように、田中さんの活動が婦人運動、消費者運動、平和運動という三つの分野に及んでいたことだ。活動の幅の広さにいまさらながら驚かされる。
 第三は、それぞれの分野で取り組んだ問題、課題の多様さだ。
 まず、婦人運動の分野では、女性の地位向上のために奔走した。東京地婦連の川島霞子会長は「惜別のことば」の中で、「あなたは、女性の地位向上、男女平等を説いて全国各地を廻られました。地域の女性一人一人の意識の変革を強く訴え、『種を蒔かなければ花は咲かない』があなたの口ぐせでした」と書いている。
 田中さんはまた、女性の地位を向上させるには女性の発言権を強めなくてはならない。そのためには、女性自身の組織を大きくしなくてはと考えていた。川島会長はやはり「惜別のことば」の中で「(あなたは)地域の婦人団体を大同団結し、全国地域婦人団体連絡協議会というわが国一の大きな女性組織に育て上げました」と述べている。1970年代から80年代にかけてのころには、全地婦連は全国で600万の会員を擁しているといわれたものだ。
 
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