2007.05.31
市民運動のあり方に多くの示唆 故田中里子さんが遺したもの
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

冊子を一読して印象に残るのは、まず、田中さんがつちかってきた人脈の幅広さと、その人たちとの交流の密度の濃さである。冊子に収録されている追悼の言葉を寄せたのは90人と2団体。婦人団体、消費者団体、青年団体、生協、社会教育団体、平和団体、被爆者団体、公正取引委員会、企業、自治体、大学、マスコミなどの関係者が名を連ねる。
第二は、この顔ぶれからも分かるように、田中さんの活動が婦人運動、消費者運動、平和運動という三つの分野に及んでいたことだ。活動の幅の広さにいまさらながら驚かされる。
第三は、それぞれの分野で取り組んだ問題、課題の多様さだ。
まず、婦人運動の分野では、女性の地位向上のために奔走した。東京地婦連の川島霞子会長は「惜別のことば」の中で、「あなたは、女性の地位向上、男女平等を説いて全国各地を廻られました。地域の女性一人一人の意識の変革を強く訴え、『種を蒔かなければ花は咲かない』があなたの口ぐせでした」と書いている。
田中さんはまた、女性の地位を向上させるには女性の発言権を強めなくてはならない。そのためには、女性自身の組織を大きくしなくてはと考えていた。川島会長はやはり「惜別のことば」の中で「(あなたは)地域の婦人団体を大同団結し、全国地域婦人団体連絡協議会というわが国一の大きな女性組織に育て上げました」と述べている。1970年代から80年代にかけてのころには、全地婦連は全国で600万の会員を擁しているといわれたものだ。