2008.04.30 黒澤明全作品30作の放映(4)
―5月は初期の作品を観る貴重な機会―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 08年5月のNHK・BS2で放映される黒澤作品は次の8本である。
『椿三十郎』、『野良犬』以外は、処女作から戦後第2作までの全作品であり観る機会の少ない作品が並んでいる。
 
放映日     開始時刻   タイトル (製作年)
・5月 3日(土) 21:15 『椿三十郎』    (1962年) 
・5月 5日(月) 21:15 『野良犬』     (1949年)
・5月 6日(火) 21:15 『姿三四郎』    (1943年)
・5月 7日(水) 21:15 『続・姿三四郎』  (1945年)
・5月 8日(木) 21:15 『一番美しく』   (1944年)
・5月 9日(金) 21:15 『虎の尾を踏む男達』 (1945年)
・5月10日(土) 21:15 『わが青春に悔なし』 (1946年)
・5月24日(日) 21:00 『素晴らしき日曜日』 (1947年)
 (日時は正確を期していますが新聞番組表などでご確認ください)

 『椿三十郎』は『用心棒』の続編。娯楽性が前面に出たもので三船の殺陣とストーリー展開の面白さを楽しむ映画である。
2008.04.29 ことば (16) 形容詞
英語のadjective は形容詞じゃない!?

松野町夫 (翻訳家)

中学生のとき国文法を教わった窪田先生は厳格な先生だった。外観もいかめしかったが、授業も厳しかった。あるときクラスの誰かが、連体詞がよくわからないと質問したら、先生はにこりともせず、「そうか、それならば連体詞を全部、丸暗記しなさい、たいして多いわけではないから。そのうちに自然とわかるようになる」。結局、クラス全員が暗記するはめになったが、おかげで、今でも連体詞はそらで言える: 「この その あの どの わが ほんの たった たいした あらゆる いわゆる さる きたる」。連体詞は、「この本、わが町、たいした人物」などのように体言(名詞)を修飾する。名詞を修飾するところは形容詞と同じだが、連体詞は形容詞と異なり活用はしない。

形容詞は物事の性質や状態を説明する。赤い、白い、丸い、しかくい、良い、悪い、高い、低い、美しい、みにくい、うれしい、悲しいなど。現代日本語の形容詞はすべて、語尾(終止形)が「い」で終わる。実に単純明快。すばらしい。

LONGMAN Advanced American Dictionary は、形容詞 (adjective) をつぎのように定義する。
a word that describes a noun or pronoun, such as "black" in the sentence "She wore a black hat," or "happy" in the sentence "I'll try to make you happy." --compare -->adverb

英語の形容詞も、物事の性質や状態を説明する。日本語の形容詞はすべて、英語でも形容詞となる(ただし逆は成立しない)。たとえば上述の、赤い、白いなどは、red, white, round, square, good, bad, high, low, beautiful, ugly, glad, sad となり、いずれも形容詞。しかし、英語の場合、語尾はまちまち (d, e, h, w, l, y) で規則性はない。しかも英語の形容詞の数は日本語より圧倒的に多い。数えたわけではないが実感として、たぶん数百倍、数千倍、いや、ひょっとしたら数万倍は多いと思う。これは、英語と日本語とでは形容詞の分類方法が異なることに由来する。
2008.04.28 黒澤明全作品30作の放映(3)
『用心棒』
 ―黒澤明が自賛した娯楽時代劇―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《宮川一夫のパンフォーカス》
 『羅生門』で初めて組んだカメラマン宮川一夫を『用心棒』で黒澤は再び起用した。
宮川一夫(1908〜1999)は、93年のインタビューで「『羅生門』から11年ぶりに私は『用心棒』で黒澤さんとまた御一緒に仕事をさせてもらうことになりました。私は常に映画監督とキャメラマンは夫婦の関係だと思っていますから、この場合、昔の旦那のもとへ戻って来たようなものでした」と語っている。
宮川とのコンビはこの二作だけである。宮川一夫は1926年に日活京都に入ったが、初期の作品では『無法松の一生』(稲垣浩・1943年)がよく知られている。戦後では溝口健二の『雨月物語』、『山椒大夫』、『近松物語』、市川崑『炎上』、『おとうと』などが私の印象に強く残っている。
個人的な好みをいえば、『雨月物語』における朽木屋敷の描写、『山椒太夫』のラストシーンなどは20世紀映像美の極致だと私は思っている。溝口作品では総じて柔らかな画面をつくったが、黒澤との2本ではコントラストの強い画面を作り上げた。
宮川自身は、居酒屋の窓から向かいの絹問屋まで長焦点でピントを合わせるパンフォーカスの難しさ、空っ風の吹く街道の撮影―風が強すぎると向こうが見えず弱いと迫力が出ない―の苦心を語っている。
山田洋次は渡辺浩による宮川の評伝『宮川一夫の世界 映像を彫る』(1984年)の表紙オビに「宮川一夫は、日本の映画人の誇りであり、憧れである。日本映画界の宝、という言葉はこの人のためにあるようなものだ。宮川芸術を克明に書き出したこの本を読みながら、私たち映画人は興奮せずにいられない。」と書いている。映画人にとって宮川というカメラマンはこのような伝説的な存在であったし現在もあり続けているのである。
2008.04.27 中国はチベットを手放さない(再論)
―チベット高原の一隅にて(16)

阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)

 新華社電によると、中国の胡錦濤国家主席は4月12日、オーストラリアのラッド首相と海南省三亜で会談し「チベット問題は完全に中国の内政にかかわること」と述べ、外国の干渉を許さない姿勢を強調した。また、胡錦濤主席は「ダライ・ラマ( 十四世)一味との闘争は民族、宗教や人権の問題ではない。国家の統一を守るか、あるいは祖国の分裂を許すのかという問題だ」と述べた。(共同)
 こうした発言を日本ではどう受けとめているだろうか。少数民族にたいする威圧的な政治的表現だとか、民族運動鎮圧についての弁解だと考える人がいるかもしれないが、わたしは、これを真剣な意志を表明したものとして字面どおりに受止めるべきだとおもう。3月ラサ事件に関しては映像でみるかぎり暴力と破壊そのものだから、法にもとづいて刑事責任を問うことは当然である。ただ、事件を誰が(真の演出者か)どのような政治的意図で起こしたか全体像は依然ナゾのままだ。
 チベットのみならずチュルク系、モンゴルなど少数民族の分離独立ではなく、「高度自治」あるいは自治区の区域変更などの要求までも、なぜ「国家の統一を守るか、分裂を許すのかという問題」になるのか。ここではこうした認識がうまれてから現在に至るまでの経過をたどってみたい。
2008.04.26 オバマ氏指名への流れ変わらず
ヒラリー氏ペンシルベニアで辛勝したが

伊藤力司 (ジャーナリスト)

アメリカ民主党大統領候補の指名争いの重要関門であるペンシルベニア州予備選でヒラリー・クリントン上院議員(ニューヨーク州)が辛勝、バラク・オバマ上院議員(イリノイ州)との争いがなお続くことになった。ペンシルベニア州の開票率99%でヒラリー氏の得票率54・3%、オバマ氏45・7%となり、その差は8・6ポイントである。ペンシルベニア州はもともとヒラリー氏の地盤であり、3月段階の世論調査では20ポイントの差をつけていたことからすると「辛勝」という以外にない。

AP通信の集計によると、ペンシルベニアで獲得した代議員数を加えたオバマ氏支持の代議員数は累積で1,714人、ヒラリー氏支持代議員は同1,589人となった。その差は125人である。ペンシルベニア州予備選前の差は140人だったから、ヒラリー氏はここで15人分差を詰めたわけだ。しかしまだ残っている7州と2自治領の予備選・党員集会で125人のギャップを埋めることは、専門家は至難とみている。2008年大統領選の民主党候補を指名する党大会は8月末コロラド州デンバーで開かれる。代議員総数は4,049人でその過半数2,025人の支持を得たほうが勝つ。

この4,049人のうち795人はスーパー代議員と呼ばれる。スーパー代議員は連邦議員、州知事ら選挙で選ばれた公職者、それに大統領、副大統領経験者とさらに全国および州レベルの党役員などの人々だ。各州の予備選・党員集会で選ばれる一般代議員は、選ばれた段階で党大会でどちらに投票するか決まっているが、スーパー代議員は個々に自分の判断で投票することができる。APの集計によると、スーパー代議員で4月22日までにヒラリー氏支持を明らかにした人が258人、オバマ氏支持が233人である。一般代議員ではリードされてヒラリー氏だが、党のキャリアが長いだけあってスーパー代議員では逆にリードしているわけだ。
2008.04.25 八ヶ岳山麓の四季 2
小口 隆三 

八ヶ岳山麓で春になったと実感できるのは4月半頃からです。次々に咲き出すさまざまな花に追いかけられているような落ち着かない気分になりながら、ようやくやってきた遅い春にどっぷりと浸かります。
富士見町に高森(たかもり)という古くからの地区があります。時代の流れを反映してご多分に漏れず集落の様相はじわじわと移り変わっていますが、まだ往時の山村の面影はあちこちに残っています。観音堂と呼ばれている小さな無人のお堂もその一つ、地元の人たちが共同で守り、手入れをしています。観音堂の庭には樹齢約250年の枝垂桜の老大樹があり、春には大きく広げた枝に精一杯に花を咲かせて訪れる人の感動を誘っています。最近はアマチュア・カメラマンの人気スポットになっていて、遠方から撮影に来るグループも時折見かけます。私は十年来毎春足を運んでいますが、花の色は年によって淡かったり濃かったり。今年はここ数年来では最も濃い色との印象を受けました。この観音堂から徒歩2・3分のところに作家井伏鱒二の別荘があります。
八ヶ岳山麓の四季 2

八ヶ岳山麓の四季 2

写真タイトル:「高森観音堂の枝垂桜」 (長野県富士見町で、2008年4月21日撮影)

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2008.04.24 「制度化された貧しさ」が与える衝撃
書評 堤未果著『ルポ貧困大国アメリカ』

半澤健市 (元金融機関勤務)

《女性ジャーナリストによるアメリカ虫瞰図》
 08年4月18日付の書評で紹介した中尾武彦著『アメリカの経済政策―強さは維持できるのか』はエリート官僚によるアメリカ経済の鳥瞰図であった。それに対して本書は気鋭の女性ジャーナリストによるアメリカ社会の虫瞰図である。「虫瞰」すなわち虫の目で見るとは、『何でも見てやろう』の小田実が使つた言葉だと思う。地べたからの視線で世界を見る立場である。本書では、中尾の鳥瞰図では顔の見えなかった人々が―その多くは辛い立場にあるのだが―生き生きと息づいている。彼らは自分の声で嘆き、自分の言葉で訴えている。著者の堤未果(つつみみか)は参議院議員川田龍平との結婚で話題の人だが、衛星放送「朝日ニュースター」の好番組「ニュースの深層」のアシスタントとしては口数が少なくさほど印象的ではないと感じていた。ところが著作は違うのである。アメリカ庶民の間を「虫瞰」して凄いルポルタージュを作ってくれたのである。

《プロローグからエピローグまで》
◆プロローグ
サブプライムの犠牲者取材から始めて、市場原理による「貧困ビジネス」批判を最初から展開する。

◆第1章 貧困が生み出す肥満文化
米国貧困層に対する政府の「無料・割引給食プログラム」の制度と運営の現状を伝える。米人の肥満は「過食」の結果ではなかった。「貧困」救済プログラムのメニューが、安くてカロリーだけ豊富なジャンクフードに偏るための結果だったのである。米国では肥満は貧困の象徴なのである。貧困とは世帯年収が4人家族で2万ドル以下の家族を指しその家庭の子どもを「貧困児童」とする。2005年、全米の貧困率は12.6%、18歳以下の貧困児童率は17.6%であった。ニューヨーク市では、190万人の児童の4分の1が「貧困児童」で、その3分の2が学校の「無料・割引給食プログラム」に登録している。この「貧困ビジネス」を求めて、マクドナルドやピザハットなどのファースト・フード産業が殺到する。「肥満」すなわち「貧困」が再生産される。
2008.04.23 鼓楼のある村―トン族・増衝村の人々
佐藤憲一 (写真家)

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鼓楼のある村―トン族・増衝村の人々

鼓楼のある村―トン族・増衝村の人々

鼓楼のある村―トン族・増衝村の人々

鼓楼のある村―トン族・増衝村の人々

鼓楼のある村―トン族・増衝村の人々
2008.04.22 シュールダンスをあなたと
原田克子 (詩人)

子どもたちが赤い風船をもっている
手に手に幸せを詰めた風船をもっている
遠足の日の朝雨だったこと
おもいがけず徒競走でビリにならなかったこと
思い出せる長い時間などなかったはずなのに
もう これからのことは考える必要がないかのように

遠くから大きなおとこがやってくる
静かに静かに靴音をならすこともなく
黒い木の実を入れた
堅い鞄をさげて
みたこともないお伽の國への地図を抱え
みんなで行こう と誘いにくる

ダンスを踊りましょう
蛇のようなリズムにのって
ステップを踏みましょう
羊のように並んで

あなたの暖かい指先がわたしの胸元をすべる
わたしの青い爪があなたの喉に刺さる
あなたの緑の涙がわたしの子宮に注がれる
わたしの凍った心をあなたは食べる

子どもたちは赤い風船を離す
上っていく風船に込めた思いを追いかけることもせず
二度と 戻らないもの
また 戻ってくるもの

大きなおとこはゆっくりと近づく
開いた地図のうえには
まんまるに太った蜘蛛の影がうつり
糸を張る楽しい呪文がきこえてくる

お伽の國はいつも祭り いつでも祭り

ダンスは
回転木馬にまたがるように
ステップは
離した風船にとどくように

わたしはあなたの筋張った手を握る
あなたはわたしの括(くび)れを探す
重なり 回り 回り 重なり
回り 重なり 重なり 回り

けして 隙間 を作らぬように

日英対訳版 クリックすると、日英対訳版が表示されます。
2008.04.21 黒澤明全作品30作の放映(2)
―『羅生門』にベネチア映画祭グランプリ―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《黒澤も知らなかったベネチア映画祭参加》
 『羅生門』(1950年)は公開時から絶賛されていたわけではない。評価はさまざまであった。それでも映画専門誌『キネマ旬報』のベストテンの第5位に入っている。第1位から第4位までを挙げておく。カッコ内は監督。
第1位 『また逢う日まで』(監督・今井正)
第2位 『帰郷』(大庭秀雄)
第3位 『暁の脱走』(谷口千吉)
第4位 『執行猶予』(佐分利信)
なお外国映画の第1位はデ・シーカ監督のイタリア映画『自転車泥棒』であった。

 翌51年9月にベネチア国際映画祭へ出品されたことを多くの製作関係者は知らなかった。イタリア映画の輸入業者をしていた女性の熱意が『羅生門』を母国の映画祭へ送ったのである。黒澤は荻昌弘とのインタビューでこういっている。「実は僕、あの写真がベネチアへ送られたことも知らなかったのですよ。あれを向こうへ送ってくれたのは、ほんとにイタリフィルムのストラミジョリさんの功績です。受賞祝賀会のときにも僕は言ったのだけどね、日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった、その日本映画を外国に出してくれたのは外国人であった。これは反省する必要はないか、と思うのだな」。
2008.04.20 YAMABUKI
出町 千鶴子 (画家)

YAMABUKI

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2008.04.19 「五輪後」始まる?――曲がり角の中国経済
管見中国(7)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 中国の国家統計局は16日、今年の第一・四半期(1〜3月)の経済実績を発表した。速報値で成長率は10.6%(前年同期比1.1ポイントの下落)、消費者物価(前年同期比)は8%上昇、貿易黒字(同)は49億ドルの減少である。
 この結果について、同日開かれた国務院の常務会議(日本の閣議にあたる)では、「国際経済環境におけるまれに見るほどの変化と低温雨雪氷凍災害という極めて困難な状況の下、中央の時を移さぬ力強い対応措置によって、国民経済は安定したスピードの発展を保ち、当面の全体的な形勢は予想よりよい」と自画自賛した。(『新華社』)
 成長率、貿易黒字は昨年を下回るとはいえ、多少スピードが落ちたという程度だから「安定したスピードの発展」と言ってもいいだろう。問題は物価である。3月の全人代で打ち出した今年の物価上昇の目標値4.8%を大きく上回っている。
 国務院常務会議でも「物価の構造的上昇が明らかなインフレに転化するのを防ぐことがマクロ調節の第一の任務であり、物価上昇を抑え、通貨の膨張を抑えることをこれまで以上に優先する」とした。
 中国の消費者物価上昇率は去年の5月までは3%台だったのが、6月4%台、7月5%台、8月から12月まで6%台と階段を上るように上昇し、今年に入ると1月7.1%、2月8.7%、3月8.3%と騰勢が続いている。 この上昇の主たる要因は食品、とくに肉類、乳製品などの値上がりである。とくに豚肉などは、昨秋は毎月30%ほども値上がりした。
 そこでこのインフレと言ってもいいような状況をどう見るかである。
2008.04.18 書評 中尾武彦著『アメリカの経済政策―強さは持続できるのか』
―財務官僚のみた強いアメリカの鳥瞰図―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 「アメリカ経済はなぜ強いのか。グローバル化とITなどの技術はアメリカの強さとどう関わっているのか」。これは本書の書き出しである。
 「長期的な視点に立って見れば、アメリカ経済はその開放性、柔軟性やダイナミズムに起因する基本的な強さを持っており、今後も世界経済のメイン・プレーヤーであり続けると考えている」。これは結語部分の一節である。本書はアメリカ経済の強さを分析した報告書である。著者は1956年生まれ。東大経済を出て大蔵省へ入りカリフォルニア大バークレー校留学を含め7年の滞米経験(IMF3年、日本大使館2年)をもつエリート財務官僚。現在は財務省国際局次長の職にある。

 まず著者は過去10年の強い米国経済と弱い日本経済によって両国経済の格差は大きく広がったという。それは次の数値によく表れている。(本書9頁)

         1996年       2006年
■米国のGDP(10億ドル)  7,817      13,195
  日本のGDP(10億ドル)  4,638       4,366
  (対米比率)         59.3%       33.1%
■1人当たりGDP(ドル)
 米 国         28,996      44,024
 日 本         36,898      34,181
 (対米比率)      127.2%       77.6%
■対ドル円レート 108.7円      116.3円

 アメリカ経済の良好なパフォーマンスはどこから生まれたのか。
その主因は生産性の上昇であり、背景にはITを活用した技術革新と投資があった。それをを支える開放的な投資環境と競争的な労働市場という構造があった。つまり自由な市場がアメリカ経済の成長をもたらしたというのである。さらに世界の金融センターとしてのアメリカがクローズアップされる。世界経済はいまや「グローバル金融資本主義」の時代にあり、それを推進し発展させているのがアメリカの金融市場である。そこでは25年ほどかけて、規制の自由化、グローバル化、IT技術が進み、現在の繁栄がもたらされた。
2008.04.17 石井桃子「ノンちゃん雲に乗る」
それは戦場に向かう若者のための作品だった

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 その人の訃報に接した時、私の脳裏にとっさに浮かんできたのは、その人がもらした一言だった。「そう、戦場に向かわなければならない青年たちが読んで心和むようなものを書きたかったのね。それが、『ノンちゃん雲に乗る』だったのよ」。その人とは、4月2日に101歳で亡くなった、児童文学者の石井桃子さんだ。その一言を私が聞いたのは、今から25年前のことである。

 私が東京都杉並区荻窪に一人住まいしていた石井桃子さんを訪ねたのは1983年(昭和58年)1月21日のことだ。
 当時、朝日新聞社は『新人国記』を連載中だった。1981年から始まった続き物で、都道府県ごとにそこを出身地とする著名人とその仕事を紹介するというものだった。私は岩手県と埼玉県を担当したが、埼玉県の取材で石井さんを訪れた。石井さんが浦和市(現さいたま市)生まれだったからだ。
 当時、石井さんは75歳。すでに児童文学の第一人者としての名声が高く、とりわけ『ノンちゃん雲に乗る』の作者としてよく知られていた。私もこの作品を読んでいたし、鰐淵晴子主演で映画化された作品も観ていたから、石井さんへのインタビューを前にして心が躍った。
2008.04.16 ことば (15) 現在完了
I have done

松野町夫 (翻訳家)

英語には12種類の時制がある。このうち半分の6種類は完了時制である(現在完了、現在完了進行形、過去完了、過去完了進行形、未来完了、未来完了進行形)。日本語に時制はない。当然、完了時制という概念も日本語にはない。だから、日本語の用法から完了時制を理解しようとするのは「労多くして功少なし」。苦労の多いわりによい結果が少ない。時制は、時間軸を使用すると簡単に理解できる。

過去の話をするときは、私たちは過去形を使用する。過去と現在はお互いに分離している。図中の「過去」は、先端が Now と離れていることに注意する。 I studied English.(過去に)私は英語を勉強した。
ことば (15) 現在完了

同様に、「過去から現在におよぶ話」をするときには、現在完了形を使用する。現在完了 (the present perfect) は、過去から現在におよぶ期間について話すときに使用する。(= We use the present perfect to talk about a period of time that continues from the past until now.) これが原則。「現在におよぶ」というところがミソ。現在完了は常に、現在の状況と何か関係がある。図中の「現在完了」は、先端が Now と接触していることに注意する。
I have studied English. = I studied English and I still study English.
私は英語を勉強してきている。(今も、勉強している)
ことば (15) 現在完了

2008.04.15 転換期日本のたぐい稀な国際人を活写
〔書評〕村上泰賢編『小栗忠順のすべて』(新人物往来社、¥2940)

雨宮由希夫 (書評家)

 吉川弘文館の「人物叢書」、中公や岩波などの新書に、なぜか、『小栗忠順』(おぐり
ただまさ)がないが、このたび、新人物往来社の「人物《すべて》シリーズ」に収まったことは慶賀にたえない。
 編者の村上泰賢は、小栗上野介の名で知られる小栗忠順ゆかりの曹洞宗東善寺(高崎市倉渕町権田)の住職で、ひたすら幕末悲劇の人・小栗忠順の名誉回復のために尽力されてきた。
 幕臣・小栗忠順は、文政10年(1827)に神田駿河台の小栗家代々の屋敷(いまYWCAビルがあるところ)に生まれた。小栗は万延元年(1860)、日米修好通商条約批准書交換のための遣米使節として渡米し、帰国から死に至る幕末の8年間、日本の近代化に努め、崩れ行く幕府の屋台骨を支えた人物である。が、知名度という点で、勝海舟に及ばないことは遺憾ながら認めざるを得ない。

 それというのも、勝が維新後、明治政府に海軍卿として迎えられ正二位に叙されているのに対し、小栗は慶応4年(1868)閏4月6日、隠棲先の上野国群馬郡権田(ごんだ)村(高崎市倉渕=くらぶち=町権田)で西軍により斬殺され、明治以後、逆賊扱いされたまま、今日に至っているからである。

 小栗と勝を比較して、「徳川幕府という自己の所属する組織を護るためには、国益も何もかも犠牲にして恬として恥じなかった小栗」、「欧米列強の代理戦争から、徳川という組織ではなく、日本という国家を護ろうとした勝」というが如き妄説がまかり通った時期もあった。
2008.04.14 神か仏か、ただの人か
―チベット高原の一隅にて(15)

阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)


 3月14日ラサ「騒乱」を伝えるテレビ画像、パネル写真は漢人を怒らせ、チベット人を困惑させた。この街頭行動に対する当局の非難も鎮圧も、映像の放送もすばやかった。しかも映像はいい角度から写しているものが多く、説得力があった(注1)。
 30日新華社は「ダライ集団」が黒幕となってラサ「騒乱」を画策したと非難したが、攻撃の矛先はおもに「チベット青年会議」に向けられた。同日ラオス訪問中の総理温家宝は、分裂活動をやめるなどのいくつかの原則の下でなら、ダライ=ラマと接触し談判を進めてもいいといった。(「南方週末4月3日」)
 中国政府新聞弁公室は4月2日、チベット情勢に関する記者会見をひらき、中央党学校の研究者らがダライ=ラマを非難したうえで、ダライ=ラマが「特に若いチベット僧に対し一定の影響力を有している」と分析し、チベット僧を対象に愛国主義教育をさらに進めるべきだと主張した。胡岩同校教授は、チベット僧は僧侶である以前に「中国国民」であるべきだとして、今後の対策として「(共産党が)チベットを平和的に解放した事実」を周知徹底する必要性があると訴えたという。(共同)(注2)
 わたしもチベット・チュルク系・モンゴルなど少数民族が「中国国民」意識を持つことは、「中華民族形成」にとっては困難だが重要な課題だとおもう。
2008.04.13 ハバナの朝
出町 千鶴子 (画家)

“ハバナの朝”

夜が明けるとき
南十字星のかけらが海に流れておちた
愛と平和の光がひろがって
それは この町が幸せになる
約束の印

ハバナの朝


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2008.04.12 ことば (14) 進行形
I am doing

松野町夫 (翻訳家)

英語には、状態を表す動詞と動作を表す動詞がある。 I have a book. の have は「本を持っている」という状態を表している。しかし、I read a book. の read は「読む」という単発の動作を表しているに過ぎず、「読書中」という状態を表しているわけではない。「読書」が継続・進行している状態を表すには、進行形を用いて、I'm reading a book. (= 本を読んでいる)と表現する。

通常、状態動詞は進行形にできない。もともと状態を表しているので進行形にする必要がない。動作動詞は進行形にすることができ、進行形にすると現在の一時的な状態を表すようになる。(詳しくは、動作動詞と状態動詞を参照)

進行形は、動作や物事が継続・進行している状態を表す。これが原則(基本)。

I am doing something.
= I am in the middle of doing something at the time of speaking. (原則)
話している時点で進行中の動作を表す。

Will you turn the TV down a bit? I'm reading a book now. (原則)
テレビの音量を少し下げてくれない?今、本を読んでいる最中なんだ。

恥ずかしいことに、私は学生の頃、この原則を厳密に解釈し、英語では物事が「進行中」でなければ進行形は使えないと誤解していた時期がある。「進行中」という原則ににがんじがらめに縛られていた。かなりの期間、そう思い込んで信じて疑わなかった。思い込みは恐い。
2008.04.11 八ヶ岳山麓の四季 1
小口 隆三 

「八ヶ岳山麓の四季」をテーマに、この地方の四季折々の姿を切り取ってお伝えしたいと思います。
ここでいう「八ヶ岳山麓」は八ヶ岳連峰の西側に位置する広大な裾野で、南アルプス北部の山々も視界に入ってきます。長野県の諏訪地方の半分はこのエリアが占めていて、一市・一町・一村(茅野市・富士見町・原村)がこのエリア内にあります。
ちなみに東側の山麓にはJR小海線が走っていて、山梨県と長野県が入り組んで接し、清里(山梨県)や野辺山(長野県)などがよく知られています。
私は写真を撮るのが大好きで、稀にはよく撮れたと思うものもあり、ハガキ用紙にカラープリンタで印刷して先輩・友人たちに見てもらうこともあります。
今度、お誘いをいただき、写真投稿という新たな経験に挑むことにしました。ご覧くださる方々の鑑賞に堪えるものになれば、私にとってはこの上ない励みになります。
八ヶ岳山麓の四季 1

写真説明「かすかに春めく甲斐駒ケ岳」 
井戸尻遺跡(長野県・富士見町)にて 2008年4月6日 撮影

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2008.04.10 〔書評〕植民地文学の割り切れない矛盾や曖昧さに焦点を当てる
フェイ・阮・クリーマン著・林ゆう子訳
『大日本帝国のクレオール 植民地期台湾の日本語文学』
(慶応義塾大学出版会、¥3360)

雨宮由希夫 (書評家)


  日本語のすでに滅びし国に住み短歌(うた)詠み継げる人や幾人

 孤逢万里(1926〜99)編著『台湾万葉集』(集英社、1994)に収められた和歌一首である。
 「日本語のすでに滅びし国」とは他ならぬ台湾である。日本による台湾統治50年は自分の感情や 感性を表現するには日本語、しかも和歌が一番だという「日本語世代」と呼ばれる台湾人を育てた。
 著者フェイ・阮・クリーマンの両親はともに日本の占領下で生まれ、教育を受けた「日本語世代」であるという。
 著者は本書の意図を「この戦後半世紀と言う長期にわたって沈黙を強いられ、忘却の彼方に押しやられてきた植民地期台湾の日本語文学の作家と文学作品を、二十一世紀の今に蘇らせること」であるとし、その背景に「植民地時代の台湾にて日本語で書かれたテクストは、日本の文学史では一言も言及されていない」こと、「民主化が進んだとはいえ、現在の台湾では、文学史は中国中心で、植民地時代の日本語文学はここからもはずされている」ことの2点を挙げている。
2008.04.09 ためらうことなき指導者
―チベット高原の一隅にて(14)

阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)


 ラサ14日事件の映像を見ていて「あれ?まえに見たことがあるぞ」という不思議な感じがあった。これを思い出すとこうなる(以下『中共西蔵党史大事記』)。
 1989年3月5−7日、「少数分裂主義分子」が3日にわたってラサを騒乱状態にした。清潔で知られた元中共中央総書記胡耀邦が亡くなって、天安門事件へ発展する北京学生デモがはじまる1ヵ月前のことだった。
 「暴徒は打ち壊し奪い、政府機関や学校を24ヵ所焼き、国家と人民に1千万元以上の損害をもたらした。個人経営99ヵ所、自動車20余輌、三輪車自転車50数台が暴徒によって壊された」このとき街頭行動をしたほうも銃をもちだしたので、デモ参加者だけでなく当局側にも多数の死傷者が出たといわれる。
 ときのチベット自治区党書記はいま最高指導者胡錦濤である。鉄兜をかぶって鎮圧の陣頭指揮をとったという。
7日、総理李鵬はラサに戒厳令を発令。9日、「人民日報」は新華社評論員の文章「誰がチベットでの人権を蹂躙したか」を発表し、破壊行為を非難した。「この数年の多くの騒乱事件は国外の分裂主義集団が画策したものであり、かれらがラサに潜入してほしいままに破壊行為を行って人権を踏みにじり、同時に(分裂主義者は)外国人にチベットの『人権問題』に関与するよう求めている」14日、国務院スポークスマンはラサについて中国は絶対に分裂活動を許さないと発言。16日、欧州議会が「チベットの人権に関する」決議をしたのにたいし中国は内政干渉だと抗議する。
 2008年3月14日事件の様子と、89年3月5−7日事件とはよく似ている。当局の非難、国際的同情、それに対する中国当局の反発、多くの犠牲をともなったことが印象深い。
2008.04.08 済州4・3事件60周年慰霊祭におもう――歴史認識、韓国と日本
暴論珍説メモ(37)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 済州島済州市で4月3日におこなわれた「4・3事件60周年慰霊祭」に参加した。「4・3事件」といっても、ご存知ない方も多いと思われるが、日本の植民地統治から朝鮮半島が脱して、南北二つの国家に分かれた当時の歴史の一こま、と言ってしまうには、あまりに大規模で悲惨な出来事である。
 第二次大戦で日本が降伏した後、朝鮮半島の南半分は米国、北半分はソ連(当時)の占領下に置かれた。1947年3月1日、済州島では1919年の「3・1万歳事件」(日本統治に反対した独立要求闘争)を記念する集会とデモ行進がおこなわれたが、それを解散させようと米軍政下の警察が発砲、子供を含めデモを見物していた6人が死亡し、8人が怪我をする事件がおこった。これに対して済州島民は大規模なゼネストで抗議、「発砲は正当防衛」とする米軍政当局と対立、その後、1年にわたって島は警察、右翼による民衆の逮捕、拷問に明け暮れる日々が続いた。
 この状況に共産党(南朝鮮労働党済州島党)は、1948年4月3日、武装蜂起する。島民の抵抗に依拠し、合わせて当時、米国が半島の南半分で選挙を実施し、国家を分断しようとしていたのを妨げるためであった。
 米軍政当局は現役軍人の大佐を済州地区最高司令官として派遣し、選挙を実施するが、それは失敗に終る。しかし、半島南半分での選挙によって、この年8月15日、大韓民国が成立し、それを追いかけるように9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が成立して、朝鮮半島は南北に分断される。
2008.04.07  いいことをしている生協もある
埼玉・地域の市民活動を財政的に支援

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 生活協同組合(生協=コープ)への不信が高まっている。中毒事件を起こした中国製ギョーザがコープ商品だったからだ。消費者からは「生協の売りものだった『安全・安心』はどこへ行ったのか」「生協は物を売る組織になってしまった。スーパーとどう違うのか」といった声も聞かれる。しかし、スーパーとはひと味異なった活動を営々と地道に続けている生協も少なくない。その一つを紹介しよう。

seikyo

2008.04.06 バスラ戦争はシーア派の同士討ち
ブッシュ政権にとって最悪の帰結

伊藤力司 (ジャーナリスト)

昨年9月頃から小康状態にあったイラクで3月25日突如戦火が再燃、南部の港湾都市バスラや首都バグダッドでシーア派反米過激派民兵のマハディ軍と政府軍の激戦が続いた。マリキ首相自らバスラに乗り込んで政府軍の陣頭指揮に当たり、マハディ軍を殲滅するまで戦うと宣言したが、結局は6日後に停戦となった。

400人以上の死者を出したこの6日戦争でマハディ軍は生き残り、米軍が訓練したイラク政府軍は戦闘中に脱走兵が相次ぐなど、民兵に勝てないことが証明された。実は政府軍もシーア派主体で構成されているから、この戦争は実質的にシーア派の同士討ちだった。この戦争はイラクのシーア派に強い影響力を持つイランの仲介で停戦したが、米国にとって不倶戴天の敵のイランに名をなさしめる結果になった。イラク政府軍を強化して治安維持に当たらせ、米軍を段階的に撤退させようとするブッシュ政権の思惑は怪しくなった。

イラクの人口2900万人の約60%は、イスラム教シーア派で占められる。2005年12月に行われた民主的な総選挙で、シーア派の統一イラク同盟(UIA)が多数派になったのは自然なことだった。難航した組閣交渉の末、UIAを基盤とするマリキ内閣は2006年5月に発足したが、内実は今回の6日戦争に見られるようにシーア派内では内部権力抗争が激しく闘われている。

大まかに言って、UIAはシーア派のダーワ党、イラク・イスラム最高評議会(IISC)、モクタル・サドル師派の3派の寄せ集めである。ダーワ党は1957年に結成された古参政党で、現在の党首はマリキ首相。IISCは1982年テヘランで結成されてイラン流のイスラム国家を目指し、バドル旅団という民兵組織を傘下に持つ。指導者はハキム師。

第3のサドル派は反米強硬派で、米軍の撤退期限明確化をマリキ首相に要求したが拒絶されたため、2006年4月に全閣僚を引き揚げ、9月にはUIAからも離脱して野党に転じた。約6万人といわれる民兵集団マハディ(救世)軍を擁している。
2008.04.05 黒澤明全作品30作の放映
―20世紀の日本を描いた巨匠―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 4月5日の『羅生門』を第1弾としてNHKのBS2で黒澤明全作品が放映される。
日本を代表する映画監督黒澤明(1910年〜1998年)は、処女作の『姿三四郎』(1943年)から遺作の『まあだだよ』(1993年)までの半世紀に30本の映画をつくった。NHKの放映は12月25日の『まあただよ』で終わる。月により放映本数は異なり上映順序は製作順ではない。
 黒澤全作品を鑑賞する機会はそれほど多くない。名画を上映する映画館は少なく民放テレビでの放映はCMが感興をそぐ。一体、「世界のクロサワ」の作品の多くを見ている人は意外に少ないのである。

《黒澤作品を観ることは日本を見ること》
 黒澤の作品は『生きる』や『七人の侍』ばかりではない。
 読者は勤労動員の女子工員を鮮やかにを描いた『一番美しく』をご覧になったであろうか。尾崎秀実と滝川幸辰を描いた戦後第1作『わが青春に悔なし』をご覧になったであろうか。
 焼跡から立ち上がる恋人を描いた『素晴らしき日曜日』をご覧になったであろうか。
 舞台を札幌に置き換えたドストエフスキーの『白痴』をご覧になったであろうか。
 メデイア批判を早々と先取りした『醜聞(スキャンダル)』をご覧になったであろうか。
 こんなことを言っていたら全作品を挙げねばならなくなる。
 この機会にこれらの知られざる傑作群を含めた全作品を是非ご覧になっていただきたい。日本映画フアンの私は、黒澤明を知ることは20世紀の日本を知ることだと思っている。黒澤だけが日本映画の監督ではないし、私はNHKの宣伝マンではないが、巨匠の没後10年を記念してのこの快挙に拍手をおくりたい。
2008.04.04 青のこ
原田克子 

白鳥村に舞い降りた青い生命体が
白鳥川と羽衣川の交わりの中州に住み着いた
青とも緑ともつかない背中には凹凸があり
ぬめぬめと粘液状の分泌物がある
そこに枯れ葉や虫の死骸などが付着し
異臭を発する
動きははなはだ緩慢なのに
頭や足や尾などを確認できない
体長は数メートルを超えるようだが
茂みに遮られてしまう
雛子は
くる日もくる日も
物陰にはいつくばり
目を見開いていたのだけれど
全貌はわからなかった

ある日
中州の水溜まりに群れていたお玉杓子が一匹残らず
蛙になった
すると
そちらでもこちらでも
兎が消えた、鶏が消えた、どじょうが消えた

騒ぎだした
夏には蛍も光らなかった

爺が叫んでいる
「雛、雛、どごさ行った」
恐る恐る中州の茂みに分け入った男や女やこどもが
こん棒を振り下ろす
ドスッ、ドスッ
鈍い音が村の隅々にまで鳴り響く
輪のように繋がっていた生物は
声を発することもなく、逃げようとするわけでもなく
のたうちながら一本の大きな丸太のようになり
割れ口から
上気して微笑む雛子がぽろりと生まれ出てきた


詩集『シュールダンスをあなたと』より
2008.04.03 地の塩・一粒の麦に徹す
 中島竜美さんを悼む

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 「彼こそ、地の塩、一粒の麦と呼ぶにふさわしい人だった」。1月10日に急逝したフリージャーナリストで在韓被爆者問題市民会議代表の中島竜美さん(80歳)を偲ぶ会が3月29日、東京・杉並区阿佐谷で開かれ、その死を悼んで集まった人たちは口々に在外被爆者、とりわけ在韓被爆者の援護のために半生をささげた中島さんの功績を讃えた。

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 中島さんは東京都出身。早稲田大学を卒業後、執筆活動に入った。東京から広島へ通い、もっぱら原爆被害者に関する取材にあたった。
 1960年代の半ば、そのころ、韓国在住の被爆者の実情を日本に初めて紹介した中国新聞記者の平岡敬氏(その後、広島市長)と知り合う。広島、長崎で被爆した朝鮮人は太平洋戦争後、祖国に引き揚げるが、被爆地の政府(日本政府)からも韓国政府からも放置され、身体面でも生活面でも苦境のどん底にあった。中島さんは平岡氏を通じて在韓被爆者の実態を知る。こうして、在韓被爆者援護問題が中島さんにとって終生の関心事となる。
2008.04.02 ベトナムでのある「死」と「生」と米軍撤退
丹藤佳紀 (ジャーナリスト)

三つの35周年
 1973年1月28日、ベトナム和平パリ協定発効、停戦
      3月21日、春分の日(日本の新聞休刊日)。読売新聞サイゴン支局の
            海浜慰安旅行に参加したベトナム人スタッフが水死
      3月29日、南ベトナムから米軍撤退。東京でわが長男誕生

 タイトルにある「死」と「生」を年表式にくくるとこうなる。その二つできごとも、その大きな背景となった米軍のベトナムからの撤退も35周年になる。

「かりそめの停戦」
 ベトナム和平パリ協定が調印され、長く続いたベトナム戦争に「停戦」が訪れた。35前、1973年1月28日のことである。
 停戦を監視する機関として国際停戦管理監視委員会(ICCS)が設置され、当時のベトナム民主共和国(北ベトナム)と南ベトナム臨時革命政府(解放民族戦線)側の推すハンガリー、ポーランドの両国、米国とベトナム共和国(南ベトナム)側からカナダ、インドネシアが加わった。
 それとは別に、戦争当事者同士(米国・南ベトナム、北ベトナム・臨時革命政府)による4者合同軍事委員会(JMC)が設けられた。当事者で軍事紛争を処理していこうというものである(米軍撤退後は3者合同軍事委に)。
 しかし、停戦入りまで、双方の支配地域は「まだら模様」に入り組んでいた。戦況が、朝鮮戦争のように一線をはさんで向き合うものだったら、停戦もいま少し容易だったはずだ。それだけに、この停戦協定は、調印時から実効性が疑問視されていた。
 それにもかかわらず調印−発効となったのは、南ベトナムを実質的に支えていた米国がすでに最終的な“足抜き”を決意していたからである。この結果、ベトナム戦史のビデオテープは、米国が北ベトナムへの爆撃(北爆)を始め、米地上軍が南ベトナムで参戦して本格的に介入した1965年段階の前まで巻き戻されたのである。
2008.04.01 喜劇じみたものとなった大ドラマ、「明治維新」
永井路子著 『岩倉具視−言葉の皮を剥ぎながら』 (文藝春秋 ¥1524)

雨宮由希夫 (書評家)

 明治天皇の一代前の、すなわち徳川時代の事実上最後の天皇であった孝明天皇が死亡したのは、慶応2年12月25日(1867年1月30日)のことであった。
 孝明天皇の突然の死は倒幕派を勢いづかせ、時代を一気に「明治維新」に向け押し流してしまった点で、きわめて重大な意味を持っている。また、天皇の死の直後から毒殺の噂が絶えず、岩倉具視がその首謀者として名指しされていたという。
 副題に、「言葉の皮を剥ぎながら」とある本書は、下級公家にすぎなかった岩倉具視がいかにして権力の中枢にのし上がっていったのかを、主に、孝明天皇毒殺の真相に迫る形を通じて解き明かした歴史評伝である。
 永井路子は、大正14年(1825)3月31日、東京の生まれ。その創作範囲は日本史全般にわたるが、『波のかたみ』(主人公:清盛の妻・時子)、『北条政子』といった源平・鎌倉初期を中心としたものを主流とし、かつ、『美貌の女帝』(飛鳥から平城京初めまでの女帝たち)、『氷輪』(鑑真)、『この世をば』(藤原道長)の平城・平安から、『銀の館』(日野富子)の室町を経て、『姫の戦国』(今川義元の母・寿桂尼)、『王者の妻』(おねね)、『流れ星』(お市の方)、『乱紋』(秀忠の妻おごう)の戦国から徳川へと連なる壮麗なる永井路子の世界を既に築き上げている。