2011.06.29 東日本大震災復興構想会議の提言にみる“一億総懺悔論” 
~関西から(17)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 6月25日に出された復興構想会議の提言全文を読んで、私が真っ先に感じたことは、哲学者や博物館長なども起用しただけあって文体は美文調で飾られているが、趣旨や論調は「敗戦(終戦)直後に出された“一億総懺悔論”にそっくり!」というものだった。それも新自由主義的感覚に彩られた現代風の“一億総懺悔論”の展開である。
 
戦後史を振り返ってみると、日本帝国が連合軍に対してボッダム宣言を受託し、無条件降伏をした1945年8月15日から僅か3日後に、皇族であり陸軍大将でもあった東久爾宮稔彦王が終戦処理のため首相に任命された。その東久爾宮首相が9月7日の帝国議会で行った施政方針演説に、当時の軍や政府の終戦処理対応策を象徴する以下のような有名な一節がある。

「敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります。」

すでに敗戦直後から国内治安を掌握する内務省は、新聞やラジオに対して「終戦後も開戦及び戦争責任の追及などは全く不毛で非生産的であるので許さない」との通達を出し、同時並行して各省庁は、占領軍により戦争責任追及の証拠として押収されるのを防ぐため、関係書類の組織的な焼却と廃棄を始めていた。そして国民を“悲惨のどん底”に突き落とした戦争責任を免れるため、軍や政府が組織を挙げて行った大キャンペーンが「一億総懺悔論」だった。

今回、膨大な被災者を“悲惨のどん底”に陥れた東日本大震災の復旧復興のあり方に関して、復興構想会議がいったいどのような考え方を打ち出すか、私はこの間一貫して注視してきた。だが、その基調がこのような「一億総懺悔論」になるとは夢にも思わなかった。そこには「土建国家」のもとで推進されてきた土木事業一辺倒の津波対策への原因究明もなければ、「原子力ムラ」の支配と独占によってもたらされた未曾有の原発事故に対する責任追及のカケラもみられない。一貫して流れているのは、被災者や国民に対する「一億総懺悔論」ともいうべき長々しい精神訓話である。

「一億総懺悔論」を基調とする提言は、およそ次のような構成から成っている。まず伏線として、冒頭の『復興構想7原則』において、「失われたおびただしい『いのち』への追悼と鎮魂」(原則1)、「地域・コミュニティ主体の復興」(原則2)、「地域社会の強い絆」(原則4)、「国民全体の連帯と分かち合い」(原則7)が謳われる。つまり「今を生きる私たち全てがこの大災害を自らのことと受け止め、国民全体の連帯と分かち合いによって復興を推進する」という「一億総国民」への心情的なアピールがまず打ち出される。東久爾宮風に直載にいえば、「戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります」というわけだ。

次に『前文』においては、「これ程大きな災害を目の当りにして、何をどうしたらよいのか。われわれは息をひそめて立ちつくすしかない。問題の広がりは余りに大きく、時に絶望的にさえなる。その時、程度の差こそあれ、未曾有の震災体験を通じて改めて認識し直したことは何か、われわれはこの身近な体験から解法にむかうしかないことに気づくことだ。われわれは誰に支えられて生きてきたのかを自覚化することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。その内なる声に耳をすませてみよう」と、一億国民の総反省(総懺悔)を提起する。

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