2011.10.31 ついに米軍を追い返すイラク
坂井定雄(龍谷大学名誉教授)


 2003年のイラク戦争以来、最盛時は17万人に達し、現在も3万9千人残留している米軍が、12月末までに完全撤退するという。今年末で期限切れとなる駐留米軍の地位協定に代わる新協定交渉で、イラク政府が、米国側が必死に要求した、米軍兵士の免責特権を断固として拒否し続けたためだ。米国側は、昨年末の交渉開始当初、数万規模の米軍の無期限駐留を要求、イラク側が拒否したため、4~5千人規模にまで引き下げるとともに、イラク側が訓練と治安支援のために米軍駐留を要請するよう懇請してきた。新生イラク軍は米軍の訓練を受けてきたし、米国から戦闘機とヘリコプターを購入したため、パイロットの訓練を必要としていると米側は甘く見ていたが、イラク側は米軍がもっとも嫌がる免責特権取り上げを武器にして譲らなかった。
 イラクからの米軍完全撤退の発表(10月21日)後も「オバマ大統領とペネッタ国防長官は訓練要員について、さらなる協議のドアを開いている」(ニューヨーク・タイムズ)と未練たっぷりだが、「イラクは極めて民族主義的な国だ。自国の土地に外国軍隊を置いてはならないという、彼らの考えを取り除くことはできない」とヒル元駐イラク米大使は同紙に語っている。
日本のメディアは「多数の戦死者や膨大な戦費にうんざりする世論を背景に、不人気な戦争から手を引く道を選んだ」(朝日新聞)などと解説した、オバマ大統領についてはその通りであっても、米軍と議会の好戦派はあくまで米軍大部隊のイラク駐留継続を求めていたのだ。それを不可能にしたのは、イラク政府と国民の意思であることを、まず説明すべきではないか。
しかし、「米軍、イラクから完全撤退」というのは甘いかもしれない。
米軍撤退後も、イラクには大使館警備の海兵隊など160人の軍人のほか、4~5千人の民間軍事会社からの派遣員、さらに何千人いるか分からないCIA要員が活動を続ける。
イラク軍との合同軍事演習、米軍が駐留する他国(主に湾岸諸国)でのイラク軍の訓練、米国への留学など、イラクとの軍事協力関係を維持するための案を米軍は検討中だという。米軍は2枚腰、3枚腰だ。
より重要なことは、03年以来、米国がイラクに建設した巨大軍事基地群をどうするのか、という点だ。米軍が撤退するなら、300か所を超えた米軍基地のすべてがイラクに完全返還されるはずだ。その中には、沖縄の嘉手納基地を上回る3,000メートル級の高度舗装の滑走路2本を備えたバラド、アサド両空軍基地も含まれる。米軍は基地をイラク主権下に返還しても、半恒久的に使用できるよう在日米軍基地と同様の共同使用協定やレンタル協定を結ぼうとしていた。それがどうなったのか、オバマ大統領やペネッタ国防長官の発表は、米軍基地問題にはまったく触れていないし、米国のメディアも、日本メディアもまったく報道していない。
米国がイラク戦争を始めたとき、「NO War For Oil!」(石油のための戦争やめろ!)を掲げた反戦デモが世界中で繰り広げられた。一方、「対テロ」戦争を始めたブッシュ政権は、米国の世界軍事戦略を示す文書「4年ごとの戦略見直し」で、極東から中東に至る「不安定な弧」での反米勢力が米国の安全を脅かすと主張。この地域の安定、民主化(親米化)が必要だとしてアフガニスタン、イラクでの戦争を正当化し、米軍事力の存在を強化する政策を明確にした。沖縄の普天間海兵隊飛行場移転にも直接かかわる米軍再編成もその一環だ。イラク国内での反米勢力相手には全く不相応な大米軍基地は、この「不安定な弧」の中心に位置するはずだった。その戦略は、オバマ政権になっても、まったく変化することなく、維持されていた。米国防総省と米軍は、その巨大米軍基地の確保をあきらめたのだろうか。
一方、イラク占領と同時に大挙乗り込んだ米国のメジャー(大手石油資本)は、間もなく始まった反米武装勢力の拡大で、早々と油田開発獲得に消極的になり、大半が逃げ出してしまった。09年から行われた未開発大規模油田開発の国際入札では、米国メジャーもイラク政府の特別支援を得られず、中国、ロシア、マレーシア、欧州勢などにほとんど奪われてしまった。
米国はイラク戦争で、イラク民間人だけで少なくとも10万人以上を死亡させ、その何倍もの人々を傷つけ、住居を破壊し、100万人以上を難民化した。米軍兵士も4,400人以上が死亡し、その10倍以上の兵士が負傷、あるいは深刻な精神的後遺症になった。いまなお続くアフガニスタンでの戦争と合わせ、この10年間の「対テロ」戦争で、米国は最小限の政府算定でも1兆数千億ドルの直接戦費を使い、複数の有力な研究機関の算定によると直接、間接戦争経費の総計は4兆ドルを超える。この戦争をしなければ、あるいは直接的、限定的な「対テロ」作戦だけだったなら、米国の財政赤字をこれほどまで拡大することはなく、世界経済をこれほどまで悪化させることはなかったろう。
ブッシュ政権が始め、オバマ政権が引き継いだ米国の「対テロ」戦争は、米国にとって。世界にとって何だったのか、「米国のイラク戦争の終わり」に、歴史に残す検証をしなければならないだろう。