2011.11.29
「アングロ・サクソン型」資本主義は勝利したのか ―新自由主義に抵抗する86歳の知日派―
書評 ロナルド・ドーア著『金融が乗っ取る世界経済―21世紀の憂鬱』(中公新書)
ロナルド・ドーア(1925年~)を私は社会学者と思っていた。
著者経歴欄を見ると、氏はロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒業。戦時中日本語を学び1950年江戸教育研究のため東大に留学。カナダ、イギリス、アメリカの大学の社会学部や政治学部教授、ロンドン大学LSEフェローを歴任と書いてある。実際、私に馴染み深い氏の著作は『学歴社会 新しい文明病』(岩波書店、1978年)や『イギリスの工場・日本の工場』(筑摩書房、1987年)であった。
しかし「モノ作り文化」と「カネ作り文化」の比較から出発した氏の関心は、冷戦終結と日本のバブル崩壊を契機に、「大風呂敷」になり「日独資本主義と英米資本主義の相違」の研究へと進んだ。本書『金融が乗っ取る世界経済―21世紀の憂鬱』は、その研究成果である。
多忙な読者のために結論を先にいう。過去30年の歴史は「アングロ・サクソン型」経済の勝利の歴史である。その核心は「経済の金融化」である。それは問題の多い変化であった。これが本書の結論である。本書は「経済の金融化」は如何に展開したか。「経済の金融化」が人々に何をもたらしたのか。「経済の金融化」の課題をどう考えるべきか。この三つの部分から成っている。
《「経済の金融化」はいかに展開したか》
「経済の金融化」とは何か。それは米国において金融業の利益が企業利益の王座を占めたことである。1946年から50年の間に9.5%だった金融業の利益の構成比は、2002年に41%に達した。米国経済は金融業が切り回しているのである。カネを通してカネを儲ける。これがカネ儲けの常識になったのである。それが世界に伝播したのである。しかし、そんな事態がなぜ生まれたのか。これが「如何に展開したか」の部分である。
第一の理由は金融・資本市場規模の拡大である。
事態の原因は、金融派生商品(デリバティブズ)の発明と開発である。さらには巨大な外国為替市場の出現である。のちにノーベル賞受賞の米経済学者ポール・クルーグマンによって「無駄と詐欺」と侮蔑された金融派生商品は、金融工学の秀才が製造した「まがい物」であった。ウォール街は世界のカネを呼び込んでその「上前をハネた」のである。悪名高い「サブプライムローン」は金融派生商品の一例である。為替市場は変動相場制移行を機に貿易に伴う外貨への実需と乖離した投機市場へ変貌した。
もともと金融の役割は、返済を前提とした「融資」であり、資産を運用して得る「利回り」であり、起こりうる損失を補填する「保険」の三つであった。「経済の金融化」は、金融という名の下に「膨大なギャンブルの上部構造」を構築し、実体経済の負担において、「手数料、取引コスト、資産管理コスト、ヘッジコスト」を合法的に収奪するシステムとなった。かくして金融業の巨大利益は生まれたのである。
第二の理由は「投資家資本主義」への変化である。
1930年代から60年代における米国資本主義の論点は「資本と経営の分離」、「新しい社会」、「拮抗力理論」である。当時の経営学を知る読者は、バーリーとミーンズ、ドラッカー、ガルブレイスらの名前を想起されるであろう。70年代以降、株式保有構造に機関化現象が起こり企業統治に関する「支配的な思想の変化」が発生した。著者は後者の影響を強調している。
その変化は会社経営の目的を株主利益第一にしたことである。他の企業関係者―債権者、従業員、顧客、地域社会、国家などの「ステーク・ホールダー」―へのバランスのとれた配慮は二の次になった。時価総額の増大、すなわち株価上昇だけが経営目的になった。経営者のモーチベイションが、ストックオプションを含む報酬額、短期的な利益を出さないとクビにされる懸念に左右されるようになった。経営者は投資家に雇われた召使いとなった。「経営者の時代」から「資本家(株主)の時代」への逆転が起こったのである。
第三の理由は「証券文化」の勃興である。
著者は2007年にロンドン証券取引所理事長が行った就任演説を引用している。
▼ブラウン首相が、先月の演説で、わが国を「住宅持ち、株式持ち、資産持ちの民主国家」と規定したことに対して驚きを感ずる人は、なかったはずだ。それは実に彼が指導する労働党の中核的支持層に対するメッセージだった。株式市場が健全であるということは国民の一人一人にとって共通の利益である。正にこれこそが真実なのである。伝統的な現場労働者であろうが、公共部門の従業員であろうが、中間管理職であろうが、取締役や高級官僚であろうが、国民全員にとって、我々の株持ち民主主義というのは、国民統合の一つの重要な特徴なのである。
日本中がNTTの株式公開に熱狂したのを私はよく覚えているが、著者は日本について次の三点を挙げる。
一つは年金基金の運用における政府の規制緩和と投資顧問会社の参入
二つは確定給付型年金から確定拠出型年金への移行
三つはベンチャー企業奨励のための税制措置
半澤健市 (元金融機関勤務)
ロナルド・ドーア(1925年~)を私は社会学者と思っていた。
著者経歴欄を見ると、氏はロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒業。戦時中日本語を学び1950年江戸教育研究のため東大に留学。カナダ、イギリス、アメリカの大学の社会学部や政治学部教授、ロンドン大学LSEフェローを歴任と書いてある。実際、私に馴染み深い氏の著作は『学歴社会 新しい文明病』(岩波書店、1978年)や『イギリスの工場・日本の工場』(筑摩書房、1987年)であった。
しかし「モノ作り文化」と「カネ作り文化」の比較から出発した氏の関心は、冷戦終結と日本のバブル崩壊を契機に、「大風呂敷」になり「日独資本主義と英米資本主義の相違」の研究へと進んだ。本書『金融が乗っ取る世界経済―21世紀の憂鬱』は、その研究成果である。
多忙な読者のために結論を先にいう。過去30年の歴史は「アングロ・サクソン型」経済の勝利の歴史である。その核心は「経済の金融化」である。それは問題の多い変化であった。これが本書の結論である。本書は「経済の金融化」は如何に展開したか。「経済の金融化」が人々に何をもたらしたのか。「経済の金融化」の課題をどう考えるべきか。この三つの部分から成っている。
《「経済の金融化」はいかに展開したか》
「経済の金融化」とは何か。それは米国において金融業の利益が企業利益の王座を占めたことである。1946年から50年の間に9.5%だった金融業の利益の構成比は、2002年に41%に達した。米国経済は金融業が切り回しているのである。カネを通してカネを儲ける。これがカネ儲けの常識になったのである。それが世界に伝播したのである。しかし、そんな事態がなぜ生まれたのか。これが「如何に展開したか」の部分である。
第一の理由は金融・資本市場規模の拡大である。
事態の原因は、金融派生商品(デリバティブズ)の発明と開発である。さらには巨大な外国為替市場の出現である。のちにノーベル賞受賞の米経済学者ポール・クルーグマンによって「無駄と詐欺」と侮蔑された金融派生商品は、金融工学の秀才が製造した「まがい物」であった。ウォール街は世界のカネを呼び込んでその「上前をハネた」のである。悪名高い「サブプライムローン」は金融派生商品の一例である。為替市場は変動相場制移行を機に貿易に伴う外貨への実需と乖離した投機市場へ変貌した。
もともと金融の役割は、返済を前提とした「融資」であり、資産を運用して得る「利回り」であり、起こりうる損失を補填する「保険」の三つであった。「経済の金融化」は、金融という名の下に「膨大なギャンブルの上部構造」を構築し、実体経済の負担において、「手数料、取引コスト、資産管理コスト、ヘッジコスト」を合法的に収奪するシステムとなった。かくして金融業の巨大利益は生まれたのである。
第二の理由は「投資家資本主義」への変化である。
1930年代から60年代における米国資本主義の論点は「資本と経営の分離」、「新しい社会」、「拮抗力理論」である。当時の経営学を知る読者は、バーリーとミーンズ、ドラッカー、ガルブレイスらの名前を想起されるであろう。70年代以降、株式保有構造に機関化現象が起こり企業統治に関する「支配的な思想の変化」が発生した。著者は後者の影響を強調している。
その変化は会社経営の目的を株主利益第一にしたことである。他の企業関係者―債権者、従業員、顧客、地域社会、国家などの「ステーク・ホールダー」―へのバランスのとれた配慮は二の次になった。時価総額の増大、すなわち株価上昇だけが経営目的になった。経営者のモーチベイションが、ストックオプションを含む報酬額、短期的な利益を出さないとクビにされる懸念に左右されるようになった。経営者は投資家に雇われた召使いとなった。「経営者の時代」から「資本家(株主)の時代」への逆転が起こったのである。
第三の理由は「証券文化」の勃興である。
著者は2007年にロンドン証券取引所理事長が行った就任演説を引用している。
▼ブラウン首相が、先月の演説で、わが国を「住宅持ち、株式持ち、資産持ちの民主国家」と規定したことに対して驚きを感ずる人は、なかったはずだ。それは実に彼が指導する労働党の中核的支持層に対するメッセージだった。株式市場が健全であるということは国民の一人一人にとって共通の利益である。正にこれこそが真実なのである。伝統的な現場労働者であろうが、公共部門の従業員であろうが、中間管理職であろうが、取締役や高級官僚であろうが、国民全員にとって、我々の株持ち民主主義というのは、国民統合の一つの重要な特徴なのである。
日本中がNTTの株式公開に熱狂したのを私はよく覚えているが、著者は日本について次の三点を挙げる。
一つは年金基金の運用における政府の規制緩和と投資顧問会社の参入
二つは確定給付型年金から確定拠出型年金への移行
三つはベンチャー企業奨励のための税制措置