2013.01.31
中国の憲法はこんなに立派なのに――中国民主派の改革要求
―― 八ヶ岳山麓から(58)――
中国では昨年から内外に敵をもとめる強硬策が目立つ。
習近平総書記による路線の変更か、最高指導部内の抗争の影響か、経済の成功に有頂天になったためか、人々の中共中央への不満をそらそうとするためか――その全部ではないかと私は思う。
尖閣国有化以来、中国のメディアでは「日中開戦」の文字が飛び交い、中央テレビは対日戦争を想定した特集番組をたびたび放送し、外交部報道官は自衛隊機のスクランブルに反発し、そのたびネット世論は熱狂的に「日本を討て」と叫ぶ。北京の友人は「日本でも戦争の準備をしているか」と問い合わせてきた。「局地戦」にはならないとしても、偶発的な銃撃があれば、悲劇的事件が誘発される。
他方、中国民主派の「中国選挙与治理網」と、新左派(毛沢東主義)の「烏有之郷網」のサイトは、2012年4月に閉鎖された。重慶の薄熙来事件についての評論が中国共産党最高指導部のきげんを損ねたらしい。近現代史の権威ある雑誌「炎黄春秋」のサイトも昨年末から新年にかけて閉鎖された。さらに週刊紙「南方周末」でも社説書換え事件が起こるなど言論界への統制は厳しい。
民族政策に反発するチベット人の自殺は100人に達したが、当局は、ついに自殺者の友人知人に自殺扇動容疑をかけて捕まえるまでになった。
ここに「炎黄春秋」誌1月号同誌編集部の「新年献詞」をお目にかける。先に紹介した呉敬璉教授の論文が民主改革派の経済版だとすれば、これはその法律版ともいえるものである。一部「奴隷のことば」があるが、一読されれば、中国民主派の政治改革要求も、「炎黄春秋」サイトがなぜ一時閉鎖されたかもおわかりになると思う。(翻訳と中見出しは阿部)。
憲法は政治体制改革のコンセンサスである
―「炎黄春秋」編集部(2013年第1期)
全国人民代表大会は国権の最高機関ではないのか
改革開放が始まって30数年がすぎたが、政治体制改革が停滞したため、経済改革がもたらした弊害は日ましに誰の目にも明らかになってきた。社会の不安定要素がたかまり、いよいよ政治体制改革は当面の急務となった。だが改革をどう進めるかは諸説紛々で、今までのところコンセンサス(原語「共識」)がない。古語にいう「謀定まってのち動く。共識なければ何を以て謀を定めん」と。こんにち我々の政治体制改革は「安穏」がすぎて「積極」を欠く。
ところが、実際には政治体制改革のコンセンサスはすでに存在しているのである。とりもなおさず、中華人民共和国憲法がそれである。現行憲法は決して完全無欠だとはいえないけれども、それを確実に実現することで、わが国の政治体制は大きく一歩前進することができる。
「憲法」第57条は、全国人民代表大会(以下全人大)を最高の国家権力機関であると規定し、第62条は全人大が15の職権をもつと規定し、第63条は同じく全人大が国家主席、国務院総理など国家指導者を罷免する権力をもつものと規定している。
「憲法」は国家の行政・裁判・検察の各機関はすべて全人大によって生まれ、全人大に対して責任を負い、その監督を受けるものと規定している。すなわち国家の武装力も人民に属し、国家中央軍事委員会が全国武装力を指導することになっている。
ところが実際は、全人大は決して最高の国家権力機関ではない。そればかりか「憲法」のこれら規定は実現を見ていないことを、我々は率直に認めなければならない。
阿部治平(もと高校教師)
中国では昨年から内外に敵をもとめる強硬策が目立つ。
習近平総書記による路線の変更か、最高指導部内の抗争の影響か、経済の成功に有頂天になったためか、人々の中共中央への不満をそらそうとするためか――その全部ではないかと私は思う。
尖閣国有化以来、中国のメディアでは「日中開戦」の文字が飛び交い、中央テレビは対日戦争を想定した特集番組をたびたび放送し、外交部報道官は自衛隊機のスクランブルに反発し、そのたびネット世論は熱狂的に「日本を討て」と叫ぶ。北京の友人は「日本でも戦争の準備をしているか」と問い合わせてきた。「局地戦」にはならないとしても、偶発的な銃撃があれば、悲劇的事件が誘発される。
他方、中国民主派の「中国選挙与治理網」と、新左派(毛沢東主義)の「烏有之郷網」のサイトは、2012年4月に閉鎖された。重慶の薄熙来事件についての評論が中国共産党最高指導部のきげんを損ねたらしい。近現代史の権威ある雑誌「炎黄春秋」のサイトも昨年末から新年にかけて閉鎖された。さらに週刊紙「南方周末」でも社説書換え事件が起こるなど言論界への統制は厳しい。
民族政策に反発するチベット人の自殺は100人に達したが、当局は、ついに自殺者の友人知人に自殺扇動容疑をかけて捕まえるまでになった。
ここに「炎黄春秋」誌1月号同誌編集部の「新年献詞」をお目にかける。先に紹介した呉敬璉教授の論文が民主改革派の経済版だとすれば、これはその法律版ともいえるものである。一部「奴隷のことば」があるが、一読されれば、中国民主派の政治改革要求も、「炎黄春秋」サイトがなぜ一時閉鎖されたかもおわかりになると思う。(翻訳と中見出しは阿部)。
憲法は政治体制改革のコンセンサスである
―「炎黄春秋」編集部(2013年第1期)
全国人民代表大会は国権の最高機関ではないのか
改革開放が始まって30数年がすぎたが、政治体制改革が停滞したため、経済改革がもたらした弊害は日ましに誰の目にも明らかになってきた。社会の不安定要素がたかまり、いよいよ政治体制改革は当面の急務となった。だが改革をどう進めるかは諸説紛々で、今までのところコンセンサス(原語「共識」)がない。古語にいう「謀定まってのち動く。共識なければ何を以て謀を定めん」と。こんにち我々の政治体制改革は「安穏」がすぎて「積極」を欠く。
ところが、実際には政治体制改革のコンセンサスはすでに存在しているのである。とりもなおさず、中華人民共和国憲法がそれである。現行憲法は決して完全無欠だとはいえないけれども、それを確実に実現することで、わが国の政治体制は大きく一歩前進することができる。
「憲法」第57条は、全国人民代表大会(以下全人大)を最高の国家権力機関であると規定し、第62条は全人大が15の職権をもつと規定し、第63条は同じく全人大が国家主席、国務院総理など国家指導者を罷免する権力をもつものと規定している。
「憲法」は国家の行政・裁判・検察の各機関はすべて全人大によって生まれ、全人大に対して責任を負い、その監督を受けるものと規定している。すなわち国家の武装力も人民に属し、国家中央軍事委員会が全国武装力を指導することになっている。
ところが実際は、全人大は決して最高の国家権力機関ではない。そればかりか「憲法」のこれら規定は実現を見ていないことを、我々は率直に認めなければならない。