2014.09.29  書名『花くらべ』 著者 堀田あけみ 発売 日本経済新聞出版社           発行年月日 2014年8月5日 定価 ¥700E
雨宮由希夫 (書評家)

 6つの短編と1つの中編を納めた時代小説集。私は寡聞にして堀田あけみという作家の存在を知らなかったが、いずれも作家としての個性が光る作品揃いと言い得るであろう。
堀田あけみは『1980アイコ十六歳』で昭和56年(1981)、中村高校在学中に文学賞を受賞。17歳という当時の史上最年少の受賞であり、堀田は〈名古屋の天才女子高生〉として時の人となった。以来、堀田は堀田自身が育った名古屋を舞台とする小説を書いてきた。特に初期の作品には名古屋弁を使ったものが多いとのことだが、初の時代小説である本書でも名古屋弁がふんだんに使われている。
名古屋といえば、きしめん、ういろう、味噌煮込みうどん、そして「……だぎゃ、……だで」の名古屋弁。名古屋独自の事柄があふれている名古屋は明らかに東京とも大阪とも異なるが、京都ともまた別の文化圏を形成している。名古屋は信長、秀吉、家康と天下統一の英雄を出すことはあっても、歴史上一度も王城の地になったことがない。にもかかわらず、名古屋には京都、東京と較べて遜色ない雰囲気がただよっている。名古屋を東京、京都(西京)と並べて中京というのはただ単に名古屋が両都の中間に位置するからだけではないであろう。
名古屋を「中京」に押し上げた人物の筆頭として、徳川宗春(とくがわ むねはる)(1696~1764)をあげることは当を得ているであろう。御三家の雄、尾張徳川家7代藩主の宗春は8代将軍徳川吉宗の享保年間、質素倹約を強いるばかりの幕府に真っ向から対抗して、遊興を奨励するなどの大改革で、尾張名古屋に空前の繁栄をもたらした人物である。「遊芸、音曲は勝手たるべきこと、芝居興行も自由、遊郭も各所に設けよ」と、享保15年(1730)、宗春は藩祖以来禁止されていた遊郭の設置を認めたので、名古屋城下には全国から1000人を超える遊女たちが集まり、江戸、上方の役者が流入したという。
本書はその宗春治世下の尾張名古屋を舞台とした時代小説である。江戸でもなく、京・大坂でもなく、かといってまったくの田舎でもない尾張名古屋。町全体が未成熟であるにもかかわらず、宗春によってもたらされたバブルに沸く町の雰囲気や人が巧に描かれている。
主人公は尾張宗春時代に尾張に生きた女性たちで、当然ながら年齢も職業も背景も違う。
「花咲か」のヒロインは京の遊郭から尾張に流れてきた遊女・はなさき。愛想のない遊女であるが、京女は廓が公に認められた当初には最上級とされた。
「角の紅」のおさよは小間物屋の娘で、母に代って小間物を商う小店の店番をしている。
「葉桜」のおみねは遊女から菓子屋の後添いになった。
「徒花」のヒロイン桔梗屋のおれんは、わがままいっぱいに育った商家の娘。芝居の役者に恋をする。
「此岸の花」は材木屋を生家として裕福な娘時代を送り、武家の男に淡い恋心を抱いたこともあったが、いまは呑み屋を営む独り者の老女おうめが主人公。
「此の花咲くや」は「藻くぐり」とよばれる地元出身の比較的若い2人の遊女のライバル物語。三浦屋のことぶきともんじ屋のこのはなは、値が張るばかりと敬遠される京女にかわり、尾張名古屋で一番の美女を争っている。なお「藻くぐり」とは熱田の海から上がる脂ののった新鮮な魚になぞらえた言葉である。
 このように、短編のヒロインたちは商家の娘と遊女たちである。商家の娘も、今を盛りの娘から元娘まで、遊女も亰から流れてきた者から地元で育った遊女まで、と幅広い。彼女たちの世代の違いは深刻で、同じ宗春時代とはいっても、微妙な世相の違いに影響されて、それぞれの生き方があることを読者は知る。
 本書において宗春は様々な娯楽を尾張の町に呼び込んだ歓迎すべき「新しい殿様」として登場するが、やがて、遊興が日常茶飯事となり、若者の士気が格段に落ちるや、謹厳実直を旨としていた尾張藩の美徳を損なった殿様として批判されると造形されている。「公方様の怒りを買い藩主が変わり、名古屋は再び静かな町に」は宗春時代の終焉を意味する。
 名古屋を空前の繁栄に導いたが、風俗は紊乱。宗春は藩の士風は乱れたため、享保20年(1735)ごろ、乱れた藩の士風を引き締めるべく、藩士の遊郭出入りを禁止し、遊郭を整理するが、元文4年(1739)失脚、隠居を命じられる。享保の改革を批判された将軍吉宗の宗春への憎しみは深く、宗春の墓石には埋葬された死者が罪人であることをあらわす金網がかぶせられたと史書は伝える。
いちばん読みごたえがあるのは末尾に置かれた中編「花影」である。「花影」は6つの短編の集大成の意味を持っている。
「花影」のヒロインは、商家の娘でも遊女でもなく、しぶしぶ商家に嫁いだプライドの高い武家の娘・秋江(あき)。「町が華やぎ、町人、特に商家の羽振りが良くなった昨今」、尾張藩士である父・岡谷広之進の思惑で、有名な大店、長者町の呉服屋富士屋の跡取り息子・庄兵衛に嫁ぐ。たとえ商家に嫁いでも、心は武家の娘としての誇りを忘れまいと、心に決めていた秋江にとって、初夜の床で早々に眠ってしまい、婚礼の翌日には廓郭通いをする夫庄兵衛の行動は理解しがたいものだった。廓には初菊という馴染みの「藻くぐり」がいた。
一方、秋江には互いに惹かれあう従兄が存在する。尾張藩御台所奉行、橘源之助の弟の橘究(たちばな きわむ)である。究は部屋住みの次男坊。究は剣の道に励む男を武士の鑑と尊敬する女子こそが妻とするに相応しいと、自分の生き方を貫いているが、世の中は究の望まぬ方へ流れていく。武士の中にも、好いた惚れたを主題とする芝居や浄瑠璃にうつつを抜かしたり、遊郭に上がったりする者が現れ、また、殿様の宗春までが、それを奨励し、殿様の派手な出立を真似にする役者も出現する。
江戸時代、次男以下で家督を相続できない者を部屋住みといった。歴史の皮肉といおうか、宗春も吉宗も部屋住みであった。宿命のライバルである二人は相似した生い立ちを持っている。思いもよらぬ経緯から、ひとりは将軍の座に、もうひとりは尾張藩主の座についている。作家が橘究に同時代人の宗春と吉宗を投影している風はないが、歴史の背景を想いつつ、この物語を味わうことは愉しい。
秋江と究、従兄妹同士の恋情を冷めた眼で見る庄兵衛が運命を受け入れて精一杯に生きようとしている妻秋江の心と体を弄ぶシーンは底知れぬ不気味さがただよう。夫婦の交わりが頻繁ではない分、秋江の性の歓びは深い。喘ぐ妻を翻弄しつつ、「これで、しばらくは御無礼するでなも」と庄兵衛は事もなげに言い放つのである。現代では「さようなら」の挨拶言葉で常用される「御無礼する」という名古屋弁の使われ用に言いようのない深遠さを味わってゾッとする。
物語の進展に沿って次第に浮かび上がってくるものは女という性、女という生き方そのものであり、揺れ動く女心の絶妙な心理描写が作家堀田あけみの世界そのものといえる。
日経文芸文庫の一冊として刊行された本書は、「17年前に書いた小説の文庫化」である。単行本として本書は名古屋の海越出版社から平成10年(1998)4月に刊行されている。なお、宮城谷昌光を世に送り出したことでも知られる海越出版社は中京地区の文化のシンボルの一つとされたが、平成11年(1999)8月に自己破産している。
名古屋づくしの本書の帯に、「もう一つ、女の花を咲かさずにおくものか」とあるが、「女の花」は「名古屋の花」とも読める。思い入れたっぷりの「あとがき」「解説」も読みどころの一つである。
(平成26年9月13日  雨宮由希夫 記)