2014.09.30   ダライ・ラマが転生しないとしたら
      ――八ヶ岳山麓から(116)――

阿部治平(もと高校教師)

チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(79歳)が、ドイツ紙「ウェルト」との会見で、自身の後継問題を踏まえて、「チベット仏教の転生制度を廃止すべきだ」と述べたことが、波紋を広げている。中国外務省の華春瑩報道官は10日の記者会見で、「発言はチベット仏教の正常な秩序を大きく損なうもので、中央政府と信者は絶対に認めない」と反発し、転生制度の維持を求めた。
このニュースを伝えた「産経」矢板明夫記者はつぎのように記している(2014.9.10)。
「中国政府は、無神論を信奉する共産党の一党独裁ながら、チベットでの転生制度を容認。高位の活仏だったパンチェン・ラマ10世が1989年に死去した後は、ダライ・ラマ側と競う形で後継の霊童探しが展開され、中国政府『公認』の候補が『パンチェン・ラマ11世』となる一方、ダライ・ラマ側が選んだ別の少年は行方不明となった」

チベット仏教の頂点に立つダライ・ラマが「転生ラマ制度はやめた」といい、唯物論哲学にもとづくはずの中国共産党が「輪廻転生」制度の継続を主張するのは、ことがさかさまである。だが、よくみるとかならずしも逆ではない。
もともと中共は現実主義の政治集団で、必要とあらば社会主義的イデオロギーをいとも簡単に捨ててきた。毛沢東は文化大革命のとき、「マルクス主義はつきつめれば造反有理(上のものを叩きのめすのはいいことだ)ということだ」といった。これは、私をぶん殴った高校生たちと共通の「思想」で、べつにマルクス主義ではない。鄧小平の改革開放・経済の市場化政策もマルクス・レーニン主義とも、さらには毛沢東思想ともまったく縁がなかった。
中共が高僧の「輪廻転生」を容認し維持してきたのは、チベット人地域を完全に制圧するためである。ダライ・ラマの影響力でチベット人の「造反」を抑え込むことができるなら、「迷信」だってなんだってかまわない。「輪廻転生」おおいに結構、唯物論的世界観など問題ではないということだ。
こんなわけでいままで、中国の国家民族委員会は14世ダライ・ラマの死去を待って、「中共好み」の「15世」を立てるつもりでいた。だからインドにある亡命政府との交渉もまじめにやらなかった。

ダライ・ラマの転生制度廃止発言は、中共中央のこの思惑に足払いをかけたものである。意図がはっきりしている。だが転生ラマ制度の存廃問題はいまに始まったことではない。
1969年にダライ・ラマはこの制度を続けるかどうかについて「広大な大衆が決定すべきものだ」と問題を提起した。2011年9月には、彼は歴代ダライ・ラマが担任した政治指導者の地位から下り、宗教に専念することにした。
このときダライ・ラマは、1世ダライ・ラマ、ゲンドン・トゥプパ(1391~1474)の年齢(数えで84歳)に達したら、転生制度を継続するか否か、各宗派の大ラマとチベット民衆と世界の信徒に訊ねるつもりだ。転生制度がどうしても必要だとなり、15世の霊童を認証するときがきたら、伝統的な方法で行え。中国の政治指導者を含めて、政治の必要によってダライ・ラマの転生霊童を選出したときは、誰もこれを認めたり信仰したりしてはならぬ。これをよく記憶せよ、といった。そしてまだ84歳にはならないが、今年9月10日に至って「廃止」を明言したのである。

さあそこで、転生制度をやめたときなにがもたらされるか。
中国当局はこれに対する準備をしてこなかったからひどく衝撃を受けた。民族委員会は困惑し怒り、それが外交部華春瑩報道官の「チベット仏教の正常な秩序を大きく損なう」という発言になったのである。
だがそればかりではない。チベット人民衆もとまどう。先に10世パンチェン・ラマを失い、今後ダライ・ラマ後継者がいないとすれは人々は心の支えを失う。さらにチベット人地域にはダライ、パンチェン両ラマのほか、多数の転生ラマがいる。ここでは身近のラマがどうなるのかという問題も生まれる。
もっとも、中国政府がダライ・ラマ発言など無視して転生制度を維持しようとすれば、かたちの上では存続できる。ところが次に来る15世ダライ・ラマは現在の11世パンチェン・ラマと同じような有形無実の存在になる可能性が十分にある。チベット人民衆が信じるふりをしながら崇拝しない、という面従腹背の態度をとるからだ。
そこで現在の11世パンチェン・ラマについて少し話します。

チベット仏教では「輪廻転生」観によって、高僧の死後その転生者すなわち霊童探しをやる。1989年チベット仏教第二の高僧10世パンチェン・ラマは、本拠地タシルンポ僧院で中共批判の大演説のあと急死した。まもなくタシルンポ僧院は中国政府公認の下で、霊童探しを始めた。ところが、僧院捜索委員会のチャデル・リンポチェは中国の意向を受入れるふりをして、実際にはインドのダライ・ラマと密かに通じ、ダライ・ラマが認定した男の子を「11世」として中国政府に認定させようと画策した。だがことは露見した。
江沢民政権は大いに怒り、ダライ・ラマ認定の霊童ゲンドン・チューキ・ニマを両親とともに拘束・拉致した。この坊やは当時「世界で最も小さな政治犯」とよばれた。チャデル以下チベット側関係者は逮捕され、チャデルは「国家機密漏洩罪」「国家分裂罪」で懲役6年、さらに政治権利停止3年の刑を受けた。
江沢民政権は「清帝国がやったように、中国もダライとパンチェン両ラマの選定をやる権限がある」と主張し、あらためて霊童探しをやらせ、さらに候補者の中からくじ引きで(「金瓶掣籤」という)をやって、新しい11世としてギェンツェン・ノルブを選び、「偉大な勝利」を誇った。
次にこの「11世」をどこで「中国好み」に教育するかが問題となった。タシルンポ僧院では「毒殺」の恐れがあって危ない、というので青海のクンブム僧院(タール寺)に依頼した。クンブム僧院長アジャ・ゲゲンは勇敢にもこれを断った。彼は政府からの圧力が強まると、国際宗教会議にかこつけてアメリカへ行き、それきり帰って来ない。
この一連のできごとは、国際的大スキャンダルであるが、江沢民にはこれがわからなかった。
いま中国政府の11世パンチェン・ラマは北京にいる。ときどきテレビに出て「中国好み」の発言ができるようになった。ところが、これがなかなかチベット人に崇拝されない。
「11世」は、先代の10世パンチェン・ラマが幼時に修業した青海省循化のインドゥ寺院と近くの生家を訪れたことがある。このとき、現地政府は歓迎の形を整えるためにわざわざ近隣の農牧民を動員しなければならなかった。これにひきかえ「10世」の娘が父親の実家を訪れたときは、周囲住民の大変な歓迎を受けたというはなしがある(パンチェン・ラマに娘がいるとは?!)。

さらに中国政府はチベット高原のめぼしい寺院にいる大勢の転生ラマもみな「中国好み」にしたい。それには寺の管理を強化し、都合のいい人を各地寺院のラマに選ばなくてはならない。そこで2007年9月、政府は寺院を等級別に分け、対応する地方政府が転生ラマを認定するように定めた。「蔵伝仏教活仏転生管理辦法」である(「活仏」、漢語でいう転生ラマのこと)。こうなると有象無象いろんな転生ラマができあがる。
「認定制度」まえのことだが、私はさる転生ラマを教えたことがある。スーツに白いソフト帽のおしゃれな青年だった。クラスメートは彼に敬意を示したが、彼は私をだまして布施させ、女子学生とつきあい、試験のときはあらかじめ問題を教えるよう要求した。自分はラマだから成績が悪かったらみっともないとのことであった。

国家民族委員会副主任だったプンツォク・ワンギェルは、チベット問題を安全に平和的に解決しようとするなら、14世ダライ・ラマの逝去を待つのではなく、生きているうちに交渉すべきだと繰返し江沢民・胡錦濤など最高指導者に上申書を送った。しかし、この忠告は無視された。
プンツォク・ワンギェルが14世ダライ・ラマと交渉せよといったのは、チベット仏教の最高指導者であるからというにとどまらない。民族を代表できる唯一の人物だからである。彼の威令はいまでもチベット高原のすみずみまで届く。たとえ交渉妥結の内容に不満を持つチベット人がいたとしても、14世ダライ・ラマならば抑えられる。ところがこれが中国当局には理解できない。私もチベット人地域へ行くまではわからなかった。
このまま14世ダライ・ラマが亡くなり、まことのダライ・ラマが転生しないとなれば、たがのはずれた若者がテロに走るのは目に見えている。チベットは新疆化する。ダライ・ラマの「転生制度の廃止」発言には「それでいいのか」という底意が込められている。