2014.10.31
書評 安住洋子著『遙かなる城沼』小学館
発行年月日 2014年10月1日 定価¥1400E
江戸後期の群馬県館林(たてばやし)を舞台とした時代小説である。
館林は躑躅(つつじ)の名所として知られる。県立つつじが岡公園には10万株40種類以上の躑躅の木が群生している。地元の人々が花山と読んでいるこの公園はこの物語では躑躅ヶ崎という名で描かれている。また利根川と渡良瀬川にはさまれた館林の低湿地には城沼(じょうぬま)、多々良沼、近藤沼などの小湖沼群がある。書名の『遙かなる城沼』の「城沼」とは固有名詞で、霊狐の導きで縄張りを行ったという伝説を持ち尾曳城(おひきじょう)の別名がある往時の館林城が天然の要害として利用していた城沼のことである。
上野国館林藩(こうずけのくにたてばやしはん)の立藩は、豊臣秀吉による小田原征伐の後に関東に移封された徳川家康がその家臣で徳川四天王のひとりに数えられた榊原康政に館林10万石を与えたことに始まるが、5代将軍綱吉が将軍となる以前に藩主であったこと、また、6代将軍家宣の弟である松平清武を家祖とする越智松平家(おちまつだいらけ)が藩主であったことなど、小藩ながら徳川家と深い関わりをもった譜代藩であった。しかし、同一大名家による長期にわたる支配がなく、大名家7家が入れ替わり統治して明治維新を迎えている。
本書の主人公は村瀬惣一郎。館林藩越智松平家の下級藩士である村瀬源吾を父とする。惣一郎には芳之助、千佳の弟妹があり、母を含めた家族4人は尾曳城外堀近くの組長屋に住んでいる。組長屋には梅次、寿太郎という幼馴染がおり、住まいからほど近い城沼へはしばしば連れ立って遊びに行く。鷺が青く澄み渡る湖上を舞う城沼には青龍がいて城沼と館林を守っていると言い伝えられているが、若者は「心に青龍を持て」と育てられる。
一歳年下の弟の芳之助は私塾から藩校、さらには江戸の昌平坂学問所に進むほどの秀才で家中の宝と将来を嘱望されている。そうした芳之助を寿太郎は妬み、喧嘩を売って、惣一郎から離れていく。気が強く女だてらに剣術道場や塾に行く妹の千佳も、惣一郎に長男としてのわが身のふがいなさを嘆かせる存在となっているが、悩みつつも、日々やれることを精一杯頑張ることが青龍につながるのだと惣一郎は自分に言い聞かせている。
平穏な日々を送っている惣一郎だが、藩の徒目付の職にある父・源吾には秘められた過去があった。かつて牢番の任にあった源吾は罪人の牢破りを許したことで責任を問われ家禄を減らされていた。
当時、巨額の借金にあえいでいた館林藩は財政難を解消すべく藩札を作ったが失敗していた。筆頭家老の岸田はその責任を兵頭実篤という学者一人に負わせ処刑しようとした。見かねた源吾は同僚の佐久間利文とはかり、家老の失政の責任を押し付けられた学者を逃がしてやったというのが事の真相であったが、 命と信念に関わることゆえに、父は多くを語ることなく、あえて汚名に甘んじ家族にさえ明かすことはなかったと惣一郎は知るに至る。なお、裏表なく穏やかで、いつも微笑みを絶やさない綾は佐久間利文の娘で惣一郎の大事な幼馴染でありやがて妻となる女性である。
雨宮由希夫 (書評家)
江戸後期の群馬県館林(たてばやし)を舞台とした時代小説である。
館林は躑躅(つつじ)の名所として知られる。県立つつじが岡公園には10万株40種類以上の躑躅の木が群生している。地元の人々が花山と読んでいるこの公園はこの物語では躑躅ヶ崎という名で描かれている。また利根川と渡良瀬川にはさまれた館林の低湿地には城沼(じょうぬま)、多々良沼、近藤沼などの小湖沼群がある。書名の『遙かなる城沼』の「城沼」とは固有名詞で、霊狐の導きで縄張りを行ったという伝説を持ち尾曳城(おひきじょう)の別名がある往時の館林城が天然の要害として利用していた城沼のことである。
上野国館林藩(こうずけのくにたてばやしはん)の立藩は、豊臣秀吉による小田原征伐の後に関東に移封された徳川家康がその家臣で徳川四天王のひとりに数えられた榊原康政に館林10万石を与えたことに始まるが、5代将軍綱吉が将軍となる以前に藩主であったこと、また、6代将軍家宣の弟である松平清武を家祖とする越智松平家(おちまつだいらけ)が藩主であったことなど、小藩ながら徳川家と深い関わりをもった譜代藩であった。しかし、同一大名家による長期にわたる支配がなく、大名家7家が入れ替わり統治して明治維新を迎えている。
本書の主人公は村瀬惣一郎。館林藩越智松平家の下級藩士である村瀬源吾を父とする。惣一郎には芳之助、千佳の弟妹があり、母を含めた家族4人は尾曳城外堀近くの組長屋に住んでいる。組長屋には梅次、寿太郎という幼馴染がおり、住まいからほど近い城沼へはしばしば連れ立って遊びに行く。鷺が青く澄み渡る湖上を舞う城沼には青龍がいて城沼と館林を守っていると言い伝えられているが、若者は「心に青龍を持て」と育てられる。
一歳年下の弟の芳之助は私塾から藩校、さらには江戸の昌平坂学問所に進むほどの秀才で家中の宝と将来を嘱望されている。そうした芳之助を寿太郎は妬み、喧嘩を売って、惣一郎から離れていく。気が強く女だてらに剣術道場や塾に行く妹の千佳も、惣一郎に長男としてのわが身のふがいなさを嘆かせる存在となっているが、悩みつつも、日々やれることを精一杯頑張ることが青龍につながるのだと惣一郎は自分に言い聞かせている。
平穏な日々を送っている惣一郎だが、藩の徒目付の職にある父・源吾には秘められた過去があった。かつて牢番の任にあった源吾は罪人の牢破りを許したことで責任を問われ家禄を減らされていた。
当時、巨額の借金にあえいでいた館林藩は財政難を解消すべく藩札を作ったが失敗していた。筆頭家老の岸田はその責任を兵頭実篤という学者一人に負わせ処刑しようとした。見かねた源吾は同僚の佐久間利文とはかり、家老の失政の責任を押し付けられた学者を逃がしてやったというのが事の真相であったが、 命と信念に関わることゆえに、父は多くを語ることなく、あえて汚名に甘んじ家族にさえ明かすことはなかったと惣一郎は知るに至る。なお、裏表なく穏やかで、いつも微笑みを絶やさない綾は佐久間利文の娘で惣一郎の大事な幼馴染でありやがて妻となる女性である。