2015.03.31  チベットの村はどうなっているか――小説『雪を待つ』をめぐって
    ――八ヶ岳山麓から(140)――

阿部治平(もと高校教師)
                 )
さきにチベットの寺はどうなっているかを書いた。では寺を支えている農牧民の村はどうなっているか書かなければならない。そう思っているとき、星泉翻訳のチベット人作家ラシャムジャの小説『雪を待つ』(原題は「チベットの子どもたち」、勉誠出版、2015年)を読む機会があった。
「ぼく」と、いたずらっ子で勉強のできない「タルベ」、しっかり者の女の子「セルドン」、転生ラマになった「ニマ・トンドゥブ」の幼馴染4人組の子供時代とその成長、挫折、再生の物語である。主な時期は1980年代と2000年代、主な舞台は中国青海省のチベット人地域。
結論を先にいうと、チベット人の生活に多少とも興味をお持ちのかたがおいでなら、ぜひこの小説を読んでほしい。理由は以下のとおり。

私が青海省の田舎の民族師範学院で日本語教師をしていたとき、結婚式の翌日、もともとの恋人とラサに逃げたお嫁さんがいた。どうせ逃げるなら、なぜ結婚式前に逃げなかったか。彼らが駆落ちしてから2,3年後、「ラサ3・14事件(北京オリンピック直前の2008年3月14日、チベット高原全域に起きた抵抗運動)」が勃発した。
その直後当局は逃亡したデモ参加者を捕まえるため、チベット人地域全住民の「身分証」の更新をした。中国では身分証がないと一日だって生活できない。ラサでひっそり生活していた駆落ち男女は身分証がないので警察から帰郷を命じられた。私はこの話を聞いたとき、心から彼らに同情した。故郷の村で人々の冷たい視線を浴びながらこれからどうやって生活するのだろうか。
小説『雪を待つ』にも「ぼく」の姉と小学校教師が駆落ちをする話が出てくる。「雪の降った晩、われらがミンジュル先生はドゥクキ姉さんを連れて逃げた」のである。そして、二人は「ぼく」の父と村の長老の孫ドクシャムに捕まる。父と長老との間では、ドクシャムと姉、「ぼく」とドクシャムの妹のセルドンは許婚ということになっていたのだ。姉は何がなんでもドクシャムと結婚しなければならない。ミンジュル先生は大学院へ進学するとの理由で小学校教師をやめてこの地を去る。
民族師範学院の学生は「私の村なんか、泣いて嫌がる娘を馬に縛り付けて嫁にやるなんてことがあったんですよ」と話した。この話を聞いたときは、すでに本人たちの同意のない、親の決めた結婚はかなり少なくなったということだったが。

学生の故郷には転生ラマ(元来は師僧のこと)がさる少女に恋心をもって還俗し、結婚した例があった。信仰の対象としたラマがこうなると、村人は悲しみ、あきれ、怒り、やがては軽蔑するようになる。私が学生の村に行ったとき、もと転生ラマはひどく肩身が狭い思いをして村で暮らしていた。
『雪を待つ』にも「ぼく」の幼馴染「ニマ・トンドゥブ」の話がある。
「新年になったある日、ぼくたちは(幼くして出家した)ニマ・トンドゥブが、(村の僧院の)マルナン・ラマの生まれ変わりに認定されたという話を聞いた」そこで正月5日、ニマの即位式に列席するため、村人たちは着飾ってマルナン僧院に出かけた。
ところがこの転生ラマは数年後、修行中に突如寺院から姿を消した。チベット人地域の雰囲気からすれば実に勇敢である。ニマは寺から逃げてほうぼうの村を読経して歩いて布施を稼ぎ、やがてラサに行きバター売りの小商売をやり、さらに骨董売買に転じて一人前の事業家になる。「ぼく」の家の瑪瑙が彼の手下に50元で買われ、最終的には50万元で漢人に売られるということも起きる。
セルドンは大学入試に失敗し行方不明になる。ところがニマ・トンドゥブはラサの宿で売春?をするセルドンと会う。やがてセルドンは稼いだカネを元手に酒場を出し女将におさまる。彼らはラサで幼時を思い、故郷にあこがれ、哀感の漂う複雑な友情をもつようになる。

かれこれ25年余り前、私は中国甘粛省南部のラブラン大僧院を訪れた。この旅行ではじめて草原の争いを聞いた。
――昨日は尾根をはさんで向こう側の集落と鉄砲の打ちあいになった。敵は自動小銃を持ち、塹壕を掘って本格的な構えだ。こちらは1人死んだが相手側も1人重傷だ。今日はラブラン大僧院のラマが山へ行って仲裁をするから銃撃戦は終わるだろう――。
ラブラン大僧院の大伽藍にも圧倒されたが、発砲事件にはもっと驚いた。その原因が向う側の牛羊が放牧地の境を越えてこちら側へ来たからというのにはあきれた。羊が草を食ったくらいで殺しあいなんて。
ところが、この手の話はチベット人地域のいたるところにあった。学生やその故郷の人々は私に放牧地をめぐる争いを話し、自分の村の要求が正当であることを訴えた。なかには「おい日本人、なんで警察が手を出さないかわかるか」政府はチベット人には勝手に殺しあいをやらせておけ、民族運動なんかやるよりははるかにましだという料簡だからだ、という人もいた。
『雪を待つ』にも半農半牧の「ぼく」の村と純牧畜村の放牧地をめぐる争いがでてくる。「ぼく」の村の村長は幼馴染の鼻たれ小僧「タルベ」である。やがて争いはおさだまりの銃撃戦になる。こちら側は村民が一人、相手側は村長が死に、重傷20数名を出してひとまず終わる。
チベット人地域の慣習法では、こういうとき高位のラマなどが仲裁に入り、戦闘が収まれば互いに「命価」「血価」という民事賠償をはらって決着する。
ところが当節は異なる。村長タルベは抗争事件の主犯として警察に逮捕されてしまう。当局はチベット人地域でもできるだけ現代刑法を適用しようとしているからだ。このままではタルベは死刑か終身刑になる。
このとき「ぼく」は大学院で学位を取り研究室にいた。「ぼく」の妻は「ぼく」の出世を求めてやまない人物で、農牧民の放牧地争いなど関心がない。だが、「ぼく」は幼馴染の苦境を見ていられない。「ぼく」は妻に別れを告げる。事件を知った逃亡ラマのニマ・トンドゥブも「ぼく」の許婚者だったセルドンも、ともにあえて故郷に帰り幼馴染を救おうとする。

私は文学音痴の人間である。この小説の文学的価値を論じることはできない。だがこの小説は、衰えかけた私の頭をがーんと一発ぶん殴った。小説の中に、かつて一緒に暮らした学生やその親たちの生活があった。幼い子供の子供なりの葛藤、疾風怒濤の成長期、市場経済の展開とともに起きた村の変化など、私が見た農牧民と、田舎から都会に出た青年の生活そのものがここにあった。
ところが、チベット人の重大な問題が取上げられていない。それは強烈なダライ・ラマ崇拝と「ラサ3・14」、さらに現在も続く焼身自殺などである。
もちろん地方特有のできごとは書きようによっては書けるかもしれない。たとえば青海省政府の学校教育からチベット語を排除してすべて中国語にするとか、強引な小学校統廃合などの教育政策。これによって、いま「ぼく」の通った小学校も廃校になり、村の子供は1年生から中国語で教育を受け、寄宿舎生活をしているはずである。
治安対策も容赦なく進展した。この10年の間に寺院はいうまでもなく、村の主な通りにも監視カメラが置かれるようになった。旧暦の正月や「3・14」事件記念日近くには完全武装の警察・武装警察・解放軍が県庁所在地に配備される。

作者は注意深くこれを書くのを避けた。もし書いたら、作者ラシャムジャは「国家分裂罪の容疑」でたちまち逮捕・投獄されるだろう。だから書かないでよかったと私は思う。いまは危ないことは書かないでほしい。
星泉翻訳の題名は『雪を待つ』となっているが、チベット人は雪解けを待ってほしい。それは必ず来る。私は彼ら有能なチベット青年に小林多喜二の悲劇を繰返してほしくはない。