2017.01.31
全豪オープンの錦織選手に思う
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)
勝負事に「絶対」はないから、一つ一つの勝ち負けを気にしても仕方がないが、今年の全豪オープン4回戦の対フェデラー戦は、錦織選手にとって、どうしても勝たなければならない試合であった。フェデラーは偉大なレジェンドではあるが、引退が囁かれている35歳の選手である。怪我で半年以上もトーナメントから遠ざかり、この全豪大会が公式戦復帰の最初の大会である。選手生命の頂点にたどり着きつつある錦織選手にとって、グランドスラム4回戦(ベスト16)は通過点にしかすぎない。フェデラーに引導を渡し、新しい時代の幕開けを世界に示す時だった。しかし、錦織選手は勝ちきれなかった。錦織選手も悔しいだろうが、錦織選手が抱える課題が明々白々となった試合であった。
少し前まで、錦織選手はスロースターターだったが、昨年来の大会を見ると、試合の序盤で相手選手を圧倒するゲームが多い。前哨戦のブリスベーンの決勝、対ディミトロフ戦の最初の数ゲームも相手を圧倒し、ワンサイドで試合が終わるのではないかと思わせるほどの立ち上がりだったが、サービスダウンを喫した後にプレーのレベルは急落し、第1セットを簡単に失ってしまった。第2セットは奪い返したが、第3セットに入る前にメディカルタイムをとり臀部の治療を受けた。第3セットを精彩なく落とし、準優勝となった。昨年の楽天オープンの対ソーサ戦でも、最初の4ゲームを簡単に奪取した後に、臀部を痛めて棄権した。
さて、全豪のフェデラー戦だが、錦織選手はフェデラーの最初のサーヴィスを破り、その後もゲームを支配し、ダブルブレークのカウント5-2で、第1セットを手仕舞うサーヴィスゲームを迎えた。観客の誰もが、やはりフェデラーは現在のトップ5には勝てないと思ったことだろう。ところが、錦織選手はこの第8ゲームのサーヴィスゲームを取りきれず、逆にこのゲームを含め、4ゲームを立て続けに失うピンチを迎えてしまった。五輪の対ナダル戦の第2セットと同じパターンである。タイブレークを押しきり、なんとかセットを取ったのはよいが、第8ゲームで第1セットを終えられなかったために、5ゲーム20分間も余分な体力消耗を余儀なくされ、この間、サーヴィスメイクに迷っていたフェデラー選手が息を吹き返えしてしまった。
第1セット5-2からのサーヴィスゲームは、この試合を決めるポイントだった。ここはきっちり、6-2で終わらなければならない勝負所である。しかし、この勝負所で錦織選手は得意のストローク戦でポイントを取るのではなく、サーヴィスからネットにでるサーヴ・アンド・ヴォレーの戦法をとった。ゲーム展開のなかで錦織選手が時折とる戦法だが、ふつうはサーヴ力のある選手が使う戦法で、錦織選手のようにサーヴ力が弱い選手が使うものではない。しかも、セカンドサーヴでネットに出るという無謀な「遊び」を行った。緩いサーヴィスを叩かれるので、前に出て押し込みたいという焦りがあったのかもしれない。そこをフェデラーがパニッシュした。錦織選手が犯した最大のミスである。このミスが響き、錦織選手はこの試合を混戦へと導いてしまった。
第1セットのタイブレークをなんとか奪取した錦織選手は勝負強さを見せたが、サーヴィスを立て直したフェデラー選手の勢いに抗することができず、第2、第3セットは為す術もなく失ってしまった。第4セットは我慢強く取り切ったが、そこで恒例とも言えるほどになった錦織選手のメディカルタイム(腰へのマッサージ)となった。
実況中継のコメンテーターも、錦織選手がメディカルタイムをとるのを予見していた。「出だしは相手を圧倒するが、その強さが急速にしぼみ、試合はもつれる。なんとかタイに戻しても、最後はメディカルタイムをとって負ける」というパターンが続いている。35歳のフェデラー選手ではなく、27歳の錦織選手が、試合で競る度にメディカルタイムをとるのは、体幹が弱すぎるからではないか。トレーニング内容に問題はないのだろうか。マリーやジョコヴィッチの体の強さとは比べものにならない。この体幹の強さの違いはなんとかならないものだろうか。
2014年の全米オープン決勝進出には神がかり的な力が働いていた。この辺りまではライジングを打つ打法が生きていた。しかし、ランクが上がる毎に、錦織選手のプレースタイルが変わってきた。現在はライジング打法の速い展開で相手を攻めるというより、ストローク合戦からバックハンドやフォアハンドのダウンザライン(ライン際への決定打)でポイントを取るパターンになっている。強打の強敵相手にライジング打法を貫き通すのは難しいから、ストローク力で優位に立つ方が安定した戦いができる。錦織は今、この抜きんでたストローク力で世界5位の位置を守り続けている。これまではハードコートが得意の錦織という評判だったが、今の戦い方ならハードコートより、クレーコートの方が実力を発揮できるだろう。
いずれにしても、体力を消耗させるグランドスラム大会では、ストローク力だけでタイトルを取ることはできない。サーヴ力がないと、余力を残しながら決勝まで勝ち上がるのが難しい。フェデラーが長期にわたってテニス界に君臨できたのは、サーヴ力をベースにし、甘く返ってくる球を叩く速い展開で、省エネテニスを維持することができたからだ。現在の錦織選手はまさにその正反対のタイプに属する。ストロークプレーが中心で、サーヴ力が弱いから、必然的にポイントを取る時間が長くなる。
また、レシーヴ力が優れている錦織選手でも、速いコートでファーストサーヴィスを切り返すのは至難の業だ。だから、自分のサーヴィスゲームを簡単に落とすと、ゲームは接戦になり、体への負担が大きくなる。今回の対フェデラー戦では、120km/h前後の緩いセカンドサーヴィスが、ことごとくフェデラーの強烈なフォアハンドの餌食になった。幾ら変化を付けても、コースを狙っても、これだけ遅いと簡単に叩かれる。フェデラーはレシーヴエースだけで、ポイントを荒稼ぎした。以前よりは良くなったと言われる錦織選手のサーヴィスだが、グランドスラムやマスターズ大会を制する武器となるにはほど遠い。せめてあと1割ほど、サーヴ力が上げられないものだろうか。
何も200km/hを超えるスピードは必要ない。この試合のファーストサーヴィスの平均速度はフェデラー選手が188km/h、錦織選手のそれは170km/h、セカンドサーヴィスの平均速度はフェデラー選手が155km/h、錦織選手は135km/hだった。それぞれおよそ20km/hの差がある(ちなみに、ラオニッチ選手のサーヴィスの平均速度は、ファーストで225km/h、セカンドサーヴィスでも200km/h前後のスピードがある)。非常にコントロールされたサーヴィスであれば、ファーストのスピードは185~190km/hで十分だ。だから、せめてコンスタントに185km/h前後のファーストサーヴィスを打てるようにならないものだろうか。セカンドサーヴィスのスピードも、平均145km/hにまで引き上げたいものだ。そうすれば、もっと楽にゲームを進められるはずだ。
錦織選手がこの先、現在のポジションを確保し、さらにトップスリーに入っていくための要件は、サーヴィス力の増強以外にない。そのためにも、強い体幹を作るトレーニングを積んでもらいたいものだ。全仏に向けたクレーコートでの活躍を期待したい。