2017.05.30  米軍基地の沖縄集中は「本土による差別」
  日本復帰45年を迎えた沖縄県民のいらだち

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 5月15日は沖縄が日本に復帰して45年にあたる日だった。新聞各紙はこの日を中心に「沖縄の日本復帰45年」をテーマに特集を組んだり、社説を発表したりしたが、中でも最も私の心をとらえたのは、同月12日付の朝日新聞朝刊に載った、朝日など3社による沖縄県民世論調査の結果だった。そこで、沖縄の人たちが、在日米軍基地が沖縄に集中しているのは「本土による沖縄への差別だ」と訴えていたからである。「沖縄の人たちをこうした思いに追い込んだのは、私たち本土の人間が半世紀近くにわたって、この人たちの叫びに耳を傾けてこなかったからだ」。私は改めそう思わずにはいられなかった。

 この沖縄県民世論調査は、「朝日」、沖縄タイムス、琉球朝日放送の3社による合同調査だった。沖縄の日本復帰45年を前にした県民意識をさぐるのが目的で、4月22、23の両日、電話によっておこなった。対象は1967人で有効回答は896人。回答率は46%。

 調査における質問は13項目に及ぶが、その中に「今、沖縄県で最も重要だと思う課題はなんですか」という質問があった。それへの回答は次のようだった。
 基地問題33%▽教育・福祉などの充実28%▽経済振興19%▽自然環境の保全12%▽沖縄独自の文化の継承6%  

 沖縄県民の最大関心事は米軍基地問題なのだ。5月15日付朝日新聞の特集「沖縄復帰45年」によれば、1972年の沖縄日本復帰時の沖縄県における米軍基地面積は2万8660ヘクタールで、在日米軍基地の59・3%を占めていた。これに対し、2017年現在の沖縄県における米軍基地面積は1万8609ヘクタールで、在日米軍基地の70・6%を占める。米軍基地の面積は確かに減ったが、今なお全国の米軍基地の7割が沖縄に集中しており、基地問題での沖縄県民の負担はむしろ日本復帰時よりも増したと言える。
 
 日本復帰から45年、この間、沖縄県民は米軍基地の整理・縮小を訴え続けてきた。なのに、県民の願いはかなわず、むしろ、逆に米軍基地の機能は強化され、県民の負担も増えた。そのうえ、米日両国政府は、多くの県民の反対を押し切って、米軍普天間飛行場を辺野古に移すための新基地建設を始めた。これでは、「朝日」など3社による沖縄県民世論調査の「今、沖縄県で最も重要だと思う課題はなんですか」という質問に、「基地問題」と答えた人が一番多かったのも納得がゆくというものだ。

 ところで、この世論調査結果を見て私が最も印象に残ったのは、次の質問に対する回答である。
 質問は「本土に比べて在日米軍の基地や施設が集中していることは、本土による沖縄への差別だという意見があります。その通りと思いますか」。それへの回答は「その通りだ」54%、「そうは思わない」38%だった。沖縄県民の半数以上が「沖縄への基地集中は本土による差別だ」と思っているのだ。

 これは、沖縄県民による厳しい本土批判ではないか。
 沖縄の人たちは他人には優しく接し、他人への思いやりも深い。「守礼の民」と言われるほど、礼節を重んじる。だから、他人に厳しい非難や批判の言葉を発するのは極めてまれだ。とりわけ、本土の人には友好的な気持ちを抱いている。
 それ故、沖縄の人たちが「沖縄への基地集中は本土による差別だ」と回答したことに私は驚いた。沖縄の一県民が「沖縄は本土に差別されている」と話したり、書いたりしたことはあったかも知れない。が、過半数以上の沖縄県民がまとまって「基地集中は本土による差別だ」と意思表示したなんて私はこれまで聞いたことがない。そこで、私はこう思ったのである。
 「沖縄の人たちはこう言いたかったのではないか。半世紀近くも米軍基地の整理・縮小を訴え続けたのに、本土の政府は新基地建設を強行するばかりで、本土住民の大半も私たちの訴えに応えない。本土は沖縄に対しあまりに冷たいではないか、と」 

 思い当たることがあった。
 朝日新聞は4月15、16両日に「共謀罪」に関する全国世論調査(電話)を実施したが、そこには、「共謀罪」への賛否を問う質問とともに、辺野古に建設中の米軍基地についての質問もあった。それは「沖縄県にあるアメリカ軍の普天間飛行場を、沖縄県の名護市辺野古に移設することに賛成ですか」というものだったが、結果は「賛成」36%、「反対」34% だった。
 この数字に沖縄県民はショックを受けたのではないか。そして、こう思ったのではないか。「本土の人たちは、日本の平和と安全のためには日米安保条約が必要と考えている。だが、米軍基地は自分たちが住んでいるところでは引き受けたくない。ここは沖縄に犠牲になってもらうしかない、と思っているのだ」と。
 こうした思いが、世論調査での「米軍基地の沖縄集中は本土による沖縄への差別だ」との回答につながったのだろう。私はそう思わずにはいられなかった。

 それにしても、日ごろ強く自己主張をすることが少なく、他人をおもんばかる沖縄の人たちが本土の人たちに向かって「ものを言う」ようになったのは、これまで長らく本土と沖縄の関係を見てきた者には、決定的な変化と映る。そう思いながら、各紙の沖縄特集をめくっていたら、1つの寄稿文が目にとまった。5月15日付毎日新聞朝刊の沖縄特集に載っていた、『耐えがたい痛み』と題する、比屋根照夫・琉球大名誉教授の一文である。比屋根氏はこの中でこう書いていた。
 「チュニクルサッティン ニンダリーシガ チュクルチェ ニンダラン(他人に痛めつけられても眠ることができるが、他人を痛めつけては寝られない)。このように、そのころの沖縄は強く抵抗しながらも、自分の痛みを他人に移そうという気持ちはなかった。それが普天間飛行場の県内移設問題が持ち上がってからの20年間で『もう十分に痛めつけられた。痛みを分かち合ってほしい』と考えるようになった。土地や文化に自信や誇りを持つようになったことも背景にあるが、負担押しつけが沖縄の人の精神構造さえも大きく変えてしまった重大さに本土の人は気づかなければならない責務がある」
 「歴代の知事が『基地をなんとかしてほしい』といくら言い続けても『沖縄はこのままでいい』と考える政府と本土。復帰45年にして行き着いたのは越えがたい『深淵(しんえん)』だった」

 「朝日」などによる県民世論調査で、沖縄県民の半数以上が「沖縄への基地集中は本土による差別だ」と回答したのは、米軍基地がもたらす耐えがたい痛みを本土の人も分かち合ってほしい、という必死の訴えだったのだ。沖縄県民の、本土へのいらだちの噴出だったのだ。 

 沖縄県民にとって「耐えがたい痛み」となっている米軍基地問題。問われているのは、本土の人間の対応である。そう思って5月15日を中心とする各紙の沖縄の日本復帰関連の記事を読んでみたが、そうした視点から沖縄の基地問題を論じた紙面は少なかった。わずかに「朝日」と東京新聞の2紙が、沖縄の基地問題を本土の人間自らの問題としてとらえるよう論じていた。
 
 5月16日付の朝日新聞社説のタイトルは「沖縄復帰45年 犠牲いつまで強いるか」。それは、以下のような文で結ばれていた。
 「この島の人々の声に耳を傾けよう。まだ間に合う。政府は辺野古海岸の埋め立て工事を中止し、すみやかに沖縄県との話し合いの席につくべきだ。国民1人ひとりも問われる。無理解、無関心から抜けだし、沖縄の歴史と現実にしっかり向きあう。知ること、考えることが、政権のかたくなな姿勢を改めさせる力になる」
 5月14付の東京新聞社説のタイトルは「沖縄、統合と分断と」。その中で、同紙は「日米安全保障体制が日本と周辺地域の平和と安全に死活的に重要だというなら、その米軍基地負担は沖縄に限らず、日本全体ができる限り等しく負うべきでしょう」「私たちは、沖縄の歴史や苦難、そして今も強いている重い基地負担にもっと思いを致すべきでしょう」と述べていた。

両紙の主張をかみしめたい。