2018.11.17 中間選挙後のトランプ外交(3)
    
伊藤力司 (ジャーナリスト)


1979年2月、パリに亡命していたイスラム教シーア派のトップ指導者ホメイニ師の帰国で実現したイラン・イスラム革命。その結果、親米パーレビ国王の統治は瓦解し、国王は亡命した。革命で意気上がったテヘランの学生など若者たちは同年11月、米大使館を襲って占拠し、大使館員やその家族ら152人を人質にして大使館内に閉じ込めた。

時のカーター米政権は人質救出のための隠密作戦を試みたが、救出用のヘリコプターが事故を起こすなどして失敗。人質たちは444日もの幽閉生活を送らされた後の1981年1月末、レーガン大統領の就任を機に解放された。こうしたいきさつから一般アメリカ人は、イスラム教シーア派が支配するイランに反感を持ち、概してトランプ政権のイラン制裁を支持しているようだ。

だがイラン側から見ると図式は逆転する。第2次世界大戦後イランは英国の半占領状態に置かれ、イラン石油の輸出は英国の石油会社に独占された。だが1951年に樹立された民族派のモサデグ首相率いる新政府は、イラン石油の国有化に踏み切った。

怒った英国はペルシャ湾に海軍艦艇を動員して、イラン石油を買い付けようとする第3国の石油会社を封じ込めようとした。1953年3月、日本の出光石油のタンカー日章丸が英海軍の監視網をかいくぐってイランの港に入港、石油の買い付けに成功したことは当時の大ニュースだった。以来イラン国民はずっと親日的である。

しかしモサデグ政権は1953年8月、アメリカの諜報機関CIAが画策したパーレビ国王を担ぐクーデターによって打倒された。以来1979年のイスラム革命まで、イランではアメリカを「影の支配者」とするパーレビ体制が4半世紀にわたって続いた。こうして見ると、今日のアメリカとイランが相克し合う因縁は極めて深く重いことがわかる。

トランプ政権の中東政策の特徴は、歴代のどの米政権よりイスラエル支援が強いことだ。イスラエル建国から70年の国際常識に反してエルサレムをイスラエルの首都に認定し、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた。世界中でアメリカ1国だけであり、世界中で嫌われ者のネタニヤフ首相のイスラエル政府を狂喜させた。

国の周辺に敵意を持つアラブ・イスラム国に取り囲まれたイスラエルの安全保障は厳しい。イスラエルは建国以来アラブ諸国と4次の中東戦争を戦い、その都度アラブ勢を打ち負かし、パレスチナ人の土地を侵食してきた。アメリカ・ブッシュ政権が起こしたイラク戦争でサダム・フセイン・イラク大統領が殺された結果、イスラエルを脅かすアラブの国はなくなった。

しかしイスラエルにとっての潜在的脅威は完全になくなったわけではない。2011年から続いたシリア内戦でアサド政権が生き残った結果、アサド政権を支援した隣国イランの影響力が高まった。シリア内戦には、イランの精強部隊である革命防衛隊とイランの影響下にあるレバノンのシーア派部隊ヒズボラがアサド政権支援に加わっていた。

7年半も続いたシリア内戦でアサド政権が生き残ったことは、アサド政権に肩入れしたロシアとイランの影響力が高まり、反政府側を支援した米英仏やサウジアラビア、カタール、トルコなどが威信を落としたことを意味する。中東でイランの影響力が高まったことは、イスラエルにとって新たな脅威である。トランプ政権にとって、イラン制裁を強化することはイラン嫌いの国内世論対策とイスラエル支援の「一石二鳥」の策というわけだ。