2010.01.25  「革命の寅さん」、樋口篤三さん逝く
  2月6日に偲ぶ会開催へ

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 暮れの12月26日、樋口篤三(ひぐち・とくぞう)さんが亡くなった。81歳だった。いわゆる著名人ではなかったが、左翼運動、労働運動、協同組合運動などの一部の人たちの間では良く知られた人物で、ファンも多かった。樋口さんを慕っていた人たちや、その死を惜しむ人たちが発起人となった「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語るつとい」が2月6日(土)、東京で開かれる。
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(写真)08年8月28日 樋口さんの最後の著書となった『社会運動の仁義と道徳―人間いかに生くべきか』の出版と傘寿を祝う会で、プレゼントされた傘をさす樋口さん(中村易世さん撮影)

 ご本人によれば、樋口さんの経歴はこうだ。
 1928年、静岡県沼津市で生まれ育つ。44年、海軍甲種飛行機予科練習生。戦後、横浜高商(現横浜国立大)卒。47年民主革命に参加。48年3月産別・東芝堀川町労組書記局。以後、京浜労働運動、川崎生協、日本共産党専従などの中で、党から2回除名、資本などから5回首切り。1975年~86年「季刊労働運動」代表、「労働情報」編集人・全国運営委員長。その後は、協同社会研究会共同代表、東久留米市民自治研究センター理事長、キューバ友好円卓会議共同代表、日本労働ペンクラブ会員等を務める。

 戦時中、特攻隊員を養成した「予科練」を自ら志願したというから、熱烈な「軍国少年」「皇国少年」だったのだ。それが、敗戦後は一転して革命運動に飛び込み、亡くなるまで一貫して左翼政党、労働組合、協同組合といった運動に身を置いた。いわば、「革命」を目指して生きた一生だったといってよい。自らも「革命家」と称していた。
 
 戦争直後、樋口さんが目指した「革命」は、当時の左翼青年が皆そうであったように、日本にも社会主義を実現することであった。しかし、その後、社会主義陣営の対立(中ソ対立)、ひいては社会主義の総本山とされたソ連と東欧の社会主義諸国が崩壊するという事態に直面したことから、樋口さんが目指す「理想の社会」の内容も変わっていった。

 樋口さんが2001年に発表した論考『めしと魂と相互扶助』には、こんな記述がある。
 「橋本内閣の『二一世紀の日本社会がめざすべき社会』は経済と同じく米国であった。そのモデル社会は、九〇年代好況が続き、マイクロソフト社のビル・ゲイツの資産十兆円を先頭に大富豪(群)を生んだが、労働者所得は六八年水準に落ち、健康保険に入れない層が四千万人以上という貧富格差、弱肉強食社会が頂点に達した。日本はどんな社会をめざすのか。この五~一〇年の闘いが次の半世紀の行方を決する。国民国家に対する市民社会の成熟という世界的潮流はより強まっていく。その中で地域社会における市民自治、職場社会の労働者自治を両輪とする協同労働・相互扶助社会、協同社会こそめざす社会である」
 どうやら、地域における市民同士の助け合い(各種の協同組合)、労働現場での協同労働(労働者協同組合・ワーカーズコープ)を基盤とする自主管理型の社会を「日本がめざすべき社会」と考えるに至ったようだ。

 そのためだろう。請われれば、いや請われなくても、どこへでも気軽に出かけて行き、協同組合運動と労働運動の強化を熱っぽく説いた。
 樋口さんと親交のあった、フリーランサーの大窪一志さんは著書『風はキューバから吹いてくる』(同時代社、1998年)の中で、樋口さんを「革命の寅さんであるだけでなく、現代のドン・キホーテの面影を宿している」と描写している。どこへでも出かけて革命を熱心に説いてやまない姿が、渥美清さんが演じた『男はつらいよ』のフーテンの寅さんに似ており、こんな日本社会にあってもなお革命を信じて全力疾走する姿が、時として現代のドン・キホーテにみえた、ということだろう。気さくな人柄もこうした呼び名を生んだ一因かもしれない。

 この著書でも明らかにされているが、樋口さんは1998年2月、生協関係者を中心とする総勢13人の「生協・協同組合交流団」を率いて、キューバを訪問した。樋口さんの狙いは、キューバに生協や生産協同組合をつくらせることだった。不振が続くキューバ経済を立ち直らせ、発展させるにはこの国に協同組合をつくらせるのが効果的、と考えたのだった。樋口さんは交流団との会見に現れたホセ・ラモン・バラゲル共産党政治局員に長時間にわたって持論を展開し、協同組合の設立を勧めた。

 それから12年。キューバからは協同組合ができたとのニュースは流れてこないが、この時の「生協・協同組合交流団」のキューバ訪問は、注目すべき2つのことを生み出した。一つはパルシステム生活協同組合連合会とキューバの間で取引が始まったことだ。キューバ産のコーヒーやハチミツが同連合会を通じて輸入されている。
 もう一点は、新たなキューバ友好運動が形作られたことだ。それまでの日本におけるキューバとの友好運動は、革新政党と友好的な関係にある団体によるものだった。が、「交流団」が帰国後、樋口さんが超党派の新たな友好運動を提唱、それを受けて、キューバとの友好を目指す個人・団体が加わる「キューバ友好円卓会議」が2003年9月に結成された。同会議は、その後毎年、医療、教育、農業、音楽などキューバの現状を紹介するフォーラムを開催しており、会員も増え続けている。すっかり定着した感じだ。
 新たなキューバ友好運動の広がりは、樋口さんの功績の一つと言っていいだろう。 

 9年前、食道ガンで大手術。回復したものの、その後、ガンがあちこちに転移し、何度も手術を余儀なくされた。が、その度に奇跡的に生きながらえ、周辺の人たちは「フェニックス・樋口」と呼び、その生命力に驚嘆した。最後は前立腺ガンだった。
 驚異の闘病生活を支えていたのは「革命」への執念だったかもしれない。

「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語るつどい」は午後1時30分から4時30分まで。
会場は主婦会館プラザエフ7F カトレア(東京のJR中央線四ッ谷駅麹町口より徒歩1分。電話03-3265-8111)。会費3000円。
連絡先は全日本建設運輸連帯労働組合気付「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語るつどい事務局」(03-5820-0868)

Comment
樋口さんとは「キューバ円卓会議」のなかで最初に知合ったのも、とても「気さくな」方だったからでしょう。それ以来、話題になってる政治問題等では電話で意見交換したものです。特に、昨年の”3月小沢事件”では、「さざなみ通信」さんの”小沢擁護”論文コピーを送り、また我々ネット仲間で開催した「6・4鈴木宗男フォーラム」の賛同者として名を出しても良いよと言ってくれて、今の左派のだらしなさを嘆いていました。
著作の中での”道徳論”をゲバラや西郷(武士道)の中に見ていたことは樋口さんの人間論・運動論の真骨頂だと思います。
日本労働運動の再生について、まだこれからも発言・活躍してもらえると思っていた矢先(カレンダー送り序でに、久しぶりに電話で話そうと思ってましたが)、、、残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
田村秋生 (URL) 2010/01/27 Wed 13:33 [ Edit ]
生前、父篤三がお世話になりました。東久留米市にお墓もでき親族のみで9月11日に納骨も済ました。墓石は赤く正面に「仁」横に「精神の革命家樋口篤三ここに眠る」としました。来年初め最後の本も出る予定です。
樋口拓 (URL) 2010/10/22 Fri 12:33 [ Edit ]
樋口拓様
墓石の碑文が「仁」「精神の革命家樋口篤三ここに眠る」とは実に樋口さんの生き方にふさわしい碑文ですね。理解あるご家族をもたれて、樋口さんもしあわせでした。改めてご冥福を祈念いたします。(岩垂)
岩垂 (URL) 2010/10/24 Sun 11:23 [ Edit ]
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