2010.05.06 「中国脅威論」の正体を探る(3)
「管見中国」(31)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 ――「意図」と「能力」――
 前回までで中国の国防費が1989年以来、経済全体の高度成長に見合う形で増大し続けてきたこと、その結果、ストックホルム国際平和研究所の推計によれば、2009年において中国の軍事費は849億ドルに達し、同年の米国の6070億ドルに次ぐ、世界2位の地位にあったこと、具体的な装備の面でも200内外の核弾頭を持ち、それを運搬する手段としては米本土にも達する射程距離を持つ大陸間弾道ミサイル「東風31A」をはじめ、射程1500~2000キロの中距離巡航ミサイル「長剣10」などを保有し、通常兵器においても第4世代戦闘機「殲-11」をエンジンを除いて自主開発、配備を進め、さらに空中警戒管制機、無人偵察機などを開発したこと、などを見てきた。
 また中国の政権は、建前上はいまだに台湾に拠る「中華民国政府」とは内戦を継続中であることから、台湾の対岸に1300基超のミサイルを配備しており、台湾との対比においては「両岸の軍事力の優位は明らかに中共に傾いている」(台湾側の「国防報告書」)事実も中国の軍事力の特徴である。
そこでいよいよ本題に入る。中国は脅威か?である。
 しかし、これを客観的に論証することは難しい。「脅威は恐れることそれ自体である」という言葉があるように、恐ろしいと感ずればそこに脅威は存在するわけで、それを第三者が否定してみても意味はない。それは個人でも国家でも同じである。ただ、脅威のもととなる事柄について客観的に知ることは、知らないより、あるいはすこししか知らない、さらには間違って知ることに比べれば、遥かに有益である。
 一般に「脅威」の構成要素とされているのは、「意図」と「能力」である。脅威の対象が自分を侵す「意図」を持っているかどうか、そしてその「能力」があるかどうか、この両者が揃ったときに「脅威」は現実のものとなる。
 見てきたように、中国の軍事的能力は世界一の軍事大国である米国にははるかに及ばないが、量的にはつい近年、世界2位の地位に上がった。近隣諸国に軍事攻撃をしかける能力は確かにある。問題はその「意図」があるかどうかである。
 個人の場合なら誰かを傷つけようとするとき、ことさらにその意図を隠して相手を油断させるということはありうるが、国家の場合、通常はそれは無理だ。むしろ軍事力に訴えてでもある問題を解決したいなら、あらかじめその意図を国の内外に知らせ、国内的には国民に心理的準備をさせ、対外的には軍事力を行使する正当性を主張し、うまくいけば軍事力を使わないで目的を達成しようとするのが普通だ。
 中国はその意図を持っているか。
 ――台湾海峡は?――
中国の今の政権は内戦に勝利して出来た政権である。選挙その他非暴力的手段で出来た政権ではない。政権樹立前には「政権は銃口から生まれる」と呼号し、現実にも銃口によって敵対勢力を駆逐して、支配者の地位についた。しかし、敵対勢力を完全に消滅させることは出来ず、相手の国民党はその後長く台湾を統治し、近年、台湾独立を志向する民進党との間で政権の奪い合いを演じているが、ともに大陸からの統一の呼びかけには応じず、独自の政府を維持している。少数とはいえ外交関係を持つ国もある。
 この現状を中国の政権は受け入れていない。政権樹立後の約30年間「われわれは必ず台湾を解放する」が重要な政治的スローガンであった。「意図」を明示し続けたわけである。このスローガンは「改革開放政策」への転換と共に「祖国統一の実現」に変わり、台湾の民衆に統一を呼びかけることに重点を移したが、それでも台湾が名実共に独立へ動けば武力を行使してそれを阻止すると言い続けている。台湾問題での武力不行使を宣言することは今後ともないだろう。
 ただここで注意しなければならないのは、台湾海峡をはさむ大陸政権と現在の台湾政権はいずれも相手を外国とは見なしておらず、対立はあくまで内戦の延長であることである。したがってこの対立は国際紛争ではなく、通常の戦争の定義にはあてはまらない。もし万一軍事衝突が起きたとしても、他国が干渉しなければ、戦火が第三国へ飛び火することはない。
 かつては台湾海峡をはさむ対立は内戦の側面と体制間対立の側面を併せ持ち、後者があるゆえに米国は台湾が大陸に取り込まれるのを阻止しようとしたが、既にその時代は終わり、米国自体が中国とたんなる友好関係に止まらない緊密な責任分かち合いの関係を持つにいたったために、台湾海峡の対立は本来の中国ローカルの問題に縮小している。
 しかも近年、大陸の経済発展にともなって両者の緊張関係は大幅に緩和され、貿易では台湾の大陸むけ輸出(香港を含む)は全輸出額の40%を越えた。台湾から大陸への投資は台湾経済を支えてきたが、大陸から台湾への資本投資も大幅に規制が緩和された。経済協力枠組協定の調印も間近と伝えられている。
象徴的なのは相互間の旅行者の数で、09年に台湾を訪れた日本人観光客66万人に対して、大陸からのそれは54万人であったが、10年に入ると、1、2月は大陸からの観光客が日本人を上回った。台湾海峡の緊張緩和が進みすぎて、両者が「チャイワン」(「ワン」に台湾の「湾」とONEをかけた造語)と呼ばれる緊密な経済関係を築くことに韓国などは警戒を強めているという。(04・16『日経』)
 こう見てくると、二つの政府がそれぞれの面子にこだわる限り、近い将来に統一が実現することもないだろうが、同胞どうしが戦火を交えることはもっと想像できない。中国人らしい気長さで、現状が続き、その間、両側の中国人たちは自由に行き来して、せっせと金儲けに精を出すのであろう。
 ――軍備増強はなんのため?――
 台湾海峡で軍事力を使う可能性が小さくなったのに、何故に中国は軍備増強を続けるのか? それこそが中国脅威論の震源地であるが、今の中国に軍事力に訴えてでも(それによるマイナスを蒙ったとしても)解決したい差し迫った課題があるかどうかが問題である。
 かつての中国は「米帝国主義は世界人類共通の敵である」とのスローガン声高に叫び、ソ連(当時)との対立の時代には「反覇権主義」を外交の基調とした。しかし、1989年のゴルバチョフ訪中によって、その時代も終わった。この年の6・4天安門事件の後は、小平の「韜光養晦」(目立たないように自重する)政策で、外交面では極力自己主張を押さえて、広く外資を受け入れる開放政策を徹底した。
 それによって経済が成長し、大国の仲間入りをすると、その成長振りを自ら「和平崛起」と誇ったが、反発を避けるためであろう「和平発展」と言いなおし、さらに近年は「和諧政界の構築」を外交の目標として掲げるようになった。
 そして外交の実務面でも米国とは09年4月、胡錦濤はオバマとの初会談で「積極的・協力的・包括的な中米関係の構築」を提起し、従来の「経済戦略対話」を経済閣僚のほかに外相を加えた「戦略・経済対話」に拡大した。
 ロシア、中央アジア諸国とは「上海協力機構」、BRICs諸国とは「BRICs首脳会議」、EUとは「中国・EU首脳会議」、アジアでは「日中韓首脳会議」、「ASEAN+3」、さらに06年11月には「中国・アフリカ協力フォーラム首脳会議」を48カ国の首脳を北京に集めて開催するなど、多方面との恒常的対話のシステムを作り上げている。
 また長年の懸案であったロシア、ベトナムとの国境紛争はすでに解決した。現在、中国が抱える紛争と言えるものはインドとの国境紛争、広大な南沙群島の島々をめぐる周辺諸国との対立、そして日本との尖閣諸島の領有権と東シナ海のガス田開発をめぐる対立である。どれも長年の懸案ではあるが、現在、武力衝突が心配されるような深刻な事態とはなっていない。
 つまり中国は今、武力で解決しなければならないような課題を抱えているわけではない。むしろそういう事態を避けるように意識的に平和外交を進めてきていると言える。勿論、この見方には異論もあろうが、ここでは参考のために防衛省の防衛研修所が発行した「東アジア戦略概観2009」の中国外交についてのくだりを引用しておこう。
 「改革開放政策の下で、対外依存度が60%を超え、エネルギーや資源の多くを輸入に頼り、輸出に牽引されて成長している中国経済にとって、世界の主要な経済大国との政策協調を図ることは、持続的な発展を実現する上で避けて通ることができない。中国が経済発展に力を集中するためには、各国との友好的な関係を構築し、安定した国際環境を確保することが必要である。このような現状を背景として、現在の中国は協調を重視した対外政策を遂行していかざるを得ないのである」(同書103頁)
 これは防衛省の公式見解というわけではないが、日本の防衛政策にかかわる中国ウオッチャーがこのように見ていることはそれなりに評価されなければならないだろう。
 とすれば、中国はなぜ大陸間弾道ミサイルに象徴されるような軍備増強を進めるのか。公式的な答えは勿論、国を守るためであるが、私は中国近代の歴史からくる衝動とでもいうべきものに突き動かされていると見る。
 アヘン戦争以来、外国から攻められ続けてきた中国はその間、「弱兵」の悲哀をいやというほど味あわされてきた。攻める側の進んだ武器に痛めつけられるのが常で、抗日戦争にしても自力では勝利の展望を切り開けず、世界大戦の勃発による大国の援助によってようやく「惨勝」(惨澹たる勝利)を得たのであった。
 したがって、なにはともあれ貧困からの脱出にめどがついた段階で、他国から侮られない軍事力を整えることは中国にとってはアプリオリに必須な課題であったことは想像に難くない。昨09年秋、建国60周年の軍事パレードを前に9月21日、新華社のインタビューに応じた梁光烈国防部長はこう述べている。
 「西側の進んだ国が持っている各種の装備を解放軍もすべて持っている。しかも多くの装備の性能は世界の先進的な水準に到達したか接近した。これは非常に大きな成果である」
 また08年12月に同国防部長は空母保有について、こう発言している。
 「大国の中で、中国だけが空母を持っていない。中国は永遠に空母を持たないというわけにはいかない」
 なにはともあれ世界一流の軍備を備えること自体が目的であることが分かる言葉ではないか。必要か否か、何に使うかではない。持つことが重要なのである。そして空母を除いて一応の目的を達したところまで来たのが現状である。今年の国防予算が前年比7.5%増に止まったことがそれを示している。
 ――海軍の新しい動き――
 つい最近、4月の8日から23日まで中国海軍のミサイル駆逐艦や潜水艦、補給艦などで構成する10隻の艦隊が東太平洋で遠洋訓練を実施した。往復に沖縄本島と宮古島の間を通過したことで、日本の防衛省は過敏に反応し、護衛艦「すずなみ」などが行動期間中、終始至近距離から監視したと言われる。これには中国側も艦載ヘリを飛ばして、日本艦を確認し写真撮影などをおこなった。その際、危険な距離にまで接近したというので、日本側は外交ルートで中国側に抗議するという事態にまで立ち至った。
 日本のメディアはこれをなにか大変なことが起ったように報道したのだが、冷静に考えれば他国の艦隊が公海上で訓練するのにいちいち目くじらを立てる必要などないはずだ。一部の新聞では潜水艦が浮上して宮古水道を通過したことを「これみよがしに」と形容したが、これはとんだ見当違いで、公海とはいえ日本の島の間を通過するので儀礼上浮上して通過したものであろう。
 中国側の報道では、日本の護衛艦が至近距離に張り付いていることは通信などの障害となり、はなはだ迷惑であったとしている。中国では今度の訓練が最初の遠洋訓練であるとは言っていないが、報道振りからみておそらく本格的な遠洋訓練としては最初のものであったろう。それだけに日本側も過度に緊張したのであろうが、これからは通常のこととして受け止めなければなるまい。
 さてこの事態をどう見るか。軍備についての中国の考え方が前述のごときであるとすれば、海軍の水準が遠洋訓練を実施する段階にまで高められたということを意味する。これは周辺諸国にとって脅威を増すことになるのだろうか。日本のメディアは明らかにそういう前提に立っているように見える。勿論、海上は公共の場所であり、そこに武装したものどうしが行き交うことは偶発的な衝突の危険を増す。今度のようにヘリが近づいたなどということをきっかけに思わぬ事態が発生しないとも限らない。
 そうしたことを防ぐためにはそれぞれがより冷静でいることが求められるが、しかし、中国艦隊が日本列島から台湾、比にいたる、いわゆる第一列島線を越えて太平洋へ出てきたことそれ自体はアジアの安全が増したことを示すものとして歓迎すべきだと考える。なぜなら台湾海峡に緊張があって、台湾と米第七艦隊が中国軍に対峙していたかつてのような状況であれば、こういうことは想像できない。台湾海峡がここまで緊張緩和したからこその出来事なのである。
 だからと言って、アジアの海は四海波穏やかというわけではない。紛争の種の多くは海洋にある。現在はどこの国もそれを武力で決着させようとはしていないが、どこの国にも国家主義者はおり、偶発的な出来事にも民族感情が激発する危険性は常にある。そのことを防ぐためには、速やかに海洋上の紛争を話合いで解決する仕組を作り出すべきであるが、それさえ出来れば、アジアには大きな脅威などは存在しないのである。
 「中国脅威論」なるものは多分に緊張緩和が定着することを恐れる人々の創造物か妄想にすぎないと考える。
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