2010.05.26 チベット族社会、一夫一妻が基本です
チベット高原の一隅にて(78)

阿部治平(中国青海省在住、日本語教師)

日本に帰国してチベット人学生を教えることがあるというと、しばしばチベットの結婚制度に話が及ぶ。聞いてくる方が面白半分のこともあってこの頃は少々うんざりしている。
一妻多夫と一夫多妻とは時おりメディアの話題にもなる。日本の「不倫」や中国の「婚外恋」関係のようにこそこそしたものではなく、チベット人社会では公然としたものだったからか。
4月19日「産経新聞」ネットに「『チベット族の秘境を行く』(上)」という記事があった。5日前の14日には同じチベット族地域の玉樹州ジェクンド(結古)で激震があったばかりだから、何かそれと関連があるかと思ったがそうではなかった。

同紙矢板記者は中国西南の雲南省最北部の迪慶蔵族自治州梅里雪山の山麓、標高3300メートルの徳欽県開谷村の一妻多夫家族を訪ねたのである。
以下引用。

 4月2日、主婦のアパウさん(48)は、3人の夫に朝食を用意するため、午前6時前から厨房に入って忙しく立ち働いていた。7時までにトラクター運転手をしている最年長の夫(51)を村の寄合に、2番目の夫(50)をヤクの放牧に、三番目の夫(43)を工事現場にそれぞれ送り出さなければならなかったからだ。
 嫁いで来て31年この方、アパウさんの毎日は、3人兄弟でもある夫たちの朝食作りから始まっている。
 「3人の夫を同じように愛している」と言うアパウさんは一妻多夫の家族構成について、「先祖代々、同じ暮らし方だから、何の違和感もない」と語り、「夫が3人もいると、毎日、いろんなことが起きて、話題が尽きない。夫婦げんかする暇もない」と笑った。
 2男2女計4人の子供をもうけ、戸籍上は全員、最年長の夫の子にした。「長男は彼の子であるのは間違いないが、下の3人はどの夫の子か分からない」と言って少し顔を赤らめた。

「村は9戸から成る。一妻多夫世帯はうち5戸で、周辺数十カ村と同様、約半分の割合だ。アパウさんの長女、アヨンマさん(29)によると、漢族の生活習慣が近年は、徐々にこの地域にも入ってきており、一夫一妻の世帯が増えている」という。

一妻多夫婚は一夫多妻婚とともに、チベット人社会の婚姻制度を議論した本には――中国の数々の文献はもちろん、チベット学の権威フランスのスターン、日本の山口瑞鳳などにも――必ず登場する(矢板記者は中国では一妻多夫に触れた報道は禁止され、これを伝えたさる雑誌の編集長は更迭されたというが、これらの文献はいまも自由に購読できる)。
この制度は1949年の革命前にはチベット自治区チャンタン(北部高原)・四川省カンゼ州・アバ州、また青海牧畜地域の玉樹やゴロク州にも少数存在したらしい。1952-53年のアバ州での調査では1949年の革命前からの一妻多夫家庭があり、同州紅原の一集落では63戸中、7戸がそうだった。チャンタンの那曲のある集落では54戸中1戸が、もう一つは267戸中 28戸が一妻多夫だった。
一妻多夫婚は臨時的に共同の妻を持つ場合と、一生そのまま続く場合がある。矢板記者のルポに登場するアバウさん(48)の場合は後者のようだ。
臨時的というのは、長兄が結婚すると弟たちも新婦と婚姻関係(兄弟共妻)に入るが、弟たちはのちに別な女性と結婚して所帯を別にするか、別な家に婿入りする場合である。いずれの場合も新婦はあくまでも長兄の妻であり、生まれた子どもは長兄を父と呼び長兄のものである。アバウさんの子どもが全部長兄の戸籍に入るのは、社会慣習であってこの一家に限ったことではない。また弟たちはオジサンと呼ばれるのが常だ。矢板記者はこれを聞いてみるとよかった。

友人同士で一人の妻を共有することもあった。これは夫が事故や病気で労働能力がなくなるか、性的能力がなくなって子供を作り育てることができない時、夫婦の合意で夫の友人を同居させるのである。慣習には反するがところによって黙認されたらしい。まれに父方オジとオイ、父子共妻の例があるが、オジまたは父の後妻が若いとこのような現象がうまれる。慣習法上は認められず処罰されることもあった。

同じように一夫多妻の場合も、男が姉妹をめとるかそこに婿入りする場合が多く、血縁外の複数の女性を妻とすることは比較的少ない。(支配層ではなく)一般大衆段階では、後者の場合夫に死なれた兄弟一家を扶養するためとか、妻が労働力ないし生育能力がないときに生まれる婚姻関係で、慣習法で公認されていた。母娘共夫の例もごくまれに生まれたが、社会的にも慣習法上も嫌悪否認された。

矢板記者は、この風習はチベット族が住む3000メートルの高山地帯で農耕と牧畜を兼業せざるを得ないから男の労働力が必要であり、さらに相続によって財産が分割された場合、生活が維持できなくなるので分家せず、一人の妻をもつようになったともいわれている、としている。
権力者の娶妻納妾は別として、一般大衆に僅かながら一妻多夫の婚姻関係が成立した理由としては、一面当たっているがすべてではない。農耕と牧畜を兼業する農業はヨーロッパにも伝統的に存在する。

一妻多夫でも一夫多妻でも同じことだが、私は旧時代のチベットでは労役・租税の負担が各家族を単位として割当られたのが大きな原因ではないかと思う。分家して一夫一妻でやりたくても、一家に労働力が少なかったら負担はその分重くなる。さらに重要なのは、兄弟姉妹が近くに生活するのを一家の幸福と考える伝統的観念である。

一夫多妻婚が生まれたのには、男女の比率がアンバランスだったことがある。チベット人は仏教信仰があついから僧侶の数がやたら多いうえに、集落ごとの抗争もやたら多かった。出家と戦死者の数だけ女は余る。

矢板記者のルポにはアバウさんの娘、アヨンマさんの話として「漢族の生活習慣が近年は、徐々にこの地域にも入ってきており、一夫一妻の世帯が増えている」としてあるが、それは漢人の習慣が入ったのではなく、元来チベット人のものである。これには経済生活の変化が背景にあると思う。

矢板記者の記事で興味深いのは、徳欽県外事招商局の幹部は「一妻多夫婚は古い習慣で、解放(1949年)以前はあったかもしれないが、一夫一妻と定められた法律がある今ではないはずだ」と答え、記者(矢板)がチベット人村に入ることも阻止しようとしたことである。

役所の人から見れば、一妻多夫だの一夫多妻だのは一夫一妻制以前の旧時代の遺物だ、これは格好悪い、国家社会の恥だということであろう。人に見られていやなことは誰だって隠したい。まして外国紙の記者なんかに見せられられない。この気持は私には理解できる。

チベットの婚姻制度を研究する中国の学者は、一妻多夫制は群婚(対偶婚)制の名残だという。明らかにエンゲルスの『家族私有財産、国家の起源』によっている。
「群婚制は蒙昧の時代に、対偶婚は野蛮の時代に、姦通と売淫で補充された一夫一妻制度は文明の時代に相応したものである」(エンゲルスがこう書いたのはヴィクトリア朝末期の性道徳を反映したものであろう)

彼はモーガンの『古代社会』に依拠して書いたのだが、早いうちにモーガン説は実証的に否定された。モーガンはアメリカのイロクォイ=インディアンの親族呼称からその婚姻関係を見出したのだが、実態はそうではなかった。方法が間違っていたのである。また親族組織には父系母系のほか双系制などのタイプがあり、モーガン説のように母系から父系へと婚姻習慣が発展するとは限らない。

国際的にはとうの昔から「未開」社会でも一夫一妻が支配的な婚姻形態であることは自明のことになっている。進歩的でも現代的でも何でもない。

中国の社会学・文化人類学の婚姻制度研究は論文を見る限りモーガンやエンゲルスの段階にとどまる。だがマルクスだってエンゲルスだって時代の制約を受けたのは当然で、時が経てば陳腐になる部分が出る。学界がそれを認識しているのかどうか分からないが、毎度エンゲルスの片言隻句を引用して傍証を固めようとするのは、気の毒というほかはない。
この一妻多夫は「後進的」、一夫一妻は「進歩的」という認識が、学界と行政のいくつもの段階を経て徳欽県外事招商局の役人の意識構造にしっかり組込まれたのである。

元へ戻ろう。
一妻多夫婚がチベット高原だけでなく、北インドのラダクやヒマラヤ南麓の社会にもごく少数あるのは知っているが、ある地域全体、数十カ村の半数を占めるなどは聞いたことがない。これが事実なら矢板記者の記事は大変珍しい婚姻習俗をもった地域を紹介したルポである。
素人考えでは、このとおりならばこの地域では女はかなりの数が頭をそって尼さんになるか、一夫多妻婚が近郷近在に並立しないと、未婚の母や一生独身の女があふれてしまう。
おしいかな、このルポではそれに触れていない。

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