2010.05.29 「抑止力」で鳩山首相は何を学んだのか?
暴論珍説メモ(80)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 昨秋以来、日本の政治の最大の懸案となってしまった沖縄米海兵隊・普天間基地の移設問題は、なんと振り出しにもどって、4年前に自民党が米側と作った名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沖を埋め立てる案があらためて日米間の合意事項となり、さらにそれを閣議決定して、昨二十八日に一応の決着となってしまった。沖縄の民意は置き去りにされ、社民党の福嶋消費者・少子化担当相は罷免という後遺症を残して。
 驚いた。辺野古はだめだ、というのが出発点であったのだから、たとえ結果がそれよりよかろうが悪かろうが、ともかく辺野古へ戻ることだけは絶対に出来ないというのが、政治の常識なのに、自らそこへ戻るというのだから唖然とするしかない。もしかしたら鳩山首相は本当に宇宙人かもしれない。
 鳩山首相は沖縄県の仲井間知事に「40箇所以上の候補地を検討した結果、断腸の思いで決断した」と言い、「沖縄県民の皆さんに申し訳ない」と頭を下げたが、そんなにたくさん候補地がありながら、よりによって辺野古へ戻るというとは、どういう思考経路を辿って断腸の決断にいたったのか。
 実はそこに至るヒントらしきものを鳩山首相は自分の口から明らかにしている。今月4日、首相就任後、初めて沖縄を訪れて普天間基地周辺の住民と対話集会を持ったとき、「政権を持つ中で抑止力の必要性、日米同盟の重要性を考えざるをえないと変質してきた」と語ったのだ。そしてその後の記者団とのやり取りで、その間の経過をこう説明したという。
 「去年の衆院選の当時は、海兵隊は必ずしも沖縄にはいらないと思っていた。しかし、その後、首相に就任して学べば学ぶにつけ、沖縄の海兵隊などによって抑止力が保たれている現実を知った。(認識が)浅かったと言われれば、その通りかもしれない」(『日経』電子版5月6日)
 鳩山首相はなにをどう学んだのであろうか。立場が立場だから一人、書斎で本を読むより、周りからさまざまな人がいろいろなことを吹き込んだのであろう。それで洗脳されてしまったのだ。そしてその内容は抑止力についての、軍事評論家やら役人やらがよく使う、俗耳に入りやすい次のような論法だろう。
 「朝鮮半島や台湾海峡で危機が起こったときにすばやく対応するために、一番機動力のある海兵隊は沖縄にいる必要があるのだ」
 しかし、これは有事の際にすばやく対応するという次元の議論であって、抑止力の話ではないのだ。抑止力というのは、ある国が他国に対して軍事行動を起こした場合、かならず相手から、もしくは相手の同盟国から、自国より強い力で反撃される、そして結果は自国が負ける、あるいは自国も手ひどくやられることが確実に予見される、という状態を作っておくことだ。その予見される反撃が早いか遅いかは抑止力と関係ない。早かろうが遅かろうが、いずれは自国が負ける、やられるということがはっきりしていれば、その国は軍事行動を起こすことはないというのが抑止力だ。
 海兵隊が沖縄にいなければならない、という議論は地理的条件、有事の現場への距離を問題にしているのだから、つまるところ対応が早いか遅いかであって、抑止力とは関係ない。
 それに在日米軍は海兵隊だけでなく、沖縄・嘉手納には戦略空軍の基地があり、横須賀、佐世保には第七艦隊がいる。これらすべてが抑止力を構成しているのであって、そのうちの海兵隊がグアムに移ったからといって、日本が攻撃されても米は反撃できなくなるなどということはありえない。いったい鳩山首相は誰からなにを吹き込まれたのであろうか。
 では、すばやく対応するということと抑止力は関係ないとしても、すばやく対応すること自体は重要ではないのか、という反論はありうる。これもまた俗耳に入りやすい議論である。 
 台湾海峡は当面も今後も武力が行使される事態は考えにくいが、朝鮮半島は韓国の哨戒艦撃沈事件に見られるようにまだ危うい。むしろあの事件が起こったことが、鳩山流「抑止力」論を助けるという皮肉な格好になっている。
 私自身はあの事件が南北朝鮮間で戦火が飛び交うようなところにまで拡大するとは考えないが、万一、そうなるような場合、海兵隊が沖縄にいるのとグアムにいるのとで決定的な違いが生ずるであろうか。
 朝鮮戦争というと誰しも60年前の6月25日、北朝鮮軍の突然の南進を思い起こすが、あのような奇襲が現在でも成立するであろうか。本格的な戦闘となればどこの軍隊もそれなりの準備がいる。北朝鮮の場合、四六時中、米の偵察衛星が見張っているのだから、それらしき動きがあればただちに分かる。ミサイルを撃たれて、あるいは戦車が突然現われてびっくり仰天などということはありえまい。
 むしろ大事なのはそれにどう対応するかについての関係国の意思決定がどれほどすばやく出来るかであって、かりに海兵隊を動かすとしても、グアムにいるか沖縄にいるかで、出動までに要する時間の差がそれほど決定的ということはないはずである。どうしてもその差が心配なら、情勢を見てあらかじめ海兵隊を揚陸艦のいるところへ移動させておけばすむことではないか。そのほうが短期的な抑止効果も期待できる。
 要するに鳩山首相は1年前には政治家として健全な判断能力を持っていたのに、なまじ専門家と称する連中に取り囲まれたために「学べば学ぶにつけ」迷路に入り込み、「断腸の決断」に追い込まれてしまったのである。政治家主導を唱えながら、なんたるざまかと言いたい。

Comment
記者会見でお話された一体運用と言うことですが、沖縄在席のヘリ部隊と陸戦部隊が一体でも行動範囲はせいぜい200km程度です。田畑さんが言われる強襲揚陸艦がいて初めて機動運用が可能です。ヘリに給油機で行動範囲が延伸しても装備武器が貧弱ならば撃破されるでしょう。一体運用を本当に言うならば佐世保近辺か、グァム移転するしかないでしょう。
妹尾 (URL) 2010/05/29 Sat 19:46 [ Edit ]
5月29日に載せていただいた、田端光永様の論考について、全く同感する者です。
されど、現在のこの国のジャーナリストの皆さまは、何をどのように「見て、分析して、報道して」おられるのだろうか、との思いに刈られます。
政治家(政治)の劣化は、そのチェック役としての一端を担うべき、ジャーナリスト(報道職と言ってもいいですけれど)の人達に社会が、無言の(信頼を込め)付託をした大きな《職責》だと小生は考えるのですけれど。
清國太郎 (URL) 2010/05/30 Sun 20:38 [ Edit ]
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