2007.09.05 バルト三国の被ばく者たち
山下史 
(エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金)


いまなお「チェルノブイリ」の後遺症に悩む

 私たち(私と千葉智恵子さん)は7月23~31日、バルト三国(リトアニア、ラトヴィア、エストニア)を駆け足で訪ねた。あまり知られていないが、バルト三国にはおよそ2万人の被ばく者がいる。1986年のチェルノブイリ原発事故後、事故処理作業のために強制的に動員され被ばくした人々(リクヴィダートルと呼ばれる)である。彼らを支援する日本の「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」の活動の一環としての調査・交流の旅である。6年ぶりにみた三国の被ばく者の現状を報告する。
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 疲労の色濃いリトアニアの運動
「日本で被爆者援護法ができるのに50年かかったというが、私たちはもう17年も運動を続けているのに成果はゼロだ。一体どういう展望があるだろうか?」。
7月25日、カウナスで開かれた「リトアニアチェルノブイリ運動」との交流会での席上、質問が飛ぶ。同組織はリクヴィダートルとその家族、支援者よりなり、1990年の設立以来、相互支援、政府への補償要求などの運動を続けてきた。会員は2千人(チェルノブイリには7000人弱が動員された)。3国のなかでは最大だ。
だが、今年にはいってから、治療やサナトリウムでの療養といった面での優遇措置が全面的にカットされたという。理由を尋ねると、選挙後、議会・政府内の力関係が変わり、被ばく者に理解を示す勢力が後退したからという。他のグループ(例えば1940年代シベリア送りになって後に帰還した人々)や医療機関などとの連携行動がうまくいかず、支援の輪を広げられずにいるようである。議長をつとめるゲディミナス・ヤンチャウスカスさんにも疲労の色が濃い。
 首都ヴィリニュスには、「チェルノブイリ子どもセンター」がある。チェルノブイリ帰還後に生まれたリクヴィダートルの子どもたち(18歳まで)の検診・治療を専門にしている。こうした施設があるのはリトアニアだけだ。所長に子どもたちの健康状態をたずねた。「特有の病気はないけれど、免疫機能の低下で、病気にかかりやすくなおりにくいということがあるわね。家庭状況もあまりよくない場合が多いから、それも一因かもしれないわ。ストレスを抱えている子どもが多いのよ」との答えであった。
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 ラトヴィアの新大統領はリクヴィダートル
うって変わってラトヴィアは明るい。一つには新大統領のことがある。5月に選出されたばかりのヴァルディス・ザトレル(Valdis Zatlers)大統領は優秀な外科医であると同時に、彼自身がチェルノブイリ事故処理作業者として動員されたという経験を持つ。だから、新大統領への期待は大きい。"He knows the problems"と誰もが言う。
 ラトヴィアでは、首都リガのパウラ・ストラディナ医大病院内にリクヴィダートルの検診・治療を専門とする「職業病放射線医療センター」があり、外来・入院設備を備えている。同センターは1990年からの被ばく者の検診をデータベース化し、追跡調査も行なっている。現在6659人のリクヴィダートルとその子ども1412人が登録されている。被ばく者であればその他の病院であっても検診・治療は無料。「チェルノブイリ年金」)が受けられ、また半数近くはそれに上乗せして「障害者年金」を受けている。
 「政府・議会との関係はうまくいっている」。ラトヴィア・チェルノブイリ協会の設立当初より会長をつとめるアーノルズ・ヴェルゼムニエクス氏は胸をはる。元ソ連軍の高位職業軍人ということもあり、その当時の人脈をロビー活動に生かしている。
 協会事務所をたずねた。会員約300名。活動の中心は相談活動である。リクヴィダートルとして登録するための手続き・書類提出の手助け、生活上の相談・支援など90年代からの活動の記録がファイルに綴じられていた。ラトヴィアの場合は、国の経済的発展にともなって、年金額なども急速に増額されており、医療機関と運動体との連携もできているようだ。

 ロシア人問題で揺れるエストニア
 「多分政府は時が過ぎるのを待っているんですよ。あと20年もしてボクらが皆死んでしまえば、問題はなくなるわけだから」。吐き出すようにユーリ・レインマンさんが言う。レインマンさんは、2004年に設立された被ばく者組織エストニア・チェルノブイリ協会の議長。タリン市議会議員をつとめるかたわら、被災者の支援活動を行なう。週に二日、リクヴィダートルたちの相談にのっている。
 エストニアでは、「チェルノブイリ被ばく者」というくくりはない。「ソ連による抑圧から開放された人々」とされ、他にはスターリン時代にシベリアに送られた人々、アフガン帰還兵などが含まれる。病気になった場合の治療は無料。そのほか、年額2500クローネ(近々5000クローネに引き上げ予定)の手当てが支給され、老齢年金も一般の人々よりも5年早く58歳から開始されるという特典がある。また自治体によっては、サナトリウム療養や公共交通機関利用などに助成がある。ただし検診はない。
 最大の問題は、そうした補償のすべてが、エストニア市民に限られることだ。エストニア市民となるためには、エストニア語の試験に合格しなければならないのだが、エストニアに住むロシア人の多くは、試験を受けず、「灰色のパスポートをもつ住民」と言われている。レインマンさんは、当面の課題として、公共交通機関の無料化を非エストニア市民に拡大したいという。
 リクヴィダートルの健康状態については、日本に研修に来た医師を含め、エストニアの友人たちは「健康面では歯を除けば特に問題はない」「ガンになったという例を知らない」という。だが、実際にはエストニアから事故処理に参加した4千数百人ついての統計データは一切ないのが現実だ。タリンにあるユーロ大学のユーリ・マルティン教授などが1999年に行なったアンケート結果(約1000人が回答)が唯一の包括的調査報告であるという。それによれば、チェルノブイリ後、健康状態が悪化したとの回答者は55%。また離婚が急上昇、36%が定職にについていないなど、生活面でも問題が多い。

 ラトヴィアの追跡調査では、「事故処理作業者のほとんどは病気を有しており、その多くは同時に複数の病気をかかえ、彼らの罹患率は同年齢・同性の被ばくしなかった人々と比べて高く、増加傾向が見られる」との結果が発表されている。さらに、健康問題の主要原因のなかでもっとも重要なものは、精神的・情緒的ストレス、ならびに彼らの体内にとりこまれた半減期の長い放射性核種による被ばくで、この内部被ばくは生涯にわたって続く、と指摘している。

 カウナスでとうろう流し
 8月9日午後8時、リトアニアのカウナスを流れるネムナス川に色とりどりの170個の灯篭が流れた。少女がバイオリオンを弾く。子どもとおとなが手作りの灯篭にメッセージを書く(灯篭の見本は私たちが持参した)。今回の訪問中、リトアニアで通訳などを手伝ってくれたアウグステ・ユラシカイテさん(26歳)が呼びかけたこの行事には200人が参加した。アウグステさんは言う。「こんなに沢山の人が来てくれるなんて、信じられない」
 アウグステさんは、昨年は8月5日に千羽鶴を折るイベントを開いた。10月には子ども代表団を組織して、1500人が折った4000羽の千羽鶴を広島に届けた。
 彼女がこうした行動を起こすきっかけとなったのは、2003年にリトアニアチェルノブイリ運動代表の広島訪問に同行して被爆者の話をじかに聞いたことである。彼女が昨年広島から持ち帰ったアオギリが一本芽をふき、育っていた。遠いリトアニアで、広島の被爆体験が受け継がれている気がした。
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Comment
広島からの一本の青桐、美しい緑に、わたしは何かを見たような気持ちがします。バルト三国の二万人の被爆者たちについて、わたしに教えてくださってありがとう。青桐の葉が反核のそよぎを奏でますように。
漆原暁子 (URL) 2007/09/13 Thu 10:09 [ Edit ]
 山下さんといっしょにバルト3国を訪問した千葉と申します。こういう形で、みなさんに21年目を迎えたバルトのチェルノブイリ被ばく者のことを知っていただけて嬉しいです。
 先日、私が関わっている地元の小さな日本語ボランティアのグループで「今年の夏休みは……」と写真を見せたところ、高校生から「チェルノブリ……って何ですか? どんな事件があったんですか?」と質問され、愕然としました。ついこの間の出来事で、みんな知っていて当然、という気がしていましたので。
 日本の被爆体験の継承も含め、次の世代に語り継ぐこと、そしてリトアニアの灯ろう流しのような「次の世代による」新しい取り組みが生まれてくることが大切なのだと思いました。
千葉智恵子 (URL) 2007/09/13 Thu 11:09 [ Edit ]
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() 2011/10/23 Sun 22:17 [ Edit ]
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