2010.08.12
黒澤明の非神話化は成功したか
書評 四方田犬彦著『「七人の侍」と現代―黒澤明 再考』
《アカデミズムによる黒澤明非神話化の試み》
本書はアカデミズムからの黒澤明論である。著者の四方田犬彦(よもた・いぬひこ)は明治学院大学で映画史を教える。海外での研究歴が長い。本書の執筆意図は、『七人の侍』の解析を通して黒澤明の「非神話化」を図ることである。「プロローグ」にいう。
▼(七人の侍の)物語は世界のいたるところで翻案され、ナショナリズムと抵抗闘争を説く装置として機能している。だが黒澤明が差し出した、虚無に通じる問いかけは、そこでは等閑にされてしまった。日本が敗戦を体験して九年後に制作されたこのフィルムに、今こそもう一度照明を当てるべきではないだろうか。誤解と思い込みの上に成立した過剰な栄光をひとまず払い除け、それが制作された時代の社会的文脈と、延々と続いてきた日本映画のなかの時代劇の文脈の交差点にたって、作品そのものを虚心に見つめ直す必要があるのではないだろうか。
《黒澤との出会い・回避・再訪》
『椿三十郎』(62年)で黒澤作品と出会った四方田は『赤ひげ』や『どですかでん』まで黒澤作品を好ましく観ていたが『乱』において違和感をもった。「華麗なるスペクタクルの連続ではあったが、人間味を欠落させた大作」と感じたのである。黒澤の新作に歴史感覚の欠落や時代錯誤を発見して黒澤回避の気分が芽ばえる。しかし世界各地で映画研究を続けるなかで黒澤作品が「古典」ではなく現代を直接表現する作品だと考えるようになる。たとえば、難民キャンプを描いたパレスチナ映画『ハイファ』に、『どですかでん』との共通点を発見する。その作品の監督が黒澤からの強い影響を語るのを聴く。旧ユーゴでは、内戦は「羅生門」的状況として語られ、ここでも難民キャンプは「野武士に略奪され破壊された村落の、恐ろしく拡大された姿」として四方田の眼に写る。「パレスチナとセルビアの地で、黒澤がいかに受容され解釈されているかを知った(略)わたしは長年にわたる黒澤回避の姿勢を改めなければならないと考えるまでになった。戦乱と強奪が続くかぎり、黒澤映画は世界中で必要とされているのだ」(19頁)と著者は書いている。
《黒澤再評価の力点―「歴史学的」・「表象」の意味》
四方田による黒澤明の再検討は三つに分かれる。
一つは、『七人の侍』の「ジャンル」論、成立経緯、時代劇革新などの叙述である。
二つは、『七人の侍』の人物造形の分析と歴史学的な批判である。
三つは、『七人の侍』のもつ「哲学」論である。
いずれも優れた論考だがここではあとの二つを取り上げる。
四方田は中世史家藤木久志の説に拠りつつ黒澤脚本の古さを指摘する。
戦国百姓が無力だったとするのは真実ではなく彼らは大量の武器によって恒常的に武装していた。武士下層の多くは「雑兵」(ぞうひょう)なる傭兵であり、使い捨ての存在であった。浪人と野武士は互換性のある存在であった。つまり『七人の侍』の「崇高なる侍」も、「無抵抗で萎縮しているだけの百姓」も、「人格もないまま悪逆の限りを尽くす野伏せ」も、半世紀前に黒澤明の想像力が生み出したものにすぎない。黒澤は敵の一面化、勧善懲悪の図式からも自由でなかった。「彼が頑強に確信してきた正義と敵味方を峻別する思想とが、偏狭なものに感じられてくる。(略)世界が厳密に善と悪に二分できなくなった現在に住むわれわれは、『七人の侍』が説くマニ教的な二元論をノスタルジアの眼差しで見つめないわけにはいかない」と結論する。これは黒澤相対化―非神話化―に有効な一撃である。
半澤健市(元金融機関勤務)
《アカデミズムによる黒澤明非神話化の試み》
本書はアカデミズムからの黒澤明論である。著者の四方田犬彦(よもた・いぬひこ)は明治学院大学で映画史を教える。海外での研究歴が長い。本書の執筆意図は、『七人の侍』の解析を通して黒澤明の「非神話化」を図ることである。「プロローグ」にいう。
▼(七人の侍の)物語は世界のいたるところで翻案され、ナショナリズムと抵抗闘争を説く装置として機能している。だが黒澤明が差し出した、虚無に通じる問いかけは、そこでは等閑にされてしまった。日本が敗戦を体験して九年後に制作されたこのフィルムに、今こそもう一度照明を当てるべきではないだろうか。誤解と思い込みの上に成立した過剰な栄光をひとまず払い除け、それが制作された時代の社会的文脈と、延々と続いてきた日本映画のなかの時代劇の文脈の交差点にたって、作品そのものを虚心に見つめ直す必要があるのではないだろうか。
《黒澤との出会い・回避・再訪》
『椿三十郎』(62年)で黒澤作品と出会った四方田は『赤ひげ』や『どですかでん』まで黒澤作品を好ましく観ていたが『乱』において違和感をもった。「華麗なるスペクタクルの連続ではあったが、人間味を欠落させた大作」と感じたのである。黒澤の新作に歴史感覚の欠落や時代錯誤を発見して黒澤回避の気分が芽ばえる。しかし世界各地で映画研究を続けるなかで黒澤作品が「古典」ではなく現代を直接表現する作品だと考えるようになる。たとえば、難民キャンプを描いたパレスチナ映画『ハイファ』に、『どですかでん』との共通点を発見する。その作品の監督が黒澤からの強い影響を語るのを聴く。旧ユーゴでは、内戦は「羅生門」的状況として語られ、ここでも難民キャンプは「野武士に略奪され破壊された村落の、恐ろしく拡大された姿」として四方田の眼に写る。「パレスチナとセルビアの地で、黒澤がいかに受容され解釈されているかを知った(略)わたしは長年にわたる黒澤回避の姿勢を改めなければならないと考えるまでになった。戦乱と強奪が続くかぎり、黒澤映画は世界中で必要とされているのだ」(19頁)と著者は書いている。
《黒澤再評価の力点―「歴史学的」・「表象」の意味》
四方田による黒澤明の再検討は三つに分かれる。
一つは、『七人の侍』の「ジャンル」論、成立経緯、時代劇革新などの叙述である。
二つは、『七人の侍』の人物造形の分析と歴史学的な批判である。
三つは、『七人の侍』のもつ「哲学」論である。
いずれも優れた論考だがここではあとの二つを取り上げる。
四方田は中世史家藤木久志の説に拠りつつ黒澤脚本の古さを指摘する。
戦国百姓が無力だったとするのは真実ではなく彼らは大量の武器によって恒常的に武装していた。武士下層の多くは「雑兵」(ぞうひょう)なる傭兵であり、使い捨ての存在であった。浪人と野武士は互換性のある存在であった。つまり『七人の侍』の「崇高なる侍」も、「無抵抗で萎縮しているだけの百姓」も、「人格もないまま悪逆の限りを尽くす野伏せ」も、半世紀前に黒澤明の想像力が生み出したものにすぎない。黒澤は敵の一面化、勧善懲悪の図式からも自由でなかった。「彼が頑強に確信してきた正義と敵味方を峻別する思想とが、偏狭なものに感じられてくる。(略)世界が厳密に善と悪に二分できなくなった現在に住むわれわれは、『七人の侍』が説くマニ教的な二元論をノスタルジアの眼差しで見つめないわけにはいかない」と結論する。これは黒澤相対化―非神話化―に有効な一撃である。
《農民・敗北・問いをめぐる形而上学》
『七人の侍』の「哲学」を考察するときに四方田は「表象」という言葉を多用する。
「浮かび上がるのは、黒澤明における農民、敗北と敗残兵をめぐる表象の系譜である。この監督が生涯にわたって主題としてきたのは、問いをめぐる形而上学であった」(168頁)と書く。『七人の侍』の脚本と現実の演出を比較してその変化と差異を強調する。演出の過程で「崇高な侍」と「無力な農民」との関係は逆転したという。
▼「侍という観念の自明性そのものが審問にかけられている。(略)最初の脚本にあっては菊千代(三船敏郎)の土饅頭に侍としての栄誉が与えられ、まだしもその戦いの意義を賞賛するところがあった。だが現実のフィルムはただ土饅頭の間を風が吹き抜けるだけであり、後にはただ仏教の説く無常観だけが残されることになる。この演出においてとりわけ強調されているのは、生き残った侍たちが死んだ同志たちに向ける服喪の感情である。(略)この感情はより強烈なものとなり、さながらフィルム全体を締めくくる基調音と化している」(175~176頁)。ここでは「仏教の説く無常観」と「服喪の感情」がキーワードとして出現する。
《仏教的無常観と「服喪」の感情》
黒澤の問いは次第に高みに駆け上り、遂には「侍とは何か」にたどり着くが、侍はすでにその存在理由を失っており、残るのは仏教的無常観である。四方田はその論証のために、黒澤晩年の作品『夢』の「トンネル」や最終話の「水車のある村」に飛翔する。
「トンネル」の「わたし」(寺尾聡)は部下の多くを死なせた勘兵衛の再現であり「水車のある村」での葬列は『七人の侍』で未完だった「服喪」の「ユートピア的」な止揚である。「トンネル」についていう。
▼映画が服喪の感情をいかにリアルに描くことができるかという問題ではない。そもそも映画を撮るという行為が死者に対する服喪たりうるかという、本質的な問いである。(略)挿話全体に死者の召還をもってなす夢幻能の様式を適用するのだ。黒澤は死せる兵士と「わたし」に悲痛な告白をさせた後、兵士たちを退場させる。空間は元通りの秩序を回復する。だが能楽がもたらしてくれるはずの、顕現を通しての救済、心理的浄化はここにはない。宙に投げかけられた問いは解決されず、以前にもまして悔恨の情が「わたし」を圧迫することになる。(186頁)
《勝四郎や七郎次が漢陽に進軍する》
その上で四方田はリアリストの相をみせポスト『七人の侍』の行方を次のように書く。
▼戦いの後に生き残った三人の武士がその後どのような人生を送ることになったかを、最後に想像してみるのもいいだろう。三年後の一五九〇年、豊臣秀吉が天下を統一してしまうと、もはや彼らに合戦の機会も立身出世の機会もなくなってしまうはずだ。
当然、彼らが赴くのは朝鮮である。一五九二年と九七年、秀吉は夥しい雑兵を雇い入れて朝鮮半島侵略を行なう。勝四郎や七郎次が加藤清正の軍に雇われて漢陽(現在のソウル)に進軍するさまを想像することは心苦しいが、もし『七人の侍』の続編を誰かが企画するとすれば、こうした光景を無視することはできないだろう。イスラム諸国で悲惨な戦闘体験をもって帰国したアメリカ兵たちがその続編をどのように眺めるかには、いささか興味をそそられるものがある(212~213頁)。
《わたしたちの許へ駆けつけてくれるかもしれない》
四方田とは異なるポスト『七人の侍』論もある。
井上ひさしは『七人の侍』を絶賛する一人であった。亡き劇作家はこう書いた。
▼勘兵衛(志村喬)が物語の最後まで生き残ったことに、わたしたちはどれだけ救われていることだろう。この侍の中の侍にして類い稀なる軍師が、その良き女房役の七郎次(加東大介)や、野武士たちとの戦いで大人になった勝四郎(木村功)を伴って、時空間を超えてわたしたちの許へ駆けつけてくれるかもしれないという希望。この軍師なら良き共同体の組み方を教えてくれるにちがいない。勘兵衛が生き残ったことで、わたしたちにそのような希望が残されたのである。すべて偉大な作品は、「どのように状況が悪くても生きることに絶望するな」と、人生という名の涙の谷で悪戦苦闘を余儀なくされているわたしたちに励ましを贈ってくれるが、この作品を観直すたびに、救い主は、『七人の侍』という映画に姿を変えてすでに降臨しているのだと奮い立たないではいられなくなるのだ。(井上ひさし「希望」、東宝DVD解説書、03年)
《水準測定に絶好の黒澤論》
黒澤明生誕100年、『七人の侍』公開56年後に出版された理屈の多い本書は読むのに容易ではない。しかし現代映画批評は黒澤明をどう見るのか。それを読む自分はどれほどの水準にあるか。それを知るための絶好の書物だ。これが結論である。
■四方田犬彦著『「七人の侍」と現代―黒澤明 再考』(岩波新書、岩波書店、10年6月刊、720円+税)
『七人の侍』の「哲学」を考察するときに四方田は「表象」という言葉を多用する。
「浮かび上がるのは、黒澤明における農民、敗北と敗残兵をめぐる表象の系譜である。この監督が生涯にわたって主題としてきたのは、問いをめぐる形而上学であった」(168頁)と書く。『七人の侍』の脚本と現実の演出を比較してその変化と差異を強調する。演出の過程で「崇高な侍」と「無力な農民」との関係は逆転したという。
▼「侍という観念の自明性そのものが審問にかけられている。(略)最初の脚本にあっては菊千代(三船敏郎)の土饅頭に侍としての栄誉が与えられ、まだしもその戦いの意義を賞賛するところがあった。だが現実のフィルムはただ土饅頭の間を風が吹き抜けるだけであり、後にはただ仏教の説く無常観だけが残されることになる。この演出においてとりわけ強調されているのは、生き残った侍たちが死んだ同志たちに向ける服喪の感情である。(略)この感情はより強烈なものとなり、さながらフィルム全体を締めくくる基調音と化している」(175~176頁)。ここでは「仏教の説く無常観」と「服喪の感情」がキーワードとして出現する。
《仏教的無常観と「服喪」の感情》
黒澤の問いは次第に高みに駆け上り、遂には「侍とは何か」にたどり着くが、侍はすでにその存在理由を失っており、残るのは仏教的無常観である。四方田はその論証のために、黒澤晩年の作品『夢』の「トンネル」や最終話の「水車のある村」に飛翔する。
「トンネル」の「わたし」(寺尾聡)は部下の多くを死なせた勘兵衛の再現であり「水車のある村」での葬列は『七人の侍』で未完だった「服喪」の「ユートピア的」な止揚である。「トンネル」についていう。
▼映画が服喪の感情をいかにリアルに描くことができるかという問題ではない。そもそも映画を撮るという行為が死者に対する服喪たりうるかという、本質的な問いである。(略)挿話全体に死者の召還をもってなす夢幻能の様式を適用するのだ。黒澤は死せる兵士と「わたし」に悲痛な告白をさせた後、兵士たちを退場させる。空間は元通りの秩序を回復する。だが能楽がもたらしてくれるはずの、顕現を通しての救済、心理的浄化はここにはない。宙に投げかけられた問いは解決されず、以前にもまして悔恨の情が「わたし」を圧迫することになる。(186頁)
《勝四郎や七郎次が漢陽に進軍する》
その上で四方田はリアリストの相をみせポスト『七人の侍』の行方を次のように書く。
▼戦いの後に生き残った三人の武士がその後どのような人生を送ることになったかを、最後に想像してみるのもいいだろう。三年後の一五九〇年、豊臣秀吉が天下を統一してしまうと、もはや彼らに合戦の機会も立身出世の機会もなくなってしまうはずだ。
当然、彼らが赴くのは朝鮮である。一五九二年と九七年、秀吉は夥しい雑兵を雇い入れて朝鮮半島侵略を行なう。勝四郎や七郎次が加藤清正の軍に雇われて漢陽(現在のソウル)に進軍するさまを想像することは心苦しいが、もし『七人の侍』の続編を誰かが企画するとすれば、こうした光景を無視することはできないだろう。イスラム諸国で悲惨な戦闘体験をもって帰国したアメリカ兵たちがその続編をどのように眺めるかには、いささか興味をそそられるものがある(212~213頁)。
《わたしたちの許へ駆けつけてくれるかもしれない》
四方田とは異なるポスト『七人の侍』論もある。
井上ひさしは『七人の侍』を絶賛する一人であった。亡き劇作家はこう書いた。
▼勘兵衛(志村喬)が物語の最後まで生き残ったことに、わたしたちはどれだけ救われていることだろう。この侍の中の侍にして類い稀なる軍師が、その良き女房役の七郎次(加東大介)や、野武士たちとの戦いで大人になった勝四郎(木村功)を伴って、時空間を超えてわたしたちの許へ駆けつけてくれるかもしれないという希望。この軍師なら良き共同体の組み方を教えてくれるにちがいない。勘兵衛が生き残ったことで、わたしたちにそのような希望が残されたのである。すべて偉大な作品は、「どのように状況が悪くても生きることに絶望するな」と、人生という名の涙の谷で悪戦苦闘を余儀なくされているわたしたちに励ましを贈ってくれるが、この作品を観直すたびに、救い主は、『七人の侍』という映画に姿を変えてすでに降臨しているのだと奮い立たないではいられなくなるのだ。(井上ひさし「希望」、東宝DVD解説書、03年)
《水準測定に絶好の黒澤論》
黒澤明生誕100年、『七人の侍』公開56年後に出版された理屈の多い本書は読むのに容易ではない。しかし現代映画批評は黒澤明をどう見るのか。それを読む自分はどれほどの水準にあるか。それを知るための絶好の書物だ。これが結論である。
■四方田犬彦著『「七人の侍」と現代―黒澤明 再考』(岩波新書、岩波書店、10年6月刊、720円+税)
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