2010.10.28 チベット語、大海に入りてまた返らざる(続)
――チベット高原の一隅にて(96)――

阿部治平(中国青海省在住、日本語教師)

前編につづいて状況の変化を書きます。
青海省の「幼稚園から大学まで学校で教師の話すことばを漢語にする」という2010年9月の政府決議(「青海省中長期教育改革と発展計画綱要(2010-2020?)」)は、青海の少数民族教師と学生にすさまじい衝撃を与えた。

「チベット語は消え、われわれはチベット人ではなくなる」という危機感と困惑が中高校生の恐怖心を乗り越えた無許可デモを生み、デモは青海省の6ヵ所のチベット族自治州全域に拡大した。

日本から伝えられた「共同」電では、果洛・海南など4カ所のチベット族自治州で20〜21日、高校生らが街頭で抗議行動を行った。海南州チャブチャや同州ツィコルタンでも生徒らは『チベット語を自由に使いたい』などと叫んでデモをした。千人単位である。さらに21日未明には果洛州ダーウで生徒がデモ行進、武装警察に阻止された。同日朝、黄南州同仁県シュホンシ郷(田舎だがゲンドンチュンペン中学がある)でも約5百人の中学生がデモ行進したという(共同10.22 20:27)。

驚いたのは、国内のデモや騒動を報道しない新華社もこの事実を認めたことだ。

「記者が青海省政府から知りえたところでは、17日から20日までの間に、黄南・海南・海北・果洛(ゴロク)の蔵族自治州などでチベット族生徒が(中略)誤解にもとづいて不満を表明した(新華ネット2010・10・22)」

10月22日、青海省教育庁王予波庁長がこの教育改革について釈明の記者会見をした。同時に「全省広大な教師学生への公開状」を配布した。新華社は「過日、チベット族中学生が2言語教育を強化する改革に対して誤解があり、不満を引き起こした問題」に対して教育幹部王予波が釈明したと伝えた。

10月24日0時29分、私の携帯電話に通告が入った。「近日、携帯電話を利用して国家『2言語』教育政策に対しデマを振りまき攻撃するものがいる。受取ったものはこれを聞かず、信じず、伝えないでもらいたい。このたぐいのメールを見つけたらすぐに公安に届けてほしい。青海省教育庁 宣伝部」
だが、チベット人学生の要求したものは誤解とかデマにもとづく不満ではない。公式文書で明らかになった内容にもとづく。

地元紙「西寧晩報」(10・23)の記事と新華社電とによると、王予波は青海の教育改革が中央政府の方針に従ったものだと説明した。

1、決議は2言語教育改革の実行は実際には(教育の)弱いところを強めるというもので、ある言語を教育言語として用い、別な言語を弱めるというものでは絶対にない。漢語漢字と民族の言語文字の双方を改革し双方を強化するといっているのだ。
2、決議は青海各民族間の教育格差を縮小するためであり、民族間の交流を進め民族地区の経済社会発展を促進するためである。
3、民族教育・民族地区における2言語教育を発展させることは、中国の長年にわたる重要な方針である。漢語標準語と規範漢字は中国の通用言語文字であって、各民族人民交流の主な言語手段である。中国憲法と法律は少数民族言語文字の発展と使用を明確に規定している。
4、2言語教育改革に対し、青海省教育部門は教育上の法則と学生の学習成長法則に従い学生と保護者の意見を十分に聞き、かつ尊重する。条件の熟したところから順次推進し熟さないところは現状を尊重し、かたくなにこれを推進するものではない。同時に少数民族語文教育を引き続き強める。(教育への)投入を増やし(教育)条件を改善し質を高める。
5、決議は一部の教師と関係者の切実な利益に関係するが、絶対に教師と関係者の言語能力問題でクビにするようなことはしない、また賃金や福祉待遇問題に影響しない。

さあ、これでチベット人生徒学生らが納得できるか?

王予波は漢語、民族語の「双方を改革し双方を強化する」という。結構な話だ。中国の政治経済の現実からすれば漢語教育が必要でないとは誰も思わない。漢語が下手なために就職できない、仕事についても侮辱されて泣く現実がある。

だが、地方指導者がチベット人の下手な漢語を高めようという親切心をいだいたなら、まずチベット語を教育用語とし、そのレベルを高め、それから漢語を教える方法をとらねばならない。外語としての漢語が母語のチベット語の水準を超えることは困難だからだ。学習法則に従うというのはそういうことである。

省党書記強衛も21日あわてて黄南州で学生と話し合った。王予波もこれから「学生と保護者の意見を十分に聞き、かつ尊重する」という。なぜ事前にそうできなかったか。どうやら彼らは現場の教師やチベット学の専門家の意見を聞かないでこの政策を作ったらしい。まさかね?

王予波の釈明のなかでいちばん重要なことは、チベット人地域の教育用語を漢語にするという方針を撤回しないことだ。条件のあるところから順次実施するとしているから、いずれ全面的にやるのである。

王予波が釈明の前提に使った中央政府の教育改革綱要の第9章「民族教育」は、「大いに2言語教育を推進し、全面的に漢語文課程を開設し、共通語の言語文字を広める。少数民族の言語と文字で教育を受ける権利を尊重しまた保障する。全面的に就学前2言語教育をすすめる。国家は2言語教育をする教師の養成・教学研究・教材開発と出版に支持をあたえる」となっている。

最初の2行のどちらも重視するのが正確だが、具体的にどうやるかは地方指導者に任せられる。第1行を強調して「全面的に教育用語を漢語とし、漢語漢字教育を徹底する」と理解したのは青海省当局であろう。もし第2行までちゃんと読めば、その理解はまちがいだ、チベット人にはチベット語で教育を受ける権利を保障しているのだからとなるはずだ。

注目すべきは、記者との一問一答で王予波が、「(漢語は)我国経済社会の発展と国家の地位向上に伴い、じょじょに国際的に通用する重要な言語となった」だから、漢語教育が必要だといっていることである。これは2004年に出された「国家語言戦略」の、孔子学院などを通して漢語と漢文化を輸出し、その国際影響力を向上させるという趣旨を踏まえている。

ここで王予波に、漢語を国際的な重要な言語と判断する、その根拠を求めるには及ばない。それはこの十数年漢民族の自尊心が急上昇し天に達したことを反映したものである。尖閣問題もこの延長上にある。

国内ではこの意識構造が漢語と民族語との共存を希薄にし、地方の指導者によっては「何がなんでも漢語教育」の単一言語主義として現れる。全地球的には先進国を中心に多言語多文化主義が定着しつつある。GDP世界第2位の中国でこうならないのはいまだ途上国なのか、革命以来まつろわぬ民を制しかねているからか。

実は中国内地でも標準語普及にともない、上海語や広東語など方言擁護運動があらわれたことがある。やがて漢語大方言と標準語の共存はたがいに認めるところになった。
だが、こと民族語問題になると、純粋に教育上、学術上、民族文化の問題だということは忘れられ政治臭煙硝臭がつよまる。憲法や法律や決議にどんなに民族語の尊重が書いてあったとしても、中高生が「チベット語使用の自由」を叫んだとたんに「デマを振りまき攻撃するものがいる」とかいって警察がでてくる、少年らのデモを治安部隊が取り巻く。
新疆では2004年から幼稚園では漢語が教育用語になっている。この間の新疆「暴乱」の底流には教育言語問題があったのじゃありませんか?あれで中国はだいぶ国際的評価を落としたが、この教訓を青海の指導者たちは忘れたのだろうか。

第二次大戦敗戦直後、志賀直哉が日本語は非文化的言語だからフランス語にしようと提案をしたことがある。フランス語の教師を養成して小学校1年生から教えるとかいった。そんなことをしたら彼の作品は売れず彼は干上がってしまう。大作家も敗戦のショックで頭が変になっていたらしい。
本人はどうでもいいが日本語教育がなくなったら、日本文学の名作の数々が未来の日本人に読めなくなる。民族史も民族文化も遠い思い出になる。日本人はどうやってもフランス人に追いつけないフランス語でフランス人にバカにされるのだ。

言語は単なるコミュニケーションの道具ではない。ことばがあるから精神があり、文化をつくり、それを支えるのである。だからこそ日本が朝鮮人と台湾人から母語を奪ったのは歴史的な犯罪行為である。
チベット語があるからチベット人とチベット文化があるのである。3千、4千メートルの高原に文化が育つのかと問う人もいるが、この百年近く遅れをとったとはいえ、仏教に彩られた立派な伝統と高度の文化がある。うそだと思ったら私のところへ話しにいらっしゃい。
誰にとっても、毎日使っていることばが勉強するのに世界で一番いい言葉である。さあそこで、もしチベット人からチベット語、それもやや高度のチベット語がなくなったときチベット人はどうなるか。これがチベット人若者の危機意識である。

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() 2010/11/01 Mon 10:25 [ Edit ]
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