2011.02.27 議論(Discussion)
日本人は議論が苦手か

松野町夫 (翻訳家)


議論(Discussion)は、お互いに自分の考えを述べ、批評し、意見をたたかわすこと。現代において、議論の有用性は誰しもが認めるところだ。合意を形成するうえでも、建設的な議論を展開する能力は欠かせない。しかし悲しいかな、私たち日本人の多くは議論や討論が苦手である。しかし苦手ではあるが、議論する能力が欠如しているわけではない。その気になれば、欧米流の議論でもできないわけではない。文化的・心理的・言語的な障壁を取り払いさえすれば。「言わぬが花」は世界では通用しない。国際社会のなかでは、話し合わないかぎりお互いを理解することはできない。

日本には昔から、「言わぬが花」、「沈黙は金、雄弁は銀」、「和を以て貴しと為す」(わをもってトウトシとなす)などの格言がある。私たちはどこか心の奥底で、うまく話せることはたいせつであるが、黙っていることのほうが大事であり、そのほうが説得力があり効果的だ、と信じているのかもしれない。「口がうまい」という表現は日本ではほめことばではない。議論の好きな人は日本では敬遠される。

マーケティングリサーチのツールのひととつにフォーカスグループ(focus group)方式というのがある。これは、たとえば企業が新製品を発表する際、事前に小人数からなる消費者のグループを集め、司会者のもとに集団で自由に議論してもらい一般の反応を予測しようとする一種の定性調査である。フォーカスグループは企業などの新製品だけでなく、政府などの新政策の事前調査にも活用される。

フォーカスグループは費用対効果が高いので、現在、欧米やアジア諸国でも広く採用されている。日本は米国式フォーカスグループの手法を1960年代後半に定量調査の補足として導入した。ところが、定量調査は日本でも問題ないが、数量データを用いないフォーカスグループ方式は、日本ではなぜかうまく機能しない。定性調査の主催者側、とくに外資系企業の多くはそのことにイライラする。欧米や他のアジア諸国ではフォーカスグループが効果的に機能するのに、なぜ日本ではそれができないのか、と憤慨する。

なぜ日本ではフォーカスグループはうまく機能しないのか?それは、日米の文化の違いを考慮することなく、米国のフォーカスグループのやり方をそのまま導入したことに起因する。欧米の場合、回答者が積極的に個人的意見を述べたり共感をさそったりするのはごく普通のこと。しかし日本では回答者は文化的に議論を回避する傾向があり、あらたまった場所では個人的意見を述べたり共感をさそったりしない。グループ内の和(=動向)を大事にする。その結果として、日本の場合、課題について表面的な理解に終始し深さや洞察力が抑制されてしまい、新鮮味のないありきたりの提言しか得られない。これでは定性調査としては失敗である。

欧米では、個人が積極的に意見を述べるのは当然のことであり、沈黙は美徳ではない。日常生活においても、沈黙は暗黙の了解とみなされ自己主張しないと損をする場合が多い。アメリカの学校では小学生に事実と意見を区別する問題を与えたりする。中学校や高校の授業にディベート(debate)を取り入れているところも多い。あるテーマについて無作為に(=自分の信念とは無関係に)、肯定側と否定側とに分れ、同じ持ち時間で立論・質問・反論を行い、相手を説得する技術を競わせたりもする。私たち日本人からみれば、これは何だか屁理屈屋を養成しているみたいで、その有用性に首を傾げたくなるが、いずれにせよ、アメリカ人は議論のやり方について日本人よりもはるかに訓練されているのはまちがいない。

「言わぬが花」の価値観は、これまでの日本社会のあり方と深く関連する。たとえば、高度経済成長時代の職場を例にとると、会社は新規学卒者を採用し、学卒者のほうも定年まで同じ会社に勤務するつもりで入社した。終身雇用・年功賃金・経営家族主義といった日本独自の雇用制度のなかで、上司や同僚・部下たちと長期間つきあうことになる。そこでは本音(=自分の正直な意見)を言うと、あとあとさしさわりが出たりシコリが残ったりする恐れがある。積極的に自己主張するよりも、「言わぬが花」、あるいは少し控えめに行動した方が万事スムーズにいく。高度経済成長時代の日本的社会環境では、実際、公開の場での議論よりも、水面下の根回しや和議・談合のほうがはるかに有効に機能した。

しかし時代は変わった。いまや高度経済成長は過去の話。終身雇用や年功賃金など日本的雇用制度も1990年代中期以降少しずつ崩壊してきている。制度はすべて、財政的な裏づけがあって初めて存続できる。経済的・財政的理由による制度の破綻は企業だけの話ではない。国際化の波は大きなうねりとなって、司法・行政・立法など社会のあらゆる分野に押し寄せ、従来の制度の改革をせまっている。新しい時代にふさわしい新しい制度を樹立するには、大きな議論が必要である。

夢(日本のあるべき姿)を語り、それを実現させる方法(政策)を話し合うには大きな議論が欠かせない。大きな議論を成立させるには、日本のあるべき姿について共通の認識が必要となるが、ありがたいことに、日本にはすばらしい憲法がある。成立の経緯はともかく、日本国憲法は人類のあるべき姿を明確に示した世界に誇れる憲法である。民主主義・基本的人権・平等・個人の尊重と公共の福祉・戦争の放棄など、まさに時代を先取りしている。この憲法の精神を共通のベース(=認識)として、議論を展開するのが最善である。

夢は大きいほどいい。たとえば、医療・教育・福祉は原則として無料とするという大きな目標を掲げるのもいい。このような大きい目標であれば夢があり やりがいがあるので、国民大多数の賛成を得ることができるのではないだろうか。もちろん、財政的な裏づけがないからこのままでは絵に描いた餅にすぎない。これを日本で実現するのはむずかしい。しかし非常に困難ではあるが、絶対に不可能というわけでもない。横浜市立大学 国際総合科学部 上村雄彦(うえむらたけひこ)准教授によると、デンマークでは現在、医療・教育・福祉は原則として無料だという。デンマークにできて日本にできないはずがない。早い話、やる気のある専門家の調査団を現地に派遣して、一定期間とことん情報を集めて日本に持ち帰り、それを参考に皆で広く議論し、数年間かけて日本独自の制度を構築するというやり方もある。

日本文化の「言わぬが花」は世界では通用しないが、「和を以て貴しと為す」は議論をささえる重要な基盤であり、世界でも通用する有用な心がまえである。2月17日、日本人として初めて国際宇宙ステーション(International Space Station)の船長に任命されることになった宇宙飛行士の若田光一さん(47)が記者会見で、「和の心」を大切にしてチームをとりまとめていきたい、と笑顔で感想を述べた。ウーン、ひょっとしたら日本人は欧米流の議論は苦手だが、話し合いながら ものごとをとりまとめるという面では優れているのかもしれない。

Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack