2007.10.29  福田首相が戦中派?
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

記者諸君、もっと勉強してください

 「えっ」。9月27日付朝日新聞朝刊の「声」欄を見て、思わず目を見張った。そこに掲載された投書の一つの見出しに「戦中派首相に平和外交期待」との見出しがついていたからである。
 投書の主は横浜市在住で74歳の無職の男性で、そこには、こうあった。
 「群馬生まれの私は大学卒業時、父に連れられ故福田赳夫氏宅へ就職先斡旋のお願いで伺った。会ったのは秘書で、結果的にお世話ならなかったが、福田内閣には大いに期待している。期待の第一は康夫氏が私同様、戦中派で悲惨な戦争体験があることだ。『戦争は政治の失敗』と明言し、その視点で憲法、靖国、拉致問題などを捉えた平和主義は、兄を戦争で失った私と共感するところが多い」
 投書者によれば、福田康夫首相は「戦中派」だという。「声」欄担当者もそう思って、「戦中派首相に平和外交期待」という見出しをつけたのだろう。
 だが、私はびっくりしてしまった。「福田康夫首相が戦中派だって。どう考えても戦後派なのに」


 「戦中派」とは何か。辞書などにあたってみた。
 「第二次大戦の最中に青年時代をすごした世代」(岩波書店の「広辞苑」)
 「第二次世界大戦中に青春時代をすごし、価値観の大きな変化を経験した人々」(三省堂の「現代新国語辞典」)
 「戦中派の旗手である村上兵衛の定義によると、『戦後派でもなければ戦前派でもない。その中間の世代、大正末年から昭和の初めに生まれて人間形成の重要な時期を戦争のなかで送った人々』ということになる」(自由国民社の「現代用語20世紀事典」)
 「戦争中に育った人々。特に昭和初めから同一〇年までに生まれ、青少年期を第二次世界大戦中に過ごした年代の人々をいう。戦前派、戦後派に対していう語」(小学館の「国語大辞典」)
 要するに、戦中派とは第二次世界大戦中に青年時代、青春時代を過ごした人たち、別な言い方をするならば、大正末年から昭和10年までの間に生まれた人たちをさすと言っていいだろう。「戦中派の旗手」とされた村上兵衛(評論家・作家)は1923年(大正12年)12月6日の生まれ。1945年(昭和20年)の敗戦時は21歳だった。同じ世代、1922年生まれの作家、山田風太郎には『戦中派不戦日記』という著作がある。
 こうしたことからしても、戦中派とは、学園から戦場にかり出された、いわゆる学徒出陣の世代、とみていいだろう。

 しかるに、福田康夫首相は1936年(昭和11年)7月16日生まれ。敗戦時は9歳だった。これでは、とても戦中派とは言えない。
 福田康夫首相と同じく敗戦時に9歳だった倉橋由美子(作家、故人)は、44年前の毎日新聞夕刊学芸欄(1963年8月2日付)にこう書いていた。
 「八月十五日、おとなたちの世界の崩壊、ああ、なんてばかばかしいことだろうとおもっただけでした。喜劇を目撃したときから、わたしはおとなになることをやめてしまったようです。あのとき九才だったわたしは、いま二十七才で年だけはとり、しかし子どものまま。いまだに無責任のまま。でも『戦中派』のおじさんたち、もう戦争責任論はやめてください。『おれたちは戦争で苦労したんだ』というぐちをきかされるのも、まっぴらです。あなたがたは大きらい」
 福田首相と同年齢の倉橋由美子には、「戦中派」の意識がなかったことが分かる。むしろ、批判の対象であった。

 新聞から戦中派と言われて、福田首相は苦笑しているのではないか。
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