2007.11.03
冗談じゃない!大連立なんて
田畑光永 (ジャーナリスト)
暴論珍説メモ(24)
福田首相は先月三十日に続いて二日におこなわれた民主党・小沢党首との二回目の党首会談で連立へ向けての政策協議に入ることを持ちかけた。これに対して小沢党首はそれを党に持ち帰り、役員会に諮った結果、反対意見が多かったということで、電話で福田首相に拒否の回答を伝えたという。これでとりあえず「大連立」は幻と消えた。
幻と消えたからいいようなものの、これほど国民を馬鹿にした話はない。わずか三ヶ月前の参議院選挙で国民は自民党に多数を与えなかった。二〇〇五年九月の衆議院選挙では自民党に圧倒的多数を与えた国民が今年はそうしなかったということは、とりもなおさずその後の自民党政治、とりわけ昨年九月以来の安倍内閣の政治にノーと言ったのだ。
したがって自民党がなすべきことは、国民の声に従うなら安倍路線を捨てて新しい路線を提示するか、もし国民に誤解があると考えるなら、その点を訴えて衆議院を解散して改めて民意を問うか、である。
しかし、この間、自民党がしたことは参院選敗北後も政権にしがみつく安倍首相の非常識を許容し、その安倍首相が政権を投げ出すと、慌てて無難そうな新総裁を選んだだけである。安倍路線を否定したのか否か、否定したとすればどこを否定したのかにはなにも答えていない。確かに福田首相は国会で所信表明はしたが、「改革は必要、影の部分には目配り」といった程度の内容で、安倍路線の継続か、否定かは明確でなかった。
勿論、トップが変わったわけだから、大部分の閣僚はそのままひきついだとはいえ、内閣の印象はだいぶ変わった。しかし、参院選の結果に対する自民党としての、あるいは内閣としての態度表明を国民は聞いていない(選挙戦術としての敗因分析などとは別の次元の話である)。
その肝腎の点をそのままにして、無原則な連立をしようと考えるのはあまりにご都合主義と言わざるをえない。福田首相は「国の政治が止まってもいいのか。国民生活のこともあるし」と、その理由をのべているが、これは政府が出した法案が通らないと国の政治が止まるということを前提にした議論だ。
これが間違っている。政府が法案を出しさえすれば、数を頼んでなんでも成立させられるという状況、それを安倍内閣は最大限に利用して数々の問題法案を成立させたのだが、その状況はよくないと国民が判断したのが、参院選の結果なのである。
だから政府は自分の出した法案に多くの賛成が得られなければ成立しないという当然のことを前提に政治をしなければならないのだ。勿論、野党もやみくもに政府に反対して、必要なものまで通さないようなことをすれば、今度は野党が国民の批判を浴びることになるはずだ。与党も野党も日々の一挙手一投足が国民の目にさらされていることを意識しながら、政治をしてもらわなければ困る。
建前としてはこれまでだってそうだったのだが、実際は政府与党のしたいことは原則としてなんでも通り、野党は反対するだけだったから、国民も関心を失い、何年かに一度回ってくる選挙のときだけ永田町に目を向けるのが実態だった。
政党も選挙のときだけ国民のご機嫌をとり、選挙が終れば与党は与党の、野党は野党の、台本どおりの役割を演じる日々を過ごしてきた。言うなれば定期試験の前だけ一夜漬けの勉強をすればよかった。
しかし、いわゆる「ねじれ国会」ではそれは許されない。いわば平常点がものを言うことになった。「国の政治が止まっていいのか」どころではない。政治が政治らしい緊張感を持つようになったのだ。そうなることを国民が望んだのだ。
それを「大連立」に逃げ込もうとするのは国民の意思を無視するものだ。飄々としているが如くに見える福田首相の心底の程をわれわれはしっかりと見ておかねばならぬ。
民主党の役員会が直ちにそれを拒否したのは、同党のこれまでの主張から見て当然であるが、小沢党首の言動にはいささか疑念を持たざるを得ない。小沢氏は「大連立」を実現すれば、「本格的な政権交代でないことはデメリットだが、われわれの法案を通すことができるのはメリット」と得失をのべたと言われるが、ここには自らよしとする法案を与党を説得して通すという気概よりも、安易に政権に近寄ってしまおう(あるいはその先になにか企みがあるかもしれないが)という気分がほの見える。国民はそんなことを期待して民主党に票を投じたのではない。
政府与党における福田首相の指導性はこれで大きくそがれるだろうし、民主党内でも小沢党首の行動にはさまざまな声があるようだ。福田首相といい小沢氏といい、なにかここへ来て古い自民党の亡霊がよみがえって、二人にとりついたような気配を感じる。
勿論、トップが変わったわけだから、大部分の閣僚はそのままひきついだとはいえ、内閣の印象はだいぶ変わった。しかし、参院選の結果に対する自民党としての、あるいは内閣としての態度表明を国民は聞いていない(選挙戦術としての敗因分析などとは別の次元の話である)。
その肝腎の点をそのままにして、無原則な連立をしようと考えるのはあまりにご都合主義と言わざるをえない。福田首相は「国の政治が止まってもいいのか。国民生活のこともあるし」と、その理由をのべているが、これは政府が出した法案が通らないと国の政治が止まるということを前提にした議論だ。
これが間違っている。政府が法案を出しさえすれば、数を頼んでなんでも成立させられるという状況、それを安倍内閣は最大限に利用して数々の問題法案を成立させたのだが、その状況はよくないと国民が判断したのが、参院選の結果なのである。
だから政府は自分の出した法案に多くの賛成が得られなければ成立しないという当然のことを前提に政治をしなければならないのだ。勿論、野党もやみくもに政府に反対して、必要なものまで通さないようなことをすれば、今度は野党が国民の批判を浴びることになるはずだ。与党も野党も日々の一挙手一投足が国民の目にさらされていることを意識しながら、政治をしてもらわなければ困る。
建前としてはこれまでだってそうだったのだが、実際は政府与党のしたいことは原則としてなんでも通り、野党は反対するだけだったから、国民も関心を失い、何年かに一度回ってくる選挙のときだけ永田町に目を向けるのが実態だった。
政党も選挙のときだけ国民のご機嫌をとり、選挙が終れば与党は与党の、野党は野党の、台本どおりの役割を演じる日々を過ごしてきた。言うなれば定期試験の前だけ一夜漬けの勉強をすればよかった。
しかし、いわゆる「ねじれ国会」ではそれは許されない。いわば平常点がものを言うことになった。「国の政治が止まっていいのか」どころではない。政治が政治らしい緊張感を持つようになったのだ。そうなることを国民が望んだのだ。
それを「大連立」に逃げ込もうとするのは国民の意思を無視するものだ。飄々としているが如くに見える福田首相の心底の程をわれわれはしっかりと見ておかねばならぬ。
民主党の役員会が直ちにそれを拒否したのは、同党のこれまでの主張から見て当然であるが、小沢党首の言動にはいささか疑念を持たざるを得ない。小沢氏は「大連立」を実現すれば、「本格的な政権交代でないことはデメリットだが、われわれの法案を通すことができるのはメリット」と得失をのべたと言われるが、ここには自らよしとする法案を与党を説得して通すという気概よりも、安易に政権に近寄ってしまおう(あるいはその先になにか企みがあるかもしれないが)という気分がほの見える。国民はそんなことを期待して民主党に票を投じたのではない。
政府与党における福田首相の指導性はこれで大きくそがれるだろうし、民主党内でも小沢党首の行動にはさまざまな声があるようだ。福田首相といい小沢氏といい、なにかここへ来て古い自民党の亡霊がよみがえって、二人にとりついたような気配を感じる。
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ブログ意見集(投稿募集中)by Good↑or Bad↓ 2007/11/03 Sat 23:40
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