2007.11.04
「金大中氏“暗殺未遂”事件」
―KCIAの組織的犯行―
韓国の民主化指導者、金大中(キム デジュン)氏(81歳)が73年8月、東京九段下のホテルから“拉致”された事件からすでに34年が経過した。
10月24日、韓国国家情報院の真相調査委員会が、当時の韓国中央情報部(KCIA)の組織的な犯行だったとする報告書を発表して注目を集めている。
政府機関の1つである国家情報院自らが、その前身であり、“泣く子も黙る”悪名で知られたKCIAの犯行を「事実上、当時の朴正煕(パク チョンヒ)大統領の直接指示による事件」だったと述べた。
当時から韓国政府はKCIAは関与していないと全面的に否定したため、日本政府は2度にわたり「政治決着」で事件の幕引きを図った。
だがKCIAが事件に関与していたとする同報告書はこの「政治決着」を根底から覆すものとなる。
筆者は当時、竹橋にある毎日新聞社東京本社の外信部記者だった。73年8月8日当日は前日に金大中氏に会見するアポを取れたため、午後に地下鉄で一駅隣の九段下にあるホテル・グランドパレスへ向かう予定だった。
そこへ「金大中氏が行方不明」という至急報がもたらされた。
5日後の13日に金氏がソウルの自宅前で解放されたのを受けて、ソウルに飛んだ。取材に必要な業務ビザもなく、したがって公然と取材ができなかった。韓国言論関係者から事件の背景について意見を聞いたり、反朴反独裁闘争を始めていた野党系議員や学生運動指導者をひそかに訪ね、激化する民主化運動の進展をさぐった。
その後、筆者は76年からソウル特派員を3年経験したが、その間、金大中氏は拉致された後、被害者にもかかわらず、自宅軟禁され、民主救国宣言事件の首謀者だとして裁判に掛けられた。金氏に会ったのは筆者が朴政権から国外退去を通告され、帰国する直前だった。
前田康博 (ジャーナリスト)
韓国の民主化指導者、金大中(キム デジュン)氏(81歳)が73年8月、東京九段下のホテルから“拉致”された事件からすでに34年が経過した。
10月24日、韓国国家情報院の真相調査委員会が、当時の韓国中央情報部(KCIA)の組織的な犯行だったとする報告書を発表して注目を集めている。
政府機関の1つである国家情報院自らが、その前身であり、“泣く子も黙る”悪名で知られたKCIAの犯行を「事実上、当時の朴正煕(パク チョンヒ)大統領の直接指示による事件」だったと述べた。
当時から韓国政府はKCIAは関与していないと全面的に否定したため、日本政府は2度にわたり「政治決着」で事件の幕引きを図った。
だがKCIAが事件に関与していたとする同報告書はこの「政治決着」を根底から覆すものとなる。
筆者は当時、竹橋にある毎日新聞社東京本社の外信部記者だった。73年8月8日当日は前日に金大中氏に会見するアポを取れたため、午後に地下鉄で一駅隣の九段下にあるホテル・グランドパレスへ向かう予定だった。
そこへ「金大中氏が行方不明」という至急報がもたらされた。
5日後の13日に金氏がソウルの自宅前で解放されたのを受けて、ソウルに飛んだ。取材に必要な業務ビザもなく、したがって公然と取材ができなかった。韓国言論関係者から事件の背景について意見を聞いたり、反朴反独裁闘争を始めていた野党系議員や学生運動指導者をひそかに訪ね、激化する民主化運動の進展をさぐった。
その後、筆者は76年からソウル特派員を3年経験したが、その間、金大中氏は拉致された後、被害者にもかかわらず、自宅軟禁され、民主救国宣言事件の首謀者だとして裁判に掛けられた。金氏に会ったのは筆者が朴政権から国外退去を通告され、帰国する直前だった。
事件発生から30年の歳月が過ぎ、2003年8月、救出運動に関わった数人の日本の市民運動家たちとともに金大中夫妻のお招きを受け、金浦空港に近い麻浦区東橋洞の自宅を訪れた。
ノーベル平和賞受賞をめぐる話や暗殺未遂事件について問わず語りに話題となった。金氏は一貫して日本政府が原状回復、真相究明に努力していないことを遺憾に思っていると語ってきた。
筆者は、日本のマスコミは「拉致事件」と報道しているが、実際は「金氏暗殺未遂事件」と考えてきた。KCIAの李厚洛(イ フラク)部長の一存で、世界的に知られた野党指導者の暗殺を企図できるはずはないという、当時の韓国民なら誰一人疑うべくもない事実、つまり「朴正煕大統領の犯行説」に立って取材にあたった。
10月30日に立命館で名誉博士号授与式に招かれ、京都入りしていた金大中氏は「(犯人たちは私の)口を塞いで目隠しし、足に30〜40キロの錘をつけ、縛り付けるなどした。殺害目的は明らかだ」と同報告書の発表後、初めて暗殺未遂事件に直接言及した。
また11月3日夜のJNNテレビの単独インタビューでも「室内で殺害できなかったため、外に連れ出した」とその目的が殺害であったとし、失敗したから結果として拉致になったことを明言している。
―喉に刺さったトゲ―
真相調査委員会は韓国政府の諮問機関だが、同報告書には「韓国政府が被害者の金大中氏に対し、公式に謝罪し名誉回復の措置を取る必要がある」ことが盛り込まれた。
真相調査委には過去の民主化運動に加わった人たちもメンバーに含まれているが、カトリック大学教授の安秉旭(アン ビョンウク)委員長は、26日の記者会見で、主権侵害に関して日本への謝罪は「盧武鉉(ノ ムヒョン)政権ではなく、朴正煕大統領の下で首相を務めた金鍾泌(キム ジョンピル)氏など当時の政権関係者が行うべきだ」との考えを示した。
ソウル報道によると、安委員長は「日本側はKCIAの関与を知りながら否定して政治決着をしたのであり、日本の対応は遺憾だ」と述べ、さらに「日本からわれわれに対し、調査結果を公表すれば日本も捜査を再開すると再三、圧力をかけてきた」と不快感を表したという。
その他の調査委メンバーも「日本政府も事件後の隠ぺいに加担した責任があり、韓国政府が謝罪する必要はない」(25日付毎日新聞ソウル電)と発言している。
金大中前大統領も前述の京都会見で、「日本政府は(当時の韓国政府から)主権を侵害された上、私の保護義務を放棄した。これは私に対する人権侵害だ」と日本側を批判している。金氏は韓国側の日本に対する遺憾の意の表明はさして重要視しておらず、むしろ(外国人である金氏に対する)保護義務を怠った日本政府・司法当局の公式の謝罪を求め、このまま主権侵害に頬被りを決め込むのか−という強い批判である。
福田首相はこれに関連し、「この問題はこれ以上追及を考えなくてもいいんじゃないか」と記者団に語っている。
拉致現場からKCIA要員とされる金東雲(キム ドンウン)在日韓国大使館1等書記官の指紋が検出されたため、韓国の公権力が日本の主権を侵害してまで金氏の殺害を謀ったことが白日の下にさらされた。
それ以来、毎年8月前になると、ソウル西方の金書記官の自宅前で張り込むことになった。近所の主婦の一人が金書記官のお手伝いさんに聞いた話だとして、「そこの主人は南米へ出張したきり帰ってこないよ」と語ってくれた。事件直後からすでにブラジル、メキシコなど中南米への高飛びをしたという噂は流れており、韓国内には居るはずはないと東京本社に打電した記憶がある。
その後、金東雲1等書記官の行方は杳として知れない。事件直後、すでに「あの世送り」になったというのがソウルでのもっぱらの噂だったが、ひょっとして出てきて真相を語る日があるかもしれない。
金大中氏暗殺未遂事件は韓国の軍事独裁政権と民主化勢力の対立を激化させ、さらに日韓の大物政治家が介在し、「日韓癒着」という「黒い霧」を生み出した。日韓両国民の間に政治不信と対日・対韓感情のもつれにまで発展した。
今回の真相調査委報告書は、改めて2回にわたる「政治決着」がまったくの茶番劇であり、独裁国家元首による暗殺未遂事件の真相究明を阻む一大要因になったかを示すものとなっている。
日本では「喉に刺さったトゲ」を抜かず、また第3の政治決着を図る動きが出始めている。
ノーベル平和賞受賞をめぐる話や暗殺未遂事件について問わず語りに話題となった。金氏は一貫して日本政府が原状回復、真相究明に努力していないことを遺憾に思っていると語ってきた。
筆者は、日本のマスコミは「拉致事件」と報道しているが、実際は「金氏暗殺未遂事件」と考えてきた。KCIAの李厚洛(イ フラク)部長の一存で、世界的に知られた野党指導者の暗殺を企図できるはずはないという、当時の韓国民なら誰一人疑うべくもない事実、つまり「朴正煕大統領の犯行説」に立って取材にあたった。
10月30日に立命館で名誉博士号授与式に招かれ、京都入りしていた金大中氏は「(犯人たちは私の)口を塞いで目隠しし、足に30〜40キロの錘をつけ、縛り付けるなどした。殺害目的は明らかだ」と同報告書の発表後、初めて暗殺未遂事件に直接言及した。
また11月3日夜のJNNテレビの単独インタビューでも「室内で殺害できなかったため、外に連れ出した」とその目的が殺害であったとし、失敗したから結果として拉致になったことを明言している。
―喉に刺さったトゲ―
真相調査委員会は韓国政府の諮問機関だが、同報告書には「韓国政府が被害者の金大中氏に対し、公式に謝罪し名誉回復の措置を取る必要がある」ことが盛り込まれた。
真相調査委には過去の民主化運動に加わった人たちもメンバーに含まれているが、カトリック大学教授の安秉旭(アン ビョンウク)委員長は、26日の記者会見で、主権侵害に関して日本への謝罪は「盧武鉉(ノ ムヒョン)政権ではなく、朴正煕大統領の下で首相を務めた金鍾泌(キム ジョンピル)氏など当時の政権関係者が行うべきだ」との考えを示した。
ソウル報道によると、安委員長は「日本側はKCIAの関与を知りながら否定して政治決着をしたのであり、日本の対応は遺憾だ」と述べ、さらに「日本からわれわれに対し、調査結果を公表すれば日本も捜査を再開すると再三、圧力をかけてきた」と不快感を表したという。
その他の調査委メンバーも「日本政府も事件後の隠ぺいに加担した責任があり、韓国政府が謝罪する必要はない」(25日付毎日新聞ソウル電)と発言している。
金大中前大統領も前述の京都会見で、「日本政府は(当時の韓国政府から)主権を侵害された上、私の保護義務を放棄した。これは私に対する人権侵害だ」と日本側を批判している。金氏は韓国側の日本に対する遺憾の意の表明はさして重要視しておらず、むしろ(外国人である金氏に対する)保護義務を怠った日本政府・司法当局の公式の謝罪を求め、このまま主権侵害に頬被りを決め込むのか−という強い批判である。
福田首相はこれに関連し、「この問題はこれ以上追及を考えなくてもいいんじゃないか」と記者団に語っている。
拉致現場からKCIA要員とされる金東雲(キム ドンウン)在日韓国大使館1等書記官の指紋が検出されたため、韓国の公権力が日本の主権を侵害してまで金氏の殺害を謀ったことが白日の下にさらされた。
それ以来、毎年8月前になると、ソウル西方の金書記官の自宅前で張り込むことになった。近所の主婦の一人が金書記官のお手伝いさんに聞いた話だとして、「そこの主人は南米へ出張したきり帰ってこないよ」と語ってくれた。事件直後からすでにブラジル、メキシコなど中南米への高飛びをしたという噂は流れており、韓国内には居るはずはないと東京本社に打電した記憶がある。
その後、金東雲1等書記官の行方は杳として知れない。事件直後、すでに「あの世送り」になったというのがソウルでのもっぱらの噂だったが、ひょっとして出てきて真相を語る日があるかもしれない。
金大中氏暗殺未遂事件は韓国の軍事独裁政権と民主化勢力の対立を激化させ、さらに日韓の大物政治家が介在し、「日韓癒着」という「黒い霧」を生み出した。日韓両国民の間に政治不信と対日・対韓感情のもつれにまで発展した。
今回の真相調査委報告書は、改めて2回にわたる「政治決着」がまったくの茶番劇であり、独裁国家元首による暗殺未遂事件の真相究明を阻む一大要因になったかを示すものとなっている。
日本では「喉に刺さったトゲ」を抜かず、また第3の政治決着を図る動きが出始めている。
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