2007.04.14 第五福竜丸
岩垂 弘

船体保全は国民運動で

 東京駅からJR京葉線に乗る。数分で四つ目の駅、新木場に着く。駅舎を出ると、北に向かって自動車道が延びる。明治通りだ。その歩道を数分歩くと、右手の木立の中に、本をやや開いて立てたような形をした、焦げ茶色の建物が見えてくる。都立第五福竜丸展示館である。
 
展示されている第五福竜丸 ここに展示されている第五福竜丸は、静岡県焼津港所属のまぐろ漁船だった。1954年3月1日未明、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁から北東の海上で調査操業中、米国の水爆実験に遭遇。実験によって生じた「死の灰」を浴びた乗組員23人全員が放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さんが死亡した。水爆による初めての犠牲者だった。実験場周辺の島々の住民たちも「死の灰」を浴び、同様の被害を受けた。これが、ビキニ被災事件である。これを機に東京都杉並区の女性たちの間から原水爆禁止署名運動が起こり、それは燎原の火のように全国に波及、ついに世界的規模の運動に発展する。
 第五福竜丸はその後、政府に買い上げられ、東京水産大学の練習船となるが、老朽化のため廃船処分となり、東京のゴミ捨て場である東京湾の夢の島に棄てられた。1968年、そのみじめな福竜丸の姿に心動かされた一会社員の保存を訴える新聞社への投書がきっかけで平和団体なとによる保存運動が起こり、1976年、公園に生まれ変わった夢の島に都立第五福竜丸展示館が完成する。東京都が船体を買い上げ、永久保存を図るという形で決着をみたのだった。
 福竜丸は140・86トン、全長28・56メートル、幅5・9メートル。敗戦直後の1947年、和歌山県の古座町(現串本町)で建造された木造船である。木造船の寿命は15年から20年とされているが、福竜丸は建造から今年でちょうど60年。敗戦直後に造られた木造船としては現存する唯一の船とされる。
 その福竜丸だが、東京都から委託を受けて展示館を運営している第五福竜丸平和協会によると、船体の痛みが目立つ。木が黒ずんできたほか、部分的にひびが入っているという。それに、船体の環境がよくない。どういうことかというと、展示館の建物そのものの密閉生が乏しいため、展示館外の気候に影響されることだとう。真夏には館内も暑くなり、雨の時は館内の湿度も上昇する。逆に館外が乾燥する時は館内も乾く。こうした環境変化は、木造船の保存には大敵だそうだ。
 このため、平和協会は平成19年度を船体の保全問題を重視する年と位置づけ、船体の現状を点検し保全対策について検討するための専門家委員会を設ける。また、船体保存募金をはじめる。さらに、木造船について広く理解してもらうため、4月1日から9月2日まで、展示館で企画展「船大工の技と仕事――木造船 第五福竜丸60年」を開催する。
 
 福竜丸の被曝は、水爆の恐ろしさを世界の人たちに認識させた。そして、世界的な反核運動を生みだした。いわば、福竜丸はビキニ被災事件の証人である。であれば、それは、人類にとって永久に保存されるべきかけがえのない遺産といえる。とりわけ、広島・長崎・ビキニと三度にわたって核の被害を受けた日本人にとって、その保存は義務と言っていいのではないか。2月24日に開かれた平和協会の理事・監事・評議員合同懇談会でも「福竜丸の船体保存は国民運動として推進されるべきだ」との意見がでた。
 私たちはすでに、広島の原爆ドームを2回(1967年、1990年)にわたる全国的な保存募金で守り通してきた実績をもつ。福竜丸についても国民的な関心が寄せられることを期待したい。
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