2013.01.13
総選挙の総括は政党と有権者の共同作業ではないのか、革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ(2)
~関西から(86)~
革新政党の選挙総括をめぐる検討に際して予めお断りしておくが、私は社民党や共産党の内部事情に必ずしも通じているわけではない。したがって、勘違いや思い過ごしが多々あるかもしれない。それにもかかわらずこのような発言をするのは、今回の社民党・共産党の惨敗に関する選挙総括については、“支持者・有権者の目”で見ることの重要性がひときわ高いと思うからだ。
通常、政党選挙の総括は政党責任において行うのが原則とされている。しかし総選挙は、国政のあり方に関する基本政策を訴えて国民の審判を仰ぐ最大の政治行為であり、総選挙そのものが有権者との壮大な共同作業である以上、選挙総括は政党(の身内)だけで済ませるわけにはいかない。選挙総括が国民に向かっての“開かれた総括”でなければ、訴えた政策の是非も選挙戦術のあり方も政党(だけ)で判断を下すことは不可能だと思うからだ。
この点に関して社民党のホームページでみると、総選挙の翌日(2012年12月17日)に「第46回衆議院議員総選挙の結果について」の簡単な声明が出された後、12月20日開催の全国連合常任幹事会において総選挙総括の論議をスタートさせたとある。そして、2013年1月24日の常幹に執行部として全国代表者会議に提案する総選挙総括案の第1次案を提出し、討議を行なうと記されている。いつも通りの「身内」だけのやり方だ。
12月17日の声明もごく簡単なものだ。冒頭に支持者・有権者へのお詫びの言葉が記され、敗因として「12政党の乱立などによって争点が多様化し、社民党の主張を十分に浸透させられず、支持に結び付けられなかった」、「この選挙であらためて現行小選挙区制の問題点が浮き彫りになった」ことの2点が強調されているだけである。そして最後は、「今まさに「いのちを大切にする政治」の正念場である。社民党は、現在の政治状況に危機感を持つ人々とともに国民生活の再建と改憲阻止のために全力で奮闘する決意である」との決意表明で結ばれている。これも決まり文句だと言う他はない。
敗因についてはこれからの党内の議論でおいおい議論されるのであろうが、私は冒頭の支持者・有権者へのお詫びの言葉が、いまの社民党の体質と選挙総括に対するスタンスをあらわしているように思えてならない。以下はそのことを象徴する冒頭の一節である。
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
革新政党の選挙総括をめぐる検討に際して予めお断りしておくが、私は社民党や共産党の内部事情に必ずしも通じているわけではない。したがって、勘違いや思い過ごしが多々あるかもしれない。それにもかかわらずこのような発言をするのは、今回の社民党・共産党の惨敗に関する選挙総括については、“支持者・有権者の目”で見ることの重要性がひときわ高いと思うからだ。
通常、政党選挙の総括は政党責任において行うのが原則とされている。しかし総選挙は、国政のあり方に関する基本政策を訴えて国民の審判を仰ぐ最大の政治行為であり、総選挙そのものが有権者との壮大な共同作業である以上、選挙総括は政党(の身内)だけで済ませるわけにはいかない。選挙総括が国民に向かっての“開かれた総括”でなければ、訴えた政策の是非も選挙戦術のあり方も政党(だけ)で判断を下すことは不可能だと思うからだ。
この点に関して社民党のホームページでみると、総選挙の翌日(2012年12月17日)に「第46回衆議院議員総選挙の結果について」の簡単な声明が出された後、12月20日開催の全国連合常任幹事会において総選挙総括の論議をスタートさせたとある。そして、2013年1月24日の常幹に執行部として全国代表者会議に提案する総選挙総括案の第1次案を提出し、討議を行なうと記されている。いつも通りの「身内」だけのやり方だ。
12月17日の声明もごく簡単なものだ。冒頭に支持者・有権者へのお詫びの言葉が記され、敗因として「12政党の乱立などによって争点が多様化し、社民党の主張を十分に浸透させられず、支持に結び付けられなかった」、「この選挙であらためて現行小選挙区制の問題点が浮き彫りになった」ことの2点が強調されているだけである。そして最後は、「今まさに「いのちを大切にする政治」の正念場である。社民党は、現在の政治状況に危機感を持つ人々とともに国民生活の再建と改憲阻止のために全力で奮闘する決意である」との決意表明で結ばれている。これも決まり文句だと言う他はない。
敗因についてはこれからの党内の議論でおいおい議論されるのであろうが、私は冒頭の支持者・有権者へのお詫びの言葉が、いまの社民党の体質と選挙総括に対するスタンスをあらわしているように思えてならない。以下はそのことを象徴する冒頭の一節である。
「社民党は「生活再建―いのちを大切にする政治」というスローガンを掲げ、小選挙区23名、比例単独10名、あわせて33名の候補者を擁立して、獲得目標7議席以上、400万票以上をめざし総力をあげて闘った。しかし結果は、小選挙区で1議席、比例区で1議席、合計2議席に留まるという極めて厳しいものとなった。社民党の政策を支持し投票していただいた方には心から感謝申し上げるとともに、選挙期間中、温かいご支援、ご声援をいただいた国民のみなさん、有権者のみなさんのご期待に応えきれなかったことを猛省しお詫びしたい。」
もう繰り返すまでもないが、ここには支持者・有権者への謝罪の言葉はあっても、支持者・有権者とともに敗因を究明し、選挙総括を行うという共同の姿勢はまったく見られない。有権者はあくまでも“政党の客体”なのであって、ともに選挙を戦った“パートナー”とは見なされていないのである。だから選挙総括は身内だけで行い、決意表明だけが「社民党は、現在の政治状況に危機感を持つ人々とともに国民生活の再建と改憲阻止のために全力で奮闘する」ということになる。
しかし支持者・有権者サイドから言えば、「33名の候補者を擁立して7議席以上、400万票以上を目指す」という獲得目標がいったいどのような根拠にもとづいて設定されたのか、それがなぜ「142万票、2議席」という史上最低の結果に終わったのか、キチンとした説明がなければ納得できない。選挙は街頭での「バナナの叩き売り」ではないのだから、見栄えのする(思いつきの)数字を挙げて後は「知らぬ存ぜぬ」では通らないのである。社民党に投票した支持者・有権者とともに徹底した総選挙の検証作業や総括作業に取り組むことなしには、政党としての信頼は到底得られないというべきだろう。
また敗因のひとつとして「12党の乱立」が挙げられているが、その乱立の有力な原因となった「未来の党」の結成に際して、社民党の政審会長を務めた阿部知子氏が直前に離党して合流したことには一言も触れられていない。2年前に国対委員長だった辻元清美氏が離党して民主党に合流した件についても同様だ。「社民党の主張を十分に浸透させられず、支持に結び付けられなかった」のは、「12政党の乱立などによって争点が多様化した」からではない。社民党の幹部議員が相次いで離党し、その原因や背景を国民に十分説明できなかった社民党が有権者から総スカンを食った結果が「142万票、2議席」という史上最低の数字になったのではないか。
いずれにしても社民党は、支持者・有権者とともに“開かれた総括”を行うことなしには「解党的惨敗」から抜け出すことはできないだろう。1月24日の全国代表者会議にどのような総選挙総括案(第1次案)が出されるのか、内容だけでなく総括の方法についても注目したい。
もう繰り返すまでもないが、ここには支持者・有権者への謝罪の言葉はあっても、支持者・有権者とともに敗因を究明し、選挙総括を行うという共同の姿勢はまったく見られない。有権者はあくまでも“政党の客体”なのであって、ともに選挙を戦った“パートナー”とは見なされていないのである。だから選挙総括は身内だけで行い、決意表明だけが「社民党は、現在の政治状況に危機感を持つ人々とともに国民生活の再建と改憲阻止のために全力で奮闘する」ということになる。
しかし支持者・有権者サイドから言えば、「33名の候補者を擁立して7議席以上、400万票以上を目指す」という獲得目標がいったいどのような根拠にもとづいて設定されたのか、それがなぜ「142万票、2議席」という史上最低の結果に終わったのか、キチンとした説明がなければ納得できない。選挙は街頭での「バナナの叩き売り」ではないのだから、見栄えのする(思いつきの)数字を挙げて後は「知らぬ存ぜぬ」では通らないのである。社民党に投票した支持者・有権者とともに徹底した総選挙の検証作業や総括作業に取り組むことなしには、政党としての信頼は到底得られないというべきだろう。
また敗因のひとつとして「12党の乱立」が挙げられているが、その乱立の有力な原因となった「未来の党」の結成に際して、社民党の政審会長を務めた阿部知子氏が直前に離党して合流したことには一言も触れられていない。2年前に国対委員長だった辻元清美氏が離党して民主党に合流した件についても同様だ。「社民党の主張を十分に浸透させられず、支持に結び付けられなかった」のは、「12政党の乱立などによって争点が多様化した」からではない。社民党の幹部議員が相次いで離党し、その原因や背景を国民に十分説明できなかった社民党が有権者から総スカンを食った結果が「142万票、2議席」という史上最低の数字になったのではないか。
いずれにしても社民党は、支持者・有権者とともに“開かれた総括”を行うことなしには「解党的惨敗」から抜け出すことはできないだろう。1月24日の全国代表者会議にどのような総選挙総括案(第1次案)が出されるのか、内容だけでなく総括の方法についても注目したい。
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さて、私の大嫌いな橋下さんの一連の発言で胸を打つものが一つだけある。「選挙は勝ち負け」発言。維新が勝ったか否かは、まあ、議論の余地はあるが単独で法案提出…これはやたら共産が喧伝していたフレーズでもあったが… したりは軽くできるわけだ。社民や共産とは誰が見ても違う。
いくら立派な主張をしても政党助成金は憲法違反と一銭も拒否するとしても、そしていんちき多数派増幅システムの選挙制度としても、これだけ負けてもしらばくれ続けるってナンセンス。過去の議席変遷を見る限り、共産に通常のセンスは通用しそうにない歴史があるが、社民党には言い訳無用。いやいや、みずほさんが降りたら解党しちゃうだろ?みたいな擁護もナンセンス。解党でもいっこうに構わない。私は小選挙区制度スタート時から10年の参議院選挙まで、比例はあえてお馬鹿な社民党と書き続けたひねくれ者だが、流石に愛想が尽きた。
それでなくても、何とかたかじんやビートたけし等のテロップ漬けな政治バラエティー番組教育で「賢くなった」数多の中高年大衆有権者には、わかりにくくてしかたないから、とっとと消えた方がよい。有権者の主体には御呼びではない。
さて、何故、あんな無茶苦茶な橋下維新が躍進し、正論ばかり言う社民や共産が駆逐され続けるのか?わかりやすさ至上主義な今時の風潮に正反対だからか。
もう、活字の力で理路整然と対峙するとかの時代ではない。そもそも、世の中はニっハだし、ニに近い側もテロップ漬け(この点では活字力はある)な環境に慣れて20年近くなる。ネットは活字ではないかと即座に反論もありそうだが…あれとて同好会のタコツボ世界だし、ヤフコメ等、かなり偏った「わかりやすい」コメントの嵐。また選挙により出かける中高年層がそんなにネットにはまっているるのかは疑問。やはり、テレビの力だろう。
多分、一分かかるかかからない内に概要が見えてくるような発言がギリギリの許容範囲。それも護憲だの、何かに反対だのでは、事の正邪を越えた(笑)拒絶反応が一歩リードする、そんなノリがデキアガッているのだろう。その逆が、ニュースペーパーの偽小泉さんのギャグではないが「何かを民営化」なのである。
リベラリストを自認するならば、まずはこうしたノリを自覚して主張しないとますます「ヒカレモノの小唄」を書き込み続けるはめになるだろう。
社民や共産が無責任な奴らなのは、とりあえず間違いない話であり、慎太郎が命掛けで(物理的にそうなっているから、何等嘘ではない)憎々しい現行憲法を破壊しようとするのも間違いない。
領空侵犯なども、とにかく事実であり、生意気な反政府的コメントを書く新聞社を虐めたりする中国はナラズモノ国家だとは、まあ、筋は通るわけである。暴走老人のでたらめなスラングは、ここでも大衆の心に「それなりに」染み込むわけである。
だからと言って中国国旗を焼くなりの愚挙を私たちがやる必要性もないのだが…私たちがリベラルな社会を護りたいと心から念じるならば、維新をとりあえず支持してしまうような大衆にも「わかりやすい」言動をしないとダメだと思う。日常に密着した切り口で、例えばアニメの交流でも百円ショップの流通ネタでもよいのだ。石原のおぞましさがさほど「実感できない」のは、それがかの世耕ちゃんあたりが広めたB層、馬鹿大衆だからだけではないだろう!これは受験教育などに相通じるテーマだと、最後に指摘しておきたい。