2008.01.17 バブル経済の論理と心理
半澤健市 (元金融機関勤務)

拙稿「サブプライム問題の射程(4)」(07年12月7日)に対して本ブログ代表の田畑光永さんから質問があった。金融機関がなぜ巨額な損失を生むのか。素人でも危険分散は心得ているのに、シティグループ、メリルリンチのような一流金融機関がどうして、CEO(最高経営責任者)のクビが飛ぶようなヘマをやるのか。易しいようで答えるのに難しい質問だ。バブルとはそういうものですといえば終わる。しかしこんな同義反復では答えになるまい。以下は私の「回答」である。

《一つのフィクションを描いてみた》
1983年からの10年間―バブルの発生から崩壊まで―に金融機関の経営判断がどう推移したかという物語である。舞台はA信託銀行の企業年金の運用部門とする。現在は運用会社の多様化が進んでいるが当時の信託銀行は生命保険会社と並んで企業年金の運用を独占していた。84年には「日米円ドル委員会」による日本の金融業界開放の要求があった。米銀と米生保による年金運用業務への参入がその狙いの大きな理由であったといわれる。年金運用はそれほど将来性ある市場とみられていたのである。

企業年金資産はその多くを有価証券に投資している。過度の単純化を恐れずに、この信託銀行の証券投資は「株式」(日経平均225銘柄)と「電力会社社債」だけで構成されているものとする。株式の投資成果は日経平均株価の変化で示し債券の投資成果は電力債の利回りを簡便化して年率7%と想定する。

A信託では83年に全運用資産を債券に投資した。投資成果は年率7.0%であった。債券の代わりに株式で運用していたらどうであったか。すべてを株式にすれば23.1%という圧倒的な投資成果であった(「別表」参照)。年金運用は年一回決算で投資成果を顧客へ報告する。顧客は年金基金の母体である企業Bとする。読者はB社として世界的な家電メーカーや自動車メーカーを想像してほしい。A信託銀行は数千社の年金顧客をもつ。一方、顧客B社はA信託のほかにC信託、D信託、E信託、F信託へも運用を委託している。つまり年金運用市場は数十兆円の資金残高のシェアーを争う競争市場なのである。その優勝劣敗はどう決まるのか。投資成果を比較検討して顧客である企業は定期的に運用先の再配分、すなわち「シェアー変更」をおこなう。再配分がドラスティックに行われれば顧客1社でも数百億円の金融資産と数百万円の運用報酬が運用会社間で移動するのである。「シェアー変更」競争は社運を賭けた戦いである。
83年にA信託以外の競争者は全資産を株式運用にあてた。結果は年率23.1%の投資成果でありA社は完敗した。顧客企業からは「お宅は運用の専門家なのに2割以上も上がる株価見通しができないんですか」と詰問される。この場合、運用担当責任者は競争結果をどう評価し次年度以降の運用方針をどう決定するのであろうか。業務の責任者は専務ないし常務という上席役員である。担当上席役員がそう決めれば普通は社長、副社長クラスは承認するものである。A社もそうであった。

《こういう判断はどんなプロセスで決まるのか》
それは現状と将来を様々な角度から検討して決める。マクロとミクロの経済動向、国内外の政治動向、金利予測、企業業績予測、株価に関する技術的な指標の分析。多くの人材、資料、知的インフラが必要である。A信託自身と外部―主に株式を売り込む証券会社―の調査を基礎にして、社内の運用担当関係者は会議、討論を各レベルで重ねた。社内外の知的資源を総動員して、詰まるところ「株式は売りか買いか」という単純素朴な課題に答えを出すのである。

A信託の運用担当責任者は本来は慎重な投資態度の持ち主であった。内部には積極策への全面転換の主張もあったが、A信託では84年の運用方針を「慎重な積極策」に転換した。債券と株式を半々とするポートフォリオを組んだのである。84年の投資成果はどうだったか。(29.4+7)/2=18.2%であった。競争他社は依然100%を株式投資を続けたから29.3%を挙げた。この年もA社は大敗した。こういう過程が様々なバリエーションを伴って10年間くり返される。83年年末の最初の会議から89年末までに数千回もの社内会議が行われたであろう。運用先進国アメリカへの社員研修もあった。顧客会社の労務担当者、財務担当者との会合も何度も催された。運用知識の深い顧客への、あるときは誇らしい説明、あるときは苦しい弁解が行われたであろう。

7年間の株価上昇で慎重な運用態度は完全に積極姿勢に転じた。運用者も顧客も株価は天まで昇ると考え始めた。「バブル心理」、「ユーフォリア」(euphoria陶酔の心理)に嵌ったのである。それを単なる大勢追随、不合理とは言いきれないと思う。他社が積極運用なのにA社がこんな消極策をとったのでは、自社と顧客の双方とも「機会利益」を失うのではないか。この論理が説得力をもってくる。7年間も株価上昇が続けるのを見れば消極策では、機会利益喪失は大きいと思うようになる。戦わずして戦争に負けるのではないか。担当部門だけでなく経営全体の問題に発展する。たとえばA社社長が顧客法人の経営者から「お宅の年金運用には頑張ってもらわないと困る。当社社員の福祉に関わります」と言われれば、帰社してから「X社のY社長からこう言われたよ」と言うことになる。責任者の「不作為責任」から更迭さえ行われることになるだろう。

《私のみた「論理と心理」》
ここまでは経営の「論理」といってもよい。一方、社内では「積極論」対「慎重論」でなく、「やる気」の有無という次元の話がでてくる。集団主義的な日本企業で自説を主張することは容易ではない。「やる気」論から、どのような不合理と精神論が罷り通るかをサラリーマン経験者は良く知っている。これは日本的経営の「心理」である。
私の企業時代の同僚相馬尚文(そうまなおふみ)氏に『バブル崩壊―あるストラテジストの2年7カ月』(新風舎・2007年)という著作がある。『朝日新聞』の経済コラムにも紹介された本書は私のような抽象的証言の書ではない。興味をもたれる向きは機関投資家における運用の実態と運用担当者の人間臭い生態を読んでいただきたいと思う。

これが私のみた「バブルの論理と心理」である。

   「別表」日本バブル期の日経平均株価の推移
     暦年  株価(円)  投資収益年率(%)
    1983   9893   23.1
    1984  11542   29.4 
    1985  13113   27.0 
    1986  18701   40.1 
    1987  21564   46.2 
    1988  30159   14.6 
    1989  38915   22.4 
    1990  23848  △15.9
    1991  22983  △11.3
    1992  16924  △24.8
     ・△はマイナスを示す。
     ・株価は銭単位を省略。
     ・投資収益率は株価の変化と別方法で算出している
      ので単純な対応はしない。
Comment
 なるほどですね。さすがは半澤さん、非常に明快な論理で経営者が陥る判断の誤りの問題を説明していますね。一方高利回りの危険性に対するリスクヘッジをどうするかという問題について説明されていないと思われるのですが、特に2000年代から言われてきたリスクの分散と利回りとの関係はどうなのでしょうか。大変ためになりました。私のmixiのサイトでも紹介させてください。
的場昭弘 (URL) 2008/01/20 Sun 11:05 [ Edit ]
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