2013.03.06 これでいいのか、日本の大学院
――八ヶ岳山麓から(60)――

阿部治平(もと高校教師)


昨年2月、日本の某国立大学大学院に学ぶ留学生からこんな修士学位不合格の報告があった。
「私は修士の学位をとれませんでした。論文審査の席上、指導の先生は私の論文の中に剽窃部分が5ヶ所あるとし、犯罪だと怒鳴りました。内容もよくないといいました。でも論文作成に当たっては指導を受けたことはほとんどありません。副査2人の先生は何も言いませんでした。」

この留学生A(中国籍)は私が所属するNPO法人「上游会―デルゲルフー基金」が学費援助を行なった中の一人である。したがって我々は,Aが北京に駐在事務所をもつ日本の国立大学に問い合わせて指導教員を求めた段階から、修士論文作成までの研究生活はほぼわかっていた。指導教員は彼の志願書を見て研究指導を承知し、それによって大学院は研究生として、ついで正規の院生として入学を許可した。その間Aが3年間にうけた研究指導がごく断片的なものだったことは、彼との日常のメールのやりとりで知っていた。
指導教員の研究テーマと留学生Aのテーマは重なっていた。研究対象も彼の故郷にあった。彼は指導教員のフィールド訪問に同行し、通訳をし、研究上生活上の便宜を図り、現地語資料の日本語への翻訳に尽力した。これを聞いた当時、我々は研究の進展を期待して無邪気に喜んだ。
ところが指導教員は、彼が博士課程へ進学したいと申出たとき、君は能力がないから帰国せよ、他の大学院に進学するなら修士論文の審査は厳しいものになり通らないなど、奇妙、不可解なことをいったという。
不合格の報を聞いたとき、私は「あの学生は先生にとってムシの好かないやつだったか」と思った。それにしても、自ら指導を承知したのだから、論文審査になってから剽窃をとがめるのではなく、事前に典拠の明示が落ちているといった程度の注意をするのが「浮世の義理」というものではないか。
上記NPO法人が今まで援助してきた留学生のなかには、こうした不合格の例はなかったので、私は困惑して友人の大学教員経験者たちに相談した。複数の答えが期せずして同じだった。
「何らかの理由で指導教員がある学生を無視するとか、嫌がらせをするというのはよくある話だ。だが今は昔のように学生の泣き寝入りがすべてではない。救済機関(たとえばハラスメント防止委員会など)に訴える方法がある」
「だが学生の訴えが正当だと認められても、たいてい時期的に切迫していて修復のための時間的余裕がない。半年なり1年なり別な人物が指導して合格させる方向へもって行くのが普通だ。こうした場合でも論文の再審査、生活費、精神的苦痛に対する賠償など実質的な救済はない」

我々は当該大学院あて概略以下のような質問状を送った。
――留学生Aは貴大学院修士論文の審査結果が不合格であった。
理由は彼の論文の5ヶ所の引用の出典が明記されていないとされるが、それが致命的な問題だったのか。本人はすでに他大学院の博士課程入学をめざして当該論文を資料として提出し、現段階では入学を許可される方向にある。あなた方が彼の論文内容を不合格とする出典不記載以外の主な理由は何か。
当時我々は、Aが指導を受けても平気で剽窃をするようなモラルしか持ちえないとすれば、以後の援助を取りやめるつもりであった。
返事は私たちが予期した通り、学生のプライバシーの問題だから回答できないというそっけないものであった。

Aは2012年3月大学のハラスメント防止委員会に訴えた。7月になって同委員会がようやく本人・研究科主任・指導教員あて文書を送ってきた。以下、客観性を維持するため同委員会文書を引く(個人名は留学生A・指導教員とし、ですます体をである体にした)。
――2011年12月20日に、相談者(すなわち留学生A)が修士論文の校閲を指導教員に願い出たが、教授は出張を理由に提出締め切り(1月10日)間際の1月7日に初めて論文を受け取り、その場で内容を十分確認せずに「これでよい、通るのではないか」と述べたにもかかわらず、2月13日に開催された修士論文口述審査で論文は不合格とされた。
その理由は、指導教員によれば、同教授を含む他の研究者の業績の剽窃が多数みられたためであるとのことで、これについて口述審査の席上で同教授から大声で罵られた(しかし、相談者としては引用の表記法の不備程度で不合格となるのは納得がいっていない)。不合格の結果、進学が決定していた別な教育研究機関の博士課程への進学ができなくなった。
以上により心理的に大きなダメージを受け、留年に伴う授業料や生活費の経済的損失の救済を訴えている。(後略)

同委員会は留学生Aと指導教員の双方からの聞取りを行った後、以下のような結論を出した(同文書からの引用、以下同じ)。
――本件は、修学上のトラブルであり、ハラスメントと断定するには至らなかったが、指導教員の指導が不十分であったことに起因すると結論する。研究生、修士課程を含めて3年間も本学に在学したにもかかわらず、学位を取得させられなかったのは、当該の教員の指導に大きな問題があったといわざるを得ない。

他方、同委員会の文書は、留学生からの申し立てには、Aの落ち度あるいは誤解と考えられる点もあるとして、指導教員の言分も列挙している。
――指導教員は10月頃から途中段階での原稿提出を催促していたにもかかわらず、原稿は提出されなかったと聞取りで述べている。また、口述審査で指摘された審査で指摘された引用の問題も、パラグラフやときには1ページのほとんどを他の研究者の論文から無断引用していて、引用のレベルを越え、悪質であるとの判断が審査委員会によってなされたようである。
――指導教員は、「ゼミの発表時にはコメントをし、個別面談もたびたび行った。元々、一から十まで指示を与えるような指導法ではないが、この留学生にもこれまでの学生と同様の指導をした」、また、「できるだけ現地の文献を集めるよう指導した」とのべた。

指導教員の弁明にもかかわらず、同委員会は以下のように判断した。
――過去3年間における修士論文執筆に必要な具体的な指導(例えば剽窃の禁止等)は極めて不十分であったと判断できる。結果として、立場の弱い学生に不利益を与えたことは事実であり、これは教員としてあってはならないことである考える。
さらに「同教授はすでに退職しているので、研究科長が相談者に対して修士論文の不合格の理由を十分に説明すること、指導体制の不備について謝罪すること、今後本人が博士課程進学を希望する場合には、進学先や経費(入学料、授業料の減免申請,奨学金の申請等)の面で、適切な進路指導や情報提供を行うことを要請する」
「今後の再発防止に向けて、学位取得に至る論文指導体制の改善を強く願う。研究科長には、留学生受入に際してのオリエンテーションを実施するほか、再発を防止するために有効と思われる改善策を別途要請する」とも述べている。

指導に問題があったことはハラスメント防止委員会もわかったようだ。ならば同委員会は、留学生Aが訴えた論文審査の当否、経済的精神的苦痛についても明確な結論を出し、大学当局に実際の損害賠償を勧告すべきであった。それかあらぬか、大学教員経験者たちの助言通り、同大学は実際の救済措置は取らなかった。これでは「あやまったからいいだろう」というに等しい。
その後、留学生Aは修論審査の際、副査の位置にいて終始無言だったという教員から指導を受け、半年後学位を得た。内容についての議論は遠慮しなければならないが、私は彼の問題の論文と、半年後の合格論文の文言を比較してみた。「剽窃」はなくなり5%ほどの加筆はあるが、二つの論文はほとんど同じものである。

私は院生に論文の書き方のABCを教えよと主張するものではない。多くの大学院で悪意や怠惰な指導状況があるというのでもない。だが我々が得た情報からすれば、留学生Aの事案が唯一の例外だとはとうてい言い切れない。救済措置もいいかげんだ。今後途上国学生が来日留学を希望しても、すぐれた善意の指導者を入念に選んだかを問い、その確信がないなら他国に行きなさいといいたい。少なくとも今までのように留学生を歓迎し援助するのは躊躇せざるを得ない。
Comment
 A君には大いに同情しますが、日本の大学の内情を少しでも知っている者であれば、大学や大学教員は当然このような対応をすると推測できます。
 大学教員が大学院生や研究生を自分の業績のために利用することは昔から行われていたことですし、教員集団が「身内」に甘い隠蔽体質であることは、最近の教育関連のニュースを見れば一目瞭然であり、大学教員も例外ではありません。
 現在、大学教育の質の向上が喫緊の課題とされていますが、A君の一件は、大学教員の意識がいまだに旧態依然としていることを示すものです。私自身も大学教育の片隅に身を置いていますが、そもそも、大学教員は学生の能力を伸ばすことに無関心であるように感じます。日本でも大学のユニバーサル化が進み、日本人学生、留学生共に多様な学習歴を経た学生が入学するようになりました。しかしながら、多くの大学教員は今そこにいる学生の姿しか見ません。その学生がこれまで何を学んできたか、何を学んで来なかったのかを知ることこそが、学生の能力を伸ばす出発点になるはずなのですが。さらに、自分の専門分野の動向には詳しいものの、教える学生が経てきた教育環境の変化等には無頓着であり、自分が経験してきた価値基準に凝り固まって、学生の低学力を嘆くのみ、つまり教育者の役割を果たそうとしない人が多いように見受けられます。また、恵まれた環境に育ったからか、経済的に非常に厳しい状況にある学生や留学生の苦労に全く思いが至らない教員も多数います。
 学力低下が問題視されて以来、多くの大学でリメディアル教育や中等教育レベルの補習、さらに大学で必要とされるスキルの学習を行うようになりましたが、大学教員一丸となって熱心に取り組んでいる大学は極々限られています。特に、黙っていても受験生が集まる旧帝大や有名難関大学では、学生の教育に熱心な教員は少ないようです。A君は、このような悪い条件が重なり最悪な事態に陥ってしまったのでしょう。
 日本の大学の「グローバル化」が国策として提唱され、留学生受け入れの拡大も図られていますが、大学教員の意識が今のままであれば、日本の大学は留学生には魅力のある場所ではないため「グローバル化」が進まないのみならず、かえって対日感情を悪くする結果に終わるのではないかと危惧します。
 
朝比奈 なを (URL) 2013/03/18 Mon 22:54 [ Edit ]
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