2008.02.05
ユーモア溢れ、哀歓すら感じさせる「中国の嫁」物語
〔書評〕楊逸著『ワンちゃん』(文藝春秋、¥1143)
〔編集部前書き〕 この作品は、在日中国人の著者・楊逸(ヤン・イー)が初めて日本語で書いた小説であるという。そのデビュー作で、第105回文学界新人賞を受賞した。第1回受賞の石原慎太郎著『太陽の季節』から半世紀あまり、同賞を外国人が受賞するのは初めてとのことである。また、芥川賞候補になったことでも話題を呼んだ。
日本人の夫の苗字を名乗り、今では「木村紅」(きむら くれない)と名乗っているが、ワンちゃんの元の名を「王愛勤」という。
「紅」がまず、日本の「花子」みたいにありふれた名前であるとは、フツーの日本人は思いを致さないであろう。まして、「紅」が「野暮ったい名前」とはよほどの中国ツーでなければわかるまい。
ともあれ、そのワンちゃんが日本人を連れて、「鎮の唯一の招待所」に入るところから、物語はスタートする。「鎮」(村)というからには、ここは中国である。が、特定された場所を読者が知ることはない。
雨宮由希夫 (書評家)
〔編集部前書き〕 この作品は、在日中国人の著者・楊逸(ヤン・イー)が初めて日本語で書いた小説であるという。そのデビュー作で、第105回文学界新人賞を受賞した。第1回受賞の石原慎太郎著『太陽の季節』から半世紀あまり、同賞を外国人が受賞するのは初めてとのことである。また、芥川賞候補になったことでも話題を呼んだ。
日本人の夫の苗字を名乗り、今では「木村紅」(きむら くれない)と名乗っているが、ワンちゃんの元の名を「王愛勤」という。
「紅」? まるで日本の[花子]みたいにありふれている。なぜまたそんな野暮ったい名前に、と思うかもしれないが、そりゃもちろん訳が……
「紅」がまず、日本の「花子」みたいにありふれた名前であるとは、フツーの日本人は思いを致さないであろう。まして、「紅」が「野暮ったい名前」とはよほどの中国ツーでなければわかるまい。
ともあれ、そのワンちゃんが日本人を連れて、「鎮の唯一の招待所」に入るところから、物語はスタートする。「鎮」(村)というからには、ここは中国である。が、特定された場所を読者が知ることはない。
ワンちゃんは兄「愛軍」と姉「愛学」の三兄弟の末っ子である。兄は「軍」とあるように約一〇年間の軍人生活を経て、今では市の工商局の課長に、姉は「学」とあるように幼い頃より勉強が良くでき、大学を卒業後、某大手銀行の支店長に、とそれぞれ出世しているが、「愛勤」と名付けられたワンちゃんの半生はその名の如く「働き者」だが、男運にも恵まれず、幸せとは言いがたい半生を過ごしている。
その頃は、誰もが人民服を脱ぎ捨て、香港や台湾からの「奇装異服」を狂ったように求めた時期であった。当時、「晩婚晩育」を唱えていた中国で、ワンちゃんはいまでも「あの人」と呼ぶ前夫と結婚。女19、男21のできちゃった婚であったが、29歳のとき離婚。執拗にワンちゃんを追い回し金を無心するだけの元夫を憎悪し、名状しがたいほどの悲しさに打ちのめされたワンちゃんは紐の元夫から逃れるために、国際結婚という道を選んで木村という日本人と結婚し、四国の片田舎へやってきた。
「これから、この人と、この知らない土地で、夫婦に」と覚悟するものの、無口の夫とは会話もなく、本物の夫婦になったことは一回もなく、夫と義兄(夫の兄)と姑に仕えるだけの息苦しい日々を送っている。
姑は、「木村紅」と改名しても、相変わらず呼びなれた「ワンちゃん」で元中国人の嫁を呼んでいる。そうした姑とのかぼそい交流だけが「ワンちゃん」の発狂寸前の危険な状態を救っている。侘しいことではあるが、年老いた姑の介護にワンちゃんは家族の一員としての存在意義を求めていたのである。
何も知らない日本で言葉に不自由する中国人のしかも中年女性であるワンちゃんが、「自立せんとあかん」と辿り着いたのが国際結婚の仲介人であった。
農村の独身男性一行を引率し、中国で集団見合いをさせるのだ。
今回は6人の日本人を案内し、うち5人がお見合いに成功し、無事結婚式を挙げる運びとなった。そのうちの一人、49歳で八百屋を営む土村勝雄に接しているうちに、ワンちゃんは土村に好感を抱くようになる。土村も集団見合いを通して結婚することにした中国女性・呉菊花よりも、ワンちゃんが好きだった。
愛のない結婚を強いられているとはいえ、ワンちゃんは人妻の身であり、土村に花嫁の世話をした立場である。
土村の言葉にならない告白と、病院での姑の死が重なる。二重に絡み合う衝撃により、孤独の淵に落とされたワンちゃんの脳裏で、死んでどんどん遠ざかっていく姑と、真っ赤なチャイナドレスを着て牛の背に揺られながら土村に近づいて行く幸せそうな呉菊花の姿が行きつ戻りつしている。ワンちゃんの目からは涙が洪水のようにあふれ出ている………。
本作には、時に、通常の日本人では表現できない、異文化を垣間見るような言語感覚がちりばめられている。
「前世紀」という表現がいささか意表をつく。日本人ならこうは書くまい。「70年代後半」で十分であるから。1977(昭和52)年8月12日、文化大革命の終結宣言がなされ、その年の12月には、全国統一入試が再開されている。思えば、その年の秋にはじめて訪中した筆者(私)はこのニュースを北京動物園の大きなスピーカーを通して聞いた記憶がある。
日本語の「浪人」に「ブラブラする」の感覚を感じること、「如何」に「どう」とルビふる感覚も、新鮮ではないか。
農村部の慢性的な嫁不足と「中国の嫁」を題材とした本作は、一見陳腐ながら、とても面白い。滑稽であるほどにユーモアが溢れ、かつ、人の世の哀歓すら感じさせてしまう作品に仕上がっているのである。
作中に、「波にまかせて生きている自分の人生」という表現がある。「ただただ地元から離れたいの一点張りで、恥なんか全て捨てて過去と決別」すべく来日した「ワンちゃん」は、国費留学生として来日した著者・楊逸の影法師なのであろうとするのは評者の勝手な深読みであるかもしれない。
日中両国には政治体制はもちろん風俗習慣に至るまでの文化の違いが歴然としてある。作家がいかに来日20年のキャリアを有し、日中両方の事情に通じているとはいえ、本書に描かれたように、およそ人間らしい情感にあふれた作品をものすることができるのは、ひとえにおのれの生を楽しみ、他の人を見つめる目の確かさ、やさしさがあってのことである。
『ワンちゃん』は今、中国人が日本語で書いた作品で、しかも芥川賞の候補になったことで注目を浴びているが、楊逸がそうした話題性だけで終わることのない才能を秘めていることは疑いない。
なお、楊逸は1964年ハルビン市の生まれ。87年に日本に留学。来日20年になる。
ワンちゃんは高校にも行かず15歳で縫製工場で働き始め、つぎに、「改革開放」の風が吹き始めた頃、18歳で洋服の露天を出した。
その頃は、誰もが人民服を脱ぎ捨て、香港や台湾からの「奇装異服」を狂ったように求めた時期であった。当時、「晩婚晩育」を唱えていた中国で、ワンちゃんはいまでも「あの人」と呼ぶ前夫と結婚。女19、男21のできちゃった婚であったが、29歳のとき離婚。執拗にワンちゃんを追い回し金を無心するだけの元夫を憎悪し、名状しがたいほどの悲しさに打ちのめされたワンちゃんは紐の元夫から逃れるために、国際結婚という道を選んで木村という日本人と結婚し、四国の片田舎へやってきた。
「これから、この人と、この知らない土地で、夫婦に」と覚悟するものの、無口の夫とは会話もなく、本物の夫婦になったことは一回もなく、夫と義兄(夫の兄)と姑に仕えるだけの息苦しい日々を送っている。
姑は、「木村紅」と改名しても、相変わらず呼びなれた「ワンちゃん」で元中国人の嫁を呼んでいる。そうした姑とのかぼそい交流だけが「ワンちゃん」の発狂寸前の危険な状態を救っている。侘しいことではあるが、年老いた姑の介護にワンちゃんは家族の一員としての存在意義を求めていたのである。
何も知らない日本で言葉に不自由する中国人のしかも中年女性であるワンちゃんが、「自立せんとあかん」と辿り着いたのが国際結婚の仲介人であった。
農村の独身男性一行を引率し、中国で集団見合いをさせるのだ。
今回は6人の日本人を案内し、うち5人がお見合いに成功し、無事結婚式を挙げる運びとなった。そのうちの一人、49歳で八百屋を営む土村勝雄に接しているうちに、ワンちゃんは土村に好感を抱くようになる。土村も集団見合いを通して結婚することにした中国女性・呉菊花よりも、ワンちゃんが好きだった。
愛のない結婚を強いられているとはいえ、ワンちゃんは人妻の身であり、土村に花嫁の世話をした立場である。
土村の言葉にならない告白と、病院での姑の死が重なる。二重に絡み合う衝撃により、孤独の淵に落とされたワンちゃんの脳裏で、死んでどんどん遠ざかっていく姑と、真っ赤なチャイナドレスを着て牛の背に揺られながら土村に近づいて行く幸せそうな呉菊花の姿が行きつ戻りつしている。ワンちゃんの目からは涙が洪水のようにあふれ出ている………。
本作には、時に、通常の日本人では表現できない、異文化を垣間見るような言語感覚がちりばめられている。
前世紀70年代後半、中国の大学受験制度が回復したその年に、(姉の「愛学」は)文化大革命後の第1期の大学生となり、……
「前世紀」という表現がいささか意表をつく。日本人ならこうは書くまい。「70年代後半」で十分であるから。1977(昭和52)年8月12日、文化大革命の終結宣言がなされ、その年の12月には、全国統一入試が再開されている。思えば、その年の秋にはじめて訪中した筆者(私)はこのニュースを北京動物園の大きなスピーカーを通して聞いた記憶がある。
町をブラブラする。中国語では「漂泊」というが、日本語の「浪人」に似ている。
日本語の意味は如何(ルビ=どう)であろうと。
日本語の「浪人」に「ブラブラする」の感覚を感じること、「如何」に「どう」とルビふる感覚も、新鮮ではないか。
農村部の慢性的な嫁不足と「中国の嫁」を題材とした本作は、一見陳腐ながら、とても面白い。滑稽であるほどにユーモアが溢れ、かつ、人の世の哀歓すら感じさせてしまう作品に仕上がっているのである。
作中に、「波にまかせて生きている自分の人生」という表現がある。「ただただ地元から離れたいの一点張りで、恥なんか全て捨てて過去と決別」すべく来日した「ワンちゃん」は、国費留学生として来日した著者・楊逸の影法師なのであろうとするのは評者の勝手な深読みであるかもしれない。
日中両国には政治体制はもちろん風俗習慣に至るまでの文化の違いが歴然としてある。作家がいかに来日20年のキャリアを有し、日中両方の事情に通じているとはいえ、本書に描かれたように、およそ人間らしい情感にあふれた作品をものすることができるのは、ひとえにおのれの生を楽しみ、他の人を見つめる目の確かさ、やさしさがあってのことである。
『ワンちゃん』は今、中国人が日本語で書いた作品で、しかも芥川賞の候補になったことで注目を浴びているが、楊逸がそうした話題性だけで終わることのない才能を秘めていることは疑いない。
なお、楊逸は1964年ハルビン市の生まれ。87年に日本に留学。来日20年になる。
| Home |




