2008.02.11 もう専門家にはまかせておけない―新しい保護主義を!
暴論珍説メモ(34)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 九日、東京でG7諸国の財務相・中央銀行総裁会議が開かれた。アメリカのサブプライム問題の暗雲が世界経済をおおっている時だけに、この会議でどんな方策が打ち出されるのか、玄人ならずともそれなりの関心をもって、共同声明を待った。
 しかし、新聞に出た要旨(『日本経済新聞』による)を見る限り、はっきりしたのは財務相とか中央銀行総裁とかいっても、これといって別に特段の知恵はない、したがって集まってはみたものの、どうしようという結論も出なかったということだ。
 ちょっとだけ内容を覗いてみよう。
 冒頭、「昨年十月のG7会合に比べ、世界はより挑戦的で不確実な環境に直面しているが、世界経済全体のファンダメンタルズ(基礎的条件)は引き続き堅固である」という。「挑戦的で不確実な環境」であることは誰の目にも明らかだが、後段についてはファンダメンタルズの何がどう「引き続き堅固」なのかは説明がない。こういう情勢だからこそ、世界を安心させるためには、その説明が必要なはずなのに。
 続くアメリカのくだりも同じような文章である。「米国では生産と雇用の伸びが大幅に減速し、リスクは一層下方に傾いているが、長期的な基礎条件は健全で、二○○八年も成長が続くと見込む」のだそうである。それではなにも心配はないのか。
 ところが、次の記述を見ると、これら後段の文章はいずれもただの気休めに過ぎないことがわかる。「世界的な経済・金融の動向を反映して、七カ国すべてで程度の差はあるが、成長は短期的にやや減速すると見込まれる。新興市場国はやや減速しつつも、底堅い、成長を続ける」
 要するに先進国も新興国もおしなべて経済は減速するのだ。「程度の差はあれ」とか「やや」とかオブラートに包んでいるが、世界中にいっせいにブレーキがかかるというのは大変なことのはずだ。ただ「大変だ」とは言いたくないので、なるべくさりげなく書こうとしたのだろう。
 でも当面の心配事には触れないわけにはいかない。そこで「我々は、依然として下方リスクが存在していることに留意した。下方リスクには米住宅市場のさらなる悪化、金融市場の混乱の長期化による貸し出しの厳格化、原油や一次産品の価格高騰、いくつかの国におけるインフレ期待の高まりなどを含む」という文章が続く。
 こういう大変なことがなぜ起ったのか。その理由を集まった世界経済の番人(を自称する人)たちはどう見ているのかが問題だ。しかし、共同声明にはそれについては一言の記述もない。
 原因が特定できなければ対策の立てようもない。だから声明はこうなる。
 「今後とも経済動向を注視し、経済の安定と成長を確保するため、個別にあるいは共同して、適切な行動をとっていく。
 金融の安定性を強化し、金融混乱の影響を限定するとともに、混乱に寄与した要因に対処するため、ともに努力する」
 これはなにも言っていないのに等しい。対策はありませんと自供しているようなものだ。なるほど金融機関の情報開示とか、資本増強とか、中国人民元のレート切り上げとか、具体論らしきものもないではないが、いずれも解熱剤とか鎮痛剤に類するものにすぎず、病気の根本原因に迫るものではない。根本原因が分からないのでは迫りようもない道理だ。
 しかし、本当にそうなのであろうか。私はそうではないと思う。彼らは分かっているのだ。分かっているが、それをまともに見据えたくないか、口に出したくないか、なのだ。
 なぜ私がそう思うか。共同声明の後半にこう言うくだりがある。
 「開かれた貿易・投資体制の維持は、世界経済の繁栄を実現し、保護主義と闘ううえで決定的に重要である。多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)の成功裏の妥結を急がなければならないことを強調する」
 「開かれた貿易・投資体制」、とりわけ「開かれた投資体制」に問題の根源があることを彼ら自身はもとより、多くの人々が気づきつつあるからこそ、わざわざこの一文が書き込まれたのではないのか。 
 今日ただいまの事態の到来を正確に予測した人は恐らくいないだろうが、ことここに至ってみればそれはまさに必然であったのではないか。
 資本は常に新しい需要を必要とし、新しいフロンティアを必要とする。第二次大戦後、ヒト、モノ、カネの動きを自由化する動きがガットを中心に続いてきた。それは勢力圏の囲い込み、対立によって大きな戦争を二度までも経験した人類にとってはすばらしい知恵であると同時に、資本にとっては常に新しい需要、新しいフロンティアを提供して来た。何度も危機を叫ばれた資本主義体制が生きながらえ、しばらく前には「新資本主義」(new capitalism )という言葉さえ生んで、永劫の繁栄を保証されたかのような錯覚さえも与えたのも、結局、社会主義陣営が崩壊して、資本に巨大な新しいフロンティアを提供したからにほかならない。
 NIES、ASEAN、BRICsと市場と生産能力が拡大して、それも今や限界に近づいた。これから先の新しいフロンティアは今のところ見当たらない。
 一方、資本は長年地下に眠っていた化石燃料を大量に掘り起こし、自分たちの用に立てて来た。その代金で産油国は大金持ちになった。また中国をはじめとする新興国は世界の生産を引き受けてこれまた金持ちになった。
 資源保有国は金持ちとはいえ、資源がなくなった後を考えるから、その富を全部消費してしまおうとは考えない。自分のところの開発にも使うが、より有利な運用を考える。
 また中国が典型的だが、新興国は当然、先進国に追いつこうとするから、これまた入った資金を全部使ってしまおうとは考えない。すこしでも有利な運用を考える。中国が今年、国家ファンドを創設して、最初の目立った投資先がアメリカのモルガン・スタンレーであったことは象徴的である。
 資源保有国、新興国に資金が積みあがり、一方では市場の拡大は限界にちかづいた。その矛盾を見えにくくしていたのが、アメリカ人の過大消費であった。アメリカ人が借金をして物を買ってくれるから、世界の資本は息をついて来た。それが可能だったのは、世界中がアメリカの借金証文(米国債)をありがたく押し頂いてきたからだ。
 その危うい構造がついに崩れ始めたのだ。サブプライム・ローンとは言うなれば返せない可能性の高い人にまで過剰消費をさせようとするものだ。道義的にいえば、こんなことは借りるほうより貸したほうが悪質だ。
 ところが世界には資源国、新興国の資金のように行き場のない金がうようよしているから、そんな危ないローンの債権を立派な店構えを金融機関が大量に持っていた。それがついに紙くずになろうとしているのが、現在の事態だ。こんな筋道は私だってわかる。
 しかも、アメリカの借金証文も昔ほどの神通力がなくなってきた。誰もアメリカ国債などを買わなくなれば(日本や中国のような大量保有国が売りに出したらもっと大変)、ドルの威信は地に落ちる。その危険がだんだん現実のものになりつつある。
 これまでの構造が二重三重に揺らいでいるのだ。しかし、九日の会議に集まったような人たちはそれが見えているのに見えないふりをしている。だから大変な事態なのに、その原因も言わず、ろくな対策も出せないのだ。ことがここまではっきりしてきたとなれば、もはや専門家にまかせてはおけない。素人も発言する義務がある。「あなたがたのしていることはまちがっている」と。
 いわゆるグローバリゼーションに呼応した小泉改革のおかげで、日本では二極化、格差の拡大、ワーキングプアの増加を生んだ。「民にできることは民に」という小泉前首相の掛け声はまさに資本に新しい活動の余地を提供しようとするものであった。
 「開かれた貿易・投資体制」が第二次大戦後の世界に積極的な役割を果たしたことを認めないのではない。六十年以上にわたって資源争奪、市場争奪の大戦を起さずにすんだのも、社会主義体制が崩壊した後、その住民たちに生活のための受け皿を用意したのも「開かれた貿易・投資体制」であったと言っていい。
 しかし、何事にも限界があり、行きづまりがある。われわれは新しい道を探さなければならない。それはたんにモノを多く消費できれば幸せのはずといった物指でない、本当に生活を守る「新しい保護主義」であるべきだ。それを探すという課題の前では誰でも平等に発言する権利があり、義務があるはずだ。
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