2008.02.13 神々しい吉永小百合だけでよいのか
―山田洋次監督の『母べえ』(松竹・2008年)を観る―

半澤健市 (元金融機関勤務)


《治安維持法下のインテリ家庭》
映画の舞台は太平洋戦争開始前後の東京郊外。ドイツ文学者一家の物語である。左翼運動によって治安維持法違反の疑いで検挙された野上滋(坂東三津五郎)の留守宅には、妻佳代(吉永小百合)、娘の初子、照美が慎ましく暮らしている。お互いを「父(とう)べえ」、「母(かあ)べえ」、「初べえ」、「照べえ」とユーモラスに呼び合うインテリ一家である。節を折らない拘置所の夫へ差し入れに行く佳代は刑事から屈辱的な言葉を受けるが笑顔でお茶を入れる。周囲の視線を気にする女三人の生活だが向う三軒両隣は一家をなにかと支えてくれる。滋の教え子の青年山崎(淺野忠信)、滋の妹である画学生の久子(壇れい)、奈良から出てきた現実主義者の佳代の叔父、隣組組長の炭屋、地方の警察署長である佳代の父、滋の批判をする大学の恩師。こういう人々からの熱い協力、人々との交わりと人々への反発、その中で彼女は夫を信じて生きていく。夫の獄死と山崎の出征で暗転する画面は、戦後の佳代の死の床に変わる。夫への愛の言葉をキーワードにしながら静かな「反戦劇」に終幕ロールが流れる。

《山田洋次の製作意図は》
山田洋次はNHKテレビの「100年インタビュー」という番組で『母べえ』の製作動機について「〈銃後〉を語り残すことが自分の世代の責務」だと語っていた。当時の庶民生活を細部まで再現しようとしたこの意図は見事に達成されている。銃後の生活は戦争一色ではなかったことも描き込まれている。山崎が佳代に淡い恋情を抱くのを知って広島へ帰郷する久子(彼女は被爆して死ぬ)。応召を知らせに来た山崎。山崎との別れに手を取る佳代。これら万感の想いを俳優たちは抑制された演技で美しく表現している。松竹大船調の伝統のなせる業でもあろう。
この映画から私は何を感じとったか。
銃後の庶民の再現、家族の絆の強さ、母親の逞しさ・優しさ・美しさの表現に私は泣いた。山田自身が意識していた『おかあさん』(成瀬巳喜男監督・1952年)や『ママの想い出』(米、ジョージ・スティーブンス監督・1948年)に優るとも劣らない傑作の誕生だと思った。
と同時にこの完成度の高さに私はある抵抗感をもった。理念化されすぎた「母べえ」(ある映画評は「吉永の神々しい美しさ」とまで書いている)への違和感である。「母べえ」の戦後が不在であることへの不満である。総じてこの作品の「自己完結性」への疑念だ。
《二つの問題点―「神々しさ」と歴史の速さ》
それを二つの角度から言いたい。
一つ。『母べえ』の原作者野上照代の自伝『蜥蜴の尻っぽ』(文藝春秋・2007年)によれば「母べえ」一家の実像は次のようであった。「父べえ」は拘置所で転向して釈放される。戦後は共産党に入り著述、翻訳を業としながら政治活動にも関わった。死の直前には神戸大教授の席を得ている。一方、映画と逆に「母べえ」は1954年、「父べえ」より早く結核で死んだ。疲労が重なったのであろうという。「父べえ」は「母べえ」の生前から別の女性と関係があり家庭内に問題を起こした。その女性と再婚した「父べえ」も57年にもガンで死ぬ。私はその事実を描かないから映画がダメだというほど野暮ではないが、やはり美化が強すぎるという印象は捨てがたい。野上の原作のためでもあることは勿論である。山田洋次は松竹の元同僚渡辺浩との対談(『キネマ旬報』08年2月上旬号)のなかで、「〈父べえ〉に生きて会いたかった」という「母べえ」の最後のことばが必要だったことを強調している。だが私は、戦後が描かれていない「母べえ」に、死の床でそれを言わせるのは唐突であると思うのである。
二つ。2008年の現実にこの美しい映画は向きあうことができない。
2008年の現実とは何か。教員組合の集会は裁判所の後ろ盾があっても会場が確保できない。街宣車への敗北である。君が代・日の丸に「敬意を表さない」教員が罰せられる21世紀は、映画の描いた祝祭日の小学校講堂の場面とどこが違うのか。政府のアメと鞭によって岩国市民は米艦載機基地受入問題で膝を屈した。このような現実は、山田の「〈銃後〉を語り残すことが自分の世代の責務」という歴史認識より速く進んでいる。歴史は1940年代に悲劇として現れたが今、それはテレビニュースの画面に軽やかな喜劇のように現れては消えていく。観客はこのような歴史の変化と『母べえ』の訴えるものとの関係を理解できないのではないか。彼らの多くは見終わって「こういう時代だったんだよ」と思うであろう。遠い昔の話だと感じて劇場を去るであろう。そしてグローバリゼーションの日常に戻るであろう。山田洋次はそんなことは「観客の問題」だと答えるのであろうか。自分はやるだけのことをやったと答えるのであろうか。

《学生と労働者が日本の政治を動かせると思った時代》
前述の対談で渡辺は山田の次回作を話題にして「山田自身の戦後をやったらどうか」と水を向けている。そして次のような興味深いやりとりが続く。

山田 僕の話としてかい? 面白いと思う?
渡辺 思うね。アイゼンハウワー訪日拒否、ハガチー事件なんか忘れられているけれど面白い時代だった。あの時代までの青年はイキイキしていたんじゃないかな。
山田 学生と労働者が日本の政治を動かせると思った時代だよな。
渡辺 動かせそうだという、一瞬の幻想にとらわれていた時代。
山田 その一方で、岸信介(当時の首相)がどのように考え、どのように悩み、アメリカにどう相談し、手を打っていたかというのも興味があるね。
渡辺 それを両方の視点から描くのもいいね。
山田 (側近に)賢い奴がいて、「このままほっておくとあかんぞ、徹底的に叩け」と考えたにちがいない。
渡辺 では、次回作は、我々の時代を追うか、「母親」をもう一度深く掘り下げていくかだね。母物の方がいいか、君はうまいからな。
山田 「母べえ」は1940年から42年までの話だけど、44年、45年・・・いろいろと時代が揺れたときだから、その続きを描くわけか。「母べえ」シリーズだな(笑)。

私は次回作で、「学生と労働者が日本の政治を動かせると思った時代」を山田洋次に是非描いて欲しいと思う。しかし読者諸兄姉は、やはり「母物の方がいいか、君はうまいからな」という渡辺の言葉を是とされるのであろうか。
Comment
指摘している2つの問題点のうち、私が「なるほど」と合点したのは、2つめの以下の文章である。

二つ。2008年の現実にこの美しい映画は向きあうことができない。
2008年の現実とは何か。教員組合の集会は裁判所の後ろ盾があっても会場が確保できない。街宣車への敗北である。君が代・日の丸に「敬意を表さない」教員が罰せられる21世紀は、映画の描いた祝祭日の小学校講堂の場面とどこが違うのか。政府のアメと鞭によって岩国市民は米艦載機基地受入問題で膝を屈した。このような現実は、山田の「〈銃後〉を語り残すことが自分の世代の責務」という歴史認識より速く進んでいる。歴史は1940年代に悲劇として現れたが今、それはテレビニュースの画面に軽やかな喜劇のように現れては消えていく。観客はこのような歴史の変化と『母べえ』の訴えるものとの関係を理解できないのではないか。彼らの多くは見終わって「こういう時代だったんだよ」と思うであろう。遠い昔の話だと感じて劇場を去るであろう。そしてグローバリゼーションの日常に戻るであろう。

以上のうち特に「このような現実は山田の・・・歴史認識より速く進んでいる」と末尾の「そしてグローバリゼーションの日常に戻るであろう」に注目した。
なぜか。多くの歴史認識によると、現在はあの当時の後追いあるいは再現が始まっている。だから戦争という悲劇が再び繰り返されるのではないか、それを繰り返してはならないという捉え方である。
これに対し半澤氏は「現実はもっと先に進んでいる。それがグローバリゼーションのもたらす巨大な負の現実だ」と読み取れる視点―勝手読みかも知れないが―を投げかけている。

私(安原)は、「日本列島はすでに戦場だ!」という現状判断も可能ではないかと最近考えている。大まかに言うと、米国主導の戦争への協力を含む多様な暴力(殺人、自殺、格差拡大など)が日本列島をすでに覆っているという認識からである。いいかえれば、日本列島の現実は今や「平和=非暴力」とはほど遠い。軍事力重視主義と抱き合わせの新自由主義路線に立つグローバリゼーションそれ自体がすでに巨悪の暴力となっている。
だから「平和=非戦」、つまり日本が外国との間で武力行使(=戦争)状態でなければ、それが平和だという平和論は狭すぎる捉え方ではないだろうか。毎日、いのちが奪われていく暴力をはじめ多様な暴力による悲劇が絶えない日本の現実の中で、「平和を守れ」「戦争反対」という従来型の叫びは、いかにもお人好しのスローガンに聞こえる。正当なスローガンは「平和=非暴力」をどうつくっていくかでなければならない。

こう考えていると、山田洋次監督には申し訳ないが、映画をすでに観てしまったような錯覚に陥る。
安原和雄 (URL) 2008/02/13 Wed 14:32 [ Edit ]
安原様
鋭く的確な指摘、感謝します。
この映画を見終わって一番強い印象は「これできょうの現実に立ち向かえるのか」でした。ただし観た人の意見を聞くと私と同じ感想をもつた人は少ないようです。ひたすら主人公の身の上に同情し健気な奮闘に感動するというものです。
山田監督の力作です。「観てしまった」錯覚から覚めてぜひ映画館へ足を運んでください。半澤健市
半澤健市 (URL) 2008/02/14 Thu 19:53 [ Edit ]
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() 2008/02/14 Thu 21:12 [ Edit ]
既にトラックバックさせていただいていますが貴ブログの記事を大幅に紹介させてだきました。
大変参考になりました。
大津留公彦 (URL) 2008/02/19 Tue 23:06 [ Edit ]
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() 2008/02/23 Sat 21:49 [ Edit ]
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映画「母べえ」を見た。 終わった後に隣の妻も回りのみんなも泣いていた。 私もウルウルしていた。
大津留公彦のブログ2 2008/02/17 Sun 21:04