2008.02.16 党紀国法 法律より強力な党規が優先
こんな「言葉」が!(23)中国で

丹藤佳紀 (早大講師)

 中国で、党員幹部の不正腐敗が処断されるとき必ず使われるのがこれ。表題の4文字を解きほぐすと、「党の規律・国家の法律」となる。「党紀」というのは「中国共産党の紀律」である。国法ではないから死刑こそ規定されていないものの、違反すれば次の段階の司法処理で死刑になるかもしれない「除名」などの処分が厳存する。党員にとっては文字通り生殺与奪を握る恐ろしいものかもしれない。(ここでいう「紀律」は日本語では「規律」に置き換えられる。逆に、中国語の「規律」は「法則」。「価値規律」といえばマルクス経済学でいう価値法則になる)。
 さて、中国の政治権力を事実上、一党で独占する中国共産党は、昨年、5年に1度の第17回党大会で今後5年間の内政・外交路線と執行部人事を決めた。この人事のうち、確定して公表されたのは総書記、中央政治局と同常務委員など中国共産党の役職である。
 ただ、国家組織・行政組織についても党大会(とその後の中央委員会)によって、国家主席をはじめ全国人民代表大会(全人代=国会)や国務院(政府)などのポストを誰が担当するか、割り振りだけはほぼ決定された。
 具体的に最高指導部の顔ぶれを挙げると、党の序列どおり、トップの胡錦涛=国家主席、ナンバー2呉邦国=全人代常務委員長、同3温家宝=首相という分担(いずれも留任)になる。これは3月上旬に開かれる全人代と人民政治協商会議で正式に決められる。その人事決定までの身辺調査でものをいうのがこの「党紀国法」である。
 「両会」と略称されるこの2つの会議については改めて取り上げるとして、ここでは、第17回党大会を前に、江沢民・前党総書記から胡錦涛・総書記へ権力のバトンが渡される過程のハイライトとなった事件を例に、「党紀国法」のありようを紹介しよう。時は2006年9月24日、ところは中国の最先端を行く上海である。
 この日、上海市のトップである中国共産党の陳良宇・上海市委書記(党中央政治局員)が上海市の社会保険基金を私企業経営者に不正に融資した容疑で江蘇省の武装警察に身柄を拘束され、北京に移送された。これは司法手続きによる通常の逮捕ではなく、党紀違反の究明を担当する党中央規律検査委員会の「隔離審査」である。
 また、上海市の武装警察は党上海市委と市公安局の指揮下にあり、上海のトップ捜査には、情報漏れなどを防ぐため、隣の江蘇省武装警察が動員された。党中央政治局はすぐ陳良宇を上海市委書記から解任し、中央政治局員・中央委員の職務を停止した。ここまでのすべてが刑法などとは関係のない党内措置である。
 この陳良宇事件は中国でも海外でもきわめて注目された。というのは、上海市は江沢民・前党総書記の地盤で、「上海グループ」といわれる江沢民閥が党中央指導部でも勢力を保ち、陳良宇書記をトップとする党上海市委員会は一大拠点だったからである。この社会保険基金の不正融資問題は「上海グループ」をたたく突破口になった。陳良宇書記の前任者で、党中央指導部の江沢民閥と目された黄菊・中央政治局常務委員も中央規律検査委の事情聴取を受けている(2007年6月病死)。
 90年代、よく似た前例があった。江沢民氏は天安門事件後、上海市委書記から党総書記に抜擢され、上記の黄菊氏などを中央に引き上げて「上海グループ」を形成した。天安門事件の鎮圧に「貢献」した陳希同・北京市委書記(中央政治局員)はそれに不満で「上海グループ」に対抗する姿勢をとり続けたため、江沢民政権は90年代後半、汚職を理由に失脚に追い込んだ。陳希同・前書記は「党紀」により政治局員から解任され、「国法」により懲役16年を宣告された。
 今回のケースでは、上海を牛耳っていた陳良宇書記は昨年7月、「党紀」により党籍を剥奪されて公職から追放され、不逮捕特権を失った陳良宇氏は8月には収賄と職権乱用の疑いで逮捕された。陳希同氏同様、これから刑事責任を追及され、かなり重い有罪を宣告されることになる。
 この事件の発端と前半を担当した党中央規律検査委員会は、各省・市・自治区以下、大きな党組織に下部機関があり、中国共産党員による規律違反や重大な事件を担当する。日本で言えば東京と大阪の地検特別捜査部のような捜査機関でもある。
 その中央規律検査委員会が昨年の第17回党大会へ提出した報告によると、2002年12月から昨年6月までに全国の規律検査機関が捜査を終えた事件は67万9846件で関与した51万8484人が「党紀」による処分を受けた。1年平均11万5000余人にのぼる。そのうち、司法機関に移されて「国法」により処罰された件数・人数がどれほどになったか、報告は触れていない。
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