2008.02.23
歴史小説は史実に忠実なものであるべきだ
〔書評〕 吉村昭著『歴史を記憶する』(河出書房新社、¥1680)
吉村昭ほど「歴史」という二文字にストイックなまでに意味をこめた作家はいないだろう。
したがって、「戦国時代に興味がないのは、作り話の資料しかないからであり、書く気がおこらない」「忠臣蔵というあの事件が歴史上意義があるとは思えないので、書く気には到底なれない」とまで言い切る。
圧巻は、
という台詞である。
雨宮由希夫 (書評家)
吉村昭ほど「歴史」という二文字にストイックなまでに意味をこめた作家はいないだろう。
「歴史小説とは『歴史』という文字を冠している小説なのだから、歴史を書くものと思う」
「『歴史』という字が冠せられている限り、史実に忠実な小説を書きたい」
「史実というものは、それ自体がドラマですので、それを絶対動かしてはいけないというのが僕の作法なんです」
「『歴史』という字が冠せられている限り、史実に忠実な小説を書きたい」
「史実というものは、それ自体がドラマですので、それを絶対動かしてはいけないというのが僕の作法なんです」
したがって、「戦国時代に興味がないのは、作り話の資料しかないからであり、書く気がおこらない」「忠臣蔵というあの事件が歴史上意義があるとは思えないので、書く気には到底なれない」とまで言い切る。
圧巻は、
「『桜田門外ノ変』を書いていて困ったことは、桜田門外、3月3日、襲撃の当日、雪は何時にやんだか、それがわからないと小説は書けない」
「小説家は景色を書かねばならない。天候が困る」
「小説家は景色を書かねばならない。天候が困る」
という台詞である。
吉村ほど、歴史研究の玄人筋である歴史家にうけた作家はいない。
日本近代史家の田中彰は、「ところが、会話が始まってくると、これはもうフィクションの世界に入りますね」と切り込んでいるが、吉村の資料追求の姿勢には敬意を表し共感しているし、日本中世史家の永原慶二は、「いちばん究極のところは時代を書くというのが歴史家の仕事ではないか」という。永原のこの言わずもがなの発言は歴史小説家の吉村の真摯なまでの研究態度に触発され初心に立ち返ったような響きがあろう。これら一流の歴史家のことばにはさすがに一味違うものがあると感じる。
本書は、「作家の運命 吉村文学の今と昔」と題された文芸評論家の大河内昭爾との対談をはじめとし、12編の対談が収録されている。
12名の対談者のうち、永原慶二、三國一朗、佐藤昌介、小西四郎、羽田春兔、尾崎秀樹、大宅壮一、城山三郎の8氏はすでにこの世にいない。
対談の時期が最も古いのは、「11本の鉛筆『陸奥』爆沈のナゾ」と題された評論家・ノンフィクション作家の大宅壮一との対談であり、最も新しいのは冒頭に配された大河内昭爾との対談であり、実に32年間のタイムタームがある。
時間感覚は歴史感覚である。吉村は18歳で終戦を迎えている。
「戦時というあの日々は、なにかいつも鈍く空が光っていたような感じがする。あのとき見つづけたあのまばゆい一時期というものは何なんだろうという人間的な疑問ですね。この疑問をはっきりさせないで一生を終わりたくないような感じが強かったんですね」と同世代の尾崎秀樹に語りかけている(73年11月)。
この「あのまばゆい空」を見続けた青年時代と疑問を引き摺っている“今”までの距離は長短の問題ではない。原点というべきか、あのときの自分の立っていた位置を手探りで探すようなもどかしさが感じられ、「桜田門外の変から明治維新までが8年間で、二・二六事件から敗戦までが9年間」という吉村の歴史的時間に対する感慨を重ね合わせると、「幕末の事を書くようになったというのは『桜田門外ノ変』ぐらいから」という作家の著述対象の変化が何となくわかるような気がしてくるのである。
「幕末でいちばん興味深いのは、尊皇攘夷という思想がおきてからわずか5、6年で衰微していくこと」だと吉村は言う。さらに「尊皇攘夷っていうのがわからなかった」と繰り返して、「尊王攘夷論が水戸で興ったというのは海岸線があるからだと知って、尊皇攘夷がわかった」と言う。これは、終戦時、米軍が九十九里浜に上陸するであろうと予測されたことからの連想もあるという。
幕末といえばやはり西郷隆盛が話題になる。なぜかこの世には西郷信者が多く、本書の対談者たちも、そののりだが、吉村の柳に風の受け答えが面白い。
もの書きとしての作風も生きざまも全く異質な大宅壮一との対談(70年9月)はさらに面白い。大宅は吉村を「ノンフィクション作家」と名指しして、
「あなたがもう10年でもはやくうまれて、軍に徴用されたり、従軍しておったら、
おもしろかったナ」と言い放つ。70歳の大宅はこの年の11月にこの世を去っている。この頃、吉村は40代の前半で、いわゆる戦争小説ばかりを書いていた。
「あと10年生きたって、これ、3650日だなと思う」。これは羽田春兔(内科医学)
との対談(92年1月)でのことばである。
10年早く生まれた吉村と、10年先を思っている吉村と。ファンとすればせめてあと10年長生きし、一作でも多く、その作品に触れたかったと思うばかりである。
「まえがき」もなく、「あとがき」もなく、編集者の顔が見えないので、あくまで想像するほかないが、2番目に配された「歴史に向きあう」と題された永原慶二との対談を除いて、つまり、第3番目の三國一朗との対談から末尾の城山三郎との対談は、「杉田玄白」から「あの戦争とこの半世紀の日本人」までのタイトルから連想すれば、ただ単に幕末から現代まで時系列的に並べ、「歴史を記憶する」と題したものといえるかもしれない。
話がかみあっていて、対談しているその場の雰囲気が、対談者の目配りや気遣い、吐息までもが伝わってくるのは、文庫本だけでも9冊も吉村の小説の解説を書いている大河内昭爾との対談である。大河内は吉村の古い友人で、吉村の妻で作家の津村節子と親交があり、昨年1月13日、サンパール荒川で開かれた「吉村昭を語る 作家・吉村昭氏を偲ぶ講演と鼎談」では追憶鼎談(瀬戸内寂聴・津村・大河内)の司会を兼ねていた。
気配りあふれる語りかけに聞き入ったものだが、本書の、庭だけぼんやり眺めていれば、それだけでいつか向こうから素材が姿を現すという話を引き出す、その話術も絶妙である。大河内との対談を巻頭に持ってきたのは編集者の慧眼である。
日本近代史家の田中彰は、「ところが、会話が始まってくると、これはもうフィクションの世界に入りますね」と切り込んでいるが、吉村の資料追求の姿勢には敬意を表し共感しているし、日本中世史家の永原慶二は、「いちばん究極のところは時代を書くというのが歴史家の仕事ではないか」という。永原のこの言わずもがなの発言は歴史小説家の吉村の真摯なまでの研究態度に触発され初心に立ち返ったような響きがあろう。これら一流の歴史家のことばにはさすがに一味違うものがあると感じる。
本書は、「作家の運命 吉村文学の今と昔」と題された文芸評論家の大河内昭爾との対談をはじめとし、12編の対談が収録されている。
12名の対談者のうち、永原慶二、三國一朗、佐藤昌介、小西四郎、羽田春兔、尾崎秀樹、大宅壮一、城山三郎の8氏はすでにこの世にいない。
対談の時期が最も古いのは、「11本の鉛筆『陸奥』爆沈のナゾ」と題された評論家・ノンフィクション作家の大宅壮一との対談であり、最も新しいのは冒頭に配された大河内昭爾との対談であり、実に32年間のタイムタームがある。
時間感覚は歴史感覚である。吉村は18歳で終戦を迎えている。
「戦時というあの日々は、なにかいつも鈍く空が光っていたような感じがする。あのとき見つづけたあのまばゆい一時期というものは何なんだろうという人間的な疑問ですね。この疑問をはっきりさせないで一生を終わりたくないような感じが強かったんですね」と同世代の尾崎秀樹に語りかけている(73年11月)。
この「あのまばゆい空」を見続けた青年時代と疑問を引き摺っている“今”までの距離は長短の問題ではない。原点というべきか、あのときの自分の立っていた位置を手探りで探すようなもどかしさが感じられ、「桜田門外の変から明治維新までが8年間で、二・二六事件から敗戦までが9年間」という吉村の歴史的時間に対する感慨を重ね合わせると、「幕末の事を書くようになったというのは『桜田門外ノ変』ぐらいから」という作家の著述対象の変化が何となくわかるような気がしてくるのである。
「幕末でいちばん興味深いのは、尊皇攘夷という思想がおきてからわずか5、6年で衰微していくこと」だと吉村は言う。さらに「尊皇攘夷っていうのがわからなかった」と繰り返して、「尊王攘夷論が水戸で興ったというのは海岸線があるからだと知って、尊皇攘夷がわかった」と言う。これは、終戦時、米軍が九十九里浜に上陸するであろうと予測されたことからの連想もあるという。
幕末といえばやはり西郷隆盛が話題になる。なぜかこの世には西郷信者が多く、本書の対談者たちも、そののりだが、吉村の柳に風の受け答えが面白い。
小西 激動の時代になる門閥にとらわれない連中が出てくる。薩摩の西郷や大久保のように
吉村 ああ、そうかあ。そうですねえ。
(日本近代史家・小西四郎との対談 93年5月)。
半藤 西郷隆盛という人は稀代の革命家です
吉村 なるほどねえ。ああそうですか。
半藤 ですから西郷隆盛という人は稀代の革命家でといっていい。毛沢東も稀代の革命家です。
吉村 似ていますね、そういえば。なるほどねえ。
(半藤一利との対談 2000年2月)>
吉村 ああ、そうかあ。そうですねえ。
(日本近代史家・小西四郎との対談 93年5月)。
半藤 西郷隆盛という人は稀代の革命家です
吉村 なるほどねえ。ああそうですか。
半藤 ですから西郷隆盛という人は稀代の革命家でといっていい。毛沢東も稀代の革命家です。
吉村 似ていますね、そういえば。なるほどねえ。
(半藤一利との対談 2000年2月)>
もの書きとしての作風も生きざまも全く異質な大宅壮一との対談(70年9月)はさらに面白い。大宅は吉村を「ノンフィクション作家」と名指しして、
「あなたがもう10年でもはやくうまれて、軍に徴用されたり、従軍しておったら、
おもしろかったナ」と言い放つ。70歳の大宅はこの年の11月にこの世を去っている。この頃、吉村は40代の前半で、いわゆる戦争小説ばかりを書いていた。
「あと10年生きたって、これ、3650日だなと思う」。これは羽田春兔(内科医学)
との対談(92年1月)でのことばである。
10年早く生まれた吉村と、10年先を思っている吉村と。ファンとすればせめてあと10年長生きし、一作でも多く、その作品に触れたかったと思うばかりである。
「まえがき」もなく、「あとがき」もなく、編集者の顔が見えないので、あくまで想像するほかないが、2番目に配された「歴史に向きあう」と題された永原慶二との対談を除いて、つまり、第3番目の三國一朗との対談から末尾の城山三郎との対談は、「杉田玄白」から「あの戦争とこの半世紀の日本人」までのタイトルから連想すれば、ただ単に幕末から現代まで時系列的に並べ、「歴史を記憶する」と題したものといえるかもしれない。
話がかみあっていて、対談しているその場の雰囲気が、対談者の目配りや気遣い、吐息までもが伝わってくるのは、文庫本だけでも9冊も吉村の小説の解説を書いている大河内昭爾との対談である。大河内は吉村の古い友人で、吉村の妻で作家の津村節子と親交があり、昨年1月13日、サンパール荒川で開かれた「吉村昭を語る 作家・吉村昭氏を偲ぶ講演と鼎談」では追憶鼎談(瀬戸内寂聴・津村・大河内)の司会を兼ねていた。
気配りあふれる語りかけに聞き入ったものだが、本書の、庭だけぼんやり眺めていれば、それだけでいつか向こうから素材が姿を現すという話を引き出す、その話術も絶妙である。大河内との対談を巻頭に持ってきたのは編集者の慧眼である。
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