2008.03.01 アメリカ経済最悪のシナリオ ルービニ教授の悲観論(下)
―サブプライム問題の射程(6)―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《不良債権の大きさ》
前回はニューヨーク大学教授ルービニの悲観論を紹介したが今回は私の補足的な説明と感想を述べる。私が07年10月、このブログにサブプライム問題を書いたとき米国金融機関の関連損失額合計は2.5兆円だった。それだけで日本のメガバンクの利益3兆円が吹っ飛ぶと書いた。4ヶ月後のいま、欧米金融機関の損失合計は11兆円を越えている。1.2億人の日本人が365日の取引で払う消費税が2.5兆円である。この対比は「マネー経済」の大きさの意味を我々に突きつける。因みに最近では金額表示が「兆」では収まらず、「京」(けい、「兆」の1万倍)の出てくる経済記事を見るようになった。

さてルービニ説が悲観論とすれば楽観論とはなにか。
楽観説は、サブプライムローン総額1.3兆ドル(130兆円)の15%程度の焦げ付きだから不良債権は2000億ドル(20兆円)ぐらいとみる。米国のGDPは13兆ドル(1300兆円)あるから20兆円ならその1.6%に過ぎない。短期間で吸収可能だというのが楽観論者の言い分である。ただしここへきて楽観論は勢いを失っている。金融機関損失の数字が急ピッチで増大していること、住宅金融債権の証券化によって不良債権額が予想外に増幅され世界中にバラ撒かれたことが知れたからである。それにしてもルービニのいう1兆ドルはGDPの7%に相当するから相当な重傷だ。しかし彼は悲観論者の割には将来見通しには楽観的である。雑誌のインタビュー(『週刊ダイヤモンド』08年3月1日号)で「ただし、不況は続いたとしても一年か一年半である。その苦しいトンネルを過ぎれば、米国経済、そして世界経済は健全さを回復できることを最後に付け加えておきたい」と語っている。90年のバブル崩壊以来現在に至る「失われた18年」を見てきた日本人から見ると、この人の悲観論は本気なのだろうかという気がする。
《デカツプリングのあり方》
日本の「バブル問題」と「サブプライム問題」が決定的に違うのはその国際性の程度である。「国内的な問題」と「グローバルな問題」の違いである。グローバルの意味は二つあり、一つは、米国経済の存在が依然として圧倒的な存在であること。二つは、それが同時に米国経済が限界にきたことを示していることである。ルービニは「デカップリング」論を次のように否定している。(前出のインタビユー)

デカップリング論なんてものはいますぐ忘れたほうがいい。私は最初から信じていなかった。そもそも世界経済の二五〜三〇%は米国経済が占めている。米国は個人向け製品の最大の消費地で、中国やアジア、日本はその製造元という関係にある。波及までに時差があるとしても、金融、貿易、消費者心理のチャネルを通じて、世界で大きな“カップリング”を起こすのは自明の理だ。早晩、世界はその現実を直視することになるだろう。

しかし欧米金融機関の自己資本毀損の危機を救いつつあるのは一体誰なのか。
ノックアウト寸前のシティグループやメリルリンチにタオルを投げ入れたのは誰なのか。それは「アブダビ投資庁」であり、「シンガポール政府投資公社」であり、「クエート投資庁」であり、「アルワイード・ビン・タラル王子」であり、「テマセク・ホールディングス(シンガポール)」であり、「みずほコーポレート銀行」ですらあった。しかも資金投入を懇願した米社が提示した債券発行条件は、FRBの利下げの最中に、9%〜11%というジャンクボンド並みの高金利だと伝えられる。政府系ファンドの投資をどう評価するかは難問である。結果としてはカネをドブに捨てたかも知れないからである。こういう現象を見ても「デカップリング論なんてものはいますぐ忘れたほうがいい」などといえるのだろうか。米国経済にいま問われているのは、キリギリスのような生活を続けている経済システム自体ではないのだろうか。さらに言えば、金融工学という技術、非人間的で圧倒的な軍事力、傲慢な二重基準外交、によって支えられてきた「アメリカ合衆国」の総体が問われているのではないだろうか。

《窮極の解決策はなにか》
日本のバブル崩壊後の不良債権はどのように解消したのであろうか。
不良債権の総額を正確に計測するのは難しい。2002年3月期の大手銀行13行の不良資産合計は8兆円の損失処理後で27兆円あった。この数字がこの基準では史上最高とされている。しかし不良債権は銀行以外にもあった。不動産業界にも、流通業界にも、ノンバンク業界にも、つまり国内のどこにでもあった。当時の不良債権総額は100兆円程度とするのが日本でのコンセンサスである。日本のGDPと全国銀行貸出残高はいずれも500兆円ほどであったから不良債権はその20%に相当する。エコノミスト水野和夫の分析は、89年時点で108兆円あった不良債権(水野は「過剰債務」と呼ぶ)を十数年かけて不良債権として処理した、そのうち公的資金導入額は46兆円であったというものである(「サブプライム化する米国経済」、季刊『金融ビジネス』08年WINTER号、東洋経済新報社)。私の理解では、残りは銀行自身の利益注入と「所得移転」で処理した。所得移転とは、本来預金者に還元すべき利息がゼロ金利政策の強行を通して銀行の所得になってしまうことである。合法的な「横取り」である。1%を預金者から所得移転できれば1年5兆円、10年で50兆円になるから辻褄は合う。

サブプライム不況の解決に米国も公的資金導入をするであろうか。
自由経済と自己責任を国是とする国が、大統領選挙の年に「大企業の救済」策はとれないというのが世論の大勢である。そうであれば、当面はFRBの低金利政策とGDP比1%程度の減税、差押えの緩和策などの小手先で凌ぐしかない。しかしその範囲では米国経済のキリギリス構造は変えることができないだろう。他人の貯蓄に依存した消費は、結局外資流入が止まり「自分のカネは自分で稼ぐ」必要性を国民が自覚するまで続くだろう。1929年世界恐慌からの脱出に「ニューディール」政策によって国民に希望を与えたのはフランクリン・ルーズベルト大統領であった。サブプライム不況が「大恐慌」規模に発展するのかは分からない。とまれ大統領選挙がサブプライム問題を解決する新しいアメリカへの出発になるだろうと考えるのは「日米同盟」に呪縛された一市民の幻想であろうか。
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() 2008/03/03 Mon 12:33 [ Edit ]
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