2014.02.28 シーシ「大統領」を世界に先駆けて支持したプーチン
「革命3年後のエジプト」①

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)


 2012年のムバラク独裁政権打倒「1月25日革命」から満3年、クーデターから7カ月が過ぎたエジプトについて連載でリポートしようと思う。中東に、世界に、大きな影響を及ぼしてきたこの地域大国が、昨年7月3日のクーデター後どのように激変したのか、まもなく大統領になることが確実な軍トップのシーシ最高会議議長兼国防相とその政権が、この国をどう導こうとしているのか考えたい。

▽ロシア、兵器供給国に復活 
2月13日、シーシは国防相の資格でロシアを公式訪問した。クーデターでエジプトの最高権力者となったシーシの最初の外国訪問を歓迎したプーチン大統領は、モスクワの公邸で会談。プーチンは、まだ公式には大統領選に立候補する意思を表明していないシーシに対し「あなたが大統領選への立候補を決めたことを知りました。これは貴方自身がエジプト国民の運命に責任を担うという非常に重要な決定です。私個人として、さらにロシア国民の名において成功を願っています」と表明した。大統領選の公示の前に、シーシ支持を表明した外国首脳はプーチンが初めてだった。
 これに対し、米国務省の報道官は記者会見で「率直に言って、われわれは一候補者を承認することはしないし、それを決めるのは米国でもプーチン氏でもなく、エジプト国民だ」と批判した。

 これに先立って、両国の外相・国防相による4者会談で合意した総額20億ドル以上のロシアからの兵器輸出が、プーチン・シーシ会談で正式に決まった。その内容は、MiG29戦闘機、防空と海岸防衛のミサイル・システム、Mi35攻撃ヘリなどで、輸入代金はサウジアラビアとアラブ首長国連邦が支払うとロシア紙が伝えた。
 一方、この会談でシーシは、シリア内戦でアサド政権を支援するロシアの政策を支持、協力を約束した。打倒されたモルシ政権は、シリア内戦で反政府勢力を支持し、カイロは反政府勢力の拠点の一つになっていた。
今回合意された協定の交渉は、昨年11月から始まり、それを暗示するようにロシア海軍の駆逐艦がエジプト地中海岸のアレキサンドリア港を公式訪問、盛大な式典が行われた。その際、アルアハラム紙は「熊が戻ってくる」と題したリポートで「ロシアはアレキサンドリア港を、ロシア海軍の補給基地とすることに成功しそうだ」とも報道している。
 エジプトの最有力国営紙アルアハラムは、今回の正式合意について「ワシントンが援助の一部を停止したため、カイロは60,70年代に兵器の主供給者だったモスクワへと向きを変えた」と論評した。

 ▽したたかなシーシ
 クーデターとその後のムスリム同胞団への過酷な弾圧に対して、米オバマ政権は批判的な姿勢をとり続けた。しかしEU諸国と異なり、オバマ政権は「クーデター」と呼んで非難することは慎重に避け続ける一方、年額13億ドルに上る対エジプト軍事援助の相当な部分を停止して、批判を示した。しかし米議会は2月、軍事援助の全面復活を決議、2回にわたって議会調査団をエジプトに派遣して、シーシと会談させた。軍事援助は大半が戦車、戦闘機はじめ米国製兵器と訓練に支出され、米国の軍事産業の利益と結びついている。

 1952年の民族主義の自由将校団による「7月革命」の2年後、ナセルは初代大統領のナギブとの権力闘争に勝ち、最高指導者となった。ナギブに協力したムスリム同胞団を弾圧して権力を固め、ソ連に接近して友好協力条約を結んだ。アスワン・ハイダムをソ連の援助で建設、60年代、70年代のエジプトへの兵器供給国はソ連とチェコになった。 しかしナセルの死後、後継者となったサダト大統領は、73年の第4次中東戦争を契機に親米政策と経済自由化に180度転向。米国の調停工作で79年、イスラエルとの平和条約を締結した。米国はその褒美に、イスラエルに年額30億ドルの軍事援助、エジプトに20億ドル(うち13億ドルが軍事援助)を供与することを約束、以後30年以上にわたってその軍事援助を続けてきた。その一部を、クーデター後、オバマ政権は停止したのだ。これに対抗して、シーシが率いる軍と暫定政権はロシアに接近、兵器輸入の交渉を求め、ロシア側も積極的に対応したに違いない。
 シーシはナセルを信奉しているという。ナセルはソ連・東欧製兵器に全面的に依存したが、シーシはしたたかに、米国の軍事援助の一部停止を非難しつつ、プーチンと最終的に合意したことになる。(続く)

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